(その3の1からのつづき)
(2)守護霊とおぼしき存在者の検証と考察
ここで検討してみることは、「筆者に起きた超常現象その3の1」の語りの内容は、里沙さんの既有の情報を元に、彼女自身が、催眠下で無意識的に語ったのだ、と解釈できるかどうかということです。
そうであるならば、守護霊とおぼしき存在者は、里沙さんの無意識的な役割演技(守護霊のふりをして演技すること)で説明されうることになり、語りの事実が超常的現象である可能性は排除されるからです。
つまり、彼女の守護霊の憑依現象ではない、と判断できることになります。
以下に、今回はまず全体の考察を、次回で守護霊とおぼしき存在者の①~⑤の語りの内容について、それぞれに検討と考察を加えてみます。
まず、全体としての考察をしてみますと
ア、「守護霊」は、里沙さんとは異なる位相の視点・情報から発話している。
イ、催眠を解く前に「催眠中に語ったことはすべてはっきり思い出せる」という暗示を強調したにもかかわらず、「守護霊」が憑依したとおぼしき間の里沙さんの記憶は完全に欠落している。
ウ、録音された自分の語りを試聴した里沙さんの実感として、声からも語りの内容からも、自分と「守護霊」とは全く同一性の感じられない他者であると認識されている。
エ、憑依を体験し、催眠から覚醒後の里沙さんの疲労状態は、通常の催眠後とは明らかに異質な極度の疲労状態に陥っている。
以上の四点は、「守護霊」の憑依を支持できる状況証拠だと考えることが可能でしょう。
ただし、アについては本人に内在している「心の力」つまり、「高位自我=ハイヤーセルフ」説で説明可能かも知れません。
深い催眠中には、通常の里沙さんの持つ能力をはるかに超えた超常的叡智が現れるというわけです。
しかし、イ・ウについては「高位自我」説では説明がおさまり切れません。
もともと里沙さんの心に内在している「高位自我」の語りであれば、解催眠前に強調した記憶再生暗示で、催眠後にその語りの内容が記憶として出てくるはずだと考えられるからです。
また、彼女に解離性同一性障害などの精神障害がないことは明白ですから、「守護霊」の語りに対して全く同一性が感じられないということも説明が困難です。
単に催眠性健忘として片付けられる問題ではないと考えられます。
エの極度の疲労感について確かなことは言えませんが、憑依した守護霊が里沙さんに長時間(約40分間)の対話をさせるために、彼女の脳髄が酷使された結果ではないかという解釈ができるかも知れません。
次回に語りの具体的内容である①から⑤についての考察を述べてみます。
(つづく)
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