2012年3月30日金曜日

解離性同一性障害(多重人格)の考察

前ブログでインナーチャイルドの考察をしましたので、インナーチャイルド 現象と類縁性があると思われる解離性同一性障害(多重人格)について考察をしてみます。
筆者は、SAM前世療法の作業仮説に基づき、顕現化する多重人格の各人格(副人格) は魂の表層に存在する「前世のもの」が、主人格(現世のもの)を人格崩壊から守るために、自動的に(勝手に)顕現化する現象ではないかという可能性を抱いていました。
その根拠は、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんに、それぞれのセッション後、数回に渡ってタエとラタラジュー人格が自動的に顕現化して、里沙さんに訴えるという現象の報告を受けていたからです。
ただし、里沙さんには、自動的に顕現化しているタエ、ラタラジューについてモニターしている自覚があるといいます。
解離性同一性障害(多重人格)の場合、主人格には、顕現化中の副人格との連絡はないとされています。つまり、主人格は、顕現化中の副人格について何も知らない、分からないということです。
検証結果の結論から言うと、筆者の仮説は、以下に報告するクライアントにおいては成り立ちませんでした。
このクライアントは、22歳会社員の男性です。
2年前から、強いストレスにさらされると、六つの人格が交互にあらわれ、その各副人格顕現化中の記憶がない、という症状に悩んでいるという主訴でした。ただし、勤務継続に支障が出るには至っていませんが、勤務先周囲は人格交替が起こるらしいことに気づいて見守ってくれているということでした。
両親離婚後、再会した母親からのセッション依頼でおこなったセッションです。
クライアントには、幼くして両親離婚、父方に引き取られて育つ過程で相当な精神的虐待を受けていたという生育歴がありました。
主治医の精神科医からは、「解離性同一性障害」の診断を告げられているということでした。
日本では、解離性同一性障害の報告はきわめて少なく、筆者も初めて扱った事例です。
母親立ち会いのもとに慎重に催眠誘導をおこない、魂状態の自覚まで導くと、次から次へと六回の人格交替が起こり、それぞれの副人格が現れました。以下が六つの副人格です。
①正体不明の怒りと苦しみの唸り声を発するだけの男性(ヒーリングして落ち着かせました)
②目に疾患を持つ幼い少女とそれを治療する眼科医(いつもペアで現れるとのこと)
③37歳の落ち着いた知的な女性
④お茶目な若者
⑤落ち着いた老人
⑥五つの副人格たちのリーダーを名乗るもの静かな青年
六つの人格は、それぞれの声音と話しぶりが明確に異なり、それぞれ独自の個性を持つ人格を思わせました。
これら六つの副人格どうしは、互いの存在を知っていますが、主人格は副人格についてまったく知らないという典型的な多重人格(DSM-ⅣーTRによる解離性同一性障害)の症状でした。
対話のできた②③④⑤⑥の副人格に、「あなたは魂の表層にいる前世のものではありませんか?」と尋ねると、回答は全員「ノー」でした。
「ではあなたは、どういう存在ですか?」と尋ねると、「この人(主人格)を守るためにいる」という回答でした。
「この人は、あなたが勝手に現れるので困っています。もうこの人は大丈夫ですから、この人と一つになって勝手に現れることをやめてくれませんか」と繰り返し説得しました。
②③④⑤の副人格は説得に応じ、「この人と一つになる(人格統合する)」と約束してくれましたが、⑥の副人格は、①の凶暴な怒りを持つ副人格が落ち着くまでリーダーの自分が面倒をみる必要があり、まだ一つになることは危険であるので、当面の約束できない、と拒否しました。
結局、①と⑥の副人格は、主人格との統合を最後まで拒否したので、ここで今回のセッションは終結としました。予後を見守り、必要があれば再セッションすることにしました。
こうした、意識現象の事実から、このクライアントにおける副人格は、魂の表層の「現世のもの」が、自分の人格を守るために作り出した架空の人格ではないか、と考えざるをえませんでした。
 
したがって、多重人格症状における「副人格」=「前世人格」、という筆者の仮説は、この事例からは成り立つ余地はなさそうです。
それにしても、解離性同一性障害(多重人格)において、「架空の副人格が顕現化する」という症状解釈が成り立っているとすれば、前世療法においても、「前世の記憶の想起」ではなく、「前世人格の顕現化」という解釈を、なぜこれまでの前世療法士はしてこなかったのでしょうか。
前世療法において観察できる意識現象の事実を、ありのままに受け取れば、クライアント自身が前世の記憶を語っているのではなく、前世人格が顕現化して対話していると考えることのほうが、はるかに自然であろうと思われるのです。

2012年3月27日火曜日

インナーチャイルドについての考察

一般的なインナーチャイルドセラピイは、記憶催眠(深い深度の催眠)まで誘導の後、年齢退行によって「傷ついている子どもの意識」を探り出し、癒すということになっています。
SAMの仮説では、魂は二層構造になっており、その表層は前世のものたちによって構成されている、という前提に立ちます。ちょうどミラーボールの球表面に一枚一枚の鏡の断片が張り付いているように、魂の表層も一人一人の前世のものたちが張り付いていると考えるといいかもしれません。それら前世のものたちが、潜在意識・意識を作り出しているということもSAMの仮説です。
そして、魂の表層には「現世のもの」が位置付いています。この「現世のもの」は、現世に誕生して以後の現世での潜在意識・意識を作り出しているものということになります。
したがって、魂の表層の「現世のもの」に、インナーチャイルドと呼ばれる「子どもの人格」が内在している、と考えることになります。つまり、インナーチャイルドを、「傷ついている子どもの人格」そのものとして扱うわけです。
「大人の私」の人格が、子どもであったときに傷ついた記憶を想起して語る、という立場をとりません。
以上の仮説に基づき以下の手順で、SAM前世療法によるインナーチャイルドセラピイを実験的におこないました。
被験者は、32歳男性です。彼は、自分に向けられた叱声はもちろん、他人が受けている叱声にも過剰に反応し、異常なほどの恐怖感と激しい動悸に襲われるという症状を持っていました。特に大声で叱声を浴びると、耐えられないほどの恐怖と動悸に襲われると訴えました。そこで、インナーチャイルドセラピイを依頼されたというわけです。
①魂遡行催眠まで誘導し、魂の自覚状態に至っていることを確認する。
②魂の表層の「現世のもの」を呼び出し、顕現化させる。
③「現世のもの」の内部に存在する、症状を作り出すことによって、苦しみ訴えている「子どもの私」の人格を呼び出す。
④「子どもの私」の人格が、どのような原因から傷つき、苦しんでいるのかを対話によって聞き出す。
⑤苦しみに共感的理解をしてやりながら、さらに癒しが必要だと訴えればヒーリングをおこなう。
その結果、呼び出しに応じて現れた被験者の「子どもの私」の人格は2歳でした。子どもどうしで遊んでいるときに、遊び相手の子どもと大声でわめきながらオモチャの奪い合いになり、そのオモチャで気を失うほど激しく殴られたということでした。その傷つきの恐怖体験を持つ「子どもの私」の人格が、「大人の私」に、類似のことが起こる度に恐怖感と動悸を起こさせて、自分の傷つきを訴えているということでした。
こうした対話をした後、この「子どもの私」にヒーリングをしてセッションを終結しました。
もう1例は、30代女性の事例です。
このクライアントの主訴は、家庭外で昼食をとるときに決まって起こる腹痛の改善でした。
良好な深い催眠(記憶催眠)状態を確認し、主訴に関わるトラウマが生じた時点まで年齢退行をしてみました。
その結果、小学校3年生のときに生じたトラウマであることを確認しました。
このクライアントはSAM前世療法の体験者です。そのため、どうやら記憶催眠から魂遡行状態に移行し、トラウマを訴える小学校3年生の少女の人格が顕現化しました。
担任の女性教師に給食を全部食べることを強要され、もう一人やはり食べられない同級生の女の子と二人、毎日掃除の時間に、脇で学級の仲間が掃除をしている埃の漂う教室で給食を食べさせられていた辛さを泣きながら訴えました。自分は胃腸が弱く食が細いので、とても給食を残らず食べられないのだと訴えるのです。
そうした苦痛が1年間続いたのです。
さらに、担任から「いくら勉強ができても、給食が食べられない子は悪い子です」と決めつけられ、自分は悪い子なんだと、「小学校3年生の私」の人格は激しく泣きました。その口調は、10歳の少女としか思われないものでした。
この少女は、給食が全部食べられないことで、「悪い子」だと全人格を否定されていると思い込んでいました。
こうして、少女の人格は、自分の辛さと苦しみを、昼食時の腹痛という症状によって「大人の私」に、訴えているというのです。
筆者は、10歳の少女人格に正対し、説得を続け、納得を確認したうえで、これからは「大人の私」に腹痛という形で訴えをしないことを約束してもらいました。
以下はセッション後のクライアントの感想の一部です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回のイメージ療法と昨日先生にして頂いたセッションを併せて考えてみますと、おそらく前回のイメージ療法は、単に浮かんで来た映像の表面のみをきれいに修飾したに過ぎなかったため、その内に潜んでいたインナーチャイルドの人格は、訴えを聞いてもらえず、不満や悲しみが未解消のまま存在し、「悪さ」をしていたのではないかと思います。
そして、昨日のセッションでやっと訴えを聞いてもらえるチャンスが来たと、人格が表面に出て来たのではないかと考えました。
大人の自分から見れば既に解決済みの件だと思っていたため、セッション中に当時の幼い人格の気持ち(悲しみ)がそのまま現れ、後から考えるとても不思議な体験でした。
そして、先生がインナーチャイルドの人格と直にお話して共感・説得して下さったため、大きな安堵感と開放感につながりました。
注 「前回のイメージ療法」を施術したのは筆者とは別の催眠療法士です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上のSAM前世療法によるインナーチャイルドセラピイの改善効果の検証はこれからです。
改善効果が確認されれば、魂の二層構造仮説の信憑性を示すことになるでしょうし、新しい発想によるインナーチャイルドセラピイの開発につながると考えています。


2012年3月25日日曜日

魂の実在証明はできるか

筆者の用いる「魂」という用語の概念は、諸宗教と無縁な概念です。
「生前の個性と記憶を保持し、死後も存続する意識体」という意味で用いています。
スティーヴンソンは、科学としての生まれ変わり研究を強調してか、soulではなく、「サイコフォー」という独自の用語を用いています。
超心理学者笠原敏雄氏は、これを「心搬体」と訳しています。つまり、「死後も存続し心を運ぶ意識体」という意味です。
筆者は、「魂」というなじみの用語がすでにあり、そこにあらたな概念づけをするわけでもないので、魂という用語をそのまま用いています。
さて、標題の「魂の実在証明はできるか」はどのようにして可能でしょうか。
筆者は以下の3点を考えています。
①生まれ変わりの実在を証明する。それによって、魂の実在が間接的に証明できる。
被者は、この仕事を「ラタラジューの事例」で成功できたと判断しています。
なぜなら、ラタラジューという前世人格は、SAM前世療法の魂遡行催眠によって、魂の表層から呼び出した前世人格であるからです。
ラタラジューは応答型真性異言現象をあらわし、死後も魂表層で存続している前世人格であるからです。
応答型真性異言は、「技能」です。「技能」は超ESPを駆使しても獲得できないことが、百数十年にわたる心霊研究、超心理学研究によって明らかになっています。
今後、学んでいない技能を超能力で獲得したという超能力者が発見がされないかぎり、「ラタラジューの事例」は生まれ変わりの科学的証拠として超心理学史上に残っていくはずです。
②臨死体験による偶発的体外離脱現象の報告の中で、当該臨死体験者の知り得ない事実を体外離脱中に見聞したという実証をする。
この臨死体験研究者による報告は数多くされています。
しかし、いまだに報告される体外離脱体験が「脳内の意識現象」であるのか、「現実体験」であるのかの決着はついていません。
そして、「現実体験」である実証のためには、単なる脳幹死状態ではなく、脳の血流停止状態の確認が必要です。
つまり、脳が血流停止状態になり脳細胞の死滅が明らかである状態での体外離脱現象であれば、体外離脱した意識体(魂)は脳細胞内現象ではないことが確認されることになるからです。
しかし、臨死体験とは生き返ってこそ報告される体験ですから、脳細胞が死滅すれば生き返ることはまず不可能となり、臨死体験報告から魂の実在を証明することはきわめて困難でしょう。
また、実際に事例を集める臨死体験研究は筆者の守備範囲外です。
③意図的、実験的体外離脱現象を起こさせ、その体験報告を検証する。
意図的に体外離脱を起こすことができる、と広言する人はいないわけではありません。こうした被験者に実験室で体外離脱現象を観察する試みは、超心理学分野でおこなわれています。
しかし、確実に体外離脱現象を確認したという成功例はいまだ報告されていません。
ヘミシンクや隔離タンク実験でもそれらしき報告はあります。
しかし、そもそも、体外離脱して見聞したことが、現実体験であるのか、超ESPによる透視(脳内現象)であるのかの仕分けがきわめて困難です。体外離脱をできると広言する人には、超ESP仮説のあることすら知らない人がいるようです。
筆者は、SAM前世療法によって、魂状態への遡行が可能であるらしいことを確認してきてました。
しかも、「ラタラジューの事例」によって、魂の実在を間接的に証明できたと判断しています。
催眠という道具によって誘導した魂状態の自覚が、はたしてほんとうに肉体と魂の分離状態であるなら、これを完全な肉体との分離状態(体外離脱状態)にまでもっていくことが可能ではないか、というのが今の筆者の探究課題です。
催眠を道具として扱える私の守備範囲です。
こうした探究をすることによって、SAM前世療法の新たな展開が生まれるかもしれません。
魂の実在を宗教的信仰レベルや個人的体験の直感レベルで当然のことと信じている方には、筆者の態度・考え方は、厳密すぎ理屈っぽすぎ、つきあい切れないと感じられるでしょう。
しかし、超心理学の立場で生まれ変わりの実在や魂の実在を科学的に証明するためには、避けて通れない手続きです。
超心理学は、他の諸科学以上に厳密性が要求されるのです。
なぜなら、生まれ変わりと魂の実在が科学的事実であると証明された場合、唯物論に染め抜かれた個人の人生観、世界観の変革はもちろん、人間科学や政治・経済など広汎な領域にまで根本的変革が波及せざるをえないからです。
だからこそ、唯物論陣営からは感情的反発論や無視という手段によって攻撃されることになります。
たとえば、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、のアマゾン書評にある酷評が典型です。
この書評者は、提示された科学的事実を正当に否定するためには、同様に科学的事実を根拠に反論する立証責任がある、というルールを知らないか、無視して、いたずらな感情的反発に終始しています。
そもそも拙著をきちんと読んでいないか、ふつうレベルの読解力が欠如していると思われのです。

2012年3月20日火曜日

前世療法に対するスティーヴンソンの批判

生まれ変わりの実証的研究者イアン・スティーヴンソンは次のように、催眠学に基づく前世療法の批判を展開しています。(ゴチック体は筆者)
催眠状態にある被術者(被催眠者)は、前世まで遡るよう命じられたとき、5歳以前の年齢まで戻るように命じられたときと同様に、施術者(催眠者)の指示に従う傾向がある。「あなたは、これから、生まれる前の別の時代の別の場所まで戻ります」と施術者に言われると、被術者はその指示に従おうとする。施術者が、たとえば「あなたは、この頭痛の原因が過去のどこかにあるのを思い出します」など、それほど明確ではない催眠暗示を与えた場合ですら、同じように従順にその指示に従うのである。催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られる(あるいは、そう仕向けられる)ため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまで全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。次いで、自分の記憶にある他の事柄をも利用しようとするため、義務教育しか受けていない者ですら読書やラジオやテレビから拾い上げた歴史上の大事件に飛びつくのがふつうである。歴史の知識が全くなくても、また、たとえあるとしても、施術者を落胆させないよう架空の話をして聞かせるかもしれない。
 また、被術者は、催眠のもう一つの特徴である演技力を利用することも多い。記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに「前世の人格」を作り上げてしまうのである。このようにして作られた前世の人格は、長年にわたって繰り返し呼び出されても、それなりの感情や一貫した性格を示して見せることであろう。
(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP72-73)
上記ゴチック体の、「催眠によって誘発される特殊な服従状態」とは、催眠学では「要求特性」として知られている催眠中の特徴的な心理状態です。クライアントが、セラピストの要求していることを無意識的に察知し、その要求に協力しようと努力する心理的傾向を指しています。

もう一つのゴチック体の、「催眠のもう一つの特徴である演技力を利用すること」とは、催眠学で「役割演技」とか「人格変換」として知られている心理現象です。たとえば、「あなたは、野田首相になりました。国会で、これより消費税増税の必要について演説をします」などの暗示をすると、クライアントの持っている野田首相のイメージや情報を駆使し、野田首相のつもりになって、つまり人格変換し、役割演技として、野田首相を演じる現象が起こります。
ワイス式前世療法で語られる「前世の記憶」しろ、SAM前世療法で顕現化する「前世人格」にしろ、そうした事実に対して、アカデミックな催眠研究者のほとんどが、これまでの催眠学が明らかにしてきた「要求特性」と「役割演技=人格変換」という説明で切り捨てます。つまり、前世の存在などありえないというわけです。
また、詳細に前世の地理や歴史的事実を語った場合に、しかも、クライアントがそうしたことを事前に情報として持っていないことを証言した場合には、「潜在記憶」として片付けようとします。
つまり、本人の通常の意識として情報を入手した記憶が忘れられているが、どこかで入手しているはずの情報が潜在意識に蓄えられていたのだ、というわけです。そして、やっかいなことに、潜在記憶の有無はポリグラフ検査では判明しません。
さらに、語られた地理や歴史的事実について、それを本やラジオ・テレビなどの通常の方法で入手することがまず不可能であり、潜在記憶では説明できない、という検証がされた場合には、透視やテレパシーなど超能力を用いて情報を入手したのだ、という「超ESP仮説」によってなぎ倒されるというわけです。
筆者は、前世や生まれ変わりを絶対認めようとしないこうした諸仮説による説明について、もっともなことだと思います。前世が存在するとおぼしき現象を、徹底的に懐疑的に追究することは健全な思考態度だと思うからです。
生まれ変わりという考え方は、これに取って代わる説明が全て棄却できた後に、最後に受け入れるべき仮説だと思うからです。
そして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、学んだことがない外国語で応答的会話能力が超能力で入手できることが実証されないかぎり、生まれ変わり仮説以外に説明が成り立たない事例です。

2012年3月15日木曜日

SAM前世療法中の意識状態の経過報告

次に紹介するのは、福祉関係の仕事に就いている30代女性クライアントの手記のコピイです。SAM前世療法中の意識の状態を経時的に綿密に記述していただきました。
きわめて、貴重な手記です。
SAM前世療法の特徴である、クライアントの「モニター意識」と顕現化した「前世人格の意識」の分裂的併存状態が具体的に理解していただけると思います。ゴチック部分は、特に注目していただくために、筆者が手を入れました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣先生のSAM前世療法を受けました。前世療法自体が初めてでしたが、予想以上の展開でした。この貴重な体験を、先生との面接から催眠の導入、終了に至るまでの私の意識の経過としてまとめてみたいと思います。
初回面接(前世療法の説明、私の現在の健康状態について等)

先生が左手の平を私の右手にかざしたところ(13~4センチほどの距離)ホカホカする温かさと徐々に圧力が強くなっていくのを感じました。私の手のひら表面にほのかに風が通り過ぎる感覚もありました。催眠のかかりやすさのテストでは良好であったため、ホッとしました。漠然と、かかりにくいのではないかと感じていたからです。憑依があると催眠にかかりにくいとの説明を受けたとき、正直ぎょっとしました。その時何となく憑依しているような気がしたので「そうではありませんように、何体もいたらどうしよう。怖い・・」と思いました。
催眠の導入段階
左ひと差し指でリズムをとるよう先生より促され、トントンと動かしていましたが「まずい・・・全く指が止まる気配がない・・」と思いました。
やや焦ってきた頃に、ふと指が止まったのですが「本当に催眠状態に入ったのだろうか」と少し疑わしく思っていました。先生より、催眠状態に入ったのか右手人差し指で返事をするよう促されたとき、指が動かないため「あ・・やっぱり・・憑依かあるんだ~!」とぞっとしました。すぐに先生は浄霊を始めましたが、内心パニックになり、冷や汗をかいていました。しかし、次第に怖がることではないと感じ始め、ふっと体の緊張が解けた時、先生から浄霊は終わったと言われ、一体だけでよかったとホッとしました。
前世の人格の登場①
 先生から、現在の私の状況に影響がある過去世の人格を呼び出されたのか、すでに過去世の人格が呼び出す前からスタンバイ状態だったかどうかははっきり覚えていません。なぜなら私自身の意識が全く衰えず、普段のままの思考状態で目を閉じただけの平常心だったからです。そのため、先生から「指で返答しますか?言葉で話しますか?」と質問され、指が勝手に反応する体験はしていたので、指で反応することはできるだろうと思いました。当然そうするのだろうと思っていたのですが、先生の「言葉で話しますか?」との問いにこっくり頷いた時には驚きました。こんなに意識がさえているのに、自分の意志ではなく首が勝手に頷き、言葉で話すと返答するからです。何も過去の記憶が想起されない状況で言葉が出るとは思えませんでした。「口頭で話すなんて大丈夫なの・・?」と思いました。
まだ、別の人格の存在をはっきり認識はしていませんでしたが、どうやら意識というか、自分の意志とは別に体が反応することを理解しました。とりあえず状況に身を任せようと思いました。そして当然日本語で質問に答えていくのだろうと思っていました。
前世の人格の登場②
 先生からアジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ・・?と聞かれたとき、即座に反応はありませんでした。再度質問されヨーロッパに反応しました(首を縦に振る)。国名を聞かれ、唇がモゾモゾと動き始めました。発声はまだありませんでしたが、唇が小さく変わった形に動くため、「日本語の発音とは違う感じなのかな」と思いました。 先生が、ギリシャ?と言ったとき、声を出そうとし始めました。ギとグの間の発音で「グイー」と言うような音だったと思います。「わあ、本当に言い出した!」というのが私の感想です。
先生が「ギリシャですか?」と問いかけたとき、頷きつつも「グイー」と発音しようと頑張っていた覚えがあります。先生が「ギリシャですか?」と再度確認したとき「その発音じゃないんだけどなあ・・」と私は感じました。前世の人格は何度も国の名前を発音しました。こうやって私の意志とは別に、勝手に話すことができるということを私は理解しました。
 次に都市の名前を先生が尋ねました。「ア・・ア・・」と発語するため先生が「アテネ?」と確認しました。またしても「その発音じゃないんだけどなあ・・」と私は感じました。
日本語の発音が実際のものとはかけはなれているという実感だけはあるのですが、私自身が正しい発音を知っているわけではありません。
過去世の人格は「アティ・・」と何度も答えました。この時「過去世の人格は、正しい発音にこだわってるな・・」と感じました。名前を聞かれ「ティルソバイ」と聞き慣れない言葉を発しました。以後、先生の質問に異国の言語で返答し始めたため「えっ、日本語で話すんじゃないの?」と私自身、驚きました。せいぜい国名や名前の発音にこだわる程度だと思っていたからです。思いの外長い文章を話すため、唖然としました。
先生もそれに気づき、録音装置をとりに行くため少々待ってもらえるか過去世の人格、ティルソバイに了承を求めました。ティルソバイは、うんうんと頷きます。
私も「待ちますよ」と思っていました。
先生が急いで2階に駆け上がり録音装置を取りに行っている音を聞いて「これは、面接で先生が説明してくれた真性異言ってやつだろうか?」と思いました。
この間、私の意識だけがあり、ティルソバイの意識や感情はなにも感じませんでした。名前や都市の発音を思い出せないので「せっかく録音装置を持ってきてもらったのに話せなかったらどうしよう」と私は思いました。
ティルソバイの過去世
ティルソバイの過去世の経過については先生の録音にあるとおりです。
以下は、ティルソバイが語っているときの私の意識を中心に述べていきます。
先生から結婚歴の有無を聞かれ、私も非常に興味があったのですが、すぐに返答せず反応が遅いため「既婚でも未婚でもないってなんだろう?」と私の方が不安になりました。何度か聞かれ、頷いていました(既婚でこども有り)。
以後、YES、NOの質問には言葉による返事ではなく、頷いたり首を横に振るといった反応をしていました。
何歳で死亡したかの問いにも、私は「なになに?」と興味をもって注目しましたが、ティルソバイは「○※・・」と外国語で答えるため「えっ?で、何歳で死んだの?」と私は心の中で突っ込んでいました。
先生も再度質問しましたがティルソバイは「○※・・」と答えるだけです。
この時「だって・・○※なんだもん・・」というティルソバイの気持ちを感じました
どうやら日本語は全く話せないので、こうとしか言いようがない・・といった感じでティルソバイも困っているようでした。
ティルソバイが外国語で話す内容は私には全く分かりません。
怒りや悲しみ、困った感情などは分かるのですが、発言の詳細は分からないのです。
そのため、先生に日本語の文章を古代ギリシャ語で話すよう言われると、勝手にティルソバイは話すのですが、それが合っているのか、あるいは見当違いなことを言っているのかも私は分かりません。私もただ聞いているだけです。
ただ、印象的だったのは、先生から好きな食べ物や父母兄弟の呼び方など単語を質問されると、国名を尋ねられた時のように、求められなくても2回以上繰り返し発音するようティルソバイは努めていました。
私が発音するわけではないのですが「正しく丁寧に発音を伝えなければいけない・・」と私自身も思いました。そんな様子に「親切な人だなあ・・この人(ティルソバイ)も私も・・」と、感心もしました。私とティルソバイは似た性質を持っていると感じました。
感情の共感、共有について
過去世で襲われた件を聞かれると、眉間と目元をくしゅっとさせ始め、泣き出しました。泣き出すので「ああ、悔しかったのね・・」と私は理解します。
ティルソバイの感情表出と、私がそれを共感するまでの間には若干の時間差がありました。ティルソバイのあふれ出る感情を同時に感じるというよりは、泣くので「ああ、悲しいんだ・・」と。言葉が早口になり怒った口調になると「ああ、怒ってるんだ・・」と、途中から勘づくといった感じです。しかし、私自身が全くの傍観者ではなく、気持ちを察知した後は、私も悲しい感情などは共感できるのです。ただし、強烈なものではありません。その感情が後を引くものでもありませんでした。襲われるといった経験をリアルタイムに再体験することはなく、ティルソバイのその事件についての集約した思いが共感できるといった感じです。そのため、リアルすぎて怖いといったこともありませんでした。
長文復唱について
先生が「いながき」という名前を入れて日本語の文章を古代ギリシャ語で話すよう促すと、ティルソバイは長文を話すのですが、なかなか「いながき」という単語が出てこないので、心配になりました。文章の終盤で「いながき」と言ったため「そこで入るんだ・・」と、文法の不思議さを感じました。かなりの長文を話すのですが、私は「ちょっと中国語か韓国語みたいな発音だな、でたらめじゃないの?」と疑う時もありました。ただ、私の意志ではないため、勝手にしゃべらせているといった感じでした。
先生がギリシャ語で復唱するよう話すとき、私が「最後までよく聞くんだよ。途中から話さないようにね」と思うと、ティルソバイはそれに素直に従うのです。途中から話し出すことはありません。先生が長文を復唱するよう言うとき「そんな長いのは無理じゃないかな・・。大丈夫かな?」と私はよくティルソバイの心配をしました。しかし、ティルソバイは頑張っていました。先生が「他にいっておきたいことは?」と聞いたとき、私は「何かいっておきたいことないの?言っておけば?」と思うと、それじゃあ・・といった感じでティルソバイは話し始めました。内容はさっぱり分からないのですが。自分の役割というか使命を分かっているような印象を受けました。
翻訳について
先生を「ティルロ(?)」と呼んだ件に関しては、セッションがもうじき終了となりそうで、まだ話したりないといった感じが伝わってきて思わず出た感じでした。先生が日本語でどういう意味か尋ねました。私はとっさに「有り難うといっているのかな?」と思うと、かたことの日本語で「アリガト」と言いました。
しかし、先生が「僕の名前?」と聞くと、反応しました。この時、私が当たりをつけて日本語でこういうことかな?と考えると、ティルソバイはそのまま発してしまうような印象を持ちました。都市名「アティ・・」の時もそうですが、私が「アティア?」と思うと、それに似た発音をするのです。先生の発音には「ちょっと違う・・」という感覚を持つようですが、私が考えると、それに合わせようとする傾向があるのかもしれません。
そして、先生の質問を私が理解すると、おもむろにティルソバイは語りだします。私が意味を理解したと同時に自動的に翻訳も完了しているといった感じです。ただ、謎があります。私は歴史が苦手で古代ギリシャの知識は呆れるくらいありません。冒頭で先生が「どのポリス?」と尋ねたとき、正直私は「ポリス」の意味が分かりませんでした。しかしティルソバイは何やら答えていました。
歴史的事実の知識については私に依存せず答えられ、質問者の意図をおおまかに理解する(日本語の理解)といったことについては私に依存するといったように、ティルソバイはちゃんと区別しているのかもしれません。
なお、先生が神殿に行ったことがあるかと聞いたとき、ないと首を横に振りましたがこの時「自分のような小さい存在はそんな所にはいけないの」と思っているようだと感じました。このように、ティルソバイが感じることを、私はおおまかに理解できましたが、わかりやすい感情を伴わないような長文の発言に関しては、私はさっぱりお手上げでした。ただしティルソバイは、古代ギリシャ語?一本で話通す!という姿勢だけは崩しませんでした。私としては、話の内容が理解できないので日本語で話してくれればいいのにと思いましたが。
他にも思い出せばありそうですが、ざっとこんな感じでした。私は髪をアップにしていたので首が疲れて少々疲労していましたが、ティルソバイは疲労した様子はありませんでした。最後に先生に何やら声をかけていましたが、日本語で何て言うの?と聞かれたとき「バイバイ~」と言っていました。私は「それは英語だよ・・」と心の中で突っ込んでいましたが。
                                (終わり)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前世人格「ティルソバイ」が語った古代ギリシャ語?とおぼしき異言を検証にかけてみましたが、残念ながら真性異言であるかどうかの真偽は不明でした。
このセッション以後、このクライアントは、望むときにはいつでも守護的存在との対話が可能になったという報告を受けています。他にもこのような現象の報告があります。潜在的に霊媒体質のあるクライアントは、SAM前世療法の「魂状態の自覚」を体験すると、こうした霊的覚醒が起こると考えられます。
「被験者の意志とは別に顕現化した前世人格が勝手に話す」という分裂的自覚状態は、SAM前世療法で報告される一般的意識現象です。筆者はこれを「自動発話」と名付けて、SAM前世療法の特徴の一つだと考えています。前世人格を顕現化させる、という作業仮説に照らせば、「自動発話」に限らず「自動発涙」などの諸現象も、前世人格が現世の肉体を用いて意志や感情を表現することは当然のことと解釈できます。

2012年3月11日日曜日

前世人格ラタラジューが日本語会話できる謎

下記は過去にこのブログで掲載したイアン・スティーヴンソンの、応答型真性異言を話したトランス人格(前世人格)に対する考察です。
スティーヴンソンは、次のように述べています。
「私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセン(スウェーデン人前世人格)やグレートヒェン(ドイツ人前世人格)が、母語でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生をうけていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。ふたりは、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(真性異言話者であるクライアント)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』、春秋社、P235
この考察は、そのまま前世人格ラタラジューが、ネパール語対話セッションの直前に、筆者との日本語対話も可能であった現象についてそっくり当てはまります。
ネパール人ナル村村長ラタラジューが、ネパール人対話者カルパナさんと母語ネパール語会話でおこなわれた質問と同じく、日本語で私がおこなった質問に対しても日本語で答えることができるほど日本語をなぜ理解できたのかという大きな謎があるのです。
100年程度過去の寒村ナル村にラタラジューが実在していたとして、ネパール語以外の日本語を知っていたと推定することはきわめて不自然です。
とすれば、ラタラジューの存在の基盤である被験者里沙さんから日本語の理解力を引き出したと考える以外にありません。
SAMの作業仮説では、里沙さんという現世人格も、ラタラジューやタエの前世人格とともに彼女の魂の表層に存在する一つである「現世のもの」にほかなりません。
さらに、SAMの作業仮説では、魂の表層に存在する前世のもの、現世のものは互いに友愛を結びそれぞれの人生で得た知恵を分かち合い、魂表層全体の成長進化に貢献していると考えます。
つまり、魂の表層では前世のものたちと、現世のものはコミュニケーションを図っています。
こうして、SAM前世療法の考え方では、ラタラジュー人格は、魂表層でコミュニケーションしている「現世のもの=里沙さんという主人格」から、日本語の理解力を引き出しているということになります。
実は、こうした理解が正しいかどうかを、カルパナさんとのネパール語対話実験に入る直前に、里沙さんの守護霊に憑依してもらい、守護霊と筆者は、次のような問答をしています。                            
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
問い:: ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳・仲立ちをしているのは、魂の表層の「現世のもの」と考えてよろしいですか?
答え: あなたの言ったことはそのとおりです。・・・わたくしたち魂は・・・自然に理解できます。
『生まれ変わりが科学的に証明された!』、P46
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
里沙さんの守護霊は、魂表層でラタラジュー人格とコミュニケーションしている「現世のもの=里沙さんという主人格」から、ラタラジューが日本語の理解力を引き出している、というSAM作業仮説による解釈を「そのとおりだ」と認めています。
スティーヴンソンは、「魂の表層仮説」のような魂についての仮説を持っていませんでした。
魂と呼ばず、「心搬体(サイコフォー)」と呼ぶ死後存続する意識体を想定しているだけです。
したがって、「存在の基盤としている中心人物(真性異言話者であるクライアント)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」というところまでしか言及できませんでした。
SAMの作業説を立てている筆者は、半歩踏み込んで、魂表層でコミュニケーションしている「現世のもの=里沙さんという主人格」から、日本語の理解力を引き出している、という解釈を可能にしました。
スティーヴンソンが存命中であれば、筆者の見解に対してどのようなコメントをするか、きわめて興味深いと思っています。

2012年3月9日金曜日

不思議な憑依現象その2

前ブログで紹介した先祖霊が憑依したとおぼしき52歳男性クライアントはどうも霊媒体質だと思われます。
この霊媒体質を持つ52歳男性クライアントの功徳を積むということで、SAM前世療法で魂状態の自覚に至ったところで次のような暗示をして、未浄化霊の憑依を許可し、浄霊しました。
「この部屋(研究室)の光に引き寄せられて、癒しを求めている未浄化霊には、この者に憑依することを許可します。3つ数えたら憑依をしてよろしい」 
3つ数えた後、憑依状態を確認しました。
「あなたの身元を尋ねます。あなたは男性ですか、女性ですか、名前と年齢を教えてください」
「ナカガワチエコ18歳です」 このあとすすり泣きを始めました。
「あなたはどのような状況にいるのですか」
「空襲で周りは火事になっています。私は防空頭巾を被って逃げています。爆弾が落ちてきて・・・・学徒動員で工場で働いていて・・・・その後はわかりません」
 すすり泣きが激しくなりました。
「あなたの生活している町はどこでしょう?」
「名古屋です」
「あなたは空襲の爆弾が落ちてきた後、命をなくしているのですよ。それが分かっていませんか?」
「分かりません。家族がどうなってしまったか心配でたまりません」
「あなたは死んでいるのに、それに気づかず、苦しいのでこの者に憑依をしているのです。あなたはもう肉体がないのです。だから、行くべき光の世界へいきなさい。そこへ連れていってくださる方が現れますから、その方に導かれて光りの世界、霊界へと上がるのですよ」
クライアント男性は「苦しい、熱い」と言い出してもがき始めるので、
「あなたが憑依しているこの者の肉体を通してあなたをヒーリングをします。苦しみが癒されますよ。そのあとで、浄霊の儀式をしてあなたを必ず送ってあげますからね」
こうして、未浄化霊が穏やかに落ち着くのを待って、浄霊をおこないました。
覚醒後に、体験した意識現象の感想は次のようでした。
里沙さんとは違い、このクライアントは憑依中の記憶があり、それをモニターできたようです。
①白いブラウスにモンペのようなものを履いた防空頭巾の若い娘の姿が見えた。
②アツタという言葉と昭和20年5月14日という日付が脳裏に浮かんだ。
そこで、「名古屋大空襲」で検索したところ、昭和20年5月14日にB29爆撃機530機、投下爆弾2,515トン、罹災者66,585名、死者319名という記録が確認できました。
「アツタ」という言葉は、名古屋市「熱田区」を指すのでしょうが、5月14日の空襲では熱田区は被害区域には入っていませんでした。 この日の空襲は、名古屋市北部に存在した軍需工場に集中されたらしく、そうした軍需工場で働くナカガワチエコはそこで罹災したものと思われます。そして、彼女の実家が熱田区であろうと推測できます。
このクライアントの生地・現住所ともに関西です。名古屋や中京圏に在住したことはなく、名古屋の土地勘はありません。
熱田神宮は知っているということでしたが、「熱田区」のあることは知らないし、5月14日の名古屋大空襲については全く知らないということでした。
したがって、この未浄化霊とおぼしきナカガワチエコ18歳の実在した信憑性はかなり高いと思われました。
5月14日の319名の死者名簿が現存していれば、検証してみたいものです。
こうしたSAMの魂自覚状態における未浄化霊の意図的被憑依現象は、クライアントに霊媒体質があれば可能であるようです。
これまでにも守護的存在の意図的被憑依現象は8例を数えます。
余談になりますが、太平洋戦争における米軍の非戦闘員への無差別空襲は明らかに国際法違反です。ましてや広島・長崎の原爆投下は言語道断の非人道的犯罪行為です。
しかも、これら戦争犯罪に対する公式謝罪は今もなされていません。
ナカガワチエコの無念さ、戦後60余年もさまよっている哀れさに胸が痛みました。

2012年3月8日木曜日

不思議な憑依現象

浮かばれない先祖の霊が、その苦しみと供養を求めて、子孫に身体現象を通して訴える。
このような現象があるらしいということがセッションの意識現象の事実として新たに分かってきました。
霊能者とか僧侶の主張のように思われるでしょうが、SAM前世療法の事実として最近分かってきた現象です。
クライアントは52歳、分別盛りの男性です。福祉関係の施設を経営し、某県立大学の講師を務めておいでになる折り目正しい紳士です。
この方の主訴は、ときおりやってくる強烈な頭痛と、起床時に起こる足指の付け根に生じる疼痛でした。
魂状態の自覚まで誘導したところ、なんと顕現化したものは、クライアントの父方の先祖であり関ヶ原の合戦で大谷刑部麾下の武将で落ち武者となって戦場を落ち延びる途中、刀を踏み抜いて足の指付け根を負傷し、それが元で落命した未浄化霊でした。供養を求めて子孫であるクライアントに自分の痛みを訴えていたと口頭で告げました。要するに、浄霊を求めて、子孫に憑依した先祖に当たる未浄化霊だと名乗りました。
その痛みのつらさを傾聴した後、浄霊の儀式をおこない、予後をみることにしました。
果たして、毎朝起き抜けに起こり、立ち上がることもままならない足指の痛みが解消したというのです。
これが1回目のセッションでした。
1週間後、2回目のセッションでは、先祖の未浄化霊で苦しみを訴えているものは憑依するように指示してみました。
果たして憑依した未浄化霊の身元は、父方の先祖で、享保年間紀州ミナベの水飲み百姓ゴサクだと名乗りました。村八分にされ、盗みの疑いをかけられて鍬で頭を割られ、頭の痛みにもだえながら38歳で落命したと語りました。妻と息子を残して死んだこと、村人への恨み辛みを涙ながらに訴えました。
浄霊後、頭痛が治まったと報告がありました。
足指の付け根の痛み、頭痛とも、原因となっている医学的所見がないということですので、どこまでもクライアントの主観的自覚としての訴えです。改善もしかりです。
しかし、驚くべきことに、このクライアントの守護霊を名乗る存在が降霊し、先祖供養もSAM前世療法の柱となる療法だと心得よ、と告げる現象がおきました。
魂状態の自覚に至ると、霊的存在の憑依・降霊現象が稀ではなく起こることが分かっていますが、先祖の未浄化霊が供養を求めて憑依するという現象は過去にはありませんでした。
しかも、供養を求めている先祖の未浄化霊が、その苦しみを訴えて子孫に自分の身体的痛みの現象を起こしているということは、まことに不思議としかいいようのない現象です。
これまで、クライアントの心理的・身体的不都合を起こしている対象を、前世人格にもっぱら絞ってセッションをしてきましたが、先祖の未浄化霊の影響も考慮にいれない、と改善に至らないことがあるようです。
新たな発見と言ってもいいでしょうし、新たなSAM前世療法の展開ができそうです。
もう少し、事例を集積して検証してみたいと思います。

2012年3月6日火曜日

なぜ数百回もの生まれ変わりがあるのか

生まれ変わりの回数については、科学的検証はできません。
ちなみに、筆者の生まれ変わり回数は、現世が369回目であると筆者あて霊信は告げています。
また、今かかわっている52歳男性クライアントの守護霊は、彼の生まれ変わり回数を459回目だと告げています。
「ラタラジューの事例」を語った里沙さんの守護霊は、彼女は3回目の生まれ変わりであると告げています。
ここでは、信頼性の高いと思われる里沙さんの守護霊の語りに焦点を当てて、また多くのクライアントの語りを参考にして、生まれ変わりの回数が数百回も必要である理由について考察してみたいと思います。
里沙さん守護霊やセッションで語られるところによれば
①生まれ変わりの決定は、霊界次元で魂と守護霊、あるいは神との間の契約による。
②契約とは、魂の成長進化のために乗り越えるべき人生の課題を決めることである。
しかし、魂が現世の肉体に宿ったときを境にして契約内容は忘却される。
③急速な成長進化を望む魂の願いは、苦難の人生を自ら選ぶことによって叶えられる。
里沙さんの魂はそれを選んでいる。
初回は16歳のタエとして人柱になって落命した。
2回目はラタラジューとして貧困のナル村村長としての苦労を重ねた。
現世では脊柱側湾症の痛みに耐える人生を送っている。
つまり、人生上の負荷が大きいほど成長進化は促進される。
④しかし、生まれ変わりをしたからといって、成長進化が保障されたわけではない。
成長進化の機会が与えられたということである。
選び取った人生で、成長進化のための課題に立ち向かう生き方をするか、安逸な人生を送るかどうかは、それぞれの魂の主体性に任されているらしい。
⑤したがって、生まれ変わりの回数分に比例して、急角度の右肩上がりに直線的成長進化がおこなわれることは稀だと考えられる。
停滞(足踏み状態)や、わずかずつの成長進化を繰り返すことがほとんである。
⑥多くは、生まれ変わりによる成長進化の機会を生かせずに、前世と同様の過ちを繰り返し、成長進化に資することのない足踏み状態(停滞)の人生を繰り返す。
あるいは、わずかな成長進化しかできない人生を繰り返す。
右肩上がりではなく水平線状、ないし極めてなだらかな右肩上がりの成長進化でしかない。
⑦このことは、ソウルメイトと呼ばれる魂どうしとして、夫婦・親子・兄弟・ライバル等の関係で生まれ変わりなが
ら、敵対関係や憎み合う関係を繰り返す事例が稀ではないことからも推測できる。
⑧里沙さん守護霊の語り、セッションでの前世人格の語りから判明してきたこうした事実を重ね合わせてみると、生まれ変わりを卒業するためには、数百回の人生を繰り返すことはむしろ当然だと思われる。
魂の成長進化は容易ではないと言えそうである。
⑨こうしたことは、魂の表層には、不本意な人生によって生じた傷に苦しむ複数の前世のものたちが、今もその苦悩を訴え続けて顕現化する、というセッションにおける意識現象の数多くの事実からも裏づけられる。
SAM前世療法で現れる意識現象の事実の累積から、現段階でおおよそ言えそうな、数百回もの生まれ変わりの理由は以上のようなことです。

2012年3月4日日曜日

潜在意識の深奥には何が潜んでいるのか

SAM前世療法のクライアントとしておいでになった、ワイス式前世療法のセラピスト、あるいはワイス式前世療法の被験者と話し合う機会がこのところ何度もありました。
成瀬学派のアカデミックな催眠法を学んできた筆者には、なぜワイス式前世療法に催眠深度を測定する過程がないのか不思議に思うところです。これまでの催眠学の先行研究を利用すべきでしょう。
なぜなら、催眠状態独自の脳波が発見されておらず、瞑想状態・まどろみ状態と類似のα波優勢の脳波であることしかわかっていないので、クライアントが確実に催眠状態にあるのかどうかを知るためには、一定の尺度に基づいて催眠深度を測定しておかないと、催眠に入っている、いない、の判断ができないからです。
ところで、催眠状態に深度の違いがあることは催眠学上の合意であると言ってよいと思います。
浅い→深いの順に「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」→「夢遊催眠」という4段階の深度が名付けられています。
そして、それぞれの深度で起こる催眠現象の典型をいくつかを抽出して「標準催眠尺度」が設けられています。たとえば、手の接着現象(運動催眠)、幻聴現象(知覚催眠)、年齢忘却現象(記憶催眠)、後催眠暗示遂行現象(夢遊催眠)のように。
成瀬悟策標準催眠深度表によれば、「夢遊催眠」がもっとも深い催眠状態だとされています。
筆者は、「無意識(潜在意識)」の実在を実感するために、催眠研究に踏み込んだ事情から、「後催眠暗示遂行現象」を何度も実験し、確認してきました。
たとえば、「これから催眠から覚めます。しばらくして私がポンと手を叩くと、あなたはきっと窓を開けたくなって開けるでしょう。でも、わたしがこうしてあなたに指示したことはけっして思い出すことはありません」と暗示(後催眠暗示)して覚醒させます。
そうすると、被験者はもじもじ、あるいはトランス状態になって、窓を開けます。窓を開けた理由を尋ねても、「なんとなく」とか「息苦しいから」とか答えるのみで、催眠者から催眠中に指示されたことを思い出すことはありません。
この後催眠遂行現象によって、人間にはどうしても自覚できないもう一つの隠れた意識、つまり、
無意識・下意識・潜在意識などと名付けられる意識レベルがあるという一つの証明になるわけです。
ところで、SAM前世療法の作業仮説では、「潜在意識は魂の表層に存在する前世の者たちによって作り出されている」という「魂の二層構造仮説」に立ってセッションを展開します。
そして、「魂状態の自覚」へ誘導するために「魂遡行催眠」と名付けた最終誘導過程を踏みます。
潜在意識を作り出している源まで遡行するわけですから、まさに潜在意識の深奥なるものへと催眠深度を深めることになると思っています。
おそらく夢遊催眠以上の最深度へと誘導することになっているのではないかと思います。
ちなみに、ワイス式前世療法を体験したクライアントは、SAM前世療法の意識状態がワイス式よりも深いという報告をしています。
「魂状態の自覚」とは、多くのクライアントの語る意識現象の事実によれば
①体重の感覚がまったくなくなる。つまり、身体を持っている感覚が消失する。
②「私という意識のみ」がある状態になる。つまり、純粋な意識だけが存在している自覚になる。
③肉体から意識(魂?)が遊離している状態になる。つまり、体外離脱状態の自覚になる。
という報告を受けています。
「ラタラジュー」は、里沙さんをこのような魂状態まで遡行させ、魂の表層から呼び出した前世人格です。
また、これまでに医師4名、大学の臨床心理専門家4名を魂遡行催眠によって「魂状態の自覚」に到達することに成功し前世人格の顕現化が起こっていますから、潜在意識の深奥に魂状態の自覚が潜んでいることは普遍的事実だろうと思われます。でなければ、「魂=soul」という語が作られる理由がないと思われます。
以下は第12霊信で通信霊が告げている文言です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
潜在意識より深奥なるものを、すべて「集合意識」とまとめることは適切ではない。
だが、それらを「人からの見解のみで理解する」ことはできないのだ。
集合意識に含まれるものを、私たちが説明を与え分けていくことは許されない。
それはあなた方の世界に存在する者がおこなうべきものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者がSAM前世療法で探究してきた「魂状態への遡行」という催眠深度は、上記の「集合意識」を探究していることになるのではないかと思っています。
つまり、魂の表層全体こそ、個々の前世の者たちが作り出している潜在意識がネットワークを結んでいる「集合意識」に他ならないからです。
そして、このような情報は、「人からの見解のみで理解することができない」という、人を超えた通信霊からの情報を検証することによって明らかになってきたことだからです。

2012年3月2日金曜日

ワイリストンの退行催眠5つのレベルとSAM前世療法

ウィリストンは、『生きる意味の探究』の中で、退行催眠(前世場面への遡行)のレベルを5つに設定して示しています。
「クライアントがどの程度場面に入り込んでいるか、退行体験の現実味をどの程度主観的に評価しているかによって決定した。(同書P293)」と述べています。
以下にそのレベルの概要と、それへ達する割合を紹介します。(同書PP294ー302)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レベル1
 退行のもっとも浅いレベル。通常イメージはぼんやりしている。特定の何かを実際に見た、と感じる人はあまりいない。約25%の人がこのレベルに留まる。
レベル2 誰か過去生の特定人物の肉体に気持ちが入り込むことはなく、実体のないとらえどころのない存在として「その場面を漂っているような感じ」がするのが普通である。約75%の人がこのレベルに到達する。
レベル3 このレベルの経験は「映画を見ているような感じ」だと言える。しかし、登場人物になりきるのではなく、その場面で繰り広げられるアクションを、客観的に眺めているだけである。約50%がこのレベルに到達する。
レベル4 目前の状況に関与しており、傍観者というよりも、場面に参加している当人になりきっている。約30%の人がこのレベルに到達する。
レベル5 完全に場面に引き込まれ、現実味あふれる体験をする。方言、アクセント、珍しい言い回しなどがはっきり現れる。外国語を話し始めることもある。過去生での自分の感情が完全によみがえり、過去の自分の心で、すべてのことを考えるようになる。約10%がこのレベルに到達する。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィリストンもブライアン・ワイスも、前世記憶へアクセスすることを前提としており、その退行誘導の技法は、「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と暗示する(同書P314)としているので、「階段を下りるとドアがあり、ドアの向こうの時間も空間も超越した次元に入ります」といったブライアン・ワイスの退行誘導の技法との本質的な差異はないと言っても差し支えないと思われます。
トンネルにしろ、ドアにしろ、そうした現世と前世を隔てる「イメージとしての関門」を通過させ、前世記憶の場面にアクセスさせようとする技法であるからです。
こうした技法によって、前世記憶にアクセスする前世療法(退行催眠法)を、筆者は「ワイス式」と呼んでいます。
さて、ワイスはウィリストンのように、退行催眠のレベルやその到達度を述べていないようですが、1990年のあるインタビューでは、過去生まで行けるケースは被験者の3~5%(ブライアン・ワイス/山川夫妻『前世療法』P268)だと語ったとされています。この3~5%の数字は、ウィリストンのいうレベル5に到達できた数字であろうと思われます。
こうした数字は、筆者の臨床体験からすると、低すぎる、あるいは低く見積もっているのではないかと感じられます。
さて、筆者のおこなうSAM前世療法では、魂状態の自覚に至るまで催眠深度を深めます。魂状態の自覚に至れば、「前世人格」を顕現化させることが可能になります。こうして顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の肉体を借りて激しく泣いたり、怒りの感情をあらわにしたり、まさに今も意識体として生きているとしか思えない感情表現をします。ウィリストンの退行レベル5のような様相を示します。
前世場面に引き込まれるのでなく、前世人格そのものが顕現化しているという前提ですから、レベル5の様相を示すことは当然と言えば当然でしょう。
そして、前世人格の顕現化する割合は、直近200事例で90%です。10%は魂状態に遡行できません。
SAM前世療法の催眠レベルは、魂状態に遡行できるか、できないか、の二者択一であり、顕現化した前世人格の様相は、ウィリストンの退行レベル5に相当していると言っても過言ではありません。
ただし、前世人格のうち口頭で答えられる割合は約20%であり、5人のうち4人までの前世人格は、質問に対して指を立てたり頷いたりすることで回答します。
こうした前世人格に、口頭で答えることがなぜできないかを尋ねると、肉体を離れて時間が経っているので、発声器官を用いることが難しくなっている、指や頷くといった簡単な操作ならできる、と回答します。
顕現化したラタラジュー人格は、被験者里沙さんの発声器官を用いることのできる前世人格であったということです。
ワイス式前世療法では、前世の記憶を口頭で答えることができない、といった事例はないようです。
クライアント自身が前世幅記憶を語る、という前提ですから、これは当然のことでしょう。
SAM前世療法は2008年に生まれた療法で、先行研究がありません。
さらに事例の累積を積んで検証をしていく必要があります。口頭回答率が20%でしかない理由も、さらに検証を重ねていくなかで明らかになっていくものと思っています。
筆者の知人で、「ラタラジューの事例」を、英訳・韓国語訳をしてくださっている方がおられます。
以下が、そのブログアドレスです。もし、あなたの知人で、英語や韓国語のほうが堪能の方がおいでなら紹介してあげてください。
http://newxenoglossy.blogspot.com/ (英語)
http://newxenoglossy.blogg.se/ (スウェーデン語)
http://blog.naver.com/sofiabang (韓国語

2012年3月1日木曜日

ブライアン・ワイスはなぜ?

ワイスが前世療法を始めたのはまったくの偶然だったようです。
彼の『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば次のようにその消息が語られています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。かごがあります。かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(後略)時代は紀元前1863年です。・・・・」
彼女はさらに、地形について話した。私は彼女に何年か先に進むように指示し、見えるものについて話すように、と言った。(前掲書PP25-26)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
クライアントはコントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。
そして、突如、紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘として語りはじめたというわけです。
注意すべきは、上記の「彼女」とは文脈からして「前世人格アロンダ」ではなく、クライアントのキャサリンに対して指示していることです。
ワイスは、明らかにクライアントのキャサリンが前世記憶として、紀元前19世紀に生きたアロンダのことを語っている、ととらえています。
しかし、アロンダの語りをありのままに受け取れば、「前世人格アロンダ」が顕現化したとらえるべきではないでしょうか。
ワイスの思考は、この現象を次のようにとらえています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、アロンダになった。それとも、アロンダがキャサリンになったというべきなのだろうか?(前掲書P36)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考法は私には理解不能な奇妙な考え方に写ります。
キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世のアロンダがキャサリンの口を介して自分の人生を語った」のか、と考えることがふつうだろうと思われます。
結局、ワイスは、「「前世のアロンダがキャサリンの口を介して自分の人生を語った」という素直な解釈をとらず、「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにも適用しています。そのことはこの本の末尾で次のように述べていることから明らかです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうした人々は、それ以外の前世についても思い出した。そして過去生を思い出すごとに、症状が消えていった。全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。(前掲書P264)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、「クライアントが前世の記憶を語るのだ」と終始とらえられているということです。
「前世人格が顕現化してクライアントの口を通して語る」とは考えなかったのです。
グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、筆者よりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?
筆者がワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。出口の方に歩いてゆきましょう。もう、あなたの心は時間と空間から完全に自由です。そして、今まで自分に起こったすべてのことを思い出すことができます」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。
ちなみに、グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。
「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と声をかける。そうすれば、クライアントは、その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店,1999,P314)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィリストンも、記憶の中にある過去生の場面に戻り、登場人物になりきる(登場人物になったつもりで役割演技する)、ととらえているわけで、やはり、前世の記憶を想起するという前提に立っていると考えて差し支えないでしょう。
誤解を恐れず言えば、ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているにもかかわらず、唯物論的思考から完全に抜け出すことができなかったのだ、と筆者には思われます。
したがって脳内のどこかにある「前世の記憶」を想起している、というとらえ方しかできなかったのだと思います。
こうした固定観念から、前世人格が顕現化して、現在進行形として対話しているのだ、という発想の転換ができなかったのでしょう。
また、両者とも、筆者の「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会っていなかったこともあると思われます。
ワイスが「キャサリンの事例」に出会ったのは1980年代の半ばころだと思われます。
私が、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。
前世療法が市民権を得て、20年程度の間、脳内に存在する「前世の記憶」として扱われてきた概念を、筆者は、「魂の表層に存在している前世人格の顕現化だ」と主張するに至りました。
この主張は、独自の作業仮説に基づくSAM前世療法によって、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という証拠があってこそのことです。