2018年9月1日土曜日

コメントの表示方法と投稿の留意点

1 コメントの表示方法について

 本文記事の枠外下に「8件のコメント」などの表示が出るようになっています。コメントを読む場合に、この「8件のコメント」をクリックすると、コメントが投稿順に表示されます。
ただし、文字ポイントが小さく、改行なしの縮小コメント記事の表示になるので読みづらいです。

そこで、本文記事の最上段の、大きな文字ポイントのタイトルの赤文字「 SAM催眠学序説その116」などをクリックすると、赤文字が黒文字に変わり、本文に続いて本文と同じカーキ色の地に本文と同じ文字ポイントでコメント記事が投稿順に表示され、大変読みやすくなります。

生まれ変わり否定論のさまざまなコメントと私の反論は、読み手には興味深い内容があり、生まれ変わりを考える上で参考になると思います。

アメブロなどと比較して、グーグルブログを使う方は少ないため、上記の操作をご存じない方がおいでになるので、紹介しました。

2 投稿の留意点について
 

SAM前世療法で顕現化するのは「前世人格」そのものです。「前世の記憶」ではありません。
「前世人格」の顕現化現象では、語る主体はクライアントではなく、肉体を持たない前世人格です。

クライアントは、顕現化した前世人格に自分の身体を貸しているという前提に立ってセッションを展開します。
 

ワイス式前世療法のように、クライアントが終始自分の「前世の記憶」を語るという前提でセッションを展開することはありません。
 

こうした、語りの主体が「前世人格そのもの」であるのか、クライアント自身が主体であり前世記憶を語っているのか、という重要な区別が分かっていない投稿がほとんどです。私の記事へのこれまでの反論は 「前世の記憶」一点張りの主張ばかりです。
 

また、ことばによって伝達可能な「情報」とことばによっては伝達できない「技能」の区別をしないで、すべて情報として伝達できるものだとして、粗雑な観念論(単なる「説」)を持ち出して投稿する反論者がほとんどです。

反論するからには、反論対象の私の主張をていねいに検討したのちに反論する、という当然の作法が無視されています。

最低でも、私が生まれ変わりの証拠としている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の両動画を視聴し、この一次的証拠の具体的反証を挙げながら、反論することが礼儀でしょう。

一次的証拠に一切触れない実証なき観念論(「仮説」ではなく単なる「説」)で反論したところで、説得力は、まったくありません。仮説にはその仮説の根拠となる検証可能な証拠がともないます。私が繰り返し主張してきた反証可能性にひらかれています。

 

さて私が、かつてのアメブロからグーグルブログに乗り換えた理由は、1ページ分の本文欄・コメント欄の文章の書き込み文字数制限がないこと、外国人の読者には、その国のことばに翻訳する機能がついていることによります。

したがって、コメント欄を用いた長文の議論が可能であり、しかもそれが世界に発信できるというメリットがあります。


2018年8月8日水曜日

SAM催眠学序説 その116

       商標権とSAM前世療法士の権限


以下は「稲垣勝巳メンタルヘルス研究室」https://sites.google.com/site/samzense/の 「商標権とSAM前世療法士の権限」のページの記事です。
こうした記事を書かざるをえない憂慮すべき情報が入るようになったため、読者のみなさんにも周知していただくために、あえて下記に掲載しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●「SAM前世療法」は、第44類(心理療法・医療分野)の登録商標です。「SAM前世療法士」を名乗る権限は、当「メンタルヘルス研究室」の主宰する「SAM前世療法催眠塾」の修了者のみにあります。

●「SAM前世療法士」が学んでいる知識・技能は、催眠学の基礎と催眠誘導の基礎であり、臨床心理学全般の素養を保証しているものではありません。 催眠関連以外の心理臨床に関わる他の資格(臨床心理士・学校心理士など資格認定更新制度のあるもの)も併せ持つことを勧めています。そうした心理臨床に関わる資格更新制度のある資格、または「上級SAM前世療法士」以上の資格も併せ持っていることを、セラピストの技能を保証する指標としてください。

●塾修了者には、商標権者によって、氏名・承認番号・修了年月日・取得資格名が明記され、朱印を押印した「講習修了証」が授与してあります。セラピストの資格・技能に不信感を抱かれた場合には、講習修了証の提示を求めてください。

●修了証記載の資格名は、受講時間と、催眠学知識、催眠技能の高さ、などSAM前世療法士への信頼度を保証するため、次のように指導時間ごとに4段階の資格を定め、資格更新制度として設けてあります。

①「上級マスターSAM前世療法士128時間」 ②「マスターSAM前世療法士96時間」 ③「上級SAM前世療法士62時間」 ④「SAM前世療法士32時間」となっています。

【商標権の侵害など不法行為について】
 

●「講習修了証」を所持しない者、資格認定取消し処分を受けた者が、「SAM前世療法」の登録商標を用いて、あるいは隠して、SAM前世療法の名称を伏せて同様の技法でセッションをおこなうこと、その宣伝をおこなうことは商標権侵害の不法行為となります。

●また、SAM前世療法士の資格認定を受けた者であっても、SAM前世療法の商標を用いてSAM前世療法士を養成したり、SAM前世療法士の名称を授与する権限は一切ありません。それらの行為は商標権侵害の不法行為となります。

●SAM前世療法士の資格認定を受けている者が、商標権の侵害、著作権の侵害などの不法行為を犯した場合、あるいは信用失墜行為をした場合は、その事実確認を本人に通告したうえで資格取消処分をしています。
処分を受けた者が、以後SAM前世療法の商標を使用することは商標権侵害の不法行為となります。

●SAM前世療法の一環を装いながら(SAM前世療法と称しながら)、SAM前世療法の指導カリキュラム規定にないリーディングやチャネリング、レイキ、「魂遡行催眠」を用いて主訴に無関係な前世人格以外の死者の霊、その他霊的存在などを意図的に憑依させる、などの行為は「商標SAM前世療法」の規定外の行為であり、商標権侵害の不法行為の対象となります。

●経済産業省のHPによれば、

「登録商標と同一の指定商品・指定役務に登録商標を使用する行為は商標権の侵害とされます。また、さらに指定商品・指定役務に同一もしくは類似する商品・役務に登録商標に類似する商標を使用する行為、または指定商品・指定役務に類似する商品・役務に登録商標を使用する行為も商標権侵害とみなされます」とされています。

注:上記「指定役務」とは商標内容のサービスを意味します。商標権取得のためには、単に商標だけでなくその商標と不可分の具体的内容も審査されます。

したがって、SAM前世療法士の資格を持たない者、資格取り消し処分を受けた者が、SAM前世療法と同一の技法(とりわけ魂遡行催眠の技法)を用いて別の名称で前世療法をおこなうこと、SAM前世療法規定の指導カリキュラム以外のリーディング・チャネリング・レイキ、霊的存在の意図的憑依などをSAM前世療法の一環を装っておこなう行為、あるいはSAM前世療法の商標を伏せて同一の技法で前世療法をおこなうことなどは商標権の侵害行為と認定されます。
こうした不法諸行為は、「指定役務(SAM前世療法)に同一もしくは(SAM前世療法に)類似する役務に登録商標に類似する商標を使用する行為」に該当し、商標権侵害の対象となります。

商標権の侵害について、厳しい態度をとらざるをえない理由は、SAM前世療法の正統を守り、前世人格と対話する世界唯一の前世療法として他の前世療法との明確な差別化を図り、あるいはオカルト療法としてSAM前世療法が誤解され、信頼が損なわれることを防ぐためです。

ひいては正統なSAM前世療法が後世に引き継がれることを願っているからです。
 

そもそもSAM前世療法(とりわけ魂遡行催眠)は、稲垣の守護霊団の霊信内容が、そのまま作業仮説となっており、霊的真理を広める使命を帯びた療法です。
これを歪めることは、私の守護霊団の恩恵に対する冒涜になると認識しています。

「SAM前世療法」は心理療法上の商標権を有するブランド名です。
SAM前世療法の内容を広めるために、2006年・2010年の二度にわたるアンビリバボー出演と、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の二度の出版、セッション動画のyou-tube公開、ブログ『稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究』によるSAM前世療法の理論と実践の公開などの努力を、創始者の説明責任として、70歳の今日に至るまで愚直におこなってきました。 
 

この努力は、SAM前世療法の技法手続きを用いれば、同様の前世人格の顕現化現象を得ることができる、つまり、科学としての再現性の主張でもあります。
 

そしてまた、前世と生まれ変わりを、観念論・抽象論でもって、執拗かつ頑なに否定する、唯物論者とのこれまで10年間にわたるネット上の孤独な戦いでもありました。
 

「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の具体的両事例を掲げ、生まれ変わりと前世の存在を、反証可能な確固とした具体的映像証拠をもとに主張することは、唯物論の土台を揺るがし、亀裂を生じさせる、極めて不都合、目障りな、容認・看過できない主張であるに違いなく、その意味で否定論者からの唯物論による諸批判は、名誉であろうと思っています。

生まれ変わりを否定したければ、観念論ではなく、生まれ変わりを示し、反証可能性にひらかれている両事例について、具体的反証を挙げて、具体論できちんと否定するしかありません。
これは当然のことですが、これまでの諸否定論者はそれがまったく出来ませんでした。

唯一の稔りある具体的議論は、2015年1月1日付「SAM催眠学序説その34」から開始され、3月22日の「その42」まで3ヶ月近く続いた、「タエの事例」について、読者VITAさんから提示された2つの疑義に関しての論争だけです。ここで展開された議論は、学会の討議に匹敵する詳細かつ重厚な議論であったと評価できると思います。

VITAさんとのコメント欄を用いた議論の応酬では、反論・再反論のために沈思黙考できる時間の自由が保障される点で、学会討論や会議の質疑など時間制限の設けられた議論より、はるかに緻密で熟慮した質の高い主張が展開できるというネット上の議論の有用性を強く実感しました。

それ以外は、「事実(あるいは主張・証拠)に対しては、事実(一次的証拠) をもって対応すべし」という科学的方法の原則の無視、または無知による、観念的、抽象的な諸議論ばかりで「実証的探究」に値するものではありません。
ただし、話題提供という意味においては、コメント欄の議論を楽しむ読者への奉仕という意義を認めないわけではありません。

リーディング・チャネリングなどは、霊能者を自称する者の、科学の対象とはなりえない、だれでもできるわけではない、特殊・固有の能力であり再現性の保証されることのない能力です。
 

そして、クライアント自身の魂表層に同居している前世人格が、クライアント自身に憑依して語るSAM前世療法と、第三者である霊能者がリーディング・チャネリングと称して語る行為とは、次元を異にするまったく別の行為です。
この根本的混同は、容認できることではありません。

科学性を主張するSAM前世療法は、科学の対象とはなりえないリーディング・チャネリング・レイキなどとは明確な一線を引いておくべきだと考えます。
また、SAM前世療法によって、主訴に無関係な霊的存在の意図的憑依を試みるなどのオカルティズムが混入することは誤解のもとになり、また精神疾患を招くなどの危険がともないます。
 

ようやく知名度が少しずつ広がり始めた「SAM前世療法」のブランド名を利用し、それを装って、リーディング・チャネリング・レイキ、主訴に無関係な霊的存在の意図的憑依などをおこなうことは、「SAM前世療法」のブランド名を用いた不法行為であり、SAM前世療法士の資格の濫用であり、「SAM前世療法」がオカルト療法だと混同・誤解されるおそれと、ひいてはブランド名を貶めることになることを憂慮しないわけにはいきません。

40年にわたる催眠研究、4000事例の臨床経験と、私あて霊信の恩恵によって構築したSAM前世療法が、後世に引き継がれるために、正統を歪める者に対しては、資格取消処分、および商標権に基づく法的処置も辞さない厳しい態度をとるつもりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注1:規定のSAM前世療法によって精神疾患の招来などの事故報告は一切ありません。

注2:前世人格の呼び出しの諾否については守護霊の許可という安全弁が働きます。クライアントの人格に損傷を与えるような前世人格の顕現化は守護霊により拒否されます。

注3:資格取消処分者の氏名はここでは掲載してありません。HPをご覧ください。

注4:SAM前世療法の「魂遡行催眠」の技法は、世界のいかなる前世療法の技法にも絶対ありません。したがって、商標名と不可分の技法です。SAM前世療法士以外の者が、この技法を真似ることは不法行為に相当します。

注5:セッション動画を公開する場合は、「魂遡行催眠」をはじめ、催眠誘導過程を必ず削除してください。視聴者が安易に催眠誘導の模倣をして事故等が起こることを防ぐためです。


注6:SAM前世療法士が、チャネリング・リ-ディングなどをおこなうことを禁ずる訳ではありません。それがSAM前世療法とは全く関係のないことをクライアントに明確に告げ、それがSAM前世療法の一部であるような混同や誤解を与えないように厳しく配慮することを求めています。      

注7:SAM前世療法に100%の成功率はありません。私のデータでは直近100事例の成功率(魂状態に遡行し前世人格が顕現化する率) は91%です。不成功を取り繕うためにSAM前世療法の一環を装ってリーディングやチャネリングをおこなっているケースがあるようです。

もし、100%の成功率を謳っているようなPRがあれば、あり得ない誇大広告だと判断してください。

催眠研究者ヒルガードによれば、世界6カ国6名の研究者による被験者519名のデータは、5~9%の被験者は催眠に入らないとされています。
つまり、およそ10名に1名程度は催眠には入らないということです。

このことをふまえて、SAM前世療法では、最初に、22段階の標準催眠尺度(深さの段階ごとに実現する催眠現象を尺度化した段階表)のうち、第1(後倒)と第4(腕移動)の浅い催眠現象が実現するかどうかをチェックします。
本格誘導の深化過程では、浅いレベルの「運動催眠の実現」である運動禁止現象と中程度レベルの「知覚催眠の実現」である痛覚麻痺現象をチェックし、クライアントが確実に催眠に入っていることを確認します。
こうした催眠状態のごまかしを防ぐチェックをおこなうことも、SAM前世療法の誘導過程の基本的な特徴です。

この方法以外に、現時点で、クライアントが確実に(科学的に)催眠状態にあることを判断できる方法はありません。
 催眠中の脳波を調べても、催眠固有の脳波は特定できていないからです。
催眠中の外観を観察しても、確実な催眠状態にあるとは判断できません。

2018年7月20日金曜日

SAM催眠学序説 その115

    元妻に憑依した夫の生き霊との対話

   「生き霊」との対話セッション逐語録


「生き霊」の真偽について科学的検証、証明は不可能だと思われます。
生き霊を飛ばすという行為は意図的におこなわれることより、多くは無自覚のうちに飛ばしているらしいことが言われているからです。
そうなると、無自覚に生き霊を飛ばしている当事者本人に「あなたはA子さんに生き霊を飛ばしていますか?」などの確認の検証をすることは無意味に違いありません。

また、生き霊は、意識体ですから、その意識現象としての憑依を科学機器による映像化や計測化もできず、科学機器による憑依の検証や証明はできません。 
できることは、状況証拠を慎重に考察し、その累積から共通項を抽出して間接的な証明をすることしかないと思われます。

しかし、生き霊の憑依が起きているのではないかと推測されるような、体調の悪化や情緒不安定、憑依様の人格変化などの原因不明の意識現象・身体現象が、少数ながら確かにあるようです。
単なる思い込みや憑依妄想では解釈できない霊的現象があるようです。

ここに紹介する「生き霊との対話セッション逐語録」は、生き霊という霊的意識体の存在の信憑性が強く示唆される事例です。

●生き霊の憑依という「霊的意識現象の事実」を認めることが、著しく臨床的直観に反することはなく、

●生き霊の憑依という「霊的意識現象の事実」を認めることが、特に不合理な結論に帰着することはなく、 

●生き霊の憑依という「霊的意識現象の事実」が、これまで知られている脳の特性(心・脳の一元論)から考えるとどうしても説明できない超常現象だと認めざるをえない、

と判断できると思われる事例です。


さて、クライアントのS子さんは、現在派遣社員をしている2年前に離婚した30代の女性です。
離婚を決断したのはS子さんの方からで、離婚を渋る夫のもとを去り別居しました。
その結果、夫は渋々離婚に応じました。
離婚後、よき友人関係でいようと度々会っていましたが、それもうまくいかないと断念し、1年後には完全に関係を断絶しました。
その後、しばしば「生き霊」ということばを聞くだけで、わけもなく涙が出る、同時に体調不良に陥ることが起こるようになったそうです。
このような現象は、別れた夫の生き霊のせいではないかと感じるので、セッションを依頼したい、というかなり追い詰められた様子でした。
ちなみに、S子さんは霊的感受性が敏感で、すぐれた霊媒体質の持ち主だと思われます。

このセッションは、S子さんの希望で録音記録をとることを許可しました。
その録音記録を起こしたものを送付していただいたので、S子さんの許可を得て、SAM催眠学研究の一環としてここに紹介することにしました。
生き霊との対話セッション逐語録のような、生き霊が対話するという顕現化現象そのものが録音され公開されたことはないと思われます。
この対話は、SAM前世療法を用いた「生き霊祓い」のセッションでもあり、その意味でもきわめて貴重な記録です。

霊的意識現象の探究のため、公開を許可いただいたS子さんには、この場を借りてあつくお礼申し上げます。

以下は、SAM前世療法の催眠誘導手続きによって、S子さんが「魂状態の自覚」に至ったことを確認後の対話逐語録です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣:これから3つ数えます。S子さんに飛ん来ているらしい生き霊の憑依を許可します。
私は生き霊と話したい。きっと生き霊も苦しいと思う。体の変調が起きているS子さんも苦しんでいる。
お互いの苦しみを解消するために私は生き霊と話したい。
一体どなたの生き霊なのか知りたいし、一体なぜ飛ばしているのか知りたい、そして慰めて理解してあげたいと思います。
そして、出来るならば生き霊を飛ばしていいるご本人の魂表層に戻ってほしいと思います。

じゃあ暗示しましょうか。貴方はいま魂状態にありますから、これから3つ数えたら貴方の意識は脳から完全に分離しますよ。1つ、意識が脳からドンドン離れていきます。2つ、よりいっそう意識は脳から離れ広がっていきます。3つ、貴方の意識は完全に脳から離れました、脳の管理下を離れ完全に自由になったのです。
じゃあ、これから3つ数えたら、そういう魂状態では霊的意識体が憑依することが可能になっているはずです。
そしたら生き霊はこの者の声を借りて自分の存在やら苦しみを訴えることが可能になっています。
つまりこの者が霊媒として働いてくれるはずですよ。
じゃあいいですが、S子さんに飛んできている生き霊がいるなら(S子:あぁ…)これから3つ数えたらこの者に憑依することを許可します。いいですね、
1つ、2つ、さあ3つです。
貴方はこの者に飛んできている生き霊かな?

S子:ああ、うううううう。

稲垣:苦しいことよく分かりますよ、でもそれではね、お話しできないから。

S子:はあ! はあ! うううううー、はあ! むかつく!! はああー、ふー! ふー!

稲垣:そうとう苦しいんだな、それは怒りかな?

S子:腹が立つ! ふううううううううううう!

稲垣:思いっきり…。

S子:許さない!!! ふう! ふう!

稲垣:貴方は、この者の前の旦那?

S子:まだ旦那だ! 前じゃない!

稲垣:旦那ですか?

S子:ずっと今でも旦那だー!


稲垣:あ、今も旦那のつもりでいるのね。

S子:当たり前だ!

稲垣:でも法的には離婚が成立している。

S子:認めない!!!!!

稲垣:認めないと言ったって、それは法的には認められていますよ。

S子:(泣き気味に)そんなことがあるわけないだろうがぁ。

稲垣:苦しいんですね。

S子:(泣きながら)嫌だああ。

稲垣:それで貴方は前の妻であるこの者が恋しくてそれで苦しんでいるんだな。

S子:(泣きながら)恋しい、なんで離れていくのか分からない。こんなに好きなのに何で受け入れられないのか分からないいい。

稲垣:悲しいですね。

S子:(泣きながら)悔しい。

稲垣:悔しいですね。

S子:なぜ俺のことを受け止めないのか理解ができないい。

稲垣:ふ~ん。

S子:(泣きながら)俺は何も悪くない!悪いのはコイツなんだ、なのにそれなのにそれでも離れていく。意味が全く分からない。

稲垣:ふ~ん。そういう貴方は苦しみを持っておいでになるか。というかそういう苦しみを貴方は飛ばしている本体のね、魂の表層の現世の者が貴方を飛ばしているはずですよね。うーん、そうですか。貴方の魂は本体…。

S子:認めない。受け入れられない。受け入れられない…。

稲垣:現世の者は受け入れられないと貴方に盛んに言わせているんだけど、でもねえ、うーん。

S子:無理だ、受け入れられない。帰って来てほしい。帰って来ない限り認めない。無理だ。

稲垣:うーん、そうですか。私が思うにはですよ、貴方を飛ばしている魂の本体の前の旦那ですね、たぶん、あまり女遊びをしていないんじゃないかなあ? 真面目で、公務員だったと聞いていますからねえ。どうですか?

S子:人並だ。

稲垣:(笑いながら)人並ですか。でも人並にも色々あるんだけどねえ。女心について色々痛い目にあったり苦しい目にあったり。

S子:女は分からない。

稲垣:分からないままでしょ。

S子:俺は俺の家族も分からない。

稲垣:分からないままでしょ。だからそれは私に言わせると、遊びと言っちゃイカンけどね、女性とのお付き合いがあまり上手じゃなかった…。

S子:俺は親父も許せなかった。

稲垣:分かるよ、それは。

S子:(泣きながら)俺は母親も許せなかった。俺は何でこんな家に生まれなきゃいけなかったのか理解できなかった。やっとコイツと一緒になって、これからだとずっと思ってたのに、俺の元を離れた、許せない! 絶対許さない!

稲垣:うーん、うーん。ただね、私のようなこういうSAM前世療法ということをしているとね…。

S子:(泣きながら)お前でも無理、俺の気持ちなんか分からない。(泣き続けている)

稲垣:それは完全に貴方の気持ちをね理解することは誰も出来ませんよ。でも悲しみは伝わってきます。感じます。理解ということではなくてね。

S子:(泣きながら)悲しいというより悔しいんだ。

稲垣:悔しいのも分かるよ。

S子:(泣きながら)俺が認められないことが悔しいんだ。(泣き続けている)

稲垣:それはよく伝わっては来ます。完全には理解できないです、貴方の本当のね苦しみや悲しみはね。ただこういうことは私は自分のね体験からハッキリと言うことが出来ますよ。おそらく貴方を飛ばしている魂本体のね、この者の旦那の二倍近く生きていますから、だから男と女のことについては貴方よりも遥かに体験を積んでいると自信を持っています。その中で言えることはね、一旦 男と女の関係がねえ…。

S子:嫌だ…。

稲垣:嫌いということになった時。どちらかが。これはねえ、修復出来ませんよ。

S子:嫌だ…。

稲垣:一旦嫌いになった者をまた好きになるということは…。

S子:無理だ、俺は好きだ…。

稲垣:私の体験ではあり得ない。

S子:(泣きながら)俺は嫌いになれない。コイツが必要で、コイツに居てほしいから嫌なんだ…。

稲垣:でもねえ。

S子:(泣きながら)コイツが俺のことを嫌いでも、俺の傍に居てほしいんだ。

稲垣:でもねえ、S子さんは貴方のことが耐えられない。ハッキリ私に訴えていますからねえ。

S子:(泣きながら)嫌だ。

稲垣:嫌いなんでしょうね、貴方のことが。

S子:(泣きながら)嫌だあぁ…。

稲垣:嫌いというより貴方とは、人生を共にするだけのね、そういう深い気持ちが持てないという。

S子:(泣きながら)認めない!

稲垣:認めなくても、認めざるを得ませんよ。

S子:(泣きながら)嫌だぁ。

稲垣:それは本当に苦しいことです。私だってそういう失恋したことありますからね。

S子:(泣きながら)俺はコイツが本当に必要なんだ。行かないでほしい、帰ってきてくれ、お願いだ。(泣き続けている)

稲垣:悲しいですね。

S子:(泣きながら)嫌だ、絶対嫌だぁ。他の人なんかじゃ嫌だ、コイツじゃなきゃ嫌だあ。(泣き続けている)

稲垣:うん、でも、このS子さんは、他の男と深い付き合いは今はしていませんよ。

S子:(泣きながら)当たり前だ。俺のことが好きなはずなんだから。帰ってくるはずだ、帰って来てほしい、帰って来てくれ、もう嫌だよう、嫌だ嫌だ嫌だ、絶対嫌だ。(泣き続けている)

稲垣:うーん。

S子:(泣きながら)絶対嫌だ、嫌だ。(泣き続けている)

稲垣:絶対嫌ですか?

S子:(泣きながら)嫌だ! 認めないぃ!(泣き続けている)

稲垣:ふーん、認めないですかあ…。

S子:(泣いている)

稲垣:ただねえ、私は、このS子さんに頼まれてねえ…。

S子:(泣きながら)帰って来て、帰って来て…。

稲垣:貴方が生き霊としてねえ、この者に憑依してきてねえ、訳もなく涙を流す、これは貴方です。

S子:(泣きじゃくっている)

稲垣:生き霊である貴方のせいですね? この者が涙を流して止まらなくなるなんていうのはね。涙を流している主体はS子さんではなくて、生き霊である貴方が主体なんですよね? 貴方がS子さんの身体を借りて流しているんですよね?

S子:(泣きながら)コイツも悲しい、俺と離れて悲しいから泣いている。だからコイツが流しているんだ。(泣き続けている)

稲垣:見かけ上はこのS子さんが流しているんだけど、流させている主体は貴方ですよ。

S子:(泣きながら)違う…違う…。

稲垣:貴方でしょ?

S子:(泣きながら)違う。俺のことが好きだ。コイツは俺のことが未だ好きだ。
(注0:37:02経過)帰って来なきゃいけない。俺は待ってる、ずっと待ってる。行かないで、ヤダヤダ。嫌だよう。(泣き続けている)

稲垣:貴方の悲しみよく分かるしねえ…。

S子:(泣きながら)嫌だ!

稲垣:同情はしますよお。

S子:(泣きながら)同情なんかいいんだ、コイツを返してえ! 返して、返して、嫌だ!コイツと離れたくない、絶対嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ、何が何でも嫌だあ、それだけは嫌だあ!(泣き続けている)

稲垣:じゃあね、この者との結婚生活中にねえ、なぜ貴方は生活費を渡さないようなことをしたんですか? それが大きい原因みたいですよ。経済的な問題はねえ、結婚生活の一番根本ですから…。

S子:(泣きながら)俺は最初渡さなかったから、もう渡したくなかった…。

稲垣:貴方ねえ、生活費を渡さない、自分で使っておったんでしょ?

S子:(泣きながら)そうだあ。

稲垣:そりゃイカンわ、我儘ですよ。夫婦生活をやるからには、普通はですよ、私の場合は完全に…。

S子:(泣きながら)関係ない、普通は。

稲垣:はい?

S子:(泣きながら)俺は金も渡さないし、コイツも欲しい。嫌だ。

稲垣:(呆れ気味に)そりゃ我儘だな。そりゃ愛想尽かされますよ。だから結婚生活を実質この者S子さんが稼いだお金で夫婦生活を営んでた訳でしょ? で、貴方は自分で得たお金は独り占めして遣っておった。これって、逆の立場に立ったらどう考えますか?

S子:他の奴らもそうしてた。俺がそうしちゃいけない理由がどこにあるんだ?

稲垣:それはねえ、他の奴らっていうのは貴方の知ってる狭い範囲の男たちでしょ? 世の中全般はそんなこと認めませんよ。共にお金を出し合う。そして共同でそのお金をね、夫婦生活の営みのために…。

S子:結婚してやったのに当たり前だろ。

稲垣:残念ながらね、そういう考えだからS子さんは貴方から離れた。私に言わせるとそうだ。

S子:認めない。嫌だあ。帰ってこい。(泣いている)俺に必要なんだから帰ってくるのが道理だろう。

稲垣:そういうことが当然ということはあり得ません。男と女の間には本当に心が通じ合ってね…。

S子:通じてた、通じてた…。

稲垣:お互いに納得してね、はじめてね生活が共にできるわけですよ。

S子:アイツが。俺は悪くない。

稲垣:自分は悪くない悪くない言ってるだけで、貴方は変わることが無いんだから…。

S子:当たり前だ変わる必要がない。

稲垣:そういう変わらない貴方をね、要するに…。

S子:認めない。

稲垣:見切りを付けたというわけ。

S子:俺のことは全て受け容れろ。

稲垣:貴方はだから、言ってみれば見切りを付けられちゃったわけよ。

S子:嫌だぁ。

稲垣:嫌でも仕方ない。男と女の感情だけは何ともなりませんからね。第三者がどう言おうが何ともなりませんから。

S子:嫌だ。

稲垣:だからもう。ふ~ん、貴方は…。

S子:嫌だ。

稲垣:S子 さんのことは…。

S子:嫌だ。

稲垣:諦めなさい。

S子:嫌だ。

稲垣:見切りを付けなさい。

S子:嫌だ。

稲垣:そして貴方が言うように…。

S子:嫌だ。無理。嫌だ。

稲垣:言うなりになってくれる女性を見つけなさい。

S子:嫌だ。コイツじゃなきゃ嫌なんだ。

稲垣:そんなことは仕方がないことですよ。S子さんは嫌だと言ってるから。

S子:認めない。関係ない、俺が欲しいっつってんだから、俺のものになればいい。

稲垣:そんな理屈はとおりません。だったら何で簡単に判子を押したんですか?

S子:あの時は・・・。(注40:44経過) 

稲垣:離婚の判子なんか押しちゃダメでしょう。徹底的に粘って、説得して自分の基に戻るようにやるのが男じゃないですか?

S子:(少しボケ始めた様子。何か納得しつつある)一回離れたら、俺を失って困ると思うと思った。

稲垣:そりゃ困りませんよ。見切りを付けた女は強いですよ。見向きもしませんよ。貴方はそこが分かってないということだ。そりゃ貴方は男としてね、女性体験が未熟だからです。私はそれは貴方にハッキリ言えると思うよ。貴方の1.5倍以上の年齢をしてますから、私はそういうことはハッキリ断言出来ると思っている。

S子:どうしたらコイツは帰ってくる?

稲垣:フーーン、まあ、貴方が態度を改めることが第一だな。

S子:変わらない。

稲垣:それはダメですー。

S子:変えないでどうやったら帰ってくる?

稲垣:変えなかったら、帰ってはきませんね。

S子:俺は変わらない。

稲垣:そのうちね、それこそね、このS子さんが別の男を好きになって…。

S子:嫌だ。

稲垣:その別の男とね、結婚するようなことになるような気がしますよ。

S子:認めない。

稲垣:それは貴方が認める認めない関係ないです。だってもうS子さんとは法律上の離婚が成立…。

S子:コイツと一緒になりたいんだぁ。もう一回一緒にしてくれぇ。

稲垣:そりゃ、貴方が土下座して頼み込むことだな。

S子:出来ない。

稲垣:それが出来なければ、諦めなさい。

S子:・・・

稲垣:苦しみなさい。

S子:苦しみたくない。

稲垣:苦しむのもね、魂の成長として必要な負荷ですからね。

S子:苦しみたくない。苦しむのは嫌だ、苦しむのは嫌だ、苦しむのは嫌だ。嫌だ、どうにかしてくれ兎に角。

稲垣:どうにか出来ない訳じゃないんだけど、貴方が苦しい目に会うだけです。どうにかするというのはね、今、貴方は、このS子さんに憑依していますが、それを無理矢理剥がして、貴方を飛ばしている…。

S子:もう要らないコイツ。俺がそんな苦しむためにコイツが要るんだったら、苦しみたくないからもう要らない。兎に角、サッサとどうにかしてくれ。

稲垣:なら帰ってくれますか?

S子:帰る。

稲垣:間違いなく?

S子:帰りたい。もうコイツは俺のものにならないんだったら、もう要らない。

稲垣:それはね、ならないと思っていいと思うし…。

S子:じゃあ、要らない。

稲垣:私が約束しましょう。

S子:じゃあ、要らない。

稲垣:いいですか?

S子:うん。

稲垣:貴方、苦しかったんですからね…。

S子:苦しい。(注43:22経過)

稲垣:…でもその苦しみはね男としての成長に必ず役に立つはずですから、まだ貴方も若いわけだからまた別の魅力を備えた女性と出会う、そういう可能性は大いにあると思う。

S子:俺はコイツが良かった。

稲垣:それは分かるよ。憎しみに囚われてね別れるよりも、少々の未練を残して別れた方が私はいいと思ってる。

S子:なんでだ?

稲垣:なんでと言ったって、憎しみは何も生み出しませんよ。

S子:俺は憎い。

稲垣:でも貴方は憎んじゃったね。

S子:そうだ憎い、とても憎い。

稲垣:半分憎いし、半分は未練はあるし。

S子:とても大好きだった。

稲垣:大好きだったんですね、その気持ちはよく分かりますよ。愛憎紙一重とそういう言葉が昔からありますからねえ。

S子:大好きだった。

稲垣:愛することと憎しみとは紙一重の問題。

S子:でも苦しいんだ。

稲垣:だからそういう苦しみはこれからの貴方の人生にはきっと役に立つはずですよ。うん、でも一言言っておきますが、やっぱり貴方が、このS子さんに対するような、自分の言いなりになれ、とそういう態度を改めないとおそらくね、再び誰か良い女性と巡り会っても結婚生活は続きませんよ。余計なお世話かもしれませんけどね。

S子:コイツとはもう一生、もうコイツ以外と一緒になる気はない、だけどもう苦しむのはもう嫌だ。

稲垣:一気に忘れるなんとことは出来ないでしょうけどね、でも徐々に徐々にね忘れていくはずです。去る者日々に疎していうのはね、これは真理ですよ。だから連絡も今取り合ってないという話ですからね。でも貴方は苦しんで、今もこうして生き霊として飛んできてますからね、でも貴方は時間と共にね、S子さんを忘れていくでしょう。

S子:忘れない。忘れないけど、この気持ち忘れたい。

稲垣:この気持ちとは好きという気持ちですが?

S子:いや、好きなのは変わらない。ただ憎んだり、俺が気持ち悪いのは・・・。

稲垣:気持ち悪い思いするのが何だって?

S子:コイツが帰ってこないとか、悶々としている日々は嫌だから、それを止めたい。

稲垣:それを止めるということですね?

S子:止めたい。

稲垣:それはやっぱり一つのね愛情でしょうね。S子さんに対する愛情だと思いますよ。

S子:今でも帰って来てほしい。今でも帰って来てほしい。

稲垣:帰って来てほしいんでしょ。

S子:(泣きながら)帰って来てほしいけど、帰って来ないのも分かった。

稲垣:分かった。

S子:(泣きながら)分かったから辛い。もうこの気持ちを捨てたい。

稲垣:そういうね、何とも言えないジレンマというのは良く分かります、辛いですね。どうしましょうね? 貴方がそういう気持ちを少しでも和らぐようにね、貴方のために般若心経を読んであげようかなと思うんだけど、どう?

S子:そうしてほしい。

稲垣:般若心経が説いてる世界はね、色即是空 空即是色そういう…。

S子:(泣きながら)S子大好きだ!

稲垣:はい?

S子:(泣きながら)S子大好きだ、俺は忘れ切れない。お前と居た時のこと忘れきれない。(泣き続けている)

稲垣:そうですか。うーん。じゃあ兎に角、般若心経を読んであげましょう。

S子:(泣きながら)また会いたい。また会いたい。

稲垣:いや、会わない方がいいと思いますよ。

S子:いつかまた会いたい。

稲垣:会うとしたら今度はね、いい思い出としてね色んなことを語り合えるような…。

S子:(泣きながら)頑張るからぁ…。

稲垣:そういうふうなね、心境になった時…。

S子:(泣きながら)今生じゃなくていい、俺 頑張るからまた会ってもいいって思ってほしい。お願い、お願い、お願い…。

稲垣:何をお願いしてるんですか?

S子:(泣きながら)中間世で願って、また俺と一緒になるって、お願い、お願い…。(泣き続けている)

稲垣:それはね、私は約束は出来ませんが。

S子:(泣きながら)俺、それないと帰れないぃ。(泣き続けている)

稲垣:うん。S子さんはね、次の次の生まれ変わりでまた夫婦になる。っていうふうに霊界から言われたようですよ。貴方とだからまた…。

S子:(泣きながら)また会いたい。

稲垣:だからね、会えるはずですよ。(泣き続けている)

S子:(泣きながら)また会いたい。俺悪かったから、直すから。お願い、お願い、絶対、絶対、これきりなんて、それだけは嫌ぁ、会いたい。(泣き続けている)

稲垣:次の生まれ変わりでは夫婦になれないかもしれませんが、その次の生まれ変わりで、夫婦になるんだそうですよ。だからそれまで待ちなさい。ね、そして この現世では一旦 S子さんへの想いを断ち切って、そして貴方は独自のね、これからの人生を歩んでくださいね。そしてまた良い女性と巡り会うような気がします。
 
S子:(泣きながら)俺はずっとS子ことだけ考えてる。

稲垣:でもね、繰り返し言いますが、貴方がS子さんに対して…。

S子:(泣きながら)分かってる。一緒にならないのわかってる。

稲垣:そうそう。慎重に女性の気持ちを汲んでね、そして付き合っていかないとまた同じ繰り返しをしますよ。

S子:(泣きながら)お前だけ。

稲垣:そういうことが出来るようになれば、また必ず来世で会えるということなんでしょうね。現世でまだ残りの人生をそういう女性に対する思いやりのような、そういう心をねやっぱり学ぶのがね現世に生まれてきた貴方のね、使命というか課題と言ったらいいのかな。その課題を果たすことが出来れば必ず来世で…。

S子:(かなり大人しくなった様子)俺は果せない。

稲垣:また出会えるはずですよ。一緒にまた夫婦になるっていう話ですからね。だからこれで全て終わっちまった訳じゃないと思ってくださいね。じゃあ、穏やかに貴方を飛ばしている、魂本体の表層にいる「現世の者」のところに帰ってください。

S子:帰る。

稲垣:魂のね、表層にいる現世の者のところに戻ってくれますか?

S子:はい。

稲垣:魂表層の現世の者はね、貴方を飛ばしている分だけ欠けた状態になっていて魂表層の者として不完全な状態になっていますからね。

S子:(注50:32経過)だから、俺は帰る。

稲垣:だから魂表層の現世の者と一つになってください。戻ってね。

S子:分かった。

稲垣:分かりました? じゃあ貴方がそうやって穏やかに戻れるように般若心経を読みましょうね。まあ般若心経は何千年という間読まれ続けたお経でね、その中で一番大事な文言は、色即是空 空即是色です。貴方がS子さんのことを実在していると思っていることもね空なんだっていう教えです。すべては実体が無いのだという訳です。実体があるように見えるんだけども、実は実体など無いのだ、と。そういうね訳の分からんことを説いていますが、それは実際に霊界に上がると分かることなんだそうです。貴方はこの現世ではS子さんとは一旦もう縁を切りますけどね、その次の次の来世でまた出会って結婚する。そういうそういうことをね、どうやらS子さんが自分で言ってますからね、これは間違いないと思うよ。それでなんとか納得してくれるなら、もう貴方を飛ばしている魂の本体の現世の者のところに戻ってくださいね。いいですか?

S子:はい。

稲垣:じゃあ、こうしましょう。私が般若心経を貴方のために心を込めて読んであげます。それが終わったらね、もう戻る準備が出来たことになりますからね。手をパンパンと2回打ちます。それを合図に貴方を飛ばしている魂本体のね表層に居る現世の者の所へ戻って一つになってください。そうすると貴方を飛ばしている本人もねとても楽になるはずです。そしてS子さんも、生き霊のあなたが飛んでくると突然涙をこぼすようなそういうね、心が不安定になる苦しみから解放されると思っている。とりあえずね、お互いにね、良い状態が出来上がると思ってますからね。じゃあ般若心経を読みますよ。

(般若心経を読む)

願わくは、この功徳をもってこの生き霊を飛ばしている魂の本体と一つになれますよう。そして生き霊が戻って十全になった魂が、これから先、男として磨きをかけて幸せになれますように。
さあ準備出来ましたからね、じゃあ戻ってくれますね? 手を打ちますよ。

(手を2回打つ)

さあこれでいいでしょう。これで納得してね、生き霊は戻ってくれましたから、もうS子さんに飛んでくることはないでしょうね。もし強制的に生き霊払いという儀式をやるとね、一旦は離れるでしょうけど、また戻って来ますからね。戻って来ないように説得をしてね、そして戻ってもらうように今しておきました。

(生き霊との対話おわり)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このセッション後2ヶ月以上が経過していますが、「生き霊」ということばを聞くだけで、わけもなく涙が出る、同時に体調不良に陥ることが起こるといった症状がセッション後は治まったという報告をいただいています。
SAM前世療法は症状の改善が第一義ですから、このセッションはとりあえず成功したと判断してよいと思われます。

このことは、生き霊との対話による説得が、ひとまず功を奏したということであり、S子さんに憑依してきた生き霊の存在を認めてもよいように考えられます。
ただし、前夫が未練心を復活させて、また生き霊を飛ばしてくる可能性が完全に払拭されたと断言できるわけではありません。

憑依してきた生き霊の存在を疑うとすれば、S子さんが前夫の生き霊のふりをして、架空の生き霊(の人格) を演じたのではないか、という疑いでしょう。
しかし、催眠中の作為は否定されますから、催眠に入ったふりをして生き霊を演じたということになります。

ただし、S子さんが確実に知覚催眠の深度に到達していたことは、標準催眠尺度を用いて確認していますから、催眠に入ったふりをして生き霊を演じたという疑いは却下できます。

残るは、催眠中の潜在意識下で無意識的に生き霊を演じたという疑いでしょう。
その可能性のあることを100%否定できません。

催眠学的に考察すれば、催眠中の「要求特性」によって、つまり、セラピストの生き霊を呼び出そうとする行為に、クライアントが無意識的に応えようとして、架空の生き霊を作り出し、演じたのだ、という解釈が成り立たないわけではないということです。

しかし、S子さんに顕現化(憑依)してきた前夫の生き霊の、怒りや悲哀の形相とその語り口や落涙などの様子は、S子さんではない別人格が主体ではないかと思われるような(人格変換が起きているかのような)迫真性があり、そのような演技はとてもできるものではないだろうという真実性を実感させました。
このことは、 実際の音声記録を試聴すれば、大方の人が実感できるはずです。

ちなみに、90分にわたる事前面接で、S子さんに「統合失調症」、「境界性人格障害」、「演技性人格障害」などを疑わせるような精神疾患の兆候は観察できませんでした。
また、彼女の報告を検討するかぎりでは、妄想癖や思い込みの激しさをうかがわせるような性向もありませんでした。
また、特定の新興宗教の信者ではないことも、確認できました。
ただし、未浄化霊や生き霊などの霊的存在は信じているということでした。

さて、すでに離婚が成立しているS子さんが、愛想を尽かして別れた夫の生き霊を演じることに、なんらかの利得があるとはまず考えられません。
もし、利得があるとすれば、無意識的に生き霊の顕現化を演じ、それが説得によって祓われたというストーリーを作りあげることによって、自分に起きている霊障を取り除けると思ったのではないかという、うがった見方が考えられるかもしれません。
しかし、なぜそのような迂遠な方法をとらねばならないのか、説得力がありません。

覚醒後に、憑依中の記憶があったS子さんは、生き霊の言っていることを聞いていて離婚してよかったとますます強く思った、別れた夫に対する同情や未練は一切ない、と断言しています。
そのように、前夫への同情も未練も皆無のところで、S子さんが前夫の生き霊を演じなければならない必然性があるとはまず考えられないと思います。

こうした彼女の種々の諸事情を考慮すれば、この対話セッションは、前夫の未練や怨恨などの強烈な思念の集合体が人格化し、生き霊として憑依してきた顕現化現象なのだ、とありのままに、現象学的にとらえることが妥当ではないかと思われます。

私あて第9霊信は、次のように告げています。

「そして、あなたが最も理解すべきなのは『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。祓うことは、追いやることや強制的に引き離すことを意味する。離れた
としても一時的なものでしかない。応急処置のようなものでしかない。霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そして、その本質は『愛』なのだ」

 私はこの霊信の忠告を誠実に守ろうと、「理解」と「愛情」を理念として、今回の生き霊との対話に臨んだつもりです。
私の生き霊への向き合う姿勢、発したことばから、それら理念を実現しようとする努力の一端を感じ取っていただけたとしたらうれしく思います。

なお、同様の理念をもって、女性の生き霊との対話を試みた事例を、本ブログ「SAM催眠学序説その82」の3で掲載していますのでご覧ください。

SAM催眠学の仮説による魂状態への誘導と、そこで展開できる対話による「生き霊祓い」の可能性を、機会があれば、さらに実践を累積し、探究したいと思います。

付言すれば、こうした対話による生き霊祓いは、半端な決着は許されませんから、事後にやってくる相当な体力の消耗と精神的な疲労を覚悟しない限り、迂闊に引き受けるべきではないと思われます。

また、「統合失調症」、「演技性人格障害」、憑依妄想などの疑いがある場合は、そうした精神疾患を顕在化し、悪化させる事故を引き起こすことになりかねません。
したがって、事前の慎重な面接で、それら精神疾患の疑いの兆候を見逃すことは許されません。

生き霊祓いのセッションは、セラピスト生命を賭けて取り組むほどの覚悟をもって、おこなうことが求められていると思います。

読者のみなさんの忌憚のないコメントをどうぞお寄せください。
なお、投稿されるに当たっては、「コメント投稿の留意点」を参考にしてください。

2018年6月15日金曜日

SAM催眠学序説 その114

       私の考え方の立ち位置

   

  私は「実証的スピリチュアリスト」であり「プラグマティスト」


私のこのブログ記事は、科学と宗教の両領域のボーダーに位置するでしょう。
私が特定の諸宗教とは無縁の、催眠臨床の実践者、生まれ変わりの実証的探究者であることを明確にするために、現在の私の考え方の立ち位置を明確にしておきたいと思います。

私の立ち位置は、宗教的観点からあえて言えば「実証的スピリチュアリスト」と言えるようです。
しかし、この立ち位置は、「確信的スピリチュアリスト」の人からすれば、何だ!?という批判を受けそうです。
 

真性の「確信的スピリチュアリスト」とは、科学的実証はできないであろう信憑性の高い諸霊信(『シルバーバーチの霊言』、『モーゼスの霊訓』、カルディックの『霊の書』など)の高級霊の告げている内容を「確信している人」のことを指して呼ぶわけですから。
 

歴史的に「近代スピリチュアリズム」とは、①地上の人間と霊界の高級霊との交信を認める、②そうした霊の存在と霊界の存在を認める、③ 霊魂と生まれ変わりの存在を認める、③ひいてはすべてを統べる全知全能の神の存在を認める、ことを内容としています。
この内容を「霊的真理」であると確信し、霊的真理を人生の指針として、よりよく生きようとする人こそ、「確信的スピリチュアリスト」と呼びます。

心霊写真、占い、霊的予言、リーディングなど霊的現象に強い興味関心を抱き、それを信じる人や、あるいは霊能があると自称し、予言したりや霊障を見ることが出来るという人たちを、スピリチュアルな人という意味で、ひとくくりにスピリチュアリストと呼ぶことは正しくありません。
オカルティストと呼ぶべきでしょう。
スピリチュアリストとオカルティストは、似て非なるものです。

私が「実証的スピリチュアリスト」だと言うのは、私あて霊信内容を私の実践しているSAM前世療法よって確認(実証)できた意識現象の事実に限定してそれを認めるという表明をしているので、その立場を強いて呼ぶなら「実証的スピリチュアリスト」と位置づけてよいだろうというだけのことです。
 

私が自覚し納得しているのは、自分は哲学的観点からは「プラグマティスト」であるということです。
プラグマティストとはいかなる立場・態度をとる人間であるのか、以下に説明します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本語で「道具主義」と訳されるプラグマティズムが、卑近な実用と功利を重んじる安手の常識哲学だと考えることは正しい理解ではありません。
プラグマティズムを基盤とする「プラグマティスト」は次のような「生活態度」を反省的に身につけようとします。
そもそもプラグマとはギリシア語で「行為」を意味します。
 

①仏教、儒教、キリスト教、諸新興宗教、あるい政府・官僚などの言説に代表されるような美しい荘重な文言を、聞いたり口にしたりすれば、それで万事理解したように思う「言語主義(バーバリズム)」を捨てて、文言や文章の意味する内容からどういう実際的帰結が生ずるかを絶えず見届けようとする「実際主義」を身につけようとする。
 

 プラグマティストである米国哲学者パースの有名な「プラグマティズム格言」が、上記①のことを的確に言い得ています。
それは、「How to make our ideas clear(私たちの観念を明晰にする方法)」と題された内容で、「プラグマティズム格言」とは次のように述べられていることです。


「その概念の対象が、どんな具体的影響を私たち人間の行動に対して持ち得るかを考えてみよ。そういうふうにして考えつかれ、想像される影響の総体が、もとの概念の意味の全部である。その具体的影響を考えつかないとすれば、そういう概念は、もともと空虚で意味がないのである」


この「プラグマティズム格言」こそ、「実際主義」を的確に言い得ています。
対極の「言語主義(バーバリズム)」とは、実質的、具体的内容のない空虚な文言を、あたかも実質的内容があるよう思い込んで、ありがたがる思考態度です。


②生活体験を十分にくぐらない観念や信念だけでものごとを解決しようとする態度を捨て、事実の蓄積とそこに見出された法則に裏付けられた観念や思考を形成し、またこの真偽を行動・体験によって絶えず検証する態度を身につけようとする。 

このブログの「コメント投稿の留意点」に掲げている、「観念より事実、理屈より実証」のスローガンはこの②の態度の表明です。

③自分の正当な利害や幸福を追求することをうしろめたい悪いことのように感ずる卑屈感を捨て、自己を正当に主張するよい意味の個人主義的な自主的態度を身につけようとする。
こうした態度があってこそ、他人の人格や権利を正当に尊重し、他人と民主的に交わることができるようになると考える。
またこうした考えにもとづいて行動しようとする。
 

④こうしたプラグマティズムは、一つ間違うと功利主義、実利主義へとかたより、個人の直接体験を偏重する主観主義に傾き、また悪い意味での自然主義におもむいて、安易なオプティミズム(楽観主義)に走りやすくなる。
そうならならないよう絶えず「反省的思考」によって、バランスある言動・思考態度をとろうとする。
 

私の言う「反省的思考」とは、たとえば「ラタラジューの事例」における「生まれ変わり仮説」の真偽の検証において

①自分に都合のよい事象のみを「選択的に抽出」してはいないか?

②そうした「選択的に抽出」した事象を「拡大視」し、不都合な事象を「縮小視」し、あるいは無視してはいないか?

③「選択的な抽出」によって「拡大視」したごくわずかな都合のよい事象を短絡的に「極端に一般化」した結論へと導いていないか?

④「極端に一般化」した結論をもって、手前勝手な「恣意的推論」を展開していないか?
 
つまり、以上の4点を絶えず点検し、独りよがりの「認知の誤り」に陥ることへの警戒を怠らない思考態度を「反省的思考」と言います。


こうして、プラグマティズムは、専門的哲学の体系というよりは、よりよい充実した納得できる人生を送るための「生活態度」のとり方だと言えると思います。
 

 プラグマティズムの真理観は、「説明の成功」ですから、私のこれまで述べてきたブログ上の言説も、現時点でとりあえず説明が成功している「とりあえずの真理」だと理解していただきたいと思います。

したがって、たとえば「タエの事例」や「ラタラジューの事例」、とりわけ、学んだはずのないネパール語による「応答型真性異言」という現象について、今後「生まれ変わり仮説」よりも、簡潔で明確な整合性のある別の仮説によって「説明の成功」がなされれば、そちらを受け入れることに躊躇することはありません。

さて、プラグマティズムの系譜に連なる教育哲学者J・デューイは、「哲学とは生活態度である」、と述べ、次のように定義しています。
 

「哲学とは全体的、普遍的、究極的な生活態度である。世界の素材と取り組んで、統一ある、一貫した完全な人生を自覚的に努力するとき、人は哲学する(philosophize)。人は、哲学することによって、生活の進め方を規定する知恵を得ようとする」
 

その「哲学する(philosophize)生活態度」とは次の3つの態度に集約されます。
 

1 態度の「全体性」・・・起こってくるさまざまな事象に対する反応のしかたの一貫性を保とうとする態度。
 

2 態度の「普遍性」・・・個々の事象をバラバラに受け取らず、それぞれの事象をそれに意味を与える広い文脈の中に位置づけようとする態度。
 

3 態度の「究極性」・・・すべての事象や対象の裏面にまで進んでいって、それらの連関を発見しようと絶えず努める態度。  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私がプラグマティストであるがゆえに、
生活体験による実証を十分にくぐらない観念である諸霊信を受け入れる「確信的スピリチュアリスト」になりきれず、実証的態度を手放さないでいる意味において、「実証的スピリチュアリスト」にとどまっていることがお分かりいただけると思います。
そして、この科学的実証を大切にする立場は、SAM前世療法の臨床によってあらわれた「タエの事例」や「ラタラジューの事例」をはじめとする前世人格の顕現化、未浄化霊の顕現化、生き霊の顕現化など「霊的な諸意識現象の事実」への検証と考察によって形成されてきたものです。

その結果として、

●その「霊的意識現象の事実」が、著しく臨床的直観に反することはなく、
●そうした「霊的意識現象の事実」を認めることが、不合理な結論に帰着することはなく、
●そうした「霊的意識現象の事実」が、検証の結果、これまで知られている脳の特性(心・脳の一元論)から考えるとどうしても説明できない特異的な意識現象(超常現象)として存在していること、を認めざるをえない。

という立場が形成されてきたわけです。  
こうした、生まれ変わりや霊魂の存在に関わる、「いかなる霊的意識現象も先験的に否定せず、いかなる霊的意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度が「実証的スピチュアリスト」であり、プラグマティストである、と私が自称することの理由になっています。


付言すれば、私の考え方の立ち位置に決定的な影響を与えてくださったのは教育哲学者であり、上越教育大学院教授杵淵俊夫教育学博士でした。
35歳のとき、現職教員の身分で2年間の大学院研修を許され、上越教育大学院修士課程の勉学の中で、指導担当教授杵淵先生との出会いと薫陶がなければ、今の私の考え方の基盤は形成されなかったことは確かです。
杵淵先生の口癖であった「あなたのその考え方は、ほんとうにそうですか ?」という認知の誤りを点検する問いが、そのまま今の私の中に生き続けています。


その結果、教育現場にもどってからの私は、それまで当然のように了解してきた、文科省や県教委の教育方針や言説に否応なしに違和感を抱くことが多くなり、教員としての人生が随分生きづらく感じるようになってしまったと思います。
あるいは、最近では、現在の政治状況(不十分な審議のままの自民党の強行採決、嘘で固めて逃げ切ろうとするモリカケ問題など)に対する不信感と怒りから、十二指腸潰瘍になって治療を受ける羽目になっています。

私の考え方の立ち位置は、人生を生きづらくする「毒」があるのかもしれません(笑)。
しかし、「適度な毒」が、すぐれた薬効のある「良薬」に転化するように、適度に刺激があり、納得の得られる生き方を送るための指針としてはたらいていることも、確かな事実です。

2018年5月21日月曜日

SAM催眠学序説 その113

私の死に対する原体験と生まれ変わり研究


芥川賞作家で臨済宗妙心寺派福聚寺の玄侑宗久住職は、自分の死に対する原体験を次のように語っています。

「小学校2年生のとき、『自分が死ぬこと』ばかりを思って、毎晩のように泣いていました。たとえ死んでも、人の意識はしばらく肉体に留まっていると考えていたからです。その状態で火葬されれば、棺が炎に包まれて、棺の中にいる私に刻々と迫ってくる。あるいは、土葬で埋められた私の体中に蛆が湧きはじめる。それを思うと恐ろしくてどうしようもなかったんです」

私の死に対する原体験は、体験年齢は玄侑宗久住職より遅いのですが、死への強烈な恐怖体験は、氏とほぼ同様の内容でした。
は小学6年の晩秋、母方の祖父が、火葬場の焼却炉の火炎に包まれて、刻々と骨と灰になっていく様相を覗き窓から目の当たりにしたのです。

昭和30年代当時の火葬の焼却炉は、かなり原始的な仕組みで、火葬場職員が小さな覗き窓から遺体の焼け具合を見るようになっており、私は職員が席を外したときをねらって、覗き窓からこっそり覗いてしまったというわけです。
重油バーナーから吹き出される猛烈な火炎の中で、肉が焼け、肋骨や頭蓋骨が露出していく恐怖の光景から目を離そうとしても離せないで、おそらく十数分間は釘付けになっていたと思います。

私も、いつか、必ず、遺体は焼かれ、骨と灰になる、という逃れられない事実を目の当たりに突きつけられ、この恐怖体験はぬぐいがたいトラウマとなって、この12歳の冬中、眠って目覚めなければ死ぬ、という深刻な恐怖に苛まれ不眠症に陥りました。

夜明けの四時、五時のボンボンという架け時計の時刻を打つ音を聞き、うとうとして六時にはもう目が覚めてしまうという生活が3ヶ月続き、体重は10キロ近く減りました。

今度は眠らないと死んでしまう、という恐怖にとりつかれ、眠ろうとすればするほど目がさえて眠れないという悪循環に悩まされました。

さすがに母親は、私の痩せ具合と顔色のすぐれないことを心配して、医者のところへ連れていかれました。
これを飲めば必ず眠れる、という猛烈に苦い水薬を処方され、中学生となって部活動の適度な疲労とあいまって、やっと不眠症から解放されました。

不眠症から解放されたとはいえ、死への圧倒的恐怖は、私の心の底に潜むマグマのようなトラウマとなって深く刻印され、その後の人生で、24歳で突然死した妹、40代で癌死した親友、などに直面するたび、死への恐怖が噴出し、しばらくしては沈静していくことを繰り返すことになっていきました。

私は、理屈より実証、観念より事実へと向かう心性がきわめて強く、死後の世界や生まれ変わりを説くだけで、実証のともなわない宗教的言説に与することは、どうしてもできない人間です。
したがって、信仰に救いを求めることは、しないし、できませんでした。

そうした中で、50歳半ばにして「タエの事例」に遭遇しました。
もし、この事例の検証によって、生まれ変わりが「科学的事実」であることをこの手で証明でき、納得できれば、つまり、死後存続する魂と呼ばれる意識体がある、ということになれば、死後も「私」は、無に帰するのでなく、何らかの形で存在し続けるならば、死への恐怖は随分緩和されるはずだと思ったのです。

こうして、「タエの事例」への偏執的とも言える検証へ取り組むことになっていきました。
その執拗な検証は、本ブログの2012年11月9日付「タエの語りの謎に迫る」で報告したとおりです。
こうした、きわめて執拗な検証態度の原動力は、生まれ変わりの科学的実証によって、私自身の死の恐怖を緩和したい、救われたいという切実な求めこそが第一義でした。
 「ラタラジューの事例」の検証動機もまったく同様です。

その後、「SAM前世療法」の実践は以下のような、憑依現象とも遭遇していくことになりました。

霊媒体質を持つ52歳男性クライアントの功徳を積むということで、SAM前世療法で魂状態の自覚に至ったところで次のような暗示をして、未浄化霊の憑依を許可し、浄霊しました。
「この部屋(研究室)の光に引き寄せられて、癒しを求めている未浄化霊には、この者に憑依することを許可します。3つ数えたら憑依をしてよろしい」 
3つ数えた後、憑依状態を確認しました。

「あなたの身元を尋ねます。あなたは男性ですか、女性ですか、名前と年齢を教えてください」

「ナカガワチエコ18歳です」 このあとすすり泣きを始めました。

「あなたはどのような状況にいるのですか」

「空襲で周りは火事になっています。私は防空頭巾を被って逃げています。爆弾が落ちてきて・・・・学徒動員で工場で働いていて・・・・その後はわかりません」
 すすり泣きが激しくなりました。

「あなたの生活している町はどこでしょう?」

「名古屋です」

「あなたは空襲の爆弾が落ちてきた後、命をなくしているのですよ。それが分かっていませんか?」

「分かりません。家族がどうなってしまったか心配でたまりません」

「あなたは死んでいるのに、それに気づかず、苦しいのでこの者に憑依をしているのです。あなたはもう肉体がないのです。だから、行くべき光の世界へいきなさい。そこへ連れていってくださる方が現れますから、その方に導かれて光りの世界、霊界へと上がるのですよ」

クライアント男性は「苦しい、熱い」と言い出してもがき始めるので、

「あなたが憑依しているこの者の肉体を通してあなたをヒーリングをします。苦しみが癒されますよ。そのあとで、浄霊の儀式をしてあなたを必ず送ってあげますからね」

こうして、未浄化霊が穏やかに落ち着くのを待って、浄霊をおこないました。

覚醒後に、体験した意識現象の感想は次のようでした。
里沙さんとは違い、このクライアントは憑依中の記憶があり、それを次のようにモニターできたようです。


①白いブラウスにモンペのようなものを履いた防空頭巾の若い娘の姿が見えた。
②アツタという言葉と昭和20年5月14日という日付が脳裏に浮かんだ。

そこで、「名古屋大空襲」で検索したところ、昭和20年5月14日にB29爆撃機530機、投下爆弾2,515トン、罹災者66,585名、死者319名という記録が確認できました。
「アツタ」という言葉は、名古屋市「熱田区」を指すのでしょうが、5月14日の空襲では熱田区は被害区域には入っていませんでした。
 この日の空襲は、名古屋市北部に存在した軍需工場に集中されたらしく、そうした軍需工場で働くナカガワチエコはそこで罹災したものと思われます。
そして、彼女の実家が熱田区であろうと推測できます。

このクライアントの生地・現住所ともに関西です。
名古屋や中京圏に在住したことはなく、名古屋の土地勘はまったくありません。
熱田神宮は知っているということでしたが、「熱田区」のあることは知らないし、昭和20年5月14日の名古屋大空襲についてはまったく知らないということでした。
こうした検証から、この未浄化霊とおぼしき「ナカガワ・チエコ」18歳の実在した信憑性はかなり高いと思われました。
5月14日の319名の死者名簿が現存していれば、検証してみたいものです。

こうしたSAM前世療法の「魂の自覚状態」における未浄化霊の意図的被憑依現象は、クライアントに霊媒体質があれば、意識現象の事実として、顕現化が可能であるようです。
これまでにも、未浄化霊や守護的存在の意図的被憑依現象は数十例を数えます。

余談になりますが、太平洋戦争における米軍の非戦闘員への無差別空襲は明らかに国際法違反です。
ましてや広島・長崎の原爆投下は言語道断の非人道的犯罪行為です。
しかも、これら戦争犯罪に対する公式謝罪は今もなされていません。
ナカガワチエコの無念さ、戦後60余年もさまよっている哀れさに胸が痛みました。


生まれ変わりを認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反証する以外に方法はありません。
生まれ変わりを裏付ける証拠のように重大な問題の場合、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと言われるのであれば、イアン・スティーヴンソンに倣(なら)って、この問題が重要であるからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については科学として検討をするべきだ、と答えたいと思います。
細部が不正確・不明であるという欠点よりは、重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えているからです。
そして、こうした探究が決して無駄であるとは思われません。

私の現在の見解は、人間の生まれ変わりを裏付ける証拠は、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが妥当ではないかと考えられる証拠が、これまでの海外の諸研究によって十分に累積されていると思っています。
しかしながら、これらの諸証拠は現段階ではまだ完璧なものではないので、誰もが完全に納得出来るだけの説得力を持っていないことも、認めざるをえません。
生まれ変わりを認めたい人には十分な証拠、しかし、認めたくない人には、まだまだ疑う余地の残されている証拠、のレベルでしか生まれ変わりの科学的事実は開示されていないのです。

「タエの事例」、「ラタラジュー事例」の二つの事例をはじめ、未浄化霊「ナカガワ・チエコの事例」など、こうした生まれ変わりの諸証拠の存在を知った人は、その証拠を材料として、必ずやってくる死に正対して、生まれ変わりと魂と呼ばれる意識体は、あるのか、ないのか、自分の立場を明確にせざるをえないと思います。

本ブログ記事がそうした材料の一助になったとすれば、本ブログの目的は十分果たされたものと思います。 

2018年4月17日火曜日

SAM催眠学序説 その112

タエは里沙さんの魂表層から顕現化した前世の人格である


2005年3月・6月に、里沙さんを被験者にワイス式でおこなった2回の前世療法で、私は「タエの事例」に出会いました。
ただし、この時点では「SAM前世療法」は開発していません。

このワイス式でおこなった前世療法によるタエの語りは、里沙さんの前世記憶の想起として語られたというより、タエという前世人格が顕現化し、里沙さんとは別人格のタエ自身が語っていると解釈することが妥当ではないか、という強い印象を受けました。

この印象の妥当性を検討するきわめて貴重な資料が、セッション後に里沙さんが記してくれたセッション中の意識状態を内観(内省)した体験記録です。

この体験記録をお願いするにあたって、私は、催眠中に起こった意識内容を出来る限り詳しく思い出して書くように注文を出しました。
初めて出会ったきわめてまれな事例であったので、後の事例研究のために是非とも残しておきたかったからです。

下記に転載したのは体験紀録の抜粋です。(『前世療法の探究』春秋社,2006,PP.221-222)
なお、1回目のセッションは2005年3月におこない、2回目のセッションは2005年6月におこなっています。
このうち、2回目セッションの録画が2006年10月のフジTV「奇跡体験アンビリバボー」に25分間取り上げられて紹介されています
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【転載はじめ】
1回目のセッションでは、稲垣先生の誘導により、暗闇のトンネルを進み、前世の世界の扉を開けることから始まりました。
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。

扉を開けると、まばゆい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。


私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。
水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
(中略)
二回目のセッションでの私の望みは、できることなら痛みに耐えて、生きてゆく意味を、自分なりに見つけたいということでした。

このセッションは、70分という時間がかかったことを後で聞かされましたが、私には、せいぜい30分程度の感覚でした。
後でビデオを見せてもらいましたが、「偉大な存在者」の記憶は全くなく、そのあたりで時間のズレができたのではないかと思います。
ただし、タエと、ネパール人と、中間世の魂となっている部分の記憶は、催眠から覚醒しても、ハッキリ覚えていました。

次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。

前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。


稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。
それは本当に不思議なことでした。

【転載おわり】
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さて、検討したい個所は次の記述です。
扉を開けると、まばゆい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光のかたまりではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。


「まばゆい光の世界」にあって「姿も形もなく」、「男女の性別もわからない」、「小さな光の塊であるような」自分である自覚が認められ、一瞬にしてすべてのものが、私の中に流れ込んできた、そして自分がタエという名の16歳の少女であり、そのときの状況も把握できた、と里沙さんは言います。

さらに、タエそのものとして、泥流によって溺死した体験をした、と記述しています。
2回目のセッションでは、あっという間にタエになっており、それは「自分のなかにタエが入り込んでくるという感覚」であったと記述しています。

また、そのようなタエが話すときは、「勝手に口が動いて話が出てしまう状態」だったと言います。
そして、「姿も形もなく、男女の性別もわからない、小さな光のかたまりであるような自分である自覚」とは、まさしく「魂状態の自覚」だと考えられるでしょう。


このような意識状態になったという記述をありのままに受け入れるとしたら、どのように説明がつくのでしょうか。
里沙さんが、このセッションで「記憶催眠」レベルの催眠深度に達していたことは、標準催眠尺度によって確認しています。

そのような深い催眠状態に至って、里沙さんは自動的に「魂状態」になり、その「魂状態」になったそのときに、魂表層に存在しているタエという前世の別人格が、一瞬にして顕現化した、と考えることがもっとも妥当な解釈ではないでしょうか。

里沙さんとタエとは別人格であるので、タエの人格が話すときには、里沙さんの発声器官を借りて、タエ自身が話すことになる、話す主体は里沙さんではなくタエであり、里沙さんの意志がはたらく余地がありません。
したがって、「勝手に口が動いて話が出てしまう」という自覚を持たざるをえなくなってしまうのでしょう。

ただし、現行の催眠学的解釈をすれば、こうしたタエという人格が顕現化したようにみえる意識現象は、里沙さんが無意識的に起こした「役割演技」だとみなすことが可能です。
実際に「記憶催眠」レベルは、「人格催眠」レベルとも名付けられており、このレベルの催眠深度に至れば、人格変換、つまり、役割演技を引き起こせることが分かっているのです。

しかし、役割演技として顕現化したタエという架空の人格が、里沙さん自身はまったく入手していない、天明3年7月日7日夜の浅間山大噴火とそれに伴う「浅間焼泥押し」と呼ばれる大泥流被害などの正確な情報を話せるはずがありません。

タエの語りの内容の史実との一致率は80%を上回っています。
残り20%弱の語りは、検証不可能であり、結局、タエの語りについての明確な誤りは一つもなかったのです。

そして、2009年に実施した2時間以上にわたるポリグラフ検査によって、タエの語り内容の情報を、里沙さんが事前に入手していていた可能性は完全に否定できるという鑑定結果が出ています。
つまり、タエは、里沙さん自身のまったく知らない天明3年浅間山大噴火と浅間焼泥押しにまつわる諸情報を語ったということが検証できたのです。

この検証結果は、「超ESP仮説」を考慮しないとすれば、里沙さんがタエの生まれかわりであることの証明、ひいては「魂」と呼ばれる死後存続する意識体の実在している間接的証明ができたことを意味していると考えることができます。

そして、「タエの事例」から4年後、2009年5月に、SAM前世療法によって「超ESP仮説」を打破する応答型真性異言「ラタラジューの事例」があらわれました。

ここに至って、私は、すくなくとも里沙さんにおいては、生まれ変わりは「科学的事実である」と宣言して支障はないと判断しています。

そして「SAM前世療法」という手続きを踏めば、90%程度の成功率(直近100事例における成功率)で、被験者は「魂状態の自覚」に至り、前世人格が顕現化することが可能であることが確認されています。

こうした事実から、顕現化した前世人格の検証ができなくとも、生まれかわりは多くの人に起こっている蓋然性が高いのではないかと思っています。

2018年3月14日水曜日

SAM催眠学序説 その111

前世人格の所在はどこなのか


2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化」したものだとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

これが「タエの事例」以後、4年以上にわたって私を悩ませることになった大きな謎でした。

この謎について言及した先行研究は、イアン・スティーヴンソンに求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989からの抜粋です。

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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出するこ とのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。

前掲書PP.359-360
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イアン・スティーヴンソンの言う「中間的媒体」、あるいは「心搬体(サイコフォア)」は、いわゆる「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的定義を明確にしたのだと思われます。
ただし、私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。
さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持する見解だと言えそうです。

ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・ 進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学における作業仮説です。
つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、その後の、SAM前世療法のセッションで顕現化した前世人 格の語りから確かめています。

さらに、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、そのままSAM催眠学が主張する見解と同様です。

「現世の私」という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM前世療法セッションで示される生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、それとも記憶ではなく前世の人格の顕現化であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについてはなにも解答を与えてくれませんでした。

私が求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、私の守護霊団を名乗る霊的存在でした。