SAM催眠学序説 その1
前世療法は、前世といういまだ実証されていないものを前提としているように見えるため、アカデミズムからは異端視され、様々な批判や問題点が指摘されています。
私の催眠技法のベースは心理学系のアカデミックな技法ですが、それらの批判や問題点を踏まえたうえで、前世療法を探究してきました。
その探究の過程で、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006を上梓しました。
その後の過程で、前世療法に関わる様々な霊的存在を名乗るものからのメッセージに遭遇し、それら霊が告げた内容を検証するうちに、「SAM前世療法」と名付けた私独自の作業仮説による「魂遡行催眠」という技法が開発されることになっていきました。
私自身はこうした霊的存在からのメッセージを鵜呑みにすることはありませんが、非科学的妄想であると一蹴する態度もまた偏向・偏狭であると思っています。
メッセージの内容で検証可能なことは努めて検証にかけ、その結果明らかになった事実については、いかに非科学的と言われようとも尊重していくことこそ公正な科学的態度であると考えます。
したがって、SAM前世療法は、唯物論科学の観点からすれば、いまだ実証されていない魂への遡行を試みるきわめて霊的な療法であり、現行の唯物論とは真っ向から対立する療法です。
魂と呼ばれる意識体は死後存続し、繰り返し新しい肉体を持ち続ける(生まれ変わる)という前提に立っています。
さらに、魂と呼ばれる意識体は、ちょうどミラーボールのごとく、中心となる意識体とその表層を構成する前世のものたちの二層構造を持っているという仮説に基づいています。
ここでいう霊的(スピリチュアル)の意味は、次のようなWHOの概念に則っています。
WHOは、
「霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。
多くの人々に霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。
特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い」
と定義づけています。
つまり、霊からの通信という「身体的な現象を超越して得た体験」に基づく作業仮説とその実践が、SAM前世療法の本質であり、際立った特異性だと言ってよいと思います。
こうして、SAM前世療法を、独自の作業仮説に基づいて、6年間の一定数のセッションをおこなった結果、成果の検証が累積してきましたので、ここに中間地点のまとめとして、「SAM催眠学序説」としてまとめてみたいと思います。
これまでに述べてきた「SAM前世療法の成立」および、「私あて霊信」などの記事を整理し、一定の秩序のもとに体系化しようという試みです。
それは、「作業仮説 」ー「仮説検証のための実践」ー「検証結果による作業仮説の検討」の累積から明らかかにされてきた「意識現象の諸事実」を全体性・普遍性・究極性に照らして、「SAM前世療法を哲学する」試みでもあります。
そして、「SAM催眠学」が取り上げる「意識現象の諸対象」は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものー「SAM前世療法」という特殊・固有の観点から構成されてきたものであり、当然のことながらそうした前提と限界があることをお断りしておきます。
したがって、これから述べていくことが揺るぎない絶対の真理であるということではありません。
SAM前世療法の実践に導いた、霊信に基づく「作業仮説」は、現行の唯物論科学の立場からすれば妄想と見えるかもしれません。
しかし、私は、「説明の成功」をもって真理とみなすプラグマティズムの真理観に立っています。
そして、拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の執筆をはじめとするこうした仕事は、魂と生まれ変わりの真偽に関与しようとしないアカデミズムにも与せず、「前世の真偽は棚上げ、治ればOK」と割り切る精神世界系の民間前世療法士の立場にも立ちがたい私に課せられた使命かもしれないと思っています。
しかし、私は、いわゆる霊能者ではなく、霊を見たり、その声を聞いたり、霊からの通信を受信する能力を持っているわけではありません。
また、いかなる宗教団体にも所属しているわけではありませし、特定の教義や信仰を信奉しているわけでもありません。
SAM前世療法の概念
SAMの意味
SAM前世療法は「サム前世療法」と呼びます。
「SAM」のSはソウル(soul)のS、Aはアプローチ(approach)のA、Mはメソッド(method)のMを、それぞれ意味しています。
つまり、「魂状態に接近していく技法による前世療法」という意味で用いています。
さらに言えば、「魂状態の自覚」に至るまで催眠を深化させ、そこに顕現化する魂表層の前世の人格と対話し、前世人格との対話を通して、現世の不都合な心理的症状の改善と、現世を生きる意味の自覚へと導く前世療法が「SAM前世療法」です。
ちなみに、「SAM前世療法」は登録商標として認可されています。
私の許可なく、この商標を用いて前世療法をおこなうことは商標権の侵害となります。
なお、「前世」と「過去世」は厳密には異なる概念ですが、「前世療法」という用語が広く流通している事情を鑑み、この論文では以後「前世」に統一して用います。
また、「魂」という用語は、「生前の記憶・個性など人格の心的要素を来世へ運搬する死後存続する意識体(媒体)」という意味で用います。
さらに、この論文では、「霊」とは肉体を持たない意識体、「魂」とは霊が肉体という器を得てその中に存在している意識体、という意味で使い分けします。
したがって、霊と魂は、肉体という器を持つか持たないかの呼称の違いだけであり、その本質は同じです。
肉体を失った死者の魂を、霊と呼ぼうというわけです。
(その2へつづく)
前世療法は、前世といういまだ実証されていないものを前提としているように見えるため、アカデミズムからは異端視され、様々な批判や問題点が指摘されています。
私の催眠技法のベースは心理学系のアカデミックな技法ですが、それらの批判や問題点を踏まえたうえで、前世療法を探究してきました。
その探究の過程で、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006を上梓しました。
その後の過程で、前世療法に関わる様々な霊的存在を名乗るものからのメッセージに遭遇し、それら霊が告げた内容を検証するうちに、「SAM前世療法」と名付けた私独自の作業仮説による「魂遡行催眠」という技法が開発されることになっていきました。
私自身はこうした霊的存在からのメッセージを鵜呑みにすることはありませんが、非科学的妄想であると一蹴する態度もまた偏向・偏狭であると思っています。
メッセージの内容で検証可能なことは努めて検証にかけ、その結果明らかになった事実については、いかに非科学的と言われようとも尊重していくことこそ公正な科学的態度であると考えます。
したがって、SAM前世療法は、唯物論科学の観点からすれば、いまだ実証されていない魂への遡行を試みるきわめて霊的な療法であり、現行の唯物論とは真っ向から対立する療法です。
魂と呼ばれる意識体は死後存続し、繰り返し新しい肉体を持ち続ける(生まれ変わる)という前提に立っています。
さらに、魂と呼ばれる意識体は、ちょうどミラーボールのごとく、中心となる意識体とその表層を構成する前世のものたちの二層構造を持っているという仮説に基づいています。
ここでいう霊的(スピリチュアル)の意味は、次のようなWHOの概念に則っています。
WHOは、
「霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。
多くの人々に霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。
特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い」
と定義づけています。
つまり、霊からの通信という「身体的な現象を超越して得た体験」に基づく作業仮説とその実践が、SAM前世療法の本質であり、際立った特異性だと言ってよいと思います。
こうして、SAM前世療法を、独自の作業仮説に基づいて、6年間の一定数のセッションをおこなった結果、成果の検証が累積してきましたので、ここに中間地点のまとめとして、「SAM催眠学序説」としてまとめてみたいと思います。
これまでに述べてきた「SAM前世療法の成立」および、「私あて霊信」などの記事を整理し、一定の秩序のもとに体系化しようという試みです。
それは、「作業仮説 」ー「仮説検証のための実践」ー「検証結果による作業仮説の検討」の累積から明らかかにされてきた「意識現象の諸事実」を全体性・普遍性・究極性に照らして、「SAM前世療法を哲学する」試みでもあります。
そして、「SAM催眠学」が取り上げる「意識現象の諸対象」は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものー「SAM前世療法」という特殊・固有の観点から構成されてきたものであり、当然のことながらそうした前提と限界があることをお断りしておきます。
したがって、これから述べていくことが揺るぎない絶対の真理であるということではありません。
SAM前世療法の実践に導いた、霊信に基づく「作業仮説」は、現行の唯物論科学の立場からすれば妄想と見えるかもしれません。
しかし、私は、「説明の成功」をもって真理とみなすプラグマティズムの真理観に立っています。
そして、拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の執筆をはじめとするこうした仕事は、魂と生まれ変わりの真偽に関与しようとしないアカデミズムにも与せず、「前世の真偽は棚上げ、治ればOK」と割り切る精神世界系の民間前世療法士の立場にも立ちがたい私に課せられた使命かもしれないと思っています。
しかし、私は、いわゆる霊能者ではなく、霊を見たり、その声を聞いたり、霊からの通信を受信する能力を持っているわけではありません。
また、いかなる宗教団体にも所属しているわけではありませし、特定の教義や信仰を信奉しているわけでもありません。
SAM前世療法の概念
SAMの意味
SAM前世療法は「サム前世療法」と呼びます。
「SAM」のSはソウル(soul)のS、Aはアプローチ(approach)のA、Mはメソッド(method)のMを、それぞれ意味しています。
つまり、「魂状態に接近していく技法による前世療法」という意味で用いています。
さらに言えば、「魂状態の自覚」に至るまで催眠を深化させ、そこに顕現化する魂表層の前世の人格と対話し、前世人格との対話を通して、現世の不都合な心理的症状の改善と、現世を生きる意味の自覚へと導く前世療法が「SAM前世療法」です。
ちなみに、「SAM前世療法」は登録商標として認可されています。
私の許可なく、この商標を用いて前世療法をおこなうことは商標権の侵害となります。
なお、「前世」と「過去世」は厳密には異なる概念ですが、「前世療法」という用語が広く流通している事情を鑑み、この論文では以後「前世」に統一して用います。
また、「魂」という用語は、「生前の記憶・個性など人格の心的要素を来世へ運搬する死後存続する意識体(媒体)」という意味で用います。
さらに、この論文では、「霊」とは肉体を持たない意識体、「魂」とは霊が肉体という器を得てその中に存在している意識体、という意味で使い分けします。
したがって、霊と魂は、肉体という器を持つか持たないかの呼称の違いだけであり、その本質は同じです。
肉体を失った死者の魂を、霊と呼ぼうというわけです。
(その2へつづく)
10 件のコメント:
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いろんな超常現象を検証した結果死後存続の可能性の証拠となるのはやはりラタラジューの事例だと思いました
臨死体験やそれ以外にも脳内現象では説明つかない事例は様々ありますがそれらは実験や再現性がなく結局は主観的なものになってしまいニュースで騒がれている小保方さんの細胞ではないですが客観的でなければ意味がない。
しかしラタラジューの事例は実験的なものなので他の神秘体験と違い有力だと思います
しかし反対派の意見でこればっかりは難しいが「肯定派が事例を見て認めたくなるのは分かるが彼らはいくら医師であっても我々みたいな脳専門ではないから説得できない」という記事がありました。苫米地英人や茂木建一郎などメディア的に有名な学者の記事です
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ハジメマシテ
ブログ読ませて頂きました!
私のブログも見に来てください!
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>ショウタさん
脳科学者が「ラタラジューの事例」について何を言おうとも、you-tubeにアップしてある実験セッション映像と私のコメントについて、きちんとした唯物論(脳科学)側からの具体的反証がないかぎり、この事例が生まれ変わりの現時点での科学的証拠である事実は揺るぎません。第一にかれは依って立つ「心・脳一元論」を立証できていません。心が脳の付随現象であること、つまり、脳細胞が心を生み出していることの実証がないところで、何を言ったところで「ラタラジューの事例」の唯物論的批判は無効と言うほかありません。
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>ショウタさん
スティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。
たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P302)と述べています。また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」(Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993. いずれも、『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄・訳者後記)と述べています。
そして、応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、科学的・実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。
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>稲垣勝巳さん
同感です。結局の所、人間はまだこの宇宙の全容、全事象を解明したわけでもないのに、ないと証明できたというのは傲慢だと思っています。
セッションを体験した今、稲垣さんの研究、言動から嘘は感じませんでした。
体験せずに、自己の知る範囲でしかこの事象を論じても意味がないと思います。
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>稲垣勝巳さん
セーガンのコメントは私がある方から教えを受けた未科学そのものだと思います。
まだ、人間はすべてを知っているわけでありません。得た現象を事実したうえで、何故起こったか、それはどういうことなのか考える必要があると思います。
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はじめまして、家の録画を整理している最中、アンビリバボーの録画を見つけ、ブログを訪問させていただきました。
前世、と呼べるか分かりませんが、私も子供のころ、修学旅行等で初めて行った土地を見て、よく言葉に出来ませんが、ふっと前にも来た感覚におちいったことを覚えています。昔の光景らしきものが蘇るのです。 関係ないでしょうが、私の先祖は島津氏の分家に仕えており、その任地の近くの土地でしたので、「なんか関係があるのかな?」と、子供ながらに思ったものでした。
こういう事象も前世と関係があったりするものなのでしょうか?
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>鹿二郎さん
「修学旅行等で初めて行った土地を見て、よく言葉に出来ませんが、ふっと前にも来た感覚におちいった」というあなたの体験は、心理学でいうデジャビュ(既視体験)と呼ばれ、錯覚として処理されています。しかし、SAMのセッションにはそれだけでは説明できない、前世人格がそこに住んでいたらしいという事例があります。この被験者は、実際に前世人格の語った街に検証にでかけ、その街の風景がデジャビュや夢に現れた街であることを確信したと報告しています。しかし、この科学的実証は不可能です。
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>シュヴァルさん
アイゼンクの述べている「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、・・・・真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」という見解は、私が初めてスティーヴンソンの著作に触れたときの衝撃そのままです。この衝撃が、タエの事例とラタラジューの事例の執拗な検証作業を支える原動力になったと言えます。そしてまた、そうした作業の結果、誠実に検討しようとすればするほど、生まれ変わりを完全に否定することはますますできないという結論に至っています。否定論者のほとんどは、唯物論信仰に固執して、生まれ変わりのような奇怪な現象はあるはずがないという先入見から、それを示す現象に対する誠実な検討作業を怠っていると思われます。
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>稲垣勝巳さん
思い込みだけではないかと思うことが多いですね。
人間は自分の体験だけに信用を置く傾向があるようで、自分で体験していないことは先入観で結構断定してしまっているように思います。
私もセッション受けるまではあれこれ考えましたが、受けてみると考えすぎでもっと楽に考えるべきものだったように思います。結局は起こったことを受け入れるしかないわけですから。
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