2014年5月27日火曜日

前世人格の顕現化と「自己内憑依仮説」

   SAM催眠学序説 その6


SAM前世療法において、「魂状態の自覚」に至ると、魂表層を構成している前世人格が、必要に応じて待機して待っている、あるいはクライアントの必要に応じて呼び出すことが可能になります。

こうした意識現象の事実を、前世人格の「顕現化」と呼んでいます。
顕現化とは、文字通り、あらわれ(顕れ)出てくるという意味です。

では、なぜ、前世人格の顕現化現象は起こるのでしょうか。

それは、前世人格は、今も、意識体として魂表層に生きて位置付いているからに外ならず、だからこそ自分の生まれ変わりである現世の者の肉体(発声器官・指など)を用いて自己表現するからだと考えられます。

SAM催眠学においては、憑依を次のように定義しています。

 「肉体を持たない諸霊が、肉体を持つ者の肉体諸器官(発声器官など)を使って自己表現すること」

この定義にしたがうと、諸前世人格は、いわゆる「霊」ではありませんが、魂の表層を住処とし、霊に準ずる「意識体」ということになるでしょうか。

その意識体である前世人格が、自分の生まれ変わりである現世の者の肉体を借りて自己表現するわけですから、まさしく憑依現象と同等の現象だと考えることができます。

現世の者にとっては、自己の魂表層に存在する前世人格が、その生まれ変わりである現世の自己の肉体に憑依する、というまことに奇怪な現象ということになります。

そして、このような憑依現象は、これまでの催眠学でも、精神医学でも 取り上げられたことを聞いたことがありません。

そこで、SAM催眠学では、独自の用語として、こうした前世人格の顕現化を「自己内憑依」と名付けています。

したがって、これまでのいわゆる第三者の憑依 を「自己外憑依」、ないし「憑依」と呼びます。

SAM前世療法では、前世人格を自己内憑依させて対話する、というまことに奇怪な前世療法ということになります。

さらに言えば、クライアントの前世人格という「死者との対話」をする一見ぶきみな前世療法ということになります。

しかし、SAM前世療法で起こる「意識現象の事実」として確認してきた当たり前の事実です。

今も、生きている意識体である前世人格であるからこそ、魂状態の中で、今、ここに、あらわれ、現在進行形で、セラピストの私と対話が可能であると考えることが自然な解釈であり、けっして、クライアントが、自分の「前世の記憶」を語っているのではありません。

このことを、以下の「ラタラジューの事例」のセッション逐語録の一部を紹介して説明してみます。

注:KAはネパール人対話者カルパナさん、CL(ラタラジュー)は被験者里沙さんの略号。
   
『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、2010、PP55-57。


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KA: Tapaiko srimatiko nam ke re?
   (奥さんの名前は何ですか?)

CL: Oh jira li.
       (おー、ジラリ)※意味不明

KA: Srimati, swasniko nam?
   (奥さん、奥さんの名前?)

CL: Ah ... ah ... mero swasni Rameli...Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)

KA: Choako nam chahi?
   (あなたの息子の名前は何ですか?)

CL: Ah ... ei ... el ... el ... nam ... el ... ei ... kujaus.
   (あー、え、名前、クジャウス)

KA: Kujaus? Chora? Chori?
   (クジャウス? 息子ですか、娘ですか?)

CL :Tiru.
       (チル)※Choraの異形か?

KA: Chora?
   (息子ですか?)

CL: Tiru.
   (チル)

KA: Chori chaki chaina?
   (娘はいますか、いませんか?)

CL: Adis.
   (アディス)

KA: Tapai kaha basnuhunchare ahile?
   (今、どこに住んでいますか?)

CL: A .... ke?
   (あ、何?)

KA: Kaha basnuhuncha? Tapaiko ghar kaha ho?
   (どこに住んでいますか? あなたの家はどこですか?)

CL: Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)

KA: ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

CL: O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

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さて、上記逐語録ので、前世人格ラタラジューは「あなたはネパール人ですか?」と対話者カルパナさんに尋ねています。
カルパナさんが、そのとおりです、と答えると、ラタラジューはで、「ああ、私もネパール人です」とうれしそうに言っています。(http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ?t=28m22s参照:リンクを開くとその会話位置から再生されます。)

この会話は、うっかりするとその重要性を見逃すところですが、このラタラジューとカルパナさんとのやりとりこそ、意識体として生きているラタラジューが、今、ここに、自己内憑依現象として顕現化し、現在進行形の会話をしている、と解釈する外ないという現象です。

「前世の記憶」を、被験者里沙さんが、想起して語っている、わけではけっしてありません。

さらに、ラタラジューは、で、現代ネパール語の妻の意味 srimati(シリマティ)が理解できず、意味不明な「おお、ジラリ」と答えています。

そこでカルパナさんが、で現代ネパールの妻 srimati(シリマティ)と古いネパール語の妻 swasni(スワシニ)を並べて、Srimati, swasniko nam?(奥さん、奥さんの名前?)と再度尋ねると、
古いネパール語の妻に反応してAh ... ah ... mero swasni Rameli...Rameli.(あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)と答えることができたということです。

この会話事実は、前世人格ラタラジューが、一昔前のネパール人(ラタラジューの言では1816年~1894年) である傍証であると同時に、日本人である里沙さんが、日本に居て、古いネパール語の妻という単語 swasni(スワシニ)を学ぶ機会はまずあり得ないでしょう。

このことは「ラタラジューの事例」が、Responssive Zenogllossy(応答型真性異言)である強力な証拠の一つとして採用できると考えています。


Responssive Zenogllossy(応答型真性異言)の逐語録の一部をもう一つ紹介します。
以下に示すのは、イアン・スティーヴンソンの公刊している「グレートヒェンの事例」の逐語録の一部です。

この事例は、被験者である、ドイツ語を学んだはずのない牧師の妻(アメリカ人) に、夫の牧師が前世まで遡行するように催眠をかけたところ、グレートヒェンを名乗るドイツ人少女が顕現化し、ドイツ語話者とドイツ語で会話したという事例です。

「グレートヒェンの事例」は、録音は残っていますが、映像は撮影されていません。


注:C・J、I・S、K・Kはドイツ語対話者、S(グレートヒェン)は被験者 の略号。

イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』春秋社、1995、PP283-284。

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S: 連邦議会。

C・J:それで、連邦議会が何をするんですか。


S:いろいろなことがグレートヒェンには怖いんです。

C・J:おいくつですか。

S:14歳です。

C・J:14歳。そうですか。それで、今どこに住んでいるんですか。

S:エーバースヴァルデです。

I・S:エーバースヴァルデ。

S:はい。

C・J:エーバースヴァルデはどこにありますか。

S:ドイツです。

I・S:エーバースヴァルデ。 

K・K:ドイツ。

S:はい。

K・K:ドイツのどのへんですか。

S:わかりません。

K・K:オーストリアではありませんか。

S:違います。

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前掲書P236の中でスティーヴンソンは、催眠中に顕現化した上記逐語録のS(グレートヒェン)を、「ドイツ人とおぼしき人格」、あるいは「トランス人格」と呼び、グレートヒェンを被験者Sの「前世の記憶」ではなく、私と同様、催眠中に顕現化した「前世の人格」として扱っています。

しかし、なぜ前世人格グレートヒェンが、前世の言葉であるドイツ語で会話できたかについては一切言及しないばかりでなく、そもそも前世人格グレートヒェンが、被験者Sのどこに存在しているかについても述べていません。

 SAM催眠学の「自己内憑依仮説」は、スティーヴンソンが言及をためらったこの問いに、答えを出そうと試みたものです。

ちなみに、里沙さんの守護霊に、この問いについて尋ねたところ、「ラタラジューは憑依としてとらえなさい」と明言しています。


注:催眠中の特性として「企図機能の低下」が挙げられます。つまり、被験者は、自発的に何かを話そうとするような意欲が低下し、尋ねられたことだけに返答するのが普通です。
したがって、ラタラジューが、「あなたはネパール人ですか」と自発的に尋ねたことは特異な反応といえます。これは、「グレートヒェン」の反応と比較すれば一目瞭然でしょう。なお、「グレートヒェンの事例」の逐語録を詳細に検討しても、グレートヒェンが自発的に発問している対話部分はほとんどありません。ちなみに、グレートヒェンが、ドイツ語対話者に対して「あなたはドイツ人ですか?」などの発問した個所は皆無です。


(その7につづく)

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