2023年1月20日金曜日

「超ESP仮説」と「応答型真性異言」

SAM催眠学序説 その158

 

生まれ変わりの科学的実証に当たって、避けて通れない仮説が立ちはだかっています。

それが 「超ESP仮説」と呼ばれている「生まれ変わり仮説」を否定する強力な仮説です。

「超ESP仮説」で「ラタラジューの事例」「タエの事例」が説明できるのかどうか、についてわたしの現時点の見解をまとめてみます。
 

「ESP」とは、超心理学において、透視やテレパシー、予知など超感覚知覚を指す略称です。                                       この用語に「超」がつくと、「万能の」、透視能力・テレパシー能力・予知能力という意味になります。                                    

「超ESP仮説」という用語を初めて用いたのはホーネル・ハートとされていますが、その主旨は、ESPの限界がわかっていないので、霊との交信や、生まれ変わりと思われるような超常的な現象は、生きている人間のESPで説明できると考えるべきではないか、という主張です。                                       したがって、たとえばわたしあて霊信現象や、里沙さんの語った「タエの事例」なども、霊魂や、生まれ変わりといった仮説を用いる必要はなく、里沙さんのESP、つまり、生きている人間の心の力で説明可能であるということになるわけです。

 実際に、きわめてすぐれた驚くべきESP能力を発揮した「レナード夫人の書籍実験」という事例ついて、厳密な分析をおこなったケンブリッジ大学教授であったE・Mシジウィックの注目すべき論文が発表されています。                       その概要は下記のようなものです。

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これまでに最高かつ最も信頼性の高い霊媒の一人であるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。

(スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』P.500)

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もし、超ESP仮説によって応答型真性異言を説明するとすれば、「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんが、どういうわけか、催眠中に限り(覚醒時に里沙さんがESPを発揮したことは皆無である)、無意識的に、万能の透視能力やテレパシー能力を、瞬時に発揮した結果、瞬時にネパール語会話技能を取得し、ラタラジューという一昔前に使用された名前をはじめ、カトマンズ市民ですら知る者のほとんどいないナル村の名前、コドなどナル村村民の独特な食べ物、棲息するヒル、ヒマラヤを望む山上での火葬などの諸情報を、瞬時に取得し、架空の前世人格ラタラジューを演じた(ふりをした)ものだ、ということになります。

つまり、里沙さんという生者の持っている「心の力(ESP)」で、すべて説明可能であり、ラタラジューという前世人格の顕現化現象や、生まれ変わりなどはフィクションであり、生まれ変わりのような説明などは必要ないということになります。
 

さて、このような生まれ変わりを否定する強力な壁である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、「生まれ変わり研究」の先駆者として知られるイアン・スティーヴンソンでした。
 スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。           少し長くなりますが、彼の着目点を下記に引用してみます。
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デュカス(注:カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。     

デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。                          

以上のことからデュカスは次のように考える。                    もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。                    

もし、その技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。(中略)                      技能は訓練を通じて初めて身につくものである。                   たとえば、ダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。                   

ポランニー(注:マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば「暗黙知」の範疇に入るという。                                 もし、技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。                    

(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP.41-43)
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ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。
そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。

自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報による伝達だけでは「応答的会話」まではできないはずです。       つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」までは獲得することができないわけです。

したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で応答的に会話し、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わり仮説が最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
 

そして、世界の生まれ変わり研究の中には、ESPによる「情報取得」では説明できない、学んだはずのない外国語での会話を実際に示す事例が、きわめてまれですがいくつか報告されています。これを「応答型真性異言」と呼びます。
 

「真性異言」(xenoglossy ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会(SPR)の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言います。

『新約聖書』などにも、いわゆる「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」とは、その言語が特定の正しい言語であることが確認されたものです。   

このうち、特定の文章や語句や単語を繰り返すだけのものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。
 

さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですからESPによって取得が可能と言えます。
しかし、意味の通った会話ができる「応答性真性異言」は、そうではありません。    

言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は実際に可能にはなりません。

自転車の乗り方を、「情報」として、本の説明や映像などで詳しく知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは「技能」である応答的会話ができることはありません。    

つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」は取得できないことが明白です。
また、超能力者が、学んだことのない外国語の「会話能力」を取得した事例は、これまでに世界中にないはずです。

こうして、ある人物が、その前世での外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりを最も有力な仮説として採用せざるをえないということになります。

生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年にわたって世界中から収集し精査した2000余りの生まれ変わり事例の中で、わずか3例にすぎません。

「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。
イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い会話によるやりとりが記録されています。
シャラーダの事例は、覚醒時に、きわめて長い会話で、学んだはずのないベンガル語で流暢に受け答えし、歌まで歌っています。(スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』春秋社)
 

スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、(心霊現象研究協会 :The Society for Psychical Research)の数名の科学者によって調査され、覚醒時に、スペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります。

つまり、世界中で信頼にあたいする応答型真性異言の事例は4例発見されており、そのうち2例が催眠下で起こった事例ということになります。
さて、こうしたスティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証的研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。

たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」と述べています。(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P.302)

また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」と述べています。(Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993)、『生まれ変わりの刻印』スティーヴンソン/笠原敏雄訳・訳者後記)と述べています。

そして、技能である応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。
このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。                             こうして、応答型真性異言こそ、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。
 超ESPという途方もない万能の超能力者が発見されておらず、超ESPの限界が分からない時点で、超ESP仮説によって会話技能である応答型真性異言という現象を説明できるなどの主張は、生まれ変わりの事実を絶対に認めたくないがためのこじつけだとわたしには思えます。

そして、「タエの事例」はさておくとしても、超ESP仮説によって、ラタラジューの応答型真性異言を説明できる、と主張することのほうが、生まれ変わり仮説を認めることより奇怪な主張だとわたしには思われます。

その「タエの事例」にしても、タエの語り口は10代後半の少女のものであり、当時47歳であった被験者里沙さんとは別人としか思えません。                                       さらに、SAM前世療法セッション中に、タエが吾妻川の濁流に呑まれて溺死する場面では、里沙さんの腹部が、泥水を呑んだために痙攣を起こしていることを確認しています。                     タエの語り口は演技できたとしても、腹部の痙攣現象は演技できません。        もちろん、超ESPをもってしても、反射的な生理現象である腹部の痙攣現象を起こすことが到底できるとは思われません。

こうした諸現象によって、里沙さんの前世人格であるタエそのものが、タエの生まれ変わりである里沙さんの肉体を用いて顕現化している、ととらえることが最も妥当な解釈だろうと考えざるをえないのです。

生まれ変わりの科学的証拠であるとわたしが主張する「タエの事例」と「ラタラジューの事例」両事例のセッションの実際は、you-tubeで公開しています。

とりわけ「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の撮影に成功した世界初の希有な事例です。                             

これを視聴されてなお、生まれ変わり仮説を認められない読者の方は、忌憚のないご意見をお寄せください。

 ここに述べてきたように、生まれ変わりの科学的検証はきわめて厳密で、軽々に「生まれ変わりがある」と判断することは軽信のそしりを免れません。

そのうえでなお、わたしは「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、現時点において生まれ変わりの科学的証拠として認められてよい、と主張したいと思います。       

被験者里沙さんは、確かに生まれ変わりをしているのです。