2014年12月20日土曜日

SAM前世療法による顕著な改善の実証事例

   SAM催眠学序説 その33


SAM前世療法は、SAM催眠学の諸作業仮説によって構成された世界に類のない前世療法です。
一般の前世療法の前提とする、クライアントの「前世の記憶」を想起させる、という方法論をとりません。
クライアントの魂表層に存在している「前世の人格」を呼び出し、前世人格と対話する、という方法論によってセッションを展開します。

このSAM前世療法の有効性は、クライアントからの諸事後報告によって実証されてきましたが、ごく最近、セッション後1時間以内に改善効果があらわれたという報告を受けました。
改善報告は、主訴によってその改善効果のあらわれる経過時間がまちまちですから、これぞ間違いなくSAM前世療法の改善効果だと断定することがなかなかできにくい面があります。
しかし、セッション後1時間以内に顕著な改善効果が出たというならば、セッションによる効果以外の何らかの他の改善効果が混入することは、まずありえないと判断することができます。

そこで、まず、SAM前世療法の作業仮説の概要を述べ、次いでセッションを受けたクライアントの改善報告を掲載します。


2007年1月23日~25日の私あて第12~14霊信では、次のように告げてきました。

「意識・潜在意識は、魂の表層を構成している前世の人格たちがつくり出している。
 

前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている。
 

彼らは互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を分かち合っている。
 

こうして魂の表層全体は、成長進化へ向かうように仕組まれている。
現世の「私」という人格も魂の表層の一つである。
 

こうして、魂の表層を構成する一つである「私」は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない。

以上が、SAM催眠学の提唱する「魂の二層構造仮説」です。

意識・潜在意識は、脳の付随現象ではなく、魂表層の前世のものたちがつくり出している、というのがSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」でした。
それではつくり出されている意識・潜在意識の宿っているのはいったいどこでしょうか。
それに答えるのが、下記の「霊体仮説」です。

意識・潜在意識は「霊体」に宿っている。
 

霊体は、肉体と魂を守るために、くまなく肉体を覆う透明な防護服のような働きをしている。
 

霊体の色が、オーラである。
 

霊体は肉体と共通する要素を持ち、肉体と密接につながっている。
したがって、霊体に宿っている潜在意識を、肉体のどこにでも宿らせることが可能である。


以上を、SAM催眠学の提唱する「霊体仮説」と呼んでいます。

SAM前世療法は、SAM催眠学の作業仮説である「魂の二層構造仮説」「霊体仮説」を骨格として成り立っている前世療法です。

さて、以下は「階段降下恐怖症」とでも呼べる恐怖症が主訴で訪れた46歳公務員女性クライアントの、SAM前世療法セッション5日後の報告です。

一般的にはこうした恐怖症の生じたエピソードが生育歴の中にある場合には、系統的脱感作法(イメージ減感法)を用いますが、このクライアントには、生育歴の中で階段降下恐怖症となるエピソードの心当たりが全くないということなので、前世人格が引き起こしている可能性ありという判断によって、SAM前世療法を実施しました。

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今回のセッションでは、若い頃から「降り階段やエスカレーターが怖い」ということに関係のある前世の者を呼び出していただきましたが、その後の効果にびっくりです!!

セッションを終えたあと、先生のお宅から帰宅する途中の犬山駅で、電車の乗り換えのため急いでホームを渡ったのですが、途中にある降り階段を、全く意識せずに降り切りました。

電車に乗ってから、階段を降りたことに気づきました。

そのあと鵜沼駅の長い降り階段を、意識して下を見てから降りてみましたが、見た時「わっ、高い」と思っただけで、普通に降りられました。

今まで感じていた、めまいや足元のふらつきも、このところ感じません。

体から、何かが抜けたような感じです。

毎朝毎晩、駅の階段を降りるのがストレスでしたので、改善されてとても感謝しております。

今回出てきた前世の者は、元寇の時日本に来て、海に落ちたモンゴル人で名前はコーエンとのことでしたが、そういう人格が出てくるとは思っていませんでしたので、最初戸惑いました。

それでも口は勝手に喋って、しかも死後の世界まで色々語るので、現世の私は、そんなことを語って大丈夫なのかと心配になっていましたが…。

この前世の者はオルゴールを聞いている頃に、私の肉体の中に入ってきたのだと思います。

知覚催眠の確認テストの頃には、もういつでも喋り出しそうな感覚でしたので、「もうちょっと待って」と心の中で呼び掛けて、待ってもらいました。

指に宿った潜在意識が魂状態に導くまで、しばらく指が動いたので、その時はまだ魂に戻ってはいなかったと思います。

それを考えると魂表層の前世の者の憑依は、魂状態に戻っていなくても、起こることもあるのかもしれないと思いました。

そういえば、階段を降りる時に感じためまいや足元のふらつきは、鎧兜の重さや船の揺れによるものと似ているような気がしましたし、もしかしたら前世の者からの警告も、憑依に近い状態なのかもしれないと思います。

だからセッションの後、体から何か抜けた感じがしたのでは?

私も今回のセッションでは、SAM前世療法の効果に本当に驚いています。

前世人格の警告によって何らかの症状が起こり、その前世人格を説得することで改善するということを、身をもって体験いたしました。

他にも今回のセッションで、不思議に感じたことがありましたが、それはまた次回お会いしました時に、お話できればと思います。

それにしても、現世の私は780番目の転生ということで、魂の表層だけで村ができそうですよね。
魂とはどんなものか、ますます興味を持ちました。

私は元々、前世療法に興味を持ったことから、カウンセリングやスピリチュアルの勉強を始めました。

巡り巡って稲垣先生にお会いできましたことを、大変嬉しく、またありがたく感じております。
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当研究室から最寄りの名鉄電車「日本ライン今渡駅」まで徒歩7分、「日本ライン今渡駅」から「犬山駅」まで15分ですから、セッション後約30分の犬山駅において、陸橋から乗り換えホームへ階段を降下する時点で、恐怖症が改善されていたことになります。

「今まで感じていた、めまいや足元のふらつきも、このところ感じません。体から、何かが抜けたような感じです」とあるように、改善効果は5日経過しても損なわれていないということです。

ある心理療法研究者の心理療法による治癒要因の統計データによると、治療外の要因(偶然の出来事、クライアントの能力)40%、教育的要因(関係性の要因、相性)30%、プラシーボ効果15%、技法15%となっています。
この治癒要因データを認めるなら、治癒要因の85%は技法以外の要因によるものであり、つまりは、どのような技法を用いても改善効果には大差なし、ということになるでしょう。
換言すれば、このクライアントの階段降下恐怖症が改善しても、SAM前世療法という催眠技法による改善効果の占める割合は、15%でしかないということになります。
 
しかし、私には、クライアントの前世人格 コーエンと名乗った蒙古軍兵士が元寇の折り、激浪の海に船から振り落とされ水死した、その恐怖と、その前世人格コーエンが生まれ変わりである現世のクライアントを守るために、高い所から降下するときは危険だという過剰な警告を発していたことが明らかになったというSAM前世療法のセッション展開によって、その30分後には階段降下恐怖症に顕著な改善をもたらした、つまり、治癒要因のすべてとは言えないまでも、その多くを占めるSAM前世療法の効果によって改善が起きた、と判断することが妥当だと思われます。



2014年12月12日金曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録10

    SAM催眠学序説 その32


「ラタラジューの事例」のセッション再度日本語対話の逐語録

ネパール語対話者カルパナさんは稲垣と交代し、ここからは稲垣とラタラジューの日本語対話でのセッションの最後の締めとなります。


TH:セラピスト稲垣 CL:クライアント里沙さん



TH あなたはラタラジューさん? 日本語分かりますね? 通訳していますね? あなたの魂表層の現世の者が・・・。分かるなら分かるって・・・はい。

CL (頷く)

TH じゃあこれからね、こうしましょう。あなたの後の生まれ変わりは現世の者ですか?

CL (頷く)

TH ああそうですか。そうすると私が一つね疑問に思っていることがありますから、記憶があるなら教えてください。あなたは78歳で死んでいます.何歳ですか、亡くなったのは?

CL  78・・・78歳

TH うん、78歳ですね。亡くなった後、現世の里沙さんに生まれ変わるまでの間の記憶を思い出せるなら思い出してください。たぶんあなたは、霊界へ魂となって行った後、次の生まれ変わりの間までに、現世をどんなふうにして生きるか、あなたの守護霊と相談しているはずなんですが、そのことを思い出せるなら思い出してくれませんか。
私が三つ数えると、あなたは亡くなりますよ。亡くなった直後へ記憶が戻りまからね。 いいですね。
1・2・3・・・。ラタラジューは今亡くなりました。
今、あなたはどこにいますか?

CL 光。
注:死後、魂は肉体から離れ光りの中を上昇する。そこで「大きい人」と出会う。この語りは、4年前2005年の「タエの事例」におけるタエの死後の語りと全く同一であった。それを確認するために、ラタラジューの死後の消息を尋ねたのである。


TH 光の中ですか?

CL はい。

TH 光の中にいるんだけど、その後はどうしますか?

CL 上がっていく。

TH 上がっていきますか。どんどん上がって行くんですね。そこで誰かと出会いましたか? どなたかと? 思い出しますよ。どんどん光の中を上がって行った。あなたの守護霊みたいな人と出会いましたか?

 CL はい。

TH それはどんなふうに姿として見えましたか?

CL 大きい人。

TH その大きいわけは、あなたの仲間の魂がいっぱいその大きい人の中に入っているということなんですか? それで大きく見えるのかな?

CL はい。

TH そうですか。あなたもそこへ行きますか? 大きい人の一部になりますか?

CL はい。

TH そう。で、なっちゃったら次の生まれ変わりのときはどうするんでしょう? そこからまた出てくるのですか?

CL そうです。
注:4年前の2005年「タエの事例」においても、光の世界(中間世)に上がって行ったタエの魂は、守護霊と思われる大きい人(偉大な存在者)の一部となると答えている。この大きい人とは、スピリチュアリズムが説く「類魂」だと考えられる。「類魂」とは、同じレベルの成長進化を遂げている個々の魂どうしが複数寄り集まった魂の集団だとされる。そして、類魂内部で、魂どうしは互いの学びの知恵を分かち合い、類魂全体の成長進化を図るとされる。タエ・ラタラジューの魂の霊界の記憶の語りは、スピリチュアリズムの説く内容にきわめてよく似ていると思われる。

TH  前回ね、あなたの守護霊にお聞きした時には、あなたは魂として急速な進化と成長を願うためにできるだけ厳しい人生を選んだと聞いています。そのことについて、あなたはというよりあなたという魂は、次の現世はどんなふうに生きようという相談はしましたか? 覚えていますか? 忘れていますか? 思い出せませんか?

CL (頷く)

TH そうですか。あなたの守護霊がおっしゃるにはあなたという魂は、次の現世で脊柱側湾症という難病を自ら背負うことを決めたと聞いています。そういう記憶はありませんか? 守護霊と相談してそういう人生を送ることを決めた記憶はありませんか?

CL 少し。少し・・・

TH かすかにある。そういうのは消されちゃうんでしょうかね? 生まれてくるときに。
注:SAM前世療法セッションにおいて、死後魂として霊界に存在していたときの記憶を多くのクラアントに尋ねてきたが、守護霊らしき存在と出会い次の生まれ変わりの相談をしたことまでは思い出せても、相談内容を思い出した事例はいまだにない。



CL 分かりません。

TH 分からない。いいです。そのことは分からないままにしておきましょう。もし、分かってしまったら次の人生を生きる意欲が湧かなくなってしまうかもしれませんからね。


この後、ラタラジューを魂表層の居るべきところに戻ってもらう了解をとり、解催眠をしました。




 (「ラタラジューの事例」おわり

次回から「タエの事例」を掲載します。


2014年12月4日木曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録9

   SAM催眠学序説 その31


「ラタラジューの事例」応答型真性異言逐語録 その9(最終)


注:KAはネパール人対話者カルパナさん、CLはクライアント里沙さん。

KA  Ke aba, ke garne ta, aru kehi sodou ki nasodou?
   (どうしましょうか? もっと聞いてもいいですか? やめた方がいいですか?)
注:この時点で私は、里沙さんの疲労困憊状態を心配して、セッションの終了を決断していた。しかし、立ち会った見学者からは、カルパナさんにラタラジューへの質問事項の要求が口頭やメモで次から次へ出され、セッションの続行を余儀なくされた。クライアントの健康状態第一のセラピストの立場と研究的探究心旺盛な見学者とのギャップを痛感していた。


CL  Ho.
   (はい)

KA  Sodon?
   (聞いてもいいですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Tapaiko gauma manche morda keri ke garni garekocha?  Gauma?
   (あなたの村では人が死んだらどうしますか? 村では?)

CL  Ah,
      (あー)

KA  Hai.
      (ハイ)

CL  Himal.
   (山、ヒマラヤ)

KA  Himal?
   (山、ヒマラヤ)?

CL  Himala ... Himal.
   (山、ヒマラヤ)

KA  Himal?
   (山、ヒマラヤですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Manche morda keri Himal lera jani?
   (人が死んだ後、山、ヒマラヤに運ぶのですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Himalma?
   (山、ヒマラヤに?)

CL  Ho.
   (はい)


KA  Ke ho, jalauni ki gadni?  Himalma lagera ke garni jalauni ki gadni?
   (山、ヒマラヤで燃やすのですか、埋めるのですか?)

注:ナル村の現地取材を依頼したソバナ博士の調査報告によれば、ナル村の死者の弔いは、遺体をヒマラヤを望む山 上に運び、遺体の頭をヒマラヤに向けて火葬にする。火葬後、骨と灰をいったん土中に埋める。いばらくして骨と灰を掘り出し川に流して弔いは終わる。火葬も し、土葬にもするということになる。墓を作る習慣はない。したがって、遺体を燃やすし、骨と灰を埋めることもする。


CL  Ho.
   (はい)

KA  Jalauni?
   (燃やすのですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Gadni?
   (埋めるのですか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Tapailai kehi bannu man cha bhane bhannusna.
   (何か言いたいことはありますか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Hajur?
   (はい?)

KA  Kehi cha bannu man lageko?
   (何か言いたいことはありますか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Chaina? Bhayo?
    (何もありませんか。もう充分ですか?)

CL  Ho, ho, hoina.
   (はい、はい、いいえ)

KA  Hoina?
   (充分ではないのですか?)

KA  Kehi cha banna man lageko?
      (何か言いたいのですか?)

KA  Kehi cha manma kura?
      (何か言いたいことがあるのですか?)

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Buji ... bujina?
   (分かりませんか?)

KA  Tapaiko gauma ko ko hunuhuncha sathi?
   (あなたの村では誰が友達ですか? 村です)

CL  Gaun ...
   (村)

KA  Hajur, gauma.
   (はい、村です)

CL  ha ... hajur ...
   (はい)

KA  Hajur, gauma ko ko hunuhuncha?
   (そうです。村には誰がいますか?)

KA  Tapai kati barsa hunubhore, pheri ek choti bhanidinusta?
   (あなたは何歳ですか、もう一度言ってもらえませんか?)
注:この質問は愚問であろう。ラタラジューは78年生きたと言っている。「今お話しているあなたは何歳のラタラジューですか?」のように尋ねるべきであろう。そうでないとラタラジューには答えようがない。

CL  Ha ...
      (は)

KA  Kati barsa hunubho?
   (何歳ですか?)

CL  Ah ... Ana.
      (あー)

KA  Tapaiko chora kati barsako bhayo? Chora  ... chora ... chora kati barsako bhayo?
   (あなたの息子さんは何歳ですか? 息子さん、息子さん、息子さんは何歳ですか?)

KA  Kancha, kanchi?
   (息子さん? 娘さん?)

CL  Kancha.
   (息子)

KA  Kancha?
   (息子?)

CL  Ah, Adis.
   (あー、アディスです)

KA  Kancha, Adis.
   (息子さんはアディス?)

CL  Hum ...
     (ふむ)

KA  Kati barsako bhayo Adis?
   (アディスは何歳ですか?)

CL  Adis.
   (アディス)

KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)

CL  Moi(?) ho ... ho...
    (はい・・はい)

KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)
注:カルパナさんは「アディスは何歳ですか?」と三度尋ねているが、ラタラジューが何歳の時かの特定がなければ、ラタラジューには答えようがない。

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)

KA  Tapaiko gauma Magar kohi cha?
   (あなたの村にはマガール族の人はいますか?)
注:ナル村の現地取材を依頼したソバナ博士の調査報告によれば、2010年現在のナル村人口は2,277人、420世帯である。その人口の97%はタマン族である。ラタラジューの生きた1816年~1894年当時は、タマン族のみの村であった可能性が高い。したがって、マガール族やライ族のことを尋ねられても「分からない」と答えたのかもしれない。

また、ラタラジューが何歳時の人口かは不明だが村民は25人と答えている。


ちなみに、セッション後のフラッシュバックで、ラタラジューが里沙さんに語ったことによると、ラタラジューはラナ家の権力闘争で殺した敵方の妻や子どもを多数伴ってナル村に戻り、村長として独裁権力を振るったため、村民の恨みを買って親子ともども毒殺されたと語っているという。さらに、謀殺を企てた村民は、ラタラジュー一家の存在そのものを無かったことにするという申し合わせをしたという。したがって、現ナル村にはラタラジューを知る者も、ラタラジューの子孫もいないということになる。私の依頼したソバナ博士によるナル村の34名の古老への聞き取り調査でも、ラタラジューおよび子孫の存在は確認出来なかった。


CL  Ah.
      (あー)

KA  Magar.Tapai pani tamang ho?  Tamang ho tapai?
   (マガール族です。あなたはタマン族でしたよね? タマン族でしたよね、あなたは)

CL  Ha ...
     (は)

KA  Rataraju, Tamang ho tapai?
   (ラタラジューさん、あなたはタマン族でしたよね?)

CL  Hajur ah.
   (はい)

KA  Gauma Magar chainan?
   (村にはマガール族の人はいないのですか?)

CL  Hum.
      (ふむ)

KA  Magar.
   (マガール族の人です)

CL  Ha ... bujina.
   (はー、分かりません)

KA  Rai kohi chan ki ta?
   (ライ族の人はいませんか?)

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Kun kun jatko manche chan gauma?
   (村の人はどのカーストに属するのですか?)
注:ラタラジューが何歳時の人口かは不明だが村民は25人と答えている。山岳少数民族のタマン族単一25人のナル村にカースト制度があるとは思われない。


CL  Ah ... bujina.
   (分かりません)


KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか)



「ラタラジューの事例」応答型真性異言部分の逐語録おわり。

(その32につづく)

2014年11月21日金曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録8

   SAM催眠学序説 その30


「ラタラジューの事例」逐語録 その8


この部分の対話では、ラタラジューのネパール語の理解能力がかなり疑われます。
友人の名、畑や靴や服、楽器のことを尋ねられても、「分かりません」を連発しています。
もっともこのあたりから、里沙さんの疲労度が高まり、朦朧とした答え方が濃厚になってきます。
カルパナさんの問いかけが、ラタラジューの年齢特定のないことばかりであるので、ラタラジューとしては、理解に苦しみ、戸惑い、どう回答するかに苦しんだと思われるからです。

ただし、疲労したのは、前世人格ラタラジューなのか、ラタラジューに身体を貸している里沙さんなのか、両方なのか?

里沙さんの場合、前世人格タエにしても、前世人格ラタラジューにしても、その顕現化中の前世人格の身体状況が、身体を貸している里沙さんにそのまま再現されるという現象が生じます。
タエの場合であれば泥流に呑まれて死ぬ状況、ラタラジューの場合には腹痛で苦しむ状況の苦悶が、それを語る里沙さんにも、喉の閉塞による激しい咳き込みや、腹痛による胃部の痙攣という身体現象が現れることがはっきり観察されます。
きわめて興味深い現象です。
里沙さんの前世の記憶として語られるのであれば、苦悶の表情や落涙はあっても、溺死のときの咳き込みや腹痛による胃部の痙攣という身体症状が伴うことは考えにくいと思われます。
このことは、近く公開する「タエの事例」「ラタラジューの事例」のセッション動画で確認できるはずです。

注:KAはカルパナさん」、CLは里沙さんの略号。


KA  Chimekima?
   (近所には)

CL  Ei ... La ... Laji ho ... Mero sathi.
   (私の友人)

KA  Sathi? Sathi?
   (お友達、お友達?)

CL  Ho ...
   (はい)

KA  Sathi ko nam ke ho ta?
   (では、お友達の名前は何ですか?)

CL  ho, ho ... Sathi cha. Oh ... ho ...
    (はい、はい、友達がいます。おー、はい)

KA  ... nam ke ho?  Sathi ko nam ke ho ta?

   (名前は、お友達の名前は何ですか?)

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Sathiko nam. Tapaiko sathiko nam?
   (お友達の名前、あなたのお友達の名前です)

CL  Bu ... bu ...

      (ブ・・ブ・・)

KA  Bujnubhyena?
   (分かりませんか?)

KA  Tapai ke garnu hunccha re ahile?  Khetbari cha?
   (あなたは何をして生活していますか? 畑を持っていますか?)
注:何をして生活をしているかは、何歳時点の特定がなされていないと、答えられないと思われる。傭兵として生活している期間があるし、ナル村で農作業をしていた時期もあるからである。


CL  A ... ke ?
   (あ・・・何?)

KA  Khetbari.
   (畑です)

CL  Ah ... Bujina.
   (あー、分かりません)

KA  Kethbari chaina?
   (畑はありませんか?)

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Ghar ke ko ghar ho?
   (家は何でできていますか?)
注:この問いも答えにくいと思われる。ナル村の住まいなのか、傭兵時代のカトマンズの住まいなのか特定のない問いだからである。

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか)

CL  Un.
      (はい)

KA  Tapailai kehi bhanna man la cha aru?
   (他に言いたいことはありますか?)

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Aru Gorkhako barema kehi bhannusna.
   (ゴルカ地方について何か言ってくれませんか?)

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Gorkha?
   (ゴルカですよ)

CL  Gorkha?
   (ゴルカ?)

KA  Un.Gorkha. Gorkhako barama?
   (はい、ゴルカ地方、ゴルカ地方についてです)

CL  Bua.
   (お父さん)
注:ゴルカ地方について尋ねられて、「お父さん」と答えているのは、ラタラジューにとって Gorkhaは、グルカ兵のことであり、したがって父親はグルカ兵だったと答えている。カルパナさんとラタラジューとの間で、 Gorkhaの認識は終始食い違ったままで終わっている。


KA  Bua?と
   (お父さんですか?)

KA  Tapaile zutta lagaunuhuncha? Zutta?
   (あなたは靴を履いていますか?)

CL  Ke?
   (何?)

KA  Zutta.
   (靴です)

CL  Ke?
   (何?)

KA  Zutta.
   (靴です)

KA  Tapaile luga, ke luga lagaunuhuncha?  Kasto luga lagaunuhuncha?  Luga ...
   (どんな服を着ていますか? どんな服を着ていますか? 服を)

CL  Bujina.
   (分かりません)

KA  Luga. Tapaile jiuma kosto luga lagaunuhuncha?
   (服です。身体にはどんな服を着ていますか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Tapailai git gauna aucha? Git. Git. Nepal ko git. Nepali git
   (あなたは歌を歌えますか? ネパールの歌です。ネパールの歌)

CL  Bujina.Oh, bujina.
   (分かりません。おー、分かりません)

KA  Tapailai baja bajauna aucha? Sarangi bajauna aucha? Ke bajauna aucha.
   (あなたは楽器を弾くことはできますか? サランギを弾けますか? どんな楽器を弾けます    か)
注:サランギは楽器

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Madal bajauna aucha?
   (マダル(楽器)を弾くことはできますか?)
注:マダルは楽器。山間僻地の寒村で育ったラタラジューには歌や楽器の音楽的素養はないと推測できる。

CL  Bujina.
   (分かりません)


(その31につづく)

2014年11月13日木曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録7

   SAM催眠学序説 その29


今回提示する逐語録において、前世人格ラタラジューには、ネパール語の助動詞の文法と数詞の運用能力がある程度備わっていることが示されています。その根拠を「注」にコメントしてあります。

 

注:略号KAはネパール人女性対話者カルパナさん、略号CLはクライアント里沙さん。


KA  Tapaiko desko, Nepalko faja ko ahile?
   (あなたの国の、ネパールの王様は誰ですか?)

CL  Ah ... oh ...
      (あー、おー)

KA  Nepalko raja?
   (ネパールの王様?)

CL  Shah ...
   (シャハ)


KA  Shah?

CL (シャハですか?)

CL  Shah.
   (シャハ)

KA  Shah, namchahi ke hola?
   (シャハ? 名前は何ですか?)

CL  Ah ...
      ( あー)

KA  Nam chahi ke hola?
   (名前は何ですか?)

CL  Ha, ho.
   (は、はい)

KA  Nam? Rajako nam?
   (名前、王様の名前は?)

CL  Ho, ha ... bujina ... ha.
   (はい、はっ、分かりません。はっ)
注:現在でも、ネパールの山間の村のほとんどの住人は、年中あるいは一生畑にいて、その場所から他の場所に移動することはない生活をしている。国政や他の地域で起こっていることは、知らないまま一生を過ごす生活がふつうだという。ラタラジューが、シャハ王朝の名を知っていても、当時の王の名前を知らないことは当然といえば当然である。


KA  Tapaile agi rana sanga ladhai garya bhannu hunthiyoni ke bhannu bho? Gorkha?
   (あなたは前に、ラナと闘ったといったようなことを言いましたよね。どういう意味ですか? ゴ    ルカですか?)

CL  ha ...
      (はー、はー)

KA  Tapaiko buwale ke garnu hunchare?
   (あなたのお父さんは何をしていますか?)

CL  a ... mero buwa ...
   (あ、私の父は・・・)

KA  Hajur.
   (はい)

CL  ah ...
      (あー、あー)

KA  Ke garnuhuncha buwa?
   (お父さんは何をしていますか?)

CL  Mero buwa.
   (私の父)

KA  Hajur.
   (はい)

CL  ah ...
      (あー、あー)

KA  Buwa?
   (お父さんは?)

CL  Gorkha.
   (ゴルカ)
注:ラタラジューにとって、 Gorkha.(ゴルカ)とは「グルカ兵」の意味以外にない。ちなみに、ネパール語で Gorkhaは「ゴルカ地方」と「グルカ兵」の2つの意味がある。「グルカ」はGorkhaの英語読みである。


KA  Gorkha?
   (ゴルカ?)

CL  Ah.
      (あー)

KA  Gorkhama busnu huncha?
   (ゴルカ地方に住んでいるんですか?)
注:「ナル村」は「ゴルカ地方」ではなく、隣接する「ラリトプール地方」になる。文盲であったラタラジューは、ナル村が何地方になるかの知識はなかったであろうし、そうした知識は僻地の寒村で生きていく上で不要であったとも考えられる。 


CL  Mero buwa Go ... Gorkha ...mero buwa Tamang hunnuhuncha.
   (私の父、ゴ、ゴルカ。私の父はタマン族です)
 注:「私の父はゴルカ」のゴルカは、グルカ兵のことを意味し、ゴルカ地方に住んでいるという意味ではない。ここのネパール語の末尾のhunnuhuncha(フヌフンチャ)とは、日本語の「です」に当たる助動詞である。ネパール語文法では、日本語と異なり、「です」が人称によって変化する。一人称は「hu(フ)」、二人称と相手を尊敬する場合はhunnuhuncha(フヌフンチャ)、三人称は「ho(ホ)」にそれぞれ変化する。ラタラジューは、父親を尊敬しているため、hunnuhuncha(フヌフンチャ)と、ネパール語文法に則って正しく用いている。
 ラタラジューには、ネパール語文法の助動詞の運用能力があることを示している。


KA  Hajur.
   (そうですか)

KA  Tapaile Dahainma ke kani garnuhuncha?  Dashainma? 
   (ダシャインでは何を食べますか?)
注:ダシャインはネパール最大のお祭り。ただし、ソバナ博士の現地調査によれば、2010年現在のナル村人口2,277人の97%はタマン族であり、その90%以上が仏教徒、7%強がヒンズー教徒である。したがって、ラタラジューは仏教徒であった可能性が高い。ダシャインの祭りはヒンズー教の秋祭りである。ラタラジューにはなじみのない祭りであった可能性がある。

CL  Ka ... kana.
   (食べ物)

KA  Hajur. Dashain ke.
   (はい。ダシャインでは何を?)

CL  Dal, dal, Kodo.
   (ダルとコドです)
注:ダルはレンズ豆のカレー。「ダル」をネット検索すると、ダルチキンカレーでヒットする。「コド」は雑穀。コドはネット検索してもヒットしない。

KA  Kodo?
   (コドですか?)

CL  Kodo.
   (コドです)

KA  He.
   (?)
注:コドは雑穀であり、これを粉にして水で練り、厚めの煎餅のように焼いて食べる。現在では、カトマンズあたりではコドを食べる習慣はない。カルパナさんはコドを知らないらしい。

CL  Dal
   (ダルです)

KA  Dal.
   (ダルですか)


KA  Ani Dashain, chadbadma chahi ke kanu huncha ta?
   (ダシャインの祭りでは何を食べますか?)

CL  Ah ... oh ... a ... Ho  ...
   (あー、あー、おー、はい)

KA  Chadbadma ke kanuhuncha?
   (祭りでは何を食べますか?)

CL  Kana.
   (食べ物)

KA  Dashaima? Dashain manaunuhuncha?
   (ダシャインは祝いますか?)

CL  Ah ... kodo ... bhat ... dal. ani.
   (コドと米とダル。食べる)

KA  Tapaiko gauma kati jana hunuhuncha?
   (あなたの村には何人の人がいますか?)

CL  Ah ...
      (あー)

KA  Tapeiko gauma.
   (あなたの村には)

KA  Pachis.
   (25人です)
注:ここまでのネパール語対話で、ラタラジューは、「tis(30)」、「ath satori(8と70)」、「pachis(25)]の4つの数詞を自ら発語している。ネパール語の数詞の「1・2・3」は、「ek・dui・tin」ですが、「11・12・13」は、「egara・bara・tera」であり、日本語のように1の位に「ジュウ」を付けて「ジュウイチ・ジュウニ・ジュウサン」というような規則性がまるでない。
したがって、ネパール語の数詞を覚えることは覚えづらいと言える。こうしたネパール語の数詞をラタラジューはよどみなく使うことができている。「です」に当たる助動詞の尊称・二人称の変化 hunnuhunchaを用いていることと併せて、ラタラジューにネパール語の運用能力がある程度あることの証拠と言える。


KA  Pachis jana?
   (25人ですか?)
注:ラタラジューは村民が25人だと答えているが、彼が何歳のときの人数かが不明。また、ラタラジューが少なくとも30歳の時点ではカトマンズで傭兵としてラナ家の権力闘争に参加していたらしいが、その後ナル村に戻ったのか、あるいは別の村で住んだのかも不明。はっきりしているのは78歳で毒殺されたらしいときにはナル村で死亡していることである。


KA  Hari lai chinuhuncha, Hari lai?
   (ハリを知っていますか?)


CL  A, ah ... eh ...
      (あ、あー、えー)
注:「ハリ」はヒンズー教の神。ラタラジューは仏教徒であった可能性が高いので、ヒンズー教の神「ハリ」を知らないかもしれない。

KA  Hari lai chinuhuncha?  Hari.
   (ハリを知っていますか? ハリです)

CL  Murari.
   (ムラリ)


KA  Murari?
   (ムラリですか?)
注:ムラリとはサンスクリット語の詩の作者か?
 

CL  Kwa ... eh ... Meo ...
   (私の・・・)

KA  Tapaiko chimekiko nam ke ho? chimeki ko?
   (隣人の名前は何ですか?)

CL  Oh ...
      (おー、おー)


(その30へつづく)

「ラタラジューの事例」セッション逐語録6

   SAM催眠学序説 その28



ここでの対話でも、対話者カルパナさんは、顕現化しているラタラジュー人格の年齢を特定しながら対話しようとする意識がないようです。
したがって、カルパナさんの質問が、いつの時点のことを尋ねているのかあいまいになりがちで、混乱がみられます。
同様に質問されているラタラジューにも、いったい何歳のときのことを問われているのか戸惑いと混乱がみられます。
いきおい、ラタラジューの回答は、「解りません」 が多くならざるをえないことになります。

注:略号KAはネパール人女性対話者カルパナさん、略号CLはクライアント里沙さん。


KA  Tapaile ke garnuhuncha sadai? Ke kam garnuhuncha?
   (あなたは毎日どんな仕事をしているんですか? どんな仕事をしているんですか?)
注:ラタラジューが何歳のときか、または住んでいる場所の特定がない質問なので、答えようがないと思われる。ナル村にいたときの仕事は農作業であったし、カトマンズに住んだ30歳のときには傭兵であった。

 CL  Ah ...
      (あー)

KA  Tapai ke kam garnuhuncha?
   (あなたはどんな仕事をしているのですか?)

CL  ah .. e ... ah ... ume ... eh ... umer pachis  nargou?.
   (あー、あー、年は25歳、ナル村?)


KA  Tapai kaha basnu hunchare ahile? Tapai kaha basnu huncha, tapaiko gaun ka ho?
    (今、あなたはどこに住んでいるのですか? あなたはどこに住んでいるのですか、あなたの     村はどこですか?)
注:「今どこに」の「今」が、ラタラジューが何歳のときかの特定がない質問なので、答えようがないと思われる。また、出身の村の名前がナル村であることはすでに話しているので、それ以外に住んでいた村を尋ねられていると思ったかもしれない。


CL  Oh ... ho. oh ...
   (おー、はい。おー)

KA  nam ke ho gaunko?
   (どこですか、村の名前は何ですか?)

CL  Ah ... bujina.
   (あー、分かりません)

KA  Bujinubhaena.
   (分かりませんか)

KA  Lekna jannuhuncha tapaile?
   (字は書けますか?)

CL  Oh ... ho.
      (おー、はい)

KA  Audaina? Lekna padna?
   (書けませんか? 読み書きは?)

CL  Ah ... hoina.
   (あー、できません)
注:ラタラジューが文盲であったことを、2005年の日本語セッションで答えている。カルパナさんはこの事実を知らない。


KA  audaina?
   (できませんか?)

KA  Tapaiko gaunma mukhiya ko cha ta?
   (あなたの村の長はだれですか?)

CL  Kira.
   (キラ)

KA  Gaunma ma?
   (村では?)

CL  Kira. Ah ... kira.
   (キラ。あー、キラ)

KA  Kira?
   (キラ?)

CL  Kira. ... e ...
   (キラ)
注:ラタラジューは、「キラ」という村長名を思い出すと同時に、激しい腹痛を訴え始めている。なお、セッション後のフラッシュバックで、ラタラジューは、自分が腹痛で死んだのは毒を飲まされたからだと訴えている。村人たちは共謀してラタラジューと二人の子どもを毒殺し、ラタラジュー一家の存在をなかったものとして抹殺したと訴えている。こうしたフラッシュバックにおける訴えを受け入れるならば、「キラ」が謀殺の首謀者であった可能性が疑われる。


KA  Ke bhayo? Garo bhayo? Ke bhayo?
   (何が起こりましたか? 大丈夫ですか? 何が起こりましたか?)

CL  Bujina. Bujina.
    (分かりません。分かりません)

KA  Tapailai kehi bhanna man cha kita? Tapailai kehi bhanna man cha?
   (何か言いたいのですか? 何か言いたいのですか?)

CL  Ah ... ah ... mo ... ah ... mero ...
   (あー、あー、も、私の)

KA  Hadjur.
   (はい)

CL  Mero ... ha ... ha ... Mero pet
   (私のお腹)

KA   Hajur.
      (はい)

CL  Ah ... oh ... dukahuncha.
   (あー、おー、痛い)

KA  Tapaiko pet dukyo?
   (お腹が痛いのですか?)

CL  Ah!
      (あー)

KA  Tapaiko mritu ke bhayera bhako?
   (あなたが死んだ原因は何ですか?)
注:「死んだ原因」のように、特定された質問であれば、ラタラジューはきちんと答えることができるのである。

CL  Oh ... oh ... Ma ... rog ...
   (おー、おー、私、病気)

KA  Tapaiko mritu ke bhayera bhako?
   (あなたが死んだ原因は何ですか?)

CL  Rog ... Rog.
   (病気、病気)
注:4年前の2005年の日本語セッションのときには、ラタラジューは「老衰」で死んだと答えている。

KA  Rog?
   (病気ですか?)

CL Ah.
   (はい)

KA  Ke ko rog lagyo?
   (何の病気ですか?)

CL  Au ... ha .... pet.
   (あう、はー、お腹か)

KA  Pet ?
   (お腹?)

CL  Pet dukahuncha.
   (お腹が痛い)

KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)

CL  Ah ... ho ... ah... guhar ... ha ...
   (あー、はい、あー、助けて。はー、はー)

KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)

CL  Ahu ... ho ... ah ... guhar ruha ... ha ...
   (あふー、はい、助けて。はー、はー)
注:この腹痛の苦しみをラタラジュー人格が訴えているときに、里沙さんの胃部が痙攣発作を起こしている。前世人格の身体症状が、現世人格に再現化されるという現象が起こるのである。これは、先立つ2005年の「タエの事例」においても、タエ人格が吾妻川の泥流に呑まれて溺死するときの咳き込みなどの激しい苦しみが現世の里沙さんに再現化している。里沙さんが「前世の記憶」を語っているだけならば、このような激しい身体症状の再現化現象が起こることはないと思われる。

KA  Ke bhayo dukhyo?
   ( 痛いのですか?)

CL  guhar! ... guhar!.
   (助けて、助けて)

KA  Kati barsama bitnu bhako?
   (死んだ時は何歳でしたか?)
注:「死んだ時」のように、時期の特定された質問には、ラタラジューはきちんと答えることができるのである。


CL  Ah ... ah ...
      (あー、あー)

KA  Kati barsama ...
   (何歳でしたか?)

CL  Umer ... Mero ... umer ...
   (歳は、私の歳は)

KA  Hajur. Bite ko umer.
   (はい。死んだ歳は?)

CL  Ath satori ... ah ...
   (8と70、あー)

KA  Hajur?
   (はい?)

CL  Ath satori.
      (8と70
注:年齢表示の78を「8と70」という表示法は、現代ネパール語にはない。ソバナ博士の現地調査によって、一昔前のナル村では「8と70」という表示法を用いていたことが判明している。現代ネパール人の対話者カルパナさんには、「8と70」の意味が理解できないので、「70ですか?」と再度尋ねている。この事実は、里沙さんが現代ネパール人からは「8と70」という年齢表示を学ぶことはできないことを示している。つまり、里沙さんは、ネパール語を学んでいないことの強力な傍証である。


KA  Sattari?
   (70ですか?

CL  Ath satori.
      (8と70

(その29へつづく)

2014年10月30日木曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録5

   SAM催眠学序説 その27

対話者カルパナさんは、顕現化しているラタラジュー人格の年齢を特定しながら対話しようとする意識がないようです。
質問の仕方について、セッション事前の打ち合わせが全くない状況ではやむをえないことですが。
したがって、カルパナさんの質問が、あいまいになりがちで、混乱がみられます。
同様に質問されているラタラジューにも、いったい何歳のときのことを問われているのか戸惑いと混乱がみられます。


注:略号KAはネパール人女性対話者カルパナさん、略号CLはクライアント里沙さん。



KA  Tapai kaha basnuhunchare ahile?
   (今、どこに住んでいますか?)

CL  A .... ke?
   (あ、何?)
注: 78年の生涯を持つラタラジューには、「今」とは何歳の時点を尋ねられているのか不明である。したがって、答えようがないということであろう。


KA  Kaha basnuhuncha? Tapaiko ghar kaha ho?
   (どこに住んでいますか? あなたの家はどこですか?)
注:78年の生涯を持つラタラジューには、何歳の時点のことを尋ねられているのか不明である。したがって、答えようがないというこであろう。

CL  Tapai Nepali huncha?
  ※(あなたはネパール人ですか?)

KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

CL  O. ma Nepali.
  ※(ああ、私もネパール人です)
注:※のラタラジューの2つの発語は、きわめて重要である。魂表層から顕現化した前世人格ラタラジューが、ただ今、ここで、里沙さんの肉体を借り、カルパナさんに問いかけている、という現在進行形の会話をしているからである。前世のラタラジュー人格は、今も意識体として、魂表層に生きて存在しているというSAM前世療法の作業仮説を実証している、と考えることができる。被験者里沙さん(CL)自身が、自分の前世記憶を想起しているという事態は否定される。


KA  Tapai kaha basnuhuncha? Tapai kaha basnuhuncha? Tapai ghar kaha ho?
   (あなたはどこに住んでいますか? あなたはどこに住んでいますか? 家はどこにあります     か?)

CL  Ah. Bujina.
   (あー、分かりません)
注:78年の生涯を持つラタラジューには、何歳の時点のことを尋ねられているのか特定されないと、どこに住んでいたのかと問われても「分かりません」としか答えようがないというこであろう。 あるいは、問われているネパール語が理解できないということか。
 
KA  Bujnubhayena?
   (分かりませんか?)

KA  Tapai Gorkhama basnu huncha ki, tapai Kathmanduma basnu huncha ki, kaha
    basnuhuncha?
    (あなたはゴルカ地方に住んでいますか、それともカトマンズに住んでいますか、どこに住ん    でいますか?)


CL  Ah ... ah.. ah... bujina.
   (あー、あー、あー、分かりません)
注:78年の生涯を持つラタラジューには、何歳の時点のことを尋ねられているのか特定されないと、「分かりません」としか答えようがないというこであろう。 あるいは、問われているネパール語が理解できないということか。 あとの会話にも出てくるが、ラタラジューには「ゴルカ地方」という概念がないようである。彼には「ゴルカ」とは「グルカ兵」の概念しかないようである。

KA  Bujnubhayena?
    (分かりませんか?)

KA  Aru kehi cha tapailai bhannu parne kura?
   (何か他に言いたいことはありますか?)

CL  Kodo ... ah ... dado ... ah ... ah..
   (コド、あー、ダド、あー、あー、)
注:「コド」とはキビなど雑穀を指す。コドはネット検索してもヒットしない。里沙さんが知り得ない食べ物と言える。

KA  Tapai, bihana beluka ke khanu huncha tapaile gharma?
   (家では何を食べていますか?)

CL  Ah .. ah... Shiba ... e ... e ... dharma.
   (シバ神、ええー、宗教)
注:ラタラジューは、家の意味gharma(グァーマ)を、宗教の意味 dharma.(ドゥワーマ)と聞き間違えていると推測される。

KA  Dharma?
   (宗教?)

KA  Tapai mandir janu huncha?
   (寺院には行きますか?)

CL  Ho.
   (はい)

KA  Mandir janu huncha?
   (寺院に行きますか?)

CL  Ho.
   (はい)
注:ナル村には2010年現在、小さな寺院が1つ存在する。ただし、いつ頃建立されたかは不明である。 

KA  Kun mandir janu hunccha ta?
   (どの寺院に行きますか?)
注:ラタラジューは30歳のときカトマンズに住んでいたと語っている。カトマンズの寺院なのか、ナル村の寺院であるのか、年齢を特定されないと答えようがないと言える。


CL  H...... ho.
   (はい)


KA  Ho? Tapai mandir janu huncha ki hundaina?
   (寺院に行くのですか、行かないのですか?)

CL  Aaaa. Bujina.
   (ああああ、分かりません)

KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)

KA  Tapaiko buwa ko nam ke re? Ba ko nam. Ba ko nam.
      (あなたのお父さんの名前は何というのですか)

CL  Ah ... ah ... Tama ... Tamali ... ah...
   (あー、あー、タマ、タマリ)

KA  Tamari? Tamari?
      (タマリ? タマリ?)

CL  Ah ....
      (あー)

KA  Ama ko nam thaha cha?  Ama?
   (お母さんの名前は分かりますか?)

CL  Ama?
   (お母さん?)


KA  Ama.
   (お母さん)

CL  Ah ... Bhayena. Ma nallu gaun ek
   (分かりません。私は、ナル村の者 )
注:ラタラジューは、どうやらAmaの意味が理解できないと推測できる。ただし、里沙さんのこのときのモニター意識には、母親の名前が「ラムロ」であるとラタラジューが訴えていることが伝わってきた、と内観記録で報告している。「分かりません。私は、ナル村の者」という意味は、自分はナル村出身のタマン族であるので、タマン語ではないネパール語はよく分からない、という意味かもしれない


KA  Adjur? Hajur, feri ek choti bhandinusha? Feri ek choti.
   (もう一度言ってもらえますか? もう一度)

CL  Ah ... Ki ... ah ... muh ...
      (あー、キ、あー、むー)

KA  Feri ek choti bandinuhuncha agiko?
   (もう一回言ってもらえますか)

CL  Ah ... e ... de ... Bujina.
   (あー、えー、で、分かりません)

KA  Bujnubhaena?
   (分かりませんか?)

CL  a ... a ...
      (あ、あ)

KA  Tapai tis barsa ko hunu bho ahile?
   (あなたは今、30歳なんですよね)

CL  Tis ...
   (30歳)

KA  Tis? Kati barsa hunu bho?
   (30歳? 何歳ですか?)

CL  Eh ... rana ... eh ...
   (ラナ)
注:ラタラジューには30歳とラナが対になって想起されている。対話中にこれで二度目の想起である。「ラナ」とはシャハ王朝を実質支配したネパール宰相家のこと。30歳の時にラナ家に関わる何かについて思い出していると推測できる。さらに、ラ タラジューは日本語会話で「戦いました。・・・ラナ・・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」と語っていることから、30歳のときにラナ家に関わった戦いをした、と推測できる。なお、ラナ家は独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害する権力闘争を起こしている。このときにタマン族青年が傭兵として 戦った史実がある。これらのことより、1846年ラタラジュー30歳のときに、ラナ家の権力闘争に傭兵として参戦したと推測できる。

KA  Rana? Ke Ranako gharma kam garnu hunthiyo?
   (ラナの家?で何の仕事をしているのですか?)

CL  um ... eh ... ho.
   (うむ、えー、はい)
注:ラタラジューが、ラナ家の「家」の意味gharma(グァーマ)を、宗教の意味 dharma.(ドゥワーマ)と聞き間違えているとすれば、会話は当然ズレが生じてしまうと思われる。

KA  Rana?
   (ラナですか?)

CL  Rana. ... Rana.
   (ラナ。ラナ)

KA  Rana, kunchahi rana?
   (どのラナですか?)

CL  Ho?
   (はい?)

KA  Rana pani ta dherai thiye ni ta.
   (たくさんのラナがあるんですが)

CL  Bujina.
   (分かりません)


(その28につづく)

2014年10月24日金曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録4

   SAM催眠学序説 その26

ここからは、私と交代した対話者ネパール人女性カルパナさんのネパール語の質問に対して、顕現化したラタラジュー人格が、ネパール語で応答する応答型真性異言のセッションということになります。
ちなみに、ラタラジューのネパール語会話時間は24分間でした。

 前世人格ラタラジューのネパール語会話の評価について、3点の留意点を述べてみます。

①被験者里沙さんとネパール人女性対話者パウデル・カルパナさんとの事前の面識および、打ち合わせは一切ありません。私とカルパナさんとも事前の面識および打ち合わせも一切ありません。
カルパナさんを捜し出し、ネパール語対話者としてセットしたのは、中部大学大門正幸教授であり、セッション直前まで里沙さんも私も、カルパナさんについての情報は一切知らされていません。

②ラタラジューの父親はタマン族だと彼が述べており、ラタラジューが育ったであろうナル村の住民も2010年現在において97%がタマン族の村でした。
したがって、ラタラジューの母語はタマン語であり、ネパール語の運用能力が、十分ではないであろうと思われます。
したがって、会話中のネパール語単語で理解できない単語もあるでしょうし、よく似た発音を聞き間違え、別の意味に取り違えていることもあるでしょう。
こうした前提を踏まえてラタラジューのネパール語会話を評価する必要があります。

③ラタラジューは78年の生涯を送っています。
この78年の生涯のうち、どの時点であるかの特定のない質問には、ラタラジューは答えようがなく、したがって「解りません」、「知りません」などの回答になっていると推測できます。
たとえば、「あなたはどこに住んでいましたか?」の質問では答えようがなく、「30歳の時にどこに住んでいましたか?」という年齢を特定された質問であれば、「カトマンズです」と答えるといった具合になります。
このように、カルパナさんの質問には、年齢不特定の内容がかなりあり、ラタラジューには答えようがなかったと推測できます。
あるいは、ネパール語単語の意味が理解できず、質問の意味内容が「解りません」と答えていることもあると推測できます。


なお、次に紹介するセッション逐語録の「KA」はカルパナさん、「CL」は被験者里沙さんの意味です。
また、ネパール語発音はローマ表記とし、下( )内はその和訳です。

このネパール語会話部分の聴き取りと発話のローマ字表記については、朝日大学法学部博士課程留学生、ネパール語対話者パウデル・カルパナさんと、同じくネパール語を母語とする中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士の全面的ご協力をいただきました。



KA Tapaiko nam ke ho?  Nam ke ho tapaiko.
   (あなたのお名前は何ですか? お名前は何ですか、あなたの)

CL  Mero nam. Rataraju.
   (私の名前はラタラジュー)

KA  Kati barsa hunu bho?  Kati barsa hunu bho?
   (お年はいくつですか? お年はいくつですか?)
注:78年の生涯をもつラタラジューが、「お年はいくつ?」と尋ねられてもラタラジューは答えようがない。

CL  Ke.
   (何?)

KA  Umeru.
   (お年)

CL  Umeru.  Ah, umeru. Rana ... ah ... u ... a ... tis ... mero umeru ... umeru tis .
   (年、私の年は、ラナ、あー、30)
注:「ラナ」とはシャハ王朝を実質支配したネパール宰相家のこと。30歳の時にラナ家に関わる何かについて思い出していると推測できる。さらに、ラタラジューは日本語会話で「戦いました。・・・ラナ・・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」と語っていることから、30歳のときにラナ家に関わった戦いをした、と推測できる。なお、ラナ家は独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を殺害する権力闘争を起こしている。このときにタマン族青年が傭兵として戦った史実がある。これらのことより、1846年ラタラジュー30歳のときに、ラナ家の権力闘争に傭兵として参戦したと推測できる。



KA  Umer kati bhayo tapaiko? Tis barsa hunubho?
   (あなたのお年はいくつですか、あなたは30ですか?)
注:78年の生涯をもつラタラジューが「あなたは30ですか?」と尋ねられても答えようがないと思われる。「30の時にどこで何をしていましたか?」という問いであれば答えたであろう。


CL  ah ...
   (あー)

KA  Tapaiko pariwarma ko ko hunuhuncha?  Tapaiko pariwarma?  Jahan cha ki chaina   gharma
 (あなたの家族には誰がいますか? あなたの家族には。家に奥さんはいますか、いませんか?)

CL  Ah. Ke
   (あー、何?)

KA  Gharma shrimati hunuhuncha ki hunuhunna.
   (家に奥さんはいますか、いませんか?)
注:ラタラジューは、カルパナさんの質問のGharma(家)の意味が理解できない、あるいはdharma(宗教)の発音と聞き間違えている可能性が強い。このことは、もう少しあとの対話でも、「Gharma(家)では何を食べていますか」という問いに「シバ(シバ神)・・・dharma(宗教)」と答えていることから、ほぼ間違いないと思われる。また、一昔前のネパール人であるラタラジューには、shrimati(現代ネパール語の妻)の意味が理解できない。こうしたことから、ラタラジューには問いの意味が理解できず、Bujina (わかりません)と答えるしかなかったと推測できる。 

CL  ha ... ha ... Ma ... Bujina .
   (は、は、私、分かりません)

KA  Bujnubhaena?
   (分かりませんか?)

CL  Ah.
      (あー)

KA  Tapaiko chorako name ke re?
   (あなたの息子の名前は何ですか?)

CL  Adiu idya ... ah.
       (アディユ、イディア・・・あー)
注:この回答の意味不明

KA  Chorako nam.
   (息子の名前)

CL  Ah...ah...ke .
   (あーあー、何?)

KA  Chorako nam.Chora chori jana Kati jana?
    (何人の息子と娘がいますか?)

CL  Ah .. ah.. Bujhina.
   (あー、あー、分かりません)

KA  Bujhinubhayena. Chora chori dui jana hoina?
      (分かりませんか。息子と娘二人ですか?)

CL  Ho ... he ... ke ...abou ... oh ...
   (はい。へ、何、アボウ、おー)
注:abouは意味不明の発語。

KA  Tapaiko srimatiko nam ke re?
   (奥さんの名前は何ですか?)

CL  Oh jirali
       (おー、ジラリ)
注:jiraliは意味不明の発語。つまり、srimati(現代ネパール語の妻)が理解できないので、このような意味不明の発語になっていると思われる。

KA  Srimati, swasniko nam?
   (奥さん、奥さんの名前?)
注:カルパナさんは、Srimati, swasniの新旧2つの妻という単語を並べて尋ねている。

CL  Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
注:ラタラジューは現代ネパール語の妻Srimatiが理解できず、一昔前の古いネパール語の妻 swasniは理解できたので、swasni に反応したということになる。この事実は、ラタラジューが100年以上前の古いネパール人であった傍証である。さらに、古いネパール語の妻 swasniという単語を、日本人である里沙さんが学ぶ機会は限りなくゼロに近い。つまり、里沙さんがネパール語を学んでいない、というポリグラフ検査の鑑定結果を裏付ける証拠でもある。


KA  Chorako nam chahi?
   (あなたの息子の名前は何ですか?)

CL  Ah ... ei ... el ... el ... nam ... el ... ei ... kujaus.
   (あー、え、名前、クジャウス)
注:息子がクジャウスで娘がアディスであることは2005年のセッションでも述べている

KA  Kujaus? Chora? Chori?
   (クジャウス? 息子ですか、娘ですか?)

CL  Tiru.
       (チル)
注:TiruはChoraの異形か?

KA  Chora?
   (息子ですか?)

CL  Tiru.
   (チル)

KA  Chori chaki chaina?
   (娘はいますか、いませんか?)

CL  Adis.
   (アディス)

(その27へつづく)

2014年10月20日月曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録3

   SAM催眠学序説 その25

ラタラジューとの日本語会話


ここまで、被験者里沙さんの守護霊との対話をした後、憑依を解いてもらい、魂表層の前世人格ラタラジューと交代してもらいました。
応答型真性異言実験に入る前に、ラタラジューとの日本語での対話をおこない、2005年6月4日に初めて顕現化した、「タエ」の次の生まれ変わりである「ラタラジュー」が語った内容が、4年後の今回セッションでも同様であるかを確認したかったからです。
その結果は、4年前と同じでした。
したがって、今回顕現化したラタラジュー人格と、4年前に初めて顕現化したラタラジュー人格は同一人格であると判断できます。
もし、今回のラタラジュー人格が、未浄化霊などの憑依現象だとすれば、里沙さんに4年間憑依し続けていたか、セッションの都度憑依したことになり、そのようなことは考えにくいと思われます。
また、セッションの手続きとして、魂状態に遡行し、魂表層に存在しているラタラジュー人格を呼び出していますから、ラタラジュー人格は、魂表層の前世人格だと判断することが妥当だと思われます。
こうした意識現象の事実は、SAM前世療法の「魂の二層構造仮説」に基づいて同じ手続きを踏めば再現性がある証拠であり、その意味でSAM前世療法は、科学としての資格の一端を有していると考えてよいのではないでしょうか。


TH あなたはラタラジューですね。はっきり答えてください。日本言語分かりますね。

CL ・・・はい。

TH あなたのお国はネパールでよろしいですね。

CL はい。

TH そして、あなたの住んだ村は何と言いました?

CL  ナル・ガウン(Nallu Gaun)。

注:ガウンの発音はネパール語で村(Gaun)のこと。私はこの時点でGaunの意味を知らないのでナルガウン村だと誤解していた

TH もう一度。

CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。

TH ナル村じゃないですね。もう一度、ナル・・・。

CL ナル・ガウン(Nallu Gaun)。
注:この時点でラタラジュー人格は、すでに村(Gaun)というネパール語単語を日本語に混在させている。興味深い現象である。

TH はあ、ナル・ガウン? もう一つ聞きます。あなたの村は高さで言うと高いところにあるのか、低いところにあるのか、中くらいのところにあるのか言えますか? 標高って分かりますか?  海からの高さです。どこですか、ナル・ガウンは。

CL ・・・カトマンズに近い。 
注:ナル村とカトマンズとの距離は直線距離で25kmである。しかし、いくつかの山の中腹を巻いて行く道なので、車でも2~3時間かかる。徒歩であれば1日仕事であろう。ラタラジューの感覚では、1日ほどかかる距離は「近い」ということか。


TH カトマンズに近い所ですか。それならね、あなたは、カトマンズに住んだことがありますか?

CL はい。

TH あなたの守護霊に禁じられていますが、そのカトマンズに住んでいた頃に、何か悪いことをしていましたか?  罪を犯していませんか?

CL ・・・戦いました。・・・ラナ・・・シャハ(Shah)・・・ラナ、戦いをした。
注:この意味は、シャハ王朝の実権を握った宰相家「ラナ家」が、実権を握るために他の有力貴族と権力闘争したことを指していると判断できる。それが1846年である。このラナ家の戦いにラタラジューは傭兵として参加した。守護霊の「ラタラジューは若い頃人を殺しています」という指摘はこの傭兵時代のことを指していると推測可能である。また、引き続いておこなったネパール語対話では、ラナという語と対になって30歳という語を2度に渡って言っている。このことから、ラタラジューは30歳のときカトマンズに住み、1846年のラナ家の戦いに傭兵として参加したと推測可能である。以上の推測から、1846年(ラナ家の権力闘争)で30歳であるなら、ラタラジューは1816年生まれということになる。その前の人生であるタエは1783年(天明3年)に人柱として溺死しているので、タエの死後33年を経てラタラジューに生まれ変わったことになる。


TH あなたはグルカ兵として戦ったのですか?  イギリス軍に雇われて・・・。

CL グルカ?

TH グルカではありませんでしたか?  戦った相手はどこでしたか?

CL ・・・父は グルカ。

TH お父様がグルカだったわけですか。あなたはグルカではなかった。

CL 父はタマン(Tamang)から来たグルカ。
注:ラタラジューの父親はタマン族でありグルカ兵であったらしい。

TH 分かりました。あなたは結婚して妻がいましたよね。妻の名前は何と言いましたか。

CL ラ・・・ラメリ。
注:妻の名ラメリは4年前のセッションの回答と同じ。

TH 子どもは何人いましたか?

CL 二人。

TH それぞれ男の子ですか?

CL カンチャ(kancha)・・・アディス・・クジャウス。男アディス、女クジャウス。
注:kanchaとはネパール語で息子の意。男の子アディス、女の子クジャウスの回答は4年前のセッションと同じである。ここでもカンチャ(kancha)というネパール語単語が混在している。

TH そうすると一家は四人だったのですね。あなたの村には、何か寺院のようなものはありますか? お寺。

CL ・・・ダルマ(Dharma)? 
注:ネパール語で宗教の意。私は達磨(だるま)のことかと誤解した。ただし、この後のネパール語対話セッションでは、ネパール語の発音で「ダゥーマ」と発音している。

TH ダルマって何ですか? 達磨(だるま)さんのこと? お寺のことですか?

CL 達磨さん? ダルマ(Dharma)。

TH  ダルマってあなたの信じていた宗教、神様ですか。・・・あなたは年号ってわかりますか? 西暦。

CL 西暦?
注:ネパールでは西暦を用いない。また、村長クラスでもネパールの暦(ヴィクラム暦)のカレンダーを使っている家はほとんどないという。ラタラジューはカレンダーを知らないし、当然西暦の概念もないと思われる。これは4年前のセッションでも同様であった。

TH 分かりませんか。じゃあね、カレンダーみたいなものはありませんか。

CL カーレンダ?

TH 分かりません? 暦。

CL 暦? 

TH でも、あなたは村長さんでしょう。今日が何月何日かわからないと困るでしょう。そういうことが分かるものが何かありませんか。思い出しますよ。毎日、毎日一枚ずつめくったものかも知れないし。分かりませんか?

CL ・・・。 

TH それではね、これからはもうネパール人として、ネパール語を話していらっしゃったときに戻ってください。今は、あなたにつながっている「現世の者」が、あなたに日本語を通訳しています。もう私は話をしません。それで、あなたは、ネパール語でお話してくださって構いませんよ。いいですか? ここにはネパール人の女性が来ていますから、ネパール語でちょっとお話してください。ゆっくりでいいですから必ずネパール語を思い出します。前回も少しですが、間違いなくネパール語を話していますから、今日はもっと思い出すことが多くなっているはずですからね。いいですか、ゆっくりとお話してくださいね。いいですか?
注:「前回」とは2005年のセッションを指している。

CL はい。


注:ここから後、私は女性ネパール人対話者カルパナさんと交代し、いよいよネパール語による応答型真性異言の実験セッションへと移ることになります。


(その26につづく)

2014年10月16日木曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録2

   SAM催眠学序説 その24

里沙さん守護霊との対話

2006年12月22日夜、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。
きわめて深い催眠中 に中間世へと導き、そこで偉大な存在者を呼び出して憑依してもらい、私が直接対話するという実験は、拙著『前世療法の探究』のタエの事例で紹介してあると おりです。
それを再度試みようというわけです。その理由は次のような四つの質問の回答を得るためであり、憑依の真偽の検証を試みるためでもありました。


1 タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?

2 私に突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか? その治療エネルギーが私にあらわれた理由が何かあるのか?

3 スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視などの霊能力を持っているが、私のエネルギーがそうであるなら、なぜ私に霊能力がないのか?

4 私の守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?

この憑霊実験は、里沙さんの知人からの依頼で前世療法セッションを実施した際、彼女が付き添いとして同行してきた機会を利用して実現したものです。
その 知人のセッション後、私のほうから彼女に再度の憑霊実験のお願いをしました。

実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、上記2(私のヒーリングエネルギーの 出所)のみでした。
1・3・4の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。
伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を 与えないためです。

里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語とする存在者との40分にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記 四つの質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。

ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて下記5項に整理 し要約してあります。

①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
 タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
 あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。

②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。

③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
 その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
 今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。

④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。

⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そういう高い霊 格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめか らの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
 魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
 霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。


こうした里沙さんの守護霊との憑依実験が、応答型真性異言実験セッションの3年前にあり、この守護霊の上記回答から、私は里沙さんの守護霊を信頼するに足る存在だと判断しています。

付記すれば、2006年12月22日の里沙さんの守護霊のこの憑依実験の2週間後、2007年1月11日夜から、私あての霊信現象が1ヶ月間に渡って始まるという超常現象が起こっています。

ラタラジューの応答型真性異言実験セッションは、2009年5月9日におこないました。
応答型真性異言現象を意図的・計画的に実験セッションとしておこなうことは、イアン・スティーヴンソンも試みたことがない世界初の実験です。

地上の人間が、生まれ変わりの科学的検証のために実験セッションを試みることは恐れ多いことかもしれない、という不安が私には濃厚にありました。

こうした経緯から、このセッションのまずはじめに、里沙さんの守護霊に憑依していただき、霊界側の意向を尋ねてみようとしました。
里沙さんの守護霊とは2006年12月以来の再会になります。

以下は、ネパール語での対話の前におこなった、私と里沙さんの守護霊とのやりとりです。

注:THはセラピスト稲垣、CLはクライアント里沙さんの略号です。



TH  あなたは魂の表層にいるものの中で現世の方ですか? 口頭で答えてくれますか?

CL はい。

TH  あなたは現世の方ですね。

CL はい。

TH  あなたは、私が知る限りでは、三回目の生まれ変わりの方ですね。
一人はタエで、もう一人はネパール人村長さんのラタラジューです。
これから、その方と交替してもらおうと思っていますが、その前にあなたの守護霊とお話したいことがあるので、これから五つ数える間、祈ってください。
守護霊にどうぞ降りて来てください、どうぞ憑依してくださいと祈ってください。
そうすると、守護霊が降りて来てあなたに憑依してくださるはずです。
そして、私とお話してくださるはずです。
では数えますよ。
1・2・3・4・5。
・・・あなたは里沙さんの守護霊でいらっしゃいますか?

CL  ・・・はい。

TH  お久しぶりですね。
この前あなたは、自分は霊界では異例の存在で、それは私に霊界の情報を伝えるのが守護霊としての使命だからそうですが、そして、私の求めに応じて、いつでも降りてきてくださるということでした。
そこで、お聞きします。  
今日は、里沙さんのすぐ前の人生のラタラジューを呼び出すセッションを始めようとしています。
それについて守護霊であるあなたの許可は出ますか?

CL  ・・・はい。

TH もう一つお聞きします。「タエの事例」は、あなたよりもっと上におられる方の計画によって 、私に贈られたとあなたは前回答えています。
それが本になることも、新聞に載ることも、テレビに出ることもすべては計画に入っていたということでした。
では、今日ラタラジューを呼び出すセッションをやることも、ひょっとして、計画のうちに入っていますか?

CL ・・・はい。


TH 私はこれから真性異言という里沙さんが学んだはずがないネパール語で話せるかどうかを実験的にやろうとしています。
そういう実験的なセッションを許してもらえますか?

CL  ・・・はい。
注:守護霊が、今回実験セッショは計画に入っている、という回答を聞いて、私はこの実験セッションの予言と受け取った。つまり、応答型真性異言があらわれるという予言である。
そして予言どおりに、それまで世界で4例しか認められていない応答型真性異言現象がネパール語によって語られたのである。私が里沙さんの守護霊を信頼するに足ると判断している所以である。


TH あなたの方から私に何か注意することがあったら、おっしゃってください。

CL ・・・一つあります。・・・ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています・・・深くは・・・。

TH  それを暴くな、ということですか? 深くは追及してはいけませんか?

CL はい。

TH 分かりました。ラタラジューの犯した罪については深く追及しないことをお約束します。他にはありますか?

CL 魂の・・・構造は、・・・複雑です。
・・・魂を包む・・・意識は、・・・過去に・・・生まれ変わった・・・ものだけではありません。
多いものは、二千、三千・・・それらは・・・みな魂の・・・要因・・・。

TH 生まれ変わっているのは、すべて人間として生まれ変わっているのですか?

CL  ・・・人・・・以外のものも。・・・宇宙・・・。

TH  宇宙人ですか? 地球外の星の生物として生まれ変わっていることもあるということですか?

CL そうです。・・・魂は・・・すべて・・・霊界の意識と・・・繋がりながら・・・分かれた・・・。
注:地球外の星の前世を持つ者がいる、という守護霊の回答は意味深い。実際、宇宙人としての前世の者が顕現化することが複数例起こっている。

TH その魂の集団として一つであるようなものを、あなたに分かるかな、
類魂と呼んでいいのかな? 
その類魂から分かれて生まれ変わると聞いたことがあります。
そのように解釈していいですか?

CL ・・・近い。

TH 実はタエのセッションのときに、あなたはこんなことを言いました。
タエの魂は、どんどん生まれ変わっていって、最後は私の一部になりますとおっしゃっていた。
あなたを守護霊だと私は思っていますが、類魂としての守護霊なんですか?

CL そうです。
 

TH もう一つ、聞きたいことがあります。
あなたのような存在をハイヤーセルフと呼んでよろしいですか? 
地上の人間たちにはそう呼ぶ人たちがいます。
非常に叡智に満ちた存在で、自分の中ではないはずで、霊界にいるあなたのような存在を指してハイヤーセルフと呼んでいると考えていいのですか?

CL それぞれ、・・・呼び名は・・・自由。

TH それでは、あなたを里沙さんにとってハイヤーセルフと呼んでもいいですか?
 間違いではありませんか?

CL いいです。
注:守護霊、ハイヤーセルフ、類魂の相互関係は今ひとつ不明である。

TH もう一回いいですか? 
これから私のやろうとしていることは、生まれ変わりの現在もっとも有力な証拠とされている真性異言という現象を、ラタラジューが話すかというセッションをやろうとしています。
地上の人間である私が、生まれ変わりの証拠を科学的につかもうということは間違ったことではありませんか?
許されますか?
科学的に証明しようとしています。

CL ・・・許されます。

TH そうですか。それを聞いて安心しました。
もう一つ。
ラタラジューはネパール人です。
それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の「現世のもの」と考えてよろしいですか?
 「現世のもの」は、魂の表層のものたちとお互いに友愛を結んで、知恵を与え合っていると聞いています。
そうであるなら、魂の表層にいる「現世のもの」が、日本人である私とネパール人であるラタラジューの間を取り持ってくれて、翻訳のようなことをしてくれていると考えていいですか? 
違いますか、これは。
注:この質問と守護霊の回答は、私にとってきわめて重要であった。なぜなら、魂表層は前世の者たちによって構成されている、というSAM前世療法の作業仮説の検証になるからである。この作業仮説をよりどころにすれば、日本語を知らないはずのラタラジューが日本語で会話できる謎も解ける。魂表層で前世の者たちとつながっている「現世の者」が、私の日本語をネパール語に翻訳してラタラジューに伝え、ラタラジューのネパール語を日本語に翻訳して、ラタラジューが日本語で私に伝えることを可能にしている、ということになる。

イアン・スティーヴンソンは、この点について次のように推測している。

 「私がとくに解明したいと考えている謎に、イェンセン(注:スエーデン人)やグレートヒェン(注:ドイツ人)が、母語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。二人はしたがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(注:アメリカ人被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである。(『前世の言葉を話す人々』P235)

里沙さんの守護霊の回答を信じるとすれば、「 自分たちが存在の基盤としている中心人物(注:被験者のこと)の『魂表層の現世の者から』英語の理解力を引き出したに違いないのである」と考えるべきである。


CL ・・・あなたの言ったことはそのとおりです。・・・私たち魂は・・・自然に理解できます。

TH それでは、これから三つ数えますから、あなたは憑依を解いてください。
代わりに魂の表層にいるラタラジューと交替をしてください。
そうしたら初めに私が日本語で話しますから、ラタラジューにも日本語で答えてもらいます。
その後、ネパール人の女性がここにいますから、ネパール語でやりとりできるかというセッションをしていきます。
では、三つ数えますよ。ラタラジューと交替してください。1・2・3。


(その25につづく)

2014年10月12日日曜日

「ラタラジューの事例」セッション逐語録1

  SAM催眠学序説 その23


これより数回に分けて「ラタラジューの事例」のセッション逐語録を紹介していきます。

ラタラジュー人格が、初めて顕現化したのは、2005年6月4日でした。
この顕現化は、「タエの事例」に引き続いて、タエの次の生まれ変わりを探ったところ現れたものです。
このセッションで、ラタラジュー人格は、ネパール語らしき異言を、私の要求に応えて二言ばかり発語しています。


「ラタラジューの事例」2005年6月4日の初回セッション逐語録


注:THはセラピスト稲垣、CLはクライアント里沙さんの略号です。


TH: じゃあ、里沙さんの魂に戻ってください。あなたは、おタエさんが最初の人生でした。その後にも生まれ変わりを繰り返したといいます。里沙さんに生まれ変わる直前の人生に戻ってください。その人生の一番楽しかった場面に戻りますよ。じゃ、三つ数えるとその場面をはっきり思い出すことができます。1・2・3・・・はっきり思い出しましたか?

CL ・・・ラタラジュー。・・・ラタラジュー。

TH あなたは日本人ではないですか?

CL ネパール。

TH ネパール人?

CL ゴルク。

TH ゴルカ?

CL ラー。ラタラジュー。

TH それは何語か分かりますか? 私の言ってること分かりますか? 今、お話ししたのは日本語ではないですね。何語でしょう?

CL ネパール。

TH ネパール語? で、なんてお話ししてくださったんですか? 翻訳してください。

CL ・・・わたしは、ネパール、ナル村に住むラタラジューという村長です。

TH 男性ですか。

CL そうです。

TH あなたの奥さんの名前は?

CL ・・・ラメリ。 

注:4年後の再セッションでも妻の名をラメリと答えている

TH 子どももいますね。上の子の名前は?

CL ・・・アディス、クジャウス。
注:4年後の再セッションでも息子アディス、娘クジャウスと答えている。
 

TH そのネパール語で、あなたの一番楽しかった場面をゆっくりお話ししてください。

CL ・・・。

TH お話しできませんか? その場面を是非ともお話ししてください。はっきり分かりますよ。それがあなたの前世を証明する証拠の一つになるかもしれません。ゆっくりと発音してくれませんか。

CL ・・・。

TH じゃ、「わたしは、ネパールのナル村の村長です」ってネパール語で言ってくれませんか。

CL アディドウーダ、イリ、ナル、アディス。
注:この発話は、4年後の検証で、「他の人と比べると彼女を思い出させる」 という意味に受け取れるという鑑定であった。


TH 「わたしには子どもが何人いて、長男の名前はだれだれです」と言ってもらえませんか。

CL ・・・。

TH はっきり思い出すことができますよ。あなたが生きた人生ですからね。ネパール人として、村長として。「わたしには何人の子どもがいて、上の子の名前はこれこれです、下の子はこれこれです、妻はこれこれです」と言ってください。

CL ・・・んん。

TH 出てきませんか? それじゃ、これからゆっくり五つ数えるとはっきりと頭の中にすーっと浮かんできますよ。1・2。だんだん鮮明になってきました。3、ずーっとはっきりしてきた。4、もう当時の言葉がすらすら話せる状態ですよ。5。もう話せますよ。さあ、お話ししてください。

CL ・・・んん。

TH じゃ、簡単にしましょう。「わたしの妻の名前はこれこれです」でいいですよ。それなら言えるでしょ?

CL アードウー、カドウール、ナトリ、メモリス。              
注:この発話は、4年後の検証で、「今日私はカトマンズからムグリンへ行って」 という意味に受け取れるという鑑定であった。


TH じゃ、少し頭を冷やしましょう。これからちょっとの間休みましょう。また声をかけるまでゆっくり頭を冷やしてください。(5分ほど休憩)では続けましょう。あなたが村長さんとして生きているネパールの国王の名前は分かりますか? 

CL グルカ。グルカコスターレス。                                       

TH あなたが村長さんでいらっしゃる生きているのは何年ですか? 西暦で答えられますか?  西暦分かりませんか?

CL 西暦?

TH 西暦が分かりませんか。何年のお話でしょう。
注:現在でも村長レベルの家でさえネパール暦のカレンダーはないことが多い。ネパールの公式の暦はヴイクラム暦という太陰暦である。したがって、ラタラジューがカレンダーを知らないこと、西暦を知らないことは十分ありうると思われる。

CL 59歳。

TH あなたの年齢ですね、それは。何年のことか分かりませんか? 私が何を聞いてるか理解できませんか?

CL 分からない。

TH そうですか。それじゃだめですね。国王の名前は分かるのですね。

CL グルカ。

TH そのときにカレンダーはないんでしょうか? あなたの生きている59歳のときの。

CL カレンダー?

TH ネパールにはカレンダーがない?(CL頷く)今、あなたはどこにいるのですか?

CL 畑。

TH 周りを見てください。何が見えますか?

CL 沼地。・・・虫、虫!

TH 虫がいますか。刺しますか?

CL (頷く)・・・ヒル。

TH でも、楽しいことがきっとある人生でしたよ。そこへ行きましょう。もう少し進めましょう。どんな楽しいことがありましたか?

CL ・・・。

TH じゃ、指定しますよ。あなたは村長さんでしたからきっと楽しい食事ができたはずですよ。家族と一緒の夕食の場面へ行きましょう。三つで行きますよ。1・2・3。食卓を囲んでますか? ごちそうですか? 何を食べるんですか?

CL  トウモロコシ。

TH そのまま食べるのですか?  

CL 粉。蒸す。

TH パンみたいにして食べるのですか。ほかには何か食べるものありますか?

CL イモ。

TH ジャカイモ? サツマイモ? どんな芋でしょう。

CL ・・・イモ。

TH 何か牛乳みたいなものありますか? バターとか。

CL ない。

TH それでは、あなたの人生を終える場面へ行ってみましょうね。その場面で、あなたがその人生で何を学んだのか一番よく分かりますよ。じゃあ、死の間際へ行きましょう。死はね、蝉が殻を脱いで飛び立つように、次の新しい人生へ飛び立つ入り口ですから、何も恐いことはありません。それでは三つ数えるとあなたの死の間際まで行きます。1・2・3。・・・今どこにいますか。

CL 家。寝てる。

TH 今、あなたはどうしてますか? 病気ですか、老衰ですか?

CL 老衰。
注:4年後の再セッションでは、腹通をともなう病気で死亡したと言っている。

TH 年は何歳ですか。

CL 78。
注:4年後のセッションでも死亡年齢は78歳だと答えている。

TH 周りに誰かいてくれますか? 妻はいますか? 子どもは?

CL 妻はいる。子どもはそばにいない。

TH その家族の誰かと、現世の里沙さんと深いつながりのある人はいませんか?

CL いない。

TH 老衰で亡くなりますよ・・・。今、あなたは肉体を離れました・・・。あなたは、そのネパール人の人生で何を学びましたか? どんなことを学びましたか。

CL 生きて、人と、平和な、村を守る、喜びを、感じました。願わくは、字が読めるようになりたかった・・・。

TH ああ、あなたは、字が読めなかったのですか。
注:ネパール人の識字率は2000年において成人40%である。その100年以上前に生きたラタラジューが文盲であることは十分ありうると思われる

CL はい。勉強をしたかった・・・。

TH あなたは今魂なんですが、次は里沙さんに生まれ変わるわけですか?

CL はい。

TH これまで、二つの人生を見てきました。これから、あなたは、現世の里沙さんの身体の中に戻りますよ。そのときには、この二つの人生で見た学びをしっかり生か  して、これからの里沙さんの人生を、より充実して生きる力がきっと生まれていま  すよ。いいですか。きっと素敵な人生を送れます。難病に耐えて、あなたは自分の使命を果たす勇気と力を取り戻して、たくましく生きることがきっとできますよ。  では、ゆっくり五つ数えます。目が覚めたときには、すっきりしてとても気持ちよ  く目が覚めます。そして、今の催眠中に起きたことは、すべてはっきり思い出すことができます。いいですか、ではゆっくり戻りましょう。1・2・3。もう戻ってきますよ。4、もう身体に入りましたよ。5。さあ、これですっかり里沙さんの身体に入りました。ゆっくり、目を開いていいですよ。


2005年の初回セッションは、これで終了しています。その後、2009年の再セッション(応答型真性異言実験セッション)まで、一切里沙さんのセッションはおこなっていません。

(その24へつづく)

2014年10月7日火曜日

ラタラジューは前世人格か未浄化霊の憑依現象か

   SAM催眠学序説 その22


ここでの論証は、唯物論への論証ではありません。

生まれ変わり仮説を認めない唯物論者には、これまでの「ラタラジューの事例再考」 その1~その4で、虚偽記憶や潜在記憶などでは、あるいは超ESP仮説であっても、「ラタラジューの事例」という応答型真性異言現象が、生まれ変わり仮説以外では説明不可能であることを証明してきました。

ここでは、「霊魂仮説」を認める立場から、ラタラジュー人格は、前世人格ではなく(生まれ変わりではなく)、異物としての憑依霊の憑依現象ではないか、という反論に対する論証をしてみたいと思います。

さてそのために紹介する体験報告は、私が研究資料として被験者里沙さんにお願いして書いていただいたものです。
イアン・スティーヴンソンの研究文献にも、応答型真性異言の被験者の体験報告はありません。
こうした現状から、応答型真性異言の被験者の意識内容の体験報告は、きわめて貴重な研究資料であると私は考えています。
現行の意識内容の研究方法としては、その意識を体験した被験者の内観報告に頼るしかないからです。


こうして、ネパール語会話中の意識状態の内観によって、ラタラジュー人格が里沙さんの前世人格であるか、憑依した別人格であるかの一応の線引きができると考えられるからです。

ちなみに、前世人格と憑依人格を区別するための先行研究はまだありません。
なお、下記体験報告は、セッション2週間後に記述されたものです。

セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 

思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。
 

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。

ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。
 

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。 
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。

でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
 

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。

現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
 

そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
 

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 

ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
 

セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。

セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。
ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。
カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。

とりわけ、ラタラジューが、カルパナさんに「あなたはネパール人か?」と尋ねたらしく、それが確かめられると、彼の喜びと懐かしさがどっとあふれてきたときの感覚はストレートによみがえってきました。 
 

一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。
母という意味と、ラタラジューの母の名でした。
 

二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。
肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。
何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。
 

現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。
前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。
 

三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。
時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。
アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。
 

四つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたのか、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか?)母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。
 

セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。
また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。
 

以上が今回のセッションの感想です。
 

 

前世人格の顕現化と憑依現象の区別の指標


報告からも分かるように、里沙さんはセッション中のラタラジューとの一体感、同一性の感覚 があったことを明確に述べています。

また、セッション後に、諸場面のフラッシュバックがあったことや、いくつかのネパール語単語を思い出したことも述べています。

さらに、ラタラジュー人格の意識内容を里沙さんの意識がモニターし、二つの意識が併存していた記憶があったことも述べています。

ちなみに、この前世人格の意識とそれをモニターしている意識が分離され、しかも併存状態になることは、SAM前世療法一般に報告される共通の意識状態であり、ワイス式(ブライアン・ワイスの広めた技法)の前世療法では起こりえない意識状態のようです。 

さて、ラタラジュー人格が被験者里沙さんの学んだことのないネパール語で会話できたこと、その語り内容の事実との一致は検証できましたが、問題になるのは、この人格が「里沙さんの前世人格」であるのか、「里沙さんとは無関係の憑依現象」であるのかの見分けをすることです。

しかし、この見分けに関わる先行研究は一切ありません。

そこで、里沙さんにおこなった守護霊の憑依実験の考察と、宗教学のシャーマニズム研究、私のおこなってきた独自の作業仮説によるSAM前世療法の考察などから、次のような見分けの指標を持つことが妥当であろうと思っています。

前世人格か憑依人格かを見分ける最後のよりどころは、結局、自我を形成する魂は、おのれの前世人格であるか、他者である憑依人格であるかを、魂自身が根源であるがゆえに、見誤ることはあり得ない、という一種の信念に立ち返ることにしかないように思われます。

私が里沙さんにセッションから間を置かないで、セッション中の意識状態を内観して報告するようにお願いしたのは、最後は里沙さん自身の「魂」を信頼するしか見分けの指標はないと思っていたからです。
そして、そこから次のようなことが言えると思います。

SAM前世療法の作業仮説として、ラタラジューは「魂の表層」から呼び出しています。
魂がおのれの一部である前世人格と、「異物」である憑依霊と見誤ることはあり得ないでしょう。
ゆえに、里沙さんの「意識状態」の内観記録を信頼することは道理に適っていると考えます。

SAM前世療法の経験的事実として、異物であるラタラジュー霊が最初から憑依しているとすれば、里沙さんが魂状態の自覚に至ることを必ず妨害します。
したがって、魂状態の自覚に至ることができません。
しかし、事実はすんなり魂状態の自覚に至っています。
つまり、憑依霊はいないということになり、ラタラジュー霊が最初から憑依していた可能性を排除できます。

魂の自覚状態では、霊的存在の憑依が偶発的にも、意図的にも起こりやすくなることが確認されています。
魂の自覚状態では未浄化霊も高級霊も憑依することはセッションに現れる意識現象の事実です。
したがって、魂状態に戻ったときをねらって、異物であるラタラジュー霊が憑依した可能性は完全に排除できません。
しかし、4年前の最初のセッションで、タエの次の生まれ変わりとしてすでにラタラジュー人格は顕現化しています。
今回も、ラタラジューという前世人格を魂の表層から「呼び出して」顕現化させる手続きをとっています。

したがって、ラタラジュー人格が、異物としての憑依霊の憑依現象とは考えられません。

第一にモニター意識が、憑依霊を異物として感知しないはずがないでしょう。
里沙さんは、明らかにラタラジュー人格とおのれとの同一性の自覚があると報告しており、ラタラジューを異物として感知していないのです。

第二に異物としての憑依霊の憑依現象が起きたとすれば、憑依霊によって人格を占有されるわけで、その間の記憶(モニター意識)は欠落することが多いと報告されています。
これは宗教学のシャーマニズム研究の報告とも一致します。
シャーマンは、霊的存在の憑依状態の記憶が欠落することが多いとされています。
一方、里沙さんは、ラタラジューが会話している間の記憶が明瞭にあると報告しています。 

さらに、彼女の場合には、守護霊憑依中の記憶は完全に欠落することが、過去3回の守護霊の憑依実験から明らかになっています。
守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません、と報告している通りです。
ラタラジューの会話中の記憶があるということは、ラタラジューが憑依霊ではない状況証拠です。
異物としての憑依霊の憑依現象ならば、その間の記憶は完全に欠落しているはずなのです。

しかも、ラタラジューには、真性異言会話実験後、魂の表層に戻るように指示し、戻ったことの確認後催眠から覚醒してもらっています。

SAM前世療法の経験的事実として、ラタラジューが憑依霊であれば、私の指示に素直にしたがって憑依を解くとは考えられません。
もし、ラタラジューが憑依霊であれば、高級霊とは考えにくく、未浄化霊でしょう。
とすれば、憑依を解くための浄霊作業なしに憑依が解消するとは考えられません。


里沙さんは、4年前の「タエの事例」以後、他者に憑いている霊や自分に憑こうとしている霊を感知し、それは悪寒という身体反応によって分かると報告しています。
ある種の霊能らしきものが覚醒したと思われます。
そのような里沙さんが、異物であるラタラジュー霊の憑依を感知できないとは考えられません。  

こうした諸事実から、ラタラジューが里沙さんの前世人格ではなく、まったく別人格の憑依霊の憑依現象だとするのでは、説明が収まりにくいと考えられます。

以上述べてきた考察から、私は、「同一性の感覚の有無」と「憑依様状態(人格変容状態)中の記憶の有無」の2つが、前世人格と憑依人格を線引きできる一応の指標になると考えています。

したがって、異物としてのラタラジュー霊の「憑依仮説」は、棄却してよいと判断できると思われます。

ちなみに、ある霊能者が「ラタラジューの事例」のテレビ放映を見て、「ラタラジューは憑依霊であり、彼は腹痛を訴えて死んでいるので、今後里沙さんはその憑依霊の霊障によって腹痛に苦しむことになる」などと自分のブログに書いていました。

これは2010年8月の放映直後のブログ記事ですが、2014年10月現在に至るまで、里沙さんが腹痛に悩まされるなどの不可解な霊障らしき症状は一切生じていません。
この霊能者(そこそこに有名らしい)の霊能力は、この程度に怪しげでいい加減なものであることが暴露された実証例です。



 (その23へつづく)

2014年10月1日水曜日

ラタラジューの語りの内容についての検証

  SAM催眠学序説 その21


「ラタラジューの事例」について、これまで「応答型真性異言」、すなわち、被験者里沙さんが現世で学んでいないネパール語という異言で会話してきたことの立証をしてきました。
私は、応答型真性異言である事実をもって、生まれ変わりの立証だと考えます。
それに加えて、ラタラジューの語り内容を検証し、語った事実とその検証事実が一致すれば、生まれ変わり仮説はさらに補強されると思います。
なぜなら、個々の語り内容が事実と一致しても、それだけではただちに生まれ変わりの証明にはならず、超ESP仮説が適用される余地があるからです。

①ナル村の実在について 

ラタラジュー人格が最初に現れたた2005年6月当時のグーグル検索では「ナル村」はヒットしませんでした。
このことは、拙著を読んだ大門教授も、同様に検索しておりヒットしなかったことを確認しています。したがって、初回セッション時に里沙さんがネット検索によって「ナル村」を知っていた可能性は排除できます。
ところが、2回目の実験セッション直後の2009年5月21日に、念のためグーグルで再度検索したところヒットしたのです。
それは青年海外協力隊の派遣先としてナル村が掲載されていたからでした。

その記事によれば、カトマンズから直線で南方25キロの距離にある小さな村でした。
そのローマ字表記のNalluで検索すると、ナル村は、ゴルカ地方に隣接するラリトプール地方のカトマンズ盆地内にあり、1991年の調査によれば、320世帯1849名、村民の言語の97%はタマン語であることが分かりました。
ラタラジューが日本語で語った「カトマンズに近い」、ネパール語で語った「父はタマン族」にも符合し、ナル村はこの記事の村だと特定できると判断できます。

私が現地調査を依頼した、ネパール在住のソバナ・バジュラチャリヤ博士(文化人類学)、ディック・バジュラチャリヤ氏夫妻の現地調査によれば、ナル村は海抜1800メートル、カトマンズ中心部から南へ34キロ(車で2~3時間)にあり、2010年現在、人口2,277人、420世帯の四方を山に囲まれた寒村でした。
人口の97%を占めるタマン族の90%以上が仏教徒、7%以上がヒンズー教徒であるということです。
自動車を用いると、未舗装の狭い山道を命がけで目指すという僻地にあり、観光客のけっして寄り付くような場所ではないということでした。

②ナル村の沼地とヒルの棲息について

 ラタラジューは、初回セッションで、ナル村の自然環境について、「沼地・・・虫虫!」と言うので、「虫がいますか。刺しますか?」と尋ねたところ、頷きながら「ヒル」と答えています。
おそらく虫とはヒルを指していると思われます。

ソバナ博士の現地調査では、ナル村には湿地が点在し、ヒルが相当多く棲息しており調査に同行した夫君ディパック・バジュラチャリヤ氏が、油断している隙に靴下に潜り込んだヒルに刺されたという報告がありました。
このナル村のヒルは、日本のものより一回り大きく、尺取り虫のような動き方をするヒルでした。
海抜1800mのナル村に、ヒルが棲息していることが私には驚きでした。
しかし、ラタラジューの言ったことが事実であることが検証できました。

③食物「ダル(豆のスープ)」と「コド(キビなど雑穀)」「トウモロコシ」について

「ダル」は、グーグル検索で「ダルチキンカレー」としてヒットしました。
「コド」はグーグルでもウィキペディアの検索でもヒットしませんでした。

ソバナ博士の現地調査によれば、コドはかつては主食であったが、現在は朝食かおやつとして食されているということでした。
豆のスープであるダルは、現在も炊いたご飯とともに主食になっているということです。
2005年の初回セッションで出てきた「トウモロコシの粉」については、現在もトウモロコシを使った料理が多いということでした。

また、50年ほど前までは、キビ・ヒエ・アワ、米などを栽培していたということですが、現在ではトウモロコシと野菜が中心作物になっているということです。
ラタラジューの食物についての語りの内容が、事実と一致していることが検証できたということです。

④ナル村での死者の扱いについて

ラタラジューは、死者を山に運び火葬にすると回答しています。

ソバナ博士の目撃調査によれば、遺体はヒマラヤが望める山の上まで運び、ヒマラヤに頭部を向けて安置し、頭蓋骨の一部以外すべ灰になるまで燃やし、頭蓋骨と灰を地中に埋納した後、しばらくして掘り出し、川に流すということです。
ここでも、ラタラジューの語りが事実と一致していることが検証できました。

ちなみに、ナル村には墓を建てる習慣がなく、墓石から死者の名を割り出すことは不可能でした。
また、ラタラジューが、「寺院に行くか」と尋ねられ「はい」と答えたように、ナル村には修復中の小さな寺院があることが確認されました。
ただし、それがいつごろから存在していたかは確認できませんでした。

⑤里沙さんの想起した風景スケッチ画の照合について

里沙さんは、ラタラジューの真性異言実験セッションの後、たびたびナル村らしい風景がかなり鮮明にフラッシュバックするようになったと言います。
そこで、その風景を想起するまま描いてもらってありました。

その風景スケッチ画は、画面右側に草の茂る湿原、左側に大きな池とそこに流れ込む小川があり、その小川をまたぐ木の小さな橋があり、橋を渡る小道が緩く曲がって伸び、背景にはさほど高くはない、重なり合う3つの山が見えるという構図でした。

アンビリバボーのナル村取材チームは、このスケッチ画を持ってナル村入りし、村内でこのスケッチ画の風景にほぼ一致する場所を特定しましたが、大きな池は存在しませんでした。
村民によれば、ナル村には絵にあるような大きな池はないということでした。

しかし、さらに詳しく調査した結果、30年ほど前には絵に描かれた場所に同じような大きな池が確かに存在し、その池は大洪水によって消滅していたことが確認できたのです。
スケッチ画の絵の風景構図と実際のナル村の風景構図のほぼ正確な一致は、単なる偶然では片付けられないように思われます。

また、このナル村の風景や村民がコドなどを焼いている映像を視聴した里沙さんは、突然トランス状態に入ると同時にラタラジュー人格が現れる、というハプニングが起きてしまいました。

こうした事実を重ね合わせてみますと、ラタラジューの語ったナル村は、現地調査をおこなったナル村であると特定して間違いないと思われます。

⑥Shah(シャハ王朝)とラナとの関係について

ネパール語で対話する前の私との日本語対話で「・・・戦いました・・・ラナ・・シャハ・・・ラナ、戦いをした」とラタラジューは語っています。
また、カルパナさんのネパール語対話でも「ラナ」という単語を4度発語しています。

シャハ王朝とラナ、および戦いとの関係はいったいどのようなことが推測できるのでしょうか。

シャハ王朝は、1768年に始まり最近廃絶した王朝です。
そのシャハ王朝で、1846年以後1951年まで、ネパールを実質支配する独裁権力を振るった宰相家が「ラナ家」です。

ラナ家が独裁権力を握るために、1846年に有力貴族を次々殺害するという流血の権力闘争がありました。
また、1885年にはラナ家内部で流血クーデターが起きています。

一方、タエが人柱になったのは1783年(天明3年)です。
それ以後にラタラジューとして生まれ変わったとされているのですから、彼がシャハ王朝とラナ家を知っていることに矛盾はありません。

したがって、ラタラジューが発語した「ラナ」とはネパール宰相家の「ラナ家」だと推測して間違いないと思われます。
とすれば、彼が「戦いました」という語りは、ラナ家がシャハ王朝内の独裁権力を掌握するための1846年の権力闘争あるいは、ラナ家内部の1885年のクーデターに際して、ラタラジューが傭兵として闘争に参加していることを意味していると推測されます。

さらにうがった推測をすれば、カルパナさんとのネパール語対話の中で「30歳」という年齢を答えた直後に、それに触発された記憶であるかのように「ラナ、ラナ」と発語していますから、ラナ家に関わる闘争への参加はラタラジューが30歳の時だと推測することが可能でしょう。

加えて、彼は若い頃カトマンズに住んで戦ったとも言っています。
また、30歳で戦いに参加したとすれば、里沙さんの守護霊とおぼしき存在の「ラタラジューは・・・若い頃人を殺しています」という語りにも符合することになります。


そのように仮定し、ラタラジューが30歳のときにラナ家の権力闘争に傭兵として参加し、彼が78歳で死亡したとすると、彼の生年・没年は、1846年の闘争参加なら1816年~1894年、1885年の闘争参加なら1855年~1933年となります。
里沙さんは1958年生まれですから、いずれの生年・没年でもは矛盾しません。

ソバナ博士の調査によれば、シャハ王朝が傭兵としてタマン族の青年たちを用いていたことは間違いない事実であるが、どのクーデターのときにどれくらいのタマン族傭兵が参加していたかという数字については定かではないという報告でした。


特筆すべきは、上記の推測を前提とすれば、タエ→ラタラジュー→里沙さんという生まれ変わりの間隔が特定できたということです。
つまり、タエの死亡1783年(天明3年)、ラタラジューの誕生1816年、ラタラジューの死亡1894年、里沙さん誕生1958年ですから、タエからラタラジューの生まれ変わり間隔は33年、 ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わり間隔は64年ということになります。
または、ラタラジューの誕生1855年、死亡1933年とすれば、72年、25年の間隔で生まれ変わっていることになります。

私は、ナル村古老への聞き取り調査で、ラタラジューの情報が得られなかったことを考慮すると、前者の生まれ変わり間隔が妥当であろうと思います。
ラタラジュー死亡が1894年だとすれば115年前の人物であり、1933年死亡だとすれば76年前の人物となり、当然100年以上前の古い人物の情報が残っている可能性が希薄になるからです。

いずれにせよ、タエとラタラジューという2つの生まれ変わりが、双方ともに検証可能なほど具体的に語られ、双方の死亡と誕生、つまり生まれ変わりの間隔の年数が特定できたという事例は、世界に例がないと思います。


こうして、ラタラジューがラナ家に関わる闘争に傭兵として参加していたのではないかという推測が成り立つための裏付けが検証できたということです。

⑨ラタラジューの実在証拠について

残る最後の検証は、ラタラジューのナル村村長としての実在証明ということになります。
ナル村で現地聞き取り調査をし、100年程度前の村長ラタラジューの記憶を持つ子孫あるいは住民を発見することです。

ラタラジューは自分を文盲だと語っていますから、自身が記録を残していることはあり得ないことになります。
ちなみに、2000年においてネパール人の識字率は、成人40%(女性20%)というデータになっています。

また、ネパール語と言っても単一の言語ではなく、公用語の外に50以上の言語があるとされています。


こうして、識字率の極めて低いであろう100年程度前のナル村村民が彼の記録を文書として残していることもほぼ絶望的ですから、子孫または古老の記憶に頼るしかありません。
あるいは、ナル村を統治した地方首長などが、文字記録として残しているものがあれば、それを発見することです。 

この検証調査こそ、ソバナ博士に依頼した最大の目的でしたが、残念ながら現時点ではラタジューの実在を文字記録として確認するには至っていません。

ソバナ博士によれば、ネパールは1950年代以前の戸籍の記録のない社会であり、加えて1995年~2005年にかけて山村・農村の住民による反政府武装闘争が勃発、ナル村でも役場に保存されていた多くの個人情報の資料が焼かれたということです。

したがって、ナル村役場には村開発の企画書と投票者名簿以外の文書資料はなく、残りの資料は担当者が個人の家に持ち帰り散逸してしまっているので、資料からの調査は不可能な状態であるということでした。

また、34名の村の古老に聴き取り調査をした結果でも、ラタラジューおよび、その妻ラメリなど家族を知る確かな証言は得られなかったということでした。

聞き取り調査での証言の信頼性が保証されない理由として、みんな自分がラタラジューの子孫だと言いたがること、調査に協力すると何らかの利得があると思い込んでいるので嘘の情報を語っている可能性が疑われるからだということでした。

ただし、聞き取り調査の収穫がまったくなかったわけではありません。
38年前に80歳で死亡しているラナバハドゥールという長老は、若い頃には兵士であり、その後村に戻り、晩年はタカリ(長老)と呼ばれ、村の指導的存在だった、という確かな情報がその孫に当たる村民からの聞き取り調査で得られています。

つまり、ラタラジューの生涯に酷似した人生を送ったタマン族青年が実在していたということです。
この事実は、ラナバハドゥールが、青年時代を兵士として送った村長ラタラジューを知っており、それに倣って自分も兵士となり、その後帰村してラタラジューのように村の長老になったという可能性を示唆しているかもしれないからです。
つまり、ラナバハドゥールという人物の実在は、それと酷似した人生を送ったと語っているラタラジューが実在していても不自然ではないことを示しています。

前世人格ラタラジューは、応答型真性異言と、ナル村に関する語りの具体的事実に食い違いがないこととも相まって、その実在がきわめて濃厚だと判断してよいと思われます。


次回は、ラタラジューが、里沙さんの前世人格ではなく、里沙さんと関係のない憑依霊ではないか、という疑問についての見解を述べる予定です。
 
(その22へつづく)

2014年9月27日土曜日

ラタラジューのネパール語会話の分析

   SAM催眠学序説 その20

ラタラジューの会話分析に当たって、その前提となるいくつかの考慮すべき条件があります。

ネパール語を母語とし対話相手をしていただいたネパール人女性パウエル・カルパナさん(朝日大学法学部博士課程学生)と、被験者里沙さんとは一切の面識はなく、実験セッション当日が初顔合わせでした。
カルパナさんを対話相手として探し出したのは中部大学の大門教授であり、私も里沙さんも、直前までカルパナさんの名前すら知らされていない、という条件のもとでおこなった実験セッションでした。
当然のことですが、被験者里沙さんとカルパナさんとの打ち合わせや、里沙さんにカルパナさんがどんな質問をするかなどの情報も事前に一切知らされてはいません。

この実験セッションは、2009年5月におこなっており、その記録映像をもとに「奇跡体験アンビリバボー」で「ラタラジューの事例」が放映されたのは2010年8月でした。
したがって、実験セッションとアンビリとの事前のつながりは一切なく、アンビリが事前に仕組んだヤラセではないかなどの疑惑は完全に排除できます。


また、前世人格ラタラジューの母語はタマン語であると推測され、ネパール語の理解力が十分身についていないと考えられます。

ちなみに、ラタラジューが村長を務めたナル村の2010年現在の人口は2,277人であり、その97%がタマン族が占めています。
また、ラタラジューは、父親はタマン族でありグルカ兵であったと語っています。
こうしたことから、ラタラジューの母語はタマン語であったと推測することは妥当であろうと思われます。

したがって、ラタラジューが、会話中にカルパナさんの発音を聞き間違えたり、意味を取り違えたり、意味が理解できなかったりしていることがあることを考慮しなければなりません。

たとえば、意味の取り違えとして、Gorkhama busnu huncha? (ゴルカ地方に住んでいるんですか?)と尋ねられて、ラタラジューは Mero buwa Go ... Gorkha ...mero buwa Tamang hunnuhuncha.
(私の父、ゴ、ゴルカ。私の父はタマン族です)と答えていますが、Gorkhaは同じ発音でゴルカ地方とグルカ兵の意味があり、ラタラジューは後者の意味に取り違えていると思われます。
なお、ラタラジューの住んだナル村はゴルカ地方ではなく、隣接するラリトプール地方です。
また、ラタラジューは、文盲だと語っていますから、Gorkhaがゴルカ地方を意味することをしらなかった、あるいは地理上のゴルカ地方そのものの存在を知らなかった可能性があります。


発音の聞き間違えと思われる例としては、Tapai, bihana beluka ke khanu huncha tapaile gharma?
(家では何を食べていますか?)と尋ねられて、ラタラジューは Ah .. ah... Shiba ... e ... e ... dharma.
(シバ神、宗教)と答えています。
一見ちぐはぐなやりとりで、ラタラジューは意味が全く理解できないのではないかと思いがちですが、gharma(グァーマ)の発音は dharma(ドゥワーマ)の発音とよく似ており、ラタラジューはgharma(グァーマ)の発音を dharma(ドゥワーマ)の発音だと聞き違えたと推測できます。

意味が理解できていないのではないかという例としては、あなたの息子は何歳ですか、と尋ねられて、ラタラジューが「分かりません」と答えているようなやりとりです。
しかしこれは、カルパナさんの発問が不適切であって、ラタラジューは「分からない」というほかないのです。
なぜなら、78年間生きたラタラジューは、その78年間のどの時点であるかを特定されないと息子の年齢は答えられないからです。「あなたが30歳のとき息子は何歳でしたか」というように。
そして、78年間生きたラタラジューには答えようのない、どの時点かを特定しない、同様の不適切な発問がいくつか散見されます。


さて、ラタラジューが、ネパール語を用い、ネパール語を母語とするカルパナさんと会話ができたことは、彼女の証言で確認されており、応答型異言であることはすでに明らかであると判断できます。

特筆すべきは、この実験セッションはSAM前世療法によっておこなわれたものであり、したがって前世を生きたラタラジュー人格は、魂表層に存在する意識体として、今、ここに存在し、里沙さんの肉体を借りて顕現化した、と考えるSAM前世療法の作業仮説を立証していることです。

次に、ネパール語会話内容を分析・検討した結果、浮き彫りになってきたいくつかの点について述べてみます。                

1 ネパール語会話の成立度


会話の成立度の分析に当たっては、同じ話題のひとまとまりの対話ごとに58の部分に分けてみました。
そして、それぞれの対話部分について、ラタラジューの受け答えの整合性の有無を検討し、推測を交えて判断した結果は次のようなものになりました。

ア 応答に一応整合性があり会話が成立している・・・・26部分(45%)
イ  応答に全く整合性がなく会話が成立していない・・・・8部分(14%)
ウ 応答が短く曖昧で会話成立の判断が難しい・・・・24部分(41%)

「対話が成立していない部分」とは、家に妻がいますかと尋ねられ、分かりませんとか、何を食べていますか尋ねられ、シバ、宗教などと応答した場合です。
明らかに質問の回答になっていない対話部分です。

「会話成立の判断が難しい部分」とは、「わかりません」「はい」など短い回答で、質問の意味が理解できているのかどうか判然としない対話部分です。 
以上のおおよその分析・検討から、ネパール語での応答的会話は、完全とは言えないものの、8割程度は成立していると判断できると思われます。

ただし、応答的会話といっても、ラタラジューの応答は、「はい」とか「わかりませんなど短い単語の単純なものが多いではないか、という問題が指摘できるでしょう。
また、話したと言っても、たどたどしいものでネパール語のきちんとした会話とは認められないではないか、という疑問も出ることでしょう。 

しかし、この点については、スティーヴンソンの『前世の言葉を話す人々』の「グレートヒェンの事例」のドイツ語会話の記録(同書PP226ー310)と比較しても、けっして見劣りするものではありません。
前世人格グレートヒェンの応答も、「いいえ」「知りません」「町です」など短い応答がほとんどです。そもそも、催眠中のクライアントの発話は総じて緩慢であり、質問に対して即座に長い文脈で回答することはほとんどない、と言えます。また、自分から話すということも、ほとんどありません。 

スティーヴンソンも、「グレートヒェンは、自分から話すことは稀であり、通常は、質問を受けるまで黙っていた。質問があると、それについて手短に答え、また口を噤(つぐ)んでしまうのが通例だったのである」(前掲書P22)と述べています。
ラタラジューも質問の回答ではなく、自ら発話したことは、「あなたはネパール人ですか?」とカルパナさんに逆に質問したことと、腹痛を訴えたことの二度だけです。

なお、グレートヒェンのセッションは19回に及んだそうですが、録音記録を見ると後のセッションになっても、流暢さを欠いた短い応答しかしていないという傾向はほとん変わっていないようです。
このことについて、グレートヒェンは、「応答することができたが、たどたどしいものであったし、文法も語彙も不完全であった」(前掲書P4)、「後のセッションまでの間に、はっきりした向上も低下も見られなかった」(前掲書P46)とスティーヴンソンは述べています。

ラタラジューの会話もこれとほぼ同様であり、だからこそ、応答型真性異言としての信憑性は高いと判断できると思われます。
こうしたことを考えれば、ラタラジューが初めてのネパール語会話セッションでこれだけのネパール語会話をおこなったことは、むしろ評価されるべきだと思います。


2 対話相手の用いていないネパール語


ラタラジューの発話において重要なことは、ラタラジューがカルパナさんの発話の中で用いられていないネパール語を用いているかどうかの点です。
カルパナさんが質問で用いた単語をオウム返しで繰り返しているだけならば、質問内容が理解できていなくても対話が成立しているように錯誤されてしまうからです。
ラタラジューが本当にネパール人の前世人格なら、カルパナさんが用いていない単語で、ラタラジューが自ら発語しているものがなければ、彼がネパール語を運用した信憑性は低いものとなるでしょう。
正確な意味で、会話技能を用いている応答型異言とは言えないということになります。

そこで、名前を除き、ラタラジューが初めて発語している単語を全セッションから拾ってみると、次の29の単語があることが分かりました。

mero(わたしの)・ ke(何)・tis(30)・bujina(分かりません)・ ho(はい)・ma(私) ・Shiba(シバ神)・dhama(宗教)・Nepali(ネパール人)・Gorkha(グルカ兵)・pachis(25)・hoina(いいえ)・pet(お腹)・dukahuncha(痛い)・rog (病気)・guhar(助けて)・ath(8)・satori(70)・Tamang(タマン族)・kana(食べ物)・dal(豆のスープ)・ bha(ご飯)・ kodo(キビ・アワなど雑穀)・sathi(友)・cha (ある、いる)・Nallu gaun(ナル村)・kancha(息子)・Shah(シャハ王朝)・ Himal(山、ヒマラヤ)


この事実は、ラタラジューが、ネパール語を知っており、その会話技能をある程度身に付けていることの証拠であると思われます。
また、彼の父がタマン族らしいことを考えると、彼の母語はタマン語であって、ネパール語ではない可能性があり、そうしたことを重ねて考えますと、ネパール語の少なからぬ単語を用いて応答的に発話できた事実は、ますます大きな意味を持つものと思われます。
ちなみに、ラタラジューの発音は、明らかに日本語を母語とする里沙さんの舌の用い方ではないように聴き取れます。

会話分析に当たったカナル・キソル・チャンドラ博士によれば、数字の発音などにタマン語の訛りが混入しているネイティブなネパール語であるという鑑定でした。
また、ラタラジュー程度にネパール語会話ができるようになるためには、ネパールに2年から3年程度の滞在が必要であろうとの判断でした。

文字表現では不可能な、ラタラジューのネパール語の語調、発話中の表情・動作などが分かるアンビリバボー放映の証拠映像をご覧になった読者であれば、ネパール人どうしの違和感のない会話のやりとりを実感できたと思います。

3 ネパール語の文法に忠実な助動詞の使用


ネパール語の文法は主語の人称と尊敬語に対応して、動詞・助動詞が複雑に変化する特徴があります。たとえば、日本語の「です」に当たるネパール語の助動詞は、一人称の場合では「hu」であり、二人称と尊敬語では「hunuhuncha」に変化します。
さらに三人称になると「ho」と変化します。

ラタラジューは、「私のお父さんはタマン族です」というネパール語を、「お父さん」という尊称に対応した助動詞の「です」のhunnuhunchaを忠実に用いて、mero buwa Tamang hunnuhuncha と発話していることが、アンビリバボー番組制作スタッフの検証によって明らかにされました。
こうした文法の助動詞変化に忠実な発話ができることは、ラタラジューが実在した有力な傍証の一つとして採用できると思われます。

4 ネパール語の不規則な数詞の使用


ネパール語の数の数え方には規則性がないので、記憶するには数詞ごとに一つ一つ覚えなければならないので大変やっかいです。
たとえば、日本語の場合には一の位の「いち・に・さん」が十の位でも「じゅう・いち」「じゅう・に」「じゅう・さん」と十の位の後に連結して用いられるので覚えやすいと言えます。
ところが、ネパール語の一・二・三は「ek」「dui」「tin」ですが、一一・一二・一三はそれぞれ「egara」「bara」「tera」 であり、まるで規則性がなく非常に覚えづらいのです。

ラタラジューは、このネパール語の数詞の「tis(30)」 「patis(25)」   「Ath satori (8と70)」の3語を自ら発語しています。
この複雑な数詞をよどみなく発話した事実は、ネパール人ラタラジュー人格が現れて会話したとする一つの有力な傍証として採用できると思います。

5 ネパール語と日本語の言語学的距離


日本語とネパール語の間には言語的系統性が見られず、言語学的に大変距離の遠いものと言えます。
例えば、スティーヴンソンの発表している催眠中の応答型真性異言事例は、英語を母語とする被験者がスェーデン語で会話した「イェンセンの事例」、同じく英語を母語とする被験者がドイツ語で会話した「グレートヒェンの事例」という二つですが、これら言語は先祖を同じくするゲルマン語派です。
言語学的に近いわけで、語彙も文法も似通った体系であると言えます。

また、マラーティー語を母語とする女性が、催眠を用いないでベンガル語で会話した「シャラーダの事例」は、同じインド語派に属する言語です。
したがって、スティーヴンソンの発見しているこれら3つの事例は、比較的近縁関係のある言語間において起こった応答型真性異言事例だと言えます。

ネパール語は、日本人にとって非常に馴染みの薄いマイナーな外国語です。
日本人でネパール語の単語を知る人も極めて少ないでしょうし、会話能力ともなると外交官・商社マン・ネパール研究関係者などごく限られた人間以外は学ぶ機会がない言語です。

こうしたことを考え合わせると、スティーヴンソンの発見している事例の被験者と比べて「ラタラジューの事例」は、言語学的距離の離れた、つまり、日本人の里沙さんが獲得するには非常に困難なネパール語で会話できたという点で、他の応答型真性異言事例に比較して、「きわめて学び難い異言」で会話したという事実の重みが大きいと評価できるのではないでしょうか。

6 ラタラジューが一昔前のネパール人であった2つの証拠会話


ラタラジューの語ったところによれば、彼の生きた期間は、計算上、1816年-1894年の78年間であろうと推定できます。
2014年現在からさかのぼって、120年前に死亡していることになります。
つまり、一昔前のネパール人であったということになります。
そうした推定の裏付けとなる会話を2つ残しています。

①死亡年齢78歳であることの表現を Ath satori、つまり「8と70」と表現しています。
「8と70」という表現法は、教育の進んだ現代ネパール語にはなく、したがって、カルパナさんは意味が理解できないので、 Sattari?(70ですか?)と再度聞き直しています。
しかし、現地調査をお願いしたソバナ博士によれば、昔のネパール人はこのような表現法を用いていたということでした。

下記がその会話部分です。
kAはカルパナさん、CLはクライアント、里沙さん(ラタラジュー)の略号。

KA: Kati barsama bitnu bhako?(死んだ時は何歳でしたか?)
CL: Ah ... ah ...(あー、あー)
KA: Kati barsama ...(何歳でしたか?)
CL: Umer ... Mero ... umer ...(歳は、私の歳は)
KA: Hajur. Bite ko umer.(はい。死んだ歳は?)
CL: Ath satori ... ah ...(8と70、あー)
KA: Hajur?(はい?)
CL: Ath satori. (8と70)
KA: Sattari?(70ですか?)
CL: Ath satori.(8と70) 

②現代ネパール語で妻はsrimati(シリマティ)と言いますが、古いネパール語ではswasni(スワシニ)と言っていました。
古語スワシニのほうは現代でも地方では使用している所があるようです。
ラタラジューは、カルパナさんの一度目の質問srimati(シリマティ)の意味が理解できず、 Oh jirali と意味不明なことを言っています。
そこでカルパナさんが再度、現代ネパール語のシリマティと古語のスワシニを並べて
Srimati, swasniko nam? と尋ねると、古いネパール語のswasni(スワシニ)に反応して 
mero swasni Rameli (私の妻、名前、ラメリ)と答えています。
ラタラジューは現代ネパール語の妻srimatiが理解できず、古いネパール語の妻swasniなら理解できたということです。

下記がその会話部分です。

KA: Tapaiko srimatiko nam ke re? (奥さんの名前は何ですか?)
CL: Oh jirali  (おー、ジラリ)※意味不明
KA: Srimati, swasniko nam? (奥さん、奥さんの名前?)
CL: Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli. (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)


以上①②のラタラジューの会話部分は、ラタラジューが120年以前の古いネパール人であった傍証であると判断できると思います。
また、ラタラジューという名前も一昔前には使われたそうですが、現代ネパールではほとんど使われなくなっている名前であるということです。
この現代ネパールではほとんど使われていない「ラタラジュー」という名前を、被験者里沙さんが知りえる機会は限りなくゼロに近いと思われます。


以上の2点(名前を含めれば3点)の古いネパール語は、里沙さんが学ぼうとしても学びようがないネパール語であると断定してよく、里沙さんがネパール語を学んでいないという強力な証拠だと思われます。

7 現在進行形の会話の意味


前世人格ラタラジューは次のような、現在進行形でのやりとりをしています。


CL: Tapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)
KA: ho, ma Nepali.(はい、私はネパール人です)
CL: O. ma Nepali.(ああ、私もネパール人です)


このやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについてきわめて興味深い示唆に富むものだと言えそうです。

つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
つまり、ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として現れている、としか思えない存在です。
その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯)を用いて自己表現している」と解釈することが自然ではないでしょうか。
スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、応答型真性異言を話したグレートヒェンをドイツ人少女の「トランス人格」と呼び、被験者アメリカ人女性「の記憶想起ではなく、催眠中のトランス状態で呼び出された「前世人格」の会話だと判断しています。

ちなみに、グレートヒェンの会話には、トランス人格グレートヒェンが、対話相手に、「あなたはドイツ人ですか?」と問いかけるといった、明らかに現在進行形の会話だと判断できる個所はなく、ここで取り上げたラタラジューの現在進行形の会話の発見は、きわめて重要な意味を持つと思われます。


この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、生きて、存在している、というSAM前世療法の独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

次回は、ラタラジューの語り内容の事実と、ナル村現地調査での事実照合について述べたいと思います。


(その21につづく)

2014年9月20日土曜日

里沙さんのポリグラフ鑑定

   SAM催眠学序説 その19


里沙さんのネパール語を一切学んでいないという証言についての裏付け検証結果で、ラタラジューのネパール語が真性異言である可能性はきわめて高い、というのが私の判断でした。

そして、詰めの検証として、ポリラフ検査をおこなうことにしました。

ポリグラフ検査は、一般に「嘘発見機」と呼ばれているものです。
人は記憶にあることを聞かれたとき、無意識に身体が反応してしまう、その微妙な生理反応の変化を身体各部にセットした精密な測定機器によって記録し、その記録を分析・解読することによって嘘を見抜くという原理です。

具体的には、検査者の質問に回答するときの血圧・脈拍・発汗などの微妙な変化を精密計器で測定・記録します。

ポリグラフ検査による鑑定で、里沙さんが意図的にネパール語を学んでいた記憶はないという鑑定結果が出れば、鑑定結果が絶対的真実を示すものとは言えないまでも、科学機器を用いた検証結果として、客観的な証拠の1つとして有効性を持つだろうと考えたのです。 

この提案を里沙さんに伝えたのは私でしたが、彼女とご主人への説得には難航しました。
証言書まで書かせておきながら、その上に嘘発見機にまでかけるとは、いかにも疑り深過ぎ、やり過ぎだと受け取られるのは至極当然の心情です。

結局、生まれ変わりの科学的研究への貢献のために、という粘り強い説得によって了解を取り付けることができました。

ポリグラフ検査で決定的に重要なことは、測定記録データを精査・解析でき、信頼できる鑑定眼を持つ有能な検査技師に依頼することです。
そうした権威ある鑑定者が、事情をすべて知ったうえで快く引き受けていただけるかが気がかりでした。
この検査技師の人選と鑑定依頼は、研究チームの中部大学岡本聡准教授が当たりました。
その結果、日本法医学鑑定センター所長の荒砂正名氏に依頼することができました。

荒砂氏は、前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8,000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査の専門家です。
鑑定依頼の事情を知った上で快諾していただけました。 

そして、「ラタラジューの事例」のセッションから二か月後、2009年8月6日に里沙さんの自宅において、2時間40分に及ぶポリグラフ検査が実施されました。

①ポリグラフ検査の内容

ポリグラフ検査の対象は5件の鑑定事項でした。

そのうち2件は「タエの事例」についての情報入手経緯・時期の記憶に関すること、2件はネパール語の知識に関するもの、残り1件はネパールの通貨単位ルピーに関するものです。 

その検査内容の概要を手元にある鑑定書から拾い出して紹介します。 


鑑定事項1 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯は下のどれか?

ラジオ・テレビ等の番組を通じて。  インターネットなどで。  新聞記事・パンフレット類で。             本・雑誌類で。  人から聞いたり教わることで。


鑑定事項2  「タエの事例」に関する事前の情報入手時期は下のいずれか?

保育園・小学校の頃。中学生の頃。 高校生の頃。 女子大生のころ。 独身で働いていた頃。 結婚して以降。


鑑定事項3 「隣人」を意味するネパール語は下のいずれか?(該当はchimeki)

tetangga(テタンガ) chimeki(チメキ) vecino(ヴェシーノ) jirani(ジラニ)  najbaro(ナイバロ)


鑑定事項4  息子を意味するネパール語は下のいずれか?(該当はchora)

chora(チョラ)   filo(フィロー)    hijo(イーホ)   nmana(ムワナ)  anak lelaki(アナク レラキ)


鑑定事項5  ネパールの通貨単位は下のいずれか?(該当はルピー)

 レク    ルピー     クワンザ     ダラシ      プント


上記のからの鑑定事項の質問に対して示された一つ一つについて、被鑑定者は記憶があっても、「いいえ」「分かりません」とすべてについてノーの回答をすることがルールです。

このルールに従って一つの回答につき十数秒間隔で質問し、このときの生理的諸反応を記録します。
一系列の質問が終わると2分休憩し、その間に内観報告(内省報告)をします。

同じ質問をランダムに3回程度繰り返します。

被鑑定者は肯定に該当する回答に対して毎回否定の回答しなければならず、つまり、毎回嘘をつくわけで、この嘘をついたときの微妙な生理的諸反応が計器に記録されるという仕組みになっています。 

ネパール語の鑑定事項3・4に関しては、次のような慎重な配慮のもとに単語が選ばれています。

本検査前に、セッション中に顕現化したラタラジューとして使用したネパール語12単語を抽出し、その記憶の有無を事前検査し、覚えていた単語は本検査の回答から外すという慎重な手続きをとってあります。

里沙さんが、セッション中のラタラジューとして使用したネパール単語で検査前にも記憶していた単語は、9つありました。
これらの単語を除き、セッション中に使用されたにもかかわらず、彼女が覚えていないと答えているネパール単語3語のうち2語、chimekiと choraが鑑定用単語に選ばれています。
なお、鑑定事項「ルピー」という単語は、セッション中には使われていない単語です。


②ポリグラフ検査の鑑定結果と考察

次は鑑定結果の原文です。

鑑定事項1について

 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯については「本・雑誌類で」で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。

考慮すべき妥当性ある内観とは、「セッション後、稲垣からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。

また、稲垣の『前世療法の探究』を読んだ。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、1回目の質問の時から情報入手経緯の本・雑誌について、いいえ、と回答することには引っかかりを感じた」という内観報告である。

したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである。


鑑定事項2について

「タエの事例」に関する情報入手時期については何れにも特異反応を認めず特記すべき内観なし。
これらに対する認識(記憶)は全くないものと考えられる。


鑑定事項3について

「隣人」を意味するネパール語について、chimeki(チメキ)には特異反応を認めず。
特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。


鑑定事項4について

「息子」を意味するネパール語について、 chora(チョラ)には特異反応を認めず。特記すべき内観なし。これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。



鑑定事項5について

「ルピー」には注目すべき特異反応を認めず。これが該当事実である認識(記憶)は全くないものと考えられる。


さて上右記の鑑定内容にさらに説明を加えると、次のようなことになります。

、「タエの事例」に関して事前の情報入手をしていたかどうかについては、その情報を入手した時期の認識(記憶)はない。
つまり、情報を事前に調べた認識(記憶)はない。
しかし、本・雑誌から事前入手した認識(記憶)はあるという一見矛盾した鑑定結果が出たということです。
ただし、本・雑誌を読んだのは、「タエの事例」セッション以後の認識(記憶)であることの妥当性を持つ根拠があるので、セッション以前に本・雑誌から情報を入手していたという判断はできないということです。

そして、セッション以後であっても、本・雑誌という情報入手経緯について、明確な特異反応(嘘をついている反応)が認められたことは、里沙さんの嘘を隠せない誠実な人柄の現れと見ることができ、鑑定結果全般の信頼度が保証されるという鑑定者の見解でした。

もし、鑑定事項2の回答の中に「セッション以後」という回答が設定してあれば、おそらく里沙さんはこれに特異反応を示したはずで、そうなれば、セッション以前にタエに関する情報を入手した認識(記憶)はない、との鑑定結果が出たに違いないと思われます。


、3語のネパール語に関する認識(記憶)は全くないものと考えられる、という鑑定結果から、少なくとも里沙さんが、意図的にネパール語を学んでいた可能性はないと判断できます。

特に、ネパール語を学んでいて通貨単位のルピーを知らないはずはないでしょう。
したがって、意図的作話仮説が成り立つ余地はありません。

しかしながら、検査に使われた単語のchora(チョラ・息子)も chimeki(チメキ・隣人)も、セッション中に対話相手カルパナさんが用いた単語で、記憶していた9つの単語同様、里沙さんがこれら2語も記憶していてもいいはずの単語です。にもかかわらず、里沙さんは全く特異反応を示さなかった、つまり、知っているという反応が全く出なかったという結果は何を意味しているのでしょうか。 

考えられる可能性は3つあります。

1つ目は、chora もchimekも、顕在意識・潜在意識の両方ともに、初めから完全に記憶に留めていないと解釈することです。

2つ目は、催眠中の潜在意識の下で里沙さんが知った単語なので12のうち2つの単語は潜在記憶となって抑制されており、顕在意識としては知らないものとして処理され、そのため反応しなかった、と解することです。

3つ目の解釈は、ラタラジューは里沙さん自身ではない前世の人格であるので、対話相手のカルパナさんの用いた単語の記憶すべてがそのまま現世の里沙さんの記憶とはならず、そのため里沙さんは知っているという反応を示すことがなかった、と考えることです。 


いずれにせよ、以上のポリグラフ検査鑑定結果によって明らかになったことは、ポリグラフ検査で判断できるのは、あくまで顕在意識としての記憶の有無であり、潜在記憶の有無は判断できないという事実です。

このことは、意図的作話仮説の検証にポリグラフ検査の有効性を認めることはできても、潜在記憶仮説の検証には有効性がないだろうというこです。  

しかしながら、里沙さんがネパール語を現世の人生のどこかで無意識的に学んでいるにもかかわらず、その記憶を忘却しているだけだ、とする潜在記憶仮説で説明することにきわめて無理があることは、すでに述べてきた生育歴の調査結果から明白です。

したがって、潜在記憶仮説も棄却できると判断しました。

こうして、私は、「ラタラジューの事例」を「真性異言」として認めることができると判断するに至りました。

つまり、里沙さんは、現世でネパール語を学んでいないにもかかわらず、異言であるネパール語を知っていたということを意味します。


このことは、ラタラジューという里沙さんの前世のネパール人が実在していたことを認めることであり、つまり、生まれ変わりの科学的証明が、セッションの証拠映像と、ポリグラフ鑑定に基づいて、ついにおこなわれたと結論づけてよいのではないか、ということです。

里沙さんの生まれ変わりは、現時点で考えられるかぎりの方法による諸検証によれば、科学的事実だと認めるほかない、ということなのです。

私は、少なくとも里沙さんにおいては、現時点において、生まれ変わりが科学的事実であると証明された、と宣言したいと思います。


応答型真性異言である証明ができれば、そうした会話技能は「超ESP仮説」によっても獲得不可能とされており、現代唯物論によっても、超ESP仮説によっても覆ることがない、生まれ変わりの最も強固な科学的証明である、と私は考えています。

それはなぜか。

「透視・テレパシーなどの万能の超能力(超ESP)仮説」は、生まれ変わり(死後存続)を否定するために十分な裏付けのないまま強引に作り上げられた空論だ、と私自身は考えています。

たとえば、「タエの事例」において徹底的な裏付け調査によって、私の心証として里沙さんの証言には嘘はあり得ないという確信があり、タエの実在証明ができなかったにせよ、生まれ変わりの真実性に迫り得たという強い思いがあったからです。

このことは、「タエの事例」に関するポリグラフ鑑定によっても裏付けができたと思っています。

しかし、ここに「超ESP仮説」を登場させると、生まれ変わりの証明はきわめて困難になってきます。

人間の透視能力が、かなり離れた場所や時間の事実を、認知できるということは、テレビの「超能力捜査官」などをご覧になって、ご存じの方も多いと思います。

この透視能力(ESP)の限界が現在も明らかではないので、万能の透視能力を持つ人間が存在する可能性があるはずだ、と主張する仮説が超ESP仮説と呼ばれているものです。

これを里沙さんに適用すれば、彼女は、普段は透視能力がないのに、突然無意識に、「万能の透視能力」を発揮し、しかるべきところにあるタエに関する「記録」や、人々の心の中にある「記憶」をことごとく読み取って、それらの情報を瞬時に組み合わせて物語にまとめ上げ、タエの「前世記憶」として語ったのだ、という途方もない仮説が、少なくとも論理的には可能になるのです。

そうなれば、前世記憶とはそれを装ったフィクションに過ぎず、したがって、生まれ変わりなどを考えることは不要であり、生きている人間の超能力によってすべてが説明可能だというわけです。
ただし、超ESPという能力を発揮した能力者は、これまで発見されてはいません。

ところで、この超ESP仮説自体を反証することは、現在のところESPの限界が分かっていない以上不可能なことなのです。

しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、生まれ変わりは完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。

一方、前述の「超能力捜査官」などの例でテレパシーや透視の存在は知られていますが、人間の死後存続の証拠は直接には知られていません。

したがって、生まれ変わり(死後存続)という考え方自体のほうが奇怪で空想的であるとして、これを認めるくらいなら他の仮説を認めるほうがまだましだ、とする立場を採る研究者たちによって超ESP仮説は支持されてきたという事情があるのです。

こうして、心霊研究と超心理学の百数十年に及ぶ「生まれ変わり(死後存続)」の証明努力の前に、最後に立ちはだかったのが、この超ESP仮説でした。

多くの心霊研究者や超心理学者は、超ESP仮説さえなければ、死後存続はとっくに証明されていたはずだと考えています。
それを何としても阻むがために、この「超ESP仮説」は、考え出され支持されてきた仮説だと言ってよいでしょう。

そして、超ESP仮説を持ち出せば、どのように裏付けが十分な前世記憶であろうと、すべて超能力で入手した情報によるフィクションだとしてなぎ倒すことが少なくとも論理的には成り立ち、生まれ変わり(死後存続)の完全な証明など永久にできるはずがないということになります。

それほどに、生まれ変わりの科学的事実を認めることが忌避される、ないし慎重さが求められるのは、それが認められることによって、唯物論者や一般的個人の世界観の変革はもちろんのこと、それは人間社会のあらゆる営みの変革に、広汎かつ深甚な影響を及ぼすことになるからでしょう。

この難題である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、現代における超心理学の泰斗、そして「生まれ変わり研究」の先駆者として知られる故イアン・スティーヴンソンです。
スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。
少し長くなりますが、彼の着目点を引用してみます。

 デュカス(注 カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。

デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。

以上のことからデュカスは次のように考える。
もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。
もしその技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。

技能は訓練を通じて初めて身につくものである。
たとえばダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。

ポランニー(注 マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば暗黙知の範疇(はんちゅう)に入るという。
もし技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。

(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP41ー43)

ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。

そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。
自転車の乗り方を、いくら本や映像で知っても自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報としての単語の取得ができても、それだけで応答的会話という「技能」の取得まではできないはずです。

つまり、「超ESP」によって、学んだはずのない外国語の個々の単語は獲得できても、外国語の応答的な会話「技能」までは獲得することができないわけです。


したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で応答的会話をおこない、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりが最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
こうして、彼は応答型真性異言の2つの事例を『前世の言葉を話す人々』 春秋社、1995、として出版しています。

そして、彼の超ESP仮説に対する見解に反論した研究者は、いまだいないのです。

ネパール人ラタラジューは、今も里沙さんの魂表層に死後存続しており、だからこそ、ラタラジュー人格が顕現化し、ネパール語で会話したのだ、というわけです。
しかも、現在も死後存続している証として、一部ですが、明らかに、現在進行形の会話を残しているのです。

こうして、ラタラジューは、里沙さんの魂表層を構成している前世の人格の1つとして、今も、肉体のない意識体として、死後存続して生きている、と考えるほかないだろうというわけです。

次は、ラタラジューのネパール語会話が「応答型」であることの分析について述べる予定です。


(その20につづく)