2014年6月1日日曜日

「憑依仮説」を認める理由

   SAM催眠学序説 その7


「憑依」という用語には、不気味さ、胡散くささなど非科学的なマイナスイメージが濃厚につきまとっているようです。
SAM催眠学では、憑依という用語にまつわるそうしたマイナスイメージ を承知のうえで「憑依仮説」をとらざるを得ないと考えています。

それはなぜか。その理由を述べてみます。

2006年12月22日夜、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。

きわめて深い催眠中(魂の自覚状態)に中間世へと導き、そこで偉大な 存在者を呼び出して憑依してもらい、私が直接対話するという実験は、拙著『前世療法の探究』の「タエの事例」PP167-176 で紹介してあるとおりです。
それを再度試みようと いうわけです。

その理由は次のような四つの質問の回答を得るためであり、憑依の真偽の検証を試みるためでもありました。

1 タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?

2 私に突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか? その治療エネルギーが私にあらわれた理由が何かあるのか?

3 スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視などの霊能力を持っているが、私のエネルギーがそうであるなら、なぜ私に霊能力がないのか?

4 私の守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?


実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、上記2(私のヒーリングエネルギーの 出所)のみでした。
1・3・4の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。
伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を 与えないためです。

里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語とする存在者との40分にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記 四つの質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。
ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて下記5項に整理 し要約してあります。

①タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
 タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
 あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。

②あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊は一人ではありません。治療霊はたくさんおられます。その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。

③あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
 その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。善人にのみ効果があらわれます。悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
 今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。

④神はあなたには霊能力を与えませんでした。あなたには必要がないからです。霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。

⑤守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。そういう高い霊 格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめか らの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
 魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
 霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。それがあなたが迷ったときの判断の元になります。あなたに神の力が注がれています。与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。


里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語として語る存在者は、以上のようなメッセージを回答として伝えてきました。

そのときの語りの様子は、 タエの事例で憑依実験したときと同じく、彼女の表情は能面様の全くの無表情に変化し、声は低音で、囁くような、抑揚のない、ゆったりと厳かな調子の、別人 同様の声音に変化していました。
観察される限りでは、ふだんの里沙さんとは別人格の第三者が語ったように思われます。
憑依を解き、催眠から覚醒直後の里沙さんは、数分間話そうにも声が出ない状態になり、膝から下が冷え切って麻痺し、立ち上がれないという疲労の極みに 陥っていました。
立てるようになるまで20分ほど休んでから帰宅しましたが、翌日になっても疲労は回復せず動けない状態が続き、3日目にやっと回復したと いう報告を受けています。


では、この守護霊を主語とする存在者の語りの真偽はど う考えたらよいでしょうか。
語られた内容について、できるだけ公正な立場に立って検討・考察をしてみたいと思います。

ただし、この検討・考察は、自分にはスピリチュア リズムに関する知識・情報がない、という里沙さんの証言を前提としていることをお断りしておきます。

また、超ESP仮説(里沙さんが私の心も含め、地上の どのような情報にも自由にアクセスできる法外なESP能力を持っているとする仮説)も、ここでは考慮外としています。


これから検討してみることは、「守護霊」の語りの内容が、里沙さんの既有の知識を元に彼女自身が語ったのだ、と解釈できるかどうかということです。

そうであるならば、守 護霊を主語とする存在者は、里沙さんの無意識的な役割演技で説明されうることになり、語りの事実が超常現象である可能性は排除されるからです。

以下にまず 全体の考察を、次いで①~⑤の語りの内容について、それぞれに検討と考察を加えてみます。

まず、全体としての考察をしてみますと

(1)「守護霊」は、里沙さんとは異なる位相の視点・情報から発話している。

(2)催眠を解く前に「催眠中に語ったことはすべてはっきり思い出せる」という暗示を強調したにもかかわらず、「守護霊」が憑依したとおぼしき間の里沙さんの記憶は完全に欠落している。

(3)録音された自分の語りを試聴した里沙さんの実感として、声からも語りの内容からも、自分と「守護霊」とは全く同一性の感じられない他者であると認識されている。

(4)憑依を体験し、催眠から覚醒後の里沙さんの疲労状態は、通常の催眠後とは明らかに異質な極度の疲労状態に陥っている。

以上の4点は、「守護霊」の憑依を支持できる状況証拠だと考えることが可能でしょう。
ただし、(1)については本人に内在している「心の力」つまり、 「高位自我=ハイヤーセルフ」説で説明可能かも知れません。
深い催眠中には、通常の里沙さんの持つ能力をはるかに超えた超常的叡智が現れるというわけで す。

しかし、(2)・(3)については「高位自我」説では説明がおさまり切れません。
もともと里沙さんの心に内在している「高位自我」の語りであれば、解催 眠前に強調した記憶再生暗示で、催眠後にその語りの内容が記憶として出てくるはずだと考えられるからです。
また、彼女に解離性同一性障害(多重人格)など の精神障害がないことは明白ですから、「守護霊」の語りに対して全く同一性を感じられないということも説明が困難です。
単に催眠性健忘として片付けられる 問題ではないと考えられます。

(4)の極度の疲労感について確かなことは言えませんが、憑依した「守護霊」が里沙さんに長時間(約40分間)の対話をさせるために、彼女の脳髄が酷使された結果ではないかという解釈ができるかも知れません。

次に①~⑤の「守護霊」の語りについて一つずつ検討してみましょう。

まず①の語りの内容について検討してみます。

里沙さんのスピリチュアリズムについての知識は、治療霊が存在すること以外にはありません。
したがって、スピリチュアリズムでいう「神の計画」つまり、地上の人間に霊的真理(霊界の存在、霊の存在、霊との交信可能など)を啓発し、霊的覚醒を促す計画 があることは知識として持っているはずのないものです。
彼女の無意識の役割演技などでは淀みなく発話される内容ではないと思われます。
この計画についての 語りは、スピリチュアリズムの高級霊からの霊信内容に一致していると考えることができるでしょう。

②の治療霊の存在については、里沙さんの知識としてある程度あるはずです。

彼女の脊柱側湾症による痛み改善と、湾曲した背骨の矯正のためにヒー リングをした機会に、ヒーリングエネルギーと治療霊について私が話題にしているからです。
また、彼女は霊感によって、私の背後に憑いている複数の治療霊ら しき霊の存在を感知できると語っているからです。
しかも、私のヒーリング能力についての質問をすることについては、催眠に入る前に彼女に知らせてありまし た。
したがって、治療霊とその治療エネルギーについての回答は、彼女の既有の知識を語った可能性を排除できません。

③の、私が生を受ける前の「魂」と「神との約束」についての語りは、里沙さんの想像力が駆使され、私への願望が投影された彼女の役割演技だと解 釈できるかもしれません。
しかし、私にヒーリング能力があらわれた理由がそれなりに矛盾なく説明され、瞬時に淀みなく語られた事実を考えると、「守護霊」 の憑依可能性を否定できるものではないと思われます。
ちなみに、「私の魂が大きく成長した」という語りは、タエの事例に遭遇以来、私の世界観・価値観が霊 界の存在を視野に入れたものへと転換し、現世的欲望へのとらわれから自由度を増した精神状態を指している気がしないわけでもありません。

ただし、「善人にのみ効果が現れます」という語りは誤解されやすいかもしれません。
しかし、「悪とはあなたの進む道を邪魔する者です」という語りと照ら し合わせると、その病が当人の霊的成長に必要な場合には、ヒーリングが効かないという意味に解するべきであろうと思われます。
なぜなら、治療によって霊的 覚醒が阻害されることになり、私の人を救う道に反することになるでしょうから。
したがって、この語り部分も高級霊からの霊信と矛盾するものではないと考え てよいと思われます。

④の語りについては、理解に苦しむところです。
ところで、前世療法のセッション中に中間世へクライアントを導く過程で、未浄化霊が寄ってきて憑依 しようとしていると訴えるクライアントがこれまでに2例ありました。
私に霊視などの霊能力がなく、そうした霊が見えないために、こうした事態に遭遇しても 惑わされることなく冷静に対処できたことを考えると、前世療法セラピストとしては、霊能力は持たないほうがよいという含意の語りのようにも思われます。
あ るいは、私に霊能力がなくそれらに懐疑的な普通の人間の側にいるからこそ、懐疑的な普通の人間への霊的真理の啓発には却って説得力を持ち得るので、神の道具としての啓発者には適っている、という意味かも知れません。

こう考えてみると「霊能力を与えなかった神に感謝をすることです」という意味深い語りは、里沙さん自身の通常の意識からは到底出てくるはずのないもののように思われます。
まして、その場の咄嗟の思いつきで回答できる類の語りだとは考えられないと思われます。

⑤の語りは、まさにスピリチュアリズムの霊信そのものだと言っていいでしょう。
そして、「守護霊に名前はありません」「魂の試練はほとんどが魂 の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません」「あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです」などの具体的な語りは、スピリチュアリズムの高級霊たちの霊信と一致し、正当な守護霊の語りとしてその信憑性が保障されているように思われます。

ここで浮上してくるのが、里沙さんはシルバーバーチなどスピリチュアリズムに関する書籍を読んでおり、それを元に語ったのではないかという疑いです。
しかし、これについて彼女はきっぱり否定しています。
また、それを信ずるに足る録音試聴後の感想があります。
彼女は感想として次のように語っています。

 「私の守護霊は阿弥陀如来だ、と高名な信頼できる霊能者から霊視しても らって、そう信じていました。だから、私自身が守護霊の役割演技をして語るとしたら、守護霊に名前はありませんとは絶対言わないと思います。阿弥陀如来で す、と言ったはずです。私の守護霊に名前がないと言われてちょっとショックです。阿弥陀如来以上の守護霊はいないと思っていたから、稲垣先生の守護霊より 霊格が上だと思って、密かに優越感があったのに、稲垣先生の守護霊のほうが霊格が高いと言われたのもショックです。」

つまり、彼女にスピリチュアリズムの知識があったとすれば、自分の守護霊を阿弥陀如来だなどと信じることはまず考えられません。
高級霊は原則素性を明か さない、というのがスピリチュアリズムの常識ですから、彼女の守護霊についての知識は、仏教の説く「守護仏」と混同している程度の知識でしかなかったと判 断できるわけです。
このように検討してみると、⑤の語りの主体は、里沙さん以外の憑依した「守護霊」である可能性が高いと判断できるように思われます。

こうして検討を重ねてきますと、憑依した守護霊の回答は、里沙さんの意識が投影された役割演技だと解釈するよりも、彼女が霊媒の役割を果たし守護霊からの霊信を伝えたものと素直に受け取るほうが妥当性が高いのではないかと思われます。 

ただし、そのように受け取るにしても、ここで述べられている内容が、絶対的に真実であると主張しているわけではありません。
治療を始めとする私自身の活 動を、こうした言葉によって権威づけようとする意図も全くありません。
あくまで何らかの存在者の一意見として、どこまでも冷静に受け止めるべきだと考えて います。
こうした言葉で自己を権威づけたり絶対化することはあってはならないことで、徹底して厳しく自戒すべきだと思っています。

特に「神の計画」「神との約束」「善と悪」といった事柄を、軽々に云々することは、極めて大きな問題を孕むものです。
こうした表現の取り扱いについては、十分過ぎるほど慎重であるべきだと考えています。

さて、ここで、私の脳裏に思い起こされるのはモーゼスの『霊訓』にある次の一節です。

 霊界より指導に当たる大軍の中にはありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)
 筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動 かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者に は、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。かくのごとく人間にはその程度に応じた霊と相応しき情報と が提供される。これまでも神はその目的に応じて手段を用意されてきたのである。
 今一度繰り返しておく。スピリチュアリズムは曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。それを総合するものがスピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)
 常に分別を働かせねばならぬ。その渦中に置かれた者にとっては冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には容易に得心がいくことであろう。
                  (近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第1巻、国書刊行会)

インペレーターと名乗る高級霊からの上記霊信に、里沙さんの守護霊の憑依現象という超常現象を引き当てて考えてみますと、この引用部分は私に向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。

インペレーターが説いているように、SAM前世療法にとりかかる前の私は、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。
だか ら、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として、1ヶ月に渡る毎夜の「私あて霊信」、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとし て、ヒーリング能力の出現などの超常現象が、霊的存在から私に次々に提供されているような気がしています。

そうした直感の真偽を確かめるために、里沙さんの守護霊に尋ねてみるという憑霊実験を試みたわけです。
その結果と検討・考察は、述べてきたとおりです。
この検討・考察は「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結 果の帰着点は、守護霊という霊的存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

 ちなみに、この2006年12月22日の守護霊との対話実験から3年後の2009年5月9日に、再度次のような対話実験をしています。(拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』PP42-43)


注: 逐語録のTHは私、CLは里沙さんの略号。セッション映像はhttp://youtu.be/JBiM7rU6jmQ(日本語版) http://youtu.be/q5iVCfKuH0Q(英語版)。

TH:  あなたは、私が知る限りでは、三回目の生まれ変わりの方ですね。一人はタエで、もう一人はネパール人村長さんのラタラジューです。これから、その方と交替してもらおうと思っていますが、その前にあなたの守護霊とお話したいことがあるので、これから五つ数える間、祈ってください。守護霊にどうぞ降りて来てください、どうぞ憑依してくださいと祈ってください。そうすると、守護霊が降りて来てあなたに憑依してくださるはずです。そして、私とお話してくださるはずです。では数えますよ。一・二・三・四・五。・・・あなたは里沙さんの守護霊でいらっしゃいますか?

CL:  ・・・はい。

TH:  お久しぶりですね。この前あなたは、自分は霊界では異例の存在で、それは私に霊界の情報を伝えるのが守護霊としての使命だからそうですが、そして、私の求めに応じて、いつでも降りてきてくださるということでした。そこで、お聞きします。今日は、里沙さんのすぐ前の人生のラタラジューを呼び出すセッションを始めようとしています。それについて守護霊であるあなたの許可は出ますか?

CL:  ・・・はい。

TH: もう一つお聞きします。「タエの事例」は、あなたよりもっと上におられる方の計画によって 、私に贈られたとあなたは前回答えています。それが本になることも、新聞に載ることも、テレビに出ることもすべては計画に入っていたということでした。では、今日ラタラジューを呼び出すセッションをやることも、ひょっとして、計画のうちに入っていますか?

CL: ・・・はい。

TH: 私はこれから真性異言という里沙さんが学んだはずがないネパール語で話せるかどうかを実験的にやろうとしています。そういう実験的なセッションを許してもらえますか?

 CL: ・・・はい。


このセッションの、里沙さんの守護霊との対話実験の意図は、彼女の守護霊に予言能力があるのかを知るためでした。
つまり、応答型真性異言が果たしてあらわれるかどうかを、その直前に守護霊から回答を得ようというわけです。
それまで、催眠中にあらわれた応答型真性異言は、世界で2例しかありません。
したがって、これからしようとする応答型真性異言の実験セッションの成功の可能性は、きわめて低いと予想されますから、その成否を、事前に守護霊に予言してもらおうとしたのです。
そして、その結果は、守護霊の予言どおり、この直後にネパール語による応答型真性異言があらわれました。
さらに、「ラタラジューの事例」は、翌年、出版され、フジTV番組「奇跡体験アンビリバボー 」で60分間放映されることになりました。
「ラタラジューの応答型真性異言は偶発現象ではなく、霊界側の計画である」という守護霊の予言どおりの展開が、このあと起こったことになります。

かつての私であれば、例えばヒーラーと称する輩のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効 果であるとかの知的・科学的説明に躍起となって、それを公正な態度だと信じて疑わなかったと思います。
今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は守護霊や霊界の存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態に追い込まれたようです。

そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の 初歩段階を卒業」しかけている自分を感じています。
やはり人間は、最後は自分自身の直接体験にこそ、現行科学が何を言おうが、それに真っ向から対立しようが、動かない真実性を認める外ない、と言わざるをえません。


こうして、「憑依仮説」を認める立場をとる理由は、
それが直感に著しく反していないからであり、
それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、
その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。

この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し対話ができることも、守護霊と呼ばれる霊的存在との対話ができることなども、意識現象の事実として明らかになっています。

ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と私には思われるのです。

魂の自覚状態、前世人格の顕現化、霊的存在の憑依、などの意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。

そして、クライアントの示す霊的存在の憑依など意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。

魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。



(その8につづく)

2014年5月27日火曜日

溜飲が下がる思い

下記は大飯原発運転差し止め訴訟の福井地裁判決文の抜粋です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、 原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣 位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子 力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少 なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

胸のすく正当な論理で、曖昧な判断で回避せず、みごとに判決の主旨がのべられています。

数々の検察の劣化が暴露され、司法にもそれが及んでいるという情報が流れている中で、この判決文を読む限り「司法の独立性は生きている」と実感できました。

「人格権」は、「経済活動の自由」より優先する基本的権利である、という至極まともな判決です。

福島原発事故後の2014年5月の現状を見れば、原発の存続は議論の余地のない馬鹿げた妄想であることが明明白白です。

私は、「簡素にして自給的で、喜びを中心にした生活」を理想とする者ですが、若狭湾で福島原発事故級の事故があれば、大飯原発に限らず若狭湾の原発から100キロ圏内(岐阜県可児市)で生きているそうした私の理想の生活の基盤が根こそぎ奪われることが明白です。

すでに福島原発事故で、汚染され続けている東日本と太平洋の現状を顧みれば、安価と言われる原発電力による経済活動を優先させることは、近視眼的な本末転倒の論理です。

経済活動の基盤である国土と海そのものが、取り返しのつかない状況になるからです。
孫子のためにも、生まれ変わるであろう私のためにも、原発は廃止にするべきでしょう。

原発廃止で腹をくくれば、日本人はそれに変わる電力供給をひねり出すだけの技術力と知恵を所有していると信じています。

私は、薄氷の上でのきわどい生活を余儀なくされていると思い続けています。


「根源的な権利(人格権)が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い」ので、「具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である」と断言した当裁判官は、万雷の拍手をもって称えられるべきでしょう。

呼吸をするように嘘をつく首相の言うがままにならない、反骨と正義を貫く裁判官が存在していることに、私は久しぶりに感動し、溜飲を下げたというわけです。


しかし、関電は即上告したといいますから、ときの政府の意向を反映させたがる上級審では、この判決が覆る可能性は大きいと推測できます。

溜飲が下がったのも、一時的な束の間の快感にすぎないかもしれません。

前世人格の顕現化と「自己内憑依仮説」

   SAM催眠学序説 その6


SAM前世療法において、「魂状態の自覚」に至ると、魂表層を構成している前世人格が、必要に応じて待機して待っている、あるいはクライアントの必要に応じて呼び出すことが可能になります。

こうした意識現象の事実を、前世人格の「顕現化」と呼んでいます。
顕現化とは、文字通り、あらわれ(顕れ)出てくるという意味です。

では、なぜ、前世人格の顕現化現象は起こるのでしょうか。

それは、前世人格は、今も、意識体として魂表層に生きて位置付いているからに外ならず、だからこそ自分の生まれ変わりである現世の者の肉体(発声器官・指など)を用いて自己表現するからだと考えられます。

SAM催眠学においては、憑依を次のように定義しています。

 「肉体を持たない諸霊が、肉体を持つ者の肉体諸器官(発声器官など)を使って自己表現すること」

この定義にしたがうと、諸前世人格は、いわゆる「霊」ではありませんが、魂の表層を住処とし、霊に準ずる「意識体」ということになるでしょうか。

その意識体である前世人格が、自分の生まれ変わりである現世の者の肉体を借りて自己表現するわけですから、まさしく憑依現象と同等の現象だと考えることができます。

現世の者にとっては、自己の魂表層に存在する前世人格が、その生まれ変わりである現世の自己の肉体に憑依する、というまことに奇怪な現象ということになります。

そして、このような憑依現象は、これまでの催眠学でも、精神医学でも 取り上げられたことを聞いたことがありません。

そこで、SAM催眠学では、独自の用語として、こうした前世人格の顕現化を「自己内憑依」と名付けています。

したがって、これまでのいわゆる第三者の憑依 を「自己外憑依」、ないし「憑依」と呼びます。

SAM前世療法では、前世人格を自己内憑依させて対話する、というまことに奇怪な前世療法ということになります。

さらに言えば、クライアントの前世人格という「死者との対話」をする一見ぶきみな前世療法ということになります。

しかし、SAM前世療法で起こる「意識現象の事実」として確認してきた当たり前の事実です。

今も、生きている意識体である前世人格であるからこそ、魂状態の中で、今、ここに、あらわれ、現在進行形で、セラピストの私と対話が可能であると考えることが自然な解釈であり、けっして、クライアントが、自分の「前世の記憶」を語っているのではありません。

このことを、以下の「ラタラジューの事例」のセッション逐語録の一部を紹介して説明してみます。

注:KAはネパール人対話者カルパナさん、CL(ラタラジュー)は被験者里沙さんの略号。
   
『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、2010、PP55-57。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
KA: Tapaiko srimatiko nam ke re?
   (奥さんの名前は何ですか?)①

CL: Oh jira li.
       (おー、ジラリ)※意味不明

KA: Srimati, swasniko nam? ②
   (奥さん、奥さんの名前?)

CL: Ah ... ah ... mero swasni Rameli...Rameli. ③
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)

KA: Choako nam chahi?
   (あなたの息子の名前は何ですか?)

CL: Ah ... ei ... el ... el ... nam ... el ... ei ... kujaus.
   (あー、え、名前、クジャウス)

KA: Kujaus? Chora? Chori?
   (クジャウス? 息子ですか、娘ですか?)

CL :Tiru.
       (チル)※Choraの異形か?

KA: Chora?
   (息子ですか?)

CL: Tiru.
   (チル)

KA: Chori chaki chaina?
   (娘はいますか、いませんか?)

CL: Adis.
   (アディス)

KA: Tapai kaha basnuhunchare ahile?
   (今、どこに住んでいますか?)

CL: A .... ke?
   (あ、何?)

KA: Kaha basnuhuncha? Tapaiko ghar kaha ho?
   (どこに住んでいますか? あなたの家はどこですか?)

CL: Tapai Nepali huncha? ④
   (あなたはネパール人ですか?)

KA: ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

CL: O. ma Nepali. ⑤
   (ああ、私もネパール人です)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、上記逐語録の④で、前世人格ラタラジューは「あなたはネパール人ですか?」と対話者カルパナさんに尋ねています。
カルパナさんが、そのとおりです、と答えると、ラタラジューは⑤で、「ああ、私もネパール人です」とうれしそうに言っています。(http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ?t=28m22s参照:リンクを開くとその会話位置から再生されます。)

この会話は、うっかりするとその重要性を見逃すところですが、このラタラジューとカルパナさんとのやりとりこそ、意識体として生きているラタラジューが、今、ここに、自己内憑依現象として顕現化し、現在進行形の会話をしている、と解釈する外ないという現象です。

「前世の記憶」を、被験者里沙さんが、想起して語っている、わけではけっしてありません。

さらに、ラタラジューは、①で、現代ネパール語の妻の意味 srimati(シリマティ)が理解できず、意味不明な「おお、ジラリ」と答えています。

そこでカルパナさんが、②で現代ネパールの妻 srimati(シリマティ)と古いネパール語の妻 swasni(スワシニ)を並べて、Srimati, swasniko nam?(奥さん、奥さんの名前?)と再度尋ねると、
古いネパール語の妻に反応して③で、Ah ... ah ... mero swasni Rameli...Rameli.(あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)と答えることができたということです。

この会話事実は、前世人格ラタラジューが、一昔前のネパール人(ラタラジューの言では1816年~1894年) である傍証であると同時に、日本人である里沙さんが、日本に居て、古いネパール語の妻という単語 swasni(スワシニ)を学ぶ機会はまずあり得ないでしょう。

このことは「ラタラジューの事例」が、Responssive Zenogllossy(応答型真性異言)である強力な証拠の一つとして採用できると考えています。


Responssive Zenogllossy(応答型真性異言)の逐語録の一部をもう一つ紹介します。
以下に示すのは、イアン・スティーヴンソンの公刊している「グレートヒェンの事例」の逐語録の一部です。

この事例は、被験者である、ドイツ語を学んだはずのない牧師の妻(アメリカ人) に、夫の牧師が前世まで遡行するように催眠をかけたところ、グレートヒェンを名乗るドイツ人少女が顕現化し、ドイツ語話者とドイツ語で会話したという事例です。

「グレートヒェンの事例」は、録音は残っていますが、映像は撮影されていません。


注:C・J、I・S、K・Kはドイツ語対話者、S(グレートヒェン)は被験者 の略号。

イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世の言葉を話す人々』春秋社、1995、PP283-284。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

S: 連邦議会。

C・J:それで、連邦議会が何をするんですか。


S:いろいろなことがグレートヒェンには怖いんです。

C・J:おいくつですか。

S:14歳です。

C・J:14歳。そうですか。それで、今どこに住んでいるんですか。

S:エーバースヴァルデです。

I・S:エーバースヴァルデ。

S:はい。

C・J:エーバースヴァルデはどこにありますか。

S:ドイツです。

I・S:エーバースヴァルデ。 

K・K:ドイツ。

S:はい。

K・K:ドイツのどのへんですか。

S:わかりません。

K・K:オーストリアではありませんか。

S:違います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前掲書P236の中でスティーヴンソンは、催眠中に顕現化した上記逐語録のS(グレートヒェン)を、「ドイツ人とおぼしき人格」、あるいは「トランス人格」と呼び、グレートヒェンを被験者Sの「前世の記憶」ではなく、私と同様、催眠中に顕現化した「前世の人格」として扱っています。

しかし、なぜ前世人格グレートヒェンが、前世の言葉であるドイツ語で会話できたかについては一切言及しないばかりでなく、そもそも前世人格グレートヒェンが、被験者Sのどこに存在しているかについても述べていません。

 SAM催眠学の「自己内憑依仮説」は、スティーヴンソンが言及をためらったこの問いに、答えを出そうと試みたものです。

ちなみに、里沙さんの守護霊に、この問いについて尋ねたところ、「ラタラジューは憑依としてとらえなさい」と明言しています。


注:催眠中の特性として「企図機能の低下」が挙げられます。つまり、被験者は、自発的に何かを話そうとするような意欲が低下し、尋ねられたことだけに返答するのが普通です。
したがって、ラタラジューが、「あなたはネパール人ですか」と自発的に尋ねたことは特異な反応といえます。これは、「グレートヒェン」の反応と比較すれば一目瞭然でしょう。なお、「グレートヒェンの事例」の逐語録を詳細に検討しても、グレートヒェンが自発的に発問している対話部分はほとんどありません。ちなみに、グレートヒェンが、ドイツ語対話者に対して「あなたはドイツ人ですか?」などの発問した個所は皆無です。


(その7につづく)

2014年5月23日金曜日

「憑依仮説」

   SAM催眠学序説 その5


2007年1月23日0時6分に受信者(霊媒能力者)M子さんから転送されてきた私あて第12霊信では、私の16項目の質問に対しての送信霊からの回答が返信されてきました。

「SAM前世療法」は、この霊からの回答に基づいて作業仮説が設けられ、その検証の過程で定式化されていったという特異な前世療法です。

さて、私は、送信霊に対して最初の質問として次のように尋ねてみました。

「脳・心・意識・潜在意識・魂の関係はどうなっているか、心は脳の生み出す付随現象なのか、それとも心は脳と別個の存在であるのかを教えてほしい」

これに対して、送信霊は、A四用紙一枚半に渡って回答を返信してきました。
 
その回答で不明なことをさらに質問としてM子さんに送信すると、その回答が第13霊信として
返ってきました。
その上で、さらに不明な点の質問を彼女に送信すると、第14霊信として返信がありました。大変入り組んだ説明をしていますが、その要点をまとめてみると次のようになります。

①脳と心は別のものである。

②心は魂に属するもので、外部の情報を識別するための道具である。
 

③心は意識を管理するもので、心と意識(顕在意識・潜在意識)は別のものである。心の中心は、心臓を包むように、その位置を中心として存在している。
 

④意識(顕在意識・潜在意識)は、脳ではなく魂の表層(側面)の者たちが作り出している。
魂の表層の者たちとは、これまで転生してきた者たちと現世の者である。魂の傷とは、表層の前世の者たちの傷である。前世の者たちは、互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を与え合っている。
 

⑤意識(顕在意識・潜在意識)の座は霊体にある。霊体が個人的意識を持つ。
 

⑥死後、霊体は魂から離れる。霊体の持つ個人的意識は魂の表層の現世のものに取り込まれる。そして、来世では前世のものの一つとして表層に位置付く。
 

⑦魂は肉体すべてに宿り、霊体は魂を取り囲み、肉体を保護する役割を担う。霊体の色がオーラである。
 

⑧深い催眠中の魂状態としてあるときは、守護的存在や未浄化霊など霊的存在が降霊しやすい状況にある。守護霊との対話は、守護的存在と魂の求めが成立して行われる。
 

霊信は以上のような、魂の仕組みと、脳・心・意識の関係を告げてきたのでした。

霊の告げた「脳と心の二元論」は、前世の存在を前提としておこなう前世療法にとっては違和感はなく当然だとしても、それ以外のことについては、私には初耳であり俄かにはとても信じがたい内容であり、理解に苦しむことばかりでした。


霊信が告げた前世療法成否の理由

もう一つの大きな質問が、「なぜ前世療法において前世の記憶を想起できる人とできない人とがいるのか、その理由が何かあるのか」ということでした。これについて送信霊は次のように回答をしてきました。

前世退行は必要に応じて行われるものであると判断しなさい。そして、戻れない者、要するに、深い変性意識へと誘導されない者、視覚イメージを受け取れない者に対しての要因は二種あるのだと理解しなさい。それらに共通するのは「霊的存在により起こる」ということである。それらは、守護的存在とそれを妨げるものとに分けられる。それらは、守護的存在が下す判断、そしてその対象者の傷を癒す流れを留めるものによる意図が要因である。確かに催眠技量は必要である。だが、あなたの催眠技量は必要基準を満たしている。あなたが前世療法をおこなえない者は、必然であるのだと理解しなさい。今後、あなたはそれについて探究していくだろう。よって、守護的存在からの意図である場合も、妨げるものによる意図も、あなたの周りの協力により判断を下せるようになる。

私の問いの意図は、前世に戻れない理由を知り、それによって前世療法の成功の確率をさらに高めたいということでした。

しかし、成否の鍵を握っているのは催眠法の技量の問題ではなく、「霊的存在」の意図によるものであり、不成功は「必然である」ということになれば、霊能者ではない私には、もはやお手上げだと諦める外ないと思いました。


憑依霊が告げた浄霊方法

ところが、この第12霊信の5日後、2007年1月28日のセッション中のクライアントに守護霊とおぼしきものが憑依し、「妨げるもの」つまり、未浄化霊(この世をさまよっている霊)と呼ばれる霊的存在を、浄化によって排除する方法を教えてくれるという不思議な符合的出来事が起こったのです。

まさに、「周りの協力」らしきことが起きたと思わざるをえませんでした。

クライアントは、私の知人の女性の姪に当たる40代の女性でした。

統合失調症の診断が下りているこのクライアントの主訴は、不幸続きの人生の原因を前世との関わりの気づきによって知り、これからの人生の指針を得たいというものでした。

統合失調症のクライアントを、深い催眠状態に入れることには危険が伴いタブーとされています。それを説明した上で、敢えて前世療法の依頼を受けた事情により、知人の女性にはセッションに同席してもらいました。

深い催眠状態にまで誘導したことを確認したところで、クライアントは、突然次のように語り出しました。

「今日は、前世療法の新しい展開を教えるために、神様のお使いで参りました。これから、あなたに浄霊の仕方を教えます」と。

どうやら、高級霊と呼ばれる存在がメッセージを携えて憑依したらしいと察した私は、動揺を隠して、その浄霊の方法を聞いてみることにしました。

それは前項の霊信の「周りの協力によって妨げるものの判断が下せるようになる」という文言と、前日にM子さんにおこなったセッションで、「これより先へと進むたび行うであろう霊信の口頭による伝達がある」とケイシーを名乗る霊の告げた文言とが頭をよぎったからでした。

その「神の使いを名乗る霊的存在(高級霊と呼ぶ)」が教えたことは、要するに、前世に戻れない場合は、その者に未浄化霊が憑依している可能性があるから、浄霊して霊界へと送り出してやりなさい、ということでした。

その道具として、不動明王の真言と般若心経を用いなさいということでした。

私は霊信との符合の不思議さに駆られて、憑依霊に「あなたは、私に霊信を送ってきた守護霊団との繋がりがあるのか」と尋ねてみました。

回答は「神様と守護霊団の指示によって、あなたのもとに参りました。霊団は時期を見て霊信を再開します」というものでした。

M子さんを受信者として経由する私あて霊信は、2007年2月14日を最後に途絶えていました。
もちろんこのクライアントが、私に霊信が届いていることや、それが途絶えていることを知る由もありません。

さて、縷々述べてきた憑依現象に関わる「意識現象の諸事実」をSAM催眠学では、霊的存在が実在し、その憑依現象を認める立場に立っています。

これを、SAM催眠学における「憑依仮説」と呼んでいます。

そもそも、SAM前世療法の作業仮説が霊信の告げた諸内容をもとに成り立っていますから、私の守護霊団を名乗る送信霊の存在を認めていることは明白です。


注: 「憑依」と言うと、おどろおどろしい語感がつきまといますが、SAM催眠学では「肉体を持たない諸霊が、肉体を持つ者の肉体諸器官(発声器官など)を使って自己表現すること」と定義しています。なお、2007年1月~2月の1ヶ月余に渡って送られてきた私あて全霊信は、このブログに公開してあります。(ラベル「私あて霊信の公開」参照)


(その6へつづく)

2014年5月16日金曜日

「霊体仮説」

   SAM催眠学序説 その4


意識・潜在意識は、脳の付随現象ではなく、魂表層の前世のものたちがつくり出している、というのがSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」でした。
それではつくり出されている意識・潜在意識の宿っているのはいったいどこでしょうか。
それに答えるのが、下記の「霊体仮説」です。

意識・潜在意識は「霊体」に宿っている。
 

霊体は、肉体と魂を守るために、くまなく肉体を覆う透明な防護服のような働きをしている。
 

霊体の色が、オーラである。
 

霊体は肉体と共通する要素を持ち、肉体と密接につながっている。
したがって、霊体に宿っている潜在意識を、肉体のどこにでも宿らせることが可能である。


以上を、SAM催眠学の提唱する「霊体仮説」と呼んでいます。

そして、「意識・潜在意識は霊体に宿っている。霊体は肉体と魂を守るために、くまなく肉体を覆う透明の防護服のような働きをしている。霊体の色が、オーラである」という仮説の前半は、私あての霊信が告げていることです。

仮説後半の、「霊体は肉体と共通する要素を持ち、肉体と密接につながっている。したがって、霊体に宿っている潜在意識を、肉体のどこにでも宿らせることが可能である」という部分については、私の推論から導き出したものです。

ふつうの人には霊体の色であるオーラを見ることはできません。
里沙さんには見えると言います。

私のオーラの色が、里沙さんには金色に見えると言いますが、ある都市のライオンズクラブの講演に招かれた折り、世話係をしてくださった若手社長さんから同様のオーラの色を指摘されたことがあります。
また、現職教頭であったときに、勤務校の女性教員に同様のオーラの色を指摘されたことがあります。

しかも、肉体の病める部分のオーラが黒ずんで、あるいはくすんで見えると報告しています。
そこで、里沙さんには情報を一切与えず、腰痛持ちの知人S医師のオーラを見てもらったところ、腰部分のオーラが黒ずんでいることを指摘し、腰部分が病んでいることを言い当てるという検証結果を得ています。

また、オーラの澄み具合、濁り具合で、体調の善し悪しが判断できるとも言います。
こうした事実から、霊体は、肉体と密接なつながりを持つ共通の要素を持つのではないかと推測されます。肉体と霊体とが相互影響関係にあるとすれば、霊体に物質(肉体)的要素があるからこそ、物質である身体の状態が、霊体に反映されると考えられるからです。
当然、その逆も起こります。
霊体の状況が身体に反映されるということです。

このように、霊体が物質(肉体)的要素を持っているからこそ、霊体と肉体とが相互に影響を及ぼし合うことが起こると考えられるというわけです。

そして、霊体と肉体の結節点がチャクラと呼ばれているものではなかろうかと考えられます。
したがって、チャクラからヒーリングエネルギーを入れることによって、霊体全体を癒し、それを肉体全体の癒しに繋げることができると推測し検証中です。
私あて霊信によれば、スピリットヒーリングには霊体を癒す力があると告げているからです。
これまでの検証では、推測を裏付ける結果を得ています。

こうしたことから、霊体に宿っている潜在意識を、霊体とつながりのある肉体のどこにでも任意の個所に移し替えることが可能ではないかという着想が生まれました。
米国の催眠療法家L・M・ルクロンは、催眠下の潜在意識に対して質問し、情報を引き出す「観念運動応答法」を提唱しています。

ルクロンのことばで観念運動を説明すれば、下意識(潜在意識)に支配された動作のこと、ということになります。
ただし、ルクロンは、潜在意識は脳がつくり出していると考えているようです。

具体的技法は、潜在意識に指の運動を支配させ、質問に対して、イエスなら親指を立てる、ノーなら小指を立てる、分からないなら中指を立てる、という動作のルールを潜在意識と約束し、質問に対して指の動作で回答をさせます。
にわかに信じ難い技法ですが、かなりの数の実験をしてその無意識的に起こる動作による回答が検証できています。
そして、被験者は、指の動作を意識的にしている自覚は全くないことを確認しています。
指は、無意識的に勝手に、自動的に動作を起こすと報告しています。

こうしたことから、霊体に宿っている潜在意識を、指そのものに移し替え、指を潜在意識そのものが宿ったものとし、その指の魂への遡行運動によって、魂の状態へと導かせることができるのではないか、という着想を得ることができました。

なぜなら、潜在意識はそれを生み出している源である魂表層の前世のものたち、あるいは魂の状態を知っているはずだと考えられるからです。
この、潜在意識の宿る指の動作によって、魂状態まで導かせるという技法こそ、SAM催眠学の霊体仮説によって編み出されたSAM前世療法独自・固有の奇想天外な「魂遡行催眠」と名付けた技法です。

「ラタラジューの事例」の前世人格ラタラジューは、この「魂遡行催眠」の手続きによって、魂の自覚状態まで遡行し、魂表層から顕現化した前世人格です。

また、同様の手続きを踏めば、誰もが魂状態の自覚に至り、前世人格の顕現化が起こりますから、これは普遍的な現象だと考えられます。
これまで知的訓練を十分に受けているはずの国・私立大学教授10数名、医師10数名が魂の自覚状態に至り、前世人格の顕現化現象を体験しています。

そして、同様の手続きを踏めば、ラタラジューにしても、タエにしてもその顕現化には再現性があります。
誰でも同様の手続きを踏めば同様の結果が得られる、という「再現性」の観点からすればSAM前世療法には科学性があると考えてよいと思われます。

ただし、顕現化した前世人格が検証可能な情報を話すことは極めてまれであり、里沙さんという一人の被験者が、タエとラタラジューの二つの検証可能な前世の情報を語ったということは、世界的にも希有の事例だと言えます。

20数年かけ、世界中から2000例以上の前世の記憶を語る子どもの研究をしたイアン・スティーヴンソンは、その著『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989で次のように報告しています。

「二つ以上の前世を記憶しているという子どもが少数ながら存在するという事実を述べておく必要がある。・・・これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもを一人しか見つけだしていない」 前掲書PP.332-333


注: SAM催眠学で言う「魂」とは、「現世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体」を意味する用語です。宗教的意味は一切ありません。この概念をイアン・スティーヴンソンは、ギリシア語でサイコフォー(心搬体)と呼んだらどうかと提案しています.。宗教臭を回避して「心搬体」と呼んだところで、いわゆる「魂」と同義であるので、SAM催眠学では用語の混乱を避けるため「魂」と呼びます。ただし、SAM催眠学で言う「魂」は、これまでの一般的な魂の概念(辞書的定義)とは異なり、「魂は二層構造をしており、その表層部分はこれまでの前世の人格たちによって構成されている」という、わたし宛霊信の告げた概念(創出的定義)で用いています。


(その5につづく)

2014年5月6日火曜日

「魂の二層構成仮説」


   SAM催眠学序説 その3


SAM催眠学の「心・脳二元論」仮説は、きわめて少数ながら、すぐれた脳科学者・催眠学者がみずからの実験研究の結果、晩年になってこの見解に至っています。
W.ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞受賞者、催眠学の泰斗成瀬悟策などを挙げることができます。

しかし、彼らは、心が脳の付随現象ではない、脳は心を生み出してはいない、という見解に至ってはいますが、心がどこで生み出されているかについては沈黙したままです。
おそらく、心と脳とは本質的に別物である、という結論に至りながら、それでは心がどこで生み出されているかについては「分からない」というのが正直なところでしょう。
同様に2006年以前の私も、臨床催眠の経験の累積から、心と脳の二元論を受け入れてはいましたが、心がどこで生み出されているかについては、想像すらできないでいました。
ところが、2007年1月23日~25日の私あて第12~14霊信では、次のように告げてきました。

「意識・潜在意識は、魂の表層を構成している前世の人格たちがつくり出している。
 

前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている。
 

彼らは互いに友愛を結び、それぞれの人生で得た知恵を分かち合っている。
 

こうして魂の表層全体は、成長進化へ向かうように仕組まれている。
現世の「私」という人格も魂の表層の一つである。
 

こうして、魂の表層を構成する一つである「私」は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない。

以上が、SAM催眠学の提唱する「魂の二層構造仮説」です。

この作業仮説で、霊信の告げたこと以外の私の推論は、「前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている」、「魂の表層を構成する一つである『私』は、他の前世の人格たちの影響を良かれ悪しかれ受けないわけにはいかない」という部分だけです。

そして、この推論は、SAM前世療法のセッションで観察できる「意識現象の諸事実」によって確認できたことに基づいています。

具体的には、良好な催眠状態を、30分程度かけて、ぎりぎりまで深化させていくと、12歳~82歳の老若男女を問わず、誰でも「魂状態の自覚」に至り、その意識に至れば誰でも「魂表層の前世の人格」を呼び出すことが可能になり、前世人格との対話ができるという「意識現象の事実」が証明しています。

詳しくくは、下記URL、mixiコミュニティ「前世療法の探究」のトピック「SAM前世療法体験報告」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2399316&id=24937201 に豊富な事例があります。

また、、「前世の人格たちは、当時の感情そのままで今も生きている」という仮説の証明は、応答型真性異言「ラタラジューの事例」中に、顕現化した前世人格ラタラジューの現在進行形の対話によって証明されています。

なお、ヴァージニア大学人格研究室の故イアン・スティヴンソンは、応答型真性異言の事例研究のうち「グレートヒェンの事例」において、催眠中に顕現化し、ドイツ語で対話する前世の少女グレートヒェンを「トランス人格」と呼び、「前世の記憶」として扱っていません。

「トランス人格」とは、催眠中のトランス状態において顕現化した前世の人格の意であり、SAM催眠学が主張する「前世人格たちは当時の感情そのままで今も生きている」とする仮説を支持しています。
ただし、スティーヴンソンは、トランス人格の所在を明らかにしてはいません。

SAM催眠学では、その所在を「魂の表層」であるという仮説を持っています。

この仮説に基づいて、被験者の魂の表層から顕現化させた前世人格が、ネパール人ナル村村長を名乗るラタラジューであり、前世人格ラタラジューは、被験者の学んだことのないネパール語による対話を24分間しており、この「魂の二層構造仮説」を支持しています。
なお、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、you-tubeで公開しています。
http://youtu.be/JBiM7rU6jmQ

また、フジテレビ系列の番組『奇跡体験アンビリバボー』で、2010年10月に60分間紹介されています。

唯物論に真っ向から対立するSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」は、この仮説への諸検証によって支持されているのです。


注:SAM催眠学では、「前世」と「過去世」の用語を「前世」に統一して用います。正確な概念では、現世の直前を「前世」と呼び、それ以前を「過去世」と呼ぶのが一般的ですが、「前世療法」の用語が流通している実情から、あえて「前世」に一貫して用いることにしています。


(その4へつづく)

2014年5月2日金曜日

大前提としての「意識・脳の二元論仮説」


   SAM催眠学序説 その2



これから述べていく「SAM催眠学」とは、SAM前世療法の作業仮説とそれに基づく検証作業によって、明らかに示されてきた「諸意識現象の事実」を、SAM前世療法という固有・独自の観点によって、これまで取り上げられなかった、「意識現象の事実」としての「霊的現象」の体系化を試みようとするものです。

つまり、SAM前世療法によって確認されてきた個々の霊的「意識現象の事実」を、一定の原理によって組織された知識の統一的全体へとまとめあげようとする試みです。
この試みは、これまでの催眠学の体系とはまったく異なる様相を示すことになるはずであり、またこれまでの催眠学と大差のない説明体系であるなら、わざわざ新たに「SAM催眠学」を称する必要はありません。

当然のことながら「SAM催眠学」は、これまで霊的現象を取り上げてこなかった、あるいは否定してきた催眠学への批判と反論にならざるをえません。
さて、「SAM催眠学」として理論化ないし体系化することは、次のような作業をおこなうことを意味します。

「SAM催眠学」の諸対象(意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。

長々と前置きを述べましたが、今回取り上げることは、SAM催眠学の大前提である作業仮説としての「心・脳の二元論」です。

作業仮説とは、「その仮説が検証事実によって否定されないかぎり、ひとまず真理であるとみなしておく仮説」だと定義しておきます。
なぜ、作業仮説が必要か。

それは、ある事象・現象のメカニズムの探究を進めるための有用な道具として設定しなければ、探究にとりかかれないからです。

この定義にしたがうと、地球科学では、ウェゲナーの「大陸移動説」などは壮大な作業仮説です。
心理療法では、精神分析学を創始したフロイトの「汎性欲論」や、ユングの「元型論」も作業仮説です。

そして、SAM前世療法の「心・脳二元論」も作業仮説です。
私の思いとしては、フロイトやユングの提示した「汎性欲論」や、「元型論」が作業仮説として認められるのであれば、それが霊的存在が告げたこと(私あて霊信)に基づいているからといって、「心・脳二元論」が認められないという理由にはならないと考えています。

生まれ変わりを認める立場では、一般的に流布されている「心・脳一元論」仮説は、論理的帰結として 認めることができません。

脳内電気信号と神経伝達物質の化学変化のシステムの統合体である脳という臓器(物質)が、心(意識・潜在意識)をつくり出しているという「心・脳の一元論」に立てば、脳の消滅とともに、心も消滅することになり、心(記憶)のすべては無に帰することになります。

前世の記憶などがあるはずがない妄想だということになります。

しかし、私は「ラタラジューの事例」によって、応答型真性異言を証明し、この現象が生まれ変わり仮説以外に説明のしようがないと確信を持つに至っています。

とすれば、脳とは別個に、生前の記憶を保持し、死後も存続している何らかの意識体を想定しないかぎり、ラタラジューという前世人格が顕現化する超常現象が説明できません。
死後存続するこの意識体を、とりあえず「魂」と呼んでおきます。

SAM催眠学で用いる「魂」という用語は、宗教的な意味はありません。
「前世から来世へと人格の心的要素を運搬する媒体(意識体)」というほどの意味で用います。
この媒体(意識体)を、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンは、「心搬体(サイコフォー)」と呼んだらどうかと提案しています。

人間は、「脳」とは別個の「魂」と呼ぶ意識体を蔵しており、「魂」は「脳」の消滅後も存続する、これが生まれ変わりを認めるSAM催眠学が主張する大前提としての作業仮説です。

そして、現行唯物論科学の知識体系に真っ向から対立する作業仮説です。
しかしながら、「意識・脳二元論」は、W.ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなど少数の優れた脳科学研究者が、自らの実験結果の末表明しており、けっして真新しい仮説ではありません。
日本の科学者では、臨床動作法(催眠を母体にして生まれた心理療法)を創始した世界的催眠学者、成瀬悟策医学博士も、講演のなかで「脳は心の家来です」という表現で、自らの催眠実験研究の末、「意識・脳二元論」に至り、それを表明していると思われます。

唯物論科学の知識体系に染まりきっている現代人は、「魂」と聞くだけで非科学的だと腰が引け、そうしたことばを回避して唯物論知識の枠内の説明原理を無理矢理ひねり出したり、それができないとなると、無視することが常態になっていると思われます。

こうした常態が生じているのは、「非科学的」という言い方について、「唯物論の知識体系」と「科学の方法論」の混同があるからだと思われます。

この混同が、唯物論科学の知識体系から外れた現象・事実、あるいはそれを対象とする研究すべてを「非科学的」だと決めつけてしまう偏向を生み出していると思います。

「非科学的(態度)」とは、論理的思考、合理的検証、先行研究との照合など「科学の方法論」による検討を経ないで、その現象・事実を真理だと鵜呑みにする短絡的態度のことを指して言うことばです。


注: ここでは「魂」と「心」を同様の意味合いで用いていますが、SAM催眠学ではそれぞれ異なる概念で用います。とりあえず、「心」とは、「魂」の機能のうち一つの役割を持つもの、と解釈しておいてください。のちほど「心」についての、SAM催眠学上の定義を述べることになります。


(その3へつづく)