2022年9月27日火曜日

『前世記憶』か『前世人格の顕現化』か? その2

SAM催眠学序説 その154

 
最近『生きる意味の探究』を読み直し、ウィリストンほどの前世療法家がなぜ?と思うことがしきりです。
その「なぜ?」の部分を前掲書グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999から4点取り出してみます。
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ある人物が、催眠状態で、過去に生きていた人物になりきり、異なる抑揚や調子で話し始め(前掲書P.23)

彼女は過去生へと戻っていたのだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた。(前掲書P.26)

退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。
このような「意識の分割」は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。
私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった(前掲書P.61)

④過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる(前掲書P.121)
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上記引用部分のを読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」であるととらえていると思われます。
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの記述から明らかなように思われるからです。

どこまでもクライアントの想起する「前世の記憶」だととらえているようなのです。
しかし、では、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった」というクライアントの「意識の分割」状態を述べています。

また、ではウィリストンが「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる」という奇妙な現象を述べています。

わたしが疑問に思うのは、上記③④の不可解な意識現象をとらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という解釈にこだわり続けるのか、という点です。

のように、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」るのであれば、前世の記憶の想起ではなく、前世の人格が顕現化してクライアントの身体を通して自己表現しているのだ、とありのままに受け取ることができないのでしょうか。

東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた」というクライアントの声の変性状態を観察しながら、英国少女の前世人格が、ただいま、ここに、顕現化して語っているのだ、となぜ考えることができないのでしょうか。

ま た、のように、「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる」ことを、ありのままに 受け取れば、「けげんそうな表情」を浮かべる主体は、クライアントではなく、それとは別個の、つまり、クライアントに、「けげんそうな表情」を浮かべさせた主体は、クアライアントではなく、「過去生の人格」そのものだと受け取る自然な解釈に至らないのでしょうか。

これまで、「何千人もの人々」(前掲書P.23)に前世療法を施術してきたウィルストン が、ついに、「前世人格の顕現化現象」という仮説に至ることができなかったのか、わたしには不可解でなりません。

ちなみに、別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる(前掲書P.61)というウィリストンの記述は、きわめて興味深く思われます。
この記述は、SAM前世療法のセッションにおける、前世人格顕現化中の意識状態である「三者的構図」そのものだと言えるからです。

三者的構図」とはSAM前世療法セッションにおける、「セラピスト」、「クライアント」、「顕現化した前世人格」の三者関係を意味するSAM前世療法独自の用語です。

「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開されます。
 
SAM前世療法セッションでは、この「二者的構図」が、前世人格が顕現化した後半から、「前世人格と直接対話するセラピストと、その対話をひたすら傾聴するクライアントの意識」という特異な「三者的構図」に転換していきます。                
 
セッションの前半では、セラピストのわたしはクライアントの催眠深度を深めるためにクライアントに対して、つまり、二者関係で、「魂状態の自覚」に至るまで徹底して催眠誘導をおこないます。                                 

「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、クライアントに顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと転換します。

この転換によって、セラピストの「わたし」対「前世人格」の対話、それを傾聴している「クライアントの意識」という三者的構図によるセッションがこれ以後展開します。
この間、「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することは一切できなくなるようです。

 前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのです。

こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載してみます。

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なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタラジューの言葉を伝えていました。
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
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こうして、ウィリストンの述べている別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は・・・必ずと言っていいほど見られる」という記述の『意識の分割』とは、セラピストの「ウィリストン」対「前世人格」の対話、その対話に介入が許されず傾聴しているのみの「クライアントの意識」という三者的構図そのものを示していると解釈しても支障はないと思われます。

つまり、彼の言うクライアントの「意識の分割」状態とは、「現世のクライアントの意識」と「顕現化した前世人格の意識」の二つの意識に分割されて併存している状態を指していることにほかなりません。
しかし、この記述には、現世のクライアントとは別個に「顕現化した前世人格の意識」という明確な解釈はされていません。
どこまでも、前世の記憶を語る「クライアント」対「セラピスト」という二者的構図における、クライアントの「意識の分割」状態なのだという解釈なのです。

お そらく、ウィリストンが、どこまでも二者的構図における意識の分割」としかとらえることができなかったのは、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(前掲書P.316)などの誘導法に、 最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という唯物論的固定観念から、ワイスと同様、ついに脱することができなかったからだ、とわたしには思われます。

そして、不可解なことは、「生まれ変わりの真実性は証明不要なほど確かな事実だ(前掲書P.96)」と断言しているにもかかわらず、管見するかぎり、ウィルストンが前世記憶の検証を綿密におこない、生まれ変わりの科学的証明した記述はありません。
また、「前世の記憶」がどこに存在しているのかについて、一切言及していないのです。

このことは、ブライアン・ワイスも同様です。

仮に「前世の記憶」が科学的事実だとして、彼らはその記憶はどこに保存されていると考えているのでしょうか?

わたしの知る限り、前世療法中のクライアントの語りを検証し、「クライアントとは別の前世人格が顕現化し、クライアントの身体を借りて自己表現しているのだ」と いう解釈をしているのは、3例の応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。

彼は、「トランス人格(催眠下のトランス状態で現れる前世の人格)」 が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表明しています(『前世の言葉を話す人々』PP.9-11)。
彼は、「グレートヒェンの事例」で、グレートヒェンが応答型真性異言を語るセッションを目前で見学し、クライアントが「前世の記憶」として、応答型真性異言を語っている、という固定観念の不自然さ、不合理さに気づき、「前世の記憶」ではなく、「グレートヒェンと名乗るトランス人格そのものが顕現化」して語っている、という発想への変換をせずにはいられなかったのでしょう。
しかし、スティーヴンソンも、「トランス人格」の存在する座についてはついに言及していません。

そして、わたしは、SAM前世療法において、顕現化する前世人格の存在の座は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情や記憶を保つ意識体として死後存続しているという、わたしあて霊信による作業仮説を立てています。

したがって、セッション中にわたしが対話する相手(主体)は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した別人格の前世人格そのものであり、しかも現在進行形で対話している、と了解しています。

こうした現象は、現世のクライアントの魂表層に存在する前世人格が、クライアントに憑依して、わたしと対話している、ということになります。
このような憑依現象は、これまで報告されたことがなく、したがってこの現象を表現する用語もありません。

そこで、SAM催眠学では、この憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。
つまり、前世人格の顕現化現象は、自己内憑依現象である、というとらえ方をしているということです。

こうした作業仮説に、たしかな自信を与えたのが、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と「タエの事例」の検証と考察によって、生まれ変わりの科学的実証に肉薄できたことでした。

ただし、SAM前世療法の諸仮説をわたしに教示したのは、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在であるという、これまた唯物論者が目を剥いて嘲笑するであろう霊信という超常現象なのです。

 わたしあて霊信によれば、「意識の座は脳ではなく、肉体を包み込んでいる霊体である」と告げています。                                  また、「霊体はオーラとも呼ばれる」とも告げています。

この霊信の言説の真偽を直接実証することはできませんが、SAM前世療法遂行のための重要な作業仮説として採用しています。

そして、ごく最近再読した本の中に、70年以上前に、すでに同様の仮説に至っていたアメリカの精神科医の存在を発見しました。                                   点線内がその内容です。

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 彼ら(スピリット)は、生前の性癖や欲望を満たすための道具(肉体)はもう失っている。  そこで、多くのスピリットは、生者から放射されている磁気的光輝に引きつけられ、意識的に、あるいは無意識的に、その磁気的オーラに取り憑いて、それを欲望を満たすための手段とするのである。                                 こうして憑依したスピリットは、霊的に過敏な体質のその人間(のオーラ)に自分の想念を押し付け自分の感情を移入させ、その人間の意志の力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生ぜしめるのである。            (『迷える霊との対話』ハート出版、C.A.ウィックランド著/近藤千雄訳、P.718)

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著者ウィックランド医学博士(1861~1945)によれば、意識は霊体(オーラ)に宿っている、と30年にわたる精神病の治療実績に基づいて述べているのです。                          この著作の副題は「スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年」となっています。                                     ちなみにウィックランド医学博士の経歴は、「精神科医として、異常行動で手に負えなくなった患者を、自らの妻を霊媒としたスピリットとの交信という形で治療。その30年にわたる膨大な実証記録を著したものが本書である。シカゴ医師会、イリノイ州医師会、米国科学振興会、米国地理学会の各会員としても幅広く活躍した」と紹介されています。

ウィックランドの「 意識は霊体(オーラ)に宿っている」という見解は、治療実践から導かれたものであり、単なる観念論ではありません。

SAM前世療法によって魂表層から顕現化する前世人格は、クライアント自身の霊体に憑依(自己内憑依)し、クライアントの肉体を使って自己表現し、セラピストと対話するという構図は、クライアント自身がまさしく霊媒の役割を果たしている、ということです。

こうして、唯物論科学に真っ向から対立する仮説によるSAM前世療法は、世界唯一の前世療法であり、わたしの創始した純国産の前世療法だと自負しています。

そしてまた、「前世人格の実在」、つまり「生まれ変わりの実証性」に、かぎりなく肉薄できる可能性をはらんで定式化された世界唯一の前世療法である、という自負があります。

特許庁は、SAM前世療法の名称とそれの意味する内容、つまり仮説の独自性とそれに基づく技法の独自性を審査し、すでに流通している普通名詞の「前世療法」とは明らかに別個の、固有の前世療法として、「SAM前世療法」の名称を、第44類の商標登録として認めてくれたのです。

ちなみに、「SAM]とは、「Soul Approach Method」の略であり、「魂状態に遡行し前世人格を呼び出す方法」を意味しています。

 注:「前世」は現世の直前の過去生を意味し、それ以外は「過去生」と呼ぶようですが、「前世療法」という用語が流通していますから、SAM前世療法では現世以外をすべて「前世」と呼びます。

 

2022年8月19日金曜日

「前世記憶」か「前世人格の顕現化」か?

SAM催眠学序説 その153


SAM前世療法の仮説は、魂の中(表層)に意識体として宿っている「前世の人格」を顕現化させ、顕現化した前世人格との対話をすることが前提となっています。            

しかし、一般の前世療法、わたしがワイス式と呼んでいる前世療法は、クライアントが前世の記憶を想起し語ることが仮説となっています。

前世療法の対象は、「前世の記憶」か「顕現化した前世人格」か?                       

この問題は、不都合な症状の改善を第一義とするセラピイにとっては、どちらでもいいではないか、治ればOKじゃないか、と割り切ればいいことかもしれません。

しかし、魂の存在を想定し、生まれ変わりと魂の二層構造を明確な仮説とするSAM前世療法にとっては、前提仮説の正否にかかわる根本的な問題です。

このことについて今回は考察してみます。

 さて、ブライアン・ワイスが前世療法を始めたのは偶然のなりゆきだったようです。
ワイスの『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば、次のようにその消息が述べられています。
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「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。
かごがあります。
かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(中略)時代は紀元前1863年です。・・・・」
彼女はさらに、地形について話した。
私は彼女に何年か先に進むように指示し、見えるものについて話すように、と言った。 

(中略) これはある種の記憶にちがいなかった。しかし、どこから来たものなのであろうか?自分がほとんど知らない分野、つまり、輪廻転生や過去生の記憶といったものにぶつかったのではなかろうか、と私はとっさに思った。

(前掲書PP.25-28)
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ワイスの上記セッションのクライアントは、コントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。
そして、突如、彼女は紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘であったときの前世記憶を語りはじめたというわけです。

以下は邦訳が正確であるという前提でのわたしの見解です。

注意すべきは、上記の「私は彼女に何年か先に進むように指示し」とは、文脈からして「彼女」とは「アロンダ」ではなく、「クライアントのキャサリン」に対して暗示しているものと解されることです。

ワイスは、明らかにクライアントキャサリンが前世の記憶想起として、紀元前  19世紀に生きたアロンダのことを語っている、ととらえています。

ワイスの思考は、この意識現象を次のように考察しています。
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そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、アロンダになった
それとも、アロンダがキャサリンになったというべきなのだろうか?            (前掲書P.36)
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上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」それとも、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考回路は、わたしには奇妙な思考に写ります。

キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世の人格アロンダがキャサリンの身体を介して自分の人生を語った」のか、と問うことが自然な思考ではないでしょうか?

結局、ワイスは、「前世人格のアロンダが自分の生まれ変わりである現世のキャサリンの身体(口)を介して自分の人生を語っているのだ」という解釈には至らず、「現世のキャサリンが前世でアロンダであったときの前世の記憶を語ったのだ」という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにおいても一貫して適用しています。

「これはある種の記憶にちがいなかった」と述べていることからも明らかです。

また、 このことはこの本の末尾で次のように述べていることか らも明らかです。
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こうした人々は、それ以外の前世についても思い出した
そして過去生を思い出すごとに、症状が消えていった
全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。(前掲書P.264)
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「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、すべて「クライアントが前世の記憶を語っているのだ」という解釈が一貫してとられているということです。

「前世人格が顕現化し現世のクライアントの口を通して語る」という発想の転換にどうしても至ることがなかったのです。
著名な前世療法家グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、わたしよりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?

わたしがワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。
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階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。
あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。
出口の方に歩いてゆきましょう。
もう、あなたの心は時間と空間から完全に自由です。
そして、今まで自分に起こったすべてのことを
思い出すことができます」
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やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。

ちなみに、前世療法家グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。
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 暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。
「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と声をかける。
そうすれば、クライアントは、その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店、1999、  P.314)
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ウィリストンも、クライアントの記憶である過去生の場面に戻り、過去生で想起された登場人物になる、ととらえているわけで、やはり、ワイス同様「前世の記憶を想起する」という前提に立っていると推測できます。

ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているらしいにもかかわらず、「前世の記憶を想起させる」という常識的唯物論思考へのとらわれから抜け出すことができなかったのだ、とわたしには思われます。

無条件で、「前世の記憶」と言った場合、その記憶の所在は、現行の唯物論科学に基づいて脳内のどこか(海馬と呼ばれる部位?)であろう、と考えていることになるでしょう。
脳内にある記憶であれば、死による脳の消滅によって無に帰することは言うまでもないことです。
したがって、現世の記憶が来世に持ち越されることはありえません。
当然の論理的帰結として、前世の記憶として語られた内容は、フィクションであることになります。

わたしが2004年に日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会の合同学会において、ワイス式前世療法の事例発表した際に、参会者の医師・大学の研究者から強く批判されたのは、まさにこの前世記憶の真偽についてでした。

催眠中のクライアントが、無意識のうちにセラピストの要求(期待)に協力しようとする心理である「要求特性」によるフィクションの語りこそ「前世の記憶」の正体なのだという批判でした。

「タエの事例」と遭遇したのは2005年です。                  もし、

もし、「タエの事例」の前世人格タエの語りの検証結果を発表できたとしたら参会者の反応も違っていたかも知れません。                                       しかし、2006年に上梓した「タエの事例」を掲載した拙著『前世療法の探究』を、学会での痛烈な批判者数名に献本しましたが、一切反応はかえってきませんでした。 

前世の記憶が、フィクションではなく確かに存在することを証明するためには、語られた前世記憶の真偽を厳密に検証する以外に方法はありません。
しかし、ワイス式前世療法による語られた前世記憶の、真偽の科学的検証をおこなった事例は、わたしが管見するかぎり、いまだに公刊されてはいないようです。

生まれ変わりの研究者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソンは、こうした状況について下記のような前世療法批判を展開しています。
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こうした(催眠によって起こる) 集中力をさらに高めていく中で被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくくなってくる。催眠暗示により施術者に何か想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で、不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている 内容に事実と虚偽が入り混っていることに気づかないのである。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方もおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。(中略)
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験で他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの一件も成功しなかった。                    (『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.72-80)
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スティーヴンソンは催眠への造詣が深いようですし、彼自身も催眠技能があると語っています。
その彼の前世療法批判の結論は次のように痛烈です。
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 催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果があがるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がいるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、なんとか終息させたいと考えている。           (前掲書P.7)
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ただし、後にスティーヴンソン は、次のように、いくぶんか持論の修正をしています。

「わたしは、自らの手で調べた応答型真性異言の2例が催眠中に起こったという事実を忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究を決して非難することができなくなった」                       (『前世を記憶する子どもたち2』日本教文社、P.106)

こうしたスティーヴンソンの手厳しい批判に反論するための唯一の方策は、語られた前世記憶の真偽を科学的に検証し、それが真であることを実証すること以外にありません。
そうした真偽の検証がないままに、「前世の記憶」だと当然のように主張することが批判されても、しかたがないだろうと思われます。

なぜ、真偽の検証がおこなわれないのでしょうか。
検証に耐えるだけの前世記憶が語られる事例が出ないからでしょうか。
あるいは、前世の有無は棚上げし、膨大な労力をかけて真偽の検証するより、症状が治れば結果オーライということに割り切るほうが得策ということでしょうか。

わたしに言わせれば、語られた前世記憶の真偽について、1例たりとも科学的な検証をされていないワイス式前世療法(一般の前世療法)の現状では、正しくは「前世イメージ療法」と呼ぶことが妥当のように思われます。

また、ワイス式前世療法の明確な治癒仮説が述べられている著作を、わたしは知りません。
過去生の記憶の所在はどこであるのか、なぜ過去世の記憶が想起できると治癒が起こるのか。
過去生を思い出すごとに、症状が消える」とワイスが述べていることを治癒仮説だと単純にとらえていいのでしょうか。
仮に過去生の記憶がフィクションでも、それを想起し語られさえすれば治癒は起こると考えられているのでしょうか。

結局は、唯物論的常識観念である「前世の記憶」という硬直した思い込みによって、「前世人格が顕現化して対話しているのだ」という発想への転換ができなかったのでしょう。

また、ワイス、ウィリストン両者とも、「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会うことができなかったことも、発想の転換を妨げたと思われます。 

あるいは、応答型真性異言に出会っていたとしても、「前世の記憶」として解釈されたのかもしれません。

なぜなら、応答型真性異言「グレートヒェンの事例」に立ち会った、イアン・スティーヴンソンは、真性異言で応答的会話をしている主体は、被験者自身の記憶ではなく、「トランス人格(催眠中に顕現化した前世人格)」である、と認識しているからです。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.11)

わたしが、彼の科学者としての思考の柔軟性を高く評価している所以です。

 日本で公刊されている生まれ変わり関係、前世療法関係の著作を調べた限りでは、催眠中に「トランス人格が顕現化して会話した」という認識を提示しているのはスティーヴンソンだけです。

しかし、スティーヴンソンは「トランス人格」が、どこに存在しているかについては何も語ってはいません。

ただし、彼は、「前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』 と呼ぶことにしたらどうかと思う」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と述べていますから、「心搬体」、つまり一般に「魂」と呼ばれている意識体にトランス人格が宿っていると考えていると推測できます。

いずれにせよ、「催眠下のトランス状態で前世人格が顕現化し、真性異言で会話している」という解釈をしているのは、現時点ではわたし以外に世界中でスティーヴンソンだけでしょう。

こうした認識を主張をしているのは、21世紀になってからはわたしだけのはずです。
さらに、催眠誘導によって「魂状態の自覚」まで至らせ、意図的に前世人格の顕現化に成功した「魂遡行催眠」の技法を開発したのはSAM前世療法以外にありません。                                   こうして一般の前世療法との差別化が認められ、したがって、「SAM前世療法」は登録商標として認可されているのです。

さて、ワイスが、「キャサリンの事例」に出会ったのは、1980年代の半ばころだと思われます。
わたしが、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。

日本にワイス式前世療法が流布し市民権を得て以来、催眠中に語られる内容は「脳内に存在するであろう前世の記憶の想起」として1991年以来扱われ続けてきた考え方を、わたしは、2010年から魂の表層に存在している前世人格が顕現化した結果の対話」だと主張するに至りました。

このわたしの主張は、奇を衒って注目されたいがための主張ではありません。
この主張は、わたしあて霊信が告げた作業仮説に基づくSAM前世療法によってあらわれた、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という実証の裏付けがあってこその主張です。

きわめて深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の顕現化が可能になる」、という唯物論に真っ向から対立する主張は、容易に受け入れがたいでしょう。が、この主張を裏付ける応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、わたしが証拠映像で実証している以上、そして現行唯物論でこれを反証できない以上、認めるほかありません。
 超ESP仮説さえ考慮しなければ、前世人格存在の証拠に「タエの事例」も含めることができるでしょう。

そして、両事例について、2010年に公表してからすでに12年経過しても、現行唯物論による具体的反証に成功した論者は皆無です。

2022年8月の現時点でも、依然として同様です。

こうして、深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の意図的顕現化が可能になる」という意識現象の事実は、SAM前世療法が明らかにした、もっとも大きな成果の一つだと誇ってよいと思っています。

 あるいは、セッション中にあらわれる、守護霊・未浄化霊・生き霊などの霊的意識体の顕現化現象もまた然りです。

そして、これらの霊的な諸現象は、われわれの生きている心理的世界は、唯物論では決して認識できない、途方もなく広大かつ深遠な未知の世界(次元)につながっている、という証左の一端であろうと思います。

 

2022年7月20日水曜日

死後存続仮説の科学性を広めるための戦略

SAM催眠学序説 その152                              

 

以下の点線内は、拙著『前世療法の探究』春秋社、の編集者鷲尾徹太氏からいただいた、わたしのブログ「生まれ変わりの実証的探究」に対する提案です。    

氏は春秋社の編集部にあって、『前世の言葉を話す人々』イアン・スティーヴンソン著/笠原敏雄訳、など数々の超常現象を扱った本の編集者として、実績を残しておいでになる「確信的スピリチュアリスト」を自称している人物です。                                      氏は、超心理学者の笠原敏雄氏、『霊の探究』春秋社、の著者筑波大の津城寛文宗教学博士とも著作の編集を通じて親交があり、死後存続の科学的研究をはじめ、SPR(英国心霊研究協会)の数多くの研究内容や研究史に通暁している在野の超心理学研究者でもあります。

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前世療法が含意している「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が標榜している「唯物論」とは鋭く対立します。             

これに対して、前世療法(ないし死後存続仮説)を擁護する側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。                           

いくつかの戦略をあげてみます。                           

①実証事例をなんとかして集め、それを積み上げる       

これまで120年におよぶサイキカル・リサーチ(SPR・心霊研究)および超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。                     

また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、成果ははかばかしくありません。 (こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」かっこ(http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/などをぜひ参照してください。)        

この道で最もめざましい成果を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究でしょう。 

彼は厖大な時間と手間をかけて、2000に及ぶ信憑性の高い再生事例を収集したのみならず、否定論者の最後の盾、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、死後存続説の擁護に大きく貢献しました。                                  (このことの簡単な説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.htmlを参照してください。)     

ところが、こうした実証に対して、唯物論体制は、「無視」という態度で応戦しています。

スティーヴンソンは、4巻にわたる精緻な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。                       

死後存続否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。                                     

なお、この立場で戦う研究者は、だいたい死後存続仮説を「受け入れている」とは表明しません。                                      そう表明するだけで、信憑性が疑われると思われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば宇宙の暗黒物質に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。)                                      反唯物論現象のみこうした要求があるのです。 

                                         ②唯物論や実証主義の論拠自体が絶対ではないことを論証する               

実は、唯物論や科学や実証主義自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。    

唯物論自体は憶説に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶち当たります。                 

また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。                           

一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきているのです。     

こういった議論は、しばしば難解ですが、案外楽しいものです。            『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露書、渡辺幹雄『リチャード・ローティ』などの現代哲学ものなど、エキサイティングな本もたくさんあります。                

③権威からの白眼視などどこ吹く風で、やることをやる                 

へたをすると、狂信家、頭の不自由な?オカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。当人の知性、人格、(論争史など)学史的知識などが、きびしく問われることになるでしょう。 

④大衆の支持に訴える   

アカデミズムの権威などに関係なく、唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの“一般大衆”(こういう表現は反発を買うでしょうが、あえてこう表現しておきます)は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。                        

むしろ、「ニューエイジ」の流行や、「何たらの泉」現象に見られるように、唯物論の支配を脱しようとする動きは、ますます大きくなっているようにも思われます(疑わしい部分もありますが)。                                  

アカデミズムの威光の衰退も、かなり顕著になってきているような気配もあります。 ひょっとしたら、ニューエイジャーの言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。                                     ともあれ、そうした動きと連動する道を探るという戦略です。               

ただし、③と同じく、へたをすると「怪しいオカルティスト」と変わらなくなるでしょう。  

前世療法を擁護したい人、特に実践者は、①の立場をある程度は保持してもらいたいと願う次第です(現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれませんが)。   

しかし、③や④の戦略もまた「あり」かなとも思います。                

特に言いたいことは、③の道において、「死後存続仮説を受け入れる」という表明は、サイキカル・リサーチ(SPR)や超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。

つまり、ちゃんと勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。  

逆に、態度を留保しているような表現を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全枠に逃げている)一部の「前世物書き」(しかも実証の努力もしていない人々)は、不徹底なのではないかと思います(まあ、職を失うのは誰でもこわいものでしょうが)。 

また、④の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世想起体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOK(こういう表現は少し不埒ですね)というのもありかな、などと思う次第です。

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こうした鷲尾氏の示唆を受けて、わたしは死後存続仮説の科学性を広めるために上記①~④の戦略を愚直に実践してきたことは言うまでもありません。                     これまでの本ブログの諸記事も、その一端です。

鷲尾氏が当然のことながら、死後存続仮説を検証しようとするわたしの、SAM前世療法の実践に強い関心を抱かれたことは言うまでもありません。                 

催眠と超常現象(心霊現象)が接触することは古くから知られていることで、鷲尾氏もそうした催眠に対する並々ならぬ知識をお持ちでした。                  そして、成瀬悟策医学博士主催の臨床催眠スクールにわたしと同期で受講しておいでになっていたことが後でわかりました。

そこで、氏の要望もあったので当研究室にお招きし、SAM前世療法の実体験をしてもらうことになりました。                                     

そのときのエピソードを紹介します。

鷲尾氏の主訴は次のようなことでした。                       

「自分は、イエス・キリストの教えに違和感はないが、キリスト教会および教会組織に、なぜか強い嫌悪感がぬぐえない。そうした現世の自分には思い当たることのない強い嫌悪感がなぜ湧き起こるのか、その理由が前世にあるのかを探ってほしい」ということでした。

 SAM前世療法の催眠誘導定式にしたがって、魂状態にまで遡行してもらい、主訴にかかわりのある前世人格の顕現化に成功したところで、その前世人格との指での対話によるセッションで明らかになったなったことは次のような内容でした。

「自分は、キリスト教から異端の烙印を押されたカタリ派の修道士であった。正統派であるカソリック教会の迫害を恐れて、ピレネー山脈の奥地に潜み、密かにカタリ派の教義を守り続け、修道士として信仰生活を守り続けていた。しかし、ついに迫害者の知るところになり、捕らわれ、異端者として処刑され、人生を終えることになった」

セッションを終えて、氏は、「ようやく長年ひっかかり続けてきたわだかまりが氷解した。それにしても、SAM前世療法による『魂遡行催眠』の技法は、これはいいですねえ」と語っています。                                       

 氏が、カタリ派の修道士であったかどうかの真偽の検証はもとよりできませんが、SAM前世療法によって、前世の修道士の人格が顕現化し、「ああ、そうか体験」がおこなわれ、主訴に対して「感情をともなった納得(洞察)」がなされたことはほぼ間違いないと思っています。

そして、「タエの事例」において、わたしが、とっさに里沙さんの守護霊との対話を試みたことは、交霊会に通じる天才的なひらめきだ、と身に余るお褒めの言葉をいただきました。

一介の小中学校教頭だったわたしの持ち込み原稿を高く評価し、「編集者生命にかけて春秋社から出版します」と督励し、約束し、発刊していただいた鷲尾氏の編集者精神と使命感を忘れることはできません。

こうして、拙著『前世療法の探究』は、共同通信社の注目するところとなり、取材を受け、顔写真入りで全国の地方新聞のコラム「人物点描」の記事として配信されることになりました。

それがフジTV「アンビリバボー」で注目され、「タエの事例」が放映されるという連鎖反応へとつながっていくことなったのです。                       

そうしたこともあってでしょうか、本ブログを読み、これまでに大学教授15名ほど(国立大教授4名)、医師10名ほどがSAM前世療法のセッション体験においでになっています。                                       そのうち3名(国立大1名、私立大2名)が、当催眠塾に入塾、卒業しています。

 こうした注目に一番喜んでいただいたのは 、ほかならぬ鷲尾徹太氏でした。       氏のご助力なしで、わたしはけっして世に出ることはありませんでした。

 

参考までに、近代スピリチュアリズムを知るための図書として鷲尾氏から推奨していただいた本を下記に紹介しておきます。

 『近代スピリチュアリズムの歴史』三浦清宏、講談社、2008、¥1900 、314ページ。         

副題は、「心霊研究から超心理学へ」となっており、本の帯には「守護霊、オーラ、ポルターガイスト、念写、心霊現象は物理現象か」と記されています。「研究の歴史を詳細に検証する本邦初の労作!」とも。                

著者は昭和5年生まれ、明治大学で英語の教鞭をとった芥川賞作家であり、日本心霊科学協会理事でもあります。確信的スピリチュアリストであろうと思います。

イアン・スティーヴンソンの著作とともにわたしの愛読書になっています。


2022年6月21日火曜日

わたしあて霊信の信憑性の検討 その2

 SAM催眠学序説 その151

前回ブログ「SAM催眠学序説 その150」で、わたしあて2007年1月~2月に贈られた霊信の信憑性の指標として、霊信の告げた四つの予言が的中したかどうかを挙げておきました。                             ちなみにこれ以外には具体的な予言らしき内容はありません。

そして、四つの予言の的中事例として、

①わたしに起きたヒーリング能力の覚醒(2007年2月以後2022年現在まで) 

②2冊目の本の出版(2010年10月)  

③新しい前世療法(SAM前世療法)の成立(2008年以後2022年現在まで)  

④前世で愛情関係にあった2人のクライアントの出現 (2008・2019年)                        

以上のことが、 予言後の数年間にわたる経過のなかで的中していることを指摘しました。                                                                                                  ただし、この予言の評価はわたしの主観的見解でもあり、第三者にとっては、これをもって霊信の客観的な信憑性とするには説得力に欠けるでしょう。      客観的な信憑性を評価するには、予言以外の霊信内容の検証にゆだねる必要があると思います。

今回は予言とは別に、霊信の客観的な信憑性の検証に取り組んできた15年間の、現時点の見解について述べてみようと思います。

ところで、2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、タエの人生とラタラジューの人生が、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「前世人格タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化した現象」だとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

この謎が「タエの事例」以後、「ラタラジューの事例」の遭遇まで、4年以上にわたってわたしがこだわり続けることになった大きな謎でした。

1 生まれ変わり研究先駆者イアン・スティーヴンソンの考察

この謎についての先行研究は、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの考察に求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、からの抜粋です。
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 前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。

私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。

そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。

人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。

(前掲書PP.359-360)
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イアン・スティーヴンソンの提案している「心搬体(サイコフォア)は、いわゆるわたしの言うところの「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的な定義をしたのだと思われます。
ただし、わたしは、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも決定的な不都合はないと思いますし、まったく新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい造語を用いることは不要だと思っています。
 

さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかはまったく知らない、とも述べています。

このことについては、「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を与え合い、表層全体の集合的意識が成長・ 進化する仕組みになっている」と霊信は告げています。

また、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、霊信が告げた魂の二層構造の内容を支持しています。

「現世の私」という一つの人格が、その死後、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として死後存続するのであって、「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体が新しい肉体に宿ることを生まれ変わりというのだ」というのが、霊信が告げた生まれ変わりのしくみだからです。

したがって、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する『個性』なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの見解も、霊信が告げている魂の二層構造の内容にほぼ一致しているといえるでしょう。

こうして、現世の人格は、魂表層に位置付いている前世人格たちのそれぞれの人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されていると推測できるのです。

さて、わたしが、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「前世の記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」、つまり、魂を想定していることに照らせば、ほぼ間違いありません。

そしてまた、スティーヴンソンは、生まれ変わりについての見解を次のように述べています。

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こうした肉体のない世界はどこにあるのか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在すると答える

ここでまとめると、宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の少なくとも二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う。私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な経験をさせてくれるであろうが、心の働きは制約を受ける。死んだ後には制約から解き放たれるので、心理的世界のみで暮らすことになるであろう。そして、その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかするとその全員が、新しい肉体と結びつくかもしれない。それを指して私たちは生まれ変わったと称するのである(前掲書P.353)

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スティヴンソンの述べている「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」とは、いわゆる「霊界」だと読み替えてもいいでしょう。

しかし、わたしの期待したのは、彼の言う「心搬体(魂)」と、「前世の記憶」および「脳」との関係についての考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶を、「心搬体(魂)」から得て話したのか、「脳内に存在している記憶」を話したのか、それとも記憶ではなく、「顕現化した前世の人格そのものの語り」であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについては、ついに何も解答を与えてくれませんでした。
  

2 わたしあて霊信の教示した意識の所在

結局、わたしが求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在からの霊信でした。

わたしの守護霊団を名乗る存在の教示した回答の要約は次のようです。

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①脳は意識を生み出してはいない。

②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 

「現世の私」も、魂表層を構成している一つである。                 

魂表層の「前世の者たち」と「現世の私」が生み出している意識は霊体に宿っている。

霊体は、「現世の私」が私という意識を持つための役割を担っている。

⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。

⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。

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さて、脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係・対応関係にあるが、本来別ものである、とする立場を「意識(心)と脳の二元論」と呼んでいます。

脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説です。               つまり、「意識は脳の生み出した付随現象である」とする考え方を認めない仮説です。                                          大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが脳や催眠現象の実験研究の結果、そろって晩年になって唱えている仮説です。

しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、生まれた意識はどこに宿っているのか、という根本問題については一切述べていません。                                    端的に言えば、彼らにも分からないのです。                            考えてみれば、われわれに意識があることは疑いようのない自明のことであるにもかかわらず、その意識がどこで生まれているのか、21世紀の現在でも未だに解らない謎のままであるのは不思議千万なことでしょう。

 

3 霊信の教示した「魂」「意識」 「霊体」の関係性の検証

わたしは、前述①~⑤の霊信の告げた「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」の関係が成り立つことが何らかのかたちで証明できれば、その結果として、霊信内容の信憑性が、四つの予言の実現とは別に証明されることになると考えました。                       ひいては、霊信を告げてきた霊的存在の実在性が、間接的に証明されることになるだろうと考えました。

公教育の小中学校現場の教師にあって、教育催眠研究をライフワークに定めて    30年余の研鑽を積んできたわたしにとって、こうした霊的現象の研究に催眠を用いて取り組むことは、未知の領域への挑戦であり、それをさせるために、霊信はわたしに敢えて贈られたのではないかと思えてきたのです。                             それ以外に、催眠学のアカデミズムに属さないわたしに霊信が贈られてきた理由に思い当たることが全くないからです。                            もし、大学などのアカデミズムに所属している催眠研究者に、わたしと同様な霊信がなされても、彼らは、心霊現象の領域に立ち入ること対して拒否反応を示さないではおかないだろうからです。

わたしは、霊信の告げてきた①~⑦をそのまま作業仮説に採用し、その恩恵によって「SAM前世療法」が創始でき、SAM前世療法を探究の道具として用いて、霊信内容の検証に取り組むことにしました。

こうして、わたしの「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」「脳」の関係性への探究が開始されることになっていったのです。

その探究の現時点までの諸成果は、本ブログ『稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究』に公開してきたとおりです。                              

4 SAM前世療法による前世人格顕現化現象の考察

そして、霊信の告げた内容を仮説としておこなったSAM前世療法の実践において、魂表層から呼び出した前世人格の顕現化現象であると自信をもって公開できた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化してきた前世のネパール人の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。

被験者里沙さんが、ネパール語を一切学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので、ラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格の前世人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「スワシニ(妻)」、「アト・サトリ=8と70(78)」といった古いネパール語単語を用いて対話をしています。
こうしたネパール語の古語を里沙さんが秘かに学ぼうとしても学びようがありません。


前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形の対話をしています。
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:KAはネパー人対話者カルパナさん


里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
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この短いやりとりの重要性は、つい見落とすところですが、顕現化した前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジュー人格は、里沙さんの前世記憶の想起として語られているのではないのです。

里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、ラタラジュー人格が魂表層から顕現化している、としか考えられない現象です。

この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。
つまり、ネパール語の応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依しているということです。
自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという奇妙な憑依現象はこれまで知られていません。
そこで、SAM前世療法では、クライアントの前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。                           つまり、クライアントの魂表層に存在している前世人格が、自分の生まれ変わりであるクライアント自身に憑依し、自己表現している現象という意味です。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というわたしあて霊信の告げたことが正しい可能性を示している証拠であると考えています。
したがって、霊信の信憑性は高いと判断してよいと思います。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。
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「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格(グレートヒェン)をどのように位置づけるか」
(前掲書P.10)     

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」(前掲書P.11)
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スティーヴンソンも、応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。                          前述した彼の言葉から推測すれば、
「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」から顕現化したということでしょうか。

いずれにせよ、「グレートヒェンの事例」の催眠臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンのドイツ語の語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。                                      ちなみに「トランス人格」とは被験者の催眠中に現れた別人格のことを意味しています。

同様に、前世人格ネパール人ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
このラタラジュー は、SAM前世療法によって、里沙さんの魂表層から呼び出され、現世の里沙さんの肉体(声帯)を借りて、現在進行形で会話をしている顕現化した彼女の前世の人格です。

里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション直後に書いてもらった次に述べる5のセッション体験記録からも確認することができるでしょう。
 

5 「ラタラジューの事例」被験者里沙さんの意識

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稲垣先生から依頼された、セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、私の守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。

なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

(後略)
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6 まとめ 

でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした」、「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」という里沙さんの述懐は、彼女が顕現化したラタラジュー人格に「体を貸して」、霊媒的役割をまさに果たしている、ことを如実に語っていると思います。

イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に偶発的にあらわれ、科学的検証を経て信頼できる、応答型真性異言を2例あげています。                            ともにアメリカ人の女性被験者2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。

ちなみに、スティーヴンソンも、わたしと同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別人格の顕現化による応答的会話だ、ととらえています。           (『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.9)

つまり、クライアントが前世の記憶として応答型真性異言を語ったとは考えていません。
それでは、そうした死後存続しているトランス人格の所在しているところはいったいどこなのか、についての具体的言及はありません。

 「ラタラジューの事例」を含めて、催眠下で偶発し、科学的な検証を経た応答型真性異言事例は、世界にこれまでわずか3例の発見しかありません。
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。 

しかも、すべて20世紀までの発見であり、21世紀になってからは「ラタラジューの事例」(2009年)が最初の公開された事例です。

付言すれば、この事例は、応答型真性異言の発話中の撮影に成功した世界初の事例でもあります。                                     「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの科学的研究史上で、SAM前世療法によって打ち立てた金字塔だと評価されると思っています。

さて、 生まれ変わりが普遍的事実であるならば、催眠中に限らずなぜもっと多くの人々が応答型真性異言を話せないのか、これはほんとうに大きな謎です。

超心理学上の生まれ変わりの研究において、現時点では、応答型真性異言現象こそが生まれ変わりの科学的証拠としてもっとも有力だとされています。                   もし、きちんとした科学的検証を経た応答型真性異言現象が、これまでに数多く公開されていたとすれば、生まれ変わりは科学的事実として多くの人々に認知されているはずであると思っています。                                  

そして、生まれ変わりが科学的に証明され認知されれば、人間に対する見方は言うまでもなく 、人生観・世界観をはじめ、あらゆるものに対する見方に、広範な、根本的な変革がもたらされることになったでしょう。

ともあれ、こうして、「魂」「前世人格たち」「意識」「霊体」「脳」などの関係性について告げている霊信の信憑性はきわめて高い、と判断できると思います。

ひいては、霊信を贈ってきた霊的存在(通信霊)の実在性もきわめて高いと判断しています。                                       

「地上の人間と霊的存在は交信できる」「交信する霊的存在は実在している」「生まれ変わりは存在している」などを「霊的真理」だと認めるなら、わたしは「霊的真理」を認めることに躊躇することはない立場になっています。

そして、前世人格の顕現化を、偶発的ではなく、意図的に、生起できるSAM前世療法は、前世人格の顕現化という仮説と、それを可能にする催眠誘導技法に立脚した、前例のない新たな前世療法として誇ってよいのだと自負しています。  

 心理療法の観点からすれば、「魂表層に存在する諸前世人格」の影響を前提にして、現世人格の自己実現を図ろうとするSAM前世療法は、魂そのものを対象にしながら、現世人格の再構成をめざす「魂の療法」だと位置づけてよいかもしれません。                                   

また、SAM前世療法では、「魂とは前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」だと定義しており、宗教的意味合いとは無関係です。                              

それだけに、魂の領域に踏み込むSAM前世療法を扱う人間は、健全な懐疑精神と、謙虚さと、慎重な態度をけっして忘れてはならないと自戒しています。                       

そのために、「SAM前世療法」の名称は、登録商標にしてあり、SAM前世療法士の有資格者のみに用いることを許可してあります。                    また、有資格者には、厳しい倫理規定の遵守を義務づけてあります。

ちなみに、わたしのセッションでの前世人格の顕現化の成功率は、直近100事例で91%です。

 

以上が、2007年以後、2022年の現在に至るまでの15年間わたって、わたしあて霊信の信憑性についてこだわり続け、SAM前世療法を用いて検証をしてきた現時点の到達点です。

 

2022年5月18日水曜日

わたしあて霊信の信憑性の検討

SAM催眠学序説 その150

1 霊信現象のいきさつ

15年前、2007年1月11日~2月14日の毎夜に霊信とおぼしき通信がわたしに届くという超常現象が起こりました。

「霊信」とは文字通り、わたしの守護霊団とおぼしき存在からの通信現象のことです。
チャネリングと類似の意味ですが、こちらの用語はニューエイジと呼ばれるスピチュアル系の人々の用い始めた言葉のようです。

それに先だって、「シルバーバーチの霊言」、「モーゼスの霊訓」、「アラン・カルディックの霊の書」など、近代スピリチュアリズムにおいては高級霊からの通信を「霊信」という用語で呼んでいますから、本ブログでも「チャネリング」ではなく「霊信」で統一します。

わたしあて霊信の受信者は、2007年当時、拙著(『前世療法の探究』春秋社)の読者M子さんでした。
この受信者M子さんは、当時26歳の東京在住の派遣社員でした。
ちなみにM子さんとわたしとは、霊信が届くまでに著者と一般読者という以外に面識は一切ありませんでした。          

                                         2 霊信が届く以前のわたしの立場

わたしは、霊的感性があると自覚したことは皆無で、それまでに霊との交信などを望んだことも一切ありませんし、何の目的で、よりもよってなぜわたしに、霊信が届くのか、いまだに不可解のままでいます。

霊信によれば、わたしあての霊信内容は「すべて神の計画」なのだ、と告げられていますが、なぜ「神」とおぼしき存在が、なぜわたしを選んで計画されたのかが、不可解だという思いがいまだに強まるばかりです。

以前のわたしは、唯物論に染められ、それなりに学生運動に参加した全共闘世代の人間であり、2005年に「タエの事例」に出会うまでは、明らかに唯物論者であり、宗教や霊的存在について考えたこともなく、信仰心などとは無縁で、まったく無関心で生きてきたからです。

そういうわたしが、左翼過激思想の要注意人物として、当時の岐阜県公安警察のブラックリストに顔写真とともに載っていることを、教員奉職後数年経ってから、中学生時代の剣道部の友人で岐阜県警公安部の警察官によって、こっそり教えられています。
道理で、なるほど、教員採用試験結果が「保留」だったのかと納得できたものです。
ちなみに、わたしは学生時代に特定の過激派組織(セクト)に所属したことも、教職に就いてから日教組など労働組合に所属したことも一切ありません。                          もともと組織にはなじむことのできない人間であると思っていました。


3 霊信現象と自動書記

したがって、信仰心のないわたしにとって、2007年1月11日から届くようになった霊信は、望んでもいないのに、唐突に、M子さんを経由して届くようになった超常現象であり、それらしい心当たりの全くないものでした。

2006年の年末に、拙著読者のM子さんから読後の感想メールが届き、その文面には自分は幼いころからチャネリング能力があり、現在もチャネリングによって友人の父親などの病気の治療法について霊的存在からの情報を得ている、という内容でした。          

そこで、メールのお礼の返信に興味半分で「わたしについてチャネリングをしてもらえますか?」という依頼を2007年1月11日夜にした、なんとその1時間ほど後に受信者M子さんを経由して、第1霊信(2007.1.11、22:44着信)が届くということが起こったのです。

さらに、驚くべきことに、第1霊信の文章量が、A4用紙びっしり4枚分あったことでした。
もし、M子さんが霊信だと称してが作文したとを疑っても、1時間そこそこでは、とても打てるはずがない量と質の内容でした。
おそらく、唯物論者で懐疑的思考の旺盛なわたしに、この超常現象が、M子さんの自動書記による真性の霊信現象であることを示すための仕業だったと思われます。                     

ちなみに第12霊信では、通信霊は「これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない 。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」とわざわざ断わっています。

1月11日から2月14日まで約一ヶ月間毎夜霊信が届いたというわけです。          全霊信の文章量はA4用紙84枚に及んでいます。(SAM催眠学序説48~71参照)                   全霊信の1回ごとの文章量はA4用紙2~4枚でした。
M子さんによれば、霊信の届く前兆として後頭部に鈍痛が起こるので、それを感知してパソコンの前に座ると、自動的に指が構えてキイを打つという自動書記現象が起こるということでした。
また、パソコンによる自動書記の最中には、打ち込まれていく文章がどんな内容なのか分からないということです。
どうやら、浅いトランス状態で自動書記現象が起こっていたと推測できます。

M子さんは、霊信を受信すると同時にわたしのパソコンに転送しているということでした。
わたしは、2007年1月27日、M子さんに当研究室に来ていただき、1例だけですが、こうしたパソコンによる自動書記現象を目前で確認しています。

受信状態にあるM子さんは、明らかにトランス状態にあり、朦朧とした目線でブラインドタッチでキイを叩いていました。                          M子さんにはふだんでも、ブラインドタッチで文章が打てるパソコン技能があるということです。

プリントアウトした霊信は、主述のねじれや誤字・脱字のないほぼ完璧に近いものでした。
彼女によれば、受信中はどのような内容を打っているのかまったく分からないということです。
そして、ときどき「違う!」という頭の中で声が聞こえると、指が自動的に打ち直しをするという自覚はあるということでした。


4 霊信(超常現象)の真偽について

このブログに公開している霊信の真偽については、霊信をもらった直後、わたしが抱いた次の4点の懐疑的視点で、文体も含めて判断しながらエンタテインメントとして読んで下さるとうれしく思います。
もし、お気づきの点やご質問が出てきましたら、気楽にコメントしてください。

①受信者M子さんの作為による創作ではないか

②M子さんの無意識的創作、または妄想ではないか

③高級霊を装った低級霊による悪ふざけの霊信ではないか

④高級霊(わたしの守護霊団)からの真性の霊信ではないか

2007年のわたしあて霊信基づく仮説によって、その1年後の2008年にSAM前世療法が創始され、2009年には世界で5例目の応答型真性異言「ラタラジューの事例」があらわれました。
この現象は、霊信の信憑性を示す何よりの証拠ではないでしょうか。

こうして、SAM前世療法のその後7年間の実践の累積によって「SAM催眠学」が形成されていきました。

 なお、 付記すれば、2015年5月16日のSAM前世療法セッションで、魂状態に遡行した50代女性クライアントに憑依してきたわたしの守護霊を名乗る霊が「霊信の公開によってあらためて霊的真理を世に広めよ」というメッセージを告げてきました。

さて、この日、わたしの守護霊の告げた「霊的真理」とは、霊的存在と地上の人間とは交信が可能なこと、したがって、自分たちのような霊的存在が実在していること、を意味していると思われます。

本ブログで、霊信の公開を2015年5月16日夜から開始するつもりでいた矢先のタイミングを計ったような、わたしの守護霊を名乗る存在からのメッセージでした。
なんと不思議な符合というべきでしょうか。

さらに言えば、このセッション中に憑依してきたわたしの守護霊は、わたしが当日夜から霊信の公開を始めることをあらかじめ察知しており、そのためにメッセージを携えてきたとも告げています。
同様に、わたしの1時間ほど前の具体的行動を、どこからか見ており、ずばり指摘したとしか思われない、第3霊信の文言もあります。

 ちなみに、かの通信霊シルバー・バーチは次のようなことを述べています。

「霊的な知識を手にした人間は、自分のもとを訪れる人にそれを提供する義務があります」

「知識には責任が伴うというのが私の一貫したテーマです。知識による恩恵を受けたからには、こんどはそれをいかに生かすかという責任が必ず生じます。そこにあなたの自由意志による選択が問われます。それがあなた自身の責任の尺度となるのであり、これだけは他の誰一人として代わってあげるわけにはいきません」

このとき降りてきたわたしの守護霊の目的も、シルバーバーチと同様のことをわたしに伝えるためだと思ったとしても、必ずしもまちがいではないだろうと考えています。

                                         5 霊信の真偽の一つの指標としての予言の実現

わたし宛て霊信内容には、四つのかなり具体的な予言があります。                          この予言のその後の的中・ 実現の有無が、少なくとも霊信がでたらめでないことの検証になると思います。

その ① 

第1霊信で                                  「あなたが癒やしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」と予言しています。                                    

このことは、その後の様々な症例に対しておこなったヒーリングの改善効果が90%越える確率で起きていることから実証されたと考えます。                  とりわけ、血行不良による凝りの改善、関節の痛み、腰痛などには著効が現れます。                                     ちなみに、わたしは、気功もレイキも学んだ経験は一切ありません。           わたしのヒーリング能力は、霊信を信じるならば、スピリットヒーリングと呼ばれるものだと思います。                                   したがって、第1霊信のヒーリング能力覚醒についての予言は実現したと判断できます。

その ②

第8霊信「あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人をひきつけるものとなる」と予言しています。

2007年1月のこの予言から3年後の2010年10月に、2冊目の拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』をナチュラルスピリット社から出版することができました。    わたしは1冊目の『前世療法の探究』春秋社、2006、の初めての出版で編集作業の大変なことを実感しましたし、2冊目の出版など考えてもいませんでした。            したがって、2冊目の本の内容が「全貌が異なるのではなく、方向性が異なる」という予言の意味も全く理解不能でした。                             応答型真性異言事例の紹介という主題は、前世療法を取り上げたという点では1冊目と全貌は異なっていません。                               しかし、前世人格の顕現化という霊的現象、霊的存在と生まれ変わりを科学的事実だと認める明確な方向性は、1冊目ではためらっていたことでした。                   こうした点から、本の全貌は異なっていないが方向性が異なる、という第8霊信の予言は的中していると認めざるを得ません。

その ③

第11霊信「そして、前世療法についてだがあなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と予言しています。

この予言の1年後の2008年末に「SAM前世療法」が登録商標として認可されることになりました。                                     SAM前世療法では、「魂表層を構成している前世人格を呼び出し、対話する」ことを仮説とし、そのための催眠誘導技法を「魂遡行催眠」と名付けました。            「前世の記憶を想起させる」一般的な前世療法とは一線を画した世界唯一の前世療法だと自負しています。                                   したがって、この第11霊信の前世療法についての予言は実現したと判断できます。

その ④ 

第14霊信で「あなたは今世で出会うべき女性がいる。その女性とはあなたが過去生において死別した愛する者である。その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。なぜ、出逢う前にあなたにこの話を語るのか。それはあなたがその事に興味を抱くということが重要だからである。あなたはその者が誰なのか、いつ出会うのか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。そこからあなたは引き寄せられていく。あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。それでよい。あなたは、それを許すだけでよいのだ。あなたが今後出会い癒やしを与える者により、その女性との繋がりは得られる。・・・その糸はM子からは生じない。あなたの現在知る者からは、そのきっかけは得られない・・・」と予言しています。                           

ご本人のプライバシーに関わりますので、この予言内容どおりの女性とは、その後のSAM前世療法のクライアントとして数年後に実際に出会っていますとだけ言っておきます。   ただし、この予言に該当する女性は2人出現しています。  

こうして、この第14霊信の予言も実現していると判断できます。

 

6 まとめ

公開してあるわたしあて霊信が、M子さんのパソコンによる自動書記という「意識現象の事実」 は確認していますが、通信霊の実在と霊信内容のほとんどの真偽については検証不可能です。
しかしながら、紹介した四つの予言が、その後の数年間の経過のなかで次々に的中・実現していることは確かに確認できた事実です。

また、霊信が告げてきた魂の二層構造仮説に基づいて実践してきたSAM前世療法によって、生まれ変わりの信憑性がきわめて高い「タエの事例」、「ラタラジューの事例」があらわれたことは、霊信がでたらめでないことを証明していると思います。

こうした検証できたこと以外の霊信内容の真偽については、判断留保としておくほかありません。

全知全能である神らしき存在からの第5霊信で、そうした存在は次のように告げています。

「あなた方は、構えていては何も見い出せなくなる。もっと、楽しみなさい。      これは「遊び」なのだ。すべての計画は、そうである」

 

本ブログに公開してある全霊信(SAM催眠学序説48~71)を、肩の凝らないファンタスティックな遊びの読み物としてどうぞ楽しんで読んでみてください。          そしてお気づきの点や疑問点について、忌憚なくご指摘ください。

 

2022年4月12日火曜日

不本意な書評とわたしの見解

SAM催眠学序説 その149

     ー拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』の書評についてー

拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社,2010のアマゾンの書評について、きわめて不本意な書評があります。

すでに10年以上前の書評ですが、これを引用し、わたしの見解を述べてみたいと思います。                                       本ブログのある読者から、不本意な書評であるならどこかで反論をしておくべきだ、という指摘を受けましたので、ここでわたしの見解を述べることにしました。

         

指摘された書評の引用後に問題部分に対するわたしの見解を述べてあります。           また、その次に問題の書評についての反論である別の書評を引用してあります。

さて、以下の点線枠内が問題とする書評の引用です。                       なお、書評のゴチック部分と番号は、わたしが問題とする部分です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1【問題とする書評】

最初に一言、この本は科学的な本ではありません。
神秘的な話しや超常現象が好きな人が読む本であって、科学的な本としては全く無価値です。
この本、Twitterを通じて、「科学的な本であり、信じる信じないの類の本ではない。」との触れ込みで紹介頂きました。
とは言え、「生まれ変わり」ですから、どう考えても科学的には思えず、紹介者に疑問を投げ掛けるも、科学的な証拠が示されてると言うことで購入してみました。

しかし、読んでみると、科学的だとまではとても言えない内容の本で、いわゆるスピリチュアルなど神秘的な話しが好きな人向けの、エンターテイメント読み物でしかありませんでした。
こういう購入経緯があるので、★1つと厳しく採点させて頂き増した。
もし、純粋に、スピリチュアルの世界を楽しみたいだけの人が読んだとしたら、評価は違うと考えてください。

この本の科学的な検証と言うのは、ほとんどが被験者とその周囲への聞き取り調査のことで、部分的にポリオグラフ(汗や脈拍の変化を利用した、いわゆる嘘発見器)が登場してるに過ぎません。(注①)
 

前世の記憶があり、習得していないはずの他言語で会話が出来ると言うことで、記憶と学習の機序を扱う分野「神経科学」での検証や、科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察でもあるのかと思い期待して(注②)読んだのですが、他の分野も含めていわゆる科学的な調査というのはいっさい出てきません。

ポリオグラフに関しても、主たる調査は、ネパール語を習ったかどうかという部分に関してです。
この分野(質問とその際の身体の緊張具合から嘘かどうか判断するいわゆる嘘発見器での検査)の権威とされる元大阪府警科捜研所長荒砂氏は結論として、「懇意的(注③)にネパール語を習った形跡は認められない。」としています。
ですが、それもそのはず。
実際、この被験者ネパール語を習得してるとは言えません。
何しろ、人名や村名らしき名詞以外、ネパール語は、ほとんど出てきません。
だけど、日本語は普通に話せます。
被験者は、自分がネパール人男性で村長であることや被験者の前世の魂であることなど、複雑で奇妙な状況を、日本語でリアルタイムで質疑応答することが出来ますが、ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです。(注④)
要するに、荒砂氏は嘘発見器でネパール語を習得したかどうかの判定を依頼されその依頼をこなしただけであり、生まれ変わりの尋問やその記憶の真贋の判定をしたわけではありません。

また、読み進めると、何故、ネパール人の生まれ変わりの記憶があるとしながら日本語が流暢であるのか、その驚くべき理由が明らかになります。
なりますが・・・、科学的な話しを期待した人にとっては、ここで完全に力が抜けてしまうでしょう。もしかしたら、神秘的な世界観を求めてる人にとってはワクワクする部分かもしれませんが、ここは自分の視点でハッキリ書きます。

なんと!『被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる。(注⑤)からだそうです。
しかも、この驚愕の証言、彼女が自発的に、ネパール語がうまくしゃべれず、日本語で会話するのはこういうわけだと告げたわけではありません。著者稲垣氏が、後日の再診断時、唐突に、上位の霊的存在を呼び出し、「もしかしたらこういう事情で日本語で会話できるのではないですか?」と、誘導的質問をし、彼女(上位霊)はそうだと認めたに過ぎません。
自分は、あくまでも科学的な書物だと聞いて購入した立場なので、真贋を見極めなければならない研究者側に、こんな「懇意的質問」が許されるのか?と読んでて、段々腹が立ってきました。

さらに、驚くことに、この被験者同じ著者の前著では、江戸時代に人柱という悲愴な運命を背負った女性の生まれ変わりとして紹介された被験者だということが分かります。
そして、日本語での通訳や表現は上手く、なぜかネパール語での通訳や表現が上手く行かない上位的存在の霊は、人以外の転生を示唆します。
ビックリしますが、宇宙人が、この転生のサイクルに入ってくる可能性があるようです。
おそらく、次回作では宇宙人が転生して出て来るのでしょう。(注⑥)  

 SFやファンタジーは大好きだから、発想の柔軟さは買いますが、「科学的に証明された!」としてしまうと、知的好奇心をくすぐられる科学ものとしてのスリリングな謎解き!あの、まるで良く出来たミステリーのように、「そうか!こういうことか!なりほど。」と認識を改めさせられる一連の一般向け良質科学読み物だと、思ってしまう人が一定以上いると思います。

そうではなく、全く別の読者層を対象にして書かれたスピリチュアル系読み物であることを、もう一度ハッキリ明記して筆を置きたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書評終わり

 2【書評に対するわたしの見解】

書評をその記述者(書評者) の主張・議論とみなすとすれば、記述者(書評者)は「前提」と「限界」を明確にして記述するべきだというのが、わたしの基本的考え方です。                  

問題の書評の場合の「前提」とは、どこまでも拙著の記述内容を正確に引用し、それに限定して 述べることです。                                  「限界」とは、現行の唯物論科学で明らかになっている知見にもとづいて、わたしの拙著について感想・意見を述べることです。                        前提と限界を設けない主張や議論は、内容が散漫になりとりとめのない結果になるからです。

さて、書評の記述者は、冒頭で「 『生まれ変わり』」ですから、どう考えても科学的には思えず」と述べていますから、彼の前提は「生まれ変わり」の探究は唯物論科学ではありえない、ということなのでしょう。                              したがって、はじめから生まれ変わりなどあり得ない、という否定的、偏向的思考態度によって書評は一貫しているとおもわれます。                              以下は、ゴチック部分の注①~⑥のそれぞれについて、わたしの見解を述べていきます。

(注①):「科学的な検証と言うのは、ほとんどが被験者とその周囲への聞き取り調査のことで、部分的にポリオグラフ(汗や脈拍の変化を利用した、いわゆる嘘発見器)が登場してるに過ぎません」と述べてありますが、これ以外にどのような具体的検証方法があるというのか、そうした不足している検証方法を具体的に提示しないのは、無い物ねだりといわざるをえません。                                   なお、書評者のいう「ポリオグラフ」という用語は「ポリグラフ」の間違いです。                 ちなみに、被験者里沙さんへのポリグラフ検査は2時間40分にわたって綿密におこなわれています。

 (注②):「記憶と学習の機序を扱う分野『神経科学』での検証や、科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察でもあるのかと思い期待して」と述べてありますが、こういう言い回しを「ペダンチック(衒学的)」な、学問のあることを衒う(てらう)ような物言いというのでしょう。                                そもそも「神経科学」の分野で、学んだはずのない外国語で応答的な会話ができることについての科学研究の方法など聞いたことがありません。                     過剰な期待であり、これは無い物ねだりと言うほかありません。            わたしとしては、一般の前世療法の「前世の記憶を想起する」という仮説から、「前世人格そのものを顕現化させ対話する」という新しい前世療法の仮説を実例を示して拙著で打ち出したつもりであり、「科学的な大胆な仮説や知的好奇心を揺さぶるような驚くべき推察」として評価されてもいいのではないかと思っています。

(注③):「懇意的にネパール語を習った・・・」の「懇意的」の意味は、親しい、仲がいいという意味ですが、このような日本語の用いかたは誤りというべきです。       また、これ以外にも「懇意的質問」という箇所がもう1カ所ありますが、これは明らかに「恣意的質問」の誤りです。                                 

さらに、ポリグラフ検査の結果として「元大阪府警科捜研所長荒砂氏は結論として、『懇意的にネパール語を習った形跡は認められない。』としています」と述べてありますが、拙著でそのようなことは一切書いていません。                              

(注④):「ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです」 と述べてありますが、拙著のセッション逐語録をどう読むとこのような主張ができるのか、はなはだ疑問におもわれます。        読解能力の明らかな貧困、または意図的曲解というべきでしょう。           

ラタラジューは、対話相手のネパール人女性カルパナさんの用いていないネパール語の単語を29語話しています。                              そして、ネパール語は、主語の人称と尊敬している人に対して、日本語の「です」にあたる助動詞が、一人称では「hu(フ)」、二人称と尊敬する人に対しては「hunnuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho(ホ)」のように変化します。            ラタラジューは、対話の中でこうしたネパール語の文法に則って話しているのです。 

また、ネパール語の不規則な数詞の使用も「tis(ティス)=30」や「patis(パティス)=25」のように使用しています。                          こうした、拙著の記述をきちんと読んでなお、ラタラジューがネパール語を「そもそも最初から習得してないことが明らかです」という断定がなぜできるのか、はなはだ不可解というほかありません。

(注⑤): 「被験者である女性が、ネパール人である男性の記憶が蘇りながら、日本語で会話をするのは、彼女につくさらに上位の霊的存在が、同時通訳をしてくれてる」と述べてありますが、わたしは拙著のなかでそのようなことは一切書いていません。        わたしは、冒頭で「書評の場合の『前提』とは、どこまでも拙著の記述内容に限定して述べることです」と述べました。                            この観点からすれば、この書評の文言は、書評の名にあたいしないことがすでに明らかです。

(注⑥): 「次回作では宇宙人が転生して出て来るのでしょう」と述べてありますが、これは「恣意的推論」というべき認知の歪みです。                    というより悪意のある嘲笑的文言であろうとおもわれます。
次回作を出版するなど何ら述べていない時点で、このようなことを書くことは書評として論外の逸脱行為です。                                禁欲的態度の貧困というほかありません。     

おそらく、唯物論科学万能の立場によって、 生まれ変わりを示す事実の提示に強い「認知的不協和」を起こした結果、感情的になって書かれているのではないでしょうか。
笠原敏雄氏は、こうした硬直した生まれ変わり否定の態度を「心理的抵抗」と呼んでいます。
こうした書評が出されたあとで、「ラタラジューの事例 」の全セッション動画をyou-tubeに公開しましたが、書評者はこのセッション動画を視聴してもなお同様に独善的、偏向的書評を書かれるのか興味深いところです。                      

そうして、わたしはこの書評者に問いたいとおもいます。               あなたは、いったいどのような証拠を提示すれば、生まれ変わりのある可能性を納得されるのでしょうか?と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                   

3【問題の書評についての反論である書評】
 

スピリチュアルとは一線を画す科学的な特殊事例の検討

 まず最初に、この著書に対して批判して悪くコメントをしている人は、全く著書を読んでおらず、内容の「科学的な事実」を無視し、揚げ足をとった挙句、更に捏造して大ウソの書評をして評価を下げようとしてるだけなので信じる必要はありません。

それは実際に私自身が購入してみて感じました。

この著書は、確実に安易なスピリチュアルな本とは一線を画します。

この著書は、世界でも過去4例ほどしかない極めて貴重な「応答型真性異言(おうとうがたしんせいいげん)」の事例に対する科学的な事例検討です。

研究メンバーは、
・メンタルヘルス研究室稲垣勝巳
元公立小中学校教頭・臨床催眠研究者/学校心理士・日本教育催眠学会理事
・中部大学 国際関係学部教授 大門正幸
・中部大学 国際関係学部准教授 岡本聡
・さかえクリニック院長 末武信宏医学博士
・日本法医学鑑定センターの荒砂正名氏(あらすな・まさな)              前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査に精通した専門家
です。
更に、これは日本で故・河合隼雄氏に並ぶ、成瀬悟策医博の系列で大学・医師チームで研究が行われ、正統にアカデミックに論文発表されました。

「応答型真性異言」とは学んだことのない外国語を操ることができる超自然的な言語知識、およびその現象のことです。

著書内では、応答型真性異言が退行催眠中に表出し、その世界初の映像と音声収録に成功した経緯と、最新の応答型真性異言の事例であるネパール人のラタラジューを中心に検証と考察、及び逐語録まで詳細に解説してあります。

2010年8月5日、映像はフジテレビのアンビリバボーでゴールデンタイムに公開されました。

この著書が優れているのは、被験者に対して「虚偽記憶かどうか」の出来る限りの科学的検証も行われていることです。
これは前世療法で著名なエール大学医学部のブライアン・ワイス医学博士・精神科医でも検証し得なかったことです。

虚偽記憶とは、過去にどこかその情報を得たりしていないかということです。
よく前世療法(前世イメージ療法とも)の中で、退行催眠で見えるものは虚偽記憶(記憶の再合成)の可能性があると言われています。
リモートビューイング(超ESP)仮説でも、退行催眠中に見える虚偽記憶(本物ではない記憶)の説明はできます。退行催眠中に、透視能力を発揮してその情報を持ってきたとも言われます。

しかし、今回発見させたのは【会話】。つまり【技能】です。
退行催眠中に【技能】という「虚偽記憶では証明不可能な反例」が出たという事例です。

「記憶」は過去の経験(テレビや雑誌など)で合成され、虚偽記憶となる可能性を秘めているとしても、【言語(しかも会話)】は、発達上の反復による学習により習得できる”技能”のため、記憶や透視では証明できません。
よって虚偽記憶も超ESP仮説も反証できるのです。

(例えば、ネパール語を学んでいない人に、道端でいきなりネパール語でしゃべってくださいと言われても無理ですし、やったとしても偶然にも当たりませんし、習ってない人にバイオリンを弾いてくださいも無理です。)

更にその会話は「偶然、ネパール語に聞こえた。」という類のモノではなく、しっかりと応答型に会話し、言語学者・大門教授の分析により
【ネパール語で70パーセントも会話が成立していることが立証されています】。

それだけでなく
【一人称や三人称の変化、助動詞や尊敬語や、独自の数字まで正しい発音で会話をしていました】。

情報を得ていなかったこと、ネパールと接触がなかったこと等は、被験者の同意の上、過去の経歴の中で関わった人物、在住した市町村の戸籍、旅行先、テレビやインターネットやラジオの放送履歴などに到るまで徹底的に調べ上げ、更にポリグラフ検査まで行って、確実に「接触がなかった」と科学的に検証されました。

基本的に科学では「全称命題」に対して、一つでも反証できるものがあれば、それは「特称命題」と呼ばれています。
例えば、世界中にいるほぼ全てのカラスを観察して「カラスはみんな黒」と全称命題を立てても、1匹でも茶色や白のカラスがいれば「特称命題」ということで、その命題は覆(くつがえ)るわけです。
科学実験が「不完全帰納法」であることは、日本人だけ知らないだけで、世界の常識です。
(数学のように誰がどこでやっても絶対答えが一つ出るのは完全帰納法[数学的帰納法]。これが神学や論理学や哲学に繋がります。対して、物理学や化学や生物学や心理学や医学などの自然科学や社会科学は、統計的で反例があれば覆るので不完全帰納法と言います。)

真性異言という「特称命題」の事例は、その特称の名のとおり、通常の全称命題(実験的再現性が高いもの)を覆すものなので、イアン・スティーブンソンなどの極少数の先行研究の事例を元に仮説を検証しなければなりません。

よって、そのイアンの「死後存続(生まれ変わり)」仮説をそのまま採用すれば、率直に特殊命題として「生まれ変わりが証明された」と言えるわけです。言葉の通りだと思います。現時点ではそうとしか表現のしようがありません。

その科学性は、先行研究の仮説の検討と、しっかりとした引用文献から見い出される論理的整合性に明確に依拠しています。

もし、この事実に反論しようとするならば、

1、ネパール語を学んでいないことの確実な検証済みの被験者に、ネパール語で会話実験して、被験者の里沙さん(ラタラジュー)レベルの会話が成立するか実験する。そこで会話が成立することの立証。
これで初めて、里沙さんはネパール語を学んでいないけれども話すことができた、という反論を認められます。
(ネパール語で会話ができるとする検証基準は、ネパール語の20〜30の単語と、ネパール語の文法に則った主述の明確な会話がわずかでもできるということです。)

2、里沙さんがネパールを学んでいない科学的検証方法として、生育歴の詳細な聞き込み調査、ポリグラフ検査による調査、本人およびご主人の証言書署名のほかに、科学的検証方法があるのであれば、その方法論の説明。

3、生まれ変わり研究の第一人者であるイアン・スティーヴンソンの研究方法を忠実に追試するという方法論を採用されているので、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの科学的証明ではないと否定するのなら、スティーヴンソンの3つの事例も全否定することになるので、その科学的反証をきちんとすること。

4、生まれ変わりが絶対にないと強弁するのなら、生まれ変わりが絶対ありえないという科学的証明をきちんとすること。
そもそも、まだ脳が意識を生み出している科学的証明はまだできていない。
意識を生み出す脳細胞を発見できると脳科学者が必死で探していますが見つかっていません。脳がすべて、脳が消滅すればすべて無に帰するというのは、科学的裏付けのない単なる信念、思い込みに過ぎません。もし、意識を生み出す脳細胞が発見されたなら,私は生まれ変わりがあるという事実の誤りを認められます。脳細胞の消滅と同時に意識(生前の記憶)も消滅するわけで、生前の意識(記憶)が来世に保持され持ち越されるはずがないということになるからです。

とにかく1の実験をして検証をし、ネパール語を学習していなくても、里沙さん程度にネパール語会話ができたという立証(反証)がないところでは反論は根拠を欠いた単なる感情的駄弁です。
否定論者は、これらのことが「できる」と断定的に言ってるので、「じゃあお前がネパール語しゃべってみろ」「全くネパール語のできない人が、ネパール人に話しかけられて20〜30のネパール語単語を用い、ネパール語文法に則った会話が少しでもできそうでしょうか?」「しかも、タマン語訛りのあるネパール語発音ができると思いますか?」と返したくなります。

更に、
『「脳が心を作り出す」や「心が脳を作り出す」の立場は科学的に解決されたんですか?』
『ニュートラルネットの出力者の不在問題は解決されたんですか?』
という今だに解決されていない疑問に対する解決もされなくてはなりません。

既存科学(唯物論者)傾向な人は、このような特称事例を見受けると、受け入れがたい科学的な事実を目の当たりにして拒否反応を示す【心理的抵抗】が起こってしまい、自分の傲慢な感情を科学の唯物論だけで担保して押し通すような神経症的傾向が出てしまうかも知れません。

そもそも「スピリチュアル vs 科学」という神経症的な二分法思考で、「既存の科学=正義」で「未解明科学、それ以外は悪。」であるという認識自体、間違っていると思います。

例えば、新しい病原菌が見つかった場合、それを「過去の既存の科学の事例にないから悪。そんなものは存在しない。」と言うのは、それこそ現実の事実を無視して思考停止した”非科学的な態度”です。

客観的に観察される事象に対して、先行研究を駆使して、より合理的に、かつ善悪などの主観を除いた「事実」に近づくように探求するのが本来の「科学」です。

「科学が正義で、それ以外は悪なので抹消すべきだ」という考えは、
中国共産党の”科学崇拝”によって、霊能者や占い師や風水師や、果てには少林寺拳法などの武道精神にいたるまで、「目に見えない世界を信じる人」を1億人近く(歴史上最多の)大虐殺した文化大革命・天安門事件や、今も続くチベット仏教徒やウイグルイスラム教徒への迫害。ソ連の大粛清で歴史上最多の大虐殺。
日本でも、過激派左翼の共産主義(唯物論)→学生運動→集団リンチ・よど号強奪や浅間山荘事件(革マル派・日本赤軍)→その後、彼らが拠り所を求めて作ったオウム真理教…
このすでに危ないと言われ、30年前には崩壊して終わった流れと同じです。
(今は、この時代を生きた人が教育者などになっているので、俗に言う理科系にいけばいくほど、リベラルで唯物論的になるのは嘆かわしいことですが…)

「本来の純粋な科学的な視点」で、寛容に懐疑的で中立的な観点を持てる人には、この著書は適していると思います。

私は、この特殊事例が突破口となり、今後「死後存続仮説を支持する事例がある」「未習得言語を話す事例がある」という反証から、新たな科学の発展にも貢献すると感じます。

近い未来、これを元に「未習得言語を話すようになれる技術」などが開発されていく契機にもなるはずです。
ノーム・チョムスキーの言語生得説の生成文法(とりわけ中心の普遍文法)の認知言語学・情報(数学)理論、同じくこの系譜の脳科学(人工知能)の最新研究である心の内部関数(機能:ファンクショナル)として必ず注目されます。

仮に、応答型真性異言に反証するような何かが分かったとしても、「ニューラルネットの出力者不在の問題」を脳科学は解決しなければ、「脳」と「心」の関係の根本問題は解決されないのです。
(でも今でさえ「心が脳(モノ=認識の世界)を作り出す」という後者が有力です。これ以降は量子力学の世界で研究されていくと思います。)

そして、この応答型真性異言という事例の特殊命題は、今世紀以降、未来永劫、残り続けると思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書評終わり

さて、拙著に対する否定的書評と肯定的書評を並べて紹介しました。          

紹介させていただいたお二人の書評投稿者の学識の差は歴然としている、とわたしにはおもわれますが、本ブログの読者のみなさんはどう感じられておられるでしょうか。                          

いずれにせよ、拙著に興味を抱いてお買い求めいただき、労力をかけて書評を投稿してくださったお二人には、この場を借りてあつくお礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

2022年3月18日金曜日

SAM前世療法で起きた身体の超常現象

SAM催眠学序説 その148


ここに紹介するのは、わたしの主宰しているSAM催眠塾の塾生である宝田昌子さん(スーパーバイザーSAM前世療法士)の質問メールです。                                   SAM前世療法のセッションにおいては、ときに免れることのできない憑依などの霊的現象があらわれることがあります。                                                    このことについて現時点のわたしの見解を述べたいと思います。

なお、宝田昌子さんには了解をいただいて、送付されたメールをコピペ・引用しました。   下記の点線枠内が彼女の質問メールです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもSAM催眠塾にて学ばせていただきありがとうございます。
突然のメールに驚かれたと思います。
実は、稲垣先生にご相談したい事例がありメールを送りました。
それは、マヒしている右手が何故かセッション中に滑らかに動き出した下記「Mさんの事例」です。

クライアントMさん(56歳男性)

【主訴】 
過去の記憶に悩まされることをどうにかしたい。
10日間前から気持ちが落ち着かず眠れない。食欲がない。

【体の状態】
首の付け根から右手の指先までマヒしている。
フォークを持ってご飯を食べられる程度にはなんとか指を動かせるが、きわめてぎこちない。

【セッション中の状態】
右手が、Mさんのお腹の辺りでピアノを弾くように「滑らかに動く」という現象が起きた。
右手首が、グッと90度に曲がって呼びかけに反応をした。

私が、Mさんの事例で驚いたのは、体の状態がセッション中、変化したように観察できたことです。
それは、ぎこちない動きをする「Mさんの右手の指が、セッション中には滑らかに動き、手首がグッと90度に曲がり、問いかけに返事をしたのです。

先生、こんな不思議な現象は起こるのでしょうか?
稲垣先生のご意見をお聞きしたいと思い、ぶしつけながらメールを出した所存です。
詳しい内容は、以下の通りです。

Mさんの体の症状について

Mさんは、二年前「エリテマトーデスリウマチ」と医師から診断されました。
Mさんは、「出来れば首の手術をして治るものなら治したい。」と話されていました。

《全身性エリテマトーデスとは》

全身性エリテマトーデス(systemic lupus erythematosus: SLE)とは
全身のさまざまな臓器に炎症や障害を起こす自己免疫疾患です。
特に関節、皮膚、腎臓、神経などを中心に症状が現れます。
(日本リウマチ学会より抜粋 https://www.ryumachi-jp.com/general/casebook/sle/)

 脳 や神経の病変
この部分の病変については、治療手段を決定するのが困難な場合が多々あります。その理由は、以下の項目にあげる症状が、本当にSLE自体によるものか、それとも、併発する他の病気や、薬の副作用によるものなのかを区別しにくい場合が多いためです。

カテゴリーA
上行性脊髄炎・横断性脊髄炎(脊髄の傷害)
脊髄は、脳と体のほかの部分の神経をつなぐ大事な組織です。
ここに炎症が起きて、傷害を受けると、手足が動かなくなり、感覚もおかしくなるなど、重大な障害をひきおこします。

(独立行政法人 国立病院機構 宇多野病院 関西脳神経筋センター リウマチ・関節センター【リウマチ・膠原病内科部門】より抜粋https://utano.hosp.go.jp/html/patient/department/department_04/department_04_01/department_04_01_12.html)


Mさんのセッション内容                             

催眠感受性は良好。
未浄化霊・ご先祖・動物霊を浄霊。

《手の反応》
指(左手)の反応からはじまり、腕全体がゆっくりと動き出す。
左手は、何かを求めて動いている様子。

《セッション中の右手の状態》
私は、「左手」の動きが奇妙に感じ、怨霊が憑依しているのではないか、と考えました。そこで、
「怨霊が動かしていますか?」
と聞くと、左手は反応しました。私は、怨霊を浄霊しました。
怨霊を数体浄霊すると、左手(腕)が全く反応しなくなりました。しばらくすると、クライアントの体越しに何かが動くのが見えます。私は「何が動いたのだろう?」と見ました。

そこには、Mさんの「右腕」がぐっとお腹のあたりまで持ち上がり、ピアノを弾くように指が波打っていました。

私は、
「怨霊が動かしているのですか?」
と聞いてみました。すると、「指」はとても滑らかにピアノを弾くように動きながら、「手首」をグッと曲げる方法を使って反応しました。
私は右手が反応したことに驚き一瞬混乱しました。しかし、今はMさんに憑依している怨霊への対処が先決と判断しました。そこで心を落ち着かせ、浄霊することに集中しました。
それから、セッションが終わるまで右手が応答し動き続けました。


《セッション後》
Mさんは、「体がスッキリした」と言ってから、二週間の前仕事をした現場について話してくださいました。
Mさんは、コンクリートを打つ職人さんでした。
現場は、その昔江戸時代まで「罪人の処刑場」でした。現在は民家は無く、倉庫が立ち並んでいる場所なのだそうです。
Mさんは、ちょっと遠くを見て
「そこから憑いてきたがいね~。」
と一言いわれました。

Mさんは、10日前から体調不良を起こしています。
セッション中、憑依していた怨霊は仕事場から憑いてきたと答えました。
しかも、二週間前Mさんが仕事をした場所は昔「罪人の処刑場」です。
怨霊の仕業で今回の体調不良を起こした可能性があります。

セッションから三か月後、クライアントの奥様に現状を確認しました。
セッション後、「体調も良くなった」と喜んでおられました。


以上が、セッション内容です。

「怨霊」について

「怨霊」も未浄化霊の中に分類されますが、クライアントに説明しやすいように、私は浄霊を望む霊を「未浄化霊」、恨みや辛さを抱え、それを被憑依者に体調不良などを起こして訴えている霊を「怨霊」とわけています。私が「怨霊なのではないか」と考えた理由は五つあります。
**********************************                    怨霊(おんりょう)とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである。悪霊に分類される。                      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
***********************************

《「怨霊」と判断した五つの理由》

 腕が、「蛇」のような奇妙な動きをする。                     

 腕の奇妙な動きは、「未浄化霊・先祖」の浄霊後に起こったため、強い恨みを持つ「怨霊」なのかもしれないと考えた。

 Mさんの奥様より「主人は体質上、色んな低級霊に憑かれます。幾度となく神社で除霊してもらっているのですが、今回はそういう類いのものとは少し違うようです。」「食欲も落ち睡眠がとれず、夫婦で睡眠不足で参ってます(^-^;」という内容のメールが届いていた。

4「この手に憑依しているのは、怨霊ですか?」「現場(クライアントが仕事をした土地)から憑いてきたの?」という問いに手が反応した。

 数体浄霊したが、どの怨霊も未浄化霊よりも強烈な痛みと重さを感じる。特に「頭・腰・首」が酷い状態だった。そして、底冷えする霊気に包まれた。(私の体感です)

以上の五つから私は、左手を動かしているのは「怨霊」ではないかと判断しました。

私の体感について

私は、幼少期から「霊感」があり「憑依体質」です。薄っすらと霊の存在を確認する事が出来ますが基本的には、「体」で感じる体質です。
たとえば
・「生霊」を飛ばしている相手がわかる。
・セッション中、前世人格や未浄化霊の体の痛みを感じる。
・セッション中、霊的な存在と直感でコミュニケーションが取れる。
・霊気を体でダイレクトに感じる。
など

個人的な感覚ですので、証拠にはなりませんし思い込みかもしれませんが、私が判断した理由の一つなので書かせていただきました。

「体感」「体の痛み」について

SAM前世療法セッション中に「顕現化した前世人格」や「未浄化霊」たちの痛い場所と同じ所が痛くなります。例えば、頭痛持ちの前世人格なら、私の頭も痛くなります。首を刺された前世人格だと、首が切れたように痛くなります。
生霊が、首を絞める、刺している行為を感じる。

 【筆者注】:宝田さんのような体質はエンパスと呼ばれています。エンパス(empath)」とは、「エンパシー(empathy)=共感、感情移入の力」とも呼ばれる、「共感力、共感力の高い人」という意味の言葉です。 人並みはずれて共感力が高く、生まれながらにして人の感情やエネルギーに敏感な気質の人をそう呼びます。 エンパスには、しばしば近くにいる人と同じ現象がその身に起こると説明されています。宝田さんはエンパス体質に加えて憑依体質のようであり、霊的能力があるように思われます。

 

「直感」について

セッション中、顕現化している前世人格の伝えたいこと(職業や、生きてきた過程、風景)を私の脳裏に直接見せる現象、私の口が勝手に呟く現象が起こります。
私の勝手な妄想では困るので、「本当にそうなのか」顕現化している前世人格に毎回確認を取り話を進めています。

「靈氣」について

セッション中、顕現化させた前世人格に「未浄化霊や怨霊」が憑いていると、周りが底冷えします。ですので、前世人格が訴えなくても「未浄化霊」たちの存在がわかります。

以上が「Mさんの事例」のすべてです。

稲垣先生のご意見をお聞きしたくメールを送りました。
ただ、私のいわゆる「霊感」の部分はなかなか理解してもらえないとわかっていますし、信用してほしいとも言いません。参考程度に見ていただけたらと考えております。

よろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メール引用終わり

 この宝田昌子さんの質問メールで、思い出したのは、2004年2月に明治学院大学で開かれた第29回日本教育催眠学会の講演で、催眠学者である故成瀬悟策(医学博士)先生の述べられた次のような見解です。

「脳の病変によって動かないとされていた脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから身体を動かすのは脳ではなく、オレであることに、この歳になってやっと気づきました。私のこの考え方を正当医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう。・・・脳は心の家来です」        (拙著『前世療法の探究』P.244)

成瀬悟策先生の2004年講演当時の「この歳」とは、75歳くらいだったと記憶しています。

50年間にわたって5000名を越える催眠臨床実験を経て、ついに 「脳と心の二元論」にたどり着かれたことの言明であり、予言だとわたしはとらえています。

この成瀬先生の「脳性麻痺の事例」は、そのまま宝田さんの「Mさんの事例」にも共通することだと言えるでしょう。                              

したがって、「エリテマトーデスリウマチ」の病変によって、わずかしか動かなかったクライアントMさんの腕や指が催眠中に滑らかに動いた超常現象について「こんな不思議な現象は起こるのでしょうか?」という宝田さんの質問に対するわたしの回答は、「催眠中であればまれに起こりうる現象です」ということになります。

 もう一つ「Mさんの事例」で考えねばならないことは、憑依霊とその憑依によって生じる影響の問題でしょう。

このことについて、『 SAM催眠学仮説 その124』の「SAM前世療法の重要仮説用語集」記事の中、「霊体仮説」の項でわたしは下記点線枠内のように述べておきました。

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 霊体仮説

 わたしあて第14霊信(2007年1月25日22:47受信)で次のように告げている。
「霊体は、ある意味においてあなた方があなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない」

つまり、霊体(オーラ)には個人的意識が宿っているのである。
「意識」が量子レベルのものであるとすれば、そして、それが脳内に限定して宿るものではないとすれば、「意識が霊体に宿る」という仮説は、非科学的妄想だと一蹴できないであろう。
なにしろ現代科学でも、意識が生み出されるメカニズムも、意識の本体が何であるのかも、今だに一切不明なのである。

「脳が意識を生み出す」という言説は、脳科学研究上の作業仮説にすぎない。そうした前提がないと研究に取り掛かれないのである。
わたしは、脳と意識の密接な「相関関係」を認めているが、それが即「因果関係」だと断定できない。臨床催眠の体験からも、意識が脳の生み出す付随現象だとは考えられない。

そして、未浄化霊や生き霊の憑依する場は、霊体であることが、SAM前世療法セッションの累積から分かってきた。

未浄化霊、生き霊は残留思念の集合体であり、それらマイナスの残留思念が、被憑依者自身の霊体に入り込めば(混在すれば) 、霊体に宿っている被憑依者の思念(意識)に、当然なんらかのマイナスの影響を与えることになる。

気分の晴れない鬱状態などが引き起こされることが多いが、嫉妬や恨みの強力な思念を抱いている生き霊や未浄化霊の憑依は、場合によっては自殺念慮や肉体の部分的な痛み、あるいは一時的な人格変換様の心理現象を起こすことがセッションの累積から分かってきた。

また、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えられるので、霊体に宿る思念(意識)が、憑依によってマイナスの影響を受けると、当然肉体にもそれが及び、体調不良や局部の痛みなどが引き起こされることも出てくる。

「未浄化霊はいつも理解を求めている」とわたしあて第9霊信は告げている。     

したがって、未浄化霊は、理解を求めて理解を得られそうな者に憑依することになる。
セッション中に顕現化した未浄化霊に尋ねてみると、彼らは被憑依者の霊体(オーラ)に宿っている意識内容を感知して憑依をするかどうかを判断するらしい。                                  

こうして霊体(オーラ)に宿る意識を感知し、その者が未浄化霊を理解し、受容的な考え方の持ち主であるかどうかを判断し、憑依するかどうかを決めることになるらしい。

したがって、常に自殺念慮などを抱いている者には、それを感知した自殺者などの未浄化霊が、共感と理解が得られると判断し、当然引き寄せられてくることになる。

顕現化した憑依霊に憑依した場所の確認すると、病死者が多い病院、自殺者が多い場所、交通事故死者の多い場所、過去に刑場であった場所などが挙げられる 。          

口頭で話せる憑依霊に、生前の身元や死に方を尋ね、真偽の検証をしてみたが、事実関係の完全な一致に至った検証事例はいまだない。                     ただし、あと一歩まで迫った検証事例が2事例ある。

わたしは、強いオーラであれば、その色が見えるという能力者10人以上の人から同一のオーラの色を指摘されている。 

ただし、オーラを色としては感知できないが、肉体を包み込む輪郭のある透明体として感知する人もいる。
こうした体験から、わたしは、オーラ(霊体)の実在を認めている。

ところでオーラの映像ではないか、と言われているキルリアン写真がある。

キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。 撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かな汗を帯びたコインでも像を得られる)
【ウィキペディア記事より】

この記事によれば、コインや腕時計のような非生体でも、キルリアン写真が可能であるので、映っている発光体は、物質としての水蒸気である。
したがって、おそらく、物質に還元できないであろう霊的なオーラの写真ではない、と推測できる。

わたしにとって重要なことは、肉体の故障個所周辺のオーラの色が黒ずんで見える、という複数の報告である。

また、オーラの色が澄んできれいな場合には、肉体の健康状態が良好であると分かる、という報告である。

したがって、オーラの色を澄んできれいな状態にすれば、肉体も良好な状態にできるという報告である。

これら報告は検証の結果、事実だと認めてよいと思われた。
こうした事実から、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えるに至った。
したがって、相互影響関係、相互干渉関係があるということは、霊体と肉体の双方に、何らかの共通する要素なり性質が存在していることを推測させる。
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さて、 以上のような「霊体仮説」に照らせば、宝田さんの浄霊によって、Mさんに憑依していた怨霊が取り除かれた結果、体調の改善が起きたという説明が可能だと思われます。

また、『SAM催眠学序説』その115・118・126・135などをお読みくだされば霊的存在の憑依現象の具体事例が掲載してあります。

こうした、SAM前世療法諸セッションにおいて観察された憑依現象と思われる事実の累積から、わたしが、憑依霊など霊的存在の憑依を認める立場をとる理由は、             

霊的存在の憑依を認めることが、直感に著しく反していないからであり、
霊的存在の憑依と思われる現象が、唯物論的枠組みからは説明できないからであり、
霊的存在の憑依を認めることが、不合理な結論に帰着しないからです。


一般に信じられている言説、つまり、心(意識)は脳の随伴現象であり、脳の死滅とともに心(意識)も消滅してしまえば、生前に経験されたことはすべて無に帰するので、前世の記憶をはじめ死後の霊の存在などは妄想であるという言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」・「主張」をそのまま表現しているものです。

こうした唯物論の言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではけっしてないのです。

脳とは別個の実在である「オレ (という意識)」を認める「脳と心の二元論」に立てば、脳の死滅後も「オレ (という意識)」や、そうした意識体である「霊」の死後存続の可能性を全否定することはけっしてできないのです。

故成瀬先生の「脳と心の二元論」の予言にならえば、唯物論に真っ向から対立するわたしの考え方は多くの人々には認めがたいでしょうが、21世紀の終わりには真偽が明らかになる、と思っています。