2022年6月21日火曜日

わたしあて霊信の信憑性の検討 その2

 SAM催眠学序説 その151

前回ブログ「SAM催眠学序説 その150」で、わたしあて2007年1月~2月に贈られた霊信の信憑性の指標として、霊信の告げた四つの予言が的中したかどうかを挙げておきました。                             ちなみにこれ以外には具体的な予言らしき内容はありません。

そして、四つの予言の的中事例として、

①わたしに起きたヒーリング能力の覚醒(2007年2月以後2022年現在まで) 

②2冊目の本の出版(2010年10月)  

③新しい前世療法(SAM前世療法)の成立(2008年以後2022年現在まで)  

④前世で愛情関係にあった2人のクライアントの出現 (2008・2019年)                        

以上のことが、 予言後の数年間にわたる経過のなかで的中していることを指摘しました。                                                                                                  ただし、この予言の評価はわたしの主観的見解でもあり、第三者にとっては、これをもって霊信の客観的な信憑性とするには説得力に欠けるでしょう。      客観的な信憑性を評価するには、予言以外の霊信内容の検証にゆだねる必要があると思います。

今回は予言とは別に、霊信の客観的な信憑性の検証に取り組んできた15年間の、現時点の見解について述べてみようと思います。

ところで、2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、タエの人生とラタラジューの人生が、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「前世人格タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化した現象」だとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

この謎が「タエの事例」以後、「ラタラジューの事例」の遭遇まで、4年以上にわたってわたしがこだわり続けることになった大きな謎でした。

1 生まれ変わり研究先駆者イアン・スティーヴンソンの考察

この謎についての先行研究は、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの考察に求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、からの抜粋です。
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 前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。

私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。

そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。

人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。

(前掲書PP.359-360)
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イアン・スティーヴンソンの提案している「心搬体(サイコフォア)は、いわゆるわたしの言うところの「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的な定義をしたのだと思われます。
ただし、わたしは、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも決定的な不都合はないと思いますし、まったく新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい造語を用いることは不要だと思っています。
 

さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかはまったく知らない、とも述べています。

このことについては、「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を与え合い、表層全体の集合的意識が成長・ 進化する仕組みになっている」と霊信は告げています。

また、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、霊信が告げた魂の二層構造の内容を支持しています。

「現世の私」という一つの人格が、その死後、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として死後存続するのであって、「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体が新しい肉体に宿ることを生まれ変わりというのだ」というのが、霊信が告げた生まれ変わりのしくみだからです。

したがって、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する『個性』なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの見解も、霊信が告げている魂の二層構造の内容にほぼ一致しているといえるでしょう。

こうして、現世の人格は、魂表層に位置付いている前世人格たちのそれぞれの人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されていると推測できるのです。

さて、わたしが、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「前世の記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」、つまり、魂を想定していることに照らせば、ほぼ間違いありません。

そしてまた、スティーヴンソンは、生まれ変わりについての見解を次のように述べています。

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こうした肉体のない世界はどこにあるのか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在すると答える

ここでまとめると、宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の少なくとも二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う。私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な経験をさせてくれるであろうが、心の働きは制約を受ける。死んだ後には制約から解き放たれるので、心理的世界のみで暮らすことになるであろう。そして、その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかするとその全員が、新しい肉体と結びつくかもしれない。それを指して私たちは生まれ変わったと称するのである(前掲書P.353)

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スティヴンソンの述べている「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」とは、いわゆる「霊界」だと読み替えてもいいでしょう。

しかし、わたしの期待したのは、彼の言う「心搬体(魂)」と、「前世の記憶」および「脳」との関係についての考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶を、「心搬体(魂)」から得て話したのか、「脳内に存在している記憶」を話したのか、それとも記憶ではなく、「顕現化した前世の人格そのものの語り」であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについては、ついに何も解答を与えてくれませんでした。
  

2 わたしあて霊信の教示した意識の所在

結局、わたしが求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在からの霊信でした。

わたしの守護霊団を名乗る存在の教示した回答の要約は次のようです。

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①脳は意識を生み出してはいない。

②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 

「現世の私」も、魂表層を構成している一つである。                 

魂表層の「前世の者たち」と「現世の私」が生み出している意識は霊体に宿っている。

霊体は、「現世の私」が私という意識を持つための役割を担っている。

⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。

⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。

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さて、脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係・対応関係にあるが、本来別ものである、とする立場を「意識(心)と脳の二元論」と呼んでいます。

脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説です。               つまり、「意識は脳の生み出した付随現象である」とする考え方を認めない仮説です。                                          大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが脳や催眠現象の実験研究の結果、そろって晩年になって唱えている仮説です。

しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、生まれた意識はどこに宿っているのか、という根本問題については一切述べていません。                                    端的に言えば、彼らにも分からないのです。                            考えてみれば、われわれに意識があることは疑いようのない自明のことであるにもかかわらず、その意識がどこで生まれているのか、21世紀の現在でも未だに解らない謎のままであるのは不思議千万なことでしょう。

 

3 霊信の教示した「魂」「意識」 「霊体」の関係性の検証

わたしは、前述①~⑤の霊信の告げた「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」の関係が成り立つことが何らかのかたちで証明できれば、その結果として、霊信内容の信憑性が、四つの予言の実現とは別に証明されることになると考えました。                       ひいては、霊信を告げてきた霊的存在の実在性が、間接的に証明されることになるだろうと考えました。

公教育の小中学校現場の教師にあって、教育催眠研究をライフワークに定めて    30年余の研鑽を積んできたわたしにとって、こうした霊的現象の研究に催眠を用いて取り組むことは、未知の領域への挑戦であり、それをさせるために、霊信はわたしに敢えて贈られたのではないかと思えてきたのです。                             それ以外に、催眠学のアカデミズムに属さないわたしに霊信が贈られてきた理由に思い当たることが全くないからです。                            もし、大学などのアカデミズムに所属している催眠研究者に、わたしと同様な霊信がなされても、彼らは、心霊現象の領域に立ち入ること対して拒否反応を示さないではおかないだろうからです。

わたしは、霊信の告げてきた①~⑦をそのまま作業仮説に採用し、その恩恵によって「SAM前世療法」が創始でき、SAM前世療法を探究の道具として用いて、霊信内容の検証に取り組むことにしました。

こうして、わたしの「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」「脳」の関係性への探究が開始されることになっていったのです。

その探究の現時点までの諸成果は、本ブログ『稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究』に公開してきたとおりです。                              

4 SAM前世療法による前世人格顕現化現象の考察

そして、霊信の告げた内容を仮説としておこなったSAM前世療法の実践において、魂表層から呼び出した前世人格の顕現化現象であると自信をもって公開できた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化してきた前世のネパール人の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。

被験者里沙さんが、ネパール語を一切学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので、ラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格の前世人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「スワシニ(妻)」、「アト・サトリ=8と70(78)」といった古いネパール語単語を用いて対話をしています。
こうしたネパール語の古語を里沙さんが秘かに学ぼうとしても学びようがありません。


前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形の対話をしています。
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:KAはネパー人対話者カルパナさん


里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
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この短いやりとりの重要性は、つい見落とすところですが、顕現化した前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジュー人格は、里沙さんの前世記憶の想起として語られているのではないのです。

里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、ラタラジュー人格が魂表層から顕現化している、としか考えられない現象です。

この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。
つまり、ネパール語の応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依しているということです。
自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという奇妙な憑依現象はこれまで知られていません。
そこで、SAM前世療法では、クライアントの前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。                           つまり、クライアントの魂表層に存在している前世人格が、自分の生まれ変わりであるクライアント自身に憑依し、自己表現している現象という意味です。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というわたしあて霊信の告げたことが正しい可能性を示している証拠であると考えています。
したがって、霊信の信憑性は高いと判断してよいと思います。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。
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「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格(グレートヒェン)をどのように位置づけるか」
(前掲書P.10)     

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」(前掲書P.11)
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スティーヴンソンも、応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。                          前述した彼の言葉から推測すれば、
「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」から顕現化したということでしょうか。

いずれにせよ、「グレートヒェンの事例」の催眠臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンのドイツ語の語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。                                      ちなみに「トランス人格」とは被験者の催眠中に現れた別人格のことを意味しています。

同様に、前世人格ネパール人ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
このラタラジュー は、SAM前世療法によって、里沙さんの魂表層から呼び出され、現世の里沙さんの肉体(声帯)を借りて、現在進行形で会話をしている顕現化した彼女の前世の人格です。

里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション直後に書いてもらった次に述べる5のセッション体験記録からも確認することができるでしょう。
 

5 「ラタラジューの事例」被験者里沙さんの意識

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稲垣先生から依頼された、セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、私の守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。

なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

(後略)
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6 まとめ 

でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした」、「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」という里沙さんの述懐は、彼女が顕現化したラタラジュー人格に「体を貸して」、霊媒的役割をまさに果たしている、ことを如実に語っていると思います。

イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に偶発的にあらわれ、科学的検証を経て信頼できる、応答型真性異言を2例あげています。                            ともにアメリカ人の女性被験者2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。

ちなみに、スティーヴンソンも、わたしと同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別人格の顕現化による応答的会話だ、ととらえています。           (『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.9)

つまり、クライアントが前世の記憶として応答型真性異言を語ったとは考えていません。
それでは、そうした死後存続しているトランス人格の所在しているところはいったいどこなのか、についての具体的言及はありません。

 「ラタラジューの事例」を含めて、催眠下で偶発し、科学的な検証を経た応答型真性異言事例は、世界にこれまでわずか3例の発見しかありません。
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。 

しかも、すべて20世紀までの発見であり、21世紀になってからは「ラタラジューの事例」(2009年)が最初の公開された事例です。

付言すれば、この事例は、応答型真性異言の発話中の撮影に成功した世界初の事例でもあります。                                     「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの科学的研究史上で、SAM前世療法によって打ち立てた金字塔だと評価されると思っています。

さて、 生まれ変わりが普遍的事実であるならば、催眠中に限らずなぜもっと多くの人々が応答型真性異言を話せないのか、これはほんとうに大きな謎です。

超心理学上の生まれ変わりの研究において、現時点では、応答型真性異言現象こそが生まれ変わりの科学的証拠としてもっとも有力だとされています。                   もし、きちんとした科学的検証を経た応答型真性異言現象が、これまでに数多く公開されていたとすれば、生まれ変わりは科学的事実として多くの人々に認知されているはずであると思っています。                                  

そして、生まれ変わりが科学的に証明され認知されれば、人間に対する見方は言うまでもなく 、人生観・世界観をはじめ、あらゆるものに対する見方に、広範な、根本的な変革がもたらされることになったでしょう。

ともあれ、こうして、「魂」「前世人格たち」「意識」「霊体」「脳」などの関係性について告げている霊信の信憑性はきわめて高い、と判断できると思います。

ひいては、霊信を贈ってきた霊的存在(通信霊)の実在性もきわめて高いと判断しています。                                       

「地上の人間と霊的存在は交信できる」「交信する霊的存在は実在している」「生まれ変わりは存在している」などを「霊的真理」だと認めるなら、わたしは「霊的真理」を認めることに躊躇することはない立場になっています。

そして、前世人格の顕現化を、偶発的ではなく、意図的に、生起できるSAM前世療法は、前世人格の顕現化という仮説と、それを可能にする催眠誘導技法に立脚した、前例のない新たな前世療法として誇ってよいのだと自負しています。  

 心理療法の観点からすれば、「魂表層に存在する諸前世人格」の影響を前提にして、現世人格の自己実現を図ろうとするSAM前世療法は、魂そのものを対象にしながら、現世人格の再構成をめざす「魂の療法」だと位置づけてよいかもしれません。                                   

また、SAM前世療法では、「魂とは前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」だと定義しており、宗教的意味合いとは無関係です。                              

それだけに、魂の領域に踏み込むSAM前世療法を扱う人間は、健全な懐疑精神と、謙虚さと、慎重な態度をけっして忘れてはならないと自戒しています。                       

そのために、「SAM前世療法」の名称は、登録商標にしてあり、SAM前世療法士の有資格者のみに用いることを許可してあります。                    また、有資格者には、厳しい倫理規定の遵守を義務づけてあります。

ちなみに、わたしのセッションでの前世人格の顕現化の成功率は、直近100事例で91%です。

 

以上が、2007年以後、2022年の現在に至るまでの15年間わたって、わたしあて霊信の信憑性についてこだわり続け、SAM前世療法を用いて検証をしてきた現時点の到達点です。