(その9からのつづき)
⑤里沙さんの想起した風景スケッチ画の照合について
里沙さんは、ラタラジューの真性異言実験セッションの後、たびたびナル村らしい風景がかなり鮮明にフラッシュバックするようになったと言います。そこで、その風景をフラッシュバックするまま描いてもらってありました。
その風景スケッチ画は、画面右側に草の茂る湿原、左側に大きな池とそこに流れ込む小川があり、その小川をまたぐ木の小さな橋があり、橋を渡る小道が緩く曲がって伸び、背景にはさほど高くはない、重なり合う三つの山が見えるという構図でした。
アンビリバボーのナル村取材チームは、このスケッチ画を持ってナル村入りし、村内でこのスケッチ画の風景にほぼ一致する場所を特定しましたが、大きな池は存在しませんでした。
村民によれば、ナル村には絵にあるような大きな池はないということでした。
しかし、さらに詳しく調査した結果、30年ほど前には絵に描かれた場所に同じような大きな池が確かに存在し、その池は大洪水によって消滅していたことが確認できたのです。
スケッチ画の絵の風景構図と実際のナル村の風景構図のほぼ正確な一致は、単なる偶然では片付けられないように思われます。
また、このナル村の風景や村民がコドなどを焼いている映像を視聴した里沙さんは、突然トランス状態に入ると同時にラタラジュー人格が現れる、というハプニングが起きてしまいました。こうした事実を重ね合わせてみますと、ラタラジューの語ったナル村は、現地調査をおこなったナル村であると考えて間違いないと思われます。
⑥Gorkha(ゴルカ地方)について尋ねられ Bua(お父さん)と応答したことについて
この対話部分は、文脈からして一見ちぐはぐに見えますが、ラタラジューがゴルカをグルカ兵のことだと取り違いしていると思われ、グルカ兵であった父のことを持ち出したと解釈できます。そう考えれば、応答としては成り立っていると判断できます。
このような判断に経てば、ラタラジュー人格が、ネパール人である傍証の一つとして採用できると思われます。ネパール人にとっては、Gorkhaは地方名とグルカ兵の両方を意味する単語であるからです。また、100年から200年前の人口25人の寒村に生き、村を出ることも稀だったと思われるラタラジューには、Gorkhaがグルカ兵と同時にゴルカ地方を指すという理解ができなかったかもしれないと推測できるからです。
(つづく)
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