(1) 筆者の催眠に対する立場
筆者は公立小中学校教員として、25年間教育催眠の研究に携わってきました。
日本教育催眠学会に所属し、教職を退くまでに児童・生徒に教育相談として実施してきた催眠面接者数は、1300名程度になります。
一人ひとりの面接について、保護者への説明責任を果たせるように一回ごとの面接記録をカルテに残してきました。
教育現場での総面接回数は、3000回を超えていると思います。
その面接内容を列挙してみますと、夜尿・就眠困難・花火恐怖症・ジェットコースター恐怖症・恐怖の夢、心因性唾液分泌過剰、バイオリンなど楽器の指使い練習、鼻水すすり音の過剰嫌悪、暴言癖・冷え症・対人恐怖・大便漏らし・失恋愁訴・心因性視力低下などを挙げることができます。
こうした様々な主訴の改善事例を増やしていく過程で、保護者から感謝の手紙を受け取ることが度々あり、科学としての教育催眠研究にますます傾注していくことになりました。
教育催眠研究を始めた頃、中学校生徒指導主事を務めていた筆者は、その実績が上がってくにつれて、突っ張りグループのメンバーなど生徒指導上の要援助生徒からも依頼を受るようになりました。
催眠法適用による生徒指導上の改善効果に確かな手応えを認めることができた後、さら学業指導に催眠法の適用を試みるようになり、ここでも、顕著な成果を上げられることを確認できました。
中学校では保護者からのクレームを一切受けることがなく自信を深めましたが、小学校では、十数人の宗教団体に属するグループの親からの思いもかけない強硬な抗議を受け、教育委員会がらみの事件となることがありました。
催眠は、マインドコントロールであるから学校現場で催眠を用いることはまかりならん、という抗議でした。
催眠を頑強に否定する抵抗に初めて直面し、催眠に生理的とも呼べる嫌悪感、あるいはぬぐいがたい不信感を示す人々が存在することを身をもって実感する苦い経験でした。
まったく聞く耳をもたない一部の親が存在し、しかも市議会議員や教育長がらみで教育催眠に圧力をかけてくるという予想もしなかった事件でした。
催眠はマインドコントロールであるなどの誤解から生じた事件でしたが、催眠への誤解・偏見による不信感・嫌悪感がいかに根深いものであるかを実感させられた事件でした。
この事件のあった小学校においては、その後、校内での催眠面接は中止し、家庭訪問による催眠面接に切り替えて継続しました。
親の見学のもとで実施する面接においては、依頼に応じて年齢退行を試みる機会に恵まれることになり、かえって催眠法の新しい局面を開いていくことができました。
面接依頼に応じて家庭訪問をし、親に見学してもらいながら一つ一つ成功事例を着実に積み上げることで、教育催眠の科学としての正当性と改善効果を着実に認知してもらうしかないと思いました。
こうした努力が徐々に実を結び、保護者など成人からの催眠面接依頼が少しずつ舞い込むようになりました。
教育催眠を広く「自己実現への援助」ととらえる立場からすれば、不都合な症状に苦しむ成人からの依頼に対して断る理由もなく、催眠法適用によって改善可能性ありとの判断ができる事例であれば、たいていの依頼には応じるようにしてきました。
こうして成人への面接事例は徐々に増加し、喫煙依存・パチンコへの耽溺(たんでき)・早漏・対人恐怖・赤面恐怖・爪噛み・失恋愁訴・アトピー性皮膚炎痒(かゆ)み・肥満・あがり症・心因性肩凝りなどの改善に取り組んでいくようになりました。60名ほどに、基本的に子どもへの催眠面接と同様な技法で実施を重ね、70%程度の改善効果を上げることができした。
それによって成人に対する催眠面接にも自信も持てるようになりました。
こうして筆者が25年間の実践で到達した科学としての教育催眠への基本的な考え方は次のようなものです。
催眠を受ける立場に立ったときの催眠体験とは、非論理的、非現実的な性格を持つ暗示に対して、そうした非現実的な暗示を受け入れようと無意識的な努力をした結果、現実の不自由な束縛から解き放たれて、非現実的な催眠の世界に入る体験だと言うことができます。
やがて、こうした催眠に入る体験をすること自体に、改善効果があるらしいと気づくようになりました。
それでは催眠体験を教育という観点から改めて問うとき、それは体験者の生き方にどような教育的影響を及ぼすと考えられるでしょうか。
催眠に入るという体験は、催眠者に全面的な信頼を寄せ、自己を放棄した末に、非論理的、非現実的な暗示を素直に実現しようと無意識的な努力をすることです。
それは、それまでの論理的、現実的な努力の仕方を否応なく放棄しないことには成り立つことではないのです。
そうした努力の仕方は、それまでの論理や現実に束縛されていた日常の生き方をとりあえず中断し、非論理的、非現実的な生き方に転換してこそ可能になると考えることができます。
つまり、催眠に入るという体験は、それまでの日常的な対処の仕方をいったん放棄し、催眠者を信頼しすべてを委ね、非現実的、非論理的な対処の仕方へと転換していくという体験をすることだ、と言うことができます。
体験者は、そうした非日常的、非論理的体験の過程で、自分を拘束し抑制していたものから解放され、自由になる仕方を学んでいくことになると思われます。
それは、現実的意識世界からいったん離脱し、非現実的な意識世界を選択することであり、そこに立ち現れる豊かな未知の無意識(潜在意識)世界へと世界を広げていくことでもあります。
そうした無意識世界でこそ可能になる普段の自分を乗り越える体験が、普段の自分には隠されていた能力への気づきや目覚めを促し、そうした気づきと目覚めによって、自分への信頼感ないし自尊感情を獲得させていくと考えることができます。
このように催眠をとらえるなら、催眠状態とは、一般に定義されている「意識の変性状態」ということではなく、「未知の意識(潜在意識)へと意識領域が拡大した状態」だと理解するべきではないでしょうか。
そうした催眠によって拡大した意識世界の体験と、日常的意識世の体験とを統合することによって、人は人生をさら豊かに生きることができるようになっていくのではないでしょうか。
こうした催眠体験のあり方にこそ、催眠の持つ教育的意義を認めることができると思われます。
このように催眠をとらえるなら、催眠は子どもに限らず、成人においても、広く自己実現を援助する有効な教育手段という位置付けができるのではないかと思うように至りました。
ここまでが、教育催眠の実践から学んできた現在の到達点であると言うことがきます。
そして、この催眠への根本的考え方は、教育現場の実践から離れた現在も変わることなく受け継がれています。
つまり、SAM前世療法も、魂次元における前世人格の自己実現を援助する教育手段である、ととらえています。
魂の表層にあって、今も苦悩を訴え続けている前世人格たちは、己の人生で自己実現を果たすことなく、すなわち、魂の成長・進化に資することなく人生を終えてしまった苦しみ、悲しみを訴え続けているのだ、という解釈に立っています。
これまで述べてきたように、筆者は科学としての催眠を掲げ、教育現場での催眠面接の実践を積み重ねてきました。
その実践の過程では、まれに報告されることがある催眠中の超常的な現象といったものに出会うことは皆無でした。
そもそも教育催眠では、前世記憶の想起などに必要な催眠深度まで誘導することは不要なので、そういった超常現象は起こるはずもありません。子どもはもちろん、保護者からも前世療法の依頼を受けたことはありませんでした。
(つづく)
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