2024年9月3日火曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の2

SAM催眠学序説その173 

 その172のつづき

 

1 2005年5月「タエの事例」との遭遇

 

被験者里沙さんは、当時47歳の主婦でした。                 彼女の主訴は、魂とその生まれ変わりが実在しているのかを実感したいということでした。

当時、わたしは、まだ「SAM前世療法」を開発していませんでしたから、当時おこなわれていた一般の「前世の記憶」を探るという仮説に基づいた前世療法で実施しました。

ただし、一般の前世療法ように、イメージの想起を繰り返すという催眠誘導技法をとらず、アカデミックな催眠技法によって、運動催眠→知覚催眠→記憶催眠へと催眠深度を確認していき、記憶催眠に至ったことを確認したのち、年齢退行へと導くという誘導法をとりました。

母親の胎内まで退行させ、「母親の胎内に宿る前の人生がもしあるのなら、そこへ戻りましょう」という暗示をしました。 

こうして想起された彼女の前世の記憶とは、天明3年(1783年)の浅間山の大噴火で吾妻川を下る龍神の花嫁として人柱になって、16歳で命を落としたタエと名乗る渋川村(現群馬県渋川市)上郷在住の少女の記憶でした。

 詳しくは拙著『前世療法の探究』春秋社、を読んでいただくとして、ここで注目したいのは「前世の記憶」として語られたセッション中の里沙さん表情です。

この表情によって、里沙さんの前世であったタエの記憶の想起というより、前世人格のタエという少女自身の顕現化現象としてとらえることが自然ではないかという強い直感がはたらいたからです。

 以下にそうした直感がはたらいた部分のセッション逐語録を引用してみます。

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稲垣:今あなたは何歳ですか?

里沙:13。

稲垣:13歳ですか。あなたがみなし子だった事情を誰かから聞いていませんか?

里沙:捨てられてた。

稲垣:気がついたときには、赤ちゃんで捨てられていたのですか?

里沙:そう。

稲垣:それで、あなたを育ててくださった人がいますね。どんな人ですか?

里沙:安永九年(1780年)、渋川村、上郷(カミノゴウ)、名主クロダキチエモン。

稲垣:クロダキチエモンがあなたの義理のお父さん。キチエモンさんの連れ合いであなたの義理のお母さんは?

里沙:ハツ。

稲垣:クロダキチエモンさんとハツさんご夫婦に、あなたは育てられたわけですね。あなたが捨てられていたことは、そのお父さん、お母さんが話してくれたわけですね?

里沙:(頷く)・・・たくさん。

稲垣:たくさん拾われた子どもがいるんですね。キチエモンさんは、そういう篤志家(とくしか)ですか。渋川村の名主さんですね。渋川村というのはどの辺りですか?

里沙:上州、上野(こうずけ)の国。

稲垣:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

里沙:安永九年。(1780年)
注:安永は9年で終わっていることがセッション後判明。安永という年号があることは、私を含めてその場の見学者7名全員が知らなかった。


稲垣: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。


里沙:桑の実を摘んで食べる。


稲垣:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

里沙:真っ赤。(微笑む1)おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

稲垣:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (CL頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も 一緒に葉を摘んでますか?(CL頷く)楽しそうに。(CL頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

里沙:馬小屋。みんなも。

稲垣:下は?

里沙:ワラ

稲垣:どんな物を食べてますか?

里沙:ヒエ。

稲垣:ヒエだけですか。おかずは?

里沙:ない。

稲垣:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (CL頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

里沙:馬小屋。

稲垣:馬小屋で寝るの。お布団は?

里沙:ない。

稲垣:寒いときは何にくるまるのですか?

里沙:ワラ。

稲垣:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

里沙:着物。

稲垣:着物の生地は何でできていますか?

里沙:分っからない。

稲垣:粗末なものですか。(CL頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

里沙:きれいな手じゃない。
注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

稲垣:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

里沙:天明3年。(1783年)

稲垣:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

里沙:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。
注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この 夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。その後に火砕流による自然のダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』として残って いる。この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの川面から数メートル高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。
吾妻川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」となっており、流死はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。

稲垣:火が渋川村から見えますか?

里沙:うん。

稲垣:噴火の火がみえますか?

里沙:ふんか?
注:天明の頃には「噴火」という語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼」と言った。

稲垣:噴火って分かりませんか? (CL頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

里沙:熱い!

稲垣:煙も見えますか?

里沙:は、はい。

稲垣:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

里沙:白い灰が毎日積もります。
注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が相当量積もったことは事実である。

稲垣:どのくらい積もるんでしょう?

里沙:軒下。

稲垣:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

里沙:分からない。

稲垣:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

里沙:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。

稲垣:その結果なにが起きてますか?

里沙:龍神様は川を下ります。

稲垣:その結果どうなりました?

里沙:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。

稲垣:自分から志願したの?

里沙:・・・そうです。きれいな着物を着て、(微笑む2)おいしいごちそう食べて・・・。

稲垣:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

里沙:村のために・・・。

稲垣:誰か勧めた人がいますか?

里沙:おとっつあん。

稲垣:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。

里沙:恩返し。・・・みんなのために(微笑む3)・・・うれしい。

稲垣:もう一度確認しますよ。あなたのいる村は?

里沙:渋川村、上郷。

稲垣:川の名前が吾妻川?

里沙:吾妻川。
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赤字で示した里沙さんが微笑むときの声音と表情は、被験者里沙さんが前世の記憶を語っているというより、タエの人格そのものの顕現化ではないか、と思わせるほど自然のものでした。

この「タエの事例」のセッションは、その見学者であった教育催眠学会理事・大学教授・医学博士医師らの助言によって2006年に春秋社から『前世療法の探究』として出版しました。

この出版を契機に、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在から霊信が送られてくるという超常現象が起こるようになったのです。

なお「タエの事例」の全セッション動画はYou-tubeをご覧ください。

 

 その174につづく

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