2012年3月1日木曜日

ブライアン・ワイスはなぜ?

ワイスが前世療法を始めたのはまったくの偶然だったようです。
彼の『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば次のようにその消息が語られています。
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「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。かごがあります。かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(後略)時代は紀元前1863年です。・・・・」
彼女はさらに、地形について話した。私は彼女に何年か先に進むように指示し、見えるものについて話すように、と言った。(前掲書PP25-26)
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クライアントはコントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。
そして、突如、紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘として語りはじめたというわけです。
注意すべきは、上記の「彼女」とは文脈からして「前世人格アロンダ」ではなく、クライアントのキャサリンに対して指示していることです。
ワイスは、明らかにクライアントのキャサリンが前世記憶として、紀元前19世紀に生きたアロンダのことを語っている、ととらえています。
しかし、アロンダの語りをありのままに受け取れば、「前世人格アロンダ」が顕現化したとらえるべきではないでしょうか。
ワイスの思考は、この現象を次のようにとらえています。
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そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、アロンダになった。それとも、アロンダがキャサリンになったというべきなのだろうか?(前掲書P36)
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上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考法は私には理解不能な奇妙な考え方に写ります。
キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世のアロンダがキャサリンの口を介して自分の人生を語った」のか、と考えることがふつうだろうと思われます。
結局、ワイスは、「「前世のアロンダがキャサリンの口を介して自分の人生を語った」という素直な解釈をとらず、「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにも適用しています。そのことはこの本の末尾で次のように述べていることから明らかです。
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こうした人々は、それ以外の前世についても思い出した。そして過去生を思い出すごとに、症状が消えていった。全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。(前掲書P264)
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「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、「クライアントが前世の記憶を語るのだ」と終始とらえられているということです。
「前世人格が顕現化してクライアントの口を通して語る」とは考えなかったのです。
グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、筆者よりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?
筆者がワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。
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「階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。出口の方に歩いてゆきましょう。もう、あなたの心は時間と空間から完全に自由です。そして、今まで自分に起こったすべてのことを思い出すことができます」
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やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。
ちなみに、グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。
「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と声をかける。そうすれば、クライアントは、その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店,1999,P314)
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ウィリストンも、記憶の中にある過去生の場面に戻り、登場人物になりきる(登場人物になったつもりで役割演技する)、ととらえているわけで、やはり、前世の記憶を想起するという前提に立っていると考えて差し支えないでしょう。
誤解を恐れず言えば、ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているにもかかわらず、唯物論的思考から完全に抜け出すことができなかったのだ、と筆者には思われます。
したがって脳内のどこかにある「前世の記憶」を想起している、というとらえ方しかできなかったのだと思います。
こうした固定観念から、前世人格が顕現化して、現在進行形として対話しているのだ、という発想の転換ができなかったのでしょう。
また、両者とも、筆者の「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会っていなかったこともあると思われます。
ワイスが「キャサリンの事例」に出会ったのは1980年代の半ばころだと思われます。
私が、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。
前世療法が市民権を得て、20年程度の間、脳内に存在する「前世の記憶」として扱われてきた概念を、筆者は、「魂の表層に存在している前世人格の顕現化だ」と主張するに至りました。
この主張は、独自の作業仮説に基づくSAM前世療法によって、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という証拠があってこそのことです。

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