2019年7月1日月曜日

SAM催眠学序説 その123

 

なぜ「前世人格」であって「前世記憶」ではないのか

      ~「SAM催眠学」現在の到達点 その2~


1 「心搬体(サイコフォア)と「魂」について


SAM前世療法では、「前世の人格」そのものを呼び出し対話するという仮説に基づいてセッションを遂行します。

したがって、肉体の死後も消滅することなく存続し、生前の人格、個性、記憶など心的要素を来世へと運搬する媒体(意識体)の存在を前提としています。
生まれ変わりには、志向性がなく、無目的で偶発的に起こるものではないとすれば、なんらかの志向性を帯びて死後存続する媒体(意識体)の存在を想定しないと、生まれ変わりを繰り返すという現象の説明が完結できません。

そして、なんらかの目的性・志向性を帯びて、生前の心的要素を運搬し死後も存続し続ける媒体(意識体)を、SAM催眠学では「」と呼ぶことにしています。
同様に、イアン、スティーヴンソンも「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』と呼ぶことにしたらどうかと思う」と提案しています。(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.359)

ただし、スティーヴンソンのいう心搬体(笠原敏雄氏の訳語)は、生まれ変わりを繰り返したすべての諸前世の、心的要素によって構成されている、とは述べていません。
また、心搬体になんらかの志向性や目的性のあることにも触れてはいません。

スティーヴンソンは、「私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているかはまったく知らないけれども、肉体ない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う」(前掲書P.359)と述べているだけです。
そして、心搬体は変化していくのではないかと思うとその変化の可能性に言及していますが、心搬体の変化になんらかの志向性や目的性のあることには触れてはいません。


こうして、スティーヴンソンのいう心搬体は、なんらかの構成要素によって成り立ち、変化していく可能性のある媒体であることが含意されていると推測できるでしょう。

心搬体とは、いわゆる(肉体に宿って精神作用をつかさどるもの)の言い換えでしょうが、「魂」という用語につきまとう宗教臭を払拭するために、科学的な中立性の意味を強調した新しい造語の「心搬体」という用語をあえて提案していると思われます。
したがって、心搬体の変化に関わるなんらかの志向性や目的性に触れることは、宗教臭を与えるおそれがあり、彼はそれに触れることをあえて自制しているのだと推測しています。

これに対し、SAM催眠学の「魂」は、なんらかの目的性・志向性を持った中心(核)となる意識体と、その中心(核)となる意識体の表層を、生まれ変わりをしてきた諸人格によって構成された二層構成になっていると定義しています。

この魂の「二層構成仮説」を単純化した視覚モデルにたとえると、魂はミラーボールのようなものになります。
中心となる球体(中心(核)となる意識体)と、その表面に貼り付いている1枚1枚の鏡体の断片(生まれ変わりをしてきた前世の諸人格)から、魂は構成されているというわけです。


この「魂の二層構成仮説」は、わたしあて霊信の告げてきたそのままの内容を仮説に採用し、その検証をおこなってきたSAM前世療法によって確認された「意識現象の諸事実」の累積をもとに提唱しているものです。

なお、 SAM催眠学の定義している上記の「魂」にも、宗教的意味合いは一切ありません。

一般におこなわれている前世療法は、クライアントのどこか(脳内?)に保存されていると思われる「前世の記憶」をイメージとして想起するという前提でセッションをおこないます。

それでは、SAM前世療法で扱う対象が、「前世の人格」でなければならない合理的理由はどこにあるのでしょうか。
わたしの主張している、「前世人格」を顕現化させて対話する、という奇抜・奇怪な仮説は、けっして人目を引くために奇を衒っているわけではありません。
こうした仮説にたどりつく必然性の経緯があったということです。

なぜ、「前世の記憶」では不都合なのでしょうか。
このことは、SAM催眠学における本質的、かつ中核的で重要な問題です。

わたしが、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を持つに至った2005年~2009年の5年間に起きた経緯について述べてみたいと思います。

2「タエの事例」との出会い


2005年5月、被験者里沙さんへの前世療法実験セッションをおこないました。
この時点では「SAM前世療法」は、開発されていませんから、従来の「前世の記憶」を想起するという前提で、この「タエの事例」が遂行されています。
以下は、「タエの事例」の逐語録の抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

里沙:安永九年。(1780年)

注:安永は9年で終わっていることがセッション後判明。安永という年号があることは、私を含めてその場の同席者7名全員が知らなかった。


稲垣: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。


里沙:桑の実を摘んで食べる。


稲垣:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

里沙:真っ赤。(微笑む)①おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

稲垣:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (里沙頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も 一緒に葉を摘んでますか?(里沙頷く)楽しそうに。(里沙頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。今、 夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

里沙:馬小屋。みんなも。

稲垣:下は?

里沙:ワラ

稲垣:どんな物を食べてますか?

里沙:ヒエ。

稲垣:ヒエだけですか。おかずは?

里沙:ない。

稲垣:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (里沙頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

里沙:馬小屋。

稲垣:馬小屋で寝るの。お布団は?

里沙:ない。

稲垣:寒いときは何にくるまるのですか?

里沙:ワラ。

稲垣:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

里沙:着物。

稲垣:着物の生地は何でできていますか?

里沙:分っからない。

稲垣:粗末なものですか。(里沙頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

里沙:きれいな手じゃない。

注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

稲垣:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

里沙:天明3年。(1783年)

稲垣:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

里沙:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。

注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この 夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。その後に火砕流による自然のダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』として残って いる。この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの通常の水面から10メートル近く高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。わたしは現地で浅間石の確認をしている
吾妻川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。この流死者こそタエだと推測できる。

稲垣:火が渋川村から見えますか?

里沙:うん。

稲垣:噴火の火がみえますか?

里沙:フンカ?

注:天明の頃には「噴火」という語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼」と言った。

稲垣:噴火って分かりませんか? (里沙頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

里沙:熱い!

稲垣:煙も見えますか?

里沙:は、はい。

稲垣:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

里沙:白い灰が毎日積もります。

注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が相当量積もったことは事実である。

稲垣:どのくらい積もるんでしょう?

里沙:軒下。

稲垣:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

里沙:分からない。

稲垣:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

里沙:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。

注:火山灰に苦しむ村々が、鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いて噴火を鎮めようとしたことは当時の旅日記などに記述されている事実である。当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りと見なした。

稲垣:その結果なにが起きてますか?

里沙:龍神様は川を下ります。

注:浅間山は、当時龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。タエは吾妻川を下る龍神の花嫁として、川中の柱(橋脚)に縛られ供えられた。

稲垣:その結果どうなりました?

里沙:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。

注:2006年10月放映のアンビリバボーでは上記「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由 が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが分かりやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名の同席者のうち1名 だけであり、私も知らなかった。

稲垣:自分から志願したの?

里沙:そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)②おいしいごちそう食べて・・。

稲垣:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

里沙:村のために・・・。

稲垣:誰か勧めた人がいますか?

里沙:おとっつあん。

稲垣:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。

注:7年後の再セッションで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ、吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための船着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を救うために、人柱を必要としたと推測できる。タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。

里沙:恩返し。みんなのために(微笑む)③うれしい。
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このセッション逐語録の話者「里沙」を「タエ」に置き換えて違和感があるでしょうか。
わたしには「タエ」であったときの前世の記憶を、「里沙」が想起し、話している、として解釈することに大きな違和感を感じます。

ありのままに受け取れば、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起してタエに代わって語っているのではなく、「タエという人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の人生を語っている、と受け取ることがごく自然であると思われました。

つまり、タエの人格そのものが、被験者里沙さんの肉体を借りて顕現化し、自分の人生を語っているのではないか、という直感が湧き起こったのです。
この思いは、下線を引いた (微笑む)という里沙さんの表情①~③の個所でより強い実感になっていったのです。(注:you-tube公開の「タエの事例」動画参照)

微笑んでいるのは里沙さん自身の表情ですが、微笑んでる主体は、里沙さんではなくタエの人格そのものではないかと思われました。
事実、セッション中のわたしの意識は、里沙さんではなく、里沙さんとは別人格のタエの人格を対象にして対話していたのです。


里沙さんの肉体は、前世人格タエが顕現化するための媒体ではなかろうか、という奇抜な発と問題意識が生まれた瞬間でした。                

 

しかし、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、2005年当時の前世療法では、前世人格の顕現化という発想を持った前世療法は皆無でした。      

 

そして、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格タエはいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の場からなのか。

 

肉体の臓器である脳は、死後消滅します。

当然脳内に保存されていた現世の記憶も無に帰することになります。

にもかかわらず、脳内から前世の記憶があらわれることは論理的にありえないことになります。

 

そして、 記憶だけが死後も消滅せずどこかに存続している、という科学的実証はありません。

 

となれば、前世の記憶は、フィクションでしかないことになります。

 

SAM前世療法の成立前、2004年の日本催眠医学心理学会で、わたしが「前世の記憶を想起させた前世療法」の実践事例を発表した研究討議でも、大学の催眠研究者、医師など参会者の意見の大勢は、前世の記憶はフィクションでしかない、として批判を受けました。

(拙著『前世療法の探究』春秋社、PP.137-148)

おそらく15年を経た現在でも、アカデミックな催眠関連学会のこうした見解は変化していないだろうと思われます。 

 

催眠中にあらわれる前世の記憶の真偽について、生まれ変わりの科学的研究の泰斗、イアンスティーヴンソンは、みずからの催眠実験の結果について次のように述べています。                

「前世の記憶 らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも思い出すのではないか、とお考えになるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているかも知れないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確に語ってはいなかった。催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく思い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外は他の術者に実験を依頼した。その結果、ただの1件も成功しなかった」

(イアンスティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80)

 

そもそも、意識が脳から生み出されるという科学的実証はいまだにないわけですから、この問題の判断は留保としておくしかありませんでした。

 

この3年後、SAM前世療法を開発した2008年に、SAM前世療法を用いて魂表層からタエの顕現化実験をおこない、タエ自身から前掲のセッションにおいても、魂表層から顕現化していたことを確認しています。                        このことは、前世人格タエは、たまたま憑依した第三者の憑依霊ではなく、里沙さんの魂表層を居場所にしている前世人格であることの実証であるととらえています。

 

同時にSAM前世療法の定式技法にしたがえば、前世人格の再顕現化が可能であることの実証であり、SAM前世療法は、「再現性の保障」という科学の条件の一つを満たしていると考えます。

 

ちなみに、「前世の記憶」として扱った事例で、これは「前世の記憶」ではなく「前世人格そのものの語り」ではないかと思われた先駆的事例3例(亜由美の事例、佳奈の事例、佐恵子の事例)を拙著『前世療法の探究』PP.50-136で紹介しています。
こうして、前世人格顕現化の問題はひとまず棚上げし、「タエの記憶」として語られた前世の内容を徹底的に検証した結果を紹介した『前世療法の探究』を春秋社から2006年5月に出版しました。                               

 

管見するかぎり、少なくとも日本においては、前世の記憶を想起するという前提の前世療法によって、語られた前世の記憶を科学的検証にかけ、「前世の記憶」の存在がフィクションではないことを実証した書籍類は、13年後の現在においても拙著以外に知りません。

 

前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格はいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の居場所からなのか、この問題意識への執拗なこだわりこそ、その後のわたしの探究の原動力でした。


3 わたしあて霊信現象との遭遇


006年12月末、『前世療法の探究』を読んだ、当時26歳の東京在住の派遣社員であったM子さんから、拙著についての感想メールが届きました。           続いて、翌2007年1月11日~2月14日の1ヶ月間、このM子さんを経由して、パソコンの自動書記によるわたしあての霊信が毎夜届くという超常現象が起こりました。 わたしあて全霊信は、SAM催眠学序説「その47~72」で公開しています。

2007年1月23日の第11霊信で

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。     あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と語り

そして、同じく第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。


A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体と、その表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。


C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。加えて、魂の表層には、「現世のわたし」の人格を担う者が位置付いている。

こうした霊信内容は、わたしの問題意識に対して大きな示唆を与えるものとなりました。


4 M子セッションとの出会い


 こうした霊信を受け取った4日あと、2007年1月27日、わたしはM子さんの自動書記による霊信現象の真偽と、M子さんとわたしの前世での関係性を探るためのセッションをわたしのほうからお願いしました。
以下はM子さんとのセッションの逐語録の抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
M子:(毅然とした別人口調で)今はその必要はありません。

稲垣:どうしたらいいでしょう? 
わたしにできることは、仕事としては「そのもの」を癒すということが必要ではありませんか?

M子:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。
だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。
だが、その傷は癒され始めている。
それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。

稲垣:そうですか。

M子:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。

稲垣:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。
M子さんに代弁してもらえますか?
その幼子の言葉を。
M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。

(注:このあとM子さんの過去世である幼子の口調に変わって話す)

M子:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。

稲垣:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?

M子:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
で も、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。

注:この幼子「ぼく」は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の1つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に定式化されるSAM前世療法の前駆的現象であると推測できる。

稲垣:分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。
ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。
だから、あなたはそんなに悲しまないでください。

M子:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。

稲垣:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。

M子:うん。

稲垣:あなたは片腕をなくしていますか?

M子:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。

稲垣:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。
わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?

M子:紀元前600年。

稲垣:どこのお国でしょう?

M子:・・・プ、プティアドレス。

稲垣:それは地球上にあった国ですか? ほかの惑星ですか?

(注:この後、幼子が大人の男性的口調になり、霊的存在が憑依したと思われる)

M子:それは地球にあり、前後の違いにより、今は別の地名として伝えられている。

稲垣:日本ではないようですね。中近東とかヨーロッパですか?

M子:違う。

稲垣:中南米とか南米でしょうか?

M子:南米に近いが・・・パレンケ・・・パレンケ・・・。

注:パレンケ (Palenque) は、メキシコに存在するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。 ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構(ウィキペディア記事より)。わたしの前世の一つとして、古代都市パレンケの孤児院の教師をしていた、ということらしい。

うがった見方をすれば、わたしあて霊信の受信者M子さんは、当然のことながら霊信の告げた魂の仕組みについて知っているので、それに合わせて、彼女の前世であるマヤのパレンケの片腕のない少年の話を、無意識的に創作して語ったという解釈も可能であろう。しかし、彼女が、パレンケ遺跡について知っていた可能性は、ほぼ棄却できる。
したがって、わたしはM子さんの創作説を採らない立場であるが、残念ながらこのパレンケの片腕のない少年および、教師であったわたしの存在の真偽を検証することは不可能である。

ちなみに、当時26歳であったM子さんとは、2007年1月27日のセッションで会ったのが最初で最後で、その後メールのやりとりが断続的に続いたが、2008年以後2019年の現在まで、彼女のメール連絡先も携帯電話先も不通になり、完全に連絡手段は途絶えたままである。手を尽くしてみたが、彼女の居場所、状況などの消息も一切不明となっている。
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さて、このM子さんのセッションで注目すべきは、M子さんの前世として現れた少年の存在です。

「このお姉ちゃん(注:M子さんのこと)は、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね」

と語っている片腕のない少年「ぼく」のことばです。
少年「ぼく」は、この「お姉ちゃん(M子さん)」じゃない別人格ではあるけれど、稲垣と会話できるのはM子さんだけだ、そして、少年「ぼく」はずっとM子さんとずっと一緒にいる、と語っています。
この語りだけに注目すると意味不明ですが、このセッションの直前の霊信が告げていること、すなわち前掲の第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の告げた内容のうち


B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。

と照合して意訳してみると、

少年「ぼく」は、死後もM子さんの魂の表層で、M子さんとともにずっと存在しており、お話している「ぼく」は、彼女の魂の表層から顕現化した前世の人格なのだ。だから、お話している「ぼく」は、現世のM子さんではない。彼女の魂表層に存在している前世の「ぼく」は、彼女の肉体を借りて顕現化でき、稲垣とお話できる

 ということになります。

M子さんが、自分の前世である古代都市パレンケの片腕のない少年「ぼく」であった「記憶」を語っているのではなく、まさしく前世人格である「ぼく自身」が顕現化し、M子さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取らざるをえないのです。

2005年当時「タエの事例」において、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起してタエに代わって語っているのではなく、「タエという前世人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取ることがごく自然であるという直感は、霊信と少年「ぼく」の語りによって、はっきり裏付けられたと思われました。

このM子さんのセッションの4日前、2007年1月23日の第11霊信で告げられた

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

という予言は、「クライアントが前世の記憶を想起する」という従来の前提とはまったく異なり、「クライアントの肉体を借りて顕現化した前世人格自身が対話する」、という前提でおこなう独自の前世療法へと導くことを意味しているのだ、と思わざるえない事態が起きたのです。

こうして、これまでの前世療法とまったく前提を異にした、「魂の表層を構成している前世人格自身を呼び出し対話する」という仮説と、新たな方法論による前世療法を構築する試行錯誤が、その後2007年春から1年間にわたって続きました。
やがて、2008年春には、クライアントを「魂状態の自覚」へと誘導する新たな技法が確立され、魂の表層に存在している主訴にかかわる前世人格を呼び出すことが、9割の確立で成功することが可能であることが明らかとなりました。

この前代未聞の仮説による前世療法を、従来の「前世の記憶を想起する」という前世療法とは明確に識別するために、また、この前世療法が霊的であるがための誤解・偏見によって歪められ誤った形で流布されることを防ぐためにも、2008年春に「SAM前世療法」と命名し、商法登録をすることにしました。
SAM」とは、Soul Approach Methodの略です。
つまり、魂の状態にアプローチする方法による前世療法という意味を込めた命名です。


5 「ラタラジューの事例」との出会い


そして、前世人格を呼び出し対話するというSAM前世療法の成立を、自信をもって掲げることができた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、SAM前世療法の技法にしたがって被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化した前世の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性のネパール語で25分間対話しています。


被験者里沙さんが、ネパール語を学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので、ラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「スワシニ(妻)」、「アト・サトリ=8と70(78)」といった古いネパール語単語を用いて対話をしています。
こうしたネパール語の古語を里沙さんが秘かに学ぼうとしても学びようがありません。

さらに、対話相手のネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と問いかけ、そうです、という返事に対して、「お、お、・・・」と喜びを表明し、明らかに現在進行形の対話をしています。
ラタラジュー人格は、ただいま、ここに、被験者里沙さんの肉体に憑依し、自己表現している、としか解釈できない現象ではないでしょうか。

さて、前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形のきわめて象徴的な対話をしています。
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:KAはネパー人対話者カルパナさん

里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。


つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語の話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、顕現化している、としか考えられない現象です。

その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。
つまり、ネパール語で応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依しているということです。
自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという憑依現象はこれまで知られていません。
SAM前世療法では、前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。


この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というSAM前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を示している事実の証拠であると考えています。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。

「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格(グレートヒェン)をどのように位置づけるか・・・」(前掲書P.10)

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」(前掲書P.11)

応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。

「グレートヒェンの事例」の臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンの語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。


以上縷々述べてきた5年間の経緯によって、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を掲げるに至ったというわけです。


6 「魂の転生」と「生まれ変わり」の関係


下の模式図は、わたしあて霊信の告げた第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の内容の真偽を、SAM前世療法セッションの10年間の累積と、クライアントの示した諸意識現象を検証してきた過程で明らかになってきたことに基づいて、魂の構成と転生の仕組みを単純化し、図示したものです。

SAM催眠学では、「魂の転生」とは、文字通り、魂が、それまで宿っていた肉体の死後、別の新たな肉体に「宿り先を転じて生続けること」を意味します。

生まれ変わり」とは、「生前の肉体と人格を持つ者から、現世の新たな肉体と人格を持つ者へと一新すること」を意味します。

    
      [魂とその転生の模式図]




「魂の構成」と「転生」を示す上の模式図を説明します。

左から右への矢印は時間軸を意味します。
大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線です。
つまり、補助線より下の小円が肉体に宿る現世の人格になります。
補助線より上の小円が、死者であり肉体のない前世の諸人格です。
したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円B二つの前世人格とともに、3回目の現世の人生を送っている魂をあらわしています。

現世が3回目の人生を送っている里沙さんに例えると、小円Aが最初の人生「タエの人格」、小円Bが2回目の人生「ラタラジューの人格」、小円Cが3回目の人生である現世の「里沙さんの人格」ということになります。


魂の転生の仕組みを模式図の時間軸にしたがって説明します。

魂の核大円(X)は、最初の肉体に宿ると、その表層に小円という現世人格を生み出す。(左端の図)

現世人格はその肉体の死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格小円Aとして位置づき(真ん中の図)、死後も魂表層に存在し続けます。

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格を魂表層に生み出す((真ん中の図))ということです。

さらに小円Bという現世人格は、肉体の死後魂表層の前世人格小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円Aとともに魂表層を構成し、存続します。、 

次の来世では小円Cという現世人格を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格小円A・Bとともに魂表層を構成します。(右端の図)

このように、魂の核であるは、新しい肉体を得るたびに諸前世人格を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生していきます。
現世人格であったA・B・・・は死後も、それぞれの生前の人格、個性、記憶を保ちながら、魂の核とともに魂の表層を構成するそれぞれの諸前世人格として死後も存続しています。
これを「魂の二層構成仮説」と呼びます。
つまり、「核となる意識体」と、その「表層を構成している諸前世人格」の二層を合わせた全体を「魂」と呼びます。

こうして、生まれ変わりの回数分だけの前世の諸人格が、現世人格とともに魂の表層を構成しながら意識体として死後存続している、というのがSAM前世療法で確認できた意識現象の累積によってが明らかなってきた魂の構成とその転生の仕組みです。
なお、肉体を持たない魂を「霊」と呼び、肉体という器に宿る霊を「魂」と呼びます。

そして、魂は、表層を構成する前世の諸人格のすべてのものがつながり持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいると霊信は告げていますから、当然現世の人格は、多かれ少なかれ、また良かれ悪しかれ、前世の諸人格の智恵の影響を受けていることになります。

また、転生するたびに、魂表層の前世人格が 新たに位置付き、その前世人格の智恵が分かち合われるので、魂表層を構成している諸前世人格全体の集合的意識は、転生することによって変化していくことになります。
ある方向性、志向性に支えられたこの変化を、「魂の成長・進化」と呼んでいいのではないかと思っています。

こうして、魂の立場(観点)からいえば、一つの魂の宿る肉体の消滅後も、死後存続する同じ魂が、次々に新しい肉体へと宿り替えすることを「魂の転生」と呼ぶことになります。

また、魂の表層を構成している前世人格の立場(観点)からいえば、たとえば、模式図真ん中の「現世人格小円B」は、直前の前世を生きた「小円A人格の生まれ変わり」だと呼ぶことになります。
同様に、「現世人格小円C 」は、「前世人格小円A」や「前世人格小円B」の「生まれ変わり」だと呼ぶことになります。

肉体の死後、「一つの魂全体」は、新たな肉体へと「転生」(宿り替え)し、それにともなって、魂表層の「前世の人格」は、新たな肉体を持つ「現世の人格」へと「生まれ変わる」のです。

「生まれ変わる」の意味を、「かつてAであったものが、新たなBとなること」とするなら、生まれ変わりをするのは、肉体と人格であり、Aという魂そのものが、全く異なる新たなBという魂になることはありません。
転生するたびに、魂Aの表層を構成している前世人格の数は変化(増加)しますが、Aという魂全体が一新され新たな魂Bになるわけではなく、新しい肉体に宿り替え(転生)するだけです。

したがって、「魂が転生するたび、肉体と人格が生まれ変わる」、というわけです。

このように、「魂の転生」「生まれ変わり」の概念を明確に区別し、主張している仮説は、SAM催眠学以外にありません。

この転生と生まれ変わりの概念は、単なる思いつきの観念論ではありません。
10年間にわたるSAM前世療法セッションで確認し、累積してきた「意識現象の事実」の裏付けに基づいているからです。


ちなみに、魂の核であるXについて、わたしあて霊信では「ある意識体」とだけ告げており、その実体については謎のままです。

SAM前世療法は、「魂遡行催眠」の誘導技法によって、「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層を構成している肉体のない前世人格「小円A」や「小円B」を、現世の「小円C」の肉体を用いて顕現化させ(憑依させ)、「自己内憑依」によって顕現化した前世人格と対話する、という仮説と方法論によってセッションを展開します。

you-tubeに公開している動画「タエの事例」「ラタラジューの事例」がその実証です。
「前世人格タエ」も、「前世人格ラタラジュー」も、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで催眠誘導し、魂表層から呼び出した前世人格です。


したがって、「ラタラジューの人格 」は、「タエの人格」の生まれ変わりであり、里沙さんは、「ラタラジュー」と「タエ」の人格の生まれ変わりだということです。

そして、こうした仮説を覆すような、SAM前世療法のセッション事例には、いまだに遭遇したことはありません。


7 魂の転生の志向性についての考察


こうして、セッションであらわれた「意識現象の事実」の10年間の累積から、わたしが、魂と生まれ変わりの実在を認める立場を主張している理由は、

それら「意識現象の事実」を、魂の実在や生まれ変わりの証拠として認めることが直感に著しく反していないからであり、

魂と生まれ変わりを事実として認めることが、不合理な結論に帰着しないからであり、

前世人格の顕現化という霊的現象(とりわけ応答型真性異言現象)が、唯物論的枠組みからはどうしても説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、「意識現象の事実」として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることが、クライアントの「意識現象の事実」として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な「意識現象の事実」に対して、何としても唯物論的解釈でおさめようとこだわることは、現行科学の知の枠組みに固執した不毛な営み だ、とわたしには思われるのです。

魂状態の自覚、そこであらわれる前世人格の顕現化という「意識現象の事実」に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、霊的意識現象の探究を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す「意識現象の諸事実」は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂と生まれ変わりの実在を認めることを非科学的だと回避する立場で、あるいは魂や霊的現象はすべて妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

わたしの主張する「魂」の存在を想定せずに、「臨死体験」や「前世の記憶」を説明しようとする理論に量子論を援用した理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されている「量子脳理論」があります。

 「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」
 
という主張(仮説)が「量子脳理論」による「臨死体験」と「生まれ変わり」の説明です。

イアン・スティーヴンソンの後を継いだバージニア大学のジム・タッカーも、量子脳理論
に同調していると思われ、先輩スティ-ヴソンの提案している、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する『心搬体』という媒体を想定する」という生まれ変わりの説明概念を放棄しているようで、次のように述べているようです。

量子論の創始者であるマックス・プランクなど、一流の科学者は物質よりも意識が基本的であると語りました。つまり、意識は脳が生み出したのではないのです。脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます」「意識は量子レベルのエネルギーです。ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くのです」

 ジム・タッカーが、イアン・スティーヴンソンの提唱している生まれ変わりの説明概念である、「心搬体」という媒体の存在をなぜ考慮せず、なぜこのような量子論による考え方に至ったのかの合理的根拠も、理由も不明です。
「心搬体」のような霊的媒体を想定した説明より、最新物理学の量子論による唯物論的説明のほうが、科学的で説得力があるのだと考えているのでしょうか。
あるいは、「心搬体」も意識体として、次の肉体に宿るまでの間、量子レベルのエネルギーの形でどこかに存在していると考えているのでしょうか。
そもそも、「意識」がどこで生まれるかが分かっていない現時点で、「意識は量子レベルのエネルギー」だとなぜ断定的に言えるのでしょうか。


ハメロフやタッカーの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。
応答型真性異言の応答的会話は、「情報」には還元できない暗黙知である「技能」です。「意識・情報」の伝達は量子論で説明できても、「技能」の伝達は量子論では説明できません。
したがって、会話技能の発揮である「応答型真性異言」現象は「量子脳理論」では説明できません。
言語に置き替え可能な「記憶情報」と、言語に置き換え不可能な「技能」との決定的に重要な相違を無視した粗雑な「説」が、「量子脳理論」だと言うほかありません。

この事実を前にすれば、「量子脳理論」による生まれ変わりの説明が破綻していることはすでに明らかです。
わたしに言わせれば、現時点で「量子脳」の実在が実証されているわけではなく、量子脳という唯物論的観念論による検証不能な「説」の域を出るものではないと思っています。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識が、偶然に現世の誰かの肉体(脳)と結び付くことを「生まれ変わり」だと言うのであれば、霊信が告げ、わたしが前述6の模式図で提示した「死後も存続する魂が、ある目的・志向のもとに新しい肉体に宿る」ことを「魂の転生」と呼び、それにともなって、魂表層の、生前は現世人格であった者が前世人格となり、新たな現世人格が位置付くことを「生まれ変わり」と呼ぶとする、SAM前世療法の定義においては、到底受け入れることはできません。


魂の存在を排除し、生まれ変わることに目的性や志向性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」である、とわたしは認めることはできません。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおける「意識現象の事実」として確認してきた、何らかの目的・志向帯びて死後存続する魂が、その器である肉体の死後、次の新しい肉体に宿り、転生を繰り返している、という事実に反するからです。
また、わたしあて霊信の告げた、転生する魂の仕組みに反しています。

魂表層から呼び出し、科学的検証を経ている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という「意識現象の事実」が、このことを如実に実証しています。



宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとするなら、「生まれ変わり」は、無意味な、単なる偶然の産物であり、その繰り返しには、もともと意味や志向性など全くないということになります。


魂、あるいは心搬体の存在を否定し、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、誰かの脳に貼り付き宿ることを生まれ変わりだとすれば、たとえば、現世の里沙さんにとって、もはや「ラタラジュー」も「タエ」も、何らかの目的・志向を帯びた魂が宿り、前世を生きた人格とはいえず、現世の彼女とは一切のつながりのない、まったく無関係・無縁の死者である、タエやラタラジューの意識が、たまたま、偶然に、里沙さんの脳に貼り付いているだけだ、ということになります。

したがって、タエやラタラジューにも、何らかの目的・志向を帯びて死後存続する同じ魂が宿り、その同じ魂が現世では里沙さんに宿って転生していると、もはや言うことはできません。

「前世の記憶」と言う場合においても、「現世に生まれ変わっている私とは無縁ではなくつながっている、前世であったときの記憶」という含意があるはずですが、タッカーによれば、脳に偶然貼り付いた前世の記憶とは、「何らかの目的・志向のもとに生まれ変わった現世の私が、前世の人生を生きていたときの記憶」とは、呼べないことになります。


ただし、付言しておきますと、生まれ変わりの研究者の間でも合意されている「生まれ変わり」の明確な定義があるわけではありません。

SAM催眠学の「転生」と「生まれ変わり」を区別する定義は、「魂の二層構成仮説」から必然的に導き出されてきた「創出的定義」creative definition であり、これまでになかった定義です。
辞書的定義によれば、「転生」と「生まれ変わり」の意味の区別がなく、両者は同義語となっています。


SAM催眠学では、魂全体が、その器であった生前の肉体の死後、何らかの目的・志向のもとに、新たな別の肉体(器)へと宿ることを「魂の転生」と定義しています。

そして、魂の転生にともなって、魂の表層を構成していた「生前の現世の人格Aは、肉体の死後「前世の人格Aとなって魂表層に位置付き、「現世を生きる肉体を持つ別人格Bが、魂表層の構成要素として新たに位置付くことを、「前世のAが現世のBへと生まれ変わる」と定義しています。


新しい理論(仮説)を構築すれば、それにともなって、これまでになかった新しい概念を意味する用語が必要になるのは当然のことです。
SAM催眠学の「自己内憑依」や「魂遡行催眠」という用語も、それらの一つです。


また、魂の転生と、それにともなって「前世の人格」が「現世の人格」へと生まれ変わるのは、惰性や偶然によるものではなく、なんらかの目的・志向を帯びておこなわれている、これがSAM前世療法でこれまで確認してきた「意識現象の事実」です。

『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、スティーヴンソンの生まれ変わり研究について次のように解説しています。

人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略)
 スティーヴンソンは、「生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある」。「どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない」。「私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか』とお聞きしたいと思う」と述べている。
 (イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527)

わたしも、上記解説に全く同感です。
you-tubeで公開している「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の証拠動画、および逐語録とその解説を、虚心坦懐に見聞きしたうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実である、と納得なさいますか、とスティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。

人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ死後も存続することが科学的に証明されば、人生観、世界観はもちろんのこと、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。
そうであるからこそ、そして自分自身も死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは誰もが「生まれ変わり」という大きな問題の真偽に対して、当事者性をもって真剣に取り組むことが必要なのだと考えています。

そして、唯物論者であったわたしあてに霊信が来るという超常現象が起き、霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について開示を受けることになりました。
わたしは、催眠を道具に用いた科学の方法によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。

しかしながら、わたしの検証によって得られた魂の転生と生まれ変わりの事実は、検証の方法論が「意識現象の事実」を対象にするしかない、という限界があるため、間接的な証明でしかありません。

そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、そうした目論見によって霊信を送信してきたであろう霊的存在に対する、わたしの使命だろうと思っています。

一言で要約すれば、「わたしの肉体の死後も、わたしの霊体に宿っていた現世の人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する前世人格の一つとして位置付き、やがてわたしを魂表層に位置づけた魂(全体)は、その成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体に宿る。このようにして、わたしは生まれ変わる」ということが、これまでの探究から得た現時点における知見です。
ちなみに、わたしあて霊信によれば、現世のわたしは369回目の魂の転生なんだそうです。


このブログを開始してからの国内・国外の累積アクセス数は、17万回を超えています。
けっして読みやすい内容ではないにもかかわらず、お読みくださった読者のみなさんに感謝します。



縷々述べてきましたが、「SAM前世療法」の誕生と、そのセッションの累積から構築してきた「SAM催眠学」は、里沙さん、M子さん、わたしあて霊信、そして故イアン・スティーヴンソン博士の先行研究、催眠学者成瀬悟策医学博士の先行研究、また、論理的思考、哲学的思考の訓練を惜しみなく教育してくださった、上越教育大学大学院杵淵俊夫教育学博士などの諸恩恵なしには、けっして展開できることはありえなかったことは断言できます。

深謝。


2019年3月1日金曜日

SAM催眠学序説 その122

    「SAM催眠学」2019年現在の到達点                                         

「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、催眠研究の新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとするものです。
そして、この契機を与えた根幹は、2007年1月~2月に起こったわたし宛て霊信現象とそれを仮説として成り立つSAM前世療法で確認してきた、霊的諸現象の10年間の累積とその分析です。

つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の「霊的諸意識現象の事実」を、一定の仮説と原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです。
この試みは、これまでの催眠学の体系とはまったく異なる新たな様相を示すことになるはずであり、またこれまでの催眠学と大差のない説明体系であるなら、わざわざ新たに「SAM催眠学」を提唱する必要はありません。

自己実現の研究者マズローA・Hは、それまでの、人間の病的側面にばかり着目してきた心理学を「天井の低い心理学」だと批判しました。
そして、十全な成長を遂げた人間の可能性を探究する自己実現への探究の心理学をめざしました。
SAM催眠学も、それまで人間の霊的側面について探究することを拒んできた「天井
の低い催眠学」の「低い天井」に風穴を空け、人間の霊性について探究しようとするささやかな試みです。

当然のことながら「SAM催眠学」は、これまで霊的諸現象を無視し取り上げてこなかった、あるいは否定してきた現行催眠学への不服申し立てにならざるをえません。
さて、「SAM催眠学」として理論化ないし体系化することは、次のような諸作業をおこなうことを意味します。

「SAM催眠学」の諸対象(霊的意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の諸仮説の検証途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。

こうした諸作業によって、霊的現象解釈のための理論化の構築を企てる「SAM催眠学」は、壮大なフィクションでもあると自覚しています。

以下、ここで述べていく内容は、理論化の構築途上における、現時点の中間報告にすぎません。

前置きはこのくらいにして、「生まれ変わりの実証的探究」という本ブログのテーマに恥じないように、これまで本ブログで紹介した実証を示す記事を参照していただけるようにSAM催眠学の現在の到達点を5点にまとめて述べていきます。

1 SAM前世療法成立のいきさつ

「SAM前世療法」の諸仮説は、けっしてわたしの独創ではありません。
わたしの守護霊団を名乗る複数の諸霊からの霊信の恩恵によって成り立っています。

2007年1月11日から2月14日まで1ヶ月余にわたって、毎夜送信されてきた高級霊と思われる諸霊からの霊信内容をそのまま作業仮説としています。
わたし宛て霊信の全内容は、「SAM催眠学序説 その48~72」で公開しています。
すべてで22通の霊信であり、A4用紙82枚にわたるかなりの量です。

わたし自身には霊信の受信能力は皆無であり、受信者は当時26才で東京在住の派遣社員をしていたM子さんのパソコンによる自動書記現象として送信されたものです。
M子さんとわたしとの面識は全くなく、拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係のみです。

2007年1月14日5:23着信の第2霊信で通信霊は、
「ここで私があなた(注:M子)と稲垣に伝えるべき事は、私があなた方をつなぐ理由である。私は、生前あなた(注:M子)としての素質をもち、稲垣の進むものと類似する方向性をもつ者であった。そのため、私はあなた方をつなぐ者として接触しているのだ」
と告げています。
M子さんの素質とは、霊信を自動書記によって受信するような素質であり、つまり霊媒としての素質だということでしょうし、稲垣の方向性とは催眠を用いた生まれ変わりの実証的探究だと思われます。
つまり、この送信霊は、生前、霊媒能力があり、しかも催眠との深い関わりを持つ人物であったと告げたことになります。

さらに、2007年1月18日22:28の第7霊信で通信霊は、
「私はエドガー・ケイシーである・・・なぜ今回の霊信で私が役割を担ったかを説明しよう。
それは私がよりあなた方の意識に近づける者であるからだ。
我が霊団は多くの者で成り立つものである。( 注:第12霊信で11の霊から成る守護霊団だと告げる)
その中でも、私はより『新しい意識』である。
それにより、あなた方に近づきやすい状況をつくり出すことができる。
そして、より明確に情報を伝えることができる」
と生前の身元を告げています。
エドガー・ケイシーは、催眠状態によって霊的存在とコンタクトをとり、様々な情報を入手し、それをリーディングと称していたようです。

そして、第2霊信で通信霊は、
「稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していた者である」
とも告げています。
ちなみに、エドガー・ケイシーは1945年に死亡しています。わたしは1948年の生まれです。
こうしてエドガー・ケイシーとわたしを守護している存在は同一ということになります。 
わたしの性向として、こうした霊信がインスピレーションという形でわたしに直に伝えられたとしても、それは自分の妄想や願望の投影された結果の産物ではないか、妄想ではないか、とわたしが必ず疑念を持つことを通信霊は知悉しており、そのため第三者のM子さんを霊媒に用い、自動書記による文書の形として送信してきたのだと推測しています。
こうすれば、少なくともわたしの妄想であることは完全に排除できます。
その結果、わたしの性向にしたがって、必ず霊信内容の真偽を検証しようと試みるであろうことを通信霊は知悉していたと思われます。

2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」
と告げてきました。

「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの疑問について答えると言うのです。
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問状をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
A子さんの、通信霊を装った作文による回答ではなく、したがって、通信霊を称する存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断しました。

2 「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」について


わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。


第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。


A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」「魂」から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂表層」「現世の者」であり、死後は「魂表層」の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、創作して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・この霊信において告げた内容を読んだとしても、M子自身は理解に到達できない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」

と、受信者M子さんの創作や妄想ではなく、間違いなく通信霊という霊的存在からの回答であることを念押しし、強調していることです。


ちなみに、第12霊信の送信霊は、
「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」
と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。

これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に成立した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が、同じ第11霊信の中で、 

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

と、この霊信1年半後の2008年6月に成立したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに開発することをすでに見極めていたと考えるほかありません。
むしろ、SAM前世療法の開発をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げて
いますから、わたしにSAM前世療法の開発を担わせたことは「計画」のうちに入っていた
のだろうと思われます。


そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。

「タエの事例」「ラタラジューの事例」の全セッション動画はyou-tubeで公開してあります。
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実に基づいて否定・反証を挙げて科学的批判した論者は、皆無です。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」の模式図によって説明しています。

3 「憑依仮説」について

SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。

さらに、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)、を報告することもあります。


つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体同様の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体という器を持てば「魂」と呼ぶと定義しています。

4 「霊体仮説」について

2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には肉体の健康状態が良好であること、を言い当てるという検証結果が得られています。


また、互いに面識のない5人の、霊体の色をオーラとして感知できる能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。


したがって、霊体と肉体両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を隈無く包み込んでいる霊体を持っている。霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。


そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の一年半の繰り返しによって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性の証です。


5 残留思念仮説」について

2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
と告げています

以上のような2007年の諸霊信を受け取ってから、12年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に強い未練があるために霊界へと上がることができず、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬によって、魂表層の『現世の者』から分離した嫉妬の思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」だとして、対話をおこないます。
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらは苦しみを訴え、理解を求めている霊的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

まとめ

わたしの探究の原点は問題意識です。
それは、われわれはどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、さらに意識を生み出しているものは何であるのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。

しかしながら、意識現象の探究は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験の内観の報告を手がかりとするしか方法論がありません。
それら意識体験の内観報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。



ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から分離し自由になり、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。



良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を分かちあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げています。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、きわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていない。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わる。
来世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって描かれるらしい。
しかし、現世に生まれてきた使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、忘却された、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えない。
肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえにすべて魂の主体性に任されている。


さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたし宛ての霊信はインスピレーションといってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、催眠研究の新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱は、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、一笑に付すか無視するかして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、一切の公的束縛から解かれて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れの妄想ではなかろうと思います。

大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。


さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を語りかけてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2019年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事が10年先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。



タエの事例は偶然ではありません。
計画されあなたに贈られたものです。
計画を立てた方はわたくしではありません。
計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。



あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。 それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
わたし宛て霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしの手によって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという送信霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。


霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには?です。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活、を望んでいる庶民です。


したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたし宛て霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときにくるものは来ると「遊びごころ」でもって、肩の力を抜いて、楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点の到達点です。

さて、「催眠学序説 その122」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたし宛の霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、高級霊から次々に提供されているような気がしていました。
そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれたようです。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。
やはりわたしにとっては、自分自身の直接体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めさせる真実性の実感があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、高級霊界がヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからのわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリングの謎も、わたし宛て霊信の真実性も、おのずと開示されていくのではないかと思います。
また、そうした開示がされないにしても、霊的真理を広める道を淡々と愚直に進む過程で、わたしは霊的に成長できるのではなかろうかと思っています。

こうした思いも、わたしの心境の現時点の到達点です。

わたしの現時点の思想的、哲学的立ち位置については「SAM催眠学序説 その114」で明確に述べてあります。



2019年1月16日水曜日

SAM催眠学序説 その121


          ーわたしの少年時代の自己紹介にかえてー

 ここに掲載する短編小説『渡し守』の作者、渡邊マサ先生は、わたしの小学校5・6年生の学級担任でした。わたしが恩師と認める中のお一人です。今はすでに故人となっておいでです。
 1993年初夏、32年ぶりでお会いしました。その再会の印象がこの小説の執筆動機だとうかがっています。その年の可児市文芸祭短編小説部門市長賞を受賞され、作品の収録されている冊子を送っていただきました。
 一読してまず驚いたのは、執筆当時72才であったマサ先生の記憶力の確かさでした。叙述されている細部の事実関係に間違いが一切なく 、わたしがマサ先生に再会して語った対話内容が、録音でも取っておいでだったのかと思うほど一言一句がほぼ正確に再現されていたことでした。おそらく再会から日を置くことなく、鮮明な記憶をたどって執筆されたと思われます。今から25年前のマサ先生との再会は、よき思い出となって生きています。そして、小説『渡し守』は、 まさしくわたしがモデルの実話小説そのものです。

 読者の中には、ブログ管理人のわたしが、どのような少年時代を過ごしていたのか興味を抱いている方もおいででしょうから、2019年年頭でもあり、ここに小学校学級担任マサ先生の目に映ったわたしの少年時代の姿を、文学的香り高い実話小説の形で自己紹介することにしました。読まれると、教師となったわたしの人間性の一部も垣間見ることができると思います。
 そして、この小説に登場する「N君」が、わたしです。

:文章を読みやすくするため小説の1行空きの段落構成はわたしがおこないました。



      渡邊マサ 作 短編小説 『渡し守』

 アトリエには今おとなが男女あわせて、十二、三人いるのだけれど一人も居ないかと思われる位静かである。
 この市民講座水彩画教室ではそれはいつもの事で、みんなが対象物を囲んで好みの角度で席を占めイーゼルを立てて描き始めると、大体正味一時間半ほどは殆ど誰も喋らない。先生がおられてもおられなくてもそれは同じでみんなとても熱心である。成人ばかりの、というよりは平均年齢五十余才くらいの同人であるが一人ひとりが絵が好きで集まっているということもあるし、無心になれる三時間が持てる、集中を楽しむことが嬉しくて通って居るのだ。私も勿論その一人である。

 でも、今日の私は何か集中できない。今日描くのは静物で、壺が二つとワイングラスに液体の入ったのや果物が並べてある。壺は緑黒色の艶消しガラスの瓶で質感を出すのに手応えがありそうな洋酒瓶である。馬蹄形のワイングラスの入った液体は澄んだピンク色でどうせ当番の誰かが水に絵の具を一滴たらしただけのものだろうけれど、妙にさまになった色でそれが全体のひきしめ役を果たして調和のとれた構図になっている。描くつもりでとりかかってはいるが私はまだ気がのってこなかった。

 その訳は、今日この教室が終わってから人と会うことになっているからであった。電話は昼少し前にかかって来た。その電話は思いがけぬN君からであった。私は
「まあー。」
と言ったきり暫くおしだまっていたが
「僕は今日、暇ができたから一度会いに行きます。えっ? さくらホールのアトリエ? ああそうですか。そこで水彩画を、へえー。じゃあ四時に終わるならそのままそこで待っていてください。僕行きます。じゃあまた。」
 話は速いが、多分に押し付けられ気味で私の都合も十分にたずねられる事もなく決まって、彼はここに来ることになったのだ。

 N君-三十二年前の教え子である。三十年余り会っていない。市内の小学校に私が勤めていた時、五年、六年と続けて担任したクラスに居た男の子であった。体格もクラスで一、二を争うほどよいので体力もあり、何をやっても積極的なので結構なガキ大将であった。

 その頃は今と違って下校後は家業(多くは農家)を手伝うか、戸外遊びをするかであったので非農家の彼は夏は川遊び、冬は山や森へ遠征する遊びのリーダーであった。彼が友だちを誘っての遊びを作文にするとそれはとても面白く、生き生きと活写されているので私は教師である事も忘れてドキドキしたり血が湧く思いをしたくらいであった。
 
 田圃のザリガニをうんと獲って、木曽川の磧で流れついた車のホイールキャップを拾ってきて焚き火をし、それを鍋がわりにザリガニの塩ゆでを遊び仲間と食べた話など出色で
「そんなことをしてはいかんよ。ジストマに罹ったらどうするの。」
ということも忘れて
「そんなにうまいかね。よかったねー。」
と話にのってしまうくらいに作文を書く力がある子だった。勿論頭もよかった。
 
 私は教師であったから、当然子どもと暮らすことは好きであった。でも根は淡泊なというか、いわゆる水臭いところがある人間で、教え子と居るうちは目の前のことに一所懸命になったが、そこから向こうは深入りしない主義であった。ほんの子どもの時、年齢が違った長兄が、「君子の交わりは流水のごとく淡泊なるがよし」とか何とか読むのを聞いて「ふーん。」と思った事があるが、そのせいかどうか、何でもあまり詮索は好きではない人間に育ってしまった。
 教え子も卒業させるまでが勝負で、全員中学へ送ってしまえば、高校への進路をどう決めようとも、それだけのものだと思っていた。決して無責任とか、誠意を尽くさぬとかいうことではなく、担任するうちはベストを尽くしてきたつもりだ。

 ようするに私は「渡し守」だと思いさだめていたのだ。それが芯そこの本音であった。船は転覆させぬよう、どんな流れにも、力の限り棹さした。でも、対岸に着けば、子どもが岸へ足をおろしたのを境に、私はうしろ姿を見送るだけしかない。「元気でいなさいね。身体に気をつけて頑張るのよ!」と心の底からのエールを小さい背中に送る。涙をこらえて。でもそこまでだ。私はもとの岸に戻るだけだ。そしてまた新しいクラスを受け持ってクラスづくりに精を傾けるのだった。そうやって何十年も教師を勤めてきた。

 Nに対してもそれだけだった。どんな青年になっていくのかな、というような事は 勿論おりにふれて思い出すのだけれど、それさえ一クラス四十一人のどの子に対しても思うことで特にNに対してどうしたとか、たずねてやったことはひとつもなかった。

 数年経って教え子たちの大学進学の事が耳に入ってくる事があって、その時Nが大学の教育学部に入ったという消息を聞いた。それを聞いて、知能もすぐれた子であり、(こういう子が活気のある教師になってくれたらいい)とは思ったが、反面ウーンと絶句して考え込んでしまった。(あの子が、あの覇気でもって教育界という海へ入って行けるのかな、入ったにしても泳げるのかな、泳いだにしてもいやいや泳ぎしかできないのじゃないかな、おそらく力泳する気にはならないのじゃないかな)と思った。教育界に棲んでいる私には危惧が大きかったのだ。


 時代は昭和四十年代当初。思想も多様化を極め、大学紛争も花盛り、決して学究の府ではなく、むしろ嵐の吹きすさむ庭だった。どういう葦になっていくのかしらと思ったものであった。同一市内に住んでいるのに訊ねる事は一度もせず、勿論Nからの音信もなかった。
 
 いつしか三十年余年の月日が経過し、今年の四月、一枚の挨拶状が私を驚かした。Nからであった。ここから十五Kmほど離れた、といっても勿論通勤可能な中都市の中学校、かなり大きなベッドタウン化した町の歴史の新しい学校へ教頭になって赴任するというあいさつであった。四十五才。今の教育行政事情の人事としてはかなり早い任用で、やっぱりなと思った次第であった。

 「N君おめでとう、よかったね。」私は幻の彼に呼びかけお祝いを言った。ところがどんなにも現在の彼が浮かんでこない。私の目の前に立つのは丸刈りのくりくり坊やで、私の目を盗んでやったいたずらを見つけられて、照れながらあやまりに来る時の顔、そしてキラキラした眼で笑いかけてくる叱るに叱れない表情であった。どう考えても浮かんでこない壮年教師Nー想像しようとすればするほど、彼の父親の顔がダブって見えてくるのであった。

 その父親も割に早く、六十才を少し出た頃逝去されて、それも聞いたばかりでお悔やみさえしてしていないけれど、PTAでよく学校に来られた時の姿は鮮明に印象がある。PTAも試行錯誤の時代で親たちも金は出さぬが口は出すというわけで役員さんたちはよく会議に出て来られ彼の父親も熱心に発言されていた。夏の海浜学校にも参加して元気に旗振りをしておられた。長男であるNかわいさ故の献身であったろうが所属している労働組合では勿論リーダーで組織づくりにはなくてはならぬ熱と力を持った人だいうことは聞いていた。
 晩年は糖尿病を患い、床についておられたとも聞いた。Nが教師になったことを喜んでおられたか、又Nが親を安心させるような教師になっていたのか、それも三十二年の中のことで一切が分からなかった。

 そういうNがあと二時間近くで私の目の前に出現するというのだ。私は絵筆を持ってはいたが集中はちっともできなかった。描けた作品への指導、批評もうわの空で道具をしまい、教室の友達にも別れて玄関ホールに出て行った。
 
 ホールは市の少年少女合唱団のコーラス練習が終わったところでハーモニーの余韻がまだ残っていたし、子どもたちを車で迎えに来た親たちで温かいひとときが醸され、生活や家庭があるということのしあわせ部分を演奏していた。陽は西にまわってステンドグラスではないけれど、高窓からは美しい光が振り込んでいた。
 このさくらホールはまだ新しいのに、土地柄まわりの木々はよく育って、窓から見るそれらの木は土曜日の楽しさをうたうかのように葉裏を見せ、特別めだちたがりやの葉々は特に輝いて生き生きしていて、初夏のさわやかな風に甘えていた。
 私も妙な甘さを感じ、四時のこの光の中にこの風景をいつまでも見ていたいと思っていた。そして背もたれの無いクッションの良い腰掛けにすわって、すこしうっとりとしていた。ふと気が付くとほんの暫くのうちにホールはすっかり静かになっていて人影はなく、動くものとしては管理人室に細身の男が一人いるのが見えるだけであった。
 
 彼は来るのかすこし不安になった。四時二十分である。玄関近くに二人の人影が見えた。私は立って出て行ったが、年格好はそうでもいずれもNとは違うと思えた。いくら三十年余り見ぬといっても見れば分かるという自信があった。
 私は又ホールへ戻って文庫本を取り出して頭に入らぬ活字を追っていた。知らないうちにどこから入ってきたのかピアノを弾き出した女の人があり、それが合唱団の夕方からの伴奏者らしかったので安心して喫茶店のBGMのようないい感じ・・・と思ってなおも本に目を落としていた。

  「お待たせしました。」
と声がした。さわやかな男らしい声であった。
  私はとてもうれしかった。こんな男性から(今日会いたい)と言ってもらえて本当にしあわせと思える男であった。
「すぐわかった?」
愚問である。一人しかいないのだからわからぬ筈はない。
「ああ、分かりました。やっぱり僕の思っていた通りの先生でした。」
と言ってひとりでうなづいた。

 昔もそういう癖があった。背筋がよく伸びて剣道と水泳が達者だそうだが、この上背で道場着を着、防具を付けたら相手はそれだけで威圧を感ずるだろうし、プールで抜き手をきればどんないかれた男子生徒でも尊敬の気持ちを起こすだろうなと思われるような颯爽とした雰囲気をもっていた。若さっていいなあー久しぶりにそれを感じた。
 木曽川の太田橋下を遊び場にし、まんなかのピーヤで一服し、向こう岸まで泳いで行き戻りした往年の横着坊主は、こういう男になったのかと感無量であった。

 十二才の少年が四十五才の年盛りの男になって出現するーなんと凄いことであろうか。どうしても描けなかった風貌、雰囲気、すべて今、解決した。しかも殆ど理想的な男性として、男性教師として。
 こういう変化がまさしく味わえるということは何とすばらしい事であろうか。羽化といおうか、変態といおうか、人間の成人化はとにかくすばらしい。平凡だけどやはり教師冥利に尽きるという感じであった。
 
 三十二年会わなかったという事がまたすばらしい事だったに違いない。しかし反対に彼の方からいえばどうだったのだろうか。(会いに行きます)と言ってくれた時には、僕の先生、という気持ちがよくも悪くもあったであろう。しかし三十九才の女教師が七十二才の老婆になっているという現実をなんと受け取ってくれたであろうか。
 人間の老いるという実態を何と見たであろうか、皺の意味とそこに内蔵された年月の重み、どんな現実も俗世間の生態として受け止め得る人間としての私を認めてくれたのであろうか。

  金華山のゴンドラは二台が山の中ですれ違ってほんの一瞬の出会いをし、一台はどんどん眺望の展開する山頂へ行き広い下界を見下ろす。一台は驚くような早さで下降し、地上駅に着く。ちょうどその通りの出会いと再開を今私たちは体験した訳なのだ。

 再会の感動でうわの空のことばでしか対応し得ない自分だったが、その中でこんな事を感じていた。会ってとても嬉しかったとは裏腹に、会わない方がよかったと思ったかも知れなかった。
 喫茶店などに行くよりはこのさわやかなホールで二人だけで話す方がこの得がたい今にはふさわしいと思って隅の安楽椅子に腰掛けたが彼の脚は長さが私の倍もあった。
 吹き抜けの高窓から降り降りていた緑色の光はいつしか柔らかな無色になって私たちの足下近くまで射し込んでいた。軽やかに弾かれていたピアノは気がつかぬうちに止んで居て、代わって二階のどこかに設置されたステレオから静かな低いしらべがかすかに流れていた。

 「親父ですか。親父の気持ちがすこし分かるようになった時は親父はもう床にいました。子どもの時の印象としては勤めと組合運動にばかり熱心で全然家におらなんだです。どこかへ連れてって貰ったと言う事は六年生の海浜学校の時と岐阜へ行った時くらいです。アッ! 岐阜駅前の果物屋で皿に盛ってある傷みバナナを買ってもらったんです。初めて食べたそのバナナがとてつもなくうまかったことを覚えています。
 労働組合運動が盛んな時でしたから自分たちの職場から職域代表の代議士を出そうとしてがんばっていたんですね。それで家族の事なんか眼中になかったのです。病床でかなりボケてからもその話をする時だけはことばも眼光もシャキッとして輝いていました。それ以外は若いのに本当に生ける屍と思えました。まだまだ、年齢は若かったですのにね。
 僕が結婚して金の工面もして二人の住む家を建て増しし、そこに住んで親とつかず離れずの生活をしようと思った時、親父は動けなくなったのです。そんで自分らが建てた部分を車椅子で動けるつくりにして親に譲りました。

 親父はしかし間もなく急逝しました。ええ、心不全という事でした。いつものように往診の先生が来られ、注射をうって帰られたのですが家へ着かれたか、着かれないくらいの時に様子が変わりました。ちょうど土曜の午後で僕はうちに居ました。医者を呼び戻す手配をして一所懸命蘇生をやりました。ええ、日赤の人命救助員の資格を持っていますから救命術は馴れています。
 でも、一所懸命やりながら脳の組織がいかれちまって長生きするよりも、このまま往生させてやった方が幸福かもしれないという気持ちがしきりにかすめ、人工呼吸をやり乍ら何とか助けたいという気持ちと、否このまま・・・という気持ちのせめぎ合いをすごく感じていました。医者が戻ってきて慌てて手当をしてくれましが結局だめで、あっけなく父は逝きました。
 死のために残された方法の中で母も僕も弟も居た日に、もっとも短い苦痛の裡に死ねたということは父のために一番よい道だったかも知れないけれど、僕は今話した気持ちで最期の父に対応していた事だけが後悔です。その時の僕を今も憎んでいます。」
 沈黙がすこし流れ、彼は煙草を一本吸った。

 「僕、妹も亡くしたのです。先生もご存じでしょう、S子です。しあわせ一杯の若妻でしたのに生後八ヶ月の乳飲み子を残してです。これも心不全でした。医者は何でも心不全で片付けるのですね。もっとも最期は誰でも心停止でしょうけど。
 この時ばかりは僕も大きなショックで、こんな事があっていいものか、神も仏もあるものかと思って自分を見失いました。初めて般若心経を読誦し、読経に没入することでやっと落ち着きを取り戻しました。お経は自己暗示、一種の催眠療法ですね。それから般若心経の研究もしました。でも分かったことは一切は空という事でした。先生、そうですね。どう思われますか?」

 彼はかすかに笑った。陰影の深い顔は鬱屈した思いを吐きだしたせいか柔らかだったし、しゃべってからはほんのすこし顔を右に傾ける癖は少年の時のままだと思え、いとしいと思う気持ちが高まってきた。そして曖昧な相づちを打って心では自分が愛した肉親たちの死を反芻していた。
 宗教という麻薬に浸からなくてはとても耐えていけなかった時代、そして諦観ということばの中で、生きる事への執念さえ捨てて逝った者たちの暗かった時代を思った。

  ふと気づくと玄関で小さい女の子が二人遊んでいるらしく黄色いワンピースが見え隠れしていて蝶蝶のように思えた。それに触発されたかのように彼は自分の研究の歩みを話し出した。
 五、六年生の時に作文を書き乍ら少年の眼を研ぎ澄ましていった影響で国語教師となり、作文教育を研究したこと、教育現場で行き詰まって又大学院へ戻り心理学と催眠学の勉強に没頭したこと、文部省の道徳指導書に見る矛盾点と自己の対応について論文を書いた事など次から次へと堰が切れたように彼は話した。
 最終的には大学院研究室ですばらしいM教授との出会いを得て自分を見つめ直した事で心の安定を得て、今の教育現場へ戻った事などを聞いた。

 いつしか二時間近く経っていた、私はまだ聞きたいことがあったが、もういいと思った。そよぎ乍らも揉み苦茶になってしまわずに、傷つき乍らちゃんと葦は立っている。そして教師をしている。これ以上何を聞くことがあろうか・・・。

 彼は
「帰りましょうか? 送ります。」
と言ってくれた。助手席に座った私に
「僕、煙草はのむけど酒はやりませんでね、車については安心してください。でも酒をやらないことで自分を保ってきました。一緒に飲んでしまったら、きっと行き着くところへ行ったでしょうね。男仲間ですから。」
これはおもにNの処世について思想的な不安を持っている私への安心をさせる一言であったろう。大胆に前を自転車で横切る少女のスカートが風で巻き上がった。

 彼は
「中学校でねえ、先生、(彼はとても素直な声で先生と言った)僕、娘たちに、大きくなっておしゃれするのもいいけど品のええ女性になれよ、と言っとるんです。子どもたちが、品がええ女性ってどうするとなれる? って聞きます。僕は、あんなあ公民館へ行って立ってくる時に椅子をちょっと直したり、トイレへ行って済んだらスリッパを次の人のために揃えてくる、そういう事やっとると段々品のいい顔になるんじゃ、と言ってやります。子どもたちは、分からーん、と言って変な顔をしています。」
と言って明るく笑った。
 この事一つだけでもNに会えた事が本当に嬉しかった。

 いつか家の前の団地の入り口に着いていた。私の家は国道を隔てて向こう側に見える庭の奥である。車を止めた彼は先に降りてドアを開けてくれた。そして
「先生、もう一つ忘れとったけど、五年六年の時、県の作文コンクールで貰った優秀賞のトロフィー二つはまだ大事にしています。賞品のシャープペンシルは妹に貸してやって結局とられてしまいましたけれど。今この事を思い出しました。」
と言った。
私は
「そう。」
とだけ言った。

国道を横切らせようと車の往来を見澄まし乍ら彼は
「これ、持っていってください。」
とカラジュームの大鉢を持たせてくれた。淡いピンクのレース模様の紙と同色のリボンでラッピングがしてあった。

「どうもありがとう。ほんとうにいい日でした。」
「僕もです。先生、元気でね。」
 私は軽く肩を叩かれて彼に背を向け国道を横切って庭の奥へ歩き乍ら背中にいつまでも彼の視線を感じていた。
 それはまさに渡し守の視線であった。

(完)

2018年12月20日木曜日

SAM催眠学序説 その120


霊夢の予告が現実化し魂の存在が示された二つの事例

 

1 植物状態の老婦人が死の直前に自分の死亡予告に訪れたという夢の事例

2 母の霊が存在を示すために夢で告知しそれが同時に実行されたという事例 


今回は、厳密な科学的検証はできませんが、夢で告げられた予告内容が現実に起こったことが検証され、魂(霊)の存在やその死後存続が示された正夢であったと言うべき、稀で不思議な霊夢現象2事例を紹介します。

ただし、2事例ともに事例提供者の見た霊夢という「意識現象の事実」の、記憶の細部に曖昧さが残るとしても、嘘や作為はないという前提と、意識現象である霊夢そのものの事実の客観的な真偽は、科学的な検証ができない、という限界を認めたうえでの事例です。
わたしは、霊夢の些細な点に正確であるより、重要な事象について確実なことのほうが意味があるという立場をとっています。

お二人の事例報告者の、重要な事象については嘘がないとする誠実な人間性に信頼を寄せるという前提です。

こうした前提と限界を認めたうえで、つまり事例報告内容に、嘘や作為がない事実だとすれば、ここに紹介する霊夢2事例が、現行唯物論科学では説明不可能だろうというのが、反唯物論の立場から「SAM催眠学」の諸仮説を提唱し探究している、わたしの問題意識です。

そして、お二人の事例報告者は、わたしが霊的存在を、SAM前世療法であらわれる「意識現象の事実」として認めていることを承知のうえで、お話してくださったと思っています。
もちろん、お二人とも語った内容を、わたしが公開するという前提でお話しになったわけではありません。
 
1事例目は、「心・脳一元論」を否定し、「心・脳二元論」を認めざるをえない、という霊夢です。

2事例目は、死によってすべてが無に帰する(帰無仮説)を否定し、「霊(魂)の死後存続仮説」を認めざるをえない、という霊夢です。

両事例の共通点は、霊夢を見た当人と、霊夢に現れた当事者との間に、深い信頼関係および愛情関係がある、ということがいえると思います。

1事例目は、本ブログの読者で、特別養護老人ホームの介護職の女性(仮名「鈴木知子」さん)からのメールです。
わたしとは面識は一切ない方からいただいたメールの紹介です。
「心・脳二元論」を認めざるをえない、という霊夢の事例です。
この事例を「鈴木知子さんの霊夢事例」としておきます。
鈴木知子さんの人柄については、文面からその誠実さが読み取れると思います。
仮名という条件でメール全文の掲載許可をいただきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(掲載はじめ)
はじめまして、鈴木知子と申します。
ダイレクト・メールをお許し下さいませ。(注:以下ゴチック部分は稲垣の加工)

私は2006年の放送でアンビリバボーを観て稲垣さんの事を知りました。
またビデオデッキに放送を録画して思い出しては、チョコチョコ観ておりました。
しかし今はその録画したテープもどこにいったか分からなくなり、久しぶりに思い出して観てみたいなと感じ、You tubeを検索したら見つかりました。
また稲垣さんが登録をしているのを見つけ、セッション1から7(終了)まで全部観ました。

私は第1回目の放送(注:2006年放送)しか、知りませんでした。
またその後も2回目の放送(注:2010年放送)があったとは知りませんでした。
しかし稲垣さんがYou tubeに登録されていたので、全部観させて頂きました。またブログも、つい最近までのを拝見させて頂きました。

私の頭の中では納得のいく内容でした。
また私自身、確信できました。
また確信ができたというのは、ある体験があったからです。

私の仕事は、老人介護の仕事をしており特別養護老人ホームで働いていました。
現在は部署が違いますが、当時は特別養護老人ホームでこんな体験があったのです。

その体験は、2010年の11月に入った頃です。

私が担当している利用者(老人の女性)の方に、食事の世話をしておりました。
また、その利用者は、認知症が酷く、常に日ごろから食事中は喋りっぱなしだったり、口をつむったままの状態だったり、頭を掻いたり、背中を掻いたりなど、食事が全然進まない方でした。

ところが、その利用者の方が、食事を喉に詰まらせ、表情も身体も硬直し、声をかけても身体を揺すっても応答がないのです。
慌てて看護師を呼んで、直ぐに診てもらいました。

命は助かったものの植物人間のようになってしまったのです。

また丁度その日は、その利用者の親族関係者を施設にお呼びし、胃ろう経管栄養にするかどうかを施設長と看護長が集まって会議をされておられました。
会議の結果は、胃ろう経管栄養にはしない、ということになりました。
私にとっては悲劇が二つ重なった状態であり、悔しさと後悔がどっと押し寄せ、涙が止まりませんでした。

その後五日経ち、寝ているときにこんな夢をみたのです。

ちょっと鈴木さん、私がわかりますか? 山内です(利用者の苗字です)」

夢の中で山内さんが現れたのです。
そして山内さんが言うのです

鈴木さん、いっぱいご迷惑をかけ、悪いことしましたね。
そんなに悲しまないで下さい。
いままでありがとうございました。 

腹が立つ事がいっぱいあったでしょうが、一生懸命面倒をみていただいてありがとうございます。鈴木さんが、私がいうことを聞かなくて怒ったり、無理やり口をこじ開けて食べさしたりと、一生懸命みていただいたこと感謝しております。

でもね、私の身体と精神は全くいうことがききません。

しかし、魂は別のものです。

魂の私は、とても理解しております。


あなたが必死で私をみていた事も解っていますし、感謝してます。
だから、悲しまないでください。

じゃあ、私は逝きます。

そういって消えて行きました。

その後、目が覚め、窓をみると朝になっていました。
そして山内さんの事を思い出しながら出勤すると亡くなられておられました

こんな体験が私にはあり、介護の仕事に対して、認知症だからといってご利用者の方を馬鹿にしたり怒ったりすることはなくなりました。

稲垣さんがおこなっているSAM前世療法は、どても素晴らしいものと私は思っております。
世の中には、信じることの出来ない方がおられますが、私は、稲垣さんがおこなっている治療法は信じられるものと思っています。

これからも頑張って探究し続けて下さい。
それでは、失礼いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(掲載おわり) 
ところで、上記鈴木知子さんのメール内容の霊夢現象については、「SAM催眠学序説その85」のコメントで、ハンドルネーム「あ」さんから、次のような、唯物論医学によるまことにもっともで常識的反論があります。(注:ゴチック部分は稲垣の加工)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハンドルネーム「あ」 さんのコメント

病気や怪我などの様々な原因で脳が損傷する事により、時には高次脳機能障害と呼ばれる、精神活動(記憶、知覚、認識、思考、性格、etc.)における機能的障害が発生する場合がある事が知られています。
【参考URL】
 高次脳機能障害若者の会「ハイリハ東京」>「ハイリハ東京」入口>2.高次脳機能障害の実態(症状の説明)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7001/dainou/koujino-shoujo.html
又、アルツハイマー型認知症は脳組織の一部の異状によって起きる疾患ですが、その症状として記憶障害や言語障害が現れる事からも明らかなように、脳の機能が失わればものを覚えたり、思い出したりする事は出来ませんから、脳髄がなければ新たにものを覚える事も無いという事になります。
脳髄の一部が損傷しただけで、精神活動を行うために必要となる機能に障害が発生して、精神活動の一部が機能しなくなるのであれば、脳髄がなければ精神や人格は存在しないとするのが自然です。
又、脳の損傷によって植物状態になる場合がある事が知られており、植物状態の人間の大半には意識がありませんから、脳が無ければ意識を保つ事は出来ないと考えられます。何も感じず、何かを認識する事も無く、何も思い出せず、新たに何かを憶える事も無く、何も考えない、その様な状態を精神や意識が存在していると呼べるとは思えません。

もし、意識は脳にないという説が正しいと仮定しますと、人は(肉体の一部である)脳が無くとも精神活動が継続出来るという事になりますから、脳の一部が損傷しても精神活動に影響が及ぶ事は無いで、現実に高次脳機能障害という現象が存在している事の説明が付かなくなります。

意識は脳にないという説が正しいと仮定してしまうと説明が付かない現象が現実に存在している事が確認されている以上、意識は脳にないという説は誤りだと考えられます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おそらく、メールをくださった鈴木知子さんも、かつては上記「あ」さんと同様な唯物論医学による常識的思い込みによって、認知症の老人介護のお仕事をしておいでになっただろうと思われます。
そうした思い込みを完全に覆した強烈な体験が、霊夢体験だったと推測できます。

さて、上記「あ」さんの、「心は脳の付随現象である(心・脳の一元論)」とするコメントが正しいとすると、鈴木知子さんのメール内容である霊夢の死亡予告は、錯覚ないし幻覚の類いの産物である以外のなにものでもないことになります。
あるいは、よくできた創作か。
介護している老婦人の、植物状態に陥ったことへの悔しさと後悔が、死亡予告の霊夢現象を見させ、それがたまたま現実化した、という偶然の一致という唯物論的解釈もできるでしょう。


しかし、霊夢から目覚めた朝には、リアルな霊夢の死亡予告が、現実化していた事実に間違いがあるとは思われません。

こうして、脳の機能障害によって認知症がひどく、そのうえに植物状態に陥り、意識や精神活動をまったく喪失しているはずの人が、起こし得ることが絶対できないはずの「霊夢による死亡予告現象」と、「意識は脳の付随現象」であるから「脳の損傷が生じれば、その付随現象である意識も喪失するはずだ」とする立場とは、真っ向から対立することになります。


しかし、意識と脳は密接な「対応関係」にあるが、それがそのまま脳が意識を生み出しているという「因果関係」を証明していることにはならない。したがって、意識の受信機能(受け皿機能)を担う脳の、加齢による劣化、病変、薬物などの影響などによって、意識を正常に受信できない機能障害(異常事態)が生じる。そうした意識と脳の「対応関係」の異常が、認知症、アルツハイマー病、植物様状態として、見かけ上「因果関係」のごとく観察される、しかし、意識と脳は本来別物であるので、脳の損傷が、そのまま意識そのものの損傷になっているわけではない、という「心・脳二元論仮説」による説明もまた、成り立つと思われます。
こうした「心・脳二元論仮説」によらなければ、鈴木さんの見た霊夢現象は説明できないからです。


「心・脳 一元論」、すなわち、心(意識)は脳の付随現象であり、肝心の脳が正常機能を停止すれば、脳の付随現象である意識や精神活動も、すべて錯乱・停止・喪失されてしまう、という言説は、科学的手続きによってけっして実証されているわけではなく、言動や脳の映像などに現れている異常状態の観察によって、見かけ上そう考えられる、そのように見做すことができる、という憶説にすぎません。
つまり、脳以外のところに意識があるはずがないという主張は、現行の科学的知識をもとに、論理を展開するという哲学的論証による以外に、証明することはできないのです。


つまり、「心・脳 一元論」、「心は脳の付随現象仮説」は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって検証・証明されているわけではないのです。
いったい、どのような手続きをすれば科学的検証や証明ができるのでしょうか。
したがって、これまでの世界中の多くの大脳生理学者の研究によっても、脳が心(意識)を生み出している、という科学的実証は、いまだにできていないのです。

意識は脳にないという説は誤りだとする「あ」さんの論理展開は、心と脳の「対応関係」を「因果関係」だと思い込み、その結果、脳が心(意識)を生み出している、といういまだ科学的実証のない憶説である「心・脳 一元論」に基づいて、一方的に断定的に論じる、という恣意的推論による認知の誤りです。

したがって、「あ」さんの論証は、そのまま、「意識現象のすべては脳が生み出しているという説が正しいと仮定してしまうと説明が付かない現象(霊夢現象)が現実に存在している事が確認されている以上、意識はすべて脳の活動によるものでしかない、という断言は誤りだと考えられます」と言い換えることになります。

そうでないとすれば、「あ」さんは、「心・脳一元論」に対する強力な反証である鈴木知子さんの霊夢を、「心・脳 一元論」でいったいどのように説明できるのでしょうか? 
脳の未発見の領域の機能によるものだ、というような説明にならない逃げの言い訳で自己満足するしかないでしょう。
これでは到底説明とはいえず、「実は分からない」と言っているに過ぎません。
あるいは創作だ、偶然の一致だとして霊夢を無視するか。


臨死体験によって、魂と思われる意識体が体外離脱し、意識体が見聞した体験が報告される、という事例が数多くありますが、「あ」さんの論によれば、肉体(脳)を持たない意識体(魂)に、感覚器官があるはずがないわけで、見聞した報告はすべて錯覚・妄想ということになります。
しかし、臨死体験中(医学的に脳機能の停止中と判断できる事態) に見聞したという報告内容を検証した結果、見聞内容が事実と一致したという無視できない以下のような事例があるのです。

6 146RT 26コメント 【衝撃真実】死後の世界は存在した!脳神経外科の世界的権威エベン・アレクサンダー医師や東大救命医らが死後の世界を認める!

こうした脳機能停止中の現象を「心・脳 一元論」で説明できるでしょうか?
ただし、体外離脱現象がほんとうに起きていたのか、脳内現象であるのかについては、いまだ臨死体験研究学会においても、科学的決着がついているわけではありません。


ちなみに、大脳生理学の実績でノーベル賞受賞の研究者数名(エックルズ、ペンフィード、スペリーなど)が、脳の実験研究の結果、「心・脳 一元論」の立場から「心・脳 二元論」へと立場を変更するに至っています。

また、わたしの敬愛する九州大名誉教授であり世界的催眠学者の成瀬悟策医博も、晩年の教育催眠学会の講演で、「脳の病変によって動かないとされていた脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし脳の病変はそのままです。こうしたことから、身体を動かすのは、脳ではなく『おれ』であることにやっと気づきました。脳は心の家来です。私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」と、催眠臨床の立場から「心・脳二元論」に至ったことを表明されています。

催眠暗示を受け入れた潜在意識(心)の脳への働きかけによって、痛覚麻痺などの脳の認知の変性状態を引き起こすと考えられる知覚催眠現象を、「脳は心の家来です」という考え方(心・脳二元論)で説明できることは、催眠臨床における体験的、実証的事実として、わたしは実感として受け入れることができます。


脳と心の関係についてのこれまでの研究史や、詳細な科学的考察については、超心理学者笠原敏雄氏のHP「心の研究室」脳と心の関係をお読みください。 

また、意識(魂)の死後存続の科学的諸見解ついては、以下の記事をお読みください。

【ガチ科学】「死後の世界」が存在することが量子論で判明! 米有名科学者「脳は意識の受け皿にすぎない」

死後の世界、超能力、スピを科学する定義「ポスト物質主義科学18条」とは? 大学教授が提示!

 わたしの提唱している「SAM催眠学」では、「心・脳二元論仮説」の立場を明確にしていますから、鈴木知子さんの霊夢は「意識現象の事実」として認めますし、何よりも霊夢の翌朝に、霊夢に現れた山内さんの「じゃあ、私は逝きます」という死亡予告が、翌朝に現実に起こっていたことで、鈴木知子さんの見た霊夢が正夢であった証明になっていると思われます。

霊夢で「私の身体と精神は全くいうことがききません。しかし、魂は別のものです。魂の私は、とても理解しております」と山内さんは霊夢の中で述べていますから、おそらく山内さんの死亡直前の魂は、体外離脱によって、あるいはテレパシーによって、お世話になった鈴木知子さんの霊体に働きかけ、霊夢現象を起こしたのではないか、というのが「SAM催眠学」の「霊体仮説(霊体に意識・潜在意識が宿っている)」による解釈です。

こうして、鈴木さんは、霊夢の結果、こんな体験が私にはあり、介護の仕事に対して、認知症だからといってご利用者の方を馬鹿にしたり怒ったりすることはなくなりました」と述べています。

わたしも88歳であった母を老衰で3年前の夏の終わりに亡くしています。
意識が朦朧となり、血管からの栄養点滴もできなくなった時点で、胃ろう手術で延命を図るかどうかを担当医師と協議した結果、意識の回復見込みの期待はできないだろうという診断を受け入れ、胃ろう手術による延命を断念し、老衰による自然死を選択しました。
死亡までの70日間、わたしは毎日病院に通い、意識のほんどない母親に5分間の語りかけを欠かさず続けました。
母の死亡は深夜でしたが、連絡を受けて駆けつけたわたしの目に映った母の死に顔は、眠っているように安らかで、苦しんだ様子はありませんでした。
ゼンマイ仕掛けの心臓のゼンマイが巻き戻り、コトンと動かなくなったような死に方であったと思われました。
ただし、母が霊夢に現れたことは一切ありませんでした。


さて、2事例目は、わたしのクライアントである田口美智子(仮名)さん49歳が語ってくれた、霊の死後存続を示すさらに強力な事例で、この事例は、霊夢の予告と予告どおりの現象の顕現化を偶然の一致では説明できないでしょう。

田口美智子さんの、素直で正直な人柄については、面接結果から保障できると思います。
以下は、田口美智子さんからの聴き取りメモをもとに、公開の許可を得て、再度メモ内容の正誤確認をし、語られた事実を再現したものです。

田口美智子さんの母親は急性白血病を発症し、医師から余命20日と告知され、苦痛を緩和するために鎮痛薬を注射するが、そのあと昏睡状態のままで死亡するだろうから、意識が鮮明な今のうちに話をしておくようにと言われたそうです。
 母親にはそうした余命告知は伏せて、彼女は母親と次のような約束をしたそうです。

美智子さんは死後の世界があることは信じているが、確信したいのでお母さんが亡くなったあと、死後も霊として生き続けていることを、何とか早く娘の私に知らせてほしい、という約束です。

お母さんも、迫り来る死期を覚悟していたらしく、このことを確約してくれたそうです。
果たして、この約束後数日して、昏睡状態のままお母さんは亡くなりました。

美智子さんは、お母さんがきっと約束を果たしてくれるだろうと思い、身の回りに注意して、お母さんの霊からの知らせ現象を待っていましたが、夢や霊的現象は、何も起きないままに49日間が経過しました。
その49日目(50日目に入った深夜)の夜午前2時ころに、お母さんが夢に現れて、次のようなことを告げました。

私が、あんたに死後も霊として生きていることを知らせようと、この部屋のカーテンを何度も揺らしたり、蛍光灯の点灯用の紐を揺らしたりしているが、ちっとも気づいてくれない。

あんたの肩を持って揺らして知らせたいけども、体のない私にはそんな力はないのよ。

それで、今、力をふり絞って、台所の棚に伏せてある鍋を鳴らして知らせているからね。

さあ、これで、私はもういくからね。

 このお母さんの霊夢を見た直後に美智子さんは、はっと目が覚めたそうで、時計を見ると午前2時少し過ぎでした。
霊夢の鍋を鳴らしているという夢の告知を確認をするために、すぐに階下の台所へ降りてみました。
なんと台所には、ご主人と祖父の二人が、暗いなかで耳をすませてじっとたたずんでいました。

台所のあたりで、何かがカタカタ揺れて鳴っている金属音で二人ともに目を覚まし、ネズミでもいるのかと思って階下の台所へ様子を見にきたということでした。

台所の金属製パイプの棚に、逆さに伏せてある直径25㎝ほどの鍋は、逆さに伏せてあったので、取っ手の部分が少し浮いており不安定な状態ですが、人が歩く程度の振動ではカタカタ鳴ったことはこれまで一度もなかったそうです。

台所の窓は閉め切ってあり、風で鍋が動くはずはなく、鍋の鳴る音はてっきりネズミのいたずらだろうと、親子二人で耳を澄ませ、揺れる鍋の音を聞いていたということです。

ご主人と祖父の二人は、美智子さんが階下に降りていく直前までは、鍋が揺れており、カタカタ鳴っている音を確かに見聞したそうですが、美智子さんが台所に来た直後に音は止み、その後は鍋の音が一切しなくなったということです。
したがって、美智子さん自身は、鍋の鳴っている音を聞くことはできなかったそうです。
ご主人と祖父に、霊夢のことを話すと、「そういうことが本当にあるんやなあ」と呆然として驚くばかりでした。

ちなみに、ご主人も祖父も、こうした霊の存在などに興味・関心はまったくなく、唯物論者といってよい考え方の強い人だと美智子さんは語っています。
だからこそ、母親の霊は、自分の死後存続を示すために、二人の唯物論的人間を証人に立て、「ラップ音現象(ポルターガイスト現象)」を起こしたことの客観性を担保しようとしたのではないか、と美智子さんは思ったそうです。

その後、お母さんが夢に出てくることも、鍋の音も一切なくなったということです。
この体験によって美智子さんが、霊(魂)の死後存続を確信したことは言うまでもありません。

この「田口美智子さんの霊夢事例」は、死ねばすべては無に帰する、という「帰無仮説」を真っ向から否定し、「魂(霊)の死後存続仮説」を強力に支持しています。

しかも、霊夢を見させたお母さんの霊は、霊夢を見させることと同時進行で、鍋を揺らして鳴らすという「ラップ音現象(ポルターガイスト現象)」も起こしてみせるという離れ技をやってのけ、生前の約束どおり、自分の霊(魂)が死後存続していることを、二人の証人とともに娘美智子さんに確かに証明してみせたということになります。
 
この霊夢と霊夢の予告どおりのラップ音現象(ポルターガイスト現象)の一致を、硬直した唯物論者は、おそらく偶然の一致として片付けるでしょうが、それではあまりにもご都合主義に過ぎるでしょう。
あるいは、唯物論に反する不都合な現象として、創作に違いないだろうと断定し無視するかでしょう。


わたしは寡聞にして霊が夢で告知し、それと同時に告知したとおりのラップ音現象(ポルターガイスト現象)を示し起こしたという事例を、ほかには知りません。

単なる霊夢ではなく、霊夢での告知内容が、翌朝あるいは直後に現実として起きたという証明のある霊夢事例、すなわち「心・脳の二元論仮説」および「魂(霊)の死後存続仮説」を強力に支持するような証明のともなう霊夢現象は、そう多くはないだろうと推測しています。

ちなみに海外では、霊姿やテレパシーによる類似的4事例の伝聞による詳細な紹介が、イアン・スティーヴンソンによって報告されています。(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.27-44)
スティーヴンソンも、こうした事例の共通項は、親密な愛情関係にあった者どうしの間に起きていることを指摘しています。

ここにわたしの紹介した霊夢2事例、スティーヴンソンの紹介している4事例など、魂と呼ばれる意識体が、死後存続をしていることを示す類似の諸事例は、世界各地で、古来より、少なからず起こっていると思われます。
だからこそ、唯物論科学全盛の今日でも、唯物論に反する「魂の死後存続」を、「宗教的観念としての信仰」とは関係なく、「体験としての実証的事実」として認め、語り継ぐ人々が、連綿として後を絶たないのだと思われます。


わたしがここに紹介した霊夢2事例の公開目的の第一義は、「魂(霊)の死後存続」を示唆するできる限りの客観的情報を示すことにあり、わたしが紹介した2事例の霊的存在を示す情報の解釈について、考えられる限りの可能性のすべてを厳密に検討され、霊的存在の真偽について、死後存続の真偽について、得心のいく自分なりの妥当な結論に到達していただくことにあります。

読者のみなさんのなかで、ご自身の体験、あるいは伝聞の体験で、ここに紹介したような類似の事例をご存じの方は、どうぞコメントをお寄せください。

また、紹介事例への疑問や反論、感想もどうぞ遠慮なくお寄せください。

ただし、紹介した事例のお二人の人間性を、誹謗・中傷するような悪意が疑われるコメントはお断りします。

最後に報告です。
「その118」で紹介した先天性皮膚疾患の治癒事例ですが、今年4月1日のセッション後9ヶ月の経過した12月22日現在、皮膚疾患は完全に消失していることを、ご本人と面会して目認 しました。
ただし、11月下旬にぶり返しの兆候があったそうですが、まもなく治まって12月22日現在では完全に消失していることが確認できました。

また、2019年1月3日現在の本ブログへの総アクセス数は、154,185に達しました。
けっして読みやすくなかっただろうわたしの長文の記事を、これまで辛抱強くお読みくださったことにあつく感謝いたします。

今年2019年は、経済至上主義一辺倒の資本主義体制の弊害である不公正や歪みが、さらに露わになり、動揺と混乱と不公平感や閉塞観が広がり、それにともなって、これまで支配的であった唯物論信仰による、価値観・世界観・人生観などに、懐疑と変革の兆しが、少なからずあらわれるてくるような始まりの年になる予感がします。
そうした混迷を深めていく状況の中で、よりよく生き抜く人生の精神的指針として、生まれ変わりと魂の存在を、科学的に実証しようとする本ブログが、ささやかな一助となれるように願っています。

わたしは今年も、簡素で、スリムで、自給的で、喜びを中心にした生活を送ることを心がけたいと思います。

読者のみなさんも、2019年が、まずは健康で、安全で、平和でありますように、心よりお祈りいたします。

2018年11月14日水曜日

SAM催眠学序説 その119

 顕現化した「インナーチャイルド人格」との対話                                   見做し人格インナーチャイルドとのセッション逐語録                                       

 ここに紹介するのは、「インナーチャイルド」と呼ばれている、「クライアントの大人の人格に内在していながら、成長から取り残された別人格である子どもの人格」との対話の逐語録です。

インターネットで インナーチャイルドを検索しても、明確な定義をしているサイトはないようです。
「自分の中にいる傷ついた小さな頃の自分」「子どもの頃の記憶や感情」というおおざっぱで曖昧な言い方でまとめるしかないようです。
ちなみに、『心理臨床大事典』培風館,1999、『精神分析事典』新曜社,1995を検索しても、「インナーチャイルド」の項は出てきません。明確な定義がないということです。
したがって、「インナーチャイルド」は、アカデミズムで認められている心理学用語ではないようです。

インナーチャイルド療法遂行のうえで肝心なことは、小さな頃に傷ついた「記憶感情などの総体であるのか、傷ついて苦しんでいる小さな頃の「人格そのものであるのかが、はっきり定義されていることです。

療法の対象であるものの定義に基づいて作業仮説が構築され、その仮説によって採用する適切な技法が選択されてこそ、みのりある改善効果を見込むことができると考えるのがSAM前世療法の常道です。

SAM催眠学では、これまでの催眠臨床で確認されてきた「意識現象の事実」の累積にもとづき、SAM前世療法において、療法の対象とする「インナーチャイルド」を次のように明確な定義をしています。                         

インナーチャイルドとは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」である。

こうした悲哀を抱えているインナーチャイルドの存在は、成長し大人になっている人格がそれを直視して生きることの苦痛のために、大人の人格の潜在意識下に抑圧され、内在していると考えられます。
したがって、顕在意識下ではインナーチャイルドの存在が、はっきり自覚されることはなく、深い催眠状態に至って、つまり潜在意識の蓋を開けないと顕現化しないということになります。

また、悲哀を抱えている幼子が、成長することを拒否し、成長していく人格から分離し、自らの意志でインナーチャイルドになることを選択したとは考えられません。
そのような悲哀の苦痛を抱えたままの状態で、自ら成長することを拒否し、インナーチャイルドとなって留まることに合理的理由がないからです。


こうして、SAM前世療法においては、療法の対象とするインナーチャイルドを、成長し「大人となった人格」に内在しているが、別人格として振る舞っている、傷ついた「子どもの人格」だと見做して対処しようとします。

したがって、インナーチャイルド人格は、どこまでもセッションをおこなうための仮定としての「見做し人格」であり、「作業仮説」上の仮定の存在です。

そして、仮定としての「傷ついたまま取り残されているインナーチャイルド」を癒やし、本来一つであるべき「成長している大人の人格」に統合することをセッションの目的とします。
その結果、インナーチャイルドによって引き起こされている不都合な心理的諸症状が改善される、というのがSAM催眠学による「インナーチャイルド療法」の治癒仮説です。

こうした作業仮説によっておこなった「インナーチャイルド療法」は、まだ6事例でしかありませんが、症状の改善にすべて成功しています。

そしてまた、先に提示したような、インナーチャイルドを、明確に「人格」(正しくは人格の属性を帯びた意識体)として定義し、こうした作業仮説に基づくインナーチャイルド療法を、私は他に知りません。

インナーチャイルドは、解離性同一性障害(多重人格)における副人格的存在とも言えますが、インナーチャイルド人格を、主人格が創出した架空の人格であるとは考えません。

さて、私あて第8霊信(2007年1月20日1:01受信)は次のように告げています。

あなたは、すべては『意識』であると理解していた。ことばとしての『意識』をあなたは理解している。だが、その本質はまだ理解には及んではいない。あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる

この霊信から10年を経て、私は「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。

この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「未浄化霊」然り、「生き霊」然り、「インナーチャイルド」然りというわけです。
また、解離性同一性障害(多重人格)における「副人格」の存在も、「残留思念仮説」で説明可能であろうと考えています。
ただし、 解離性同一性障害における副人格と、主人格との間には意志の疎通(つながり)はない、とされています。
私の唯一の解離性同一性障害改善のセッションでもこのことは確認できました。
しかし、インナーチャイルドと現世人格との間には意志の疎通(つながり)があることが、ここに紹介するセッション逐語録では明らかになっています。
だからこそ、インナーチャイルドの悲哀と苦痛が現世人格に悪影響を生じさせることになると考えられます。

ここに紹介するクライアントA子さんはリピーターであり、最初のセッションで前世が存在しない、つまり、生まれ変わりをしていないことが分かっています。
これまでにA子さんのように、生まれ変わりをしていない魂の持ち主は、20人を越えています。
そのことがなぜ分かったのか。

私あて第17霊信(2007年1月28日23:50受信)によれば、

あなた(注:現世の稲垣)という存在も魂の側面(表層)の者であり、すべての側面(表層)の者は友であると理解しなさい」

と告げているので、これによれば、A子さんの魂表層には「現世の者」が必ず存在しており、現世の者には、魂表層に同居している友である、他の前世の者の存在が分かるはずだ、ということになります。

ところが、A子さんを魂の自覚状態まで誘導して、魂表層の前世の人格を呼び出そうとしても誰も顕現化せず、そこで魂表層に必ず存在している「現世の人格」を呼び出して尋ねたところ、「魂表層には前世の者はいない」と回答したというわけです。

さて、30代後半のA子さんの主訴は、原因がよくわからない自信の欠如と生きづらさ、そして、死にたくなるような深い抑鬱状態の改善でした。
抑鬱状態の直接のきっかけは、職場の人間関係のトラブルだろうが、もっと深いところに何か原因が潜んでいるような気がする、ということでした。

生まれ変わりをしていないので、A子さんの抑鬱状態に深いところで関わっている存在に「前世の者」は除外できます。
したがって、考えられる存在は、インナーチャイルド、あるいは生き霊、ご先祖の未浄化霊などです。

SAM催眠学では、インナーチャイルドは魂表層の「現世の者」に内在しているという仮説を立てています。
したがって、手続きとして、まずは魂の自覚状態まで誘導し、魂表層に存在している「現世の者」を呼び出します。
次に「現世の者」の「人格内部に存在(内在)しているインナーチャイルド」が、呼び出しに応じて顕現化しなければ、そうした存在はいないと判断します。

この、見学者1名同席のセッションは、音声記録が録音されていましたので、SAM催眠学研究の資料としてA子さんに公開許可をいただき、ここに逐語録を公開することができました。
A子さんにはあつくお礼申しあげます。

以下のセッション逐語録は、催眠誘導(魂遡行催眠)により「魂状態の自覚」まで到達確認後の対話です。

・・・・・・・・・・・・・・・・(セッション開始)
稲垣:じゃあ、いいですか。魂表層にはね、生まれ変わりをしていれば前世の者たちがいますが、あなたが、生まれ変わりをしてないということが分かっていますからね。でも、「現世の者」は必ずいるはずです。三つ数えたら現世の者出ておいでなさい。現世の者に尋ねたいことがありますからね。じゃあ三つ数えます。一つ、二つ、三つですよ。あなたは現世の者ですか?                       

A子:うん。うん。                              

稲垣:違うかな? どなたか憑依していらっしゃるの? 現世の者ですか?                                                       
A子:うん。                             
                            
稲垣:じゃあね、現世のあなたの中に、インナーチャイルドと言ってね、幼い頃のなにか深い悲しみがあって、その悲しみにとりつかれて、大人のあなたが分離してね、幼いままで今も生きていて、その苦しみを訴えているものがいるかもしれない。インナーチャイルドと呼んでいます。もしインナーチャイルドがいて、そして、そのインナーチャイルドが持っている苦しみを、大人になったあなたにね、訴えているとしたら、あなたの、何をやっても自信が持てないという状態を作り出している可能性があるので、ちょっとそれを調べます。三つ数えますよ。現世のあなたの中にね、インナーチャイルドが、もし、いるなら、出ておいでなさい。そして、自分の苦しみを語ってください。 三つ数えますからね。一つ、二つ、三つです。あなたは、インナーチャイルドと呼ばれている、幼い頃のA子さんですか? どうでしょう。                                                

A子:うん? ちがーう。                                   

稲垣:違います?                                   

A子:うーん。                                   

稲垣:違うの?                                   

A子:ちがーーーう。                                   

稲垣:なんか、おもしろくないね。                                   

A子:違うー。                                   

稲垣:違うの? あなたインナーチャイルドじゃないですか?                                   

A子:分からないーー。                                   

稲垣:分からない?                                   

A子:(幼い子供のような口調で)分かんない。                                   

稲垣:でもねあなたのね、今の口調はね、幼い頃のあなたのはずですよ。                                   
A子:分かんない。                                   

稲垣:あなたは、幼い時に、お母さんにどうしても認めてもらえないようなことで、苦しんでいるんじゃないですか?                             
                                  
A子:知らなーい。                                   

稲垣:えっ? 知らない。                                   

A子:はい。                                   

稲垣:でも悲しい思いをしているはずですよ。                                   

A子:よく分からない。                                   

稲垣:よく分からないの? でも、あなたがこうやって出てこられたということはね、本来なら成長してね、この大人のあなたと一つになっていないといかんのに、あなたは、成長していく、そういう現世の人格から切り離されてね、分離しちゃってるんですよ。で、一人ぼっちになっちゃってる。で、苦しいから訴え出る…。                                        

A子:うーうん、分かんない。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:分かんない。                                   

稲垣:分かんないでしょ。分からないということは、本当は自分のことが、そうやって苦しんでいることを、よく分かってないそういうことです。                            
                                     
A子:うーん。                                   

稲垣:でもあなたは、幼い頃のあなたですから、はっきり分かるでしょ。                                   
A子:お母さんのことも知らなーい。                                   

稲垣:お母さんのことも知らない?                                   

A子:なんにも知らなーい。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:なんにも知らない。                                   

稲垣:嘘でしょう。知らないふりをしているだけです。                                   

A子:知らなーい。                                   

稲垣:そんなことはありませんよ。あなたは多分、お母さんからね…  。                                   
A子:お母さん、知らない。                                   

稲垣:知らないはずがない。だって、あなたはお母さんから産まれているんだもん。あなたを産んだお母さんを知らないって、あなたはそうやって拒んでるだけです。お母さんをね認めることが嫌なんでしょ。                                   
                                     
A子:知らない。                                   

稲垣:でなかったら、知らないなんてどういうことですか。                                   

A子:うーん、なんにも知らない。                                   

稲垣:そういうことにして、お母さんから、認めてもらえないことをあなたはね、それを認めたくないということでしょう、きっと。違いますか? よーく考えてごらんなさい。

A子:分からない。                                     
                                   
稲垣:悲しいことですからね、お母さんから認めてもらえないってことは。                                   
A子:分からない。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:悲しいのも分からない。                                   

稲垣:分からないの? そうやってあなたは自分の心をね、麻痺させてね、そして、多分、悲しみに耐えてきたんだろうと思うよ。よーく考えてごらんなさい。                                
A子:なんにもない。   
                                 
稲垣:なんにも思わないの?                                   

A子:なんにもない。                                   

稲垣:なんにもない? なんにもなかったら、あなたが大人のあなたと分離してしまうはずがないでしょう。あなたはインナ-チャイルドになっちゃったんだから。                   
                                     
A子:知らなーい。                                   

稲垣:(笑いながら)自分がだれなのか、知らないことなんてないよ。                   
    
A子:分かんない。                                   

稲垣:分かんない? うん。でもあなたは大人になっていく、本体と言ったらいいのかな、大人になっていくあなたとは、別個になっちゃってるってことが分かりませんか? だからこうやって、私が呼びかけたから出て来たんですよ。                                                                       
A子:なんにも分かんない。                                   

稲垣:じゃあ分かるようにしましょうか。きっと分かるようになるよ。                                   
A子:(小さな声で何か話しているが聞き取れない)                                   

稲垣:じゃあ、いいですか。私があなたの額に手を当てます。ここは前頭葉と言われますよ。そこにはね、あなたの記憶がしっかりと幼い頃も含めて、蓄えられています。海馬という部分に蓄えられていると言われてますからね。これからゆっくり10勘定して、海馬  の記憶を… 。                                                                                                                                           
A子:やだ、やだ、やだ、やだ。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:やだ、やだ。                                   

稲垣:嫌じゃない。                                   

A子:やだ。                                   

稲垣:そうしないと、あなたは救われない。                                   

A子:(ぐずり始める)思い出したくなーい。やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ。(ずっとやだを言い続ける)                                
                                      
稲垣:嫌じゃないよ。やっぱりそれくらい思い出したくない、悲しみがあるんでしょ。

A子:やだ、やだ、やだ、やだ、あ-ーー。(苦しそう)                                   

稲垣:でもね、苦しいけどね。                                   

A子:(苦しいが声を出そうとしている)やだ、絶対やだー! やだ、やだ!                                   
稲垣:直面化と言いますよ。                                   

A子:(苦しそう)はあ、はあ、うーーーー。                                   

稲垣:じゃあ、そんなにね、体がね、じっとしていられないほど嫌なことなんでしょう。じゃあ、これだけ認めなさい。あなたは本当はお母さんに認めて欲しかったんでしょう。                                                                       
                                   
A子:(泣き出してきっぱりと)お母さん嫌だ! お母さん嫌だぁーーー。                                   
稲垣:嫌でしょ。その悲しみをあなたはね、あまりにも強かったんでね、成長していく自分からね、切り離されて苦しんでいるんですよ。(苦しそうな声がする)だからあなたは…。

A子:(叫ぶ)思い出したくないのに、もう! うーーー。はあ、はあ、はあ、はあ。           
稲垣:じゃあ、もう今日は、そういうことするのはやめよう。あなたが余りにも苦しいから。でも、あなたは癒される必要絶対ありますよね。                                   
                                     
A子:分かんない。                                   

稲垣:分かんないことない。だって、このままでいつまでもね、分離した状態でね…  。                                 
A子:やだ、やだ、なんにもやだー。                                   

稲垣:その苦しみを、大人のあなたに訴え出るから、大人のあなたはね、苦しんでいるんですよ。自信が持てなくて。その一番の原因は、あなたがね多分作っていると思うよ。     


A子:(弱々しく)知らない。                      
                                
稲垣:本当ならね娘だから、お母さんはあなたを可愛がってね、認めてくれないかんわけです。                      
                                   
稲垣:本当ならね娘だから、お母さんはあなたを可愛がってね、認めてくれないといかんわけですよ。それが多分なかったんだろうと思う。それを思い出したくないくらい辛い思いだからね、そんなこと無かったことにして、今まであなたは、誤魔化してきたんです。でも、誤魔化しきれないから、苦しみはね、大人になっているあなたに伝え続けたはずですよ。 一人で寂しいから。本来あなたは、大人の自分と一つにならないといかんのです。                                  

A子:(悲しそうな小さな声)分かんない。                                   

稲垣:分かんないことはない。そうに決まっていると私は思っているよ。大人の自分と一つになるためには、あなたが癒されないといかんの。ね、癒して欲しいでしょう。           


A子:(悲しそうな小さな声)分かんない。             

稲垣:分かんない? ま、すべて分かんないで誤魔化しちゃ駄目よ。                                   
A子:(悲しそうな小さな声)でも分からない。                                   

稲垣:私には分かってます。誤魔化せませんよ。だからあなたを癒そうと思う。ね。そして、あなたが癒しを得たら楽になるはずです。そしたらね、もうこんなふうに一人ぼっちでね、切り離されて苦しむことはやめて、大人のあなたと一つになれるはずですからね。ヒーリングっていう手を使いましょう。これからあなたをヒーリングしますよ。あなたを管理しているのは心です。心は心臓を中心として広がっているって言いますからね。これから心臓の前にある心からね、エネルギーをあなたに直接繋ぎますよ。そして、癒しが    起こることを待ちますからね。待ってくださいね。じゃあこれから、あなたに直接癒しのエネルギーを繋ぎます。いいですね。                                                                                                                                    
A子:うーん。                                   

稲垣:楽になってくるのきっと分かりますよ。やっぱりね、私の手から出る癒しのエネルギーがね、相当強いものが出てることが分かりますから、やっぱり傷ついているわ。傷つかなきゃ、こんなふうに分離するはずないからね。それはね、あなたには分からないかもしれないけど、精神医学ではね、解離性同一性人格障害とか、多重人格ってのがあるんですよ。多重人格は、苦しんでいる、そういうね、人格がその苦しみをね、自分じゃない別の人間が苦しんでいるっていうふうに、強く思ったために、別の人格が出来上がっちゃった、そういう現象です。インナーチャイルドのあなたも、それと同じような原理ですよ。あなたの場合は、架空の人格でなくって、成長していく大人になっていくそういう人格が、あなたを切り離したんです。そうしないと生きていけないから。辛いままではね。だからあなたは辛い子どものままでね、成長して大人になっている人格から切り離されてね、分離しちゃってる、そういう存在です。悲しいですね。でも、一人ぼっちでは耐えられないから、苦しみを大人になってるあなたに伝えているんですよ。本来の大人のあなたに、一つになってもらわないと困るわけ。統合と言います。そのためには、あなたが癒されないとね、大人の自分と一つになれないというわけです。そのために今癒していますよ。分かりますでしょ、楽になっていくこと。これ拒否することは出来ませんよ。だってこのエネルギーは、私のエネルギーじゃないもの。神様からのものだと言われていますからね。拒否すると、神様に叱られますよ。今、相当強いエネルギーが出ているので、あなたがどれくらい今まで苦しんでいたか、よーく伝わってきますよ。いくらあなたが隠しても、このエネルギーの出方でね、ばれちゃっていますよ。                                 

A子:分かんない。

稲垣:あなたは、そう言って誤魔化し続けて生きてきたんだよね。分かんない、と言わないと生きていけないからな。親から、特に母親からね、認めてもらえないことは、幼い、ちっちゃい子にとってはとても辛いことですよ。あなたは、その辛さを誤魔化して生きてきたということです。あなたというより、大人になっているあなたが、誤魔化してきたんだよな。そのために、あなたを切り離しちゃったんですよ。でも、切り離されたあなたこそ大変だよね。苦しみを持ったままでねずーっと、大人になっているあなたの中でね、生き続けていくしかなかったわけ。それも今日でお仕舞いにしたいと思っている。あなたが、癒しを得たら、大人の自分と一つになってくださいね。楽になってきません?          

A子:分からない。

稲垣:分からない、ばっかりだ。結構あなたは、わがままだな。分からない、で誤魔化されませんよ。こちらは私の手の平はちゃんと伝えてるんだもん。                                  
                                      
A子:でも分からない。                                   

稲垣:分からないでもいいです。ちゃんとあなたを癒していますから。癒していることはきっと分かるはずだよ。これ分からなかったら神様に対する冒涜ということだよ。        

A子:そうなの。                                   

稲垣:うん。                                   

A子:でも分かんない。                                   

稲垣:分からない、ということにしとこう。こっちは、分かっていますからね。誤魔化しは効きません。                                   
                                      
A子:ふーん。                                   

稲垣:ひょっとしてあなたは、案外お母さんに対して、素直でなかったかもしれんな。分からない、分からないと言って、お母さんに逆らったから、お母さんもあなたのことを認めようとしなかったかもしれない。余計悲しくなってね、またお母さんに何聞かれても、分からない、分からないって逆らったかもしれんと思ってる。                

A子:分かんない。                                   

稲垣:それも分からない。もういい加減にしとかないと、いかんね。もういいよ。どちらにしてもね、あなたを癒し終えたらね、大人になっているあなたに一つになれるはずですよ。そしたら、もうあなたの苦しみは消えます。一人ぼっちは辛いからね。                                                         
A子:分かんない。                                   

稲垣:特に自分が認めてもらえない、お母さんから認めてもらえない、というのは辛いことですからね。もう少し、うん、大体時間がきたみたいだよ。どう? さっきより楽になったんじゃないですか?                                   
                            
A子:(甘えたような声)分かんない。                                   

稲垣:(笑いながら)また分かんない。にこっとしながら分かんないって言ったって、ばれますよ。本当はあなたは癒されたはずだよ。                                     
                                      
A子:分かんない。                                   

稲垣:またそう言っている。相当頑固だし、どうもあなたはちっちゃい頃からちょっと頑固でね、母親から見ると可愛くない子だったかもしれんね。だから、それをあなたは、ちゃんと敏感に、もともとあなたは感性が非常に優れているから、お母さんのそういう自分に向けられた気持ちが、よーく分かっちゃうから、余計悲しくなっちゃたんだね。でも、悲しいことを認めるのは嫌だから、分かんないと誤魔化してきたんだよ。どうですか、もう 大人になっているあなたと一つになってくれますか。そうするとね、大人になったあなたあなたは、あなたがね… 。                                  

                                     
A子:(甘えたようなゆっくりとした話し方で)分からない。なんで苦しんだのかも分からない。                                   
                                     
稲垣:それはお母さんに認めて欲しくても認めてもらえなかったから。                                   
A子:そうなんかなー。                                   

稲垣:それより他に思い当たること分かりません?                                   

A子:なんか一杯あった気がする。                                   

稲垣:あったでしょ。一杯あったはずです。                                   

A子:だから、どれが原因か分からない。                                   

稲垣:あー、それが分からないってことやね。それは全体としてでしょう。全体として自分がね、お母さんが認めてくれなくて、どちらかというと嫌われているかもしれんていう悲しみを味わったはずですよ、一つ一つのことについて。そういう悲しみがあった。

A子:うーん。思い出せない。                                             

稲垣:まあ、特に思い出す必要ないでしょう。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:今あなたが、癒されればそれで済むことですからね。                                   

A子:でも癒されたとか、分かんない。                                   

稲垣:分かんない? でも癒されたはずだよ。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:これで癒されなかった人は誰もいないよ、今まで。                                   

A子:そうなの。                                   

稲垣:前世の者だって癒されたって言うんだもん。                                      

A子:知らない。                                   

稲垣:(笑いながら)知らないでしょうね。あなたに、前世ないんだもん。でも、癒されたことは間違いないと思うよ。だって、もう大分表情がね穏やかになっているからね。

                               
A子:ふーん。                                   

稲垣:楽になったはずだよ。                                   

A子:そうなの?                                   

稲垣:うん。癒されたっていう言葉を使わないなら、気持ちがとてもね楽になった。                                   
A子:ちょっと分かんない。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:ちょっと分かんない。                                   

稲垣:(笑いながら)口癖だなそれ。                                   

A子:分かんない。                                   

稲垣:小さい時からそう言い続けてきてね、それで自分をね、慰めてきたんだと思うよ。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:うん。素直に認めたりしたら、それこそ辛いからね。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:だから、分かんないって言っては、誤魔化してきたんだと思う。                                   
A子:ふーん。                                   

稲垣:もうあなたは癒されたはずですから、大人のあなたと一つになれるはずですよ。                                   
A子:ふーん。分かんないなぁ。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:分かんないなぁ。                                   

稲垣:今のままじゃあ変わらないの。                                   

A子:なにか変わりたいって思ってない。                                   

稲垣:そうか、あなたが変わりたいって思うことによってね、大人のあなたと一つになるっていうことですよ。                                   
                                      
A子:ふーん。なにそれ。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:なにそれ。                                   

稲垣:なにそれって、今あなたは、幼い子どものままのはずですよ。                                   
A子:えー?                                   

稲垣:うん。大人じゃないんだもん。でも本当のあなたは、もう大人になっているんだよ。                                   

A子:そうなの?                                   

稲垣:とても魅力的なね、スタイルを持った大人。                                   

A子:いや、無い、無い。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:無い、無い。                                   

稲垣:無い?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:なにが?                                   

A子:そんな大人になってない。                                   

稲垣:大人になりたくないの?                                   

A子:違う。そんな良い大人になってるはずがない。                                   

稲垣:それはねお母さんから埋め込まれたからだよ。いつもあなたは多分駄目な子ね、みたいなことを言われ続けたんじゃないかなと思うよ。                                   
                                      
A子:そうだよ。                                   

稲垣:そう言われ続けたでしょ。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:それ言われ続けてきたから、本当の自分をね、歪んだ目でしか見られなくなっちゃたんだけど…。                                   
                                      
A子:(大きな声になる)でもお母さんが言ってること…。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:(急に怒り出し、きっぱりと)お母さんの言ってることは正しいんだから間違ってないの!!                                        
                                      
稲垣:ふふん。それが子どものね、愚かさと言ったらいいのかな。それはまあ、ちっちゃいあなたにとっては、お母さんは絶対の存在だからね、間違って… 。                           
                                
A子:(泣きながら叫ぶ)お母さんの言ってることは、絶対に間違いないんだから! やなこと言わない!!                                     
                                      
稲垣:そんなことはありません。やっぱりそうだな。あなたはお母さんに認めて欲しかったんだよね。でも、お母さんは認めてくれなかったんだよね。そういうことだな。で、お母さんが認めてくれなくて、あなたは駄目な子みたいなことを言われたけど、それでもお母さん  は絶対正しいからって、あなたは思い込んできたんだよね。お母さんが間違ってるって思うことは誰だって悲しいもんね。だから、あなたはね、大人になっていくことが出来なくて、切り離されちゃったんだよ。                                       
   
A子:(泣きながら弱々しく)お母さんの言ってることは絶対なんだから、お母さんの言うことは聞かないといけないんです。                                   
                                  
稲垣:いや、絶対はありません。                                   

A子:(泣きながら)だって、お母さんの言うこと聞かないと、どんどんお母さんに嫌われ ちゃうから。                                  
                                      
稲垣:お母さんがなに?                                   

A子:(泣きながら)お母さんにどんどん嫌われちゃう。                                   

稲垣:そういうことね。                                   

A子:(泣きながら)だから、良い子で、お母さんの言うこと聞いていないと駄目なんで。 はぁー、はぁー、はぁー。                      
                                      
稲垣:よく分かりますよ。そういう気もちはよく分かる。うん。でもね、私に言わせると、お母さんが間違っています。                                    
                                      
A子:(泣きながら)お母さんが言っていることは正しいー。(泣きすすりの声)                                   
稲垣:残念ながら違う。                                   

A子:(泣きながら)お母さんが言うから、駄目なんだよね。                                   

稲垣:多分、あなたが言っているお母さんの年齢はおそらくね、20代の半ばから30代ぐらいだと思うけど、私は70歳だよ。お母さんの倍ぐらい生きているよ。                               
A子:(泣きながら)でも、お母さんのほうが正しい。                                   

稲垣:その私が言ってることと、お母さんの言ってることを比べてごらん。                                   
A子:お母さん。                                   

稲垣:経験が違うよ。                                   

A子:(泣きながら)お母さんは、私のお母さんだから絶対なんだ。                                   
稲垣:絶対はありません。大体ね、娘のことをね認めないなんていうお母さんは、間違っているよ。                                   
                                      
A子:(泣きながら)でも、私のお母さんなんだもん。                                   

稲垣:じゃあ、あなたが、間違ってることをしてたの?                                   

A子:(泣きながら)分かんない。                                   

稲垣:してないよ。分かんないっていうことは、してないってことだよ。あなたは、悪いことを何にもしてないのに、お母さんからこの子は悪い子だって。                               
                                      
A子:(泣きながら)でも、お母さんが悪いって言うから、悪いことしてるんだ。                                   
稲垣:違いまーす。お母さんのほうが歪んでるの。                                   

A子:(泣きながら)違う。お母さんは違う。                                   

稲垣:そりゃね、娘のあなただから、お母さんのことを悪く言われたくない気持ちは分かるよ。                                   

A子:(泣きながら)お母さんが好きなのに。                                   

稲垣:明らかに間違っているよ。                                   

A子:(泣きながら)お母さんは、なんにも間違ってなーい。                                   

稲垣:間違っています。間違っているから、あなたがこんなふうに悲しくなって…。                                       
A子:(泣きながら)違う。私が悪い子だから。                                   

稲垣:大人に成り損なっているんだよ。                                   

A子:(泣きながら)違う。                                   

稲垣:違います。                                   

A子:(泣きながら)お母さんは悪くない。                                   

稲垣:悪い。悪いなそりゃ。うーん。
                                   
A子:(泣きながら)違う。私がいつも悪いから。                                   

稲垣:いつも悪いはずがないよ。そんなふうにね、自分のことを責めてちゃ駄目だよ。      でも、もうお母さんもね、きっとそれは反省していると思うよ。                            
                                      
A子:(泣き声が変化)お母さんは反省しなくていい。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:(しっかりした話し方に変化)お母さんは、いつも正しい。                                

稲垣:いつも正しいの?                                   

A子:だから反省しなくていい。                                   

稲垣:反省しないの?                                   

A子:反省する必要はない。                                   

稲垣:そしたらそれも間違っているな。子どもであるあなたをこんなふうに苦しめているんだからね。良い母親とは言えませんよ。                                    
                                      
A子:でも、私が悪いからいいの。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:私が悪いからいいの。                                   

稲垣:あなたは、そういうふうに自分を悪者にして、そしてね、お母さんは正しくて、立派な人だったと誰でも思いたいんだよね。だから自分を悪者にして、自分が正しいこと本当はやっているんだけども、お母さんが怒るからには、自分が悪いと思い込んできたんだよね。そういうあなたがね、大人のあなたと分離して、インナーチャイルドになっちゃったんだ。                           
                                     
A子:今はこのままでいたいんだ。                                   

稲垣:駄目です。このままでいたかったら、大人のあなたと一つになりなさい。そして、もうあなたは、大人のあなたと一つになれば寂しいこともないし、一つになるから。                                   
A子:寂しくないよ。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:寂しくないよ。                                   

稲垣:今でも寂しくないの?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:寂しいから、でもね、あなたは誰かに、誰かと言っても、もう、訴える人は大人のあなたしかないんで、で、その大人のあなたが、苦しんでいるの。あなたが、そうやって訴え出るの。あなたが、そうやって訴え出ることを今まで知らずにいて、大人になっているあなたが、自信を無くしちゃってる。何やっても自分が悪いって、思い込んじゃっているの。そんなこと辛いでしょう。                                             

A子:うーん、それは当たり前のことだ。                                   

稲垣:違いますね。当たり前じゃないね。だってあなたは今、涙流しているじゃない。こんな悲しいことをあなたはね思い続けていて、それが良いとは絶対思えないね。                              
A子:でもそれが普通だ。                                   

稲垣:普通ではありません。だって、ほとんどの人は、そんなインナーチャイルドなんて抱えていませんよ。                                          
                                      
A子:ふーん、分かんない。                                   
  
稲垣:分かんないことはない。私には分かるよ。だって、あなたよりも何倍か年取ってるからね、色んな経験踏んでいる。それでもそんな人、そんなにいないんだもん。            
  
A子:うーん。                                   

稲垣:そんなにいるはずないでしょう。                                   

A子:そうなの?                                   

稲垣:あなたが、分かんないっていうだけの話。                                   
 
A子:ふーん。                                   

稲垣:だから、もうあなたは、大人の自分と一つになってくれないといかん。                 
           
A子:まだ出来ない。                                   

稲垣:出来ないことないです。出来ますよ。                                   

A子:そうかなぁ。                                   

稲垣:出来るねー。だって、今こうやってねあなたは涙をこぼしてね、それ難しい言葉でカタルシスって言うんですよ。浄化。                                   
                                      
A子:ふーん。                                   

稲垣:あなたは傷ついていてね、その傷ついた悲しみをね、涙にして外へ今流して出したから、浄化されていますからね、もう大人の自分と一つになることが出来ますよ。           

A子:今日は…  。                                 

稲垣:うん?                                   

A子:今日は、まだしない。                                   

稲垣:何で? 早くしたほうがいいよ。                                   

A子:でも駄目。                                   

稲垣:何でですか。                                   

A子:分かんないけど駄目。                                   

稲垣:またー分かんないが始まったなー。それならいつかは、今日は駄目でも。                                   
A子:うん、いつかなら、いいよ。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:いつかなら、いいよ。                                   

稲垣:いつかなら、いいの? これから一週間ぐらいで… 。                                  

A子:駄目。                                   

稲垣:一つになりなさい。                                   

A子:うーうん、まだ出来ない。もうちょっと、まだ駄目。                                       
稲垣:もう少し時間が欲しいですか?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:時間がきたら、時間が経って…。                                   

A子:(甘えたような声で)そん時、またおじちゃんにやって欲しい。                                   
稲垣:えっ?                                   

A子:また、おじちゃんにやって欲しい。                                   

稲垣:私に?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:うーん。そんなこと言わずに、今日一つになってくださいよ。                       

A子:今日は出来ないの。                                   

稲垣:ふふん。何で。                                   

A子:うーん、なんか駄目って感じるから。                                   

稲垣:うーん。曖昧な返事だな。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:でももう、あれだね。                                   

A子:でも、おじちゃんね。                                   

稲垣:うん。                                   

A子:少し、分かんないじゃ無くなったからね。                                   

稲垣:あ、そうか。少し分かってきた?                                   

A子:そう。だからね、もうなんかね、いいの。                                   

稲垣:(笑いながら)いいのか。じゃあ、あまり、あなたに、あせって一つになることをね。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:どうしても(聞き取れない)よくないかな。                                   

A子:うん。今日はね、駄目。                                   

稲垣:あなたのほうが納得してね。                                   

A子:でもね、分かったからいいの。                                   

稲垣:分かってきたのかな?                                   
 
A子:うん。                                   

稲垣:やっぱりあなたは、悲しかったに違いないし、苦しかったに違いないので、あなたより先に大人になっているね、大人のあなたに、そういうことをきっとね、訴えていたと思うよ。                                                                       
                                   
A子:うーん。                                   

稲垣:ね、悲しいし辛いし。私は駄目だからって。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:だからそれが、大人のあなたに伝わっちゃってるんだよ。                                   
A子:よく分かんないなー。                                   
 
稲垣:うーん。だから大人になってるあなたは…。                                   

A子:でも、今日は駄目なんだ。                                   

稲垣:自信無くしちゃって、ね。                                   

A子:「こいつ」が悪いから。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:「こいつ」が悪いからしょうがないね。                                   

稲垣:「こいつ」?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:「こいつ」って、(笑いながら)大人になってるあなたのことかな?                                   
A子:そうだよ。                                   

稲垣:やっぱり大人になってるあなたと、分離って分かるかな? 分かれちゃってるんだよね。離れ離れになちゃってる。皆そんなこと起こさないよ。                                   
                                      
A子:そうなの?                                   

稲垣:ずーっと一つで、大人になってるいくのが普通だけど、あなたはそこからね、大人になっていくのに乗り遅れちゃったんだよね。                                    
                                      
A子:よく分かんない。                                   

稲垣:悲しかったから、辛かったから。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:それで今みたいにね、インナーチャイルドって呼ばれている、まあ別のね人格と言ったらいいのかな。子どものままでね、成長出来なくなっちゃってるってことかな。                                   
A子:でも、「こいつ」は克服したって思ってる。                               
                                 
稲垣:あなたが一つになるのが克服だよ。

A子:違うんだ。「こいつ」自身が思ってるんだ。                                   

稲垣:何で?                                   

A子:うん? 自分は大丈夫って。                                   

稲垣:大丈夫って? でもあなたがそうやって、また苦しまない限りは大丈夫だとは思うけどね。                                   

A子:でも、「こいつ」は分かっちゃたんだ。                                   

稲垣:何が分かったの?                                   

A子:えー? こういう、私みたいなのが、いるってこと。                                   

稲垣:あー分かったのね、きっと。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:うん。                                   

A子:だから、今日は、もうそれでいいみたいだよ。                                   

稲垣:それでいいのか。でもあなたは必ずね、一つにならないかんよ。                                   
A子:あーん。                                   

稲垣:このまま一人ぼっちでね、大人になってるあなたが、「こいつ」か。                                   
A子:うん。                                   

稲垣:「こいつ」と分かれ、分かれになってて、一つのね、人格の中にいるってのは、普通じゃないよ。                                   

A子:そうなのかなー。                                   
 
稲垣:そうだよ。普通はね、一つになってるんだもん。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:それであなたが、一つになればあなたは、大人のあなたから見ると、あなたは小さい頃の記憶という形になるわけ。今は記憶ではない。あなが生きているんだもの。あなたは一つのね人格なの。人格って分かりますか?                                    
                                      
A子:なんとなく。                                   

稲垣:うん。大人のあなたの人格とは別の、あなたのような子どもの別人格ってのを抱えちゃってるわけだから…。                                   

A子:そうなのかなー。                                   

稲垣:そういうのは異常だよ。本当は一つで、一緒に成長していかなきゃいかんのに、あなたは取り残されちゃったわけ 。                                   
                                     
A子:そうなの、分かんない。                                   

稲垣:うん。そういうことだよ。それがインナーチャイルドって呼ばれている。                                   
A子:ふーん。                                   

稲垣:あなたはインナーチャイルドなんだよ。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:だから大人のね… 。                                  

A子:なんか違うなー。違う。                                   

稲垣:成長しているあなたと一つになって欲しいな。                                   

A子:うーうん。                                   

稲垣:うーうんじゃないの。一つにならないと、いかんの.                                   

A子:そーう。                                   
 
稲垣:今日はどうしても一つになれない?                                   

A子:今日はだめー。                                   

稲垣:駄目ですか。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:うん。でも、もう一つにならないと、いかんことは分かっているね?                                   
A子:それもまだよく分かんない。                                   

稲垣:まだよく分からないの?                                   
 
A子:うん。でも、分かんないだけじゃなくなった。                                   

稲垣:うーん。やっぱり、大人のあなたと一つになるのが本当だということは分かる?                                   
A子:それはまだよく分かんない。                                   

稲垣:よく分からない? 一つにならないといかんのです。そんな離れ離れはおかしいんです。元々一つなんだもん。                                      
                                      
A子:そう。                                   

稲垣:元々あなたは、一つになってたんだよ。                                   

A子:そうなの?                                   

稲垣:そこから切り離されて、取り残されちゃったわけ。なぜかと言ったら、子どものあなたが、あまりにも悲しい思いをし過ぎたから。                                    
                                      
A子:そうなのかなぁ。                                   

稲垣:耐えられないからね。そうなんだよ。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:だから、もう大人になっているあなたと、一つになって欲しいってわけ。                                   
A子:好きなものが欲しい。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:好きなものが欲しい。                                   

稲垣:好きなもの?                                   

A子:ずっと分かんないばっかで、辛かったから、好きとか嫌いが欲しい。                                   
稲垣:好きとか嫌いか。欲しいってどういうこと、どうすればいいの?                                   
A子:分かんないじゃない気持ちが欲しい。                                   

稲垣:あー、分かんないじゃない気持ちか。それは簡単なことで、思ったことを思った通り口に出せばよろしい。                                       
                                     
A子:うーうん。                                   

稲垣:嫌なものは嫌。                                   

A子:分かんないんだ、それが。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:それが、分かんないんだ。                                   

稲垣:そう言うことが、許されなかったのかな。                                   

A子:うーん、分かんない。                                   

稲垣:自分の気持ちを素直に出すことを。                                   

A子:分かんない。                                   

稲垣:それで、あなたは、分かんなくなっちゃったんだよ。                                   

A子:うーん、分かんないことだけしか分かんない。                                   

稲垣:だからね、大人のあなたと一つになると、そういうことを、大人のあなたがやってくれる。                                   

A子:今、なんか好きなものが欲しい。                                   

稲垣:好きなものが欲しい?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:好きなものって何かな。                                   

A子:分かんないんだそれが。                                   

稲垣:分かんないの?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:今、私はあなたのね、額に手を置いてるよ。                                   
 
A子:うん。                                   

稲垣:これはあなたのことを本当に大事にしようという、そういう気持ちの表れですよ。                                   

A子:そーう?                                   

稲垣:だからそれを、あなたが受け入れてくれたら、あなたが一番今までお母さんにしてもらえなかったことだろうと思う。                                    
                                      
A子:ご飯なんか、好きなものが知りたい。                                   

稲垣:お母さんの?                                   

A子:違う。私が、何が本当は美味しいと思うか知りたい。                                   

稲垣:一番美味しいのはきっとね、あなたを認めてくれるね、男性とめぐり会うことかな。                                   

A子:なんで?                                   

稲垣:それは、あなたをきっと可愛がってくれるからだよ。                                   

A子:ご飯だよ、ご飯。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:ご飯が食べたいんだよ。                                   
  
稲垣:ご飯が食べたいの?                                   

A子:美味しい、どれが美味しいご飯か知りたいの。                                   

稲垣:うーん。だったら、あなたが、大人の自分と一つになるのが一番いいよ。                                   
A子:それは、やだ。                                   

稲垣:そして、大人のね、あなたが、美味しいもの食べてくれれば…。                                   
A子:ご飯が食べたい。ご飯が食べたい。                                   

稲垣:それは、あなたが、食べたことになるもん。一つになれば。                                   
A子:うーん。                                   

稲垣:でも、離れ離れになってれば、そんなこと出来ないに決まってるでしょ。                                   
A子:美味しいご飯が知りたーい。                                   

稲垣:美味しいご飯は、一つになって、大人のあなたに、食べて、食べてってお願いすれば、食べてくれるよ。そしたら一つになってるから、当然あなたが…。                         

A子:それは出来ないから、今、知りたいんだ。                                   

稲垣:今、知りたいの?                                   

A子:うーん。                                   

稲垣:うーん。どうしたらいいのかな。                                   

A子:ご飯食べたい。                                   

稲垣:(笑いながら)ご飯食べたいの。あまり食べさせてもらってないことがあったの?                                   

A子:うーうん。でも、お母さんのご飯、あまり好きじゃなかった。                                   
稲垣:ほーう。                                   

A子:どれが美味しいのか分からない。                                   

稲垣:分からないの?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:でも私に言わせると、あなたが、大人の自分と一つになれば、大人の自分が食べてくれるから、それはそのまま、あなたが食べたことになるんだよ。                               

A子:でも大人の人もね、ご飯よく分かんないと思って、いつも食べてるね。                                   
稲垣:そうかな。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:へー。美味しいのが分からないの?                                   

A子:どれもおんなじ。                                   

稲垣:(笑いながら)どれもおんなじ?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:それちょっと変だね。                                   

A子:変じゃないよ。                                   

稲垣:何で?                                   

A子:どれもおんなじだから。                                   

稲垣:あなたが、そういうふうに仕向けているんじゃないの?                                   

A子:うーうん。だから、なにが美味しいのか知りたいの。                                   

稲垣:うん。そーうかなー。                                   

A子:美味しいやつ。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:美味しいやつ。                                   

稲垣:美味しいやつ?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:じゃあ、あなたは、大人のあなたの中に、別個の存在って分かるかな。別個の存在としていてね、離れ離れになっちゃっているから、分からないんだろうと思うよ。        

A子:私が思い出さないと、きっと大人の私も、思い出さないと思う。                                   
稲垣:そうかなー。                                   

A子:うん。今は美味しいものが食べたいの。                                   

稲垣:だからあなたは、じゃあ、大人のあなたになってるのがいるんだけど、その者が美味しいものを食べたら、あなたに伝わるかな。                                      

A子:うん。                                   

稲垣:うん。そしたらもうあなたも、美味しいってのが分かるから、いつもそれを普通に味わえるように大人のあなたと一つになってくれる?                                                                                         
A子:出来ない、それはー。                                   

稲垣:出来ないの?                                   

A子:うん。どうしても出来ないんだー、まだ。                                   

稲垣:まだ、出来ないのね。                                   

A子:うん、まだ出来ない。                                   

稲垣:いずれは出来るね。                                   

A子:いつか、きっとまた、おじちゃんがやってくれる。                                   

稲垣:うーんまあ、それだけ頼りにされればやってあげるけど、でもあなたもね、やっぱり大人の自分と一つになれるように努力しなけりゃ駄目だよ。                                   

A子おじちゃんがしてくれたから、分かってき始めたー。でも今は、まだ出来ない。                                   
稲垣:まあいいわ。今やれっていうことは、しつこく言いません。                                   
A子:うん。                                   

稲垣:でもね、ちゃんとね自然に、一つになってくれるのを待ったほうがいいかな?                                   
A子:うーうん。おじちゃんがやんないと出来ない。                                   

稲垣:ははは。そんなことないよ。あなたが努力すればいいんだよ。                                   
A子:無理だね。                                   

稲垣:無理じゃないね。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:寂しくないの?                                   

A子:うん。もう今日はおじちゃんが、色々してくれたから、すごくいい。なんかいい。                                   
稲垣:うーん。どうしても今日は一つになってくれないの?                                   

A子:うーん。                                   

稲垣:じゃあまた、そういう気になったらおいでなさい。                                   

A子:うん。おじちゃんありがとう。                                   

稲垣:まあ、お礼を言ってもらうのも嬉しいんだけど、おじちゃんが嬉しいのはあなたが大人にね…。                                   
                                      
A子:また来るから。                                   

稲垣:あなたと一つになることだよ。                                   

A子:うん。分かった。                                   

稲垣:それになってくれないともう、おじちゃんも悲しくなる。                                   
A子:約束する。                                   

稲垣:約束ができるね、そしたらまあ今日のところは、無理をしないで… 。                                  
A子:お願いがある。                                   

稲垣:何ですか?                                   

A子:大人の私が、こっちの今の私が好きなものを食べたら分かるようにして欲しい。                                   
稲垣先生:うーん、どうしたらいいかなそれはね。今あなたはね、大人の私とね心、心って言っちゃいかんな、大人の私と別々になっちゃてるけど、そして今、催眠状態って中であなたが出てきているんだけどね、催眠から覚めた後で、大人のあなたにそう言っとくわ。  美味しいものは、美味しいように食べてちょうだいって。                                 

 A子:うーん。                                   

稲垣:そうすると、それが、あなたに伝わっていくはずだよ。分かれてはいるけど元は一つなんだからね。                                   
                                      
A子:うーん。                                   

稲垣:あなたにも、伝わるはずです。ね。そしてあなたも、美味しい味を分かって、こんな面倒くさいことをしなくても、一つになったほうがいいわ、という気持ちになって来ると思うよ。                                   

A子:うーん。                                   

稲垣:うん。だって、それおかしいんだもん。一つでないことが、おかしいんだよ。                                   
A子:分かんない。                                   

稲垣:うーん、それは、あなたには分からんかもしれない。でもそれが普通ですよ。                                   
A子:ふーん。                                   

稲垣:こんなふうにね、一人の中で二つもね、大人の自分と子どもの自分が、分かれ分かれになってるって、おかしな話でね。                                       
                                      
A子:うーん。                                   

稲垣:でも、あなたは、やっぱりそういうふうにして、なんかお母さんに、うーん。                                   
A子:お母さんの悪口?                                   

稲垣:可愛くない、みたいなことを言われ続けたのかな。駄目な子だってね、それで悲しかった。滅茶苦茶にね。                                   
                                          
A子:分かんない。                                   

稲垣:だって、さっき涙こぼしたんだから、分かんないはずがないでしょ。                                   
A子:うーん。                                   

稲垣:そういったところが、可愛くないんだよ、私に言わせると。ふふ。すぐ…。                                   
A子:お母さんも、同じこと言ってた。                                   

稲垣:そうでしょ。そういうこと言うはずだよ。言われちゃうよ、分かんない、分かんないって言ってたら。                                   
                                      
A子:でも、分かんないんだもん。                                   

稲垣:でも一番悪いのはお母さんだよ。はっきり言ってね。そんなふうにね、娘が自信を無くするようなことを言っちゃ駄目なんだよ。だって、娘にとってはお母さんはもう絶対の存在だからね。そういう絶対の人から、あなたは駄目な子だって言われたらね、やっぱり 傷付いちゃうね。その傷が相当深かった。だから、あなたは分離しちゃったの。本当なら大人の自分と一つで、一緒に成長していかないかんのにね、離れ離れになっちゃったの。   だから、今こうやってあなたは出てきちゃったわけだよ。                                 

A子:(小さい声で)死にたい。                                   

稲垣:あー?                                   

A子:死にたい。                                   

稲垣:何?                                   

A子:死にたい。                                   

稲垣:死にたい? 誰が死にたいの?                                   

A子:私。                                   

稲垣:子どものあなたが死にたいの?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:うん。でもあなたが死んだら、あなたに繋がっている大人のあなたも死んじゃうことになっちゃうよ。                                   
                                      
A子:知ってるよ。                                   

稲垣:うん。それはまずいでしょ。それは止めたほうがいいな。                                   
A子:うーーん。                                   

稲垣:まだまだ、色々楽しいことが待ってるに違いないから。                                   

A子:楽しいことって?                                   

稲垣:そんなことなんか、今分かるはずがないでしょ。未来のことなんか誰にも分からない。                                   

A子:今、楽しくない。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:今、楽しくない。                                   

稲垣:楽しくなるように、大人のあなたと一つになりなさい。                                   

A子:それは、まだだと思う。                                   

稲垣:じゃあ、取りあえずね、あなたは本当は悪くなかったことをね、それは分かったでしょう。                                       
                                      
A子:まだ分かんない。でも、分かんないだけじゃない。お母さん、ひょっとしたら、お母さんも、悪かったのかもしれない、ということだけ分かった。                                   
                                      
稲垣:そこはよく考えてくださいね。うーん。だって、大人と子どもの関係ではね、それはお母さんが悪いに決まっているわ。                                   
                                      
A子:でも、お母さんは正しいから。                                   

稲垣:お母さんは、そうやって言うかもしれないよ。でも、子どものあなたは、お母さんのようにね、色々経験してないから分からないだけです。お母さんの間違いも分からない。全部正しいと思い込んでるだけだよ。                                                                      
A子:そうなのかなー。                                   

稲垣:そうなんだよ。どこかであなたは、お母さんはおかしいなとは思ってたはずだよ。でも、そんなこと言えないもんね。言ったら余計嫌われちゃうでしょ。                         


A子:うーん。                                   

稲垣:だから、嫌われたくないから、じーっとあなたは我慢していたわけ。それがね、余りにも辛くて、大人になりそこねて、今みたいの子どものままでね、大人になっていくことから取り残されているんだよ。                                  

A子:ふーん。                                   

稲垣:そういうことだよ。だから、まず大人のあなたと一つになりましょう。あなたは、大人になってるんだから。本当は。                                   
                                     
A子:うーん。                                   

稲垣:あなたが、残っちゃったことがおかしいんだからね。あなたが、一つになろうと思ったらなれます。必ずなれるよ。                                   

A子:じゃあね、それもまた、おじちゃんにやってもらう。                                   

稲垣:えー?                                   

A子:また、おじちゃんがやる。                                   

稲垣:はは。まあ、いいや。それはね、あなたに任せる。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:でも、もう、自分は駄目だ、駄目だって、大人のあなたに言っちゃあ駄目だよ、そんなことは。それはやめたほうがいい。大人のあなたはとてもね、あのスタイルの良い女性にね、成長しているんだから。                                    
                                      
A子:本当かなー。                                   

稲垣:本当だよ。嘘はつきません。                                   

A子:ふーん。                                   

稲垣:男性から見たら、とても魅力のある女性に成長してるんだから、その大人の女性になっているあなたにね、子どものままでいるあなたが、駄目だ駄目だって言い続けるから、大人のあなたも、駄目だって思っちゃってるわけよ。                                                            
A子:うーうん。お母さんだよ。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:駄目だって言ったの、お母さんだよ。                                   

稲垣:うん、言ったのはお母さんでしょうね。でもね、そんなことは無いはず。いくらそれをね、大人のあなたに言ってもね、やっぱり大人のあなたも、なかなかそれを信じようとしないね。                                   
                                   
A子:うん。                                   

稲垣:それはあなたのせいだよ。あなたが悪い。                                   

A子:おんなじだから。                                   

稲垣:だから一つになって欲しいの。                                   

A子:言ってること分かるけど、今は出来ない。                                   

稲垣:うーん。はい。同じこと繰り返ししても仕方がないから、時間の経つのを待ちます。そしてあなたのほうにね、もうそろそろ一つになろうかと、そういう気持ちがだんだん湧いてくるきっと。それを待ちましょう。                               
                                    
A子:うーん。                                   

稲垣:じゃあね、これから三つ数えたら、またあなたは魂の表層に現世の者がいて、そこからあなたが出て来てるんだから、その本来のあなたのいる場所へ戻りましょうね。   

A子:うーん。                                   

稲垣:出来たら、大人のあなたと一つになっちゃうといいけどね。そういうこと出来ない。なれないならなれないで、まあ、また、あなたを呼び出して、お話して納得しても    らおうかな。じゃあ、もう今日のところは戻ってくれますね。                              
                                   
A子:うん。                                   

稲垣:じゃあ三つ数えたら、魂の表層にいる、現世の者の中に戻ってくださいね。じゃあ、 三つ数えますよ。一つ、二つ、三つ。はい。さあ、今あなたは魂の状態にあります   から、これからね、あなたの場合は催眠の感受性がとても高いので、ひょっとしたら魂が 肉体から分離してちょっとずれたり、肉体の外へね、浮かび出してる可能性があるので、これから五つ数えて催眠から覚めてもらうんだけれども。                             
   
A子:まだー。                                   

稲垣:まだー?                                   

A子:まだもうちょっと。                                   

稲垣:もうちょっとどうしたいの?                                   

A子:何か聞いて欲しかった気がする。                                   

稲垣:もうちょっと聞いて欲しいの?                                   

A子:うん。いきりょう、生き霊のこと聞いて欲しい。                                   

稲垣:うつ病のこと?                                   

A子:生き霊。                                   

稲垣:あっ、生き霊か。生き霊がいるかどうかってこと?                                   

A子:今いるのか、もういないか。                                   

稲垣:ふーん。そんなのすぐ分かるよ。                                   

A子:本当? 何で死にたくなるまでなったのか怖い。何で死にたくなるまでに至ったのか、理由が分からなくて怖い。                                  

稲垣:死にたくなった?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:それはひょっとして、インナーチャイルドのあなたのせいじゃないの。                                   
A子:違う。                                   

稲垣:他になんか原因がありそう?                                   

A子:あった。それが知りたい。                                   

稲垣:その死にたいようなことを考えさせている者が、ひょっとしたら、あなたに憑いていたかもしれんね。                                   
                                     
A子:うーん。何が原因か分からないから知りたいです。                                   

稲垣:ひょっとしたら、ご先祖に関わっているかもしれないからね。それ聞いてみようか。                                   

A子:色々聞いて欲しいです。                                   

稲垣:じゃあ聞いてみましょう。いいですか。ご先祖の中で、ご先祖というのはあなたの母方も父方も含めてご先祖ですが、そういう方の中でね、未浄化霊として苦しんでいて子孫であるこの者にね、死にたくなるような気持ちを引き起こしている、そういうご先祖の未浄化霊がおいでになるなら、出ておいでなさい。または、ご先祖以外の霊的存在であっても死にたくなるような気持ちを引き起こしている存在、三つ数えますからね。この部屋は私が許可しない限り、結界が張ってあるから、入って来れませんが、特別許可しますから、この者に憑依していいですよ。じゃあ三つ数えます。一つ、二つ、三つです。         

A子:あーーっ。                                   

稲垣:ああ。どなたか憑依されたのですか?                                   

A子:なに、なに、うーん?                                   

稲垣:あなたがそうなの?                                   

A子:(戸惑っている様子)分からん、ん、な、な、何で私が来たんだ。                                   
稲垣:そんなこと、私に分からないよ。私が、この者に死にたくなるような、うつの状態を引き起こしていることに、関わっているそういう霊的な存在がおいでになるなら憑依してくださいってお願いしたの。それがあなたでしょ。                                                 


A子:うん。うーーーん。うーーん?うーーーん。                                   

稲垣:あなたは肉体持ってないでしょ。                                   

A子:えーっ?うーーん。ちょ、うーん?うーーーん。                                   

稲垣:じゃあ、あなたはひょっとしたら、未浄化霊と呼ばれているそういう存在?                                   
A子:違う。それは違う。                                   

稲垣:違う? じゃあ、どういう存在ですか?                                   

A子:分からない。                                   

稲垣:分からないんだ。                                   

A子:うん。                                   

稲垣:分からないという存在だ。                                   

A子:呼んだ。誰が呼んだ?                                   

稲垣:私が呼んだ。                                   

A子:何で呼んだ?                                   

稲垣:だってこの者が苦しんでいるからですよ。あなたは今、憑依している。                                   
A子:この者って誰?                                   

稲垣:この者はこの者。あなたが憑依している者ですよ。あなたが喋っているのは、この憑依されているこの者のね、声帯と舌を使って喋っているんですよ。                                   
A子:うーん。                                   

稲垣:で、憑依するということはね、あなたは、肉体を持っていないはずだよ。                                   
A子:うーん? いや、肉体はあるはず。                                   

稲垣:どこにあります?                                   

A子:分からない。                                   

稲垣:分からない? そんな馬鹿なことはないよ。                                   

A子:誰が呼び出したの?                                   

稲垣:私です。                                   

A子:何の目的で?                                   

稲垣:あなたが、憑依しているこの者がね、死にたくなるようなうつの状態になって… 。                                  
A子:こいつは、死んでもいいんじゃなーい?                                   

稲垣:そのためのね、そういう原因を引き起こしている者がいるなら、出ておいでなさいって言った。                        
                                     
A子:だって邪魔だから。                                   

稲垣:そしたら、あなたが出て来たんだよ。                                   

A子:うん。目障りなんだよね。                                   

稲垣:誰が?                                   

A子:うーん、こいつが。                                   

稲垣:なんで目障りなんですか?                                   

A子:目障りなものは目障り。とにかく目に映ると邪魔くさいから、私の目の前から消えて欲しいって思う。                                    
                                     
稲垣:ほーう。じゃあ、あなたってあれかな、生き霊か。誰かの。                                   
A子:うーーん。そうなんじゃないかなーー。                                   

稲垣:そうなんじゃない。ひょっとしたらこの者のね、会社の人間ですか?                                   
A子:そうだよ。                                   

稲垣:あなたは。お名前を言ってごらんなさい。あなたを飛ばしている本人の。            

A子:こいつは、私のことを知らない。                                   

稲垣:じゃあ、あなたは、どういう人です?                                   

A子:会社で、こいつのことは知っているけど、こいつは私のことは知らない。                                   
稲垣:知らないの。どういう関係ですか?                                   

A子:私はこいつをよく見てた。そうだ。そう。お前は私のことなんか知らない、嫌と思っているだろうが、私はお前のことをよく知ってる。お前が、周りの男性がお前の話をしてるのが、とにかく面白くなかった。                                   
                                  
稲垣:うーん。やっぱりあなたを飛ばしているのは、同じ会社の人間だったの?                   

A子:そうだ。                                   

稲垣:うーん。この者の会社の人間、女性ですかあなたは。                                   

A子:そうだ。                                   

稲垣:えー。じゃあ嫉妬してるんだな。ね。                                   

A子:何で関わりがないくせに、関わりがない女の話をしているんだ。全く理解が出来なかった。私という人間がいるにも関わらず、何故、あのC男の部下にいるこの女の話がよく出るのか分からなかった。他にもいる。この女のことを良く思ってないってやつが一杯いる。                                                                      

稲垣:うーん。何で、良く思ってないんでしょう。                                   

A子:(笑いながら)目立つから。                                   

稲垣:あー?                                   

A子:(笑いながら)目立つからに決まってる。                                   

稲垣:目立つからあー。                                   

A子:この女は、何もしてないくせに、何でか知らないけど目立つ。とにかく鼻につく。                                   
稲垣:あー。それが嫌なんですか。                                   

A子:そりゃそう。私は綺麗なんだから。                                   

稲垣:うーん、じゃあ、あなただな。この者に憑依して…。                                   

A子:私もそうだけれども、この者をそう思っているものは、沢山いるということだ。                                   
稲垣:だけど、実際生き霊としてね、来ちゃってるのは、あなただよね。                                   
A子:私のはまだ軽いものだ。                                   

稲垣:まあ、どっちにしてもそんなことしてもらってちゃあ困るよねー。                                   
A子:もうすぐ帰る。                                   

稲垣:うん?                                   

A子:私も、多少の影響を与えている存在として、呼ばれたの出て来てしまっただけで、軽いものである。そんなに重いものではない。                                        
                                      
稲垣:うん。じゃあ、この者から離れて戻ってくれますか?                                   

A子:ただし、この女には、そういうのが憑きやすい。                                   

稲垣:うん。                                   

A子:(笑いながら)この女、嫌だけど、この女が言うには、とにかくそれを防ぐ方法を知りたいと言ってる。                                    
                                      
稲垣:この人はね、優れた霊媒体質を持ってるからね、あなたのような存在が飛んでくることをね、防ぐのは… 。                                   
                                   
A子:この女は、だからそれで、早くさっさと潰れればいいんだ。                           


稲垣:難しいね。修行するしかないかな。                                   

A子:それは、あなたの仕事なんじゃないですか。                                            
稲垣:ま、どちらにしてももう、あなたはちょっと戻って欲しいな。                                   
A子:うん。帰ろう。                                   

稲垣:帰ってくださる?                                   

A子:うん。                                   

稲垣:じゃあ、三つ数えたら、あなたを飛ばしている本人の元へ戻ってください。飛ばすとね、本人も苦しむんだよ。苦しいしね、衰弱するって言われている。決して…。   

A子:私は美しくないといけない。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:私は、美しくないといけないから帰る。戻して欲しい。もう、そもそも呼ばれたくもなかった。                                           
                                      
稲垣:あっそう。じゃあ、三つ数えたら戻ってくださいね。はい、一つ、二つ、三つですよ。はい、OKですね。
さあ、ここまでにしときましょうか。ね。多分、死にたくなるような鬱状態を表出させていたのは、どうも生き霊せいも、あったね。                                               

A子:どうにかしてください。                                   

稲垣:えっ?                                   

A子:どうにかしてください。何かうまく生き霊を防ぐ方法を伝授して欲しい。こんなに一杯来てたら困る。                                   
                                      
稲垣:うーん。どうするかなー。ちょっと試してみましょうか。何をするかというとね、不動明王の真言を、あなたの霊体にね、これから入れて、バリアを張ります。不動明王の真言というのは、未浄化霊も含めて、よろしくない霊をね弾き飛ばす力があると言われていますからね。じゃあこれから、あなたの脳天チャクラから不動明王の真言を唱えて霊体全体にバリアを張り巡らします。                                                           
耳なし芳一の話知ってるかな、耳なし芳一はね、体中にね般若心経を墨で書いて、悪霊の目から見えないようにしてね、逃げようとしたわけだけど、結局耳だけ般若心経の文字を書くの忘れて、で、悪霊に耳をちぎられちゃったって話です。
そんなことにならないように、霊体全体にねバリアを張るようにしますからね。    最強の仏さまである不動明王の真言は、「のうまくさんまんだー、ば ーざらだんせんだ、まーかろーしゃーだ、そわたや、うんたらたーかんまん」です。この真言を念じながら、よろしくない霊的存在が、あなたの霊体に憑依できないようにこれからバリアを張っておきます。               

(脳天に手をかざしながら、5分間不動明王の真言を繰り返し唱える)                   

OK!さあ、これであなたのね、霊体全部に、不動明王の真言を唱えて、バリアを張りましたから、大丈夫です。じゃあ、五つ数えたら催眠から覚めましょうね。                        一つ、さあ少し覚めてきた。二つ、どんどんどんどん覚めてきますよ。二つ、どんどんどんどん覚めてきますよ。三つ、さあもう半ばまで覚めましたよ。四つ、さあもう少しで覚めます。覚めたらとってもすっきりしているはずです。どうやらね、あなたに、死にたくなるような鬱の状態を作っているのは、昔からいたインナーチャイルドそのせいです。それと、今出て来たあなたの勤め先の会社の女性の生き霊のせいです。死にたくなるほどのね、そういう気持ちを引き起こしてきたに違いないと思うけど。生き霊の元のね、飛ばしている本人の所に戻ってもらったし、またあなたの所へ飛んで来てもね、不動明王の真言でバリア張ってますからね、もうあなたに憑依することが絶対にできません。大丈夫です。さあ、完全に覚めますよ。はい五つ、さあ、催眠からすっかり覚めました。          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(セッション終了 )                              

覚醒後、A子さんが言うには、自分の中にインナーチャイルドがいるなんて、まったく信じてはいなかった、と断言しています。                               
そして、セッション1ヶ月後の現在、死にたくなるなるような抑鬱状態は改善され、気持ちは順調に回復に向かっているという報告を受けています。

こうした結果から、少なくともこの事例において、SAM催眠学の仮説によるインナーチャイルド療法は成り立つものと評価してよい、と考えています。

さて、ここに紹介したインナーチャイルド療法の事例は、臨床心理学的、催眠学的にどのような解釈の可能性があるのでしょうか。

 前提として、催眠誘導前の、初回、および今回の面接でも、日常生活においても、A子さんには統合失調症、境界性人格障害などによる被害妄想や幻聴などの精神疾患の兆候がないことを確認しています。

また、これまでにおこなっているインナーチャイルド療法6事例のうち、5事例のクライアントに顕現化したインナーチャイルド人格は、口頭で対話できました。
「魂状態の自覚」に至って、口頭での対話が可能であるのは、霊媒体質の持ち主であることが分かっていますから、A子さんは霊媒体質であると判断できます。

また、セッションの終わりに近い段階で、インナーチャイルドと交代して、会社同僚の女性が飛ばしていた生き霊が憑依していたことから、A子さんが憑依体質であることも判断できます。

こうした前提のもとに、インナーチャイルドの顕現化現象と私との対話を、「幼い頃のトラウマないし悲哀の記憶の抑圧の解除」という、精神分析の理論でとらえることは可能でしょうか。

催眠下で起こる「要求特性」によって、A子さんが抑圧してきた「子どもの頃の悲哀の記憶」を想起し、それらの記憶をもとに、彼女が「架空のインナーチャイルド人格を創作し、それに仮託して語っているフィクションだ」という解釈は、私が強引にそのような創作誘導の暗示をしていない限り、かなり不自然な解釈のように思われます。
催眠下では作為による創作は否定されます。
彼女が知覚催眠レベルの催眠に入っていたことは、標準催眠尺度によって確認しています。

ちなみに「要求特性」とは、催眠中のクライアントが、セラピストの要求していることを無意識的に察知し、それに応えようとする心理傾向のことです。

あるいは、「要求特性」によって、A子さんが架空のインナーチャイルド人格を作り出し、あたかも、その人格としての無意識的な役割演技をしている、という催眠学上の「人格変換現象」だ、と解釈することも、A子さんの「インナーチャイルドをまったく信じていなかった」という断言からすると無理な解釈のように思われます。

また、インナーチャイルド人格は、明らかに現在進行形の対話をしていますから、A子さん自身が、幼い頃のトラウマの「過去の記憶」を想起して、インナーチャイルドとして語っているという解釈も否定できます。

ナラティブセラピー(物語療法)という心理療法があります。
クライアントが、自分で自分の人生を語りながら、問題点を見つけたり、自分の過去の物語をとらえ直したりすることで、自らを再生していこうというものです。
「ナラティブ」とは「語り」という意味ですから、A子さんが自分を、架空のインナーチャイルド人格に仮託し、退行しての「語り」だという解釈をすれば、ナラティブセラピー的説明ができる一面はありますが、事実は似て非なるものです。
インナーチャイルド療法の仮説と、ナラティブセラピーの仮説の共通点はまったくありませんし、クライアントに催眠を用いるかどうかという点でも決定的な違いがあります。


逐語録で注目すべきことは、たとえば、インナーチャイルド人格は、私のことを何度も「おじちゃん」と呼んでいることです。
A子さんは、私のことを「先生」以外の呼び方をしたことは一切ないのです。
さらに、大人になっているA子さんを、別人格のように対象化して、「こいつ」と呼んでいることです。

こうして、顕現化したインナーチャイルド人格の、口調や表情や落涙の様子を観察した限りにおいて、幼い少女そのままの人格でしかなく、30代後半の年齢のA子さんに、とてもこのような無意識的演技が可能だとは思われません。
 このことは、「タエの事例」で、前世人格「タエ」が、50代になろうとしていた被験者里沙さんに顕現化したときの状況観察と重なるものでした。
里沙さんの口調や表情は、明らかに16歳のタエそのままの人格を思わせるものだったからです。


したがって、逐語録で確認できる、A子さんにあらわれた「意識現象の事実」は、インナーチャイルドが、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、取り残された子どもの残留思念の集合体であり、意志を持つ別人格としての属性を備えて形成されたもの」の顕現化である、と現象学にとらえることが妥当ではないでしょうか。 
そして、こうした仮説による6事例のセッションで、現に改善効果が実証されています。


you-tubeで公開している「タエの事例」のタエ、「ラタラジューの事例」のラタラジューの二つの前世人格は、魂状態での呼び出しによって、魂表層から顕現化した前世人格であり、完璧ではないものの、その存在がほぼ実証がされています。

同様のSAM前世療法のセッション手続きによって、A子さんの魂表層の「現世の者」に内在しているインナーチャイルド人格が、呼び出しに応じて顕現化したのは、SAM催眠学の「残留思念仮説」に立てば、当然の現象だと考えることができるのです。

しかし、現時点では、インナーチャイルド人格の存在は、状況証拠と改善効果をもって、間接的な実証とするしかないだろうと思います。

 SAM催眠学が探究している、催眠下の「魂状態の自覚」において確認してきた前世人格・インナーチャイルド人格・生き霊・未浄化霊などの霊的人格の顕現化現象は、「魂状態の自覚において立ち現れる意識現象の事実」の謎として、どこまでも尽きることがありません。
同時にそれは、「人格」の成り立ちの大きな謎でもあります。

生まれ変わりの科学的研究の泰斗であった、バージニア大学イアン・スティーヴンソン博士が、自分の研究室を「人格研究室」と名付けたのは、こうした意味合いがあったからだろうと思われます。
私も、前世人格・インナーチャイルド・未浄化霊・生き霊などの霊的人格が、クライアントの心理的、肉体的健康に及ぼす影響を探究する意味で「メンタルヘルス研究室」と名付けています。

そして、「いかなる霊的意識現象も先験的に否定せず、いかなる霊的意識現象も検証なくして容認せず」というのが、SAM前世療法で立ち現れる不思議な「意識現象の事実」の謎に対する私の基本的思考態度です。

私の実証的探究の公開目的の第一義は、霊的諸意識現象のできる限り確実な客観的証拠を示すことにあり、私が催眠臨床で実体験してきたそれら諸証拠の解釈について、考えられる限りの可能性のすべてを厳密に検討され、得心のいく自分なりの妥当な結論に到達していただくことにあります。

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注: SAM催眠学用語の「魂」や「霊」は、宗教的意味を一切含みません。
便宜上の概念として、「魂」とは、肉体という器に入っている「霊」を意味します。
「霊」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味します。
したがって、肉体という器を失えば、「魂」を「霊」と呼び換えることになります。
こうした用語の概念によって、香典袋の表書きを「御霊前」とするのは理に適っていると思われます。
霊も、魂も、本質は同じであり、肉体という器の有無によって呼び方を換えているだけだ、と定義しています。
したがって、SAM催眠学の定義では「霊的意識体」とは、「肉体を持たず一個の人格としての属性を帯びた意識体」のことを指します。
こうした人格の属性を帯びた意識体を、人格として見做して扱いますから「見做し人格」と名付けようと思います。
ただ、その霊的意識体の本来存在する居場所によって、「インナーチャイルド」・「前世人格」・「生き霊」・「未浄化霊」・「高級霊」・「守護霊」・「ガイド」などのように名称が変化するということです。
「インナーチャイルド」・「生き霊」・「未浄化霊」は霊ではなく残留思念の集合体だと考えますから「見做し人格」だということになります。

ちなみに、私の守護的存在は「ガイド」を名乗っています。
「ガイド」とは、生まれ変わりを経ないで霊界で霊性の進化を遂げた守護的存在、「守護霊」とは、生まれ変わりを経て霊性の進化を遂げた守護的存在、という名称状の便宜的区別をしている、と私あて霊信が告げています。
「守護霊」も、「ガイド」も、「守護的存在である霊」という意味では、本質は同じだということです。
また、「守護霊」は、霊的真理を広める使命を与えられ、再び地上の人間に生まれ変わることがある、とも告げています。
実際、クライアントの前世のうちに、「守護霊」であった者が十数名確認されています。


SAM催眠学では、これまでのSAM前世療法セッションで確認してきた「意識現象の事実」の累積から、霊的意識体の存在を認めています。

SAM催眠学の「SAM」とは、soul approach method の略であり、つまり、SAM催眠学は、「魂状態に接近するSAM前世療法」によって、「魂の自覚状態」へと導き、そこで起こる、前世人格をはじめとする霊的意識体の顕現化諸現象を、科学的方法論で検証・探究し、体系化した理論へと構築する、潜在意識の深層レベルの「催眠学」を目指しています。                    

明治時代の末に起きた、東大の催眠研究者であった福来友吉博士の「念写実験」が、インチキの疑惑ありとされた事件が起こって以後、日本の催眠学(アカデミズム)は、超常現象の探究をタブーとしてきました。 

SAM催眠学は、これまでの催眠学が、非科学的だとして排除してきた、催眠中にあらわれる「霊的領域の諸現象」の探究に、在野の臨床催眠実践者の立場から、光を当てようとするささやかな試みです。