2012年1月22日日曜日

筆者の催眠研究歴その2

(2) 前世療法への関心
筆者がブライアン・ワイスの『前世療法』の出版が話題となっていることを知ったのは1992年だと記憶しています。
しかし、筆者はその時点では、大衆受けをねらった催眠療法の目新しい技法がもてはやされていると思っただけで、購入する気も起きませんでした。
自分のやってきた教育催眠とは遠い距離のある、無縁の領域の話だと思っていたからです。
むしろ、催眠療法の領域に前世などという宗教臭の濃厚な言葉を持ち出されたことで、科学としての催眠が、一般の人々から再び非科学的なものと受け取られることになるのではないかという危惧と、実証されてもいない生まれ変わりや魂の存在を当然の前提としていると思われるその用語に、通俗的で抑制を欠いた軽薄さを感じ、嫌悪感すら覚えていました。
ただし、催眠療法実践者として、「前世記憶」が語り出されるまでの誘導過程に対する技法的な関心はありました。そして、93年にワイスの『前世療法2』が書店に並んだ際、その巻末に「前世記憶」想起への誘導法が述べてあるのを見つけてそれを購入しました。
それが前世療法との最初の出会いでした。
ワイスの前世想起への誘導技法は、基本的には記憶催眠レベル(深い催眠)まで誘導し、その先の前世にまで退行させるというだけのことで、年齢退行のできる技法さえ修得していれば実施可能な催眠技法だと思われました。とはいえ、前世や魂といったものへの関心はまったくなかったので、試す気持ちは毛頭なく、また試す機会もないだろうと思いました。
ただし、前世療法で想起されたとする前世記憶の真偽は別にして、どうやら改善効果を認めることは否定できないらしい、というのが当時の筆者の評価でした。
このように、前世といったものに当初は拒絶感を抱いていた筆者ですが、その後、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究(『前世を記憶する子どもたち』『前世の言葉を話す人々』)や、臨死体験諸研究の本を読むようになって、次第に拒絶感は薄らいでいきました。
単なる興味本位や宗教的立場で書かれたものではなく、真面目で公正な科学的視点と方法論に立って、生まれ変わりの真偽や臨死体験を経験科学の対象としている研究者が、海外には少なからず存在することを知ったからでした。
特にスティーヴンソンの研究は、綿密・周到な情報収集とその検証において、あらゆる説明可能性を検討する柔軟かつ公正な科学的態度に共感を覚え、前世や生まれ変わりといった筆者にとってこれまで全く未知の領域の問題に徐々に関心をもつようになりました。
死後はあるのか、ないのか、その回答はいずれかしかありません。
これは人生の折り返し点をすでに折り返し、自分の死を否応なしに意識せざるをえなくなった年齢にさしかかった筆者にとって切実さを増す問題となってきたからでもありました。
ただし、生まれ変わりや魂の実在などを認めたのではなく、当面は「判断留保」のまま慎重に探究するに価値のあるテーマではあると思ったのでした。
以上述べてきたように、前世の存在を当然の前提にしていると思われる前世療法に、通俗的な胡散臭さを覚えながらも、その改善効果を認めることにはやぶさかではないというのが、筆者の前世療法に対する評価でした。
そして、語られた前世の記憶については、額面通り受け取ることは軽信的であるとしても、すべて信憑性がないと断定するのも公正な態度ではないだろうと思うようになりました。
(つづく)

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