2022年3月18日金曜日

SAM前世療法で起きた身体の超常現象

SAM催眠学序説 その148


ここに紹介するのは、わたしの主宰しているSAM催眠塾の塾生である宝田昌子さん(スーパーバイザーSAM前世療法士)の質問メールです。                                   SAM前世療法のセッションにおいては、ときに免れることのできない憑依などの霊的現象があらわれることがあります。                                                    このことについて現時点のわたしの見解を述べたいと思います。

なお、宝田昌子さんには了解をいただいて、送付されたメールをコピペ・引用しました。   下記の点線枠内が彼女の質問メールです。

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いつもSAM催眠塾にて学ばせていただきありがとうございます。
突然のメールに驚かれたと思います。
実は、稲垣先生にご相談したい事例がありメールを送りました。
それは、マヒしている右手が何故かセッション中に滑らかに動き出した下記「Mさんの事例」です。

クライアントMさん(56歳男性)

【主訴】 
過去の記憶に悩まされることをどうにかしたい。
10日間前から気持ちが落ち着かず眠れない。食欲がない。

【体の状態】
首の付け根から右手の指先までマヒしている。
フォークを持ってご飯を食べられる程度にはなんとか指を動かせるが、きわめてぎこちない。

【セッション中の状態】
右手が、Mさんのお腹の辺りでピアノを弾くように「滑らかに動く」という現象が起きた。
右手首が、グッと90度に曲がって呼びかけに反応をした。

私が、Mさんの事例で驚いたのは、体の状態がセッション中、変化したように観察できたことです。
それは、ぎこちない動きをする「Mさんの右手の指が、セッション中には滑らかに動き、手首がグッと90度に曲がり、問いかけに返事をしたのです。

先生、こんな不思議な現象は起こるのでしょうか?
稲垣先生のご意見をお聞きしたいと思い、ぶしつけながらメールを出した所存です。
詳しい内容は、以下の通りです。

Mさんの体の症状について

Mさんは、二年前「エリテマトーデスリウマチ」と医師から診断されました。
Mさんは、「出来れば首の手術をして治るものなら治したい。」と話されていました。

《全身性エリテマトーデスとは》

全身性エリテマトーデス(systemic lupus erythematosus: SLE)とは
全身のさまざまな臓器に炎症や障害を起こす自己免疫疾患です。
特に関節、皮膚、腎臓、神経などを中心に症状が現れます。
(日本リウマチ学会より抜粋 https://www.ryumachi-jp.com/general/casebook/sle/)

 脳 や神経の病変
この部分の病変については、治療手段を決定するのが困難な場合が多々あります。その理由は、以下の項目にあげる症状が、本当にSLE自体によるものか、それとも、併発する他の病気や、薬の副作用によるものなのかを区別しにくい場合が多いためです。

カテゴリーA
上行性脊髄炎・横断性脊髄炎(脊髄の傷害)
脊髄は、脳と体のほかの部分の神経をつなぐ大事な組織です。
ここに炎症が起きて、傷害を受けると、手足が動かなくなり、感覚もおかしくなるなど、重大な障害をひきおこします。

(独立行政法人 国立病院機構 宇多野病院 関西脳神経筋センター リウマチ・関節センター【リウマチ・膠原病内科部門】より抜粋https://utano.hosp.go.jp/html/patient/department/department_04/department_04_01/department_04_01_12.html)


Mさんのセッション内容                             

催眠感受性は良好。
未浄化霊・ご先祖・動物霊を浄霊。

《手の反応》
指(左手)の反応からはじまり、腕全体がゆっくりと動き出す。
左手は、何かを求めて動いている様子。

《セッション中の右手の状態》
私は、「左手」の動きが奇妙に感じ、怨霊が憑依しているのではないか、と考えました。そこで、
「怨霊が動かしていますか?」
と聞くと、左手は反応しました。私は、怨霊を浄霊しました。
怨霊を数体浄霊すると、左手(腕)が全く反応しなくなりました。しばらくすると、クライアントの体越しに何かが動くのが見えます。私は「何が動いたのだろう?」と見ました。

そこには、Mさんの「右腕」がぐっとお腹のあたりまで持ち上がり、ピアノを弾くように指が波打っていました。

私は、
「怨霊が動かしているのですか?」
と聞いてみました。すると、「指」はとても滑らかにピアノを弾くように動きながら、「手首」をグッと曲げる方法を使って反応しました。
私は右手が反応したことに驚き一瞬混乱しました。しかし、今はMさんに憑依している怨霊への対処が先決と判断しました。そこで心を落ち着かせ、浄霊することに集中しました。
それから、セッションが終わるまで右手が応答し動き続けました。


《セッション後》
Mさんは、「体がスッキリした」と言ってから、二週間の前仕事をした現場について話してくださいました。
Mさんは、コンクリートを打つ職人さんでした。
現場は、その昔江戸時代まで「罪人の処刑場」でした。現在は民家は無く、倉庫が立ち並んでいる場所なのだそうです。
Mさんは、ちょっと遠くを見て
「そこから憑いてきたがいね~。」
と一言いわれました。

Mさんは、10日前から体調不良を起こしています。
セッション中、憑依していた怨霊は仕事場から憑いてきたと答えました。
しかも、二週間前Mさんが仕事をした場所は昔「罪人の処刑場」です。
怨霊の仕業で今回の体調不良を起こした可能性があります。

セッションから三か月後、クライアントの奥様に現状を確認しました。
セッション後、「体調も良くなった」と喜んでおられました。


以上が、セッション内容です。

「怨霊」について

「怨霊」も未浄化霊の中に分類されますが、クライアントに説明しやすいように、私は浄霊を望む霊を「未浄化霊」、恨みや辛さを抱え、それを被憑依者に体調不良などを起こして訴えている霊を「怨霊」とわけています。私が「怨霊なのではないか」と考えた理由は五つあります。
**********************************                    怨霊(おんりょう)とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである。悪霊に分類される。                      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
***********************************

《「怨霊」と判断した五つの理由》

 腕が、「蛇」のような奇妙な動きをする。                     

 腕の奇妙な動きは、「未浄化霊・先祖」の浄霊後に起こったため、強い恨みを持つ「怨霊」なのかもしれないと考えた。

 Mさんの奥様より「主人は体質上、色んな低級霊に憑かれます。幾度となく神社で除霊してもらっているのですが、今回はそういう類いのものとは少し違うようです。」「食欲も落ち睡眠がとれず、夫婦で睡眠不足で参ってます(^-^;」という内容のメールが届いていた。

4「この手に憑依しているのは、怨霊ですか?」「現場(クライアントが仕事をした土地)から憑いてきたの?」という問いに手が反応した。

 数体浄霊したが、どの怨霊も未浄化霊よりも強烈な痛みと重さを感じる。特に「頭・腰・首」が酷い状態だった。そして、底冷えする霊気に包まれた。(私の体感です)

以上の五つから私は、左手を動かしているのは「怨霊」ではないかと判断しました。

私の体感について

私は、幼少期から「霊感」があり「憑依体質」です。薄っすらと霊の存在を確認する事が出来ますが基本的には、「体」で感じる体質です。
たとえば
・「生霊」を飛ばしている相手がわかる。
・セッション中、前世人格や未浄化霊の体の痛みを感じる。
・セッション中、霊的な存在と直感でコミュニケーションが取れる。
・霊気を体でダイレクトに感じる。
など

個人的な感覚ですので、証拠にはなりませんし思い込みかもしれませんが、私が判断した理由の一つなので書かせていただきました。

「体感」「体の痛み」について

SAM前世療法セッション中に「顕現化した前世人格」や「未浄化霊」たちの痛い場所と同じ所が痛くなります。例えば、頭痛持ちの前世人格なら、私の頭も痛くなります。首を刺された前世人格だと、首が切れたように痛くなります。
生霊が、首を絞める、刺している行為を感じる。

 【筆者注】:宝田さんのような体質はエンパスと呼ばれています。エンパス(empath)」とは、「エンパシー(empathy)=共感、感情移入の力」とも呼ばれる、「共感力、共感力の高い人」という意味の言葉です。 人並みはずれて共感力が高く、生まれながらにして人の感情やエネルギーに敏感な気質の人をそう呼びます。 エンパスには、しばしば近くにいる人と同じ現象がその身に起こると説明されています。宝田さんはエンパス体質に加えて憑依体質のようであり、霊的能力があるように思われます。

 

「直感」について

セッション中、顕現化している前世人格の伝えたいこと(職業や、生きてきた過程、風景)を私の脳裏に直接見せる現象、私の口が勝手に呟く現象が起こります。
私の勝手な妄想では困るので、「本当にそうなのか」顕現化している前世人格に毎回確認を取り話を進めています。

「靈氣」について

セッション中、顕現化させた前世人格に「未浄化霊や怨霊」が憑いていると、周りが底冷えします。ですので、前世人格が訴えなくても「未浄化霊」たちの存在がわかります。

以上が「Mさんの事例」のすべてです。

稲垣先生のご意見をお聞きしたくメールを送りました。
ただ、私のいわゆる「霊感」の部分はなかなか理解してもらえないとわかっていますし、信用してほしいとも言いません。参考程度に見ていただけたらと考えております。

よろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メール引用終わり

 この宝田昌子さんの質問メールで、思い出したのは、2004年2月に明治学院大学で開かれた第29回日本教育催眠学会の講演で、催眠学者である故成瀬悟策(医学博士)先生の述べられた次のような見解です。

「脳の病変によって動かないとされていた脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから身体を動かすのは脳ではなく、オレであることに、この歳になってやっと気づきました。私のこの考え方を正当医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう。・・・脳は心の家来です」        (拙著『前世療法の探究』P.244)

成瀬悟策先生の2004年講演当時の「この歳」とは、75歳くらいだったと記憶しています。

50年間にわたって5000名を越える催眠臨床実験を経て、ついに 「脳と心の二元論」にたどり着かれたことの言明であり、予言だとわたしはとらえています。

この成瀬先生の「脳性麻痺の事例」は、そのまま宝田さんの「Mさんの事例」にも共通することだと言えるでしょう。                              

したがって、「エリテマトーデスリウマチ」の病変によって、わずかしか動かなかったクライアントMさんの腕や指が催眠中に滑らかに動いた超常現象について「こんな不思議な現象は起こるのでしょうか?」という宝田さんの質問に対するわたしの回答は、「催眠中であればまれに起こりうる現象です」ということになります。

 もう一つ「Mさんの事例」で考えねばならないことは、憑依霊とその憑依によって生じる影響の問題でしょう。

このことについて、『 SAM催眠学仮説 その124』の「SAM前世療法の重要仮説用語集」記事の中、「霊体仮説」の項でわたしは下記点線枠内のように述べておきました。

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 霊体仮説

 わたしあて第14霊信(2007年1月25日22:47受信)で次のように告げている。
「霊体は、ある意味においてあなた方があなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない」

つまり、霊体(オーラ)には個人的意識が宿っているのである。
「意識」が量子レベルのものであるとすれば、そして、それが脳内に限定して宿るものではないとすれば、「意識が霊体に宿る」という仮説は、非科学的妄想だと一蹴できないであろう。
なにしろ現代科学でも、意識が生み出されるメカニズムも、意識の本体が何であるのかも、今だに一切不明なのである。

「脳が意識を生み出す」という言説は、脳科学研究上の作業仮説にすぎない。そうした前提がないと研究に取り掛かれないのである。
わたしは、脳と意識の密接な「相関関係」を認めているが、それが即「因果関係」だと断定できない。臨床催眠の体験からも、意識が脳の生み出す付随現象だとは考えられない。

そして、未浄化霊や生き霊の憑依する場は、霊体であることが、SAM前世療法セッションの累積から分かってきた。

未浄化霊、生き霊は残留思念の集合体であり、それらマイナスの残留思念が、被憑依者自身の霊体に入り込めば(混在すれば) 、霊体に宿っている被憑依者の思念(意識)に、当然なんらかのマイナスの影響を与えることになる。

気分の晴れない鬱状態などが引き起こされることが多いが、嫉妬や恨みの強力な思念を抱いている生き霊や未浄化霊の憑依は、場合によっては自殺念慮や肉体の部分的な痛み、あるいは一時的な人格変換様の心理現象を起こすことがセッションの累積から分かってきた。

また、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えられるので、霊体に宿る思念(意識)が、憑依によってマイナスの影響を受けると、当然肉体にもそれが及び、体調不良や局部の痛みなどが引き起こされることも出てくる。

「未浄化霊はいつも理解を求めている」とわたしあて第9霊信は告げている。     

したがって、未浄化霊は、理解を求めて理解を得られそうな者に憑依することになる。
セッション中に顕現化した未浄化霊に尋ねてみると、彼らは被憑依者の霊体(オーラ)に宿っている意識内容を感知して憑依をするかどうかを判断するらしい。                                  

こうして霊体(オーラ)に宿る意識を感知し、その者が未浄化霊を理解し、受容的な考え方の持ち主であるかどうかを判断し、憑依するかどうかを決めることになるらしい。

したがって、常に自殺念慮などを抱いている者には、それを感知した自殺者などの未浄化霊が、共感と理解が得られると判断し、当然引き寄せられてくることになる。

顕現化した憑依霊に憑依した場所の確認すると、病死者が多い病院、自殺者が多い場所、交通事故死者の多い場所、過去に刑場であった場所などが挙げられる 。          

口頭で話せる憑依霊に、生前の身元や死に方を尋ね、真偽の検証をしてみたが、事実関係の完全な一致に至った検証事例はいまだない。                     ただし、あと一歩まで迫った検証事例が2事例ある。

わたしは、強いオーラであれば、その色が見えるという能力者10人以上の人から同一のオーラの色を指摘されている。 

ただし、オーラを色としては感知できないが、肉体を包み込む輪郭のある透明体として感知する人もいる。
こうした体験から、わたしは、オーラ(霊体)の実在を認めている。

ところでオーラの映像ではないか、と言われているキルリアン写真がある。

キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。 撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かな汗を帯びたコインでも像を得られる)
【ウィキペディア記事より】

この記事によれば、コインや腕時計のような非生体でも、キルリアン写真が可能であるので、映っている発光体は、物質としての水蒸気である。
したがって、おそらく、物質に還元できないであろう霊的なオーラの写真ではない、と推測できる。

わたしにとって重要なことは、肉体の故障個所周辺のオーラの色が黒ずんで見える、という複数の報告である。

また、オーラの色が澄んできれいな場合には、肉体の健康状態が良好であると分かる、という報告である。

したがって、オーラの色を澄んできれいな状態にすれば、肉体も良好な状態にできるという報告である。

これら報告は検証の結果、事実だと認めてよいと思われた。
こうした事実から、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えるに至った。
したがって、相互影響関係、相互干渉関係があるということは、霊体と肉体の双方に、何らかの共通する要素なり性質が存在していることを推測させる。
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さて、 以上のような「霊体仮説」に照らせば、宝田さんの浄霊によって、Mさんに憑依していた怨霊が取り除かれた結果、体調の改善が起きたという説明が可能だと思われます。

また、『SAM催眠学序説』その115・118・126・135などをお読みくだされば霊的存在の憑依現象の具体事例が掲載してあります。

こうした、SAM前世療法諸セッションにおいて観察された憑依現象と思われる事実の累積から、わたしが、憑依霊など霊的存在の憑依を認める立場をとる理由は、             

霊的存在の憑依を認めることが、直感に著しく反していないからであり、
霊的存在の憑依と思われる現象が、唯物論的枠組みからは説明できないからであり、
霊的存在の憑依を認めることが、不合理な結論に帰着しないからです。


一般に信じられている言説、つまり、心(意識)は脳の随伴現象であり、脳の死滅とともに心(意識)も消滅してしまえば、生前に経験されたことはすべて無に帰するので、前世の記憶をはじめ死後の霊の存在などは妄想であるという言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」・「主張」をそのまま表現しているものです。

こうした唯物論の言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではけっしてないのです。

脳とは別個の実在である「オレ (という意識)」を認める「脳と心の二元論」に立てば、脳の死滅後も「オレ (という意識)」や、そうした意識体である「霊」の死後存続の可能性を全否定することはけっしてできないのです。

故成瀬先生の「脳と心の二元論」の予言にならえば、唯物論に真っ向から対立するわたしの考え方は多くの人々には認めがたいでしょうが、21世紀の終わりには真偽が明らかになる、と思っています。