2024年9月11日水曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の6

 SAM催眠学序説 その177

その176記事の続き 


6 里沙さんとネパール語との関わり調査

 

 まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに、生育歴についての綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を彼女の友人・家族等に可能な限りおこないました。
その結果は次のようでした。

 

 結婚するまでの生育歴調査

 

里沙さんは、昭和33年、岐阜市近郊田園の広がる本巣郡真正町(現本巣市) の造園業一家の二人姉弟の長女として生まれました。
幼稚園・小中学校ともに1学年2クラスの地元の町立小規模学校へ通学しています。高校も地元の公立高校、大学は岐阜市の4年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得。

大学卒業後、初めて実家を離れ、公立僻地(へきち)中学校の学校給食栄養士として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を経験します。
就職2年後、24歳で結婚のため退職。
岐阜市駅前に近い食品小売り業の長男の家に嫁ぎ、舅・姑と同居生活を送りました。

真正町の小中学校はそれぞれ1校しかなく、1学年2クラスの級友は9年間固定したまま義務教育を終えています。
この小中学校までの生育歴で、里沙さんは、ネパール人を含めて外国人との接触の記憶は一切ないと証言していますし、友人への聴き取り調査でもその裏付けはとれています。
ネパール語を学ぶ機会のありそうな高校・大学時代でも、学校事務局へ確認したところネパール国籍の学生の在籍した事実はなく、本人もネパール人との交遊関係は一切ないと証言しています。

また、昭和40年から50年代当時の在日ネパール人状況からしても、ネパール人が、地方都市である岐阜市近郊の真正町に在住することはまず考えられない状況で、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人の知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付く程に親しく交際していれば、その事実を友人・家族等に隠し通すことはまず不可能だと思われます。

 結婚後の生活歴調査


婚家は、岐阜市の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的時間のほとんどない生活をしたということです。

二人の息子が成人した頃には姑が体調不良となり、その介護と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みの治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりは持てない生活が続きました。
2時間以上の外出は姑の手前遠慮し、それ以下の時間で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。

やがて、家業を続けることが困難になり店を閉めた後、私立大学事務の午後3時間のパートタイムの職を得、現在に至っているとのことでした。

この生活歴の中で、私立大学関係の3時間の仕事中に、ネパール人との接触の可能性があると見て、この大学事務局に問い合わせましたが、開学以来ネパール国籍の学生の在籍はないとの回答でした。

なお、里沙さんの在住している駅前商店街周辺にはアパートはなく、それ以外にも近辺に在住するネパール人がいないことを確認しました。
里沙さんには、夫が外国人嫌いという事情もあり、新婚旅行でパリに出掛けたこと以外、渡航歴は一切ありませんでした。
 

ちなみに、里沙さんの住む岐阜市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、ラタラジュー人格の顕現化した初回セッションの2005年から、ラタラジューのネパール語応答型異言が確認できたセッションの2009年までの5年間に、在住していた毎年のネパール人人口を調査しました。

その結果、最多の年で33人、最少の年は25人であり、岐阜市総人口に占める平均割合は0.007%でした。
これまでの結婚以前の期間中に里沙さんが岐阜市内でネパール人と出会い、ラタラジュー程度のネパール語会話技能を習得する機会や時間はまずありえないと推測できます。

 ネパール人らしき者と接触した唯一の記憶


里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りに、その店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人と接触した記憶でした。

私はその料理店の住所を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって裏付け調査に出向きました。
店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。
ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。

ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。 

ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。
また、日本人にネパール語を教えたことはないとのことでした。
もちろん、里沙さんらしき女性が客として来た記憶はまったくありませんでした。

ライさんとの話の中で思わぬ収穫がありました。
彼はカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、知らないと答えました。
そこで、カトマンズ周辺の村ではヒルが生息しているかを尋ねると、カトマンズ盆地は、もともと湖底であったことから沼地が多く、ヒルがたくさんいると教えてくれました。
この証言は、「タエの事例」のセッションで、ラタラジューが語った「沼地・・・虫、虫・・・ヒル」という言葉に符合すると思われました。


 現代ネパール語の単語が理解できないラタラジュー

 

さて、仮に里沙さんが、どこかで現代ネパール人と接触してネパール語を学んでいたとしても、次のような昔のネパール語の単語はまず知ることはできないでしょう。    その部分の逐語録を以下に示してみます。

カルパナ:Gharma shrimati hunuhuncha?
    (家に奥さんはいますか、いませんか?)

里沙: ha ... ha ... Ma ... Bujina(分かりません)                                     

 

カルパナ: Srimati, swasniko nam?
     (奥さん、奥さんの名前?)

注:一昔前のネパール人であるラタラジューには、shrimati(現代ネパール語の妻)の意味が理解できない。ラタラジューはshrimatiの意味が理解できず、Bujina (わかりません)と答えている。そこでカルパナさんは、shrimati, swasni(古いネパール語の妻)の新旧2つの妻という単語を並べて尋ねている。

里沙: Ah ... ah ... mero swasni Rameli....Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
 

ラタラジューは現代ネパール語の妻Srimatiは理解できず、一昔前の古いネパール語の妻 swasniは理解できたので、swasni に反応したのである。

 

 現代ネパール語の数詞を使えないラタラジュー


カルパナ: Hajur. Bite ko umer.
   (はい。死んだ歳は?)

里沙:Ath satori ... ah ...
   (8と70、あー)

カルパナ:Hajur?
   (はい?)

里沙:Ath satori.
      (8と70
カルパナ:Sattari?
   (70ですか?

  里沙:Ath satori.
      (8と70

注:年齢表示の「78」歳を「8と70」と数える表示法は、現代ネパール語にはない。                                  現地調査によって、一昔前のネパールでは「8と70」という表示法を用いていたことが判明している。                           現代ネパール人の対話者カルパナさんには、「8と70」の意味が理解できないので、「70ですか?」と再度尋ねている。                  この事実は、里沙さんが現代ネパール人から「8と70」という年齢表示を学ぶことはまずできないことを示している。
 

 ラタラジュー言語能力(語彙数と文法の運用) 

 

ラタラジューの発話について重要なことは、ラタラジューが、カルパナさんの発話の中で用いていないネパール語の単語をどのくらい用いているかということです。

対話相手カルパナさんが用いていない単語で、ラタラジューが自ら発話している単語が相当数あれば、彼のネパール語運用能力の信憑性は高いと判断できるでしょう。

そこで、名前を除きラタラジューが自ら発語している単語を拾ってみると、30分弱の対話時間内に29ありました。

また、ネパール語の文法は、主語の人称と尊敬する相手に対応して動詞・助動詞が変化します。                                                                                         たとえば、日本語の「○○です」に当たる助動詞は、一人称では「hu」、二人称と尊敬する相手に対しては「hunuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho」のように変化します。

ラタラジューは、「私のお父さんはタマン族です」という表現で 、「お父さん」という尊称に対応した助動詞「「hunuhuncha(フヌフンチャ)」を文法に則り「mero  buwa Tamang hunuhuncha」と正しく発話しています。

ラタラジューの対話分析に当たった中部大学のネパール人の客員研究員のカナル・キソル・チャンドラ博士によれば、数字の発音などにタマン語の訛りが明瞭に混入しているネイティブなネパール語であるという鑑定でした。          ちなみに、ラタラジューが村長であったというナル村住民のほとんどは、タマン族です。          

そして、チャンドラ博士によれば、ラタラジュー程度の対話能力を身につけるためには、少なくとも2年から3年のネパール在住生活が必要だろうという判断でした。

 こうしたネパール語の対話能力は、被験者里沙さん自身の能力だとは到底考えられず、「里沙さんの前世人格ラタラジューの顕現化現象」だととらえることが最も妥当な解釈だと思われます。


 現代ネパール人のほとんど食べない「コド」食べていたラタラジュー

 

ラタラジューは、祭りでコドを食べると語っている。 

カルパナ: Kodo?
   (コドですか?)

里沙:  Kodo.
   (コドです)

カルパナ: He?
    (へ?)
 

注:「コド」はトウモロコシ・アワ・ヒエなど雑穀であり、これを粉にして水で練り、鍋などの内側に貼り付け、厚めの煎餅のように焼いて食べる。                                   現在では、カトマンズあたりではコドを食べる習慣はない。                したがって、カルパナさんは「コド」を知らないらしい。                       なお、インターネットで検索しても「コド」はヒットしない。         付言すると、里沙さんはインターネットが使えない。

 

以上、これまで述べてきた諸調査とセッション逐語録から、里沙さんが「ラタラジューの事例」以前に現代ネパール語を学んでおり、ネパール語文法に則って会話ができる技能を身につけていた可能性を否定できると判断してよいと思われます。

 

7  2009年8月 里沙さんのポリグラフ検査の鑑定結果

 

2009年8月6日着手、同年9月8日終了の、里沙さんへのポリグラフ検査とその鑑定を、「日本法科学鑑定センター」代表の荒砂正名氏に依頼しました。

荒砂氏は、元大阪府警科学捜査研究所長を歴任されており、ポリグラフ検査とその鑑定について日本有数の権威者とされている人物です。

「タエの事例 」「ラタラジューの事例」の両事例で語られた内容を、里沙さんがセッション前に入手していたか、していなかったの有無を確認するためです。

検査場所は、里沙さん自宅応接間、検査は午前10時から午後0時40分までの2時間40分に渡りました。

鑑定結果は、「日本法科学鑑定センター」名のポリグラフ鑑定書』で、34ぺージに渡る検査記録の分析資料提示後、次のような結論としてまとめられています。

「タエの事例」に関する入手経緯、入手時期 のいずれにも注目すべき特異反応を認めず、これらに対する認識(記憶)は、全くないものと考えられた。

「ラタラジュ-の事例」について、隣人・息子・ルピーなどのネパール語に注目すべき特異反応を認めず、これが該当事実であるとの認識(記憶)は、全くないものと考えられた。

要するに、里沙さんは、タエ・ラタラジュー両事例で語った内容について、覚醒時には全く認識していない内容であるにもかかわらず、魂の自覚状態の深い催眠状態に入ると顕現化した前世人格によって語ることができた、という事実が、ポリグラフ検査によって証明されたということです。

 

終わりに

 

このブログ「生まれ変わりの実証努力の現在の1」冒頭で、スティーヴンソンの述べている、「生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある」という言葉を引用しておきました。

この言葉に触発されて、タエ・ラタラジュー両事例の検証において、生まれ変わりを実証できる証拠の検討に、今考えられる限りの方法で取り組みました。

その検証過程を述べてきましたが、現行唯物論の手法では、少なくとも、被験者里沙さんにおいては、生まれ変わりを否定できないという結論に至りました。

心残りは、タエも、ラタラジューも、その前世中に生存していた文書の記録を確認できなかったことです。

タエについては、渋川村では当時の戸籍に当たる「人別帳」が戦災で焼失していました。                                  また、ラタラジューについては、ネパールでは1950年代以前の戸籍が作成されておらず、また故郷のナル村では当時墓を作る習慣がありませんでした。

 

どうやら、現時点においては、生まれ変わりを信じる人には、信じるに足る十分な状況証拠、生まれ変わりを否定する人には、疑いの余地をまだ残している証拠、というレベルでしか、生まれ変わりの事実の完璧な証拠は開示されないようです。

SPR(心霊研究協会)の有力会員であったW.ジェームズ(米国心理学者)は生まれ変わりの科学的研究のこうした閉塞状況を「挫折の法則」(ジェームズの法則と呼んでいます。

 

このことを守護霊団に質問したところ「挫折の法則ではない、あなた方の核となる意識体、そして神の計画が、あなた方が進むための原動力を与えているのだと理解しなさい。あなた方は、自らの持つ信仰を育てるのだ(第12霊信)」と回答しています。

                                     「 生まれ変わりの実証努力の現在」おわり


2024年9月7日土曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の5

 SAM催眠学序説 その176

その175記事の続き 

 

5 2009年5月「ラタラジューの事例」との遭遇 

 

「ラタラジューの事例」は「応答型真性異言」と呼ばれる現象が、科学的に検証され、生まれ変わりの事実を、最も濃厚に示していると評価されている事例です。

  「応答型真性異言」とは、当事者が学んでいないことがきちんと検証されている外国語で、応答的に会話できるという現象です。

 

 これまでに公になっている応答型真性異言」の事例 は、バージニア大の研究者イアンスティーヴンソンによる3例と、SPR(英国心霊研究協会)の研究者によって公にされた1例の、世界でわずか4例のみにすぎません。

 

「ラタラジューの事例」は、ネパール語による「応答型真性異言」であり、真性異言で発話中の貴重な証拠ビデオ撮影に成功した世界で初めての事例です。

 

 また、SAM前世療法の観点から述べれば、その仮説である呼び出した前世人格が、明らかに、ただ今、ここに顕現化し、現在進行形の会話をしている証拠を示している世界初の事例です。

 

さらに、一般の前世療法の前提である「前世の記憶の語り」ではなく、「顕現化した前世人格の語り」の明白な証拠を示している世界初の事例ともいえるでしょう。

 

またさらにいえば、「応答型真性異言」で会話体験をした当事者自身の意識状態の記録が残されている点でも、貴重な事例だと評価できると思われます。

 

このセッションの目的は、4年前の2005年、里沙さんに「タエの事例」で、タエの次の生まれ変わりを尋ねたところ、ネパール人のラタラジューの記憶? の一部が語られており、その後開発した今回の「SAM前世療法」で、意図的に、魂表層から「ラタラジュー人格」を呼び出すことが可能かどうか、という「再現性」を実証するというねらいがありました。

 

また、良好な催眠感受性および、霊的感性の優れた里沙さんであれば、ネパール語による日本初の「応答型真性異言」の会話ができるかもしれないという不確かな期待もありました。                           


そのため、セッションにネパール人女子留学生のカルパナさんに同席してもらい、ラタラジュー人格の顕現化が成功した場合には、ネパール語の会話相手をしてもらうという準備をしてセッションに臨みました。                      また、被験者里沙さんには、カルパナさんの同席をセッション当日まで伏せておきました。                                 わたしもですが、里沙さんとカルパナさんの面識は一切ありません。                     

また、セッションの証人として、医学博士である医師1名、大学教授と准教授各1名、ビデオ撮影者1名、計4名の同席をお願いしました。


なお、このセッションの全逐語録は、ブログ「SAM催眠学序説その23~32」に掲載しています。                            また、逐語録の綿密な分析は、前掲ブログ「その20~21」で綿密におこなっています。


 ラタラジュー人格の現在進行形会話の意味


里沙さんに顕現化した前世人格ラタラジューは、次のような現在進行形での会話をしています。


里沙: Tapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)
 

カルパナ: ho, ma Nepali.(はい、私はネパール人です)
 

里沙: O. ma Nepali.(ああ、私もネパール人です)


このやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについてきわめて興味深い示唆に富むものだといえます。

なぜなら、顕現化した前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を、ただ今、ここで、求めているわけで、里沙さんが「前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
 

つまり、ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格の前世人格として、今ここに顕現化している、としか解釈できない存在です。
 

その「別人格である前世のラタラジューが顕現化し、里沙さんの肉体を用いて、現在進行形で自己表現している」と解釈することが、自然かつ妥当ではないでしょうか。
 

スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、ドイツ語で応答型真性異言を話したグレートヒェンを、ドイツ人少女の「トランス人格」と呼び、被験者アメリカ人女性の記憶想起ではなく、催眠中のトランス状態で呼び出された「前世人格」との会話だと判断しています。

ちなみに、グレートヒェンのドイツ語会話の逐語録には、トランス人格グレートヒェンが、対話相手に、「あなたはドイツ人ですか?」と問いかけるといった、明らかに現在進行形の会話だと判断できる個所はなく、ここで取り上げたラタラジューの明らかに現在進行形の会話を示していることは、きわめて貴重な意味を持つと思われます。


この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、魂表層には前世の人格が、今も、生きた意識体として存在している、というSAM前世療法の仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

 

② 里沙さんのセッション後の体験記録

 

 応答型真性異言発話中の意識体験の報告は、これまで世界に例がありません
この意味で、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの体験報告は世界初のものです。
きわめて貴重なものであるとともにきわめて興味深いものと言えそうです。
この体験報告は、セッション後10日経過した時点で書いていただいたものです。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・体験報告はじめ
 

セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現 世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。

思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。注1 

ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。注2

タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。注3
 

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。注4
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。注5

ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。

そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。注6

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。注7

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。注8

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。
セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。注9
ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。
カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。 

一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。母という意味と、ラタラジューの母の名でした。

二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。
ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。
肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。
何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。

現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。
前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。

三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。
時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。
アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。

四つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたのか、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか?)
母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。

セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。注10
また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。

以上が今回のセッション体験の感想です。                 このことから、私が言えることは、①生まれる前から前世のことは知っていたこと、それを何かのきっかけで(私の場合は前世療法で)思い出したこと、②生まれ変わりは確かにあること、③前世にとらわれることなく、前世と現世とを統合しながら現世を生きなければならないこと、などです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・体験報告おわり

注1~10についての説明

 注1里沙さんの場合、彼女の守護霊が憑依している間の記憶が完全に喪失される。                                   霊媒体質が高い被験者ほど、守護霊などの憑依中の記憶喪失現象が観察される。       これは憑依中には、守護霊に完全に人格を明け渡すことが起きているからではないかと考えられる。

注2 ラタラジューに自分の体を貸している感覚、こそSAM催眠学が提唱している「自己内憑依」現象である。                       つまり、里沙さんの内部(魂表層)に位置づいている前世人格が、自分の体に憑依して自己表現しているというとらえ方をするのである。                 このことは、里沙さんの守護霊の「ラタラジューは憑依だととらえなさい」という指摘によっている。                            

注3ラタラジューの話すネパール語を理解した、と里沙さんは語っているが、正確には「ネパール語らしき異言を語っているこ」とが分かり、同時にその心情を理解したということであり、ネパール語そのものを理解できたわけではない。   ただし、そうした異言を話しているときのラタラジューの心情はよく伝わってきたということである。

注4この問題は、なぜネパール人のラタラジューに日本語の質問が理解できたのかというきわめて興味深い問題である。しかし、SAM前世療法によって顕現化する外国人の前世人格は、セラピストの日本語の質問を理解でき、日本語で回答できるのである。
ラタラジューが日本語を知らないはずであるにもかかわらず、私との日本語会話がなぜできるのか、という謎である。
そして、この謎は、他のSAM前世療法のセッションで顕現化する、日本語を知らない外国人前世人格が、セラピストの私との日本語会話がなぜできるのかという謎とも直結している。
こうした謎は、「前世記憶の想起」を前提とするワイス式前世療法では回避できる。
現世のクライアントが、外国人であった前世の記憶を「想起して語る」ので、クライアントが母国語で語って当然だからである。問題意識の起こりようがない。
さて、この謎について、唯一言及している科学者がイアン・スティーヴンソンである。
彼は、応答型真性異言現象を、さすがに「前世の記憶」として扱うことは不可能だと考えた。
退行催眠中に顕現化した「トランス人格(前世人格)」と呼び、次のような解釈を試みている。
ちなみに、退行催眠中に現象した応答型真性異言の公表は、「ラタラジューの事例」を含めて、これまで世界でわずか3例のみである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセンやグレートヒェンが母語(スウェーデン語とドイツ語)でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。
イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。
二人は、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである。         
イアン・スティーヴンソン『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.235)
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                   

このことは、ラタラジューにも当てはまる謎である。
なぜ、ネパール人前世人格ラタラジューが、知っているはずのない日本語を理解し、私と対話できるのかという謎である。
だから、応答型真性異言実験セッションの最初に、「ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂 の表層の『現世の者』と考えてよろしいですか? 」という質問を里沙さんの守護霊にしてみた。(
『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、P.46)。
これに対して、里沙さんの守護霊とおぼしき存在も、そのとおりだと認めている。
また、「魂レベルでは言語の壁がなくなり分かり合える」とも告げている。
つまり、SAM催眠学の「魂の二層構造仮説」のように、魂の実在を仮定すれば、スティーヴンソンの「特に解明したい謎」に解答が出せるかもしれないということである。
魂の表層に存在し、ラタラジューとつながっている「現世の者(現世の人格を担っている者)」が通訳をしているという説明ができることになる。
「現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います」という里沙さんの報告はこのことを指していると解釈できる。
こうして、前世人格の存在する座を「魂の表層」である、とするSAM前世療法の仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っている。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が応答型真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのか、その仮説まで言及しようとしていないからである。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(
『前世を記憶する子どもたち』教文社P.359とまでは提唱している。
SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからである。
スティーヴンソンは、スウェーデン人の前世人格イェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンが、「自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」と確信的に述べている。
この文脈からすれば、スウェーデン人の前世人格であるイェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンは、彼らの生まれ変わりである現世の者の「脳内から英語の理解力を引き出した」ことになる。
では、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンも、中心人物の脳内に存在しているのだろうか?
肉体の死とともに消滅する脳に、前世人格が存在することはありえない。
前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体である「心搬体(サイコフオア)=魂」に、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンは存在している、とスティーヴンソンは述べるべきであったと、私は思う。
そう考えることができなかったのは、スティーヴンソンがセラピストではなく生まれ変わりの研究者であり、したがって、私のようにSAM前世療法を実践するための切実な仮説を必要としなかったからであろうと思われる。

注5里沙さんにはラタラジューのネパール語会話そのものは理解できないが、魂表層から顕現化しているラタラジューの心・感情を共体験できたということである。                                 SAM前世療法一般にこうした前世人格の感情を共体験することが起こる。

注6注5に同じ。こうしたラタラジューの感情を共体験することによって、前世人格ラタラジューとの「同一性の感覚」が生まれると考えられる。


注7「ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました」とも報告されている。                         まさに「同一性の感覚」である。

注8前世人格顕現化中の意識には、「前世人格の意識」と「現世の意識」の2つが併存状態になる。                            しかし、「現世の意識」は、「前世人格の意識」に干渉することは一切できない。ただひたすら前世人格とセラピストの対話を傾聴するだけである。       前世人格ラタラジューに「体を貸している私が代理で伝えている」という意識状態である。                                 SAM前世療法では、このことを「自己内憑依」と呼ぶ。

注9里沙さんの場合、タエにしてもラタラジューにしても、セッションで十分に語り尽くせないことをセッション後にフラッシュバックで伝えるという現象が起こっている。                               タエは人柱になった裏事情を伝え、ラタラジューは自分が毒殺によって殺されたことを伝えている。                             このフラッシュバックは、催眠を用いないときでも、自己内憑依現象が無意識的に起きたと考えられる。                           こうしたフラッシュバックによって前世人格が語り尽くした後には、再びフラシュバックが起こることはおさまるようである。                 里沙さんによれば、フラッシュバック後はそれまで聞くことも嫌であった渋川村やナル村という語にまつわる嫌な感じが消え、懐かしい感じに変わったという。

注10この実験はきわめて興味深い。                   魂表層からラタラジューが顕現化しているときのネパール人ラタラジューでないとネパール語が話せないということである。                                   ラタラジューが「前世の記憶」ではなく、「前世人格の顕現化」であるからこその応答型真性異言現象であると言える。                    したがって、ラタラジュー人格の顕現化していない覚醒中の里沙さんには、ネパール語会話はまったくできないのである。

 

その177記事につづく

2024年9月6日金曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の4

SAM催眠学序説 その175

その174記事の続き 


4 2007年1月27日霊信受信者M子のセッション

 

2007年1月27日、わたしは霊信受信者のM子さんにお願いして前世療法のセッションを受けてもらえるように依頼しました。

 このセッションの目的は二つありました。

一つ目は、わたしあて霊信がM子さんの自動書記現象であることの実際をこの目で確認することでした。

二つ目は、彼女の霊媒能力(チャネリング能力)の真偽を明確にするために、深い催眠状態まで誘導して、霊的存在とのコンタクトの実際を確認することでした。

 この3時間にわたるセッションの逐語録は、「SAM催眠学序説」その64~66で公開しています。

ここでは、マヤ文明時代のパレンケ(マヤの古代都市)で、M子さん前世である片腕の少年と、パレンケで孤児院の教師をしていたというわたしとの対話の中で、注目すべき箇所を抜粋して「前世人格」の顕現化現象について考えてみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・抜粋始め          

M子:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。
 

稲垣:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?
 

M子:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
で も、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。
 

 稲垣:分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。
ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろ
し、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。
だから、あなたはそんなに悲しまないでください。
 

M子:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。
 
稲垣:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。
 

M子:うん。 

稲垣:あなたは片腕をなくしていますか?
 

M子:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。
 

稲垣:そうですか。                    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・抜粋おわり

わたしが注目したのは以下の赤字部分の「片腕の少年」の不思議な語りでした。

このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。

このお姉ちゃん(M子さん)は、ぼくじゃない」とは、「ぼくは、お姉ちゃんである現世のM子さん自身ではない 」、なぜなら「ぼく」は、前世の人間だからだ。  

でも、お姉ちゃんでなければ、ぼくは先生(稲垣)とお話ができないそれは、「ずっと(前世の)ぼくは、お姉ちゃんの()の中でお姉ちゃんと一緒に生きているからだ」と解釈できるでしょう。

こうした解釈を可能にしたのは、このセッションの数日前までに、霊信によって前ブログの「174」で紹介してある魂と生まれ変わりの情報、とりわけ「魂表層は前世の者たちによって構成されている」という情報に接していたからです。

さらにまた、ブログ「172」で紹介した「タエの事例」の末尾に書いた「被験者里沙さんの前世であるタエであったときの「記憶」ではなく、前世の「タエという人格の顕現化」ではないかというわたしの直感を裏付けてくれたものと思われました。

この片腕の前世の少年は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の一つとして存在しており、催眠状態で魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて、ただ今、ここで、現在進行形で、自己表現している(憑依している)ことを示しているのだと思われました。

そして、このM子セッションこそ、1年後に開発されていくSAM前世療法の前駆的現象であったということが言えるのです。

わたしは、このM子セッションに触発されて、生まれ変わりを実証するために、魂表層に存在している前世人格を呼び出す、という前例の一切ない前世療法の構想とその催眠誘導法の開発に本格的に取り組むことになっていきました。

 

その176記事につづく

2024年9月4日水曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の3

SAM催眠学序説その174 

 その173記事のつづき

 

3 2007年1月~2月「わたしあて霊信現象」

 

2006年5月に「タエの事例」を掲載した『前世療法の探究』春秋社、を出版した年末に、 当時26才で東京在住の派遣社員をしていたM子さんから拙著の感想メールが届きました。

M子さんとわたしとの面識は全くなく、拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係のみです。

彼女は、メールのなかで「自分は幼い頃からチャネリングができる」と述べてきました。

わたしは、好奇心から「稲垣についてチャネリングしてくれませんか」と返信しました。

すると年明けの2007年1月11日から2月14日まで1ヶ月余にわたって、M子さんを霊媒として、わたしあてにわたしの守護霊団を名乗る諸霊から、パソコンの自動書記による霊信が送られてくるという超常現象が起こりました。
 

わたし宛て霊信の全内容は、「SAM催眠学序説 その48~72」で公開しています。
すべてで22通の霊信であり、A4用紙82枚にわたるかなりの量です。

2007年1月14日5:23着信の第2霊信で通信霊は、
「ここで私があなた(注:M子)と稲垣に伝えるべき事は、私があなた方をつなぐ理由である。私は、生前あなた(注:M子)としての素質をもち、稲垣の進むものと類似する方向性をもつ者であった。そのため、私はあなた方をつなぐ者として接触しているのだ」
と告げています。
 

M子さんの素質とは、霊信を自動書記によって受信するような霊媒素質であり、稲垣の方向性とは催眠を用いた生まれ変わりの実証的探究だと思われます。
 

つまり、この送信霊は、生前、霊媒能力があり、しかも催眠との深い関わりを持つ人物であったと告げたことになります。

さらに、2007年1月18日22:28の第7霊信で通信霊は、
「私はエドガー・ケイシーである・・・なぜ今回の霊信で私が役割を担ったかを説明しよう。
それは私がよりあなた方の意識に近づける者であるからだ。
我が霊団は多くの者で成り立つものである。( 注:第12霊信で11の霊から成る守護霊団だと告げる)
その中でも、私はより『新しい意識』である。
それにより、あなた方に近づきやすい状況をつくり出すことができる。
そして、より明確に情報を伝えることができる」
と生前の身元を告げています。
 

エドガー・ケイシーは、催眠状態によって霊的存在とコンタクトをとり、様々な情報を入手し、それをリーディングと称していたようです。

そして、第2霊信で通信霊は、
「稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していた者である」
とも告げています。
 

ちなみに、エドガー・ケイシーは1945年に死亡しています。わたしは1948年の生まれです。

こうしてエドガー・ケイシーとわたしを守護している存在は同一ということになります。 
 

わたしの性向として、こうした霊信がインスピレーションという形でわたしに直に伝えられたとしても、それは自分の妄想や願望の投影された結果の産物ではないか、妄想ではないか、とわたしが必ず疑念を持つことをこの通信霊は知悉しており、そのため第三者のM子さんを霊媒に用い、自動書記による文書の形として送信してきたのだと推測しています。
 

こうすれば、少なくともわたし自身の妄想であることは完全に排除できます。
その結果、わたしの性向にしたがって、必ず霊信内容の真偽を検証しようと試みるであろうことを通信霊は知悉していたと思われます。

2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」と告げてきました。


「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう守護霊団の霊たちが、わたしの疑問について答えると言うのです。
 
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問状をつくり、M子さんに返信しました。
 
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
A子さんの、通信霊を装った作文による回答ではなく、したがって、守護霊団を称する存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断しました。

「意識 ・脳二元論」と「魂の二層構造」についての霊信の回答


わたしの理解を超えること、守護霊団(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。


第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。


A 「脳」「意識」を生み出していない。

B意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構造」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。 

E  現世の「わたし」という人格も「魂表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」「魂」から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂表層」「現世の者」であり、死後は「魂表層」の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、創作して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・この霊信において告げた内容を読んだとしても、M子自身は理解に到達できない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」

と、受信者M子さんの創作や妄想ではなく、11の諸霊たちから構成されているわたしの守護霊団からの回答であることを念押しし、強調していることです。


さて、上記回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。

これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているのは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
 

通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、上記A~Hの霊信内容の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
 

この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に成立した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が、同じ第11霊信の中で、 

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

と、この霊信1年半後の2008年6月に成立したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに開発することをすでに見極めていたと考えるほかありません。
 

むしろ、SAM前世療法の開発をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げて
いますから、わたしにSAM前世療法の開発を担わせたことは「計画」のうちに入っていた
のだろうと思われます。

霊信による「魂の二層構造」と「生まれ変わり」の図式

 

脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係、対応関係にあるが、本来別物である、とする立場を「意識と脳の二元論仮説」といいます。                

脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説です。                              

大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが実験研究の末に晩年になって唱えています。 

しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、という根本問題については一切述べていません。分からないのです。
SAM前世療法では、わたしあて霊信の告げている「魂の二層構成仮説」を採用し、意識を生み出しているのは、魂表層を構成している前世の者たちである、と考えています。
 

魂の二層構造」を理解しやすいように、円を用いて二次元モデルの模式図にしたものが下図です。

 

  「魂の二層構造とその転生の模式図]


左から右への矢印は時間軸を意味しています。
 

大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線です。
 

つまり、補助線より下の小円が肉体に宿る現世の人格です。
 

補助線より上の小円が、死者であり肉体のない前世の諸人格です。
 

したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円B二つの前世人格とともに、3回目の現世の人生を送っている魂をあらわしています。

意識は魂表層の小円A、小円B、小円Cなどの前世人格たちと現世人格が生み出しているというわけです。

魂の転生の仕組みを模式図の時間軸にしたがって説明してみます。

魂の核大円(X)は、最初の肉体に宿ると、その表層に小円という現世人格(の意識体)を生み出す。(左端の図)

現世人格(の意識体)はその肉体の死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格(の意識体)小円Aとして位置づき、死後も魂表層に存在し続ける。(真ん中の図)

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格(の意識体)を魂表層に生み出す。(真ん中の図)

さらに小円Bという現世人格(の意識体)は、肉体の死後魂表層の前世人格(の意識体)小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円A(の意識体)とともに魂表層を構成し死後存続する。(右端の図)

次の来世では小円Cという現世人格(の意識体)を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格小円A(の意識体)・B(の意識体)とともに魂表層を構成する。(右端の図)

このように、魂の核であるは、新しい肉体を得るたびに諸前世人格(の意識体)を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生していく。
現世人格であった(の意識体)・B(の意識体)・・・は死後も、それぞれの生前の人格、個性、記憶を保ちながら、魂の核とともに魂の表層を構成するそれぞれの諸前世人格(の意識体)として死後も存続している。
これを「魂の二層構造仮説」と呼ぶ。
つまり、「核となる意識体」と、その「表層を構成している諸前世人格(の意識体)」の二層を合わせた全体を「魂」と呼ぶ。

こうして、生まれ変わりの回数分だけの前世の諸人格(の意識体)が、現世人格(の意識体)とともに魂の表層を構成しながら意識体として死後存続している、というのがSAM前世療法で確認できた意識現象の累積によってが明らかなってきた魂の構成とその転生の仕組みであると考えます。

そして、魂は、表層を構成する前世の諸人格のすべてのものがつながり持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいると霊信は告げているので、当然現世の人格は、多かれ少なかれ、また良かれ悪しかれ、前世の諸人格の影響を受けていることになります。

また、転生するたびに、魂表層の前世人格(の意識体)が 新たに位置付き、その前世人格(の意識体)の智恵が分かち合われるので、魂表層を構成している諸前世人格全体の集合的意識は、転生することによって変化していくことになります。
ある方向性、志向性に支えられたこの変化を、「魂の成長・進化」と呼んでいいのではないかと思っています。

なみに、魂の核である意識体Xについて、わたしあて霊信では「ある意識体」とだけ告げており、その実体については現在も謎のままです。

SAM前世療法は、わたしあて霊信が告げているこうした仮説を骨格として、開発された前世療法です。

 

その175記事につづく

 

2024年9月3日火曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の2

SAM催眠学序説その173 

 その172記事のつづき    

 

1 2005年5月「タエの事例」との遭遇

 

被験者里沙さんは、当時47歳の主婦でした。                 彼女の主訴は、魂とその生まれ変わりが実在しているのかを実感したいということでした。

当時、わたしは、まだ「SAM前世療法」を開発していませんでしたから、当時おこなわれていた一般の「前世の記憶」を探るという仮説に基づいた前世療法で実施しました。

ただし、一般の前世療法ように、イメージの想起を繰り返すという催眠誘導技法をとらず、アカデミックな催眠技法によって、運動催眠→知覚催眠→記憶催眠へと催眠深度を確認していき、記憶催眠に至ったことを確認したのち、年齢退行へと導くという誘導法をとりました。

母親の胎内まで退行させ、「母親の胎内に宿る前の人生がもしあるのなら、そこへ戻りましょう」という暗示をしました。 

こうして想起された彼女の前世の記憶とは、天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で吾妻川を下る龍神の花嫁として人柱になって、16歳で命を落としたタエと名乗る渋川村(現群馬県渋川市)上郷在住の少女の記憶でした。

 詳しくは拙著『前世療法の探究』春秋社、を読んでいただくとして、ここで注目したいのは「前世の記憶」として語られたセッション中の里沙さん表情です。

この表情によって、里沙さんの前世であったタエの記憶の想起というより、前世人格のタエという少女自身の顕現化現象としてとらえることが自然ではないかという強い直感がはたらいたからです。

 以下にそうした直感がはたらいた部分のセッション逐語録を引用してみます。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

稲垣:今あなたは何歳ですか?

里沙:13。

稲垣:13歳ですか。あなたがみなし子だった事情を誰かから聞いていませんか?

里沙:捨てられてた。

稲垣:気がついたときには、赤ちゃんで捨てられていたのですか?

里沙:そう。

稲垣:それで、あなたを育ててくださった人がいますね。どんな人ですか?

里沙:安永九年(1780年)、渋川村、上郷(カミノゴウ)、名主クロダキチエモン。

稲垣:クロダキチエモンがあなたの義理のお父さん。キチエモンさんの連れ合いであなたの義理のお母さんは?

里沙:ハツ。

稲垣:クロダキチエモンさんとハツさんご夫婦に、あなたは育てられたわけですね。あなたが捨てられていたことは、そのお父さん、お母さんが話してくれたわけですね?

里沙:(頷く)・・・たくさん。

稲垣:たくさん拾われた子どもがいるんですね。キチエモンさんは、そういう篤志家(とくしか)ですか。渋川村の名主さんですね。渋川村というのはどの辺りですか?

里沙:上州、上野(こうずけ)の国。

稲垣:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

里沙:安永九年。(1780年)
注:安永は9年で終わっていることがセッション後判明。安永という年号があることは、私を含めてその場の見学者7名全員が知らなかった。


稲垣: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。


里沙:桑の実を摘んで食べる。


稲垣:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

里沙:真っ赤。(微笑む1)おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

稲垣:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (CL頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も 一緒に葉を摘んでますか?(CL頷く)楽しそうに。(CL頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

里沙:馬小屋。みんなも。

稲垣:下は?

里沙:ワラ

稲垣:どんな物を食べてますか?

里沙:ヒエ。

稲垣:ヒエだけですか。おかずは?

里沙:ない。

稲垣:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (CL頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

里沙:馬小屋。

稲垣:馬小屋で寝るの。お布団は?

里沙:ない。

稲垣:寒いときは何にくるまるのですか?

里沙:ワラ。

稲垣:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

里沙:着物。

稲垣:着物の生地は何でできていますか?

里沙:分っからない。

稲垣:粗末なものですか。(CL頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

里沙:きれいな手じゃない。
注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

稲垣:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

里沙:天明3年。(1783年)

稲垣:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

里沙:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。
注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この 夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。その後に火砕流による自然のダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』として残って いる。この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの川面から数メートル高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。
吾妻川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」となっており、流死はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。

稲垣:火が渋川村から見えますか?

里沙:うん。

稲垣:噴火の火がみえますか?

里沙:ふんか?
注:天明の頃には「噴火」という語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼」と言った。

稲垣:噴火って分かりませんか? (CL頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

里沙:熱い!

稲垣:煙も見えますか?

里沙:は、はい。

稲垣:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

里沙:白い灰が毎日積もります。
注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が相当量積もったことは事実である。

稲垣:どのくらい積もるんでしょう?

里沙:軒下。

稲垣:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

里沙:分からない。

稲垣:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

里沙:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。

稲垣:その結果なにが起きてますか?

里沙:龍神様は川を下ります。

稲垣:その結果どうなりました?

里沙:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。

稲垣:自分から志願したの?

里沙:・・・そうです。きれいな着物を着て、(微笑む2)おいしいごちそう食べて・・・。

稲垣:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

里沙:村のために・・・。

稲垣:誰か勧めた人がいますか?

里沙:おとっつあん。

稲垣:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。

里沙:恩返し。・・・みんなのために(微笑む3)・・・うれしい。

稲垣:もう一度確認しますよ。あなたのいる村は?

里沙:渋川村、上郷。

稲垣:川の名前が吾妻川?

里沙:吾妻川。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤字で示した里沙さんが微笑むときの声音と表情は、被験者里沙さんが前世の記憶を語っているというより、タエの人格そのものの顕現化ではないか、と思わせるほど自然のものでした。

この「タエの事例」のセッションは、その見学者であった教育催眠学会理事・大学教授・医学博士医師らの助言によって2006年に春秋社から『前世療法の探究』として出版しました。

この出版を契機に、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在から霊信が送られてくるという超常現象が起こるようになったのです。

なお「タエの事例」の全セッション動画はYou-tubeをご覧ください。

 

 その174記事へつづく

2024年3月20日水曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の1

SAM催眠学序説 その172

 
 
 はじめに
 
 
今回からは、わたしの2007以後の「生まれ変わり」の実証努力の現在について、5回に渡りまとめてみます。
 
さて、 『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、この研究分野の先駆者イアン・スティーヴンソンの膨大(2000事例以上)にして緻密な「生まれ変わりの実証的(科学的)研究」について次のように論評しています。
 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。                      

恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。

 遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略)                              

スティーヴンソンは、

生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある

どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない。

私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。

 もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか』とお聞きしたいと思う」

と述べている。                              

イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

わたしも、上記の見解のゴチック部分にはとりわけ同感しています。

 you-tubeで公開している「タエの事例」・「ラタラジューの事例」の証拠動画、また、ブログに公開しているセッション逐語録とその解説を、虚心坦懐に検討したうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、「どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実であると納得なさいますか」とわたしも、スティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。                                     

なぜなら、わたしの生まれ変わりの実証的探究も、スティーヴンソンの実証研究の方法論をモデルとしているからに他ならないからです。

そして、ここに取りあげる、生まれ変わりを濃厚に示す事例でもって、生まれ変わりは普遍的事実である、などと主張するわけではありません。        

 

「SAM前世療法」という前代未聞の催眠療法によってあらわれた特殊な事例という「前提」と、1000事例ほどのセッションで得られた「意識現象の事実」という「限界」における主張であることをお断りしておきます。

 

人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ死後も存続することが科学的に証明されれば、人生観・世界観はもちろんのこと、自然界や人間界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。

 

そうであるからこそ、そしてわたし自身も、死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは、誰もが「魂と生まれ変わりの有無」という根源的な問いを回避せず、当事者性をもって、短絡的に答えを求めず、地道に問い続けることが大切なのだと考えています。それは、人はなぜ生まれてくるのか、人生をどう生きるべきかという答えにつながっていくと思うからです。

 

さて、わたしの76年余の人生を振り返って、自分の死への圧倒的恐怖感が当事者性をもって迫った原体験は、小学校6年生12歳の晩秋でした。              

 

火葬場の焼却炉に穿たれた覗き穴から係員の目を盗んで、かわいがってくれていた祖父の遺体が、眼前で燃やされていく凄まじい光景をじっと見てしまったのです。                             

 

いつか自分も必ずそうなることを身に浸みて実感してしまったのです。     哲学的に言えば、「実存的原体験」とでも呼ばれる体験だろうと思います。

 

死んで肉体が無になっていく圧倒的恐怖感です。                        

 

この恐怖感は眠ることへの恐怖感となり、12歳にして不眠症になり、中学校に上がるまで一冬中続きました。                         どんどん痩せていくわたしを心配した母は、医師の診察に連れていき、睡眠剤を処方される事態にまで悪化しました。

        

この原体験以来、遺体が焼けていく恐怖の光景が、心の深層に沈殿し続け、折に触れてはフラッシュバックし、死への恐怖から逃れることができませんでした。
76歳を越えた現在でも、その恐怖は薄らいではきたものの、いまだになくなることありません。

 

とはいえ、わたしの性格は、観念的な死生観を説くだけの諸宗教に救いを求めることはどうしてもできませんでした。                     「観念より事実」「理屈より実証」を求めるのが、わたしの生まれつきの性向なのです。

 

そして、それまでは唯物論者であったわたしあてに、57歳のとき、わたしの守護霊団を名乗る存在から、拙著読者のM子さんを経由して40日間にわたって毎夜霊信が来る、という思ってもいなかった超常現象が2007年1月に起き、その霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について教示してくるという超常現象に遭遇することになりました。
 

わたしは、催眠を用いた探究によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。

 

しかしながら、これまでの検証によって確かめてきた「魂の転生と生まれ変わりの事実」は、検証の方法論が、催眠被験者の語る「意識現象の事実」を対象に、それを累積し共通項を分析するしかない、という限界があるため、当然のことながら間接的な証明でしかなく、けっして100%の事実の証明にはなりえません。

 

そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題意識に正対し、「生まれ変わりの有無」に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、わたしあてに霊信を贈ってきた守護霊団に対する、わたしの礼儀と責務だろうと思っています。

 

そして、スティーヴンソンをはじめとして、生まれ変わりの先行諸研究の成果は、生まれ変わりの可能性を示す証拠が、それを否定する証拠より質・量ともに無視できないほどに蓄積されていると思います。

わたしの、これまでのSAM前世療法の成果を要約すれば、わたしの肉体の死後も、霊体に宿っていた現世のわたしの人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、魂はさらに成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体にやどる。                   

 

このようにして、「わたし(という人格)」は、死後も魂の表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、無に帰することはないだろうということが、SAM前世療法を用いた19年余の生まれ変わり探究の現時点における知見です。  

それでは、SAM前世療法の独自・固有の立場である「前世の人格を呼び出し対話する」という仮説が、どのような経緯によって成立してきたかについて、次回以後時間軸にそって順に、SAM催眠学序説「その173」~「その177」まで5回に渡って述べていきます。

 

その173につづく

2024年2月26日月曜日

SAM前世療法による三者的構図と治癒仮説

SAM催眠学序説 その171

 

 前ブログで紹介した宝田昌子 さんが、わたしの最初のセッションを受けたときの感想と、その後催眠塾に入塾し、SAM前世療法士としてどのような努力を積み重ねて、今に至っているかを投稿していただけたので、でそれを紹介します。

これまで、SAM前世療法士自身の具体的、分析的なセッション体験を掲載したことはありません。

 

SAM前世療法の実際を、SAM前世療法士自身が、どのように体験していたのか、その後「スーパーバイザーSAM前世療法士」として、彼女が実力をつけていくための具体的努力をどのように重ねてきたかの軌跡が読み取れると思います。       

 

もう一つ注目していただきたいのは、SAM前世療法における、「セラピスト」対「前世人格」との対話と、それを傾聴している「現世のクライアントの意識」という独特なセッション構図が典型として示されていることです。         

 

世界中の従来の前世療法には例がない、このようなSAM前世療法の特異なセッション構図をわたしは「三者的構図」と呼んでいます。

 

 これに対して、終始「セラピスト」対「クライアント」の関係でおこなう一般の前世療法のセッション構図は「二者的構図」と呼んでいいと思います。

 

宝田昌子さんの投稿記事の次に、で2009年にあらわれたネパール語の応答型真性異言「ラタラジュ-の事例」の被験者里沙さんの感想を引用して、両者を比較検討してみたいと思います。

記事の青文字部分に注目してお読みください。

 

               

宝田昌子さんの投稿記事

                                     先日は投稿記事を取り上げていただきありがとうございます。
稲垣先生のブログ「SAM催眠学序説その170」の中で次のような記述がありました。

**********************************************************
「SAM前世療法」は、クライアントとセラピストと双方の「魂の自己実現をめざす前世療法」となりうる可能性を、まだまだ秘めている(中略)
SAM前世療法は、セラピストとクライアント双方の魂へのいやしの前世療法でもあり、それは魂表層で心身の傷を負って苦しみを訴えている、双方の前世の者たちの魂への功徳につながる前世療法でもある

***********************************************************
このブログの記述を拝読しながら、私は7年近く前の初めてのセッションで顕現化した「前世の者」のことを鮮明に思い出していました。


【 2017年8月 トンネル恐怖症改善の初めてのセッション 】


私は、高速道路のトンネルに入ると「全身に極度な力が入る」「スピードが出せない」「排気口を見るとクラクラする」「呼吸が浅い」「白線が怖い」「対向車線に突っ込んでいくのではないかと考える」など運転に大きな支障がでていました。

トンネル恐怖症と呼んでいい、閉所恐怖症の一つだったと思います。
 

頭では、「何事も起こらない」とわかっているのに、「トンネルのあらゆるものが襲ってくるような」なんとも言えない恐怖心にさいなまれていました。     普段の一般道路の運転では考えられないことでした。


[SAM前世療法初めてのセッション]
セッション記録メモによる再現
 

稲垣先生との催眠に入る前のカウンセリングの後、室内ライトを消しカーテンを引いたほの暗い部屋の環境でセッションが進んでいきました。


セッションが進み、催眠が深くなるにつれ、私の体の感覚がなくなっていくような不思議な感覚がありました。  


ただただ、「深く深く」どこかへ沈んでいくような、まどろんだ沼の中にいるようなそんな感覚だけがありました。                      そこには、「恐怖心」は全くなく、穏やかで何かに包み込まれるような「安心感」さえ感じました。


けれども、先生の「声」は私の耳にハッキリと聞こえました。


催眠状態をたぶん25分~30分くらい深めて「魂状態の自覚」に至ったとき、既に私のトンネル恐怖症に関わっている前世の者は顕現化していたようでした。      
 

私自身の現世の意識は、悲しく思っていません。
それにもかかわらず、なぜか「激しい感情」に襲われていました
。           胸が苦しく張り裂けそうでした。           
           涙が次々とあふれだしてきました。


稲垣先生が
「もう、出てきておられますね」
と言われました。


すると、前世の者は、我慢しきれず「大粒の涙」を流し、先生の方向にグッと体をむけました。
そして、前世の者は、先生の「腕」を両手で爪を立ててガシッと掴みました。       まるで、前世の者には稲垣先生の「腕」が「どこにあるか見えている」ようでした。
前世の者は、先生の腕に頭をうずめ涙ながらに、何度も何度も

「助けてくれ!!助けてくれ!!」

と懇願して叫んでいました。                        

前世の者の心は、「悲しみと恐怖」に満ちていました。
 

なりふりかまわず必死の思いで、先生に訴えているのが伝わってきました。
私は、私自身が大泣きして訴えているのに


「こんな立派な前世の男性が震えて泣くぐらいだから、よほど辛かったんだな。」
「でも、目を閉じているのにどうして先生の腕の位置がわかったのだろう?」


と「第三者のような客観的な思い」で
「先生と前世の者」との「対話」の様子を眺めていたようでした。



SAM催眠塾にて、
「一般の前世療法」における「セラピスト対クライアント」の「二者的構図」とは異なり、「SAM前世療法」では、そこに顕現化した前世の者が参加した「三者的構図」になることを学びました。
私はその時「なるほど!こういうことだったのか!」と感動していました。


 稲垣先生のスピリットヒーリング ]
 

先生が、
「いやしが必要ですか?」
と前世人格に尋ねると前世の者は「いやしてほしい。」と応えました。


すると、目の前にオレンジ色のような白いような「眩しい光」が広がりました。
その光は、胸の辺りから光っているのがわかりました。
あたたかく気持ちのいい光でした。


前世の者の「心の痛み」は、
包み込まれるように穏やかになっていくのがわかりました。


顕現化した前世の者は、
激しい悲哀の感情を錯乱状態で吐き出し穏やかになると


1000年前 
スイス
男性
土着の神に仕える「神官」
洞窟で殺された


という身元を語りました。


私は、「部屋は暗かったし、目を閉じているのになぜいやしの光がわかるのだろう?」と不思議に思っていました。
(数年後、稲垣先生のヒーリングを受けた人のなかに、私と同じような感想を持っている人が何人もおられ「やっぱり不思議だ」と思いました)


[ セッション後 ]
 

稲垣先生が「魂表層の前世の者たちで傷を持たない魂はない」ことを話してくださいました。
私は「他にも辛い前世の者たちがいるのなら、癒してもらおうかな」と思っていました。   


[ トンネル恐怖症の改善 ]
 

帰路につき、高速道路のトンネルに差し掛かりました。
「また、あの嫌な恐怖心が込み上げてくるのではないだろうか・・・」
と不安でした。けれども、私はトンネルに入っても「平常心」で運転していました。
「あれ? 怖くない・・・・」
普通に運転していることが不思議で仕方がありませんでした。


「今日一日で、何が私を変えたのか?」


今日一日私が体験したのは、SAM前世療法のセッションだけです。
 

運転中、前世の者の悲痛な思いがよみがえりました。


「トンネル・・・」
「私の前世の者、洞窟で殺されたんだ・・・」


セッション後稲垣先生から                                   

前世の者は「当時の苦痛体験」から学び、生まれ変わりである現世の者を自分と同じ苦痛から守ろうとして、恐怖心を訴え「危険を回避させること」がある。
「前世の者の生きた時代」と「現代」では状況が違うことに前世の者は気づくことができない。
そのような「危険を訴える潜在意識」は魂表層の前世の者が生み出す。
現世の者は、その影響を受けて生活に支障をきたす場合がある。
原因不明の「高所恐怖症」「閉所恐怖症」などがそうした典型である。
 

と教えていただきました。


[ 直感 ]
 

SAM前世療法によって、トンネル恐怖症の改善が起きた感動もおさまり運転に集中していると

「SAM前世療法を続けたら、人生が変わるかもしれない・・・」


この言葉が、一瞬心をよぎりました。
ひらめきのようなものでした。
けれども、

「人生の何かが変わっていくことだけは確かだ」と感じていました。
             

それからも稲垣先生の「セッション」を毎月1回受け続け、「SAM催眠塾」でも学び、今の私がいます。


SAM前世療法士初級のころから「稲垣先生と私の違いはどこにあるのか」「なにが違うのか」を反省し追究していました。
 

「先生は、前世の者にこんな言葉がけをしていたな」

「先生の按手(パス)の接着力は、こんな感じだったな」

「先生の暗示の間や暗示の言葉がけの話す早さはこんな感じだったな」


と稲垣先生にセッションしていただいたときのことを思い出していました。


SAMの誘導深化の技法のほかにも

「初対面の人とどうやって話の流れを作っていけばいいのか?」

「SAM前世療法の理論の説明は、どう話せば伝わりやすいのか?」

「先生の技量にどうやったら近づけるのか?」

                                     と考え続け「出来ない!」の連続に悩み苦しんでいました。


開業後の数々のセッションをこなしていったとき、やがて私なりの「セッションの形」ができてきました。


先生のブログの記述を拝読しながら、


「今の私は、私だけの力で成長したわけじゃない。多くのクライアントのお陰だった・・・」


と気づくことができました。
それは、私のSAM前世療法士として「何が足りないのか」を「見極めるチャンス」をくれていたと気づいたからです。


また、クライアントに顕現化した「前世の者」の訴えから、私の前世の者にも「同じ苦しみを持つ者がいる」かも知れないと気づき、先生のセッションをお願いすることもありました。


私は今まで、目の前のクライアントの「主訴の改善」だけを目標に、一所懸命やってきただけだと思っていました。
けれども、実は私自身が、クライアントからも学び「SAM前世療法士」としての「土台」を作らせてもらっていたのだと気づきました。


稲垣先生への感謝とともに、多くのクライアントに思いを馳せることができました。                                   ありがとうございました。
 

3月から新しいグループメンバーとともに、さらにSAM催眠塾で学びます。
どうぞご指導をよろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宝田昌子さんの投稿記事終わり
 

 

「ラタラジューの事例」被験者里沙さんの感想記事

 

「ラタラジュ-の事例」のセッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
(中略)

ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
(中略)

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナ
(注:ネパール人の女子留学生)さんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました
(中略)

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

(後略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・里沙さんの感想記事終わり

 

さて、宝田さんと、里沙さん両者の記事の青字部分の叙述をお読みになって、どのような感想を抱かれたでしょうか。

 

宝田さんは「セラピストの稲垣」対 「顕現化した前世人格」との対話、それを現世の自分の意識は第三者のような客観的な思いで様子を眺めていたようでしたと語っています。

また、里沙さんは同様な状況を「現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚だと述べています。

 

こうした「セラピスト」対 「顕現化した前世人格」との対話、その対話を第三者の感覚で眺め、傾聴している「現世の意識」という、いわば分割された意識状態(二重の意識感覚)を、「三者的構図」と呼んでいます。                          

 

そしてこのような意識現象は、従来の前世療法とは一線を画したSAM前世療法独自の際立つ特長だととらえています。

 

また、宝田さんは、「私自身の現世の意識は、悲しく思っていません。それにもかかわらず「激しい感情」に襲われていました。・・・涙が次々とあふれだしてきました語っています。

 

里沙さんも、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を体を貸している私が代理で伝えたというだけで現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした語っています。

 

こうした意識感覚は、顕現化した前世人格が自律的な存在であり、クライアントの現世の意識とは別個に前世人格の意識が働いている状況だと思われます。

 

したがって、私自身の意識は、悲しく思っていません。それにもかかわらず激しい感情に襲われていました(宝田)」といった感覚や現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした(里沙)という意識状態が起こると考えられます。   

 

ここのような「激しい感情と大泣き」「体を貸している私が代理で伝えただけ」 現世の感情は、はさむ余地がない」という意識現象を起こしている「主体」は、現世のクライアントではなく、顕現化した前世人格、という解釈が妥当だと思われます。

 

実際に前世人格が顕現化した多くのクライアントから「勝手に口が動いて話してしまう」「勝手に指が起きて応えてしまう」「勝手に涙があふれてくる」などの報告を受けてきました。

 

そして、宝田さん、里沙さんのような憑依体質のクライアントにおいては、前世人格との口頭による対話が可能であり、そうでない場合には、セラピストの質問に前世人格は人差し指を起こして返事をするという対話の形をとることになります。

 

 ところで、ラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけ」という里沙さんの意識体験、前世の者は、先生の腕に頭をうずめ涙ながらに、何度も何度も、助けてくれ!!助けてくれ!!と懇願して叫んでいました」という言動は、前世人格の憑依現象と言うしかなく、こうした自分の魂表層に存在する前世人格が、生まれ変わりである現世の者の身体を用いて自己表現する、つまり憑依している、という意味で「自己内憑依」と仮称しています。        

 

したがって、前世人格の顕現化現象とは、「自己内憑依現象」であると言えます。

 

読者のなかには、「前世人格の顕現化現象」などではなく、クライアント宝田さんや里沙さんの「前世の記憶の顕現化」ではないか、と疑問視される方があるでしょう。                                   あるいは精神疾患の「憑依妄想」ではないか、と思われる方があるかもしれません。

 

しかし、記憶では説明できない、ラタラジュー人格顕現化中の現在進行形の対話現象があり、「前世の記憶説」は否定できます。                        

 

それは、ネパール人女性のカルパナさんとの対話中に、彼女にラタラジュー人格が「あなたはネパール人」ですかと尋ね、「はい、そうです」という返事に対して「おお!」と喜びの声を上げるという現在進行形の対話が、「ラタラジューの事例」で確認されているからです。                      

 

さらに言えば、ラタラジュー顕現化中の里沙さんの声音は年輩の男性に変化し、宝田さんの前世人格「神官」の顕現化中の声音も明らかに男性のものに変化していたという現象が認められるのです。

「前世の記憶」を語るだけならこのような声音の変化現象は起きないでしょう。

また、「憑依妄想」によって、トンネル恐怖症の改善が一気に起こることはないはずです。                                 

 

そして、宝田さん、里沙さんともに、過去から現在にわたって精神疾患の既往歴は一切ありません。

 

なお、名古屋「さかえクリック」で、里沙さんを招いて「タエ」の顕現化実験セミナーをおこなった際に、顕現化した「タエ」が吾妻川の泥流を呑み込み溺死した場面で、被験者里沙さんは、腹部に胃痙攣状態の激しい身体反応を起こし、声を上げて苦悶しました。                                

 

この身体現象も、「タエ」の「自己内憑依」現象を裏付ける事実だと思います。     身体を持たない前世人格タエが、里沙さんの身体を借りて溺死の苦悶を再現してみせたということでしょう。

 

それでは、最後に、SAM前世療法の治癒構造仮説に触れて、まとめとしたいと思います。

 

クライアントの現世の意識は、主訴にかかわって顕現化した前世人格とセラピストの対話を第三者的な客観的な意識で傾聴します。                ただし、現世の意識は傾聴するのみで、セラピストと前世人格との対話に介入できません。

                       

前世人格は、主訴についての苦しみや悲しみを、ときには泣き、ときには怒り、強い感情を伴いながらセラピストに訴えます。                                

 

現世の意識は、前世人格の訴えに共感しながら傾聴し、現世の自分の主訴の原因を洞察(見抜く)していくと考えられます。 

 

精神分析では、主訴の原因を、理屈ではなく感情をともなって洞察できることを「ああ、そうか体験」と呼ぶようです。

 

こうして、現世の意識が、主訴の原因を感情を伴って洞察できた(ああ、そうか体験できた)ことによって主訴の改善に至る、というのが治癒構造だと現時点で考えています。

 

感情を伴って洞察できた(ああ、そうか体験できた)ことによる主訴の改善の具体はで紹介した宝田さんのトンネル恐怖症の改善過程を読んでいただければ了解されるだろうと思います。

 

そして、さらに治癒構造を敷衍して考察すれば

 

現在の人生のありようは、魂表層の諸前世の者たちの人生のありようと分かちがたく結びついており、潜在意識下でその影響を受けているという気づき。

 

現世自己という存在は、死後も魂の表層で他の諸前世の者たちとともに存続する、という「魂」という不滅の存在と、魂が生まれ変わりを繰り返すことへの確信的気づき。

 

現世の自己という存在は、魂表層で前世・来世へと連綿としてつながっている一連の鎖の輪のひとつとして生きているという気づき。

 

それらの気づきによって、自己の人生を再解釈し相対化できる超越的視点への気づき。

 

などの気づきを得て、セッション後においてもそれ以前の唯物論的人生観・人間観・世界観からの転換が、徐々に進んでいくのではないかと推測しています。

 

これらの気づきは、ある意味で宗教的認識に類するものでしょうが、あくまでSAM前世療法のセッション過程で、クライアント自らが獲得していくものであって、セラピストが外部から注入したり押しつけるものではないことを強調しておきたいと思います。 

 

また、治癒構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説にすぎません。

 

ですから、わたしがこれまで述べてきたことも、当然、現時点の暫定的な仮説でしかないことをお断りしておきます。

 

なお、蛇足になりますが、わたしは、既存の新興宗教組織やその教義とは、過去にも現在においても一切無縁の、一介のSAM前世療法の臨床実践者です。    

 

臨床体験で確認できたことを累積することによって、「生まれ変わりの科学的事実」を実証せんと試みる探究者です。

 

死後存続、および霊魂等の問題については、科学はこれまで、不関与・無関心という前提・立場をとり続けてきました。                      

 

その種のものの有無について科学は、つまり、特殊専門科学としては論及する立場にはない、という禁欲、あるいは了解が根強くあるようです。            

 

したがって、わたしは現在アカデミズムに属することはしておりません。