2022年12月21日水曜日

ガイド から生まれ変わった人のセッション体験記

SAM催眠学序説 その157


 

前ブログ「 SAM催眠学序説 その156」で、「クライアントのなかには、霊として誕生し、初めて肉体に宿った魂として人生を送っている事例があります」という紹介をしておきました。

ここに紹介するのは、そうしたまれな魂の持ち主のセッション後の感想です。

 

このクライアントは、生きづらさに悩み続けてきた51歳の女性教員です。                        

ブログに掲載することを了解していただき、紹介することができました。        

 

なお、セッション期日は、20221122日であり「SAM催眠学序説その156」の記事掲載前日です。

 

また、クライアントのメールが届いたのはセッション5日後の20221127日です。


 以下の点線内部分がクライアントのメールです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 【主訴】(注:セッションの申し込み時に書いていただいたもの)


ただただ、自分の前世を知りたいです。                    


私の現世が前世にどんなつながりを持つのか知ることで、今後、苦手なことや思い通りにいかないことを乗り越えていければと考えています。

よろしくお願いします。


【セッション後の感想】(注:セッション5日後)


こんにちは。

先日は大変お世話になりました。

 

1123日付け(注:SAM催眠学序説その156)のブログで、人間としての前世のない人格の事例を取り上げてくださり、ありがとうございました。    

 

私は、人間の前世があるものと信じきっていたため、結果は意外であり少々残念でしたが、今回のブログを読ませていただき、自分なりに理解できたと思います。

 ワイス式の落とし穴についても納得しました。

 

また、今までの人生で生きづらかったり、人間の汚い所が許せなかったりというのは、ガイドから初めての人間としての人生だったからなのかもしれないなと実感しました注①

 

ブログのコメント欄からお送りしようと思いましたが、プライベートな内容なので、メールとさせていただきました。

 

セッションにおいては、大変貴重な体験をさせていただきました。

両腕は勝手にくっつき、体はホワッと体重を感じなくなりました。

 

しかし、私が余計なことを頭で考えてしまうため、顕在意識が強くなっていたのかもしれません。

 

また、先生からお聞きした話、大変興味深く拝聴いたしました。

 

面白すぎて時間があっという間に過ぎました。 

 

先生の今までのブログはほとんど読んではいましたが、実際にお聞きするとたいへんわかりやすく、「あの難解な文章は、このことだったんだな」とつながり、脳や意識、魂、霊といったものがどうにつながりあっているのか、よくわかりました。

 

帰宅後、先生のブログを始めから再び読み直すことにしました。

 

 自分に取り込み、今後の生活に役立てていきたいと思ったからです。

 

また、先生のスピリットヒーリングにより、出産以来苦しんできた骨盤の痛みが引き、立ち上がるのも、動くのもとても楽になりました。

 

これには主人も驚いていました。

 

人間としての人生が始まったばかりですが、一つひとつすべてが勉強であると自覚し、魂を成長させる努力をしていきたいと思います注②


徐々に寒くなってきました。

くれぐれもお体にはお気をつけください。


時が来ましたら、改めてセッションをお願いします。

許されるのであれば、守護霊様との対話がしたいです(^^)

 

 先生と先生の治療霊団の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

(感想メールおわり)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、以上の感想を読まれてどのように思われたでしょうか。

 

疑わしいのは、事前にガイドの前世がある事例(SAM催眠学序説 その156)をクライアントが読んでおり、ガイドの前世であったらいい、というその願望が無意識のうちに投影されたガイドの架空前世の顕現化ではないか、ということでしょうか。

 

しかし、時系列からしてクライアントが、セッション翌日に掲載した「その156」をセッション前に読めるはずがありません。      

 

さて、こうしたガイド(高級霊)の前世の顕現化現象は、その真偽の検証は不可能ですから、そのまま「意識現象の事実」として真偽の判断は留保としておくしかありません。

 

そして、高級霊であるガイドからあえて人間に生まれ変わった理由は、神からの指示である、ということでした。                                  人間世界に生まれ変わり、地上の人間に霊的真理を何らかの形で広めること、そうした使命遂行のなかでさらに霊的な成長・進化を果たすことが人間に生まれ変わった理由だということでした。

 

魂の成長・進化のためには負荷が必要です。

 

注①今までの人生で生きづらかったり、人間の汚い所が許せなかったりというのは、ガイドから初めての人間としての人生だったからなのかもしれないなと実感しました」という述懐は、SAM前世療法セッションによって、クライアントがこうした負荷を納得し受け入れる洞察ができた結果だと思われます。

 

また、注②人間としての人生が始まったばかりですが、一つひとつすべてが勉強であると自覚し、魂を成長させる努力をしてきいたいと思いますという述懐は、注①の洞察の結果、これからの人生後半へ立ち向かう決意のあらわれだと思います。

 

 クライアント氏には、このコロナ感染禍のなか「ただただ、自分の前世を知りたい」という衝動?によって関東多摩地方から列車を乗り継ぎ、はるばる3時間余をかけて東海美濃地方の可児市までSAM前世療法セッションにおいでいただいたこと、感想メールをいただきブログ掲載を快諾いただいたことにこの場を借りてあつくお礼を申し上げます。

 

 こうした、クライアントの生きる力を呼び起こすためのお役に立てたことは、前世人格の顕現化を可能にするSAM前世療法ならではの醍醐味であり、SAM前世療法創始者としてこのうえない喜びです。

  

2022年もあと残りすくなくなりました。

 

新しい2023年が、読者のみなさんにとって、22年にも増して魂の成長・進化の1年となりますように心よりお祈り申し上げます。

 

2022年11月23日水曜日

最初の人生の魂の持ち主の人格特性

 SAM催眠学序説 その156

 
魂の実在を認める立場であっても、魂がどこでどのように誕生するのかは検証不明です。
ちなみに、SAM前世療法では、「魂」とは肉体を持った「霊」を「魂」と呼びます。
したがって、「霊がどこでどのように誕生するかは検証不能です」というのが正しいことになります。
 
クライアントのなかには、「霊」として誕生し、初めて肉体に宿った「魂」として人生を送っている事例があります。
しかし、セッションであらわれる意識現象の事実として、現世が地球人として初めての人生を送っている魂の持ち主もどうやらおいでのようです。
 
というのは、地球外の星の前世、つまり知的生命を持つ異星人の前世を体験している人ですが、これまでに十数人確認しています。
あるいは、「人間としての前世がない」ということで、人間ではない霊的存在(ガイド)から、あるいは、守護霊から、人間として生まれ変わったというクライアントが数名含まれています。    
 
なお、守護的存在としての守護霊は、生まれ変わりを繰り返し成長・進化したものを「守護霊」、人間の生まれ変わりを選ばず、霊界で独自の成長・進化を遂げて守護的存在となっているものを「ガイド」と分けるようにわたしあて霊信は告げています。
 
その判断の根拠は、魂状態に遡行したときに、魂の表層の「現世のもの」しか顕現化しないこと、「現世のもの」に、○○の前世のものに交替してください、と命じても「誰もいません」と回答することから判断せざるをえません。
あるいは、「現世の直前の人生を送った前世のものは出ておいでなさい」と指示しても顕現化しないことで判断するしかありません。

「それではあなたは、現世が最初の人生を送っている魂ですか?」と尋ねると、「そうです」あるいは、「わかりません」という回答が返ってきます。
生まれ変わりを経験していないので、生まれ変わりということがおそらく分からないのだろうと推測しています。
 
そして、生まれ変わりがない人や、地球人として最初の生まれ変わりを送っている魂の持ち主の性格特性は、次のようなものであることが、セッション前、セッション後のカウンセリングから明らかになっています。

①好奇心が人並み以上に強く、好奇心に駆られてすぐ行動に移る。本人はそうした自分を落ち着きのない人間であると自己評価している。

②性格が純真で素直である。周囲からは、悪意や悪気のない人物だという評価を得ている。あるいは楽天的であっけらかんとした印象を与えている。

③傷つきやすい。警戒心が薄弱であるため、裏切りに会ったり叱咤されることに傷ついて、劣等感に陥っていることも多い。
 
④人生に生きづらさを抱いて、抑うつ状態に苦しんでいることが多い。
 
興味深いことは、「ガイド」から人間に生まれ変わったクライアントは、神からの指示によって人間界に生まれ変わったと答えていること、人間界の醜悪さに生きづらさを抱いて、うつ状態に陥っていること、セッション中に落涙する、などの共通の意識現象があらわれることです。
中には霊界に戻りたいと涙ながらに訴えたクライアントもいます。
 
こうした性格特性は、アラン・カルディックの霊信『霊の書』のなかで、通信している高級霊(聖ルイと名乗っている)が、誕生したばかりの魂の特性を「無知、無垢です」と告げていることと符合しています。

わたしあて霊信では、「あなたも魂表層の一つです」と告げており、つまり、現世の「わたし」という人格を担っているものが、わたしの魂表層に位置付いていることを告げています。

こうした、セッションにあらわれる意識現象の事実と、わたしあて霊信の告げていることから、魂の表層には「現世のもの」が位置付いていることは事実であろうと思われます。
「現世のもの」の定義をすれば、「現世に生まれてからこちらの意識・潜在意識をつくりだしている人格」ということになるでしょう。

こうして、「わたし」という人格は、魂の表層に存在する「現世のもの」が担っているといえそうです。

そして、「現世のもの」は、生まれ変わりがある場合には、魂表層の諸前世人格の影響を受けながら成り立っている、いわば複合的人格とだと考えられます。
わたしあて霊信で、「魂表層の諸人格は友愛を結び、互いの人生の智慧を与え合っている」と告げているからです。
とすれば、魂表層の現世人格は、潜在意識下で前世諸人格から人生の智慧を与えられているということになります。
 
ただし、諸前世人格の中には、傷つき苦しんでいるものが存在し、そうした傷ついている前世人格からの負の影響も、当然のことながら受けざるをえません。
わたしあて霊信では、「傷の無い魂は存在しない」と明確に告げています。

要するに、「わたし」という人格は、両親から受け継いだ遺伝的資質と現世の生育歴の諸体験からのみ成り立っているわけではなく、それに加えて諸前世人格からの正・負の両面の影響を受けているということです。

そのように現世人格の成り立ちを推測すれば、人格は、①両親からの遺伝的資質、②生育歴の諸体験、③前世諸人格の影響、などの三者の側面を複合的に併せもっている、という人間理解をするべきだということになります。
 
生まれ変わりの科学的研究者の嚆矢として名高いバージニア大学のイアン・スティーヴンソンが、自分の研究室を「人格研究室」と名付けているのも、上記のような意味合いを込めて名付けたと思われます。
 
『科学的探検雑誌』編集長のバーンハード・M・ハイシュは、次のように述べています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点をもっているのは明らかである。恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも、前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。遺伝と環境に加え、前世での経験という第三の要因も、人格形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案と言える。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』、P.525
 
 生まれ変わりという事実を受け入れ、誤解をおそれずに言えば、病的な多重人格(解離性同一性障害)という症状を除外して、だれでも多かれ少なかれ多重人格であることが当たり前だということです。


さて、話題が少しずれますが、ワイス式前世療法(前世の記憶を想起する前世療法)を体験後、SAM前世療法を受けたところ、生まれ変わりをしていない、という結果が出たクライアントが二人おいでになります。
しかし、二人ともに、ワイス式では「前世の記憶」が確かにあらわれたということでした。
このことはどのように解釈すべきでしょうか。

催眠学用語に「要求特性」という用語があります。

これは、セラピストの要求していることに、クライアントが無意識的に協力しようという催眠中の心理傾向を意味する用語です。

二人のクライアントに要求特性が働いたとすれば、すでにワイス式前世療法によって前世の記憶が確認されているわけで、つまり、前世があるという前提で、それを再確認するためにSAM前世療法のセッションを受けているわけですから、何らかの前世人格が顕現化しても不思議ではありませんし、顕現化するはずだと思われます。
それが顕現化されず、生まれ変わりをしていない、という結果なのです。

我田引水のそしりをおそれずに言えば、二人のクライアントのワイス式で現れた前世の記憶とは、要求特性によって創作された前世記憶の可能性が高いのではないかということです。

だからといって、SAM前世療法で確認した生まれ変わりが無い、という推測の検証は不可能ですから、これもあくまで仮説に過ぎません。

そして、アカデミックな催眠学の立場にある催眠研究者のほとんどは、前世の記憶は、要求特性による創作である、という見解をもっています。

また、残念ながらワイス式であらわれた「前世の記憶」の科学的検証事例をわたしは知りません。

しかし、SAM前世療法によって顕現化した前世人格「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、要求特性による創作ではありえない、という科学的検証結果を示しています。
つまり、この二つの事例に限定して検証する限り、被験者里沙さんには生まれ変わりはある、と結論せざるをえません。

この検証結果は、反証可能性にひらかれた形で全セッション映像をネット上で公開し、2冊の本でも公開してありますが、きちんとした具体的反証を挙げて否定した論者はいまだに現れていません。
 

なお、「ラタラジューの事例」については、二つの関連学会(国際生命情報科学会・日本サイ科学会) で発表しています。
なお、一般向けには、テレビ番組「アンビリバボー」において、2006年に「タエの事例」が25分間、2010年に「ラタラジューの事例」が60分間放映されています。

また、アンビリバボー放映の元になっている全セッションのyou-tubeの公開映像は、本ブログの枠外右上に案内してあります。

2022年10月18日火曜日

SAM催眠学2022年現在の到達点

  SAM催眠学序説 その155                                         

「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとするものです。
そして、この契機を与えたのは、2007年1月~2月に起こったわたしあて霊信現象と、それを仮説としているSAM前世療法で確認できた14年間の累積です。

つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の「霊的諸意識現象の事実」を、一定の仮説と原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです。
この試みは、これまでの催眠学の体系とはまったく異なる新たな様相を示すことになるはずであり、またこれまでの催眠学と大差のない説明体系であるなら、わざわざ新たに「SAM催眠学」を提唱する必要はありません。

自己実現の研究者マズローA・Hは、それまでの、人間の病的側面にばかり着目してきた心理学を「天井の低い心理学」だと批判しました。
そして、十全な成長を遂げた人間の可能性を探究する自己実現への探究の心理学をめざしました。
SAM催眠学も、それまで人間の霊的側面について探究することを拒んできた「天井
の低い催眠学」の「低い天井」に風穴を空け、人間の霊性について探究しようとするささやかな試みです。

当然のことながら「SAM催眠学」は、これまで霊的諸現象を無視し取り上げてこなかった、あるいは否定してきた現行催眠学への不服申し立てにならざるをえません。
さて、「SAM催眠学」として理論化ないし体系化することは、次のような諸作業をおこなうことを意味します。

「SAM催眠学」の諸対象(霊的意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の諸仮説の検証途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。


こうした諸作業によって、霊的現象解釈のための理論化の構築を企てる「SAM催眠学」は、壮大なフィクションでもあると自覚しています。

以下、ここで述べていく内容は、理論化の構築途上における、現時点の中間報告にすぎません。

前置きはこのくらいにして、「生まれ変わりの実証的探究」という本ブログのテーマに恥じないように、これまで本ブログで紹介した実証を示す記事を参照していただけるようにSAM催眠学の現在の到達点を5点にまとめて述べていきます。

1 SAM前世療法創始のいきさつ

「SAM前世療法」の諸仮説は、けっしてわたしの独創ではありません。
わたしの守護霊団を名乗る複数の諸霊からの自動書記による霊信の恩恵によって成り立っています。

2007年1月11日から2月14日まで1ヶ月余にわたって、毎夜、当時26歳のM子さんを霊媒としてパソコンによる自動書記によって送信されてきた高級霊とおぼしき諸霊からの霊信内容をそのまま作業仮説としています。
わたし宛て霊信の全内容は、「SAM催眠学序説 その48~72」で公開しています。
すべてで22通の霊信であり、A4用紙82枚にわたるかなりの量です。

それまでにM子さんとわたしとの面識は全くなく、拙著『前世療法の探究』の著者と読者の関係のみです。

2007年1月14日5:23着信の第2霊信で通信霊は、
「ここで私があなた(注:M子)と稲垣に伝えるべき事は、私があなた方をつなぐ理由である。私は、生前あなた(注:M子)としての素質をもち、稲垣の進むものと類似する方向性をもつ者であった。そのため、私はあなた方をつなぐ者として接触しているのだ」
と告げています。
 
M子さんの素質とは、霊信を自動書記によって受信するような素質であり、つまり霊媒としての素質だということでしょうし、稲垣の方向性とは催眠を用いた生まれ変わりの実証的探究だと思われます。
つまり、この送信霊は、生前、霊媒能力があり、しかも催眠との深い関わりを持つ人物であったと告げたことになります。

さらに、2007年1月18日22:28の第7霊信で通信霊は、
「私はエドガー・ケイシーである・・・なぜ今回の霊信で私が役割を担ったかを説明しよう。
それは私がよりあなた方の意識に近づける者であるからだ。
我が霊団は多くの者で成り立つものである。( 注:第12霊信で11の霊から成る守護霊団だと告げる)
その中でも、私はより『新しい意識』である。
それにより、あなた方に近づきやすい状況をつくり出すことができる。
そして、より明確に情報を伝えることができる」
と生前の身元を告げています。
エドガー・ケイシーは、催眠状態によって霊的存在とコンタクトをとり、様々な情報を入手し、それをリーディングと称していたようです。

そして、第2霊信で通信霊は、
「稲垣を守護する霊的存在は、生前の私を守護していた存在であり、それよりも以前に多くの偉大なる者たちを守護していた者である」
とも告げています。
ちなみに、エドガー・ケイシーは1945年に死亡しています。わたしは1948年の生まれです。
こうしてエドガー・ケイシーとわたしを守護している存在は同一ということになります。 
わたしの性向として、こうした霊信がインスピレーションという形でわたしに直に伝えられたとしても、それは自分の妄想や願望の投影された結果の産物ではないか、妄想ではないか、とわたしが必ず疑念を持つことを通信霊は知悉しており、そのため第三者のM子さんを霊媒に用い、自動書記による文書の形として送信してきたのだと推測しています。
こうすれば、少なくともわたしの妄想であることは完全に排除できます。
その結果、わたしの性向にしたがって、必ず霊信内容の真偽を検証しようと試みるであろうことを通信霊は知悉していたと思われます。

2007年1月23日0:06着信の第11霊信で通信霊は、
「あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点 からでは成長は望めない。
・・・あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてにつながり、私たちへも強いつながりをもつ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについてまとめなさい」
と告げてきました。

「人の理解を超えるもの」について、霊界の住人であり、人の理解を超えるものについて知っているであろう高級霊が、わたしの疑問について答えると言うのです。
わたしは「人の理解を超えるもの」 について、早速16の質問状をつくり、M子さんに返信しました。
すると、なんとその90分後に、A4用紙9枚にわたる通信霊からの回答が届きました。
回答を考えながら A4用紙1枚を10分で打つことは、ほぼ不可能です。
通信霊を装った作文による回答ではなく、したがって、通信霊を称する存在からの自動書記による回答である可能性が高いと判断しました。

2 「意識 ・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」について


わたしの理解を超えること、高級霊(通信霊)でなければ答えられないこと、についてわたしの疑問の第一は、魂・脳・心・意識(潜在意識を含む)の相互の関係でした。


第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。


第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Hようになります。


A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体とその表層を構成する前世の者たちとの「二層構成」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂の表層」で相互に交流を営んでいる。 

現世の「わたし」という人格も「魂の表層」に位置づいており、生まれ変わりであるすべての前世の者たちとつながりをもち、友愛を築き与え合うことを望んでいる。

F  死後、「霊体」は肉体から離れ、霊体に宿っていた「意識」「魂」に取り込まれる。取り込まれる先は、生きている間は「魂の表層」「現世の者」であり、死後は「魂の表層」の、現世の直前を生きた前世の者、として位置づくであろうと推測される。

G 「心」「意識」を管理している。「心」「魂」が外部の情報を入手するための道具である。したがって「心」が傷つくことはない。したがって、心と意識は同義ではないが、便宜上、「心=意識」として扱うことに支障はない。

H 「脳」「心」を管理している。脳は心(意識)を管理しているため、見かけ上、脳と心(意識)が一体化しているように受け取られる。このことによって、心は 脳の付随現象であり、脳が心(意識)を生み出しているという「心と脳の一元論」が唱えられているが、脳と心(意識)は本来、別のものである。 
「脳」「心」を管理はしているが、「心」を生み出しているわけではない。
「脳」は外部の情報をまとめる役目をつかさどる。 
「脳」はデータを管理している。

これら上記A~Hの回答は、まさしく「人の理解を超えるもの」であり、26才の霊信受信者M子さんが、創作して回答できるとは思われません。
人間を超えた存在である高級霊であってこそ、はじめて回答できる内容であると評価せざるを得ません。

しかも興味深いことに、第12霊信でA4用紙9枚にわたる回答を告げてきた送信霊は、わたしの16の質問の回答をした後の霊信の末尾で、

M子という人間が答えられる問題は、ここには存在しない。・・・この霊信において告げた内容を読んだとしても、M子自身は理解に到達できない。・・・これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」

と、受信者M子さんの創作や妄想ではなく、間違いなく通信霊という霊的存在からの回答であることを念押しし、強調していることです。


ちなみに、第12霊信の送信霊は、
「私は稲垣の祖父の守護霊とつながりを持つ者であり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔、転生を終えた者である」
と告げています。

さて、回答Aの「心・脳二元論」の立場は、大脳生理学者でノーベル賞の受賞者であるペンフィールド、エックルズ、スペリーなどが晩年になって唱えており、世界的催眠研究者である成瀬悟策医学博士も、晩年になってからこの立場をとっています。

これら「心・脳二元論」の提唱者たちは、脳が心(意識)を生み出してはいないのだと主張はしても、では心(意識)を生み出しているものは、どこに存在するかについては一切語っていません。
それは人知を超えることであり、想像もできないということでしょう。
通信霊は、心(意識)を生み出す存在は、「魂表層の前世の者たちである」と明確に告げています。

わたしは霊信にしたがい、「心・脳二元論仮説」と「魂の二層構成仮説」に基づき、A~Hの霊信内容の真偽を、催眠を道具に用いてできるかぎりの徹底的な検証と探究をしようと決心しました。
この検証の過程で、徐々に定式化していった前世療法こそ、2008年6月に創始した「SAM前世療法」です。

特筆すべきことは、第11霊信で私の疑問に回答すると告げた通信霊が、同じ第11霊信の中で、 

「そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

と、この霊信1年半後の2008年6月に創始したSoul Approach Method の略「SAM前世療法」について、すでに予言していることです。

通信霊は、前掲A~Hの回答を得たわたしが、当然のように、回答に基づいた独自の前世療法(SAM前世療法)を、新たに創始することをすでに見極めていたと考えるほかありません。
むしろ、SAM前世療法の創始をさせるための目的で第11霊信が送られたと思われます。
第7霊信で通信霊は、「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げて
いますから、わたしにSAM前世療法の創始を担わせたことは「計画」のうちに入っていた
のだろうと思われます。


そして、「SAM前世療法」によってA~Hの作業仮説が検証され、生まれ変わりが科学の方法によって実証された事例が「タエの事例」と「ラタラジューの事例」です。
タエもラタラジューも、SAM前世療法によって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層から呼び出され、顕現化した前世人格(前世の者)なのです。

「タエの事例」「ラタラジューの事例」の全セッション動画はyou-tubeで公開してあります。
この動画をご覧になれば、タエとラタラジュー両人格の顕現化現象を、「前世の記憶」である、という解釈では説明が成り立たないことは明白です。
とりわけラタラジュー人格は、明らかに現在進行形の会話である証拠を残しているからです。
ちなみに、タエ・ラタラジュー両事例の信憑性を、具体的事実に基づいて否定・反証を挙げて科学的批判した論者は、皆無です。

また、「タエの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その35~40」において、
「ラタラジューの事例」の逐語録は「SAM催眠学序説 その23~32」において、詳細に検討しています。

また、「魂の転生」のしくみと「生まれ変わり」の関係については「SAM催眠学序説 その123」で「魂の二層構成仮説」の模式図によって説明しています。

3 「憑依仮説」について

SAM前世療法の「魂遡行催眠」と名付けている特殊な技法を用いて、被験者を「魂状態の自覚」に誘導する過程で、被験者に未浄化霊と呼ばれている霊的存在が憑依していると、そうした存在が救いを求めて顕現化することが観察されます。
 SAM催眠学では、そうした霊的存在の憑依を認める立場をとっています。
ここで言う「霊的存在」とは、「肉体を持たない人格的意識体」を意味しています。

霊的存在には肉体がありませんから、肉体を持つ被験者の肉体を借りて一個の人格として自己表現をします。こうした現象を憑依と呼んでいます。こうした憑依する人格的意識体を憑依霊と呼んでいます。

憑依霊は未浄化霊だけに限りません。守護霊を名乗る高級霊や神の使いと称する高級霊も、「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて何らかのメッセージを携えて憑依します。
こうして「魂状態の自覚」に至ると霊的存在の憑依現象が起こることを認める立場を「憑依仮説」と呼びSAM催眠学の骨格をなす仮説の一つとして位置づけています。

さらに、「魂状態の自覚」に至り、魂表層から顕現化した前世人格は、生まれ変わりである現世の者(被験者)の肉体を借りて自己表現します。
この現象は、未浄化霊や高級霊など第三者としての霊的意識体の憑依と同様な現象であり、前世人格の憑依現象を「自己内憑依」と名付けています。

つまり、現世の者の内部(魂)に存在している肉体のない前世人格が、生まれ変わりである現世の者に憑依し自己表現する、という意味です。したがって、「前世人格の顕現化」「自己内憑依」現象だと言い換えることができます。
自分の魂表層に存在している前世人格が、自分に憑依すること、これが自己内憑依です。

「 魂状態の自覚」を体験した被験者のほとんどが、その意識状態の自覚に至ると体重の感覚がなくなると報告します。
おそらく、普段の状態では肉体という器に内在する魂は、なんらかの形で肉体と緊密な結びつきを保っていたのが、「魂状態の自覚」に至るとその結びつきが解かれ、肉体と魂が分離した状態になる、したがって、体重感覚の喪失感が生じるのではないかと推測されます。
被験者の中には、魂と呼ぶ意識体が、肉体の外に分離している感覚(体外離脱)、を報告することもあります。


つまり、「魂状態」とは、肉体を持たない霊的存在と同様な状態になっていると考えられ、したがって、霊的存在と同じく肉体を持たない意識体同様の次元に至っているので、霊的存在との接触(コンタクト)、つまり憑依が起こりやすいのではないかと推測しています。
ちなみに、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」、霊が肉体という器を持てば「魂」と呼ぶと定義しています。

4 「霊体仮説」について

2007年1月25日22:47着信の第14霊信で通信霊は、
「霊体とは魂ではない。それは、ある時はオーラと呼ばれもする。
それは、・・・肉体を保護する役割を担うものでもある。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
霊体は、ある意味においてはあなた方が『あなたという人間であるため』の意識を独立して持つための役割を担うものでもある」
と告げています。

霊体の色をオーラとして感知できる能力者には、肉体の傷んでいる部分のオーラの周囲の色が黒ずんで見えること、オーラの色が澄んでいる場合には肉体の健康状態が良好であること、を言い当てるという検証結果が得られています。
 
こうして、霊体と肉体の両者には互いに影響を与え合う密接な相互影響関係があると推測できます。
したがって、霊体は、エクトプラズムのように何らかの半物質的な要素・性質を帯びている可能性が考えられます。

また、互いに面識のない、オーラを感知できる10名を越える能力者が、それぞれに、わたしのオーラ(霊体)の色として同一の色を報告しています。

こうして、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在し、そのため相互に影響を与え合う関係がある、とする仮説も「霊体仮説」には含まれています。

また、Cで述べたように、われわれ生きている人間は、肉体を包み込んでいる霊体を持っている、霊体には意識・潜在意識が宿っている、と考えるのが「霊体仮説」です。

そして、霊体には意識・潜在意識が宿っている、という仮説と、霊体と肉体には、双方に共通の何らかの要素・性質が存在する、という両仮説の検証実験の累積によって、「魂遡行催眠」というSAM前世療法以外に類のない固有・独創の誘導技法が生み出されました。
「SAM前世療法」が、すでに「前世療法]という用語があるにもかかわらず登録商標として認められたのは、その固有性、独創性の証です。


5 残留思念仮説」について

2007年1月20日1:01着信の第8霊信で通信霊は、
「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。
ことばとしての『意識』をあなたは理解している。
だが、その本質はまだ理解には及んではいない。
あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」
と告げています。

また2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。
よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」
と告げています

以上のような2007年の霊信を受け取ってから、12年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けています。

「残留思念仮説」によって定義すれば、

「未浄化霊」とは、「この世に何らかの強い未練があるために、救いを求めてさまよっている残留思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。

「生き霊」とは、「強力な嫉妬や憎悪によって、魂表層の『現世の者』から分離した思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話を、「SAM催眠学序説 その115」で述べています。

「インナーチャイルド」とは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、大人の人格に内在しつつ意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」です。
その実証として、SAM前世療法によるインナーチャイルドとの対話を「SAM催眠学序説 その119」で述べています。

こうして、SAM前世療法によって顕現化する「未浄化霊」も、「生き霊」も、「インナーチャイルド」も、実際のセッションにおいては、意志を持つ人格として扱うことができる「見做し人格」だとして、対話をおこないます。
 
また、それらは強力な思念の集合体であり人格としての属性を持つ意識体という意味では、肉体のない「霊的意識体」だととらえています。
そして、未浄化霊も生き霊も、それらはマイナスの思念を抱え、理解を求めている人格的存在だととらえるべきであろうと思われます。

このことについて第9霊信は、
「そして、あなたがもっとも理解すべきなのは、『霊祓い』を選択するのではなく『浄化』を選択することである。・・・霊がいつも求めるものは『理解』であることを忘れないようにしなさい。そしてその本質は『愛』なのだ」
と告げています。

「生まれ変わり仮説」そのものへの諸反論とわたしの見解(反論)については「SAM催眠学序説 その117」をご覧ください。

まとめ

わたしの探究の原点は問題意識です。
 
それは、われわれはどこから生じ、どこへ行くのか、死後はあるのかないのか、あるとして生まれ変わりがあるのかないのか、生まれ変わりがあるとしてそれはどのような仕組みになっているのか、さらに意識を生み出しているものは何であるのか、意識の本質とは何であるのか、などこれまでの唯物論科学の枠組みでは答えが出せそうもない領域への探究です。
これらの探究を科学の方法をもって、つまり、仮説を設け、仮説に基づいて実践(実験)し、結果を検証し、仮説を検討していくという営みを地道に繰り返しながら、誰もが納得できる科学的な事実の発見を試みる探究の道を持続することです。

しかしながら、意識現象の探究は、計測したり、数量化したり、映像化したりすることは、「意識」が本来的に物質に還元できないものである以上不可能です。
したがって、意識現象を体験した者の体験の内観の報告を手がかりとするしか方法論がありません。
それら意識体験の内観報告を累積し、共通項を導き出し、それを客観的事実であろうと見做して仮説の真偽を検証していくこと以外に、現時点では方法論を見出すことができません。
こうした、前提と限界のある霊的意識現象の探究ですが、これまでのSAM前世療法の実践によって明らかにしてきた発見を大きく7点列挙してみます。



ふだん「脳」に管理されている「心(意識・潜在意識)」は、脳の管理下にあるがゆえに、脳の束縛を受け、脳と一体化しているように受け取られる。
したがって「心(意識・潜在意識)」は、脳の生み出している付随現象として理解されているが、それは錯覚である。
潜在意識の優勢化が進むにつれて、心(潜在意識)は、脳の管理下から分離し自由になり、潜在意識は脳への働きかけの自由を得る。
この、心(潜在意識)が脳の束縛から離れ自由を得た状態が「催眠状態」である。
催眠下では、心(潜在意識)の働きかけのままに脳が反応するようになる。
これを催眠学では「言語暗示による運動・知覚・思考などの意識の変性状態」と定義している。



良好な催眠状態を徹底的に深めていくと、潜在意識の深奥には、誰もが「魂状態の自覚」を持っていることが明らかになった。
直近100事例で91%の被験者が「魂状態の自覚」に至っている。「魂」と呼んでいる意識体が、肉体に内在している間接的実証である。
これまでに、最年少は小学6年生男子、最年長は82才女性、京都大教授2名、名古屋大学准教授1名、東北大学准教授1名、その他私立大学教授を含めて十数名、医師十数名など、知的訓練を十分に受けている被験者たちも「魂状態の自覚」に至っている。 
「魂状態の自覚」に至れば、魂表層に存在している前世人格が、呼び出しに応じて顕現化する。

 
魂表層には前世の諸人格が意識体として生きており、現世の人格を担っている「現世の者」も位置付いている。
それらの魂表層の者たちは互いの人生の智恵を分かちあっており、「現世の者」は、良かれ悪しかれ前世の者たちの影響を受けている。
よろしくない影響を受けていると心理的、肉体的諸症状となって現象化する。
そうした症状は、前世の者の訴えであったり、現世の者を守るための警告としての意味を持っている。
その実証として、「SAM催眠学序説 その118」でその実例を挙げています。


魂表層に「現世の者」しか存在していない事例がある。つまり、前世がなく、現世が魂として最初の人生である被験者が存在する。生まれ変わりを体験していない魂の持ち主である被験者の共通の性格特性が「無知、無垢」である。
したがって、無知であるがゆえに好奇心が旺盛であり、無垢であるがゆえにナイーブで悪意がなく傷つきやすい。周囲からは悪意のない、いい人だという評価を受けている。


強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。
思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。


生まれ変わりの科学的証拠だと自信を持って主張できる事例は、「タエの事例]と「ラタラジューの事例」を語った被験者里沙さん一人でしかない。
しかし、特筆できることは、タエからラタラジューへの生まれ変わりは33年、ラタラジューから里沙さんへの生まれ変わりは64年という生まれ変わりの間隔年数が、タエ、ラタラジュー両前世人格の語りから特定できたことである。
このことについて、20数年かけ2300事例に及ぶ膨大な生まれ変わりの科学的研究をおこなったこの分野の第一人者であるイアン・スティ-ブンソンでさえ、次のように述べている。
「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもをひとりしか見つけ出していない
(『前世を記憶する子どもたち』笠原敏雄訳、日本教文社、P.333)

ただし、スティーヴンソンは、この子どもの二つの前世記憶によって、生まれ変わりの間隔年数が特定できたのかどうかについては一切述べていない。
こうした生まれ変わりの先行研究から見ても、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、世界的にきわめて希少価値の高い生まれ変わりの実証事例として評価できる。


生まれ変わり(転生)は惰性で繰り返されていないようである。
どういう形をとるかは様々であるが、負荷(試練)を背負い、魂の成長進化を図る目的を持って生まれ変わるらしい。
現世をどう生きるかの青写真は、魂と守護霊との相談によって決められるらしい。
しかし、現世に生まれてきた使命や目的は、魂が肉体に宿ると同時に忘却される。
したがって、生まれてきた使命や目的を、直接知る方法は一切ない。
守護霊との接触によっても、守護霊は教えてはくれない。
肉体に宿った魂が、与えられた負荷をどう乗り越え、現世をどう生きるかは、ひとえにすべて魂の主体性に任されているらしい。


さて、日本の古代史に大胆な仮説を展開し、「日本学」を創始した哲学者梅原猛は、インスピレーションによらない学説などは、たいしたものにはならない、というようなことを述べています。
そして、まさしく、わたし宛ての霊信はインスピレーションといってよいでしょう。

これまでの催眠研究が取り上げてこなかった「霊的意識諸現象の事実」を、新たな対象領域として位置づけ体系化を試みようとする「SAM催眠学」の提唱には、梅原猛のこうした考え方に触発され、勇気を与えられてきました。

おそらく、催眠研究のアカデミズムに属する大学の研究者が同様の霊信を受け取っても、一笑に付すか無視するかして、真摯に向き合うことはまずないだろうと思われます。
そうなれば、「SAM前世療法」も「SAM催眠学」も誕生するはずがありません。
2008年に教職から離れ、一切の公的束縛から解かれて自由なわたしであるからこそ、浮き世のしがらみの希薄になったわたしを選んで、霊信を送ってきたのだと考えるのは、あながち的外れの妄想ではなかろうと思います。

上越教育大学大学院でのわたしの恩師、教育学博士杵淵俊夫先生が、「哲学を本当にやれるのは浮き世の地位・名誉・欲得から縁のない乞食になることだよ」と語られたことを思い出します。


さて、第1霊信で通信霊は、

 「あなたの探究心の方向性について語ろう。
今後あなたは自分の思うままに前進するべきであり、そのためのこれまでの道のりであった。
あなたは自分の直感を通し得るべき知識を模索していく」と告げています。

第7霊信で通信霊は、

「わが霊団はあなた方を中心としある計画を進めている」と告げ、

第8霊信で通信霊は、

「今回伝えるべきことは、あなた方を含め、多くの者が計画に参加しているということである。
・・・そして、あなた方の参加する計画というゲームはあなた方の考えるよりも大規模なのだと理解しなさい。
楽しむ姿勢を忘れないようにしなさい」と告げています。

さらに、第15霊信では通信霊は、

「これは神とあなた方の交わした約束であり、計画である。
すべてに祈りを、感謝をささげなさい」と告げています。

また、第5霊信で通信霊は、

「今日は、あなたはM子の霊信でどの高級霊が語りかけてくるのだろうかと考えた。
だが、私は高級霊ではない。
あなたの期待を裏切るわけではない。
あなたの感覚をあるがままに感じながら霊信を読みなさい。
かしこまらずに、もっと肩のちからを抜きなさい。
私はあなたの上にいる者であり、下にいる者であり、隣にいる者であり、そばにいる者である。
そして、あなたの目の前にいる者である。
そして、あなただけではなく、すべての者に対してもそうである。
だが、人々は私が自然の者だと分からないあまりに、あらゆる手段を通し私を知ろうとする。
そして感じようとする。
私を恐れる者、そして救いを求める者、欲する者、すべての者は同じ平行線の上に立っている。
だが人々はそのことに気づかない」

と、自分は高級霊ではないと否定する存在(神?)が、

「あなたは肩の力を抜きはじめている。
それでいいのだ。
あなた方は、構えていては何も見出せなくなる。
もっと楽しみなさい。
これは『遊び』なのだ。
すべての計画は、そうである」と告げてきました。

第16霊信では、守護霊団の一員で、生前はエドガー・ケイシーだとを名乗る霊が、

「私たちは必要に応じてあなたに語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も、必要に応じて与えるであろう」

と告げ、2007年2月14日以後、M子さんを霊媒に用い自動書記による霊信が途絶えたのち、魂状態の自覚に至ったクライアントに、わたしのガイドや霊団の一員を名乗る霊が憑依しては、クライアントによる口頭での霊信を告げてくることが、数ヶ月ごとに起こるようになり、それが2022年現在に至っても続いています。

こうした口頭による語りかけの霊信内容の概要は、

「自分たちのような霊的存在を知らしめるために降りてきた。
稲垣は自分の進んでいる方向に自信を持ちなさい。
霊的真理を地上に広めなさい。
稲垣の現世最後の仕事が10年先に待っている。
健康に留意してその仕事に備えなさい。
その仕事の内容は今は教えることができない」
ということに集約できます。

また、M子さん経由の霊信が途絶えた2007年の夏に、里沙さんの守護霊の憑依実験をおこない、降りてきた守護霊と40分間にわたる対話をしました。
彼女の守護霊は、わたしの要請でいつでも憑依し、メッセージを伝えてくれるからです。
「私は霊界では異例の存在であり、それは稲垣に霊界の消息を伝える役目を与えられているからだ」と告げているからです。
彼女の場合、守護霊が憑依中の記憶がまったくありません。
フルトランス状態になり、憑依状態による甚だしい疲労が翌日まで残ると言います。
憑依実験で彼女の守護霊がわたしに語った内容は、以下のような5点に要約できます。



タエの事例は偶然ではありません。
計画され、あなたに贈られたものです。
計画を立てた方は、わたくしではありません。
計画を立てた方は、わたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは、人を救うという計画のために神に選ばれた人です。



あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。
治療霊は一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の治療分野の治療をするために、あなたを通して地上の人間に治療エネルギーを送ってくるのです。


あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は成長し、神との約束を果たす時期が来ました。            神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。


神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。


守護霊に名前はありません。 
わたくしにも名はありません。
あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。
導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。 それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。

さて、読者のみなさん自身に、これまで紹介したような霊信を受け取るという霊的現象が起こったとしたらどのような反応を示されるでしょうか。
世界の三大霊信と呼ばれている、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルディックの『霊の書』はともに19世紀末、シルバーバーチの『霊言』は20世紀末の話です。
わたしあて霊信は、これら過去の三大霊信では触れられていない霊的真理として、魂と生まれ変わりの仕組みをわたしに教えることに目的をしぼり、送信されてきた霊信であるという解釈が成り立つかもしれません。
そして、わたしによって(わたしを道具に使って)、霊的真理である魂と生まれ変わりについて、多くの人々に知らしめようという守護霊団の計画なのかもしれません。

ですが私の態度は明確です。
このブログの「コメント投稿の留意点」として掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」です。


霊媒としての貴重な役割を担ってくれた霊信受信者M子さん、里沙さん両者の誠実な人間性を疑うことはありませんが、受信中において、無意識的に彼女ら自身の期待や願望が反映し、混入している可能性は排除できないでしょう。
とりわけ、「神」という言葉が用いられ、語られることには?です。
「神との約束」、「神の計画」などの霊信をわたしが軽々に信じ、メサイア・コンプレックス(救世主コンプレックス)や、誇大な選民思想などの過ちに陥ることを十分に警戒しなければなりません。
わたしは、できるだけ簡素で、できるだけ自給的で、喜びを中心とした日常生活を理想としている一介の催眠療法実践者です。

したがって、両者の霊信受信という意識現象も、「検証なくして容認せず」です。
検証できないからには否定もできないが、容認することも判断留保としておく、ことが偏りのない柔軟で公正な態度であろうと思います。
そして、これまでの検証できたことに限れば、わたしあて霊信内容に矛盾がないことが明らかになっています。

そして、第5霊信で「神」とおぼしき存在が、「構えていては何も見出せなくなる。もっと楽しみなさい。これは『遊び』なのだ。すべての計画は、そうである」と告げたように、これから先々起こることに、来るべきときに来るものは来ると、肩の力を抜いて楽しんでいこう、というのがわたしの心境の現時点のありようです。

さて、「催眠学序説 その155」 を閉じるにあたって、わたしの脳裏に思い起こされるのは、わたしの心境の現時点の到達点にかかわっているもうひとつのもの、『モーゼスの霊訓』(霊信)にある、インぺレーターと名乗る高級霊の告げている霊信の次の一節です。

「霊界より指導に当たる大軍の中には、ありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。
かくのごとく人間には、その程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。
これまでも神は、その目的に応じて手段を用意されてきたのである。
今一度繰り返しておく。

スピリチュアリズムは、曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものが、スピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
常に分別を働かせねばならぬ。

その渦中に置かれた者にとっては、冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には、容易に得心がいくことであろう」
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊から牧師スティトン・モーゼスに送信された上記霊信の、この引用部分は、わたしに向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。
高級霊インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前のわたしは、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。

だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、わたし宛の霊信現象、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
 

「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつてのわたしであれば、例えばヒーラーと称する者のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとか、現行唯物論科学による合理的説明に躍起となって、それを公正な科学的態度だと信じて疑わなかったと思います。
 

今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊的存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれている言えます。
そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。

やはりわたしは、自分自身の直接体験にこそ、唯物論科学がそれをどう否定しょうと、その体験を認めざるをえない真実性の力があると言わざるをえません。

交霊能力のあった著名なスピリットヒーラーであるハリー・エドワーズは、高級霊界がヒーリングによる治療を手段に、地上の人々を霊的覚醒に導く計画であることを知っていたと言います。(ハリー・エドワーズ著、梅原隆雅訳『霊的治療の解明』国書刊行会)

里沙さんの守護霊が伝えてくれた「人を救うという計画」という語りがそれを指しているとすれば、わたしは、SAM前世療法とヒーリングを道具に、霊的真理を広める道に進むような流れに乗っているのかも知れません。

そして、これからもわたしが、SAM前世療法とヒーリングを、霊的真理を広めるために与えられた道具として役立たせる道を愚直に実践していく志を持続することができれば、ヒーリング能力・浄霊能力の覚醒の謎も、わたしあて霊信の謎も、おのずと開示されていくのではないかと思います。
また、そうした開示がされないにしても、霊的真理を広める道を愚直に実践していく過程で、わたしはさらに成長できるのではなかろうかと思っています。

わたしの現時点の思想的、哲学的立ち位置については「SAM催眠学序説 その114」で明確に述べてあります。

 

2022年9月27日火曜日

『前世記憶』か『前世人格の顕現化』か? その2

SAM催眠学序説 その154

 
最近『生きる意味の探究』を読み直し、ウィリストンほどの前世療法家がなぜ?と思うことがしきりです。
その「なぜ?」の部分を前掲書グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999から4点取り出してみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある人物が、催眠状態で、過去に生きていた人物になりきり、異なる抑揚や調子で話し始め(前掲書P.23)

彼女は過去生へと戻っていたのだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた。(前掲書P.26)

退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。
このような「意識の分割」は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。
私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった(前掲書P.61)

④過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる(前掲書P.121)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記引用部分のを読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」であるととらえていると思われます。
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの記述から明らかなように思われるからです。

どこまでもクライアントの想起する「前世の記憶」だととらえているようなのです。
しかし、では、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった」というクライアントの「意識の分割」状態を述べています。

また、ではウィリストンが「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる」という奇妙な現象を述べています。

わたしが疑問に思うのは、上記③④の不可解な意識現象をとらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という解釈にこだわり続けるのか、という点です。

のように、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」るのであれば、前世の記憶の想起ではなく、前世の人格が顕現化してクライアントの身体を通して自己表現しているのだ、とありのままに受け取ることができないのでしょうか。

東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた」というクライアントの声の変性状態を観察しながら、英国少女の前世人格が、ただいま、ここに、顕現化して語っているのだ、となぜ考えることができないのでしょうか。

ま た、のように、「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる」ことを、ありのままに 受け取れば、「けげんそうな表情」を浮かべる主体は、クライアントではなく、それとは別個の、つまり、クライアントに、「けげんそうな表情」を浮かべさせた主体は、クアライアントではなく、「過去生の人格」そのものだと受け取る自然な解釈に至らないのでしょうか。

これまで、「何千人もの人々」(前掲書P.23)に前世療法を施術してきたウィルストン が、ついに、「前世人格の顕現化現象」という仮説に至ることができなかったのか、わたしには不可解でなりません。

ちなみに、別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は、 過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる(前掲書P.61)というウィリストンの記述は、きわめて興味深く思われます。
この記述は、SAM前世療法のセッションにおける、前世人格顕現化中の意識状態である「三者的構図」そのものだと言えるからです。

三者的構図」とはSAM前世療法セッションにおける、「セラピスト」、「クライアント」、「顕現化した前世人格」の三者関係を意味するSAM前世療法独自の用語です。

「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開されます。
 
SAM前世療法セッションでは、この「二者的構図」が、前世人格が顕現化した後半から、「前世人格と直接対話するセラピストと、その対話をひたすら傾聴するクライアントの意識」という特異な「三者的構図」に転換していきます。                
 
セッションの前半では、セラピストのわたしはクライアントの催眠深度を深めるためにクライアントに対して、つまり、二者関係で、「魂状態の自覚」に至るまで徹底して催眠誘導をおこないます。                                 

「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、クライアントに顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと転換します。

この転換によって、セラピストの「わたし」対「前世人格」の対話、それを傾聴している「クライアントの意識」という三者的構図によるセッションがこれ以後展開します。
この間、「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することは一切できなくなるようです。

 前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのです。

こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載してみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタラジューの言葉を伝えていました。
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

こうして、ウィリストンの述べている別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながらその話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は・・・必ずと言っていいほど見られる」という記述の『意識の分割』とは、セラピストの「ウィリストン」対「前世人格」の対話、その対話に介入が許されず傾聴しているのみの「クライアントの意識」という三者的構図そのものを示していると解釈しても支障はないと思われます。

つまり、彼の言うクライアントの「意識の分割」状態とは、「現世のクライアントの意識」と「顕現化した前世人格の意識」の二つの意識に分割されて併存している状態を指していることにほかなりません。
しかし、この記述には、現世のクライアントとは別個に「顕現化した前世人格の意識」という明確な解釈はされていません。
どこまでも、前世の記憶を語る「クライアント」対「セラピスト」という二者的構図における、クライアントの「意識の分割」状態なのだという解釈なのです。

お そらく、ウィリストンが、どこまでも二者的構図における意識の分割」としかとらえることができなかったのは、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(前掲書P.316)などの誘導法に、 最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という唯物論的固定観念から、ワイスと同様、ついに脱することができなかったからだ、とわたしには思われます。

そして、不可解なことは、「生まれ変わりの真実性は証明不要なほど確かな事実だ(前掲書P.96)」と断言しているにもかかわらず、管見するかぎり、ウィルストンが前世記憶の検証を綿密におこない、生まれ変わりの科学的証明した記述はありません。
また、「前世の記憶」がどこに存在しているのかについて、一切言及していないのです。

このことは、ブライアン・ワイスも同様です。

仮に「前世の記憶」が科学的事実だとして、彼らはその記憶はどこに保存されていると考えているのでしょうか?

わたしの知る限り、前世療法中のクライアントの語りを検証し、「クライアントとは別の前世人格が顕現化し、クライアントの身体を借りて自己表現しているのだ」と いう解釈をしているのは、3例の応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。

彼は、「トランス人格(催眠下のトランス状態で現れる前世の人格)」 が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表明しています(『前世の言葉を話す人々』PP.9-11)。
彼は、「グレートヒェンの事例」で、グレートヒェンが応答型真性異言を語るセッションを目前で見学し、クライアントが「前世の記憶」として、応答型真性異言を語っている、という固定観念の不自然さ、不合理さに気づき、「前世の記憶」ではなく、「グレートヒェンと名乗るトランス人格そのものが顕現化」して語っている、という発想への変換をせずにはいられなかったのでしょう。
しかし、スティーヴンソンも、「トランス人格」の存在する座についてはついに言及していません。

そして、わたしは、SAM前世療法において、顕現化する前世人格の存在の座は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情や記憶を保つ意識体として死後存続しているという、わたしあて霊信による作業仮説を立てています。

したがって、セッション中にわたしが対話する相手(主体)は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した別人格の前世人格そのものであり、しかも現在進行形で対話している、と了解しています。

こうした現象は、現世のクライアントの魂表層に存在する前世人格が、クライアントに憑依して、わたしと対話している、ということになります。
このような憑依現象は、これまで報告されたことがなく、したがってこの現象を表現する用語もありません。

そこで、SAM催眠学では、この憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。
つまり、前世人格の顕現化現象は、自己内憑依現象である、というとらえ方をしているということです。

こうした作業仮説に、たしかな自信を与えたのが、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と「タエの事例」の検証と考察によって、生まれ変わりの科学的実証に肉薄できたことでした。

ただし、SAM前世療法の諸仮説をわたしに教示したのは、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在であるという、これまた唯物論者が目を剥いて嘲笑するであろう霊信という超常現象なのです。

 わたしあて霊信によれば、「意識の座は脳ではなく、肉体を包み込んでいる霊体である」と告げています。                                  また、「霊体はオーラとも呼ばれる」とも告げています。

この霊信の言説の真偽を直接実証することはできませんが、SAM前世療法遂行のための重要な作業仮説として採用しています。

そして、ごく最近再読した本の中に、70年以上前に、すでに同様の仮説に至っていたアメリカの精神科医の存在を発見しました。                                   点線内がその内容です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼ら(スピリット)は、生前の性癖や欲望を満たすための道具(肉体)はもう失っている。  そこで、多くのスピリットは、生者から放射されている磁気的光輝に引きつけられ、意識的に、あるいは無意識的に、その磁気的オーラに取り憑いて、それを欲望を満たすための手段とするのである。                                 こうして憑依したスピリットは、霊的に過敏な体質のその人間(のオーラ)に自分の想念を押し付け自分の感情を移入させ、その人間の意志の力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生ぜしめるのである。            (『迷える霊との対話』ハート出版、C.A.ウィックランド著/近藤千雄訳、P.718)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・              

著者ウィックランド医学博士(1861~1945)によれば、意識は霊体(オーラ)に宿っている、と30年にわたる精神病の治療実績に基づいて述べているのです。                          この著作の副題は「スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年」となっています。                                     ちなみにウィックランド医学博士の経歴は、「精神科医として、異常行動で手に負えなくなった患者を、自らの妻を霊媒としたスピリットとの交信という形で治療。その30年にわたる膨大な実証記録を著したものが本書である。シカゴ医師会、イリノイ州医師会、米国科学振興会、米国地理学会の各会員としても幅広く活躍した」と紹介されています。

ウィックランドの「 意識は霊体(オーラ)に宿っている」という見解は、治療実践から導かれたものであり、単なる観念論ではありません。

SAM前世療法によって魂表層から顕現化する前世人格は、クライアント自身の霊体に憑依(自己内憑依)し、クライアントの肉体を使って自己表現し、セラピストと対話するという構図は、クライアント自身がまさしく霊媒の役割を果たしている、ということです。

こうして、唯物論科学に真っ向から対立する仮説によるSAM前世療法は、世界唯一の前世療法であり、わたしの創始した純国産の前世療法だと自負しています。

そしてまた、「前世人格の実在」、つまり「生まれ変わりの実証性」に、かぎりなく肉薄できる可能性をはらんで定式化された世界唯一の前世療法である、という自負があります。

特許庁は、SAM前世療法の名称とそれの意味する内容、つまり仮説の独自性とそれに基づく技法の独自性を審査し、すでに流通している普通名詞の「前世療法」とは明らかに別個の、固有の前世療法として、「SAM前世療法」の名称を、第44類の商標登録として認めてくれたのです。

ちなみに、「SAM]とは、「Soul Approach Method」の略であり、「魂状態に遡行し前世人格を呼び出す方法」を意味しています。

 注:「前世」は現世の直前の過去生を意味し、それ以外は「過去生」と呼ぶようですが、「前世療法」という用語が流通していますから、SAM前世療法では現世以外をすべて「前世」と呼びます。

 

2022年8月19日金曜日

「前世記憶」か「前世人格の顕現化」か?

SAM催眠学序説 その153


SAM前世療法の仮説は、魂の中(表層)に意識体として宿っている「前世の人格」を顕現化させ、顕現化した前世人格との対話をすることが前提となっています。            

しかし、一般の前世療法、わたしがワイス式と呼んでいる前世療法は、クライアントが前世の記憶を想起し語ることが仮説となっています。

前世療法の対象は、「前世の記憶」か「顕現化した前世人格」か?                       

この問題は、不都合な症状の改善を第一義とするセラピイにとっては、どちらでもいいではないか、治ればOKじゃないか、と割り切ればいいことかもしれません。

しかし、魂の存在を想定し、生まれ変わりと魂の二層構造を明確な仮説とするSAM前世療法にとっては、前提仮説の正否にかかわる根本的な問題です。

このことについて今回は考察してみます。

 さて、ブライアン・ワイスが前世療法を始めたのは偶然のなりゆきだったようです。
ワイスの『前世療法』山川夫妻訳、PHP、1991によれば、次のようにその消息が述べられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなたの症状の原因となった時まで戻りなさい」
そのあと起こったことに対して、私はまったく心の用意ができていなかった。
「アロンダ・・・・私は18歳です。建物の前に市場が見えます。
かごがあります。
かごを肩に乗せて運んでいます。・・・・(中略)時代は紀元前1863年です。・・・・」
彼女はさらに、地形について話した。
私は彼女に何年か先に進むように指示し、見えるものについて話すように、と言った。 

(中略) これはある種の記憶にちがいなかった。しかし、どこから来たものなのであろうか?自分がほとんど知らない分野、つまり、輪廻転生や過去生の記憶といったものにぶつかったのではなかろうか、と私はとっさに思った。

(前掲書PP.25-28)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ワイスの上記セッションのクライアントは、コントロール不能の不安に悩む28歳の女性キャサリン。
そして、突如、彼女は紀元前19世紀のアロンダと名乗る18歳の娘であったときの前世記憶を語りはじめたというわけです。

以下は邦訳が正確であるという前提でのわたしの見解です。

注意すべきは、上記の「私は彼女に何年か先に進むように指示し」とは、文脈からして「彼女」とは「アロンダ」ではなく、「クライアントのキャサリン」に対して暗示しているものと解されることです。

ワイスは、明らかにクライアントキャサリンが前世の記憶想起として、紀元前  19世紀に生きたアロンダのことを語っている、ととらえています。

ワイスの思考は、この意識現象を次のように考察しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、キャサリンは紀元前1863年にいた若い女性、アロンダになった
それとも、アロンダがキャサリンになったというべきなのだろうか?            (前掲書P.36)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の「キャサリンが・・・アロンダになった」それとも、「アロンダがキャサリンになった」というワイスの思考回路は、わたしには奇妙な思考に写ります。

キャサリンが前世のアロンダになれるはずがないでしょうし、逆にアロンダが現世のキャサリンになれるはずもないからです。
「キャサリンがアロンダであったときの前世記憶を語った」のか、「前世の人格アロンダがキャサリンの身体を介して自分の人生を語った」のか、と問うことが自然な思考ではないでしょうか?

結局、ワイスは、「前世人格のアロンダが自分の生まれ変わりである現世のキャサリンの身体(口)を介して自分の人生を語っているのだ」という解釈には至らず、「現世のキャサリンが前世でアロンダであったときの前世の記憶を語ったのだ」という解釈を、以後の他のクライアントにおこなった前世療法の語りにおいても一貫して適用しています。

「これはある種の記憶にちがいなかった」と述べていることからも明らかです。

また、 このことはこの本の末尾で次のように述べていることか らも明らかです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうした人々は、それ以外の前世についても思い出した
そして過去生を思い出すごとに、症状が消えていった
全員が今では、自分は過去にも生きていて、これからもまた生まれてくると固く信じている。(前掲書P.264)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「前世についても思い出した」、「過去生を思い出すごとに」の文言で明らかなように、ワイスにとっては、前世療法におけるクライアントの語りは、すべて「クライアントが前世の記憶を語っているのだ」という解釈が一貫してとられているということです。

「前世人格が顕現化し現世のクライアントの口を通して語る」という発想の転換にどうしても至ることがなかったのです。
著名な前世療法家グレン・ウィリストンと同じく、ワイスもついに「前世人格の顕現化」というとらえ方ができずにいることは、わたしよりはるかに数多い前世療法セッションをこなしているはずなのになぜでしょうか?

わたしがワイス式と呼んでいる、ワイスの前世療法の誘導文言が、『前世療法2』の巻末に次のように書かれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
階段の下の方には、向こうにまばゆい光が輝いている出口があります。
あなたは完全にリラックスして、とても平和に感じています。
出口の方に歩いてゆきましょう。
もう、あなたの心は時間と空間から完全に自由です。
そして、今まで自分に起こったすべてのことを
思い出すことができます」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やはり、ワイス式においては、クライアントは前世の記憶を「思い出す」のです。

ちなみに、前世療法家グレン・ウィリストンは以下のように誘導するようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 暗いトンネルをふわふわと心地よい気分で通り抜けていく状態をイメージしてもらうと効果的である。
「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けています」と声をかける。
そうすれば、クライアントは、その場面に入り込んで登場人物のひとりとなる前に、その場面に意識を集中する余裕をもつことができるからだ。
(グレン・ウィリストン/飯田史彦『生きる意味の探究』徳間書店、1999、  P.314)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウィリストンも、クライアントの記憶である過去生の場面に戻り、過去生で想起された登場人物になる、ととらえているわけで、やはり、ワイス同様「前世の記憶を想起する」という前提に立っていると推測できます。

ワイスもウィリストンも「生まれ変わり」と「魂」の存在を信じているらしいにもかかわらず、「前世の記憶を想起させる」という常識的唯物論思考へのとらわれから抜け出すことができなかったのだ、とわたしには思われます。

無条件で、「前世の記憶」と言った場合、その記憶の所在は、現行の唯物論科学に基づいて脳内のどこか(海馬と呼ばれる部位?)であろう、と考えていることになるでしょう。
脳内にある記憶であれば、死による脳の消滅によって無に帰することは言うまでもないことです。
したがって、現世の記憶が来世に持ち越されることはありえません。
当然の論理的帰結として、前世の記憶として語られた内容は、フィクションであることになります。

わたしが2004年に日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会の合同学会において、ワイス式前世療法の事例発表した際に、参会者の医師・大学の研究者から強く批判されたのは、まさにこの前世記憶の真偽についてでした。

催眠中のクライアントが、無意識のうちにセラピストの要求(期待)に協力しようとする心理である「要求特性」によるフィクションの語りこそ「前世の記憶」の正体なのだという批判でした。

「タエの事例」と遭遇したのは2005年です。                  もし、

もし、「タエの事例」の前世人格タエの語りの検証結果を発表できたとしたら参会者の反応も違っていたかも知れません。                                       しかし、2006年に上梓した「タエの事例」を掲載した拙著『前世療法の探究』を、学会での痛烈な批判者数名に献本しましたが、一切反応はかえってきませんでした。 

前世の記憶が、フィクションではなく確かに存在することを証明するためには、語られた前世記憶の真偽を厳密に検証する以外に方法はありません。
しかし、ワイス式前世療法による語られた前世記憶の、真偽の科学的検証をおこなった事例は、わたしが管見するかぎり、いまだに公刊されてはいないようです。

生まれ変わりの研究者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソンは、こうした状況について下記のような前世療法批判を展開しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうした(催眠によって起こる) 集中力をさらに高めていく中で被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくくなってくる。催眠暗示により施術者に何か想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で、不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている 内容に事実と虚偽が入り混っていることに気づかないのである。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方もおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。(中略)
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験で他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの一件も成功しなかった。                    (『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.72-80)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スティーヴンソンは催眠への造詣が深いようですし、彼自身も催眠技能があると語っています。
その彼の前世療法批判の結論は次のように痛烈です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果があがるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がいるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、なんとか終息させたいと考えている。           (前掲書P.7)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただし、後にスティーヴンソン は、次のように、いくぶんか持論の修正をしています。

「わたしは、自らの手で調べた応答型真性異言の2例が催眠中に起こったという事実を忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究を決して非難することができなくなった」                       (『前世を記憶する子どもたち2』日本教文社、P.106)

こうしたスティーヴンソンの手厳しい批判に反論するための唯一の方策は、語られた前世記憶の真偽を科学的に検証し、それが真であることを実証すること以外にありません。
そうした真偽の検証がないままに、「前世の記憶」だと当然のように主張することが批判されても、しかたがないだろうと思われます。

なぜ、真偽の検証がおこなわれないのでしょうか。
検証に耐えるだけの前世記憶が語られる事例が出ないからでしょうか。
あるいは、前世の有無は棚上げし、膨大な労力をかけて真偽の検証するより、症状が治れば結果オーライということに割り切るほうが得策ということでしょうか。

わたしに言わせれば、語られた前世記憶の真偽について、1例たりとも科学的な検証をされていないワイス式前世療法(一般の前世療法)の現状では、正しくは「前世イメージ療法」と呼ぶことが妥当のように思われます。

また、ワイス式前世療法の明確な治癒仮説が述べられている著作を、わたしは知りません。
過去生の記憶の所在はどこであるのか、なぜ過去世の記憶が想起できると治癒が起こるのか。
過去生を思い出すごとに、症状が消える」とワイスが述べていることを治癒仮説だと単純にとらえていいのでしょうか。
仮に過去生の記憶がフィクションでも、それを想起し語られさえすれば治癒は起こると考えられているのでしょうか。

結局は、唯物論的常識観念である「前世の記憶」という硬直した思い込みによって、「前世人格が顕現化して対話しているのだ」という発想への転換ができなかったのでしょう。

また、ワイス、ウィリストン両者とも、「ラタラジューの事例」のような応答型真性異言に出会うことができなかったことも、発想の転換を妨げたと思われます。 

あるいは、応答型真性異言に出会っていたとしても、「前世の記憶」として解釈されたのかもしれません。

なぜなら、応答型真性異言「グレートヒェンの事例」に立ち会った、イアン・スティーヴンソンは、真性異言で応答的会話をしている主体は、被験者自身の記憶ではなく、「トランス人格(催眠中に顕現化した前世人格)」である、と認識しているからです。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.11)

わたしが、彼の科学者としての思考の柔軟性を高く評価している所以です。

 日本で公刊されている生まれ変わり関係、前世療法関係の著作を調べた限りでは、催眠中に「トランス人格が顕現化して会話した」という認識を提示しているのはスティーヴンソンだけです。

しかし、スティーヴンソンは「トランス人格」が、どこに存在しているかについては何も語ってはいません。

ただし、彼は、「前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』 と呼ぶことにしたらどうかと思う」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と述べていますから、「心搬体」、つまり一般に「魂」と呼ばれている意識体にトランス人格が宿っていると考えていると推測できます。

いずれにせよ、「催眠下のトランス状態で前世人格が顕現化し、真性異言で会話している」という解釈をしているのは、現時点ではわたし以外に世界中でスティーヴンソンだけでしょう。

こうした認識を主張をしているのは、21世紀になってからはわたしだけのはずです。
さらに、催眠誘導によって「魂状態の自覚」まで至らせ、意図的に前世人格の顕現化に成功した「魂遡行催眠」の技法を開発したのはSAM前世療法以外にありません。                                   こうして一般の前世療法との差別化が認められ、したがって、「SAM前世療法」は登録商標として認可されているのです。

さて、ワイスが、「キャサリンの事例」に出会ったのは、1980年代の半ばころだと思われます。
わたしが、「ラタラジューの事例」に出会ったのは2009年です。

日本にワイス式前世療法が流布し市民権を得て以来、催眠中に語られる内容は「脳内に存在するであろう前世の記憶の想起」として1991年以来扱われ続けてきた考え方を、わたしは、2010年から魂の表層に存在している前世人格が顕現化した結果の対話」だと主張するに至りました。

このわたしの主張は、奇を衒って注目されたいがための主張ではありません。
この主張は、わたしあて霊信が告げた作業仮説に基づくSAM前世療法によってあらわれた、応答型真性異言「ラタラジューの事例」という実証の裏付けがあってこその主張です。

きわめて深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の顕現化が可能になる」、という唯物論に真っ向から対立する主張は、容易に受け入れがたいでしょう。が、この主張を裏付ける応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、わたしが証拠映像で実証している以上、そして現行唯物論でこれを反証できない以上、認めるほかありません。
 超ESP仮説さえ考慮しなければ、前世人格存在の証拠に「タエの事例」も含めることができるでしょう。

そして、両事例について、2010年に公表してからすでに12年経過しても、現行唯物論による具体的反証に成功した論者は皆無です。

2022年8月の現時点でも、依然として同様です。

こうして、深い催眠下では魂の表層に存在している前世人格の意図的顕現化が可能になる」という意識現象の事実は、SAM前世療法が明らかにした、もっとも大きな成果の一つだと誇ってよいと思っています。

 あるいは、セッション中にあらわれる、守護霊・未浄化霊・生き霊などの霊的意識体の顕現化現象もまた然りです。

そして、これらの霊的な諸現象は、われわれの生きている心理的世界は、唯物論では決して認識できない、途方もなく広大かつ深遠な未知の世界(次元)につながっている、という証左の一端であろうと思います。

 

2022年7月20日水曜日

死後存続仮説の科学性を広めるための戦略

SAM催眠学序説 その152                              

 

以下の点線内は、拙著『前世療法の探究』春秋社、の編集者鷲尾徹太氏からいただいた、わたしのブログ「生まれ変わりの実証的探究」に対する提案です。    

氏は春秋社の編集部にあって、『前世の言葉を話す人々』イアン・スティーヴンソン著/笠原敏雄訳、など数々の超常現象を扱った本の編集者として、実績を残しておいでになる「確信的スピリチュアリスト」を自称している人物です。                                      氏は、超心理学者の笠原敏雄氏、『霊の探究』春秋社、の著者筑波大の津城寛文宗教学博士とも著作の編集を通じて親交があり、死後存続の科学的研究をはじめ、SPR(英国心霊研究協会)の数多くの研究内容や研究史に通暁している在野の超心理学研究者でもあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       

前世療法が含意している「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が標榜している「唯物論」とは鋭く対立します。             

これに対して、前世療法(ないし死後存続仮説)を擁護する側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。                           

いくつかの戦略をあげてみます。                           

①実証事例をなんとかして集め、それを積み上げる       

これまで120年におよぶサイキカル・リサーチ(SPR・心霊研究)および超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。                     

また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、成果ははかばかしくありません。 (こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」かっこ(http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/などをぜひ参照してください。)        

この道で最もめざましい成果を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究でしょう。 

彼は厖大な時間と手間をかけて、2000に及ぶ信憑性の高い再生事例を収集したのみならず、否定論者の最後の盾、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、死後存続説の擁護に大きく貢献しました。                                  (このことの簡単な説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.htmlを参照してください。)     

ところが、こうした実証に対して、唯物論体制は、「無視」という態度で応戦しています。

スティーヴンソンは、4巻にわたる精緻な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。                       

死後存続否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。                                     

なお、この立場で戦う研究者は、だいたい死後存続仮説を「受け入れている」とは表明しません。                                      そう表明するだけで、信憑性が疑われると思われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば宇宙の暗黒物質に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。)                                      反唯物論現象のみこうした要求があるのです。 

                                         ②唯物論や実証主義の論拠自体が絶対ではないことを論証する               

実は、唯物論や科学や実証主義自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。    

唯物論自体は憶説に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶち当たります。                 

また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。                           

一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきているのです。     

こういった議論は、しばしば難解ですが、案外楽しいものです。            『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露書、渡辺幹雄『リチャード・ローティ』などの現代哲学ものなど、エキサイティングな本もたくさんあります。                

③権威からの白眼視などどこ吹く風で、やることをやる                 

へたをすると、狂信家、頭の不自由な?オカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。当人の知性、人格、(論争史など)学史的知識などが、きびしく問われることになるでしょう。 

④大衆の支持に訴える   

アカデミズムの権威などに関係なく、唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの“一般大衆”(こういう表現は反発を買うでしょうが、あえてこう表現しておきます)は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。                        

むしろ、「ニューエイジ」の流行や、「何たらの泉」現象に見られるように、唯物論の支配を脱しようとする動きは、ますます大きくなっているようにも思われます(疑わしい部分もありますが)。                                  

アカデミズムの威光の衰退も、かなり顕著になってきているような気配もあります。 ひょっとしたら、ニューエイジャーの言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。                                     ともあれ、そうした動きと連動する道を探るという戦略です。               

ただし、③と同じく、へたをすると「怪しいオカルティスト」と変わらなくなるでしょう。  

前世療法を擁護したい人、特に実践者は、①の立場をある程度は保持してもらいたいと願う次第です(現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれませんが)。   

しかし、③や④の戦略もまた「あり」かなとも思います。                

特に言いたいことは、③の道において、「死後存続仮説を受け入れる」という表明は、サイキカル・リサーチ(SPR)や超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。

つまり、ちゃんと勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。  

逆に、態度を留保しているような表現を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全枠に逃げている)一部の「前世物書き」(しかも実証の努力もしていない人々)は、不徹底なのではないかと思います(まあ、職を失うのは誰でもこわいものでしょうが)。 

また、④の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世想起体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOK(こういう表現は少し不埒ですね)というのもありかな、などと思う次第です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした鷲尾氏の示唆を受けて、わたしは死後存続仮説の科学性を広めるために上記①~④の戦略を愚直に実践してきたことは言うまでもありません。                     これまでの本ブログの諸記事も、その一端です。

鷲尾氏が当然のことながら、死後存続仮説を検証しようとするわたしの、SAM前世療法の実践に強い関心を抱かれたことは言うまでもありません。                 

催眠と超常現象(心霊現象)が接触することは古くから知られていることで、鷲尾氏もそうした催眠に対する並々ならぬ知識をお持ちでした。                  そして、成瀬悟策医学博士主催の臨床催眠スクールにわたしと同期で受講しておいでになっていたことが後でわかりました。

そこで、氏の要望もあったので当研究室にお招きし、SAM前世療法の実体験をしてもらうことになりました。                                     

そのときのエピソードを紹介します。

鷲尾氏の主訴は次のようなことでした。                       

「自分は、イエス・キリストの教えに違和感はないが、キリスト教会および教会組織に、なぜか強い嫌悪感がぬぐえない。そうした現世の自分には思い当たることのない強い嫌悪感がなぜ湧き起こるのか、その理由が前世にあるのかを探ってほしい」ということでした。

 SAM前世療法の催眠誘導定式にしたがって、魂状態にまで遡行してもらい、主訴にかかわりのある前世人格の顕現化に成功したところで、その前世人格との指での対話によるセッションで明らかになったなったことは次のような内容でした。

「自分は、キリスト教から異端の烙印を押されたカタリ派の修道士であった。正統派であるカソリック教会の迫害を恐れて、ピレネー山脈の奥地に潜み、密かにカタリ派の教義を守り続け、修道士として信仰生活を守り続けていた。しかし、ついに迫害者の知るところになり、捕らわれ、異端者として処刑され、人生を終えることになった」

セッションを終えて、氏は、「ようやく長年ひっかかり続けてきたわだかまりが氷解した。それにしても、SAM前世療法による『魂遡行催眠』の技法は、これはいいですねえ」と語っています。                                       

 氏が、カタリ派の修道士であったかどうかの真偽の検証はもとよりできませんが、SAM前世療法によって、前世の修道士の人格が顕現化し、「ああ、そうか体験」がおこなわれ、主訴に対して「感情をともなった納得(洞察)」がなされたことはほぼ間違いないと思っています。

そして、「タエの事例」において、わたしが、とっさに里沙さんの守護霊との対話を試みたことは、交霊会に通じる天才的なひらめきだ、と身に余るお褒めの言葉をいただきました。

一介の小中学校教頭だったわたしの持ち込み原稿を高く評価し、「編集者生命にかけて春秋社から出版します」と督励し、約束し、発刊していただいた鷲尾氏の編集者精神と使命感を忘れることはできません。

こうして、拙著『前世療法の探究』は、共同通信社の注目するところとなり、取材を受け、顔写真入りで全国の地方新聞のコラム「人物点描」の記事として配信されることになりました。

それがフジTV「アンビリバボー」で注目され、「タエの事例」が放映されるという連鎖反応へとつながっていくことなったのです。                       

そうしたこともあってでしょうか、本ブログを読み、これまでに大学教授15名ほど(国立大教授4名)、医師10名ほどがSAM前世療法のセッション体験においでになっています。                                       そのうち3名(国立大1名、私立大2名)が、当催眠塾に入塾、卒業しています。

 こうした注目に一番喜んでいただいたのは 、ほかならぬ鷲尾徹太氏でした。       氏のご助力なしで、わたしはけっして世に出ることはありませんでした。

 

参考までに、近代スピリチュアリズムを知るための図書として鷲尾氏から推奨していただいた本を下記に紹介しておきます。

 『近代スピリチュアリズムの歴史』三浦清宏、講談社、2008、¥1900 、314ページ。         

副題は、「心霊研究から超心理学へ」となっており、本の帯には「守護霊、オーラ、ポルターガイスト、念写、心霊現象は物理現象か」と記されています。「研究の歴史を詳細に検証する本邦初の労作!」とも。                

著者は昭和5年生まれ、明治大学で英語の教鞭をとった芥川賞作家であり、日本心霊科学協会理事でもあります。確信的スピリチュアリストであろうと思います。

イアン・スティーヴンソンの著作とともにわたしの愛読書になっています。


2022年6月21日火曜日

わたしあて霊信の信憑性の検討 その2

 SAM催眠学序説 その151

前回ブログ「SAM催眠学序説 その150」で、わたしあて2007年1月~2月に贈られた霊信の信憑性の指標として、霊信の告げた四つの予言が的中したかどうかを挙げておきました。                             ちなみにこれ以外には具体的な予言らしき内容はありません。

そして、四つの予言の的中事例として、

①わたしに起きたヒーリング能力の覚醒(2007年2月以後2022年現在まで) 

②2冊目の本の出版(2010年10月)  

③新しい前世療法(SAM前世療法)の成立(2008年以後2022年現在まで)  

④前世で愛情関係にあった2人のクライアントの出現 (2008・2019年)                        

以上のことが、 予言後の数年間にわたる経過のなかで的中していることを指摘しました。                                                                                                  ただし、この予言の評価はわたしの主観的見解でもあり、第三者にとっては、これをもって霊信の客観的な信憑性とするには説得力に欠けるでしょう。      客観的な信憑性を評価するには、予言以外の霊信内容の検証にゆだねる必要があると思います。

今回は予言とは別に、霊信の客観的な信憑性の検証に取り組んできた15年間の、現時点の見解について述べてみようと思います。

ところで、2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、タエの人生とラタラジューの人生が、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「前世人格タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化した現象」だとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

この謎が「タエの事例」以後、「ラタラジューの事例」の遭遇まで、4年以上にわたってわたしがこだわり続けることになった大きな謎でした。

1 生まれ変わり研究先駆者イアン・スティーヴンソンの考察

この謎についての先行研究は、生まれ変わりの科学的研究の先駆者イアン・スティーヴンソンの考察に求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989、からの抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。

私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。

そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。

人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。

(前掲書PP.359-360)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イアン・スティーヴンソンの提案している「心搬体(サイコフォア)は、いわゆるわたしの言うところの「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的な定義をしたのだと思われます。
ただし、わたしは、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも決定的な不都合はないと思いますし、まったく新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい造語を用いることは不要だと思っています。
 

さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかはまったく知らない、とも述べています。

このことについては、「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を与え合い、表層全体の集合的意識が成長・ 進化する仕組みになっている」と霊信は告げています。

また、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、霊信が告げた魂の二層構造の内容を支持しています。

「現世の私」という一つの人格が、その死後、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として死後存続するのであって、「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体が新しい肉体に宿ることを生まれ変わりというのだ」というのが、霊信が告げた生まれ変わりのしくみだからです。

したがって、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する『個性』なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの見解も、霊信が告げている魂の二層構造の内容にほぼ一致しているといえるでしょう。

こうして、現世の人格は、魂表層に位置付いている前世人格たちのそれぞれの人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されていると推測できるのです。

さて、わたしが、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「前世の記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」、つまり、魂を想定していることに照らせば、ほぼ間違いありません。

そしてまた、スティーヴンソンは、生まれ変わりについての見解を次のように述べています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうした肉体のない世界はどこにあるのか、と問われれば私は、私たちが肉体と結びついている現世で、誰もが持っている心理的空間の中に存在すると答える

ここでまとめると、宇宙には、物理的世界と心理的(ないし心霊的)世界の少なくとも二つがあるのではないか、と私は言おうとしているのである。この二つの世界は相互に影響を及ぼし合う。私たちが現世にいる間は、肉体と結びついているため、肉体なしには不可能な経験をさせてくれるであろうが、心の働きは制約を受ける。死んだ後には制約から解き放たれるので、心理的世界のみで暮らすことになるであろう。そして、その世界でしばらく生活した後、その人たちの一部、あるいはもしかするとその全員が、新しい肉体と結びつくかもしれない。それを指して私たちは生まれ変わったと称するのである(前掲書P.353)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スティヴンソンの述べている「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」とは、いわゆる「霊界」だと読み替えてもいいでしょう。

しかし、わたしの期待したのは、彼の言う「心搬体(魂)」と、「前世の記憶」および「脳」との関係についての考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶を、「心搬体(魂)」から得て話したのか、「脳内に存在している記憶」を話したのか、それとも記憶ではなく、「顕現化した前世の人格そのものの語り」であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについては、ついに何も解答を与えてくれませんでした。
  

2 わたしあて霊信の教示した意識の所在

結局、わたしが求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在からの霊信でした。

わたしの守護霊団を名乗る存在の教示した回答の要約は次のようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

①脳は意識を生み出してはいない。

②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 

「現世の私」も、魂表層を構成している一つである。                 

魂表層の「前世の者たち」と「現世の私」が生み出している意識は霊体に宿っている。

霊体は、「現世の私」が私という意識を持つための役割を担っている。

⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。

⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係・対応関係にあるが、本来別ものである、とする立場を「意識(心)と脳の二元論」と呼んでいます。

脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説です。               つまり、「意識は脳の生み出した付随現象である」とする考え方を認めない仮説です。                                          大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが脳や催眠現象の実験研究の結果、そろって晩年になって唱えている仮説です。

しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、生まれた意識はどこに宿っているのか、という根本問題については一切述べていません。                                    端的に言えば、彼らにも分からないのです。                            考えてみれば、われわれに意識があることは疑いようのない自明のことであるにもかかわらず、その意識がどこで生まれているのか、21世紀の現在でも未だに解らない謎のままであるのは不思議千万なことでしょう。

 

3 霊信の教示した「魂」「意識」 「霊体」の関係性の検証

わたしは、前述①~⑤の霊信の告げた「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」の関係が成り立つことが何らかのかたちで証明できれば、その結果として、霊信内容の信憑性が、四つの予言の実現とは別に証明されることになると考えました。                       ひいては、霊信を告げてきた霊的存在の実在性が、間接的に証明されることになるだろうと考えました。

公教育の小中学校現場の教師にあって、教育催眠研究をライフワークに定めて    30年余の研鑽を積んできたわたしにとって、こうした霊的現象の研究に催眠を用いて取り組むことは、未知の領域への挑戦であり、それをさせるために、霊信はわたしに敢えて贈られたのではないかと思えてきたのです。                             それ以外に、催眠学のアカデミズムに属さないわたしに霊信が贈られてきた理由に思い当たることが全くないからです。                            もし、大学などのアカデミズムに所属している催眠研究者に、わたしと同様な霊信がなされても、彼らは、心霊現象の領域に立ち入ること対して拒否反応を示さないではおかないだろうからです。

わたしは、霊信の告げてきた①~⑦をそのまま作業仮説に採用し、その恩恵によって「SAM前世療法」が創始でき、SAM前世療法を探究の道具として用いて、霊信内容の検証に取り組むことにしました。

こうして、わたしの「魂」「前世の者たち」「意識」「霊体」「脳」の関係性への探究が開始されることになっていったのです。

その探究の現時点までの諸成果は、本ブログ『稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究』に公開してきたとおりです。                              

4 SAM前世療法による前世人格顕現化現象の考察

そして、霊信の告げた内容を仮説としておこなったSAM前世療法の実践において、魂表層から呼び出した前世人格の顕現化現象であると自信をもって公開できた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化してきた前世のネパール人の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。

被験者里沙さんが、ネパール語を一切学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので、ラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格の前世人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「スワシニ(妻)」、「アト・サトリ=8と70(78)」といった古いネパール語単語を用いて対話をしています。
こうしたネパール語の古語を里沙さんが秘かに学ぼうとしても学びようがありません。


前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形の対話をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

:KAはネパー人対話者カルパナさん


里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この短いやりとりの重要性は、つい見落とすところですが、顕現化した前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジュー人格は、里沙さんの前世記憶の想起として語られているのではないのです。

里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、ラタラジュー人格が魂表層から顕現化している、としか考えられない現象です。

この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。
つまり、ネパール語の応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依しているということです。
自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという奇妙な憑依現象はこれまで知られていません。
そこで、SAM前世療法では、クライアントの前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。                           つまり、クライアントの魂表層に存在している前世人格が、自分の生まれ変わりであるクライアント自身に憑依し、自己表現している現象という意味です。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というわたしあて霊信の告げたことが正しい可能性を示している証拠であると考えています。
したがって、霊信の信憑性は高いと判断してよいと思います。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格(グレートヒェン)をどのように位置づけるか」
(前掲書P.10)     

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」(前掲書P.11)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

スティーヴンソンも、応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。                          前述した彼の言葉から推測すれば、
「心理的空間」「心理的世界(心霊的世界)」から顕現化したということでしょうか。

いずれにせよ、「グレートヒェンの事例」の催眠臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンのドイツ語の語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。                                      ちなみに「トランス人格」とは被験者の催眠中に現れた別人格のことを意味しています。

同様に、前世人格ネパール人ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
このラタラジュー は、SAM前世療法によって、里沙さんの魂表層から呼び出され、現世の里沙さんの肉体(声帯)を借りて、現在進行形で会話をしている顕現化した彼女の前世の人格です。

里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション直後に書いてもらった次に述べる5のセッション体験記録からも確認することができるでしょう。
 

5 「ラタラジューの事例」被験者里沙さんの意識

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣先生から依頼された、セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、私の守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。

なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6 まとめ 

でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした」、「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」という里沙さんの述懐は、彼女が顕現化したラタラジュー人格に「体を貸して」、霊媒的役割をまさに果たしている、ことを如実に語っていると思います。

イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に偶発的にあらわれ、科学的検証を経て信頼できる、応答型真性異言を2例あげています。                            ともにアメリカ人の女性被験者2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。

ちなみに、スティーヴンソンも、わたしと同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別人格の顕現化による応答的会話だ、ととらえています。           (『前世の言葉を話す人々』春秋社、P.9)

つまり、クライアントが前世の記憶として応答型真性異言を語ったとは考えていません。
それでは、そうした死後存続しているトランス人格の所在しているところはいったいどこなのか、についての具体的言及はありません。

 「ラタラジューの事例」を含めて、催眠下で偶発し、科学的な検証を経た応答型真性異言事例は、世界にこれまでわずか3例の発見しかありません。
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。 

しかも、すべて20世紀までの発見であり、21世紀になってからは「ラタラジューの事例」(2009年)が最初の公開された事例です。

付言すれば、この事例は、応答型真性異言の発話中の撮影に成功した世界初の事例でもあります。                                     「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの科学的研究史上で、SAM前世療法によって打ち立てた金字塔だと評価されると思っています。

さて、 生まれ変わりが普遍的事実であるならば、催眠中に限らずなぜもっと多くの人々が応答型真性異言を話せないのか、これはほんとうに大きな謎です。

超心理学上の生まれ変わりの研究において、現時点では、応答型真性異言現象こそが生まれ変わりの科学的証拠としてもっとも有力だとされています。                   もし、きちんとした科学的検証を経た応答型真性異言現象が、これまでに数多く公開されていたとすれば、生まれ変わりは科学的事実として多くの人々に認知されているはずであると思っています。                                  

そして、生まれ変わりが科学的に証明され認知されれば、人間に対する見方は言うまでもなく 、人生観・世界観をはじめ、あらゆるものに対する見方に、広範な、根本的な変革がもたらされることになったでしょう。

ともあれ、こうして、「魂」「前世人格たち」「意識」「霊体」「脳」などの関係性について告げている霊信の信憑性はきわめて高い、と判断できると思います。

ひいては、霊信を贈ってきた霊的存在(通信霊)の実在性もきわめて高いと判断しています。                                       

「地上の人間と霊的存在は交信できる」「交信する霊的存在は実在している」「生まれ変わりは存在している」などを「霊的真理」だと認めるなら、わたしは「霊的真理」を認めることに躊躇することはない立場になっています。

そして、前世人格の顕現化を、偶発的ではなく、意図的に、生起できるSAM前世療法は、前世人格の顕現化という仮説と、それを可能にする催眠誘導技法に立脚した、前例のない新たな前世療法として誇ってよいのだと自負しています。  

 心理療法の観点からすれば、「魂表層に存在する諸前世人格」の影響を前提にして、現世人格の自己実現を図ろうとするSAM前世療法は、魂そのものを対象にしながら、現世人格の再構成をめざす「魂の療法」だと位置づけてよいかもしれません。                                   

また、SAM前世療法では、「魂とは前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」だと定義しており、宗教的意味合いとは無関係です。                              

それだけに、魂の領域に踏み込むSAM前世療法を扱う人間は、健全な懐疑精神と、謙虚さと、慎重な態度をけっして忘れてはならないと自戒しています。                       

そのために、「SAM前世療法」の名称は、登録商標にしてあり、SAM前世療法士の有資格者のみに用いることを許可してあります。                    また、有資格者には、厳しい倫理規定の遵守を義務づけてあります。

ちなみに、わたしのセッションでの前世人格の顕現化の成功率は、直近100事例で91%です。

 

以上が、2007年以後、2022年の現在に至るまでの15年間わたって、わたしあて霊信の信憑性についてこだわり続け、SAM前世療法を用いて検証をしてきた現時点の到達点です。