2014年3月21日金曜日

SAM前世療法の成立 その54

総括その15 私あて霊信の検討 その3

三つの予言の的中

私あて霊信の真偽をめぐる考え方は様々あるでしょうが、私は霊信と呼ばれる現象の真偽の目安の一つは、予言内容の的中に求めてよいのではないかと思っています。
2007年1月11日~2月14日に送信された私あて霊信には三つの予言が含まれています。
その1 第8霊信の予言について 
 第8霊信に至って、送信霊は「私はエドガー・ケイシーではない。彼を守護するものであり、あなたに繋がるものである」と私の守護霊であることをはっきり認めています。そして、この私の守護霊と名乗る霊は次のような予言をしています。
【第8霊信抜粋】
あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ。それは、多くの人を引き付けるものとなる。
 これは、2007年1月20日の霊信であり、2010年10月出版『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社、の3年以上前の予言です。
この本の内容について、「全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ」と言う予言は的中しています。
前回出版の『前世療法の探究』春秋社、は生まれ変わりや霊的存在について判断留保の立場を努めて保った方向でしたが、
『生まれ変わりが科学的に証明された』は、書名に示したとおり、そうした立場から方向転換し、生まれ変わりや霊的存在を認める方向を明確にしているからです。
そして、そもそも、この予言当時、私には次の本を書く材料も意欲も、全くなかったのです。3年半を経て、この予言は現実のことになりました。

その2 第11霊信の予言について


第11霊信は、2007年1月23日に着信しています。
この霊信では、のちに私がSAM前世療法を創始することを次のように予言しています。
送信霊は、前後の霊信との文脈から「あなた方の信仰に関連する者」、「あなたの祖父の守護霊と繋がりをもつ者」と名乗る霊であろうと思われます。
【第11霊信抜粋】
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。

あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは、命あるものすべてに繋がり私たちへも強い繋がりを持つ。
(中略)
そして、前世療法についてだがあなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。
あなたは、今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい。
SAM前世療法が、それまでの前世療法とは前提仮説も技法も異なる独自の前世療法として商標登録が認められたのは、2009年6月です。
この第11霊信の予言は、2年半後に的中したことになります。

そして、SAM前世療法の前提仮説は、「あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」という指示にしたがって、守護霊団に提示した16項目の質問の回答(2007年1月23日の第12霊信)によって成り立っています。
ちなみに「今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい」ということについては、SAM前世療法に伴うヒーリング能力と浄霊能力の進行を指しているように思われます。

その3 第14霊信の予言について

 
第14霊信の送信霊は、自分は守護霊団の一員であり、「あなた方の信仰に関連する者」、「あなたの祖父の守護霊と繋がりをもつ者」だと自分の素性を告げています。
2007年1月25日のこの霊信では、次のような予言をしています。
【第14霊信抜粋】
ここからは、神による霊信であると理解しなさい。
あなたは今世で出会うべき女性がいる。
その女性とは、あなたが過去世において死別した愛する者である。
その者は、まだしばらくはあなたと再会することはない。
あなたは、その者にある約束をした。
それは、その者の死後、あなたが彼女へと誓ったものである。
そして、その者は死後、あなたからの約束を聞いていた。
何故出会う前に、あなたにこの話を語るのか。
それは、あなたがそのことに興味を抱くということが重要だからである。
あなたはその者が誰なのか、いつ出会うか、どのような死別を経験したのか、それらに興味を抱くだけでよいのだ。
そこから、あなたは引き寄せられていく。
あなたの魂の傷を持つ者は求め始める。
それでよい。
あなたは、それを許すだけでよいのだ。
あなたは、あなたの魂の傷を持つ者が求める者と再会するだろう。

この謎めいた予言の一ヶ月後、2007年2月24日に予言された女性と思われる人物と、私は出会うことになりました。その詳しい経緯は省いて要点のみ紹介します。
この女性クライアントは、私の知人の紹介で、その知人に伴われて前世療法を受けにやってきた関東地方在住の30代半ばの女性でした。
彼女が深い催眠状態に入って最初に発した言葉が、「先生、お懐かしゅうございます。会いとうございました」というものでした。
彼女が最初に語った前世の場面は、中世ヨーロッパの教会付属の学校でした。
彼女は12歳の少女でその学校の生徒でした。
私は36歳の聖職者で、政争に敗れた失意の政治的指導者でもあって、医学の心得も持つその教会の学校の指導者であったということでした。
12歳の少女は、私を慕い、憧れのまなざしを注いでいたと語りました。
やがて年を経て、私は聖職者としての位階が上がり、成長した少女は、私の身の周りを世話する仕事に就いたそうです。
彼女は私から愛されていたと感じていたそうです。
ただし、「大変寡黙な方でしたから、そうとは口に出されてはおりませんでした」と彼女は語りました。
彼女は、何かわけがあって20代前半で早世したと語りました。
予言が脳裏をよぎった私は、彼女の霊界での記憶を尋ねてみました。
私があなたの魂に向かって何か誓ったことはあるか、それはどんなことか、という問いです。
彼女は、私が霊界の自分に誓っていることを知っているが、その内容を話すことは禁じられているから話すことは出来ない、と回答しました。
第14霊信の再会するという予言に符合することが起こり、少々動揺した私は、その少女の名前も私の名前も尋ねることを失念してしまいました。
ただし、このセッションから4年後の2011年3月の別人へのセッションで次のようなことが分かっています。
クライアントは、前述の女性クライアントとは面識のない関西在住の50代男性でした。
語られた前世は、17世紀プロイセンのプロテスタントの牧師でした。
クライアントの名はゲオルグ、ゲオルグと親密であった上司である牧師の私の名がウオルフガング。
ウオルフガングは貴族出身の聖職者で、政治的指導者でもあったそうです。
ウオルフガングには付き人の女性がおり、その名はマリア。
マリアは金髪・碧眼の娘であり、ウオルフガングの寵愛を受けていましたが、二十歳そこそこで病死し、彼はその死をいたく悲しんだということです。
4年間の間隔をおいておこなわれたこの2例の前世療法のセッションの概要は、以上のようなものです。
そして、これ以後今日まで、この女性クライアント以外に私とのこうした愛情関係のある前世を語る人物との出会いはありません。
したがって、この予言も現実のものとなったと思われます。
これまで述べてきたように、霊信の告げているかなり具体的な三つの予言がことごとく的中しているという事実は、この霊信の信憑性を裏づけていると私には思われます。
そして、注目すべきは第14霊信の文言は、「神による霊信」であり、それに「興味を抱くことが重要だ」と告げられていることです。
神による霊信について、神が、「あなた(私)が興味を抱くことが重要である」と告げているのは、前世で愛した者と再会するという予言が的中することをもって、神の実在を示すことになるから重要だと解することができるでしょう。
この霊信を受け取った当時の私は、無神論者とまではいかないまでも、神の実在については不可知論者であったことは確かです。
当時26歳であった霊信受信者のM子さんが、ESP(透視・テレパシー)能力を駆使して、かなり具体的な三つの予言を霊信になぞらえて作文したと疑うことには無理があると思います。
(その55に続く)

2014年3月14日金曜日

閑話休題

デジャビュ(既視感)と前世の関係

デジャビュと前世の関係について興味深いレポートがありますので紹介します。
レポーターは水原杏樹さんです。
水原さんは2008年11月にSAM前世療法を体験しました。以下はそのセッションの体験レポートです。

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まず先生には自分が気になっていることについてお話しました。1920~30年代あたりに強い興味を惹かれること、特にアジアの国で洋風建築が並んでいるような、どこかミスマッチ感のある「モダン」な街が気になって仕方がないことなどをお話しました。

まず催眠に入りやすいかどうかのテストをしてからセッションを始めます。私は入りやすいようです。すぐに催眠状態に入り、体の感覚がなくなっていきました。先生は私の右手を取って、「はい」という返事の時に人差し指を動かすように指示しました。
まず時代と場所をさぐっていきます。先生の質問に右手の人差し指が勝手に動きます。自分では意識はありますが、手足の感覚がなくて、先生が何か質問をした時に指が勝手に動いて、その時に自分でも「そうか」と思います。

以前受けた前世療法では、ひとつめはヒーラーの方がリーディングしてそれを伝えてくれましたが、ふたつめの所では催眠に入っていって「自分で見る」方式でした。催眠に入っていくのもゆっくり時間をかけて体をリラックスさせ、「階段を下りていく」イメージで深い意識下に入っていきました。そして階段を下りきったところで「何が見えますか」と聞かれ、何か浮かんだらそれを答えていく、というものでした。しかし私は自分で映像を作ることができてしまうので、イメージが浮かんでも疑う気持ちをぬぐうことができないこともあって、誘導されてもその通りに映像が展開しませんでした。
しかしina先生のセッションでは、指が勝手に答えてくれます。先生は私が気になっている時代に沿った質問から始め、その問いに指が答えるうちに、1930年代、中国人の女性で結婚して子どももいる、ということがわかりました。金持ちでも貧乏人でもなく中程度。
そして農村にいるのか、都市にいるのかという問いで「都市」の時に指が動きました。年代のこともあり、日本軍が来て何かあったかとも聞かれますが反応しません。また、先生は中国の都市を順番に挙げていきました。北京…上海…重慶…大連…まったく反応しません。(「上海」で反応しなかったのには少々ガッカリ)。私も知りたいのですが、指が動きません。質問をもう一度繰り返してもダメ。…そうしたら頭ににふと「ハルピン」という言葉が浮かんできました。それで口に出して「ハルピン」と言いました。

そうしたら、セッションに入るころからなんとなく寒いような感じがしていたのですが、ますます寒くなって震えだしました。寒くて仕方がありません。声に出して「寒い、寒い」と言いました。先生の質問に答えるうちに、家をなくして寒くて震えていることがわかりました。なぜ家をなくしたのか…。「災害」という言葉に指がかすかに動きました。それで地震、火事など災害の種類を挙げていきます。しかし指は動きません。もう一度災害の種類をゆっくり繰り返します。でも反応しません。そうしたら、ぼんやりと家を追い出されるようなイメージが浮かんで、「追い出された」と口に出して言いました。暗いところで、ぼんやりと洋風の建物らしきものが見えて、そこから追い出されるような…。暗くて周りの様子はよくわかりません。でもなんだか理不尽に追い出されたような気がしたのです。そうして寒さに震えながら死んでいったようです。
さらに先生は名前を聞きました。今度は頭に何も浮かびませんが、口が動きかけます。声が出そうで出ません。自分としては全く苦しくないのですが、声を出そうとして出せなくて苦しんでいるような声ばかり出ます。
それ以上自分で答えるのは無理なようなので、先生が家を追い出されて寒くて苦しかったことなどから、ハルピンの街にはきっとあっただろうきれいな洋館を見てうらやましく思っていたんでしょうと言ってくれました。そして癒しを始めてくれました。一定の時間がたって、癒しが終わりましたか、と聞かれましたが、指が動きません。まだ足りないと思ってさらに癒しのエネルギーを注いでくれます。いつもより長い時間癒しに費やしていますと言って、もう一度癒しが終わりましたか、と聞かれてやっと納得したようです。

それから守護霊のようなものが降りてくるからと言って先生はしばらく席をはずしました。しかし何も感じませんでした。先生が戻ってきてセッションは終わりました。

さらに後日談です。

1930年代のハルピン、と時代と場所が特定されたのは大きな収穫でした。今まで理由が全くわからないで苦しい思いをしていたことに、落ち着き場所がみつかったのです。ハルピンというのはかなり意外でしたけれど。そのとき先生に言い損ねましたが、実は私は寒いのが大嫌いです。それほど暖房をガンガンかけなくても平気ですが、とにかく寒いのは「嫌」なのです。思い込みかもしれませんが、それもなんとなくつながるような気がします。
セッションのあと、ハルピンのことを調べてみました。本を探してみましたが、ハルピンに関する本は見つからなくて、「中国東北地方」というくくりでカラー写真の載った本を2冊見つけました。
その中でハルピンに関する記述を見てみますと、ハルピンは中国の東北地方の最北端の都市で、19世紀末にロシア人が作った街です。当時ロシア人が作った建物がまだたくさん残っています。それから中国人が入ってきて、ロシアの洋風建築を見よう見まねで真似た、少々奇妙な洋風建築が並ぶ中国人街を築いたそうです。
1930年代は満州国の建国もあって日本人がたくさん入ってきました。当時は「東洋の小パリ」と言われたほどの華やかな街だったということです。ロシア建築に加えて洋食のレストラン、カフェ、デパートが並び、日本の商社や銀行の重厚な建物が並び、まさしく「モダン」な文化が花開いていたそうです。
そういったことを知るうちに頭に浮かんできたことがあります。「中程度」の暮らしなら、贅沢はできなくても、例えば中国人街の洋風アパートに住み、時には奮発してレストランで洋食を食べたりデパートで買い物をしたことがあったかもしれません。映画を見たり、流行のジャズのレコードを蓄音機で聴いていたかもしれません。
しかし家を追い出されて、そうした暮らしを全て失って、それが悲しくて切なくてたまらなかったのかもしれません。もともと貧乏で全くそういった「モダン」な生活に縁がないまま憧れてるのではなく、ある程度そういった生活を体験して失った、というほうがしっくり来る気がします。
そして、立派な家に住んでいるようなお金持ちのような気がしないのも確かです。
証明できることではないので、「気のせい」に過ぎないのかもしれませんが、それでも「気がする」「気がしない」という違いはあるんです。
それからもうひとつ、セッション前に先生が話してくれたことですが、前世のものは、現世のことがわからなくて、いつまでも前世の時のままの気持ちでいるそうです。それならば、今の私にとって1930年代のことを調べるのは過去のことを調べることですが、前世にとってはそういったものはいつまでも「最新流行」のモダンな生活を追い求めることなのです。しかしそれは家を追われて全て失ってしまった。失われたものをいつまでも追い求めて、「モダン」な流行を追う生活を追い求めて、いまだに手に入らないものを追いかけている…そう考えると、今まで悩んだり苦しい思いをしてきた気持ちにぴったり当てはまると思いました。
具体的なことはあまりわからなかったので、もっと知りたいとは思います。
現世の自分の意識、自分が今どこにいて何をしている、という意識がはっきりあって、過去世のものがその奥からかすかに反応して見せてくれたような感じでした。他の報告では「魂の状態」という表現が出てきますが、そういった状態がどういうものかよくわかりません。どうも私の場合は現世の自分が「蓋」をしているみたいです。自分の口で答えてください、という質問や、名前が出そうで出なかったことなど、現世の自分が自分の声を使うのに抵抗しているような。
でも前に受けた前世療法のように映像が浮かばないとどうしようもない、ということはなく、漠然としたイメージや感覚でも過去世をさぐることができたのが良かったです。59番のI子さんも書いていますが、「映像を見る」方法ですと、どうしても「自分で作っているのではないか」という疑問がぬぐえません。
でもハルピンへ行ってみたくなりました。何も手がかりになるものはありませんが、ロシア建築のある通りや中国人街を歩いてみたいです。
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このセッション体験談をレポートしてくれた水原杏樹さんが、その3年後2011年10月にセッションであらわれた前世で生きた街ハルピンを訪れ、その旅行記をこのほど『世界史オタク上海・ハルビンを行く』という書名で文芸社から出版されました。以下はその抜粋です。

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 一応わかる範囲内で調べたところでは、ロシアの影響を受けた街で西洋建築の立ち並ぶ街には違いなさそうです。モダンな文化や西洋に対する憧れを誘う要素は充分にあります。その時どういった出来事があって、なぜこんなにも胸が痛むような思いがするのでしょうか。
 そうしてその翌年にハルビンへ行ってみました。主要な地域を一通りまわってみたのですが、・・・昔の中国人街で「中華バロック」と言われるトンデモな建物がずらーっと並んでいる界隈で、強い感情に襲われました。
 「私が探していたのはここだ」という思いが湧き上がってきました。ここに来たかった、ここが見たかった・・・その界隈を歩き回ってずっとそういう感覚にとらわれていました。
私はやっと探していた場所にたどりついたのです。
(中略)
そこで再びハルビンへ行こうと思って手配を進めていたところ、やはりハルビンのことを思うとなんとも言えない気持ちが湧き起こってきます。いったいこの感情は何なのか・・・。しばらくその感情に身を浸してみました。そうしたら、心の中から、ある言葉が湧き起こってきました。
それは・・・
「帰りたい」
でした。

・・・そうだったのか! と思いました。

水原杏樹『世界史オタク上海・ハルビンを行く』文芸社、20014、PP108-112
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.さて、デジャビュは、ウィキペディアの記事によれば、唯物論では次のように説明されます。

20世紀末から、既視感は心理学脳神経学的研究対象として注目された。しかし、実験で既視感を再現することは非常に困難であるため、実験を通しての研究法は確立していない。
これらの領域では、既視感は予知・予言ではなく、「記憶が呼び覚まされるような強い印象を与える記憶異常[要出典]」と考えられている。
ほとんどのケースではその瞬間の記憶のみが強く、その記憶を体験した状況(いつ、どこで、など)についてははっきりしないことが多い。同様に時間の経過により、既視感の経験自体が落ち着かない経験として強く記憶に残り、既視感を引き起こした事象や状況の記憶はほとんど残らない。これは「短期記憶長期記憶の重なり合いが原因[要出典]」と考えられている。体験している事象は、脳の意識的に働いている部分が情報を受け取る前に記憶に蓄えられ、処理されるからである。(引用おわり)


この説明(要するに錯覚であるという説明)を水原杏樹さんの事例に適用した場合、どうにも納得がいかず、すわりが悪い、と思うのは私だけでしょうか。

前世がある、というSAM前世療法の前提で説明すれば、洋風建築が並んでいるような、どこかミスマッチ感のある「モダン」な街の風景に触発され、彼女の魂表層に存在する前世をハルビンに生きた中国人女性が、潜在意識下でそこへ「帰りたい」と訴えていた、ということになるでしょうか。
しかし、潜在意識下で起きていることなので、現世の彼女の顕在意識には「気になって仕方がない」という形で意識にのぼってくる、という説明が可能ではないでしょうか。

デジャビュという現象を、こうした生まれ変わり仮説で説明することを、トンデモ説明だと切って捨てることは簡単ですが、水原さんの事例を検討すると、そう簡単に割り切れないと思われます。

2014年3月7日金曜日

SAM前世療法の成立 その53

総括その14 私あて霊信の検討 その2
第1霊信の2日後、第2霊信が2007年1月14日の早朝5時23分に着信しています。
第2霊信で通信霊は次のように告げてきました。
【第2霊信の抜粋】2007.1.14 5:23着信

稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していたものである。
だが、稲垣にはまだ打ち明けるべきではない。
それは、彼を疑いの思考へ誘う種となるであろう。
だが、ここで私があなたと稲垣に伝えるべきことは、私があなた方を繋ぐ理由である。
私は生前あなたとしての素質を持ち、稲垣の進むものと類似する方向性を持つ者であった。
そのため、私はあなた方を繋ぐものとして接触しているのだ。

第1霊信で、送信霊は「私はあなた方を繋げるものである」と告げてきました。
さらに、第2霊信でも「私があなた方を繋ぐ理由である」と告げていることから、この二つの霊信の送信霊は同一の霊であると思われます。
そして、この送信霊は、生前「M子さんの素質」つまり、霊媒(チャネラー)としての素質と、「稲垣の進むもの」と類似性を持つ者つまり、催眠に関わる者であったと告げています。
死者の中で、そのような霊媒の素質と催眠両方に関わって有名な人物は、エドガー・ケイシーしか私に思い浮かぶ名前はありませんでした。
もし、エドガー・ケイシーであるとすれば、ケイシーの守護霊は、ケイシーの死後、私を守護しているということになります。
このことを確かめるために、私は、同日1月14日21時ころエドガー・ケイシーの没年を調べてみました。
果たしてケイシーは、私の生まれる三年前に死亡していることが分かりました。
したがって、この第2霊信の送信霊が、生前のエドガー・ケイシーだと想定しても矛盾しないことになります。
そして、このことを確認した90分後の同日1月14日22時48分着信の第3霊信で、次のような驚くべきことを言ってきたのです。
【第3霊信の抜粋】2007.1.14 22:48着信

あなたは、今語りかけている私が、エドガー・ケイシーを守護していたものと考えている。
その真偽を自分の中で晴らすため情報を集めた。
だが、そんなことをして何になる?
だが、私があなたに「そうではない」と言えば、それは事実とは異なるものとなってしまう。

この送信霊は、言い回しから考えて、生前のケイシーを守護し、現在は私の守護をしていることを認めています。
つまり、この第3霊信の送信霊は、私の守護霊ということになります。また、この結果、第1・2霊信の送信霊は、ケイシー霊ということになります。
ところで問題は次の事実です。第2霊信は、2007年1月14日5時23分に受信者M子さんから私に転送されています。
私がこれを読み、ケイシーについて情報を集めたのは同日の21時頃でした。
そして、第3霊信は同日22時48分に転送されています。
つまり、この送信霊は、私の90分ほど前の、エドガー・ケイシーについての情報収集行動をずばり指摘してきたことになるわけです。
もちろん、私がケイシーについて調べたことをM子さんは知りません。
また、彼女は、自分には透視能力(ESP)がないと証言しています。
これらの事実を考え合わせて、第1・第2・第3霊信という超常現象の解釈の可能性を考えてみると、
①第3霊信が、もしM子さんの創作であるとすれば、彼女には透視能力があって、私の行動を透視した上で何故かそれを隠し、霊信の体裁をとって転送してきたことになります。
②または、当てずっぽうの霊信を創作したのが、まぐれ当たりしたかです。
③そうでないとすれば、そしてM子さんの透視能力がないという証言を信じるとすれば、つまり送信霊(稲垣の守護霊)の実在を認めるとすれば、送信霊は私の行動をどこからか監視していたことになります。
結局、第7霊信(2007.1.18 22:28着信)に至って、送信霊は、「私はエドガー・ケイシーである」と名乗りました。
さらに、「何故今回の霊信で私が役割を担ったのか説明しよう。私はより新しい意識である。それにより、あなた方に近づきやすい状況を作り出すことができる。そして、より明確に情報を伝えることができる」と送信してきた理由を告げています。
したがって、第1・第2霊信の送信霊は、エドガー・ケイシーの霊であることになります。
また、第8霊信(2007.1.20 1:01着信)で、「私はエドガー・ケイシーではない。彼を守護する者であり、あなたにつながる者である」と、私の守護霊からの霊信であることを告げています。
したがって、第3・第8霊信は、私の守護霊からのものであることになります。
霊信受信者であるM子さんに、透視能力(ESP)がないことが証明できれば、これら霊信は本物であり、送信霊の実在を示すと考えても矛盾はないように思われました。
それにしても、よりによってエドガー・ケイシーの霊が送信してくるなどということは俄に認めがたい、というのがこの時点の率直な感想でした。
(その54へ続く)

2014年3月2日日曜日

SAM前世療法の成立 その52

総括その13 私あて霊信の検討その1
2006年の年末に、この年5月に出版した『前世療法の探究』の読者から読後の感想メールが届きました。
東京在住で26歳の派遣社員をしているM子さん(仮名)からでした。
二通目のメールでは、彼女は、幼少の頃から霊的存在とコンタクトが取れる霊媒体質の持ち主であること、友だちに依頼されては霊と交信し、依頼内容の回答をもらっているということが、控え目な文体で書かれていました。
私がそうした霊的な現象には抑制的な態度をとっていることに遠慮して一通目には書けなかったということでした。
私は好奇心に駆られて、「できたら、私についてチャネリングしてもらえませんか」という返信メールを年明けの2007年1月11日の夜に送りました。
これがきっかけで、M子さんの言葉を信じるとすれば、霊からの通信だとされるものが送られて来るという超常現象が始まったのです。
チャネリングを依頼したその1時間後に、霊からパソコンによる自動書記の通信があったということで、 その自動書記とされる文章が転送されてきました。
転送日時は、2007年1月11日22時44分となっています。
この第1通信とされる全文を次に紹介します。
表記は転送時の原文のままです。
なお、霊信の中で「あなた方」とは私とM子さん、「あなた」は私を指しています。
「私」とは送信者らしき霊自身のことを指しています。
また、これ以後、霊からの通信だとされるものを「霊信」、「霊とおぼしき存在」を「霊」と表記していきます。
【第1霊信】全文 2007.1.11 22:44着信
ここであなた方が出逢うことには意味がある。
あなた方は、その真の意味をまだ手にすることはできない。
悟りという実はまだ熟していないのだ。
その悟りは、言葉で理解するものではない。
あなた方は体感し、そして、魂で感じてゆく。
そして、その悟りがすべてが始まるときからあなた方に「在る」ものなのだと思い出す。
あなたはより多くのものを求めようとしている。
だが、あなたが「今という瞬間」に得るものは一つなのだ。
すべてははじめから用意されている。
その一つ一つが何なのか、それを踏まえながらあなたは進みなさい。
あなたの真の目的は、誰もあなたに告げることは許されない。
なぜなら、あなたの魂がそれを決めたからだ。
あなた自身が、その目的を思い出すのだ。
現段階であなたに告げられている使命という目的は、「人を癒すこと」である。
それをあなた方の世界でわかりやすく説明するならば、「外的目的」と表現すれば理解を得やすいだろう。
「外的目的」は、あなた以外の他者のためにあなたが決めた目的だ。
何を方法にして人に奉仕していくか、そしてすべてとの繋がりを持つか。
その手段をあなたは選んだ。あなたの場合、それは医学的知識を応用させながら自らの判断をより明確なものとし、ヒーリング能力も一手段としてより多くの人に「癒し」という愛を与えるというものだ。
だが、内的目的は他者のためのものではない。
それは、あなたの魂へのものだ。
あなたは、これまで数多くの過去世を通して学んできた。
どのように優れた能力を持つ者も、魂に癒すべき傷を持つ。
あなた方はこの世界に存在する限り、自分の魂の傷を癒さなければならない。
それは強制ではなく、義務でもない。
言葉の表現では明確にその意味合いを伝えることが出来ない。
ニュアンスで理解するものである、と表現すれば分かりやすいだろうか。
何故あなた方が自分の魂の傷を癒さなければならないのか、そして何故魂に傷を負うのか。その仕組みはあなた方には理解できないものである。
魂の傷、そしてその癒しは、すべてその魂によって引き起こされる。
あなた方は理解できないだろう。
どのように悲惨で、辛い死も自らが選択したものであると受け入れられないであろう。
あなた方はこの世界に存在する限り、どんなに求めたとしても理解を手にすることはできないのだ。
真理は、「生」の状態にいる限りは得ることができない。
だが、人は真理を求める。それは死を迎えると同時にどのような人間にも与えられるものなのだ。人は誰もが真理を得るということを忘れている。
そして、真理はすべてであり、それを一つにまとめるにはあまりにも言葉は無力である。
言葉は道しるべでしかない。
あなたは、自分が真理を求めることが目的なのだと間違えないようにしなさい。それは、誰もが与えられるものであり、生きている間は得られないものである。
あなたが決めた「内的目的」は、あなた自身がまだ距離感さえもつかめていないものである。
今のあなたには、それが何なのか憶測もできない。
今のあなたに必要なのは、あなたの魂にとっての「目的」があるのだと理解することである。
その目的を通し、あなたは魂の傷を癒すのだと理解しなさい。
今、あなたに語りかけている私が誰なのか、あなたには分からない。
そして、M子も私が接触しながらも誰なのかが分からないでいる。
私は、あなた方を繋げるものである。
これまで私があなた方両者に接触を持ったことはない。
私は神ではない。
あなたは、自分のヒーリング能力に対して、より多くの理解を持たなければならない。
なぜなら、それはあなたにとっても他者にとっても、時と場合によっては「癒し」とは相反するものを与えるものになりかねないからである。
あなたが癒す対象者の疾患等を「負」のエネルギーとする。それをあなたが癒すとしたら、そのエネルギーはどこに向かうものなのだろうか。
あなたが、癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる。
だが、それは能力を最大限に引き出しても、あなたの体の疲労を消し去ることはできない。
あなたの身体的なエネルギーをコントロールするのは、あなた自身である。
それはヒーリングとは別のやり方で解消するべきものである。
あなたはイメージし、そのエネルギーを消すことができる。
あなたはある人数の治療をこなす。
あなた自身はどの程度で「負担となる疲労」が生じるのかが判断できないであろう。
何故判断できないのか、それは癒しを起こす上で、体内のエネルギーの流れが、通常の意識で起こるものとは異なるものであるからだ。
どのように変化するのかは、あなたが実際自己観察した方が理解しやすいものである。
「負担となる疲労」とは 、あなたの体内にもともとあるべきではない「あなたの体内に入り込んだもの」を浮上させる。
例えるならば、血液中や内臓、それらに溜まった体内には不要なものの流れや動きも、通常の状態とは変化させるものである。
これらの詳細の説明をあなたがもし求めるならば、M子が現段階より深い意識で私に接触する環境でなければならない。
今の彼女の意識では、適切な言葉を集めることは困難である。
あなたがそれらの「負のエネルギーの要素」を消すために、ヒーリングをおこなった日は必ず自分の体を浄化しなければならない。
瞑想しながら、へそに両手を当て 「へそを中心として光が体中に広がる」というイメージをしなさい。
体を持つ限りはあらゆる制約が生じる。
食物、空気、衣服、あらゆるものを通し、「負の要素」となるものは体内に取り入れられる。
そのわずかなものさえも、原因になりかねないものなのだ。
あなたは、ヒーリングをおこなう際に自己管理を徹底しなければならない。
そして、あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは、自分の直感を通し、「知るべき知識」を模索していく。
あなたが求めるものは国内に留まらず、その範囲は他国へと広がる。
そのための手段を徹底するために、英語力を向上させなさい。
今、あなたに私が伝えるべきあなたへのアドバイスは以上である。
これより先は、私ではなく別の者が続きを語る。
私は、M子を守護するものの一つであり、これまで彼女の「心」を管理していたものです。
人は、私のような存在をいまだ表現したことがありません。
彼女が無知なためではなく、言葉が存在しないために私という存在を明確に表現することができません。
今日、彼女に伝えたことをあなたにもお伝えします。
彼女の魂を形成するにあたり、神はある計画をされました。
彼女の魂は人としての要素、そして自然としての要素、精霊としての要素、そして高級霊としての要素、あらゆるものの霊性を含んでいます。
そのために、彼女の霊性としてのアンテナは多様性を持つのです。
神は、彼女にある計画を与えました。
それを彼女も知りたいと望みました。
その計画が成されるかどうか、そして成されたかどうかを知る者は幸いです。
それは神のご意志であり、これから始まる大きな計画の始まりでもあります。
あなた方は死後、それを見つめるものとなるでしょう。
あなたは、今世で魂の癒しという旅を終えます。
あなたにとって、これが最後の生まれ変わりとなります。
それはもう、すでに決められたものであり、あなた方と神との計画でもあります。
彼女は、すべてを繋ぐ一点の光なのです。
その一点がなければすべては繋ぐことはできません。
そして、その光を灯すのはあなたの役割です。
M子はまだ、完全には覚醒していません。
彼女の魂の真の霊性を発揮させるための光を、あなたが灯すのです。
その方法は、あなた自身が直感で理解しているものです。
それをM子に提案しなさい。
それに対し恐れを感じるのは、M子の魂のある部分です。
その魂は、これまで誰の言葉にも耳を貸そうとしませんでした。
あなたを通じ、M子は傷に接触することが可能となります。
そして、あなた自身にもその傷は関係しています。
あなた自身が、そのことを思い出すのはM子が覚醒した後となるでしょう。
彼女は生き急いでいます。それは、彼女がこの先に起こるあらゆるものを直感として感じ取り起こす感覚でもあります。
ですが、彼女自身が憶測するよりも時間は猶予があります。
彼女はそれまでに覚醒しなければなりません。
あなたは、彼女の通った道を眺める立場となるでしょう。
彼女が進むべき道は、まだ明かすことはできません。
あなた方が憶測するものは適切ではありません。
ですが、それは進むにつれ明らかなものとなるでしょう。
一つ、あなたの過去世について語りましょう。
これは、直接私が伝えているものではなく、あなたを守護するものの一人が私を通し語るものです。
あなたはその過去世で医師でした。
だが、あなたは多くの患者を死なせてしまったと自責しました。
だが、救いたいという望みも同時に残りました。
後悔とともに望みは残ります。
どちらか一つでは存在することはできません。
あなたが今、このような方法で人を救う道をたどるのは、直接的に医師として癒すのではなく、間接的な立場から癒すという方法を始まりとして選んだからです。
そして、あなたのヒーリング能力の覚醒は、あなたが直接的関わることを魂が受け入れたために起こったものです。
あなたが何故ヒーリング能力を持つのか、それはあなたが理解しているよりも深い意味があります。
それを少しずつ理解していくのです。
あなたを守護するものが直接あなたへと語りかけるには、まだ時間があります。
ある流れに沿って、一つ一つ用意されたものをあなた方は受け取ります。
 
あなたが必要なとき、彼はあなたに言葉を贈るでしょう。

M子さんの言葉を信じるならば、この第1霊信を皮切りとして、2007年2月14日までの約一か月の間に、立て続けに22回、A四用紙にして83枚分のパソコン自動書記による霊信が、ほぼ毎夜または、夜明けに送信されてくることになったということです。
1回の霊信平均枚数は5枚弱ということになります。
彼女は受信が終わると即、私へ転送しているということでした。
私はこうした霊信を鵜呑みにすることはできない懐疑主義者でした。
まず疑ったことは、これは霊信という体裁をとったM子さんの作文ではなかろうか、という疑いでした。
しかし、この分量の作文を1時間で仕上げることは容易なことではありません。
そして、霊信が告げている「あなたは、自分のヒーリング能力に対して、より多くの理解を持たなければならない」、「あなたが、癒しを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」など、2006年8月31日に私にヒーリング能力らしきものが発現したことを、この時点でM子さんは知りません。
また、「神の計画」、「神のご意志」など軽々しく使うべきではない「神」ということばが出てくる、なんじゃこれは、というのが最初の印象でした。
いったいこの霊信現象とされるものは、本物なのか、M子さんの作文なのか。
(その53へ続く)