SAM催眠学序説 その160
「心・脳二元論」とは、心(意識)と脳とは密接な関係があるが本来別物で、脳が心を生み出してはいない、心は脳の随伴現象ではない、という仮説です。
この「心・脳二元論」の最大の弱点は、それでは意識はどこで生まれ、どこに存在しているのかが不明なことです。
また、一般に信じられている「心・脳一元論」おいても、脳が心を生み出しているメカニズムはいまだに不明のままなのです。
にもかかわらず、われわれは意識を持っていることを自明のことだと了解しています。 意識を持っていることを自明のことだと了解しているにもかかわらず、その意識がどこでどのように生み出されているかが不明だという事態は、考えてみれば実に奇妙なことだとわたしには思えてなりません。
心(意識)は、計量化もできず、可視化もできない、おそらくは非物質的対象ですから、実験・観察を手段とする現行の科学的手法で探究しようにも、なんとも手に負えないものです。
そこで、心(意識)の探究を進めるためには、わたしあて霊信が告知している魂・意識・霊体などの内容を「作業仮説」として手がかりにするほかないだろうというのが、わたしの当面とらざるをえなかった立場です。
「作業仮説」とは、その仮説の科学的実証はいまだできないけれども、探究を進める作業のために設ける暫定的な仮説です。
フロイトにおける「イド」とか「超自我」などの心の構造を想定した無意識論、ユングの「老賢人」、「太母」などの元型論は、意識現象の研究を進めるための作業仮説です。
そして、わたしは、SAM前世療法の「魂遡行催眠」という特殊技法を編み出すために、意識は脳にあるのではなく霊体にある、というわたしあて霊信の告げた内容を作業仮説として採用しています。
わたしの守護霊団を名乗る通信霊は、「あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい」とわたしに告げてきたのです。
ここで、わたしが探究の手がかりにした、わたしあて霊信(注:SAM催眠学序説その47~72で公開)が告げている、魂の仕組みと霊体の関係について、要点を抜き出してみます。
「霊体仮説」をはじめ、「心・脳の二元論仮説」「魂の二層構造仮説」の原点は、それら霊信内容の真偽の検証から始まったからです。
わたしあての第11霊信は次のように告げてきました。
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あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在しているからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは、命あるものすべてにつながり、私たち(注:高級霊)へも強いつながりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道のなかで、あなたが処理できないでいるもの、そして人の理解を超えているものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子(注:霊信の受信者)を通し、あなたは私たちに尋ねなさい。(中略)
そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたは、今度その療法に関わるが、それだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。(中略)
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こうして私の通信霊への16の疑問の回答として、第12霊信で次のように告げています。
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前世療法で顕現化されるのは魂ではなく、魂の側面である。
傷を持つのは魂の側面であり、魂自体が傷を持つのではない。
その表層部分が傷を持つのである。
その表層部分は、これまで転生してきた者たちにより構成されている。
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わたしの通信霊への疑問の回答として、第13霊信で次のように告げています。
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顕在意識・潜在意識は、脳が生み出しているものではない。
すべては、魂の側面(注:「側面」を「表層」とも表現している)である者たち(注:これまでに転生してきた者たち)が作り出しているものである。
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さらに第14霊信では、わたしの通信霊への疑問の回答として次のように告げています。
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霊体はあなたがたという魂の側面に属するものであり、心も同様である。
その違いは、霊体は魂にその存在をゆだねているが、心はゆだねていないものである。
心は、心という存在なのだ。
だが、魂に属するものである。
魂にとって、心は道具なのだと考えなさい。
霊体とは魂ではない。
それは、あるときは、オーラ と呼ばれもする。
そのものを体を包むものである。
私(注:第7霊信で守護霊団の一員として「私はエドガー・ケイシーである」と名乗っている)が過去にリーディングした中で、アストラル体という表現を用いて説明したものである。
それは魂ではなく、それに属するものであり、肉体を保護する役割を担うものでもある。
霊体自体は、単体で動くことはできない。
それは魂とともに存在するものである。
魂を取り囲み、それはあなたという存在を構成するための一材料となる。
死後、霊体は魂から離れる。
だが、それらの意識は魂に取り込まれる。
そして、魂のものとなるのだ。
霊体は、ある意味においてはあなたがたが「あなたという人間であるため」の意識を独立して持つための役割を担うものでもある。
心が個人的意識をつくるのではない。
霊体が持つのだ。(後略)
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また、第15霊信では次のように告げています。
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生と死の過程は日々おこなわれるものである。
今日という日がはじまり、あなたがたはその先へと進んでいく。
その先に、あなたの魂が、そしてあなたとともににあなたの魂から生まれた多くの者が存在し、同じものを見つめていくのだと理解しなさい。
それらの者の協力を求めるのだ。
友愛、それは自身の魂によるものこそ真の友愛である。
あなたがたは、自らの魂の側面である者たちと友情を築くのだ。
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そして、第10・17霊信では次のように告げています。
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魂という存在を理解しなさい。
あなたも、一つの魂をもとに形成された側面なのだ。
あなたという存在も、側面の者であり、すべての側面の者は友であると理解しなさい。
魂は、すべての側面の者がつながりを持ち、友愛を築き与え合うことを望んでいるのだ。
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抜き書きした上記霊信告げている魂の仕組みと意識、意識と霊体の関係を要約すれば次のようになります。
①脳が意識を生み出してはいない。
②魂の表層(側面)を構成している前世の者たちが意識を生み出している。
③魂表層の前世の者たちが生み出している意識は霊体(オーラ)に宿っている。
④「現世のわたし」の人格も、魂表層を構成している一つである。
⑤霊体は、現世のわたしが、わたしという意識を持つための役割を担っている。
⑥霊体はオーラとも呼ばれ、肉体を保護する役割を担っている。
⑦死後霊体は魂から分離し、霊体に宿っていた意識は魂に取り込まれる。
⑧魂表層を構成してる前世の者たちはつながりを持ち、友愛を築き、与え合う関係にある。
以上8点が、SAM前世療法の作業仮説の骨格となっています。
そして、「意識は霊体に宿っている」とした仮説に基づけば、次のような現象の説明が成功するのではないかと思っています。
①SAM前世療法の特殊技法である「魂遡行催眠」は、霊体に宿る潜在意識を肉体の任意の部分に担わせ、その繰り返しの動作によって魂状態まで遡行させるという技法である。 意識・潜在意識が脳にあるとしたら、このような技法が成り立つとは考えにくいのではないか。
何よりも、この技法により、被験者里沙さんを「魂状態の意識」にまで遡行させ、魂表層を構成している前世人格であるラタラジューの顕現化に成功している。 ラタラジュー人格は、ネパール語で会話し応答型真性異言を示したが、同様の手続きを踏めば被験者の90%以上の確率で前世人格の顕現化に成功している。 こうした意識現象の事実は、霊体仮説を支持している。
②心臓移植をした場合、移植を受けた人にドナーの意識(記憶・癖・好みなど)が現れるという現象は、移植する心臓を取り囲んでいる霊体も同時に移植されることになり、移植先の人の霊体にドナーの霊体も接合すると解すれば、ドナーの意識や記憶の一部が移植を受けた人に現れることは説明可能ではないか。
③体外離脱した人が、離脱中に見聞した記憶を報告することが説明できるのではないか。 つまり、魂とともに霊体も離脱するので、魂が見聞し記憶している意識を霊体が持つからだと説明できるのではないか。
臨死体験研究者キュブラー・ロスの報告によれば、全盲の人が体外離脱中に部屋にいる人の服の色・形を正しく報告したと述べている。 ということは、魂は、肉体の全盲という障害とは関係なく五感を感知する能力を持っていることになるのではないか。
④統合失調症の典型的症状に幻聴(自分ではない者の声が聞こえるという訴え)は、患者の霊体に未浄化霊が侵入した(憑霊した)と考えれば、幻聴現象のすべてといえないまでも、侵入した未浄化霊の意識が幻聴を起こしていると解することができるのではないか。
実際に浄霊作業によって統合失調症を治療した記録(米精神科医ウィックランド『迷える霊との対話』)がある。 また、わたしも未浄化霊の浄霊作業によって統合失調症の19歳男子大学生の症状改善に成功している。
⑤幻肢という意識現象がある。
手足を切断しているにもかかわらず、ないはずの手足の痛みなどをあるごとく感じる現象である。
これは手足の霊体が何かの理由で切断後もそのまま残存して、切断時の痛みの意識を訴えているという説明が可能ではないか。
⑥SAM前世療法のセッション中に顕現化する未浄化霊に、何を目安にどこに憑依するのかを尋ねると、被憑依者のオーラに宿る意識を感知して憑依すると答えている。 つまり、被憑依者が、未浄化霊に対して共感や受容する意識を宿しているオーラ(霊体)を感知してオーラ(霊体)に侵入する(憑依する)ということらしい。
⑦オーラ(霊体)と肉体とは何らかの共通の要素があり、相互に影響を及ぼしあっていると考えられる。 なぜなら、オーラ(霊体)の見える人には、肉体の傷んでいる箇所の周辺のオーラの色は黒ずんで見えるし、オーラが澄んで美しい人の肉体は健康だと判るという。
これらの諸現象の科学的実証はできませんが、「意識は霊体に宿っている」、という仮説を採用すれば、「意識現象の事実」として現れている未解明な事実を説明することに成功するのではないかと思います。
わたしの真理観は、とりあえず「説明の成功」を真理だとみなすプラグマティズムによっています。
それにしても、なかなか採用されにくい仮説ではあります。
しかし、SAM前世療法の実践によって検証・確認されてきた「意識現象の事実」は、霊体仮説および、その他の仮説の成立をすべて支持しています。
このことは、わたしあて霊信の教示した内容が、受信者M子さんの妄想による作文ではないことを証明していると理解できます。
このことについて、通信霊は第12霊信の末尾で次のように告げています。
「私は、あなたの祖父の守護霊とつながりを持つものであり、あなた方の世界で表現すると遠い昔、転生を終えたものである」
「これは私(注:通信霊)からの霊信であり、M子(注:当時26歳の霊信受信者) の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では、答えられないものである。あなたに必要なのは、信仰である。信仰がなければ信頼は存在しない。信仰を築きなさい。信仰は自発性を持つ。だが、信頼はそこから生じるものである。その対象が何であれ、本質的にそうなのだと理解しなさい」
そしてまた、前述第11霊信で、「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。あなたは、今度その療法に関わる」と予言した前世療法こそ、この予言の1年後2008年に創始できた「SAM前世療法」であり、その成果として、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が2009年にあらわれたのです。
紹介した霊信現象をはじめ、アンビリバボーでTV放映された「タエの事例」、応答型真性異言「ラタラジューの事例」などは、現行唯物論とは真っ向から対立しています。
しかし、かつては唯物論側に与していたわたしは、いかに唯物論と対立しようとも、自ら体験してきたこうした不思議な諸現象の検証結果を前に、それを事実だと認めることに躊躇しなくなっています。 とは言え、わたしは唯物論を全否定しているわけではありません。 わたしは、これまでに唯物論医学による大きな恩恵を受けてきている事実があるからです。
ただし、唯物論では説明できない精神的な霊的領域が、確かに存在することを認めるべきだと思います。
これまで唯物論側からの観念論をはじめとする様々な反論を受けていましたが、SAM前世療法で確認できた意識現象の諸事実を、唯物論では説明・論破することができないからです。
そして、わたし以外に、わたしの主張しているような「心・脳二元論」を仮説としておこなっている前世療法士は、世界中探しても誰もいないはずです。
ノーベル賞を受賞している大脳生理学者として、W・ペンフィールド、R・スペリー、J・エックルズが「心・脳二元論」を唱えていますし、催眠学者の成瀬悟策医学博士も晩年になって唱えています
それ以外に、わたしの知るかぎりでは、米国の催眠療法家L・M ・ルクロンが、潜在意識から情報を探る技法として、観念運動による「指による方法」(「催眠のすべて」講談社現代新書、PP.62-72)という技法を紹介しています。
ただし、ルクロンはこの技法の理論的裏付けについては何も述べていません。
質問の回答を、潜在意識による観念運動として指に起こさせるという解釈をしているようです。
縷々述べてきましたが、一般に信じられている言説、つまり、心(意識)は脳の随伴現象であり、脳の死滅とともに、心(意識)も消滅してしまえば、生前に経験されたものはすべて無に帰するという言説である「心・脳一元論」は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている「信念」や「主張」をそのまま表現したものであって、その言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証され、証明されたものではけっしてないのです。
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