2018年10月10日水曜日

SAM催眠学序説 その118

医学では説明できない先天性皮膚疾患の治癒事例

 

 ー生まれ変わり仮説の証拠としての先天性皮膚疾患の治癒事例ー


ここに紹介するSAM前世療法による先天性皮膚疾患の改善事例は、生まれ変わりの存在を示唆するきわめて重要な事例です。

それは、前世人格の、皮膚病に罹患し命をなくした苦しみの訴えが、生まれ変わりである現世の者の手のひらの医学的原因不明の先天性皮膚疾患としてあらわれ、魂表層から顕現化したそれに関わる前世人格にはたらきかけた結果、肉体的治癒が起こったと判断することが妥当だろう、ということが一つあります。

この事例に類似した前世人格へのはたらきかけによって、医学的所見のない心臓・背中・足の甲、頭痛などの特定個所の先天性疼痛と考えられる疾患の改善が、これまでに4事例起こっています。
また、首筋にあった細い帯状の軽度のケロイド状母斑が、ほぼ消えた事例が1事例あります。

しかしながら、痛みの改善については、その真偽の判断をクライアントの報告に頼るしかなく、確たる客観的証拠を示す実証ができませんでした。


ここに紹介する事例の貴重な点は、セッション前の手のひらの皮膚疾患状態と、セッション後の治癒経過の状態が4枚の証拠写真によって客観的な確認ができたことです。

前世人格の肉体的症状が、生まれ変わりである現世の者の先天性肉体的症状としてあらわれることがある、という実例であり、しかも、当の前世人格に対するはたらきかけによって
症状が治癒したという現象は、生まれ変わり仮説の証拠としてきわめて貴重な事例です。

こうした、前世人格の影響による肉体的疾患が、前世人格へのはたらきかけの結果、治癒したという客観的証拠を提示した事例報告は、私の知る限り目にしたことはありません。

あとで紹介しますが、イアン・スティーヴンソンの著作『生まれ変わりの刻印』(笠原敏雄訳)は、前世人格の影響による、母斑や先天性欠損という肉体現象を取り上げ、検証をしていますが、顕現化した前世人格に直接はたらきかけ、その結果による先天性疾患などの改善事例は述べられていません。
 
イアン・スティーヴンソンは、前世記憶と合致する、肉体に刻印された肉体現象の諸事例を検討した結果、SAM催眠学の定義する「魂」と同義の「心搬体」を想定せざるを得ない、という帰納法による見解を述べています。

SAM催眠学は、前提仮説として「魂」の存在を想定し、その魂表層に存在している前世人格によって、肉体に刻印された先天性疾患が起きている可能性を探ることをもって、魂と前世人格の存在を証明するという演繹法を採っています。

 アカデミックな生まれ変わりの研究者と、SAM前世療法の臨床実践者との違いが、帰納的手法と演繹的手法の違いになっていますが、めざすところは同じです。
 つまり、生まれ変わりと魂(心搬体)の存在を証明することです。

顕現化した前世人格への直接のはたらきかけによって、先天性疾患の改善が起きたという、その意味では、ここに紹介する改善事例は、公開された世界初の事例かもしれません。

もう一つは、SAM催眠学の「霊体仮説」の検証事例として判断できるのではないかという点で重要だということです。


 「霊体仮説」とは、私あて霊信の告げたことをSAM催眠学でそのまま採用したものであり、私の独創ではありません。

①霊体には魂表層の前世の者たちが生み出している意識・潜在意識魂が宿っている。
霊体を感知できる人には肉体を包み込んでいる霧状のオーラとして色が見える。
ちなみに私は、4名の人からそれぞれ同色のオーラの色を指摘されている。

②意識の宿る霊体と肉体の間には密接な相互影響関係があり、そのため、霊体に宿る前世人格の意識が、心理的影響、まれに肉体的にも影響を与えることがある。

という仮説です。

まずは、このクライアントから届いた二通のお礼メールと添付されてきた証拠写真を公開します。
下記メールと証拠写真の公開に当たっては、クライアントの了解を快くいただいています。
公開を快諾してくださったM男氏にはこの場を借りてあつくお礼申しあげます

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【第1信メール】(注:ゴチック体部分は私の判断で書体を変換しました)


今年(注:2018年)の4月1日にSAM前世療法セッションを受けたM男(注:神奈川県在住49歳、仮名) です。

セッションを受ける最大の目的は、幼少期からの原因不明の両手のひらに出る皮膚のトラブルでした。物心ついた時から症状が出ていたのでもう50年近く経ちますが、
これだけ医療が進んでも治ることはありませんでした。

しかしセッションを受け、結果的に顕現化した前世人格からの影響があることがわかり、本当に驚きました。

・10世紀、イングランドの王妃もしくは貴族の女性。
・霊能力があり魔女扱いを受け幽閉された。
・幽閉生活の栄養不足と劣悪な環境などからひどい皮膚病を患って死亡したが、苦しみをわかってほしいと訴え続けている。その訴えが、手のひらの疾患となって現れている。

催眠術というものははじめての体験だったので半信半疑でしたが、
セッションが進むにつれ自分の理解を超える出来事に衝撃を受けました。
当日は、その顕現化した前世人格の語った出来事を、得心をもって理解し、先生の癒しの波動を受けたわけですが、やはり治癒の証明ができないことについて全面的に信用はできず、わずかながらの疑いは持っていました。
実際、セッション直後には劇的な変化が見られませんでした。

ところが、あれから約6ヶ月が経過しますが、皮膚のトラブルが日に日に消えていき、
今(9月26日現在)ではすっかりなくなってしまいました。

実際、2ヶ月くらい経ったころには明らかな改善を感じました。
ただ、時期によっては症状が出ないこともあり、もしかしたら今が調子のいい時期なのかもしれないので、1年間は様子をみないと結果は判断できませんが、感覚としては確実に良くなったと思っています。

魂表層から皮膚疾患に関わる前世人格として顕現化したのは10世紀の女性でした。
10世紀と言えば900年代なので、もう1000年以上も苦しんできたわけです。
それが一瞬で消えるとも思えないので完治に時間がかかるのは仕方ないと考えていましたが、50年近く付き合ってきた原因不明で治らないと言われた皮膚疾患が、6ヶ月という間に治ってしまったというのは本当に不思議でなりません。
これは実際に自分で体験したことなので事実でしかありません。

思い切って先生のセッションを受けて本当に良かったと思っております。
どうもありがとうございました。
また経過についてご報告させていただきたいと思っております。

【第2信メール】 


セッション前とセッション後の経過を証拠写真にしてありますので参考までに添付しました。


下の症状の写真0326はセッションを受ける直前です。(3月26日、セッション6日前)
本当に手のひらの皮膚は、醜いほどのボロボロ状態でした。
            
       【セッションの1週間前、2018年3月26日の写真】



4月にセッションを受けた後は、すぐには変化が見られませんでした。
ですが2か月ほどすると徐々に変化を体感できるようになりました。
               
       【セッションの約3ヶ月後、2018年7月20日の写真】
上の写真3ヶ月余では0720のような状態にまでなりました。(7月20日時点
その時は「これぐらいまで良くなれば我慢できるから充分」と思っていました。
(実際に0720状態でも以前と比べれば症状が軽いレベルです)
そのあとは加速的に治っていって、下の写真0904に至ります。9月4日時点です。

       【セッションの約5ヶ月後、2018年9月4日の写真】

現在(9月26日時点)では下の写真0926のように、完全に跡形もなくなりました。
               
       【セッションの約6ヶ月後、2018年9月26日の写真】

季節の変わり目が特にひどくなる時期なのですが、
今のところまた発症するのではないかという不安はありません。
完治した気がしています。

SAM前世療法という一般に受け入れ難い怪しげなセラピーにお金を支払ったと聞けば、「バカバカしい」とか「騙されてる」とか思う人がほとんどかもしれません。
前世があるという暗示をかけて潜在意識(前世人格)をコントロールされたと言われれば
それを肯定も否定もできません。

先生がおっしゃるように、この写真と体験談をもって科学的な証明とは言えませんが、
実際に医学が発達した今でも治せないと言われ、40年以上もの間ずっと出ていた症状なのに、稲垣先生のたった1回のセッションで症状が出なくなったのは事実です
理屈では起こりえない治癒が実際に起こり、長年の悩みが半年のわずかな時間で解消してしまったことは説明ができません。

SAM前世療法というものを知ったとき、少なからず自分の前世に興味が湧きました。
ですが前世での人生や出来事を知った今、過去の思い出の一部のように「そんなことがあったかなぁ」程度の感覚でしかありません。
ただ、自分の前世の出来事も背負った上で、今の自分があるということを強く認識しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(報告メールおわり)

生まれ変わりの先駆的研究者イアン・スティーヴンソンの著作に『生まれ変わりの刻印』春秋社、1998があります。
内容は、母斑(あざ)や先天性欠損の原因と生まれ変わりとの関係性を示す、112の事例とそれらを諸証拠写真を提示して実証研究した著作です。
残念ながら、現在この本は絶版となっていますので、表紙の帯の記述を紹介してみます。

再生研究の究極の達成。前世の記憶と一致する母斑や先天性欠損。二千数百におよぶ再生例を収集した世界的権威が、その中でも身体の特異という客観性の高さによって再生仮説を強力に支持する112の事例を紹介する」 (注:ゴチック体部分は私の判断で変換)

この著作の中で、
死後にも存続する人格が、その後に生まれる子どもの外観に影響を与える場合のあることを示す証拠を、母斑と先天性欠損が提出するために重要・・・」前掲書P.4、

母斑と先天性欠損が客観的証拠になることであり、肉体を持たない人格が、その後に生まれる子どもに影響を与えるらしいことが分かることであり・・・」前掲書P.5、
と述べています。

要するに、前世人格が、自分の生まれ変わりである現世の者に、自分の存在を示すような母斑や先天性欠損という肉体的影響を引き起こしている可能性を強力に示唆しているのではないか、という指摘をした研究内容です。

この、前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力がありうる、という仮説を受け入れるならば、50年近く原因不明で治らないと言われた皮膚疾患に悩んできたクライアントM男氏の皮膚疾患も、先天的なものと判断することは妥当だと思われます。

つまり、顕現化した「10世紀イングランドの王妃もしくは貴族の女性で、霊能力があり魔女扱いを受け幽閉された結果、栄養不足と劣悪な環境からひどい皮膚病を患って死亡し、その苦しみをわかってほしいと訴え続けている」前世人格の影響だと判断してよいと考えられます。

前世人格の顕現化(自己内憑依)現象については、応答型真性異言「ラタラジューの事例」で証明されていると考えています。下記のような事実が確認されているからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魂表層から呼び出され、里沙さんに顕現化した前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと、ネパール語で次のような現在進行形でのやりとりをしています。

里沙:Tapai Nepali huncha?
  (あなたはネパール人ですか?)

カルパナ: ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙: O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、現在進行形でただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いか け、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈がすでに成り立たないことを示しています。

ラタラジュー人格 は、現世の里沙さんの身体(発声器官)を借りて、自己内憑依して、自己表現している身体を持たない意識的存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さらに補足すれば、前世人格のタエとラタラジューの再顕現化実験の際、泥流を飲んで溺死したタエの場面では里沙さんに激しい咳き込みの発作現象が再現したこと、ラタラジューが毒殺された苦しみの場面では胃部の外部観察できる明らかな痙攣発作現象が再現したことを複数のセッション見学者が確認しています。

こうした催眠中の発作的、反射的肉体現象を、意図的に演技できるはずがありません。
前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力がありうることの実証です。

これまで述べてきたように、前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力がありうるという現象を、前ブログ「その117」で紹介した「量子脳理論」、「形態形成場仮説」、「thought bundle説」など、生まれ変わり否定論の諸説で説明はできません。

これら唯物論諸説は、「前世の記憶」を対象に、生まれ変わりのないことを、唯物論で説明しようとするもので、「前世の記憶」ではなく、「前世人格の影響であると考えられる肉体現象の事実」を前にしては適用できるはずもなく、生まれ変わり否定論の唯物論諸説が破綻していることはすでに明らかです。

あるいは、「一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは錯覚や間違ったイメージでしかありません」、「前世療法は百害あって一利なし」といったスピリチュアリストからの十把一絡げの誹謗も、極端な一般化による、SAM前世療法を知らない論者の、粗雑な誤解・偏見であることが証明されたということです。

M男氏の皮膚疾患改善の事例に疑義があるとすれば、セッションから改善があらわれるまでに3ヶ月のタイムラグがあり、この間に、改善に結びつく何らかの薬物の使用、あるいは食事療法、放射線治療などがなされ、それを隠しているという疑いでしょう。

あるいは、癌の治癒で報告されるような、たまたま自然治癒が起きたに過ぎないという解釈でしょう。

さらに疑えば、治癒に至るまでの証拠写真にトリックがあるという疑いでしょう。

しかし、M男氏の文面を読めば、そうした隠し事や偶然性やトリックがないことは明白です。
また、そうした隠し事やトリックをしてまで、私にお礼メールを届けてもM男氏に何の利得もありません。

また、50年近くにわたる医学的治療が無効であったにも関わらず、理由のない偶然の自然治癒が起きた、とは考えられないでしょう。
M男氏には、セッションによって治癒が起こった、という因果関係の確かな自覚があるわけですから。

もう一つの可能性は、M男氏の考えているような、「前世があるという暗示をかけて潜在意識(前世人格)をコントロールされた」結果によるプラシーボ効果だという医学的解釈もありうるでしょう。

しかし、プラシーボ効果によって、50年近く治癒しなかった皮膚疾患が消失するとはきわめて考えにくいと思います。

巧妙な催眠暗示によって、架空の前世人格を顕現化させ、そのプラシーボ効果によって疾患の治癒が可能であるとすれば、これまでに「前世プラシーボ療法」なる画期的心理療法が考案されていてもいいはずですが、そうした心理療法の存在を、私はまったく知りません。

それに私は、前世人格の顕現化に際して、「要求特性」がはたらき、クライアントが架空の前世人格を創作するようなおそれがある催眠暗示を極力避けることにしています。

創作された架空の前世人格によって、改善効果が生じることは考えられないからです。
M男氏は「セッションが進むにつれ自分の理解を超える出来事に衝撃を受けました」と述べていますから、彼が架空の前世人格を創作したことは、まずありえないでしょう。

そして、50年間近く悩まされ続け、医学によっては治らないとされてきた先天性皮膚疾患の治癒が、前世人格へのはたらきかけによって起こった、という状況証拠でもって、顕現化した前世のイングランド女性が実在していたはずだ、と認めることは妥当だと思えます。

筋金入りの懐疑主義者なら、あまりにもよくできた話なので、私のヤラセ、あるいはすべて創作のインチキだと言い出すかもしれません。
こうした、私やM男氏の人間性まで疑うような懐疑主義者には、もはや付ける薬はありません。

もちろん、M男氏からの2通の電子メールは保存してあり、M男氏も実在していますから、検証してもらえば、こうしたインチキの疑いを晴らすことは容易なことです。

ほんとうに「事実は小説よりも奇なり」なのです。

ちなみに、M男氏は会社員であり、社内の新人教育担当を任されている中間管理職の立場を、そうだろうなと思わせるだけの、篤実な人柄の印象を与える人でした。

さらに言えば、M男氏は、健全な懐疑精神と実証精神をお持ちのリアリストであり、だからこそ、実体験されたセッション効果の真偽検証のために、患部の改善経過を証拠写真として撮影されていたのだと思います。

いずれにせよ、M男氏の先天性皮膚疾患の改善事例、冒頭で述べた5例の改善事例、里沙さんの前世人格顕現化による肉体反応現象などは、SAM催眠学の提唱している作業仮説によって、整合的説明が成り立ちますので、生まれ変わり仮説を強力に支持している具体的証拠事例だと判断できると考えています。

さて、「生まれ変わり」や「魂」についての真偽問題ついての、私の見解はたいして重要ではありません。

私の実証的探究の公開目的の第一義は、できる限り確実な客観的証拠を示すことにあり、私が催眠臨床で実体験してきた、それら諸証拠を厳密に検討され、生まれ変わりや霊的現象について、得心のいく自分なりの結論に到達していただくことにあります。

参考までに、私の見解は、you-tubeで公開している2005年の「タエの事例」、2009年の「ラタラジューの事例」、今回2018年の「先天性皮膚疾患改善事例」などは、「生まれ変わり」と「魂の存在」を説明仮説に用いない限り、現行唯物論では説明不可能だと考えています。

さらにうがった想像をすれば、ここに紹介できた事例は、前ブログ「その117」で紹介した、生まれ変わり否定の諸説をくつがえすためのタイミングをはかりながら、贈るべきときに贈られてきた、決定的事例だという気がしないわけでもありません。

「来るべきときに、来るものが来る」と考えることは、私の人生観の一つです。

実証がなく反証可能性に閉じられた観念論や抽象論ではなく、「事実をもって語らしめること」、このブログがそのための一助となることを願っています。

なお、私のこうした考え方の立ち位置は、「SAM催眠学序説 その114」で明確に述べてあります。

2018年10月1日月曜日

SAM催眠学序説 その117

「生まれ変わり仮説」を否定する9つの反論

 

Ⅰ 史実を踏まえた学問的反論


まず、特筆すべきは、2015年1月1日付「SAM催眠学序説その34」から開始され、3月22日の「その42」まで3ヶ月近く続いた、「タエの事例」について読者VITAさんから提示された下記2つの疑義に関しての論争です。

疑義 その1

 タエは泥流の水によって溺死をしているように見受け られましたが、その様子はこの分野における学問の知見と一致しないとする専門家の意見を以前拝見したことがあります。この方の見解は、泥流は大量の岩石を 含んだものであったので、これに巻き込まれた人が溺死をするようには思えない、とのようなものであったように記憶しております。私は以上のようなことから、タエの事例に限定して言えば、歴史的事実と比較した上でのさらなる検証の余地が残っているのではないかという感想をこの度持ちました。

 疑義 その2

浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っておりますもち ろんセッションにおいてタエの人格も「急ぐの、急ぐ、時間がない」とのように語ってはおりますが)。もし研究の知見とタエの語った内容に差異がある場合、 タエの人柱が歴史的事実であるということを証明するには、研究の知見のどこかに逆に誤りがあるということを検証によって明らかにすることが必要となるようにも感じられました。

浅間焼泥押についての最新の研究の知見を述べ、拙著の批判をしているのは地質学者の群馬大教授早川由紀夫氏のブログhttp://togetter.com/li/608596 です。

早川教授のブログで示された二つの疑義についてきちんと解明したいということでした。
私としては、専門家である大学教授の権威ある批判(学問的見解)に対して、真っ向勝負することであり、タエの語りで不明であったことの解明につながる緊張感に満ちた仕事でした。

この議論の経過と決着は、「SAM催眠学序説その34」~「その42」のコメント投稿記事をお読みください。
この論争の一応の決着は「SAM催眠学序説その42」で示してあります。

記事内容の質、量ともに専門学会でおこなわれる討論をしのぐハイレベルの内容であったと自負しています。
この討論の仕掛け人であるVITAさんにはあらためてお礼申し上げます。
また、泥流の流れ方についての専門的知見を展開し、討論に参加してくださったUROノートさんにもあつくお礼申し上げます。

Ⅱ 自称霊能者の妄想による反論


さて、「ラタラジューの事例」 については、霊能者を自称している人物のブログで、ラタラジューは未浄化霊の憑依であり、里沙さんはその憑依霊の霊障によって転写された腰痛などに襲われるであろう、という根も葉もない、とんでもない霊視?感応?の内容が、2010年の「ラタラジューの事例」のアンビリ放映後に、次のように、自信たっぷりにとうとうと述べられていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私の感応によりますと、数十年前に亡くなったネパール人男性が、日本へ行く旅行者に憑依して、日本霊域に来ています。

昭和までの幽界が強い時代は、日本の結界が強力に存在していて、外国人のさ迷う霊が日本に入ることは非常に難しかったのです。しかし近年は、この結界が崩壊している様です。私は番組を見て、この事を再認識させられました。

日本霊域でさ迷っていたネパール人男性は、ある時、退行催眠で無防備に成っていた女性の所へと引き寄せられたと言います。そして簡単に入り込む事(憑依)が出来たので、自分の言いたい事を話したのです。

女性(注:被験者里沙さん)は、長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました
ところが術者先生(注:稲垣)による「問い掛け」とは、物を言いたい霊に対して、場所を提供することに成るのです。この結果、彼女は異国の男性の憑依を受けたのです。
問題は、そのネパール人の霊は、この女性に執着していました。

今後、彼女には腰痛に加えて、憑依する霊がいまだに持つ腹痛も、現実的な病気として彼女に転写するでしょう。それ以外にも、彼女の人生に影響を与えて変えてしまいます。
現に番組では、ネパール人男性が戦争に行き、人間を刃物で刺した記憶が、彼女が料理で肉を切る時にフラッシュバックして苦しいと、彼女は話していました。
人の意識に干渉する治療は、予想外の二次被害を生み出しますの注意してください。お金を払ってまでして、違う危険性を新たにはらみます。
これもやはり、先生も相談者も「無知ゆえの事」です。

彼女は過去生において、東北の弁財天信仰をする滝のそばで、口寄せ(くちよせ:霊を憑依させてお告げをすること)をさせる行者の元にいました。
そこで、寄り代(よりしろ)に彼女自身がされていたのです。その時の因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています。
このような過去生の行為が、再度また男性の元に引かれて、口寄せをする行為につながっています。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すでに7年以上前(2010年)の記事ですが、この霊能者のもっともらしい上記予言は、その後の経過によって、100%創作であり、でたらめの妄想であったことが暴露されています。
そもそも 、「(里沙さんは)長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました」という霊能者の事実認識がでたらめで、勝手な想像の産物です。
 「因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています」などは、言いたい放題のでたらめ以外にありません。

彼女のセッション動機は、腰痛治療など関係のない、生まれ変わりの科学的研究のためにおこなわれたものです。
だからこそ、セッションの証拠映像を複数の研究者同席のもとで撮影したのです。


そして、セッション後の里沙さんに霊障(ラタラジューの腹痛の転写)らしき身体の痛み現象などが、これまで7年間の経過でまったく起こっていないことが実証されています。
この、著作もあるという自称霊能者は、「感応」できたと称する意識現象が、客観的事実であるのか、主観的な妄想であるのかを、自己点検する謙虚さをまったく欠いたまま、「私の感応」は事実である、と臆面もなく断定できてしまう厚顔無恥、愚劣そのものの人物のようです。

SAM前世療法において、セラピストが、実証の余地のない、チャネリングやリーディングをおこなうことを厳しく禁じているのは、感応やら霊視やらについて、私が基本的に信を置くことができないからです。 

 Ⅲ 応答型真性異言事例そのものが錯誤であるという反論


 的外れな反論としては他にも、それぞれ別人からの2つの反論がネット上に掲載されていました。

①ラタラジュー程度のネパール語会話であれば、ネパール語を知らない誰でも会話できる。
②ラタラジューのネパール語会話は、それらしく聞こえる空耳の羅列にすぎない。

上記①②の反論は、言いがかり以上のものではなく、検証実験すればその主張が成り立たないことが歴然としています。
臆面もなく、よくもこのようなめちゃくちゃの反論ができるものだと呆れるばかりでした。
両反論者ともに、生まれ変わりなどあってたまるか、という完全な唯物論者です。
「応答型真性異言」という、唯物論者にとってきわめて目障りな超常現象そのものをなかったことにしようとする目論見です。
「生まれ変わり」や「霊魂」という単語に過剰な拒絶反応を示し、非科学的迷信、社会の害悪だと決めつけ、きちんとした検証抜きで、問答無用のありえない戯言だと切って捨てる傲慢な態度です。
そのため、顕著な認知の歪みに陥るのではないかと思われます。
そうした傲慢な態度に陥らないためには、本ブログ「投稿の留意点」に掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度を持ち続ける必要があるのです。

Ⅳ  潜在記憶仮説で説明可能であるという反論 


無意識のうちに入手している「潜在記憶」で生まれ変わりとおぼしき記憶は説明可能である、という反論はもっとも妥当性がある反論です。
この反論には、たとえば次に紹介するような実証的根拠がありますから説得力があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られるため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまで全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。(中略)

記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに前世の人格を作り上げてしまうのである。このようにして作られた前世の人格は、長年月にわたって繰り返し呼び出されても、それなりの感情や一貫した性格を示して見せることであろう。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度もっている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方がおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ数名の者に催眠をかけたことがある。
この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているのかもしれないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確な形では語っていなかった。催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく想い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世の人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験では他の施術者に実験を依頼した。その結果ただの1件も成功しなかった」
 イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、潜在記憶仮説で説明できるのではないか、という点については、当然のことながら私も疑いをもちましたから、潜在記憶の入手可能性を徹底的に調査しました。
調査結果では、潜在記憶となる情報を入手できそうな入手先の痕跡は一切発見できませんでした。
最終的にポリグラフ検査をおこないましたが、検査結果の鑑定は「意図的に情報を入手した記憶は一切認められない」ということでした。
反論者の常套句は、「どこかで」無意識的に情報を入手したに違いない、という論理で主張してくるのですが、肝心の「どこか」については具体的に触れようとしません。
その「どこか」をさんざん調査しても発見できなかったのですから、無理難題、ないものねだりと言うほかありません。
タエにしてもラタラジューの語った情報にしても、通常の手段による意図的情報収集でも、あれだけの内容は入手できるとは考えられません。
まして、偶然の経緯で、しかもインターネット(注:里沙さんはネット検索の技能を持っていません)などの手段を使わず、あれだけの情報を入手することはあり得ないでしょう。
両事例を潜在記憶仮説によって説明することは、記憶の入手先がない以上、成り立ちようがありません。

ただし、「タエの事例」については、被験者里沙さんの心の力、つまり彼女は催眠中に万能の透視・テレパシーの能力を発揮してあらゆる情報を入手できたはずだ、とする「超ESP仮説」が適用できないわけではありません。
応答型真性異言である「ラタラジューの事例」については、応答的会話技能はESPでも取得できない技能とされていますから、超ESP仮説によっても説明できません。

Ⅴ ポリグラフ検査に不正(催眠による細工)があったのではないかという反論


ところが、私が催眠を用いて里沙さんの受けたポリグラフ検査をスルーさせたのではないか、という疑いを持つ人がついに出てきました。
つまり、被験者里沙さんは意図的に情報入手しているが、その事実がポリグラフ検査にひっかからないように、つまり嘘をついても心理的動揺が生じないように、催眠が用いられていたのではないか、という疑いです。
徹底した懐疑主義に立てばこうした疑いも出るでしょうが、これは私と里沙さんの人間性を否定されかねない疑いです。
したがって、次のような反論をしてあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「催眠暗示により、嘘を嘘として認知しないようにポリグラフ検査前に細工するということは、嘘をつくことが道徳に反する、という価値観の持ち主には原則的に不可能です。
私の数度の催眠実験でも、嘘をつくことを強要する催眠暗示した場合、被験者は拒否するか覚醒してしまいました。
したがって、里沙さんに虚言癖のような傾向が無い限り、嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としていられるような催眠暗示が有効であるとは思われません。
催眠は、良心に反することを強要できるほど強力ではない、というのが催眠学上の定説です。
また、ここで紹介したポリグラフ検査は被験者里沙さんが嘘をついても平然としているかどうか、つまり動揺せず、したがって生理的諸反応が起きないかどうかを確認する本検査前の予備検査がされています。
内容は、彼女の年齢を問う予備検査です。
30代か、40代か、50代か、60代かそれぞれにすべてに『いいえ』と答えさせるものでした。
その結果、50代で明白な特異反応が認められました。
彼女は、検査当時51歳でしたから、50代か? で『いいえ』と嘘をつき、それが特異反応として検知されたというわけです。
この事前検査結果からも、彼女が嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としている、などの催眠暗示がおこなわれていないことは、すでに明らかです。
仮に、そうした事前暗示がなされていても無効であったことが証明されています。
また、つづく本検査結果においても、以下の鑑定が出ています。
『鑑定事項1『タエの事例』に関する情報入手経緯については『本・雑誌類で』で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり、前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。
考慮すべき妥当性ある内観とは『先生(稲垣)からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、一回目の質問時から引っかかりを感じた』という内観報告である。したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである』

この鑑定は、つまり里沙さんは、完全な嘘をついていなくても、少しでも心理的なひっかかりがあれば動揺が生じること、正直で素直な性格であることを示しています。
こうした諸事実によって、少なくとも、ここで実施されたポリグラフ検査を、催眠により問題なく通過させたなどの不正が起こり得たはずがありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記私の反論について、疑義を提出した人からの再反論はありません。

Ⅵ 量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論


この反論を持ち出した人は、Wikipediaに掲載されている量子脳理論についての次の引用記事をヒントにしていると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ペンローズ・ハメロフ アプローチ
理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。
意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と 呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説 明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。
臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」と述べている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記ゴチック部分のハメロフの主張の問題点を挙げると

①「脳で生まれる意識は・・・」と、脳が意識を生み出すことが確定されているかのような前提を述べていますが、脳が意識を生み出しているという科学的立証はいまだにありません。
また、「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つ」と述べていますが、意識が素粒子より小さい物質など
の実証も一切ありません。

②量子脳理論提唱者のハメロフの主張は、「臨死体験」の説明仮説としては論理が通っているでしょうが、「心臓が止まると意識は脳から出て拡散する。体験者が蘇生した場合は意識が脳に戻る」などの主張の科学的立証は一切ありません。
立証しようにも検証方法がないのです。
そして、臨死体験が「脳内現象」であるのか、「体外離脱現象」であるのかの決着さえも、学会内の議論ではいまだについていません。
したがって、ハメロフの主張は、臨死体験論争に、目新しい量子脳理論を持ち出して説明しようとする「私論」、ないし「試論」または検証可能な「仮説」ですらなく、単なる「説」でしかないと言えるでしょう。

③ハメロフの言う「体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」、あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」という主張に、「ラタラジューの事例」の反論者は、待ってましたとばかり飛びついて、「量子脳理論で生まれ変わりは説明できる」と断定しているのですが、ハメロフは、宇宙にあり続ける死者の意識情報は「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」ときわめてあいまいな表現しかしていません。
理論とは言えないレベルの、科学的実証の見込みのない恣意的推論に過ぎないからでしょう。

④私は、ハメロフの量子脳理論による「生まれ変わり」の説明については、次のような決定的な欠陥のあることを反論しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「かつて、ラタラジューが生きており、死後ラタラジューの意識(人格)が量子として宇宙に偏在したとします。
そのラタラジューの意識(人格)がなぜわざわざ日本人の里沙さんの意識を選んで宿るのか、その理由がまったく説明ができないではありませんか?
宇宙に偏在していたラタラジューの意識(人格)が、たまたま気まぐれで偶然に里沙さんの意識に宿ったわけですか?
また、そのような偶然が普遍的に起こるとしたら、応答型真性異言現象がもっと多くの人々の間に起きてもいいのではありませんか? 
つまり、学んではいない異国語で応答的会話のできる人々が、これまで世界に5例にとどまらず、もっと相当数現れてもいいはずです。
この点についての整合性のある合理的説明ができない限り、量子脳理論で生まれ変わりを説明できるとは到底考えることはできません」

⑤ハメロフの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。応答型真性異言の応答的会話は、情報に還元できない「技能」です。意識情報は量子論で説明できても、技能は量子論では説明できません。
 したがって、応答型真性異言現象は量子脳理論では説明できません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の私の反論についての再反論はありません。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識情報が、偶然に現世の誰かの生命体と結び付いて生まれ変わる、とすればこうした現象は、すでに「生まれ変わり」という辞書的定義を逸脱しています。
生まれ変わることに目的性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、生まれてきた誰でもよい誰かの肉体に宿る、こうしたまったく無縁である死者の意識が、生を受けたまったく無縁の現世の者の意識に偶然に宿ること、この説明では「生まれ変わり」と呼ぶことはすでにできません。

おそらく、量子脳理論について生かじりの知識しかなく、量子論という最新科学を背景にした目新しい主張に、軽率に飛びついてみただけだからでしょう。

Ⅶ 形態形成場仮説を借用し飛躍した推論による反論


形態形成場仮説は、Wikipediaの説明記事の引用によれば、次のようになっています。
この仮説は、生物学者シェルドレイクの提案だとされています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この仮説は以下のような内容からなる。

  1. あらゆるシステム形態は、過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する(時間的相関関係)。
  2. 離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する(空間的相関関係)。
  3. 形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
  4. これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
簡単に言えば、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説である。
この仮説を肯定する人々もいる。だが、「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」と否定的な見解を示す人もいる[2]
また、シェルドレイクは記憶経験は、ではなく、ごとサーバーのような場所に保存されており(記憶の外部保存仮説)、脳は単なる受信機に過ぎず、記憶喪失の回復が起こるのもこれで説明が付く、という仮説も提唱している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反論者は、上記の、生物学者シェルドレイクの提案している「形態形成場仮説」の説明のうち、「記憶の外部保存仮説」を借用し、拡大解釈をして、生まれ変わりについて次のように反論しています。

「わたしは否定派ですが、理由は『死後の世界』を想定しなくても『この世』だけてすべて説明可能だからです。(中略)
わたしにはむしろシェルドレイクなどが主張する『形態形成場仮説』のほうが説得力を感じます。
つまり、そもそも『記憶』というものは『脳内』存在せず、重力場や電磁場と同じように種ごとに世代を越えて(つまり故人も含めて)共通の『場』に蓄積さ れていくものだ、ということです。従って、『脳』」は中継器のようなものであり、生物は『脳』」を通じて遺伝子というキーを使って自分の『記憶』にアクセスし ていると見るのです。
実際、脳科学が進歩した現在においてさえ、『記憶』が『脳内』に存在している、という確証はないのです。
ここで、ある条件下において他者の『記憶』にアクセスできるとすれば、鳥類の『渡り』や魚類の『回遊』など世代を越えた情報交換が必要な現象や『本能』の謎も説明できることになります。
そして、この仮説により前世記憶や臨死体験などは勿論のこと、テレパシーなどの『記憶』に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります

私は、反論者の上記のゴチック部分について次のような再反論をしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)によって、ある条件下において、他者(死者)の「記憶」にアクセスできる、という主張は、「ある条件下」の具体内容が示されないかぎり、検証実験はできません。
そ の検証実験によって、他者(死者)の記憶にアクセスが成功したという検証がいくらかでもできて初めて、「形態形成場仮説によって前世記憶や臨死体験などをは勿論 のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります]という科学としての言説が成り立つのではありませんか?
こうした、検証のされていないところで、「前世記憶や臨死体験などをは勿論のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります」という主張は、「形態形成場仮説」の極端な一般化という認知の誤りに陥った短絡的な恣意的推論と言うべきでしょう。

そ もそも、形態形成場仮説によって他者(死者)の記憶にアクセスできる、などの、あたかも最新量子物理学の成果を装った主張は、形態形成場仮説を「ラタラ ジューの事例」に都合よく援用した安易な拡大解釈、ないし実証のない恣意的推論だと受け取るしかないではありませんか。
だからこそ、「ある条件下において」などという、安直で曖昧模糊とした、反証可能性に閉じた言い回しをして、逃げを打っているのではありませんか?

「ある条件下」の内容が不明では、その条件を満たすにはどうすればよいのか、その検証が不可能ですから、科学的仮説の体裁になっているとは言えません。
仮説の検証方法が示され、仮説の再現方法が保障されていてこそ、仮説→検証→検証結果の分析と考察→仮説の実証、という科学的方法の適用が可能です。
したがって、反証可能性に閉じられており、検証のできない仮説は、科学的な仮説ではなく、恣意的推論の表明に過ぎないという誹りを免れません。

検証のできない、反証可能性に閉じられた仮説を持ち出すのは、前世などあるはずがない、という決めつけの前提から、「死後の世界を想定しなくてもこの世だけてすべて説明可能だ」という唯物論万能の砦に立て籠もって、自分の唯物論世界観の安定を図ろうとする硬直した態度のように私には思えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の私の再反論についての反論はありません。

さらに加えて言えば、「ある条件下において」の文言を、「超ESPなどの能力が発揮できる条件下において」と置き換えれば、「超ESP仮説」と同様のことを述べていることになります。
「超ESPという能力を発揮できる条件においては、死後存続のあらゆる証拠は、生者による超能力で完全に説明できる」と考える理論が、「超ESP仮説」と呼ばれているものです。
つまり、「死後の世界を想定しなくても、この世だけですべて説明可能だ」とする理論です。
こう考えれば、「形態形成場仮説」のうち「記憶の外部保存仮説」は、「超ESP仮説」のような仮説に「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」という否定的見解を示す人が出るのは当然でしょう。
また、「記憶の外部保存仮説」は、これを恣意的に拡大解釈していけば、スピリチュアル好きの人たちの信じている途方もない「アカシックレコード」とよばれる「記憶の万能の貯蔵庫説」に至るかもしれません。

さて、「超ESP」という万能の超能力者が、発見されているわけではありません。
また、超ESPを用いて、情報である「記憶」は入手できても、情報に還元できない「暗黙知」である「技能」は取得できず、会話技能を示す応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、「記憶の外部保存仮説」でも説明することはできません。

「記憶」は情報であり、その取得は、最近の「量子もつれ」現象で説明可能かもしれませ
ん。
しかし、応答的会話は情報ではなく「技能」であり、暗黙知である「技能」の取得は、「超ESP」であろうと「形態形成場仮説」であろうと「量子もつれ」であろうと取得できるはずがないのです。
したがって、「技能」である応答型真性異言現象は、生まれ変わり以外の説明は成り立たないのです。

Ⅷ ユルゲン・ケイルが唱えた「thought bundle説」による反論


thought bundleとは直訳すると「思考の束」という意味です。

「この考えの根底には、オーストラリアの生まれ変わり事例研究者ユルゲン・ケイル氏が唱えた『thought bundle説』」というものがある。簡単に言うと、人は死ぬ時に記憶や思考の束(魂のようなものではなく、あくまで情報)を放出し、それを胎児や乳児が読み込み、生まれ変わったかのように見える、という説である。この説では、生まれ変わった子供たちの大半が自分が死んでから次に生まれるまでの記憶がないことをうまく説明できる。また、死後の世界や生まれ変わりの法則と言ったものを説明する必要がなく、現代の科学にもそぐう。思考束がどういうものかは改名されていないが、稲垣氏の言う魂のように、科学的に検証できないものである可能性は充分にある。
thought bundle説の特徴は非生まれ変わりでありながら、本人の記憶を間接的ではなく直接的に得る点にある。真性異言はただ死者の情報を入手すると仮定される一般的なESP仮説では説明出来ないが、thought bundle説ならこの点も解消される」という主張です。
この反論者も「記憶」取得と、「技能」の取得を一緒くたにしています。
 イアン・スティ-ヴンソンの研究に目を通していない証拠です。

「thought bundle」という目新しい概念に惑わされるところですが、この概念はすでに
「Ⅵ 量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論」で批判した内容がそっくり当てはまります。

thought bundleなるものは量子脳理論の提唱者ハメロフの言う「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」という説とまったく同じ発想だと言わざるをえないからです。
ハメロフは「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つ」などと主張していますが、これをthought bundleと言い換えれば、そのまま「thought bundle説」に変身し、 量子を「thought bundle」と言い換えただけにすぎない思われるからです。

量子脳理論にせよthought bundle説にせよ、検証不能な想像の産物と言って差し支えない単なる想像上の「説」にすぎません。
生まれ変わり否定の「科学的仮説」とは到底言えないでしょう。
私はこのthought bundle説について次のように反論しておきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも「thought bundle説」の、人は死ぬ時に記憶や思考の束(thought bundle)を放出し、それを胎児や乳児が読み込む、などの説は、実証の欠片もないもっともらしい想像に過ぎません。死に際の記憶や思考の束を胎児や乳児が読み込むことができる、などの説は検証しようにも反証可能性に閉ざされており、とても「科学的仮説」とは言えません。
このような想像説ならば、研究者でなくとも誰にでも唱えられるのではありませんか?
「thought bundle説があたかも優れていないような言い回しだが、あの世や魂や生まれ変わりなどの非科学的なものを考慮せずともこれまでの生まれ変わり現象を説明できる点は明らかに優れていると言えよう」などの主張は独善に過ぎるでしょう。
魂や生まれ変わりの存在を非科学的なものと決めつけることも唯物論者の独断です。
「thought bundle説」が生まれ変わり否定のすぐれた仮説であり、科学的な説明になっているとは到底評価できません。
そもそも、「応答型真性異言」は「情報」に還元不可能な「技能」です。
実証も実体も何もない、SFまがいの、thought bundleなるものを想定すれば、とりあえず生まれ変わり概念を回避して、「記憶」の取得の説明が成功するというだけのことです。
説明の成功が即真理だというわけでは決してないのです。
天動説でも、星の運行の説明がとりあえず成功することと同様です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記私の反論に対する再反論はありません。

Ⅸ スピリチュアリストからの恣意的反論 


スピリチュアリズムを絶対的真理として信奉する立場、いわゆる「確信的スピリチュアリスト」と呼ばれる論者(とりわけシルバーバーチの霊信を固く信奉していると思われる人物)からの聞き捨てならない恣意的な前世療法批判について反論してみます。
なお、詳細な反論については、「SAM催眠学序説その99」をごらんください。

反論については、私個人の催眠臨床体験が示す事実に基づいて、という前提と限界のもとで述べてみます。

さて、点線以下に取り上げた批判記事は、「スピリチュアリズム普及会」のブログ記事です。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-26/spnl-26-1.htm

点線以下の内容は1から9にわたっていますが、とくに前世療法批判にかかわる項目を抽出して引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

“異言”は果たして前世の言葉なのか?

憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同


憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます。また憑依霊が、取り憑いている地上人が一度も行ったことがない場所の様子を正確に述べたり、知るはずのない過去の建物の所在地をピタリと的中させるようなこともあります。この場合も、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚されます。言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません。
憑依現象について必ず知っておかなければならないことは、「霊が地上人のオーラの中に入って憑依状態を引き起こすと、霊自身に、自分が地上人に取り憑いているという自覚が全くなくなってしまう」ということです。それと同時に、霊に憑かれた地上人の方も、自分の意識と霊の意識が混同して区別がつかなくなってしまうということです。つまり憑依した霊の側と、取り憑かれた地上人の側それぞれが、自他の区別がつかなくなってしまうのです。
憑依霊は、自分が地上人の肉体に取り憑いておきながら、しばしばそれを自分自身の肉体のように思い込んでいます。憑依霊と地上人の当事者同士がこうであるなら、それを外から見ている人間には、特に前世の情報は簡単に得られるとの先入観を持った人間には、両者の区別はきわめて難しくなります。結果的に、憑依霊の記憶を前世の記憶と勘違いしてしまうことになります。

 

“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象


異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます。
スピリチュアリズムの中で最も多く見られる霊媒現象(霊界通信)の形式は、シルバーバーチに代表される「間接談話」であったり、モーゼスの霊訓の「間接自動書記」です。シルバーバーチの初期には、エクトプラズムでつくったメガホンでしゃべる「直接談話」の方式も用いられましたが、やがて間接談話の形式をとることによって霊界通信のレベルが向上しました。こうした霊媒現象では、霊界の通信霊が地上の霊媒に向けて「思念の言葉(霊界の普遍的言語)」で語りかけます。霊の思考内容が、地上の言語という形式を用いずに“インスピレーション”として地上の霊媒に伝わります。それを霊媒の潜在意識が、地上の言語に変換・翻訳することになります。
このメカニズムをもう少し詳しく述べると、次のようになります。通信霊が、地上の霊媒と自らのオーラを融合化させることによって、霊媒の“潜在意識”を支配下に置くことになります。そうした状況下で霊は、霊媒の潜在意識の中に存在する単語や文体を用いて自分の思想の言語化を図ります。それと同時に潜在意識につながる発声機能や書記機能を用いて、言語化した思想を発声表現したり、筆記表現することになります。多くの霊媒現象では、こうしたプロセスを踏んで地上人に、霊界からの思想・教訓が届けられることになるのです。
したがって霊媒の口から出る言葉や霊媒によって書かれた文章は、霊媒が日常生活で用いている言語になります。英国人の霊が日本人の霊媒を通じて通信を送る場合は、当然、日本語になります。また大昔の日本人が現在の日本人霊媒を通じて通信を送ってくる場合も、通信は現代日本語として届けられることになります。
高級霊が通信を送る場合、できるだけ負担のかからない方法を選択します。間接談話や間接自動書記の方法は、そうした目的に適っています。直接談話や直接自動書記霊が直接筆記する)では、霊に表現のためのたいへんなエネルギーが要求されることになり、長時間の通信、込み入った内容の通信は難しくなります。
高級霊が地上人にできるだけ正確に純粋なままの通信を伝えようとするとき、結局は「間接談話」や「間接自動書記」といった方法を選択することになります。間接談話のような入神中の霊媒を支配する方法ではなく、覚醒している霊媒にインスピレーションを送るという直接的な通信方式が、霊にとっては一番負担が少ないのです。しかしこの方法では、受信能力と翻訳能力が常に大きな問題となります。実際には通信が正確に受信されなかったり、受信されても霊媒の翻訳がいい加減で内容がデタラメになるといったことが多いのです。)
さて、先程の“異言”に話を戻します。異言も霊媒現象の一つである以上、当然、霊媒の潜在意識を利用します。しかしこの場合は、一般の霊媒現象のような潜在意識による言語化というプロセスは省略されます。霊媒の潜在意識につながる発声機能の領域だけが支配されることになります。霊界にいる霊達の記憶の中から、あるいは霊界の記憶の層の中から、かつての地上時代の使用言語が取り出され、それが直接、霊媒の発声機能に乗せられるのです。こうして霊媒の使用言語とは別の言語が音声化されることになります。これが異言のメカニズムです。
潜在意識は普通、言語機能・発声機能と連携して作動するようになっています。異言では、これらの連携を切り離して発声機能だけを利用しようとするのですから、霊の側には不自然な負担がかかることになります。霊は、自分や霊達の記憶の中から取り出した言語や、霊界の記憶の層から取り出した何らかの地上の言語を、ただ音声化することにのみ、すべてのエネルギーを費やすことになります。
“思想内容を伝達することより音声化”というこうしたショー的な意味のない通信――本来の目的を失った通信的行為を、高級霊がわざわざするようなことはありません。高級霊にとっては、内容(思想・教訓・真理)を伝えることが通信の一番の目的です。その目的にそわないうえに、ただエネルギーを浪費するだけの行為に加わるはずがないのです。
そうした行為は、地上人に対する霊界の“デモンストレーション”として、下級の霊に任されることになります。漢字を全く知らない霊媒を通じて漢字を書いたり、外国語を全く知らない霊媒を通じて外国語を書くようなことも、霊の力をもってすれば可能ですが、それは低次元のデモンストレーションとしての意味しかないのです。
したがって“異言”は、同じ霊媒現象といっても、さほど重要度の高い霊媒現象ではありません。それを演出する霊も、実際には大して霊的レベルの優れた霊ではないのです。こうした現象は高級霊の監視の下で、物質的影響力を行使しやすい下級霊・低級霊によって演出されることになります。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用おわり

催眠(SAM前世療法)の臨床現場からの反論


上記「スピリチュアリズム普及会」論者の、前世療法批判の総括的結論は、「一見科学的な装いをまとった退行催眠(前世療法)によってもたらされるのは、錯覚や間違ったイメージでしかありません」という実証のともなわない硬直した否定論一色の主張のようです。
おそらくこの論者は、イアン・スティ-ヴンソンの応答型真性異言についての著作も、私の2冊の前世療法についての著作も読んでいるとは思われません。

しかし、私の知るかぎり「確信的スピリチュアリスト」のすべての人が、前世療法に関して、この論者のような独善的で極端な主張・見解をもっておいでになるわけではないことをお断りしておきます。スピリチュアリストとは、本来的に柔軟で自由な思考態度をもっておいでだと思っています。

そこで、「巷に横行している“前世探し”を取り上げ、スピリチュアリズムの観点から検証します」というこの論者の言う「検証」が、前世療法についても、具体的かつ慎重になされたうえでの妥当な批判・主張になっているのかどうかについて、催眠臨床実践者として検討してみたいと思います。

まず、この論者は、「催眠術」という用語を当然のように用いていますが、この用語法は、催眠学上不適切です。
舞台催眠(催眠を使った見世物・ショウ) については「催眠術」と呼びますが、前世療法を含めて療法として心理臨床に用いる催眠は、催眠学上の共通理解として「催眠法」と呼ぶように統一されています。


こうした不適切な用語を安易に用いている点から推測するに、少なくともこの論者は臨床催眠の実践者ではないと思われます。
また、催眠学への造詣がさほど深くないことも、うかがうことができると思います。
あるいは、故意に「催眠術」という用語を用いて、催眠自体を非科学的な意識現象へと貶めようとする悪意すら疑われます。

 以上の前提に立てば、この論者が実際の前世療法セッション現場に立ち会い、自分の目で前世療法の実際を確認したうえで、個別に慎重に「検証」した結果の主張とは到底思われません。

そこで、上記引用した前世療法批判についての反論を、項目ごとに私の臨床体験に基づいて述べてみます。


「憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同」という主張について

ここでは、「憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます・・・言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません」 という独善論が展開されています。

 私が知りたいのは、憑依霊と前世の人格を見分ける検証のための指標(検証の基準)です。
 それが一切示されていない前提においては、「憑依霊はたびたび前世の人格と間違われます」という主張の根拠はまったく不明ということになります。
「タエの事例」のタエ、「ラタラジューの事例」のラタラジューの語りは、検証の結果まさに事実と一致しました。
この論者によれば、タエとラタラジューの語りの内容(情報)は、すべて憑依霊の記憶であるということになります。
クライアントと無関係な第三者である「憑依霊の記憶」である確かな検証が示されないところで、このような一方的判断は、独善的と言うべきでしょう。
理解に苦しみますし、説得力はないと思います。
この論者は「スピリチュアリズムの観点から検証します」と冒頭で述べています。
「検証」とは、「調べて証明すること」 です。

憑依霊と前世の人格を見分ける検証の基準を示し、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を具体的に調べ、、検証の基準に基づく具体的根拠を示して憑依霊の記憶であることを証明してほしいものです。

「“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象」という主張について

論者によって、「異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます」と述べられています。

「霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のこと」を「異言」という霊現象だと説明してありますが、これでは専門用語としては説明不足です。
 単に「異言(グロッソラリア)」と言った場合には、「検証されていない外国語らしき言語」というほどの意味であり、発語(発話)者が学んでいないことが科学的に検証された外国語」を「真性異言」(ゼノグロッシー)と言います。
真性異言は、さらに「朗唱型真性異言」と「応答型真性異言」に種別されます。
「朗唱型真性異言」とは、対話相手がいない状態で外国語の単語や文を一方的に発語する場合、「応答型真性異言」とは異言で話す対話相手と応答的に異言で対話する場合を言います。
論者は、単なる「異言(グロッソラリア)」と「真性異言(ゼノグロッシー)」を一緒くたにしています。

論者は「異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象」だと述べていますが、私の催眠臨床体験からすれば、とてもポピュラーな現象とは言えません。
なぜなら、私の体験では、検証不能な異言が1例、 検証の結果にせの異言であった事例が2例、応答型真性異言(ラタラジューの事例)が1例であり、計4例しかありません。

しかも、催眠下で確認されている応答型真性異言は、「ラタラジューの事例」を含めてこれまで世界でわずか3例しかないのです。

私の臨床事例のわずか4例をもって、これをポピュラーな現象とはとても言えないでしょう。
私は、応答型真性異言以外の3例の異言は、催眠中の要求特性による想像力が働いた結果の創作であろうと判断しています。

そして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、前世人格ラタラジューが被験者里沙さんを霊媒として顕現化した、いわゆる憑依現象だととらえています。
ただし、ラタラジューは、里沙さんの魂の表層を居場所とする意識体としての前世人格ですから、いわゆる「憑依霊」ではありません。
魂表層を構成している前世人格が、生まれ変わりである現世の里沙さんの肉体を借りて自己表現する現象ですが、このような憑依現象はこれまで知られていませんので、SAM催眠学上の新しい概念をあらわす用語として「自己内憑依」と名付けています。

そして、自己内憑依現象として顕現化し、応答型真性異言現象を示した「ラタラジューの事例」を、「低次元の霊媒現象」として評価することは明らかに間違いです。
スピリチュアリズムの立場から、応答型真性異言現象は、「低次元の霊媒現象」だと切って捨てるとすれば、イアン・スティーヴンソンの公開している応答型真性異言「グレートヒェンの事例」も低次元の霊媒現象だと切って捨てるのでしょうか。
低次元の霊媒現象だと断定するのであれば、憑依霊と前世の人格を見分ける検証の基準を示し、検証の基準に基づく具体的根拠を示して、低次元の憑依霊の記憶であることをきちんと論証するべきです。


この論者には、「一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは錯覚や間違ったイメージでしかありません」、「前世療法は百害あって一利なし」という誤った恣意的推論による実証を欠いた思い込みによる偏見がはじめからあるように思われます。

それへの反論を封じるために、要求特性によって偽りの前世が語られていると否定し、検証によって語り内容が事実である場合は、幽体離脱やら低級霊の憑依現象によるまやかしだと否定する、こうして前世療法によってもたらされる前世の情報は、結局、どのような結果が出ても、錯覚や間違ったイメージでしかない、という全面的否定へと導くのが、この論者のはじめからの硬直した基本的論理のように思われます。

しかし、要求特性やら、テレパシーやら、幽体離脱やら、低級霊の憑依やらを持ち出して、前世療法を全面的否定しようとする実証なき観念論は、実際の催眠臨床で確認できる事実に反した誤りですよ、というのが私の率直な実感であり反論です。


付言しますと、私はスピリチュアリズムの説く霊的真理には共感を抱く立場であり、スピリチュアリズムそのものを否定する意図は毛頭ありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの証拠だとする私の主張に対するこれまでの反論を、9点にわたって網羅しました。

このうち、「タエの事例」について、具体的反証を挙げた反論は、Ⅰのみでしょうか。
「ラタラジューの事例」について具体的反証を挙げて反論したコメントは皆無です。
「実証的探究」を掲げている本ブログ管理人としては、Ⅰ以外は、実証性のない観念的反論だと評価するしかありません。
「理屈より実証、観念より事実」の旗印からすれば、実証なき理屈、事実なき観念による反論では説得力を認めることはできません。

現時点において、これら諸反論では、両事例が示す生まれ変わりの実証性を揺らがせることがいささかもできなかった、と評価するしかありません。


とりわけ、最新の量子論を背景にした「量子脳理論」、「形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)」、および「thought bundle説」でタエ・ラタラジューの両事例を説明できると主張されていますが、その主張の理論的杜撰さから、どうやら生まれ変わりの科学的研究(SPRおよび超心理学)における先行研究の造詣があるとは思われませんでした。
生まれ変わり仮説の「否定が先にありき」であり、したがって、私の主張根拠である両事例の反証可能な点について、一次的証拠の具体的な検討をすることなく、思いつきで投稿されているように思われます。

このことは、「前世を語る子どもたち」の膨大な実証的研究、3つの「応答型真性異言」の実証的研究を残した、生まれ変わりの科学的探究の先駆者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソン博士の業績と、それを模範とする私のささやかな探究が、少なくとも現時点では、否定することはできない、と自負してよいと思われます。
一次的証拠への反証を回避して、実証のない観念論による反論だけでは、生まれ変わりを示す一次的証拠である具体事例を否定することは到底できないということです。

しかしながら、私の主張している「生まれ変わり仮説」は、生まれ変わりの濃厚な事実を示す具体的状況証拠に基づいていますが、完璧な証拠だと断定できるまでに至っているものではありません。
だから、常に批判(反論)にさらされているあり方、常に反証可能性に開かれているあり方こそが、真理を求めるための、公正で科学的な探究態度だと思っています。
こうした公正で慎重な探究態度を逸脱しないために、私自身も、生まれ変わりがあってほしいという願望による、事実認識の歪みの有無についての自己点検を、常に怠ってはならぬと自戒しています。

諸反論の幾つもの波を被り、揉まれ、洗われ、再反論を慎重に検討し、粘り強く思考していくプロセスの繰り返しがあってこそ、生まれ変わり仮説はより強靱なものに仕上げられていくに違いないからです。
そして、反論は、反証可能性に開かれた形で一次的証拠として提示されている具体的諸事実に基づいて実証的になされるべきでしょう。
法廷のルールに則れば、私が具体的諸証拠を提示して生まれ変わりがある、と主張しているのですから、生まれ変わりなど絶対にない、と主張する人は、私の掲げている一次的諸証拠に対して、まずは具体的反証を挙げて生まれ変わりがないがないことを実証する「立証責任(挙証責任) 」があるということです。 

なお、脳の機能と生まれ変わりの関係について、高度な諸議論については「SAM催眠学序説その16」の36におよぶ投稿コメント欄をご覧ください。
一読の価値があると評価できます。

ちなみに、量子脳理論、および形態形成場仮説、thought bundle説を持ち出して否定論を述べているお三人は、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の動画にある説明コメントをきちんと読んでおいでになるとは思われません。
あるいは、読んでおいでになっても、具体的反証の余地がないので、具体論から逃げ、実証のない観念論で反論を展開しておいでなのだと推測します。


こうして生まれ変わりを否定する諸仮説をすべて公正に検討し、最後に残ったもっとも妥当性の高い仮説が「生まれ仮説」でなければ、宗教的信仰ではなく、科学的な事実としての生まれ変わりを、多く人々が納得することはできないでしょう。

 生まれ変わりのように、きわめて重大で、個人の人生観にとどまらず広範囲に深甚な社会的影響力をおよぼすことを、科学的事実だと主張することであればなおさらです。

そして、「生まれ変わり」を多くの人々が、科学的事実だと認めれば、少なくとも、目前に迫った死に対する、すべて無に帰するという暗黒の恐怖に、光明を見出すことができるに違いありません。


なお、私は、生まれ変わりのないことが、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の具体的反証をあげて「科学的に実証」されるなら、怪しげな宗教的言説、先述のような自称霊能者のでたらめのお告げ、胡散臭い霊感商法などが、きれいさっぱり完全に一掃できる画期的なことだと評価しますし、私の主張は、潔く誤りを認めて撤回します。
そして、このことは、ひいてはスティーヴンソンの生まれ変わり研究の業績もすべて否定することになるでしょう。

最後に、you-tubeに公開している「ラタラジューの事例の英語版」に寄せられた海外からの2つの好意的評価コメントを紹介して締めくくりとします。

文面から、それぞれ生まれ変わりの科学的研究への造詣があると思われるお二人です。
また、コメント文面から「ラタラジューの事例」の公開動画にある説明コメントを丁寧に読んだうえでのコメントであると推測できます。

私は、SAM前世療法による応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、故イアン・スティーヴンソンの「グレートフェンの事例」を凌ぎ、21世紀の、世界に誇れる、生まれ変わりの科学的研究史に残る、金字塔であると自負しています。

さて、お一人からはCongrats. Well done! 、 もうお一人からは Great job!という「!」付きの身に余るうれしい評価でした。
日本の濃尾平野の片隅の岐阜県可児市から、机に座ったままで世界に向けて発信出来る幸運な時代に生まれ合わせた喜びを噛みしめています。


以下の英文が、海外から寄せられた「英語版ラタラジューの事例」についてのコメントです。


Quite incredible! A very well planned session. It's amazing that she, as Rataraju, understands Nepali and gives many replies in Nepali (although many times she says "I don't know').. Congrats. Well done! To me, xenoglossy is evidenced here through the route of a spirit.


Hi. I think at some point when Ratarajou mentioned about his stomach pain, he died at that point and when people cross over its hard to communicate with them because like Dr.Brian Weiss said they are in state of resting or sleeping. If you noticed it was harder to talk to him after that point. Questions that he were answering in the earlier parts of the video, he answered "I dont know" or not understand at the point after he died(of stomach pain) because Rataraju was already resting and its hard to talk to them when its like that. If you are familiar with Dr. Michael Newton works the regression approach to be able to talk to people who are already in the spirit home or people who already cross over is by LBL type regression. But Kudos to this video, this is a great material supporting the reality of past lives and reincarnation. Great job!


最後まで辛抱強くお読みくださった読者の方には、あつくお礼申し上げます。

2018年9月1日土曜日

コメントの表示方法と投稿の留意点

1 コメントの表示方法について

 本文記事の枠外下に「8件のコメント」などの表示が出るようになっています。コメントを読む場合に、この「8件のコメント」をクリックすると、コメントが投稿順に表示されます。
ただし、文字ポイントが小さく、改行なしの縮小コメント記事の表示になるので読みづらいです。

そこで、本文記事の最上段の、大きな文字ポイントのタイトルの赤文字「 SAM催眠学序説その116」などをクリックすると、赤文字が黒文字に変わり、本文に続いて本文と同じカーキ色の地に本文と同じ文字ポイントでコメント記事が投稿順に表示され、大変読みやすくなります。

生まれ変わり否定論のさまざまなコメントと私の反論は、読み手には興味深い内容があり、生まれ変わりを考える上で参考になると思います。

アメブロなどと比較して、グーグルブログを使う方は少ないため、上記の操作をご存じない方がおいでになるので、紹介しました。

2 投稿の留意点について
 

SAM前世療法で顕現化するのは「前世人格」そのものです。「前世の記憶」ではありません。
「前世人格」の顕現化現象では、語る主体はクライアントではなく、肉体を持たない前世人格です。

クライアントは、顕現化した前世人格に自分の身体を貸しているという前提に立ってセッションを展開します。
 

ワイス式前世療法のように、クライアントが終始自分の「前世の記憶」を語るという前提でセッションを展開することはありません。
 

こうした、語りの主体が「前世人格そのもの」であるのか、クライアント自身が主体であり前世記憶を語っているのか、という重要な区別が分かっていない投稿がほとんどです。私の記事へのこれまでの反論は 「前世の記憶」一点張りの主張ばかりです。
 

また、ことばによって伝達可能な「情報」とことばによっては伝達できない「技能」の区別をしないで、すべて情報として伝達できるものだとして、粗雑な観念論(単なる「説」)を持ち出して投稿する反論者がほとんどです。

反論するからには、反論対象の私の主張をていねいに検討したのちに反論する、という当然の作法が無視されています。

最低でも、私が生まれ変わりの証拠としている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の両動画を視聴し、この一次的証拠の具体的反証を挙げながら、反論することが礼儀でしょう。

一次的証拠に一切触れない実証なき観念論(「仮説」ではなく単なる「説」)で反論したところで、説得力は、まったくありません。仮説にはその仮説の根拠となる検証可能な証拠がともないます。私が繰り返し主張してきた反証可能性にひらかれています。

 

さて私が、かつてのアメブロからグーグルブログに乗り換えた理由は、1ページ分の本文欄・コメント欄の文章の書き込み文字数制限がないこと、外国人の読者には、その国のことばに翻訳する機能がついていることによります。

したがって、コメント欄を用いた長文の議論が可能であり、しかもそれが世界に発信できるというメリットがあります。


2018年8月8日水曜日

SAM催眠学序説 その116

       商標権とSAM前世療法士の権限


以下は「稲垣勝巳メンタルヘルス研究室」https://sites.google.com/site/samzense/の 「商標権とSAM前世療法士の権限」のページの記事です。
こうした記事を書かざるをえない憂慮すべき情報が入るようになったため、読者のみなさんにも周知していただくために、あえて下記に掲載しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●「SAM前世療法」は、第44類(心理療法・医療分野)の登録商標です。「SAM前世療法士」を名乗る権限は、当「メンタルヘルス研究室」の主宰する「SAM前世療法催眠塾」の修了者のみにあります。

●「SAM前世療法士」が学んでいる知識・技能は、催眠学の基礎と催眠誘導の基礎であり、臨床心理学全般の素養を保証しているものではありません。 催眠関連以外の心理臨床に関わる他の資格(臨床心理士・学校心理士など資格認定更新制度のあるもの)も併せ持つことを勧めています。そうした心理臨床に関わる資格更新制度のある資格、または「上級SAM前世療法士」以上の資格も併せ持っていることを、セラピストの技能を保証する指標としてください。

●塾修了者には、商標権者によって、氏名・承認番号・修了年月日・取得資格名が明記され、朱印を押印した「講習修了証」が授与してあります。セラピストの資格・技能に不信感を抱かれた場合には、講習修了証の提示を求めてください。

●修了証記載の資格名は、受講時間と、催眠学知識、催眠技能の高さ、などSAM前世療法士への信頼度を保証するため、次のように指導時間ごとに4段階の資格を定め、資格更新制度として設けてあります。

①「上級マスターSAM前世療法士128時間」 ②「マスターSAM前世療法士96時間」 ③「上級SAM前世療法士62時間」 ④「SAM前世療法士32時間」となっています。

【商標権の侵害など不法行為について】
 

●「講習修了証」を所持しない者、資格認定取消し処分を受けた者が、「SAM前世療法」の登録商標を用いて、あるいは隠して、SAM前世療法の名称を伏せて同様の技法でセッションをおこなうこと、その宣伝をおこなうことは商標権侵害の不法行為となります。

●また、SAM前世療法士の資格認定を受けた者であっても、SAM前世療法の商標を用いてSAM前世療法士を養成したり、SAM前世療法士の名称を授与する権限は一切ありません。それらの行為は商標権侵害の不法行為となります。

●SAM前世療法士の資格認定を受けている者が、商標権の侵害、著作権の侵害などの不法行為を犯した場合、あるいは信用失墜行為をした場合は、その事実確認を本人に通告したうえで資格取消処分をしています。
処分を受けた者が、以後SAM前世療法の商標を使用することは商標権侵害の不法行為となります。

●SAM前世療法の一環を装いながら(SAM前世療法と称しながら)、SAM前世療法の指導カリキュラム規定にないリーディングやチャネリング、レイキ、「魂遡行催眠」を用いて主訴に無関係な前世人格以外の死者の霊、その他霊的存在などを意図的に憑依させる、などの行為は「商標SAM前世療法」の規定外の行為であり、商標権侵害の不法行為の対象となります。

●経済産業省のHPによれば、

「登録商標と同一の指定商品・指定役務に登録商標を使用する行為は商標権の侵害とされます。また、さらに指定商品・指定役務に同一もしくは類似する商品・役務に登録商標に類似する商標を使用する行為、または指定商品・指定役務に類似する商品・役務に登録商標を使用する行為も商標権侵害とみなされます」とされています。

注:上記「指定役務」とは商標内容のサービスを意味します。商標権取得のためには、単に商標だけでなくその商標と不可分の具体的内容も審査されます。

したがって、SAM前世療法士の資格を持たない者、資格取り消し処分を受けた者が、SAM前世療法と同一の技法(とりわけ魂遡行催眠の技法)を用いて別の名称で前世療法をおこなうこと、SAM前世療法規定の指導カリキュラム以外のリーディング・チャネリング・レイキ、霊的存在の意図的憑依などをSAM前世療法の一環を装っておこなう行為、あるいはSAM前世療法の商標を伏せて同一の技法で前世療法をおこなうことなどは商標権の侵害行為と認定されます。
こうした不法諸行為は、「指定役務(SAM前世療法)に同一もしくは(SAM前世療法に)類似する役務に登録商標に類似する商標を使用する行為」に該当し、商標権侵害の対象となります。

商標権の侵害について、厳しい態度をとらざるをえない理由は、SAM前世療法の正統を守り、前世人格と対話する世界唯一の前世療法として他の前世療法との明確な差別化を図り、あるいはオカルト療法としてSAM前世療法が誤解され、信頼が損なわれることを防ぐためです。

ひいては正統なSAM前世療法が後世に引き継がれることを願っているからです。
 

そもそもSAM前世療法(とりわけ魂遡行催眠)は、稲垣の守護霊団の霊信内容が、そのまま作業仮説となっており、霊的真理を広める使命を帯びた療法です。
これを歪めることは、私の守護霊団の恩恵に対する冒涜になると認識しています。

「SAM前世療法」は心理療法上の商標権を有するブランド名です。
SAM前世療法の内容を広めるために、2006年・2010年の二度にわたるアンビリバボー出演と、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の二度の出版、セッション動画のyou-tube公開、ブログ『稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究』によるSAM前世療法の理論と実践の公開などの努力を、創始者の説明責任として、70歳の今日に至るまで愚直におこなってきました。 
 

この努力は、SAM前世療法の技法手続きを用いれば、同様の前世人格の顕現化現象を得ることができる、つまり、科学としての再現性の主張でもあります。
 

そしてまた、前世と生まれ変わりを、観念論・抽象論でもって、執拗かつ頑なに否定する、唯物論者とのこれまで10年間にわたるネット上の孤独な戦いでもありました。
 

「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の具体的両事例を掲げ、生まれ変わりと前世の存在を、反証可能な確固とした具体的映像証拠をもとに主張することは、唯物論の土台を揺るがし、亀裂を生じさせる、極めて不都合、目障りな、容認・看過できない主張であるに違いなく、その意味で否定論者からの唯物論による諸批判は、名誉であろうと思っています。

生まれ変わりを否定したければ、観念論ではなく、生まれ変わりを示し、反証可能性にひらかれている両事例について、具体的反証を挙げて、具体論できちんと否定するしかありません。
これは当然のことですが、これまでの諸否定論者はそれがまったく出来ませんでした。

唯一の稔りある具体的議論は、2015年1月1日付「SAM催眠学序説その34」から開始され、3月22日の「その42」まで3ヶ月近く続いた、「タエの事例」について、読者VITAさんから提示された2つの疑義に関しての論争だけです。ここで展開された議論は、学会の討議に匹敵する詳細かつ重厚な議論であったと評価できると思います。

VITAさんとのコメント欄を用いた議論の応酬では、反論・再反論のために沈思黙考できる時間の自由が保障される点で、学会討論や会議の質疑など時間制限の設けられた議論より、はるかに緻密で熟慮した質の高い主張が展開できるというネット上の議論の有用性を強く実感しました。

それ以外は、「事実(あるいは主張・証拠)に対しては、事実(一次的証拠) をもって対応すべし」という科学的方法の原則の無視、または無知による、観念的、抽象的な諸議論ばかりで「実証的探究」に値するものではありません。
ただし、話題提供という意味においては、コメント欄の議論を楽しむ読者への奉仕という意義を認めないわけではありません。

リーディング・チャネリングなどは、霊能者を自称する者の、科学の対象とはなりえない、だれでもできるわけではない、特殊・固有の能力であり再現性の保証されることのない能力です。
 

そして、クライアント自身の魂表層に同居している前世人格が、クライアント自身に憑依して語るSAM前世療法と、第三者である霊能者がリーディング・チャネリングと称して語る行為とは、次元を異にするまったく別の行為です。
この根本的混同は、容認できることではありません。

科学性を主張するSAM前世療法は、科学の対象とはなりえないリーディング・チャネリング・レイキなどとは明確な一線を引いておくべきだと考えます。
また、SAM前世療法によって、主訴に無関係な霊的存在の意図的憑依を試みるなどのオカルティズムが混入することは誤解のもとになり、また精神疾患を招くなどの危険がともないます。
 

ようやく知名度が少しずつ広がり始めた「SAM前世療法」のブランド名を利用し、それを装って、リーディング・チャネリング・レイキ、主訴に無関係な霊的存在の意図的憑依などをおこなうことは、「SAM前世療法」のブランド名を用いた不法行為であり、SAM前世療法士の資格の濫用であり、「SAM前世療法」がオカルト療法だと混同・誤解されるおそれと、ひいてはブランド名を貶めることになることを憂慮しないわけにはいきません。

40年にわたる催眠研究、4000事例の臨床経験と、私あて霊信の恩恵によって構築したSAM前世療法が、後世に引き継がれるために、正統を歪める者に対しては、資格取消処分、および商標権に基づく法的処置も辞さない厳しい態度をとるつもりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注1:規定のSAM前世療法によって精神疾患の招来などの事故報告は一切ありません。

注2:前世人格の呼び出しの諾否については守護霊の許可という安全弁が働きます。クライアントの人格に損傷を与えるような前世人格の顕現化は守護霊により拒否されます。

注3:資格取消処分者の氏名はここでは掲載してありません。HPをご覧ください。

注4:SAM前世療法の「魂遡行催眠」の技法は、世界のいかなる前世療法の技法にも絶対ありません。したがって、商標名と不可分の技法です。SAM前世療法士以外の者が、この技法を真似ることは不法行為に相当します。

注5:セッション動画を公開する場合は、「魂遡行催眠」をはじめ、催眠誘導過程を必ず削除してください。視聴者が安易に催眠誘導の模倣をして事故等が起こることを防ぐためです。


注6:SAM前世療法士が、チャネリング・リ-ディングなどをおこなうことを禁ずる訳ではありません。それがSAM前世療法とは全く関係のないことをクライアントに明確に告げ、それがSAM前世療法の一部であるような混同や誤解を与えないように厳しく配慮することを求めています。      

注7:SAM前世療法に100%の成功率はありません。私のデータでは直近100事例の成功率(魂状態に遡行し前世人格が顕現化する率) は91%です。不成功を取り繕うためにSAM前世療法の一環を装ってリーディングやチャネリングをおこなっているケースがあるようです。

もし、100%の成功率を謳っているようなPRがあれば、あり得ない誇大広告だと判断してください。

催眠研究者ヒルガードによれば、世界6カ国6名の研究者による被験者519名のデータは、5~9%の被験者は催眠に入らないとされています。
つまり、およそ10名に1名程度は催眠には入らないということです。

このことをふまえて、SAM前世療法では、最初に、22段階の標準催眠尺度(深さの段階ごとに実現する催眠現象を尺度化した段階表)のうち、第1(後倒)と第4(腕移動)の浅い催眠現象が実現するかどうかをチェックします。
本格誘導の深化過程では、浅いレベルの「運動催眠の実現」である運動禁止現象と中程度レベルの「知覚催眠の実現」である痛覚麻痺現象をチェックし、クライアントが確実に催眠に入っていることを確認します。
こうした催眠状態のごまかしを防ぐチェックをおこなうことも、SAM前世療法の誘導過程の基本的な特徴です。

この方法以外に、現時点で、クライアントが確実に(科学的に)催眠状態にあることを判断できる方法はありません。
 催眠中の脳波を調べても、催眠固有の脳波は特定できていないからです。
催眠中の外観を観察しても、確実な催眠状態にあるとは判断できません。

2018年7月20日金曜日

SAM催眠学序説 その115

    元妻に憑依した夫の生き霊との対話

   「生き霊」との対話セッション逐語録


「生き霊」の真偽について科学的検証、証明は不可能だと思われます。
生き霊を飛ばすという行為は意図的におこなわれることより、多くは無自覚のうちに飛ばしているらしいことが言われているからです。
そうなると、無自覚に生き霊を飛ばしている当事者本人に「あなたはA子さんに生き霊を飛ばしていますか?」などの確認の検証をすることは無意味に違いありません。

また、生き霊は、意識体ですから、その意識現象としての憑依を科学機器による映像化や計測化もできず、科学機器による憑依の検証や証明はできません。 
できることは、状況証拠を慎重に考察し、その累積から共通項を抽出して間接的な証明をすることしかないと思われます。

しかし、生き霊の憑依が起きているのではないかと推測されるような、体調の悪化や情緒不安定、憑依様の人格変化などの原因不明の意識現象・身体現象が、少数ながら確かにあるようです。
単なる思い込みや憑依妄想では解釈できない霊的現象があるようです。

ここに紹介する「生き霊との対話セッション逐語録」は、生き霊という霊的意識体の存在の信憑性が強く示唆される事例です。

●生き霊の憑依という「霊的意識現象の事実」を認めることが、著しく臨床的直観に反することはなく、

●生き霊の憑依という「霊的意識現象の事実」を認めることが、特に不合理な結論に帰着することはなく、 

●生き霊の憑依という「霊的意識現象の事実」が、これまで知られている脳の特性(心・脳の一元論)から考えるとどうしても説明できない超常現象だと認めざるをえない、

と判断できると思われる事例です。


さて、クライアントのS子さんは、現在派遣社員をしている2年前に離婚した30代の女性です。
離婚を決断したのはS子さんの方からで、離婚を渋る夫のもとを去り別居しました。
その結果、夫は渋々離婚に応じました。
離婚後、よき友人関係でいようと度々会っていましたが、それもうまくいかないと断念し、1年後には完全に関係を断絶しました。
その後、しばしば「生き霊」ということばを聞くだけで、わけもなく涙が出る、同時に体調不良に陥ることが起こるようになったそうです。
このような現象は、別れた夫の生き霊のせいではないかと感じるので、セッションを依頼したい、というかなり追い詰められた様子でした。
ちなみに、S子さんは霊的感受性が敏感で、すぐれた霊媒体質の持ち主だと思われます。

このセッションは、S子さんの希望で録音記録をとることを許可しました。
その録音記録を起こしたものを送付していただいたので、S子さんの許可を得て、SAM催眠学研究の一環としてここに紹介することにしました。
生き霊との対話セッション逐語録のような、生き霊が対話するという顕現化現象そのものが録音され公開されたことはないと思われます。
この対話は、SAM前世療法を用いた「生き霊祓い」のセッションでもあり、その意味でもきわめて貴重な記録です。

霊的意識現象の探究のため、公開を許可いただいたS子さんには、この場を借りてあつくお礼申し上げます。

以下は、SAM前世療法の催眠誘導手続きによって、S子さんが「魂状態の自覚」に至ったことを確認後の対話逐語録です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣:これから3つ数えます。S子さんに飛ん来ているらしい生き霊の憑依を許可します。
私は生き霊と話したい。きっと生き霊も苦しいと思う。体の変調が起きているS子さんも苦しんでいる。
お互いの苦しみを解消するために私は生き霊と話したい。
一体どなたの生き霊なのか知りたいし、一体なぜ飛ばしているのか知りたい、そして慰めて理解してあげたいと思います。
そして、出来るならば生き霊を飛ばしていいるご本人の魂表層に戻ってほしいと思います。

じゃあ暗示しましょうか。貴方はいま魂状態にありますから、これから3つ数えたら貴方の意識は脳から完全に分離しますよ。1つ、意識が脳からドンドン離れていきます。2つ、よりいっそう意識は脳から離れ広がっていきます。3つ、貴方の意識は完全に脳から離れました、脳の管理下を離れ完全に自由になったのです。
じゃあ、これから3つ数えたら、そういう魂状態では霊的意識体が憑依することが可能になっているはずです。
そしたら生き霊はこの者の声を借りて自分の存在やら苦しみを訴えることが可能になっています。
つまりこの者が霊媒として働いてくれるはずですよ。
じゃあいいですが、S子さんに飛んできている生き霊がいるなら(S子:あぁ…)これから3つ数えたらこの者に憑依することを許可します。いいですね、
1つ、2つ、さあ3つです。
貴方はこの者に飛んできている生き霊かな?

S子:ああ、うううううう。

稲垣:苦しいことよく分かりますよ、でもそれではね、お話しできないから。

S子:はあ! はあ! うううううー、はあ! むかつく!! はああー、ふー! ふー!

稲垣:そうとう苦しいんだな、それは怒りかな?

S子:腹が立つ! ふううううううううううう!

稲垣:思いっきり…。

S子:許さない!!! ふう! ふう!

稲垣:貴方は、この者の前の旦那?

S子:まだ旦那だ! 前じゃない!

稲垣:旦那ですか?

S子:ずっと今でも旦那だー!


稲垣:あ、今も旦那のつもりでいるのね。

S子:当たり前だ!

稲垣:でも法的には離婚が成立している。

S子:認めない!!!!!

稲垣:認めないと言ったって、それは法的には認められていますよ。

S子:(泣き気味に)そんなことがあるわけないだろうがぁ。

稲垣:苦しいんですね。

S子:(泣きながら)嫌だああ。

稲垣:それで貴方は前の妻であるこの者が恋しくてそれで苦しんでいるんだな。

S子:(泣きながら)恋しい、なんで離れていくのか分からない。こんなに好きなのに何で受け入れられないのか分からないいい。

稲垣:悲しいですね。

S子:(泣きながら)悔しい。

稲垣:悔しいですね。

S子:なぜ俺のことを受け止めないのか理解ができないい。

稲垣:ふ~ん。

S子:(泣きながら)俺は何も悪くない!悪いのはコイツなんだ、なのにそれなのにそれでも離れていく。意味が全く分からない。

稲垣:ふ~ん。そういう貴方は苦しみを持っておいでになるか。というかそういう苦しみを貴方は飛ばしている本体のね、魂の表層の現世の者が貴方を飛ばしているはずですよね。うーん、そうですか。貴方の魂は本体…。

S子:認めない。受け入れられない。受け入れられない…。

稲垣:現世の者は受け入れられないと貴方に盛んに言わせているんだけど、でもねえ、うーん。

S子:無理だ、受け入れられない。帰って来てほしい。帰って来ない限り認めない。無理だ。

稲垣:うーん、そうですか。私が思うにはですよ、貴方を飛ばしている魂の本体の前の旦那ですね、たぶん、あまり女遊びをしていないんじゃないかなあ? 真面目で、公務員だったと聞いていますからねえ。どうですか?

S子:人並だ。

稲垣:(笑いながら)人並ですか。でも人並にも色々あるんだけどねえ。女心について色々痛い目にあったり苦しい目にあったり。

S子:女は分からない。

稲垣:分からないままでしょ。

S子:俺は俺の家族も分からない。

稲垣:分からないままでしょ。だからそれは私に言わせると、遊びと言っちゃイカンけどね、女性とのお付き合いがあまり上手じゃなかった…。

S子:俺は親父も許せなかった。

稲垣:分かるよ、それは。

S子:(泣きながら)俺は母親も許せなかった。俺は何でこんな家に生まれなきゃいけなかったのか理解できなかった。やっとコイツと一緒になって、これからだとずっと思ってたのに、俺の元を離れた、許せない! 絶対許さない!

稲垣:うーん、うーん。ただね、私のようなこういうSAM前世療法ということをしているとね…。

S子:(泣きながら)お前でも無理、俺の気持ちなんか分からない。(泣き続けている)

稲垣:それは完全に貴方の気持ちをね理解することは誰も出来ませんよ。でも悲しみは伝わってきます。感じます。理解ということではなくてね。

S子:(泣きながら)悲しいというより悔しいんだ。

稲垣:悔しいのも分かるよ。

S子:(泣きながら)俺が認められないことが悔しいんだ。(泣き続けている)

稲垣:それはよく伝わっては来ます。完全には理解できないです、貴方の本当のね苦しみや悲しみはね。ただこういうことは私は自分のね体験からハッキリと言うことが出来ますよ。おそらく貴方を飛ばしている魂本体のね、この者の旦那の二倍近く生きていますから、だから男と女のことについては貴方よりも遥かに体験を積んでいると自信を持っています。その中で言えることはね、一旦 男と女の関係がねえ…。

S子:嫌だ…。

稲垣:嫌いということになった時。どちらかが。これはねえ、修復出来ませんよ。

S子:嫌だ…。

稲垣:一旦嫌いになった者をまた好きになるということは…。

S子:無理だ、俺は好きだ…。

稲垣:私の体験ではあり得ない。

S子:(泣きながら)俺は嫌いになれない。コイツが必要で、コイツに居てほしいから嫌なんだ…。

稲垣:でもねえ。

S子:(泣きながら)コイツが俺のことを嫌いでも、俺の傍に居てほしいんだ。

稲垣:でもねえ、S子さんは貴方のことが耐えられない。ハッキリ私に訴えていますからねえ。

S子:(泣きながら)嫌だ。

稲垣:嫌いなんでしょうね、貴方のことが。

S子:(泣きながら)嫌だあぁ…。

稲垣:嫌いというより貴方とは、人生を共にするだけのね、そういう深い気持ちが持てないという。

S子:(泣きながら)認めない!

稲垣:認めなくても、認めざるを得ませんよ。

S子:(泣きながら)嫌だぁ。

稲垣:それは本当に苦しいことです。私だってそういう失恋したことありますからね。

S子:(泣きながら)俺はコイツが本当に必要なんだ。行かないでほしい、帰ってきてくれ、お願いだ。(泣き続けている)

稲垣:悲しいですね。

S子:(泣きながら)嫌だ、絶対嫌だぁ。他の人なんかじゃ嫌だ、コイツじゃなきゃ嫌だあ。(泣き続けている)

稲垣:うん、でも、このS子さんは、他の男と深い付き合いは今はしていませんよ。

S子:(泣きながら)当たり前だ。俺のことが好きなはずなんだから。帰ってくるはずだ、帰って来てほしい、帰って来てくれ、もう嫌だよう、嫌だ嫌だ嫌だ、絶対嫌だ。(泣き続けている)

稲垣:うーん。

S子:(泣きながら)絶対嫌だ、嫌だ。(泣き続けている)

稲垣:絶対嫌ですか?

S子:(泣きながら)嫌だ! 認めないぃ!(泣き続けている)

稲垣:ふーん、認めないですかあ…。

S子:(泣いている)

稲垣:ただねえ、私は、このS子さんに頼まれてねえ…。

S子:(泣きながら)帰って来て、帰って来て…。

稲垣:貴方が生き霊としてねえ、この者に憑依してきてねえ、訳もなく涙を流す、これは貴方です。

S子:(泣きじゃくっている)

稲垣:生き霊である貴方のせいですね? この者が涙を流して止まらなくなるなんていうのはね。涙を流している主体はS子さんではなくて、生き霊である貴方が主体なんですよね? 貴方がS子さんの身体を借りて流しているんですよね?

S子:(泣きながら)コイツも悲しい、俺と離れて悲しいから泣いている。だからコイツが流しているんだ。(泣き続けている)

稲垣:見かけ上はこのS子さんが流しているんだけど、流させている主体は貴方ですよ。

S子:(泣きながら)違う…違う…。

稲垣:貴方でしょ?

S子:(泣きながら)違う。俺のことが好きだ。コイツは俺のことが未だ好きだ。
(注0:37:02経過)帰って来なきゃいけない。俺は待ってる、ずっと待ってる。行かないで、ヤダヤダ。嫌だよう。(泣き続けている)

稲垣:貴方の悲しみよく分かるしねえ…。

S子:(泣きながら)嫌だ!

稲垣:同情はしますよお。

S子:(泣きながら)同情なんかいいんだ、コイツを返してえ! 返して、返して、嫌だ!コイツと離れたくない、絶対嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ、何が何でも嫌だあ、それだけは嫌だあ!(泣き続けている)

稲垣:じゃあね、この者との結婚生活中にねえ、なぜ貴方は生活費を渡さないようなことをしたんですか? それが大きい原因みたいですよ。経済的な問題はねえ、結婚生活の一番根本ですから…。

S子:(泣きながら)俺は最初渡さなかったから、もう渡したくなかった…。

稲垣:貴方ねえ、生活費を渡さない、自分で使っておったんでしょ?

S子:(泣きながら)そうだあ。

稲垣:そりゃイカンわ、我儘ですよ。夫婦生活をやるからには、普通はですよ、私の場合は完全に…。

S子:(泣きながら)関係ない、普通は。

稲垣:はい?

S子:(泣きながら)俺は金も渡さないし、コイツも欲しい。嫌だ。

稲垣:(呆れ気味に)そりゃ我儘だな。そりゃ愛想尽かされますよ。だから結婚生活を実質この者S子さんが稼いだお金で夫婦生活を営んでた訳でしょ? で、貴方は自分で得たお金は独り占めして遣っておった。これって、逆の立場に立ったらどう考えますか?

S子:他の奴らもそうしてた。俺がそうしちゃいけない理由がどこにあるんだ?

稲垣:それはねえ、他の奴らっていうのは貴方の知ってる狭い範囲の男たちでしょ? 世の中全般はそんなこと認めませんよ。共にお金を出し合う。そして共同でそのお金をね、夫婦生活の営みのために…。

S子:結婚してやったのに当たり前だろ。

稲垣:残念ながらね、そういう考えだからS子さんは貴方から離れた。私に言わせるとそうだ。

S子:認めない。嫌だあ。帰ってこい。(泣いている)俺に必要なんだから帰ってくるのが道理だろう。

稲垣:そういうことが当然ということはあり得ません。男と女の間には本当に心が通じ合ってね…。

S子:通じてた、通じてた…。

稲垣:お互いに納得してね、はじめてね生活が共にできるわけですよ。

S子:アイツが。俺は悪くない。

稲垣:自分は悪くない悪くない言ってるだけで、貴方は変わることが無いんだから…。

S子:当たり前だ変わる必要がない。

稲垣:そういう変わらない貴方をね、要するに…。

S子:認めない。

稲垣:見切りを付けたというわけ。

S子:俺のことは全て受け容れろ。

稲垣:貴方はだから、言ってみれば見切りを付けられちゃったわけよ。

S子:嫌だぁ。

稲垣:嫌でも仕方ない。男と女の感情だけは何ともなりませんからね。第三者がどう言おうが何ともなりませんから。

S子:嫌だ。

稲垣:だからもう。ふ~ん、貴方は…。

S子:嫌だ。

稲垣:S子 さんのことは…。

S子:嫌だ。

稲垣:諦めなさい。

S子:嫌だ。

稲垣:見切りを付けなさい。

S子:嫌だ。

稲垣:そして貴方が言うように…。

S子:嫌だ。無理。嫌だ。

稲垣:言うなりになってくれる女性を見つけなさい。

S子:嫌だ。コイツじゃなきゃ嫌なんだ。

稲垣:そんなことは仕方がないことですよ。S子さんは嫌だと言ってるから。

S子:認めない。関係ない、俺が欲しいっつってんだから、俺のものになればいい。

稲垣:そんな理屈はとおりません。だったら何で簡単に判子を押したんですか?

S子:あの時は・・・。(注40:44経過) 

稲垣:離婚の判子なんか押しちゃダメでしょう。徹底的に粘って、説得して自分の基に戻るようにやるのが男じゃないですか?

S子:(少しボケ始めた様子。何か納得しつつある)一回離れたら、俺を失って困ると思うと思った。

稲垣:そりゃ困りませんよ。見切りを付けた女は強いですよ。見向きもしませんよ。貴方はそこが分かってないということだ。そりゃ貴方は男としてね、女性体験が未熟だからです。私はそれは貴方にハッキリ言えると思うよ。貴方の1.5倍以上の年齢をしてますから、私はそういうことはハッキリ断言出来ると思っている。

S子:どうしたらコイツは帰ってくる?

稲垣:フーーン、まあ、貴方が態度を改めることが第一だな。

S子:変わらない。

稲垣:それはダメですー。

S子:変えないでどうやったら帰ってくる?

稲垣:変えなかったら、帰ってはきませんね。

S子:俺は変わらない。

稲垣:そのうちね、それこそね、このS子さんが別の男を好きになって…。

S子:嫌だ。

稲垣:その別の男とね、結婚するようなことになるような気がしますよ。

S子:認めない。

稲垣:それは貴方が認める認めない関係ないです。だってもうS子さんとは法律上の離婚が成立…。

S子:コイツと一緒になりたいんだぁ。もう一回一緒にしてくれぇ。

稲垣:そりゃ、貴方が土下座して頼み込むことだな。

S子:出来ない。

稲垣:それが出来なければ、諦めなさい。

S子:・・・

稲垣:苦しみなさい。

S子:苦しみたくない。

稲垣:苦しむのもね、魂の成長として必要な負荷ですからね。

S子:苦しみたくない。苦しむのは嫌だ、苦しむのは嫌だ、苦しむのは嫌だ。嫌だ、どうにかしてくれ兎に角。

稲垣:どうにか出来ない訳じゃないんだけど、貴方が苦しい目に会うだけです。どうにかするというのはね、今、貴方は、このS子さんに憑依していますが、それを無理矢理剥がして、貴方を飛ばしている…。

S子:もう要らないコイツ。俺がそんな苦しむためにコイツが要るんだったら、苦しみたくないからもう要らない。兎に角、サッサとどうにかしてくれ。

稲垣:なら帰ってくれますか?

S子:帰る。

稲垣:間違いなく?

S子:帰りたい。もうコイツは俺のものにならないんだったら、もう要らない。

稲垣:それはね、ならないと思っていいと思うし…。

S子:じゃあ、要らない。

稲垣:私が約束しましょう。

S子:じゃあ、要らない。

稲垣:いいですか?

S子:うん。

稲垣:貴方、苦しかったんですからね…。

S子:苦しい。(注43:22経過)

稲垣:…でもその苦しみはね男としての成長に必ず役に立つはずですから、まだ貴方も若いわけだからまた別の魅力を備えた女性と出会う、そういう可能性は大いにあると思う。

S子:俺はコイツが良かった。

稲垣:それは分かるよ。憎しみに囚われてね別れるよりも、少々の未練を残して別れた方が私はいいと思ってる。

S子:なんでだ?

稲垣:なんでと言ったって、憎しみは何も生み出しませんよ。

S子:俺は憎い。

稲垣:でも貴方は憎んじゃったね。

S子:そうだ憎い、とても憎い。

稲垣:半分憎いし、半分は未練はあるし。

S子:とても大好きだった。

稲垣:大好きだったんですね、その気持ちはよく分かりますよ。愛憎紙一重とそういう言葉が昔からありますからねえ。

S子:大好きだった。

稲垣:愛することと憎しみとは紙一重の問題。

S子:でも苦しいんだ。

稲垣:だからそういう苦しみはこれからの貴方の人生にはきっと役に立つはずですよ。うん、でも一言言っておきますが、やっぱり貴方が、このS子さんに対するような、自分の言いなりになれ、とそういう態度を改めないとおそらくね、再び誰か良い女性と巡り会っても結婚生活は続きませんよ。余計なお世話かもしれませんけどね。

S子:コイツとはもう一生、もうコイツ以外と一緒になる気はない、だけどもう苦しむのはもう嫌だ。

稲垣:一気に忘れるなんとことは出来ないでしょうけどね、でも徐々に徐々にね忘れていくはずです。去る者日々に疎していうのはね、これは真理ですよ。だから連絡も今取り合ってないという話ですからね。でも貴方は苦しんで、今もこうして生き霊として飛んできてますからね、でも貴方は時間と共にね、S子さんを忘れていくでしょう。

S子:忘れない。忘れないけど、この気持ち忘れたい。

稲垣:この気持ちとは好きという気持ちですが?

S子:いや、好きなのは変わらない。ただ憎んだり、俺が気持ち悪いのは・・・。

稲垣:気持ち悪い思いするのが何だって?

S子:コイツが帰ってこないとか、悶々としている日々は嫌だから、それを止めたい。

稲垣:それを止めるということですね?

S子:止めたい。

稲垣:それはやっぱり一つのね愛情でしょうね。S子さんに対する愛情だと思いますよ。

S子:今でも帰って来てほしい。今でも帰って来てほしい。

稲垣:帰って来てほしいんでしょ。

S子:(泣きながら)帰って来てほしいけど、帰って来ないのも分かった。

稲垣:分かった。

S子:(泣きながら)分かったから辛い。もうこの気持ちを捨てたい。

稲垣:そういうね、何とも言えないジレンマというのは良く分かります、辛いですね。どうしましょうね? 貴方がそういう気持ちを少しでも和らぐようにね、貴方のために般若心経を読んであげようかなと思うんだけど、どう?

S子:そうしてほしい。

稲垣:般若心経が説いてる世界はね、色即是空 空即是色そういう…。

S子:(泣きながら)S子大好きだ!

稲垣:はい?

S子:(泣きながら)S子大好きだ、俺は忘れ切れない。お前と居た時のこと忘れきれない。(泣き続けている)

稲垣:そうですか。うーん。じゃあ兎に角、般若心経を読んであげましょう。

S子:(泣きながら)また会いたい。また会いたい。

稲垣:いや、会わない方がいいと思いますよ。

S子:いつかまた会いたい。

稲垣:会うとしたら今度はね、いい思い出としてね色んなことを語り合えるような…。

S子:(泣きながら)頑張るからぁ…。

稲垣:そういうふうなね、心境になった時…。

S子:(泣きながら)今生じゃなくていい、俺 頑張るからまた会ってもいいって思ってほしい。お願い、お願い、お願い…。

稲垣:何をお願いしてるんですか?

S子:(泣きながら)中間世で願って、また俺と一緒になるって、お願い、お願い…。(泣き続けている)

稲垣:それはね、私は約束は出来ませんが。

S子:(泣きながら)俺、それないと帰れないぃ。(泣き続けている)

稲垣:うん。S子さんはね、次の次の生まれ変わりでまた夫婦になる。っていうふうに霊界から言われたようですよ。貴方とだからまた…。

S子:(泣きながら)また会いたい。

稲垣:だからね、会えるはずですよ。(泣き続けている)

S子:(泣きながら)また会いたい。俺悪かったから、直すから。お願い、お願い、絶対、絶対、これきりなんて、それだけは嫌ぁ、会いたい。(泣き続けている)

稲垣:次の生まれ変わりでは夫婦になれないかもしれませんが、その次の生まれ変わりで、夫婦になるんだそうですよ。だからそれまで待ちなさい。ね、そして この現世では一旦 S子さんへの想いを断ち切って、そして貴方は独自のね、これからの人生を歩んでくださいね。そしてまた良い女性と巡り会うような気がします。
 
S子:(泣きながら)俺はずっとS子ことだけ考えてる。

稲垣:でもね、繰り返し言いますが、貴方がS子さんに対して…。

S子:(泣きながら)分かってる。一緒にならないのわかってる。

稲垣:そうそう。慎重に女性の気持ちを汲んでね、そして付き合っていかないとまた同じ繰り返しをしますよ。

S子:(泣きながら)お前だけ。

稲垣:そういうことが出来るようになれば、また必ず来世で会えるということなんでしょうね。現世でまだ残りの人生をそういう女性に対する思いやりのような、そういう心をねやっぱり学ぶのがね現世に生まれてきた貴方のね、使命というか課題と言ったらいいのかな。その課題を果たすことが出来れば必ず来世で…。

S子:(かなり大人しくなった様子)俺は果せない。

稲垣:また出会えるはずですよ。一緒にまた夫婦になるっていう話ですからね。だからこれで全て終わっちまった訳じゃないと思ってくださいね。じゃあ、穏やかに貴方を飛ばしている、魂本体の表層にいる「現世の者」のところに帰ってください。

S子:帰る。

稲垣:魂のね、表層にいる現世の者のところに戻ってくれますか?

S子:はい。

稲垣:魂表層の現世の者はね、貴方を飛ばしている分だけ欠けた状態になっていて魂表層の者として不完全な状態になっていますからね。

S子:(注50:32経過)だから、俺は帰る。

稲垣:だから魂表層の現世の者と一つになってください。戻ってね。

S子:分かった。

稲垣:分かりました? じゃあ貴方がそうやって穏やかに戻れるように般若心経を読みましょうね。まあ般若心経は何千年という間読まれ続けたお経でね、その中で一番大事な文言は、色即是空 空即是色です。貴方がS子さんのことを実在していると思っていることもね空なんだっていう教えです。すべては実体が無いのだという訳です。実体があるように見えるんだけども、実は実体など無いのだ、と。そういうね訳の分からんことを説いていますが、それは実際に霊界に上がると分かることなんだそうです。貴方はこの現世ではS子さんとは一旦もう縁を切りますけどね、その次の次の来世でまた出会って結婚する。そういうそういうことをね、どうやらS子さんが自分で言ってますからね、これは間違いないと思うよ。それでなんとか納得してくれるなら、もう貴方を飛ばしている魂の本体の現世の者のところに戻ってくださいね。いいですか?

S子:はい。

稲垣:じゃあ、こうしましょう。私が般若心経を貴方のために心を込めて読んであげます。それが終わったらね、もう戻る準備が出来たことになりますからね。手をパンパンと2回打ちます。それを合図に貴方を飛ばしている魂本体のね表層に居る現世の者の所へ戻って一つになってください。そうすると貴方を飛ばしている本人もねとても楽になるはずです。そしてS子さんも、生き霊のあなたが飛んでくると突然涙をこぼすようなそういうね、心が不安定になる苦しみから解放されると思っている。とりあえずね、お互いにね、良い状態が出来上がると思ってますからね。じゃあ般若心経を読みますよ。

(般若心経を読む)

願わくは、この功徳をもってこの生き霊を飛ばしている魂の本体と一つになれますよう。そして生き霊が戻って十全になった魂が、これから先、男として磨きをかけて幸せになれますように。
さあ準備出来ましたからね、じゃあ戻ってくれますね? 手を打ちますよ。

(手を2回打つ)

さあこれでいいでしょう。これで納得してね、生き霊は戻ってくれましたから、もうS子さんに飛んでくることはないでしょうね。もし強制的に生き霊払いという儀式をやるとね、一旦は離れるでしょうけど、また戻って来ますからね。戻って来ないように説得をしてね、そして戻ってもらうように今しておきました。

(生き霊との対話おわり)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このセッション後2ヶ月以上が経過していますが、「生き霊」ということばを聞くだけで、わけもなく涙が出る、同時に体調不良に陥ることが起こるといった症状がセッション後は治まったという報告をいただいています。
SAM前世療法は症状の改善が第一義ですから、このセッションはとりあえず成功したと判断してよいと思われます。

このことは、生き霊との対話による説得が、ひとまず功を奏したということであり、S子さんに憑依してきた生き霊の存在を認めてもよいように考えられます。
ただし、前夫が未練心を復活させて、また生き霊を飛ばしてくる可能性が完全に払拭されたと断言できるわけではありません。

憑依してきた生き霊の存在を疑うとすれば、S子さんが前夫の生き霊のふりをして、架空の生き霊(の人格) を演じたのではないか、という疑いでしょう。
しかし、催眠中の作為は否定されますから、催眠に入ったふりをして生き霊を演じたということになります。

ただし、S子さんが確実に知覚催眠の深度に到達していたことは、標準催眠尺度を用いて確認していますから、催眠に入ったふりをして生き霊を演じたという疑いは却下できます。

残るは、催眠中の潜在意識下で無意識的に生き霊を演じたという疑いでしょう。
その可能性のあることを100%否定できません。

催眠学的に考察すれば、催眠中の「要求特性」によって、つまり、セラピストの生き霊を呼び出そうとする行為に、クライアントが無意識的に応えようとして、架空の生き霊を作り出し、演じたのだ、という解釈が成り立たないわけではないということです。

しかし、S子さんに顕現化(憑依)してきた前夫の生き霊の、怒りや悲哀の形相とその語り口や落涙などの様子は、S子さんではない別人格が主体ではないかと思われるような(人格変換が起きているかのような)迫真性があり、そのような演技はとてもできるものではないだろうという真実性を実感させました。
このことは、 実際の音声記録を試聴すれば、大方の人が実感できるはずです。

ちなみに、90分にわたる事前面接で、S子さんに「統合失調症」、「境界性人格障害」、「演技性人格障害」などを疑わせるような精神疾患の兆候は観察できませんでした。
また、彼女の報告を検討するかぎりでは、妄想癖や思い込みの激しさをうかがわせるような性向もありませんでした。
また、特定の新興宗教の信者ではないことも、確認できました。
ただし、未浄化霊や生き霊などの霊的存在は信じているということでした。

さて、すでに離婚が成立しているS子さんが、愛想を尽かして別れた夫の生き霊を演じることに、なんらかの利得があるとはまず考えられません。
もし、利得があるとすれば、無意識的に生き霊の顕現化を演じ、それが説得によって祓われたというストーリーを作りあげることによって、自分に起きている霊障を取り除けると思ったのではないかという、うがった見方が考えられるかもしれません。
しかし、なぜそのような迂遠な方法をとらねばならないのか、説得力がありません。

覚醒後に、憑依中の記憶があったS子さんは、生き霊の言っていることを聞いていて離婚してよかったとますます強く思った、別れた夫に対する同情や未練は一切ない、と断言しています。
そのように、前夫への同情も未練も皆無のところで、S子さんが前夫の生き霊を演じなければならない必然性があるとはまず考えられないと思います。

こうした彼女の種々の諸事情を考慮すれば、この対話セッションは、前夫の未練や怨恨などの強烈な思念の集合体が人格化し、生き霊として憑依してきた顕現化現象なのだ、とありのままに、現象学的にとらえることが妥当ではないかと思われます。

私あて第9霊信は、次のように告げています。

「そして、あなたが最も理解すべきなのは『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。祓うことは、追いやることや強制的に引き離すことを意味する。離れた
としても一時的なものでしかない。応急処置のようなものでしかない。霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そして、その本質は『愛』なのだ」

 私はこの霊信の忠告を誠実に守ろうと、「理解」と「愛情」を理念として、今回の生き霊との対話に臨んだつもりです。
私の生き霊への向き合う姿勢、発したことばから、それら理念を実現しようとする努力の一端を感じ取っていただけたとしたらうれしく思います。

なお、同様の理念をもって、女性の生き霊との対話を試みた事例を、本ブログ「SAM催眠学序説その82」の3で掲載していますのでご覧ください。

SAM催眠学の仮説による魂状態への誘導と、そこで展開できる対話による「生き霊祓い」の可能性を、機会があれば、さらに実践を累積し、探究したいと思います。

付言すれば、こうした対話による生き霊祓いは、半端な決着は許されませんから、事後にやってくる相当な体力の消耗と精神的な疲労を覚悟しない限り、迂闊に引き受けるべきではないと思われます。

また、「統合失調症」、「演技性人格障害」、憑依妄想などの疑いがある場合は、そうした精神疾患を顕在化し、悪化させる事故を引き起こすことになりかねません。
したがって、事前の慎重な面接で、それら精神疾患の疑いの兆候を見逃すことは許されません。

生き霊祓いのセッションは、セラピスト生命を賭けて取り組むほどの覚悟をもって、おこなうことが求められていると思います。

読者のみなさんの忌憚のないコメントをどうぞお寄せください。
なお、投稿されるに当たっては、「コメント投稿の留意点」を参考にしてください。

2018年6月15日金曜日

SAM催眠学序説 その114

       私の考え方の立ち位置

   

  私は「実証的スピリチュアリスト」であり「プラグマティスト」


私のこのブログ記事は、科学と宗教の両領域のボーダーに位置するでしょう。
私が特定の諸宗教とは無縁の、催眠臨床の実践者、生まれ変わりの実証的探究者であることを明確にするために、現在の私の考え方の立ち位置を明確にしておきたいと思います。

私の立ち位置は、宗教的観点からあえて言えば「実証的スピリチュアリスト」と言えるようです。
しかし、この立ち位置は、「確信的スピリチュアリスト」の人からすれば、何だ!?という批判を受けそうです。
 

真性の「確信的スピリチュアリスト」とは、科学的実証はできないであろう信憑性の高い諸霊信(『シルバーバーチの霊言』、『モーゼスの霊訓』、カルディックの『霊の書』など)の高級霊の告げている内容を「確信している人」のことを指して呼ぶわけですから。
 

ちなみに、私は新興宗教を含めて既存の宗教組織には大きな矛盾と不信を抱いています。
「宗教」の「宗」とは「元になっている」の意ですから、「救いの元になる教え」が原義です。
にもかかわらず、宗教的差別や迫害、政治的利用、はてには 宗教による戦争が歴史上繰り返されています。
こうした「救いになる元になる教え」であるはずの宗教によって、悲惨な現実はなぜ起こるのでしょうか?


さて、歴史的に「近代スピリチュアリズム」とは、

①地上の人間と霊界の高級霊との交信を認める、
②そうした霊の存在と霊界の存在を認める、
③ 霊魂と生まれ変わりの存在を認める、
④ひいてはすべてを統べる全知全能の神の存在を認める、
ことを内容としています。

この内容を「霊的真理」であると確信し、霊的真理を人生の指針として、よりよく生きようとする人こそ、「確信的スピリチュアリスト」と呼びます。

心霊写真、占い、霊的予言、リーディング・チャネリングなど霊的現象に強い興味関心を抱き、それを信じる人や、あるいは霊能があると自称し、予言したりや霊障を見ることが出来るという人たちを、スピリチュアルな人という意味で、ひとくくりにスピリチュアリストと呼ぶことは正しくありません。
オカルティストと呼ぶべきでしょう。
スピリチュアリストとオカルティストは、似て非なるものです。

私が「実証的スピリチュアリスト」だと言うのは、私あて霊信内容を私の実践しているSAM前世療法よって確認(実証)できた意識現象の事実に限定してそれを認めるという表明をしているので、その立場を強いて呼ぶなら「実証的スピリチュアリスト」と位置づけてよいだろうというだけのことです。
 

私が自覚し納得しているのは、自分は哲学的観点からは「プラグマティスト」であるということです。
プラグマティストとはいかなる立場・態度をとる人間であるのか、以下に説明します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本語で「道具主義」と訳されるプラグマティズムが、卑近な実用と功利を重んじる安手の常識哲学だと考えることは正しい理解ではありません。
プラグマティズムを基盤とする「プラグマティスト」は次のような「生活態度」を反省的に身につけようとします。
そもそもプラグマとはギリシア語で「行為」を意味します。
 

①仏教、儒教、キリスト教、諸新興宗教、あるい政府・官僚などの言説に代表されるような美しい荘重な文言を、聞いたり口にしたりすれば、それで万事理解したように思う「言語主義(バーバリズム)」を捨てて、文言や文章の意味する内容からどういう実際的帰結が生ずるかを絶えず見届けようとする「実際主義」を身につけようとする。
 

 プラグマティストである米国哲学者パースの有名な「プラグマティズム格言」が、上記①のことを的確に言い得ています。
それは、「How to make our ideas clear(私たちの観念を明晰にする方法)」と題された内容で、「プラグマティズム格言」とは次のように述べられている内容のことです。


「その概念の対象が、どんな具体的影響を私たち人間の行動に対して持ち得るかを考えてみよ。そういうふうにして考えつかれ、想像される影響の総体が、もとの概念の意味の全部である。その具体的影響を考えつかないとすれば、そういう概念は、もともと空虚で意味がないのである」


この「プラグマティズム格言」こそ、「実際主義」を的確に言い得ています。
対極の「言語主義(バーバリズム)」とは、実質的、具体的内容のない空虚な文言を、あたかも実質的内容があるよう思い込んで、ありがたがる思考態度です。


②生活体験を十分にくぐらない観念や信念だけでものごとを解決しようとする態度を捨て、事実の蓄積とそこに見出された法則に裏付けられた観念や思考を形成し、またこの真偽を行動・体験によって絶えず検証する態度を身につけようとする。 

このブログの「コメント投稿の留意点」に掲げている、「観念より事実、理屈より実証」のスローガンはこの②の態度の表明です。

③自分の正当な利害や幸福を追求することをうしろめたい悪いことのように感ずる卑屈感を捨て、自己を正当に主張するよい意味の個人主義的な自主的態度を身につけようとする。
こうした態度があってこそ、他人の人格や権利を正当に尊重し、他人と民主的に交わることができるようになると考える。
またこうした考えにもとづいて行動しようとする。
 

④こうしたプラグマティズムは、一つ間違うと功利主義、実利主義へとかたより、個人の直接体験を偏重する主観主義に傾き、また悪い意味での自然主義におもむいて、安易なオプティミズム(楽観主義)に走りやすくなる。
そうならならないよう絶えず「反省的思考」によって、バランスある言動・思考態度をとろうとする。
 

私の言う「反省的思考」とは、たとえば「ラタラジューの事例」における「生まれ変わり仮説」の真偽の検証において

①自分に都合のよい事象のみを「選択的に抽出」してはいないか?

②そうした「選択的に抽出」した事象を「拡大視」し、不都合な事象を「縮小視」し、あるいは無視してはいないか?

③「選択的な抽出」によって「拡大視」したごくわずかな都合のよい事象を短絡的に「極端に一般化」した結論へと導いていないか?

④「極端に一般化」した結論をもって、手前勝手な「恣意的推論」を展開していないか?
 
つまり、以上の4点を絶えず点検し、独りよがりの「認知の誤り」に陥ることへの警戒を怠らない思考態度を「反省的思考」と言います。


こうして、プラグマティズムは、専門的哲学の体系というよりは、よりよい充実した納得できる人生を送るための「生活態度のとり方」だと言えると思います。
 

 プラグマティズムの真理観は、「説明の成功」ですから、私のこれまで述べてきたブログ上の言説も、現時点でとりあえず説明が成功している「とりあえずの真理」だと理解していただきたいと思います。

したがって、たとえば「タエの事例」や「ラタラジューの事例」、とりわけ、学んだはずのないネパール語による「応答型真性異言」という現象について、今後「生まれ変わり仮説」よりも、簡潔で明確な整合性のある別の仮説によって「説明の成功」がなされれば、そちらを受け入れることに躊躇することはありません。
こうした立場から言えば、私はリアリストでもあります。

さて、プラグマティズムの系譜に連なる教育哲学者J・デューイは、「哲学とは生活態度である」、と述べ、次のように定義しています。
 

「哲学とは全体的、普遍的、究極的な生活態度である。世界の素材と取り組んで、統一ある、一貫した完全な人生を自覚的に努力するとき、人は哲学する(philosophize)。人は、哲学することによって、生活の進め方を規定する知恵を得ようとする」
 

その「哲学する(philosophize)生活態度」とは次の3つの態度に集約されます。
 

1 態度の「全体性」・・・起こってくるさまざまな事象に対する反応のしかたの一貫性を保とうとする態度。
 

2 態度の「普遍性」・・・個々の事象をバラバラに受け取らず、それぞれの事象をそれに意味を与える広い文脈の中に位置づけようとする態度。
 

3 態度の「究極性」・・・すべての事象や対象の裏面にまで進んでいって、それらの連関を発見しようと絶えず努める態度。  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私がプラグマティストであるがゆえに、
生活体験による実証を十分にくぐらない観念である諸霊信を受け入れる「確信的スピリチュアリスト」になりきれず、実証的態度を手放さないでいる意味において、「実証的スピリチュアリスト」にとどまっていることがお分かりいただけると思います。
そして、この科学的実証を大切にする立場は、SAM前世療法の臨床によってあらわれた「タエの事例」や「ラタラジューの事例」をはじめとする前世人格の顕現化、未浄化霊の顕現化、生き霊の顕現化など「霊的な諸意識現象の事実」への検証と考察によって形成されてきたものです。

その結果として、

●その「霊的意識現象の事実」が、著しく臨床的直観に反することはなく、
●そうした「霊的意識現象の事実」を認めることが、不合理な結論に帰着することはなく、
●そうした「霊的意識現象の事実」が、検証の結果、これまで知られている脳の特性(心・脳の一元論)から考えるとどうしても説明できない特異的な意識現象(超常現象)として存在していること、を認めざるをえない。

という立場が形成されてきたわけです。  
こうした、生まれ変わりや霊魂の存在に関わる、「いかなる霊的意識現象も先験的に否定せず、いかなる霊的意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度が「実証的スピチュアリスト」であり、プラグマティストである、と私が自称することの理由になっています。


付言すれば、私の考え方の立ち位置に決定的な影響を与えてくださったのは教育哲学者であり、上越教育大学院教授杵淵俊夫教育学博士でした。
35歳のとき、現職教員の身分で2年間の大学院研修を許され、上越教育大学院修士課程の勉学の中で、指導担当教授杵淵先生との出会いと薫陶がなければ、今の私の考え方の基盤はけっして形成されなかったことは確かです。
杵淵先生の口癖であった「あなたのその考え方は、ほんとうにそうですか ?」という認知の誤りを点検する問いが、そのまま今の私の中に生き続けています。


その結果、教育現場にもどってからの私は、それまで当然のように了解してきた、文科省や県教委の教育方針や言説に否応なしに違和感を抱くことが多くなり、教員としての人生が随分生きづらく感じるようになってしまったと思います。
あるいは、最近では、現在の政治状況(不十分な審議のままの自民党の強行採決、嘘で固めて逃げ切ろうとするモリカケ問題など)に対する不信感と怒りから、十二指腸潰瘍になって治療を受ける羽目になっています。

私の考え方の立ち位置は、人生を生きづらくする「毒」があるのかもしれません(笑)。
しかし、「適度な毒」が、すぐれた薬効のある「良薬」に転化するように、適度に刺激があり、納得の得られる生き方を送るための指針としてはたらいていることも、確かな事実です。

2018年5月21日月曜日

SAM催眠学序説 その113

私の死に対する原体験と生まれ変わり研究


芥川賞作家で臨済宗妙心寺派福聚寺の玄侑宗久住職は、自分の死に対する原体験を次のように語っています。

「小学校2年生のとき、『自分が死ぬこと』ばかりを思って、毎晩のように泣いていました。たとえ死んでも、人の意識はしばらく肉体に留まっていると考えていたからです。その状態で火葬されれば、棺が炎に包まれて、棺の中にいる私に刻々と迫ってくる。あるいは、土葬で埋められた私の体中に蛆が湧きはじめる。それを思うと恐ろしくてどうしようもなかったんです」

私の死に対する原体験は、体験年齢は玄侑宗久住職より遅いのですが、死への強烈な恐怖体験は、氏とほぼ同様の内容でした。
は小学6年の晩秋、母方の祖父が、火葬場の焼却炉の火炎に包まれて、刻々と骨と灰になっていく様相を覗き窓から目の当たりにしたのです。

昭和30年代当時の火葬の焼却炉は、かなり原始的な仕組みで、火葬場職員が小さな覗き窓から遺体の焼け具合を見るようになっており、私は職員が席を外したときをねらって、覗き窓からこっそり覗いてしまったというわけです。
重油バーナーから吹き出される猛烈な火炎の中で、肉が焼け、肋骨や頭蓋骨が露出していく恐怖の光景から目を離そうとしても離せないで、おそらく十数分間は釘付けになっていたと思います。

私も、いつか、必ず、遺体は焼かれ、骨と灰になる、という逃れられない事実を目の当たりに突きつけられ、この恐怖体験はぬぐいがたいトラウマとなって、この12歳の冬中、眠って目覚めなければ死ぬ、という深刻な恐怖に苛まれ不眠症に陥りました。

夜明けの四時、五時のボンボンという架け時計の時刻を打つ音を聞き、うとうとして六時にはもう目が覚めてしまうという生活が3ヶ月続き、体重は10キロ近く減りました。

今度は眠らないと死んでしまう、という恐怖にとりつかれ、眠ろうとすればするほど目がさえて眠れないという悪循環に悩まされました。

さすがに母親は、私の痩せ具合と顔色のすぐれないことを心配して、医者のところへ連れていかれました。
これを飲めば必ず眠れる、という猛烈に苦い水薬を処方され、中学生となって部活動の適度な疲労とあいまって、やっと不眠症から解放されました。

不眠症から解放されたとはいえ、死への圧倒的恐怖は、私の心の底に潜むマグマのようなトラウマとなって深く刻印され、その後の人生で、24歳で突然死した妹、40代で癌死した親友、などに直面するたび、死への恐怖が噴出し、しばらくしては沈静していくことを繰り返すことになっていきました。

私は、理屈より実証、観念より事実へと向かう心性がきわめて強く、死後の世界や生まれ変わりを説くだけで、実証のともなわない宗教的言説に与することは、どうしてもできない人間です。
したがって、信仰に救いを求めることは、しないし、できませんでした。

そうした中で、50歳半ばにして「タエの事例」に遭遇しました。
もし、この事例の検証によって、生まれ変わりが「科学的事実」であることをこの手で証明でき、納得できれば、つまり、死後存続する魂と呼ばれる意識体がある、ということになれば、死後も「私」は、無に帰するのでなく、何らかの形で存在し続けるならば、死への恐怖は随分緩和されるはずだと思ったのです。

こうして、「タエの事例」への偏執的とも言える検証へ取り組むことになっていきました。
その執拗な検証は、本ブログの2012年11月9日付「タエの語りの謎に迫る」で報告したとおりです。
こうした、きわめて執拗な検証態度の原動力は、生まれ変わりの科学的実証によって、私自身の死の恐怖を緩和したい、救われたいという切実な求めこそが第一義でした。
 「ラタラジューの事例」の検証動機もまったく同様です。

その後、「SAM前世療法」の実践は以下のような、憑依現象とも遭遇していくことになりました。

霊媒体質を持つ52歳男性クライアントの功徳を積むということで、SAM前世療法で魂状態の自覚に至ったところで次のような暗示をして、未浄化霊の憑依を許可し、浄霊しました。
「この部屋(研究室)の光に引き寄せられて、癒しを求めている未浄化霊には、この者に憑依することを許可します。3つ数えたら憑依をしてよろしい」 
3つ数えた後、憑依状態を確認しました。

「あなたの身元を尋ねます。あなたは男性ですか、女性ですか、名前と年齢を教えてください」

「ナカガワチエコ18歳です」 このあとすすり泣きを始めました。

「あなたはどのような状況にいるのですか」

「空襲で周りは火事になっています。私は防空頭巾を被って逃げています。爆弾が落ちてきて・・・・学徒動員で工場で働いていて・・・・その後はわかりません」
 すすり泣きが激しくなりました。

「あなたの生活している町はどこでしょう?」

「名古屋です」

「あなたは空襲の爆弾が落ちてきた後、命をなくしているのですよ。それが分かっていませんか?」

「分かりません。家族がどうなってしまったか心配でたまりません」

「あなたは死んでいるのに、それに気づかず、苦しいのでこの者に憑依をしているのです。あなたはもう肉体がないのです。だから、行くべき光の世界へいきなさい。そこへ連れていってくださる方が現れますから、その方に導かれて光りの世界、霊界へと上がるのですよ」

クライアント男性は「苦しい、熱い」と言い出してもがき始めるので、

「あなたが憑依しているこの者の肉体を通してあなたをヒーリングをします。苦しみが癒されますよ。そのあとで、浄霊の儀式をしてあなたを必ず送ってあげますからね」

こうして、未浄化霊が穏やかに落ち着くのを待って、浄霊をおこないました。

覚醒後に、体験した意識現象の感想は次のようでした。
里沙さんとは違い、このクライアントは憑依中の記憶があり、それを次のようにモニターできたようです。


①白いブラウスにモンペのようなものを履いた防空頭巾の若い娘の姿が見えた。
②アツタという言葉と昭和20年5月14日という日付が脳裏に浮かんだ。

そこで、「名古屋大空襲」で検索したところ、昭和20年5月14日にB29爆撃機530機、投下爆弾2,515トン、罹災者66,585名、死者319名という記録が確認できました。
「アツタ」という言葉は、名古屋市「熱田区」を指すのでしょうが、5月14日の空襲では熱田区は被害区域には入っていませんでした。
 この日の空襲は、名古屋市北部に存在した軍需工場に集中されたらしく、そうした軍需工場で働くナカガワチエコはそこで罹災したものと思われます。
そして、彼女の実家が熱田区であろうと推測できます。

このクライアントの生地・現住所ともに関西です。
名古屋や中京圏に在住したことはなく、名古屋の土地勘はまったくありません。
熱田神宮は知っているということでしたが、「熱田区」のあることは知らないし、昭和20年5月14日の名古屋大空襲についてはまったく知らないということでした。
こうした検証から、この未浄化霊とおぼしき「ナカガワ・チエコ」18歳の実在した信憑性はかなり高いと思われました。
5月14日の319名の死者名簿が現存していれば、検証してみたいものです。

こうしたSAM前世療法の「魂の自覚状態」における未浄化霊の意図的被憑依現象は、クライアントに霊媒体質があれば、意識現象の事実として、顕現化が可能であるようです。
これまでにも、未浄化霊や守護的存在の意図的被憑依現象は数十例を数えます。

余談になりますが、太平洋戦争における米軍の非戦闘員への無差別空襲は明らかに国際法違反です。
ましてや広島・長崎の原爆投下は言語道断の非人道的犯罪行為です。
しかも、これら戦争犯罪に対する公式謝罪は今もなされていません。
ナカガワチエコの無念さ、戦後60余年もさまよっている哀れさに胸が痛みました。


生まれ変わりを認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反証する以外に方法はありません。
生まれ変わりを裏付ける証拠のように重大な問題の場合、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと言われるのであれば、イアン・スティーヴンソンに倣(なら)って、この問題が重要であるからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については科学として検討をするべきだ、と答えたいと思います。
細部が不正確・不明であるという欠点よりは、重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えているからです。
そして、こうした探究が決して無駄であるとは思われません。

私の現在の見解は、人間の生まれ変わりを裏付ける証拠は、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが妥当ではないかと考えられる証拠が、これまでの海外の諸研究によって十分に累積されていると思っています。
しかしながら、これらの諸証拠は現段階ではまだ完璧なものではないので、誰もが完全に納得出来るだけの説得力を持っていないことも、認めざるをえません。
生まれ変わりを認めたい人には十分な証拠、しかし、認めたくない人には、まだまだ疑う余地の残されている証拠、のレベルでしか生まれ変わりの科学的事実は開示されていないのです。

「タエの事例」、「ラタラジュー事例」の二つの事例をはじめ、未浄化霊「ナカガワ・チエコの事例」など、こうした生まれ変わりの諸証拠の存在を知った人は、その証拠を材料として、必ずやってくる死に正対して、生まれ変わりと魂と呼ばれる意識体は、あるのか、ないのか、自分の立場を明確にせざるをえないと思います。

本ブログ記事がそうした材料の一助になったとすれば、本ブログの目的は十分果たされたものと思います。