2018年4月17日火曜日

SAM催眠学序説 その112

タエは里沙さんの魂表層から顕現化した前世の人格である


2005年3月・6月に、里沙さんを被験者にワイス式でおこなった2回の前世療法で、私は「タエの事例」に出会いました。
ただし、この時点では「SAM前世療法」は開発していません。

このワイス式でおこなった前世療法によるタエの語りは、里沙さんの前世記憶の想起として語られたというより、タエという前世人格が顕現化し、里沙さんとは別人格のタエ自身が語っていると解釈することが妥当ではないか、という強い印象を受けました。

この印象の妥当性を検討するきわめて貴重な資料が、セッション後に里沙さんが記してくれたセッション中の意識状態を内観(内省)した体験記録です。

この体験記録をお願いするにあたって、私は、催眠中に起こった意識内容を出来る限り詳しく思い出して書くように注文を出しました。
初めて出会ったきわめてまれな事例であったので、後の事例研究のために是非とも残しておきたかったからです。

下記に転載したのは体験紀録の抜粋です。(『前世療法の探究』春秋社,2006,PP.221-222)
なお、1回目のセッションは2005年3月におこない、2回目のセッションは2005年6月におこなっています。
このうち、2回目セッションの録画が2006年10月のフジTV「奇跡体験アンビリバボー」に25分間取り上げられて紹介されています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【転載はじめ】
1回目のセッションでは、稲垣先生の誘導により、暗闇のトンネルを進み、前世の世界の扉を開けることから始まりました。
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。

扉を開けると、まばゆい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。


私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。
水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
(中略)
二回目のセッションでの私の望みは、できることなら痛みに耐えて、生きてゆく意味を、自分なりに見つけたいということでした。

このセッションは、70分という時間がかかったことを後で聞かされましたが、私には、せいぜい30分程度の感覚でした。
後でビデオを見せてもらいましたが、「偉大な存在者」の記憶は全くなく、そのあたりで時間のズレができたのではないかと思います。
ただし、タエと、ネパール人と、中間世の魂となっている部分の記憶は、催眠から覚醒しても、ハッキリ覚えていました。

次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。

前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。


稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。
それは本当に不思議なことでした。

【転載おわり】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、検討したい個所は次の記述です。
扉を開けると、まばゆい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光のかたまりではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。


「まばゆい光の世界」にあって「姿も形もなく」、「男女の性別もわからない」、「小さな光の塊であるような」自分である自覚が認められ、一瞬にしてすべてのものが、私の中に流れ込んできた、そして自分がタエという名の16歳の少女であり、そのときの状況も把握できた、と里沙さんは言います。

さらに、タエそのものとして、泥流によって溺死した体験をした、と記述しています。
2回目のセッションでは、あっという間にタエになっており、それは「自分のなかにタエが入り込んでくるという感覚」であったと記述しています。

また、そのようなタエが話すときは、「勝手に口が動いて話が出てしまう状態」だったと言います。
そして、「姿も形もなく、男女の性別もわからない、小さな光のかたまりであるような自分である自覚」とは、まさしく「魂状態の自覚」だと考えられるでしょう。


このような意識状態になったという記述をありのままに受け入れるとしたら、どのように説明がつくのでしょうか。
里沙さんが、このセッションで「記憶催眠」レベルの催眠深度に達していたことは、標準催眠尺度によって確認しています。

そのような深い催眠状態に至って、里沙さんは自動的に「魂状態」になり、その「魂状態」になったそのときに、魂表層に存在しているタエという前世の別人格が、一瞬にして顕現化した、と考えることがもっとも妥当な解釈ではないでしょうか。

里沙さんとタエとは別人格であるので、タエの人格が話すときには、里沙さんの発声器官を借りて、タエ自身が話すことになる、話す主体は里沙さんではなくタエであり、里沙さんの意志がはたらく余地がありません。
したがって、「勝手に口が動いて話が出てしまう」という自覚を持たざるをえなくなってしまうのでしょう。

ただし、現行の催眠学的解釈をすれば、こうしたタエという人格が顕現化したようにみえる意識現象は、里沙さんが無意識的に起こした「役割演技」だとみなすことが可能です。
実際に「記憶催眠」レベルは、「人格催眠」レベルとも名付けられており、このレベルの催眠深度に至れば、人格変換、つまり、役割演技を引き起こせることが分かっているのです。

しかし、役割演技として顕現化したタエという架空の人格が、里沙さん自身はまったく入手していない、天明3年7月日7日夜の浅間山大噴火とそれに伴う「浅間焼泥押し」と呼ばれる大泥流被害などの正確な情報を話せるはずがありません。

タエの語りの内容の史実との一致率は80%を上回っています。
残り20%弱の語りは、検証不可能であり、結局、タエの語りについての明確な誤りは一つもなかったのです。

そして、2009年に実施した2時間以上にわたるポリグラフ検査によって、タエの語り内容の情報を、里沙さんが事前に入手していていた可能性は完全に否定できるという鑑定結果が出ています。
つまり、タエは、里沙さん自身のまったく知らない天明3年浅間山大噴火と浅間焼泥押しにまつわる諸情報を語ったということが検証できたのです。

この検証結果は、「超ESP仮説」を考慮しないとすれば、里沙さんがタエの生まれかわりであることの証明、ひいては「魂」と呼ばれる死後存続する意識体の実在している間接的証明ができたことを意味していると考えることができます。

そして、「タエの事例」から4年後、2009年5月に、SAM前世療法によって「超ESP仮説」を打破する応答型真性異言「ラタラジューの事例」があらわれました。

ここに至って、私は、すくなくとも里沙さんにおいては、生まれ変わりは「科学的事実である」と宣言して支障はないと判断しています。

そして「SAM前世療法」という手続きを踏めば、90%程度の成功率(直近100事例における成功率)で、被験者は「魂状態の自覚」に至り、前世人格が顕現化することが可能であることが確認されています。

こうした事実から、顕現化した前世人格の検証ができなくとも、生まれかわりは多くの人に起こっている蓋然性が高いのではないかと思っています。

2018年3月14日水曜日

SAM催眠学序説 その111

前世人格の所在はどこなのか


2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化」したものだとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

これが「タエの事例」以後、4年以上にわたって私を悩ませることになった大きな謎でした。

この謎について言及した先行研究は、イアン・スティーヴンソンに求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989からの抜粋です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出するこ とのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。

前掲書PP.359-360
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イアン・スティーヴンソンの言う「中間的媒体」、あるいは「心搬体(サイコフォア)」は、いわゆる「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的定義を明確にしたのだと思われます。
ただし、私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。
さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持する見解だと言えそうです。

ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・ 進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学における作業仮説です。
つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、その後の、SAM前世療法のセッションで顕現化した前世人 格の語りから確かめています。

さらに、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、そのままSAM催眠学が主張する見解と同様です。

「現世の私」という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM前世療法セッションで示される生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、それとも記憶ではなく前世の人格の顕現化であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについてはなにも解答を与えてくれませんでした。

私が求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、私の守護霊団を名乗る霊的存在でした。

2018年2月16日金曜日

SAM催眠学序説 その110

インナーチャイルドは「記憶」か「人格」か


 一般的なインナーチャイルド療法は、記憶催眠(深い深度の催眠)まで誘導の後、年齢退行によって「傷ついている子どもの意識」を呼び出し、癒すということになっています。
一般的に「インナーチャイルド」とは、「内なる子ども」と訳されますが、具体的には子ども時代の記憶や心情、感傷のなどを指しているようです。
しかし、インナーチャイルドは、ほんとうに「子ども時代の心情、感傷の記憶」なのでしょうか。

SAM前世療法の作業仮説では、魂は二層構造になっており、その表層は前世のものたちによって構成されていると考えています。
ミラーボールの球体表面に一枚一枚の鏡の断片が張り付いているように、魂の表層は、一人一人の前世のものたちが張り付き構成していると考えるといいかもしれません。
それら前世のものたちが潜在意識・意識を作り出しているということもSAM前世療法の仮説です。

そして、魂の表層には、前世のものと同時に「現世のもの」が位置付いています。この「現世のもの」は、現世に誕生して以後の現世での潜在意識・意識を作り出しているものということになります。
したがって、魂の表層の「現世のもの」の内部にインナーチャイルドが内在していると考えられます。

インナーチャイルドに出会ったのは、私が40代の終わり、現職の小学校教頭であったときです。
私は37歳で上越教育大学大学院で2年間の留学研修を終えて教育現場に復帰し、教頭職にあって教育催眠を生徒指導面に応用する臨床研究に没頭していました。
そうした中で、小学4年生男子の「夜驚症」の改善を母親から依頼されました。

夜驚症とは、睡眠中に突然起き出し、叫び声をあげるなどの恐怖様症状を示す症状のことで、数分から十数分間症状が続き、夢とは異なり目覚めた時に本人はそのことを覚えていないのが普通のようです。
成長とともに自然に治まるとされていますが、母親には心配でたまらなったようです。
そこで、家庭訪問で、この男子児童を記憶催眠(自分の名前が抑制されて想い出せない催眠深度)まで誘導し、年齢退行によって夜驚の原因の記憶を探ってみました。
なんと現れたのは2歳時の記憶であり、小児病棟で一人で寝ることの寂しさと悲しみ、母親からの見捨てられ不安を泣きながら訴えました。
この意識現象のありのままの事実と実感は、「悲哀の記憶」ではなく、「悲哀に苦しむ2歳児人格の訴えそのもの」と現象学的に解釈するほうが適切だという強い印象でした。

つまり、強烈な悲哀を体験した2歳児の思念の集合体は、成長していく本体の人格から分離し、取り残され、当時のままの幼児人格として潜在意識下に生きており、睡眠中に顕現化し、恐怖や不安を訴えているのではないか、という解釈をすることでした。
つまり、インナーチャイルドとは、「子ども時代の記憶や心情、感傷」ではなく、「強烈な悲哀を体験した結果、成長していく本体の人格から分離され、取り残されてしまった残留思念の集合体としての子ども人格」ではないかという仮説を持つことになったというわけです。


こうした仮説に基づき以下の手順で、SAM前世療法によるインナーチャイルド療法を実験的におこなってみました。
被験者は32歳男性です。
彼は、自分に向けられた叱声はもちろん、他人が受けている叱声にも過剰に反応し、異常なほどの恐怖感と激しい動悸に襲われるという症状を持っていました。
特に大声で叱声を浴びると、耐えられないほどの恐怖と動悸に襲われると訴えました。
そこで、仮説に基づくインナーチャイルド療法を以下の手続きでこころみることにしました。

1 魂遡行催眠まで誘導し、魂の自覚状態に至っていることを確認する。

2 魂の表層の「現世のもの」を呼び出す。

3 「現世のもの」の内部に存在し、症状を作り出している「子どもの私」を呼び出す。

4 「子どもの私」がどのような原因から傷つきを持ち、苦しんでいるのかを聞き出す。

5 苦しみに共感的理解をしてやりながら、分離され取り残されている「子どもの私」に 「成長を続けている私」と一つになるように説得する。

セッションの結果、呼び出しに応じて現れた被験者の「子どもの私」は3歳でした。
子どもどうしで遊んでいるときに、遊び相手の子どもが、大声でわめきながら、奪い合いをしていたオモチャで気を失うほど激しく殴ったということでした。
その傷つきの恐怖体験によって分離した「子どもの私」が、類似のことが起こる場面に遭遇しそうな度に、恐怖感と動悸を起こさせて、警告しているということでした。
こうした語りをしてもらった後、この「子どもの私」にヒーリングをし、大人の私と一つになるように説得してセッションを閉じました。

同様の手続きによって、会食するときに限って腹痛を起こさせている小学1年生の女児のインナーチャイルド、男性と親密な人間関係になることを拒否している小学6年生女児のインナーチャイルドの顕現化の事例があります。
 前者のインナーチャイルドは、学校給食で食べ残しを許されず、無理矢理担任教師から毎日居残りで完食することを強制されていた小学1年の女児でした。クライアントは40代女性です。
 後者のインナーチャイルドは、父親から性的暴力を受けていた小学6年生の女児でした。クライアントは60代女性です。


以上のようなSAM前世療法によるインナーチャイルド療法の改善効果の累積と検証はこれからの課題です。
インナーチャイルドとは、「子ども時代の記憶や心情、感傷」ではなく、「強烈な悲哀を体験した結果、成長していく本体の人格から分離され、取り残されてしまった残留思念の集合体としての子ども人格」ではないか、という私の現象学的仮説を否定するような意識現象の事実は現時点では確認されていません。
ただし、私の仮説は、催眠学上の「人格催眠」レベルで現象化する「人格変換」や「役割演技」という解釈も成り立つ余地があります。
つまり、「子ども時代の心情、感傷の記憶」の想起が、あたかも子どもの人格を装って顕現化した、という解釈もできるということです。

インナーチャイルド、未浄化霊、生き霊などの意識現象の顕現化を知れば知るほど、「意識」の謎は深まるばかりです。

2018年1月5日金曜日

SAM催眠学序説 その109

「ポスト物質主義科学」へのパラダイムシフトは進むか

精神医学・大脳生理学などの科学の主流では、物質である脳が意識を生み出していることが当然の常識として前提されています。
そのため、意識の源である脳さえ研究すれば、意識の発生メカニズムがわかると唯物論科学者らは信じています。
しかし、これまで決定的な成果はあがってないどころか、彼らの信念を揺るがすような臨死体験や応答型真性異言などの反唯物論的現象が報告されています。

意識は脳の随伴現象であり、脳の消滅とともに意識も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて棄却されてしまう、という言説(帰無仮説)は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」であって、この信念・主張が科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものではありません。


意識はそもそも非物質であるため、既存の物質科学では理解できず、さらに意識内容そのものを検出する科学機器も存在せず、したがって、意識体験者の報告に頼るほかありません。こうして意識は物質科学の対象として認めることができないと考えられてきました。

意識のメカニズムを解明できない物質的な科学主義の行き詰まりを打開するため、米アリゾナ大学医学部精神科の教授で、「意識と健康の科学の先進に向けた研究所」の所長も務めるゲイリー・シュワルツ教授は、「ポスト物質主義科学マニフェスト18条」を示しパラダイムシフトを提起しています。


ゲイリー・シュワルツ教授のこの主張は、科学の諸領域で確認されてきた超常諸現象に基づく「心・脳の二元論」の主張であるとも理解できるでしょう。

そして、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの次のような考え方と重なっています。
「肉体のない世界はどこにあるか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在すると答える。ここでまとめると、宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。(とは言え、その指摘は私が最初だなどと主張する気は毛頭ない。)この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う」


「ポスト物質主義科学マニフェスト18条」(抄訳)

第1条
近代科学の世界観は、物質主義や還元主義に則っている。

第2条
19世紀にこれらの前提は科学的物質主義というドグマになり、精神は脳の物質的活動に還元され、意識・思考は脳や身体など物質世界に影響することがないとされた。

第3条
20世紀には科学的物質主義がアカデミズムの常識となり、多くの科学者が世界の物質的理解のみが合理的な科学的思考だと信じるようになった。

第4条
科学的物質主義は自然の理解に大きな進歩をもたらすのみならず、科学技術の発展を通して自然の抑制や自由を人類にもたらした。

第5条
しかし同時に、科学的物質主義は科学を極端に限定し、精神やスピリチュアリティの探究を阻むものとなっている。

第6条
本来の科学は観察・実験・理論を通して自然を探究する史上初の非ドグマ的方法である。そして、科学的方法は物質主義とイコールではない。

第7条
量子力学の分野では、観察者の意識が物質世界に影響を与えることが判明した。このことで、物質は現実に存在する唯一のものではなくなり、自然の理解は意識への言及なしには不可能であることが証明された。

第8条
心理学や精神神経免疫学の分野では、心理的な要素が肉体に多大なる影響を及ぼしていることが判明している。

第9条
超心理学の分野では、精神作用が物質に影響を与えることが研究され、異常や例外として排除できないほど頻繁に超自然的現象が起こることが証明されてきた。

第10条
心臓発作の数秒後に脳の活動が停止するにもかかわらず、心臓発作に伴う臨死体験や、臨死体験が宗教経験を引き起こす例が頻繁に報告されてきた。

第11条
霊能者が故人の情報を正確に言い当てることが、厳密な実験でも明らかになっている。精神は肉体とは別に存在している可能性が示唆されている。

第12条
物質主義に偏った科学者や哲学者は、物質的に解明できない現象を否定する。そういった非物質的現象は彼らが持つ排他的な世界認識と相容れない。しかし、これらの諸現象を否定したり、ポスト物質主義を支持するような科学的発見の公表を差し控えることは、科学的探究の精神に反する。従来の科学の理論や信念に合わないデータが排除されてはならない。そのような態度は科学ではなくイデオロギーである

第13条
超能力、臨死体験、霊との通信などが異常に見えるのは、物理主義の観点からのみである。

第14条
物理主義は、脳から意識が生まれる仕組みの解明に失敗している。今こそ物理主義の束縛から抜け出し、自然世界の概念を拡張し、ポスト物質主義のパラダイムを受け入れるべきである。

第15条
①)精神は物質世界と同程度に現実的である。精神は宇宙の基本的要素である(物質に由来せず、物質に還元することもできない)。

②精神と物質世界には深く相互に結びついている。

③精神は物質世界の状態に影響を与え、空間的な制約を受けない(脳や身体などに精神があるわけではない)。

④全ての精神は、ただ一つの精神に包括されている。

⑤臨死体験では、脳は精神活動のトランシーバーのような役割を担っている。つまり、精神は脳を通して活動するが、脳から生み出されたわけでない。臨死体験では肉体の死後も意識(精神)が残っていることが分かっている。

⑥科学者は、精神や精神的経験の探究を恐れるべきではない。なぜなら、精神は人間存在の中心的側面であるから。

第16条
ポスト物質主義科学は、これまでに獲得された科学知識を否定せず、世界の重要な構成要素として物質を包含する。

第17条
ポスト物質主義パラダイムは、我々の自己認識を根本から変え、人間として、科学者としての尊厳と権能を取り戻すものである。世界の非物質的理解は古代の宗教伝統や生活実践にも見られてものであり、我々はその事実から目をそむけてきたにすぎない。

第18条
物質主義からポスト物質主義への移行は、コペルニクス革命よりも重要なものとなるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「意識」の問題については、私あて第8霊信(2007年1月)で次のように私の守護霊を名乗る通信霊が告げています。

「あなたがこれまで今生を通し、より強い興味や探究心を引きつけるものを、あなたはそこで理解していた。すべては『意識』であると理解していた。言葉としての「意識」をあなたは理解している。だが、それの本質はまだ理解に及んでいない。あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる。・・・あなたが『なぜか』と考えること、疑うことは、あなた自身が生じさせる思考であると同時に、私たちが投げかけている課題なのだと理解しなさい。あなたが催眠を深く探究したのと同じように、これからあなたは多くのものについて知ることとなる」

私の「意識の本質」への理解は、この霊信から10年後の現在でも、ほとんど進んではいないことを認めないわけにはいきません。
きわめて深い催眠事態にあらわれる意識現象の事実の累積は、「意識の本質」の深淵をますます露わにし、意識の謎を深めるばかりです。

ただし、ここに紹介した、アカデミズムに所属する ゲイリー・シュワルツ教授のような識者からポスト物質主義の提起が堂々とされたことに勇気づけられて、催眠という切り口から潜在意識の本質をこれからも探究し続けていこうと思います。

2017年11月24日金曜日

SAM催眠学序説 その108


 「生まれ変わり」否定の諸反論のまとめ

「SAM催眠学序説」も、2017年末をもって、今回の「その108」まで公開することができました。

ネット上に表明される文章は、ツイッターやフェイスブック、2チャンネルを見ても分かるとおり、「軽薄短小」が圧倒的な流れです。
こうした意味で本ブログは反時代的であると言えるでしょう。

本ブログのテーマ「生まれ変わりの実証的探究」は、実証性を重んじる、真面目な内容の性格上、おのずと「重厚長大」になりがちです。

また、そうでないと「実証的探究」の実証の中身が十分伝わらず、充実しません。

いずれにせよ、本ブログは反時代的な代物であることは管理人として重々承知しているところです。

そもそも、政治も企業社会も、「いまだけ、かねだけ、じぶんだけ」の風潮が主流の現代日本で、まだまだ自分の人生の先が長いと思っている人は、今、いかに必要なお金を稼ぐかが一番の関心事であるのは当然ですし、まずは明日を生きることに必死で、この先の日本や世界の行方、ましてや死後の行方などに真剣に目を向けるゆとりなどとんでもない、と思われるのが大方の実情だろうと思います。

だから、「生まれ変わりや死後の有無」を真面目に科学的に考えるなどは 、酔狂なヒマ人が勝手にやっとればよい、ということになるのはもっともなことだと思っています。
そして、私は、酒も賭け事もやらず「簡素で、自給的で、喜びを軸とする生活」を理想としているヒマ人であります。

したがって、本ブログ内容の需要はけっして高くはないということは開始当初から承知しています。
それでも、ブログ更新時には1日200近いアクセスがあり、そうでないときでも毎日100前後のアクセスがありますから、真面目な継続的読者のおいでになることは、ほんとうにうれしく思います。
この2017年1年間のご愛読にこころより深謝いたします。
ちなみに海外からのアクセスも1日30前後あり、2014年8月からの総アクセス数は11万を超えました。

人はいつか必ず死を迎える、この厳然たる事実を直視して、死への不安を抱いて今を生きることは重苦しいでしょうから、多くの人々は死の不安から目を背け、スポーツに熱狂したり、芸能界のスキャンダルやらを面白がったりしながら気晴らしに興じ、自分の死について正対し、真面目に考える重苦しさを先延ばしにして、あいまいにすることで、この生きにくい時代をやりくりしながら、なんとか日々を送っているのではなかろうか、というのが年末にも関わらずシコシコ書く時間のあるヒマ人、私の感想です。

しかし、死に直面化せざるを得ないときが、遅かれ早かれ人生のどこかで必ずやってきます。

死は無に帰することなのか、自分は死ともに完全に消滅するのか、それとも死後はあるのか・・・。
これは、すでに生きる時間の折り返し点を間違いなく通過している私自身のきわめて切実な問いであります。


本ブログは、この重大かつ根本的な問いに、科学的な実証をもって答えの一端を見出そうとしている試みです。


そして、実証のともなわない、観念的な、宗教的言説、霊能者的言説とは一線を画し、「観念より事実、理屈より実証」の旗印のもとに、私みずから手がけた生まれ変わり示す具体的事例の科学的検証という私の身の丈に見合った守備範囲を限定して述べてきました。

その生まれ変わりを示す「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を掲げて、生まれ変わりの実在可能性を主張してきましたが、当然それへの反論をいくつかコメントしていただきました。

今回、2018年を迎えるに当たって、そうした諸反論の経過を振り返ってみたいと思います。

Ⅰ 史実を踏まえた学問的反論


まず、特筆すべきは、2015年1月1日付「SAM催眠学序説その34」から開始され、3月22日の「その42」まで3ヶ月近く続いた、「タエの事例」について読者VITAさんから提示された下記2つの疑義に関しての論争です。

疑義 その1

 タエは泥流の水によって溺死をしているように見受け られましたが、その様子はこの分野における学問の知見と一致しないとする専門家の意見を以前拝見したことがあります。この方の見解は、泥流は大量の岩石を 含んだものであったので、これに巻き込まれた人が溺死をするようには思えない、とのようなものであったように記憶しております。私は以上のようなことから、タエの事例に限定して言えば、歴史的事実と比較した上でのさらなる検証の余地が残っているのではないかという感想をこの度持ちました。

 疑義 その2

浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っておりますもち ろんセッションにおいてタエの人格も「急ぐの、急ぐ、時間がない」とのように語ってはおりますが)。もし研究の知見とタエの語った内容に差異がある場合、 タエの人柱が歴史的事実であるということを証明するには、研究の知見のどこかに逆に誤りがあるということを検証によって明らかにすることが必要となるようにも感じられました。

浅間焼泥押についての最新の研究の知見を述べ、拙著の批判をしているのは地質学者の群馬大教授早川由紀夫氏のブログhttp://togetter.com/li/608596 です。

早川教授のブログで示された二つの疑義についてきちんと解明したいということでした。
私としては、専門家である大学教授の権威ある批判(学問的見解)に対して、真っ向勝負することであり、タエの語りで不明であったことの解明につながる緊張感に満ちた仕事でした。

この議論の経過と決着は、「SAM催眠学序説その34」~「その42」のブログ記事およびコメント記事をお読みください。
記事内容の質、量ともに専門学会でおこなわれる討論をしのぐハイレベルの内容であったと自負しています。
この討論の仕掛け人であるVITAさんにはあらためてお礼申し上げます。
また、泥流の流れ方についての専門的知見を展開し、討論に参加してくださったUROノートさんにもあつくお礼申し上げます。

Ⅱ自称霊能者からの無根拠な妄想による反論


さて、「ラタラジューの事例」 については、霊能者を自称している人物のブログで、ラタラジューは未浄化霊の憑依であり、里沙さんはその憑依霊の霊障によって転写された腰痛などに襲われるであろう、という根も葉もない霊視?結果が、2010年の「ラタラジューの事例」のアンビリ放映後に次のように述べられていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私の感応によりますと、数十年前に亡くなったネパール人男性が、日本へ行く旅行者に憑依して、日本霊域に来ています。

昭和までの幽界が強い時代は、日本の結界が強力に存在していて、外国人のさ迷う霊が日本に入ることは非常に難しかったのです。しかし近年は、この結界が崩壊している様です。私は番組を見て、この事を再認識させられました。

日本霊域でさ迷っていたネパール人男性は、ある時、退行催眠で無防備に成っていた女性の所へと引き寄せられたと言います。そして簡単に入り込む事(憑依)が出来たので、自分の言いたい事を話したのです。

女性(注:被験者里沙さん)は、長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました。
ところが術者先生(注:稲垣)による「問い掛け」とは、物を言いたい霊に対して、場所を提供することに成るのです。この結果、彼女は異国の男性の憑依を受けたのです。
問題は、そのネパール人の霊は、この女性に執着していました。

今後、彼女には腰痛に加えて、憑依する霊がいまだに持つ腹痛も、現実的な病気として彼女に転写するでしょう。それ以外にも、彼女の人生に影響を与えて変えてしまいます。
現に番組では、ネパール人男性が戦争に行き、人間を刃物で刺した記憶が、彼女が料理で肉を切る時にフラッシュバックして苦しいと、彼女は話していました。
人の意識に干渉する治療は、予想外の二次被害を生み出しますの注意してください。お金を払ってまでして、違う危険性を新たにはらみます。
これもやはり、先生も相談者も「無知ゆえの事」です。

彼女は過去生において、東北の弁財天信仰をする滝のそばで、口寄せ(くちよせ:霊を憑依させてお告げをすること)をさせる行者の元にいました。
そこで、寄り代(よりしろ)に彼女自身がされていたのです。その時の因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています。
このような過去生の行為が、再度また男性の元に引かれて、口寄せをする行為につながっています。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すでに7年以上前の記事ですが、この霊能者のもっともらしい上記予言は完全に的外れでした。
セッション後の里沙さんに霊障(ラタラジューの腹痛の転写)らしき身体の痛み現象などが、これまでにまったく起こっていないことが実証されているからです。
この自称霊能者は、感応できたと称する意識現象が客観的事実であるのか、主観的な妄想であるのかを自己点検する謙虚さを欠いたまま、臆面もなく断定できる厚顔無恥そのものの人物のようです。


Ⅲ 唯物論者からの応答型真性異言事例そのものが錯誤であるという反論

 的外れな反論としては他にも、それぞれ別人からの2つの反論がネット上に掲載されていました。

①ラタラジュー程度のネパール語会話であれば、ネパール語を知らない誰でも会話できる。
②ラタラジューのネパール語会話は、それらしく聞こえる空耳の羅列にすぎない。

上記①②の反論は、言いがかり以上のものではなく、検証実験すればその主張が成り立たないことが歴然としています。
臆面もなく、よくもこのようなめちゃくちゃの反論ができるものだと呆れるばかりでした。
両反論者ともに、生まれ変わりなどあってたまるか、という完全な唯物論者です。
「応答型真性異言」という、唯物論者にとってきわめて目障りな超常現象そのものをなかったことにしようとする目論見です。
「生まれ変わり」、「霊魂」という単語に過剰な拒絶反応を示し、非科学的迷信、社会の害悪だと決めつけ、きちんとした検証抜きで、問答無用のありえない戯言だと切って捨てる傲慢な態度です。
そのため、顕著な認知の歪みに陥るのではないかと思われます。
そうした傲慢な態度に陥らないためには、本ブログ「投稿の留意点」に掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度を持ち続ける必要があるのです。


Ⅳ 潜在記憶仮説で説明可能であるという反論 

無意識のうちに入手している「潜在記憶」で生まれ変わりとおぼしき記憶は説明可能である、という反論はもっとも妥当性がある反論です。
この反論には、たとえば次に紹介するような実証的根拠がありますから説得力があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られるため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまで全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。(中略)

記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに前世の人格を作り上げてしまうのである。このようにして作られた前世の人格は、長年月にわたって繰り返し呼び出されても、それなりの感情や一貫した性格を示して見せることであろう。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度もっている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方がおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ数名の者に催眠をかけたことがある。
この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているのかもしれないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確な形では語っていなかった。催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく想い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世の人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験では他の施術者に実験を依頼した。その結果ただの1件も成功しなかった」
 イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP79-80
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、潜在記憶仮説で説明できるのではないか、という点については、当然のことながら私も疑いをもちましたから、潜在記憶の入手可能性を徹底的に調査しました。
調査結果では、潜在記憶となる情報を入手できそうな入手先の痕跡は一切発見できませんでした。
最終的にポリグラフ検査をおこないましたが、検査結果の鑑定は「意図的に情報を入手した記憶は一切認められない」ということでした。
反論者の常套句は、「どこかで」無意識的に情報を入手したに違いない、という論理で主張してくるのですが、肝心の「どこか」については具体的に触れようとしません。
その「どこか」をさんざん調査しても発見できなかったのですから、無理難題、ないものねだりと言うほかありません。
タエにしてもラタラジューの語った情報にしても、通常の手段による意図的情報収集でも、あれだけの内容は入手できるとは考えられません。
まして、偶然の経緯で、しかもインターネット(注:里沙さんはネット検索の技能を持っていません)などの手段を使わず、あれだけの情報を入手することはあり得ないでしょう。
両事例を潜在記憶仮説によって説明することは、記憶の入手先がない以上、成り立ちようがありません。

ただし、「タエの事例」については、被験者里沙さんの心の力、つまり彼女は催眠中に万能の透視・テレパシーの能力を発揮してあらゆる情報を入手できたはずだ、とする「超ESP仮説」が適用できないわけではありません。
応答型真性異言である「ラタラジューの事例」については、応答的会話技能はESPでも取得できないとされていますから、超ESP仮説によっても説明できません。


Ⅴ ポリグラフ検査の被験者に不正(催眠による細工)があったのではないかという反論

ところが、私が催眠を用いて里沙さんの受けたポリグラフ検査をスルーさせたのではないか、という疑いを持つ人がついに出てきました。
つまり、被験者里沙さんは意図的に情報入手しているが、その事実がポリグラフ検査にひっかからないように、つまり嘘をついても心理的動揺が生じないように、催眠が用いられていたのではないか、という疑いです。
徹底した懐疑主義に立てばこうした疑いも出るでしょうが、これは私と里沙さんの人間性を否定されかねない疑いです。
したがって、次のような反論をしてあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「催眠暗示により、嘘を嘘として認知しないようにポリグラフ検査前に細工するということは、嘘をつくことが道徳に反する、という価値観の持ち主には原則的に不可能です。
私の数度の催眠実験でも、嘘をつくことを強要する催眠暗示した場合、被験者は拒否するか覚醒してしまいました。
したがって、里沙さんに虚言癖のような傾向が無い限り、嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としていられるような催眠暗示が有効であるとは思われません。
催眠は、良心に反することを強要できるほど強力ではない、というのが催眠学上の定説です。
また、ここで紹介したポリグラフ検査は被験者里沙さんが嘘をついても平然としているかどうか、つまり動揺せず、したがって生理的諸反応が起きないかどうかを確認する本検査前の予備検査がされています。
内容は、彼女の年齢を問う予備検査です。
30代か、40代か、50代か、60代かそれぞれにすべてに『いいえ』と答えさせるものでした。
その結果、50代で明白な特異反応が認められました。
彼女は、検査当時51歳でしたから、50代か? で『いいえ』と嘘をつき、それが特異反応として検知されたというわけです。
この事前検査結果からも、彼女が嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としている、などの催眠暗示がおこなわれていないことは、すでに明らかです。
仮に、そうした事前暗示がなされていても無効であったことが証明されています。
また、つづく本検査結果においても、以下の鑑定が出ています。
『鑑定事項1『タエの事例』に関する情報入手経緯については『本・雑誌類で』で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり、前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。
考慮すべき妥当性ある内観とは『先生(稲垣)からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、一回目の質問時から引っかかりを感じた』という内観報告である。したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである』
この鑑定は、つまり里沙さんは、完全な嘘をついていなくても、少しでも心理的なひっかかりがあれば動揺が生じること、正直で素直な性格であることを示しています。
こうした諸事実によって、少なくとも、ここで実施されたポリグラフ検査を、催眠により問題なく通過させたなどの不正が起こり得たはずがありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記私の反論について、疑義を提出した人からの再反論はありません。


Ⅵ 量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論

この反論を持ち出した人は、Wikipediaに掲載されている量子脳理論についての次の引用記事をヒントにしていると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ペンローズ・ハメロフ アプローチ
理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。
意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と 呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説 明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。[1]
臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」と述べている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記ゴチック部分のハメロフの主張の問題点を挙げると

①「脳で生まれる意識は・・・」と、脳が意識を生み出すことが確定されているかのような前提を述べていますが、脳が意識を生み出しているという科学的立証はいまだにありません。
②量子脳理論提唱者のハメロフの主張は、「臨死体験」の説明仮説としては論理が通っているでしょうが、「心臓が止まると意識は脳から出て拡散する。体験者が蘇生した場合は意識が脳に戻る」などの主張の科学的立証は一切ありません。
立証しようにも検証方法がないのです。
そして、臨死体験が「脳内現象」であるのか、「体外離脱現象」であるのかの決着さえも、いまだについていません。
したがって、ハメロフの主張は、臨死体験論争に、目新しい量子脳理論を持ち出して説明しようとする「私論」、ないし「試論」でしかないと言えるでしょう。

③ハメロフの言う「体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」、あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」という主張に、「ラタラジューの事例」の反論者は、待ってましたとばかり飛びついて、「量子脳理論で生まれ変わりは説明できる」と断定しているのですが、ハメロフは、宇宙にあり続ける死者の意識情報は「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」ときわめてあいまいな表現しかしていません。
理論とは言えないレベルの、科学的実証の見込みのない恣意的推論に過ぎないからでしょう。

④私は、ハメロフの量子脳理論による「生まれ変わり」の説明については、次のような決定的な欠陥のあることを反論しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「かつて、ラタラジューが生きており、死後ラタラジューの意識(人格)が量子として宇宙に偏在したとします。
そのラタラジューの意識(人格)がなぜわざわざ日本人の里沙さんの意識を選んで宿るのか、その理由がまったく説明ができないではありませんか?
宇宙に偏在していたラタラジューの意識(人格)が、たまたま気まぐれで偶然に里沙さんの意識に宿ったわけですか?
また、そのような偶然が普遍的に起こるとしたら、応答型真性異言現象がもっと多くの人々の間に起きてもいいのではありませんか? 
つまり、学んではいない異国語で応答的会話のできる人々が、これまで世界に5例にとどまらず、もっと相当数現れてもいいはずです。
この点についての整合性のある合理的説明ができない限り、量子脳仮説で生まれ変わりを説明できるとは到底考えることはできません」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の私の反論についての再反論はありません。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識情報が、偶然に現世の誰かの生命体と結び付いて生まれ変わる、とすればこうした現象は、すでに「生まれ変わり」という辞書的定義を逸脱しています。
生まれ変わることに目的性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、生まれてきた誰でもよい誰かの肉体に宿る、こうしたまったく無縁である死者の意識が、生を受けたまったく無縁の現世の者の意識に偶然に宿ること、これを「生まれ変わり」と呼べるのでしょうか。

おそらく、量子脳理論について生かじりの知識しかなく、量子論という最新科学を背景にした目新しい主張に、軽率に飛びついてみただけだからでしょう。

Ⅶ 形態形成場仮説を借用し飛躍した推論による反論


形態形成場仮説は、Wikipediaの説明記事の引用によれば、次のようになっています。
この仮説は、生物学者シェルドレイクの提案だとされています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この仮説は以下のような内容からなる。

  1. あらゆるシステム形態は、過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する(時間的相関関係)。
  2. 離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する(空間的相関関係)。
  3. 形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
  4. これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
簡単に言えば、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説である。
この仮説を肯定する人々もいる。だが、「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」と否定的な見解を示す人もいる[2]
また、シェルドレイクは記憶経験は、ではなく、ごとサーバーのような場所に保存されており(記憶の外部保存仮説)、脳は単なる受信機に過ぎず、記憶喪失の回復が起こるのもこれで説明が付く、という仮説も提唱している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反論者は、上記の、生物学者シェルドレイクの提案している形態形成場仮説の説明のうち、「記憶の外部保存仮説」を借用し、拡大解釈をして、生まれ変わりについて次のように反論しています。

「わたしは否定派ですが、理由は『死後の世界』を想定しなくても『この世』だけてすべて説明可能だからです。(中略)
わたしにはむしろシェルドレイクなどが主張する『形態形成場仮説』のほうが説得力を感じます。
つまり、そもそも『記憶』というものは『脳内』存在せず、重力場や電磁場と同じように種ごとに世代を越えて(つまり故人も含めて)共通の『場』に蓄積さ れていくものだ、ということです。従って、『脳』」は中継器のようなものであり、生物は『脳』」を通じて遺伝子というキーを使って自分の『記憶』にアクセスし ていると見るのです。
実際、脳科学が進歩した現在においてさえ、『記憶』が『脳内』に存在している、という確証はないのです。
ここで、ある条件下において他者の『記憶』にアクセスできるとすれば鳥類の『渡り』や魚類の『回遊』など世代を越えた情報交換が必要な現象や『本能』の謎も説明できることになります。
そして、この仮説により前世記憶や臨死体験などは勿論のこと、テレパシーなどの『記憶』に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります

私は、反論者の上記のゴチック部分について次のような再反論をしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)によって、ある条件下において、他者(死者)の「記憶」にアクセスできる、という主張は、「ある条件下」の具体内容が示されないかぎり、検証実験はできません。
そ の検証実験によって、他者(死者)の記憶にアクセスが成功したという検証がいくらかでもできて初めて、『「形態形成場仮説によって前世記憶や臨死体験などをは勿論 のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります』という科学としての言説が成り立つのではありませんか?
こうした、検証のされていないところで、『前世記憶や臨死体験などをは勿論のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります』という主張は、形態形成場仮説の極端な一般化という認知の誤りに陥った短絡的な恣意的推論と言うべきでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そ もそも、形態形成場仮説によって他者(死者)の記憶にアクセスできる、などの、あたかも最新量子物理学の成果を装った主張は、形態形成場仮説を『ラタラ ジューの事例』に都合よく援用した安易な拡大解釈、ないし実証のない恣意的推論だと受け取るしかないではありませんか。
だからこそ、『ある条件下において』などという、安直で曖昧模糊とした、反証可能性に閉じた言い回しをして、逃げを打っているのではありませんか?

『ある条件下』の内容が不明では、その条件を満たすにはどうすればよいのか、その検証が不可能ですから、科学的仮説の体裁になっているとは言えません。
仮説の検証方法が示され、仮説の再現方法が保障されていてこそ、仮説→検証→検証結果の分析と考察→仮説の実証、という科学的方法の適用が可能です。
したがって、反証可能性に閉じられており、検証のできない仮説は、科学的な仮説ではなく、恣意的推論の表明に過ぎないという誹りを免れません。

検証のできない、反証可能性に閉じられた仮説を持ち出すのは、前世などあるはずがない、という決めつけの前提から、『死後の世界を想定しなくてもこの世だけてすべて説明可能だ』という唯物論絶対の砦に立て籠もって、自分の唯物論世界観の安定を図ろうとする硬直した態度のように私には思えます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の私の再反論についての反論はありません。

さらに加えて言えば、「ある条件下において」の文言を、「超ESPなどの能力が発揮できる条件下において」と置き換えれば、「超ESP仮説」と同様のことを述べていることになりませんか?
「超ESPという能力を発揮できる条件においては、死後存続のあらゆる証拠は、生者による超能力で完全に説明できる」と考える理論が、「超ESP仮説」と呼ばれているものです。
つまり、「死後の世界を想定しなくても、この世だけですべて説明可能だ」とする理論です。
こう考えれば、「形態形成場仮説」のうち「記憶の外部保存仮説」は、「超ESP仮説」のような仮説に「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」という否定的見解を示す人が出るのは当然でしょう。
そして、「超ESP」という万能の超能力者が、発見されているわけではありません。
また、超ESPを用いて、情報である記憶は入手できても、情報に還元できない「暗黙知」である技能は取得できず、会話技能を示す応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、「記憶の外部保存仮説」で説明することはできません。

「記憶」は情報であり、その取得は、最近の「量子もつれ」現象で説明可能かもしれませ
ん。
しかし、応答的会話は「技能」であり、暗黙知である「技能」の取得は、超能力であろうと形態形成場仮説であろうと「量子もつれ」であろうと説明できるはずがないのです。
したがって、応答型真性異言現象は、生まれ変わり以外の説明は成り立たないのです。

「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの証拠とする私の主張への反論を、7点にわたって網羅しました。
このうち、両事例について、具体的反証を挙げて反論しているのは、Ⅰぐらいでしょうか。
「実証的探究」を掲げている本ブログ管理人としては、Ⅰ以外は、実証性に乏しく少々物足りない観念的反論だと評価するしかありません。
「理屈より実証、観念より事実」の旗印からすれば、実証なき理屈、事実なき観念による反論では十分な説得力を認めることはできません。

現時点において、これら諸反論では、両事例が示す生まれ変わりの実証性を揺らがせることがいささかもできなかった、と評価するしかなかったからです。
とりわけ、最新の量子論を背景にした量子脳理論、形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)でタエ・ラタラジューの両事例を説明できると主張されていますが、その主張の杜撰さから、どうやら生まれ変わりの科学的研究(SPRおよび超心理学)における先行研究の造詣があるとは思われませんでした。
生まれ変わり仮説の「否定が先にありき」であり、したがって、私の主張根拠である両事例の反証可能な点についての具体的な検討をすることなく投稿されているように思われます。

このことは、「前世を語る子どもたち」の膨大な実証的研究、3つの「応答型真性異言」の実証的研究を残した、生まれ変わりの科学的探究の先駆者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソン博士の業績と、それを模範とする私のささやかな探究が、少なくとも現時点では、否定することはできない、と自負してよいと思われます。

しかしながら、私の主張している「生まれ変わり仮説」は、生まれ変わりの濃厚な事実を示す状況証拠に基づいていますが、完璧な証拠だと断定できるまでに至っているものではありません。
だから、常に批判(反論)にさらされているあり方、常に反証可能性に開かれているあり方こそが、真理を求めるための、公正で科学的な探究態度だと思っています。
こうした公正で慎重な探究態度を逸脱しないために、私自身も、生まれ変わりがあってほしいという願望による、事実認識の歪みの有無についての自己点検を、常に怠ってはならぬと自戒しています。

諸反論の幾つもの波を被り、揉まれ、洗われ、再反論を慎重に検討し、粘り強く思考していくプロセスの繰り返しがあってこそ、生まれ変わり仮説はより強靱なものに仕上げられていくに違いないからです。
そして、反論は、反証可能性に開かれた形で証拠として提示されている具体的諸事実に基づいて実証的になされるべきでしょう。
法廷のルールに則れば、私が具体的諸証拠を提示して生まれ変わりがある、と主張しているのですから、生まれ変わりなど絶対にない、と主張する人は、私の掲げている諸証拠に対して具体的反証を挙げて生まれ変わりがないがないことを実証する「立証責任」があるということです。 

こうして生まれ変わりを否定する諸仮説をすべて公正に検討し、最後に残ったもっとも妥当性の高い仮説が「生まれ仮説」でなければ、宗教的信仰ではなく、科学的な事実としての生まれ変わりを、多く人々が納得することはできないでしょう。


生まれ変わりのように、きわめて重大で、広範囲に深甚な社会的影響力をおよぼすことを、科学的事実だと主張することであればなおさらです。
なお、私は、もし生まれ変わりのないことが、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の具体的反証をあげて「科学的に実証」されるなら、怪しげな宗教的言説、怪しげな自称霊能者のお告げ、胡散臭い霊感商法などが、きれいさっぱり完全に一掃できる画期的なことだと評価しますし、私の主張は、潔く誤りを認めて撤回します。
このことは、ひいてはスティーヴンソンの生まれ変わり研究の業績もすべて否定することになるでしょう。

最後に、you-tubeに公開している「ラタラジューの事例の英語版」に寄せられた海外からの2つの好意的評価コメントを紹介して締めくくりとします。
文面から、それぞれ生まれ変わりの科学的研究への造詣があると思われるお二人です。
また、コメント文面から「ラタラジューの事例」の公開動画にある説明コメントを丁寧に読んだうえでのコメントであると推測できます。

ちなみに、量子脳理論、および形態形成場仮説を持ち出して否定論を述べているお二人は、おそらく「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の動画にある説明コメントをきちんと読んでおいでになるとは思われません。

さて、お一人からはCongrats. Well done! 、 もうお一人からは Great job!という「!」付きの身に余るうれしい評価でした。
日本の濃尾平野の片隅の田舎町から、机に座ったままで世界に向けて発信出来る幸運な現世に生まれ合わせた喜びを噛みしめています。

Quite incredible! A very well planned session. It's amazing that she, as Rataraju, understands Nepali and gives many replies in Nepali (although many times she says "I don't know').. Congrats. Well done! To me, xenoglossy is evidenced here through the route of a spirit.


Hi. I think at some point when Ratarajou mentioned about his stomach pain, he died at that point and when people cross over its hard to communicate with them because like Dr.Brian Weiss said they are in state of resting or sleeping. If you noticed it was harder to talk to him after that point. Questions that he were answering in the earlier parts of the video, he answered "I dont know" or not understand at the point after he died(of stomach pain) because Rataraju was already resting and its hard to talk to them when its like that. If you are familiar with Dr. Michael Newton works the regression approach to be able to talk to people who are already in the spirit home or people who already cross over is by LBL type regression. But Kudos to this video, this is a great material supporting the reality of past lives and reincarnation. Great job!


最後まで辛抱強くお読みくださった読者の方には、あつくお礼申し上げます。

2018年が、あなたにとって、意義深く稔り多い成長進化の年になりますように、お祈りいたします。

そして、世界中のすべての人々にとってもそうであるように。

どうぞ、よき新年をお迎えください。
2018年も、どうぞよろしく。

2017年11月7日火曜日

SAM催眠学序説 その107

意識は「霊体」に宿っているか


「心・脳二元論」とは、心(意識)と脳とは別物で、脳が心を生み出してはいない、ということでした。
この「心・脳二元論」の最大の弱点は、それでは意識はどこで生まれ、どこに存在しているのかが説明できないことです。

この説明は、心(意識)のような目にみえない対象を探究するには、実験・観察を手段とする現行 の科学的手法ではなんともならないものです。
そこで、探究を進めるために、私あて霊信が告知した魂・意識・霊体などの知識を「作業仮説」として手がかりにするほかないというのが私のとった立場です。

作業仮説とは、その仮説の科学的実証はいまだできないけれども、探究を進める作業ために設ける暫定的な仮説です。
フロイトにおける「イド」とか「超自我」などの構造を持つ無意識論、ユングの「老賢人」、「太母」などの元型論は、みな意識の研究を進めるための作業仮説です。

そして、私はSAM前世療法の最終過程である「魂遡行催眠」という技法を成立させるために、意識は脳にあるのではなく霊体にある、という私あて霊信の告げた「霊体仮説」を採用しています。

通信霊は、「あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい」と親切にも私に教示してくれると告げてきたのです。
 
 ここで、私が探究のてがかりにした、私あて霊信(注:SAM催眠学序説その47~72で公開)が、告げている魂の仕組みと霊体の関係について、要点を抜き出してみます。
「霊体仮説」をはじめ、「心・脳の二元論仮説」「魂の二層構造仮説」の原点は、それら霊信の真偽の検証にあるからです。

私あての第11霊信は次のように告げてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在しているからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである
それは、命あるものすべてにつながり、私たち(注:高級霊)へも強いつながりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある
あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい。(中略) 

そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたは、今度その療法に関わるが、それだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。(中略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうして私の通信霊への16の疑問の回答として、第12霊信で次のように告げています。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前世療法で顕現化されるのは魂ではなく、魂の側面である。
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。
その表層部分が傷を持つのである。
その表層部分は、これまで転生してきた者たちにより構成されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私の通信霊への疑問の回答として、第13霊信で次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

顕在意識・潜在意識は、脳が生み出しているものではない。
すべては、魂の側面(注:「側面」を「表層」とも表現している)である者たち(注:これまでに転生してきた者たち)が作り出しているものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さらに第14霊信では、私の通信霊への疑問の回答として次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

霊体はあなたがたという魂の側面に属するものであり、心も同様である。
その違いは、霊体は魂にその存在をゆだねているが、心はゆだねていないものである。
心は、心という存在なのだ。
だが、魂に属するものである。
魂にとって、心は道具なのだと考えなさい。
霊体とは魂ではない。
それは、あるときは、オーラ と呼ばれもする
そのものを体を包むものである。
私(注:エドガー・ケイシーを指す。第7霊信で通信霊の一員として「私はエドガー・ケイシーである」と名乗っている)が過去にリーディングした中で、アストラル体という表現を用いて説明したものである。
それは魂ではなく、それに属するものであり、肉体を保護する役割を担うものでもある。
霊体自体は、単体で動くことはできない。
それは魂とともに存在するものである。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。

死後、霊体は魂から離れる。
だが、それらの意識は魂に取り込まれる。
そして、魂のものとなるのだ。
霊体は、ある意味においてはあなたがたが「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。
心が個人的意識をつくるのではない。
霊体が持つのだ。(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


また、第15霊信では次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生と死の過程は日々おこなわれるものである。
今日という日がはじまり、あなたがたはその先へと進んでいく。
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともににあなたの魂から生まれた多くの者が存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。
それらの者の協力を求めるのだ。
友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。
あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そして、第10・17霊信では次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

魂という存在を理解しなさい。
あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。

あなたという存在も、側面の者であり、すべての側面の者は友であると理解しなさい。
魂は、すべての側面の者がつながりを持ち、友愛を築き与え合うことを望んでいるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


抜き書きした上記霊信告げている魂の仕組みと意識、意識と霊体の関係を要約すれば次のようになります。

①脳が意識を生み出してはいない。

②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 

③魂表層の前世の者たちが生み出している意識は霊体に宿っている。

④「現世の私」も、魂表層を構成している一つである。

⑤霊体は、現世の私が私という意識を持つための役割を担っている。

⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。

⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。


⑧魂表層を構成してる前世の者たちはつながりを持ち、友愛を築き、与え合う関係にある。

以上8点が、SAM前世療法の作業仮説の骨格となっています。


そして、意識は霊体に宿っている、とした場合に次のような現象の説明が成功するのではないかと思っています。

①SAMの特殊技法である「魂遡行催眠」は、指の霊体にある潜在意識を指そのものに担わせ、指の繰り返しの動作によって魂状態まで遡行させるという技法が成功している。意識・潜在意識が脳にあるとしたら、このような作業が成功するとは考えにくいのではないか。 
何よりも、この技法により、被験者里沙さんを「魂状態の意識」にまで遡行させ、魂表層を構成している前世人格であるラタラジューの顕現化に成功している。ラタラジュー人格は、ネパール語で会話し応答型真性異言を示したが、同様の手続きを踏めば被験者の90%以上の確率で前世人格の顕現化に成功している。こうした意識現象の事実は、霊体仮説を支持している。


②心臓移植をした場合、移植を受けた人にドナーの意識(記憶・癖・好みなど)が現れるという現象は、移植する心臓を取り囲んでいる霊体も同時に移植されることであり、移植先の人の霊体にドナーの霊体が混入すると解すれば、ドナーの意識や記憶の一部が移植を受けた人に現れることは説明可能ではないか。

③体外離脱した人が、離脱中に見聞した記憶を報告することが説明できるのではないか。つまり、魂とともに霊体も離脱するので、魂が見聞し記憶している意識を霊体が持つからだと説明できるのではないか。
臨死体験研究者キュブラー・ロスの報告によれば、全盲の人が対外離脱中に部屋にいる人の服の色・形を正しく報告した。ということは、魂は、肉体の全盲という障害とは関係なく五感を感知する能力を持っていることになるのではないか。

④統合失調症の典型的症状に幻聴(自分ではない者の声が聞こえるという訴え)は、患者の霊体に未浄化霊が侵入した(憑霊した)と考えれば、進入した未浄化霊の意識が幻聴を起こしていると解することができるのではないか。
実際に浄霊作業によって統合失調症を治療した記録(米精神科医ウィックランド『迷える霊との対話』)がある。また、私も未浄化霊の浄霊作業によって統合失調症の19歳男子大学生の症状改善に成功している。

⑤幻肢という意識現象がある。
手足を切断しているにもかかわらず、ないはずの手足の痛みなどをあるごとく感じる現象である。
これは手足を取り囲んでいた霊体が何かの理由で切断後もそのまま残存して、切断時の痛みの意識を訴えているという説明が可能ではないか。

⑥SAM前世療法のセッション中に顕現化する未浄化霊に、何を目安に憑依するのかを尋ねると、被憑依者のオーラに宿る意識を感知して憑依すると答える。つまり、被憑依者が、未浄化霊に対して共感や受容する意識を持っているかを、そうした意識が宿るオーラによって判断するということらしい。そして、オーラ(霊体)に憑依すると答える。


これらの諸現象の科学的実証はできませんが、「意識は霊体に宿っている」、という仮説を採用すれば、「意識現象の事実」として現れている未解明な事実を説明することに成功するのではないかと思います。
それにしても、奇怪、奇抜な仮説ではあります。
しかし、SAM前世療法の実践によって検証・確認されてきた「意識現象の事実」は、霊体仮説および、その他の仮説の成立をすべて支持しています。

このことは、私あて霊信の教示した内容が、受信者M子さんの妄想による作文ではないことを証明していると理解できます。

そしてまた、前述第11霊信で、「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたは、今度その療法に関わる」と予言した前世療法こそ、この予言の1年後2008年に創始した「SAM前世療法」であり、その成果として、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が2009年にあらわれたのです。

紹介した霊信現象をはじめ、アンビリバボーでTV放映された「タエの事例」、応答型真性異言「ラタラジューの事例」などは、現行唯物論とは真っ向から対立しています。

しかし、以前は唯物論側に与していた私は、いかに唯物論と対立しようとも、自ら体験してきたこうした不思議な諸現象の検証結果を前に、それを事実だと認めることに躊躇しなくなっています。
これまで唯物論側からの観念論をはじめ様々な反論を受けていましたが、これら「事実」を唯物論では突き崩すことができないでいるからです。

もし、私以外にこのような仮説を立てているという医師・療法家や霊能者を知っている読者がおいでになれば、その出所を教えてくださるとうれしく思います。

私の知るかぎりでは、米国の催眠療法家L・M ・ルクロンが、潜在意識から情報を探る技法として、観念運動による「指による方法」(「催眠のすべて」講談社現代新書、PP.62-72)という技法を紹介しています。
ただし、ルクロンはこの技法の理論的裏付けについては語っていません。
質問の回答を、潜在意識による観念運動として指に起こさせるという理解をしているようです。

2017年10月7日土曜日

SAM催眠学序説 その106

魂の実在は証明できるか

SAM催眠学の用いる「魂」という用語の概念は、諸宗教の信仰や宗教的価値観とは無縁な概念です。

「生前の個性や記憶などの心的要素を来世へ運搬する媒体 」という概念で用います。
こうした概念をスティーヴンソンは、科学としての生まれ変わり研究を強調し、宗教色を排除するため、soulではなく、「サイコフォー」という新たな用語を用いたらどうかと提唱しています。
超心理学者笠原敏雄氏は、これを「心搬体」と訳しています。

私は、「魂」というなじみの一般用的語がすでにあり、そこにあらたな概念づけ(創造的定義)を特にするわけでもないので、心搬体ではなく魂という用語をそのまま用いています。

さて、標題の「魂の実在の証明」はどのようにして可能でしょうか。

おそらく、魂は、物質には還元できないでしょうから、現行科学では映像化も計量化も不可能です。
魂の世界(次元)にも法則があるかもしれませんが、この世の物理的世界ものとは違うと考えられます。
時間の流れも異なるでしょうし、空間も異質であろうと思われます。

したがって、魂を想定しないと説明が成功しないような現象を累積し、状況証拠として間接的証明するしかないと思います。
私は、魂の間接的証明をするために以下の3点を考えています。

①生まれ変わりの実在を証明する。それによって、魂の実在が間接的に証明できる。

私は、この仕事を「ラタラジューの事例」でほぼ成功できたと判断しています。
なぜなら、ネパール人タマン族のラタラジューという前世人格は、SAM前世療法の魂遡行催眠によって、魂の表層から呼び出すという手続きによって顕現化した前世人格であるからです。
ラタラジューは応答型真性異言現象をあらわし、死後も魂表層で意識体として存続している前世人格であることを証明しているととらえています。

応答型真性異言は「技能」です。
「技能」は超ESP(万能の透視能力)を駆使しても獲得できないことが、百数十年にわたる心霊研究、超心理学研究によって明らかになっています。
したがって、今後、学んでいない技能を超能力で獲得したという超能力者が発見がされないかぎり、「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの科学的証拠として超心理学史上に残っていくはずです。

②臨死体験による偶発的体外離脱現象の報告の中で、当該臨死体験者の知り得ない事実を体外離脱中に見聞したという実証をする。

こうした臨死体験事例は、研究者による報告が数多くされています。
しかし、いまだに報告される体外離脱体験が「脳内の意識現象」であるのか、「現実体験」であるのかの決着はついていません。
そして、「現実体験」である実証のためには、単なる脳幹死状態ではなく、脳の血流停止状態の確認が必要です。

つまり、脳が血流停止状態になり脳細胞の死滅が明らかである状態での体外離脱現象であれば、体外離脱した意識体(魂)は脳細胞内現象ではないことが確認されることになるからです。
しかし、臨死体験とは生き返ってこそ報告される体験ですから、脳細胞が死滅すれば生き返ることは不可能となり、臨死体験報告から魂の実在を証明することはきわめて困難でしょう。
また、実際に事例を集める臨死体験研究は私の守備範囲外です。

③意図的、実験的体外離脱(幽体離脱)現象を起こさせ、その体験報告を検証する。

意図的に体外離脱を起こすことができる、と広言する人はいないわけではありません。
こうした被験者に実験室で体外離脱現象を観察する試みは、超心理学分野でおこなわれています。
しかし、確実に体外離脱現象を実証したという成功例はいまだ報告されていません。
ヘミシンクや隔離タンク実験でもそれらしき報告はあります。
しかし、そもそも、体外離脱して見聞したことが、現実体験であるのか、超ESPによる透視(脳内現象)であるのかの判断がきわめて困難です。
体外離脱をできると広言する人には、超ESP仮説のあることすら知らない人がいるようです。

④SAM前世療法によって、偶発的に顕現化する、憑依していた未浄化霊の語りによって身元を探り、その実在を検証する。

未浄化霊が口頭で語ることができた事例は、被験者が霊媒体質である場合に限られるようです。
しかも、語られた生前の身元が検証できるほど詳細であることはきわめて稀です。
この未浄化霊の身元検証も現在のところ成功していません。
ただし、浄霊という作業によって、憑依のために起こっていると思われる心理的、肉体的症状の改善が起こることを確認しています。
こうした浄霊作業による症状改善も、魂の間接的証明の一つに加えることができると思われます。

私は、SAM前世療法によって、最深度の催眠状態に誘導すれば、魂状態への遡行が、意識現象の事実として可能であることを確認してきてました。
しかも、「ラタラジューの事例」によって、魂の表層から真性だと検証された前世人格の顕現化を証明できたと判断しています。
SAM前世療法という道具によって誘導した魂状態の自覚が、はたしてほんとうに肉体と魂の分離状態であるなら、これを完全な肉体との分離状態にまでもっていくことが可能ではないか、というのが私の探究課題です。
催眠を道具として扱える私の守備範囲内の探究です。

こうした探究をすることによって、SAM催眠学の新たな展開が生まれるかもしれません。

さて、厳密な生まれ変わり研究の先達者イアン・スティーヴンソンは、前世療法によって語られる前世の記憶については、厳しい批判をしていることを、これまでにも紹介していますが、彼は後に、次のようにいくぶん修正をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 催眠を通じて表面化した事例の存在にもここでふれておかねばなるままい。私は、自らの手で調べた応答型真性異言(実在の言語を学ぶことなく知っており、その言語の話者と多少なりとも会話ができる能力)の二例(注:イェンセンの事例、グレートフェンの事例)が催眠中に起こったという事実を忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究を決して非難することができなくなった。とはいえ、、催眠によって誘発された前世の記憶というものは、ごく一部を除けば意味がないということも、ここで述べておく必要がある。
(『前世を語る子供たち』日本教文社、P.106)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
催眠による生まれ変わりや魂の実在の科学的探究は、こうした先達者イアン・スティーヴンソンのことばに勇気づけを得ています。


魂の実在を宗教的信仰レベルや個人的体験の直感レベルで信じている方には、私の態度・考え方は、厳密すぎ理屈っぽすぎ、つきあい切れないと感じられるでしょう。
しかし、超心理学の立場で、生まれ変わりの実在や魂の実在を科学的に証明するためには、避けて通れない手続きです。
超心理学は、他の諸科学以上に厳密性が要求されるのです。

なぜなら、生まれ変わりと魂の実在が、「科学的事実」であると証明された場合、唯物論に染め抜かれた個人の人生観、世界観の根本的変革はもちろん、人間科学や政治・経済など広汎な領域にまで根本的変革が際限なく波及せざるをえなくなり、現行唯物論を基盤とする人間社会の大きな混乱は避けられないからです。

だからこそ、唯物論陣営に甚大な認知的不協和が生じ、反証をともなわない感情的観念論や反証をあげられないと分かると無視という手段によって攻撃されることになります。

たとえば、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット社、のアマゾン書評にある酷評が典型です。
この書評者は、提起された科学的事実に正当な反論をするためには、同様に科学的事実で反論する立証責任がある、というルールを知らないか、無視して、いたずらな感情的反発に終始しています。
そもそも拙著をきちんと読んでいないか、ふつうレベルの読解力が欠如していると思われのです。

さて、死後、霊にもどった魂は、次の生まれ変わりまで、どこに存在するのでしょうか。
当然のことながら、死後の世界について、現世の人間は体験することはできません。
したがって、イアン・スティーヴンソンは次のように推測しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肉体のない世界にも法則があるかもしれないが、この世のものとは違うであろう。時間の流れも異なるであろうし、空間も異質であるかもしれない。誰かのことを思うだけで、あたかも「今」が「ここ」と同義であるかのように、次の瞬間にはその人の目の前にいることになるかもしれないのである。

こうした肉体のない世界はどこにあるか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在すると答える。
ここでまとめると、宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。(とは言え、その指摘は私が最初だなどと主張する気は毛頭ない。)この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う。私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な体験をさせてはくれるであろうが、心の働きは制約を受ける。死んだ後には、肉体の制約から解き放たれるので、心理的世界のみで暮らすことになるであろう。そして、その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかすると全員が、新しい肉体と結びつくのかもしれない。それを指して私たちは、生まれ変わったと称するのである。
 (『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.352-353)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記引用の死後の世界についての推測は、SAM催眠学の見解もほぼ同様です。
「心理的(ないし心霊的)世界」は、「霊界」と同義と考えてよいでしょう。
ただし、「その人たちの一部、あるいはもしかすると全員が、新しい肉体と結びつくのかもしれない」という推測は、SAM催眠学では採りません。
「その人たち(注:前世の者たち)の一部」ではなく、「全員」が魂表層に存在し、新しい肉体に結びつく、という意識現象の事実が、SAM前世療法の実践で確認されているからです。