2014年9月27日土曜日

ラタラジューのネパール語会話の分析

   SAM催眠学序説 その20

ラタラジューの会話分析に当たって、その前提となるいくつかの考慮すべき条件があります。

ネパール語を母語とし対話相手をしていただいたネパール人女性パウエル・カルパナさん(朝日大学法学部博士課程学生)と、被験者里沙さんとは一切の面識はなく、実験セッション当日が初顔合わせでした。
カルパナさんを対話相手として探し出したのは中部大学の大門教授であり、私も里沙さんも、直前までカルパナさんの名前すら知らされていない、という条件のもとでおこなった実験セッションでした。
当然のことですが、被験者里沙さんとカルパナさんとの打ち合わせや、里沙さんにカルパナさんがどんな質問をするかなどの情報も事前に一切知らされてはいません。

この実験セッションは、2009年5月におこなっており、その記録映像をもとに「奇跡体験アンビリバボー」で「ラタラジューの事例」が放映されたのは2010年8月でした。
したがって、実験セッションとアンビリとの事前のつながりは一切なく、アンビリが事前に仕組んだヤラセではないかなどの疑惑は完全に排除できます。


また、前世人格ラタラジューの母語はタマン語であると推測され、ネパール語の理解力が十分身についていないと考えられます。

ちなみに、ラタラジューが村長を務めたナル村の2010年現在の人口は2,277人であり、その97%がタマン族が占めています。
また、ラタラジューは、父親はタマン族でありグルカ兵であったと語っています。
こうしたことから、ラタラジューの母語はタマン語であったと推測することは妥当であろうと思われます。

したがって、ラタラジューが、会話中にカルパナさんの発音を聞き間違えたり、意味を取り違えたり、意味が理解できなかったりしていることがあることを考慮しなければなりません。

たとえば、意味の取り違えとして、Gorkhama busnu huncha? (ゴルカ地方に住んでいるんですか?)と尋ねられて、ラタラジューは Mero buwa Go ... Gorkha ...mero buwa Tamang hunnuhuncha.
(私の父、ゴ、ゴルカ。私の父はタマン族です)と答えていますが、Gorkhaは同じ発音でゴルカ地方とグルカ兵の意味があり、ラタラジューは後者の意味に取り違えていると思われます。
なお、ラタラジューの住んだナル村はゴルカ地方ではなく、隣接するラリトプール地方です。
また、ラタラジューは、文盲だと語っていますから、Gorkhaがゴルカ地方を意味することをしらなかった、あるいは地理上のゴルカ地方そのものの存在を知らなかった可能性があります。


発音の聞き間違えと思われる例としては、Tapai, bihana beluka ke khanu huncha tapaile gharma?
(家では何を食べていますか?)と尋ねられて、ラタラジューは Ah .. ah... Shiba ... e ... e ... dharma.
(シバ神、宗教)と答えています。
一見ちぐはぐなやりとりで、ラタラジューは意味が全く理解できないのではないかと思いがちですが、gharma(グァーマ)の発音は dharma(ドゥワーマ)の発音とよく似ており、ラタラジューはgharma(グァーマ)の発音を dharma(ドゥワーマ)の発音だと聞き違えたと推測できます。

意味が理解できていないのではないかという例としては、あなたの息子は何歳ですか、と尋ねられて、ラタラジューが「分かりません」と答えているようなやりとりです。
しかしこれは、カルパナさんの発問が不適切であって、ラタラジューは「分からない」というほかないのです。
なぜなら、78年間生きたラタラジューは、その78年間のどの時点であるかを特定されないと息子の年齢は答えられないからです。「あなたが30歳のとき息子は何歳でしたか」というように。
そして、78年間生きたラタラジューには答えようのない、どの時点かを特定しない、同様の不適切な発問がいくつか散見されます。


さて、ラタラジューが、ネパール語を用い、ネパール語を母語とするカルパナさんと会話ができたことは、彼女の証言で確認されており、応答型異言であることはすでに明らかであると判断できます。

特筆すべきは、この実験セッションはSAM前世療法によっておこなわれたものであり、したがって前世を生きたラタラジュー人格は、魂表層に存在する意識体として、今、ここに存在し、里沙さんの肉体を借りて顕現化した、と考えるSAM前世療法の作業仮説を立証していることです。

次に、ネパール語会話内容を分析・検討した結果、浮き彫りになってきたいくつかの点について述べてみます。                

1 ネパール語会話の成立度


会話の成立度の分析に当たっては、同じ話題のひとまとまりの対話ごとに58の部分に分けてみました。
そして、それぞれの対話部分について、ラタラジューの受け答えの整合性の有無を検討し、推測を交えて判断した結果は次のようなものになりました。

ア 応答に一応整合性があり会話が成立している・・・・26部分(45%)
イ  応答に全く整合性がなく会話が成立していない・・・・8部分(14%)
ウ 応答が短く曖昧で会話成立の判断が難しい・・・・24部分(41%)

「対話が成立していない部分」とは、家に妻がいますかと尋ねられ、分かりませんとか、何を食べていますか尋ねられ、シバ、宗教などと応答した場合です。
明らかに質問の回答になっていない対話部分です。

「会話成立の判断が難しい部分」とは、「わかりません」「はい」など短い回答で、質問の意味が理解できているのかどうか判然としない対話部分です。 
以上のおおよその分析・検討から、ネパール語での応答的会話は、完全とは言えないものの、8割程度は成立していると判断できると思われます。

ただし、応答的会話といっても、ラタラジューの応答は、「はい」とか「わかりませんなど短い単語の単純なものが多いではないか、という問題が指摘できるでしょう。
また、話したと言っても、たどたどしいものでネパール語のきちんとした会話とは認められないではないか、という疑問も出ることでしょう。 

しかし、この点については、スティーヴンソンの『前世の言葉を話す人々』の「グレートヒェンの事例」のドイツ語会話の記録(同書PP226ー310)と比較しても、けっして見劣りするものではありません。
前世人格グレートヒェンの応答も、「いいえ」「知りません」「町です」など短い応答がほとんどです。そもそも、催眠中のクライアントの発話は総じて緩慢であり、質問に対して即座に長い文脈で回答することはほとんどない、と言えます。また、自分から話すということも、ほとんどありません。 

スティーヴンソンも、「グレートヒェンは、自分から話すことは稀であり、通常は、質問を受けるまで黙っていた。質問があると、それについて手短に答え、また口を噤(つぐ)んでしまうのが通例だったのである」(前掲書P22)と述べています。
ラタラジューも質問の回答ではなく、自ら発話したことは、「あなたはネパール人ですか?」とカルパナさんに逆に質問したことと、腹痛を訴えたことの二度だけです。

なお、グレートヒェンのセッションは19回に及んだそうですが、録音記録を見ると後のセッションになっても、流暢さを欠いた短い応答しかしていないという傾向はほとん変わっていないようです。
このことについて、グレートヒェンは、「応答することができたが、たどたどしいものであったし、文法も語彙も不完全であった」(前掲書P4)、「後のセッションまでの間に、はっきりした向上も低下も見られなかった」(前掲書P46)とスティーヴンソンは述べています。

ラタラジューの会話もこれとほぼ同様であり、だからこそ、応答型真性異言としての信憑性は高いと判断できると思われます。
こうしたことを考えれば、ラタラジューが初めてのネパール語会話セッションでこれだけのネパール語会話をおこなったことは、むしろ評価されるべきだと思います。


2 対話相手の用いていないネパール語


ラタラジューの発話において重要なことは、ラタラジューがカルパナさんの発話の中で用いられていないネパール語を用いているかどうかの点です。
カルパナさんが質問で用いた単語をオウム返しで繰り返しているだけならば、質問内容が理解できていなくても対話が成立しているように錯誤されてしまうからです。
ラタラジューが本当にネパール人の前世人格なら、カルパナさんが用いていない単語で、ラタラジューが自ら発語しているものがなければ、彼がネパール語を運用した信憑性は低いものとなるでしょう。
正確な意味で、会話技能を用いている応答型異言とは言えないということになります。

そこで、名前を除き、ラタラジューが初めて発語している単語を全セッションから拾ってみると、次の29の単語があることが分かりました。

mero(わたしの)・ ke(何)・tis(30)・bujina(分かりません)・ ho(はい)・ma(私) ・Shiba(シバ神)・dhama(宗教)・Nepali(ネパール人)・Gorkha(グルカ兵)・pachis(25)・hoina(いいえ)・pet(お腹)・dukahuncha(痛い)・rog (病気)・guhar(助けて)・ath(8)・satori(70)・Tamang(タマン族)・kana(食べ物)・dal(豆のスープ)・ bha(ご飯)・ kodo(キビ・アワなど雑穀)・sathi(友)・cha (ある、いる)・Nallu gaun(ナル村)・kancha(息子)・Shah(シャハ王朝)・ Himal(山、ヒマラヤ)


この事実は、ラタラジューが、ネパール語を知っており、その会話技能をある程度身に付けていることの証拠であると思われます。
また、彼の父がタマン族らしいことを考えると、彼の母語はタマン語であって、ネパール語ではない可能性があり、そうしたことを重ねて考えますと、ネパール語の少なからぬ単語を用いて応答的に発話できた事実は、ますます大きな意味を持つものと思われます。
ちなみに、ラタラジューの発音は、明らかに日本語を母語とする里沙さんの舌の用い方ではないように聴き取れます。

会話分析に当たったカナル・キソル・チャンドラ博士によれば、数字の発音などにタマン語の訛りが混入しているネイティブなネパール語であるという鑑定でした。
また、ラタラジュー程度にネパール語会話ができるようになるためには、ネパールに2年から3年程度の滞在が必要であろうとの判断でした。

文字表現では不可能な、ラタラジューのネパール語の語調、発話中の表情・動作などが分かるアンビリバボー放映の証拠映像をご覧になった読者であれば、ネパール人どうしの違和感のない会話のやりとりを実感できたと思います。

3 ネパール語の文法に忠実な助動詞の使用


ネパール語の文法は主語の人称と尊敬語に対応して、動詞・助動詞が複雑に変化する特徴があります。たとえば、日本語の「です」に当たるネパール語の助動詞は、一人称の場合では「hu」であり、二人称と尊敬語では「hunuhuncha」に変化します。
さらに三人称になると「ho」と変化します。

ラタラジューは、「私のお父さんはタマン族です」というネパール語を、「お父さん」という尊称に対応した助動詞の「です」のhunnuhunchaを忠実に用いて、mero buwa Tamang hunnuhuncha と発話していることが、アンビリバボー番組制作スタッフの検証によって明らかにされました。
こうした文法の助動詞変化に忠実な発話ができることは、ラタラジューが実在した有力な傍証の一つとして採用できると思われます。

4 ネパール語の不規則な数詞の使用


ネパール語の数の数え方には規則性がないので、記憶するには数詞ごとに一つ一つ覚えなければならないので大変やっかいです。
たとえば、日本語の場合には一の位の「いち・に・さん」が十の位でも「じゅう・いち」「じゅう・に」「じゅう・さん」と十の位の後に連結して用いられるので覚えやすいと言えます。
ところが、ネパール語の一・二・三は「ek」「dui」「tin」ですが、一一・一二・一三はそれぞれ「egara」「bara」「tera」 であり、まるで規則性がなく非常に覚えづらいのです。

ラタラジューは、このネパール語の数詞の「tis(30)」 「patis(25)」   「Ath satori (8と70)」の3語を自ら発語しています。
この複雑な数詞をよどみなく発話した事実は、ネパール人ラタラジュー人格が現れて会話したとする一つの有力な傍証として採用できると思います。

5 ネパール語と日本語の言語学的距離


日本語とネパール語の間には言語的系統性が見られず、言語学的に大変距離の遠いものと言えます。
例えば、スティーヴンソンの発表している催眠中の応答型真性異言事例は、英語を母語とする被験者がスェーデン語で会話した「イェンセンの事例」、同じく英語を母語とする被験者がドイツ語で会話した「グレートヒェンの事例」という二つですが、これら言語は先祖を同じくするゲルマン語派です。
言語学的に近いわけで、語彙も文法も似通った体系であると言えます。

また、マラーティー語を母語とする女性が、催眠を用いないでベンガル語で会話した「シャラーダの事例」は、同じインド語派に属する言語です。
したがって、スティーヴンソンの発見しているこれら3つの事例は、比較的近縁関係のある言語間において起こった応答型真性異言事例だと言えます。

ネパール語は、日本人にとって非常に馴染みの薄いマイナーな外国語です。
日本人でネパール語の単語を知る人も極めて少ないでしょうし、会話能力ともなると外交官・商社マン・ネパール研究関係者などごく限られた人間以外は学ぶ機会がない言語です。

こうしたことを考え合わせると、スティーヴンソンの発見している事例の被験者と比べて「ラタラジューの事例」は、言語学的距離の離れた、つまり、日本人の里沙さんが獲得するには非常に困難なネパール語で会話できたという点で、他の応答型真性異言事例に比較して、「きわめて学び難い異言」で会話したという事実の重みが大きいと評価できるのではないでしょうか。

6 ラタラジューが一昔前のネパール人であった2つの証拠会話


ラタラジューの語ったところによれば、彼の生きた期間は、計算上、1816年-1894年の78年間であろうと推定できます。
2014年現在からさかのぼって、120年前に死亡していることになります。
つまり、一昔前のネパール人であったということになります。
そうした推定の裏付けとなる会話を2つ残しています。

①死亡年齢78歳であることの表現を Ath satori、つまり「8と70」と表現しています。
「8と70」という表現法は、教育の進んだ現代ネパール語にはなく、したがって、カルパナさんは意味が理解できないので、 Sattari?(70ですか?)と再度聞き直しています。
しかし、現地調査をお願いしたソバナ博士によれば、昔のネパール人はこのような表現法を用いていたということでした。

下記がその会話部分です。
kAはカルパナさん、CLはクライアント、里沙さん(ラタラジュー)の略号。

KA: Kati barsama bitnu bhako?(死んだ時は何歳でしたか?)
CL: Ah ... ah ...(あー、あー)
KA: Kati barsama ...(何歳でしたか?)
CL: Umer ... Mero ... umer ...(歳は、私の歳は)
KA: Hajur. Bite ko umer.(はい。死んだ歳は?)
CL: Ath satori ... ah ...(8と70、あー)
KA: Hajur?(はい?)
CL: Ath satori. (8と70)
KA: Sattari?(70ですか?)
CL: Ath satori.(8と70) 

②現代ネパール語で妻はsrimati(シリマティ)と言いますが、古いネパール語ではswasni(スワシニ)と言っていました。
古語スワシニのほうは現代でも地方では使用している所があるようです。
ラタラジューは、カルパナさんの一度目の質問srimati(シリマティ)の意味が理解できず、 Oh jirali と意味不明なことを言っています。
そこでカルパナさんが再度、現代ネパール語のシリマティと古語のスワシニを並べて
Srimati, swasniko nam? と尋ねると、古いネパール語のswasni(スワシニ)に反応して 
mero swasni Rameli (私の妻、名前、ラメリ)と答えています。
ラタラジューは現代ネパール語の妻srimatiが理解できず、古いネパール語の妻swasniなら理解できたということです。

下記がその会話部分です。

KA: Tapaiko srimatiko nam ke re? (奥さんの名前は何ですか?)
CL: Oh jirali  (おー、ジラリ)※意味不明
KA: Srimati, swasniko nam? (奥さん、奥さんの名前?)
CL: Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli. (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)


以上①②のラタラジューの会話部分は、ラタラジューが120年以前の古いネパール人であった傍証であると判断できると思います。
また、ラタラジューという名前も一昔前には使われたそうですが、現代ネパールではほとんど使われなくなっている名前であるということです。
この現代ネパールではほとんど使われていない「ラタラジュー」という名前を、被験者里沙さんが知りえる機会は限りなくゼロに近いと思われます。


以上の2点(名前を含めれば3点)の古いネパール語は、里沙さんが学ぼうとしても学びようがないネパール語であると断定してよく、里沙さんがネパール語を学んでいないという強力な証拠だと思われます。

7 現在進行形の会話の意味


前世人格ラタラジューは次のような、現在進行形でのやりとりをしています。


CL: Tapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)
KA: ho, ma Nepali.(はい、私はネパール人です)
CL: O. ma Nepali.(ああ、私もネパール人です)


このやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについてきわめて興味深い示唆に富むものだと言えそうです。

つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
つまり、ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として現れている、としか思えない存在です。
その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯)を用いて自己表現している」と解釈することが自然ではないでしょうか。
スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、応答型真性異言を話したグレートヒェンをドイツ人少女の「トランス人格」と呼び、被験者アメリカ人女性「の記憶想起ではなく、催眠中のトランス状態で呼び出された「前世人格」の会話だと判断しています。

ちなみに、グレートヒェンの会話には、トランス人格グレートヒェンが、対話相手に、「あなたはドイツ人ですか?」と問いかけるといった、明らかに現在進行形の会話だと判断できる個所はなく、ここで取り上げたラタラジューの現在進行形の会話の発見は、きわめて重要な意味を持つと思われます。


この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、生きて、存在している、というSAM前世療法の独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

次回は、ラタラジューの語り内容の事実と、ナル村現地調査での事実照合について述べたいと思います。


(その21につづく)

2014年9月20日土曜日

里沙さんのポリグラフ鑑定

   SAM催眠学序説 その19


里沙さんのネパール語を一切学んでいないという証言についての裏付け検証結果で、ラタラジューのネパール語が真性異言である可能性はきわめて高い、というのが私の判断でした。

そして、詰めの検証として、ポリラフ検査をおこなうことにしました。

ポリグラフ検査は、一般に「嘘発見機」と呼ばれているものです。
人は記憶にあることを聞かれたとき、無意識に身体が反応してしまう、その微妙な生理反応の変化を身体各部にセットした精密な測定機器によって記録し、その記録を分析・解読することによって嘘を見抜くという原理です。

具体的には、検査者の質問に回答するときの血圧・脈拍・発汗などの微妙な変化を精密計器で測定・記録します。

ポリグラフ検査による鑑定で、里沙さんが意図的にネパール語を学んでいた記憶はないという鑑定結果が出れば、鑑定結果が絶対的真実を示すものとは言えないまでも、科学機器を用いた検証結果として、客観的な証拠の1つとして有効性を持つだろうと考えたのです。 

この提案を里沙さんに伝えたのは私でしたが、彼女とご主人への説得には難航しました。
証言書まで書かせておきながら、その上に嘘発見機にまでかけるとは、いかにも疑り深過ぎ、やり過ぎだと受け取られるのは至極当然の心情です。

結局、生まれ変わりの科学的研究への貢献のために、という粘り強い説得によって了解を取り付けることができました。

ポリグラフ検査で決定的に重要なことは、測定記録データを精査・解析でき、信頼できる鑑定眼を持つ有能な検査技師に依頼することです。
そうした権威ある鑑定者が、事情をすべて知ったうえで快く引き受けていただけるかが気がかりでした。
この検査技師の人選と鑑定依頼は、研究チームの中部大学岡本聡准教授が当たりました。
その結果、日本法医学鑑定センター所長の荒砂正名氏に依頼することができました。

荒砂氏は、前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8,000人を超える鑑定経験を持つ日本有数のポリグラフ検査の専門家です。
鑑定依頼の事情を知った上で快諾していただけました。 

そして、「ラタラジューの事例」のセッションから二か月後、2009年8月6日に里沙さんの自宅において、2時間40分に及ぶポリグラフ検査が実施されました。

①ポリグラフ検査の内容

ポリグラフ検査の対象は5件の鑑定事項でした。

そのうち2件は「タエの事例」についての情報入手経緯・時期の記憶に関すること、2件はネパール語の知識に関するもの、残り1件はネパールの通貨単位ルピーに関するものです。 

その検査内容の概要を手元にある鑑定書から拾い出して紹介します。 


鑑定事項1 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯は下のどれか?

ラジオ・テレビ等の番組を通じて。  インターネットなどで。  新聞記事・パンフレット類で。             本・雑誌類で。  人から聞いたり教わることで。


鑑定事項2  「タエの事例」に関する事前の情報入手時期は下のいずれか?

保育園・小学校の頃。中学生の頃。 高校生の頃。 女子大生のころ。 独身で働いていた頃。 結婚して以降。


鑑定事項3 「隣人」を意味するネパール語は下のいずれか?(該当はchimeki)

tetangga(テタンガ) chimeki(チメキ) vecino(ヴェシーノ) jirani(ジラニ)  najbaro(ナイバロ)


鑑定事項4  息子を意味するネパール語は下のいずれか?(該当はchora)

chora(チョラ)   filo(フィロー)    hijo(イーホ)   nmana(ムワナ)  anak lelaki(アナク レラキ)


鑑定事項5  ネパールの通貨単位は下のいずれか?(該当はルピー)

 レク    ルピー     クワンザ     ダラシ      プント


上記のからの鑑定事項の質問に対して示された一つ一つについて、被鑑定者は記憶があっても、「いいえ」「分かりません」とすべてについてノーの回答をすることがルールです。

このルールに従って一つの回答につき十数秒間隔で質問し、このときの生理的諸反応を記録します。
一系列の質問が終わると2分休憩し、その間に内観報告(内省報告)をします。

同じ質問をランダムに3回程度繰り返します。

被鑑定者は肯定に該当する回答に対して毎回否定の回答しなければならず、つまり、毎回嘘をつくわけで、この嘘をついたときの微妙な生理的諸反応が計器に記録されるという仕組みになっています。 

ネパール語の鑑定事項3・4に関しては、次のような慎重な配慮のもとに単語が選ばれています。

本検査前に、セッション中に顕現化したラタラジューとして使用したネパール語12単語を抽出し、その記憶の有無を事前検査し、覚えていた単語は本検査の回答から外すという慎重な手続きをとってあります。

里沙さんが、セッション中のラタラジューとして使用したネパール単語で検査前にも記憶していた単語は、9つありました。
これらの単語を除き、セッション中に使用されたにもかかわらず、彼女が覚えていないと答えているネパール単語3語のうち2語、chimekiと choraが鑑定用単語に選ばれています。
なお、鑑定事項「ルピー」という単語は、セッション中には使われていない単語です。


②ポリグラフ検査の鑑定結果と考察

次は鑑定結果の原文です。

鑑定事項1について

 「タエの事例」に関する事前の情報入手経緯については「本・雑誌類で」で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。

考慮すべき妥当性ある内観とは、「セッション後、稲垣からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。

また、稲垣の『前世療法の探究』を読んだ。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、1回目の質問の時から情報入手経緯の本・雑誌について、いいえ、と回答することには引っかかりを感じた」という内観報告である。

したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである。


鑑定事項2について

「タエの事例」に関する情報入手時期については何れにも特異反応を認めず特記すべき内観なし。
これらに対する認識(記憶)は全くないものと考えられる。


鑑定事項3について

「隣人」を意味するネパール語について、chimeki(チメキ)には特異反応を認めず。
特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。


鑑定事項4について

「息子」を意味するネパール語について、 chora(チョラ)には特異反応を認めず。特記すべき内観なし。これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。



鑑定事項5について

「ルピー」には注目すべき特異反応を認めず。これが該当事実である認識(記憶)は全くないものと考えられる。


さて上右記の鑑定内容にさらに説明を加えると、次のようなことになります。

、「タエの事例」に関して事前の情報入手をしていたかどうかについては、その情報を入手した時期の認識(記憶)はない。
つまり、情報を事前に調べた認識(記憶)はない。
しかし、本・雑誌から事前入手した認識(記憶)はあるという一見矛盾した鑑定結果が出たということです。
ただし、本・雑誌を読んだのは、「タエの事例」セッション以後の認識(記憶)であることの妥当性を持つ根拠があるので、セッション以前に本・雑誌から情報を入手していたという判断はできないということです。

そして、セッション以後であっても、本・雑誌という情報入手経緯について、明確な特異反応(嘘をついている反応)が認められたことは、里沙さんの嘘を隠せない誠実な人柄の現れと見ることができ、鑑定結果全般の信頼度が保証されるという鑑定者の見解でした。

もし、鑑定事項2の回答の中に「セッション以後」という回答が設定してあれば、おそらく里沙さんはこれに特異反応を示したはずで、そうなれば、セッション以前にタエに関する情報を入手した認識(記憶)はない、との鑑定結果が出たに違いないと思われます。


、3語のネパール語に関する認識(記憶)は全くないものと考えられる、という鑑定結果から、少なくとも里沙さんが、意図的にネパール語を学んでいた可能性はないと判断できます。

特に、ネパール語を学んでいて通貨単位のルピーを知らないはずはないでしょう。
したがって、意図的作話仮説が成り立つ余地はありません。

しかしながら、検査に使われた単語のchora(チョラ・息子)も chimeki(チメキ・隣人)も、セッション中に対話相手カルパナさんが用いた単語で、記憶していた9つの単語同様、里沙さんがこれら2語も記憶していてもいいはずの単語です。にもかかわらず、里沙さんは全く特異反応を示さなかった、つまり、知っているという反応が全く出なかったという結果は何を意味しているのでしょうか。 

考えられる可能性は3つあります。

1つ目は、chora もchimekも、顕在意識・潜在意識の両方ともに、初めから完全に記憶に留めていないと解釈することです。

2つ目は、催眠中の潜在意識の下で里沙さんが知った単語なので12のうち2つの単語は潜在記憶となって抑制されており、顕在意識としては知らないものとして処理され、そのため反応しなかった、と解することです。

3つ目の解釈は、ラタラジューは里沙さん自身ではない前世の人格であるので、対話相手のカルパナさんの用いた単語の記憶すべてがそのまま現世の里沙さんの記憶とはならず、そのため里沙さんは知っているという反応を示すことがなかった、と考えることです。 


いずれにせよ、以上のポリグラフ検査鑑定結果によって明らかになったことは、ポリグラフ検査で判断できるのは、あくまで顕在意識としての記憶の有無であり、潜在記憶の有無は判断できないという事実です。

このことは、意図的作話仮説の検証にポリグラフ検査の有効性を認めることはできても、潜在記憶仮説の検証には有効性がないだろうというこです。  

しかしながら、里沙さんがネパール語を現世の人生のどこかで無意識的に学んでいるにもかかわらず、その記憶を忘却しているだけだ、とする潜在記憶仮説で説明することにきわめて無理があることは、すでに述べてきた生育歴の調査結果から明白です。

したがって、潜在記憶仮説も棄却できると判断しました。

こうして、私は、「ラタラジューの事例」を「真性異言」として認めることができると判断するに至りました。

つまり、里沙さんは、現世でネパール語を学んでいないにもかかわらず、異言であるネパール語を知っていたということを意味します。


このことは、ラタラジューという里沙さんの前世のネパール人が実在していたことを認めることであり、つまり、生まれ変わりの科学的証明が、セッションの証拠映像と、ポリグラフ鑑定に基づいて、ついにおこなわれたと結論づけてよいのではないか、ということです。

里沙さんの生まれ変わりは、現時点で考えられるかぎりの方法による諸検証によれば、科学的事実だと認めるほかない、ということなのです。

私は、少なくとも里沙さんにおいては、現時点において、生まれ変わりが科学的事実であると証明された、と宣言したいと思います。


応答型真性異言である証明ができれば、そうした会話技能は「超ESP仮説」によっても獲得不可能とされており、現代唯物論によっても、超ESP仮説によっても覆ることがない、生まれ変わりの最も強固な科学的証明である、と私は考えています。

それはなぜか。

「透視・テレパシーなどの万能の超能力(超ESP)仮説」は、生まれ変わり(死後存続)を否定するために十分な裏付けのないまま強引に作り上げられた空論だ、と私自身は考えています。

たとえば、「タエの事例」において徹底的な裏付け調査によって、私の心証として里沙さんの証言には嘘はあり得ないという確信があり、タエの実在証明ができなかったにせよ、生まれ変わりの真実性に迫り得たという強い思いがあったからです。

このことは、「タエの事例」に関するポリグラフ鑑定によっても裏付けができたと思っています。

しかし、ここに「超ESP仮説」を登場させると、生まれ変わりの証明はきわめて困難になってきます。

人間の透視能力が、かなり離れた場所や時間の事実を、認知できるということは、テレビの「超能力捜査官」などをご覧になって、ご存じの方も多いと思います。

この透視能力(ESP)の限界が現在も明らかではないので、万能の透視能力を持つ人間が存在する可能性があるはずだ、と主張する仮説が超ESP仮説と呼ばれているものです。

これを里沙さんに適用すれば、彼女は、普段は透視能力がないのに、突然無意識に、「万能の透視能力」を発揮し、しかるべきところにあるタエに関する「記録」や、人々の心の中にある「記憶」をことごとく読み取って、それらの情報を瞬時に組み合わせて物語にまとめ上げ、タエの「前世記憶」として語ったのだ、という途方もない仮説が、少なくとも論理的には可能になるのです。

そうなれば、前世記憶とはそれを装ったフィクションに過ぎず、したがって、生まれ変わりなどを考えることは不要であり、生きている人間の超能力によってすべてが説明可能だというわけです。
ただし、超ESPという能力を発揮した能力者は、これまで発見されてはいません。

ところで、この超ESP仮説自体を反証することは、現在のところESPの限界が分かっていない以上不可能なことなのです。

しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、生まれ変わりは完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。

一方、前述の「超能力捜査官」などの例でテレパシーや透視の存在は知られていますが、人間の死後存続の証拠は直接には知られていません。

したがって、生まれ変わり(死後存続)という考え方自体のほうが奇怪で空想的であるとして、これを認めるくらいなら他の仮説を認めるほうがまだましだ、とする立場を採る研究者たちによって超ESP仮説は支持されてきたという事情があるのです。

こうして、心霊研究と超心理学の百数十年に及ぶ「生まれ変わり(死後存続)」の証明努力の前に、最後に立ちはだかったのが、この超ESP仮説でした。

多くの心霊研究者や超心理学者は、超ESP仮説さえなければ、死後存続はとっくに証明されていたはずだと考えています。
それを何としても阻むがために、この「超ESP仮説」は、考え出され支持されてきた仮説だと言ってよいでしょう。

そして、超ESP仮説を持ち出せば、どのように裏付けが十分な前世記憶であろうと、すべて超能力で入手した情報によるフィクションだとしてなぎ倒すことが少なくとも論理的には成り立ち、生まれ変わり(死後存続)の完全な証明など永久にできるはずがないということになります。

それほどに、生まれ変わりの科学的事実を認めることが忌避される、ないし慎重さが求められるのは、それが認められることによって、唯物論者や一般的個人の世界観の変革はもちろんのこと、それは人間社会のあらゆる営みの変革に、広汎かつ深甚な影響を及ぼすことになるからでしょう。

この難題である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、現代における超心理学の泰斗、そして「生まれ変わり研究」の先駆者として知られる故イアン・スティーヴンソンです。
スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。
少し長くなりますが、彼の着目点を引用してみます。

 デュカス(注 カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。

デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。

以上のことからデュカスは次のように考える。
もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。
もしその技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。

技能は訓練を通じて初めて身につくものである。
たとえばダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。

ポランニー(注 マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば暗黙知の範疇(はんちゅう)に入るという。
もし技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。

(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP41ー43)

ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。

そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。
自転車の乗り方を、いくら本や映像で知っても自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報としての単語の取得ができても、それだけで応答的会話という「技能」の取得まではできないはずです。

つまり、「超ESP」によって、学んだはずのない外国語の個々の単語は獲得できても、外国語の応答的な会話「技能」までは獲得することができないわけです。


したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で応答的会話をおこない、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりが最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
こうして、彼は応答型真性異言の2つの事例を『前世の言葉を話す人々』 春秋社、1995、として出版しています。

そして、彼の超ESP仮説に対する見解に反論した研究者は、いまだいないのです。

ネパール人ラタラジューは、今も里沙さんの魂表層に死後存続しており、だからこそ、ラタラジュー人格が顕現化し、ネパール語で会話したのだ、というわけです。
しかも、現在も死後存続している証として、一部ですが、明らかに、現在進行形の会話を残しているのです。

こうして、ラタラジューは、里沙さんの魂表層を構成している前世の人格の1つとして、今も、肉体のない意識体として、死後存続して生きている、と考えるほかないだろうというわけです。

次は、ラタラジューのネパール語会話が「応答型」であることの分析について述べる予定です。


(その20につづく)

2014年9月16日火曜日

「ラタラジューの事例」再考 


   SAM催眠学序説 その18


SAM催眠学では、私あて霊信にもとづいて、「心・脳二元論仮説」、「魂の二層構造仮説」、「霊体仮説」、「憑依仮説」などを打ち立て、生まれ変わりの科学的事実に肉薄することを探究してきました。

そして、少なくとも里沙さんという被験者については、「生まれ変わりは科学的事実である」と公言してきました。

その根拠が、これまで世界で4例(催眠下では2例)発見されている応答型真性異言(responsive xenoglossy) が、被験者里沙さんのネパール語によって起きたという科学的事実です。

 ネパール語の真性異言であると言いうるためには、被験者里沙さんが現世でネパール語を一切学んでいないという実証が徹底されなくてはなりません。

「ラタラジューの事例」は、2010年8月フジTV「奇跡体験アンビリバボー」で60分間にわたって放映されましたが、被験者里沙さんが現世でネパール語を一切学んでいないという具体的検証については、ほとんど触れられていません。
そのことが、TV放映しか見ていない唯物論者からは、意識的にせよ、無意識的にせよ里沙さんはどこかでネパール語を学んでいたのではないか(虚偽記憶ではないか)、という疑惑が持たれているようです。

そこで、「ラタラジューの事例」再考の最初に、真性異言である証明の根幹である具体的検証をどのように遂行したかを述べようと思います。 (この件については拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』で詳述しています)

これは、里沙さんの名誉を守るためであり、私の名誉を守るための作業です。


里沙さんがネパール語を学んでいないことの裏付け調査


この裏付け調査は、2009年6月から2010年8月にかけて実施したものです。

まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。

そこで、まず里沙さんに綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を可能な限りおこないました。
最初に、家族・親戚でネパール人、およびネパール語の話せる人間はいないことを確認しました。

それ以外の聞き取り調査とその裏付け調査の結果は次のようでした。


①結婚するまでの生育歴

里沙さんは、昭和33年(1958年)、岐阜県A市近郊の田園の広がる田舎町B町の自営業両親の二人姉弟の長女として生まれました。
幼稚園・小中学校・高校ともに地元の学校へ通学しています。

幼稚園は1学級30名、小学校は1学年2学級約60名、全校360名程度の小規模校でした。
中学校も、1学年2学級60名の小学校時代の卒業生がそのままスライドして、もう一つの小学校卒業生と一緒になり1学年2学級80名弱、全校240名程の小規模校でした。

高校は地元の普通科高校に通い、1学年400名、全校1200名ほどの規模でした。

幼・小・中・高時代の各友人の中で、里沙さんとネパール人、あるいはネパール語との接触を知っているという人物は皆無でした。

昭和40年代当時の在日ネパール人状況からしても、地方都市近郊の田舎町B町に在住していた形跡はないと推測でき、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付くほどに親しく長く交際していれば、その事実を友人たちに隠し通すことは不可能だと思われます。

ちなみに、ラタラジューのネパール語会話を解析したネパール人で、中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、ラタラジュー程度にネパール語を理解し話すためには、ネパールに2~3年滞在する必要があるのではないか、ということでした。

大学はA市の全学400名程度の四年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得しました。
彼女の大学時代に、ネパール人、あるいはネパール語との接触を知る友人は皆無でした。

大学卒業後、初めて実家を離れ、全校150名ほどの僻地中学校の学校給食栄養士として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を経験します。
この就職中にも、ネパール人、ネパール語との接触を知る同僚職員はいませんでした。
就職二年後、24歳で結婚のため退職、A市内商店街の食品小売り業の長男(地方公務員)の家に嫁ぎ、舅・姑と同居生活を送りました。

ここまでの生育歴で、里沙さんは、ネパール人との接触の事実は一切ないと証言してますし、ネパール語を学ぶ機会のもっともありそうな高校・大学時代においても、里沙さん在学中にネパール国籍の生徒・学生の在籍した事実はありませんでした。

前述のように幼・小・中・高・大学の各友人を通して、ネパール人、あるいはネパール語との接触を証言した人物は皆無でした。


②結婚後の生活歴調査

婚家は、A市中心の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的時間のほとんどない生活をしたということです。

息子が成人した頃には姑が体調不良なり、その介抱と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みとその治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりはほとんど持てない生活が続きました。

2時間以上の外出は姑との約束で制限が設けられ、それ以下の時間内で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。

やがて、家業を続けることが困難になり、2000年、42歳のときに店を閉めた後、2年間は県民共済組合のチラシ配りのパートタイマー、2002年からはNPO法人の紹介で食事介護のパートタイマーとして働き、現在に至っているとのことでした。

この結婚後の生活歴の中で、一日約3時間のパートの仕事中、あるいは家庭内生活中でネパール人、ネパール語との接触の可能性を確認するため、地方公務員であるご主人に問い合わせましたが、ネパール語会話の練習やネパール人の友人・知人等は結婚以来一切なかったとの回答でした。

里沙さんの夫が外国嫌いという事情もあり、夫婦ともに海外渡航歴は、新婚旅行でフランス・スイスに行った以外に一切ありませんでした。

また、里沙さんの住む商店街近辺にはアパートはなく、それ以外にも近所に在住するネパール人がいないことを確認しました。

ちなみに、里沙さんの住むA市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、初回セッションの2005年から第二回セッションの2009年までの五年間の年毎のネパール人の在住人数を調査しました。

その結果、最多の年で33名、最少の年は25名であり、総人口に占める平均割合は0、007%でした。

結婚後から現在に至る期間中に、里沙さんがA市内でたまたまネパール人と知り合い、夫の目を盗んで密かにネパール語を学ぶ機会はまずあり得ないと判断してよいと思われます。


③ネパール人と接触した唯一の記憶

里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りにその店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人物と接触した記憶でした。
私はその料理店の場所を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって密かに裏付け調査に出向きました。

店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。

ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。
ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。 

ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。

また、日本人にネパール語を教えたことはない、とのことでした。
もちろん、里沙さんが客として来た記憶は全くありませんでした。
また、ライさんはカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、まったく知らない答えました。
カトマンズ周辺に詳しいというネパール人ですら、ナル村の存在を知らなかったということです。
また、「ラタラジューの事例」は、2010年8月のフジTV「奇跡体験アンビリバボー」で放映されていますが、その中のカトマンズ市民へのインタビューでも、ナル村の存在を知る人はいませんでした。
ちなみに、ラタラジューが村長をしていたと語っているナル村は、カトマンズ中心から直線34㎞南方にある420世帯、住民2277名(2010年現在の調査)の寒村です。
カトマンズからナル村までは、山間部の未舗装道路を車で2時間~2.5時間はかかる距離にあり、日本人観光客が寄りつくような村ではないそうです。


里沙さん夫妻の証言書

里沙さんへの聞き取り調査をし、証言内容の裏付け調査をおこなった結果、彼女が意図的にせよ無意識的にせよ、ネパール語を学んだことを疑わせる痕跡は、何一つ浮上しませんでした。

ネパール語会話能力を身に付けるためには、中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士の見解からも相当の学習時間を要することは明らかで、彼女の結婚前の生育歴にも結婚生活の中にも、そのような学習時間が費やされた痕跡は一切発見できませんでした。

そもそも、ネパールに全く興味がないと断言する里沙さんには、ネパール語を学ぶ動機もなく、車または公共交通機関を用いて、外出時間制限の往復2時間圏内には、ネパール語の学習施設もありません。

そうした検証結果が出たところで、「ラタラジューの事例」を学会発表と出版することに承諾をいただき、そのための証拠資料として、次のような証言書に夫婦で署名・押印してもらいました。


                      証 言 書

ネパール人ラタラジュー人格が初めて出現した2005年6月の前世療法セッションのおこなわれた以前にも以後にも、私はネパール語を意識の上では全く知りませんでした。
 

また、ネパール語の勉強をしたこともありませんし、理解したり会話したりすることも全くできなかったことをここに証言します。
 

2005年6月の初回セッションから、2009年5月の真性異言実験セッションの間に、学校であれそれ以外のどこであれ、ネパール語を勉強したり、誰かにネパール語で話しかけられたりすることも、目の前でネパール語で会話されているのを見たり聞いたりしたことも全くありません。
 

私はインターネットが使えませんし、誰かに頼んでインターネットでネパールについて情報を調べたこともありません。
また、ネパールへ旅行したこともありません。
それは、ラタラジュー人格が初めて出現した初回セッション以前も以後も同様です。
 

現在も結婚前も、私の住んでいる地区・職場・親戚、学校時代の友人、現在の友人など、私の生活してきた環境にネパールの人は一人もおりません。
 

私が唯一ネパール語かも知れない言葉を耳にしたのは、息子たちと食事に行ったインドカレー料理店で、店員の異国の方が何か一言二言厨房に向かって短く異国語で話しているのを一度聞いたことがあることだけです。
ただし、この方がどこの国の人で、言葉が何語であるかは全く分かりませんでした。
 

以上の内容に間違いがないことをここに夫婦として証言します。

                                                                             夫   ○○○○  印
                                   妻  ○○○○  印


こうして、私の手でできる範囲で考えられる限りの里沙さん証言の裏付け検証はすべて終了しました。

残るは、権威の高い検査技師によるポリグラフ検査によって、里沙さんの証言の真偽の鑑定を得ることです。


(その19へつづく)

2014年9月5日金曜日

SAM前世療法が抱えている謎


   SAM催眠学序説 その17


前世人格と対話する「SAM前世療法」には、前世記憶を想起する「ワイス式前世療法」と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。

ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは数十名にのぼります。

この両方を経験したクライアントが報告される大きな共通項は次のように2つあります。


①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてうんと深い意識状態に入ったという自覚がある。

②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合には魂状態に至ると口頭で答えることができなくなる。


さて、①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を標準催眠尺度によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。

かつて、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)がもしあれば、そこへに戻ります」という暗示をしていました。

しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠体験である印象を受けます。

催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。

また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという意識をもつことはありません。
つまり自発的なイメージは架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の記憶がイメージ化して見えてきたという錯覚をもつ可能性を排除できません。

こうした催眠中に現れる自発的イメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示と、その期待に応えようとするクライアントの無意識的努力によって引き起こされた「フィクション」である、と口をそろえて主張します。
催眠中のクライアントが、セラピストの期待を察知し、その期待に無意識的に応えようとする心理的傾向を催眠学では「要求特性」と呼んでいます。


私の敬愛してやまない成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。

SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。
知覚催眠レベルに至ることがない深度で、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。
  
したがって、SAM前世療法では記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。
標準催眠尺度では測れない(これまでの尺度にはない)「魂遡行催眠」と私が名付けているレベルにまで深めます。
身体の自発的運動は完全停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。

SAM前世療法ではこうした最深度の催眠状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。

②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法の魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は、およそ5人に1人、約20%しか口頭で話せません。5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。

この口頭で話せないという現象は、SAM前世療法の催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発音できないのではないか、という推測は的外れのようです。
どうも、SAMの作業仮説に理由が求めることができるのではないかと考えています。

ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアントが「前世記憶を想起し報告するのです。

SAM前世療法では、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて対話する」という作業仮説でおこないます。
前世人格は、当時のままの感情を持ち続けて、意識体として魂の表層に今も生きている存在なのです。
こうして、多くのクライアントは、まず顕現化した前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
ビジョンが現れず、感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての改善効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。

私の対話相手はクライアントではなく、身体をもたない前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「発声器官の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。

ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。

私は、クライアントの意識の中に顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする(憑依している)前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法の構図になっているということです。

そして、このような信じがたいセッションの構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。

そしてまた、私あて霊信の恩恵による、SAM前世療法は、私以外に誰も発想できない療法でしょう。
正しくは、私独自の発想によるものではなく、霊信からの教示によるものです。

里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。

里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)

カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体(声帯)を借りて、自己表現している存在です。

里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション直後に書かれている次のセッション体験記録からも垣間見ることができるでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。

なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした」、「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」霊媒的役割をまさに果たしたことを如実に語っていると思います。

イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に現れた信頼できる応答型真性異言を2例あげています。ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。

ちなみに、スティーヴンソンも、私と同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別の人格が現れていると考えています。
つまり、クライアントが前世の記憶として真性異言を語ったとは考えていません。

「ラタラジューの事例」を含めても、催眠中下で偶発した応答型真性異言事例は、これまでたった3例の発見しかありません。
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。

生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話せないのか、これは、ほんとうに大きな謎です。

スティーヴンソンが存命中なら、「ラタラジューの事例」を自ら再調査にくるだろうと、スティーヴンソンの著作の訳者であり、彼と親交のあった超心理学者笠原敏雄氏は述べています。

私も、かなわぬ夢ですがスティーヴンソンに、この謎解きの見解を尋ねてみたいものだと思います。


(その18につづく)