2024年9月7日土曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の5

 SAM催眠学序説 その176

その175の続き 

 

5 2009年5月「ラタラジューの事例」との遭遇 

 

「ラタラジューの事例」は「応答型真性異言」と呼ばれる現象が、科学的に検証され、生まれ変わりの事実を、最も濃厚に示していると評価されている事例です。

  「応答型真性異言」とは、当事者が学んでいないことがきちんと検証されている外国語で、応答的に会話できるという現象です。

 

 これまでに公になっている応答型真性異言」の事例 は、バージニア大の研究者イアンスティーヴンソンによる3例と、SPR(英国心霊研究協会)の研究者によって公にされた1例の、世界でわずか4例のみにすぎません。

 

「ラタラジューの事例」は、ネパール語による「応答型真性異言」であり、真性異言で発話中の貴重な証拠ビデオ撮影に成功した世界で初めての事例です。

 

 また、SAM前世療法の観点から述べれば、その仮説である呼び出した前世人格が、明らかに、ただ今、ここに顕現化し、現在進行形の会話をしている証拠を示している世界初の事例です。

 

さらに、一般の前世療法の前提である「前世の記憶の語り」ではなく、「顕現化した前世人格の語り」の明白な証拠を示している世界初の事例ともいえるでしょう。

 

またさらにいえば、「応答型真性異言」で会話体験をした当事者自身の意識状態の記録が残されている点でも、貴重な事例だと評価できると思われます。

 

このセッションの目的は、4年前の2005年、里沙さんに「タエの事例」で、タエの次の生まれ変わりを尋ねたところ、ネパール人のラタラジューの記憶? の一部が語られており、その後開発した今回の「SAM前世療法」で、意図的に、魂表層から「ラタラジュー人格」を呼び出すことが可能かどうか、という「再現性」を実証するというねらいがありました。

 

また、良好な催眠感受性および、霊的感性の優れた里沙さんであれば、ネパール語による日本初の「応答型真性異言」の会話ができるかもしれないという不確かな期待もありました。                           


そのため、セッションにネパール人女子留学生のカルパナさんに同席してもらい、ラタラジュー人格の顕現化が成功した場合には、ネパール語の会話相手をしてもらうという準備をしてセッションに臨みました。                      また、被験者里沙さんには、カルパナさんの同席をセッション当日まで伏せておきました。                                 わたしもですが、里沙さんとカルパナさんの面識は一切ありません。                     

また、セッションの証人として、医学博士である医師1名、大学教授と准教授各1名、ビデオ撮影者1名、計4名の同席をお願いしました。


なお、このセッションの全逐語録は、ブログ「SAM催眠学序説その23~32」に掲載しています。                            また、逐語録の綿密な分析は、前掲ブログ「その20~21」で綿密におこなっています。


 ラタラジュー人格の現在進行形会話の意味


里沙さんに顕現化した前世人格ラタラジューは、次のような現在進行形での会話をしています。


里沙: Tapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)
 

カルパナ: ho, ma Nepali.(はい、私はネパール人です)
 

里沙: O. ma Nepali.(ああ、私もネパール人です)


このやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについてきわめて興味深い示唆に富むものだといえます。

なぜなら、顕現化した前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を、ただ今、ここで、求めているわけで、里沙さんが「前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
 

つまり、ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格の前世人格として、今ここに顕現化している、としか解釈できない存在です。
 

その「別人格である前世のラタラジューが顕現化し、里沙さんの肉体を用いて、現在進行形で自己表現している」と解釈することが、自然かつ妥当ではないでしょうか。
 

スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、ドイツ語で応答型真性異言を話したグレートヒェンを、ドイツ人少女の「トランス人格」と呼び、被験者アメリカ人女性の記憶想起ではなく、催眠中のトランス状態で呼び出された「前世人格」との会話だと判断しています。

ちなみに、グレートヒェンのドイツ語会話の逐語録には、トランス人格グレートヒェンが、対話相手に、「あなたはドイツ人ですか?」と問いかけるといった、明らかに現在進行形の会話だと判断できる個所はなく、ここで取り上げたラタラジューの明らかに現在進行形の会話を示していることは、きわめて貴重な意味を持つと思われます。


この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、魂表層には前世の人格が、今も、生きた意識体として存在している、というSAM前世療法の仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

 

② 里沙さんのセッション後の体験記録

 

 応答型真性異言発話中の意識体験の報告は、これまで世界に例がありません。
この意味で、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの体験報告は世界初のものです。
きわめて貴重なものであるとともにきわめて興味深いものと言えそうです。
この体験報告は、セッション後10日経過した時点で書いていただいたものです。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・体験報告はじめ
 

セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現 世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。

思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。注1 

ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。注2

タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。注3
 

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。注4
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。注5

ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。

そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。注6

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。注7

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。注8

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。
セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。注9
ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。
カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。 

一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。母という意味と、ラタラジューの母の名でした。

二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。
ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。
肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。
何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。

現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。
前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。

三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。
時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。
アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。

四つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたのか、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか?)
母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。

セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。注10
また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。

以上が今回のセッション体験の感想です。                 このことから、私が言えることは、①生まれる前から前世のことは知っていたこと、それを何かのきっかけで(私の場合は前世療法で)思い出したこと、②生まれ変わりは確かにあること、③前世にとらわれることなく、前世と現世とを統合しながら現世を生きなければならないこと、などです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・体験報告おわり

注1~10についての説明

 注1里沙さんの場合、彼女の守護霊が憑依している間の記憶が完全に喪失される。                                   霊媒体質が高い被験者ほど、守護霊などの憑依中の記憶喪失現象が観察される。       これは憑依中には、守護霊に完全に人格を明け渡すことが起きているからではないかと考えられる。

注2 ラタラジューに自分の体を貸している感覚、こそSAM催眠学が提唱している「自己内憑依」現象である。                       つまり、里沙さんの内部(魂表層)に位置づいている前世人格が、自分の体に憑依して自己表現しているというとらえ方をするのである。                 このことは、里沙さんの守護霊の「ラタラジューは憑依だととらえなさい」という指摘によっている。                            

注3ラタラジューの話すネパール語を理解した、と里沙さんは語っているが、正確には「ネパール語らしき異言を語っているこ」とが分かり、同時にその心情を理解したということであり、ネパール語そのものを理解できたわけではない。   ただし、そうした異言を話しているときのラタラジューの心情はよく伝わってきたということである。

注4この問題は、なぜネパール人のラタラジューに日本語の質問が理解できたのかというきわめて興味深い問題である。しかし、SAM前世療法によって顕現化する外国人の前世人格は、セラピストの日本語の質問を理解でき、日本語で回答できるのである。
ラタラジューが日本語を知らないはずであるにもかかわらず、私との日本語会話がなぜできるのか、という謎である。
そして、この謎は、他のSAM前世療法のセッションで顕現化する、日本語を知らない外国人前世人格が、セラピストの私との日本語会話がなぜできるのかという謎とも直結している。
こうした謎は、「前世記憶の想起」を前提とするワイス式前世療法では回避できる。
現世のクライアントが、外国人であった前世の記憶を「想起して語る」ので、クライアントが母国語で語って当然だからである。問題意識の起こりようがない。
さて、この謎について、唯一言及している科学者がイアン・スティーヴンソンである。
彼は、応答型真性異言現象を、さすがに「前世の記憶」として扱うことは不可能だと考えた。
退行催眠中に顕現化した「トランス人格(前世人格)」と呼び、次のような解釈を試みている。
ちなみに、退行催眠中に現象した応答型真性異言の公表は、「ラタラジューの事例」を含めて、これまで世界でわずか3例のみである。

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私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセンやグレートヒェンが母語(スウェーデン語とドイツ語)でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。
イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。
二人は、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである。         
イアン・スティーヴンソン『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.235)
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このことは、ラタラジューにも当てはまる謎である。
なぜ、ネパール人前世人格ラタラジューが、知っているはずのない日本語を理解し、私と対話できるのかという謎である。
だから、応答型真性異言実験セッションの最初に、「ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂 の表層の『現世の者』と考えてよろしいですか? 」という質問を里沙さんの守護霊にしてみた。(
『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、P.46)。
これに対して、里沙さんの守護霊とおぼしき存在も、そのとおりだと認めている。
また、「魂レベルでは言語の壁がなくなり分かり合える」とも告げている。
つまり、SAM催眠学の「魂の二層構造仮説」のように、魂の実在を仮定すれば、スティーヴンソンの「特に解明したい謎」に解答が出せるかもしれないということである。
魂の表層に存在し、ラタラジューとつながっている「現世の者(現世の人格を担っている者)」が通訳をしているという説明ができることになる。
「現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います」という里沙さんの報告はこのことを指していると解釈できる。
こうして、前世人格の存在する座を「魂の表層」である、とするSAM前世療法の仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っている。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が応答型真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのか、その仮説まで言及しようとしていないからである。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(
『前世を記憶する子どもたち』教文社P.359)とまでは提唱している。
SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからである。
スティーヴンソンは、スウェーデン人の前世人格イェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンが、「自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」と確信的に述べている。
この文脈からすれば、スウェーデン人の前世人格であるイェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンは、彼らの生まれ変わりである現世の者の「脳内から英語の理解力を引き出した」ことになる。
では、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンも、中心人物の脳内に存在しているのだろうか?
肉体の死とともに消滅する脳に、前世人格が存在することはありえない。
前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体である「心搬体(サイコフオア)=魂」に、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンは存在している、とスティーヴンソンは述べるべきであったと、私は思う。
そう考えることができなかったのは、スティーヴンソンがセラピストではなく生まれ変わりの研究者であり、したがって、私のようにSAM前世療法を実践するための切実な仮説を必要としなかったからであろうと思われる。

注5里沙さんにはラタラジューのネパール語会話そのものは理解できないが、魂表層から顕現化しているラタラジューの心・感情を共体験できたということである。                                 SAM前世療法一般にこうした前世人格の感情を共体験することが起こる。

注6注5に同じ。こうしたラタラジューの感情を共体験することによって、前世人格ラタラジューとの「同一性の感覚」が生まれると考えられる。


注7「ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました」とも報告されている。                         まさに「同一性の感覚」である。

注8前世人格顕現化中の意識には、「前世人格の意識」と「現世の意識」の2つが併存状態になる。                            しかし、「現世の意識」は、「前世人格の意識」に干渉することは一切できない。ただひたすら前世人格とセラピストの対話を傾聴するだけである。       前世人格ラタラジューに「体を貸している私が代理で伝えている」という意識状態である。                                 SAM前世療法では、このことを「自己内憑依」と呼ぶ。

注9里沙さんの場合、タエにしてもラタラジューにしても、セッションで十分に語り尽くせないことをセッション後にフラッシュバックで伝えるという現象が起こっている。                               タエは人柱になった裏事情を伝え、ラタラジューは自分が毒殺によって殺されたことを伝えている。                             このフラッシュバックは、催眠を用いないときでも、自己内憑依現象が無意識的に起きたと考えられる。                           こうしたフラッシュバックによって前世人格が語り尽くした後には、再びフラシュバックが起こることはおさまるようである。                 里沙さんによれば、フラッシュバック後はそれまで聞くことも嫌であった渋川村やナル村という語にまつわる嫌な感じが消え、懐かしい感じに変わったという。

注10この実験はきわめて興味深い。                   魂表層からラタラジューが顕現化しているときのネパール人ラタラジューでないとネパール語が話せないということである。                                   ラタラジューが「前世の記憶」ではなく、「前世人格の顕現化」であるからこその応答型真性異言現象であると言える。                    したがって、ラタラジュー人格の顕現化していない覚醒中の里沙さんには、ネパール語会話はまったくできないのである。

 

その177につづく

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