2014年6月29日日曜日

SAM催眠学の治療構造仮説

   SAM催眠学序説 その11

SAM前世療法のセッションにおける「三者的構図

私が現時点でSAM前世療法の治療構造をどうとらえているのか、実践者としての実感的考えを述べてみたいと思います。

ただし、治療構造の説明というものは、どんな心理療法であれ、絶対的な実証ができるわけではなく、仮説に過ぎません。
ですから、ここで述べることも、当然、暫定的な仮説でしかありません。

SAM前世療法では、魂の表層は前世のものたちによって構成されており、それらのものたちが意識・潜在意識を作り出しているという作業仮説にしたがって、潜在意識をひたすら深め、それを作り出している源である魂の自覚まで導きます。

魂状態の自覚に至ったことが確認できれば、魂の表層に存在し、主訴に関わっている前世のものを呼び出します。
あるいは、魂の自覚状態に至れば、訴えや癒しを求める前世人格が自ら顕現化して待っています。

私は顕現化した前世の人格と対話し、その苦しみや悲しみを共感的に傾聴します。
こうして、前世の人格が苦悩を語ることによって癒しを得ると同時に、前世人格とつながっている現世のクライアントの主訴も連動して改善が起こるというのが、SAM前世療法による治療の基本原理だと考えています。

このことつまり、こうした治療原理そのものは、通常のカウンセリングと何ら変わりがないものです。
ただカウンセリングの対象が生身の人間ではなく、肉体を持たない前世人格(死者)であるという点に違いがあるだけです。
したがって、セラピストは、クライアントと面接しているのではなく、クライアントの前世の人格と面接しているのだ、という明確な自覚のもとでセッションを進めることになります。

非常に信じがたい奇異なカウンセリングに映るでしょうが、SAM前世療法の作業仮説からしてみれば、当然の論理的帰結であり、クライアントの意識現象として現れる確かな事実です。

セラピストは、数百年前に人生を終え、当時のままの苦しみや悲しみの感情に苦悩しながら、今も魂の表層に意識体として生き続けている前世の人格(死者)と、対面するというわけです。

ラタラジュー人格もこうして顕現化し、ネパール語で会話したのです。
ラタラジューが真性異言で会話した事実は、彼が、けっして里沙さんの作り出した架空の人格ではないことを証明しています。
架空の人格が真性異言を話せるはずがありません。
ラタラジューはネパール人として生きたことがあるからこそ、ネパール語で会話できたのだと考えざるをえません。
こうしたことから、魂の表層には今も前世の人格が生きて存在している、という作業仮説は正しい可能性があると思われます。

その一つの証拠が、ラタラジュー(CL)と、カルパナ(KA)さんの次のようなネパール語会話です。
この会話については
http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ?t=28m20sに日本語版が
http://youtu.be/q5iVCfKuH0Q?t=30m6sに英語版が公開してあります。


CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

この会話のラタラジュー(CL=被験者里沙さん)という顕現化した人格は、ネパール人カルパナ(KA)さんに対して、明らかに、今、ここで、問いかけています。

前世人格ラタラジューは、今、ここに生きており、顕現化して問いかけている、としか考えられません。
こうした事実からも、里沙さんが、ラタラジューという前世の記憶を想起して語っているという説明は成り立たないのです。
現在進行形の会話だからです。

それでは、前世人格が顕現化中のクライアント自身の意識状態は、どうなっているのでしょうか。
これは治療構造の根本に関わる重要なポイントだと思われます。

セッションの進行をモニターしているクライアントの意識(顕在意識)は明瞭にあります。
つまり、前世人格の意識と現世人格のモニター意識が、併存状態のままでセッションが進行・展開していくということです。

クライアントの意識は、セラピストと前世人格の間で交わされる対話を傾聴している第三者的オブザーバーの立場で、セッションに参加・同席していると理解してよいと思われます。

こうして、SAM前世療法においては、セラピスト対前世人格の間で交わされる対話、そこに同席しモニターしている現世人格の意識という「三者的構図」になっていると言えるでしょう。

カウンセラーの質問に対して発話するのは前世人格です。
前世人格は、クライアントの肉体つまり、発声器官を用いて発話することになりますから、モニター意識からすると、勝手に、あるいは自動的に発話がされているという自覚を持つことになります。

それは前世人格が、悲嘆の場面に直面化したときに涙を流すという場合についても同様です。
前世人格がクライアントの涙腺を用いて涙を流すことになりますから、モニター意識はそれを自分が流している涙であるという自覚を持てないことになるのです。

ただし、ここで重要なことは、モニター意識は、単なるオブザーバーではなく、前世人格の苦悩やそれが癒されていく感情を、まさに自分のことのようにまざまざと共感的に理解しているということです。
つまり、前世人格の意識とモニター意識は、完全な分離状態として併存しているわけではなく、分離していると同時に強い一体感も持っている、ということです。

魂の生まれ変わりという視点から見れば、現世のクライアントは前世の生まれ変わりの結果ですから、別人格とはいえ、両者の意識は切っても切れない絆で密接につながっているはずで、同一性の感覚があるのは当然でしょう。

こ うして、クライアントのモニター意識が、前世人格の語る苦悩の感情と、語ることによってもたらされる癒しの感情を共体験し、その前世人格の苦悩が潜在意識 として現世の自分の意識に流れ込んで精神的諸症状を引き起こしていたということ、それが癒されたことを洞察するに至ると、それらの症状が改善に向かう、と いうのが現時点で筆者の考えている暫定的な基本的治療構造です。
同時に、SAM前世療法を体験したクライアントの多くが、次のような気づきを報告しています。

①自分の人格形成には、前世の人格の体験が多かれ少なかれ影響を与えているという気づきと、自分という個性が死後も魂表層の一つとして存続することへの実感。

②現世の人生は、前世・現世・来世へと連綿とつながっている鎖の一つであるという超越的世界観への目覚めと、そこから自己の人生を再解釈し相対化していく超越的視点の気づき。

③魂状態での守護的存在者との出会いと、その存在者からの啓示ないし、メッセージによる被護感と、生まれ変わって現世を生きる意味への気づき。

これらはある意味で宗教的認識に類するものですが、あくまでセッションの過程で自ら気づき獲得していったものであって、セラピストである私が外部から注入したり押しつけたものではないことを確認しておきたいと思います。

これらのことを、クライアントが、少なくとも「主観的真実」として自ら深く実感した結果、新たな自己・世界解釈がなされ、そのことが自らの人生に、新たな意 味づけ、価値づけ、方向づけを促し、そうしたスピリチュアルな体験を現実と統合していくことによって、症状の改善のみならず人格的、霊的成長をも促され る、と考えてよいのではないかと思っています。
とりわけ里沙さんについては、こうした認識が獲得されていったことが明らかにうかがわれます。

基本的には、こうしたSAM前世療法による催眠下で起こる超常的体験によって、最終的に「超越的視点の獲得」を可能にしていくのがSAM前世療法であり、他の心理療法には求めることの出来

ない、独自・固有の存在意義はそこに由来すると考えていいのではないでしょうか。

(その12へつづく)

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