(その4からのつづき)
「8と70」という年齢表示を用いていることについて
真性異言研究チームの中部大学大門正幸教授が『スピリチュアリティの研究』を風媒社より出版されました。
この本の後半は、共同研究者として立ち会った大門教授の視点から、「ラタラジューの事例」のネパール語分析が述べられています。そして、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット社、で私がすでに触れている同じ会話部分(前掲書P107)の分析の補足として次のような記述があります。
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ラタラジュー人格が話すネパール語がタマン語話者の話すネパール語、それも大変古いネパール語であることを示唆する痕跡が見つかりました。それは数字の数え方です。
死亡した年齢を聞かれたとき、ラタラジュー人格は、aaTh sattariri(アト サトリ=8と70)のように答えています。現代のネパール語では1の位を先に述べるような数え方をしないので、カルパナ氏(ラタラジューと会話した話者)はとまどいながら「70ですか?」と答えています。カルパナ氏の反応を裏付けるように、この部分を聞いたネパール人は、口をそろえて「ネパール語としては不自然だ」と判断しました。
しかし、現地でこの点について確認したところ、78歳のプリティヴイ・ガラン氏が「確かにナル村では、昔は『8と70』という数え方をしたが、教育が普及してからそのような言い方はしなくなり、今の人に聞いてもそのような数え方を知っている人はほとんどいない」と語ってくれました。
大門正幸『スピリチュアリティの研究』風媒社、2011、P81
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ラタラジュー人格が、死亡年齢を「8と70」、つまり、78歳だと答えたことの重要性は、4年前の1回目のセッションで、日本語で「78歳で死んだ」と明確に答えており、4年後の時点でもネパール語で、「8と70」=78歳で死亡したと死亡年齢にぶれがなかったことにあるととらえたことでした。
つまり、4年前のセッションで顕現化したラタラジュー人格と4年後に顕現化したラタラジュー人格が、同一人格であることの証明として重要性を認めたということでした。これは、ラタラジュー人格が里沙さんの恣意的に作り出した架空の人格ではない状況証拠だと思われたからです。
大門教授の今回の現地調査で、「8と70」という年齢表示法が、かなり古いネパール語の年齢表示法として実際に使われたいたという確認は、「ラタラジュー」という昔に使われた名前であることに加えて、100年前程度以上の昔にラタラジューが実在した強力な状況証拠と言えそうです。
なぜなら、ラタラジューが実在したのは1784年~1933年のうちの78年間であろうと推測できるからです。
「8と70」という年齢表示をラタラジューがしたのは、古い時代のネパール語話者としてはむしろ当然の表示法であり、ラタラジューが実在した強力な状況証拠の一つであると言えそうです。
また、「8と70」という、現代ネパール語では用いない年齢表示法は、仮に被験者里沙さんが密かにネパール語を学習していたにしても、まず学べるはずのない年齢表示法であり、里沙さんがネパール語を学んではいないという証拠(真性異言の証拠)でもあると言えそうです。
大門教授の現地調査とは別に、ナル村の現地調査を依頼したネパール在住ネパール人文化人類学者ソバナ・バジュラチャリヤ博士の調査で、ラタラジューの実在は戸籍やその他文書、34名のナル村古老への記憶聴き取り調査でも確認はできませんでした。
しかし、「8と70」という年齢表示を用いていることをはじめ、現在のカトマンズではほとんど口にしないコドという雑穀の食物、多くのヒルの実在、山での火葬、フラッシュバックしたナル村風景などの語りの事実の諸検証結果は、ことごとく事実と一致し、このことは、ラタラジューの実在していたことを示す強力な状況証拠だと判断できるものです。
被験者里沙さんが当てずっぽうで語った内容が、すべてまぐれ当たりしたとはとても考えられません。
ラタラジュー人格が、ナル村の自然・生活環境を語っているからこそ、検証事実と一致したとみるべきでしょう。
(つづく)
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