2021年7月19日月曜日

SAM前世療法の理論と実践

SAM催眠学序説 その141

 

これまでの記事において、SAM前世療法の実践であらわれた様々な「意識現象の事実」と、わたしあて霊信内容との照合についての検証を紹介してきました。

ここでは、この10年間で実践してきたSAM前世療法であらわれた意識諸現象の理論化を試みてきた基本的考えかたについてまとめてみます。

まず、「理論化」とは何かについて、わたしが上越教育大学大学院で師事した敬愛する杵淵俊夫先生(教育学博士)の教育哲学講義ノートを読み返し、以下にまとめてみます。
 

「理論」とは、事態をある観点から見て述べたことばであり、事態そのものではありません。
したがって、観点が異なるにつれて、さまざまな論じ方が成り立ちます。
そして、それぞれの論じ方はいずれも、そのカテゴリー(範囲)においては正しいと言えます。

こうして、理論とは事態をことばで整理し、仮の秩序にあてはめたフィクションと言えます。
理論化の試みとは、そのカテゴリーにおいて、その事態の論じ方によって、簡潔・明快に説明が成功すれば、とりあえずその理論を真理とみなそうとする立場に立とうということです。                                            この真理観は、プラグマティズムの真理観です。

さて、諸科学の特殊専門的探究の過程ないし途上において構成される諸対象は、大別すると「事実」と「観念」とに分けられます。

それら諸対象は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「事実」ないし「データ」を可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。

その結果として、当然のことながら諸科学の「対象」は「操作的」性格を帯びることになります。
諸科学の「対象」(事実・データ・観念・仮説)は、一定・特殊な探究の意図・目的を追求する作業の操作の過程の文脈の中で初めて、一定の明確かつ厳密に規定された位置を獲得し、特殊な、一面的、部分的な役割をになうものであり、諸「対象」のになう意味は、全く、探究の操作の文脈に依存しているということです。

わたしは、これまでの前世療法への疑問を抱いていたところへ、わたしあて霊信現象が起こり、それが告げた内容の真偽を検証する作業を進め、その過程で新たな催眠技法や方法を工夫・考案してきました。

そうした作業の過程で、その作業(仮説)の客観的裏づけとして「タエの事例」、および応答型真性異言「ラタラジューの事例」を得ることができました。

こうして、「SAM前世療法」と名付けた新しい前世療法の理論と仮説の一般的応用への保証を求めて、現時点でのSAM前世療法であらわれる「意識現象の事実」を対象に、理論化の作業を進めてきたということです。

この理論化作業は、SAM前世療法創始者として、この療法をもっとも知悉しているわたしに、この療法と、それが示してきた霊的意識現象の諸事実を、後世に残すために課せられた使命だと思っています。
また、おそらくこの作業を、霊信を告げた存在は支持し、喜んでくれるだろうと思っています。
 

追伸 

SAM前世療法によって顕現化した前世人格「ラタラジューの事例」の英語版セッション動画をyou-tubeにアップしてあります。
また、「タエ・ラタラジューの事例」の日本語版セッション動画も、アップしてあります。
ページ枠外右上の動画紹介をクリック、または下記の動画リンク をクリックするとyou-tubeにつながります。

「タエ・ラタラジューの事例」を公開してから10年以上経過しましたが、生まれ変わりの証拠として科学的検証を経たこの二つの事例を陵駕する事例は、管見するかぎり無いと自負しています。

どうぞご覧ください。

この二つのセッション動画をフジTVが放映用に編集したものが、2006年、2010年の2度にわたって、フジTVの番組「アンビリバボー」に紹介されています。           ただし、アンビリバボーで放映された編集映像が、you-tubeにアップされると、著作権侵害の関係でグ-グルから削除されてしまうので視聴することができません。

動画リンク

2021年5月16日日曜日

SAM前世療法の意義と使命

   SAM催眠学序説 その140

「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の実践によって得られた知見を、これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象」を、催眠研究の新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとするものです。
そして、SAM前世療法の作業仮説の根幹は、2007年1月~2月に起こったわたし宛て霊信現象の通信内容です。その霊信内容を仮説としたSAM前世療法で確認してきた、深い催眠中に顕現化した霊的諸現象の12年間の累積とその分析を試みたいと思います。

この試みは、SAM前世療法によって確認されてきた個々の「霊的諸意識現象の事実」を、一定の仮説と原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとすることです。
それは、これまでの催眠学の体系とはまったく異なる新たな様相を示すことになるはずであり、またこれまでの催眠学と大差のない説明体系であるなら、わざわざ新たに「SAM催眠学」を提唱する必要はありません。

SAM催眠学は、それまで人間の霊的側面について探究することを拒んできた「天井の低い催眠学」の「低い天井」に風穴を空け、人間の霊性について探究しようとするささやかな試みです。

さて、「SAM催眠学」として理論化ないし体系化することは、次のような諸作業をおこなうことを意味します。

「SAM催眠学」の諸対象(霊的意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の諸仮説の検証途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。

こうした諸作業によって、霊的現象解釈のための理論化の構築を企てる「SAM催眠学」は、壮大なフィクションであると自覚しています。

前置きはこのくらいにして、「生まれ変わりの実証的探究」という本ブログのテーマに恥じないように、これまで本ブログで紹介した実証記事を参照していただけるように現時点の到達点を5点にまとめて述べていきます。

 
① わたし宛て「霊信」の信憑性について

「SAM前世療法」の諸仮説は、わたしの守護霊団を名乗る複数の諸霊からの霊信の恩恵によって成り立っていることはすでに述べています。

2007年1月11日から2月14日まで1ヶ月余にわたって、毎夜送信されてきた高級霊と思われる諸霊からの霊信内容をそのまま作業仮説としています。
わたし宛て霊信の全内容は、「SAM催眠学序説 その48~72」で公開しています。
すべてで22通の霊信であり、A4用紙82枚にわたるかなりの量です。

わたし自身には霊信の受信能力は皆無であり、受信者は当時26才で東京在住の派遣社員をしていたM子さんのパソコンによる自動書記現象として送信されたものです。
M子さんとわたしとの面識は全くなく、拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係のみでしかありません。

2007年1月14日5:23着信の第2霊信で通信霊は、
 
「ここで私があなた(注:M子)と稲垣に伝えるべき事は、私があなた方をつなぐ理由である。私は、生前あなた(注:M子)としての素質をもち、稲垣の進むものと類似する方向性をもつ者であった。そのため、私はあなた方をつなぐ者として接触しているのだ」
 
と告げています。
M子さんの素質とは、霊信を自動書記によって受信するような素質であり、つまり霊媒としての素質だということでしょう。
稲垣の方向性とは、催眠を用いる催眠療法の実践者であるということだと思われます。
 
つまり、この送信霊は、生前、霊媒能力があり、しかも催眠との深い関わりを持つ人物であったと告げたことになります。

さらに、2007年1月18日22:28の第7霊信で通信霊は、
 
「私はエドガー・ケイシーである・・・なぜ今回の霊信で私が役割を担ったかを説明しよう。
それは私がよりあなた方の意識に近づける者であるからだ。
我が霊団は多くの者で成り立つものである。( 注:第12霊信で11の霊から成る守護霊団だと告げる)
その中でも、私はより『新しい意識』である。
それにより、あなた方に近づきやすい状況をつくり出すことができる。
そして、より明確に情報を伝えることができる」
 
と生前の身元を告げています。
エドガー・ケイシーは、催眠状態によって霊的存在とコンタクトをとり、様々な情報を入手し、それをリーディングと称していたようです。

そして、第2霊信で通信霊は、
 
「稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していた者である」
 
と告げています。
ちなみに、エドガー・ケイシーは1945年に死亡しています。わたしは1948年の生まれです。
こうしてエドガー・ケイシーとわたしを守護している存在は同一者と考えても矛盾しないことになります。 
 
わたしの性向として、こうした霊信がインスピレーションという形でわたしに直に伝えられたとしても、それは自分の妄想や願望の投影された産物ではないか、妄想ではないか、とわたしが必ず疑念を持つことを通信霊は予測しており、そのため第三者のM子さんを霊媒に用い、自動書記による文書の形として送信してきたのだと思われます。
 
そうすれば、霊信が少なくともわたしの妄想であることは完全に排除できます。
その結果、わたしの性向にしたがって、必ず霊信内容の真偽を検証しようと試みるであろうことを通信霊は期待していたと思われます。

2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
 
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」
 
と告げてきました。

「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの疑問について答えると言うのです。
 
わたしは、早速16の質問事項をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、まず不可能です。
A子さんの、通信霊を装ってあらかじめ用意しておいた作文ではなく、したがって、通信霊だと称する存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断しました。
 
② 「意識 ・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」について

わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。

第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。

第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。

A 「脳」は「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」は「魂」から離れ、霊体に宿っていた「意識」は「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂表層」の「現世の者」であり、死後は「魂表層」の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。

G 「心」は「意識」を管理している。「心」は「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」は「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。 
「脳」は「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できる内容とは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるをえません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答後の霊信の末尾で、

M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・この霊信において告げた内容を読んだとしても、M子自身は理解に到達できない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」

と、受信者M子さんの作文や妄想ではなく、間違いなく通信霊という霊的存在からの回答であることを念押しし、強調していることです。

ちなみに、第12霊信の送信霊は、
 
「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」
と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である故成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。

これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしていますが、心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの検証をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が、同じ第11霊信の中で、 

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

と、この霊信1年半後の2008年6月に成立したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに開発することをすでに見極めていたと考えるほかありません。
むしろ、SAM前世療法を創始させるための目的で第11霊信が送られたのかもしれません。
 
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げて
いますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていた
のだろうと思われます。

そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって検証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格なのです。

「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の全セッション動画はyou-tubeで公開してあります。
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実を指摘して反証を挙げ、批判した論者はおりません。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討し、解説しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」の模式図によって図示・説明しています。

 
③ 「憑依仮説」について

SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。
こうして憑依する人格的意識体を便宜上「憑依霊」と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。
生き霊と呼ばれる人格的意識体も憑依霊として顕現化することがあります。
 
守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
 
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM前世療法の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。       
そして、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や生き霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、自己の魂内部に存在する前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。                  したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)、を報告することもあります。

つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体同様の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測されます。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体という器を持てば「魂」と呼ぶと定義しています。

 
④ 「霊体仮説」について

2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
 
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
 
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には肉体の健康状態が良好であること、を言い当てるという検証結果が得られています。

また、互いに面識のない5人の、霊体の色をオーラとして感知できる能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。

したがって、霊体と肉体両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を隈無く包み込んでいる霊体を持っている。
霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。

そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の一年半の繰り返しによって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性の証です。

 
⑤ 残留思念仮説」について

2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
 
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
 
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、『留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
 
と告げています

以上のような2007年の諸霊信を受け取ってから、12年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に強い未練があるために霊界へと上がることができず、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬によって、魂表層の『現世の者』から分離した嫉妬の思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」として、対話をおこないます。
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらは苦しみを訴え、理解を求めている霊的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
 
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
 
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

 
まとめ

わたしの探究の原点は問題意識です。
それは、われわれはどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、さらに意識を生み出しているものは何であるのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
 
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を再検討し補充・変更していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を進めることです。

しかしながら、意識現象の探究は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験の内観の報告を手がかりとするしか方法論がありません。
 
それら意識体験の内観報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた見解を大きく7点列挙してみます。


ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から分離し自由になり、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。


良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると、心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げています。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。
生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。
周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
 
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、きわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていない。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わる。
来世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって描かれるらしい。
しかし、現世に生まれてきた使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、忘却された、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えない。
肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえにすべて魂の主体性に任されている。

さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたし宛ての霊信はインスピレーションといってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、催眠研究の新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱は、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、一笑に付すか無視するかして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、一切の公的束縛から解かれて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れの妄想ではなかろうと思います。

大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。

さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」 と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を語りかけてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2021年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
 
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
 
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
その理由を「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。


タエの事例は偶然ではありません。
計画されあなたに贈られたものです。
計画を立てた方はわたくしではありません。
計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。


あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしよりさらに上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のために試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションがあなたの守護霊からのメッセージです。 
それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
 
世界の三大霊信と呼ばれている、スティトン・モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
 
わたし宛て霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしの手によって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。

霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
 
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、軽々に語られることには抵抗が生じます。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。

したがって、わたし宛て霊信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もしないが、容認することも判断留保としておくことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたし宛て霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときにくるものは来ると「遊びごころ」でもって、肩の力を抜いて、楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点の到達点です。

さて、「催眠学序説 その140」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたし宛の霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、高級霊から次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれたようです。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。
やはりわたしにとっては、自分自身の直接体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その直接体験を認めさせる真実性の実感があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、高級霊界がヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからのわたしが、SAM前世療法を、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリングの謎も、わたし宛て霊信の真実性も、おのずと開示されていくのではないかと思います。
また、そうした開示がされないにしても、霊的真理を広める道を淡々と愚直に進む過程で、わたしは霊的に成長できるのではなかろうかと思っています。

総括

縷々述べてきましたが、最後にSAM前世療法の意義と霊的使命について被験者の感想に基づいて3点にまとめてみます。

① 現在の人生のありようは前世の人生のありようと分かちがたくつながっているという気づきと、自分という存在が死後無になるのではなく、何らかの形で死後の存続がありうるという事実への気づきができること。

② 現世の人生は、前世・来世へと連綿とつながっている鎖の一つであるという人生観・世界観への気づきと、そうした視点によって自己の人生を再解釈し、相対化できる超越的視点の獲得ができること。

 ③ 守護霊をはじめとする霊的存在からの啓示ないしメッセージによる、自己の現在を生き抜く意味と自己の使命への気づきが獲得できること。

 これら3点は、いわば宗教的認識に類するものですが、あくまでSAM前世療法のセッションの過程で被験者がみずから獲得していったもので、セラピストのわたしが注入したり押しつけたものではないことを確認しておきたいと思います。

これらの3点を、被験者が少なくとも「主観的事実」として自ら深く洞察した結果、新たな人生観・世界観へと至り、そのことが自らの人生に新たな意味づけ、価値づけ、方向づけが促され、諸症状の改善と、ひいては人格的成長がなされること、このことこそSAM前世療法の存在意義であり使命だと考えています。

そして、最終的に、「超越的叡智の獲得」を可能にしていくのがSAM前世療法の霊的使命であると思っています。

大変迂遠な仕事ではありますが、こうした地道な営みを途切れなく続けていくことが、閉塞的で混迷に陥っている現代社会の状況を変革していく一助になることを願っています。


2021年4月2日金曜日

グレン・ウィリストンの前世療法再考

SAM催眠学序説 その139

ウィリストンはなぜ前世人格の顕現化という発想ができなかったのか   

グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999は、20年以上前の出版ですが、前世人格の顕現化を前提とするSAM前世療法にとって、きわめて興味深い記述が随所に見受けられます。

グレン・ウィリストンは臨床心理学において博士号を取得し、数千人の人々に前世療法(過去生療法)を施し、1999年当時アメリカ代替療法協会の会長を務めていた著名な人物です。

この『生きる意味の探究』を読み直し、ウィリストンの前世療法の見解について再考してみたいと思います。

ちなみに、わたしが知人からこの本を譲渡をしていただき、初めて目を通したのは、2010年のことであり、2009年にあらわれた応答型真性異言「ラタラジューの事例」以後のことです。                                                                                                                  したがって、「前世人格の顕現化」という仮説に立つSAM前世療法の創始に、この本からの影響を受けていることはありません。

さて、SAM前世療法の観点から読み直し、わたしが注目した記述箇所を、前掲書からいくつか取り挙げてみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある人物が、催眠状態で、過去に生きていた人物になりきり異なる抑揚や調子で話し始め、一般には知られていない表現や、今はすっかり廃れてしまった流行語を使ったり、現在の人生では使ったことのない外国語すら話し始めたりする・・・(前掲書P.23)

彼女は過去生へと戻っていたのだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた。・・・ジャネットは、当時の人生ではメアリー・ブルーリーという名前の女性として生きていた。(前掲書PP.26-28)

退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。このような「意識の分割」は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった(前掲書P.61)

わたしは しばしば、その時代をどの程度認識しているかを調べるために、現在の道具などについて質問する。過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる(前掲書P.121)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記引用部分のを読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」としてとらえていると判断できます。
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの記述から明らかだと思われます。
他にも、「トラウマの 根本原因となった出来事を思い出して再体験する」(前掲書P.63)、「退行した人生の記憶が、本物である・・・」(前掲書P.73)などの記述から、彼の過去生退行セッションの考え方の前提は、あくまで 「前世記憶の想起」であることに異論はないでしょう。

しかし、では、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった」というクライアントの「意識の分割」状態を述べています。

また、ではウィリストンが「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる」という不思議かつ奇妙な現象を述べています。

わたしが疑問に思うのは、上記③④の意識現象をきちんととらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という立場にこだわり続けるのか、という点です。

のように、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」るのであれば、前世の記憶の想起ではなく、前世の人格そのものが顕現化し、クライアントの身体を通して自己表現しているのだ、と現象学的にありのままになぜ解釈することができないのでしょうか。

東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた」というクライアントの声の変質状態を観察しながら、これは記憶の想起ではなく、英国少女の前世人格が、ただいま、ここに、顕現化して語っているのだ、となぜとらえることができないのでしょうか。

ま た、のように、「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる」ことを、ありのままに 受け取れば、「けげんそうな表情」を浮かべる主体は、クライアントではなく、それとは別個の、つまり、クライアントに、「けげんそうな表情」を浮かべさせた主体は、クアライアント自身ではなく、「過去生の人格」そのものだと解釈しないのでしょうか。

これまで、「何千人もの人々と」(前掲書P.23)前世療法をおこなってきたウィルストン が、なぜ、「前世人格の顕現化現象」ではないだろうか、という柔軟な解釈、ないし仮説に至ることができなかったのか、それは彼の思考が、霊的現象に対して否定的で、既存の心理学の枠組みにとらわれ、硬直していることが理由のように思われます。         さらに、応答型真性異言現象に遭遇していないことが大きな要因だと思われます。 

ちなみに、別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる(前掲書P.61)というウィリストンの記述は、きわめて興味深く思われます。
この記述は、SAM前世療法のセッションにおける、前世人格顕現化中の意識状態の仮説である「三者的構図」そのものだと言えるからです。

三者的構図」とはSAM前世療法セッションにおける、「セラピスト」、「クライアント」、「顕現化した前世人格」の三者関係を意味するSAM催眠学の用語です。

「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開されます。
SAM前世療法セッションでは、この「二者的構図」が、前世人格が顕現化した時点から、SAM前世療法の「前世人格と直接対話する」という独自の仮説に基づき、特異な「三者的構図」に移行します。                
セッションの前半では、セラピストのわたしは、クライアントの催眠深度を深めるためにクライアントに対して、つまり、二者関係で、「魂状態の自覚」に至るまで徹底して催眠誘導をおこないます。                                 

「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと移行します。
 
この移行によって、セラピストの「わたし」対「前世人格」の対話、それをひたすら傾聴している「クライアントの意識」という三者的構図に移行したセッションが展開します。
この間、「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することはできません。

肉体のない前世人格は、クライアントの肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているのであって)、対話している主体は前世人格であり、クライアントではない、と考えているということです。

こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載してみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタラジューの言葉を伝えていました。
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
こうして、ウィリストンの述べている別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は・・・必ずと言っていいほど見られる」という記述の『意識の分割』とは、セラピストの「ウィリストン」対「顕現化した前世人格」との対話、その対話に介入が許されず傾聴しているのみの「クライアントの意識」という三者的構図そのものを示していると解釈しても異論はないと思われます。

つまり、ウィリストンの言う「クライアントの意識の分割状態」とは、「現世のクライアントの意識」と「顕現化した前世人格の意識」の二つの意識に分割されて併存している状態を指していることにほかなりません。
しかし、そこには、現世のクライアントの意識とは別個に「顕現化した前世人格の意識」というとらえ方はされていません。
どこまでも、「セラピスト対クライアント」という二者的構図における、クライアントの「意識の分割」状態なのだというとらえ方しかできないのです。

ウィリストンが、どこまでも「現世のクライアントの意識の分割」としかとらえることができなかったのは、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(前掲書P.316)などの誘導法に、 最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という前提と、既存の心理学の枠組みの固定観念の束縛から、ついに脱することができなかったからだ、とわたしには思われます。
もし、彼にも、わたしが受け取ったような霊信現象が起きていたら、わたしの主張する仮説を持つに至ったかもしれません。

そして、ウィリストンは、「私は、生まれ変わりの存在にこれぽっちの疑いも抱いていない。過去生退行を何千回も経験すれば、それだけで、十分な説得力があるからだ」(前掲書P.24)と断言し、したがって、生まれ変わりの科学的実証をする必要はないと主張しています。

さらに、その理由を次のように重ねて述べています。

ウィリストンは、「私が過去生記憶の検証をする理由は、『生まれ変わり』の真実性を証明するためではない。なぜなら、世の中にいくらでも転がっている生きた証拠を見れば、そんな証明など不必要だからである(前掲書P.96)」と。

 わたしの知る限り、前世療法中のクライアントの語りを綿密な科学的検証にかけて、「クライアントとは別個の前世人格が顕現化し、クライアントの身体を借りて自己表現しているのだ」と いう解釈を表明しているのは、3例の応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。

こうして、ウィルストンとは違い、厳密な科学的方法論によって、生まれ変わりの実証研究に打ち込んだスティーヴンソンは、前世療法によって語られる前世の記憶について、どのような見解を持っていたかを紹介します。

スティーヴンソンは、前世の記憶を催眠によって探り出すことには基本的に反対の立場をとっています。
それは、彼が、前世の記憶をある程度持っていると思われる者を催眠に入れ、前世想起の実験を13件実施し、地名・人名を探り出し特定しようとした試みがすべて失敗した(『前世を記憶する子どもたち』教文社、P.80)ということにあるようです。
こうして、催眠中に前世の記憶らしきものが語られたにしても、催眠によって誘発された催眠者に対する従順な状態の中では、何らかの前世の記憶らしきものを語らずにいられない衝動に駆られ、通常の方法で入手した様々な情報をつなぎ合わせて架空の人格を作り上げてしまう可能性が高いと主張します。
そして、催眠中に語られたリアルな前世の記憶が、実は架空の作話であったと検証された実例を数例あげて、催眠が過去の記憶を甦らせる有効な手段だと考えるのは誤った思いこみであって、実際には事実からほど遠いことを証明しようとしています。
こうした事実からスティーヴンソンは、次のように痛烈な前世療法批判を展開しています。

「遺憾ながら催眠の専門家の中には、催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それによる大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている」(前掲書P.7)   

このスティーヴンソンの批判に対して、生まれ変わりは疑う余地がなく前世記憶の科学的検証は不要だと主張するウィルストンは、どう反論するのでしょうか。

スティーヴンソンは、「トランス人格(催眠性トランス状態で現れる前世の人格)」 が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表明しています(『前世の言葉を話す人々』(PP.9-11)。
彼は、「グレートヒェンの事例」で、グレートヒェンが応答型真性異言を語るセッションを目前で見学し、クライアントが「前世の記憶」として、応答型真性異言を語っている、という固定観念の不自然さ、不合理さに気づき、「前世の記憶」ではなく、「トランス人格そのものが顕現化して語っている」、という解釈の転換をせずにはいられなかったのでしょう。
しかし、スティーヴンソンは、「トランス人格」の存在する場についてはついに言及していません。

そして、わたしは、SAM前世療法において、顕現化する前世人格の存在の場は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情や記憶を保つ意識体として死後存続している、という作業仮説を立てています。

したがって、セッション中にわたしが対話する相手(主体)は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した前世人格そのものであり、しかも現在進行形で対話している、と了解しています。

こうした現象は、現世のクライアントの魂表層に存在する前世人格が、クライアント自身に憑依して、わたしと対話している、ということになります。
このような憑依現象は、これまで報告されたことがなく、したがってこの現象を表現する用語もありません。
そこで、SAM催眠学では、この憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。
つまり、前世人格の顕現化現象は、自己内憑依現象である、というとらえ方をしているということです。

こうした作業仮説とそれによって観察される意識現象の解釈に、たしかな自信を与えたのが、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と「タエの事例」の検証によって、生まれ変わりの実証に肉薄できたことでした。
ただし、SAM前世療法の霊的諸仮説をわたしに教示したのは、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在からの、これまた唯物論者が目を剥いて否定するであろう「霊信」という超常現象です。

このように、唯物論に真っ向から対立する仮説に立っておこなうSAM前世療法は、世界唯一の前世療法であり、純国産の前世療法だと自負しています。
そしてまた、「前世人格の実在」、つまり「生まれ変わりの実在」の科学的実証性に、かぎりなく肉薄できる可能性をはらんで定式化された世界唯一の前世療法である、という自負があります。

特許庁は、SAM前世療法の仮説の独自性とそれに基づく技法の固有性を審査し、それまで流通してきた普通名詞の「前世療法」とは明らかに別個の仮説と、それに基づく誘導技法による特異な前世療法として、「SAM前世療法」の名称を、第44類の登録商標として認めてくれたのです。

2021年3月3日水曜日

前世人格顕現化の発見と仮説の成立

SAM催眠学序説 その138

 

『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究について次のように解説しています。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略)

スティーヴンソンは、「生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある」。「どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない」。「私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。

もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか』とお聞きしたいと思う」と述べている。
 (イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしも、上記解説にまったく同感です。
you-tubeで公開している「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の証拠動画、および逐語録とその解説を、虚心坦懐に見聞きしたうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実である、と納得なさいますかと、わたしも、スティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。

人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ死後も存続することが科学的に証明されれば、人生観・世界観はもちろんのこと、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。
そうであるからこそ、そして、わたし自身も死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは、誰もが「生まれ変わり」という大きな問題の真偽に対して、当事者性をもって真剣に取り組むことが必要なのだと考えています。

そして、唯物論者であったわたし宛に、霊信が来るという超常現象が起き、霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について、開示を受けることになりました。
わたしは、催眠を道具に用いた科学の方法によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。

しかしながら、わたしの検証によって得られた魂の転生と生まれ変わりの事実は、検証の方法論が、被験者の「意識現象の事実」を対象にするしかない、という限界があるため、間接的な証明でしかありません。

そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、わたし宛に霊信を送信してきたであろう霊的存在に対する、わたしの義務だろうと思っています。

要約すれば、わたしの肉体の死後も、わたしの霊体に宿っていた現世の人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する前世人格の一つとして位置付き、やがてわたしを魂表層に位置づけた魂(全体)は、その成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体に宿る。このようにして、わたしは「生まれ変わっている」ということが、これまでの10年余のSAM前世療法による生まれ変わりの探究から得た現時点における知見です。
ちなみに、わたし宛霊信によれば、現世のわたしは369回目の魂の転生なんだそうです。

それでは、生まれ変わりを探究するSAM前世療法の独自・固有の立場である「前世の人格を呼び出す」という仮説が、どのような経緯によって発見され成立してきたかについて、時間軸にそって述べてみます。

 

1「タエの事例」との出会い(2005年5月)


2005年5月、被験者里沙さんへの前世療法実験セッションをおこないました。
この時点では「SAM前世療法」は、開発されていませんから、従来の「前世の記憶」を想起するという前提で、この「タエの事例」が遂行されています。

以下は、「タエの事例」の逐語録抜粋です。

(『前世療法の探究』春秋社、PP.156-160)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

里沙:安永九年。(1780年)

注:安永は9年で終わっていることがセッション後判明。安永という年号があることは、私を含めてその場の実験セッション同席者7名全員が知らなかった。

稲垣: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。

里沙:桑の実を摘んで食べる。

稲垣:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

里沙:真っ赤。(微笑む)①おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

稲垣:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (里沙頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も一緒に葉を摘んでますか?(里沙頷く)楽しそうに。(里沙頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。さあ今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

里沙:馬小屋。みんなも。

稲垣:下は?

里沙:ワラ

稲垣:どんな物を食べてますか?

里沙:ヒエ。

稲垣:ヒエだけですか。おかずは?

里沙:ない。

稲垣:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (里沙頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

里沙:馬小屋。

稲垣:馬小屋で寝るの。お布団は?

里沙:ない。

稲垣:寒いときは何にくるまるのですか?

里沙:ワラ。

稲垣:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

里沙:着物。

稲垣:着物の生地は何でできていますか?

里沙:分っからない。

稲垣:粗末なものですか。(里沙頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

里沙:きれいな手じゃない。

注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

稲垣:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

里沙:天明3年。(注:1783年)

稲垣:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

里沙:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。

注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この 夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。その後に火砕流による自然のダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』として残って いる。この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの通常の水面から10メートル近く高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。わたしは現地で浅間石の確認をしている。吾妻川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。この流死者こそタエだと推測できる。また、「くるま流れ」の「くるま」は、渋川村上郷から吾妻川岸辺(川原)までタエを乗せて運んだ大八車だと推測できる。

稲垣:火が渋川村から見えますか?

里沙:うん。

稲垣:噴火の火がみえますか?

里沙:フンカ?

注:天明の頃には「噴火」という語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼」と言った。

稲垣:噴火って分かりませんか? (里沙頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

里沙:熱い!

稲垣:煙も見えますか?

里沙:は、はい。

稲垣:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

里沙:白い灰が毎日積もります。

注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が相当量積もったことは事実である。

稲垣:どのくらい積もるんでしょう?

里沙:軒下。

稲垣:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

里沙:分からない。

稲垣:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

里沙:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。

注:火山灰に苦しむ村々が、鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いて噴火を鎮めようとしたことは当時の旅日記などに残されている事実である。当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りと見なした。

稲垣:その結果なにが起きてますか?

里沙:龍神様は川を下ります。

注:浅間山は、当時龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。タエは吾妻川を下る龍神の花嫁として、川中の柱(橋脚)に縛られ供えられた。

稲垣:その結果どうなりました?

里沙:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。

注:2006年10月放映のアンビリバボーでは上記「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由 が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが分かりやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名の同席者のうち1名 だけであり、私も知らなかった。

稲垣:自分から志願したの?

里沙:そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)②おいしいごちそう食べて・・。

稲垣:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

里沙:村のために・・・。

稲垣:誰か勧めた人がいますか?

里沙:おとっつあん。

稲垣:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。

注:7年後の再セッションで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ、吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための船着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を救うために、人柱を必要としたと推測できる。タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。

里沙:恩返し。みんなのために(微笑む)③うれしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このセッション逐語録の話者「里沙」を「タエ」に置き換えて違和感があるでしょうか。
わたしには「タエ」であったときの前世の記憶を、「里沙」が想起し話している、として解釈することに大きな違和感を感じました。

ありのままに受け取れば、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起して語っているのではなく、「タエという人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の人生を語っている、と受け取ることがごく自然であると思われました。

つまり、タエの人格そのものが、被験者里沙さんの肉体を借りて顕現化し、自分の人生を語っているのではないか、という直感が湧き起こったのです。
この思いは、下線を引いた(微笑む)という里沙さんの表情①~③の個所でより強い実感になっていったのです。(注:you-tube公開の「タエの事例」動画参照)

微笑んでいるのは里沙さん自身の表情ですが、微笑ませている主体は、里沙さんではなくタエの人格そのものではないかと思われました。
事実、セッション中のわたしの意識は、里沙さんではなく、里沙さんとは別人格のタエの人格を対象にして対話していたのです。

里沙さんの肉体は、前世人格タエが顕現化するための媒体ではなかろうか、という奇抜な発想と問題意識が生まれた瞬間でした。                

しかし、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、2005年当時の前世療法では、前世人格の顕現化という発想を持った前世療法は皆無でした。(2021年現在も)     

そして、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格タエはいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の場からなのか。

肉体の臓器である脳は、死後消滅します。

当然脳内に保存されていた現世の記憶も無に帰することになります。

にもかかわらず、脳内から前世の記憶があらわれることは論理的にありえないことになります。

そして、 記憶だけが死後も消滅せずどこかに存続している、という科学的実証はありません。

となれば、前世の記憶は、フィクションでしかないことになります。

SAM前世療法の成立前、2004年の立命館大学で開催された日本催眠医学心理学会/日本教育催眠学会の合同学会で、わたしが「前世の記憶を想起させた前世療法」の実践事例を発表した研究討議でも、大学の催眠研究者、医師など参会者の意見の大勢は、前世の記憶はフィクションでしかない、として批判を受けました。    (『前世療法の探究』春秋社、PP.137-148)

おそらく17年を経た現在でも、アカデミックな催眠関連学会のこうした見解は変化していないだろうと思われます。 

催眠中にあらわれる前世の記憶の真偽について、生まれ変わりの科学的研究の泰斗、イアンスティーヴンソンは、みずからの前世療法催眠実験の結果について次のように述べています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

前世の記憶 らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも思い出すのではないか、とお考えになるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているかも知れないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確に語ってはいなかった。催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく思い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外は他の術者に実験を依頼した。その結果、ただの1件も成功しなかった」(イアンスティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、意識が脳から生み出されるという科学的実証はいまだにないわけですから、この問題の判断は留保としておくしかありませんでした。

この3年後、SAM前世療法を開発した2008年に、SAM前世療法を用いて魂表層からタエの顕現化実験をおこない、タエの人格自身から前掲のセッションにおいても、魂表層から顕現化していたことを確認しています。このことは、前世人格タエは、たまたま憑依した第三者の憑依霊などではなく、里沙さんの魂表層を居場所にしている前世人格であることの実証であるととらえています。

同時にSAM前世療法の定式技法にしたがえば、前世人格の再顕現化が可能であることの実証であり、SAM前世療法は、「再現性の保障」という科学の条件の一つを満たしていると思います。

ちなみに、「前世の記憶」として扱った事例で、これは「前世の記憶」ではなく「前世人格そのものの語り」ではないかと思われた先駆的事例3例(亜由美の事例、佳奈の事例、佐恵子の事例)を拙著『前世療法の探究』PP.50-136で紹介しています。
こうして、前世人格顕現化の問題はひとまず棚上げし、「タエの記憶」として語られた前世の内容を徹底的に検証した結果を紹介した『前世療法の探究』を春秋社から2006年5月に出版しました。                      

管見するかぎり、少なくとも日本においては、前世の記憶を想起するという前提の前世療法によって、語られた前世の記憶を科学的検証にかけ、「前世の記憶」の存在がフィクションではないことを実証した書籍類は、現在においても拙著以外に知りません。

前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格はいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の居場所からなのか、この問題意識への執拗なこだわりこそ、その後のわたしの探究の原動力でした。

 
2 わたしあて霊信現象との遭遇(2006年1月~2月)
 
006年12月末、『前世療法の探究』を読んだ、当時26歳の東京在住の派遣社員であったM子さんから、拙著についての感想メールが届きました。続いて、翌2007年1月11日~2月14日の1ヶ月間、このM子さんを霊媒にして、パソコンの自動書記によるわたしあての霊信が毎夜届くという超常現象が起こりました。わたしあて全霊信は、『SAM催眠学序説 その47~72で公開しています。

2007年1月23日の第11霊信で

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。 あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と語り

そして、同じく第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。

第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体と、その表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。加えて、魂の表層には、「現世のわたし」の人格を担う者が位置付いている。

こうした霊信内容は、わたしの問題意識に対して大きな示唆を与えるものとなりました。
後にこれら霊信内容を作業仮説にしてSAM前世療法が開発されることになりました。  

 

3 M子セッションとの出会い(2007年1月27日


 こうした霊信を受け取っている最中の2007年1月27日、わたしは、霊信受信者M子さんの自動書記による霊信現象の真偽と、M子さんとわたしの前世での関係性を探るためのセッションをわたしのほうからお願いしました。

以下はM子さんとのセッションの逐語録の抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
M子:(毅然とした別人口調で)今はその必要はありません。

稲垣:どうしたらいいでしょう? 
わたしにできることは、仕事としては「そのもの」を癒すということが必要ではありませんか?

M子:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。
だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。だが、その傷は癒され始めている。それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。

稲垣:そうですか。

M子:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。

稲垣:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。
M子さんに代弁してもらえますか? その幼子の言葉を。
M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。

注:このあとM子さんの過去世である幼子の口調に変わって話す。                 

M子:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。

稲垣:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?

M子:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
でも、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。

注:この幼子「ぼく」は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の1つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に定式化されるSAM前世療法の前駆的現象である。

稲垣:分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。だから、あなたはそんなに悲しまないでください。

M子:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。

稲垣:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。

M子:うん。

稲垣:あなたは片腕をなくしていますか?

M子:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。

稲垣:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。
わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?

注:この後、幼子が大人の男性的口調になり、霊的存在が憑依したと思われる。    

M子:紀元前600年。

稲垣:どこのお国でしょう?

M子:・・・プ、プティアドレス。

稲垣:それは地球上にあった国ですか? ほかの惑星ですか?

M子:それは地球にあり、前後の違いにより、今は別の地名として伝えられている。

稲垣:日本ではないようですね。中近東とかヨーロッパですか?

M子:違う。

稲垣:中南米とか南米でしょうか?

M子:南米に近いが・・・パレンケ・・・パレンケ・・・。

注:パレンケ (Palenque) は、メキシコに存在するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構(ウィキペディア記事より)。わたしの前世の一つとして、古代都市パレンケの孤児院の教師をしていた、ということらしい。うがった見方をすれば、わたしあて霊信の受信者M子さんは、当然のことながら霊信の告げた魂の仕組みについて知っているので、それに合わせて、彼女の前世であるマヤのパレンケの片腕のない少年の話を、無意識的に創作して語ったという解釈も可能であろう。しかし、彼女が、パレンケ遺跡について知っていた可能性は、ほぼ棄却できる。したがって、わたしはM子さんの創作説を採らない立場であるが、残念ながらこのパレンケの片腕のない少年および、教師であったわたしの存在の真偽を検証することは不可能である。
ちなみに、当時26歳であったM子さんとは、2007年1月27日のセッションで会ったのが最初で最後で、その後メールのやりとりが断続的に続いたが、2008年以後2021年の現在まで、彼女のメール連絡先も携帯電話先も不通になり、完全に連絡手段は途絶えたままである。手を尽くしてみたが、彼女の居場所、状況などの消息も一切不明となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、このM子さんのセッションで注目すべきは、M子さんの前世として現れた少年の存在です。

「このお姉ちゃん(注:M子さんのこと)は、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね」

と語っている片腕のない少年「ぼく」のことばです。
少年「ぼく」は、この「お姉ちゃん(M子さん)」じゃない別人格ではあるけれど、稲垣と会話できるのはM子さんだけだ、そして、少年「ぼく」はずっとM子さんとずっと一緒にいる、と語っています。
この語りだけに注目すると意味不明ですが、このセッションの直前の霊信が告げていること、すなわち前掲の第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の告げた内容のうち

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。

と照合して意訳してみると、

少年「ぼく」は、死後もM子さんの魂の表層で、M子さんとともにずっと存在しており、お話している「ぼく」は、彼女の魂の表層から顕現化した前世の人格なのだ。だから、お話している「ぼく」は、現世のM子さんではない。彼女の魂表層に存在している前世の「ぼく」は、彼女の肉体を借りて顕現化でき、稲垣とお話できる、ということになります。

M子さんが、自分の前世である古代都市パレンケの片腕のない少年「ぼく」であった「記憶」を語っているのではなく、まさしく前世人格である「ぼく自身」が顕現化し、M子さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取らざるをえないのです。

2005年当時「タエの事例」において、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起してタエに代わって語っているのではなく、「タエという前世人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取ることがごく自然であるという直感は、霊信と少年「ぼく」の語りによって、はっきり裏付けられたと思われました。

このM子さんのセッションの4日前、2007年1月23日の第11霊信で告げられた

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

という予言は、「クライアントが前世の記憶を想起する」という従来の前提とはまったく異なり、「クライアントの肉体を借りて顕現化した前世人格自身が対話する」、という前提でおこなう、わたしにしかできない独自・固有の前世療法開発を意味しているのだ、と思わざるえない事態が起きたのです。

こうして、これまでの前世療法とまったく前提を異にした、「魂の表層を構成している前世人格自身を呼び出し対話する」という作業仮説と、新たな方法論と技法による前世療法を構築する試行錯誤が、その後2007年春から1年間にわたって続きました。
やがて、2008年春には、クライアントを「魂状態の自覚」へと誘導する世界に類のない新たな催眠技法が確立でき、魂の表層に存在している前世人格を呼び出すことが、9割の確立で成功することが可能であることが明らかとなりました。

この前代未聞の作業仮説による前世療法を、従来の「前世の記憶を想起する」という前世療法とは明確に識別するために、また、この前世療法が霊的であるがための誤解・偏見によって歪められ誤った形で流布されることを防ぐためにも、2008年春に「SAM前世療法」と命名し、商法登録をすることにしました。
SAM」とは、Soul Approach Methodの略です。
つまり、魂の状態にアプローチする方法による前世療法という意味を込めた命名です。


4 「ラタラジューの事例」との出会い(2009年5月)


そして、前世人格を呼び出し対話するというSAM前世療法の仮説を、自信をもって掲げることができた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、SAM前世療法独自の誘導技法にしたがって被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化させた前世の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。

被験者里沙さんが、ネパール語を学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので、ラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格の前世人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「スワシニ(妻)」、「アト・サトリ=8と70(78)」といった古いネパール語単語を用いて対話をしています。
こうしたネパール語の古語を里沙さんが秘かに学ぼうとしても学びようがありません。

さらに、対話相手のネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と問いかけ、そうです、という返事に対して、「お、お、・・・」と喜びを表明し、明らかに現在進行形の対話をしています。
ラタラジュー人格は、ただいま、ここに、被験者里沙さんの肉体を借りて憑依し、自己表現している、としか解釈できない人格ではないでしょうか。

前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形のきわめて象徴的な対話をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

:KAはネパー人対話者カルパナさん

里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、顕現化している、としか考えられない現象です。

この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。
つまり、ネパール語で応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依しているということです。
自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという憑依現象はこれまで知られていません。
そこで、SAM前世療法では、前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というSAM前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。

「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格(グレートヒェン)をどのように位置づけるか・・・」 (前掲書P.10)

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」(前掲書P.11)

応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。

「グレートヒェンの事例」の催眠臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンの語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。ちなみに「トランス人格」とは催眠中に現れた別人格のことです。

以上縷々述べてきた5年間の経緯によって、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を掲げるに至ったというわけです。

「心搬体(サイコフォア)と「魂」について


SAM前世療法では、「前世の人格」そのものを呼び出し対話するという仮説に基づいてセッションを遂行します。

したがって、肉体の死後も消滅することなく存続し、生前の人格、個性、記憶など心的要素を来世へと運搬する媒体(意識体)の存在を前提としています。
生まれ変わりには、志向性がなく、無目的で偶発的に起こるものではないとすれば、なんらかの志向性を帯びて死後存続する媒体(意識体)の存在を想定しないと、生まれ変わりを繰り返すという現象の説明が完結できません。

そして、なんらかの目的性・志向性を帯びて、生前の心的要素を運搬し死後も存続し続ける媒体(意識体)を、SAM催眠学では「」と呼ぶことにしています。
同様に、イアン、スティーヴンソンも「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』と呼ぶことにしたらどうかと思う」と提案しています。(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.359)

ただし、スティーヴンソンのいう心搬体(笠原敏雄氏の訳語)は、生まれ変わりを繰り返したすべての諸前世の、心的要素によって構成されている、とは述べていません。
また、心搬体になんらかの志向性や目的性のあることにも触れてはいません。

スティーヴンソンは、「私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているかはまったく知らないけれども、肉体ない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う」(前掲書P.359)と述べているだけです。
そして、心搬体は変化していくのではないかと思うとその変化の可能性に言及していますが、心搬体の変化になんらかの志向性や目的性のあることには触れてはいません。

こうして、スティーヴンソンのいう心搬体は、なんらかの構成要素によって成り立ち、変化していく可能性のある媒体であることが含意されていると推測できるでしょう。

心搬体とは、いわゆる(肉体に宿って精神作用をつかさどるもの)の言い換えでしょうが、「魂」という用語につきまとう宗教臭を払拭するために、科学的な中立性の意味を強調した新しい造語の「心搬体」という用語をあえて提案していると思われます。
したがって、心搬体の変化に関わるなんらかの志向性や目的性に触れることは、宗教臭を与えるおそれがあり、彼はそれに触れることをあえて自制しているのだと推測しています。

これに対し、SAM催眠学の「魂」は、なんらかの目的性・志向性を持った中心(核)となる意識体と、その中心(核)となる意識体の表層を、生まれ変わりをしてきた諸人格によって構成された二層構成になっていると定義しています。

この魂の「二層構成仮説」を単純化した視覚モデルにたとえると、魂はミラーボールのようなものになります。
中心となる球体(中心(核)となる意識体)と、その表面に貼り付いている1枚1枚の鏡体の断片(生まれ変わりをしてきた前世の諸人格)から、魂は構成されているというわけです。

この「魂の二層構成仮説」は、わたしあて霊信の告げてきたそのままの内容を作業仮説に採用し、その仮説の検証をおこなってきたSAM前世療法によって確認された「意識現象の事実」の累積をもとに提唱しているものです。

なお、 SAM催眠学の定義している上記の「魂」にも、宗教的意味合いは一切ありません。

一般におこなわれている前世療法は、クライアントのどこか(脳内?)に保存されていると思われる「前世の記憶」をイメージとして想起するという前提でセッションをおこないます。

それでは、SAM前世療法で扱う対象が、「前世の人格」でなければならない合理的理由はどこにあるのでしょうか。
わたしの主張している、「前世人格」を顕現化させて対話する、という奇抜・奇怪な仮説は、けっして人目を引くために奇を衒っているわけではありません。
こうした仮説にたどりつく必然性の経緯があったということです。

なぜ、「前世の記憶」では不都合なのでしょうか。
このことは、SAM催眠学における本質的、かつ中核的で重要な問題です。

わたしが、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を持つに至った2005年~2009年の5年間に起きた経緯については述べてきたとおりです。

6 生まれ変わりの志向性についての考察

こうして、セッションであらわれた「意識現象の事実」の12年間の累積から、わたしが、魂と生まれ変わりの実在を認める立場を主張している理由は、

それら「意識現象の事実」を、魂の実在や生まれ変わりの証拠として認めることが直感に著しく反していないからであり、

魂と生まれ変わりを事実として認めることが、不合理な結論に帰着しないからであり、

前世人格の顕現化という霊的現象(とりわけ応答型真性異言現象)が、唯物論的枠組みからはどうしても説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の二層構成を前提として導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、「意識現象の事実」として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることが、クライアントの「意識現象の事実」として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な「意識現象の事実」に対して、何としても唯物論的解釈でおさめようとこだわることは、現行科学の知の枠組みに固執した不毛な営み だ、とわたしには思われるのです。

魂状態の自覚、そこであらわれる前世人格の顕現化という「意識現象の事実」に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、霊的意識現象の探究を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す「意識現象の諸事実」は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂と生まれ変わりの実在を認めることを非科学的だと回避する立場で、あるいは魂や霊的現象はすべて妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

わたしの主張する「魂」の存在を想定せずに、「臨死体験」や「前世の記憶」を説明しようとする理論に量子論を援用した理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されている「量子脳理論」があります。

 「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」
 
という主張(仮説)が「量子脳理論」による「臨死体験」と「生まれ変わり」の説明です。

イアン・スティーヴンソンの後を継いだバージニア大学のジム・タッカーも、量子脳理論に同調していると思われ、スティ-ヴンソンの提案している、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する『心搬体』という媒体を想定する」という生まれ変わりの説明概念を放棄しているようで、次のように述べているようです。

量子論の創始者であるマックス・プランクなど、一流の科学者は物質よりも意識が基本的であると語りました。つまり、意識は脳が生み出したのではないのです。脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます」「意識は量子レベルのエネルギーです。ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くのです」

 ジム・タッカーが、イアン・スティーヴンソンの提唱している生まれ変わりの説明概念である、「心搬体」という媒体の存在をなぜ考慮せず、なぜこのような量子論による考え方に至ったのかの合理的根拠も、理由も不明です。
「心搬体」のような霊的媒体を想定した説明より、最新物理学の量子論による唯物論的説明のほうが、科学的で説得力があるのだと考えているのでしょうか。
あるいは、「心搬体」も意識体として、次の肉体に宿るまでの間、量子レベルのエネルギーの形でどこかに存在していると考えているのでしょうか。
そもそも、「意識」がどこで生まれるかが分かっていない現時点で、「意識は量子レベルのエネルギー」だとなぜ断定的に言えるのでしょうか。

ハメロフやタッカーの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。
応答型真性異言の応答的会話は、「情報」には還元できない暗黙知である「技能」です。「意識・情報」の伝達は量子論で説明できても、「技能」の伝達は量子論では説明できません。
したがって、会話技能の発揮である「応答型真性異言」現象は「量子脳理論」では説明できません。
言語に置き替え可能な「記憶情報」と、言語に置き換え不可能な「技能」との決定的に重要な相違を無視した粗雑な「説」が、「量子脳理論」だと言うほかありません。

この事実を前にすれば、「量子脳理論」による生まれ変わりの説明が破綻していることはすでに明らかです。
わたしに言わせれば、現時点で「量子脳」の実在が実証されているわけではなく、量子脳という唯物論的観念論による検証不能な「説」の域を出るものではないと思っています。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識が、偶然に現世の誰かの肉体(脳)と結び付くことを「生まれ変わり」だと言うのであれば、霊信が告げ、これまでに模式図で提示した「死後も存続する魂が、ある目的・志向のもとに新しい肉体に宿る」ことを「魂の転生」と呼び、それにともなって、魂表層の、生前は現世人格であった者が前世人格となり、新たな現世人格が位置付くことを「生まれ変わり」と呼ぶとする、SAM前世療法の作業仮説においては、到底受け入れることはできません。

意識は量子レベルのエネルギーであり前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くということが事実であれば、それは、「たまたま脳に貼り付いている誰かの前世記憶が蘇っただけの現象」というべきでしょう。
魂の存在を排除し、生まれ変わることに目的性や志向性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとすることを、SAM前世療法セッションで確認してきた「意識現象の事実」から、認めることはできません。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおける「意識現象の事実」として確認してきた、何らかの目的・志向帯びて死後存続する魂が、その器である肉体の死後、次の新しい肉体に宿り、転生を繰り返している、という事実に反するからです。
また、わたしあて霊信の告げた、転生する魂の仕組みに反しています。

魂表層から呼び出し、科学的検証を経ている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という「意識現象の事実」が、このことを如実に実証しています。

宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとするなら、「生まれ変わり」は、無意味な、単なる偶然の産物であり、その繰り返しには、もともと意味や志向性など全くないということになります。

魂、あるいは心搬体の存在を否定し、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、誰かの脳に貼り付き宿ることを生まれ変わりだとすれば、たとえば、現世の里沙さんにとって、もはや「ラタラジュー」も「タエ」も、何らかの目的・志向を帯びた魂が宿っていた人格とはいえず、現世の彼女とは一切のつながりのない、まったく無関係・無縁の死者である、タエやラタラジューの意識が、たまたま、偶然に、里沙さんの脳に貼り付いているだけだ、ということになります。

したがって、タエやラタラジューにも、何らかの目的・志向を帯びて死後存続する同じ魂が宿り、その同じ魂が現世では里沙さんに宿って転生していると、もはや言うことはできません。

「前世の記憶」と言う場合においても、「現世に生まれ変わっている私とは無縁ではなく、つながっているはずの前世であったときの記憶」という含意があるはずですが、タッカーによれば、脳に偶然貼り付いた前世の記憶とは、「何らかの目的・志向のもとに生まれ変わった現世の私が、前世の人生を生きていたときの記憶」とは、呼べないことになります。

ただし、付言しておきますと、生まれ変わりの研究者の間でも合意されている「生まれ変わり」の明確な定義があるわけではありません。

SAM催眠学の「転生」と「生まれ変わり」を区別する定義は、「魂の二層構成仮説」から必然的に導き出されてきた「創出的定義」creative definition であり、これまでになかった定義です。
辞書的定義によれば、「転生」と「生まれ変わり」の意味の区別がなく、両者は同義語となっています。

SAM催眠学では、魂全体が、その器であった生前の肉体の死後、何らかの目的・志向のもとに、新たな別の肉体(器)へと宿ることを「魂の転生」と定義しています。

そして、魂の転生にともなって、魂の表層を構成していた「生前の現世の人格Aは、肉体の死後「前世の人格Aとなって魂表層に位置付き、「現世を生きる肉体を持つ別人格Bが、魂表層の構成要素として新たに位置付くことを、「前世のAが現世のBへと生まれ変わる」と定義しています。

新しい理論(仮説)を構築すれば、それにともなって、これまでになかった新しい概念を意味する用語が必要になるのは当然のことです。
SAM催眠学の「自己内憑依」や「魂遡行催眠」という用語も、それらの一つです。

また、魂の転生と、それにともなって「前世の人格」が「現世の人格」へと生まれ変わるのは、惰性や偶然によるものではなく、なんらかの目的性・志向性を帯びておこなわれている、これがSAM前世療法でこれまで確認してきた「意識現象の事実」です。

このブログを開始してからの国内・国外の累積アクセス数は、24万回を超えています。
けっして読みやすい内容ではないにもかかわらず、これまでお読みくださった読者のみなさんに感謝いたします。

縷々述べてきましたが、「SAM前世療法」の誕生と、そのセッションの累積から構築してきた「SAM催眠学」は、里沙さん、M子さん、わたしあて霊信、そして故イアン・スティーヴンソン博士の先行研究、催眠学者故成瀬悟策医学博士の先行研究、また、論理的思考、哲学的思考の訓練を惜しみなく教示してくださった、上越教育大学大学院杵淵俊夫教育学博士などの諸恩恵なしには、展開できることはけっしてありえなかったことに深謝いたします。

 

2021年2月3日水曜日

「意識」はどこで生み出されどこに存在するのか

                  SAM催眠学序説 その137

 

「意識」はどこで生み出され、どこに存在するのか 、この問題は「SAM催眠学」とそれにもとづく「SAM前世療法」にとって根底にある最大の問題であり、現代唯物論科学において今でも未解決のままの問題です。

「生まれ変わり」の実証的探究を志すわたしの基本的立場は、意識は脳では生み出されてはいないはずであり、脳以外のどこかで生み出された意識は、脳以外のどこかに存在しているはずだということでした。

こうした立場を「心と脳の二元論」と言います。もし、脳(肉体)の死によって、すべてが無に帰するとしたら、「生まれ変わり」という現象は説明できないからです。

死によってすべてが無に帰する、という考え方を「帰無仮説」と言います。「帰無仮説」は脳が意識を生み出している、という「心と脳の一元論」に立っています。

「心と脳の一元論」の妥当性について、2006年当時、わたしは次のように述べて批判しています。

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 一般に信じられている言説、つまり、心は脳の随伴現象であり、脳の消滅とともに心も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて棄却されることになる、という言説は、唯物論科学の立場からその立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではないのです。(稲垣勝巳『前世療法の探究』春秋社、2006、P.245)

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2006年から14年後の現在も、私の 「心と脳の二元論」の立場は揺らぐことはありません。そして、この14年間に「心と脳の二元論」と死後の世界の可能性が、医学や量子物理学の研究者から主張されるようになっているようです。                          

そうした主張を、サイト『トカナ』と『カレイドスコープ』から引用・抜粋して紹介します。                               

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サイト 『トカナ』より引用・抜粋

 米「タイム」誌の「世界で最も影響力がある100人(2014年度)」にも選ばれた、再生医療の専門家ロバート・ランザ博士が、死後の世界を肯定する発言をしていたことが判明した。

■量子論と意識の奇妙な関係

 米ニュースサイト「Collective Evolution」(1月14日付)によると、ランザ博士は著書「Biocentrism: How Life and Consciousness Are the Keys to Understanding the True Nature of the Universe(生命中心主義:いかに生命と意識が宇宙の本質を理解するための鍵であるか)」において、物質ではなく生命と意識こそ現実理解のための基礎的な要素であると断言、意識は肉体的な死とは別物である上、脳が意識を生み出しているわけではないと主張しているというのだ! 随分と大胆な説であるが、ランザ博士によると、量子力学の「二重スリット実験」を例にとれば、簡単に理解できるという。

 量子論の世界では、最も基本的な思考原理である矛盾律(AがB、かつ非Bであることはない)が通用しない状態である「量子の重ね合わせ」が長らく世界中の科学者を悩ませてきた。「二重スリット実験」では、2つのスリット(細長い穴)を通った電子が壁に衝突して作る痕跡をもとに電子が波なのか粒子なのか確定されるはずだったが、観察者がいない場合、電子は“波”の性質に見られる干渉縞を作り、観察者がいる場合、“粒子”に見られる痕跡を残すという “非科学的な”事態が生じたことで大問題となる。つまり、電子は「波であり、波じゃない」、「粒子であり、粒子じゃない」という矛盾する性質を抱えていることが判明したのだ。

「死後の世界」が存在することが量子論で判明! 米有名科学者「脳は意識の受け皿にすぎない」の画像2二重スリット実験。観察者有、粒子パターン(上)、観察者無、波パターン(下)「Daily Mail」より引用

 ここで問題となるのは何より「観察者」の存在だ。物理的世界に直接の影響力を持ちそうもない「観察」という“意識的な”行為が、どういうわけか量子レベルでは大きな影響力を持ってしまっているのである。このことを量子論の生みの親であるマックス・プランクは、「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」と驚きを持って受け入れ、ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者ユージン・ウィグナーも「意識に言及することなしに、量子論の法則を定式化することは不可能だった」と語っている。

 もし全宇宙から人間を含めた意識を持つ者が全て絶滅しても、宇宙は存在するだろうか? 常識的に考えれば、一切の生命がいなくなっても物質世界は存在していると思われるが、ランザ博士はそう考えない。なぜなら、二重スリット実験で示されたように、意識が物質世界よりも根源的だと考えるからだ。

■心が物質をつくる

 この論理に従うと、肉体(物質)と意識の因果関係が逆転する。つまり、意識が現実を生み出しているならば、発生の順番が脳(物質)→意識ではなく、意識→脳(物質)でなければならないため、肉体(物質)が死んでも、意識まで消滅する必要はない。こうして死後の(意識)世界が認められるというわけだ。

 オカルト的には随分と魅力的な仮説であるが、意識がいかにして物質世界を作り出しているのか、その原理はまだ分かっていない。そもそも科学はおろか、哲学においても「意識とは何か?」という根本的な問いにさえ答えることができていないのが現状である。意外と魂の不滅を認めるキリスト教や、輪廻転生を絶対的事実とするヒンドゥー教などの方が、科学よりもずっと真実に近いのかもしれない。

 

 サイト 『カレイドスコープ』より引用・抜粋

 オランダの心臓外科医ピム・ファン・ロンメルの主張

「人間の意識は肉体の中にあるのではない。 脳とは、肉体の外にある意識と肉体をつなぐ装置である。
脳は単なる意識を受け取る受信装置に過ぎず、その意識は時空を超えた特別な場所に存在している」。

その上、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師であるサム・パーニアが指摘しているように、何人かの臨死体験を経験した患者の酸素レベルは正常で、臨死体験をしている間中、臨終状態ではなかったのです。
(彼の蘇生技術は素晴らしく、ニューヨーク病院の心停止蘇生率を2倍にしたほどです)。

パーニアは、「患者の酸素レベルを落とすことは、急性錯乱状態を引き起こすことにつながっており、臨死体験をした患者が明瞭な意識を持った状態で証言した内容と矛盾する」と述べています。

「生と死の狭間には、それを遮断する壁のようなものがあるわけではなく、死とはプロセスである」。

現在はっきりしているのは、人間の意識が消滅するわけではないということだ

「意識は”死”のあとも、数時間は存続する。外側からは見ることができない冬眠的状態であるとしても」。
心臓蘇生の世界的権威サム・パーニアの主張
「生と死の狭間には、それを遮断する壁のようなものがあるわけではなく、死とはプロセスである」。

「現在はっきりしているのは、人間の意識が消滅するわけではないということだ」。

「意識は”死”のあとも、数時間は存続する。外側からは見ることができない冬眠的状態であるとしても」。

( 「脳波停止の後」に残る意識:蘇生医療の最前線から WIRED 2013年5月2日)

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これまで紹介した記事は、「心と脳の二元論」を証明する強力な主張ですが、意識がどこで生まれ、どこに存在しているかについては何も語られていません。           

ロンメルの主張するように「意識」は時空を超えた特別な場所に存在している、と言われてもその「特別な場所」がどこであるかが特定されて初めて、前世療法遂行のための操作的定義として生かすことが可能になります。

 同様にサム・パーニアの主張の人間の意識が消滅するわけではないということだと言われてても、死後も消滅しない意識はどこに存在しているかが特定されない限り、前世療法遂行の臨床の場での有用性はありません。

それに彼らは、意識の不滅を主張しても、その意識が再び新しい肉体に宿ること、つまり「生まれ変わり」については何も語ってはいません。

それでは「生まれ変わり」の科学的研究の泰斗であるイアン・スティーヴンソンはどのように「生まれ変わり」について考えているのでしょうか。 

彼の著書から引用して下記に紹介します。

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前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は心搬体がどのような配列になっているかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、P.359

 

こうした肉体のない世界はどこにあるのか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在すると答える

ここでまとめると、宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の少なくとも二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う。私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な経験をさせてくれるであろうが、心の働きは制約を受ける。死んだ後には制約から解き放たれるので、心理的世界のみで暮らすことになるであろう。そして、その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかするとその全員が、新しい肉体と結びつくかもしれない。それを指して私たちは生まれ変わったと称するのである(前掲書P.353)

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スティーヴンソンは、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を心搬体(サイコフォア)と呼ぶことにしたらどうか、と提案していますが、これはいわゆる「魂」という名称から宗教的色合いを脱色した科学的用語として用いようとしたと解され、実質は「魂」と同義語でしょう。                     

その心搬体=魂は、心理的空間の中に存在すると考えています。また、心理的(ないし心霊的)世界、とも言っていますから、心理的空間の世界は、いわゆる「霊界」を指していると思われます。そして、死後の魂は、霊界でしばらく生活した後、魂が新しい肉体と結びつくことを「生まれ変わった」と称すると言っています。

こうした彼の、「魂」と「生まれ変わり」についての関係への考え方は、わたしの考え方と一致しています。

しかし、魂の存在場所は示されていますが、意識がどこで生み出されているかについては触れていません。

 

さて、SAM催眠学では、「わたしあて霊信」の告げている「魂の二層構成仮説」を作業仮説として採用し、意識を生み出しているのは、魂表層を構成している前世の者たちである、と考えています。
また、霊信では、生み出された意識は、「霊体」に宿っており、霊体は「オーラ」とも呼ばれる、と告げられています。 

この霊信の告げている「魂の二層構成仮説」を理解しやすいように、円を用いて二次元モデルの模式図にしたものが下図です。

 

  「魂の二層構成とその転生の模式図]


左から右への矢印→は時間軸を意味しています。
大円である魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線です。
つまり、接線より下の小円が肉体に宿る現世の人格になります。
接線より上の小円が、死者であり肉体のない前世の人格です。
 

したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円Bの二つの前世人格とともに、3回目の現世の人生を送っている魂をあらわしています。
意識は、魂表層の小円A、小円Bの二つの前世人格たちと、小円Cの現世人格が生み出しているというわけです。

魂の転生の仕組みを模式図の時間軸にしたがって説明してみましょう。

魂の核大円(X)は、最初の肉体に宿ると、その表層に小円という現世人格を生み出す。(左端の図)

現世人格はその肉体の死後、魂の核である大円(X)の表層を構成する前世人格小円Aとして位置づき、死後も魂表層に存在し続ける。(真ん中の図)

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格を魂表層に生み出す。(真ん中の図)

さらに小円Bという現世人格は、肉体の死後魂表層の前世人格小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円Aとともに魂表層を構成し死後存続する。(右端の図)

次の来世では小円Cという現世人格を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格小円A・小円Bとともに魂表層を構成する。(右端の図)

このように、魂の核であるは、新しい肉体を得るたびに前世人格を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生して行きます。
かつては現世人格であった・BC・・・は死後も、それぞれの生前の人格、個性、記憶など「心的要素」を保ちながら、魂の核とともに魂の表層を構成するそれぞれの諸前世人格として死後も存続していくことになります。
これを「魂の二層構成仮説」と呼びます。つまり、「核となる意識体」と、その表層を構成している諸前世人格の二層を合わせた全体を「魂」と呼びます。

こうして、「生まれ変わり」の回数分だけの前世の諸人格が、現世人格とともに魂の表層を構成する意識体として死後存続している、というのがSAM前世療法で確認できた「意識現象の事実」の累積によってが明らかなってきた魂の構成とその転生の仕組みです。

なお、魂の核であるについて、霊信では「ある意識体」としか告げていません。

 

こうした「魂の二層構成仮説」によって構築された前世療法が「SAM前世療法」です。  

そして、魂(Soul)の状態に接近する(Approach)方法(Method)による前世療法として、ほかの前世療法とは仮説も催眠技法ともに一線を画した独自、固有の前世療法として、わたしは「SAM前世療法」と称しています。

この「SAM前世療法」によって、「魂の二層構成仮説」という生まれ変わりの作業仮説の妥当性が検証された明確な事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。     

特筆すべきは「ラタラジューの事例」で、生まれ変わりの科学的証拠として最有力とされる「応答型真性異言」現象が確認されたことです。                   

科学的検証がされた「応答型真性異言」は、これまで世界で4例しかなく、「ラタラジューの事例」は世界で5例目であり、21世紀最初の事例であり、応答型真性異言(ネパール語)発話中の撮影に世界で初めて成功した事例であるということです。 

「タエの事例」は2006年10月、「ラタラジューの事例」は2010年8月に、フジTVの番組『奇跡体験アンビリバボー前世スペシャル』でそれぞれ25分、60分放映されました。                                       

また、両事例は『前世療法の探究』春秋社、『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社、から出版しましたが、現在は書店での入手は不可能で、ネット上で中古希少本として出版時の5倍以上の高値で売られているようです。

なお、両事例のセッション動画(「ラタラジューの事例」は英語版もあり)はyou-tubeで公開しており、このブログ記事枠外の右肩にリンク先が張ってありますのでどうぞご覧ください。

わたしあて「霊信」は、本ブログ『SAM催眠学序説その48~71』で、「タエの事例」の逐語録と解説は、その35~39で、「ラタジューの事例」の逐語録と解説は、その20~32で公開しています。


2020年12月18日金曜日

前世探究の新しい地平を拓く事例

                SAM催眠学序説 その136

 

2020年最後の本ブログで、SAM前世療法の実践上、これまでに発見されていなかった2つの新しい知見を紹介します。 

 

 その1 動物(犬)の前世の初顕現化

 

この事例のクライアントは31歳の主婦(子どもあり)です。

SAM前世療法をおこなうようになって初めての希有な事例であり、ご本人から本ブログ掲載の許可をいただいてここに公開することができました。

彼女は、強迫性障害の診断が下りており、精神科医から2年間の投薬を受け続けて現在に至っています。この女性クライアントの事前に記述された主訴は次のような内容でした。

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2年前に飼育放棄されている犬を助けて強迫性障害という病気になり『私が幸せに生きている今も苦しんでいる犬が居るのではないか』という思いに一日中囚われるようになり、自分を生きることが出来なくなってしまいました。

とくに虐待や餌がもらえないことより、狭いケージに閉じ込められて動けないことに対して嫌悪感を感じてしまいます。

そうなってしまう理由をきちんと理解し、自分を変えたい、自分を生きたいという思いでセラピーを受けたいと思い連絡させて頂きました。

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【初回セッション】 

第1回のセッション前の主訴についての事情聞き取りで明らかになったことは、2年前に飼育放棄された犬を助け飼い始めたことを契機に、強迫性障害が発症し、2年間の精神科の受診と投薬を受けながら、不眠、食欲不振、強度のうつ状態に苦しんできたということでした。自分が幸せになることに罪悪感を抱き、死にたいと思うようになる時もあるということでした。

セッション前のカウンセリングによれば、狭いケージに閉じ込められている犬を見たことが直接の発症要因で、猫など他の動物がケージに閉じ込められているのを見ても特に強迫的症状は発現せず、ケージに閉じ込められている犬を見るときに限って起こるということでした。

SAM前世療法の催眠誘導に入り、この奇妙な症状の原因が、現世の生育歴や何らかのトラウマで起きていることを通常の記憶催眠レベルで探りましたが、該当することがありませんでした。

その確認後、魂遡行催眠まで誘導しましたが、ここでも未浄化霊の顕現化はなく、魂状態の自覚まで到達することが可能でした。したがって、未浄化霊や生き霊の影響は排除できると判断しました。

そこで、彼女の強迫性障害を引き起こしている前世の者を呼び出すと、その顕現化が起こりました。

通常、顕現化した前世の者に最初に確認する手順として、まず最初に性別を尋ねます。

しかし、犬を見るときに限って強迫性障害が起こるという奇妙な現象に鑑みて、動物の、しかも犬の前世の者の可能性を考慮して次のように質問を重ねて尋ねてみました。

「あなたは動物の前世を持つ者ですか?」

「あなたは犬であった前世の者でしょうか?」

 「犬であったあなたは、どのような役割を果たして人間と関わっていましたか?」

「あなたは野良犬、猟犬・警察犬・盲導犬・牧羊犬・そり犬などのうちどれですか?」

 彼女は、口頭で話せるタイプではないので、了解は人差し指を起こすという合図でセッションを遂行しました。

その結果、明らかになったことは

①牧場で働いていた牧羊犬であり、犬種はコリーである。

②年老いて仕事ができなくなって、別の飼い主にさらわれた。

③新しい飼い主が、コリーであった自分をケージに閉じ込めた。

④ケージに閉じ込められて、牧草地を駆け回り広い空のもとで自由でいたいと願った。

⑤それが叶わないために、深い悲哀のうちに命を終えた。

ということが判りました。牧羊犬はその悲しみを魂表層の現世の者(クライアント)に訴えその結果として、ケージに閉じ込められた犬を見るときに限って強迫性障害が起こるという現象が引き起こされている、ということでした。

 
そうなってしまう理由(強迫性障害の理由)をきちんと理解し、自分を変えたい、自分を生きたい、という彼女の主訴はこれで解決できたと判断しセッションを終結しました。

理由不明な症状の理由を感情をともなって洞察できたとき、「ああ、そうだったのか体験」ができたとき症状は改善する、というのがSAM前療法における治癒仮説です。彼女はうっすらと涙を溜めていました。

その後、41日経って彼女から以下のような再セッションの依頼が来ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先生先日はお世話になりました。お陰様で2年間ゲージの中で苦しんでいる犬に襲われ続けたのが嘘のように襲われなくなり、薬も飲まずに生活出来るようになりました。本当に感謝してもしきれません。ただやはり、2年間考え続けたのが癖になっているのか、しんどいまではいかないですが、気にはなり、ケージで暮らしている犬を可哀想と思う気持ちは消えないというのが現状です。
本当にあと少しというところまではきているように感じています。
今回もう一度だけセッションを受けさせて頂いて、催眠というよりは、過去生の犬を癒して頂く方に時間をかけて頂くことは可能でしょうか?
よろしくお願い致します。

実はここ1、2週間症状がかなり落ち着いています。
犬のことが出てきても1日に1回あるかないかくらいで。
今のところはこのまま乗り越えていけそうな気もしています。
でもやはり、出てきたときには先生のところに行かせてもらいたいと思ってしまって。
 日々どうしようか迷いながら今日まで来てしまいました。
もう予約が明日のことなのでキャンセルしてしまうと先生に多大なご迷惑をお掛けしてしまうことも理解しています。
どうするべきなのかすごく悩んでいます。
いや、でもやはり、もう一度先生のところへ行って完全にすっきりさせたいです。
明日は予定通りよろしくお願いします!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【第2回セッション】42日後 

セッション前のカウンセリングで彼女は、第1回セッション前を100とすると10まで症状は軽減しているし、精神科医から処方された薬は服用しないで生活できているとのことでした。残り10の症状を完全に取り除きたいとの主訴内容でした。

初回セッションで、まさかの牧羊犬の前世が顕現化したことに驚いて詳しい状況を探り忘れていたわたしは、その犬の前世のさらに詳しい状況と、なぜ人間に生まれ変わることになったのか、その状況を探ることにしました。 

その結果、次のことが明らかになりました。

①牧羊犬として可愛がってくれた飼い主の元からさらわれて新しい飼い主に飼われた。

②新しい飼い主は冷酷で、コリー犬であった自分を逃げられないようにケージに閉じ込めた。自由を奪われた自分は悲しみに苛まれて命を失った。

③牧羊犬として働いていた場所は、ヨーロッパアルプス山麓の牧場であるが、国の名前は知らない。 

 ④死後霊界で神に出会い、人間に生まれ変わって犬たちの気持ちを人間に伝えたいと訴え、それが許されて人間に生まれ変わることができた。

⑤人間としての生まれ変わりは現世で5回目である。

こうして第2回セッションは終結しました。

2回目のセッションによって強迫性障害のさらなる改善が期待されたのですが、セッション直後からぶり返しが繰り返し起こり、一進一退状況のメール報告が毎日10日ほど届き、その都度アドバイスをしてきました。

やがて、2週間ほどの経過後、症状悪化の報告が止まりました。

 

【現在の状況報告】第2回セッション41日後

第2回セッションから41日後、セッションのブログ上での公開許可と現在の改善状況をメールで尋ねたところ、次のような返答が届きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご連絡ありがとうございます!!
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら前に進んでいるのを日々実感しています。
前は『辛い苦しいどうしてこんなことになってしまったのか』と悲観し続ける毎日だったのですが、今は『これは私が成長する為に与えられたギフトだ』と前向きに捉えられるようになり、まだ苦しい日々ですが、少しずつ前進している自分にワクワクもするというか、変な気持ちです。今も
精神科から処方された薬は服用しないで生活できています。

過去生の犬だったときのことはあまり分からないのですが、苦しくなったときに、そこに居るのが『ケージの犬』なのか『自分』なのかわからなくなるときがあります。

そのときにやはり『閉じ込められて自由がなくなること』に対しすごく恐怖や不安を感じるのは、過去にそういう経験をしたんだなと感じています。

是非ブログに紹介して下さい^^
今まで散々助けて頂いたので、何かお力になれれば嬉しいです。
よろしくお願い致します!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上のように、SAM前世療法の2回のセッションによって、2年間服用してきた精神科医から処方された薬は服用しないで生活できているという報告から、セッションによる改善が起こった事実は、ほぼ認められると判断できます。

ただし、精神科の治療に2年間通い、苦しんできた強迫性障害の改善が起きたからといって、彼女に牧羊犬であった前世が真実であったという即断はできないと思われます。牧羊犬の前世の検証は当然のことながら不可能ですから。したがって、判断留保とすることが妥当だと考えます。

この事例では、牧羊犬の前世以外の強迫性障害の発症原因があった可能性もあるでしょう。たまたまケージに閉じ込められた犬によって触発され、隠されていた何らかの精神疾患が発症したのかもしれません。

また、ナラティブセラピイ(物語療法)の観点から解釈すれば、強迫性障害の苦しみから逃れるために、牧羊犬の前世の物語を無意識的に作話した可能性も完全に排除はできません。

ただし、彼女との面接で統合失調症の特徴的兆候は観察できませんでしたし、かかりつけの精神科医も強迫性障害以外の診断名は挙げていません。

そして、催眠中に意図的作話はできないとされていますから、これは排除していいでしょう。残るは、催眠中の創造性活動の活性化によって無意識的な作話をしたという解釈になりますが、なぜ牧羊犬の前世を作話しなければならない必然性があるのか、説得力のある説明ができないように思います。

「狐憑き」のように、牧羊犬の霊が憑依して語ったのだという解釈もできそうですが、憑依霊の憑依がある場合には、SAM前世療法の最終プロセスである「魂遡行催眠」中に、そうした憑依霊の顕現化が起こることが、これまでのセッションの累積から判っています。それも起きてはいません。

スピリチュアリズムでは、人間との心的交流の濃厚であった犬や猫などの愛玩動物のなかには、稀に人間に生まれ変わることがある、という見解があるようです。

牧羊犬の前世の真偽は判断留保とするしかありませんが、現時点ではスピリチュアリズムのこの見解を採用することが妥当かつ納得できるのではないか、とわたしは思っています。

動物の生まれ変わり事例があるという可能性は、今後のSAM前世療法のセッションの新しい地平を拓くことになり、今後のセッションの累積から明らかになっていくかも知れません。

 

その2 前世人格に憑依している未浄化霊の顕現化

 

次に紹介する事例は、わたしの主宰している「SAM催眠塾」修了生である女性セラピストからの質問です。

わたしが一度も経験したことのない事例です。しかし、今後のSAM前世療法の新しい可能性を拓くであろう事例ですので、質問に解答する形で紹介します。

以下が質問メールです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもお世話になりありがとうございます。突然のメールに驚かれたと思います。

今回メールを差し上げたのは、セッションで起こる不可解な出来事について先生のご意見を承りたいからです。お忙しいとは存じますが、一読していただけますようお願いいたします。

 この一年、セッションをさせていただいている中で不思議な事が起こりました。

 それは、前世人格を顕現化させると、前世人格を恨んでいる未浄化霊が何体も憑いたまま一緒に転生しているという事です。

 2019129日、私は前世で女性を殺しているような気がしますと訴えるMさんがいらっしゃいました。お話を聞くと、夢で殺している同じ場面を何度も見るというのです。

女性を殺した前世人格に出てきてもらうと、邪馬台国時代の男性でした。ものすごく苦しい顔をされます。何があったのか聞いてみると、女性二人に首を絞められているというのです。どうやらその男性の前世は、女性二人を殺したため、その女性たちの未浄化霊が前世人格の首をずっと絞めながら一緒に転生していたという事がわかりました。

浄霊をしてその時は、疑問も持たずセッションを終わりました。その後も、話せるクライアントが未浄化霊に苦しめられていると浄霊をするという事がたびたびありました。私自身、少し霊感があります。霊がうっすらと見えたら浄霊することもありました。

20207月頃より、魂の状態までもどっている反応があるのに、前世人格を出すと反応が悪く指の動きが鈍い現象が4例立て続けに起きました。

稲垣先生からは、「未浄化霊が憑依していると魂の状態に戻る事を邪魔します」と教えていただいています。クライアントは、2回目の人もいました。前回は、反応もよくスムーズにセッションが出来たのになぜ、突然こんな事が起こるのか頭を抱えました。

クライアントに話を聞いてみると、腕を誰かがグッと押さえていて動きたいのに動けないような感じだったというのです。

 その時、私自身の経験を思い出したのです。先生にセッションをしていただいたのですが、魂の状態まで戻るけれども、私の体の上に大きな黒い闇が覆い被さって身動きができない状態が半年ほど続いたのです。先生が、生き霊がつかないようにバリアを考案してくださってからその現象はなくなりました。

「黒い闇」は、生き霊だった可能性があると思いました。ということは、生き霊は、私の成功を望んでいないのだから、クライアントに覆い被さって体を動かさないようにしているのではないかと考えたのです。

それ以来、私に飛ばされている生き霊がいるのかどうか確認しました。生き霊がいなくなるとクライアントの指の動きもスムーズになりました。(今は、私自身の霊体が強くなりセッションの邪魔は出来ないようです。)指の動きの変化は、前世の状態を表しているとも考えるようになりました。

指の動きがスムーズにいくと、顕現化した前世人格の気持ちや伝えたいことがはっきりとわかるので、クライアントの指の動きを私はとても気づかっていました。指に注目しながらセッションをするようになっていました。

というのも、ヒーリングをした後、指の動きが活発になるクライアントの事例が30例ほどありました。私自身セッション体験時、前世人格が、顕現化すると辛くて辛くて回答している心の余裕が無いという前世人格が何人かいました。そう考えると、これは、ヒーリングをして前世人格が落ち着けばスムーズにいくのではないかと考えたのです。

すると、同じクライアントでも顕現化する前世人格によって指の動きに違いがあることに気づき始めました。ヒーリングをしても反応が鈍い、私に飛ばされた生き霊と聞いても違うと反応します。けれど、明らかに他の前世人格たちと指の動きが違うのです。おかしいおかしいと思いながら月日がたちました。

202010月ごろから、先祖を恨む未浄化霊が引き起こした不幸の話が立て続けに3例ありました。

その中の1例が私の考え方をがらりと変えました。

Yさんの娘さんは、医療ミスにより水子が一人いらっしゃいました。魂の状態に戻す過程で、水子がこられていますか?と聞くと指が上がります。Yさんのご家庭で起きている数々の問題は水子がやったのかと聞くとそうだと言ってまた指があがります。

水子の供養を手厚くされている事を聞かせていただいていたので何かおかしいと思いました。そこで、ご先祖様に変わっていただきました。何人来られているか聞いてみると1000人程だと反応が出ました。

こんな数聞いたことがありません。1000人のご先祖が霊界に行けないということは、誰かが邪魔をしていると考えました。そこで、Yさんのご先祖を恨んでいる未浄化霊を指に憑依させることにしました。

未浄化霊は1000人程いると答えました。未浄化霊は、先祖も恨んでいるがこの水子が憎い。水子の前世が憎いから、生まれさせる訳にはいかないと医療ミスをおこさせたと反応しました。水子はYさんの先祖の中の一人だったようです。

未浄化霊たちは、霊界に行けないようにしたり、嫌がらせをしているようです。水子や先祖はそれに耐えられなくて助けて欲しいと、Yさん家族に色々問題を起こしていたとわかりました。火に油を注ぐように、Yさんのご先祖や水子を恨む未浄化霊も動いていたようです。

 物質的には、小さな赤ちゃんだけれども魂は転生を繰り返したもの。見えている世界と見えない世界の感覚のギャップに驚きました。人の念とは恐ろしいものだと実感したセッションでした。

 未浄化霊を甘く見ていたと感じました。

未浄化霊が、邪魔をして人生に大きな影響を与えている場合があると考えると、セッション中に顕現化した前世のものたちについている未浄化霊を祓っていかないと道が開きにくいのではないかと考えたのです。

 以前からクライアントに顕現化した前世人格の感情も読み取れたり、画像が見えました。前世人格の状態の悪いところも体で感じます。

20201129日、頭が割れそうなほどの頭痛や吐き気、体を押さえつけられるほどの圧力がありました。一体どこから来るのか?

もうろうとする中、直感のようなものが走りました。未浄化霊に苦しめられているのを訴えていると感じました。振り返ると、クライアントに未浄化霊が乗っかっています。クライアントに顕現化した前世人格に、「あなたに、未浄化霊がいて苦しいの?」と聞くと指がグググと震えて上がります。

前世人格に憑いている未浄化霊を浄霊をすると、クライアントの指もスムーズに動き不思議と私の体調不良も改善することがわかりました。セッション後、体が軽くなったと話すクライアントも多くいらっしゃいます。

それ以来、指の動きが鈍いときや霊気などを感じた時、特定の職業の場合はこちらから未浄化霊がいるかを確認するようになりました。

最近では、未浄化霊が付いていない前世人格の方が少ないとさえ感じます。

正確な数は把握できていませんが、30例ほどの事例が出ています。「未浄化霊が前世人格に憑いて転生を一緒に繰り返している」ということは、真偽の検証ができない諸事例ですが、塾で講義を受けた意識現象の事実では説明できない、腑に落ちない現象が続いています。

 この不可解な現象について、稲垣先生のご意見をお聞かせいただだけると幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問解答】

最初に結論から言います。


あなたのセッションであらわれた「未浄化霊が前世人格に憑いて転生を一緒に繰り返している」という不可解な意識現象の事実は、SAM催眠学の作業仮説ではありうると考えます。

その理由を「SAM催眠学その124」の「魂の二層構成仮説」の項を下記に抜粋再掲しながら説明します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係、対応関係にあるが、本来別物である、とする立場を「意識と脳の二元論仮説」という。脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説である。大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが実験研究の末に晩年になって唱えている。しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、という根本問題については一切述べていない。分からないのである。
 

SAM催眠学では、わたしあて霊信の告げている「魂の二層構成仮説」を採用し、意識を生み出しているのは、魂表層を構成している前世の者たちである、と考えている。
魂の二層構成」を理解しやすいように、円を用いて二次元モデルの模式図にしたものが下図である。

 

  「魂の二層構成とその転生の模式図]


左から右への矢印は時間軸を意味している。
大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線である。
つまり、補助線より下の小円が肉体に宿る現世の人格になる。
補助線より上の小円が、前世の諸人格である。
したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円B二つの前世人格とともに、3回目の現世の人生を送っている魂をあらわしている。

意識は魂表層の小円A、小円Bの前世人格たちと
小円Cの現世人格が生み出しているというわけである。

魂の転生の仕組みを模式図の時間軸にしたがって説明してみる。

魂の核大円(X)は、最初の肉体に宿ると、その表層に小円という現世人格(の意識体)を生み出す。(左端の図)

現世人格はその肉体の死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格小円Aとして位置づき、死後も魂表層に存在し続ける。(真ん中の図)

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格を魂表層に生み出す。(真ん中の図)

さらに小円Bという現世人格は、肉体の死後魂表層の前世人格小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円Aとともに魂表層を構成し死後存続する。(右端の図)

次の来世では小円Cという現世人格を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格小円A小円Bとともに魂表層を構成する。(右端の図)

このように、魂の核であるは、新しい肉体を得るたびに諸前世人格を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生していく。
現世人格であった・BC・・・などは死後も、それぞれの生前の人格、個性、記憶を保ちながら、魂の核とともに魂の表層を構成する諸前世人格として死後も存続している。
これを「魂の二層構成仮説」と呼ぶ。
つまり、「核となる意識体」と、その「表層を構成している諸前世人格」の二層を合わせた全体を「魂」と呼ぶ。

こうして、生まれ変わりの回数分だけの前世の諸人格が、現世人格とともに魂の表層を構成しながら死後存続している、というのがSAM前世療法で確認してきた意識現象の累積によってが明らかなってきた魂の構成とその転生の仕組みである。(SAM催眠学序説その124より抜粋)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あなた(註:質問者の女性セラピスト)の質問は、上の図の右端図でいうと前世人格である小円A、小円Bにも、それぞれに複数の未浄化霊が憑依していることがありうるかどうかという質問でしょう。

その解答は最初に述べたように、「未浄化霊が前世人格に憑いて転生を一緒に繰り返している」という不可解な意識現象の事実は、SAM催眠学の作業仮説によれば、ありうるということです。

その理由は、SAM前世療法の実践から得た結論として、未浄化霊は現世人格の霊体に憑依することが判っているからです。つまり、現世人格の霊体には未浄化霊の意識も宿っています。

わたしあて第14霊信で「死後、霊体は魂から離れる。だが、それらの意識は魂に取り込まれる。そして、魂の者となるのだ」と告げられています。

「魂の(表層の)者」とは生きているうちは「魂表層の現世の者」であり、死後は「現世の直前を生きた前世の者」です。

転生の模式図の真ん中の図の「前世人格小円A」に当たります。この前世人格小円Aに、霊体の意識と同時に霊体に憑依していた未浄化霊の意識ごと「取り込まれる」わけですから、前世人格小円Aは未浄化霊を憑けたまま魂表層に位置づいているというわけです。

こうして、「未浄化霊が前世人格に憑いて転生を一緒に繰り返している」という不可解な意識現象の事実は、SAM催眠学の作業仮説によればありうる、ということになります。

これまでわたしには、魂状態まで遡行が成功したことが確認できた後、顕現化した前世人格の反応が止まってしまう事例が9%程度ありました。

こうした反応停止現象は、わたしあて第12霊信で告げられた「守護的存在からの意図である」と判断し、それ以上のセッション遂行を断念してきました。

しかし、そうではなく、「未浄化霊が前世人格に憑いて転生を一緒に繰り返している」というあなたの発見した観点は、前世人格に憑依している未浄化霊を浄霊するという作業によって前世人格との対話ができるようになる可能性が出てきたという朗報だと思います。わたしも、「守護的存在からの意図である」と断念する前に浄霊作業を試みたいと思います。

あなたのご質問のようにこうした問題意識にこだわることこそ探究の原動力であり、SAM前世療法の新しい地平を拓くことになるだろうと期待しています。

 

本ブログのコンセプトは「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」としています。

そして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」、「タエの事例」を掲げて、生まれ変わり仮説を科学的事実として主張しています。

したがって、 本ブログの記事は、「観念より事実、理屈より実証」を理念として重きをおくように努力してきました。

 霊魂の実在、高級霊・未浄化霊・生き霊など霊的存在の実在、生まれ変わりの実在、などいわゆる「霊的真理」についての観念的な言説は、古来掃いて捨てるほどあります。

そうした、霊的真理についての観念的言説の閉塞的状況に風穴を開けるべく、言説を裏付ける何らかの科学的実証をともなった具体的事例が提示されることを、精神的価値を真摯に考える人たちは求めておいでになるだろうと思います。

今年1年の本ブログが、そうした精神的価値を真摯に求める読者のみなさまに少しでもお役に立てたならうれしく思います。