死後存続(生まれ変わり)仮説証明の最後の壁ー超ESP仮説
「タエの事例」の検証の考察で取り上げた「透視などの超常能力(超ESP)仮説」は、生まれ変わり(死後存続)を否定するための十分な裏付けのないまま強引に作り上げられた空論だ、と筆者は述べました。
徹底的な裏付け調査によって、筆者の心証として里沙さんの証言には嘘はあり得ないという確信があり、タエの実在証明ができなかったにせよ、生まれ変わりの科学的証明に迫り得たという強い思いがありました。
ポリグラフ検査によっても、タエに関する諸情報を里沙さんが事前に入手していた記憶の痕跡は全くない、という鑑定結果が得られているからです。
しかし、ここに「超ESP仮説」を登場させると、生まれ変わりの証明はきわめて困難になってきます。人間の透視能力が、かなり離れた場所や時間の事実を、認知できるということは、テレビの「超能力捜査官」などをご覧になって、ご存じの方も多いと思います。
この透視能力(ESP)の限界が現在も明らかではないので、万能の透視能力を持つ人間が存在する可能性があるはずだ、と主張する仮説が「超ESP仮説」と呼ばれているものです。
超ESPを発揮すれば、情報である限り、ありとあらゆる情報を、透視やテレパシーによって入手できるわけで、そうした諸情報を編集し、組み合わせて、もっともらしい前世の物語を語ることが可能になるわけです。
これを里沙さんに適用すれば、彼女は、普段は透視能力がないのに、突然無意識的に、「万能の透視能力」を発揮し、しかるべきところにあるタエに関する「記録」や、人々の心の中にある「記憶」をことごく読み取って、それらの情報を瞬時に組み合わせて物語にまとめ上げ、タエの「前世記憶」として語ったのだ、という途方もない仮説が、少なくとも理論的には可能になるのです。
もちろん、普段の里沙さんに透視能力がないことは確認してありますが、催眠中に里沙さんが絶対に超ESPを発揮してはいない、という証明は事実上不可能です。
そのうえ、海外の事例には、催眠中に突如透視能力が発現したという現象が確かに存在するので、ますますやっかいです。
そうなれば、前世記憶とはそれを装ったフィクションに過ぎず、したがって、生まれ変わりなどを考えることは不要であり、生きている人間の超能力(心の力)によってすべてが説明可能だというわけです。
ところで、この超ESP仮説自体を証明することは、現在のところESPの限界が分かっていない以上不可能なことなのです。
しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、生まれ変わりは完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。
一方、前述の「超能力捜査官」などの例でテレパシーや透視の存在は知られていますが、人間の死後存続の証拠は直接には知られていません。
したがって、生まれ変わり(死後存続)という考え方自体のほうが奇怪で空想的であるとして、これを認めるくらいなら他の仮説を認めるほうがまだましだ、とする立場を採る研究者たちによって超ESP仮説は支持されてきたという事情があるのです。
こうして、心霊研究と超心理学の百数十年に及ぶ「生まれ変わり(死後存続)」の証明努力の前に、最後に立ちはだかった壁が、この超ESP仮説でした。
多くの心霊研究者や超心理学者は、超ESP仮説さえなければ、死後存続はとっくに証明されていたはずだと考えています。
それを何としても阻むがために、この「超ESP仮説」は、考え出され支持されてきた仮説だと言ってよいでしょう。そして、超ESP仮説を持ち出せば、どのように裏付けが十分な前世記憶であろうと、すべて超能力で入手した情報によるフィクションだとしてなぎ倒すことが少なくとも理論的には成り立ち、生まれ変わり(死後存続)の完全な証明など永久にできるはずがないということになります。
とすれば、仮に、苦労を重ねて「タエ」の実在を文書等の「記録」によって発見できたとしても、万能の超ESP仮説がある限り、里沙さんがその情報を超ESPによって読み取ったという説明が可能であり、「タエの事例」は前世存在の完全な証明とは認められず、検証のための努力は徒労であったということになってしまいます。
やはり、生まれ変わり(死後存続)の実在などということは、宗教的信仰や霊能者と呼ばれる人々の言説に留めておくべきことで、誰もが納得できるレベルでの生まれ変わりの科学的証明などは、ないものねだりとして断念すべきことなのでしょうか。
この難題に真っ向から挑んだ研究者が、『前世を記憶する子どもたち』などの一連の著作で知られる、バージニア大学のイアン・スティーヴンソン教授でした。
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