2021年12月2日木曜日

生まれ変わり証拠映像公開の困難性

SAM催眠学序説 その145

 

わたしのもとへ、覚醒中に異言らしきことばを話せるので検証してほしい、という依頼がたまに舞い込みます。
わたしは、原則としてこうした依頼をお断りしています。
その理由は、仮にその言語が真性異言だと証明できても、応答型真性異言でなく、単に異言を発音するだけであれば超ESP仮説が適用されるので、厳密な意味で生まれ変わりの科学的証拠とは判断できないからです。

また、そうした現象は、本人以外の霊の憑依現象が疑われ、その語りの主体が前世人格なのか憑依霊なのか判別が困難であるからです。
そのうえ、学んでいない外国の単語や文章の一節を繰り返し発音できたとしても、それは「技能」とは言えず「情報」として扱われますから、万能の透視能力やテレバシー(超ESP)を用いて入手した、という疑いを払拭できません。
こうした真性異言で応答的に会話するのでなく、単に発音するだけの場合を「朗唱型真性異言」と呼びます。

また、実際の検証体験でも、催眠中に起こった朗唱型真性異言だと思われる事例で、流暢にそれらしく話される異言が、検証の結果、まったくのでたらめであったということが3例ありました。
こうした事例は、催眠学で呼ばれる「役割演技」、つまり、無意識のうちに外国人の役割演技をおこない、自分のイメージにある外国語のそれらしき発音を真似た言語を創造的に発音したということでしょう。
催眠中には創造活動が活性化することが分かっていますから当然起こりうる現象です。

こうした体験がありますから、学んでいない外国語らしき言語で話せるという異言現象が起きたとしても、真性異言現象だと判断できることは稀だと思っています。
宇宙語であるとかムー大陸のことばであるとかを話せると言ってくる方もいますが、そうした地球上にない言語は、そもそも真偽の検証が不可能で、生まれ変わりの科学的検証対象になりません。

さて、超ESPによっても絶対入手できないのは「技能」です。
いかに優れた超能力を用いても技能は入手できません。
練習を必須条件とする技能は、練習抜きに獲得できないからです。
ヴァイオリンに触ったこともない超能力者が、超能力によって、練習を必要とするヴァイオリンの名曲を演奏できることはありえませんし、そうした事例は発見されていません。
同様に、応答的な会話も練習抜きに話せることはありません。
技能は「暗黙知」と考えられ、本来、ことばで伝達することは不可能とされています。
ことばで伝達可能なことなら、ESPによって入手可能です。
したがって、学んだことのない外国語で、練習の不可欠な応答的な会話ができる現象が、「応答型真性異言」と呼ばれ、それは超ESP仮説による説明を不可能にしますから、最終的説明仮説、つまり、生まれ変わり仮説を実証する最有力の科学的証拠だと認められているわけです。

しかし、応答型真性異言は容易に発現するものではありません。とりわけ、催眠中に起こった応答型真性異言で、公になっている事例はイアン・スティーヴンソンの発表している3例とSPR(心霊研究協会)の検証した1例にすぎません。それも1980年代で途切れています。
わたしの知る限り、21世紀になって最初に「応答型真性異言」として公になったのは2009年の「ラタラジューの事例」のみです。
しかも、スティーヴンソンの発表している三つの事例は、応答型真性異言で対話中の録音は残されていても、映像は残されていません。
証拠映像が残されたという点でも、「ラタラジューの事例」は、世界初の画期的な応答型真性異言事例だと認めてよいと思っています。

しかし、「ラタラジューの事例」の検証とセッション映像の公表には、いくつかのクリアすべき以下のような多くの困難がありました。

①被験者里沙さんにセッション証拠撮影の許可をもらうこと。

②セッションにヤラセや欺瞞の疑いを持たれぬために、社会的地位があり信用度の高い複数の同席者を確保すること。

③ネパール語を母語とする知的に優れたネパール人対話者を確保すること。

④ネパール語会話をローマ字表記にし、それを日本語に翻訳できる学識あるネパール人協力者を複数確保すること。

⑤里沙さんがネパール語を学んでいない証明のために、小・中・高・大学時代の友人、結婚前、後の友人、家族等彼女のプライバシーの徹底的身辺調査の同意を得ること。

⑥ラタラジューの語りのナル村の状況の真偽を検証するために、学識あるネパール人、できれば博士号を持ち、日本語でメールのやりとり可能なネパール人にナル村現地調査を依頼すること。

⑦里沙さんとご主人にポリグラフ(嘘発見器)検査の同意を得ること。

⑧権威あるポリグラフ検査者を探し、事情を納得してもらったうえで検査の協力を得ること。

⑨学会発表、出版、TV出演および、you-tube公開などを、本人・ご主人・子どもたちから許可を得ること。

⑩TV出演に対する心ない中傷、陰口も予測し、それに耐えてもらうことの家族の同意を得ること。

ざっと列挙しただけで、以上のような困難を乗り越えなければなりませんでした。
とりわけ、⑥⑧の調査・検査を含めて50万円ほどの費用がかかりました。
応答型真性異言の科学的検証を厳密におこなうためには、当然のことながら数十万円の費用を覚悟しなければなりません。                           科学的検証のために先立つものはまずはお金なのです。

また、予測した⑩は予測どおりに起きています。
アンビリスタッフがワゴン車を里沙さん宅の前に乗り付け、撮影機材を持ち込むのを見た近所の人が、里沙さん宅で新聞沙汰になる事件が起きたと勘違いし、ついには自治会長まで事情を探りに訪問する騒ぎになりました。

また、アンビリを視聴したご近所の人たちから、よくもまあネパール語を練習して上手に演技したものだ、そんなことしてまで有名になりたいのか、などのヤラセや売名行為だという陰口が聞こえてきたということです。

また、アンビリを視聴した霊能者を自称する人物は、自身のブログで、あることないことを立証ぬきで書き込んで、里沙さんが今後不幸にさらされるようなことを予言しています。

これまでにない新しい何かを思い切ってすると、必ず心ない誹謗中傷を免れられない、ということです。

「ラタラジューの事例」の科学的検証とその公開は、里沙さんおよび、ご家族の使命感と犠牲なしにはけっして公開されることはなかったのです。

さて、「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、明らかになってきた「諸意識現象の事実」を、SAM前世療法という固有・独自の観点によって体系化を試みようとするものです。つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の「意識現象の事実」を、一定の原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです。

ここで述べている「意識現象の事実」とは、「生まれ変わりを示している意識現象の事実」を指していますが、その実証的根拠こそ、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」の両事例です。

もし、この両事例に出会うことがなかったなら、わたしは、生まれ変わりは科学的事実だ、などという大胆な主張は到底できなかったでしょう。

当然のことながら、「生まれ変わりの事実」を、「一定の原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試み」である「SAM催眠学」、つまり、唯物論に真っ向から対立する主張もできなかったでしょう。

したがって、とりわけ超ESP仮説を打破する応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの事実を探究する「SAM催眠学」の構築とその展開にとってまさに生命線です。

「ラタラジューの事例」について、唯物論側からの数々の反論・批判に対して、「SAM催眠学」からの再反論の応酬をしてきました。
そのまとめが『SAM催眠学序説その117』に掲載してあります。

ただし、諸反論のほとんどは、わたしの提示している一次証拠(具体的事例で示した証拠)に一切触れない、実証なき観念論(「仮説」でもなく単なる「憶説」)です。      したがって、独断的に反論できたつもりでも、説得力はまったくありません。

ぜなら、否定されていない一次証拠は、肯定されていると見做され、生まれ変わりの科学的証拠として、相変わらず存在し続けているからです。               。

 ところが、「ラタラジューの事例」の、事例そのものの客観的事実を認めない、つまり、なんらかの作為によるでっち上げではないか、という疑いをもつ人が少なからずいるようです。

たとえば、「SAM催眠学序説その99」の前の記事である「おことわり」の記事のコメント「習っていない別国の語学が話せるというような現象も、ネス湖の怪獣問題のように何かの少しの嘘脳機能の評価不足などの間違いなどではないでしょうか!!人は利害などでよく偽りがそのつもりがなくとも出てもきます」などに類する主張です。

こうした批判者はネット上の匿名性をいいことに、無責任で、言いたい放題をやっている輩ですからまともに相手にするのも大人気ないと思うのですが、両事例の当事者である里沙さんの名誉のためにヤラセ疑惑を払拭する確認をしておきます。

両事例を、生まれ変わり仮説を支持する科学的諸検証の結果から導かれた結論である、と主張していること、つまり、反証可能性にひらかれた形で、セッション記録映像のyou-tubeでの提示と、2冊の拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の文字記録によって具体的に提示しているので、それらの提示された具体的諸証拠によって他者に対して、「反証可能性」にひらかれているのです。
 

反証可能性(はんしょうかのうせい、: Falsifiability)とは、

「科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説実験観察によって反証される可能性があることを意味する。
ある仮説が反証可能性を持つとは、その仮説が何らかの実験や観測によって反証される可能性があることを意味する。
例えば、「明日、太陽から昇る」という仮説は、「明日、太陽が東から昇らない」という観測によって反証されるかもしれない。
これに対して、いかなる実験や観測によっても反証されない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ」
 

というわけですから、「タエ」、「ラタラジュー」の具体的両事例にもとずく「生まれ変わり」の実証的主張は、生まれ変わりを示す映像記録と文字記録の具体的諸証拠の提示によって反証可能性にひらかれています

したがって、わたしの主張に対して、ヤラセや欺瞞であるという反論をするからには、わたしの提示した具体的諸証拠に正対し、ヤラセや欺瞞があることを立証しなければ、正しく反論たりえないのです。
正当な反論とは、そのような立証責任がともなうというのが反論のルールだということです。

にもかかわらず、反証抜きでヤラセや欺瞞を主張することは、単なる言いがかりに過ぎません。
おそらく、生まれ変わりの科学的事実を認めることに、強い恐怖、あるいは不安に駆られているのか、唯物論信仰にヒビや動揺が生じ、いわゆる「認知的不協和」による強迫的観念に怯えるからだと思われます。

あるいは、アンビリは娯楽番組であるから、おもしろおかしくヤラセを演出しているに決まっている、という偏見による先入観からの短絡的感想・主張かも知れません。
しかし、ヤラセの主体が、フジTVのアンビリ制作スタッフであるとするなら、見当違いも甚だしいと言わねばなりません。

「タエの事例」が放映されたのは2006年10月ですが、研究のために、この実験セッションの映像が撮影されたのは2005年6月です。
翌2006年5月に、「タエの事例」を収載した『前世療法の探究』が出版され、それを読んだアンビリ制作スタッフから、セッション記録映像提供の依頼が来たのが、2006年7月です。
つまり、「タエの事例」の映像撮影時点で、アンビリがヤラセなどに関与できるはずがなく、アンビリ制作スタッフによるヤラセの可能性は100%ありません。

ただし、わたしの提供したセッション記録映像の音声に1個所、わたしの了解なしにタエの音声を削除した部分があります。
タエは人柱になった理由を、「水が止まってあぶないので、上の村が水にやられるので・・・私がお供えになります」と語っていますが、「上の村が水にやられるので」の音声が削除されています。


おそらく、タエの人柱がタエの住む渋川村を洪水から守るためのものという筋書きのほうが視聴者が分かりやすいという判断があってのことでしょう。

「ラタラジューの事例」も同様の経緯があり、アンビリ制作スタッフによるセッション記録撮影時点のヤラセなど関与の余地は100%ありません。
なぜなら、「ラタラジューの事例」の実験セッションの撮影がされたのは2009年5月であり、その後にセッション映像提供のオファがあり、アンビリ放映は翌2010年8月です。

この事例がアンビリ放映に至ったのは、真性異言研究チームの末武信宏医師が知り合いの学研編集者に「ラタラジューの事例」を紹介し、2010年3月、学研の雑誌『ムー』によって「ラタラジューの事例」が特集掲載され、それを読んだアンビリスタッフからセッション映像提供の依頼が同年7月にあり、2010年8月に放映に至ったという時系列の経緯があるからです。

したがって、「ラタラジューの事例」のセッション記録撮影時点で、アンビリ制作側が、ヤラセなどの関与ができる余地はまったくありえません。

ただし、「ラタラジューの事例」の映像編集されたナレーションの中に、アンビリスタッフの依頼によって、フラッシュバックするナル村風景を里沙さんにスケッチしてもらった、というくだりがありますが、これは事実と異なります。

フラッシュバックするナル村風景のスケッチを里沙さんに依頼し、それ保管していたのはわたしです。
アンビリ制作スタッフが、ナル村の現地取材に入るというので、それならこのスケッチ風景に該当するナル村風景の有無を検証してほしい、とわたしがスタッフに預けたというのが真相です。

というわけで、アンビリ制作側からヤラセを企てることは事実関係から、一切ありえません。

とすれば、残るヤラセの可能性は、わたしと里沙さんが共謀して、タエの人柱物語を作話した、また、ラタラジューのネパール語会話の特訓をし、台本をもとにネパール語対話者カルパナさんとのネパール語のヤラセ会話セッションを捏造したという疑いになります。

しかし、こうした疑惑、つまり、被験者里沙さんは、実験セッション以前にタエに関する諸情報やネパール語についての諸情報を入手していたのではないか、という疑惑については、詳細な生育歴調査と、ポリグラフ検査鑑定によって明確に否定されています。

また、「タエの事例」では、岐阜県多治見県病院消化器外科部長医学博士酒向猛医師、市川千秋皇學館大学教授、小野口裕子可児市教育委員長、「ラタラジューの事例」では、大門正幸中部大教授、同大学岡本聡准教授、医学博士末武信宏医師などが、見学者として同席しています。

社会的地位のある複数の人たち全員が、ヤラセを納得し加担する可能性は、常識的にありえるはずがないでしょう。

そのように受け取ってもらえるように、後々このセッション証拠映像にヤラセや欺瞞の疑惑をかけられないように、社会的地位のある複数の見学者の同席を許可したという意図があるのです。

ここまで説明しても、ヤラセ疑惑を払拭していただけないとすれば、いったいどのような説明や証明をすれば疑惑が晴れ、生まれ変わりの可能性を認めるのですか、とお尋ねしたいと思います。

もはや「縁なき衆生」と言うべきでしょう。

わたしが、生まれ変わりの実在を認める主張をしている理由は、

①これまでのクライアントにあらわれる霊魂に関する「意識現象の事実」を、魂の実在や生まれ変わりの証拠として認めても、直感に著しく反していないからであり、            

②霊魂の実在と生まれ変わりを事実として認めることが、不合理な結論に帰着しないからであり、                                     

③前世人格の顕現化という霊的現象(とりわけ応答型真性異言現象)が、唯物論的枠組みからはどうしても説明できない、

からです。

 

【追記】                                    you-tube公開の「タエの事例」「ラタラジューの事例」の映像編集はSAM催眠塾生Y氏、「ラタラジューの事例」の英語版編集はY氏の妹さんに全面的なご協力をいただきました。 ご両人のご協力がなければ、you-tube公開はできなかったでしょう。           

この場を借りてあつくお礼申し上げます。