2020年1月31日金曜日

ワイス式前世療法への疑問 その1

    SAM催眠学序説 その128


ワイスが前世療法を始めたのは偶然のなりゆきだったようです。
ワイスの『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば次のようにその消息が語られています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。
かごがあります。
かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(後略)時代は紀元前1863年です。・・・・」
彼女はさらに、地形について話した。
私は彼女に何年か先に進むように指示し、見えるものについて話すように、と言った。 (前掲書PP25-26)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記セッション記録のクライアントは、コントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。
そして、突如、キャサリンは紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘であったときの前世記憶を語りはじめたというわけです。

以下は邦訳が正確であるという前提でのわたしの感想です。

注意すべきは、上記の「私は彼女に何年か先に進むように指示し」とは文脈からして「彼女」とは「前世人格アロンダ」ではなく、クライアントのキャサリンに対して指示していると解されます。

ワイスは、明らかにクライアントのキャサリンが前世記憶として、紀元前19世紀に生きたアロンダのことを語っている、ととらえています。
しかし、アロンダの語りをありのままに受け取れば、「前世人格アロンダ」が顕現化したとらえるべきではないでしょうか。

ワイスの思考は、この現象を次のようにとらえています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、アロンダになった。
それとも、アロンダがキャサリンになったというべきなのだろうか?(前掲書P36)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考回路は、わたしには理解不能な奇妙な思考に写ります。

キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世の人格アロンダがキャサリンの口を介して自分の人生を語った」のか、と考えることが自然な思考だろうと思われます。

結局、ワイスは、「前世人格のアロンダが自分の生まれ変わりである現世のキャサリンの口を介して自分の人生を語っているのだ」というありのままの自然な解釈をとらず、「現世のキャサリンが前世でアロンダであったときの前世の記憶を語ったのだ」という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにおいても一貫して適用しています。

このことはこの本の末尾で次のように述べていることか ら明らかです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうした人々は、それ以外の前世についても思い出した
そして過去生を思い出すごとに、症状が消えていった。
全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。
(前掲書P264)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、「クライアントが前世の記憶を語るのだ」という解釈が一貫してとられているということです。

「前世人格が顕現化し現世のクライアントの口を通して語る」という発想にどうしても至ることがなかったのです。
著名な前世療法家グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、わたしよりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?

わたしがワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。(注:「ワイス式」とはワイスの著作の邦訳『前世療法』が契機となって日本で前世療法が流行したことをもって、わたしが名付けました。もっぱら「前世記憶の想起をさせる前世療法全般」を意味します)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。
あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。
出口の方に歩いてゆきましょう。
もう、あなたの心は時間と空間から完全に自由です。
そして、今まで自分に起こったすべてのことを思い出すことができます」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。

ちなみに、前世療法家グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。
「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と声をかける。
そうすれば、クライアントは、その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店,1999,P314)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウィリストンも、記憶の中にある過去生の場面に戻り、過去生で想起された登場人物になりきる(登場人物になったつもりで役割演技する)、ととらえているわけで、やはり、「前世の記憶を想起する」という前提に立っていると推測して差し支えないでしょう。

誤解を恐れず言えば、ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているらしいにもかかわらず、「脳内にあるであろう前世の記憶を想起させる」という唯物論的思考へのとらわれから抜け出すことができなかったのだ、とわたしには思われます。
無条件で、「前世の記憶」と言った場合、その記憶の所在は、現行の脳科学に基づいて脳内である、と考えていることになります。
脳内の記憶は、死とともに脳の消滅によって無に帰することは言うまでもないことです。
したがって、現世の記憶が来世に持ち越されることはありえません。
当然の論理的帰結として、前世の記憶として語られた内容は、すべてフィクションであることになります。

わたしが2004年に日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会の合同学会において、ワイス式前世療法の事例発表した際に、参会者の医師・大学の研究者から批判されたのは、まさにこの前世の記憶の真偽についてでした。

(注:「タエの事例」が出たのは2005年です。「タエの事例」の真偽検証を発表したとしたら参会者の反応も違っていたかも知れません。しかし、2006年に上梓した「タエの事例」を掲載した拙著『前世療法の探究』を学会での批判者数名に献本しましたが一切反応はかえってきませんでした。) 

催眠中のクライアントが、無意識のうちにセラピストの要求に協力しようとする「要求特性」によるフィクションの語りこそ「前世の記憶」の正体なのだという批判でした。


あとで述べるイアン・スティーヴンソンの前世療法に対する厳しい批判も同様です。

脳内の前世の記憶が、フィクションではなく確かに存在することを証明するためには、語られた前世の記憶の真偽を、厳密に検証する以外に方法はありません。
しかし、ワイス式前世療法実践者で、科学的手法で真偽の検証をおこなった事例は、わたしの管見するかぎり公刊されてはいないようです。

生まれ変わりの研究者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソン博士は、こうした状況について下記のように前世療法批判を展開しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした(催眠によって起こる) 集中力をさらに高めていく中で被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくくなってくる。催眠暗示により施術者に何か想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で、不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている 内容に事実と虚偽が入り混っていることに気づかないのである。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方もおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。(中略)
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験で他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの一件も成功しなかった。 (『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP72-80)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スティーヴンソンは催眠への造詣が深いようですし、彼自身も催眠技能があると語っています。
その彼の前世療法批判の結論は次のように痛烈です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果があがるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がいるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、なんとか終息させたいと考えている。(前掲書P7)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした手厳しい批判に対抗するための唯一の方法は、ワイス式によって語られた前世記憶の真偽を検証し、それが真であることを実証すること以外にありません。
そうした真偽の検証がないままに、「前世の記憶」だと主張することを批判されても当然だと思われます。

なぜ、真偽の検証がおこなわれないのでしょう。
検証に耐える前世記憶が語られる事例が出ないのでしょうか。
あるいは、前世の有無は棚上げし、膨大な労力をかけて真偽の検証するより、症状が治れば結果オーライということに割り切るということでしょうか。
わたしに言わせれば、前世存在の真偽が1例たりとも実証されていないワイス式前世療法の現状では、正しくは「前世イメージ療法」と呼ぶことが妥当のように思われます。


また、ワイス式前世療法の明確な治癒仮説が述べられている著作を、わたしは知りません。
過去生の記憶の所在はどこであるのか、なぜ過去世の記憶が想起できると治癒が起こるのか。
過去生を思い出すごとに、症状が消える」とワイスが述べていることを治癒仮説だととらえていいのでしょうか。
仮に過去生の記憶がフィクションでも、それが語られさえすれば治癒は起こると考えられているのでしょうか。

結局は、唯物論的固定観念である「前世記憶」という硬直した思い込みによって、「前世人格が顕現化して対話しているのだ」という発想への転換ができなかったのでしょう。

また、ワイス、ウィリストン両者とも、「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会うことができなかったことも、発想の転換を妨げたと思われます。

なぜなら、応答型真性異言「グレートヒェンの事例」に立ち会った、イアン・スティーヴンソンは、真性異言で応答的会話をしている主体は、被験者自身ではなく、顕現化している「トランス人格(前世人格)」である、と解釈しているからです。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P11)

日本で公刊されている生まれ変わり関係、前世療法関係の著作を調べた限りでは、催眠中に「トランス人格が顕現化して会話した」という解釈を提示しているのはスティーヴンソンだけです。
しかし、スティーヴンソンは「トランス人格」が、どこに存在しているかについては何も語ってはいません。
ただし、彼は、「前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』 と呼ぶことにしたらどうかと思う」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と述べていますから、「心搬体」、つまり一般に「魂」と呼ばれている意識体にトランス人格が宿っていると考えていると推測できます。


いずれにせよ、催眠下のトランス状態で「前世人格」が顕現化して会話しているという主張をしているのは、わたし以前には世界中でスティーヴンソンだけでしょう。
同様の主張をしているのは、21世紀になってからはわたしだけのはずです。

ワイスが「キャサリンの事例」に出会ったのは1980年代の半ばころだと思われます。
わたしが、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。

日本にワイス式前世療法が流布し市民権を得て以来、催眠中に語られる内容は「脳内に存在するであろう前世の記憶の想起」として扱われ続けてきた考え方を、わたしは、魂の表層に存在している前世人格の顕現化」だと主張するに至りました。

このわたしの主張は、奇を衒って注目されたいがための主張ではありません。
この主張は、わたしあて霊信が告げた作業仮説に基づくSAM前世療法によってあらわれた応答型真性異言「ラタラジューの事例」という実証の裏付けがあってこその主張です。

きわめて深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の顕現化」が可能になる、という唯物論に真っ向から対立する主張は、容易に受け入れがたいでしょうが、この主張を裏付ける応答型真性異言「ラタラジューの事例」の証拠映像が実証している以上、事実として認めるほかありません。
超ESP仮説さえ考慮しなければ、前世存在の証拠に「タエの事例」も含めることができるでしょう。

そして、両事例について、唯物論による具体的反証を挙げることが2020年1月末の現時点では不可能です。

深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の顕現化が可能になる」という意識現象の事実は、SAM催眠学の発見してきたもっとも大きな成果の一つです。