2013年12月25日水曜日

SAM前世療法の成立 その41

総括 その2 「タエの事例」と超ESP仮説
良好な催眠状態に導き、潜在意識をどんどん深め、年齢退行によって子宮にまで戻したその先に、現世に影響をもたらしている前世の記憶とおぼしきものが想起される。
そうした想起によって、現世の不都合な症状が解消されていくという事例が積み重なるにつれて、私には語られる前世の記憶とおぼしきものの真偽を突き止めたいという探求心が徐々に芽生えてきました。
そして、「前世療法」を謳うからには、「前世」存在の有無について自分なりの見解を持って療法に取り組むべきであろうと思うようになりました。
こうして、語られた前世の真偽の検証可能な事例との出会いを待つこと四年目にして、ついに「タエの事例」との出会いが起こりました。2005年6月のことです。
「タエの事例」とは、約230年前の天明3年(1783年)7月に起きた浅間山大噴火で、群馬県を流れる吾妻川が火砕流で堰き止められ、それが決壊して泥流の大洪水が起きた折り、村を守る人柱となった渋川村上郷(かみのごう)(現渋川市上郷(かみごう))の16歳の少女タエの前世人格が現れたというものです。
タエによって語られた、年号・月日・地名・浅間山大噴火の様子などは、いずれも史実との照合が可能な具体的内容であるという希有の事例でした。
私は、勇躍して、語り内容の検証のため渋川市教育委員会の協力を仰ぎ、渋川市の現地調査に出かけました。
その検証結果は8割以上の一致率を示し、残り2割も検証不能というだけで、はっきりと誤りだと認められるものはない、という結論をもたらしました。
ただし、タエ自身の実在を示す文書等の証拠は発見できませんでした。
しかし、この検証結果即、生まれ変わり(前世の存在)の証拠となるわけではありません。
この語り内容の正確な情報が通常の方法で入手されたものではないという証明のためには、いくつかの説明仮説を検討しなければなりません。このことは「ラタラジューの事例」にも関わってくることですので、ここで検討すべき仮説の概要を述べておきます。
説明仮説その1は、「意図的作話仮説」です。
これはクライアント里沙さん(仮名)が、事前にタエに関わる諸情報を入手し、これをもとにタエという前世の架空の作り話を意図的に語ったとする仮説です。
説明仮説その2は「潜在記憶仮説」です。
これは里沙さんの通常の意識にはのぼらないタエに関わる潜在的な諸記憶があり、それを組み合わせて架空のタエの作り話を無意識的に語ったとする仮説です。
説明仮説その3は「遺伝子記憶仮説」です。
これは遺伝子の中にタエの記憶が保存されており、それによって語られたのではないかと考える仮説です。
説明仮説その4は「超ESP仮説」です。
ESPとは透視・テレパシーなの超能力のことで、これに「超」が付くと、「万能の超能力」を意味します。
つまり、里沙さんが万能の超能力を用いて、タエに関わるあらゆる情報を入手し、その情報を組み合わせて架空のタエの物語を語ったのだ、とする仮説です。
説明仮説その5は「憑依仮説」です。
これはタエを名乗る憑依霊が里沙さんに憑依してタエの人生を語ったのだ、とする仮説です。
最後の説明仮説その6が「生まれ変わり仮説」です。
これは文字どおりタエという前世が実在し、その前世の記憶が現れて、その人生を語ったとする仮説です。
私は「生まれ変わり仮説」以外に考えられる五つの仮説を詳細に検討した結果、これら五つの仮説は棄却できると判断しました。
そして、「生まれ変わり仮説」こそ、「タエの事例」をもっとも妥当に説明できる、と結論しました。
こうして、「タエの事例」を、生まれ変わりを濃厚に示す事例として、2006年5月『前世療法の探究』の中に収載し、世問うことにしたのです。
これが2006年10月、フジTV番組「奇跡体験アンビバボー」が取り上げ、セッションの記録映像と合わせて25分余り放映がされて、大きな反響を呼ぶことになりました。
放映当初、「タエの事例」は前世の存在を示してしているはずだ、という大きな自信に満ちていましたが、やがてその自信はだんだんと揺らいでくるようになりました。
それは「超ESP仮説」を完全に打破することが不可能であったからです。
この「超ESP仮説」を完全に打破しない限り、超心理学上では前世の存在を証明したことにはなりません。
通常の状態で、里沙さんが超能力を発揮した事実がないからと言って、催眠中にも絶対発揮されなかったという証明にはならないからです。
事実、海外では、普段には現れない超能力が、催眠中に突如現れたという事例があるのです。
同様に里沙さんにも、そういうことが起きていた可能性を排除できません。
「超ESP仮説」を適用される限り、「タエの事例」は前世の存在と生まれ変わりの科学的証拠として不完全だという思いが膨らんでいったのです。
また、「前世の記憶」の所在を「脳内」であるとする前提は、解決できない大きな矛盾をはらんでいます。
死とともに脳は滅び、当然脳内の記憶も滅ぶはずです。
脳内の現世の記憶や個性や人格が、来世に引き継がれる(死後存続する)道理がありません。
したがって、想起された前世の記憶は、フィクション以外のなにものでもない、という論理的帰結を免れることができないことになります。
こうして、私の探究は、「超ESP仮説」を打破できる、より完全な事例発見へと向かうことになったのでした。
そうした事例こそ、「応答型真性異言」にほかなりません。
技能である会話ができるためには練習が必要です。
いかなる情報も入手可能な万能の超能力でも、練習が不可欠な技能までは獲得できないのです。
したがって、途方もない超能力者でも、超能力によって学んでいないはずの外国語で会話できることはあり得ません。
学んでいないはずの外国語で突然会話できたとしたら、それは、前世で学んでいたとしか説明ができないことです。
「超ESP仮説」の適用を排除できる「応答型真性異言」こそ前世の証明であり、これを何としても発見したい、これが、生まれ変わりの実証を探究する私の、追い求めるべき次のターゲットとして定められることになりました。
しかし、世界中を駆け回り、20年かけてやっと3例の応答型真性異言をイアン・スティーヴンソンは発見しています。
たやすく応答型真性異言に出会うことはできない相談でした。
「タエの事例」以後4年間で、伝説のムー大陸の異言らしきもの、古代アッシリア語らしき異言など、検証にかけられないものがわずかに現れただけでした。
そして、立ちはだかっているもう一つの大きな壁は、「前世の記憶」という考え方のはらむ矛盾を、いかにして解決するかという難題でした。
タエの語りは、被験者里沙さんの前世の記憶の語りであるのか、それともタエという前世の人格の顕現化であるのか。
もし、前世人格の顕現化であるとすれば、そのような前世人格の所在が脳内であるはずがない、いったいどこにタエという前世人格は所在しているのか。
(その42へつづく)

2013年12月22日日曜日

SAM前世療法の成立 その40

総括 その1 教育催眠研究から前世療法研究へ
私と催眠との出会いは、小学生期にまで遡ります。
祖父に催眠の心得があり、離れの和室に訪ねてくる人に施療していた姿をしばしば見て育ちました。
祖父は、名古屋市の裕福な和楽器問屋の長男として育ち、若いときから風流な趣味人として生きてきた人でした。
八卦、姓名判断、手相・人相、華道、茶道、催眠とそれぞれ免許を持ち、晴れの日は農作業、雨の日は注文を受けた鍬やツルハシの柄を樫材を削って作る毎日を送っていました。
夜は、お茶と生け花の師匠をし、依頼があれば催眠治療をするという生活でした。
今で言うボランティアで、依頼に応じては施療していたようです。
祖父の催眠技能がどれほどであったかは小学生の私が知る由もありませんが、車酔い・吃音・悪癖で悩む大人・子どもの訪問者が結構ありましたから、ある程度の腕前はあったのでしょう。
当時小学生だった妹が祖父に車酔いを治してもらったと自慢していたのを聞いて、催眠術なんてインチキくさいよ、とからかったことを覚えています。
やがて中学校教員になった私は、学級の子どもたちの車酔いや、学習指導に催眠を活用できないかと考えて,祖父に催眠の伝授を頼んでみました。
明治生まれの頑固な祖父は、「おんしは、人間がまだできておらんから断る」と素っ気ない返事でした。
それでも、85歳を過ぎて寝込むと、私を枕元に呼び、「あの本棚に催眠の秘伝書が二冊ある。おんしに譲る。催眠術は自得するものである。精進せよ」と遺言を残して逝きました。
私が29歳のときでした。
催眠の本格的研究に取り組んだのは、35歳のときに上越教育大学大学院修士課程へ現職教員の身分で研修派遣され、二年間学んだときのことでした。
A・Hマズローの自己実現論の研究に取り組み、その研究過程で、マズローがその人間観に反発・批判したフロイトに触れることになりました。
フロイトの精神分析理論の根幹である「無意識」の発見の端緒が、催眠にあったことを知り、ここから催眠理論と誘導実技の本格的研究に取り組むことになっていきました。
垣間見られる潜在意識(無意識)の謎の深淵は、催眠研究をライフワークとして取り組ませるだけの大きな魅力に満ちた世界でした。
その後、37歳で中学校の教育現場に戻った私は、岐阜県教育センター研修主事として催眠療法の研究歴を持つ大澤功校長(故人)に仕え、大澤校長のスーパーバイズとバックアップを受けて、当時岐阜県ではまったく先行研究のなかった、学校での教育相談の一環として教育催眠の研究に傾倒していくことになりました。
同時に、日本教育催眠学会へ入会し、学会発表を通しながら、自らの教育催眠の理論と実践の研鑽を積み重ねました。
この学会に所属した縁で、学会の生みの親であり、日本の催眠学の泰斗、九州大学名誉教授成瀬悟策医学博士のスーパーバイズを受けるという幸運に恵まれることになりました。
やがて、児童生徒への教育催眠の実績を聞いて、親や、知人からの催眠療法の依頼が舞い込むようになり、大人への催眠療法にも守備範囲を広げていくことになりました。 
大人への催眠療法も手がけていく中で、それまで学んだ催眠技法では歯の立たない19歳女性のリストカットの事例に出会いました。2002年のことでした。
この事例で、最後の手段として私がが初めて用いたのが、当時一世を風靡していたワイス式前世療法です。
それまで、科学としての催眠療法を標榜し、唯物論科学を信奉していた私にとって、いまだ立証されてもいない「前世」をかぶせた「前世療法」は、心理学として位置付いた催眠療法を、再び非科学的なニュアンスの濃厚な催眠療法へと逆行させる、目障りで怪しげな療法でした。
また、それまでの教育催眠にはまったく用いる必要のないものでした。
こうして初めておこなった前世療法は、予想に反して意外な著効をもたらしました。
クライアントの女性が、前世の影響からリストカットに陥っていた気づきを得たことで、それまで執拗に繰り返され、しかもその間の記憶がないというリストカットが改善に向かうという、まことに不思議な成果を挙げることができたのです。
この最初の前世療法の事例は、その3年後に出会うことになる「タエの事例」の前駆的事例となりました。
私の抱いていた前世療法への反発は影をひそめ、試す機会を得ては前世療法を用い、その改善効果を検証することへと研究を傾注することになっていったのです。
(その41に続く)

2013年12月13日金曜日

SAM前世療法の成立 その39

SAM前世療法の成立の作業仮説を得た過程と、その考え方ついて、延々と述べてきました。
今回からは、SAM前世療法についての総括です。
総括に入る前に、SAM前世療法によって「魂の自覚状態」に至ったクライアントの特異な事例について紹介したいと思います。
この65歳の男性クライアントは、ある宗教団体の指導的立場においでになる方でした。
人品骨柄卑しからず、という表現がぴったりの落ち着きのある穏やかな紳士でした。
以下は、クライアントが送付してくださった体験報告です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は教団の中で、指導的な立場を与えていただいております。
教団には定年制はありませんが、今、私が教会長をつとめている教会の会長職を倅に譲ろうと準備を進めているところです。
これまで何十年と霊的真理については研究を重ねてきて、その過程で、どうしても実証的な体験をしなければ、人に確信をもって言うことができない、と思うようになりまして、今年に入った頃から、私に前世体験をさせてくれそうな人を探しておりました。
飯田先生のことは、「生きがいの創造」を出版なさる前からネットで知っており、先生にメールでお願いして、あの本のもとになった論文も頂きました。
そのご縁から、門真市の奥山先生も知りまして、色々下調べをしてみましたが、お二人とも施術者としては優秀ですが、死後の霊魂の存続については、個人的には信じておられるようですが、公式には態度保留というお立場にみえます。
前世があるかないか分からないが、一定の治療効果があるから、たとえ見えたものが無意識の作り出したビジョンでもいいではないか、という見解のようです。
私の求めているのは、治療ではなくて「霊的真理」のみですから、(と申しますのは、教団では、一定の信仰信念に達しますと、いわば「ヒーリング能力」を付与される制度があります。
私には、宗教的なヒーリング能力がすでにありますから、治療には興味も必要もないのです。
どこかにどなたかいらっしゃらないかなあ、とネットサーフィンしていて、偶然先生のことを知りました。
あらゆるサイトを探して、先生のことはあらかた分かりました。
教師をなさっておられた頃のことや、近年の「タエの事例」や「ラタラジューの事例」と、その後の経過も逐一調べました。
この先生に会いに行かなければならない!と心に決めて先生にセッションの事前予約を承諾して頂いた後、その旨を家族に相談しました。が、猛烈な反対にあいました。
家内は一定の理解を示してくれましたが、二人の息子が強硬に反対するのです。
長男は教会長後継者ですので、「今、おやじがオカルト的な行動をすると、教団に知れたらどんな処分を受けるかわからん。
どうしてもやるのなら、完全に退職してからやってくれ」というのが彼の意見です。
次男は学者ですが、「行くのはいいが、いきなりセッションを受けるのはやめて、まずはその方と会ってみてはどうか?世間には色々いかがわしい輩もいて前世体験などと言って金品を巻き上げる事例も多いから。おやじなら、一度会えばその人物が本物かどうか見分けがつくだろうから」という意見です。
私は悩みました。倅たちの意見は至極尤もです。
私が強行する理由はありません。
ところが、心はどうしてもすぐにでもセッションを受けたいとはやるのです。
色々考えた挙句、長男の意見に従うことにしました。
先生にも申し上げたように私はPCのエキスパートです。
ちょうどその頃に、長女が自宅のPCの無線LANを組んでほしいと言ってきまして、そのために普段私が使っているノートPCを持って行きました。
無線LANはすぐに構築できまして、時間がありましたから、そうだ、稲垣先生に延期をお願いしようと、上記の理由を詳細に書いて、来年の11月3日のあとにセッションを受けたい旨のメールを送信しました。
ところが、受信サーバは反応するのですが、送信サーバが反応しません。
何度やっても同じです。
他人からPCのメンテナンスを依頼された場合は、設定を色々いじってなんとか直します。
そのときも送信できるようにする自信はあったのですが、無理はやめようと思いました。
これは、何かのメッセージに違いない。
延期をお願いするメールが送信できないのは、早急に行けという意味ではなかろうか。
よし、直観に従おうと決めました。
但し、倅が心配するだろうから、家内には本当のことを打ち明けて、倅には内緒でいくことにしました。
もちろん、どんなことを経験しようが、来るべき時がくるまでは倅には内緒にしておくつもりでした。
セッション当日の朝、不思議と心は穏やかでした。生まれて初めての経験、それも唯物論ではありえないことに遭遇しつつあるのですから、極度の期待と緊張があるはずなのに、まるで日常のルーティン・ワークをこなしているような平静な自分に驚きました。
自分は行くべくして行っているなあ、となかば可笑しいように自分を観察していました。
駅を降りて、お会いする前に、ご自宅周辺を30分ほど散策しました。
デジャブは感じませんでしたが、とても懐かしい気がしました。
それから、呼び鈴を押しました。
お会いして、私より先生の方が少し緊張なさっている印象を受けました。
あとは先生御承知の通りです。(中略)
1・壁を通して聞こえてくる戸外の雑音(特にトラックの通過する爆音)が気になった。
2・左側頭部で圧迫痛がした(左耳朶が特に痛い)。セッションを終えて数分で痛みはなくなった。
3.浄霊後の催眠での、守護霊の応答について。
  (特に左手人差し指の動きについて。)
あの時、私の意思を離れて、勝手に指が動きましたが、あの時の指は単なる指ではなくて、指に宿った“無意識さん”の“顔ないしは頭部”になっていたのではないでしょうか?
指の動きは「上下」だけではなくて、「左右」にも動いていた記憶があります。
私は自分の指の動きを感知できました。
誘導の最初の頃は、指は単なる「イエス、ノー」の意味で「上下」運動をしていましたが、守護霊が現れてからは、指が霊体の頭となって「首から上」の動作をしていたように感じました。
守護霊は前世の誰かと交代することを「受諾した」のではなく、「ためらいがちに、首を左右に振った」という
感じを受けました。
指は質問に応じて色々な反応をしました。
単なる上下運動だけじゃなくて、一見あいまいな動きもしましたが、それは、指が「首から上」の動きを表していたからのように感じました。
守護霊の意思表示は「それはしてやりたいが、することを許されていないんだ」ということを指と言う「全身」で「いやいやと首を左右に振って」表現しているように感じました。
指が勝手に動くだけで、指の「意思」は私には伝わっておりません。
ただ、「神様の降臨」の時は、それ以外の時とは全く違いました。
降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって「昂然と屹立している」と言う感じでした。
しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が上を指している、という感じでした。
指自体は完全に脱力していました。
帰宅してから、同じ動作を試みましたが、自力ではあんなに直立はできませんでした。
4、セッションの最後に呼び戻される過程で、魂状態では、下半身が霊体化しているのを感じました。
現実には椅子に深くかけて、腰も膝も曲がっているはずなのに、下半身をまっすぐ伸ばして頭と同じ高さで水平に宙に浮かんでいる感じがしました。
そして霊体の足は、現実の足よりはるかに力に満ちていました。
5、未浄化霊については心当たりがあります。
私と血縁はないのですが、家内の妹で32年前に20代で死亡したものがおります。
結婚後一年程で男児を出産しましたが、生後五日目に赤ん坊が死にました。
医師によれば、生まれつき複数の代謝異常があって生きられなかったそうです。
本人もその数カ月後に腎臓病で死亡しました。
その後、教団では、神道に倣って、死後に一年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、十年ごとに慰霊の年祭をしますが、婚家がしましたので、たぶん形式的で、慰霊にはなっていなかったのでしょう。
夫はすぐに再婚しました。
浮かばれない気持ちは分かりますが、何故血族の家内に憑依せずに私に憑依したのかが分かりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「魂状態の自覚」に至ると、きわめてまれですが、「神を名乗る存在」が降臨することが起きます。
この男性クライアントの場合がそうでした。
この降臨した神を名乗る存在の真偽は、もちろん検証不可能です。
ただし、
「神様の降臨の時は、それ以外の時とは全く違いました。降臨の直前に私の意識が一瞬消えて、気が付いたら指が化身となって昂然と屹立していると言う感じでした。しかも指が立つ、というより、何かの力に引っ張られて指が上を指している、という感じでした。指自体は完全に脱力していました。帰宅してから、同じ動作を試みましたが、自力ではあんなに直立はできませんでした」
と報告されているような超常的な現象が起きたことは誇張ではなく事実です。
私の観察でも、「あなたは神という存在でいらっしゃいますか」という私の問いに、クライアントの左人差し指は、ほぼ90度の角度で屹立し、指関節の可動域では考えられないあまりの異常さに鳥肌が立ったことがはっきりと記憶に残っています。
こうした事実から、クライアントの願望が投影された、「神」の役割演技であると考えることには無理があるように思われます。
堅固な信仰と優れた霊的感性をもつクライアントの、「霊的真理を実証体験したい」という切実な願いに、「神」が感応されたのではないかと私には思われました。
未浄化霊が、血縁者でなくても親戚関係にある霊感のある者に憑依することは起こるようです。
このセッションでは、クライアントが、「もし縁者の中に未浄化霊として苦しんでいる霊がいれば、浄霊してやって功徳を積みたい」という要望でおこなった憑依実験です。
こうした霊的超常現象が起こるのは、クライアントにすぐれた霊媒体質があることが条件です。
(その40につづく)

2013年12月2日月曜日

SAM前世療法の成立 その38

「魂遡行催眠」段階(魂の表層構造仮説に基づく解釈)
① 仮説としての体外離脱状態
知覚催眠段階をクリアできると、いよいよ魂の自覚状態にまで潜在意識に導かせることになります。
なぜなら、潜在意識は魂の表層(側面)のものたちが作り出してしているものであり、魂の状態とともにあると考えられるからです。
したがって、潜在意識を遡っていけば、魂状態に至るであろうということになります。
この魂状態の自覚へと遡行するために、潜在意識を肉体の任意の部分に宿らせ導かせる、という発想と技法は、ワイス式前世療法と一線を画すSAM独特のものであり、この技法は、霊体仮説に触発されて編み出した技法です。
「個人的意識(顕在意識・潜在意識)は霊体に存在している」という霊信が真実であるなら、潜在意識の座は脳ではなく全身を包む霊体がその座になります。
また、「霊体の色がオーラである」とも告げています。
オーラの見える人たちは、対象者の肉体の傷んでいる個所のオーラの色が黒ずんで見えると報告します。
実際に、肉体の不調個所を告知しないでオーラを見た場合、不調個所のオーラの黒ずみを指摘するという実験結果を得ています。
また、健康な肉体のオーラの色は澄んで輝いているとも報告します。
こうした実験結果から、オーラと肉体は相互反映関係にあると思われます。
つまり、オーラ(霊体)と肉体には共通する要素があるのではないかと推測できます。
私は、オーラ(霊体)は、肉体的(物質的)要素を包含していると考えています。
とすれば、霊体に宿っている潜在意識を、肉体のどの部分にでも移し替え、宿らせることが可能だということになります。
この発想から、肉体の任意の部分(たとえば指)に潜在意識を宿らせ、指の上下運動によって魂状態にまでの遡行を導かせるという技法を編み出したというわけです。
さて、私の用いていたワイス式前世療法では、知覚催眠段階の次には記憶催眠段階に深化させます。
つまり、現世の記憶を幼児期、さらには胎内まで遡り、さらにその先の前世の記憶へと遡行させるという技法を展開していきます。
かつて、ワイス式で前世療法をおこなっていたときには、記憶催眠段階をクリアできない場合は前世記憶への遡行ができないことがほぼ確定的でしたから、記憶催眠段階の確認が必要でした。
SAMでは、記憶催眠段階をクリアしたことを確認しません。
必要がないからです。
知覚催眠段階さえクリアできれば、魂の自覚状態へと遡行できることを臨床経験で検証できているからです。
さて、 魂の自覚状態とは、クライアントの報告の共通点を集約すると、およそ次の3点になるようです。
ただし、魂状態を体験をしたクライアントの中には、催眠性健忘による記憶の抑制が起こり、報告できない場合もあります。
しかし、報告できない場合でも、潜在意識を宿した指は、魂状態に至ったことを明確に回答しています。
ア 体重の感覚が消えている。あるいは、肉体が感じられない自覚になる。
イ 「わたし」と表現する以外にない、意識体そのものになった自覚がある。
ウ 「わたし」が、肉体からずれたり、空間に浮いている状態の感覚になる。
こうした魂状態の自覚について、私は一種の「体外離脱」状態が生じているのではないかという仮説を抱いています。
それは、近年数多くの「体外離脱体験」「臨死体験」として報告されている状態によく似ていると思われるからです。
体外離脱体験が脳内現象として起こる幻覚であるのか、意識体(魂)が肉体を離脱した体験であるのかは科学的決着がついているわけではありませんが、幻覚だと断定できない事例があることも事実のようです。
私の周辺にも睡眠中に体脱体験をしたと報告する人が複数います。
また、モンロー研究所の開発した人為的に体外離脱体験を起こさせる「ヘミシンク」の技術は、催眠誘導の技法にきわめて似ています。
左右の聴覚に周波数の異なる波の打ち寄せるような音を繰り返し聞かせ、「さあ、リラックスして心の扉を開きましょう」などのナレーションによって体脱状態に誘導するわけですが、これは催眠誘導の技法にきわめて類似していると言って過言ではないでしょう。
等作用被暗示性高進と呼ばれ、人は同じリズムの繰り返しによって催眠状態に入りやすいのです。
それに適切な言語暗示を加えればいっそう催眠状態が促進され深化されるのです。
私の技法では、呼吸法と体を揺らす運動を組み合わせて誘導しますが、それはこうした等作用被暗示性高進によって起こる生理的特性を意図的に用いたものです。
よく宗教などでは、太鼓・鉦などをリズミカルに打ち鳴らし、それに合わせて単純な経文を繰り返し唱えるなどの「お勤め」と呼ばれる儀式をおこないますが、その結果起きてくる「法悦」などの恍惚状態の境地(心理状態)も、まさしく同じリズムの繰り返しという等作用被暗示性高進による催眠状態の一つだと言って差し支えないと思います。
さて、ヘミシンクによって起こる体外離脱体験の真偽は明らかになっているわけではありませんが、ヘミシンクによって体外離脱状態の意識現象が起こるとすれば、類似の技法を用いる催眠法で体外離脱状態の意識現象が起きても不思議ではないというのが、私の催眠臨床的見解です。
② 魂の表層(側面)に生きて存続している前世のものたち
潜在意識が魂状態に到達したことが、潜在意識を担わせ、たたとえば指の上下運動の停止によって示されると、魂状態に到達していることを指による回答で確認します。
軽く潜在意識の宿っている指を撫でて、「潜在意識であるあなたは、今、魂状態に導き終えましたか? 魂状態に到達しているなら指を立てて答えなさい」と尋ねます。
指が立って「はい」の回答を確認できると、いよいよ魂の表層(側面)に息づいている前世のものたちの中から、主訴に応じて必要なものを呼び出す作業に入ります。
この作業は、「魂の二層構造仮説」に基づいて展開していきます。
つまり、魂の表層(側面)は、各前世のものたちが、互いに繋がりを持ち、友愛を築き、与え合う(リンクしている)関係で構成されている、と霊信は告げています。
これら魂の表層(側面)に存在する「前世のもの(前世人格)」を、必要に応じて呼び出そうというわけです。
まず最初の質問は、指を立てることで回答を求め、「あなたは魂の表層の前世のどなたかですか?」から始めます。
次いで「魂の表層にあるもののうち、現世のものに、最も大きな影響を与えている前世のものと交代してください」、あるいは「魂の表層にあるもののうち、深い傷を負ったまま、癒しを必要として苦しんでいるものと交代してください」など、必要に応じて前世のものを指名して呼び出し、そのものの人生の軌跡を聞き出すという作業を展開していきます。
その前世のものが口頭で答えられるときには口頭で、それができないときには指を立てることで回答するように質問を重ね、そのものの人生の傷を探り当てていくことをしていきます。
こうした作業の過程が、傷の癒しにつながることになります。
こうして、クライアントの傷ついた前世のものに交代すると同時に、そのものが悲痛な泣き声を上げて苦悩を訴えることが少なくありません。
あるいは、傷の部分に触れる質問をした途端に苦痛で身体を震わせたり、もがいたり、涙を流し始めるという現象が現れます。
さらには、未浄化霊を名乗る存在が救いを求めて憑依することや、高級霊を名乗る存在が降りてきて憑依し、私あてのメッセージを告げることも稀ではありません。
こうした前世人格が現れたときのクライアントの意識状態は次のように特徴的です。
ア 前世人格はそのものが人生を送ったときの人格と感情を当時のままに保って魂の表層に意識体として生きて存在しており、呼び出しに応じて現世の意識と併存して現れる。
イ 前世人格の感情が現れているとき、一方にはそれをモニターしている意識も併存しており、クライアントの意識内部で両者の分離状態が起きている。
ウ つまり、モニターしている意識の監視下で前世ものは自己の人生を語り始めるという現象が起き、モニターしている意識は自分とは別個の人格が勝手に話し始めるという自覚を持つ。そして前世のものの悲しみの感情などが勝手に噴き出し涙があふれるという自覚状態になる。
ちなみに、2010年8月フジTV「奇跡体験アンビリバボー」で紹介された応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、この手続きによって現れた前世人格です。
 
③ セッション中における三者的構図
SAM前世療法では、セラピストはクライアントと対話しているという自覚を持ちません。
あくまで呼び出した前世人格と対話をしている、という自覚のもとにセッションを展開します。
クライアントのモニター意識は、セラピストと前世人格の対話にオブザーバーとして同席しセッションの行方を見守る、という関係になります。
つまり、セラピスト対前世人格、それをモニターしているクライアントの意識という三者的構図になっているというということができます。
ただし、モニターしている現世の意識は、生まれ変わりの関係によって前世人格と密接な繋がりを持っていますから、前世人格の感情をすべてストレートに共体験することになります。
したがって、前世人格の苦しむトラウマを共体験し、その癒しの感情も共体験することになり、その結果として、前世人格が及ぼしていた現世の不都合な精神的、肉体的諸症状が改善に向かうということが起こると考えられます。
あくまで暫定的仮説ですが、こうした三者的構図、およびそこで展開する対話のあり方が、他の前世療法とは異なるSAM前世療法における基本的治療構造だと言ってよいと思われます。
(その39に続く)