2020年6月8日月曜日

未浄化霊の憑依現象についての考察

    SAM催眠学序説 その132



前ブログ130・131で、生き霊と未浄化霊の憑依についてその顕現化現象を述べてきました。


SAM催眠学では、SAM前世療法セッションであらわれる意識現象の事実として、霊的存在を認める立場を明確に表明しています。

そもそも、わたし宛て霊信の告げた内容が、SAM催眠学の諸仮説の根本基盤ですから、その霊信を送信してきた「通信霊」という霊的存在を認めることが仮説の前提となっています。

SAM催眠学では、「霊とは、肉体を持たない死後存続する意識体」、「魂とは、肉体という器に宿った霊を呼び変えたもの」という「霊」と「魂」の概念の明確な区別をしています。
こうして「霊」も「魂」も、本質はまったく同じ意識体です。

したがって、魂は肉体という器を無くした時には霊にもどるわけで、香典袋の表書きに「御霊前」と書くことは理に適っています。

さて、わたし宛て第12霊信(SAM催眠学序説その59で公開) で、わたしの守護霊団の一員を名乗る霊は「未浄化霊」について次のように告げています。(注:「未成仏霊」と「未浄化霊」は同義語)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この世に残る「未成仏霊」のような存在は、残留思念の集合体である。 

だが、それらは意志を持つようにとらえられる。 

よって、魂と判断されがちだがそれらは魂とは異なるものである。

それらの持つ意志は意志ではない。

なぜ、それらが意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。

それを残すのは、その魂ではない。

それらを管理するのは神である。

それらは計画の一部である。

転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。

その詳細への説明は与えるものではない。

あなた方は、なぜそのような仕組みになっているのか答えを待つのではなく、自らが探究して得るべきなのだ。                                                  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「未浄化霊」とは、いわゆる魂(霊)ではなく、「残留思念の集合体」である、というとらえ方は初耳でしたし、このことについてはしばらくの間、探究することを怠ってきました。
ぜなら、SAM前世療法のセッションでたまたま顕現化する未浄化霊は、1個の人格を持つ意識体として人間的対話が可能だからです。
「残留思念の集合体」というとらえ方のほうが不自然だと思われたからです。

その一つの例示として、SAM催眠学前世療法の最終過程「魂遡行催眠」のセッション中に顕現化した未浄化霊との対話事例を提示してみます。


クライアントは30代の女性であり、「魂遡行催眠」の過程で、憑依していたとおぼしき未浄化霊が顕現化し、唐突に「セノーテ、セノーテ」と話しはじめました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
: セノーテってなんですか? 

: 泉、泉。

: セノーテとはどこの言葉ですか。

: マヤ、マヤ。

: あなたはマヤの時代の人なんですね。それで、あなたは迷っている霊ですね。

: うん。そう、そう。

: マヤは日本から遠く離れています。あなたは、苦しくて、それを分かってほしいから、この者に憑依したのですか? そのために、マヤから日本までやってきたのですか?

: ちがう。この人が来た。

: この者が、あなたのいたマヤのセノーテにやってきた。それであなたが憑依して、そのまま日本に来てしまった、そういうことですか。

: うん。そう、そう。

: あなたは何歳で命を落としたの? 命を落とした場所がセノーテなの?

: 3歳の女の子。セノーテへお母さんが投げ込んだので死んでしまったの。

: お母さんがあなたを殺したわけですね。なぜそんな惨いことをお母さんがしたの?

: 神様への生け贄だって。

注: ここでまたクライアントは激しくイヤイヤをしながら、激しく泣き出しました。それがすすり泣きに変わるまで待って、対話を続けました。 

: そうやって生け贄にされて殺されたから迷っているのですね。でもね、この者にくっついていても、あなたはいくべき世界にいつまでたってもいけませんよ。あなたのいくべきところは光の世界です。そこへいけば、お母さんと会えますよ。あなたを守っておいでになる神様とも会えますよ。

: いやだ。光の世界はいやだ。お母さんは大嫌い、私をセノーテに投げ込んだ。会いたくなんかない。神様はもっと嫌い。私を生け贄にした。

:  お母さんがね、喜んであなたを生け贄にするはずがないでしょう。ほんとうは悲しくてたまらなかったのに、マヤの掟で泣く泣くあなたを生け贄にしたのですよ。そうして、幼子のあなたを生け贄に求めたというマヤの神様はまやかしです。そんなことを求める神様なんているはずがありません。悲しいことですが、マ ヤの時代の迷信です。

: でも、お母さんは、神様の求めで私をセノーテに投げこんだ。お母さんには絶対会いたくない。いやだ、いやだ。お母さんのいるところへなんか行きたくない。この人のところがいい。

:  じゃあね。私の言っていることがほんとうかどうか、ためしてみませんか。きっと、あなたが来るのを待っているお母さんが心配をして、お迎えに来てくれるはずですよ。お母さんがやさしく迎えに来ないことが分かったら、光の世界に行かなくていいのです。ためしてみましょうか。いいです ね。浄霊っていう儀式 をしましょう。きっとお母さんがお迎えにきてくれますよ。

: でも、いやだ。お母さんは嫌い。私を殺した。光の世界には行きたくない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このような対話を繰り返し、マヤの女の子が、浄霊に応じることを納得してくれるまで待ちました。
30分近く説得し、浄霊してよいという了解を得たので、浄霊をはじめました。
浄霊の儀式が終わったところで、お母さんが迎えに来ていますか、と尋ねると、うん、とうれしそうに返事が返ってきました。こうして、浄霊作業は終了しました。


ちなみに、このクライアントが、いったいどこで、この子どもの未浄化霊に憑依されたのか覚醒後に確認したところ、3ヶ月ほど前の旅行でマヤ遺跡のチツェンイツァのセノーテを訪問していたことが確認できました。

ここのセノーテでは、実際に生け贄を投げ込んで神への供物とすることがおこなわれていたという歴史的事実が確認されています。

このクライアントは、おそらく旅行先のここで憑依されたものと推測できます。

さて、ここでわたしと対話した未浄化霊である3歳の女の子は「残留思念の集合体」なのでしょうか?

だとすれば、「残留思念の集合体」は、あたかも一個の人格として振る舞っていることが明らかです。

このことについては、「SAM催眠学序説その82」において次のような見解を示しておきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
通信霊の告げている、未成仏霊は残留思念の集合体である、という説を採用すると、インナーチャイルド、多重人格にあらわれる副人格、生き霊といった 現象も、「強烈な思念の集合体であり、それらは意志を持つ人格のように振る舞う」という仮説が成り立つのではないか、というのがここでのテーマです。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおいて、たしかに未浄化霊を名乗る霊的存在が顕現化する意識現象があらわれることは稀ではなく、「残留思念の集合体」であるにもかかわらず、あたかも意志を持った一個の人格として振る舞うからです。

このことをさらに考察しますと、「憎悪・悲哀・嫉妬などの強烈な思念」、つまり「強烈な負の意識」が凝縮された集合体になると、それが一個の人格的存在を創出することがある、という仮説が成り立つと思われるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、「インナーチャイルド」・「多重人格」・「生き霊」と呼ばれる存在は、生者の強い思念が凝縮して、一個の人格的存在として振る舞っているわけですから、死者のこの世に残した強い「残留思念」も、一個の人格的存在として振る舞っても不思議ではないということです。

そして、顕現化した未浄化霊が、本当に「残留思念の集合体」であるのかどうか、は当の未浄化霊に尋ねてみるしかない、というのがわたしのとった確認方法です。

その結果、尋ねた十数事例のすべての未浄化霊が、自分はいわゆる霊ではなく「残留思念の集合体である」と答えています。
それでは、本体である霊(死者の魂)はどこに存在しているかを尋ねると、どうやら「残留思念の集合体」が浄化されて上がってくるのを霊界で待っているとの回答でした。

本体の霊と分離したまま地上に残してしまった「残留思念」が浄化され、本体の霊と統合され、霊として十全な状態になることが求められているようです。
どうやら、そのような十全な霊となるように統合がなされるまでは、霊界からの次の生まれ変わり(転生)が許可されないのではないかと思われます。

 そうした消息を霊信では次のように告げていると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ、それら(注:残留思念の集合体)が意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。・・・(中略)

転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。(第12霊信)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「残留思念の集合体が意志を持つものだととらえられる」理由は、インナーチャイルド、多重人格、生き霊などの事例からすでに明らかだと言ってよいでしょう。

「魂(霊)が別の道をたどる」ということは、残留思念を地上に残し、本体から分離したままの十全ではない霊は転生が足止めされ、そうした転生を許可されない霊たちの居場所が、霊界のどこかに用意されていることを意味しているのかもしれません。

また、残留思念を地上に残したばかりに、願っても転生が許可されず、霊として成長進化する機会を奪われていることへの後悔や悲しみなどの苦悩や反省が、「転生し旅を続けるものに対する課題」ということかもしれません。

こうして、われわれが未浄化霊と呼んできた霊的存在は、どうやら「霊」ではなく「残留思念の集合体」であると判断してもよいようです。

以後は、「残留思念の集合体」であるという前提で、それを従来どおり 「未浄化霊」と呼んで記述していきます。

しかし、わたしは残念なことに、未浄化霊の生前の身元の検証に完全に成功したことがありません。
未浄化霊の語った生前の身元が実証できるあと一歩まで肉薄した事例は2例ほどあります。

したがって、未浄化霊の存在の有無は判断留保という前提において、未浄化霊とおぼしき存在に憑依されている複数のクライアントの「意識現象の事実」を累積した結果としての見解をこれまで述べてきました。

そして、クライアントに憑依している未浄化霊の語りが、客観的事実であるのか虚構であるのかは、検証して確認するほかありません。

ただし、検証の結果、生前の身元が客観的事実であると確認できたとしても、厳密な研究者からは、クライアントが超ESPによってそうした身元の情報を入手して語ったのだ、という疑惑が提出されるかもしれません。

未浄化霊と対話したわたしの実感としては、例示したマヤの女の子のような霊的存在の生前の身元が確認できないからといって、その実在を完全否定できないと思われます。

もちろん、クライアントの妄想の産物であるとか、役割演技とかの説明は可能でしょうが、なぜそのような妄想を語ったり役割演技をクライアントがする必要があるのか、必然性も利得もないからです。
ちなみに、統合失調症などの精神疾患は、このクライアントにはまったく認められませんでした。


さて、さらに、未浄化霊に憑依されていたとおぼしき諸クライアントの告げた「意識現象の事実」を、それを告げた未浄化霊の実在は判断留保という前提において、未浄化霊との対話で確認してきたことを取り上げてみたいと思います。


未浄化霊は、何を求めて憑依するのか、どういう人を選んで憑依するのか、どこに憑依するのか、という問題です。
また、未浄化霊に憑依されやすい人は、どのようにしてそれを防ぐことができるのか、という問題です。

未浄化霊の求めていることは、に苦しんでさまよっている霊への理解と共感だということです。
要するに、さまよっている霊の心情を分かってくれそうな人を選ぶといいます。
つまり、未浄化霊に対して、意識的にも、無意識的にも、受容的態度を持つ人を選ぶということです。
憑依が確認できたクライアントの多くは、霊的感性の豊かな人であり、そうした霊への受容的態度を持っていたと言えるようです。

それでは未浄化霊は何をもって、その人が霊への受容的態度を持っていることを知るのでしょうか。

未浄化霊の語るところによれば 、その選択の指標はオーラだと言います。

SAM催眠学では、霊体(オーラ)に意識・潜在意識が宿っている、という「霊体仮説」を設けています。
霊体はオーラとも呼ばれます。

したがって、未浄化霊に、霊体に宿っている意識内容を読み解く能力があるとすれば、霊体に宿っているその人の意識・潜在意識に、霊への受容的態度があるのかないのかが判断できるということになり、実際にそのようにして受容してくれそうな人に憑依すると言います。

逆に言えば、未浄化霊に対して強い拒否的意志を固めていれば、その拒否の意識は霊体に反映し宿っているわけであり、それを察知した未浄化霊は、憑依したところで理解も共感も得られないので憑依をあきらめることになるようです。
または、霊的存在をまったく認めていない人に対しても憑依は無駄であり、あきらめることになります。

したがって、憑依されやすい人が憑依を防ぐには、ふだんから未浄化霊への強い拒否的意志(思念)を固めておくことが、もっとも有効な手段であると言えるでしょう。
ちなみに、どこで憑依をしたかを未浄化霊に尋ねたところ、最も多かった回答は病院でした。
次に多かったのは、自殺者の出ている場所でした。

さて、憑依を防ぐ方法は、マヤの幼子に憑依されていたクライアントの守護霊によって確認しています。

それでは、未浄化霊はどこに憑依するのでしょうか。

霊体に憑依すると言います。

この霊体への憑依によって、被憑依者の霊体に宿っている本来の意識・潜在意識に、憑依した未浄化霊の意識(残留思念)が併存、ないし混入することになる、という理解が「霊体仮説」から導き出されます。

こうして、憑依によって、未浄化霊の残留思念(悲しみ、怒り、憎しみなどマイナスの思念)の影響を多かれ少なかれ受けざるを得ない被憑依者の意識は、理由の思い当たらない憂鬱感や悲哀感、怒りなどの意識に彩られることになります。

強力な未浄化霊の憑依によっては、その優勢な残留思念に支配され、一時的に本来の人格が変わってしまうような意識現象があらわれるかもしれません。
このことは、生き霊に憑依されたクライアントが示した事例からも類推できそうだと思われます。

わたしの体験した唯一の事例においては、統合失調症の診断の下りている青年で、精神科に入院するために病院に入ると同時に寛解状態に戻り、入院の必要なしと診断されて病院から出ると同時に異常行動に戻ることを繰り返すという不思議な病態を示しました。

大胆な私見を述べれば、この事例は、被憑依者の病院内での治療を嫌う未浄化霊が、憑依したり、離れたりするという解釈をすれば理解できそうです。
わたしの信頼している唯一の霊能者も、この青年の事例は私見のとおりだろうとコメントしています。

とすれば、統合失調症の患者さんの中には、強力な未浄化霊の憑依による病態だと推測できる患者さんがおいでになるかもしれません。