2023年9月21日木曜日

心は脳の随伴現象なのか

 SAM催眠学序説 その166

 

「心は脳の付随現象なのか」、ことばを換えるなら、「心と脳の一元論は本当なのか」という問いについて、わたしは拙著『前世療法の探究』で次のように述べておきました。

「 一般に信じられている言説、つまり、心は脳の随伴現象であり、脳の消滅とともに心も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて棄却されることになる、という言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている『信念』や『主張』をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではないのです」(稲垣勝巳『前世療法の探究』春秋社、2006、P.245)

上記の考え方はその後17年経過後の2023年現在でも通用するかどうか、興味深い記事がありますので次に紹介したいと思います。

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2023年4月                             『サイエンスZERO』20周年スペシャル」NHK取材班のインタビュー記事より

                                          20年の科学を振り返るうえで、「脳科学ブーム」は記憶に新しい。だがなぜ、人々は「脳」に魅了されるのか? 理由は多々あれども、その一つは「心とは何か?」を知りたいからではないでしょうか。帝京大学の岡ノ谷一夫教授はそう語ります。

「心」の正体を探るべく、理化学研究所・脳科学総合研究センターや、東京大学・認知行動科学研究室などを渡り歩いてきた岡ノ谷さん。研究テーマも、言葉、情動、メタ認知など、多岐に渡ります。そんな彼に、「脳と心」の20年について聞いてみました。               すると、そのお話は衝撃の一言から始まったのです。

「この20年、『脳』からは膨大なデータを記録できるようになった。しかし、 『心』にはたどり着けなかった」――。

「 心とは何か?」という疑問を追い続けて20年。帝京大学の岡ノ谷一夫教授は「この20年、『脳』からは膨大なデータを記録できるようになった。                しかし、 『心』にはたどり着けなかった』と言いますが、それはどういうことなのでしょうか?                                       そして「心」の正体とは。

 

そもそも、「大量のデータがとれた」とは?

もう少し具体的にいうと、人の脳の活動を記録する技術としては、「機能的MRI」(※1)というものがありますが、その解像度がどんどん向上していったんです。

測定に用いる磁場が強くなってきて、僕が始めた頃は1.5テスラくらいでしたが、今は7テスラになっています。昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけでしたが、                               これによって、より高解像度で脳の活動を記録できるようになったんです。       昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけでしたが、時間的な解像度も、昔は秒単位と言われていましたが、いまは何十ミリ秒単位にまで向上していますしね。                                  人だけでなく、動物を使った実験でもそうです。                   岡ノ谷一夫教授が、「カルシウムイメージング」(※2)のような技術が出てきて、数百個ものニューロンの活動を、一気に計測できるようになりました。

 

―では、「脳」を研究しても、「心」は分からないということでしょうか?

例えば、脳に磁気刺激を与えると、視界に穴が開いて見えるとか、そういうことはできるんですけど、そうした知覚を越えて“現象学的な心”とつながるかというと、まだつながっていない気がしますね。                                つまり、知覚や記憶、情動などは計測できるのですが、それらを感じている「心」をどうやったら計測できるのか? あるいはそれってもしかして計測できないのか? それが分からないのですよ。                                 現時点でも、どうしたらいいかも分かりません。

脳に関する技術はものすごく進んだのですが、だからといって“現象学的な心”とはまだつながっていないんですよ。

“現象学的な心”とは、自分自身が自分自身として感じている“心”です。とにかく、物質的な脳から測れるものを徹底的に測っても、“心”にはつながらなかったんです。

 

ーそれは、心の定義にもよるのではないでしょうか? 仮に、記憶や認知をすべて計測したら、実はそれが「心」を計測したと言えたりはしないでしょうか?

たしかに、そのように定義すれば、心を計測したと言えるのかもしれません。      でも、こう考えるとどうでしょう?                         仮に自分の心が、記憶や認知だけの集合体だと思えば、それはコンピューターにアップロードできるかもしれませんけど、それって“自分”なんですか?              それって、自分じゃなくないですか? 自分じゃないって思う、その“何者か”なんですよ。私が知りたいのは。

言い方を変えると――「釈然としない」ということですね。              仮に、脳から計測できるものすべてを計測して、コンピューターにアップロードした上で、あなたの肉体を消滅させますよ、いいですか?って言われたとき、なぜか「釈然としない」じゃないですか。                                 その「釈然としない」ところが大事、心の大事なところだと思うんですよね。

 

―とれるデータが増えたからこそ、どんな結果が出るかよりも、そのデータ自体に価値があるということ?

そういう考え方ですね。                              ただね、このやり方が行き過ぎてしまうと、研究がつまらなくなると思います。     挑戦的な研究が少なくなってくるのではないかと思うんです。

挑戦的な研究というのは、いわば「仮説自体を探索する研究」のことです。       どういう仮説を研究すべきかを考える、探索型の研究のことですね。          例えば、動物を観察していて、面白そうなことをしているけど、なぜそんなことをしているのか? どういう仕組みでそういうことをしているのか? そうしたことを調べる研究のことです。

一方、プレレジストレーション型の場合は、動物にこういう刺激を与えたときに、こういう脳活動が出るであろうと仮説を作って研究することになりますから、「次元」がひとつ違ってくるわけです。

つまり、面白い現象自体を発見していく研究と、発見した現象の仕組みを突き詰めていく研究。                                       研究には二種類あると言ってしまっていい時代になったのではないかと思いますよね。

 

このままデータ主義が進むと、そうした探索型の研究が少なくなるということですか?

プレレジストレーション型の研究に傾いていってしまうので、探索型の研究が評価されにくくなっていくかもしれませんね。                          だからこそ、特に日本は、探索型の研究ができる人材を増やしていく仕組みが必要だと思います。

というのも、次の20年こそが、私たちが「心」を理解できるかの 「分岐点」 だと思うからです。                                       次の20年で、分かるかどうかなんですよ、本当に。                  技術自体は、ものすごくそろっているわけで、それらをどう組み合わせて「心」にアプローチするか次第なんですよね。                            本当にね、たぶん次の20年で分からなかったら、分からないんですね。

だからこそ次の20年は、ただ脳のデータをとるだけで終わらず、“脳科学者”はみんな“心理学者”になるべきなんじゃないかなとさえ思うんですね。

 

 ―改めて、岡ノ谷先生個人にとっての20年は、どんな20年でしたか?

自分としては最初から、「心」を知りたかったのですが、鳥のさえずり研究から、ラットや人を使った研究まで、いろいろ広がった20年でしたね。テーマとしても、聴覚だけでなく、共感、情動、報酬系など、「心」の本質に近づくために、自分の興味がどんどん広がっていった20年でした。

そして、20年前といえば、ちょうど千葉大学から、理化学研究所の脳科学総合研究センターに移った頃ですね。実は当時は、もう“心理学者”をやめようと思っていた時期なんです。“心理学者”をやめて“脳科学者”をやろうと思っていたんですよね。

それでしばらく脳研究っぽいところにいたんですけど、研究するうちに、やっぱり自分は“心理学者”なのかなと思って。脳の活動は記録するけど、だからといって“脳科学者”なわけじゃなくて、やっぱり心が知りたいんだよなっていうことが分かってきましたね。なのでその後、東京大学の認知行動科学研究室で、そうした研究を続けることになりました。

 

―最後に、次の20年は、岡ノ谷先生にとってどんな20年になるでしょう?

死んじゃうよね。                                 そして、死ぬときはきっと、「釈然としない」 んだろうなって思います。        ですが、次の20年で自分の研究をまとめあげて、どのように“心”ができているのかを、自分なりに理解したいと思っています。                         そうすれば、一応 「釈然」 とした気になれるかなと。                 そのためにも、私はいま63歳ですが、これからも新たにいろんな技術を身に着ける必要があるなと思っています。                               そしてそれは、可能なのではないかと思っているんですよね。

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さて、最先端の現役脳科学研究者である岡ノ谷一夫教授の結論は

「知覚や記憶、情動などは計測できる。しかし、それらを感じている『心』をどうやったら計測できるのか? あるいはそれってもしかして計測できないのか? それが分からない。                                                                           現時点では、どうしたらいいかも分からない。                    結局、現行の唯物論科学では 『心』にたどり着くことはできなかった」

とまとめていいでしょう。

そして、岡ノ谷一夫教授と同様の唯物論科学の立場から、「昔は、電極を一本ずつ刺して、その電極の近くのニューロン(神経細胞)をいくつか計測するだけ」の過去の時代の大脳生理学者で、ノーベル賞を受賞している、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどが、脳は心を生み出してはいない、と晩年になって「脳と心の二元論」に至ったことを表明しています。

わたしの畏敬する成瀬悟作医学博士も、2004年の講演の中で「脳の病変によって動かないとされている脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。                                しかし、脳の病変はそのままです。                         こうしたことから、身体を動かすのは脳ではなくオレであることにやっと気付きました。 私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」と「脳と心の二元論」を表明しています。  

SAM前世療法を提唱しているわたしの立場は、言うまでもなく「脳と心の二元論」仮説に基づいていますが、今世紀の終わりまでにそれが実証できるのか、SAM前世療法の地道な実践を継続するなかで検証していきたいと思っています。

結局、わたしの探究は、SAM前世療法によって発見した意識現象の仕組みを、唯物論にとらわれず、仮説を立てて突き詰めていく探究だと思っています。

 

2023年8月4日金曜日

霊的現象の探究におけるスピリチュアリズムとプラグマティズム

SAM催眠学序説 その165 

 

わたしが特定の諸宗教とは無縁の、催眠臨床の実践者、生まれ変わりの実証的探究者であることを明確にするために、現在の考え方の立ち位置を述べておきたいと思います。

わたしの立ち位置は、あえて言えば「実証的スピリチュアリスト」と言えるようです。
しかし、この立ち位置は、「確信的スピリチュアリスト」の人からすれば、何だ!?という批判を受けそうです。
 

真性の「確信的スピリチュアリスト」とは、科学的実証はできないであろう信憑性の高い諸霊信(『シルバーバーチの霊言』、『モーゼスの霊訓』、カルディックの『霊の書』など)の高級霊の告げている内容を霊的真理として「確信している人」のことを指して呼ぶわけですから。
 

ちなみに、わたしは新興宗教を含めて既存の宗教組織には矛盾と不信感を抱いています。
 「宗教」の「宗」とは「元になっている」の意ですから、「救いの元になる教え」が「宗教」の原義であるはずでしょう。
 

にもかかわらず、宗教どうしの差別や反目、迫害、政治的利用、はては信仰による戦争が歴史上繰り返されてきました。
こうした「救いの元になる教え」であるはずの諸宗教によって、今もなお信仰の違いによる不毛で悲惨な争いの現実はなぜ起こり続けるのでしょうか?

さて、「近代スピリチュアリズム」の霊的真理とは、

①地上の人間と霊界の高級霊との交信を認める、
②そうした霊の存在を認める、
③ 生まれ変わりの存在を認める、
④全知全能であり唯一絶対の創造主である神の存在を認める、

 ことを内容としています。

この内容を「霊的真理」であると確信し、霊的真理を人生の指針として、現世をよりよく生きようとする人こそ、「確信的スピリチュアリスト」と呼びます。

心霊写真・占い・霊的予言・チャネリングなど霊的現象に強い興味関心を抱き、実証や検証抜きでそれらを鵜呑みに受容する人や、あるいは霊能があると自称し、予言したり霊障を知ることが出来ると自称する人たちを、霊的感性・能力を備えている人という意味で、ひとくくりにスピリチュアリストと呼ぶことは正しくありません。                                    

オカルティストと呼ぶべきでしょう。

スピリチュアリストとオカルティストは、似て非なるものです。

わたしが「実証的スピリチュアリスト」だと自称するのは、わたしあて霊信内容をわたしの実践しているSAM前世療法よって確認(実証)できた意識現象の事実に限定して、それを認めるという表明をしているので、その立場を強いて呼ぶなら「実証的スピリチュアリスト」と位置づけてよいだろうというだけのことです。                    このことは、これまで述べてきた本ブログを読んでいただければ了解していただけると思います。

また、観念より事実、理屈より実証を重んじる立場からは、「リアリスト」でもあります。

さらに、わたしが自覚し納得しているのは、自分は哲学的観点からは「プラグマティスト」であるということです。

プラグマティストとはいかなる思考・態度をとる人間であるのか、以下に述べてみます。

日本語で「道具主義」と訳されるプラグマティズムが、卑近な実用と功利を重んじる安手の常識哲学だと考えることは正しい理解ではありません。
そもそも「プラグマ」とはギリシア語で「行為」を意味します。
 

「プラグマティスト」は次の①~④ような「生活態度」を反省的に身につけようとします。
 
 仏教、イスラム教、キリスト教、諸新興宗教、あるい政府・官僚などの言説に代表されるような美しく荘重な文言を、聞いたり口にしたりすれば、それで万事理解したように思う「言語主義(バーバリズム)」を捨てて、文言や文章の意味する内容からどういう実際的帰結が生ずるかを絶えず見届けようとする「実際主義」を身につけようとする。
 

 プラグマティストである米国哲学者パースの有名な「プラグマティズム格言」が、上記①のことを的確に言い得ています。
 

「How to make our ideas clear(私たちの観念を明晰にする方法)」と題された内容である「プラグマティズム格言」とは、われわれが何を知っているのか、また何に気づいていないかを、自ら意識し確かめる方法を述べたものです。

プラグマティストである米国哲学者パースによって、次のように述べられていることです。

「その概念の対象が、どんな具体的影響を私たち人間の行動に対して持ち得るかを考えてみよ。そういうふうにして考えつかれ、想像される影響の総体が、もとの概念の意味の全部である。その具体的影響を考えつかないとすれば、そういう概念は、もともと空虚で意味がないのである」

この「プラグマティズム格言」こそ、「実際主義」を的確に言い得ています。

対極の「言語主義(バーバリズム)」とは、実質的、具体的内容のない空虚な文言を、あたかも実質的内容があるように思い込む思考態度や、単なる言い換えをあたかも新しい内容があるように思い込んで、ありがたがる思考態度です。

言語主義による詭弁や欺瞞は、プラグマティズム格言に照らして確認すれば、化けの皮が剥がれます。                                    

たとえば、国会における首相・大臣など政治家、官僚の答弁が、いかに言語主義による詭弁と欺瞞に満ち満ちていることか!

 生活体験を十分にくぐらない観念や信念だけでものごとを解決しようとする態度を捨て、事実の蓄積とそこに見出された法則性に裏付けられた観念や思考を形成し、またその真偽を行動・体験によって絶えず検証し修正する態度を身につけようとする。 

このブログの「コメント投稿の留意点」に掲げている、「観念より事実、理屈より実証」のスローガンはこの②の態度の表明です。

 自分の正当な利害や幸福を追求することをうしろめたい悪いことのように感ずる卑屈感を捨て、自己を正当に主張するよい意味の個人主義的な自主的態度を身につけようとする。
こうした態度があってこそ、他人の人格や権利を正当に尊重し、他人と民主的に交わることができるようになると考える。
またこうした考えにもとづいて行動しようとする。
 

 プラグマティズムは、一つ間違うと功利主義、実利主義へとかたより、個人の直接体験を偏重する主観主義に傾き、また悪い意味での自然主義におもむいて、安易なオプティミズム(楽観主義)に走りやすくなる。
そうならならないよう絶えず「反省的思考」によって、バランスある言動・思考態度をとろうとする。
 

わたしのいう「反省的思考」とは、たとえば「ラタラジューの事例」における「生まれ変わり仮説」の真偽の検証において

A 自分に都合のよい事象のみを「選択的に抽出」してはいないか?

B 「選択的に抽出」した事象をことさら「拡大視」し、不都合な事象を不当に「縮小視」し、あるいは無視してはいないか?

C 選択的な抽出」によって「拡大視」したごくわずかな都合のよい事象を短絡的に「極端な一般化」した結論へと導いていないか?

D 「極端な一般化」した結論をもって、手前勝手な「恣意的推論」を展開していないか?
 
つまり、以上の4点を絶えず点検し、独りよがりの「認知の誤り」に陥ることへの警戒を怠らない思考態度を「反省的思考」と言います。                    

その結果、応答型真型異言「ラタラジューの事例」は現時点で、生まれ変わり以外に説明ができないと考えています。


こうして、プラグマティズムは、専門的哲学の体系というよりは、より充実した納得できる人生を送るための「生活態度のとり方」だと言えると思います。
 

 プラグマティズムの真理観は、「説明の成功」ですから、わたしのこれまで述べてきたブログ上の言説も、現時点でとりあえず説明が成功している「とりあえずの真理」だと理解していただきたいと思います。

したがって、たとえば「タエの事例」や「ラタラジューの事例」、とりわけ、学んだはずのないネパール語による「応答型真性異言」という現象について、今後「生まれ変わり仮説」よりも、簡潔で整合性のある別の仮説によって「説明の成功」がなされれば、そちらを受け入れることに躊躇することはありません。
こうした立場から言えば、わたしはリアリストでもあります。

さて、プラグマティズムの系譜に連なる教育哲学者J・デューイは、「哲学とは生活態度である」と述べ、彼はそれを次のように定義しています。
 

「哲学とは全体的、普遍的、究極的な生活態度である。世界の素材と取り組んで、統一ある、一貫した完全な人生を自覚的に努力するとき、人は哲学する(philosophize)。人は、哲学することによって、生活の進め方を規定する知恵を得ようとする」
 

その「哲学する(philosophize)生活態度」とは次の三つの態度に集約されます。
 

 「全体性」:起こってくるさまざまな事象に対する反応のしかたの一貫性を保とうとする態度。
 

 「普遍性」:個々の事象をバラバラに受け取らず、それぞれの事象をそれに意味を与える広い文脈の中に位置づけようとする態度。
 

 「究極性」:すべての事象や対象の裏面にまで進んでいって、それらの連関を発見しようと絶えず努める態度。  
                                         
わたしがプラグマティストであるがゆえに、生活体験による実証を十分にくぐらない観念である諸霊信を受け入れる「確信的スピリチュアリスト」になりきれず、実証的態度を手放さないでいる意味において、「実証的スピリチュアリスト」にとどまっていることがお分かりいただけると思います。
 

そして、この科学的実証を大切にする立場は、SAM前世療法の臨床によってあらわれた「タエの事例」や「ラタラジューの事例」をはじめとする前世人格の顕現化、未浄化霊の顕現化、生き霊の顕現化など「霊的な意識現象の事実」への検証と考察によって形成されてきたものです。

その結果として、

●その「霊的意識現象の事実」が、著しく臨床的直観に反することはなく、
                                     ●そうした「霊的意識現象の事実」を認めることが、不合理な結論に帰着することはなく、
                                     ●そうした「霊的意識現象の事実」が、検証の結果、「心・脳の一元論」から考えるとどうしても説明できない超常現象として存在していること、を認めざるをえない。

という立場が形成されてきました。  
 

こうして、生まれ変わりや霊魂の存在に関わる、「いかなる霊的意識現象も先験的に否定せず、いかなる霊的意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度が形成され「実証的スピチュアリスト」であり、プラグマティストである、とわたしが自覚することの理由になっています。

こうした、わたしの考え方の立ち位置に決定的な影響を与えてくださったのは教育哲学者であり、上越教育大学院教授杵淵俊夫教育学博士でした。

35歳のとき、岐阜県教委から現職教員の身分で2年間の大学院研修が許可され、上越教育大学院修士課程の2年間の勉学の中で、杵淵先生との出会いと薫陶がなければ、今のわたしの考え方の基盤はけっして形成されなかったことは確かです。
 

杵淵先生の口癖であった「あなたのおっしゃるその考え方は、ほんとうにそうですか ?それはなぜそう言えるのですか? その理由を3点あげてください」という認知の誤りを点検するための厳しい問いかけが、そのまま今のわたしの思考態度として生き続けています。

 

その結果として、懐疑主義に傾き過ぎて、人生を生きづらく感じるようになってしまったとも思っています。

 

こうしたわたしの考え方の立ち位置には、人生を生きづらくする「毒」があるのかもしれません。。

 

しかし、「適度な毒」が、すぐれた薬効のある「良薬」に転化するように、適度に刺激があり、納得の得られる生き方を送るための指針としてはたらいていることも、確かな事実です。

 

「生まれ変わりの実証的探究」において、哲学的思考とその実際については杵淵俊夫教育学博士、催眠学の諸研究については成瀬悟作医学博士、両先生の「学恩」なしで、今のわたしの探究はなかったと感謝しています。


2023年7月5日水曜日

わたしあて霊信の真偽の検証 その2

SAM催眠学序説 その164

 

霊信による教示の信憑性の検証

 

 2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」と告げてきました。


「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの質問について答えると言うのです。
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
通信霊を装った
M子さんの作文による回答ではなく、したがって、霊的存在からの自動書記による回答である蓋然性が高いと判断してよいだろうと思われました。
 
 

1「意識 ・脳二元論」「魂の二層構造」の教示

 
わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。

第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構造」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、意識体として「魂の表層」に存在し相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂の表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」は肉体から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂の表層」「現世の者」であり、死後は「魂の表層」の、現世の直前を生きた前世の者として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」は「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

「M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。 M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」と念押しをするかのように告げています。
 
ちなみに、第12霊信の送信霊は、「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。                                   成瀬悟策先生は、2004年明治学院大学で開催された日本教育催眠学会の講演のなかで「脳は心の家来です」という言い方で
「心・脳二元論」を提唱されています。
 
これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳の研究の結果、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構造仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の信憑性の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が同じ第11霊信の中で、

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と、この霊信1年半後の2008年6月に創始したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、回答を仮説としてそれに基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見通していたのではないかと思われます。
おそらく、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
 
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げていますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていたのではないでしょうか。

そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。

フジTVアンビリ放映の、編集された「タエの事例」「ラタラジューの事例」の元になっている全セッション記録動画は、you-tubeで公開してあります。
 
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の科学的真偽について、わたしの主張と証拠動画に基づいて具体的な反証を挙げて批判した論者は、皆無です。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」を模式図によって説明してあります。

 

2「憑依仮説」の教示


SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。        こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。

さらに、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。          したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが「自己内憑依」です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)を報告することもあります。


つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体の次元に至っているので、守護霊などの霊的存在との接触や、霊的存在の憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体に入り肉体という器を持てば「魂」と定義しています。                 こうした意味において、顕現化している前世人格は「霊」と言えるでしょう。

 

3「霊体仮説」の教示


2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には、肉体の健康状態が良好であることを言い当てることができるという検証結果が得られています。
 
こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。

そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性が認められたからです。

 

残留思念仮説」の教示


2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
と告げています

以上のような2007年の霊信を受け取ってから、16年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」だとして、対話をおこないます。
 
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

 

まとめ


わたしの探究の原点は問題意識です。
 
それは、われわれの意識はどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。

しかしながら、意識現象は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験報告を手がかりとするしか方法論がありません。
それら意識体験の体験報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。


ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から離脱し、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。


良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。    「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げてあります。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。
しかし、生前に相談された現世での使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。
現世の肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえに魂の主体性に任されているらしい。


さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたしあての霊信はインスピレーションの集積といってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、妄想だと切り捨て、一笑に付すなどして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、多くの公的束縛から解放されて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れではなかろうと思います。

上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。


さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
 
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2023年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。


タエの事例は偶然ではありません。
計画され、あなたに贈られたものです。
計画を立てた方は、わたくしではありません。
計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。



あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。            神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪人とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたにはそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。                                   それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。


霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには要注意です。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。

したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。

さて、「催眠学序説 その164」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたしあての霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
 

「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
 

今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。

やはりわたしは、自分自身の直接の霊的体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実の力があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、ヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の意味も、おのずと開示されていくのではないかと思います。


 

2023年7月4日火曜日

わたしあて霊信の真偽の検証 その1

SAM催眠学序説 その163 

 

2007年1月11日22時44分、拙著の読者M子さんへのパソコンによる自動書記を経由して最初のわたしあて霊信が届きました。                   

その後、同年2月14日20時51分着信を最後に、1ヶ月余、毎夜続いたM子さんを介しての自動書記による霊信は今日まで途絶えています。                     

霊信が始まったきっかけは、偶然と言ってよいことでした。

わたしの著書『前世療法の探究』春秋社、2006年、を読んだM子さんが感想をメールしてくれ、そのなかで、自分は幼いときからチャネリングができると書いてきました。

チャネリングとは霊的存在とコンタクトがとれる能力(霊媒能力)だということはおおよそ知っていましたが、M子さんは、いわゆるチャネラーに憧れている「スピリチュアルかぶれ」の娘さん(当時彼女は26歳で東京在住の派遣社員)の一人ではなかろうか、程度の認識でした。

そこで、わたしはせっかくメールをいただいたので、礼儀と興味半分で「わたしについてチャネリングをしてもらえませんか」という返信メールを送付しました。 それが2007年1月11日の21時半前後でした。               その約1時間余にA4用紙びっしり4枚分の最初の第1霊信が届いたというわけです。

わたし自身はこうした霊信現象が届くという体験は、もちろん初めてでしたし、特に信仰心の篤い人間でもなく、過去に自分あての霊信を望んだことなども一切なく、そのわたしあてにどうして霊信が届くのか、きわめて不可解な現象としか思えませんでした。

ただし、わたしは、ガチガチの唯物論者で無神論者というわけでもなく、人間知性を超越したいわゆる something great(なにか偉大なる存在)を想定してもいいのではないか程度の漠とした認識はありました。

わたしあて霊信の受信者の役割を果たしてくれているM子さんとは、現世ではまったくの面識がなく拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係でしかありません。

それまでのわたしの知識では、霊信は、受信対象の当事者に直接送信される現象であり、第三者を経由して送信されることはないと思っていました。

日本においても、天理教や大本教では、初代教祖となる年輩の女性あてに、毛筆による自動書記(お筆先)という形で直接に神的存在から霊信が送信されたとされているようです。

わたしには、自動書記による受信能力などは皆無ですから、わたしあてに直接送信されることはないでしょうし、仮にわたしの脳内に直接霊信が受信されても、わたしは自分の妄想として片付けてしまったに違いないでしょう。        

送信している霊的存在は、そういうわたしの性向を知った上で、M子さんを経由させたのではないかと思われました。

今回のわたしあて霊信が、M子さん経由であれば、少なくともわたし自身の妄想である疑いは排除され、受信者のM子さんの妄想による作文ではないかという疑いが残ることになります。

おそらく、送信霊は、探究心が旺盛でこだわりが強いわたしのそうした性向を見抜いたうえで、霊信を第三者のM子さんを霊媒として用い送信してきたのではないか、と思われました。

そして、送信霊の思惑通りに、わたしは霊信内容の信憑性を検証し、霊信の真偽の探究に乗り出したと言うわけです。 

こうして、本ブログのコンセプトは「生まれ変わりや霊魂の実在について、いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず、観念より事実、理屈より実証に重きをおく内容です」と『コメント投稿の留意点』で謳っていることを実践することにしました。

 

Ⅰ 予言の信憑性についての検証

霊信内容の真偽の検証に当たって、もっとも結果が明白に確認できることは、霊信で告げられている予言実現の当否の検証です。

予言が的中していれば、少なくとも予言の真偽については真実であったという検証が成り立ちます。

霊信では4点の予言が告げられています。                  以下に予言の内容とその実現について現時点までに検証できたことを列記します。

 

【予言その1】

「あなたが癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」(第1霊信)ヒーリングができるという予言

 検証結果

この予言は、いわゆる治療霊団による治療エネルギーが、わたしの肉体を介して治療を必要とする者の患部に贈られるというスピリットヒーリング現象を意味している。                                   検証の結果、初期子宮癌の消失をはじめ、腰痛・肩関節痛・脊柱ヘルニア痛みなどの改善が確認できている。                         末期肝臓癌2例については、癌細胞の消失は起きなかったが痛みに苦しむことなく死を迎えられたという報告を受けている。                 一方、改善が起きなかった事例は、パーキンソン病の震えは止まったが完治はしなかった。                                 もう一例は蓄膿症の完治はできなかった。血流の改善、歯痛を除く各種痛みの改善には効果が検証できた。                        また、遠隔ヒーリングでも効果が確認できた。                なお、プラシーボ効果の疑いを払拭するために、犬と猫各1匹の癌のヒーリングでは、犬の前足付け根の癌は消失、猫の額の癌の癌細胞が石灰化して増殖しなくなった結果元気になったという報告を受けている。

 

 【予言その2】

 「今回伝えるべきことは、・・・そして、あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版する事となる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人をひきつけるものとなる」(第8霊信)本の出版の予言

 検証結果

2007年1月のこの予言から3年後の2010年10月に、2冊目の拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』をナチュラルスピリット社から出版することができた。                                    わたしは1冊目の『前世療法の探究』春秋社、2006、の初めての出版で編集作業の大変なことを実感し、2冊目の出版など考える余地などまったくなかった。            したがって、2冊目の本の内容が「全貌が異なるのではなく、方向性が異なる」という予言の意味も全く理解不能であった。                             

2冊目の応答型真性異言事例の紹介という主題は、前世療法による生まれ変わりの実証を取り上げたという点では1冊目と全貌は異なってはいない。                               

しかし、前世人格の顕現化という霊的現象、霊的存在と生まれ変わりを科学的事実だと認める明確な方向性は、1冊目ではためらっていたことであった。                   こうした点から、本の全貌は異なっていないが方向性が異なる、という第8霊信の予言は的中していると認めざるを得ない。


 【予言その3】

 「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。それは、M子も同様である。あなた方は、今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のもの同時進行するのだと理解しなさい」(第11霊信)SAM前世療法の予言

検証結果

この予言の1年後の2008年末に「SAM前世療法」が登録商標として認可されることになった。                                     SAM前世療法では、「魂状態の自覚まで催眠を深め魂表層を構成している前世人格を呼び出し対話する」ことを仮説とし、そのために工夫を重ねた独自の催眠誘導技法を「魂遡行催眠」と名付けている。                            「前世の記憶を想起させる」一般的な前世療法とは、仮説も催眠法も一線を画した世界唯一の前世療法だと自負している。                                            したがって、この第11霊信の前世療法についての予言は実現したと判断できる。

 

【予言その4】

 「あなたは今世で出会うべき女性がいる。その女性とはあなたが過去世において死別した愛する者である。その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。あなたは、その者にある約束をした。それは、その者が死後あなたが彼女へと誓った者である。そして、その者は死後あなたからの約束を聞いていた。なぜ、出会う前にあなたにこの話を語るのか。それはあなたがその事に興味を抱くという事が重要だからである。あなたはその者が誰なのか、いつ出会うのか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。そこから、あなたは引き寄せられていく。あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。それでよい。あなたは、それを許すだけでよいのだ。                        あなたが今後出逢い癒しを与える者によりその女性とのつながりは得られる。あらゆるものが交差し、その線は一本につながる。それを理解しなさい。その糸はM子からは生じない。あなたの今現在知る者からは、そのきっかけは得られない。  だが、いずれそこにつながる者なのだと理解しなさい。あなたは、あなたの魂の傷を持つ者が求める者と再会するだろう。(第14霊信)前世の女性と出会いの予言

検証結果

該当したご本人のプライバシー守秘義務のため、この予言内容どおりの女性とは、その後のSAM前世療法のクライアントとして数年後に実際に出会っていますとだけ言っておきます。

ただし、この予言に該当する女性は複数出現している。  

こうして、この第14霊信の予言も実現していると判断できます。

以上4点の予言のうち、M子さんの作文可能性のある予言は【予言その2】の本の出版予言くらいでしょうか。                            なぜなら、彼女は1冊目の本『前世療法の探究』を読んでいるからです。

 

Ⅱ 霊信による教示の信憑性の検証

 

 2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」と告げてきました。


「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの質問について答えると言うのです。
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
通信霊を装った
M子さんの作文による回答ではなく、したがって、霊的存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断してよいだろうと思われました。
 
 
1「意識 ・脳二元論」「魂の二層構造」の教示

 
わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。

第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、意識体として「魂の表層」に存在し相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂の表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」は肉体から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂の表層」「現世の者」であり、死後は「魂の表層」の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、作文して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

「M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。 M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」と念押しをするかのように告げています。
 
ちなみに、第12霊信の送信霊は、「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。

これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の信憑性の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が同じ第11霊信の中で、 

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と、この霊信1年半後の2008年6月に創始したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見通していたのではないかと思われます。
おそらく、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
 
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げていますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていたのではないかと思われます。

そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。

フジTVアンビリ放映の、編集された「タエの事例」「ラタラジューの事例」の元になっている全セッション記録動画は、you-tubeで公開してあります。
 
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実に基づいて反証を挙げて科学的に批判した論者は、皆無です。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」を模式図によって説明してあります。

 

2「憑依仮説」の教示


SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。        こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。

さらに、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。          したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)を報告することもあります。


つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体に入り肉体という器を持てば「魂」と定義しています。

 
3「霊体仮説」の教示

2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には、肉体の健康状態が良好であることを言い当てることができるという検証結果が得られています。
 
こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。

そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性が認められたからです。

 
残留思念仮説」の教示

2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
と告げています

以上のような2007年の霊信を受け取ってから、16年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」だとして、対話をおこないます。
 
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

 
まとめ

わたしの探究の原点は問題意識です。
 
それは、われわれの意識はどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。

しかしながら、意識現象は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験報告を手がかりとするしか方法論がありません。
それら意識体験の体験報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。


ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から離脱し、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。


良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。    「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を与えあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げてあります。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。
しかし、生前に相談された現世での使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。
現世の肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえに魂の主体性に任されているらしい。


さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたしあての霊信はインスピレーションの集積といってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、妄想だと切り捨て、一笑に付すなどして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、多くの公的束縛から解放されて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れではなかろうと思います。

上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。


さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
 
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2023年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事がこの先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。


タエの事例は偶然ではありません。
計画され、あなたに贈られたものです。
計画を立てた方は、わたくしではありません。
計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。



あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。            神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪人とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたにはそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。                                   それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。


霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには要注意です。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。

したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。

さて、「催眠学序説 その163」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたしあての霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
 

「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
 

今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。

やはりわたしは、自分自身の直接の霊的体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実の力があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、ヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の意味も、おのずと開示されていくのではないかと思います。

2023年6月2日金曜日

霊感とSAM前世療法

SAM催眠学序説 その162

 

タイトルに掲げている「霊感」とは、「肉体を持たない霊的存在とのコンタクト能力や霊的存在への感受性」の意味で用いています。

こうした意味で、SAM前世療法によって「前世人格の顕現化現象」を体験されたクライアントはその程度の差はあれ、何らかの「霊感」の持ち主と言って差し支えないでしょう。

なぜなら、言ってみれば前世人格とは、魂表層を構成している肉体のない霊的存在(死者) に他ならないからです。

 現時点で、「前世人格の顕現化現象」を体験されたクライアントは91%ですから、わたしのセッションを体験したクライアントのほぼ9割には霊感があると言えるでしょう。

ここには、とりわけ特殊な霊感の持ち主であるクライアント2名のセッション事例を紹介します。

 

【 事例その1】

 

下記に掲載するのは、ある宗教団体の要職についておいでの男性(60代)Fさんのセッション体験報告です。

大変理知的で誠実な求道者といった印象を与えたクライアントでした。

主訴は、「魂の実在」と「親神さま」(天地創造と人間創造のすべての創造神)の実在を実感したいということでした。

自分の催眠状態をモニターしている冷静な顕在意識のありようがよく分かる貴重な体験報告です。                                      

下記の点線内に紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成24年12月3日、午後3時からセッション開始、稲垣勝巳先生65歳。
私も65才。
 

1・壁を通して聞こえてくる戸外の雑音(特にトラックの通過する爆音)が気になった。
 

2・左側頭部で圧迫痛がした(左耳朶が特に痛い)。セッションを終えて数分で痛みはなくなった。
 

3.浄霊後の催眠での、守護霊の応答について。
(特に左手人差し指の動きについて。)
あの時、私の意思を離れて、勝手に指が動きましたが、あの時の指は単なる指ではなくて、指に宿った“無意識さん”の“顔ないしは頭部”になっていたのではないでしょう
か?
 

指の動きは「上下」だけではなくて、「左右」にも動いていた記憶があります。私は自分の指の動きを感知できました。誘導の最初の頃は、指は単なる「イエス、ノー」の意味で「上下」運動をしていましたが、守護霊が現れてからは、指が霊体の頭となって「首から上」の動作をしていたように感じました。
 

守護霊は前世の誰かと交代することを「受諾した」のではなく、「ためらいがちに、首を左右に振った」という感じを受けました。
指は質問に応じて色々な反応をしました。単なる上下運動だけじゃなくて、一見あい まいな動きもしましたが、それは、指が「首から上」の動きを表していたからのよう に感じました。
 

守護霊の意思表示は「それはしてやりたいが、することを許されていないんだ」ということを指という「全身」で「いやいやと首を左右に振って」表現しているように感じました。
指が勝手に動くだけで、指の「意思」は私には伝わっておりません。
 

ただ、「親神様の降臨」の時は、それ以外の時とは全く違いました。
降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって「昂然と屹立している」と言う感じでした。

しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が直立して上を指している、という感じでした。
しかも指自体は完全に脱力していました。                         帰宅してから、同じ直立動作を試みましたが、自力では90度近くのあのような直立はどうしてもできませんでした。
 

4、セッションの最後に呼び戻される過程で、魂状態では、下半身が霊体化しているのを感じました。
現実には椅子に深くかけて、腰も膝も曲がっているはずなのに、下半身をまっすぐ伸 ばして頭と同じ高さで水平に宙に浮かんでいる感じがしました。
そして霊体の足は、現実の足よりはるかに力に満ちていました。
 

5、未浄化霊については心当たりがあります。
結婚後一年程で男児を出産しましたが、生後五日目に赤ん坊が死にました。
医師によれば、生まれつき複数の代謝異常があって生きられなかったそうです。
本人もその数カ月後に腎臓病で死亡しました。
その後、○○教では、神道に倣って、死後に一年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、
十年ごとに慰霊の年祭をしますが、婚家がしましたので、たぶん形式的で、真の慰霊 にはなっていなかったのでしょう。
夫はすぐに再婚しました。
浮かばれない気持ちは分かりますが、何故血族の家内に憑依せずに私に憑依した

のかが分かりません。

 
大事なことをお伝えすることを忘れておりました。

私は○○教の中で、指導的な立場を与えていただいております。

○○教には定年制はありませんが、今、私が教会長をつとめている教会の会長職を
倅に譲ろうと準備を進めているところです。
来年11月3日に正式に譲る予定です。

これまで何十年と霊的真理については研究を重ねてきて、その過程で、どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない、と思うようになりまして、今年に入った頃から、私に前世体験をさせてくれそうな人を探しておりました。
 

飯田史彦先生のことは、『生きがいの創造を出版なさる前からネットで知っており、先生にメールでお願いして、あの本のもとになった論文も頂きました。
 

そのご縁から、門真市の奥山輝実先生も知りまして、色々下調べをしてみましたが、お二人とも施術者としては優秀ですが、死後の霊魂の存続については、個人的には信じておられるようですが、公式には態度保留というお立場にみえます。
 

前世があるかないか分からないが、一定の治療効果があるから、たとえ見えたものが無意識の作り出したビジョンでもいいではないか、という見解のようです。
 

私の求めているのは、治療ではなくて「霊的真理」のみですから、       と申しますのは、○○教では、一定の信仰信念に達しますと『おさづけの理』という、いわば「ヒーリング能力」を付与される制度があります。
私には「身上助けの効能の理としてのおさづけの理」という宗教的なヒーリング能
力がすでにありますから、治療には興味も必要もないのです。
 

どこかにどなたかいらっしゃらないかなあ、とネットサーフィンしていて、偶然稲垣先生のことを知りました。
あらゆるサイトを探して、先生のことはあらかた分かりました。

教師をなさっておられた頃のことや、近年のタエの事例やラタラジューの事例のその後の経過も逐一調べました。

この先生に会いに行かなければならない!と心に決めて先生にセッションの事前予約を承諾して頂いた後、その旨を家族に相談しました。

が、猛烈な反対にあいました。
家内は一定の理解を示してくれましたが、二人の息子が強硬に反対するのです。


長男は教会長後継者ですので、「今、おやじがオカルト的な行動をすると、教団に知れたらどんな処分を受けるかわからん。どうしてもやるのなら、完全に退職してからやってくれ」というのが彼の意見です。

次男は少壮の物理学者ですが、「行くのはいいが、いきなりセッションを受けるのは やめて、まずはその方と会ってみてはどうか?
世間には色々いかがわしい輩もいて前世体験などと言って金品を巻き上げる事例も多いから。おやじなら、一度会えばその人物が本物かどうか見分けがつくだろうから」という意見です。
私は悩みました。

倅たちの意見は至極尤もです。
私が強行する理由はありません。

ところが、心はどうしてもすぐにでもセッションを受けたいとはやるのです。
色々考えた挙句、長男の意見に従うことにしました。
 

先生にも申し上げたように私はPCのエキスパートです。
ちょうどその頃(11月19日)に、長女が自宅のPCの無線LANを組んでほしいと言ってきまして、そのために普段私が使っているノートPCを持って行きました。
無線LANはすぐに構築できまして、時間がありましたから、そうだ、稲垣先生に延期をお願いしようと、上記の理由を詳細に書いて来年の11月3日のあとにセッショ ンを受けたい旨のメールを送信しました。
 

ところが、受信サーバは反応するのですが、送信サーバが反応しません。
何度やっても同じです。
他人からPCのメンテナンスを依頼された場合は、設定を色々いじってなんとか直し ます。
そのときも送信できるようにする自信はあったのですが、無理はやめようと思いました。
これは、何かのメッセージに違いない。

延期をお願いするメールが送信できないのは、早急に行けという意味ではなかろうか。
よし、直観に従おうと決めました。
 

但し、倅が心配するだろうから、家内には本当のことを打ち明けて、倅には内緒でいくことにしました。
もちろん、どんなことを経験しようが、来るべき時がくるまでは倅には内緒にしておくつもりでした。(今でもそう思っています)
 

12月3日朝、不思議と心は穏やかでした。生まれて初めての経験、それも唯物論ではありえないことに遭遇しつつあるのですから、極度の期待と緊張があるはずなのに、まるで日常のルーティン・ワークをこなしているような平静な自分に驚きました。
自分は行くべくして行っているなあ、となかば可笑しいように自分を観察していました。
駅を降りて、お会いする前に、ご自宅周辺を30分ほど散策しました。

デジャブは感じませんでしたが、とても懐かしい気がしました。
それから、呼び鈴を押しました。
お会いして、私より先生の方が少し緊張なさっている印象を受けました。
あとは先生御承知の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(終わり)

 
ゴチック部分は、注目していただきたいと、わたしが願った部分です。
とりわけ、水平に置いた手のひらの人差し指がほぼ垂直に直立した現象には驚きました。
わたしもやってみましたが、とても真似のできることではありませんでした。
 解剖学的にも、人指し指の間接が単独で直立状態に立つことは不可能です。

「指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が直立して上を指している、という感じでした」という述懐がありますが、これは降臨されたと思しき「親神さま」が、指を立てた 主体であると考えれば筋が通る現象です。
 なお、指自体は完全に脱力していました」ということですから、指を直立させた主体はクライアント自身の顕在意識ではないと考えられるからです。

 また、私の求めているのは、治療ではなくて『霊的真理』のみ」「どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない」と述べるほどの真摯な求道精神の持ち主であるクライアントですから、その求めに応じて「親神さま」と呼ばれる存在が顕現化している証として知らしめた指の直立現象だととらえてよいように思われました。

こうした霊的超常的現象に遭遇できることも、SAM前世療法ならではの醍醐味の一つです。
 
 
事例その2】    

 

次に紹介するのは、P子さんという33歳のタイ国女性のセッション事例です。

セッション期日は令和5年5月4・5日の2日間です。

事例1のFさんのセッションから10年後になります。

彼女には過去に日本に留学した経験があり、その後タイ国の商社勤務をしながら、日本に出張する度に、過去3回ほどわたしのセッションを受けてきました。

今回は、アメリカの大学でMBAの資格を取得するため、2日後に渡米するということで 、その前に2日連続してセッションをどうしても受けたいという依頼でした。 

 

第1日

この日の主訴は、現在交際しているタイ国人男性について、どうしても交際がうまく進まない、悲観的な感情に支配されてしまう、その理由が前世にあるのかどうかを突き止めたいということでした。

そこで、魂の自覚状態にまで催眠深度を遡行し、魂状態の自覚に至ったところで、当該男性の前世での関わりを持つ彼女の前世人格を呼び出そうと試みました。

顕現化した彼女の前世人格は、エルサルバドルの霊能力の優れた女性シャーマンでした。

現在交際中の当該男性は、この女性シャーマンの夫でした。

この夫はキリスト教徒であり、キリスト教の教義に背くという理由によって、妻であるシャーマンを魔女だとして教会に密告し、そのため女性シャーマンは拷問にかけられた末に死亡したということでした。                                     このことを語ったときの、前世の女性シャーマンの悲しみの号泣はすさまじいものでした。

しかも、エルサルバドルの前世で裏切り行為をした夫の生まれ変わりこそ、現世で交際中のタイ国人の男性でした。

こうして、魂表層にいる前世の女性シャーマンが、潜在意識下で、現世のP子さんにこの男性との交際に対して警告を発していたということです。                                   

こうしたセッション結果を、クライアントのP子さんがどのように理解し、今後の当該タイ国人男性との交際に、どう生かしていくかは興味深い問題ですが、セラピストのわたしの関与できることではありませんし、関与することを一切してはならないと思います。

印象深いことは、前世を過ごしたエルサルバドルという中南米の小国について、P子さんはそのような国名をどこかで聞いたことがあるが、どのあたりにある国なのか興味・関心を持ったことは一切ないし調べたこともない、なんでエルサルバドルなどという国名を前世人格が語ったか不思議だ、と感想を漏らしたことでした。 

SAM前世療法のセッションでは、当のクライアント本人が全く知らない土地の名前や人種・種族(アボリジニ、シャイアン族など)を、顕現化した前世人格が語ることが結構あります。

たとえば、「タエの事例」で顕現化した前世人格のタエは、被験者里沙さんの全く知らない吾妻川という川の名前を語っています。     

どこかで聞いたことが潜在意識に残っていて、それが催眠中に顕現化したのだ、というもっともらしい説明ではどうしてもおさまり切らないような現象にわたしには思われます。

 

 第2日

この日の主訴は、稲垣とP子さんと、ともに暮らした前世があるならそれを知りたい、P子さんは何回の生まれ変わりをしているか、何回の生まれ変わりで終わりなのかを知りたい、ということでした。

①について

 セッション結果は、稲垣とともに過ごした3回の前世人格の顕現化がありました。

一つ目は、4世紀の中東で生きたアラブ人の遊牧民であり、仲のよい従兄弟どうしの前世であり、稲垣が年長で、P子さんとは兄弟のように羊を追って暮らしていた、ということでした。

二つ目は、10世紀のヨーロッパで白人として生きた父と娘の仲のよい親子の前世でした。稲垣が父であり、P子さんは娘であったということでした。

三つ目は20世紀始めのロンドンで生きた白人肉体労働者で兄弟同様の間柄であり、ともに助け合って働いていた前世でした。                             稲垣がやはり年長で、P子さんが頼りにしていた兄貴分であったということでしたが、稲垣は重い病気になり、しかし、貧しかったため医者にかかるお金がなくて死んでいったということでした。                                      この労働者の前世人格が顕現化したときに、P子さんは激しく号泣しました。

 

 ②について

これまでのセッション経験では、クライアントの生まれ変わりの回数について、顕現化した前世人格に尋ねても、なかなか明確な回答を得ることができませんでした。

そこで今回は初めての試みとして、霊格の高い超高級霊に憑依してもらって、Pさんの依頼に応えてみることにしました。

魂状態にあるP子さんに、「神という存在者、あるいは神の使いである霊格の高い高級霊にお願いいたします。どうぞこの者に降りてきて、質問に答えてください」と呼びかけてみました。

 エルサルバドルの前世で優れたシャーマンであったP子さんであれば、この呼びかけに応じて何らかの霊格の高い霊的存在が降りてきて顕現化するかもしれないという期待が持てたからです。

果たして顕現化した者は、神の使いを名乗る超高級霊でした。             そもそも、神を名乗る存在者自身がセッション中に降臨されることは極めて稀ですし、降臨されたとしても声を発することは、まずありません。

 わたしは、この機会をとらえて、日頃から疑問に思っていることも質問してみました。

憑依してきた神の使いを名乗る霊的存在は、それまでのP子さんとは全く別人と思われる威厳に満ち、男性的な、ゆっくりした口調で、わたしの質問の回答に次のような内容を告げてきました。

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P子と稲垣が現世でこうして再会しているのは神の計画である。

稲垣は、P子を支え、助ける役目を負っている。                    

P子は現世が87回目の生まれ変わりである。

この後、神と守護霊の計画によって、120回までの生まれ変わりをするであろう。   ただし、P子の霊性の成長・進化の状況によって120回の回数には増減が生じる。

霊信の受信者であるM子は、すでにこちらの世界に来ており楽しく暮らしている。

稲垣の生まれ変わり回数369回に無駄のある人生はない。             

多くの異なる時代、異なる人種、異なる仕事、異なる社会的地位、様々な異なる苦悩など多種多様な体験するための必要な回数として、神の計画された生まれ変わり回数である。

この生まれ変わり回数は、SAM前世療法の開発実践者として必要な資質を養うための神の計画による。                 

稲垣にはこの先、現世の最後の仕事が待っている。                   

その内容について、今明かすことは神から禁じられている。

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以上、特殊な霊感の持ち主であるクライアント2名の事例の紹介をしてきましたが、読者のみなさんはどのような感想を抱かれたでしょうか。

わたしの感想を述べてみます。

催眠学の先行研究の見地から検討すれば、中程度以上の催眠深度である「人格催眠」レベルに至ると、暗示によって指定した人物の役割演技をすることが分かっています。

したがって、事例1では、クライアントFさんが「親神様」の降臨の役割演技をしたのだ、という解釈を完全に排除することはできないでしょう。

しかしながら、「親神様」の降臨の証として、役割演技によって人差し指を直角近くまで直立させることは、まず不可能です。                         明らかに、Fさん以外の外部からの相当な強い力の強制によって起こった現象と見るしかありません。                                      だからといって、「親神様の降臨」が起きたと断言することは軽信のそしりを受けることになると思われます。

結局、 「親神様の降臨」の真偽については、判断留保としておくことが科学的に公正な態度だろうと思います。

 

事例2のP子さんに降りてきた超高級霊の憑依についても、同様な結論になると思います。                                       判断留保です。

超高級霊が告げた、わたしの369回もの生まれ変わり回数の意味についての合理的な説明は説得力があり、わたしなりに納得できました。

わたしあて霊信の受信者M子さんの2008年以後の消息が完全に途絶えたことについて、あるいはと推測していたことが、ズバリ「こちらの世界に来ている」と告げられて、少々悲しい思いをしましたが。

また、「稲垣にはこの先、現世の最後の仕事が待っている。その内容について、今明かすことは神から禁じられている」という語りは、これまで数年間にわたってセッション中に憑依してきた高級霊を名乗る存在からのメッセージと完全に一致しています。

こうした事実を考慮すると、P子さんに降りてきた超高級霊は、わたしの守護霊団とつながっているのではないか、さらに言えば、守護霊団の一員ではなかろうかと推測しています。

なぜなら、第16霊信(2007.1.27.17:29着信)で、「あなた方に伝えるべきことは、あなた方がこれより先へと進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである」「わたしたちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」と告げているからです。

              

 「本ブログのコンセプトは、生まれ変わりや霊魂の実在について、いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず、です」とHP冒頭の「コメント投稿の留意点」で謳ってあります。

この初志を忘れることなく、この先も慎重かつ地道に探究を続けたいと思います。