総括その7 前世人物の記憶としての「私」か、前世人格の「私」か
以下の二つの前世療法セッションの逐語録は、「ブライアン・ワイス」対「27歳女性クライアント」の対話の抜粋です。
問いかけているワイスをW、答えている女性クライアントをCと表記しておきます。
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事例その1 (ブライアン・ワイス、山川紘矢・亜希子訳『前世療法』PHP、1991、PP207-208)
W:まわりを見回してください。多分、あなたは軍人の一人でしょう。あなたは彼らをどこから見ているのでしょう。
C:私は軍人ではありません。私は何かを運んできたのです。ここは村です。どこかの村です。
W:今は何がみえますか。
C:旗です。旗が見えます。赤と白・・・赤地に白い十字架です。
W:その旗はあなた達のものですか?
C:王様の兵隊の旗です。
W:あなた達の王様ってことですか?
C:そうです。
W:王様の名前を知っていますか?
C:わかりません。王様はここにはいません。
W:自分がどんなものを着ているか見えますか? 自分を見て、何を着ているか言ってください。
C:皮の服を着ています。皮の短い上着を・・・とてもきめの粗いシャツの上に着ています。皮の短い服です。動物の皮でできた靴・・・靴というよりブーツです。インディアンのはいているような。誰も私に話しかけません。
W:わかった。あなたの髪の色は?
C:明るい色です。でも私は年をとっており、白髪が混じっています。
W:この戦争のこと、どう思いますか?
C:戦争が生活そのものになってしまっています。前の戦いで子どもをなくしたし。
W:息子さんのことですか?
C:そうです。
W:残ったのは誰と誰ですか? 家族で誰が生き残っていますか?
C:妻・・・それに娘です。
事例その2 (前掲書PP217-218)
W:疲れましたか?
C:馬の手綱が見えます。壁に馬具がかけてあります。手綱が・・・馬の囲いの外には毛布が敷いてあります。
W:それは納屋の中ですか?
C:お馬がいる。お馬が何匹もいる。
W:そのほかに何か見えますか?
C:水がいっぱいあって。黄色いお花が咲いている。パパがいるわ。パパは馬の世話をしているのよね。
W:お父さんはどんなふうなの?
C:とても背が高いの。灰色の髪の毛をしていて。
W:君はどんなふう?
C:私は子ども・・・女の子よ。
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さて、事例1の「私は軍人ではありません」と答えている「私」は年をとっている男性です。
事例2の「私は子ども・・・女の子よ」と答えている「私」は少女です。
ワイスは、この対話を27歳女性クライアントの「前世の記憶」として扱っています。
たしかに、この男性と少女の二人の、「私」として発語しているのは27歳の女性クライアントに違いありません。
しかし、ワイスは、事例2の少女との対話で、「私は自分が幼い子に話しかけているのだと気がついた」(前掲書P217)とコメントしています。
つまり、ワイスの対話中の意識は、前世の記憶を話している27歳女性クライアントに話しかけているのではなく、前世の少女の人格に話しかけているのだ、というわけです。
とするなら、事例1の想起された前世記憶の男性に対しても、同様の意識で話しかけていると考えてもいいように思われます。
この二つの事例を、クライアントの前世記憶の想起として解釈するなら、どういうわけかクライアントは前世の記憶として想起した人物そのものになったつもりで、つまり前世人物の役割演技をして、ワイスと対話したということになるでしょう。
前世の記憶を語るのに、クライアントはなぜそのような役割演技をしなければならないのでしょうか。
そうではなく、二つの事例の「私」は、クライアントの前世記憶ではなく、前世人格そのものが顕現化し対話をしていると解釈するほうが私には自然に思われました。
私がワイスの著作を読んで、私の感じた最初の疑問が上記のことでした。
そして、「タエの事例」があらわれて、この疑問はさらにふくれあがったのでした。
私の前世療法セッションで対話したタエは、里沙さんの前世の記憶としての人物なのか、タエという前世の人格そのものの顕現化なのか、ということです。
(その47につづく)
4 件のコメント:
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「意識」は分からないが「記憶」は脳以外にもある事は確実なのではないでしょうか?
前世の記憶の事例以外に臓器移植で死者の記憶を受け継いだ事例もあります
そして前世の記憶という物は死者の臓器無しなのではない不滅の物なのではないかなと思いました。
しかし「記憶」と「意識」は同じなのかなという疑問もあります
「記憶=意識」だとすれば臓器移植の話は憑依?
別物なら霊魂は個体ではなく空気みたいな集合的な存在?
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いつも稲垣先生のブログ楽しく拝見しております。
先生のことを初めて知ったときは、まさか生まれ変わりを科学的に証明しようとしている人がいるなんて!と大変驚きました。先生の研究はたくさんの人に希望を与えるものだと思います。これからも頑張ってください!
タエとラタラジューのセッションのyoutube公開も楽しみにしています。
私もいつか先生のセッション受けてみたいです!
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聖パウロさん
SAM前世療法の作業仮説では、「意識(諸記憶を含む)は霊体に宿っている」と考えています。もちろん脳にもそのコピイがデータとしてあるかもしれません。心臓移植などの臓器は生きていますから当然その臓器にもドナーの霊体が存在していると考えられます。それをレシピエントに移植すれば、ドナーの霊体に宿る諸記憶がレシピエントの霊体に混入することになり、したがって、ドナー(死者)の諸記憶がレシピエントの意識に混入する結果、それがレシピエントの意識にのぼってくることがありうるというわけです。
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バニラさん
私の理屈っぽく暗ーいブログを楽しく読んで下ってありがとうございます。
「死後はあるのか、無いのか」この答えは、無い、あるのいずれかしかありません。無いにしてもあるにしても、観念論では決着はつきません。実証に基づく議論が、みのりある決着をつけてくれると思います。私の立場は、観念的な万の言説より、たった一つの科学的実証をめざすところにあります。私は、死後があることを「ラタラジューの事例」で実証して示しました。これに反論するなら、死後がないことを実証して示すほかありません。
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