2011年12月22日木曜日

前世人格に関する考察その1

① 魂の自覚状態と前世人格の顕現化
「タエの事例」以後四年間の経緯と「ラタラジューの事例」によって、筆者は、「魂」や「生まれ変わり」および、「守護霊」の実在を認める立場をとることにためらわないようになっていきました。
この立場をとることは、これまでこのブログで紹介してきた筆者あての霊信で告げられている予言が的中していることや、通信霊団の存在を知らないはずの催眠中のクライアントに、筆者の守護霊を名乗る霊、霊団の一員を名乗る霊、あるいはクライアントの守護霊を名乗る霊の憑依とおぼしき現象が生じ、メッセージを伝えるということが度々起きていることからも、受け入れざるをえません。
何よりも「ラタラジューの事例」との出会いによって、生まれ変わりの事実を認めざるを得なくなったからです。
魂と守護霊の実在を認める立場をとる理由は、それが直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、とりあえず事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか?
ちなみに、応答型真性異言研究の先駆者イアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を、「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、スティーヴンソンも、催眠下で「前世人格を呼び出し顕現化させる」、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
応答型真性異言現象を、被験者の「前世記憶の想起」だとはとらえていないのです。
おそらく、スティーヴンソンの研究対象にしたこの被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
(つづく)

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