2019年12月22日日曜日

生まれ変わりの否定論への反論

    SAM催眠学序説 その 127

 

わたしの記事への2019年末までの否定論は 「生まれ変わりなどありえない」という硬直した唯物論信仰の前提に立った実証なき観念論(感情論)の主張ばかりでした。

 

そもそも「ない」ことの証明は、観念論からは導き出せません。(注:「悪魔の証明」参照)

 

また、ことばによって伝達可能な「情報」と、ことばによっては伝達できない「技能」との厳密な区別をしないですべて情報として伝達できるものだとして、聞きかじりの生半可な観念論(実証のない単なる「説」)を持ち出して投稿する否定論者がほとんどです。これら否定論に見られる認知の歪みの傾向は次のように4つにまとめられるでしょう。

 
選択的抽出(自分が関心のあることのみに目を向けて抽象的に結論づける) 、

拡大視・縮小視(自分の関心のあることを大きくとらえ、反対に自分の考えに合わないことをことさらに小さく見る)、

極端な一般化(ごくわずかな事実をとりあげて何事も同様に決めつける)、 

恣意的推論(証拠があいまいなのに独断的に思いつきで推測し判断する)、

などの認知傾向の歪みが認められます。



とりわけ、被験者里沙さんの学んでいないネパール語による応答型真性異言「ラタラジューの事例」についての否定論が典型です。
「情報」ではなく「技能」であるネパール語の会話がなぜできたのか、この科学的説明は現行唯物論では不可能です。

「技能」は、練習で身につけた「暗黙知」であり、「情報」として伝達できないのです。このことの無理解・誤認に基づく否定論ばかりです。

 

否定するからには、反証可能性にひらかれている」わたしの一次証拠を示した主張を、ていねいに検討したのちに具体的反証を挙げて具体論で否定する、という当然の作法が無視されています。

 

提示されている一次証拠に正対し、反証を挙げる労力から逃げて、誰かの主張している観念論を持ち出し、論点ずらしを展開する、というのが否定論者の常套手段になっています。

 

わたしが生まれ変わりの証拠としている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の両動画を視聴し、あるいは逐語録に忠実に目を通し、この一次証拠に正対し、具体的反証を挙げながら、反論することが礼儀でしょう。

  

具体的諸証拠を示した(反証可能性にひらかれた)わたしの主張に反論する場合は、まず提示されている反証可能な具体的諸証拠について反証を挙げて否定することから始める、という「立証責任(挙証責任)」が生じるのです。

具体的反証が挙げられないなら、まず、それを断ってから、自分の主張である観念論なり別の反論なりを主張するべきです。

 

一次証拠を棚上げして一切触れない、実証なき観念論(「仮説」ではなく単なる「説」)で一方的に反論できたつもりでも、説得力はまったくありません。

 

なぜなら、実証をもって否定されえない一次証拠は、肯定されていると見做され、生まれ変わりの科学的証拠として、相変わらず存在し続けているからです。「否定の観念論より否定の具体的証拠」です。

 

実証なき観念だけの「説」は、空理空論です。

実証を示さない観念論だけなら、誰でも何とでも主張できます。       実証をともなわない生まれ変わりを説くだけの「説」なら古来掃いて捨てるほどあります。

 

本ブログのテーマを「生まれ変わりの実証的探究」と掲げている意味は、観念論・抽象論一辺倒で科学的実証をともなわない空虚な議論を避けるためです。

 

科学的仮説には、その仮説の根拠となる検証可能な具体的証拠がともないます。したがって、検証の結果をもって、仮説の真偽が判断できます。

 

STAP細胞の仮説が典型です。STAP細胞の真偽について検証可能な仮説であったからこそ、仮説の検証について諸実験が追試され、その真偽を問うことができたのです。

 

つまり、STAP細胞仮説は、わたしが繰り返し主張してきた検証可能な「反証可能性」にひらかれていました。

反証可能性にひらかれていることが科学的主張(仮説)の条件の一つです。

 

わたしが提示している具体的証拠に基づく生まれ変わりの主張(仮説)を否定するには、わたしの提示している生まれ変わり仮説を支持する具体的諸証拠(一次証拠)に基づく、具体的な反証を挙げて、具体的に否定する以外に方法はありません。

 

この当然の論理と反論の作法を心得ていないコメントは、科学的思考と先行研究に基づく実証的反論者たる投稿資格がないと思わざるをえません。

 

わたしは、実証のない諸証拠を挙げ、注目を浴びたいがためにこのブログを立ち上げたつもりはありません。

 

生まれ変わりの科学的証拠ような重大なことについて主張するからには、多くの先行研究に目を通し、SAM前世療法による1000事例にわたる催眠の臨床研究によって自ら体験し、蓄積してきた意識現象の科学的諸証拠を公開しているつもりです。

 

その金字塔が「タエの事例」、「ラタラジューの事例」だと思っています。  TV番組アンビリバボーでも紹介されたこの両事例は、世界の生まれ変わりの科学的研究史上に日本の事例として残るでしょう。

 

生まれ変わりを科学的事実として認めることの深甚な影響は、個人の人生観・世界観に限らず、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にも根本的な変更を迫ることになるでしょう。

 

だからこそ、生まれ変わり(死後存続)や霊的存在の問題を真剣に実証的に探究するべきだと考えます。

 

そのために、生まれ変わりについて、「観念より事実、理屈より実証」を地道に愚直に示していくことこそが、このブログの存在価値だと思っています。

 

ここで、これまで掲載してきた記事の中で、SAM催眠学独自の見解を示しているものを列挙してしておきます。

 

その102 の転生の仕組みと前世人格の関係

 

その115 元妻に憑依した生き霊との対話

 

その118 医学では説明できない先天性皮膚疾患の改善(前世人格との対話)

 

その119 顕現化したインナーチャイルド人格との対話

 

その122 SAM催眠学2019年現在の到達点

 

その123 なぜ前世人格であって前世記憶ではないのか

 

その124 SAM前世療法の重要仮説用語集(骨格である仮説の説明集)

 

その125 守護霊の存在についての考察

 

その126 未浄化霊の存在についての考察

 

 ゴチックの用語である魂・前世人格・生き霊・インナーチャイルド・守護霊・未浄化霊など霊的現象についての実証的探究の現時点の成果を述べてあります。