SAM催眠学序説 その154
最近『生きる意味の探究』を読み直し、ウィリストンほどの前世療法家がなぜ?と思うことがしきりです。
その「なぜ?」の部分を前掲書グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999から4点取り出してみます。
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①ある人物が、催眠状態で、過去に生きていた人物になりきり、異なる抑揚や調子で話し始め(前掲書P.23)
②彼女は過去生へと戻っていたのだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた。(前掲書P.26)
③
退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。
このような「意識の分割」は、
過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。
私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった(前掲書P.61)
④過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる(前掲書P.121)
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上記引用部分の①と②を読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」であるととらえていると思われます。
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの記述から明らかなように思われるからです。
どこまでもクライアントの想起する「前世の記憶」だととらえているようなのです。
しかし、③では、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった」というクライアントの「意識の分割」状態を述べています。
また、④ではウィリストンが「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる」という奇妙な現象を述べています。
わたしが疑問に思うのは、上記③④の不可解な意識現象をとらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という解釈にこだわり続けるのか、という点です。
③のように、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」るのであれば、前世の記憶の想起ではなく、前世の人格が顕現化してクライアントの身体を通して自己表現しているのだ、とありのままに受け取ることができないのでしょうか。
②「東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた」というクライアントの声の変性状態を観察しながら、英国少女の前世人格が、ただいま、ここに、顕現化して語っているのだ、となぜ考えることができないのでしょうか。
ま
た、④のように、「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる」ことを、ありのままに
受け取れば、「けげんそうな表情」を浮かべる主体は、クライアントではなく、それとは別個の、つまり、クライアントに、「けげんそうな表情」を浮かべさせた主体は、クアライアントではなく、「過去生の人格」そのものだと受け取る自然な解釈に至らないのでしょうか。
これまで、「何千人もの人々」(前掲書P.23)に前世療法を施術してきたウィルストン が、ついに、「前世人格の顕現化現象」という仮説に至ることができなかったのか、わたしには不可解でなりません。
ちなみに、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は、
過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる(前掲書P.61)」というウィリストンの記述は、きわめて興味深く思われます。
この記述は、SAM前世療法のセッションにおける、前世人格顕現化中の意識状態である「三者的構図」そのものだと言えるからです。
「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開されます。
「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、クライアントに顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと転換します。
この転換によって、セラピストの「わたし」対「前世人格」の対話、それを傾聴している「クライアントの意識」という三者的構図によるセッションがこれ以後展開します。
この間、「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することは一切できなくなるようです。
前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのです。
こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載してみます。
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なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタラジューの言葉を伝えていました。
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
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こうして、ウィリストンの述べている「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。このような『意識の分割』は・・・必ずと言っていいほど見られる」という記述の『意識の分割』とは、セラピストの「ウィリストン」対「前世人格」の対話、その対話に介入が許されず傾聴しているのみの「クライアントの意識」という三者的構図そのものを示していると解釈しても支障はないと思われます。
つまり、彼の言うクライアントの「意識の分割」状態とは、「現世のクライアントの意識」と「顕現化した前世人格の意識」の二つの意識に分割されて併存している状態を指していることにほかなりません。
しかし、この記述には、現世のクライアントとは別個に「顕現化した前世人格の意識」という明確な解釈はされていません。
どこまでも、前世の記憶を語る「クライアント」対「セラピスト」という二者的構図における、クライアントの「意識の分割」状態なのだという解釈なのです。
お
そらく、ウィリストンが、どこまでも二者的構図における「意識の分割」としかとらえることができなかったのは、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(前掲書P.316)などの誘導法に、
最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という唯物論的固定観念から、ワイスと同様、ついに脱することができなかったからだ、とわたしには思われます。
そして、不可解なことは、「生まれ変わりの真実性は証明不要なほど確かな事実だ(前掲書P.96)」と断言しているにもかかわらず、管見するかぎり、ウィルストンが前世記憶の検証を綿密におこない、生まれ変わりの科学的証明した記述はありません。
また、「前世の記憶」がどこに存在しているのかについて、一切言及していないのです。
このことは、ブライアン・ワイスも同様です。
仮に「前世の記憶」が科学的事実だとして、彼らはその記憶はどこに保存されていると考えているのでしょうか?
わたしの知る限り、前世療法中のクライアントの語りを検証し、「クライアントとは別の前世人格が顕現化し、クライアントの身体を借りて自己表現しているのだ」と
いう解釈をしているのは、3例の応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。
彼は、「トランス人格(催眠下のトランス状態で現れる前世の人格)」
が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表明しています(『前世の言葉を話す人々』PP.9-11)。
彼は、「グレートヒェンの事例」で、グレートヒェンが応答型真性異言を語るセッションを目前で見学し、クライアントが「前世の記憶」として、応答型真性異言を語っている、という固定観念の不自然さ、不合理さに気づき、「前世の記憶」ではなく、「グレートヒェンと名乗るトランス人格そのものが顕現化」して語っている、という発想への変換をせずにはいられなかったのでしょう。
しかし、スティーヴンソンも、「トランス人格」の存在する座についてはついに言及していません。
そして、わたしは、SAM前世療法において、顕現化する前世人格の存在の座は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情や記憶を保つ意識体として死後存続しているという、わたしあて霊信による作業仮説を立てています。
したがって、セッション中にわたしが対話する相手(主体)は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した別人格の前世人格そのものであり、しかも現在進行形で対話している、と了解しています。
こうした現象は、現世のクライアントの魂表層に存在する前世人格が、クライアントに憑依して、わたしと対話している、ということになります。
このような憑依現象は、これまで報告されたことがなく、したがってこの現象を表現する用語もありません。
そこで、SAM催眠学では、この憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。
つまり、前世人格の顕現化現象は、自己内憑依現象である、というとらえ方をしているということです。
こうした作業仮説に、たしかな自信を与えたのが、応答型真性異言「ラタラジューの事例」と「タエの事例」の検証と考察によって、生まれ変わりの科学的実証に肉薄できたことでした。
ただし、SAM前世療法の諸仮説をわたしに教示したのは、わたしの守護霊団を名乗る霊的存在であるという、これまた唯物論者が目を剥いて嘲笑するであろう霊信という超常現象なのです。
わたしあて霊信によれば、「意識の座は脳ではなく、肉体を包み込んでいる霊体である」と告げています。 また、「霊体はオーラとも呼ばれる」とも告げています。
この霊信の言説の真偽を直接実証することはできませんが、SAM前世療法遂行のための重要な作業仮説として採用しています。
そして、ごく最近再読した本の中に、70年以上前に、すでに同様の仮説に至っていたアメリカの精神科医の存在を発見しました。 点線内がその内容です。
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彼ら(スピリット)は、生前の性癖や欲望を満たすための道具(肉体)はもう失っている。 そこで、多くのスピリットは、生者から放射されている磁気的光輝に引きつけられ、意識的に、あるいは無意識的に、その磁気的オーラに取り憑いて、それを欲望を満たすための手段とするのである。 こうして憑依したスピリットは、霊的に過敏な体質のその人間(のオーラ)に自分の想念を押し付け、自分の感情を移入させ、その人間の意志の力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生ぜしめるのである。 (『迷える霊との対話』ハート出版、C.A.ウィックランド著/近藤千雄訳、P.718)
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著者ウィックランド医学博士(1861~1945)によれば、意識は霊体(オーラ)に宿っている、と30年にわたる精神病の治療実績に基づいて述べているのです。 この著作の副題は「スピリチュアル・カウンセリングによる精神病治療の30年」となっています。 ちなみにウィックランド医学博士の経歴は、「精神科医として、異常行動で手に負えなくなった患者を、自らの妻を霊媒としたスピリットとの交信という形で治療。その30年にわたる膨大な実証記録を著したものが本書である。シカゴ医師会、イリノイ州医師会、米国科学振興会、米国地理学会の各会員としても幅広く活躍した」と紹介されています。
ウィックランドの「 意識は霊体(オーラ)に宿っている」という見解は、治療実践から導かれたものであり、単なる観念論ではありません。
SAM前世療法によって魂表層から顕現化する前世人格は、クライアント自身の霊体に憑依(自己内憑依)し、クライアントの肉体を使って自己表現し、セラピストと対話するという構図は、クライアント自身がまさしく霊媒の役割を果たしている、ということです。
こうして、唯物論科学に真っ向から対立する仮説によるSAM前世療法は、世界唯一の前世療法であり、わたしの創始した純国産の前世療法だと自負しています。
そしてまた、「前世人格の実在」、つまり「生まれ変わりの実証性」に、かぎりなく肉薄できる可能性をはらんで定式化された世界唯一の前世療法である、という自負があります。
特許庁は、SAM前世療法の名称とそれの意味する内容、つまり仮説の独自性とそれに基づく技法の独自性を審査し、すでに流通している普通名詞の「前世療法」とは明らかに別個の、固有の前世療法として、「SAM前世療法」の名称を、第44類の商標登録として認めてくれたのです。
ちなみに、「SAM]とは、「Soul Approach Method」の略であり、「魂状態に遡行し前世人格を呼び出す方法」を意味しています。
注:「前世」は現世の直前の過去生を意味し、それ以外は「過去生」と呼ぶようですが、「前世療法」という用語が流通していますから、SAM前世療法では現世以外をすべて「前世」と呼びます。
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