娘の息子である、外孫の一卵性双生児が1歳5ヶ月になろうとしています。
私は、この男子一卵性双生児の成長ぶりから、魂の存在を間接的に証明できると思われ、興味深く見守っています。
兄がヤマト、弟がヒロトです。
二人は、両親から同じ遺伝的資質を受け継ぎ、これまで別々に生活することなく育てられたので、この1年と5ヶ月間、まったく同じ生育環境で生活してきました。
したがって、まったく同じ遺伝的資質を持ち、全く同じ生育環境という同一条件のもとでは、現行の生物学的観点からすると、双子の性格は、ほぼ同様な性格や行動があらわれていいはずです。
ウィキペディアの記事によれば、一卵性双生児は次のような説明になっています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
性双生児は基本的に全く同じ遺伝情報(遺伝子型)を持っている。
そのため、性別や血液型等は基本的に(発生段階で変異がなければ)一致し、顔形もよく似ている。一般に一卵性双生児の身体能力や学力の類似性は高い。
さらに成長に従って遺伝的規定性の強い因子の発現量が増大するため、双生児間の類似度が上昇することもある。
しかし同一のDNAを持つ一卵性双生児であっても、DNA情報は個々人の獲得形質に直接的な影響を与えることはないため、身体能力なども(似ているが)個々人で異なり学校の得意科目やスポーツの得意・不得意が分かれることも多い。
胎児期から双子の各々は独自の成長をするため脳の発達過程も異なり、出生時には大脳皮質の形状も違うものとなっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが、行動特性も食べ物の好みも、明らかな違いが徐々に顕在化しています。
はじめて遭遇するものに対する反応に、特に顕著に相違が観察できます。
たとえば、初めて出会った人が手を差し伸べると、ヤマトは喜んで抱かれようとしますが、ヒロトはそっぽを向いて用心深く抱かれることを拒みます。
誰に対しても同様な反応を示します。
知らない場所に連れ出したときに、ヤマトは手をつなぐことを拒否して一人で探検しようとします。
ヒロトは用心深く抱いて連れていけとせがんで、けっして一人で歩こうとしません。どういう場所に連れていっても同様の反応を示します。
オモチャの取り合いになると、いつもヒロトが譲ります。
ヤマトは鯛焼きを与えても食べようとしませんが、ヒロトは喜んで1匹ぺろりとたいらげてしまいます。
ヤマトはたこ焼きが大好きで、ヒロトはそうではありません。
食べ物の好みもはっきりと違いがあらわれるようになってきました。
というわけで、性格や行動の相違が最近際立ってきました。
一卵性双生児であっても、魂はまったく別ものが宿っているという観点からすれば、二人の性格特性は相違があって当然ということですが、どうやらそのように考えることが妥当のように観察できます。
こうした観察からも、魂の存在が間接的に証明できると思われます。
ただし、双生児だけあって、身長・体重・体つきは同じですし、顔つきも初見の人には見分けがつきにくいでしょう。
一卵性双生児の研究において、魂という観点から研究がされたことを聞いたことがありません。
唯物論生物学や心理学の観点からのみの研究では、双生児の類似点ばかりが強調されているように思われます。
極端な例が行動主義心理学の考え方です。
人間の行動を刺激と反応の束だと考える観点からすれば、ヤマトもヒロトも同じ遺伝的資質と同じ生育環境という同一条件のもとでは、同じ諸刺激に対して、ほぼ同様の諸反応をするのが当然のはずです。
ヤマトとヒロトの場合、こうした行動主義心理学の主張は、妥当性が怪しくなってきます。
「魂」、しかも、異なる前世をもつ者たちが魂表層に存在し、それらの影響のもとに現世の者の性格や行動があらわれると考えれば、異なる魂をそれぞれもつヤマトとヒロトの性格・行動は違って当たり前ということです。
もし、二人の魂がそろって、初めての人生を送る無知・無垢な魂であるとすれば、おそらく、そろってほぼ同じ性格や行動特性を示すだろうと思われます。
SAM前世療法の実践から得た知見によれば、人格の理解には、前世の諸経験(前世人格たちの諸経験)という観点を加えないで、十全な理解はできないと主張したいと思います。
私は、この男子一卵性双生児の成長ぶりから、魂の存在を間接的に証明できると思われ、興味深く見守っています。
兄がヤマト、弟がヒロトです。
二人は、両親から同じ遺伝的資質を受け継ぎ、これまで別々に生活することなく育てられたので、この1年と5ヶ月間、まったく同じ生育環境で生活してきました。
したがって、まったく同じ遺伝的資質を持ち、全く同じ生育環境という同一条件のもとでは、現行の生物学的観点からすると、双子の性格は、ほぼ同様な性格や行動があらわれていいはずです。
ウィキペディアの記事によれば、一卵性双生児は次のような説明になっています。
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性双生児は基本的に全く同じ遺伝情報(遺伝子型)を持っている。
そのため、性別や血液型等は基本的に(発生段階で変異がなければ)一致し、顔形もよく似ている。一般に一卵性双生児の身体能力や学力の類似性は高い。
さらに成長に従って遺伝的規定性の強い因子の発現量が増大するため、双生児間の類似度が上昇することもある。
しかし同一のDNAを持つ一卵性双生児であっても、DNA情報は個々人の獲得形質に直接的な影響を与えることはないため、身体能力なども(似ているが)個々人で異なり学校の得意科目やスポーツの得意・不得意が分かれることも多い。
胎児期から双子の各々は独自の成長をするため脳の発達過程も異なり、出生時には大脳皮質の形状も違うものとなっている。
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ところが、行動特性も食べ物の好みも、明らかな違いが徐々に顕在化しています。
はじめて遭遇するものに対する反応に、特に顕著に相違が観察できます。
たとえば、初めて出会った人が手を差し伸べると、ヤマトは喜んで抱かれようとしますが、ヒロトはそっぽを向いて用心深く抱かれることを拒みます。
誰に対しても同様な反応を示します。
知らない場所に連れ出したときに、ヤマトは手をつなぐことを拒否して一人で探検しようとします。
ヒロトは用心深く抱いて連れていけとせがんで、けっして一人で歩こうとしません。どういう場所に連れていっても同様の反応を示します。
オモチャの取り合いになると、いつもヒロトが譲ります。
ヤマトは鯛焼きを与えても食べようとしませんが、ヒロトは喜んで1匹ぺろりとたいらげてしまいます。
ヤマトはたこ焼きが大好きで、ヒロトはそうではありません。
食べ物の好みもはっきりと違いがあらわれるようになってきました。
というわけで、性格や行動の相違が最近際立ってきました。
一卵性双生児であっても、魂はまったく別ものが宿っているという観点からすれば、二人の性格特性は相違があって当然ということですが、どうやらそのように考えることが妥当のように観察できます。
こうした観察からも、魂の存在が間接的に証明できると思われます。
ただし、双生児だけあって、身長・体重・体つきは同じですし、顔つきも初見の人には見分けがつきにくいでしょう。
一卵性双生児の研究において、魂という観点から研究がされたことを聞いたことがありません。
唯物論生物学や心理学の観点からのみの研究では、双生児の類似点ばかりが強調されているように思われます。
極端な例が行動主義心理学の考え方です。
人間の行動を刺激と反応の束だと考える観点からすれば、ヤマトもヒロトも同じ遺伝的資質と同じ生育環境という同一条件のもとでは、同じ諸刺激に対して、ほぼ同様の諸反応をするのが当然のはずです。
ヤマトとヒロトの場合、こうした行動主義心理学の主張は、妥当性が怪しくなってきます。
「魂」、しかも、異なる前世をもつ者たちが魂表層に存在し、それらの影響のもとに現世の者の性格や行動があらわれると考えれば、異なる魂をそれぞれもつヤマトとヒロトの性格・行動は違って当たり前ということです。
もし、二人の魂がそろって、初めての人生を送る無知・無垢な魂であるとすれば、おそらく、そろってほぼ同じ性格や行動特性を示すだろうと思われます。
SAM前世療法の実践から得た知見によれば、人格の理解には、前世の諸経験(前世人格たちの諸経験)という観点を加えないで、十全な理解はできないと主張したいと思います。
1 件のコメント:
2019年12月現在、一卵性双生児の孫は小学校2年生になっています。
小学生になってからはクラスも別々になっていますから、同一生活環境ではない2年間を過ごしているわけです。
しかし、小学校でのクラスの生活環境環境の違いだけでは説明できない両者の性格の違いが顕著にあらわれるようになっています。
とりわけ初対面の対人関係で顕著です。
一方は人なつっこくて要領よく振る舞います。もう一方は用心深く少し屈折した態度で接します。
興味関心は、両者ともにもっぱら恐竜ですが、一方は恐竜の絵を描くことが好きで、もう一方は空き箱を利用して恐竜のおもちゃ作りに熱中します。
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