2014年3月14日金曜日

閑話休題

デジャビュ(既視感)と前世の関係

デジャビュと前世の関係について興味深いレポートがありますので紹介します。
レポーターは水原杏樹さんです。
水原さんは2008年11月にSAM前世療法を体験しました。以下はそのセッションの体験レポートです。

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まず先生には自分が気になっていることについてお話しました。1920~30年代あたりに強い興味を惹かれること、特にアジアの国で洋風建築が並んでいるような、どこかミスマッチ感のある「モダン」な街が気になって仕方がないことなどをお話しました。

まず催眠に入りやすいかどうかのテストをしてからセッションを始めます。私は入りやすいようです。すぐに催眠状態に入り、体の感覚がなくなっていきました。先生は私の右手を取って、「はい」という返事の時に人差し指を動かすように指示しました。
まず時代と場所をさぐっていきます。先生の質問に右手の人差し指が勝手に動きます。自分では意識はありますが、手足の感覚がなくて、先生が何か質問をした時に指が勝手に動いて、その時に自分でも「そうか」と思います。

以前受けた前世療法では、ひとつめはヒーラーの方がリーディングしてそれを伝えてくれましたが、ふたつめの所では催眠に入っていって「自分で見る」方式でした。催眠に入っていくのもゆっくり時間をかけて体をリラックスさせ、「階段を下りていく」イメージで深い意識下に入っていきました。そして階段を下りきったところで「何が見えますか」と聞かれ、何か浮かんだらそれを答えていく、というものでした。しかし私は自分で映像を作ることができてしまうので、イメージが浮かんでも疑う気持ちをぬぐうことができないこともあって、誘導されてもその通りに映像が展開しませんでした。
しかしina先生のセッションでは、指が勝手に答えてくれます。先生は私が気になっている時代に沿った質問から始め、その問いに指が答えるうちに、1930年代、中国人の女性で結婚して子どももいる、ということがわかりました。金持ちでも貧乏人でもなく中程度。
そして農村にいるのか、都市にいるのかという問いで「都市」の時に指が動きました。年代のこともあり、日本軍が来て何かあったかとも聞かれますが反応しません。また、先生は中国の都市を順番に挙げていきました。北京…上海…重慶…大連…まったく反応しません。(「上海」で反応しなかったのには少々ガッカリ)。私も知りたいのですが、指が動きません。質問をもう一度繰り返してもダメ。…そうしたら頭ににふと「ハルピン」という言葉が浮かんできました。それで口に出して「ハルピン」と言いました。

そうしたら、セッションに入るころからなんとなく寒いような感じがしていたのですが、ますます寒くなって震えだしました。寒くて仕方がありません。声に出して「寒い、寒い」と言いました。先生の質問に答えるうちに、家をなくして寒くて震えていることがわかりました。なぜ家をなくしたのか…。「災害」という言葉に指がかすかに動きました。それで地震、火事など災害の種類を挙げていきます。しかし指は動きません。もう一度災害の種類をゆっくり繰り返します。でも反応しません。そうしたら、ぼんやりと家を追い出されるようなイメージが浮かんで、「追い出された」と口に出して言いました。暗いところで、ぼんやりと洋風の建物らしきものが見えて、そこから追い出されるような…。暗くて周りの様子はよくわかりません。でもなんだか理不尽に追い出されたような気がしたのです。そうして寒さに震えながら死んでいったようです。
さらに先生は名前を聞きました。今度は頭に何も浮かびませんが、口が動きかけます。声が出そうで出ません。自分としては全く苦しくないのですが、声を出そうとして出せなくて苦しんでいるような声ばかり出ます。
それ以上自分で答えるのは無理なようなので、先生が家を追い出されて寒くて苦しかったことなどから、ハルピンの街にはきっとあっただろうきれいな洋館を見てうらやましく思っていたんでしょうと言ってくれました。そして癒しを始めてくれました。一定の時間がたって、癒しが終わりましたか、と聞かれましたが、指が動きません。まだ足りないと思ってさらに癒しのエネルギーを注いでくれます。いつもより長い時間癒しに費やしていますと言って、もう一度癒しが終わりましたか、と聞かれてやっと納得したようです。

それから守護霊のようなものが降りてくるからと言って先生はしばらく席をはずしました。しかし何も感じませんでした。先生が戻ってきてセッションは終わりました。

さらに後日談です。

1930年代のハルピン、と時代と場所が特定されたのは大きな収穫でした。今まで理由が全くわからないで苦しい思いをしていたことに、落ち着き場所がみつかったのです。ハルピンというのはかなり意外でしたけれど。そのとき先生に言い損ねましたが、実は私は寒いのが大嫌いです。それほど暖房をガンガンかけなくても平気ですが、とにかく寒いのは「嫌」なのです。思い込みかもしれませんが、それもなんとなくつながるような気がします。
セッションのあと、ハルピンのことを調べてみました。本を探してみましたが、ハルピンに関する本は見つからなくて、「中国東北地方」というくくりでカラー写真の載った本を2冊見つけました。
その中でハルピンに関する記述を見てみますと、ハルピンは中国の東北地方の最北端の都市で、19世紀末にロシア人が作った街です。当時ロシア人が作った建物がまだたくさん残っています。それから中国人が入ってきて、ロシアの洋風建築を見よう見まねで真似た、少々奇妙な洋風建築が並ぶ中国人街を築いたそうです。
1930年代は満州国の建国もあって日本人がたくさん入ってきました。当時は「東洋の小パリ」と言われたほどの華やかな街だったということです。ロシア建築に加えて洋食のレストラン、カフェ、デパートが並び、日本の商社や銀行の重厚な建物が並び、まさしく「モダン」な文化が花開いていたそうです。
そういったことを知るうちに頭に浮かんできたことがあります。「中程度」の暮らしなら、贅沢はできなくても、例えば中国人街の洋風アパートに住み、時には奮発してレストランで洋食を食べたりデパートで買い物をしたことがあったかもしれません。映画を見たり、流行のジャズのレコードを蓄音機で聴いていたかもしれません。
しかし家を追い出されて、そうした暮らしを全て失って、それが悲しくて切なくてたまらなかったのかもしれません。もともと貧乏で全くそういった「モダン」な生活に縁がないまま憧れてるのではなく、ある程度そういった生活を体験して失った、というほうがしっくり来る気がします。
そして、立派な家に住んでいるようなお金持ちのような気がしないのも確かです。
証明できることではないので、「気のせい」に過ぎないのかもしれませんが、それでも「気がする」「気がしない」という違いはあるんです。
それからもうひとつ、セッション前に先生が話してくれたことですが、前世のものは、現世のことがわからなくて、いつまでも前世の時のままの気持ちでいるそうです。それならば、今の私にとって1930年代のことを調べるのは過去のことを調べることですが、前世にとってはそういったものはいつまでも「最新流行」のモダンな生活を追い求めることなのです。しかしそれは家を追われて全て失ってしまった。失われたものをいつまでも追い求めて、「モダン」な流行を追う生活を追い求めて、いまだに手に入らないものを追いかけている…そう考えると、今まで悩んだり苦しい思いをしてきた気持ちにぴったり当てはまると思いました。
具体的なことはあまりわからなかったので、もっと知りたいとは思います。
現世の自分の意識、自分が今どこにいて何をしている、という意識がはっきりあって、過去世のものがその奥からかすかに反応して見せてくれたような感じでした。他の報告では「魂の状態」という表現が出てきますが、そういった状態がどういうものかよくわかりません。どうも私の場合は現世の自分が「蓋」をしているみたいです。自分の口で答えてください、という質問や、名前が出そうで出なかったことなど、現世の自分が自分の声を使うのに抵抗しているような。
でも前に受けた前世療法のように映像が浮かばないとどうしようもない、ということはなく、漠然としたイメージや感覚でも過去世をさぐることができたのが良かったです。59番のI子さんも書いていますが、「映像を見る」方法ですと、どうしても「自分で作っているのではないか」という疑問がぬぐえません。
でもハルピンへ行ってみたくなりました。何も手がかりになるものはありませんが、ロシア建築のある通りや中国人街を歩いてみたいです。
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このセッション体験談をレポートしてくれた水原杏樹さんが、その3年後2011年10月にセッションであらわれた前世で生きた街ハルピンを訪れ、その旅行記をこのほど『世界史オタク上海・ハルビンを行く』という書名で文芸社から出版されました。以下はその抜粋です。

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 一応わかる範囲内で調べたところでは、ロシアの影響を受けた街で西洋建築の立ち並ぶ街には違いなさそうです。モダンな文化や西洋に対する憧れを誘う要素は充分にあります。その時どういった出来事があって、なぜこんなにも胸が痛むような思いがするのでしょうか。
 そうしてその翌年にハルビンへ行ってみました。主要な地域を一通りまわってみたのですが、・・・昔の中国人街で「中華バロック」と言われるトンデモな建物がずらーっと並んでいる界隈で、強い感情に襲われました。
 「私が探していたのはここだ」という思いが湧き上がってきました。ここに来たかった、ここが見たかった・・・その界隈を歩き回ってずっとそういう感覚にとらわれていました。
私はやっと探していた場所にたどりついたのです。
(中略)
そこで再びハルビンへ行こうと思って手配を進めていたところ、やはりハルビンのことを思うとなんとも言えない気持ちが湧き起こってきます。いったいこの感情は何なのか・・・。しばらくその感情に身を浸してみました。そうしたら、心の中から、ある言葉が湧き起こってきました。
それは・・・
「帰りたい」
でした。

・・・そうだったのか! と思いました。

水原杏樹『世界史オタク上海・ハルビンを行く』文芸社、20014、PP108-112
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.さて、デジャビュは、ウィキペディアの記事によれば、唯物論では次のように説明されます。

20世紀末から、既視感は心理学脳神経学的研究対象として注目された。しかし、実験で既視感を再現することは非常に困難であるため、実験を通しての研究法は確立していない。
これらの領域では、既視感は予知・予言ではなく、「記憶が呼び覚まされるような強い印象を与える記憶異常[要出典]」と考えられている。
ほとんどのケースではその瞬間の記憶のみが強く、その記憶を体験した状況(いつ、どこで、など)についてははっきりしないことが多い。同様に時間の経過により、既視感の経験自体が落ち着かない経験として強く記憶に残り、既視感を引き起こした事象や状況の記憶はほとんど残らない。これは「短期記憶長期記憶の重なり合いが原因[要出典]」と考えられている。体験している事象は、脳の意識的に働いている部分が情報を受け取る前に記憶に蓄えられ、処理されるからである。(引用おわり)


この説明(要するに錯覚であるという説明)を水原杏樹さんの事例に適用した場合、どうにも納得がいかず、すわりが悪い、と思うのは私だけでしょうか。

前世がある、というSAM前世療法の前提で説明すれば、洋風建築が並んでいるような、どこかミスマッチ感のある「モダン」な街の風景に触発され、彼女の魂表層に存在する前世をハルビンに生きた中国人女性が、潜在意識下でそこへ「帰りたい」と訴えていた、ということになるでしょうか。
しかし、潜在意識下で起きていることなので、現世の彼女の顕在意識には「気になって仕方がない」という形で意識にのぼってくる、という説明が可能ではないでしょうか。

デジャビュという現象を、こうした生まれ変わり仮説で説明することを、トンデモ説明だと切って捨てることは簡単ですが、水原さんの事例を検討すると、そう簡単に割り切れないと思われます。

2 件のコメント:

ノニャえもん さんのコメント...

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脳は意識の受信機、乗り物と例えるなら無意識の動作についてどう説明つくのですか?

稲垣勝巳 さんのコメント...

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「無意識の動作」の意味がよく分かりませんが、これを、動物の生理作用のうち、特定の刺激に対する反応として意識されることなく起こる動作(運動)を指すなら、それは生体を維持するために備わっている原初的機能だろうと思います。それ以上のことは私には分かりません。
また、原則、ブログ記事内容に直接関わっていないご質問には答えることは控えたいと思います。ここで話題として提示していることはデジャビュの問題です。