2021年10月18日月曜日

わたしの生まれ変わり探究の原点

 SAM催眠学序説 その144


2005年の「タエの事例」から16年、2009年「ラタラジューの事例」から12年を経て、セッション当初は謎であったことを少しずつ解いてきました。

わたしは、この両事例の徹底的検証の結果をもって、現時点で少なくとも被験者里沙さんには、生まれ変わりが科学的事実として認められる、と宣言してよいと思っています。
生まれ変わりは、「信仰」などではなく「科学的事実」である可能性が高いのです。
そして、被験者里沙さん一人に起きている生まれ変わりが、他の人たちにも起きている蓋然性も高いと考えていいと思っています。

なぜなら、他の人たちのSAM前世療法セッションにおいて、ラタラジューを呼び出したと同様の手続きによって、ラタラジューと同様の前世人格が顕現化するからです。
つまり、魂状態の自覚に至れば、魂の表層に存在する前世人格の顕現化が間違いなく起こるからからです。

これまで20名を越える医師・大学教員など知的レベルが高く、容易にSAM前世療法の作業仮説を認めることはなさそうなクライアントであっても、作業仮説どおりの意識現象の事実、つまり「魂状態の自覚」と「前世人格の顕現化」、および「守護的存在との出会い」などが起こっています。
こうして、SAM前世療法セッションを体験された国立大1名、私立大2名の大学教授がわたしの主宰している催眠塾に入塾しSAM前世療法の作業仮説と技能を学ばれました。

この意味で、SAM前世療法には、その作業仮説と技能を学び、同様の手続きによれば、同様の結果がだれにでも得られる、という「再現性」があります。

しかしながら、検証可能な具体的内容を語る前世人格は、きわめて稀であることも事実です。
とりわけ、催眠中に起きた応答型真性異言は、イアン・スティーヴンソンの公表している2事例を加えても、世界で3事例しか在りません。
しかし、検証できないからといって、顕現化した前世人格がフィクションであるという断定は、「ラタラジューの事例」を前にしては、できるとは思われません。

こうした、幾多のセッションに現れた意識現象の累積から、わたしが、魂と生まれ変わりの実在を認める立場をとる理由は、

それが直感に著しく反していないからであり、

それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、

その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、わたしの守護霊団を称する通信霊の告げた、魂と意識の所在の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが、ネパール語の真性異言で会話した証拠映像を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈をすることは、現行唯物論科学の知の枠組みに固執し束縛された不自然な営み だ、とわたしには思われるのです。 

そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

ち なみに、生まれ変わりの科学的研究者イアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をも う一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』P11)と解釈し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法におけるわたしと同様のとらえ方をしています。

おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。

「タ エの事例」と「ラタラジューの事例」は、わたしにとって、まさに掌中の珠であり、わたしのセラピスト人生で遭遇した僥倖でした。
イアン・スティーヴンソンが世界中を二十数年かけて探し求め、わずか3事例しか発見できなかった応答型真性異言を、わたし自身のセッションで直接自分の手で確認できるなどということは想像すらできなかっ たことでした。
しかも、「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の世界初の映像証拠を残しています。
ただし、「タエの事例」にしても「ラタラジューの事例」にしても、当の前世人格の実在が文書等の記録ではどうしても確認できませんでした。

生 まれ変わりを裏づける科学的証拠のような重大な問題においては、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと批判されるのであれば、この問題がきわめて重要であ るからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については、科学として検討するべきだと考えます。
細部が不明、不完全であるという欠陥があろうと、 重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えます。
そして、不完全であっても、重要なことについて確実なことを示す生まれ変わりの証拠は、これまでの海外の事例の諸研究によって、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが自然ではないかと考えられるだけのものが蓄積されています。

さて、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、それぞれ2006年、2010年にアンビリバボーに取り上げられ、証拠映像が部分的に放映されています。
セッションの全容でなく部分的放映であったがゆえに誤解が生じ、様々なご意見をいただきました。
そこで、両事例の全セッション映像を、ほぼ1年かけてyou-tube公開用に制作してきた仕事が完成しました。
 
わたしは、自分では、けっして「生まれ変わり研究」オタクではないと自認しています。
わたしをとりまく政治・経済の問題、原発問題、国家の安全保障問題等の諸問題について人並み以上の関心を寄せています。
そして、現状の日本と世界の先行きに不安と危機感を抱いています。

生まれ変わりが事実であること、霊的存在が実在することを証明し、発信することは、こうした現実の諸問題と無縁な、一見浮き世離れした暇人の仕事に思われるでしょ うが、生まれ変わりを事実だと認めるならば、人間の生き方に対する見方、考え方は言うに及ばず、自然界のあらゆるものに対する見方、考え方も根本的な変更を迫られ るはずだと思っています。
 

生まれ変わりを事実だと認める人々が、必ずや当事者性をもって、自分が生まれ変わるはずの地球、世界、日本の未来を真剣に考え、「生まれ変わる自分のために」、必要な政治的諸行動や経済的諸活動、諸学問研究活動をおこなうだろうと期待をしています。

そして、何よりも、死後は無に帰するわけではなく、魂と呼ぶ意識体は死後も存続し、時を経て新しい肉体を得て再び生まれ変わることを、科学的事実として認めることは、わたし自身の救いでもあります。
 

わたしは小学校6年生の冬に、可愛がってくれた祖父の遺体が焼かれていく有様を遺体焼却炉の覗き穴から目前で見てしまって以後、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」に出会うまで、死ぬことに対して極端な恐怖を抱いて生きてきた情けないほどの臆病者でした。
わたしは、「死ぬことなんか怖くない」と公言出来る人をどうしても信じられない臆病な人間です。
「帰無仮説」によっては、人間は、少なくともわたしは、けっして救われることはないと思い続けていました。
死があるからこそ生を充実する、などの言辞は、現実の死を目前に突きつけられたことのない、死を観念的にしかとらえていない人間の戯言に思えたのです。

死んだら最後、愛する者たちと永遠に別離しなければならないと考えることは、まさに寂寥と悲痛の極みであり、ニヒリズムに落ち込むこと、鬱状態に落ち込むことを繰り返してきました。
その悲痛を忘れるために、大型バイクをすっ飛ばしたり、疲労の極まで泳いだり、足腰が立たないほど山に登ったりしたのだろうと思います。薬物が手軽に手に入れば、やっただろうと思います。

だからと言って、わたしは宗教に救いを求めるという心性を持てない人間です。
「生まれ変わり仮説」の科学的・実証的探究を続けているのは、自分の手で確認し、何よりもわたし自身が納得でき、悲しみから救われたいからです。
だからこそ、生まれ変わりという重要な問題を科学の方法を用いて執拗に真剣に探究することが続けられるのだと思っています。

生まれ変わりなど絶対に認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を、生まれ変わりの証拠として絶対に認めたくない人のために、具体的反証可能性にひらかれているという意味をこめて、セッション全容の証拠映像の公開が必要であると思ってきたところです。その思いがやっと叶いました。

生まれ変わりについて真面目に考えている、できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っています。

公開動画は http://samzense.blogspot.jp/p/blog-page_21.html です。