2018年10月10日水曜日

医学では説明できない先天性皮膚疾患の改善事例

       SAM催眠学序説 その118

 ー生まれ変わり仮説の証拠としての先天性皮膚疾患の治癒事例ー


ここに紹介するSAM前世療法による先天性皮膚疾患の改善事例は、生まれ変わりの存在を示唆するきわめて重要な事例です。

それは、前世人格の、皮膚病に罹患し命をなくした苦しみの訴えが、生まれ変わりである現世の者の手のひらの医学的原因不明の先天性皮膚疾患としてあらわれ、魂表層から顕現化したそれに関わる前世人格にはたらきかけた結果、肉体的治癒が起こったと判断することが妥当だろう、ということが一つあります。

この事例に類似した前世人格へのはたらきかけによって、医学的所見のない心臓・背中・足の甲、頭痛などの特定個所の先天性疼痛と考えられる疾患の改善が、これまでに4事例起こっています。
また、首筋にあった細い帯状の軽度のケロイド状母斑が、ほぼ消えた事例が1事例あります。

しかしながら、痛みの改善については、その真偽の判断をクライアントの報告に頼るしかなく、確たる客観的証拠を示す実証ができませんでした。


ここに紹介する事例の貴重な点は、セッション前の手のひらの皮膚疾患状態と、セッション後の治癒経過の状態が4枚の証拠写真によって客観的な確認ができたことです。

前世人格の肉体的症状が、生まれ変わりである現世の者の先天性肉体的症状としてあらわれることがある、という実例であり、しかも、当の前世人格に対するはたらきかけによって
症状が治癒したという現象は、生まれ変わり仮説の証拠としてきわめて貴重な事例です。

こうした、前世人格の影響による肉体的疾患が、前世人格へのはたらきかけの結果、治癒したという客観的証拠を提示した事例報告は、私の知る限り目にしたことはありません。

あとで紹介しますが、イアン・スティーヴンソンの著作『生まれ変わりの刻印』(笠原敏雄訳、春秋社、1998)は、前世人格の影響による、母斑や先天性欠損という肉体現象を取り上げ、検証をしていますが、顕現化した前世人格に直接はたらきかけ、その結果による先天性疾患などの改善事例は述べられていません。
 
イアン・スティーヴンソンは、前世記憶と合致する、肉体に刻印された肉体現象の諸事例を検討した結果、SAM催眠学の定義する「魂」と同義の「心搬体」を想定せざるを得ない、という帰納法による見解を述べています。

SAM催眠学は、前提仮説として「魂」の存在を想定し、その魂表層に存在している前世人格によって、肉体に刻印された先天性疾患が起きている可能性を探ることをもって、魂と前世人格の存在を証明するという演繹法を採っています。

 アカデミックな生まれ変わりの研究者と、SAM前世療法の臨床実践者との立場の違いが、帰納的手法と演繹的手法の違いになっていますが、めざすところは同じです。
 つまり、生まれ変わりと魂(心搬体)の存在を証明することです。

顕現化した前世人格への直接のはたらきかけによって、先天性疾患の改善が起きたという、その意味では、ここに紹介する改善事例は、公開された世界初の事例かもしれません。

もう一つは、SAM催眠学の「霊体仮説」の検証事例として判断できるのではないかという点で重要だということです。


 「霊体仮説」とは、私あて霊信の告げたことをSAM催眠学でそのまま採用したものであり、私の独創ではありません。

①霊体には魂表層の前世の者たちが生み出している意識・潜在意識魂が宿っている。
霊体を感知できる人には肉体を包み込んでいる霧状のオーラとして色が見える。
ちなみに私は、4名の人からそれぞれ同色のオーラの色を指摘されている。

②意識の宿る霊体と肉体の間には密接な相互影響関係があり、そのため、霊体に宿る前世人格の意識が、心理的影響、まれに肉体的にも影響を与えることがある。

という仮説です。

いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」というのが、SAM前世療法で立ち現れる「意識現象の事実」に対する私の思考態度です。

まずは、このクライアントから届いた二通のお礼メールと添付されてきた証拠写真を公開します。
下記メールと証拠写真の公開に当たっては、クライアントの了解を快くいただいています。
公開を快諾してくださったM男氏にはこの場を借りてあつくお礼申しあげます

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【第1信メール】(注:ゴチック体部分は私の判断で書体を変換しました)


今年(注:2018年)の4月1日にSAM前世療法セッションを受けたM男(注:神奈川県在住49歳、仮名) です。

セッションを受ける最大の目的は、幼少期からの原因不明の両手のひらに出る皮膚のトラブルでした。物心ついた時から症状が出ていたのでもう50年近く経ちますが、
これだけ医療が進んでも治ることはありませんでした。

しかしセッションを受け、結果的に顕現化した前世人格からの影響があることがわかり、本当に驚きました。

・10世紀、イングランドの王妃もしくは貴族の女性。
・霊能力があり魔女扱いを受け幽閉された。
・幽閉生活の栄養不足と劣悪な環境などからひどい皮膚病を患って死亡したが、苦しみをわかってほしいと訴え続けている。その訴えが、手のひらの疾患となって現れている。

催眠術というものははじめての体験だったので半信半疑でしたが、
セッションが進むにつれ自分の理解を超える出来事に衝撃を受けました。
当日は、その顕現化した前世人格の語った出来事を、得心をもって理解し、先生の癒しの波動を受けたわけですが、やはり治癒の証明ができないことについて全面的に信用はできず、わずかながらの疑いは持っていました。
実際、セッション直後には劇的な変化が見られませんでした。

ところが、あれから約6ヶ月が経過しますが、皮膚のトラブルが日に日に消えていき、
今(9月26日現在)ではすっかりなくなってしまいました。

実際、2ヶ月くらい経ったころには明らかな改善を感じました。
ただ、時期によっては症状が出ないこともあり、もしかしたら今が調子のいい時期なのかもしれないので、1年間は様子をみないと結果は判断できませんが、感覚としては確実に良くなったと思っています。

魂表層から皮膚疾患に関わる前世人格として顕現化したのは10世紀の女性でした。
10世紀と言えば900年代なので、もう1000年以上も苦しんできたわけです。
それが一瞬で消えるとも思えないので完治に時間がかかるのは仕方ないと考えていましたが、50年近く付き合ってきた原因不明で治らないと言われた皮膚疾患が、6ヶ月という間に治ってしまったというのは本当に不思議でなりません。
これは実際に自分で体験したことなので事実でしかありません。

思い切って先生のセッションを受けて本当に良かったと思っております。
どうもありがとうございました。
また経過についてご報告させていただきたいと思っております。

【第2信メール】 


セッション前とセッション後の経過を証拠写真にしてありますので参考までに添付しました。


下の症状の写真0326はセッションを受ける直前です。(3月26日、セッション6日前)
本当に手のひらの皮膚は、醜いほどのボロボロ状態でした。
            
       【セッションの1週間前、2018年3月26日の写真】



4月にセッションを受けた後は、すぐには変化が見られませんでした。
ですが2か月ほどすると徐々に変化を体感できるようになりました。
               
       【セッションの約3ヶ月後、2018年7月20日の写真】
上の写真3ヶ月余では0720のような状態にまでなりました。(7月20日時点
その時は「これぐらいまで良くなれば我慢できるから充分」と思っていました。
(実際に0720状態でも以前と比べれば症状が軽いレベルです)
そのあとは加速的に治っていって、下の写真0904に至ります。9月4日時点です。

       【セッションの約5ヶ月後、2018年9月4日の写真】

現在(9月26日時点)では下の写真0926のように、完全に跡形もなくなりました。
               
       【セッションの約6ヶ月後、2018年9月26日の写真】

季節の変わり目が特にひどくなる時期なのですが、
今のところまた発症するのではないかという不安はありません。
完治した気がしています。

SAM前世療法という一般に受け入れ難い怪しげなセラピーにお金を支払ったと聞けば、「バカバカしい」とか「騙されてる」とか思う人がほとんどかもしれません。
前世があるという暗示をかけて潜在意識(前世人格)をコントロールされたと言われれば
それを肯定も否定もできません。

先生がおっしゃるように、この写真と体験談をもって科学的な証明とは言えませんが、
実際に医学が発達した今でも治せないと言われ、40年以上もの間ずっと出ていた症状なのに、稲垣先生のたった1回のセッションで症状が出なくなったのは事実です
理屈では起こりえない治癒が実際に起こり、長年の悩みが半年のわずかな時間で解消してしまったことは説明ができません。

SAM前世療法というものを知ったとき、少なからず自分の前世に興味が湧きました。
ですが前世での人生や出来事を知った今、過去の思い出の一部のように「そんなことがあったかなぁ」程度の感覚でしかありません。
ただ、自分の前世の出来事も背負った上で、今の自分があるということを強く認識しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(報告メールおわり)

生まれ変わりの先駆的研究者イアン・スティーヴンソンの著作に『生まれ変わりの刻印』春秋社、1998があります。
内容は、母斑(あざ)や先天性欠損の原因と生まれ変わりとの関係性を示す、112の事例とそれらを諸証拠写真を提示して実証研究した著作です。
残念ながら、現在この本は絶版となっていますので、表紙の帯の記述を紹介してみます。

再生研究の究極の達成。前世の記憶と一致する母斑や先天性欠損。二千数百におよぶ再生例を収集した世界的権威が、その中でも身体の特異という客観性の高さによって再生仮説を強力に支持する112の事例を紹介する」 (注:ゴチック体部分は私の判断で変換)

この著作の中で、
死後にも存続する人格が、その後に生まれる子どもの外観に影響を与える場合のあることを示す証拠を、母斑と先天性欠損が提出するために重要・・・」前掲書P.4、

母斑と先天性欠損が客観的証拠になることであり、肉体を持たない人格が、その後に生まれる子どもに影響を与えるらしいことが分かることであり・・・」前掲書P.5、
と述べています。

要するに、前世人格が、自分の生まれ変わりである現世の者に、自分の存在を示すような母斑や先天性欠損という肉体的影響を引き起こしている可能性を強力に示唆しているのではないか、という指摘をした研究内容です。

この、前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力がありうる、という仮説を受け入れるならば、50年近く原因不明で治らないと言われた皮膚疾患に悩んできたクライアントM男氏の皮膚疾患も、先天的なものと判断することは妥当だと思われます。

つまり、顕現化した「10世紀イングランドの王妃もしくは貴族の女性で、霊能力があり魔女扱いを受け幽閉された結果、栄養不足と劣悪な環境からひどい皮膚病を患って死亡し、その苦しみをわかってほしいと訴え続けている」前世人格の影響だと判断してよいと考えられます。
ただし、10世紀イングランドの王妃もしくは貴族の女性の前世の実在を、歴史資料から検証することは断念するしかありません。

前世人格の顕現化(自己内憑依)現象については、応答型真性異言「ラタラジューの事例」で証明されていると考えています。下記のような事実が確認されているからです。


魂表層から呼び出され、里沙さんに顕現化した前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと、ネパール語で次のように、明らかな現在進行形でのやりとりをしています。

里沙:Tapai Nepali huncha?
  (あなたはネパール人ですか?)

カルパナ: ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙: O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、現在進行形でただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いか け、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈がすでに成り立たないことを示しています。

スティーヴンソンの「応答型真性異言」事例である「グレートフェンの事例」(笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』 春秋社、1995)の逐語録(前掲書PP.266-311)を読んでも、前世人格グレートフェンが、明らかに現在進行形の会話をした個所はありません。

ラタラジュー人格 は、現世の里沙さんの身体(発声器官)を借りて、自己内憑依して、自己表現している身体を持たない意識的存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。


さらに補足すれば、前世人格のタエとラタラジューの再顕現化実験の際、泥流を飲んで溺死したタエの場面では里沙さんに激しい咳き込みの発作現象が再現したこと、ラタラジューが毒殺された苦しみの場面では胃部の外部観察できる明らかな痙攣発作現象が再現したことを複数のセッション見学者が確認しています。

こうした催眠中の発作的、反射的肉体現象を、意図的に演技できるはずがありません。
前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力がありうることの実証です。

これまで述べてきたように、前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力がありうるという現象を、前ブログ「その117」で紹介した「量子脳理論」、「形態形成場仮説」、「thought bundle説」など、生まれ変わり否定論の諸説で説明はできません。

生まれ変わりの科学的探究の視野は、「前世記憶」の真偽だけにとどまらず「前世人格からの現世の者に対する肉体的影響力」や、記憶(情報)では説明できない技能である「応答型真性異言」にまで及んでいるのです。


これら唯物論諸説は、「前世の記憶」だけを対象に、生まれ変わりのないことを、唯物論で説明しようとするもので、「前世の記憶」ではなく、「前世人格の影響であると考えられる肉体現象の事実」を前にしては適用できるはずもなく、生まれ変わり否定論の唯物論諸説が破綻していることはすでに明らかです。


前世記憶の否定にだけ躍起になっている、もっともらしい観念論・唯物論諸説は、視野狭窄に陥っていると言うほかありません。

あるいは、「一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは錯覚や間違ったイメージでしかありません」、「前世療法は百害あって一利なし」といったスピリチュアリストからの十把一絡げの誹謗も、極端な一般化による、SAM前世療法を知らない観念論者の、根拠不明で粗雑な誤解・偏見であることが証明されたということです。

M男氏の皮膚疾患改善の事例に疑義があるとすれば、セッションから明らかな改善があらわれるまでに2ヶ月ほどのタイムラグがあり、この間に、改善に結びつく何らかの薬物の使用、あるいは食事療法、放射線治療などがなされ、それを隠しているという疑いでしょう。

あるいは、癌の治癒で報告されるような、たまたま自然治癒が起きたに過ぎないという解釈でしょう。

さらに疑えば、治癒に至るまでの証拠写真にトリックがあるという疑いでしょう。

しかし、M男氏の文面を読めば、そうした隠し事や偶然性やトリックがないことは明白です。
また、そうした隠し事やトリックをしてまで、私にお礼メールを届けてもM男氏に何の利得もありません。

また、50年近くにわたる医学的治療が無効であったにも関わらず、理由のない偶然の自然治癒が起きた、とは考えられないでしょう。
M男氏には、SAM前世療法のセッションによって治癒が起こった、という因果関係の確かな自覚があるわけですから。

もう一つの可能性は、M男氏の考えているような、「前世があるという暗示をかけて潜在意識(前世人格)をコントロールされた」結果によるプラシーボ効果だという医学的解釈もありうるでしょう。

しかし、プラシーボ効果によって、50年近く治癒しなかった皮膚疾患が消失するとはきわめて考えにくいと思います。

巧妙な催眠暗示によって、架空の前世人格を顕現化させるように誘導し、そのプラシーボ効果によって疾患の治癒が可能であるとすれば、これまでに「前世プラシーボ療法」のような画期的心理療法が考案されていてもいいはずですが、そうした心理療法の存在を、私はまったく知りません。

それに私は、前世人格の顕現化に際して、「要求特性」がはたらき、クライアントが架空の前世人格を創作するようなおそれがある催眠誘導暗示を極力避けることにしています。

創作された架空の前世人格によって、改善効果が生じることは考えられないからです。
M男氏は「セッションが進むにつれ自分の理解を超える出来事に衝撃を受けました」と述べていますから、彼が架空の前世人格を創作したことは、まずありえないでしょう。

そして、50年間近く悩まされ続け、医学によっては治らないとされてきた先天性皮膚疾患の治癒が、前世人格へのはたらきかけによって起こった、という状況証拠でもって、顕現化した前世のイングランド女性が実在していた、と認めることは妥当だと思えます。

筋金入りの懐疑主義者なら、あまりにもよくできた話なので、私のヤラセ、あるいはすべて創作のインチキだと言い出すかもしれません。
こうした、私やM男氏の人間性まで疑うような懐疑主義者には、もはや付ける薬はありません。

もちろん、M男氏からの2通の電子メールは保存してあり、M男氏も実在していますから、検証してもらえば、こうしたインチキの疑いを晴らすことは容易なことです。

ほんとうに「事実は小説よりも奇なり」なのです。

ちなみに、M男氏は会社員であり、社内の新人教育担当を任されている中間管理職の立場を、そうだろうなと思わせるだけの、篤実な人柄の印象を与える人でした。

さらに言えば、M男氏は、健全な懐疑精神と実証精神をお持ちのリアリストであり、だからこそ、実体験されたセッション効果の真偽検証のために、患部の改善経過を証拠写真として撮影されていたのだと思います。

いずれにせよ、M男氏の先天性皮膚疾患の改善事例、冒頭で述べた5例の改善事例、里沙さんの前世人格顕現化による肉体反応現象などは、SAM催眠学の提唱している作業仮説によって、整合的説明が成り立ちますので、生まれ変わり仮説を強力に支持している具体的証拠事例だと判断できると考えています。

2018年4月1日のセッション後、9ヶ月経過した12月22日現在、皮膚疾患の症状はまったく消失していました。
完全に治癒が起こっていることを面会によって目認しました。
ただし、11月に一時期軽い再発の兆しがありましたが、それもまもなく完全に消失したということでした。


さて、「生まれ変わり」や「魂」についての真偽問題ついての、私の見解はたいして重要ではありません。

私の実証的探究の公開目的の第一義は、生まれ変わりを示唆するできる限り確実な客観的証拠を示すことにあり、私が催眠臨床で実体験してきたそれら諸証拠の解釈について、考えられる限りの可能性のすべてを厳密に検討され、生まれ変わりや霊的現象について、得心のいく自分なりの妥当な結論に到達していただくことにあります。

参考までに、私の見解は、you-tubeで公開している2005年の「タエの事例」、2009年の「ラタラジューの事例」、今回2018年の「先天性皮膚疾患改善事例」などは、「生まれ変わり」と「魂の存在」を説明仮説に用いない限り、現行唯物論では説明不可能だと考えています。
だからと言って、紹介した数例の事例をもって、すべての人々に生まれ変わりがある、という極端な一般化が主張できるとは思いません。ただし、その蓋然性が高いと考えることは妥当だと思います。

さらにうがった想像をすれば、ここに紹介できた事例は、前ブログ「その117」で紹介した、生まれ変わり否定の諸説をすべてくつがえすためのタイミングをはかりながら、贈るべきときに贈られてきた、決定的事例だという気がしないわけでもありません。

「来るべきときに、来るものが来る」と考えることは、私の人生観の一つです。

実証がなく反証可能性に閉じられた観念論や抽象論ではなく、「確かな事実(証拠)を示して語らしめること」、このブログがそのための一助となることを願っています。

なお、私のこうした考え方の立ち位置は、「SAM催眠学序説 その114」で明確に述べてあります。

また、SAM前世療法の「特異性と固有性」については「SAM催眠学序説 その97」で述べてあります。

どうぞアクセスしてみてください。

2018年10月1日月曜日

生まれ変わりの9つの否定論

            SAM催眠学序説 その117

 

Ⅰ 史実を踏まえた学問的反論


まず、特筆すべきは、2015年1月1日付「SAM催眠学序説その34」から開始され、3月22日の「その42」まで3ヶ月近く続いた、「タエの事例」について読者VITAさんから提示された下記2つの疑義に関しての論争です。

疑義 その1

 タエは泥流の水によって溺死をしているように見受け られましたが、その様子はこの分野における学問の知見と一致しないとする専門家の意見を以前拝見したことがあります。この方の見解は、泥流は大量の岩石を 含んだものであったので、これに巻き込まれた人が溺死をするようには思えない、とのようなものであったように記憶しております。私は以上のようなことから、タエの事例に限定して言えば、歴史的事実と比較した上でのさらなる検証の余地が残っているのではないかという感想をこの度持ちました。

 疑義 その2

浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っておりますもち ろんセッションにおいてタエの人格も「急ぐの、急ぐ、時間がない」とのように語ってはおりますが)。もし研究の知見とタエの語った内容に差異がある場合、 タエの人柱が歴史的事実であるということを証明するには、研究の知見のどこかに逆に誤りがあるということを検証によって明らかにすることが必要となるようにも感じられました。

浅間焼泥押についての最新の研究の知見を述べ、拙著の批判をしているのは地質学者の群馬大教授早川由紀夫氏のブログhttp://togetter.com/li/608596 です。

早川教授のブログで示された二つの疑義についてきちんと解明したいということでした。
私としては、専門家である大学教授の権威ある批判(学問的見解)に対して、真っ向勝負することであり、タエの語りで不明であったことの解明につながる緊張感に満ちた仕事でした。

この議論の経過と決着は、「SAM催眠学序説その34」~「その42」のコメント投稿記事をお読みください。
この論争の一応の決着は「SAM催眠学序説その42」で示してあります。

記事内容の質、量ともに専門学会でおこなわれる討論をしのぐハイレベルの内容であったと自負しています。
この討論の仕掛け人であるVITAさんにはあらためてお礼申し上げます。
また、泥流の流れ方についての専門的知見を展開し、討論に参加してくださったUROノートさんにもあつくお礼申し上げます。

Ⅱ 自称霊能者の妄想による反論


さて、「ラタラジューの事例」 については、霊能者を自称している人物のブログで、ラタラジューは未浄化霊の憑依であり、里沙さんはその憑依霊の霊障によって転写された腰痛などに襲われるであろう、という根も葉もない、とんでもない霊視?感応?の内容が、2010年の「ラタラジューの事例」のアンビリ放映後に、次のように、自信たっぷりにとうとうと述べられていました。
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 私の感応によりますと、数十年前に亡くなったネパール人男性が、日本へ行く旅行者に憑依して、日本霊域に来ています。

昭和までの幽界が強い時代は、日本の結界が強力に存在していて、外国人のさ迷う霊が日本に入ることは非常に難しかったのです。しかし近年は、この結界が崩壊している様です。私は番組を見て、この事を再認識させられました。

日本霊域でさ迷っていたネパール人男性は、ある時、退行催眠で無防備に成っていた女性の所へと引き寄せられたと言います。そして簡単に入り込む事(憑依)が出来たので、自分の言いたい事を話したのです。

女性(注:被験者里沙さん)は、長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました
ところが術者先生(注:稲垣)による「問い掛け」とは、物を言いたい霊に対して、場所を提供することに成るのです。この結果、彼女は異国の男性の憑依を受けたのです。
問題は、そのネパール人の霊は、この女性に執着していました。

今後、彼女には腰痛に加えて、憑依する霊がいまだに持つ腹痛も、現実的な病気として彼女に転写するでしょう。それ以外にも、彼女の人生に影響を与えて変えてしまいます。
現に番組では、ネパール人男性が戦争に行き、人間を刃物で刺した記憶が、彼女が料理で肉を切る時にフラッシュバックして苦しいと、彼女は話していました。
人の意識に干渉する治療は、予想外の二次被害を生み出しますの注意してください。お金を払ってまでして、違う危険性を新たにはらみます。
これもやはり、先生も相談者も「無知ゆえの事」です。

彼女は過去生において、東北の弁財天信仰をする滝のそばで、口寄せ(くちよせ:霊を憑依させてお告げをすること)をさせる行者の元にいました。
そこで、寄り代(よりしろ)に彼女自身がされていたのです。その時の因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています。
このような過去生の行為が、再度また男性の元に引かれて、口寄せをする行為につながっています。 
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すでに7年以上前(2010年)の記事ですが、この霊能者のもっともらしい上記予言は、その後の経過によって、100%創作であり、でたらめの妄想であったことが暴露されています。
そもそも 、「(里沙さんは)長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました」という霊能者の事実認識がでたらめで、勝手な想像の産物です。
 「因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています」などは、言いたい放題のでたらめ以外にありません。

彼女のセッション動機は、腰痛治療など関係のない、生まれ変わりの科学的研究のためにおこなわれたものです。
だからこそ、セッションの証拠映像を複数の研究者同席のもとで撮影したのです。


そして、セッション後の里沙さんに霊障(ラタラジューの腹痛の転写)らしき身体の痛み現象などが、これまで7年間の経過でまったく起こっていないことが実証されています。
この、著作もあるという自称霊能者は、「感応」できたと称する意識現象が、客観的事実であるのか、主観的な妄想であるのかを、自己点検する謙虚さをまったく欠いたまま、「私の感応」は事実である、と臆面もなく断定できてしまう厚顔無恥、愚劣そのものの人物のようです。

SAM前世療法において、セラピストが、実証の余地のない、チャネリングやリーディングをおこなうことを厳しく禁じているのは、感応やら霊視やらについて、私が基本的に信を置くことができないからです。 

 Ⅲ 応答型真性異言事例そのものが錯誤であるという反論


 的外れな反論としては他にも、それぞれ別人からの2つの反論がネット上に掲載されていました。

①ラタラジュー程度のネパール語会話であれば、ネパール語を知らない誰でも会話できる。
②ラタラジューのネパール語会話は、それらしく聞こえる空耳の羅列にすぎない。

上記①②の反論は、言いがかり以上のものではなく、検証実験すればその主張が成り立たないことが歴然としています。
臆面もなく、よくもこのようなめちゃくちゃの反論ができるものだと呆れるばかりでした。
両反論者ともに、生まれ変わりなどあってたまるか、という完全な唯物論者です。
「応答型真性異言」という、唯物論者にとってきわめて目障りな超常現象そのものをなかったことにしようとする目論見です。
「生まれ変わり」や「霊魂」という単語に過剰な拒絶反応を示し、非科学的迷信、社会の害悪だと決めつけ、きちんとした検証抜きで、問答無用のありえない戯言だと切って捨てる傲慢な態度です。
そのため、顕著な認知の歪みに陥るのではないかと思われます。
そうした傲慢な態度に陥らないためには、本ブログ「投稿の留意点」に掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度を持ち続ける必要があるのです。

Ⅳ  潜在記憶仮説で説明可能であるという反論 


無意識のうちに入手している「潜在記憶」で生まれ変わりとおぼしき記憶は説明可能である、という反論はもっとも妥当性がある反論です。
この反論には、たとえば次に紹介するような実証的根拠がありますから説得力があります。

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「催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られるため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまで全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。(中略)

記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに前世の人格を作り上げてしまうのである。このようにして作られた前世の人格は、長年月にわたって繰り返し呼び出されても、それなりの感情や一貫した性格を示して見せることであろう。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度もっている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方がおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ数名の者に催眠をかけたことがある。
この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているのかもしれないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確な形では語っていなかった。催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく想い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世の人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験では他の施術者に実験を依頼した。その結果ただの1件も成功しなかった」
 イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80
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「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、潜在記憶仮説で説明できるのではないか、という点については、当然のことながら私も疑いをもちましたから、潜在記憶の入手可能性を徹底的に調査しました。
調査結果では、潜在記憶となる情報を入手できそうな入手先の痕跡は一切発見できませんでした。
最終的にポリグラフ検査をおこないましたが、検査結果の鑑定は「意図的に情報を入手した記憶は一切認められない」ということでした。
反論者の常套句は、「どこかで」無意識的に情報を入手したに違いない、という論理で主張してくるのですが、肝心の「どこか」については具体的に触れようとしません。
その「どこか」をさんざん調査しても発見できなかったのですから、無理難題、ないものねだりと言うほかありません。
タエにしてもラタラジューの語った情報にしても、通常の手段による意図的情報収集でも、あれだけの内容は入手できるとは考えられません。
まして、偶然の経緯で、しかもインターネット(注:里沙さんはネット検索の技能を持っていません)などの手段を使わず、あれだけの情報を入手することはあり得ないでしょう。
両事例を潜在記憶仮説によって説明することは、記憶の入手先がない以上、成り立ちようがありません。

ただし、「タエの事例」については、被験者里沙さんの心の力、つまり彼女は催眠中に万能の透視・テレパシーの能力を発揮してあらゆる情報を入手できたはずだ、とする「超ESP仮説」が適用できないわけではありません。
応答型真性異言である「ラタラジューの事例」については、応答的会話技能はESPでも取得できない技能とされていますから、超ESP仮説によっても説明できません。

Ⅴ ポリグラフ検査に不正(催眠による細工)があったのではないかという反論


ところが、私が催眠を用いて里沙さんの受けたポリグラフ検査をスルーさせたのではないか、という疑いを持つ人がついに出てきました。
つまり、被験者里沙さんは意図的に情報入手しているが、その事実がポリグラフ検査にひっかからないように、つまり嘘をついても心理的動揺が生じないように、催眠が用いられていたのではないか、という疑いです。
徹底した懐疑主義に立てばこうした疑いも出るでしょうが、これは私と里沙さんの人間性を否定されかねない疑いです。
したがって、次のような反論をしてあります。
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「催眠暗示により、嘘を嘘として認知しないようにポリグラフ検査前に細工するということは、嘘をつくことが道徳に反する、という価値観の持ち主には原則的に不可能です。
私の数度の催眠実験でも、嘘をつくことを強要する催眠暗示した場合、被験者は拒否するか覚醒してしまいました。
したがって、里沙さんに虚言癖のような傾向が無い限り、嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としていられるような催眠暗示が有効であるとは思われません。
催眠は、良心に反することを強要できるほど強力ではない、というのが催眠学上の定説です。
また、ここで紹介したポリグラフ検査は被験者里沙さんが嘘をついても平然としているかどうか、つまり動揺せず、したがって生理的諸反応が起きないかどうかを確認する本検査前の予備検査がされています。
内容は、彼女の年齢を問う予備検査です。
30代か、40代か、50代か、60代かそれぞれにすべてに『いいえ』と答えさせるものでした。
その結果、50代で明白な特異反応が認められました。
彼女は、検査当時51歳でしたから、50代か? で『いいえ』と嘘をつき、それが特異反応として検知されたというわけです。
この事前検査結果からも、彼女が嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としている、などの催眠暗示がおこなわれていないことは、すでに明らかです。
仮に、そうした事前暗示がなされていても無効であったことが証明されています。
また、つづく本検査結果においても、以下の鑑定が出ています。
『鑑定事項1『タエの事例』に関する情報入手経緯については『本・雑誌類で』で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり、前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。
考慮すべき妥当性ある内観とは『先生(稲垣)からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、一回目の質問時から引っかかりを感じた』という内観報告である。したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである』

この鑑定は、つまり里沙さんは、完全な嘘をついていなくても、少しでも心理的なひっかかりがあれば動揺が生じること、正直で素直な性格であることを示しています。
こうした諸事実によって、少なくとも、ここで実施されたポリグラフ検査を、催眠により問題なく通過させたなどの不正が起こり得たはずがありません。
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上記私の反論について、疑義を提出した人からの再反論はありません。

Ⅵ 量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論


この反論を持ち出した人は、Wikipediaに掲載されている量子脳理論についての次の引用記事をヒントにしていると思われます。
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ペンローズ・ハメロフ アプローチ
理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。
意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と 呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説 明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。
臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」と述べている。

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上記ゴチック部分のハメロフの主張の問題点を挙げると

①「脳で生まれる意識は・・・」と、脳が意識を生み出すことが確定されているかのような前提を述べていますが、脳が意識を生み出しているという科学的立証はいまだにありません。
また、「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つ」と述べていますが、意識が素粒子より小さい物質など
の実証も一切ありません。

②量子脳理論提唱者のハメロフの主張は、「臨死体験」の説明仮説としては論理が通っているでしょうが、「心臓が止まると意識は脳から出て拡散する。体験者が蘇生した場合は意識が脳に戻る」などの主張の科学的立証は一切ありません。
立証しようにも検証方法がないのです。
そして、臨死体験が「脳内現象」であるのか、「体外離脱現象」であるのかの決着さえも、学会内の議論ではいまだについていません。
したがって、ハメロフの主張は、臨死体験論争に、目新しい量子脳理論を持ち出して説明しようとする「私論」、ないし「試論」または検証可能な「仮説」ですらなく、単なる「説」でしかないと言えるでしょう。

③ハメロフの言う「体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」、あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」という主張に、「ラタラジューの事例」の反論者は、待ってましたとばかり飛びついて、「量子脳理論で生まれ変わりは説明できる」と断定しているのですが、ハメロフは、宇宙にあり続ける死者の意識情報は「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」ときわめてあいまいな表現しかしていません。
理論とは言えないレベルの、科学的実証の見込みのない恣意的推論に過ぎないからでしょう。

④私は、ハメロフの量子脳理論による「生まれ変わり」の説明については、次のような決定的な欠陥のあることを反論しています。
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「かつて、ラタラジューが生きており、死後ラタラジューの意識(人格)が量子として宇宙に偏在したとします。
そのラタラジューの意識(人格)がなぜわざわざ日本人の里沙さんの意識を選んで宿るのか、その理由がまったく説明ができないではありませんか?
宇宙に偏在していたラタラジューの意識(人格)が、たまたま気まぐれで偶然に里沙さんの意識に宿ったわけですか?
また、そのような偶然が普遍的に起こるとしたら、応答型真性異言現象がもっと多くの人々の間に起きてもいいのではありませんか? 
つまり、学んではいない異国語で応答的会話のできる人々が、これまで世界に5例にとどまらず、もっと相当数現れてもいいはずです。
この点についての整合性のある合理的説明ができない限り、量子脳理論で生まれ変わりを説明できるとは到底考えることはできません」

⑤ハメロフの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。応答型真性異言の応答的会話は、情報に還元できない「技能」です。意識情報は量子論で説明できても、技能は量子論では説明できません。
 したがって、応答型真性異言現象は量子脳理論では説明できません。

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上記の私の反論についての再反論はありません。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識情報が、偶然に現世の誰かの生命体と結び付いて生まれ変わる、とすればこうした現象は、すでに「生まれ変わり」という辞書的定義を逸脱しています。
生まれ変わることに目的性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、生まれてきた誰でもよい誰かの肉体に宿る、こうしたまったく無縁である死者の意識が、生を受けたまったく無縁の現世の者の意識に偶然に宿ること、この説明では「生まれ変わり」と呼ぶことはすでにできません。

おそらく、量子脳理論について生かじりの知識しかなく、量子論という最新科学を背景にした目新しい主張に、軽率に飛びついてみただけだからでしょう。

Ⅶ 形態形成場仮説を援用し飛躍した推論による反論


形態形成場仮説は、Wikipediaの説明記事の引用によれば、次のようになっています。
この仮説は、生物学者シェルドレイクの提案だとされています。
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この仮説は以下のような内容からなる。

  1. あらゆるシステム形態は、過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する(時間的相関関係)。
  2. 離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する(空間的相関関係)。
  3. 形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
  4. これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
簡単に言えば、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説である。
この仮説を肯定する人々もいる。だが、「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」と否定的な見解を示す人もいる[2]
また、シェルドレイクは記憶経験は、ではなく、ごとサーバーのような場所に保存されており(記憶の外部保存仮説)、脳は単なる受信機に過ぎず、記憶喪失の回復が起こるのもこれで説明が付く、という仮説も提唱している。
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反論者は、上記の、生物学者シェルドレイクの提案している「形態形成場仮説」の説明のうち、「記憶の外部保存仮説」を借用し、拡大解釈をして、生まれ変わりについて次のように反論しています。

「わたしは否定派ですが、理由は『死後の世界』を想定しなくても『この世』だけてすべて説明可能だからです。(中略)
わたしにはむしろシェルドレイクなどが主張する『形態形成場仮説』のほうが説得力を感じます。
つまり、そもそも『記憶』というものは『脳内』存在せず、重力場や電磁場と同じように種ごとに世代を越えて(つまり故人も含めて)共通の『場』に蓄積さ れていくものだ、ということです。従って、『脳』」は中継器のようなものであり、生物は『脳』」を通じて遺伝子というキーを使って自分の『記憶』にアクセスし ていると見るのです。
実際、脳科学が進歩した現在においてさえ、『記憶』が『脳内』に存在している、という確証はないのです。
ここで、ある条件下において他者の『記憶』にアクセスできるとすれば、鳥類の『渡り』や魚類の『回遊』など世代を越えた情報交換が必要な現象や『本能』の謎も説明できることになります。
そして、この仮説により前世記憶や臨死体験などは勿論のこと、テレパシーなどの『記憶』に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります

私は、反論者の上記のゴチック部分について次のような再反論をしました。
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形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)によって、ある条件下において、他者(死者)の「記憶」にアクセスできる、という主張は、「ある条件下」の具体内容が示されないかぎり、検証実験はできません。
そ の検証実験によって、他者(死者)の記憶にアクセスが成功したという検証がいくらかでもできて初めて、「形態形成場仮説によって前世記憶や臨死体験などをは勿論 のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります]という科学としての言説が成り立つのではありませんか?
こうした、検証のされていないところで、「前世記憶や臨死体験などをは勿論のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります」という主張は、「形態形成場仮説」の極端な一般化という認知の誤りに陥った短絡的な恣意的推論と言うべきでしょう。

そ もそも、形態形成場仮説によって他者(死者)の記憶にアクセスできる、などの、あたかも最新量子物理学の成果を装った主張は、形態形成場仮説を「ラタラ ジューの事例」に都合よく援用した安易な拡大解釈、ないし実証のない恣意的推論だと受け取るしかないではありませんか。
だからこそ、「ある条件下において」などという、安直で曖昧模糊とした、反証可能性に閉じた言い回しをして、逃げを打っているのではありませんか?

「ある条件下」の内容が不明では、その条件を満たすにはどうすればよいのか、その検証が不可能ですから、科学的仮説の体裁になっているとは言えません。
仮説の検証方法が示され、仮説の再現方法が保障されていてこそ、仮説→検証→検証結果の分析と考察→仮説の実証、という科学的方法の適用が可能です。
したがって、反証可能性に閉じられており、検証のできない仮説は、科学的な仮説ではなく、恣意的推論の表明に過ぎないという誹りを免れません。

検証のできない、反証可能性に閉じられた仮説を持ち出すのは、前世などあるはずがない、という決めつけの前提から、「死後の世界を想定しなくてもこの世だけてすべて説明可能だ」という唯物論万能の砦に立て籠もって、自分の唯物論世界観の安定を図ろうとする硬直した態度のように私には思えます。

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上記の私の再反論についての反論はありません。

さらに加えて言えば、「ある条件下において」の文言を、「超ESPなどの能力が発揮できる条件下において」と置き換えれば、「超ESP仮説」と同様のことを述べていることになります。
「超ESPという能力を発揮できる条件においては、死後存続のあらゆる証拠は、生者による超能力で完全に説明できる」と考える理論が、「超ESP仮説」と呼ばれているものです。
つまり、「死後の世界を想定しなくても、この世だけですべて説明可能だ」とする理論です。
こう考えれば、「形態形成場仮説」のうち「記憶の外部保存仮説」は、「超ESP仮説」のような仮説に「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」という否定的見解を示す人が出るのは当然でしょう。
また、「記憶の外部保存仮説」は、これを恣意的に拡大解釈していけば、スピリチュアル好きの人たちの信じている途方もない「アカシックレコード」とよばれる「記憶の万能の貯蔵庫説」に至るかもしれません。

さて、「超ESP」という万能の超能力者が、発見されているわけではありません。
また、超ESPを用いて、情報である「記憶」は入手できても、情報に還元できない「暗黙知」である「技能」は取得できず、会話技能を示す応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、「記憶の外部保存仮説」でも説明することはできません。

「記憶」は情報であり、その取得は、最近の「量子もつれ」現象で説明可能かもしれませ
ん。
しかし、応答的会話は情報ではなく「技能」であり、暗黙知である「技能」の取得は、「超ESP」であろうと「形態形成場仮説」であろうと「量子もつれ」であろうと取得できるはずがないのです。
したがって、「技能」である応答型真性異言現象は、生まれ変わり以外の説明は成り立たないのです。

Ⅷ ユルゲン・ケイルが唱えた「thought bundle説」の借用による反論


thought bundleとは直訳すると「思考の束」という意味です。

「この考えの根底には、オーストラリアの生まれ変わり事例研究者ユルゲン・ケイル氏が唱えた『thought bundle説』」というものがある。簡単に言うと、人は死ぬ時に記憶や思考の束(魂のようなものではなく、あくまで情報)を放出し、それを胎児や乳児が読み込み、生まれ変わったかのように見える、という説である。この説では、生まれ変わった子供たちの大半が自分が死んでから次に生まれるまでの記憶がないことをうまく説明できる。また、死後の世界や生まれ変わりの法則と言ったものを説明する必要がなく、現代の科学にもそぐう。思考束がどういうものかは解明されていないが、稲垣氏の言う魂のように、科学的に検証できないものである可能性は充分にある。
thought bundle説の特徴は非生まれ変わりでありながら、本人の記憶を間接的ではなく直接的に得る点にある。真性異言はただ死者の情報を入手すると仮定される一般的なESP仮説では説明出来ないが、thought bundle説ならこの点も解消される」という主張です。
この反論者も「記憶」取得と、「技能」の取得を一緒くたにしています。
 イアン・スティ-ヴンソンの研究に目を通していない証拠です。

「thought bundle」という目新しい概念に惑わされるところですが、この概念はすでに
「Ⅵ 量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論」で批判した内容がそっくり当てはまります。

thought bundleなるものは量子脳理論の提唱者ハメロフの言う「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」という説とまったく同じ発想だと言わざるをえないからです。
ハメロフは「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つ」などと主張していますが、これをthought bundleと言い換えれば、そのまま「thought bundle説」に変身し、 量子を「thought bundle」と言い換えただけにすぎない思われるからです。

量子脳理論にせよthought bundle説にせよ、検証不能な想像の産物と言って差し支えない単なる想像上の「説」にすぎません。
生まれ変わり否定の「科学的仮説」とは到底言えないでしょう。
私はこのthought bundle説について次のように反論しておきました。
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そもそも「thought bundle説」の、人は死ぬ時に記憶や思考の束(thought bundle)を放出し、それを胎児や乳児が読み込む、などの説は、実証の欠片もないもっともらしい想像に過ぎません。死に際の記憶や思考の束を胎児や乳児が読み込むことができる、などの説は検証しようにも反証可能性に閉ざされており、とても「科学的仮説」とは言えません。
このような想像説ならば、研究者でなくとも誰にでも唱えられるのではありませんか?
「thought bundle説があたかも優れていないような言い回しだが、あの世や魂や生まれ変わりなどの非科学的なものを考慮せずともこれまでの生まれ変わり現象を説明できる点は明らかに優れていると言えよう」などの主張は独善に過ぎるでしょう。
魂や生まれ変わりの存在を非科学的なものと決めつけることも唯物論者の独断です。
「thought bundle説」が生まれ変わり否定のすぐれた仮説であり、科学的な説明になっているとは到底評価できません。
そもそも、「応答型真性異言」は「情報」に還元不可能な「技能」です。
実証も実体も何もない、SFまがいの、thought bundleなるものを想定すれば、とりあえず生まれ変わり概念を回避して、「記憶」の取得の説明が成功するというだけのことです。
説明の成功が即真理だというわけでは決してないのです。
天動説でも、星の運行の説明がとりあえず成功することと同様です。

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上記私の反論に対する再反論はありません。

Ⅸ スピリチュアリストからの恣意的反論 


スピリチュアリズムを絶対的真理として信奉する立場、いわゆる「確信的スピリチュアリスト」と呼ばれる論者(とりわけシルバーバーチの霊信を固く信奉していると思われる人物)からの聞き捨てならない恣意的な前世療法批判について反論してみます。
なお、詳細な反論については、「SAM催眠学序説その99」をごらんください。

反論については、私個人の催眠臨床体験が示す事実に基づいて、という前提と限界のもとで述べてみます。

さて、点線以下に取り上げた批判記事は、「スピリチュアリズム普及会」のブログ記事です。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-26/spnl-26-1.htm

点線以下の内容は1から9にわたっていますが、とくに前世療法批判にかかわる項目を抽出して引用します。
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“異言”は果たして前世の言葉なのか?

憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同


憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます。また憑依霊が、取り憑いている地上人が一度も行ったことがない場所の様子を正確に述べたり、知るはずのない過去の建物の所在地をピタリと的中させるようなこともあります。この場合も、前世の記憶が蘇ってきたと錯覚されます。言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません。
憑依現象について必ず知っておかなければならないことは、「霊が地上人のオーラの中に入って憑依状態を引き起こすと、霊自身に、自分が地上人に取り憑いているという自覚が全くなくなってしまう」ということです。それと同時に、霊に憑かれた地上人の方も、自分の意識と霊の意識が混同して区別がつかなくなってしまうということです。つまり憑依した霊の側と、取り憑かれた地上人の側それぞれが、自他の区別がつかなくなってしまうのです。
憑依霊は、自分が地上人の肉体に取り憑いておきながら、しばしばそれを自分自身の肉体のように思い込んでいます。憑依霊と地上人の当事者同士がこうであるなら、それを外から見ている人間には、特に前世の情報は簡単に得られるとの先入観を持った人間には、両者の区別はきわめて難しくなります。結果的に、憑依霊の記憶を前世の記憶と勘違いしてしまうことになります。

 

“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象


異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます。
スピリチュアリズムの中で最も多く見られる霊媒現象(霊界通信)の形式は、シルバーバーチに代表される「間接談話」であったり、モーゼスの霊訓の「間接自動書記」です。シルバーバーチの初期には、エクトプラズムでつくったメガホンでしゃべる「直接談話」の方式も用いられましたが、やがて間接談話の形式をとることによって霊界通信のレベルが向上しました。こうした霊媒現象では、霊界の通信霊が地上の霊媒に向けて「思念の言葉(霊界の普遍的言語)」で語りかけます。霊の思考内容が、地上の言語という形式を用いずに“インスピレーション”として地上の霊媒に伝わります。それを霊媒の潜在意識が、地上の言語に変換・翻訳することになります。
このメカニズムをもう少し詳しく述べると、次のようになります。通信霊が、地上の霊媒と自らのオーラを融合化させることによって、霊媒の“潜在意識”を支配下に置くことになります。そうした状況下で霊は、霊媒の潜在意識の中に存在する単語や文体を用いて自分の思想の言語化を図ります。それと同時に潜在意識につながる発声機能や書記機能を用いて、言語化した思想を発声表現したり、筆記表現することになります。多くの霊媒現象では、こうしたプロセスを踏んで地上人に、霊界からの思想・教訓が届けられることになるのです。
したがって霊媒の口から出る言葉や霊媒によって書かれた文章は、霊媒が日常生活で用いている言語になります。英国人の霊が日本人の霊媒を通じて通信を送る場合は、当然、日本語になります。また大昔の日本人が現在の日本人霊媒を通じて通信を送ってくる場合も、通信は現代日本語として届けられることになります。
高級霊が通信を送る場合、できるだけ負担のかからない方法を選択します。間接談話や間接自動書記の方法は、そうした目的に適っています。直接談話や直接自動書記霊が直接筆記する)では、霊に表現のためのたいへんなエネルギーが要求されることになり、長時間の通信、込み入った内容の通信は難しくなります。
高級霊が地上人にできるだけ正確に純粋なままの通信を伝えようとするとき、結局は「間接談話」や「間接自動書記」といった方法を選択することになります。間接談話のような入神中の霊媒を支配する方法ではなく、覚醒している霊媒にインスピレーションを送るという直接的な通信方式が、霊にとっては一番負担が少ないのです。しかしこの方法では、受信能力と翻訳能力が常に大きな問題となります。実際には通信が正確に受信されなかったり、受信されても霊媒の翻訳がいい加減で内容がデタラメになるといったことが多いのです。)
さて、先程の“異言”に話を戻します。異言も霊媒現象の一つである以上、当然、霊媒の潜在意識を利用します。しかしこの場合は、一般の霊媒現象のような潜在意識による言語化というプロセスは省略されます。霊媒の潜在意識につながる発声機能の領域だけが支配されることになります。霊界にいる霊達の記憶の中から、あるいは霊界の記憶の層の中から、かつての地上時代の使用言語が取り出され、それが直接、霊媒の発声機能に乗せられるのです。こうして霊媒の使用言語とは別の言語が音声化されることになります。これが異言のメカニズムです。
潜在意識は普通、言語機能・発声機能と連携して作動するようになっています。異言では、これらの連携を切り離して発声機能だけを利用しようとするのですから、霊の側には不自然な負担がかかることになります。霊は、自分や霊達の記憶の中から取り出した言語や、霊界の記憶の層から取り出した何らかの地上の言語を、ただ音声化することにのみ、すべてのエネルギーを費やすことになります。
“思想内容を伝達することより音声化”というこうしたショー的な意味のない通信――本来の目的を失った通信的行為を、高級霊がわざわざするようなことはありません。高級霊にとっては、内容(思想・教訓・真理)を伝えることが通信の一番の目的です。その目的にそわないうえに、ただエネルギーを浪費するだけの行為に加わるはずがないのです。
そうした行為は、地上人に対する霊界の“デモンストレーション”として、下級の霊に任されることになります。漢字を全く知らない霊媒を通じて漢字を書いたり、外国語を全く知らない霊媒を通じて外国語を書くようなことも、霊の力をもってすれば可能ですが、それは低次元のデモンストレーションとしての意味しかないのです。
したがって“異言”は、同じ霊媒現象といっても、さほど重要度の高い霊媒現象ではありません。それを演出する霊も、実際には大して霊的レベルの優れた霊ではないのです。こうした現象は高級霊の監視の下で、物質的影響力を行使しやすい下級霊・低級霊によって演出されることになります。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用おわり

催眠(SAM前世療法)の臨床現場からの反論


上記「スピリチュアリズム普及会」論者の、前世療法批判の総括的結論は、「一見科学的な装いをまとった退行催眠(前世療法)によってもたらされるのは、錯覚や間違ったイメージでしかありません」という実証のともなわない硬直した否定論一色の主張のようです。
おそらくこの論者は、イアン・スティ-ヴンソンの応答型真性異言についての著作も、私の2冊の前世療法についての著作も読んでいるとは思われません。

しかし、私の知るかぎり「確信的スピリチュアリスト」のすべての人が、前世療法に関して、この論者のような独善的で極端な主張・見解をもっておいでになるわけではないことをお断りしておきます。スピリチュアリストとは、本来的に柔軟で自由な思考態度をもっておいでだと思っています。

そこで、「巷に横行している“前世探し”を取り上げ、スピリチュアリズムの観点から検証します」というこの論者の言う「検証」が、前世療法についても、具体的かつ慎重になされたうえでの妥当な批判・主張になっているのかどうかについて、催眠臨床実践者として検討してみたいと思います。

まず、この論者は、「催眠術」という用語を当然のように用いていますが、この用語法は、催眠学上不適切です。
舞台催眠(催眠を使った見世物・ショウ) については「催眠術」と呼びますが、前世療法を含めて療法として心理臨床に用いる催眠は、催眠学上の共通理解として「催眠法」と呼ぶように統一されています。


こうした不適切な用語を安易に用いている点から推測するに、少なくともこの論者は臨床催眠の実践者ではないと思われます。
また、催眠学への造詣がさほど深くないことも、うかがうことができると思います。
あるいは、故意に「催眠術」という用語を用いて、催眠自体を非科学的な意識現象へと貶めようとする悪意すら疑われます。

 以上の前提に立てば、この論者が実際の前世療法セッション現場に立ち会い、自分の目で前世療法の実際を確認したうえで、個別に慎重に「検証」した結果の主張とは到底思われません。

そこで、上記引用した前世療法批判についての反論を、項目ごとに私の臨床体験に基づいて述べてみます。


「憑依霊の記憶を、前世の記憶と混同」という主張について

ここでは、「憑依霊は、たびたび前世の人格と間違われます。憑依霊が、自分の地上時代の生い立ちや生活状況・人間関係について語り、その内容を検証すると、まさに事実と一致するというような場合があります。こうしたとき、それが地上人の前世の記憶によるものと誤解されます・・・言うまでもないことですが、そうした情報はすべて憑依霊の記憶であって、地上人の前世の記憶ではありません」 という独善論が展開されています。

 私が知りたいのは、憑依霊と前世の人格を見分ける検証のための指標(検証の基準)です。
 それが一切示されていない前提においては、「憑依霊はたびたび前世の人格と間違われます」という主張の根拠はまったく不明ということになります。
「タエの事例」のタエ、「ラタラジューの事例」のラタラジューの語りは、検証の結果まさに事実と一致しました。
この論者によれば、タエとラタラジューの語りの内容(情報)は、すべて憑依霊の記憶であるということになります。
クライアントと無関係な第三者である「憑依霊の記憶」である確かな検証が示されないところで、このような一方的判断は、独善的と言うべきでしょう。
理解に苦しみますし、説得力はないと思います。
この論者は「スピリチュアリズムの観点から検証します」と冒頭で述べています。
「検証」とは、「調べて証明すること」 です。

憑依霊と前世の人格を見分ける検証の基準を示し、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を具体的に調べ、、検証の基準に基づく具体的根拠を示して憑依霊の記憶であることを証明してほしいものです。

「“異言”はポピュラーで低次元の霊媒現象」という主張について

論者によって、「異言という霊現象が昔からよく知られています。ある日突然、霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のことです。聖書にもそうした異言についての記述が見られます(「使徒行伝」2章)。また現代のキリスト教の中にも異言を語る宗派が存在します。新新宗教の中では、GLAの異言がよく知られています。異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象で、取り立てて騒ぐようなものではありませんが、問題はこの“異言”を、どのように解釈するかということです。スピリチュアリズムでは、異言は霊媒現象の一種と考えます」と述べられています。

「霊媒体質者が本人の知らない外国語をしゃべり出す現象のこと」を「異言」という霊現象だと説明してありますが、これでは専門用語としては説明不足です。
 単に「異言(グロッソラリア)」と言った場合には、「検証されていない外国語らしき言語」というほどの意味であり、発語(発話)者が学んでいないことが科学的に検証された外国語」を「真性異言」(ゼノグロッシー)と言います。
真性異言は、さらに「朗唱型真性異言」と「応答型真性異言」に種別されます。
「朗唱型真性異言」とは、対話相手がいない状態で外国語の単語や文を一方的に発語する場合、「応答型真性異言」とは異言で話す対話相手と応答的に異言で対話する場合を言います。
論者は、単なる「異言(グロッソラリア)」と「真性異言(ゼノグロッシー)」を一緒くたにしています。

論者は「異言はこのようにかなりポピュラーな霊現象」だと述べていますが、私の催眠臨床体験からすれば、とてもポピュラーな現象とは言えません。
なぜなら、私の体験では、検証不能な異言が1例、 検証の結果にせの異言であった事例が2例、応答型真性異言(ラタラジューの事例)が1例であり、計4例しかありません。

しかも、催眠下で確認されている応答型真性異言は、「ラタラジューの事例」を含めてこれまで世界でわずか3例しかないのです。

私の臨床事例のわずか4例をもって、これをポピュラーな現象とはとても言えないでしょう。
私は、応答型真性異言以外の3例の異言は、催眠中の要求特性による想像力が働いた結果の創作であろうと判断しています。

そして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、前世人格ラタラジューが被験者里沙さんを霊媒として顕現化した、いわゆる憑依現象だととらえています。
ただし、ラタラジューは、里沙さんの魂の表層を居場所とする意識体としての前世人格ですから、いわゆる「憑依霊」ではありません。
魂表層を構成している前世人格が、生まれ変わりである現世の里沙さんの肉体を借りて自己表現する現象ですが、このような憑依現象はこれまで知られていませんので、SAM催眠学上の新しい概念をあらわす用語として「自己内憑依」と名付けています。

そして、自己内憑依現象として顕現化し、応答型真性異言現象を示した「ラタラジューの事例」を、「低次元の霊媒現象」として評価することは明らかに間違いです。
スピリチュアリズムの立場から、応答型真性異言現象は、「低次元の霊媒現象」だと切って捨てるとすれば、イアン・スティーヴンソンの公開している応答型真性異言「グレートヒェンの事例」も低次元の霊媒現象だと切って捨てるのでしょうか。
低次元の霊媒現象だと断定するのであれば、憑依霊と前世の人格を見分ける検証の基準を示し、検証の基準に基づく具体的根拠を示して、低次元の憑依霊の記憶であることをきちんと論証するべきです。


この論者には、「一見科学的な装いをまとった退行催眠によってもたらされるのは錯覚や間違ったイメージでしかありません」、「前世療法は百害あって一利なし」という誤った恣意的推論による実証を欠いた思い込みによる偏見がはじめからあるように思われます。

それへの反論を封じるために、要求特性によって偽りの前世が語られていると否定し、検証によって語り内容が事実である場合は、幽体離脱やら低級霊の憑依現象によるまやかしだと否定する、こうして前世療法によってもたらされる前世の情報は、結局、どのような結果が出ても、錯覚や間違ったイメージでしかない、という全面的否定へと導くのが、この論者のはじめからの硬直した基本的論理のように思われます。

しかし、要求特性やら、テレパシーやら、幽体離脱やら、低級霊の憑依やらを持ち出して、前世療法を全面的否定しようとする実証なき観念論は、実際の催眠臨床で確認できる事実に反した誤りですよ、というのが私の率直な実感であり反論です。


付言しますと、私はスピリチュアリズムの説く霊的真理には共感を抱く立場であり、スピリチュアリズムそのものを否定する意図は毛頭ありません。
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以上、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの証拠だとする私の主張に対するこれまでの反論を、9点にわたって網羅しました。

このうち、「タエの事例」について、具体的反証を挙げた反論は、Ⅰのみでしょうか。
「ラタラジューの事例」について具体的反証を挙げて反論したコメントは皆無です。
「実証的探究」を掲げている本ブログ管理人としては、Ⅰ以外は、実証性のない観念的反論だと評価するしかありません。
「理屈より実証、観念より事実」の旗印からすれば、実証なき理屈、事実なき観念による反論では説得力を認めることはできません。

現時点において、これら諸反論では、両事例が示す生まれ変わりの実証性を揺らがせることがいささかもできなかった、と評価するしかありません。


とりわけ、最新の量子論を背景にした「量子脳理論」、「形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)」、および「thought bundle説」でタエ・ラタラジューの両事例を説明できると主張されていますが、その主張の理論的杜撰さから、どうやら生まれ変わりの科学的研究(SPRおよび超心理学)における先行研究の造詣があるとは思われませんでした。
生まれ変わり仮説の「否定が先にありき」であり、したがって、私の主張根拠である両事例の反証可能な点について、一次的証拠の具体的な検討をすることなく、思いつきで投稿されているように思われます。

このことは、「前世を語る子どもたち」の膨大な実証的研究、3つの「応答型真性異言」の実証的研究を残した、生まれ変わりの科学的探究の先駆者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソン博士の業績と、それを模範とする私のささやかな探究が、少なくとも現時点では、否定することはできない、と自負してよいと思われます。
一次的証拠への反証を回避して、実証のない観念論による反論だけでは、生まれ変わりを示す一次的証拠である具体事例を否定することは到底できないということです。

しかしながら、私の主張している「生まれ変わり仮説」は、生まれ変わりの濃厚な事実を示す具体的状況証拠に基づいていますが、完璧な証拠だと断定できるまでに至っているものではありません。
だから、常に批判(反論)にさらされているあり方、常に反証可能性に開かれているあり方こそが、真理を求めるための、公正で科学的な探究態度だと思っています。
こうした公正で慎重な探究態度を逸脱しないために、私自身も、生まれ変わりがあってほしいという願望による、事実認識の歪みの有無についての自己点検を、常に怠ってはならぬと自戒しています。

諸反論の幾つもの波を被り、揉まれ、洗われ、再反論を慎重に検討し、粘り強く思考していくプロセスの繰り返しがあってこそ、生まれ変わり仮説はより強靱なものに仕上げられていくに違いないからです。
そして、反論は、反証可能性に開かれた形で一次的証拠として提示されている具体的諸事実に基づいて実証的になされるべきでしょう。
法廷のルールに則れば、私が具体的諸証拠を提示して生まれ変わりがある、と主張しているのですから、生まれ変わりなど絶対にない、と主張する人は、私の掲げている一次的諸証拠に対して、まずは具体的反証を挙げて生まれ変わりがないがないことを実証する「立証責任(挙証責任) 」があるということです。 

なお、脳の機能と生まれ変わりの関係について、高度な諸議論については「SAM催眠学序説その16」の36におよぶ投稿コメント欄をご覧ください。
一読の価値があると評価できます。

ちなみに、量子脳理論、および形態形成場仮説、thought bundle説を持ち出して否定論を述べているお三人は、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の動画にある説明コメントをきちんと読んでおいでになるとは思われません。
あるいは、読んでおいでになっても、具体的反証の余地がないので、具体論から逃げ、実証のない観念論、抽象論で反論を展開しておいでなのだと推測します。

なお、2019年11月現在、タエ・ラタラジュー両事例の示している「生まれ変わり」の事実に対して、あらたな実証的、科学的否定論は一切提出されてはいません。

こうして生まれ変わりを否定する諸仮説をすべて公正に検討し、最後に残ったもっとも妥当性の高い仮説が「生まれ変わり仮説」でなければ、科学的な事実としての生まれ変わりを、多く人々が納得することはできないでしょう。

 生まれ変わりのように、きわめて重大で、個人の人生観にとどまらず広範囲に深甚な社会的影響力をおよぼすことを、科学的事実だと主張することであればなおさらです。

そして、「生まれ変わり」を多くの人々が、科学的事実だと認めれば、少なくとも、目前に迫った死に対する、すべて無に帰するという拭いがたい恐怖に対して、けっしてそうではない科学的可能性があるのだ、という光明を見出すことができるに違いありません。


なお、私は、生まれ変わりのないことが、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の具体的反証をあげて「科学的に実証」されるなら、怪しげな宗教的言説、先述のような自称霊能者のでたらめの感応、胡散臭い霊感商法などが、きれいさっぱり完全に一掃できる画期的なことだと評価しますし、私の主張は、潔く誤りを認めて撤回します。
そして、このことは、ひいてはスティーヴンソンの生まれ変わり研究の業績をもすべて否定することになるでしょう。

最後に、you-tubeに公開している「ラタラジューの事例の英語版」に寄せられた海外からの2つの好意的評価コメントを紹介して締めくくりとします。

文面から、それぞれ生まれ変わりの科学的研究への造詣があると思われるお二人です。
また、コメント文面から「ラタラジューの事例」の公開動画にある説明コメントを丁寧に読んだうえでのコメントであると推測できます。

私は、SAM前世療法による応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、故イアン・スティーヴンソンの「グレートフェンの事例」を凌ぎ、21世紀の、世界に誇れる、生まれ変わりの科学的研究史に残る、金字塔であると自負しています。

さて、お一人からはCongrats. Well done! 、 もうお一人からは Great job!という「!」付きの身に余るうれしい評価でした。
日本の濃尾平野の片隅の岐阜県可児市から、机に座ったままで世界に向けて発信出来る幸運な時代に生まれ合わせた喜びを噛みしめています。


以下の英文が、海外から寄せられた「英語版ラタラジューの事例」についてのコメントです。


Quite incredible! A very well planned session. It's amazing that she, as Rataraju, understands Nepali and gives many replies in Nepali (although many times she says "I don't know').. Congrats. Well done! To me, xenoglossy is evidenced here through the route of a spirit.


Hi. I think at some point when Ratarajou mentioned about his stomach pain, he died at that point and when people cross over its hard to communicate with them because like Dr.Brian Weiss said they are in state of resting or sleeping. If you noticed it was harder to talk to him after that point. Questions that he were answering in the earlier parts of the video, he answered "I dont know" or not understand at the point after he died(of stomach pain) because Rataraju was already resting and its hard to talk to them when its like that. If you are familiar with Dr. Michael Newton works the regression approach to be able to talk to people who are already in the spirit home or people who already cross over is by LBL type regression. But Kudos to this video, this is a great material supporting the reality of past lives and reincarnation. Great job!


最後まで辛抱強くお読みくださった読者の方には、あつくお礼申し上げます。