2022年11月23日水曜日

最初の人生の魂の持ち主の人格特性

 SAM催眠学序説 その156

 
魂の実在を認める立場であっても、魂がどこでどのように誕生するのかは検証不明です。
ちなみに、SAM前世療法では、「魂」とは肉体を持った「霊」を「魂」と呼びます。
したがって、「霊がどこでどのように誕生するかは検証不能です」というのが正しいことになります。
 
クライアントのなかには、「霊」として誕生し、初めて肉体に宿った「魂」として人生を送っている事例があります。
しかし、セッションであらわれる意識現象の事実として、現世が地球人として初めての人生を送っている魂の持ち主もどうやらおいでのようです。
 
というのは、地球外の星の前世、つまり知的生命を持つ異星人の前世を体験している人ですが、これまでに十数人確認しています。
あるいは、「人間としての前世がない」ということで、人間ではない霊的存在(ガイド)から、あるいは、守護霊から、人間として生まれ変わったというクライアントが数名含まれています。    
 
なお、守護的存在としての守護霊は、生まれ変わりを繰り返し成長・進化したものを「守護霊」、人間の生まれ変わりを選ばず、霊界で独自の成長・進化を遂げて守護的存在となっているものを「ガイド」と分けるようにわたしあて霊信は告げています。
 
その判断の根拠は、魂状態に遡行したときに、魂の表層の「現世のもの」しか顕現化しないこと、「現世のもの」に、○○の前世のものに交替してください、と命じても「誰もいません」と回答することから判断せざるをえません。
あるいは、「現世の直前の人生を送った前世のものは出ておいでなさい」と指示しても顕現化しないことで判断するしかありません。

「それではあなたは、現世が最初の人生を送っている魂ですか?」と尋ねると、「そうです」あるいは、「わかりません」という回答が返ってきます。
生まれ変わりを経験していないので、生まれ変わりということがおそらく分からないのだろうと推測しています。
 
そして、生まれ変わりがない人や、地球人として最初の生まれ変わりを送っている魂の持ち主の性格特性は、次のようなものであることが、セッション前、セッション後のカウンセリングから明らかになっています。

①好奇心が人並み以上に強く、好奇心に駆られてすぐ行動に移る。本人はそうした自分を落ち着きのない人間であると自己評価している。

②性格が純真で素直である。周囲からは、悪意や悪気のない人物だという評価を得ている。あるいは楽天的であっけらかんとした印象を与えている。

③傷つきやすい。警戒心が薄弱であるため、裏切りに会ったり叱咤されることに傷ついて、劣等感に陥っていることも多い。
 
④人生に生きづらさを抱いて、抑うつ状態に苦しんでいることが多い。
 
興味深いことは、「ガイド」から人間に生まれ変わったクライアントは、神からの指示によって人間界に生まれ変わったと答えていること、人間界の醜悪さに生きづらさを抱いて、うつ状態に陥っていること、セッション中に落涙する、などの共通の意識現象があらわれることです。
中には霊界に戻りたいと涙ながらに訴えたクライアントもいます。
 
こうした性格特性は、アラン・カルディックの霊信『霊の書』のなかで、通信している高級霊(聖ルイと名乗っている)が、誕生したばかりの魂の特性を「無知、無垢です」と告げていることと符合しています。

わたしあて霊信では、「あなたも魂表層の一つです」と告げており、つまり、現世の「わたし」という人格を担っているものが、わたしの魂表層に位置付いていることを告げています。

こうした、セッションにあらわれる意識現象の事実と、わたしあて霊信の告げていることから、魂の表層には「現世のもの」が位置付いていることは事実であろうと思われます。
「現世のもの」の定義をすれば、「現世に生まれてからこちらの意識・潜在意識をつくりだしている人格」ということになるでしょう。

こうして、「わたし」という人格は、魂の表層に存在する「現世のもの」が担っているといえそうです。

そして、「現世のもの」は、生まれ変わりがある場合には、魂表層の諸前世人格の影響を受けながら成り立っている、いわば複合的人格とだと考えられます。
わたしあて霊信で、「魂表層の諸人格は友愛を結び、互いの人生の智慧を与え合っている」と告げているからです。
とすれば、魂表層の現世人格は、潜在意識下で前世諸人格から人生の智慧を与えられているということになります。
 
ただし、諸前世人格の中には、傷つき苦しんでいるものが存在し、そうした傷ついている前世人格からの負の影響も、当然のことながら受けざるをえません。
わたしあて霊信では、「傷の無い魂は存在しない」と明確に告げています。

要するに、「わたし」という人格は、両親から受け継いだ遺伝的資質と現世の生育歴の諸体験からのみ成り立っているわけではなく、それに加えて諸前世人格からの正・負の両面の影響を受けているということです。

そのように現世人格の成り立ちを推測すれば、人格は、①両親からの遺伝的資質、②生育歴の諸体験、③前世諸人格の影響、などの三者の側面を複合的に併せもっている、という人間理解をするべきだということになります。
 
生まれ変わりの科学的研究者の嚆矢として名高いバージニア大学のイアン・スティーヴンソンが、自分の研究室を「人格研究室」と名付けているのも、上記のような意味合いを込めて名付けたと思われます。
 
『科学的探検雑誌』編集長のバーンハード・M・ハイシュは、次のように述べています。
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 人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点をもっているのは明らかである。恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも、前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。遺伝と環境に加え、前世での経験という第三の要因も、人格形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案と言える。
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イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』、P.525
 
 生まれ変わりという事実を受け入れ、誤解をおそれずに言えば、病的な多重人格(解離性同一性障害)という症状を除外して、だれでも多かれ少なかれ多重人格であることが当たり前だということです。


さて、話題が少しずれますが、ワイス式前世療法(前世の記憶を想起する前世療法)を体験後、SAM前世療法を受けたところ、生まれ変わりをしていない、という結果が出たクライアントが二人おいでになります。
しかし、二人ともに、ワイス式では「前世の記憶」が確かにあらわれたということでした。
このことはどのように解釈すべきでしょうか。

催眠学用語に「要求特性」という用語があります。

これは、セラピストの要求していることに、クライアントが無意識的に協力しようという催眠中の心理傾向を意味する用語です。

二人のクライアントに要求特性が働いたとすれば、すでにワイス式前世療法によって前世の記憶が確認されているわけで、つまり、前世があるという前提で、それを再確認するためにSAM前世療法のセッションを受けているわけですから、何らかの前世人格が顕現化しても不思議ではありませんし、顕現化するはずだと思われます。
それが顕現化されず、生まれ変わりをしていない、という結果なのです。

我田引水のそしりをおそれずに言えば、二人のクライアントのワイス式で現れた前世の記憶とは、要求特性によって創作された前世記憶の可能性が高いのではないかということです。

だからといって、SAM前世療法で確認した生まれ変わりが無い、という推測の検証は不可能ですから、これもあくまで仮説に過ぎません。

そして、アカデミックな催眠学の立場にある催眠研究者のほとんどは、前世の記憶は、要求特性による創作である、という見解をもっています。

また、残念ながらワイス式であらわれた「前世の記憶」の科学的検証事例をわたしは知りません。

しかし、SAM前世療法によって顕現化した前世人格「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、要求特性による創作ではありえない、という科学的検証結果を示しています。
つまり、この二つの事例に限定して検証する限り、被験者里沙さんには生まれ変わりはある、と結論せざるをえません。

この検証結果は、反証可能性にひらかれた形で全セッション映像をネット上で公開し、2冊の本でも公開してありますが、きちんとした具体的反証を挙げて否定した論者はいまだに現れていません。
 

なお、「ラタラジューの事例」については、二つの関連学会(国際生命情報科学会・日本サイ科学会) で発表しています。
なお、一般向けには、テレビ番組「アンビリバボー」において、2006年に「タエの事例」が25分間、2010年に「ラタラジューの事例」が60分間放映されています。

また、アンビリバボー放映の元になっている全セッションのyou-tubeの公開映像は、本ブログの枠外右上に案内してあります。