2014年8月10日日曜日

SAM催眠学が明らかにしてきた「生まれ変わり」の仕組み

   SAM催眠学序説 その16


「永遠なる自由ー霊的哲学を求めて」というブログで、「生まれ変わり変わり」の仕組みについて、下記のようなモデル図で示した興味深い議論が掲載されています。
これを引用させてもらって、SAM催眠学が示す魂と生まれ変わりの仕組みについて、考察してみます。

ブ ログ管理者高森氏は、スピリチュアリズム霊学に基づいて5つの生まれ変わりの類型を提示しています。
SAM前世療法のセッションションであらわれる「意識現象の事実」から検証してきた、SAM催眠学の提唱す る「生まれ変わり」の概念は、高森氏の提示するⅤ型(多面体説)ということになるわけですが、以下にまずその高森氏の記事の問題となる部分(点線内)を示し、次いで記事の問題点を指摘したいと思います。

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Ⅴ.多面体説

これに対して、一応は「私という個性的存在」を認めつつ、魂なり霊なり宇宙精神なりを強調する考え方もあります。
これは、魂なり霊なり(X)は、Aという個人的存在を現世に生み出すが、Aは死後、魂や霊に付属して存在を続ける、そして魂や霊は、別のBという個人的存在を新たに世に生み出す、というものです。

次の図は、時間軸に沿った変化として見てください。なんか雪玉ゴロゴロみたいな変な形になりましたが(笑い)。

魂であるXは、A、B、Cという現世存在を次々に生み出していきます。
A、Bは死後も一応の個別性を持ちながら、魂Xとともにあります。
シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」というような説や、稲垣勝巳さんの「人格は魂の表層のもの」という説は、おそらくこういうふうになるのではないかと思います。(ひょっとすると違うかもしれません。)
 
さて、この構図で問題になることは、まず、「個別の人格は生まれ変わりをしない」ということになるということです。
視点を個別人格に取ると、AはBに生ま れ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変 わったということにはなりません。
大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)

むしろ、「魂=X」は、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか。

 もうひとつ問題になるのは、死後の「人格」の状態です。
一番右の時点で、AとBは、どういう状態で何をしているのでしょう。
一般的に、死後存続説というも のは、単に「残る」ということではなく、「活動を続ける」ということを含意しています(古代ユダヤ教の「冥府での眠り」――復活を認めないサドカイ派の死後観――はですから死後存続説としては異常説です)。
AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です。

つまり、このような捉え方(あくまでこの図のような捉え方ということ)は、「生まれ変わりの否定」であり、場合によっては(死後人格の活動状態いかんによっては)、死後存続の否定にもなりかねないということになります。
(中略)
特にⅤ多面体説の場合は、AとBとCが同じXに属するものであるということを立証しなければならず、またABC間の関係も説明しなければならず、相当ハードルは高くなってしまうでしょう。
(中略)
死後存続研究者(たぶんデュカスだったと思います)が言った「死後存続については、どういう条件が満たされると証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」という言葉と同様、「生まれ変わりについては、どういう条件が満たされると生まれ変わりが証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」ということになっていると思われます。

霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、「何が生まれ変わるか」「生まれ変わりの定義とは何か」についてすら、合意ができていないようです。(引用終わり)

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 上記の高森氏の記事について、SAM催眠学の立場から4点のコメントをしてみます。

① さて、上の図で誤解されやすいのは、大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)が位置づけられていますが、SAM催眠学の概念では、○A・○B(それ ぞれの前世人格)は、「魂の表層」を構成している前世のものたちであって、それらのものたちは、魂の構成要素であるので、大円X(魂)・○A・○B(それぞれの前世人格)全体を含めて「魂」と呼んでいます。

さらに言えば、○C(現世人格)も、魂の表層に存在しており、この現世人格と前世人格たちを 含めて、「魂の表層」なのだということです。
ちなみに、SAM催眠学でいう「魂」は、宗教的な意味は一切ありません。
「肉体に入っており、死後は肉体から離れて存続する意識体」というほどの意味です。
イアン・スティーヴンソンの提唱している「心搬体(生前の人格・個性・記憶等を保って死後存続する意識体)」と同様の概念です。

② 高森氏は、この多面体説では、「個別の人格は生まれ変わりをしない、ということになるということです。視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わってお らず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に『カルマ』などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったというこ とにはなりません。むしろ、『魂=Xは、次々に現世人格を生み出す』という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概 念が必要とされるのではないでしょうか」という主張をしています。

一方で氏は、「霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、『何が生まれ変わるか』、『生まれ変わりの定義とは何か』についてすら、合意ができていないようです」とも述べています。

生 まれ変わりの定義に合意がないのであるなら、この多面体説をもって「生まれ変わり」、つまり、表層の前世のものたちを含めた魂全体が、次の肉体に宿ること をもって、「個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が生まれ変わる」という概念であっても、なんら支障はないとSAM催眠学では考えます。

端的に言えば、SAM催眠学の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次々に別の肉体に宿ることを繰り返すこと」を「生まれ変わり」だとしています。
そして、SAM前世療法のセッションで現れる「意識現象の事実」は、この概念を支持していますから、これまでのスピチュアル霊学一般の見解に反するでしょうが、現時点ではそうと認めるしかありません。

つまり、アンビリで登場した里沙さんの場合、図の○Aがタエ、○Bがラタラジュー、○Cが現世の里沙、ということであり、このことをもって「生まれ変わり」をしているということです。

多面体説が、「生まれ変わりの否定」になるという高森氏の主張は、氏の概念規定上の見解に過ぎないと思います。
氏が、生まれ変わりの概念に合意がないことを認めているにもかかわらず、生まれ変わりの否定になる、という主張は自己矛盾ではないでしょうか。

③ 高森氏の「AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る (あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です」という主張は、セッションで現れる「意識現象の事実」に対する認識不足です。

前世人格AとBは、友愛を結びながらそれぞれの人生の知恵を分かち合い、それぞれ死後も意識体として成長を続けている、というのがセッションで現れる意識現象の事実です。

けっ して、「単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていない」わけではありません。
そも そも、「魂にくっついている」という認識が誤りです。
くっついているのではなく、魂の表層を構成しているもの、したがって、魂そのものの構成要素です。
だからこそ、セッションにおいて、魂状態の自覚に至れば、タエやラタラジューが顕現化するわけで、彼らが「単に眠っているように魂にくっついていたり」して いるわけではないことを、セッション証拠映像をご覧になれば誰もが納得されるでしょう。

前世人格は、「単に眠っているように魂にくっついていたり」しているわけではないので、顕現化した場合には、現世の肉体を用いて(自己内憑依して) 、指や口頭で自己表現するのです。
苦悶の表情や、落涙といった人間的感情を現世の肉体を借りて表現するのです。


④「特にⅤ多面体説の場合は、AとBとCが同じXに属するものであるということを立証しなければならず、またABC間の関係も説明しなければならず、相当ハードルは高くなってしまうでしょう」という高森氏の指摘については、今後の課題です。

氏の「立証」が、科学的立証を意味するなら、氏の提示した生まれ変わりの5つの類型すべては観念論であり、すべて立証不能です。

SAM催眠学は、「魂の多面体仮説」の立証を、催眠を道具に用いて、SAM前世療法のセッションで確認できた「意識現象の事実の累積から共通項を抽出する」、という方法論で、これまでもやってきましたし、これからもやっていこうとしています。
それ以外に「意識現象」の研究は、方法がないと思うからです。

そして、現時点で「意識現象の事実」として、SAM前世療法のセッションで確認できていることは、前世人格AとBとCが、魂の核Xの表層に属するものであるという事実です。

魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)に基づくSAM前世療法は、こうしたことを探究するきわめて有用な道具だろうと思っています。

そして、これまでの探究において、魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)を否定する「意識現象の事実」は、確認されていないということです。


(その17につづく)

2014年7月23日水曜日

「魂の内層仮説」

   SAM催眠学序説 その15


SAM前世療法は、魂の実在とその二層構成を作業仮説にしています。

「魂の表層」は前世の諸人格たちで構成されていることは、これまでの実践から確かめられてきました。 

表層の前世の者たちは、互いの人生で獲得した知恵を分 かち合い、「魂の表層」全体の集合的意識が進化・成長へと向かうという仕組みになっていると、私あて霊信は告げています。

その「魂の表層」から呼び出した前世人格ラタラジューが、応答型真性異言を話したことで、「表層は前世諸人格から構成されている」という作業仮説は実証できたと思っています。

前世諸人格は、今も、「自分の生きた当時の感情を抱いて、意識体として今も生きている、そして、互いの人生の知恵を分かち合い、苦脳・苦痛を現世のものに訴えている」ということが、クライアントに顕現化する前世諸人格の語りから分かってきました。


問題は、「魂の内層(核)」とはいったいどんな構造になっているかです。
この数年間、顕現化した前世人格に、内層のことを尋ねる作業をおこなって探ってきましたが、前世人格は、内層のあることが分かる、とまでは回答しますが、それ以上のことは答えていません。

今のところ、「魂の内層」について考察することは、私あて霊信に頼るしかありません。

そもそも、SAM前世療法の骨格である諸作業仮説は、霊信にもとづいているからです。

私にとって、霊信の恩恵は計り知れません。

そして、何度も霊信を読み返すうちに、徐々に、やっと「魂の内層」の輪郭が浮かんできました。

私あて霊信は、次のように告げています。


①魂のはじまりは、ある「意識」から生じるものである。

②その「意識」をあらわす言葉は、「意識体」とあらわすことでしか表現できない。

③魂は転生するもの、「意識体」は転生をしないものである。

④転生する必要がある「意識体」と、しない必要がある「意識体」はつながりをもち、お互いが学びを得あう関係である。

⑤あなた方の魂の核となる「意識体」が・・・

⑥魂の表層部分により包まれるのは「意識体」である。

⑦内層にある「意識体」はあるがままに完全性を保つものである。

以上は第12・13・14霊信で使われている「意識体」の用語法です。
第12・13霊信は「稲垣の祖父の守護霊とつながりをもつ霊」、第14霊信は「ケイシー霊」を名乗っています。

さて、二つの霊の「意識体」の用語法にはズレがあります。

①②③④で言う「意識体」は、転生の旅をする魂とは別に、霊界に存在する「意識体」を指していると思われます。

⑤⑥⑦の「意識体」は、転生する魂の核・内層を指していると思われます。

守護霊団からの霊信が、でたらめを告げていないとすれば、前者の「意識体」と後者の「意識体」は、同じものを指しているということになります。

つまり、霊界に存在する転生をしない「意識体」と同じもの、あるいは相同のものが、ペアとして、あるいは分身として、転生する魂の内層にも存在するということです。

霊信受信者M子さんは、「類魂」という言葉を知りません。
したがって、通信霊は「類魂」という言葉をM子さんの語彙から用いることができず、「あ る意識」、「意識体」と表現するしかなかったと推測することは可能です。
大胆にそう解釈すると、「意識体」とは「類魂」のことである、ということです。

結論を言うと、魂の内層は、「類魂」ないし「類魂」と相同のものから構成されているということになります。
そして、霊界の類魂と、魂内層の類魂は、互いにつながりを持ち、学びを得あう関係にあるということになります。
そのように仮定すれば、ハイヤーセルフ(高次自我)とは、魂内層を構成している「類魂」を意味していると推測することができそうです。

類魂はそこに属する諸魂の地上での経験を学び合っている成長・進化のための一つの共同体(共同的集合意識)と考えられますから、叡智に富む集合意識体であることは容易に想像できます。

ハイヤーセルフとコンタクトするとは、自分の魂内層の類魂全体の意識(集合意識)とコンタクトすることかもしれません。それは、自分の魂の故郷であるところのもの(霊界の類魂)でもあります。

こうして、私は、当面のSAM前世療法の作業仮説として、「魂の内層は、類魂ないし類魂と相同のものから構成されている」と考えてきました。

このように探究を続けてきたわけは、霊信の常套句が、「これ以上のことを今明かすことは許されない。それはあなたの成長を妨げるからだ。地上のあなたが探 究するべきことだ」と教えてくれないからです。
つまり、重要なヒントは与えた、あとは自力で探究し理解せよ、というのが守護霊団の方針のようです。
した がって、自力で得たものを所有したうえで、その正否を尋ねるということでなければ、答えてもらえないということです。

さて、2012年5月29日におこなった里沙さんへのセッションで、タエ・ラタラジューに続いて、彼女の守護霊の憑依をお願いし、対話のなかで尋ねたことは、次の3点でした。

①魂の内層には、類魂の分身が入っていると考えてよいか。

②魂の自覚状態になると、憑依現象が起こるのはなぜか。

③浄霊作業に般若心経が効力を持つのはなぜか。

そのそれぞれの回答は、私のこれまで探究で推測し得た結論と一致していました。
里沙さんの守護霊の回答の概要は次のようなものでした。


魂の内層は、類魂の分身から成っていると考えてよい。それをハイヤーセルフと呼ぼうと、守護霊と呼ぼうと、それぞれ間違いではない。それぞれ呼び名は自由。魂内層の類魂(分家)は、眠っている間に、その故郷である霊界の類魂(本家)と連絡を取り合い、互いに学び合う関係にある。

催眠深化であらわれる魂の自覚状態とは、霊の次元に並んだということであり、したがって未浄化霊、高級霊を問わず、それら霊的諸存在と接触できるし、憑依も起こるのである。

般若心経は、三次元世界に適用して理解できるものではない。色即是空、空即是色とは、霊界の最初の次元である「幻想界」の消息を説いていると理解しなさい。すなわち、想念がそのまま実体化するというのが幻想界であり、極楽とも呼べる次元である。

未浄化霊は、本来そうした幻想界に行くべきであり、そのことを説得するように般若心経を唱えてあげなさい。それによって浄化され、浄化された未浄化霊が幻想界へと上がれるのだ。
     

おおよそ、以上のような回答を得ることができました。
里沙さんの守護霊は、私に「霊界の消息を伝えることを使命にしている霊界では異例の存在だ」と告げています。
したがって、霊界の情報を必要とする私の求めに応じて、いつでも降りてきます、とも。
そこで、里沙さんに憑依するようにお願いしたということです。

当然ですが、魂の内層構造についての、私の守護霊団の情報、および里沙さん守護霊の情報については実証不能です。

信じるか否か、です。



(その16につづく)








2014年7月15日火曜日

SAM前世療法セッションの特異な意識状態

   SAM催眠学序説 その14


SAM催眠学における、セッション中の典型的な意識状態(三者的構図)を知っていただくために、男女二名の体験記録を紹介することにします。

女性の方は、30代半ばのワイス式前世療法士で、ワイス式前世療法の意識状態との比較に触れているものです。
男性の方は、40代の大手商社マンで催眠中の意識状態を詳しく自己分析しています。

SAM前世療法におけるセッション中の特異な意識状態、つまりセラピスト対前世人格の対話、それを傾聴している現世の顕在意識(モニター意識)という三者的構図がご理解いただけるはずです。

以下に示される体験記は、モニター意識の憶えているセッション中の意識状態です。

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その1 ワイス式前世療法士(30代女性)の体験記

今まで、ワイス式の前世療法を学んできた私としましては、催眠誘導のアプローチの違いに多少の戸惑いはありましたが、もともと被暗示性の高い私は、スムーズにSAM前世療法の誘導に導かれていくことができました。
先生に、魂の表層の過去世のものを呼び出され、「どこの国の人ですか?」と問われ、私の中に「イ」という国のイメージが浮かび、先生から「インド?・・イギ リス?・・・・「インカ?」とさらに尋ねられ、まさに「インカ」といわれた瞬間に、私自身が、手で顔を覆い、泣き呻き始めたことに驚きました。
そして、左胸を掻き毟るような動作をして「苦しい・・・」と。

そう彼女は、インカの時代に心臓をえぐられて、生贄になって死んだイルという名の20歳の女性だったのです。

10歳の頃に、太陽の力を受けてそれを人々に伝えるような能力を持ち、生贄になったことも「人々のために自分が死ななくてはならない」と受け止めていたイル。
でも、その死は、やはり辛く、悲しい出来事だったに違いありません。
そんなイルの気持ちが、私の中に次から次へと込み上げてきました。

この前世の女性を先生にヒーリングで癒していただき、気持ちが次第に落ち着いていくことも感じることができました。
なぜか、ワイス式の前世療法と異なり、視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚ですべてが分かるのでした。

そして、イルの前世の後、先生に現世のものへ誘導されたにもかかわらず、また違う前世へといってしまいました。
それがイルとは違い、笑えました。

まず、男のような太い声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。
彼は、ドイツの木こりでした。
結局のところ、彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。
そして、先生から「また今度、ゆっくりあなたのお話を聞きましょう」と諭された後、私は現世のものに戻って来ました。

今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。
今まで学んできたワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という感覚がありました。
しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その前世人物が現れたり、明らかにその人物の男の声としゃべり方になっていることを実感できたからです。


その2 商社マン(40代男性)の体験記

最初に僕の緊張をほぐす意味もあったのでしょう。ご自身の催眠や前世に対する考え方、スタンスを丁寧に話をしていただきました。
少し、休憩をはさんで、さあ、いよいよ催眠初体験です。
施術前に、まず簡単な被暗示性テストを受けることになります。
これは、僕が催眠にかかりやすい方なのかどうか、を判断するために実施するものだそうで。
結果は「良好」。

かなり素直な性格の方だから、すっと催眠に入れると思う、とのコメントでした。
そうです、まさに実際にその通りの結果となりました。

まず、呼吸と術者の言葉による暗示により体の力が抜けて行きます。
その後、知覚催眠という、体の感覚が離れていく状態(たとえば、手を抓(つね)られても痛みを感じない状態)へと徐々に導かれます。

そして、魂状態に至って、自分の潜在意識に表に出てきてもらうよう誘導されます。
実際には、本当に不思議なんですが、頭ははっきりしています。
顕在意識は健在なんですね。(寒いダジャレです。すみません。)

負けず嫌いの僕ですから、何とかして顕在意識は手足を動かしてやろう、と企んでいます。
でも、潜在意識が表に出ている催眠状態では、自分の手足が動かないんです。
ただ、まったく怖くはありません。

さて、潜在意識が表に出ている状態(魂状態)ですが、術者とのコンタクトは指の動きで行います。
術者の質問には、顕在意識とは全く無関係に、指が反応するんです。
ここまで来ると、戸惑っていた顕在意識の僕も、流れに身を任せてみる気になりました。

Th: いま、あなたの潜在意識は現世のものですか?

指: 無反応

Th: では、前世のものですか?

指: ピクンと反応

Th: あなたは、どちらに生きておられたのですか? アジア?アメリカ?ヨーロッパ?

指: ヨーロッパに反応

Th: いまから、ヨーロッパの国名を私が言います。あなたの国のとき、指で教えてください。.

指: ギリシャで反応

という感じで、セッションが進められます。

施術前のカウンセリングで、僕は、「今の自分に一番影響を与えている前世を知りたい」と希望を出していました。
たぶん、そのことがすでに暗示になっていて、すっと前世のものが出てきたんだろう、と思われます。

結果、僕の前世のものはエナンという名の、ギリシャ・アテネに住んでいた哲学者だそうです。
彼は、戦争に自分の意に反して参加させられ、人を殺してしまった、という心の傷を持っているらしく、それが癒されないため苦しみ、それが現世にまで影響を及ぼしているらしいのです。

主に指を介したやり取りですが、そばでみていた友人によればコミュニケーションが進むにつれて、指の動きが激しくなっていたそうです。

 「これから、心を介してあなたの傷を癒します」
施術者のそんな声が聞こえたかと思うと、胸の前に何やら温かいものが・・・。

後で友人に聞いたのですが、その時、術者は、僕の体には一切触れておらず、ただ、両手を胸の前にかざしてくれていただけだそうです。

その温かさを感じながら、僕は泣いていました。
ポロポロ涙を流しながら。

しばらく経つと、あれだけ温かかったものが、すうっと消えていきました。

「癒しが終わりました。さあ、これから現世のものと交代してください」
相変わらず、頭ははっきりしていますが、いつ自分が前世のものから現世のものに変わったのかは知覚できません。

でも「いま現世のものですか?」と問われたら指が反応します。
そして、五つ数えたら催眠から覚めます、と言われその通りに。
体は思い通りに動きます。
まず涙をぬぐう。

今回は催眠自体が初の体験でしたから、多少の緊張があり、自分の体の重さを感じなくなるところまで顕在意識と体の切り離しは進みませんでした。
でも、少なくとも手足を動かすハンドルを持つ顕在意識の「手」はやさしく外され、そのハンドルを慣れない「潜在意識」が持った、そんな感覚がありました。

僕の前世が哲学者だった。
違和感はあまりありません。

今回は、何らかの問題を抱えて催眠療法を受けたわけではありません。
ですから、悪かった症状が良化した、なんていう、「目に見える変化」が起こるわけではないと思います。

でも、術中に感じたやさしい温かさと、流した涙の意味は、これから徐々に自分に良い影響を与えてくれるんじゃないかな。
そう思います。
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紹介した二名の体験者が語っているように、SAM前世療法においては、魂状態の自覚に至ると、前世の人格が顕現化して口頭で語る、あるいは指で回答して語るということが、意識現象として確かに起こることがお分かりになったと思います。

私あて霊信に基づいた作業仮説は、少なくとも確認された意識現象の事実としては成り立つ、と判断してよいと思われます。

こうして、私の探究は、呼び出した外国人前世人格によってその外国語で会話ができる、という応答型真性異言の発見へと向かっていくことになったのです。

もし、それが発見できたとしたら、間接的に、魂の存在とその表層には前世の人格が存在するという仮説が証明されることになり、ひいては、その魂の二層構造などを告げている私あて霊信と通信霊の存在が真実である間接的証明につながると考えたからです。  

そして、SAM前世療法による探究を始めて三年後に、魂の表層から呼び出した前世人格であるネパール人のラタラジューが、ついに、応答型真性異言で語った事実を検証できたのです。

「応答型真性異言は超ESP仮説を打破し、生まれ変わりの最有力の科学的証拠と認められる」、このスティーヴンソンの主張へのきちんとした反証は、今もって提出されてはいません。

したがって、「ラタラジューの事例」によって、日本においても生まれ変わりの科学的事実はついに証明されたと宣言できると思います。


(その15へつづく) 

2014年7月3日木曜日

「潜在意識の深奥」への考察

   SAM催眠学序説 その13


多くのクライアントの報告する「魂状態の自覚」は以下の3点に集約できると述べました。
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①体重の感覚がまったくなくなる。つまり、身体を持っている感覚が消失する。
②「私という意識のみ」がある状態になる。つまり、純粋な意識だけが存在している自覚になる。
③肉体から意識が遊離している状態になる。つまり、体外離脱状態様の自覚になる。
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そして、「魂状態の自覚」は、良好な深い催眠レベルに至れば、誰の潜在意識にもあらわれる普遍的な自覚であろうと結論づけました。
 

さらに、魂状態の自覚に至ると、前世人格の顕現化はもちろん、低級霊から高級霊まで憑依現象が起きたり、自分の守護的存在(守護霊と呼ばれる存在)との遭遇が可能になること、などをSAM前世療法のセッションで起こる意識現象の事実として発見してきました。
 

ところで、「魂状態の自覚」に至る条件は、催眠状態の深化によって「知覚の遮断状態」を体験することではなかろうかと考えています。
なぜなら、「知覚催眠」レベルでは知覚(五感)の歪曲はもちろん、痛覚麻痺、つまり知覚の遮断が可能になることが確認されているからです。


 
なぜ、催眠(言語暗示)によって知覚の歪曲や遮断が可能になるのか、そのメカニズムはいまだに不明です。
いくつかの仮説は提示されていますが、科学的実証はありません。
 

SAM催眠学では、「心・脳二元論」と、私あて霊信の告げた内容に基づいて、催眠状態とは、ふだん「脳」の管理下にある「心」が、脳の管理下を離れた状態になることだと考えています。
したがって、「心」は自由に「脳 」に指示を出し、「脳」は指示にしたがって反応するのだ、という仮説を持っています。
要するに、「脳が心の家来になった状態」を催眠状態だと考えています。

SAM前世療法の「魂遡行催眠」は、「知覚催眠」を突破してさらに深奥の催眠深度をめざすことですから、そこであらわれた「魂の自覚」状態においては、知覚の遮断状態をいつでも起こせる事態に至っていると考えられます。
つまり、「心」は「脳」の管理下を完全に離れた状態にある、と考えられます。
 

こうしたことを考えると、「知覚の遮断状態」に至るためには、催眠を用いずとも他の方法を用いてもよいわけで、他の方法で知覚の遮断状態に至れば、やがて魂の自覚状態と同様の意識状態に至ると言えそうです。
 


そして、どうやら上記の仮説は、米国の精神医学者・生物学者のジョン・C・リリーの開発した「隔離タンク」(アイソレーションタンク)によって検証できそうです。
 

隔離タンクを開発したリリーの最大の関心事は、脳が意識を保つために、外部の感覚刺激が必要か否かということでした。
 

「隔 離タンク」とは、ばかでかい浴槽のようなものに蓋が下りるようになったもので、タンクの水は34度の硫酸マグネシウムの溶液になっており、ここに入ると身 体は自然に浮かぶのです。
タンクの蓋を閉めると、光も音も温度変化も浮かんでいる溶液以外の触覚も一切遮断されるというものです。
 

この隔離タンクの実験報告が次のように述べられています。
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夢を見ているような状態、トランスに似た状態、神秘的な状態を私は体験した。
これらすべての状態において、私は完全無欠で、中心を持ち、そこにいた。・・・・
この暗闇の静かな環境の中で、他人が私とともに居るように思われる体験をした。
実際に彼らを見、感じ、彼らの発する音を聞くことができたのだ。
あるときには、起こっていることを自分が眺めている、覚醒夢と呼ばれている一連の情景を見た。・・・・
自分の想像力によって生み出されたのか、未知の源によって脳にプログラムされていたのか分からないが、霊的な存在を実感した。
また、遠くの離れたところにいるはずの人物が目の前にいるのを体験したり、まったく面識のない見知らぬ人物の存在を感じたりもした。・・・
当時、ジョンは、脳が心を収容するという信念を信じて疑わなかった。
脳とは別個の源がタンク内の彼と対話するなどといったことはありえないと思っていた。
脳の活動が心を生み出すのだろうか。
それとも、僕の個人的無意識を生み出す、脳活動より大きな何かが存在しているのだろうか。
無意識の心は脳の活動に生来組み込まれているのだろうか。
われわれの意識を制御する、脳より大きな何かが存在しているのだろうか。
われわれ自身より大きな存在に、いまだ知られざる方法で結び付けられているのだろうか。
脳は漏れやすい心の容器なのだろうか。それとも普遍的意識に通じる弁(バルブ)装置なのだろうか。
 

ジョン・C・リリー『意識の中心』『サイエンティスト』平河出版社
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リリーは、こうして感覚遮断実験を繰り返すうちに、体外離脱や臨死体験と同様の体験、それ以上の体験を積み重ねていき、やがて次第に、脳内現象ですべてを説明できることができないと考えるようになりました。
 

自分は、脳以外に存在する宇宙的存在者とのコミュニケーション・ネットワークに、脳を介して接続しているのではないかと考えるようになっていくのです。
 

リリーの隔離タンクはかなり有名になり、実験的利用者には、文化人類学者のG・ベイトソン、ノーベル賞学者で物理学者のB・ファインマンなどがいます。
 

ちなみに、B・ファインマンは、肉体とその内部にある自分(自我)とのズレを体験し、自我が身体の外にいて自分の身体を外から眺めているという体外離脱体験を報告しています。
(『ご冗談でしょう、ファインマンさん』岩波書店)
 

というわけで、感覚遮断を可能にする「隔離タンク」によって引き起こされる意識現象の事実は、
SAM前世療法によって到達する「魂の自覚」状態に近似、ないし同様ではないかと思われます。
 

誤解を恐れず言えば、B・ファインマンもリリーも、隔離タンク内で「魂状態の自覚」に至ったと思われます。
 

ま た、顕在意識というものは、どうやら三次元世界の五感(知覚)に拘束された意識であり、この五を遮断したところにあらわれる意識、三次元世界の 五感に拘束されることのない、ある意味三次元を超越した意識(別次元に通じる意識)こそが、いわゆる深奥の潜在意識だと言ってよいかもしれ ません。
 

魂の自覚状態は、そうした三次元の時空を超越した意識(別次元に通じる意識)であるからこそ、前世人格が顕現化し、霊的存在との遭遇や憑依が可能になるのかもしれません。

(その14につづく)

2014年7月1日火曜日

SAM催眠学の考える潜在意識の深奥レベル

   SAM催眠学序説 その12


SAM前世療法のクライアントとしておいでになった、ワイス式前世療法のセラピスト、あるいはワイス式前世療法の被験者と話し合う機会がこれまでに何度もありました。
 

成瀬学派のアカデミックな催眠法を学んできた私には、なぜワイス式前世療法のセッション中に催眠深度を測定する過程がないのか理解に苦しむところです。
 

なぜなら、催眠状態独自の脳波が発見されておらず、瞑想状態・まどろみ状態と類似のα波優勢の脳波であることしかわかっていないので、クライアントが確実に 催眠状態にあるのかどうかを知るためには、一定の尺度に基づいて催眠深度を測定しておかないと、催眠に入っている、いない、の明確な判断ができないからです。
 

ところで、催眠状態に深度の違いがあることは催眠学上の合意であると言ってよいと思います。
 

浅 い→深いの順に、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」→「夢遊催眠」という4段階の深度が名付けられています。

そして、それぞれの深度で起こる催眠現象の典型をいくつかを抽出して「標準催眠尺度」が設けられています。

たとえば、手の接着現象(運動催眠)、幻聴現象(知覚催眠)、年齢忘却現象(記憶催 眠)、後催眠暗示遂行現象(夢遊催眠)のように。
成瀬悟策標準催眠深度表によれば、「夢遊催眠」がもっとも深い催眠状態だとされています。
 

私は、「無意識」の実在を実感するために、催眠研究に踏み込んだ事情から、「後催眠暗示遂行現象」を何度も実験し、確認してきました。
 

たとえば、「これから催眠から覚めます。しばらくして私がポンと手を叩くと、あなたはきっと窓を開けたくなって開けるでしょう。でも、わたしがこうしてあなたに指示したことはけっして思い出すことはありません」と暗示(後催眠暗示)して覚醒させます。
そうすると、被験者はもじもじ、あるいはトランス状態になって、窓を開けます。

窓を開けた理由を尋ねても、「なんとなく」とか「息苦しいから」とか答えるのみで、催眠者から催眠中に指示されたことを思い出すことはありません。
 

この後催眠遂行現象によって、人間にはどうしても自覚できないもう一つの隠れた意識つまり、無意識・下意識・潜在意識などと名付けられる意識があるという一つの証明になるわけです。
 

ところで、SAM前世療法の作業仮説では、「潜在意識は魂の表層に存在する前世の者たちによって作り出されている」という「魂の二層構造仮説」に立ってセッションを展開します。
そして、「魂状態の自覚」へ誘導するために「魂遡行催眠」と名付けた最終誘導過程を踏みます。
 

作業仮説に基づいて潜在意識を作り出している源まで遡行するわけですから、まさに潜在意識の深奥なるものへと催眠深度を深めることになると思っています。
おそらく夢遊催眠以上の最深度へと誘導することになっているはずです。
 

「魂状態の自覚」とは、多くのクライアントの報告する意識現象の事実によれば
 

①体重の感覚がまったくなくなる。つまり、身体を持っている感覚が消失する。
 

②「私という意識のみ」がある状態になる。つまり、純粋な意識だけが存在している自覚になる。
 

③肉体から意識(魂?)が遊離している状態になる。つまり、体外離脱状態の自覚になる。
 

という報告を受けています。
 

「ラタラジュー」は、里沙さんをこのような魂状態まで遡行させ、魂の表層から呼び出した前世人格です。
 

また、これまでに医師4名、大学の臨床心理専門家4名を魂遡行催眠によって「魂状態の自覚」に到達することに成功し前世人格の顕現化が起こっていますから、 潜在意識の深奥に魂状態の自覚が潜んでいることは普遍的事実だろうと思われます。
でなければ、「魂=soul」という語が作られる理由がないと思われま す。
 

以下は、私あて第12霊信で通信霊が告げている文言です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
潜在意識より深奥なるものを、すべて「集合意識」とまとめることは適切ではない。
だが、それらを「人からの見解のみで理解する」ことはできないのだ。
集合意識に含まれるものを、私たちが説明を与え分けていくことは許されない。
それはあなた方の世界に存在する者がおこなうべきものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私がSAM催眠学で探究してきた「魂状態への遡行」という催眠深度は、上記の「集合意識」を探究していることになるのではないかと思っています。
 

つまり、魂の表層全体こそ、個々の前世の者たちが作り出している潜在意識がネットワークを結んでいる「集合意識」に他ならないと考えられるからです。
 

そして、このような情報は、「人からの見解のみで理解することができない」、通信霊からの情報を検証することによって明らかになってきたことだからです。


(その13へつづく)

2014年6月29日日曜日

SAM催眠学の治療構造仮説

   SAM催眠学序説 その11

SAM前世療法のセッションにおける「三者的構図」

私が現時点でSAM前世療法の治療構造をどうとらえているのか、実践者としての実感的考えを述べてみたいと思います。

ただし、治療構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説に過ぎません。
ですから、ここで述べることも、当然、暫定的な仮説でしかありません。

SAM前世療法では、魂の表層は前世のものたちによって構成されており、それらのものたちが意識・潜在意識を作り出しているという作業仮説にしたがって、潜在意識をひたすら深め、それを作り出している源である魂の自覚まで導きます。

魂状態の自覚に至ったことが確認できれば、魂の表層に存在し、主訴に関わっている前世のものを呼び出します。
あるいは、魂の自覚状態に至れば、訴えや癒しを求める前世人格が自ら顕現化して待っています。

私は顕現化した前世の人格と対話し、その苦しみや悲しみを共感的に傾聴します。
こうして、前世の人格が苦悩を語ることによって癒しを得ると同時に、前世人格とつながっている現世のクライアントの主訴も連動して改善が起こるというのが、SAM前世療法による治療の基本原理だと考えています。

このことつまり、こうした治療原理そのものは、通常のカウンセリングと何ら変わりがないものです。
ただカウンセリングの対象が生身の人間ではなく、肉体を持たない前世人格(死者)であるという点に違いがあるだけです。
したがって、セラピストは、クライアントと面接しているのではなく、クライアントの前世の人格と面接しているのだ、という明確な自覚のもとでセッションを進めることになります。

非常に信じがたい奇異なカウンセリングに映るでしょうが、SAM前世療法の作業仮説からしてみれば、当然の論理的帰結であり、クライアントの意識現象として現れる確かな事実です。

セラピストは、数百年前に人生を終え、当時のままの苦しみや悲しみの感情に苦悩しながら、今も魂の表層に意識体として生き続けている前世の人格(死者)と、対面するというわけです。

ラタラジュー人格もこうして顕現化し、ネパール語で会話したのです。
ラタラジューが真性異言で会話した事実は、彼が、けっして里沙さんの作り出した架空の人格ではないことを証明しています。
架空の人格が真性異言を話せるはずがありません。
ラタラジューはネパール人として生きたことがあるからこそ、ネパール語で会話できたのだと考えざるをえません。
こうしたことから、魂の表層には今も前世の人格が生きて存在している、という作業仮説は正しい可能性があると思われます。

その一つの証拠が、ラタラジュー(CL)と、カルパナ(KA)さんの次のようなネパール語会話です。
この会話については
http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ?t=28m20sに日本語版が
http://youtu.be/q5iVCfKuH0Q?t=30m6sに英語版が公開してあります。


CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

この会話のラタラジュー(CL=被験者里沙さん)という顕現化した人格は、ネパール人カルパナ(KA)さんに対して、明らかに、今、ここで、問いかけています。

前世人格ラタラジューは、今、ここに生きており、顕現化して問いかけている、としか考えられません。
こうした事実からも、里沙さんが、ラタラジューという前世の記憶を想起して語っているという説明は成り立たないのです。
現在進行形の会話だからです。

それでは、前世人格が顕現化中のクライアント自身の意識状態は、どうなっているのでしょうか。
これは治療構造の根本に関わる重要なポイントだと思われます。

セッションの進行をモニターしているクライアントの意識(顕在意識)は明瞭にあります。
つまり、前世人格の意識と現世人格のモニター意識が、併存状態のままでセッションが進行・展開していくということです。

クライアントの意識は、セラピストと前世人格の間で交わされる対話を傾聴している第三者的オブザーバーの立場で、セッションに参加・同席していると理解してよいと思われます。

こうして、SAM前世療法においては、セラピスト対前世人格の間で交わされる対話、そこに同席しモニターしている現世人格の意識という「三者的構図」になっていると言えるでしょう。

カウンセラーの質問に対して発話するのは前世人格です。
前世人格は、クライアントの肉体つまり、発声器官を用いて発話することになりますから、モニター意識からすると、勝手に、あるいは自動的に発話がされているという自覚を持つことになります。

それは前世人格が、悲嘆の場面に直面化したときに涙を流すという場合についても同様です。
前世人格がクライアントの涙腺を用いて涙を流すことになりますから、モニター意識はそれを自分が流している涙であるという自覚を持てないことになるのです。

ただし、ここで重要なことは、モニター意識は、単なるオブザーバーではなく、前世人格の苦悩やそれが癒されていく感情を、まさに自分のことのようにまざまざと共感的に理解しているということです。
つまり、前世人格の意識とモニター意識は、完全な分離状態として併存しているわけではなく、分離していると同時に強い一体感も持っている、ということです。

魂の生まれ変わりという視点から見れば、現世のクライアントは前世の生まれ変わりの結果ですから、別人格とはいえ、両者の意識は切っても切れない絆で密接につながっているはずで、同一性の感覚があるのは当然でしょう。

こ うして、クライアントのモニター意識が、前世人格の語る苦悩の感情と、語ることによってもたらされる癒しの感情を共体験し、その前世人格の苦悩が潜在意識 として現世の自分の意識に流れ込んで精神的諸症状を引き起こしていたということ、それが癒されたことを洞察するに至ると、それらの症状が改善に向かう、と いうのが現時点で筆者の考えている暫定的な基本的治療構造です。
同時に、SAM前世療法を体験したクライアントの多くが、次のような気づきを報告しています。

①自分の人格形成には、前世の人格の体験が多かれ少なかれ影響を与えているという気づきと、自分という個性が死後も魂表層の一つとして存続することへの実感。

②現世の人生は、前世・現世・来世へと連綿とつながっている鎖の一つであるという超越的世界観への目覚めと、そこから自己の人生を再解釈し相対化していく超越的視点の気づき。

③魂状態での守護的存在者との出会いと、その存在者からの啓示ないし、メッセージによる被護感と、生まれ変わって現世を生きる意味への気づき。

これらはある意味で宗教的認識に類するものですが、あくまでセッションの過程で自ら気づき獲得していったものであって、セラピストである私が外部から注入したり押しつけたものではないことを確認しておきたいと思います。

これらのことを、クライアントが、少なくとも「主観的真実」として自ら深く実感した結果、新たな自己・世界解釈がなされ、そのことが自らの人生に、新たな意 味づけ、価値づけ、方向づけを促し、そうしたスピリチュアルな体験を現実と統合していくことによって、症状の改善のみならず人格的、霊的成長をも促され る、と考えてよいのではないかと思っています。
とりわけ里沙さんについては、こうした認識が獲得されていったことが明らかにうかがわれます。

基本的には、こうしたSAM前世療法による催眠下で起こる超常的体験によって、最終的に「超越的視点の獲得」を可能にしていくのがSAM前世療法であり、他の心理療法には求めることの出来

ない、独自・固有の存在意義はそこに由来すると考えていいのではないでしょうか。

(その12へつづく)

2014年6月20日金曜日

臨死体験と魂実在の問題

   SAM催眠学序説 その10

前世療法を用いて前世や魂の実証(死後存続の実証)を試みる方法論とは別に、「臨死体験」という視点から死後存続を探究する分野があります。
 臨死体験は、SAM催眠学の提唱する諸仮説に関わる重要な関連分野ですので、現時点の私の見解を述べてみたいと思います。

さて、
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130502/wir13050213270001-n1.htmという記事を紹介してもらいました。

下記にこの記事の当事者であるパーニア氏と、そのインタビュー記事の抜粋を紹介します。

パーニア氏は、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校付属病院の医師で、同大学の蘇生法研究プログラムの主任。北米と欧州の25病院で臨死体験を記録する「Consciousness Project Human」のAWARE調査の責任者として、この現象を科学的に研究している人物です。

パーニア氏はこのほど、新しい著作『Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death(死を消去する:生と死の境界を書き換える科学)』を刊行しました。

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パーニア氏:人が死ぬと、血液の脳への流入がなくなります。
血液の流入が一定のレベルを下回ると、電気活動は生じ得ません。
脳に何らかの隠された領域があり、ほかのすべてが機能しなくなってもそれが活動していると考えるには、大変な想像力が必要です。
このような観察から、脳と心の相互作用に関する現在の概念に疑問が生じます。
従来の考え方は、脳内の電気化学的なプロセスが意識につながっているというものです。
死後に電気化学プロセスが起きないことは証明ができるので、この考え方はもう正確ではないのかもしれません。
脳の中には、われわれが発見していない、意識を説明する何かがあるのかもしれません。あるいは、意識は脳とは別個の存在なのかもしれません。

WIRED:それは、意識の超自然的な説明に近いように聞こえますが。

パーニア氏:最 高に頭が柔軟で客観的な科学者は、われわれに限界があることを知っています。現在の科学では説明ができないという理由で、迷信だとか、間違っているだとか いうことにはなりません。
かつて電磁気など、当時は見ることも測定することもできなかったさまざまな力が発見されたとき、多くの科学者がこれを馬鹿にしま した。
科学者は自我が脳のプロセスであると考えるようになっていますが、脳内の細胞がどのようにして人間の思考になりうるのかを証明した実験は、まだ存在していません。
人間の精神と意識は、電磁気学で扱われるような、脳と相互作用する非常に微小なタイプの力ではあるが、必ずしも脳によって生み出されるわけではない、ということなのかもしれません。
これらのことはまだまったくわかっていないのです。

WIRED:ただ、最近はfMRIによる脳画像と、感情や思考などの意識状態の関連性が研究されたりしていますよね。
脳を見ることで、その人が何を見ているかや、何を夢見ているかがわかるという研究もあります。

パーニア氏:細胞の活動が心を生み出すのか、それとも、心が細胞の活動を生み出すのか。
これは卵が先かニワトリが先かというような問題です。
(fMRIと意識状態の関連 性などの観察から)細胞が思考を生み出すことを示唆していると結論する試みがあります。
これが憂鬱の状態で、これが幸せの状態というわけです。
しか し、それは関連性に過ぎず、因果関係ではありません。
その理論に従えば、脳内の活動が停止したあとに、周囲の物事を見たとか聞いたとかいう報告はないはずなのです。
脳内の活動が停止したあとも意識を持ち得るのだとすれば、おそらくは、わたしたちの理論はまだ完成していないということが示されているのです。
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さて、「生まれ変わりの実証的探究」の私の立場からすれば、上記パーニア氏の太字部分の医学的見解は、脳以外に意識の存在を示唆しているように思われます。
彼は、「現在はっきりとしているのは、(脳死後も)人間の意識が消滅するわけではないということだ」とまで述べているようです。

この見解は、「心・脳二元論」という立場です。

過去にも、W・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞級の大脳科学者が自らの実験研究の結果、晩年になって「心・脳二元論」を表明しています。
催眠研究者成瀬悟策九大名誉教授・医博も、晩年になって、「脳は心の家来です」と述べています。

SAM前世療法の大前提は、「心・脳二元論」仮説ですから、臨床医学者パーニア氏の最新の上記見解は、我が意を得たりと言いたいところです。
しかし、厳密に検討すると、手放しで喜べるほど、ことは単純ではないようです。

脳死臨床の場で、脳が本当に死んだかどうかを、直接的に観察できる方法は現在ありません。
したがって、「脳が生きて活動しているならこういう現象が観察されるはずだ」ということをいろいろ見ていって、そういった現象がすべて観察されないからこの脳は死んでいるだろう」と推論するわけです。
これが脳死判定の方法論的論理構造です。
しかし、「脳が生きている」けれども、「脳の機能発現が観察されない」こともあるのです。

脳 が活発に活動しているときには、脳内でものすごい数のパルスが飛び交っており、その影響で頭皮の上に微弱な電流が生じます。
これを測定したものが脳波です。

つまり、脳波は、脳の電気的活動の有無を直接測定するものではないのです。
したがって、脳細胞レベルでは微弱な電気活動がまだ残っている段階でも、フ ラットな脳波が現れるといわけです。
脳波がフラットの状態であるから脳死である、つまり、脳の機能は停止してる、にもかかわらず意識現象が生じた、だから、意識は死後も消滅しない、という論理は単純に成り立たないのです。

脳波がフラットであっても、脳は生きており、意識がある可能性を排除できないのです。
脳死をほぼ確実に判定できるのは、一定時間の脳血流停止を確認することとされています。
その確認方法として脳の酸素消費を測定する脳代謝検査があります。
細胞は生きている限り、酸素を消費し、ブドウ糖を消費します。
細胞が死ねばどちらも消費しません。
こうして、理論的には、脳代謝測定が脳死判定の最終的手段とされています。

はたして、パーニア氏は、脳代謝検査などで、一定時間の脳血流停止確認後、つまりその患者の脳血流の完全な停止中にも意識があったことを確認して、「脳死後も意識は消滅するわけではない」と述べているのでしょうか。
しかし、それはまずあり得ないでしょう。
脳細胞の血流が一定時間完全停止すれば脳細胞が死滅し、脳の復活は絶対あり得ないので、そもそも完全な脳死中の意識内容を話すことができるはずがないからです。

このように、臨死体験によって、脳とは別に、消滅しない意識(魂)の存在を証明することにも、どうやら「挫折の法則」がはたらいているような気がします。

臨死体験研究者の多くは、医師や心理学者であり、それまでサイキカル・リサーチやスピリチュアリズムが蓄積してきた知見を、知らないかあるいは無視しています。
臨死体験研究の本をいくつも翻訳している超心理学者の笠原敏雄氏は、研究者たちのそうした態度を、先行業績を参照するという科学的手続きを無視したものだ、と指摘してます。

このように、これまでの多くの臨死体験研究では、実証性ということが十分に考慮・検証されているとは思われません。
サ イキカル・リサーチ(超心理学)を踏まえたオシスらの研究ですら、超ESP仮説への取り組みが不十分で、理論上の中心主題は残されたままだとしています。
 臨死体験と死後存続仮説との関係という中心的問題を明らかにすることに対しては、決定的な貢献はしていないと私には思えます。

そもそも、臨死体験とは、その体験者が生き返っているわけですから、「間違いなく死後の体験」だということには論理的矛盾があります。

呼吸停止・心停止であっても、脳は生きていただろうから、それは脳内現象であり、せいぜい体外離脱(幽体離脱)体験と同様の体験に過ぎない、という説明が成り立ちます。
そしてまた、体外離脱(幽体離脱) が、真に魂と呼ぶような意識体が肉体を離脱した体験なのか、超ESP(透視やテレパシー)による脳内現象によるものであるのか、の決着はついているわけではありません。


脳活動(脳幹活動まで含む)が完全に停止した状態で体験された「パム・レイノルズのケース」(セイボム『続「あの世」からの帰還』)でも、厳密に理論的に検証すると、完璧であるわけではありません。
かように、脳内現象を完全に否定できるような、脳細胞が死滅したことが確認された後の臨死体験はあり得ません。
脳細胞の死滅は、脳の復活が不可能な、不可逆な、完全な脳死であるからです。
こうした状態で、つまり完全な脳死者が臨死体験が報告できるはずがないからです。

このように数多くの臨死体験報告の実証的側面は、かなり脆弱なのです。
実証性を別にして考えても、死後存続の証拠としての臨死体験には限界があります。

仮に、臨死体験者が、死後の世界の入り口まで覗いたとしても、それはあくまで「かいま見た」程度の ものでしかありません。
前世療法の本をホイットンとともにまとめたライターは、臨死体験を、「国境に足止めされた海外特派員がそこからその国の事情を報告 する」ようなものだと表現しています。

こうして、臨死体験を死後存続の証拠とするには、完全な脳死者の体験ではないという前提と、完全な脳死者には生き返ってのち死後の報告ができないという限界がある、と言わないわけにはいきません。

ただし、こうした前提と限界があるにしても、科学者による無視できない数の臨死体験報告が挙がっているという事実は、死後存続の可能性を示す意識現象として認めないわけにはいかないと思われます。
脳とは別に、意識の座が存在する推測可能性を示す現象だということです。

ちなみに、臨死体験関連の映像として、

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2829.html
を参考として紹介しておきます。

(その11へつづく)