SAM催眠学序説 その18
SAM催眠学では、私あて霊信にもとづいて、「心・脳二元論仮説」、「魂の二層構造仮説」、「霊体仮説」、「憑依仮説」などを打ち立て、生まれ変わりの科学的事実に肉薄することを探究してきました。
そして、少なくとも里沙さんという被験者については、「生まれ変わりは科学的事実である」と公言してきました。
その根拠が、これまで世界で4例(催眠下では2例)発見されている応答型真性異言(responsive xenoglossy) が、被験者里沙さんのネパール語によって起きたという科学的事実です。
ネパール語の真性異言であると言いうるためには、被験者里沙さんが現世でネパール語を一切学んでいないという実証が徹底されなくてはなりません。
「ラタラジューの事例」は、2010年8月フジTV「奇跡体験アンビリバボー」で60分間にわたって放映されましたが、被験者里沙さんが現世でネパール語を一切学んでいないという具体的検証については、ほとんど触れられていません。
そのことが、TV放映しか見ていない唯物論者からは、意識的にせよ、無意識的にせよ里沙さんはどこかでネパール語を学んでいたのではないか(虚偽記憶ではないか)、という疑惑が持たれているようです。
そこで、「ラタラジューの事例」再考の最初に、真性異言である証明の根幹である具体的検証をどのように遂行したかを述べようと思います。 (この件については拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』で詳述しています)
これは、里沙さんの名誉を守るためであり、私の名誉を守るための作業です。
里沙さんがネパール語を学んでいないことの裏付け調査
この裏付け調査は、2009年6月から2010年8月にかけて実施したものです。
まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を可能な限りおこないました。
最初に、家族・親戚でネパール人、およびネパール語の話せる人間はいないことを確認しました。
それ以外の聞き取り調査とその裏付け調査の結果は次のようでした。
①結婚するまでの生育歴
里沙さんは、昭和33年(1958年)、岐阜県A市近郊の田園の広がる田舎町B町の自営業両親の二人姉弟の長女として生まれました。
幼稚園・小中学校・高校ともに地元の学校へ通学しています。
幼稚園は1学級30名、小学校は1学年2学級約60名、全校360名程度の小規模校でした。
中学校も、1学年2学級60名の小学校時代の卒業生がそのままスライドして、もう一つの小学校卒業生と一緒になり1学年2学級80名弱、全校240名程の小規模校でした。
高校は地元の普通科高校に通い、1学年400名、全校1200名ほどの規模でした。
幼・小・中・高時代の各友人の中で、里沙さんとネパール人、あるいはネパール語との接触を知っているという人物は皆無でした。
昭和40年代当時の在日ネパール人状況からしても、地方都市近郊の田舎町B町に在住していた形跡はないと推測でき、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付くほどに親しく長く交際していれば、その事実を友人たちに隠し通すことは不可能だと思われます。
ちなみに、ラタラジューのネパール語会話を解析したネパール人で、中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、ラタラジュー程度にネパール語を理解し話すためには、ネパールに2~3年滞在する必要があるのではないか、ということでした。
大学はA市の全学400名程度の四年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得しました。
彼女の大学時代に、ネパール人、あるいはネパール語との接触を知る友人は皆無でした。
大学卒業後、初めて実家を離れ、全校150名ほどの僻地中学校の学校給食栄養士として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を経験します。
この就職中にも、ネパール人、ネパール語との接触を知る同僚職員はいませんでした。
就職二年後、24歳で結婚のため退職、A市内商店街の食品小売り業の長男(地方公務員)の家に嫁ぎ、舅・姑と同居生活を送りました。
ここまでの生育歴で、里沙さんは、ネパール人との接触の事実は一切ないと証言してますし、ネパール語を学ぶ機会のもっともありそうな高校・大学時代においても、里沙さん在学中にネパール国籍の生徒・学生の在籍した事実はありませんでした。
前述のように幼・小・中・高・大学の各友人を通して、ネパール人、あるいはネパール語との接触を証言した人物は皆無でした。
②結婚後の生活歴調査
婚家は、A市中心の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的時間のほとんどない生活をしたということです。
息子が成人した頃には姑が体調不良なり、その介抱と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みとその治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりはほとんど持てない生活が続きました。
2時間以上の外出は姑との約束で制限が設けられ、それ以下の時間内で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。
やがて、家業を続けることが困難になり、2000年、42歳のときに店を閉めた後、2年間は県民共済組合のチラシ配りのパートタイマー、2002年からはNPO法人の紹介で食事介護のパートタイマーとして働き、現在に至っているとのことでした。
この結婚後の生活歴の中で、一日約3時間のパートの仕事中、あるいは家庭内生活中でネパール人、ネパール語との接触の可能性を確認するため、地方公務員であるご主人に問い合わせましたが、ネパール語会話の練習やネパール人の友人・知人等は結婚以来一切なかったとの回答でした。
里沙さんの夫が外国嫌いという事情もあり、夫婦ともに海外渡航歴は、新婚旅行でフランス・スイスに行った以外に一切ありませんでした。
また、里沙さんの住む商店街近辺にはアパートはなく、それ以外にも近所に在住するネパール人がいないことを確認しました。
ちなみに、里沙さんの住むA市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、初回セッションの2005年から第二回セッションの2009年までの五年間の年毎のネパール人の在住人数を調査しました。
その結果、最多の年で33名、最少の年は25名であり、総人口に占める平均割合は0、007%でした。
結婚後から現在に至る期間中に、里沙さんがA市内でたまたまネパール人と知り合い、夫の目を盗んで密かにネパール語を学ぶ機会はまずあり得ないと判断してよいと思われます。
③ネパール人と接触した唯一の記憶
里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りにその店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人物と接触した記憶でした。
私はその料理店の場所を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって密かに裏付け調査に出向きました。
店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。
ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。
ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。
ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。
また、日本人にネパール語を教えたことはない、とのことでした。
もちろん、里沙さんが客として来た記憶は全くありませんでした。
また、ライさんはカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、まったく知らない答えました。
カトマンズ周辺に詳しいというネパール人ですら、ナル村の存在を知らなかったということです。
また、「ラタラジューの事例」は、2010年8月のフジTV「奇跡体験アンビリバボー」で放映されていますが、その中のカトマンズ市民へのインタビューでも、ナル村の存在を知る人はいませんでした。
ちなみに、ラタラジューが村長をしていたと語っているナル村は、カトマンズ中心から直線34㎞南方にある420世帯、住民2277名(2010年現在の調査)の寒村です。
カトマンズからナル村までは、山間部の未舗装道路を車で2時間~2.5時間はかかる距離にあり、日本人観光客が寄りつくような村ではないそうです。
里沙さん夫妻の証言書
里沙さんへの聞き取り調査をし、証言内容の裏付け調査をおこなった結果、彼女が意図的にせよ無意識的にせよ、ネパール語を学んだことを疑わせる痕跡は、何一つ浮上しませんでした。
ネパール語会話能力を身に付けるためには、中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士の見解からも相当の学習時間を要することは明らかで、彼女の結婚前の生育歴にも結婚生活の中にも、そのような学習時間が費やされた痕跡は一切発見できませんでした。
そもそも、ネパールに全く興味がないと断言する里沙さんには、ネパール語を学ぶ動機もなく、車または公共交通機関を用いて、外出時間制限の往復2時間圏内には、ネパール語の学習施設もありません。
そうした検証結果が出たところで、「ラタラジューの事例」を学会発表と出版することに承諾をいただき、そのための証拠資料として、次のような証言書に夫婦で署名・押印してもらいました。
証 言 書
ネパール人ラタラジュー人格が初めて出現した2005年6月の前世療法セッションのおこなわれた以前にも以後にも、私はネパール語を意識の上では全く知りませんでした。
また、ネパール語の勉強をしたこともありませんし、理解したり会話したりすることも全くできなかったことをここに証言します。
2005年6月の初回セッションから、2009年5月の真性異言実験セッションの間に、学校であれそれ以外のどこであれ、ネパール語を勉強したり、誰かにネパール語で話しかけられたりすることも、目の前でネパール語で会話されているのを見たり聞いたりしたことも全くありません。
私はインターネットが使えませんし、誰かに頼んでインターネットでネパールについて情報を調べたこともありません。
また、ネパールへ旅行したこともありません。
それは、ラタラジュー人格が初めて出現した初回セッション以前も以後も同様です。
現在も結婚前も、私の住んでいる地区・職場・親戚、学校時代の友人、現在の友人など、私の生活してきた環境にネパールの人は一人もおりません。
私が唯一ネパール語かも知れない言葉を耳にしたのは、息子たちと食事に行ったインドカレー料理店で、店員の異国の方が何か一言二言厨房に向かって短く異国語で話しているのを一度聞いたことがあることだけです。
ただし、この方がどこの国の人で、言葉が何語であるかは全く分かりませんでした。
以上の内容に間違いがないことをここに夫婦として証言します。
夫 ○○○○ 印
妻 ○○○○ 印
こうして、私の手でできる範囲で考えられる限りの里沙さん証言の裏付け検証はすべて終了しました。
残るは、権威の高い検査技師によるポリグラフ検査によって、里沙さんの証言の真偽の鑑定を得ることです。
(その19へつづく)
9 件のコメント:
先生の検証努力には敬意を表したいと思います。それでも無いことを証明するのはとても難しいと思います。
しらみつぶしに可能性を排除することは大事なことで科学的な考証を大事にしてることは以前にも書いたように地味に実証を積み上げるしかないことを示しているように思います。
ショウタさんは先生外のコメントに興味がないようですので私が書いても反応がないかと思いますが、人の意見ではなくショウタさんの意見はどこにあるのでしょう?
一度指摘されたときも、家族の死を理由にされてしましたが、何を聞きたくでここに書き込まれているのは私にはよくわかりません。
ぜひご教授いただければと思います
前記事のコメントでショウタさんは、「ラタラジューの事例」を「虚偽記憶でしょう」と片付けようとしています。
ここの記事で、里沙さんがネパール語を学んでいる可能性の検証を細々と述べたのは、この検証の仕方のどこにほころびがあり、どこに「虚偽記憶」が入り込む余地があるのか指摘してもらいたいという思いがあります。
私の根拠のある主張に対して、虚偽記憶だと否定するのであれば、私の述べた根拠にもとづいて、虚偽記憶である反証を挙げることが必要です。
それができないのであれば、2チャンネルの言いたい放題の無責任なコメントと同レベルだと見做すほかありません。
こんにちは。ご無沙汰しております。
先生のブログにおきまして、ラタラジューとのネパール語による対話を拝見いたしました。私見では、ここにおいて里沙さんが発したネパール語を空耳の羅列とするには相当の無理があり、その語彙数にやや難があるにしても、やはり里沙さんはネパール語で対話していたととらえる方がより合理的ではないかと考えます。さらに、この事例においては標準のネパール語ではなく、古く地域独特の言い回しを使っていたことを考慮すると、その信憑性ははるかに高くなると考えます。やはりこの事例に関して唯物論的解釈をしようとする立場の人間は、しっかりとした論拠に基づいた反論をしない限り、逆にその解釈の信憑性を落とすことになってしまうのではないでしょうか。
また虚偽記憶に関してですが、ラタラジューの事例において応答型異言が現れたことを虚偽記憶説で説明することはどうしても不可能なので、この事例を虚偽記憶とすることにはやはり無理があると思われます。しかしながら私は同時に、前世療法の多くの被験者において、虚偽記憶で構成された前世が多く含まれている可能性に関しては完全に否定することができないと考えております。その理由として、以前ブログにコメントさせていただいたように、前世療法で顕在化した人物像を歴史的事実と比較するとかなり異なる部分があるように思われること、またさらに、今まで前世を確実に特定できた事例を確認できていないことが挙げられます。もし前世療法中に顕在化したすべての前世が事実とするならば、数百年から千年以上前の過去世の人物を特定できないことは勿論当然のことと思われますが、比較的最近の、数十年前の前世の人物を特定できた事例が今までに一例もないことはいささか不自然なのではと考えております。しかしながら私が不勉強であるために、前世の特定に成功した例を存じ上げていないだけかもしれません。いずれにしましても、もし今後前世を特定できる可能性があるならば、その展開が待たれるところです。
イアン・スティーヴンソンは、前世の記憶を催眠によって意図的に探り出すことには基本的に反対の立場をとっています。
それは、彼が、前世の記憶をある程度持っていると思われる者を催眠に入れ、前世想起の実験を13件実施し、地名・人名を探り出し特定しようとした試みがすべて失敗した(『前世を記憶する子どもたち』P80)ということにあるようです。
つまり、前世療法における「虚偽記憶」を実証したというわけです。
こうして、催眠中に前世の記憶らしきものが語られたにしても、催眠によって誘発された催眠者に対する従順な状態(要求特性が働いている状態)の中では、何らかの前世の記憶らしきものを語らずにいられない衝動に駆られ、通常の方法で入手した様々な情報をつなぎ合わせて架空の人格を作り上げてしまう可能性が高いと主張します。
そして、催眠中に語られたリアルな前世の記憶が、実は架空の作話(虚偽記憶)であったと検証された実例を数例あげて、催眠が過去の記憶を甦らせる有効な手段だと考えるのは誤った思いこみであって、実際には事実からほど遠いことを証明しようとしています。
こうしてスティーヴンソンは、次のように痛烈な前世療法批判を展開しています。
「遺憾ながら催眠の専門家の中には、催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それによる大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている」(同書P7)
私は、スティーヴンソンの上記見解を熟知したうえで、「ラタラジューの事例」を公にしています。
なぜなら、彼の見解には「極端な一般化」という認知の歪みがあると思われるからです。
私の立場は、前世の有無については検証によって明らかにできないものは判断留保するしかないと考えています。
そして、「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、検証に耐えた世界でも稀な事例であり、その確証をもって、少なくとも里沙さんという被験者においては、前世があったと判断するほかないという結論に至っています。
しかし、それを極端に一般化して「すべての人に前世が存在する」と考えることは短絡的思考であると自戒しています。
一方で、一人に起きている生まれ変わりは他の人々にも起きている蓋然性は高いと思っています。
追記
スティーヴンソンは、催眠中に現れる前世の記憶をすべて無意味だと断定しているわけではありません。
彼が公にしている「イェンセンの事例」と「グレートヒェンの事例」は、催眠中に起きた応答型真性異言の事例であり、この二つの事例を念頭に『前世を記憶する子どもたち2』の中で次のように述べて、前世療法に対する批判をいくぶん修正しています。
「私は、自らの手で調べた応答型真性異言の2例が催眠中に起こったという事実を忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究をけっして非難することができなくなった」
ショウタさん
あなたの私信を受信しました。
どうもあなたは認識不足、ないし心得違いをしています。
あなたのコメントは、自ら私信で明かしておいでのように「エンタテイメント」のおつもりのようですが、そうしたサービス精神はここでのコメントにはそぐわないものです。
そうしたコメントはそれを受容するような別のサイトでしてくださいね。
ちなみに、昨日までのこのブログのページビュウは7,600件、そのうちアメリカ・ロシア・中国・ドイツ・ウクライナ・シンガポール・スウェーデン・フランス・ポーランド各国のものが497件です。
おそらく真面目に生まれ変わりについての実証に興味を抱いている読者が世界中からアクセスしておいででしょう。
エンタテイメントのおつもりでコメントされているとしたら、そうした読者に対して失礼だと私は思います。
皆さん、こんばんわ。
VITA ÆTERNAさんへ、
真性異言での事例で、前世の家族というか家系がつきとめられたモノとしては、シャラーダの事例があります。
完璧というには程遠い内容ですが、ある程度確認できています。
『前世の言葉を話す人々』の126ページからの、シャラーダの語った本人の家族の名前、をご覧ください。ただ問題点としてこのシャラーダの事例は催眠ではなく、自然発生なので、前世療法からは、かけ離れてしまうのが問題です。ですが、真性異言はあまりに数が少ないので、取り上げてみる価値はあると思いましたので。
自然発生の、前世の記憶を持つ子どもの研究では、わりと前世の家族が特定されている事例は、在るようです。
迷子さん、
こんにちは。コメントを頂きどうもありがとうございました。実はシャラーダの事例に関してはウィキペディアの「真性異言」の項目で、大まかにですが存じ上げておりました。ただウィキペディアにおいては、「シャラーダが生まれ育ったと考えられる家系を正確に突き止めることはできなかった」とされ、また話者が「ベンガル文学を翻訳書で読んだ事があり、ベンガル語の読み方教室にも通っていた事があった」との記述がありましたので、個人的に虚偽記憶の可能性があると考え、今までさほど注目をしていませんでした。ですが、まだ原典の著作にあたっておりませんので、やはりその著作を拝見する必要があると考えております。
さて、生まれ変わりが事実であるとするならば、今までのところ応答型異言が現れる事例があまりにも少ないということは、私にとっても大きな疑問が残るところです。新しい肉体に宿るときに過去生における言語能力がリセットされるという可能性も考えましたが、前世療法の多くの被験者が前世の想起をすることができるにもかかわらず、その中の言語能力のみが消去されるという解釈はやはり不自然な気がしてなりません。また、数千年前の過去生ではなく数十年前の前世においてであれば、その時に修得した言語を数十年後の今世において完全に忘却するというようなことはあり得ないのではないかと考えます。以上のようなことが、多くの前世は虚偽記憶であるのではないかという考えを私が捨てきれない一因となっております。
しかしながら、ラタラジューの事例におきましては、実際の人物特定には至ってはいないものの、私も今のところ一切の反論が思いつかない稀有な事例であると考えています。また、「「すべての人に前世が存在する」と考えることは短絡的思考である」とされつつ、「一方で、一人に起きている生まれ変わりは他の人々にも起きている蓋然性は高い」とされるこの度の稲垣先生の一連のご高察には私も大変共感をしております。
一人に起きている生まれ変わりは他の人々にも起きている蓋然性は高い、と思うのは私の強い願望です。そう強く思いたがっている自分を自覚しています。それはなぜか。
私は、自分が死によってすべて無に帰する、という唯物論では最終的にどうしても救われない、という弱い自分を抱えているからです。
このブログ記事も、生まれ変わりがあると思いたがっている私の願望のバイアスが無意識のうちにかかり、事実誤認をしている可能性があるかもしれません。
そうした誤った事実認識があれば、ご指摘いただけるとうれしく思います。
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