2024年3月20日水曜日

生まれ変わりの実証努力の現在の1

SAM催眠学序説 その172

 
 
 はじめに
 
 
今回からは、わたしの2007以後の「生まれ変わり」の実証努力の現在について、5回に渡りまとめてみます。
 
さて、 『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、この研究分野の先駆者イアン・スティーヴンソンの膨大(2000事例以上)にして緻密な「生まれ変わりの実証的(科学的)研究」について次のように論評しています。
 

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人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。                      

恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。

 遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略)                              

スティーヴンソンは、

生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある

どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない。

私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。

 もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか』とお聞きしたいと思う」

と述べている。                              

イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527


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わたしも、上記の見解のゴチック部分にはとりわけ同感しています。

 you-tubeで公開している「タエの事例」・「ラタラジューの事例」の証拠動画、また、ブログに公開しているセッション逐語録とその解説を、虚心坦懐に検討したうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、「どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実であると納得なさいますか」とわたしも、スティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。                                     

なぜなら、わたしの生まれ変わりの実証的探究も、スティーヴンソンの実証研究の方法論をモデルとしているからに他ならないからです。

そして、ここに取りあげる、生まれ変わりを濃厚に示す事例でもって、生まれ変わりは普遍的事実である、などと主張するわけではありません。        

 

「SAM前世療法」という前代未聞の催眠療法によってあらわれた特殊な事例という「前提」と、1000事例ほどのセッションで得られた「意識現象の事実」という「限界」における主張であることをお断りしておきます。

 

人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ死後も存続することが科学的に証明されれば、人生観・世界観はもちろんのこと、自然界や人間界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。

 

そうであるからこそ、そしてわたし自身も、死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは、誰もが「魂と生まれ変わりの有無」という根源的な問いを回避せず、当事者性をもって、短絡的に答えを求めず、地道に問い続けることが大切なのだと考えています。それは、人はなぜ生まれてくるのか、人生をどう生きるべきかという答えにつながっていくと思うからです。

 

さて、わたしの76年余の人生を振り返って、自分の死への圧倒的恐怖感が当事者性をもって迫った原体験は、小学校6年生12歳の晩秋でした。              

 

火葬場の焼却炉に穿たれた覗き穴から係員の目を盗んで、かわいがってくれていた祖父の遺体が、眼前で燃やされていく凄まじい光景をじっと見てしまったのです。                             

 

いつか自分も必ずそうなることを身に浸みて実感してしまったのです。     哲学的に言えば、「実存的原体験」とでも呼ばれる体験だろうと思います。

 

死んで肉体が無になっていく圧倒的恐怖感です。                        

 

この恐怖感は眠ることへの恐怖感となり、12歳にして不眠症になり、中学校に上がるまで一冬中続きました。                         どんどん痩せていくわたしを心配した母は、医師の診察に連れていき、睡眠剤を処方される事態にまで悪化しました。

        

この原体験以来、遺体が焼けていく恐怖の光景が、心の深層に沈殿し続け、折に触れてはフラッシュバックし、死への恐怖から逃れることができませんでした。
76歳を越えた現在でも、その恐怖は薄らいではきたものの、いまだになくなることありません。

 

とはいえ、わたしの性格は、観念的な死生観を説くだけの諸宗教に救いを求めることはどうしてもできませんでした。                     「観念より事実」「理屈より実証」を求めるのが、わたしの生まれつきの性向なのです。

 

そして、それまでは唯物論者であったわたしあてに、57歳のとき、わたしの守護霊団を名乗る存在から、拙著読者のM子さんを経由して40日間にわたって毎夜霊信が来る、という思ってもいなかった超常現象が2007年1月に起き、その霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について教示してくるという超常現象に遭遇することになりました。
 

わたしは、催眠を用いた探究によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。

 

しかしながら、これまでの検証によって確かめてきた「魂の転生と生まれ変わりの事実」は、検証の方法論が、催眠被験者の語る「意識現象の事実」を対象に、それを累積し共通項を分析するしかない、という限界があるため、当然のことながら間接的な証明でしかなく、けっして100%の事実の証明にはなりえません。

 

そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題意識に正対し、「生まれ変わりの有無」に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、わたしあてに霊信を贈ってきた守護霊団に対する、わたしの礼儀と責務だろうと思っています。

 

そして、スティーヴンソンをはじめとして、生まれ変わりの先行諸研究の成果は、生まれ変わりの可能性を示す証拠が、それを否定する証拠より質・量ともに無視できないほどに蓄積されていると思います。

わたしの、これまでのSAM前世療法の成果を要約すれば、わたしの肉体の死後も、霊体に宿っていた現世のわたしの人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、魂はさらに成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体にやどる。                   

 

このようにして、「わたし(という人格)」は、死後も魂の表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、無に帰することはないだろうということが、SAM前世療法を用いた19年余の生まれ変わり探究の現時点における知見です。  

それでは、SAM前世療法の独自・固有の立場である「前世の人格を呼び出し対話する」という仮説が、どのような経緯によって成立してきたかについて、次回以後時間軸にそって順に、SAM催眠学序説「その173」~「その177」まで5回に渡って述べていきます。

 

その173につづく

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。こんにちは(夜分遅くにすみません)

数年前にTV番組で拝見させて頂いた機会があります。
当時、何気なく観ていただけですが、それから数年経ってここへ辿り着きました。

自分自身を振り返り、たくさん悔やみ悩み、生きることが辛くなる時期にここに辿り着けたことが今は嬉しく想います。

同じく、真実を突き詰めたい、その想いに共感し、けれども、想いに留まらず「体験」を通して、検証されてくださり本当にありがとうございます。

どうか、お身体を大切に

匿名 さんのコメント...

度々すみません。

「想い」を「思い」に訂正させて頂きます。

古後信二 さんのコメント...

大変興味深く読ませていただきました。
ドロレスキャノン著「この星の守り手たち」によると、「記憶の刷り込み」という概念が、催眠被験者に憑依した存在から明かされています。ドロレスさんも衝撃を受けているようでした。稲垣先生のご見解をお聞かせください。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

古後信二 さま

「SAM前世療法」として理論化ないし体系化することは、次のような作業をおこなうことを意味します。

「SAM前世療法」の諸対象(意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。

こうしたわたしの立場(見解)から、ドロレスキャノンさんの見解とを比較検討するためには、彼女の前世療法における立場が不明ですから軽々に意見を述べることはできません。