(その3からのつづき)
(4)透視やテレパシーなどの万能の超感覚知覚仮説(超ESP仮説)
里沙さんが、通常の方法によらず、超常能力、つまり透視やテレパシーなどによる方法でタエに関する情報をことごとく入手し、それをあたかも前世の記憶として語ったとする仮説です。
突飛にみえる仮説ですが、超心理学では「超ESP仮説」として知られている仮説です。
超ESP仮説を唱えたのは、ホーネル・ハートとされていますが、この趣旨は、現段階ではESP(超感覚的知覚)の現界が分かっていないので、霊との交信とされるような現象も、原則として生者のESPによって起こりうると考えべきではないか、したがって、霊魂仮説(生まれ変わり仮説を含む)は不必要であり、節減の原理に反する、というものでした。要するに、霊魂や生まれ変わりなどを認めなくても生きている人間の心の力(ESP)で説明できる、というわけです。
つまり、超ESP仮説は、生まれ変わりのような奇怪な非科学的仮説を認めるくらいなら、テレパシーや透視など証明済みの超能力の限界をはずした、万能の超能力を認めるほうがまだましだ、と考える研究者によって支持されているというわけです。
こうして、100年余の生まれ変わりの科学的研究における最後の壁として立ちはだかったのが超ESP仮説でした。
ところで、超ESP仮説自体を証明することは、現在のところESPの現界が分かっていない以上、不可能です。
しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、死後存続(生まれ変わり)は完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。
この超ESP仮説を「タエの事例」に当てはめて解釈すると次のようになるでしょう。
筆者が、タエ自身の存在証明以外については、通常の方法で検証できたわけですから、そうした検証に用いた諸情報を、万能の透視能力やテレパシーによって、筆者同様に入手し、前世の記憶として語ったと考えることは、一つの仮説としては成り立つでしょう。
ちなみに、5名のセッション見学者のうち、火山雷の知識のある者1名、ネパール旅行経験者1名、吾妻川を知っている者1名がいました。
筆者は「おカイコ様」という呼び方および、天明三年の浅間山大噴火と吾妻川の泥流被害のおおよそを知っています。
天明三年八月四日・五日の大噴火と火砕流、渋川村上郷という地名、安永という年号などの細かな情報は、筆者を含め同席6名の者は持っていませんでした。
超ESP能力仮説によれば、里沙さんが超常的な読心能力を発揮して、同席者の持っていたこれらの諸情報を入手し、さらに遠く群馬にある書物や人々の記憶まで超常的な超感覚知覚を発揮して読み取って、タエの架空物語を作り上げたということになります。
しかし、前世療法のセッション以前に、里沙さんが超常能力を発揮したことは、本人・周囲とも一度もないと証言しています。にもかかわらず、催眠中に突如として透視などESPが働き、しかもそれがほとんど万能に近いものであると説明するには無理があると言うべきでしょう。
また、タエ自身の存在については証拠資料は残っていませんし、渋川市周辺には浅間山噴火に関わる人柱伝説・伝承も、調査の結果皆無であることが確認されています。生者の誰かにタエ自身に関わる情報が存在している可能性もあるとは思えません。
結局、万能の超常能力をもってしても、タエそのものに関する情報はどこからも入手できる可能性がほとんど考えられないと思われます。
ただし、タエ以外の情報については、渋川市史などの情報を超ESPで入手し、それらを合成してタエの物語を語ったのだとする仮説を考えることもできなくはありません。
しかし、このような仮説に立ったとしても、里沙さんは、なぜよりによって、見たことも聞いたこともないタエと自分を同一視しなければならないのか、説得のある説明ができそうにありません。
また、催眠時に超常的な能力が発現するという事例は、わずかながらあるようですが、分散されたさまざまな情報源から入手した断片的情報を、瞬時に齟齬(そご)のないようにつなぎ合わせ、まとめ上げ、里沙さんが同一視しているタエと緊密に一致する人格を構築するのは、不可能なわざとしか思えません。
さらに、超ESP能力を駆使できたとすれば、名主堀口吉右衛門の実在を知り得たはずなのに、なぜそれをクロダキチエモンと言わねばならなかったのか説明がつきません。
こうして「タエの事例」において、超ESP仮説を適用することは、生まれ変わりを認めたくないあまりにひねり出した机上の空論と言えるでしょうが、しかしこの仮説を完全に反証し、棄却することは原理上不可能です。
あいかわらず、超ESP仮説で説明できる余地は残っています。
こうして、「タエの事例」は、生まれ変わりの完全な科学的証拠としては、弱点を残していることを認めざるを得ません。
それでは「ラタラジュの事例」においては、超ESP仮説を棄却できるでしょうか。
前述してきたやっかいきわまる「超ESP仮説」を打破するすることに敢然と立ち向かった生まれ変わり研究者が、バージニア大学人格研究室の故イアン・スティーヴンソン教授でした。
彼は、ESPでは原理的に不可能と考えられる現象が起こった場合には、超ESP仮説でも説明できない死後存続の証拠だとしてよいではないか、と考えたのです。そして、この考えを反証した学者は現在まで出てはいないのです。
したがって、彼の考えは、現在も、生まれ変わりの有力な科学的証拠として認められている、と言ってよいと思われます。
それでは、ESPでは原理的に不可能と考えられる現象とは何か。
それは、「技能」をESPによって獲得するという現象です。どんなに優れた超能力(霊能力者)であっても、学んではいない技能、たとえばバイオリン演奏技能などをESPによって獲得した、という事例は発見されていないのです。ただし、憑依とおぼしき現象はあり、それについては次回検討します。
超能力者(霊媒を含む)は、他人の持つあらゆる「認知的情報」をESPによって獲得する力を持っているかもしれないことを原則として認められていますが、「練習が不可欠な技能」だけは獲得できないという事実です。
そして、様々な技能のうちでも、「学んだことのない外国語で会話するという技能」が、一つの典型だというわけです。
超心理学用語で、学んだことがないことが証明された外国語の会話技能は、「応答型真性異言responsive xenoglossy レスポンシブゼノグロッシ-)」と呼ばれています。
現在、世界で科学的に認められている応答型真性異言の事例は、「シャラーダの事例」、「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」、「ルシアの事例」の四つの事例です。このうち、「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」の二つが退行催眠中に起きた事例です。残る二つは、覚醒状態で起きています。
「ラタラジューの事例」も、退行催眠中に起きた応答型真性異言の世界三つ目の事例に加えられる資格があると筆者は自負しています。しかも、世界初の応答型真性異言発話中の証拠映像に成功しています。
そして、「ラタラジューの事例」を収載した拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』を出版して1年経過し、アンビリ放映から1年以上経過していますが、いまだに科学的反証がなされていないからです。
というわけで、「ラタラジューの事例」において、ナル村に関する情報などは超ESP仮説で説明可能ですが、ネパール語で会話した事実は応答型真性異言ですから、超ESP仮説は適用できません。
以上を考え合わせると、超ESP仮説には、「タエの事例」にはかろうじて適用可能の余地が残っても、「ラタラジューの事例」では適用できず説得力がありません。こうして、超ESP仮説はほぼ棄却できるということです。
(つづく)
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