2023年4月14日金曜日

生まれ変わり探究のわたしの遍歴

 SAM催眠学序説  その161

 
はじめに
 
 『科学的探検雑誌』編集長バーンハード・M・ハイシュは、イアン・スティーヴンソンの膨大にして緻密な「生まれ変わりの実証的(科学的)研究」について次のように解説しています。

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人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点を持っていることは明らかである。 恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。 遺伝と環境に加え、過去世での経験という第三の要因も、人間の人格の形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案といえる。(中略)               スティーヴンソンは、「生まれ変わりという考え方は最後に受け入れるべき解釈なので、これに代わりうる説明がすべて棄却できた後に初めて採用すべきある。どの事例にしても、一例だけでは生まれ変わりの存在を裏付ける決定的証拠になるとは思っていない。私の詳細な事例報告をお読みいただければ、私たちが説得力に欠けると考えている点が明らかになることは間違いなかろうが、それによって読者の方々が、生まれかわりを裏付ける証拠など存在しないと否定なさるとは思われない。 もし、そのようなご意見をお持ちの方があれば、その方に対しては『どういう証拠があれば、生まれ変わりが事実だと納得なさいますか』とお聞きしたいと思う」と述べている。
 
(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.526-527)

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わたしも、上記の見解のゴチック部分にはとりわけ同感しています。

 

you-tubeで公開している「タエの事例」・「ラタラジューの事例」の証拠動画、このブログに公開しているセッション逐語録とその解説を、虚心坦懐に見聞きしたうえで、それでも生まれ変わりの証拠などではない、と否定される方がおいでになるならば、「どういう証拠であれば、あなたは、生まれ変わりと魂の存在が事実であると納得なさいますか」とわたしも、スティーヴンソン同様に尋ねたいと思います。                                     

なぜなら、わたしの生まれ変わりの実証的探究も、スティーヴンソンの実証的研究の仕方をモデルとしているからに他ならないからです。

 

人間が死ねば無になるのではなく、どんな形にせよ何かが死後も存続することが科学的に証明されれば、人生観・世界観はもちろんのこと、自然界のあらゆるものに対する見方など広汎な領域にわたって根底からの深甚な変革が迫られるに違いないでしょう。

 

そうであるからこそ、そして、わたし自身も死から逃れることが不可避であるからこそ、わたしは、誰もが「魂と生まれ変わりの有無」という人生の根源的な問いを回避せず、当事者性をもって、早急に答えを求めず、地道に問い続けることが大切なのだと考えています。

 

わたしの70年余の人生を振り返って、自分の死への圧倒的恐怖感を当事者性をもって迫った原体験は、小学校6年生12歳の晩秋でした。              

 

母方の祖父の遺体が、火葬場の焼却炉の火炎の中で、燃やされ灰と骨になっていく様子を、焼却炉に穿たれた穴から、好奇心とイタズラ心から係員の目を盗んで見てしまったのです。                             

 

いつか自分も必ずそうなることを身に浸みて実感してしまったのです。     哲学的に言えば、実存的原体験とでも呼ばれる体験だろうと思います。

 

死んで無になる恐怖感です。                        

 

この恐怖感は眠ることへの恐怖感となり、12歳にして不眠症になり、中学校に上がるまで一冬中続きました。                         痩せていくわたしを心配した母親は医師の診察に連れていき、睡眠剤を処方される事態にまで悪化しました。

        

この原体験以来、遺体が焼けていく光景が、心の深層に沈殿し続け、折に触れてはフラッシュバックし、死への恐怖から逃れることがありませんでした。
 

 

とはいえ、わたしの性格は、観念的な死生観を説くだけの諸宗教に救いを求めることはどうしてもできませんでした。                     「観念より事実」「理屈より実証」を求めるのが、わたしの生まれつきの性向なのです。

 

そして、それまでは唯物論者であったわたしあてに、59歳のとき、守護霊団を名乗る霊的存在から第三者を経由して霊信が来るという超常現象が2007年に起き、その霊信によって、魂の転生と生まれ変わりの秘密について開示を授かるという超常現象に遭遇することになりました。
 

わたしは、催眠を用いた探究の方法によって、その霊信内容の真偽の検証ができる立場にありました。

しかしながら、これまでの検証によって確かめてきた「魂の転生と生まれ変わりの事実」は、検証の方法論が、催眠被験者の語る「意識現象の事実」を対象にするしかない、という限界があるため、当然のことながら間接的な証明でしかなく、けっして100%の事実の証明にはなりえません。

そうであっても、そこでわたしの得た知見をわたしだけに留めず、この問題意識に「科学的テーマ」として正対し、「生まれ変わりの有無」に真面目な関心を寄せる人々に伝えることが、わたしあてに霊信を贈ってきた霊的存在(守護霊団)の恩恵に対する、わたしの礼儀と責務だろうと思っています。

そして、スティーヴンソンをはじめとして、生まれ変わりの先行諸研究の成果は、生まれ変わりの可能性を示す証拠が、それを否定する証拠より質・量ともに無視できないほどに蓄積されていると思います。

 

わたしのSAM前世療法の実践の累積による成果を要約すれば、わたしの肉体の死後も、霊体に宿っていた現世のわたしの人格(個性、記憶などの心的要素)は魂表層に吸収され、魂表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、魂はさらに成長・進化に資するための多様な体験を求めて新たな肉体に宿る。                            

 

このようにして、「わたし」は、死後も魂の表層を構成する「前世人格」の一つとして存続し、無に帰することはないということが、SAM前世療法を用いた15年余の生まれ変わりの探究の累積から得た現時点における知見です。
 

ちなみに、わたしあて霊信によれば、現世のわたしの魂は369回目の転生なんだそうです。                                

さらにまた、わたしの魂の転生は369回目の今回が最後なんだそうです。         だから、転生を終える最後の仕事として、生まれ変わりの諸相を探究し、その結果を人々に伝える仕事をしなさいということらしい。

 

それでは、生まれ変わりを探究するSAM前世療法の独自・固有の立場である「前世の人格を呼び出す」という仮説が、どのような経緯によって成立してきたかについて、時間軸にそって述べてみます。  

 

 

 1  「タエの事例」との出会い(2005年5月)

                                                                                                            

2005年5月、被験者里沙さんへの前世療法実験セッションをおこないました。
この時点では「SAM前世療法」は、成立していませんから、従来の「前世の記憶を想起する」という前提で、この「タエの事例」が遂行されています。      当時彼女は47歳でした。

以下は、「タエの事例」の逐語録抜粋です。

(『前世療法の探究』春秋社、PP.156-160)
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稲垣:あなたは今13歳で、年号は何年ですか?

里沙:安永九年(1780年)

注:年号「安永」は九年で終わっていることをセッション後確認。安永という年号を、わたしを含めて実験セッション立ち会い者7名全員(医学博士1名、国立大教授1名を含む)が知らなかった。

稲垣: はあ、安永9年で13歳。で、今桑畑にいる。それがなぜ、楽しいのでしょう。

注:前回のセッションで、タエは天明3年16歳の時、浅間山大噴火による龍神のお供えとして溺死した、と語っている。そこで、その恐怖の記憶を想起させればパニックになる畏れがあると判断し、最初に一番楽しかった場面を想起させた。


里沙:桑の実を摘んで食べる。

稲垣:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?

里沙:真っ赤。(微笑む)①おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。

稲垣:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (里沙頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾わ れた兄弟も一緒に葉を摘んでますか?(里沙頷く)楽しそうに。(里沙頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行き ますよ。一・二・三。さあ今、夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?

里沙:馬小屋。みんなも。

稲垣:下は?

里沙:ワラ

稲垣:どんな物を食べてますか?

里沙:ヒエ。

稲垣:ヒエだけですか。おかずは?

里沙:ない。

稲垣:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (里沙頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?

里沙:馬小屋。

稲垣:馬小屋で寝るの。お布団は?

里沙:ない。

稲垣:寒いときは何にくるまるのですか?

里沙:ワラ。

稲垣:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?

里沙:着物。

稲垣:着物の生地は何でできていますか?

里沙:分っからない。

稲垣:粗末なものですか。(里沙頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?

里沙:きれいな手じゃない。

注:キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。

稲垣:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?

里沙:天明3年。(1783年、タエ16歳)

稲垣:天明3年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?

里沙:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。

注:天明三年六月(旧暦)あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。         七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日(旧暦)夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止めた。                          その数時間後に火砕流による自然のダムは決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。                                       この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』天明三年七月あさまやけどろおしりゅうしつじんばかおくひがいかきあげちょう として記録に残って いる。                                この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの通常の水面から10メートル近く高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。わたしは現地で浅間石の確認をしている。                      吾妻川・利根川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。                                       ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113 軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。                              

ただし、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々流水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々ながれ、みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死者はたった一人であった。こうした事実は セッション後の検証で判明した。                   この流死者こそタエだと推測できる。                        また、「くるま流れ」の「くるま」は、渋川村上郷から吾妻川の橋のある川原までタエを乗せて運んだ大八車だと推測できる。

稲垣:火が渋川村から見えますか?

里沙:うん。

稲垣:噴火の火がみえますか?

里沙:フンカ?

注:天明の頃に「噴火」という用語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼(あさまやけ)」と表現している。

稲垣:噴火って分かりませんか? (里沙頷く)分からない。火が山から出てるんですか?

里沙:熱い!

稲垣:煙も見えますか?

里沙:は、はい。

稲垣:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?

里沙:白い灰が毎日積もります。

注:渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明三年六月(旧暦)から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が1メートルを超えるなど相当量積もったことは事実である。

稲垣:どのくらい積もるんでしょう?

里沙:軒下。

稲垣:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?

里沙:分からない。

稲垣:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。

里沙:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。

注:当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りだと考えた。鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いてこれを鎮めようとしたことは当時の旅日記などに残されている事実である。              

稲垣:その結果なにが起きてますか?

里沙:龍神様は川を下ります。

注:浅間山は、当時龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。                             タエは吾妻川を下る龍神の花嫁として、川中の柱(橋脚)に縛られ供えられたと思われる。

稲垣:その結果どうなりました?

里沙:天明3年7月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたしがお供えになります。

注:2006年10月放映のアンビリバボーでは上記の下線部分「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由 が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが話の筋として納得されやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名のセッション立ち会い者のうち1名 だけであり、わたしも知らなかった。

稲垣:自分から志願したの?

里沙:そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)②おいしいごちそう食べて・・。

稲垣:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?

里沙:村のために・・・。

稲垣:誰か勧めた人がいますか?

里沙:おとっつあん。

稲垣:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。

注:7年後の再セッションで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ、吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための舟着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を水害から救うために、人柱を必要としたと推測できる。記録によれば、渋川村の被害は「くるま流 田畑少々水入 人壱人流」(くるまながれ、でんばた少々ながれ、みずいる、ひと一人ながる)となっており、流死者はたった一人であった。 

タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。           

 

里沙:恩返し。みんなのために(微笑む)③うれしい。
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このセッション逐語録の話者「里沙」を「タエ」に置き換えて違和感があるでしょうか。
 
わたしには「タエ」であったときの前世の記憶を、「里沙」さんが想起し話している、として解釈することに大きな違和感を感じました。

ありのままに受け取れば、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起して語っているのではなく、「タエという人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の人生を語っている、と受け取ることがごく自然であると思われました。

つまり、タエの人格そのものが、被験者里沙さんの肉体を借りて顕現化し、自分の人生を語っているのではないか、という直感が湧き起こったのです。
 
そして、里沙さんの口調は、実年齢47歳でありながらまさに16歳の少女としか思われないものに変化していました。

この思いは、下線を引いた(微笑む)という里沙さんの表情①~③の個所でより強い実感になっていったのです。(注:you-tube公開の「タエの事例」動画参照)

微笑んでいるのは里沙さん自身の表情ですが、微笑ませている主体は、里沙さんではなくタエの人格そのものではないかと思われました。
 
事実、セッション中のわたしの意識は、被験者里沙さんではなく、里沙さんとは別人格のタエの人格を対象にして対話していたのです。

里沙さんの肉体は、前世人格タエが顕現化するための媒体ではなかろうか、という現象学的発想と問題意識が生まれた瞬間でした。                

しかし、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、2005年当時の前世療法では、前世人格の顕現化という発想を持った前世療法は皆無でした。(2023年現在も同様)     

 

そして、仮に前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格タエはいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の場からなのか。

肉体の臓器である脳は、死後消滅します。

当然脳内(海馬)に保存されていた現世の記憶も無に帰することになります。

にもかかわらず、脳内から前世の記憶が想起されることは論理的にありえないことになります。

そして、 記憶だけが死後も消滅せずどこかに存続している、という科学的実証はありません。

 

となれば、前世の記憶は、フィクションでしかないことになります。

 

SAM前世療法の成立以前、2004年に立命館大学で開催された「日本催眠医学心理学会」・「日本教育催眠学会」の合同学会で、「前世の記憶を想起させた前世療法」としてわたしの実践事例を発表した研究討議でも、大学の催眠研究者、医師など60名余りの参会者の意見の大勢は、前世の記憶はフィクションでしかない、として批判を受けました。(『前世療法の探究』春秋社、PP.137-148)

 

ただし、この時点で「タエの事例」は、『前世療法の探究』に掲載されていませんし、フジTV「アンビリバボー」で放映されてはいません。

 

しかし、おそらく19年を経た現在でも、アカデミックな催眠関連学会の生まれ変わりについてのこうした見解は、ほとんど変化してはいないだろうと思われます。

 

日本のアカデミズムでは、生まれ変わりや前世の存在を研究対象に取り上げること自体が、オカルト扱いされ、特殊専門科学として論及する立場にはない、という了解ないし学問的禁欲があると思われます。

 

催眠中にあらわれる前世の記憶の真偽について、生まれ変わりの科学的研究の泰斗、イアンスティーヴンソンは、みずからの前世療法催眠実験の結果について次のように述べています。

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前世の記憶 らしきものをはじめからある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも思い出すのではないか、とお考えになるかもしれない。             私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ者に催眠をかけたことがある。                              この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているかも知れないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確に語ってはいなかった。          催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく思い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。                                私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。          一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外は他の術者に実験を依頼した。      その結果、ただの1件も成功しなかった。                      (イアンスティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.79-80)

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そもそも、意識が脳から生み出されるという科学的実証はいまだにないわけですから、この問題の判断は留保としておくしかありませんでした。

 

この4年後、SAM前世療法を開発した2008年に、SAM前世療法を用いて魂表層からタエの再顕現化実験をおこない、タエの人格自身が、魂表層から顕現化しているという意識現象を確認しています。                                      

 

このことは、前世人格タエは、たまたま憑依した第三者の憑依霊などではなく、里沙さんの魂表層を居場所にしている前世人格であることの証左であるととらえています。

 

同時にSAM前世療法の技法にしたがえば、前世人格の再顕現化が可能であることの実証であり、SAM前世療法は、「再現性の保障」という科学性の条件の一つを満たしていると思います。

 

ちなみに、「前世の記憶」として扱った事例で、これは「前世の記憶」ではなく「前世人格そのものの語り」ではないかと思われた先駆的事例3例(亜由美の事例、佳奈の事例、佐恵子の事例)を拙著『前世療法の探究』PP.50-136で紹介しています。
 

こうして、前世人格顕現化の問題はひとまず棚上げし、「タエの記憶」として語られた前世の内容を徹底的に検証した結果を紹介した『前世療法の探究』を春秋社から2006年5月に出版しました。                      

 

管見するかぎり、少なくとも日本においては、前世の記憶を想起するという前提の前世療法によって、語られた前世の記憶を科学的検証にかけ、「前世の記憶」の存在がフィクションではないことを実証しようと試みた書籍類は、現在においても拙著以外に知りません。

 

前世人格の顕現化現象を認めるとして、ではその前世人格はいったいどこから顕現化してくるのか、脳内からなのか 、脳以外の居場所からなのか、この問題意識への執拗なこだわりこそ、その後のわたしの探究の原動力でした。

 
 
2  わたしあて霊信現象との遭遇(2006年1月~2月)
 
 
006年12月末、『前世療法の探究』を読んだ、当時26歳の東京在住の派遣社員であったM子さんから、拙著についての感想メールが届きました。             
 
続いて、翌2007年1月11日~2月14日の1ヶ月間、このM子さんを霊媒として、パソコンの自動書記によるわたしあての霊信が毎夜届くという超常現象が起こりました。                               
 
このわたしあて全霊信は、『SAM催眠学序説 その47~72で公開しています。

2007年1月23日の第11霊信で

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」と告げられ

そして、同じく第11霊信で、「あなたが探究すべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである」と通信霊は告げていますから、第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の回答は、「これまでよりもさらに深奥にあるもの」を示唆しているのであり、わたしが「探究すべきもの」であると思われました。

第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信における通信霊の、魂・脳・意識・心、の関係性についての難解な諸回答をまとめると次のA~Dのようになります。

A 「脳」「意識」を生み出していない。

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。したがって、「魂」は、中心(核)となる意識体と、その表層を構成する前世の者たちとの「二層構造」となっている。

C 「魂表層」の前世の者たちによって生み出された「意識」は、肉体を包み込んでいる「霊体」に宿っている。霊体はオーラとも呼ばれる。

D 「魂表層」の前世の者たちは、互いにつながりを持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる。つまり、前世の者たちは、死後も「魂表層」で相互に交流を営んでいる。加えて、魂の表層には、「現世のわたし」の人格を担う者が位置付いている。

こうした霊信内容は、わたしの問題意識に対して大きな示唆を与えるものとなりました。
後にこれら霊信内容を作業仮説にしてSAM前世療法を創始することになりました。  

 

3 M子セッションとの出会い(2007年1月


 

こうした霊信を受け取っている最中の2007年1月27日、わたしは、霊信受信者M子さんの自動書記による霊信現象の真偽と、M子さんとわたしの前世での関係性を探るためのセッションをわたしのほうからお願いしました。

当時M子さんは26歳の派遣社員でした。

 

以下はM子さんとのセッションの逐語録の抜粋です。
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M子:(毅然とした別人口調で)今はその必要はありません。

注:この別人口調の話者はM子さんの守護霊だと思われる。
 

稲垣:どうしたらいいでしょう? 
わたしにできることは、仕事としては「そのもの」を癒すということが必要ではありませんか?

M子:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。
だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。だが、その傷は癒され始めている。それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。

稲垣:そうですか。

M子:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。

稲垣:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。
M子さんに代弁してもらえますか? その幼子の言葉を。
M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。

注:このあとM子さんの過去世である幼子の口調に変わって話す。                 

M子:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。

稲垣:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?

M子:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
でも、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。

注:この幼子「ぼく」は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の一つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に成立するSAM前世療法の前駆的現象である。

稲垣:分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。だから、あなたはそんなに悲しまないでください。

M子:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。

稲垣:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。

M子:うん。

稲垣:あなたは片腕をなくしていますか?

M子:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。

稲垣:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。
わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?
 

注:この後、幼子が大人の男性的口調になり、霊的存在が憑依したと思われる。    

M子:紀元前600年。

稲垣:どこのお国でしょう?

M子:・・・プ、プティアドレス。

稲垣:それは地球上にあった国ですか? ほかの惑星ですか?

M子:それは地球にあり、前後の違いにより、今は別の地名として伝えられている。

稲垣:日本ではないようですね。中近東とかヨーロッパですか?

M子:違う。

稲垣:中南米とか南米でしょうか?

M子:南米に近いが・・・パレンケ・・・パレンケ・・・。

注:パレンケ (Palenque) は、メキシコに現存するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。                              ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構(ウィキペディアの記事より)。                      わたしの前世の一つとして、古代都市パレンケの孤児院の教師をしていた、ということらしい。                                       うがった見方をすれば、わたしあて霊信の受信者M子さんは、当然のことながら霊信の告げた魂の仕組みについて知っているので、それに合わせて、彼女の前世であるマヤのパレンケの片腕のない少年の話を、無意識的に創作して語ったという解釈も可能であろう。     

しかし、彼女が、パレンケ遺跡について知っていた可能性は、ほぼ棄却できる。     したがって、わたしはM子さんの創作説を採らない立場であるが、残念ながらこのパレンケの片腕のない少年および、教師であったわたしの存在の真偽を検証することは不可能である。ちなみに、当時26歳であったM子さんとは、2007年1月27日のセッションで会ったのが最初で最後で、その後メールのやりとりが断続的に続いたが、2008年以後2023年の現在まで、彼女のメール連絡先も携帯電話先も不通になり、完全に連絡手段は途絶えたままである。手を尽くしてみたが、彼女の居場所、状況などの消息も一切不明となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、このM子さんのセッションで注目すべきは、M子さんの前世として現れた少年の存在です。

「このお姉ちゃん(注:M子さんのこと)は、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね」

と語っている片腕のない少年「ぼく」の語りです。
少年「ぼく」は、この「お姉ちゃん(M子さん)」じゃない別人格ではあるけれど、稲垣と会話できるのはM子さんだけだ、そして、少年「ぼく」はずっとM子さんとずっと一緒にいる、と語っています。
 

この語りだけに注目すると意味不明ですが、このセッションの直前の霊信が告げていること、すなわち前掲の第12霊信、第13霊信、第14霊信、第15霊信、第17霊信の告げた内容のうち

B 「意識」を 生み出しているものは、「魂の表層」を構成している前世の者たちである。つまり、前世の者たちは「魂の表層」に存在している。

と照合して意訳してみると、 少年「ぼく」は、死後もM子さんの魂の表層で、M子さんとともにずっと存在しており、「ぼく」は、彼女の魂の表層から顕現化した前世の人格なのだ。 だから、「ぼく」自身は、現世のM子さんではない。彼女の魂表層に存在している前世の「ぼく」は、彼女の肉体を借りて顕現化でき、稲垣とお話できるということになります。

M子さんが、自分の前世である古代都市パレンケの片腕のない少年「ぼく」であった「記憶」を語っているのではなく、まさしく前世人格である少年「ぼく自身」が顕現化し、M子さんの口を借りて、自分の思いを語っていると受け取らざるをえないのです。                                そして、26歳の
M子さんの口調は、少年そのものでした。

2005年当時「タエの事例」において、里沙さんが自分の前世であった「タエの記憶 」を想起して語っているのではなく、「タエという前世人格自身」が里沙さんの口を借りて、自分の思いを語っている、と受け取ることがごく自然であるという直感は、この少年「ぼく」の語りによって、はっきり裏付けられたと思われました。                             

のちにこうした現象を「自己内憑依」と名付けています。               

つまり、魂表層の前世人格の顕現化とは、「生まれ変わりである現世の者の肉体に憑依して自己表現している」ということに他ならないということです。

 

このM子さんのセッションの4日前、2007年1月23日の第11霊信で告げられた

「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」

という予言は、「クライアントが前世の記憶を想起する」という一般の前世療法の前提とはまったく異なり、「クライアントの肉体を借りて顕現化した前世人格自身が対話する」という前提でおこなう、わたしにしかできない独自・固有の前世療法の創始を意味しているのだ、と思わざるえない事態が起きたのです。

こうして、これまでの前世療法とまったく前提を異にした、「魂の表層を構成している前世人格自身を呼び出し対話する」という作業仮説による新たな方法論と技法による前世療法を構築する試行錯誤が、その後2007年春から1年間にわたって続きました。
 

やがて、2008年春には、クライアントを「魂状態の自覚」へと誘導する世界に類のない新たな催眠誘導技法によって、魂の表層に存在している前世人格を呼び出すことが、9割の確立で成功することが可能であることが明らかとなりました。

この前代未聞の作業仮説による前世療法を、従来の「前世の記憶を想起する」という前世療法とは明確に識別するために、また、この前世療法が霊的であるがための誤解・偏見によって歪められ誤った形で流布されることを防ぐためにも、2008年春に「SAM前世療法」と命名し、商法登録をすることにしました。
 

SAM」とは、Soul Approach Methodの略です。
つまり、魂の状態にアプローチする方法による前世療法という意味を込めた命名です。


4 「ラタラジューの事例」との出会い(2009年5月)


そして、前世人格を呼び出し対話するというSAM前世療法の仮説を、自信をもって掲げることができた事例こそが、翌2009年5月におこなった応答型真性異言の実験セッション「ラタラジュー の事例」でした。

「ラタラジューの事例」は、SAM前世療法独自の誘導技法にしたがって被験者里沙さんを魂状態の自覚まで誘導し、魂の表層から顕現化した前世の人格です。

顕現化した前世人格のラタラジューは、ネパール人の対話相手のカルパナさんと応答的に真性異言であるネパール語で25分間対話しています。

被験者里沙さんが、ネパール語を学んでいないことは、ポリグラフ検査の鑑定によって明らかになっているので(後述) 、ネパール語で対話したラタラジュー人格は明らかに里沙さんとは別人格である前世人格です。

しかも、ラタラジュー人格は、現代 ネパール語ではほぼ死語となっている「swasni、スワシニ(妻)」、「ath・satori、アト・サトリ、8と70(78)」といった古いネパール語単語や古い数の数え方を用いて対話をしています。

また、ネパール語の文法では、主語の人称に対応して「です」に当たる助動詞が、一人称では「hu(フ)」、二人称では「hunuhuncha(フヌフンチャ)」、三人称では「ho()」のように変化しますが、ラタラジューはこれを正しく使い分けて会話しています。                                             

さらに、ラタラジューという名前は、ネパールでは一昔前には使われていたそうですが、現在ではほとんど使われていない人名だということです。         

 

ちなみに、里沙さんがネパール語を学んでいたのかどうかの有無を、「日本法科学鑑定センター」の荒砂正名氏(元大阪府警科学捜査研究所長)に依頼し、2時間半にわたるポリグラフ検査を実施しました。                        

その結果、彼女がネパール語を学んだ記憶の形跡は一切ない、という鑑定書の発行を得ています。

 

そして、里沙さんが、小・中・大学・近隣で、ネパール人との交際や接触が一切ないことも、綿密な聞き取り調査によって確認しています。

こうして、ネパール語を里沙さんが秘かに学んでいた形跡は一切ないのです。

 

 さらに、ラタラジューは対話相手のネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と問いかけ、そうです、という返事に対して、「お、お、・・・」と喜びを表明し、明らかに現在進行形の対話をしています。              

 

これは、ラタラジュー人格が、ただいま、ここに、被験者里沙さんの肉体を借りて憑依し、自己表現している、としか解釈できないのではないでしょうか。

前世人格ラタラジューは、次のような、現在進行形のきわめて象徴的な対話をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

:KAはネパー人対話者カルパナさん


里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、顕現化している、としか考えられない現象です。

この現象は「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することが自然な解釈ではないでしょうか。
 

つまり、ネパール語で応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、別人格であるラタラジュー人格そのものとしか解釈できないということです。

換言すれば、 前世人格ラタラジューが、里沙さんに「自己内憑依」しているということです。
 

自分の魂の内部に存在している前世人格が、自分に憑依して語る、などという憑依現象はこれまで知られていません。
そこで、SAM前世療法では、前世人格の顕現化という憑依現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしています。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、魂の表層には前世のものたちが、今も、意識体として存在している、というSAM前世療法独自の作業仮説が正しい可能性を示している証拠であると考えています。

ちなみに、応答型真性異言の研究をおこなったイアン・スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」について、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンについて次のように述べています。

「私自身はこの被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている」
(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳 『前世の言葉を話す人々』春秋社1995、P.9)

ドイツ語を話す人格をどのように位置づけるか・・・
(前掲書P.10)

 「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出だそうと試みた」
(前掲書P.11)

応答型真性異言で対話したグレートヒェンを、被験者の「前世の記憶」として話したのではなく、「前世の人格」グレートヒェンとして顕現化したのだ、と判断しています。
ただし、イアン・スティーヴンソンは、そうした前世の人格が、どこから顕現化しているかについては一切言及していません。

 

「グレートヒェンの事例」の前世療法臨床に立ち会ったスティーヴンソンが、グレートヒェンの語りを被験者の前世の記憶ではなく、トランス人格であるグレートヒェン自身の顕現化であるととらえていることに、わたしが勇気づけられたことは言うまでもありません。                          ちなみに「トランス人格」とは、催眠中に現れた別人格の意味です。

以上縷々述べてきた5年間の経緯によって、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を掲げるに至ったというわけです。

「心搬体(サイコフォア)と「魂」について


SAM前世療法では、「前世の人格そのものを呼び出し対話する」という仮説に基づいてセッションを遂行します。

したがって、肉体の死後も無に帰することなく存続し、生前の人格・個性・記憶など心的要素を来世へと運搬する意識体の存在を前提としています。
 

生まれ変わりには、志向性がなく無目的で偶発的に起こるものではない、とすれば、なんらかの志向性を帯びて死後存続する意識体の存在を想定しないと、生まれ変わりを繰り返すという現象の説明が完結できません。

そして、なんらかの目的性・志向性を帯びて、生前の心的要素を運搬し死後も存続し続ける意識体を、SAM催眠学では「」と呼ぶことにしています。
 

同様に、イアン、スティーヴンソンも「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフォア)』と呼ぶことにしたらどうかと思う」と提案しています。(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.359)

ただし、スティーヴンソンのいう心搬体(笠原敏雄氏の訳語)は、生まれ変わりを繰り返したすべての諸前世の、心的要素によって構成されている、とは述べていません。
また、心搬体になんらかの志向性や目的性のあることにも触れてはいません。

スティーヴンソンは、「私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているかはまったく知らないけれども、肉体ない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化していくのではないかと思う」
(前掲書P.359)と述べているだけです。
そして、心搬体は変化していくのではないかと思うとその変化の可能性に言及していますが、心搬体の変化になんらかの志向性や目的性のあることには触れてはいません。

こうして、スティーヴンソンのいう心搬体は、なんらかの構成要素によって成り立ち、変化していく可能性のある意識体であることが含意されていると推測できるでしょう。

心搬体とは、いわゆる(肉体に宿って精神作用をつかさどるもの)の言い換えでしょうが、「魂」という用語につきまとう宗教臭を払拭するために、科学的中立性の意味を強調した新しい造語の「心搬体」という用語をあえて提案していると思われます。
 

したがって、心搬体の変化に関わるなんらかの志向性や目的性に触れることは、宗教臭を与えるおそれがあり、彼はそれに触れることをあえて自制しているのだと推測しています。

スティーヴンソンの生まれ変わり研究の論述は、緻密かつ慎重で抑制的です。  したがって、いわゆる学問的禁欲が働いていると思われます。            

 

しかし、あえて言うなら彼には、霊信現象による魂と生まれ変わりについての開示を受けた体験がなかったからではないかとも推測しています。

 

これに対し、SAM催眠学の「魂」は、なんらかの目的性・志向性を持った中心(核)となる意識体と、その中心(核)となる意識体の表層を、生まれ変わりをしてきた諸人格によって構成された二層構造になっていると定義しています。

この魂の「二層構造仮説」を単純化した立体モデルにたとえると、魂はミラーボールのようなものになります。
中心となる球体(中心(核)となる意識体)と、その表面に貼り付いている1枚1枚の鏡の断片(生まれ変わりをしてきた前世の諸人格)から、魂は構成されているというわけです。

この「魂の二層構造仮説」は、わたしあて霊信の告げてきたそのままの内容を作業仮説に採用し、その仮説の検証をおこなってきたSAM前世療法によって確認された「意識現象の事実」の累積をもとに提唱しているものです。

なお、 SAM催眠学の定義している「魂」にも、宗教的意味合いは一切ありません。

一般におこなわれている前世療法は、クライアントのどこか(脳内?)に保存されていると思われる「前世の記憶」をイメージとして想起するという前提でセッションをおこないます。

それでは、SAM前世療法で扱う対象が、「前世の人格」でなければならない合理的理由はどこにあるのでしょうか。
 

わたしの主張している、「前世人格」を顕現化させて対話する、という仮説は、けっして奇を衒っているわけではありません。
こうした仮説にたどりつく必然性の経緯があったということです。

なぜ、「前世の記憶」では不都合なのでしょうか。
このことは、SAM催眠学における中核的かつ本質的で重要な問題です。

わたしが、SAM前世療法おいては前世の人格と対話する、という明確な見解と仮説を持つに至った2005年~2009年の5年間に起きた経緯については述べてきたとおりです。

 

6 生まれ変わりの志向性についての考察

 

こうして、セッションであらわれた「意識現象の事実」の15年間の累積から、わたしが、魂と生まれ変わりの実在を認める立場を主張している理由は、

それら「意識現象の事実」を、魂の存在や生まれ変わりの証拠として認めることが直感に著しく反していないからであり、

魂と生まれ変わりを事実として認めることが、不合理な結論に帰着しないからであり、

前世人格の顕現化という霊的現象(とりわけ応答型真性異言現象)が、唯物論によってどうしても説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊信の告げた魂の二層構造を前提として導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識をどんどん遡行していくと、「意識現象の事実」として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
 

この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることが、クライアントの「意識現象の事実」として明らかになっています。

ラ タラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが応答型真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を 回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの「意識現象の事実」に対して、何としても唯物論的解釈でおさめようとこだわることは、現行科学の知の枠組みに固執した不毛な営み だ、とわたしには思われるのです。

魂状態の自覚、そこであらわれる前世人格の顕現化という「意識現象の事実」に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、霊的意識現象の探究を実りあるものにしていくと思っています。
 

そして、クライアントの示す「意識現象の諸事実」は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
 

魂と生まれ変わりの実在を認めることを非科学的だと回避する立場で、あるいは魂や霊的現象はすべて妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。

わたしの主張する「魂」の存在を想定せずに、「臨死体験」や「前世の記憶」を説明しようとする理論に量子論を援用した理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されている「量子脳理論」があります。

 「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。                            そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」
 
という主張(仮説)が「量子脳理論」による「臨死体験」と「生まれ変わり」の説明です。

イアン・スティーヴンソンの後を継いだバージニア大学のジム・タッカーも、量子脳理論に同調していると思われ、スティ-ヴンソンの提案している、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する心搬体という媒体を想定する」という生まれ変わりの説明概念を放棄しているようで、次のように述べているようです。

量子論の創始者であるマックス・プランクなど、一流の科学者は物質よりも意識が基本的であると語りました。                               つまり、意識は脳が生み出したのではないのです。                  脳や肉体の死後も意識は生き残り続けます。意識は量子レベルのエネルギーです。    ですから、意識は前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くのです」

 ジム・タッカーが、イアン・スティーヴンソンの提唱している生まれ変わりの説明概念である、「心搬体」という媒体の存在をなぜ考慮せず、なぜこのような量子論による考え方に至ったのかの合理的根拠も、理由も不明です。
 

「心搬体」のような霊的媒体を想定した説明より、最新物理学の量子論による唯物論的説明のほうが、科学的で説得力があるのだと考えているのでしょうか。
あるいは、「心搬体」も意識体として、次の肉体に宿るまでの間、量子レベルのエネルギーの形でどこかに存在していると考えているのでしょうか。
 

そもそも、「意識」がどこで生まれるかが分かっていない現時点で、「意識は量子レベルのエネルギー」だとなぜ断定的に言えるのでしょうか。

ハメロフやタッカーの言う「意識」とは記憶であり「情報」です。
応答型真性異言の応答的会話は、「情報」には還元できない暗黙知である「技能」です。

「意識・情報」の伝達は量子論で説明できても、「技能」の伝達が量子論で説明できるとは思われません。
 

したがって、会話技能の発揮である「応答型真性異言」現象は「量子脳理論」では説明できません。
 

言語に置き替え可能な「記憶情報」と、言語に置き換え不可能な暗黙知である「技能」との決定的に重要な相違を無視したかなり粗雑な考え方が、「量子脳理論」だと言うほかありません。

この事実を前にすれば、「量子脳理論」による生まれ変わりの説明が破綻していることはすでに明らかです。
 

わたしに言わせれば、現時点で「量子脳」の実在が実証されているわけではなく、量子脳という唯物論的観念論による検証不能な「説」の域を出るものではないと思っています。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識が、偶然に現世の誰かの肉体(脳)と結び付くことを「生まれ変わり」だと言うのであれば、霊信が告げ、これまでに模式図で提示した「死後も存続する魂が、ある目的・志向のもとに新しい肉体に宿る」ことを「魂の転生」と呼び、生前は現世人格であった者が肉体の死後は前世人格となり、新たな現世人格が魂表層に位置付くことを「生まれ変わり」と呼ぶとする、SAM前世療法の作業仮説に則れば、量子脳理論を受け入れることはできません。

意識は量子レベルのエネルギーであり前世の記憶を保ったまま、次の人の脳に貼り付くということが事実であれば、それは、「たまたま脳に貼り付いている誰かの前世記憶が蘇っただけの現象」というべきでしょう。
 

魂の存在を排除し、生まれ変わることに目的性や志向性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとすることを、SAM前世療法セッションで確認してきた「意識現象の事実」から、認めることはできません。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおける「意識現象の事実」として確認してきた、何らかの目的性・志向性を帯びて死後存続する魂が、その器である肉体の死後、次の新しい肉体に宿り、転生を繰り返している、という事実に反するからです。
 

また、わたしあて霊信の告げている転生する魂の仕組みに反しています。

魂表層から呼び出し、科学的検証を経ている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」という「意識現象の事実」が、このことを実証しています。

宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的に、たまたま、誰でもよかった誰かの脳に貼り付き宿ること、この偶然の繰り返しが「生まれ変わり」であるとするなら、「生まれ変わり」は、無意味な、単なる偶然の産物であり、その繰り返しには、もともと意味や志向性など全くないということになります。

魂、ないし心搬体の存在を否定し、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、誰かの脳に貼り付き宿ることを生まれ変わりだとすれば、たとえば、現世の里沙さんにとって、もはや「ラタラジュー」も「タエ」も、何らかの目的・志向を帯びた魂が宿っていた人格とはいえず、現世の彼女とは一切のつながりのない、まったく無関係・無縁の死者である、タエやラタラジューの意識が、たまたま、偶然に、里沙さんの脳に貼り付いているだけだ、ということになります。

したがって、タエやラタラジューにも、何らかの目的・志向を帯びて死後存続する同じ魂が宿り、その同じ魂が現世では里沙さんに宿って転生していると、もはや言うことはできません。

「前世の記憶」と言う場合においても、「現世に生まれ変わっている私とは無縁ではなく、つながっているはずの前世であったときの記憶」という含意があるはずですが、タッカーの説いている脳に偶然貼り付いた前世の記憶(量子)では、「何らかの目的・志向のもとに生まれ変わった現世のわたしが、前世の人生を生きていたときの記憶」とは、呼べないことになります。

ただし、付言しておきますと、生まれ変わりの研究者の間でも合意されている「生まれ変わり」の明確な定義があるわけではありません。

SAM催眠学の「転生」と「生まれ変わり」を区別する定義は、「魂の二層構造仮説」から必然的に導き出されてきた「創出的定義」creative definition であり、これまでになかった定義です。
辞書的定義によれば、「転生」と「生まれ変わり」の意味の区別がなく、両者は同義語となっています。

SAM催眠学では、二層構造の魂全体が、その器であった生前の肉体の死後、何らかの目的・志向のもとに、新たな別の肉体(器)へと宿り替えすることを「魂の転生」と定義しています。

そして、魂の転生にともなって、魂の表層を構成していた「生前の現世の人格A」は、肉体の死後「前世の人格A」となって魂表層に位置付き、「現世を生きる肉体を持つ別人格B」が、魂表層の構成要素として新たに位置付くことを、「前世のAが現世のBへと生まれ変わる」と定義しています。

新しい理論(仮説)を構築すれば、それにともなって、これまでになかった新しい概念を意味する用語が必要になるのは当然のことです。
 

SAM催眠学で用いている、「魂の二層構造」や「自己内憑依」や「魂遡行催眠」などの用語が、それらの一つひとつです。

また、魂の転生と、それにともなって「前世の人格」が「現世の人格」へと生まれ変わるのは、惰性や偶然によるものではなく、魂が成長・進化するための目的性、志向性を帯びておこなわれている、これがSAM前世療法がこれまで確認してきた「意識現象の事実」です。

 

おわりに
 

このブログを開始してからの国内・国外の累積アクセス数は、現在31万回を超えています。
けっして読みやすい内容ではないにもかかわらず、これまでお読みくださった読者のみなさんに感謝いたします。
 

縷々述べてきましたが、「SAM前世療法」の誕生と、そのセッションの累積による「SAM催眠学」は、里沙さん・M子さん、霊信を告げたわたしの守護霊と守護霊団の諸霊、そして、イアン・スティーヴンソン博士の著書、恩師成瀬悟策医学博士のご著書とご指導、恩師上越教育大学教授杵淵俊夫教育学博士のご指導、拙著『前世療法の探究』の編集者鷲尾徹太氏の的確なご校閲などの諸恩恵なしには、展開できることがけっしてありえなかったことに深く感謝いたします。

また、濃尾平野の田舎町岐阜県可児市に在って、出版のような手間のかかる紙媒体によらず、わたしの主張をこうして一気に世界中に発信でき、読んでいただける、インターネット社会に生まれた恩恵にも感謝せずにはいられません。



2023年3月23日木曜日

「意識」は「脳」の随伴現象なのか?

SAM催眠学序説 その160

 

「心・脳二元論」とは、心(意識)と脳とは密接な関係があるが本来別物で、脳が心を生み出してはいない、心は脳の随伴現象ではない、という仮説です。

この「心・脳二元論」の最大の弱点は、それでは意識はどこで生まれ、どこに存在しているのかが不明なことです。                              

また、一般に信じられている「心・脳一元論」おいても、脳が心を生み出しているメカニズムはいまだに不明のままなのです。                         

にもかかわらず、われわれは意識を持っていることを自明のことだと了解しています。  意識を持っていることを自明のことだと了解しているにもかかわらず、その意識がどこでどのように生み出されているかが不明だという事態は、考えてみれば実に奇妙なことだとわたしには思えてなりません。

心(意識)は、計量化もできず、可視化もできない、おそらくは非物質的対象ですから、実験・観察を手段とする現行の科学的手法で探究しようにも、なんとも手に負えないものです。
                                          そこで、心(意識)の探究を進めるためには、わたしあて霊信が告知している魂・意識・霊体などの内容を「作業仮説」として手がかりにするほかないだろうというのが、わたしの当面とらざるをえなかった立場です。

「作業仮説」とは、その仮説の科学的実証はいまだできないけれども、探究を進める作業のために設ける暫定的な仮説です。
フロイトにおける「イド」とか「超自我」などの心の構造を想定した無意識論、ユングの「老賢人」、「太母」などの元型論は、意識現象の研究を進めるための作業仮説です。

そして、わたしは、SAM前世療法の「魂遡行催眠」という特殊技法を編み出すために、意識は脳にあるのではなく霊体にある、というわたしあて霊信の告げた内容を作業仮説として採用しています。

わたしの守護霊団を名乗る通信霊は、「あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい」とわたしに告げてきたのです。
 
  ここで、わたしが探究の手がかりにした、わたしあて霊信(注:SAM催眠学序説その47~72で公開)が告げている、魂の仕組みと霊体の関係について、要点を抜き出してみます。

「霊体仮説」をはじめ、「心・脳の二元論仮説」「魂の二層構造仮説」の原点は、それら霊信内容の真偽の検証から始まったからです。

わたしあての第11霊信は次のように告げてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在しているからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである
それは、命あるものすべてにつながり、私たち(注:高級霊)へも強いつながりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある
あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい。(中略) 
そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたは、今度その療法に関わるがそれだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。(中略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうして私の通信霊への16の疑問の回答として、第12霊信で次のように告げています。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前世療法で顕現化されるのは魂ではなく、魂の側面である。
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。
その表層部分が傷を持つのである。

その表層部分は、これまで転生してきた者たちにより構成されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしの通信霊への疑問の回答として、第13霊信で次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
顕在意識・潜在意識は、脳が生み出しているものではない。
すべては、魂の側面(注:「側面」を「表層」とも表現している)である者たち(注:これまでに転生してきた者たち)が作り出しているものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さらに第14霊信では、わたしの通信霊への疑問の回答として次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
霊体はあなたがたという魂の側面に属するものであり、心も同様である。
その違いは、霊体は魂にその存在をゆだねているが、心はゆだねていないものである。
心は、心という存在なのだ。
だが、魂に属するものである。
魂にとって、心は道具なのだと考えなさい。
霊体とは魂ではない。
それは、あるときは、オーラ と呼ばれもする
そのものを体を包むものである。
私(注:第7霊信で守護霊団の一員として「私はエドガー・ケイシーである」と名乗っている)が過去にリーディングした中で、アストラル体という表現を用いて説明したものである。
それは魂ではなく、それに属するものであり、肉体を保護する役割を担うものでもある。
霊体自体は、単体で動くことはできない。
それは魂とともに存在するものである。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。

死後、霊体は魂から離れる。
だが、それらの意識は魂に取り込まれる。
そして、魂のものとなるのだ。
霊体は、ある意味においてはあなたがたが「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。
心が個人的意識をつくるのではない。
霊体が持つのだ。(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 また、第15霊信では次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生と死の過程は日々おこなわれるものである。
今日という日がはじまり、あなたがたはその先へと進んでいく。
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともににあなたの魂から生まれた多くの者が存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。
それらの者の協力を求めるのだ。
友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。
あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、第10・17霊信では次のように告げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魂という存在を理解しなさい。
あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。
あなたという存在も、側面の者であり、すべての側面の者は友であると理解しなさい。
魂は、すべての側面の者がつながりを持ち、友愛を築き与え合うことを望んでいるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

抜き書きした上記霊信告げている魂の仕組みと意識、意識と霊体の関係を要約すれば次のようになります。

①脳が意識を生み出してはいない。

②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。 

③魂表層の前世の者たちが生み出している意識は霊体(オーラ)に宿っている。

④「現世のわたし」の人格も、魂表層を構成している一つである。

⑤霊体は、現世のわたしが、わたしという意識を持つための役割を担っている。

⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。

⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。

⑧魂表層を構成してる前世の者たちはつながりを持ち、友愛を築き、与え合う関係にある。

以上8点が、SAM前世療法の作業仮説の骨格となっています。

そして、「意識は霊体に宿っている」とした仮説に基づけば、次のような現象の説明が成功するのではないかと思っています。

①SAM前世療法の特殊技法である「魂遡行催眠」は、霊体に宿る潜在意識を肉体の任意の部分に担わせ、その繰り返しの動作によって魂状態まで遡行させるという技法である。     意識・潜在意識が脳にあるとしたら、このような技法が成り立つとは考えにくいのではないか。 
何よりも、この技法により、被験者里沙さんを「魂状態の意識」にまで遡行させ、魂表層を構成している前世人格であるラタラジューの顕現化に成功している。          ラタラジュー人格は、ネパール語で会話し応答型真性異言を示したが、同様の手続きを踏めば被験者の90%以上の確率で前世人格の顕現化に成功している。           こうした意識現象の事実は、霊体仮説を支持している。

②心臓移植をした場合、移植を受けた人にドナーの意識(記憶・癖・好みなど)が現れるという現象は、移植する心臓を取り囲んでいる霊体も同時に移植されることになり、移植先の人の霊体にドナーの霊体も接合すると解すれば、ドナーの意識や記憶の一部が移植を受けた人に現れることは説明可能ではないか。

③体外離脱した人が、離脱中に見聞した記憶を報告することが説明できるのではないか。 つまり、魂とともに霊体も離脱するので、魂が見聞し記憶している意識を霊体が持つからだと説明できるのではないか。
臨死体験研究者キュブラー・ロスの報告によれば、全盲の人が体外離脱中に部屋にいる人の服の色・形を正しく報告したと述べている。                           ということは、魂は、肉体の全盲という障害とは関係なく五感を感知する能力を持っていることになるのではないか。

④統合失調症の典型的症状に幻聴(自分ではない者の声が聞こえるという訴え)は、患者の霊体に未浄化霊が侵入した(憑霊した)と考えれば、幻聴現象のすべてといえないまでも、侵入した未浄化霊の意識が幻聴を起こしていると解することができるのではないか。
実際に浄霊作業によって統合失調症を治療した記録(米精神科医ウィックランド『迷える霊との対話』)がある。                               また、わたしも未浄化霊の浄霊作業によって統合失調症の19歳男子大学生の症状改善に成功している。

⑤幻肢という意識現象がある。
手足を切断しているにもかかわらず、ないはずの手足の痛みなどをあるごとく感じる現象である。
これは手足の霊体が何かの理由で切断後もそのまま残存して、切断時の痛みの意識を訴えているという説明が可能ではないか。

⑥SAM前世療法のセッション中に顕現化する未浄化霊に、何を目安にどこに憑依するのかを尋ねると、被憑依者のオーラに宿る意識を感知して憑依すると答えている。            つまり、被憑依者が、未浄化霊に対して共感や受容する意識を宿しているオーラ(霊体)を感知してオーラ(霊体)に侵入する(憑依する)ということらしい。                         

⑦オーラ(霊体)と肉体とは何らかの共通の要素があり、相互に影響を及ぼしあっていると考えられる。                                   なぜなら、オーラ(霊体)の見える人には、肉体の傷んでいる箇所の周辺のオーラの色は黒ずんで見えるし、オーラが澄んで美しい人の肉体は健康だと判るという。

これらの諸現象の科学的実証はできませんが、「意識は霊体に宿っている」、という仮説を採用すれば、「意識現象の事実」として現れている未解明な事実を説明することに成功するのではないかと思います。
わたしの真理観は、とりあえず「説明の成功」を真理だとみなすプラグマティズムによっています。

それにしても、なかなか採用されにくい仮説ではあります。
しかし、SAM前世療法の実践によって検証・確認されてきた「意識現象の事実」は、霊体仮説および、その他の仮説の成立をすべて支持しています。

このことは、わたしあて霊信の教示した内容が、受信者M子さんの妄想による作文ではないことを証明していると理解できます。 

このことについて、通信霊は第12霊信の末尾で次のように告げています。

「私は、あなたの祖父の守護霊とつながりを持つものであり、あなた方の世界で表現すると遠い昔、転生を終えたものである」

 「これは私(注:通信霊)からの霊信であり、M子(注:当時26歳の霊信受信者) の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では、答えられないものである。あなたに必要なのは、信仰である。信仰がなければ信頼は存在しない。信仰を築きなさい。信仰は自発性を持つ。だが、信頼はそこから生じるものである。その対象が何であれ、本質的にそうなのだと理解しなさい」 

そしてまた、前述第11霊信で、「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたは、今度その療法に関わる」と予言した前世療法こそ、この予言の1年後2008年に創始できた「SAM前世療法」であり、その成果として、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が2009年にあらわれたのです。

紹介した霊信現象をはじめ、アンビリバボーでTV放映された「タエの事例」、応答型真性異言「ラタラジューの事例」などは、現行唯物論とは真っ向から対立しています。

しかし、かつては唯物論側に与していたわたしは、いかに唯物論と対立しようとも、自ら体験してきたこうした不思議な諸現象の検証結果を前に、それを事実だと認めることに躊躇しなくなっています。                                 とは言え、わたしは唯物論を全否定しているわけではありません。           わたしは、これまでに唯物論医学による大きな恩恵を受けてきている事実があるからです。
ただし、唯物論では説明できない精神的な霊的領域が、確かに存在することを認めるべきだと思います。

これまで唯物論側からの観念論をはじめとする様々な反論を受けていましたが、SAM前世療法で確認できた意識現象の諸事実を、唯物論では説明・論破することができないからです。

そして、わたし以外に、わたしの主張しているような「心・脳二元論」を仮説としておこなっている前世療法士は、世界中探しても誰もいないはずです。

ノーベル賞を受賞している大脳生理学者として、W・ペンフィールド、R・スペリー、J・エックルズが「心・脳二元論」を唱えていますし、催眠学者の成瀬悟策医学博士も晩年になって唱えています

それ以外に、わたしの知るかぎりでは、米国の催眠療法家L・M ・ルクロンが、潜在意識から情報を探る技法として、観念運動による「指による方法」(「催眠のすべて」講談社現代新書、PP.62-72)という技法を紹介しています。
ただし、ルクロンはこの技法の理論的裏付けについては何も述べていません。
質問の回答を、潜在意識による観念運動として指に起こさせるという解釈をしているようです。  

縷々述べてきましたが、一般に信じられている言説、つまり、心(意識)は脳の随伴現象であり、脳の死滅とともに、心(意識)も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて無に帰するという言説である「心・脳一元論」は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証され、証明されたものではけっしてないのです。

 

2023年2月15日水曜日

ガイドの前世である魂の持ち主のセッション見聞録

SAM催眠学序説 その159 

 

ここに紹介するのは、夫・妻ともに最初の人生を送っているという魂の持ち主である40代ご夫婦の、SAM前世療法セッションに同席した夫の第三者の目から妻の様子を観察し、そのときの意識状況の聞き取りをおこなった貴重なセッション見聞録です。

夫君は、数年前にSAM前世療法のセッションを2度体験されており、今回は妻の付き添いということでおいでいただきました。

今回の主訴は、家庭内で起こるようになった奇妙な超常現象の解消でした。             こうした主訴は、これまでに数回扱った経験がありますが、いずれも奇妙な現象は未浄化霊(残留思念の集合体である意識体)の訴えによるものでした。

下記点線内に、ご夫君の見聞されたセッション見聞録を紹介します。             匿名条件で公開を許可するという了解をいただいています。

 なお、本文中の青文字部分と番号は、稲垣が後の説明のため付けたものです。

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先日は妻へのセッションありがとうございました。

おかげ様でセッション以降、我が家での不思議な現象はなくなっており、
ゆっくりと睡眠をとることができております。

さて、直近の先生のブログでは最初の人生を送る魂の持ち主の記事が2回出ておりました。
私共がお邪魔したのは22年12月17日でしたので、妻の事例を含め、立て続けに最初の人生を送っている魂の事例が出ていることを知りました。
また、これらの魂の持ち主はかなり少数であるとお聞きしております。

私も過去2回、先生のセッションを受けましたが、生まれ変わりがなく初めての人生を送る魂の持ち主だということですので、妻の事例を含め何か縁を感じているところです。

今回、妻のセッションに際し、私もセッション経験者であることから同席許可をいただきました。

そのことでセッションの様子を第三者としてみることができ、また妻からもセッション中の
意識状況を聞くことができました。

今回の私共の体験が何かのお役に立てればとの思いから、事の始まりからセッション内容までを以下に記しますので、ご一読いただければ幸いです。

今回セッションを受けるに至ったきっかけは、我が家で起こった不思議な現象からでした。

妻は、これらの諸現象(人形が勝手に倒れる、妻のLINEからメッセージが勝手に送信される、
私を撮った動画に光の玉(オーブ)が複数浮遊する現象が撮影される:昨年12月6日)が現れる
までは霊や前世についてはほとんど興味もなく、信じることもありませんでした。

反対に私は、私自身が過去幾度か遭遇した霊的な諸体験 から、稲垣先生のブログにある内容は、とても合点がいくことであり、同時に常に生き難さを感じていたことから、過去世があれば早死にしているのでは? と思い、セッションを受けるに至りました。         そこで私が初めて生まれた魂の持ち主であることがわかった次第です。

その後、妻と結婚し、妻には先生のことやこれらの私の体験の話はしておりましたが、彼女は全く興味を示しておりませんでした。                              

そんな中、前述の奇妙な諸現象が起こり、妻も体の不調もあったことから、不思議な現象の翌日、セッションを受けてみようかなと妻のほうから切り出してきました。

そして12月17日のセッションに至ります。
セッション当日、妻の催眠感受性は申し分なく先生の暗示に沿って体が動くことが確認できました。

その際、事前に気にしていた未浄化霊や生霊などの憑依はないように思うと先生に言われましたので、先生にはご経験や直感でお分かりなんだなと感じました(注1)

セッションが始まり、催眠の深さを測る段階で手の甲をつねっても痛みを感じないことの確認を私も体験させていただきました。                        妻の手の甲をつまんで強くつねってみても痛みの反応はありませんでした(注2)。

このとき私と先生が話している内容も私が手の甲をつねったことも妻は分かっていたようですが、痛覚はほとんどなく、鈍かったということです。

その後、指を上下させ、それが止まったら魂の状態にもどっているとの暗示で、指が上下運動を繰り返していましたが、しばらくすると指がゆっくり痙攣をおこすように止まったことが確認できました。                                  

その時の妻の意識状況は、意識はあるものの指の力が抜けていき、勝手に止まったということでした。                                    

魂状態の自覚に至っていることを確認し、魂状態の妻に対し先生からの「この者に前世人格はありますか?」との問いに指が動き出し、あるとの回答でした。
男性? 女性? その他? と問われ、なんとなく女性かなというようなはっきりしない回答でしたので、先生からはいくつか質問が続き、この前世人格は人間ではなく、また地球外の過去世でもなく、「ガイド(人間を体験していない守護霊)」であることがわかりました。                     

そして、ガイドと現世の妻、ガイドの前に過去世はなく、妻の魂は初めてガイドとして生まれ、現世で初めて人間(妻)として生まれ変わっているということでした。        そして、このガイドは現在も、妻の魂表層に存在し、妻を守護しているということでした。

また、はじめての魂の持ち主である私と妻との関係についても、計画されたものということでした。

最後に先生からガイドに対し、「この者に伝えたいことはありますか?」との問いには指が大きく横に振れ、無いとの意思表示は明確でした。                     先生からは指での返事の仕方(YES/NOの指の振り方)まで指示していないのに、今まで縦に振れていた指が横に振れるというのは、明らかに意思表現ですし、見ている私にも「無い」という意思がよく伝わってきました。

この時妻は、指が勝手に動き、今まで縦だったのにこの質問には横に大きく動いたことに驚き、笑ってしまいそうだったようです。

また、同時にお腹のほうから空気のような圧力がのど元まであがってきて、何かしゃべりそうになったようですが、話すことはありませんでした。

その代わり、涙が勝手にあふれてきたということで、妻は泣いておりました
悲しいのではなく、「よかった」という感情があふれ、涙がでてきたということです(注3)

その後、先生が席を外され、守護霊との対話の時間が設けられ、私はカウチに横たわる妻を薄明りの中で見ておりましたが、特段なにも起こりませんでした。
しかし後で妻に確認したところ、カウチの横にある、先生の座っていた椅子がきしむ音が2回ほど聞こえ、誰かが隣に座ったように感じた(注4)そうです。                   ただし、わたしには音は聞こえませんでした。

今回、セッションを受けるまで私には不安がありました。               

まず、妻のように霊的なものを信じず、興味のない状態から深い催眠に入れるものかということ、また彼女としても今まで自身の全く理解の及ばない世界にいきなり入るわけですから、何かとんでもないものが出てくるのではと、かなり不安にしておりました。                           

そんな状況でしたが、セッション前の先生からのお話(魂の仕組みやセッションの流れについて)と、自然体で起こることをありのままに受け入れてみるという心構えをお聞きし、スムーズに催眠に入っていくことができました。
また、それにより未浄化霊や生霊などの憑依も無いことがわかりました。

今回のセッション中、妻の意識状況は、先生の問いも普段の状態と変わらず聞こえ、理解
している反面、指の上下左右という反応やしゃべりだしそうになった際の感覚、「よかった」という感情など、自身の意思・意識とは異なる状況が勝手に起きた(注5)と言っております。

私たち夫婦は初めて人間としての現世を経験しております。

私はいろいろなものに興味を示す性格、妻はあっけらかんとした性格で、初めての魂である特性は共にあると感じます(注6)

いま思えば、今回の事の起こりからセッションまでは成長・気づきのための贈りものだと感じます。

二人とも生まれ変わりの初期段階で魂のしくみや霊的な世界の実在を体感できたことは今後の人生やその後についても何らかの気づきや糧となっていくものと感じております。

また、セッション後のヒーリングで、妻の肩こりと婦人科系へのヒーリング、私の腰へのヒーリングをいただきました(注7)。                           

これらはいまだ効果が続いており、私もせっかくの治療霊団の方々の恩恵がより続くようストレッチを継続して行なうようにしています。

最後になりますが、私共二人へのセッション並びにヒーリングいただきましたこと、
そして、それらを通じて今後の人生に大きな支えをいただけたこと、心から感謝申し上げます。

寒い時期が続きます、どうぞご自愛ください。

令和5年1月18日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

【注1~6についての説明】

(注1):クライアントに未浄化霊(残留思念の集合体)などが憑依していると、魂状態に遡行することを妨げることが分かっている。                                理解と救いを求めて憑依している存在なので、霊界へと上がるために浄霊を望んでセッション中に顕現化し、催眠の進行を妨げてくる。                              クライアントに霊媒体質があると未浄化霊と対話が可能である。            未浄化霊は、霊ではないが人格の属性を持っているので「見做し人格」として対話ができる。  

どうやら、わたしには浄霊能力が与えられたらしい。                     SAM前世療法を創始した初期のころに、クライアントに憑依した「神の使い」と称する高級霊が、「今日は神様のお使いであなたに浄霊の仕方を教えに来ました」と告げてきた。                           浄霊に用いる「道具」は、不動明王の真言と般若心経である。              浄霊ができると、魂状態への遡行が可能になるので、浄霊の成否の判断ができる。                   

 

(注2):「知覚催眠」の深度を確認するためにSAM前世療法独自の催眠尺度として採用している「痛覚麻痺」現象。                              古くから「催眠麻酔」と呼ばれている催眠現象である。                             「痛覚麻痺」が生じるまで20分程度の催眠誘導が必要である。      

痛覚は麻痺しても、つねられているという触覚は残ることが多い。           薬物麻酔において、メスで切り裂かれている触覚はあっても、痛みを感じることがないのと同様の現象である。                                痛覚麻痺が生じていれば、中程度以上の催眠深度であると判断できる。               なぜ催眠中の言語暗示によって、こうした無痛現象が起こるのか、現代医学でも不明である。                                       ただし、SAM前世療法の前提仮説である「心(意識)と脳の二元論」に立てば、了解可能である。                                                                            1930~1961の世界6研究のまとめでは、この深度に到達できる平均値は25%である。SAM前世療法の催眠誘導法では95%程度の到達率が見込める。            このあとさらに10分以上かけて催眠を深め、魂状態の自覚まで誘導していく。                       したがって、魂の自覚状態に至るまで約30分を要する。

 魂の自覚状態の深度は、「夢遊催眠」と同等かそれ以上の深い催眠状態だと考えている。         

 

(注3):涙を勝手に流している「主体」は、クライアントの肉体を借りて顕現化している前世の人格の意識であり、現世のクライアントの顕在意識ではない、という理解の仕方がSAM前世療法の「自己内憑依仮説」による解釈である。                  顕現化している肉体を持たない前世人格が、生まれ変わりである現世のクライアントの肉体を借りて(憑依して)、涙を流す現象だととらえることができる。          「タエの事例」「ラタラジューの事例」のセッション動画を視聴されたい。

 

(注4):誰も座っていない椅子のきしむ音の感知は、「ラップ音」と呼ばれる超常現象。 音が出てくるはずがない所から音が聞こえてくることを感知する現象である。              SAM前世療法のセッションで、守護霊との対話中にはよく起こる現象。                 霊的存在である守護霊が、自身の存在を知らしめるために起こす超常現象だと思われる。  ただし、第三者には感知できないようで、クライアント当事者だけが聞こえたと報告する。

 

(注5)「自身の意思・意識とは異なる状況が勝手に起きた」という感覚を引き起こしてる主体は、顕現化している前世人格であり、クライアントの顕在意識ではない。        上記(注3)と同様の、SAM前世療法において、魂の自覚状態になると起こる独特の意識現象である。


(注6):アラン・カルデックの、聖ルイを名乗る高級霊との交信記録『霊の書(霊媒の書)』によれば、魂の最初の状態は「無知・無垢である」と高級霊は答えている。    したがって、「無知」であるがゆえに多方面に興味をもつとすぐに行動に移す性格特性、「無垢」がゆえに純真で明朗闊達な性格特性をもつのが初めての人生である魂の特性だということ。

 

(注7):わたしの用いるヒーリングは「スピリットヒーリング」である。        2007年1月11日22:44着信の、わたしあて第1霊信で、「あなたが癒やしを起こすとき、多くの高級霊が治療霊としてあなたのもとに集まる」という予言に基づいてヒーリングをしているからである。                              ただし、わたしは、この予言があるまでヒーリングには全く関心がなく、無知であり、レイキやら気功などの訓練をしたことは一切ない。                        予言を検証しようと試してみたら、できたということである。                    治療エネルギーは、治療霊団から送られてくるものであり、わたしの肉体は、精妙な霊的エネルギーを、人の肉体に作用させるための変換機能(装置)として用いられているらしい。  したがって、スピリットヒーリング能力は、わたし自身の治療能力ではない。         そして、治療霊団にとって治療行為は、治療霊という霊の存在、ひいてはそれ以外の霊的存在をも広く知らしめる目的のための、手段だと言われている。

 

さて、主訴であった家庭内で起きていた超常現象については、「セッション以降、我が家での不思議な現象はなくなっており、ゆっくりと睡眠をとることができております」と報告されていますから、SAM前世療法セッションによって、1ヶ月経過後も不可解な霊的現象の解消が起きていることは認めてよいと思います。

また、その理由は、妻であるクライアントのガイドが顕現化したことにある、と考えることが妥当だと思われます。                                     クライアントである妻のガイドが、顕現化することを意図し、そのために霊的超常現象を起こし、わたしのもとでSAM前世療法のセッションを受けるように導いたというわけです。             魂表層に存在しているガイドの顕現化という目的が果たされた結果、不可解な現象を起こす必要がなくなり、解消したのではないでしょうか。                   

これまでにも、クライアントの前世人格、高級霊、ときには神を名乗る存在などが、彼らのメッセージをクライアントやわたしに告げるために超常現象を起こし、わたしのセッションによって顕現化できるように導いた事例が、数例あるからです。

 

わたしは、2007年初頭に1ヶ月半にわたって、わたしの守護霊団を称する霊たちから、毎夜霊信を受け取るという霊的超常現象を体験してから、「時熟(ジジュク)」ということばを意識するようになっています。              

つまり、「時が熟すれば、来るべき時に来るべきものは来る」、といった人生の行方に対する自然体の態度がもてるようになったということです。                   

努力は怠らないが、その成果にはあくせくしない、時が熟すれば、来るべき時に来るべきものは来る、ということです。

こうして、セッションにおいでくださったご夫妻にも、「時熟(ジジュク)」の時がおとずれたのだろうと思うのです。

ちなみに、わたしは2005年に「タエの事例」に出会うまでは、唯物論側に属していましたから、霊信が欲しいとか、ヒーリング能力や浄霊能力を望んだことは全くありません。       また、特定の宗教を特に信仰したこともありません。                   ただ、人間の知性を越えた何か偉大な存在(something great)をそれとなく感じてはいました。                                       こうして、魂と霊、および生まれ変わりと「something great」の存在を認めているという現在の立場からすれば、スピリチュアリストだと呼ばれるのではないでしょうか。

 

ご夫妻ともに魂が最初の人生を送っておいでになる、という希有なご夫婦のご多幸をお祈りするとともに、貴重なセッション見聞記録の公開を了解くださったご厚意に、あつくお礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

2023年1月20日金曜日

「超ESP仮説」と「応答型真性異言」

SAM催眠学序説 その158

 

生まれ変わりの科学的実証に当たって、避けて通れない仮説が立ちはだかっています。

それが 「超ESP仮説」と呼ばれている「生まれ変わり仮説」を否定する強力な仮説です。

「超ESP仮説」で「ラタラジューの事例」「タエの事例」が説明できるのかどうか、についてわたしの現時点の見解をまとめてみます。
 

「ESP」とは、超心理学において、透視やテレパシー、予知など超感覚知覚を指す略称です。                                       この用語に「超」がつくと、「万能の」、透視能力・テレパシー能力・予知能力という意味になります。                                    

「超ESP仮説」という用語を初めて用いたのはホーネル・ハートとされていますが、その主旨は、ESPの限界がわかっていないので、霊との交信や、生まれ変わりと思われるような超常的な現象は、生きている人間のESPで説明できると考えるべきではないか、という主張です。                                       したがって、たとえばわたしあて霊信現象や、里沙さんの語った「タエの事例」なども、霊魂や、生まれ変わりといった仮説を用いる必要はなく、里沙さんのESP、つまり、生きている人間の心の力で説明可能であるということになるわけです。

 実際に、きわめてすぐれた驚くべきESP能力を発揮した「レナード夫人の書籍実験」という事例ついて、厳密な分析をおこなったケンブリッジ大学教授であったE・Mシジウィックの注目すべき論文が発表されています。                       その概要は下記のようなものです。

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これまでに最高かつ最も信頼性の高い霊媒の一人であるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。

(スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』P.500)

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もし、超ESP仮説によって応答型真性異言を説明するとすれば、「ラタラジューの事例」は、被験者里沙さんが、どういうわけか、催眠中に限り(覚醒時に里沙さんがESPを発揮したことは皆無である)、無意識的に、万能の透視能力やテレパシー能力を、瞬時に発揮した結果、瞬時にネパール語会話技能を取得し、ラタラジューという一昔前に使用された名前をはじめ、カトマンズ市民ですら知る者のほとんどいないナル村の名前、コドなどナル村村民の独特な食べ物、棲息するヒル、ヒマラヤを望む山上での火葬などの諸情報を、瞬時に取得し、架空の前世人格ラタラジューを演じた(ふりをした)ものだ、ということになります。

つまり、里沙さんという生者の持っている「心の力(ESP)」で、すべて説明可能であり、ラタラジューという前世人格の顕現化現象や、生まれ変わりなどはフィクションであり、生まれ変わりのような説明などは必要ないということになります。
 

さて、このような生まれ変わりを否定する強力な壁である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、「生まれ変わり研究」の先駆者として知られるイアン・スティーヴンソンでした。
 スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。           少し長くなりますが、彼の着目点を下記に引用してみます。
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デュカス(注:カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。     

デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。                          

以上のことからデュカスは次のように考える。                    もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。                    

もし、その技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。(中略)                      技能は訓練を通じて初めて身につくものである。                   たとえば、ダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。                   

ポランニー(注:マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば「暗黙知」の範疇に入るという。                                 もし、技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。                    

(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP.41-43)
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ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。
そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。

自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報による伝達だけでは「応答的会話」まではできないはずです。       つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」までは獲得することができないわけです。

したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で応答的に会話し、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わり仮説が最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
 

そして、世界の生まれ変わり研究の中には、ESPによる「情報取得」では説明できない、学んだはずのない外国語での会話を実際に示す事例が、きわめてまれですがいくつか報告されています。これを「応答型真性異言」と呼びます。
 

「真性異言」(xenoglossy ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会(SPR)の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言います。

『新約聖書』などにも、いわゆる「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」とは、その言語が特定の正しい言語であることが確認されたものです。   

このうち、特定の文章や語句や単語を繰り返すだけのものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。
 

さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですからESPによって取得が可能と言えます。
しかし、意味の通った会話ができる「応答性真性異言」は、そうではありません。    

言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は実際に可能にはなりません。

自転車の乗り方を、「情報」として、本の説明や映像などで詳しく知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは「技能」である応答的会話ができることはありません。    

つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」は取得できないことが明白です。
また、超能力者が、学んだことのない外国語の「会話能力」を取得した事例は、これまでに世界中にないはずです。

こうして、ある人物が、その前世での外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりを最も有力な仮説として採用せざるをえないということになります。

生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年にわたって世界中から収集し精査した2000余りの生まれ変わり事例の中で、わずか3例にすぎません。

「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。
イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い会話によるやりとりが記録されています。
シャラーダの事例は、覚醒時に、きわめて長い会話で、学んだはずのないベンガル語で流暢に受け答えし、歌まで歌っています。(スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』春秋社)
 

スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、(心霊現象研究協会 :The Society for Psychical Research)の数名の科学者によって調査され、覚醒時に、スペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります。

つまり、世界中で信頼にあたいする応答型真性異言の事例は4例発見されており、そのうち2例が催眠下で起こった事例ということになります。
さて、こうしたスティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証的研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。

たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」と述べています。(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P.302)

また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」と述べています。(Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993)、『生まれ変わりの刻印』スティーヴンソン/笠原敏雄訳・訳者後記)と述べています。

そして、技能である応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。
このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。                             こうして、応答型真性異言こそ、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。
 超ESPという途方もない万能の超能力者が発見されておらず、超ESPの限界が分からない時点で、超ESP仮説によって会話技能である応答型真性異言という現象を説明できるなどの主張は、生まれ変わりの事実を絶対に認めたくないがためのこじつけだとわたしには思えます。

そして、「タエの事例」はさておくとしても、超ESP仮説によって、ラタラジューの応答型真性異言を説明できる、と主張することのほうが、生まれ変わり仮説を認めることより奇怪な主張だとわたしには思われます。

その「タエの事例」にしても、タエの語り口は10代後半の少女のものであり、当時47歳であった被験者里沙さんとは別人としか思えません。                                       さらに、SAM前世療法セッション中に、タエが吾妻川の濁流に呑まれて溺死する場面では、里沙さんの腹部が、泥水を呑んだために痙攣を起こしていることを確認しています。                     タエの語り口は演技できたとしても、腹部の痙攣現象は演技できません。        もちろん、超ESPをもってしても、反射的な生理現象である腹部の痙攣現象を起こすことが到底できるとは思われません。

こうした諸現象によって、里沙さんの前世人格であるタエそのものが、タエの生まれ変わりである里沙さんの肉体を用いて顕現化している、ととらえることが最も妥当な解釈だろうと考えざるをえないのです。

生まれ変わりの科学的証拠であるとわたしが主張する「タエの事例」と「ラタラジューの事例」両事例のセッションの実際は、you-tubeで公開しています。

とりわけ「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の撮影に成功した世界初の希有な事例です。                             

これを視聴されてなお、生まれ変わり仮説を認められない読者の方は、忌憚のないご意見をお寄せください。

 ここに述べてきたように、生まれ変わりの科学的検証はきわめて厳密で、軽々に「生まれ変わりがある」と判断することは軽信のそしりを免れません。

そのうえでなお、わたしは「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、現時点において生まれ変わりの科学的証拠として認められてよい、と主張したいと思います。       

被験者里沙さんは、確かに生まれ変わりをしているのです。


2022年12月21日水曜日

ガイド から生まれ変わった人のセッション体験記

SAM催眠学序説 その157


 

前ブログ「 SAM催眠学序説 その156」で、「クライアントのなかには、霊として誕生し、初めて肉体に宿った魂として人生を送っている事例があります」という紹介をしておきました。

ここに紹介するのは、そうしたまれな魂の持ち主のセッション後の感想です。

 

このクライアントは、生きづらさに悩み続けてきた51歳の女性教員です。                        

ブログに掲載することを了解していただき、紹介することができました。        

 

なお、セッション期日は、20221122日であり「SAM催眠学序説その156」の記事掲載前日です。

 

また、クライアントのメールが届いたのはセッション5日後の20221127日です。


 以下の点線内部分がクライアントのメールです。


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 【主訴】(注:セッションの申し込み時に書いていただいたもの)


ただただ、自分の前世を知りたいです。                    


私の現世が前世にどんなつながりを持つのか知ることで、今後、苦手なことや思い通りにいかないことを乗り越えていければと考えています。

よろしくお願いします。


【セッション後の感想】(注:セッション5日後)


こんにちは。

先日は大変お世話になりました。

 

1123日付け(注:SAM催眠学序説その156)のブログで、人間としての前世のない人格の事例を取り上げてくださり、ありがとうございました。    

 

私は、人間の前世があるものと信じきっていたため、結果は意外であり少々残念でしたが、今回のブログを読ませていただき、自分なりに理解できたと思います。

 ワイス式の落とし穴についても納得しました。

 

また、今までの人生で生きづらかったり、人間の汚い所が許せなかったりというのは、ガイドから初めての人間としての人生だったからなのかもしれないなと実感しました注①

 

ブログのコメント欄からお送りしようと思いましたが、プライベートな内容なので、メールとさせていただきました。

 

セッションにおいては、大変貴重な体験をさせていただきました。

両腕は勝手にくっつき、体はホワッと体重を感じなくなりました。

 

しかし、私が余計なことを頭で考えてしまうため、顕在意識が強くなっていたのかもしれません。

 

また、先生からお聞きした話、大変興味深く拝聴いたしました。

 

面白すぎて時間があっという間に過ぎました。 

 

先生の今までのブログはほとんど読んではいましたが、実際にお聞きするとたいへんわかりやすく、「あの難解な文章は、このことだったんだな」とつながり、脳や意識、魂、霊といったものがどうにつながりあっているのか、よくわかりました。

 

帰宅後、先生のブログを始めから再び読み直すことにしました。

 

 自分に取り込み、今後の生活に役立てていきたいと思ったからです。

 

また、先生のスピリットヒーリングにより、出産以来苦しんできた骨盤の痛みが引き、立ち上がるのも、動くのもとても楽になりました。

 

これには主人も驚いていました。

 

人間としての人生が始まったばかりですが、一つひとつすべてが勉強であると自覚し、魂を成長させる努力をしていきたいと思います注②


徐々に寒くなってきました。

くれぐれもお体にはお気をつけください。


時が来ましたら、改めてセッションをお願いします。

許されるのであれば、守護霊様との対話がしたいです(^^)

 

 先生と先生の治療霊団の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

(感想メールおわり)

 

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さて、以上の感想を読まれてどのように思われたでしょうか。

 

疑わしいのは、事前にガイドの前世がある事例(SAM催眠学序説 その156)をクライアントが読んでおり、ガイドの前世であったらいい、というその願望が無意識のうちに投影されたガイドの架空前世の顕現化ではないか、ということでしょうか。

 

しかし、時系列からしてクライアントが、セッション翌日に掲載した「その156」をセッション前に読めるはずがありません。      

 

さて、こうしたガイド(高級霊)の前世の顕現化現象は、その真偽の検証は不可能ですから、そのまま「意識現象の事実」として真偽の判断は留保としておくしかありません。

 

そして、高級霊であるガイドからあえて人間に生まれ変わった理由は、神からの指示である、ということでした。                                  人間世界に生まれ変わり、地上の人間に霊的真理を何らかの形で広めること、そうした使命遂行のなかでさらに霊的な成長・進化を果たすことが人間に生まれ変わった理由だということでした。

 

魂の成長・進化のためには負荷が必要です。

 

注①今までの人生で生きづらかったり、人間の汚い所が許せなかったりというのは、ガイドから初めての人間としての人生だったからなのかもしれないなと実感しました」という述懐は、SAM前世療法セッションによって、クライアントがこうした負荷を納得し受け入れる洞察ができた結果だと思われます。

 

また、注②人間としての人生が始まったばかりですが、一つひとつすべてが勉強であると自覚し、魂を成長させる努力をしてきいたいと思いますという述懐は、注①の洞察の結果、これからの人生後半へ立ち向かう決意のあらわれだと思います。

 

 クライアント氏には、このコロナ感染禍のなか「ただただ、自分の前世を知りたい」という衝動?によって関東多摩地方から列車を乗り継ぎ、はるばる3時間余をかけて東海美濃地方の可児市までSAM前世療法セッションにおいでいただいたこと、感想メールをいただきブログ掲載を快諾いただいたことにこの場を借りてあつくお礼を申し上げます。

 

 こうした、クライアントの生きる力を呼び起こすためのお役に立てたことは、前世人格の顕現化を可能にするSAM前世療法ならではの醍醐味であり、SAM前世療法創始者としてこのうえない喜びです。

  

2022年もあと残りすくなくなりました。

 

新しい2023年が、読者のみなさんにとって、22年にも増して魂の成長・進化の1年となりますように心よりお祈り申し上げます。

 

2022年11月23日水曜日

最初の人生の魂の持ち主の人格特性

 SAM催眠学序説 その156

 
魂の実在を認める立場であっても、魂がどこでどのように誕生するのかは検証不明です。
ちなみに、SAM前世療法では、「魂」とは肉体を持った「霊」を「魂」と呼びます。
したがって、「霊がどこでどのように誕生するかは検証不能です」というのが正しいことになります。
 
クライアントのなかには、「霊」として誕生し、初めて肉体に宿った「魂」として人生を送っている事例があります。
しかし、セッションであらわれる意識現象の事実として、現世が地球人として初めての人生を送っている魂の持ち主もどうやらおいでのようです。
 
というのは、地球外の星の前世、つまり知的生命を持つ異星人の前世を体験している人ですが、これまでに十数人確認しています。
あるいは、「人間としての前世がない」ということで、人間ではない霊的存在(ガイド)から、あるいは、守護霊から、人間として生まれ変わったというクライアントが数名含まれています。    
 
なお、守護的存在としての守護霊は、生まれ変わりを繰り返し成長・進化したものを「守護霊」、人間の生まれ変わりを選ばず、霊界で独自の成長・進化を遂げて守護的存在となっているものを「ガイド」と分けるようにわたしあて霊信は告げています。
 
その判断の根拠は、魂状態に遡行したときに、魂の表層の「現世のもの」しか顕現化しないこと、「現世のもの」に、○○の前世のものに交替してください、と命じても「誰もいません」と回答することから判断せざるをえません。
あるいは、「現世の直前の人生を送った前世のものは出ておいでなさい」と指示しても顕現化しないことで判断するしかありません。

「それではあなたは、現世が最初の人生を送っている魂ですか?」と尋ねると、「そうです」あるいは、「わかりません」という回答が返ってきます。
生まれ変わりを経験していないので、生まれ変わりということがおそらく分からないのだろうと推測しています。
 
そして、生まれ変わりがない人や、地球人として最初の生まれ変わりを送っている魂の持ち主の性格特性は、次のようなものであることが、セッション前、セッション後のカウンセリングから明らかになっています。

①好奇心が人並み以上に強く、好奇心に駆られてすぐ行動に移る。本人はそうした自分を落ち着きのない人間であると自己評価している。

②性格が純真で素直である。周囲からは、悪意や悪気のない人物だという評価を得ている。あるいは楽天的であっけらかんとした印象を与えている。

③傷つきやすい。警戒心が薄弱であるため、裏切りに会ったり叱咤されることに傷ついて、劣等感に陥っていることも多い。
 
④人生に生きづらさを抱いて、抑うつ状態に苦しんでいることが多い。
 
興味深いことは、「ガイド」から人間に生まれ変わったクライアントは、神からの指示によって人間界に生まれ変わったと答えていること、人間界の醜悪さに生きづらさを抱いて、うつ状態に陥っていること、セッション中に落涙する、などの共通の意識現象があらわれることです。
中には霊界に戻りたいと涙ながらに訴えたクライアントもいます。
 
こうした性格特性は、アラン・カルディックの霊信『霊の書』のなかで、通信している高級霊(聖ルイと名乗っている)が、誕生したばかりの魂の特性を「無知、無垢です」と告げていることと符合しています。

わたしあて霊信では、「あなたも魂表層の一つです」と告げており、つまり、現世の「わたし」という人格を担っているものが、わたしの魂表層に位置付いていることを告げています。

こうした、セッションにあらわれる意識現象の事実と、わたしあて霊信の告げていることから、魂の表層には「現世のもの」が位置付いていることは事実であろうと思われます。
「現世のもの」の定義をすれば、「現世に生まれてからこちらの意識・潜在意識をつくりだしている人格」ということになるでしょう。

こうして、「わたし」という人格は、魂の表層に存在する「現世のもの」が担っているといえそうです。

そして、「現世のもの」は、生まれ変わりがある場合には、魂表層の諸前世人格の影響を受けながら成り立っている、いわば複合的人格とだと考えられます。
わたしあて霊信で、「魂表層の諸人格は友愛を結び、互いの人生の智慧を与え合っている」と告げているからです。
とすれば、魂表層の現世人格は、潜在意識下で前世諸人格から人生の智慧を与えられているということになります。
 
ただし、諸前世人格の中には、傷つき苦しんでいるものが存在し、そうした傷ついている前世人格からの負の影響も、当然のことながら受けざるをえません。
わたしあて霊信では、「傷の無い魂は存在しない」と明確に告げています。

要するに、「わたし」という人格は、両親から受け継いだ遺伝的資質と現世の生育歴の諸体験からのみ成り立っているわけではなく、それに加えて諸前世人格からの正・負の両面の影響を受けているということです。

そのように現世人格の成り立ちを推測すれば、人格は、①両親からの遺伝的資質、②生育歴の諸体験、③前世諸人格の影響、などの三者の側面を複合的に併せもっている、という人間理解をするべきだということになります。
 
生まれ変わりの科学的研究者の嚆矢として名高いバージニア大学のイアン・スティーヴンソンが、自分の研究室を「人格研究室」と名付けているのも、上記のような意味合いを込めて名付けたと思われます。
 
『科学的探検雑誌』編集長のバーンハード・M・ハイシュは、次のように述べています。
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 人間の行動を考えると、生まれ変わりという考え方が、物事を説明するうえで、利点をもっているのは明らかである。恐怖症や変わった能力、強迫観念、性的方向といったものはすべて、精神分析の往々にして回りくどい論理よりも、前世の具体的状況に照らしたほうが、おそらくはよく理解できるであろう。遺伝と環境に加え、前世での経験という第三の要因も、人格形成にあずかっているのではないか、とする考え方は正当な提案と言える。
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イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』、P.525
 
 生まれ変わりという事実を受け入れ、誤解をおそれずに言えば、病的な多重人格(解離性同一性障害)という症状を除外して、だれでも多かれ少なかれ多重人格であることが当たり前だということです。


さて、話題が少しずれますが、ワイス式前世療法(前世の記憶を想起する前世療法)を体験後、SAM前世療法を受けたところ、生まれ変わりをしていない、という結果が出たクライアントが二人おいでになります。
しかし、二人ともに、ワイス式では「前世の記憶」が確かにあらわれたということでした。
このことはどのように解釈すべきでしょうか。

催眠学用語に「要求特性」という用語があります。

これは、セラピストの要求していることに、クライアントが無意識的に協力しようという催眠中の心理傾向を意味する用語です。

二人のクライアントに要求特性が働いたとすれば、すでにワイス式前世療法によって前世の記憶が確認されているわけで、つまり、前世があるという前提で、それを再確認するためにSAM前世療法のセッションを受けているわけですから、何らかの前世人格が顕現化しても不思議ではありませんし、顕現化するはずだと思われます。
それが顕現化されず、生まれ変わりをしていない、という結果なのです。

我田引水のそしりをおそれずに言えば、二人のクライアントのワイス式で現れた前世の記憶とは、要求特性によって創作された前世記憶の可能性が高いのではないかということです。

だからといって、SAM前世療法で確認した生まれ変わりが無い、という推測の検証は不可能ですから、これもあくまで仮説に過ぎません。

そして、アカデミックな催眠学の立場にある催眠研究者のほとんどは、前世の記憶は、要求特性による創作である、という見解をもっています。

また、残念ながらワイス式であらわれた「前世の記憶」の科学的検証事例をわたしは知りません。

しかし、SAM前世療法によって顕現化した前世人格「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、要求特性による創作ではありえない、という科学的検証結果を示しています。
つまり、この二つの事例に限定して検証する限り、被験者里沙さんには生まれ変わりはある、と結論せざるをえません。

この検証結果は、反証可能性にひらかれた形で全セッション映像をネット上で公開し、2冊の本でも公開してありますが、きちんとした具体的反証を挙げて否定した論者はいまだに現れていません。
 

なお、「ラタラジューの事例」については、二つの関連学会(国際生命情報科学会・日本サイ科学会) で発表しています。
なお、一般向けには、テレビ番組「アンビリバボー」において、2006年に「タエの事例」が25分間、2010年に「ラタラジューの事例」が60分間放映されています。

また、アンビリバボー放映の元になっている全セッションのyou-tubeの公開映像は、本ブログの枠外右上に案内してあります。