SAM催眠学序説 その2
これから述べていく「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、明らかに示されてきた「諸意識現象の事実」を、SAM前世療法という固有・独自の観点によって、これまで取り上げられなかった、「意識現象の事実」としての「霊的現象」の体系化を試みようとするものです。
つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の霊的「意識現象の事実」を、一定の原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです。
この試みは、これまでの催眠学の体系とはまったく異なる様相を示すことになるはずであり、またこれまでの催眠学と大差のない説明体系であるなら、わざわざ新たに「SAM催眠学」を称する必要はありません。
当然のことながら「SAM催眠学」は、これまで霊的現象を取り上げてこなかった、あるいは否定してきた催眠学への批判と反論にならざるをえません。
さて、「SAM催眠学」として理論化ないし体系化することは、次のような作業をおこなうことを意味します。
「SAM催眠学」の諸対象(意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。
つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。
理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。
長々と前置きを述べましたが、今回取り上げることは、SAM催眠学の大前提である作業仮説としての「心・脳の二元論」です。
作業仮説とは、「その仮説が検証事実によって否定されないかぎり、ひとまず真理であるとみなしておく仮説」だと定義しておきます。
なぜ、作業仮説が必要か。
それは、ある事象・現象のメカニズムの探究を進めるための有用な道具として設定しなければ、探究にとりかかれないからです。
この定義にしたがうと、地球科学では、ウェゲナーの「大陸移動説」などは壮大な作業仮説です。
心理療法では、精神分析学を創始したフロイトの「汎性欲論」や、ユングの「元型論」も作業仮説です。
そして、SAM前世療法の「心・脳二元論」も作業仮説です。
私の思いとしては、フロイトやユングの提示した「汎性欲論」や、「元型論」が作業仮説として認められるのであれば、それが霊的存在が告げたこと(私あて霊信)に基づいているからといって、「心・脳二元論」が認められないという理由にはならないと考えています。
生まれ変わりを認める立場では、一般的に流布されている「心・脳一元論」仮説は、論理的帰結として 認めることができません。
脳内電気信号と神経伝達物質の化学変化のシステムの統合体である脳という臓器(物質)が、心(意識・潜在意識)をつくり出しているという「心・脳の一元論」に立てば、脳の消滅とともに、心も消滅することになり、心(記憶)のすべては無に帰することになります。
前世の記憶などがあるはずがない妄想だということになります。
しかし、私は「ラタラジューの事例」によって、応答型真性異言を証明し、この現象が生まれ変わり仮説以外に説明のしようがないと確信を持つに至っています。
とすれば、脳とは別個に、生前の記憶を保持し、死後も存続している何らかの意識体を想定しないかぎり、ラタラジューという前世人格が顕現化する超常現象が説明できません。
死後存続するこの意識体を、とりあえず「魂」と呼んでおきます。
SAM催眠学で用いる「魂」という用語は、宗教的な意味はありません。
「前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体(意識体)」というほどの意味で用います。
この媒体(意識体)を、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンは、「心搬体(サイコフォー)」と呼んだらどうかと提案しています。
人間は、「脳」とは別個の「魂」と呼ぶ意識体を蔵しており、「魂」は「脳」の消滅後も存続する、これが生まれ変わりを認めるSAM催眠学が主張する大前提としての作業仮説です。
そして、現行唯物論科学の知識体系に真っ向から対立する作業仮説です。
しかしながら、「意識・脳二元論」は、W.ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなど少数の優れた脳科学研究者が、自らの実験結果の末表明しており、けっして真新しい仮説ではありません。
日本の科学者では、臨床動作法(催眠を母体にして生まれた心理療法)を創始した世界的催眠学者、成瀬悟策医学博士も、講演のなかで「脳は心の家来です」という表現で、自らの催眠実験研究の末、「意識・脳二元論」に至り、それを表明していると思われます。
唯物論科学の知識体系に染まりきっている現代人は、「魂」と聞くだけで非科学的だと腰が引け、そうしたことばを回避して唯物論知識の枠内の説明原理を無理矢理ひねり出したり、それができないとなると、無視することが常態になっていると思われます。
こうした常態が生じているのは、「非科学的」という言い方について、「唯物論の知識体系」と「科学の方法論」の混同があるからだと思われます。
この混同が、唯物論科学の知識体系から外れた現象・事実、あるいはそれを対象とする研究すべてを「非科学的」だと決めつけてしまう偏向を生み出していると思います。
「非科学的(態度)」とは、論理的思考、合理的検証、先行研究との照合など「科学の方法論」による検討を経ないで、その現象・事実を真理だと鵜呑みにする短絡的態度のことを指して言うことばです。
注: ここでは「魂」と「心」を同様の意味合いで用いていますが、SAM催眠学ではそれぞれ異なる概念で用います。とりあえず、「心」とは、「魂」の機能のうち一つの役割を持つもの、と解釈しておいてください。のちほど「心」についての、SAM催眠学上の定義を述べることになります。
(その3へつづく)
13 件のコメント:
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覗きに来ました(^_^)
人のブログって読んでて楽しいですよね(*゚▽゚*)
記事更新したので、是非読んでみてください(´∀`)
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人間や生物の細胞一つ一つに霊魂はあるのでしょうか?
唯物論者はラジオの受信機や乗り物の例えの仮説に賛同できないのは一人(一匹)の生命に見えても細胞の一つ一つ文字通り一つの命があり枝のように繋がって一人(一匹)の生命体になると言います
なので受信機や乗り物の仮説を否定して霊魂も否定するらしいです
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>ショウタさん
唯物論者の主張の「一人(一匹)の生命に見えても細胞の一つ一つ文字通り一つの命があり枝のように繋がって一人(一匹)の生命体になる」ということの具体的な科学的実証は何もありません。この主張も仮説の域を出ないものです。いったい、魂のような死後存続する媒体を想定しないで「ラタラジューの事例」を、唯物論者はどのように合理的説明をできると思いますか?私は魂の存在を想定せざるをえない具体的証拠に基づいて主張しているつもりです。論より証拠、観念ではなく事実を示さないと議論になりません。
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今入った「殺せばあの世で一緒に暮らせると思った」のストーカー殺人事件で霊魂の存在を信じる思想を批判する唯物論者が増えそうですね
これらは生まれ変わり以外全宗教者も痛い悲しい動機、悲しい殺人事件ですね
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>ショウタさん
生まれ変わりと霊魂の存在は「信仰」ではなく「事実」だと私は証拠を挙げて何度も主張しています。
SAM前世療法のセッションの事実からは、霊界で殺害した相手と出会ったり、来世で生まれ変わって出会うという事実は皆無です。魂の成長進化をするために生まれてきた相手を、エゴのために殺害し、相手の成長進化の権利を奪った場合、殺害者は当然の罰として生まれ変わることを厳しく制限されるようです。殺害した相手と来世でまた出会うことができると短絡して考える殺人者は、きわめて少数の例外でしかありません。むしろ、死後は無に帰するとする唯物論者がニヒリズムに陥り、自暴自棄から殺人をすることのほうがはるかに多いはずです。
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霊魂否定者のブログの人にラタラジューの事例の動画を見せたら「ネパール語を喋ってると言っても実際には会話になっておらず質問者が勝手に解釈した言葉を繰り返してるだけだ。質問者が言ったストーリーに「はい」かなどの返事を答えてるだけ。誘導尋問だ。その証拠は自由に喋って良いと言われてる場面では喋ってない」という反論をされました
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>ショウタさん
ラタラジューのネパール語が会話になっているのか、いないのか、の総合的判断は、今後you-tubeの英語版を視聴した海外からの反響で決まってくるでしょう。否定論者が、否定のための「選択的抽出」、それにもとづく「極端な一般化」といった認知の歪みで反論してくることは織り込み済みです。ラタラジューは母語がタマン語だと推測できますから、完全にネパール語を運用できないことは当然のことです。私も、ラタラジューの会話が完全なものだと主張しているわけではありません。しかし、会話全体を総合的に判断すれば80%程度の会話は成立していると思われます。詳しくは、このブログに公開してあ
る会話逐語録とその分析コメントをお読みください。
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質問の回答を見て思ったんですが稲垣さんは霊魂があったとしても将来自分が亡くなった時先に亡くなった先祖に会えるとは限らないのですか?
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こんばんは
生まれ変わる場合、魂は一つのままなのでしょうか? 個人的に、古い記憶として残る部分と、新しく生まれ変わる部分に分かれるのか?という疑問があります。
あと、ラタラジュー氏についての続報はありますでしょうか。
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タエさんの切り落とされた左腕の捜索はどうなっておりますか。
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>ショウタさん
前提と限界を抜きにした質問をされても、その回答は原則できません。責任が持てないからです。
死後、霊界で祖先の霊に会えるかどうかは、死んでみないとわからないということです。私はSAM前世療法が明らかにしてきた内容という前提と、検証可能な範囲内という限界において質問に応じるということです。そのことをブログテーマに「生まれ変わりの実証的探求」として掲げているつもりです。
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>鹿二郎さん
魂は「表層」と「核」の二層構造をしており、私が死ぬと現世の私は、魂表層の一つに位置付いて、次の新しい肉体に宿るという仕組みをSAM前世療法は明らかにしました。魂の表層はちょうどミラーボールのようなもので、その表層に貼り付けられている鏡の一枚一枚が前世の人格たちだと考えてください。それら前世の人格たちは今も意識体として生きています。ラタラジューもそうした魂表層から顕現化した人格です。
なお、ラタラジューについての新たな情報はありませんし、タエの埋納されているという片腕の捜索は断念しています。埋納地点に土石流が起きていることが確認され発見はきわめて困難であるからです。
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アメブロ始めたばかりで、ウロウロしてたら辿り着きました。
楽しく読ませてもらいました。
また、遊びに来ますね☆
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