2012年2月10日金曜日

「ラタラジューの事例」への反論と再反論その2

前ブログに紹介した「ラタラジューの事例」へのお二人の反論は、端的に言えば、
①ラタラジューの発話は空耳の羅列であり、ネパール語の応答的対話とは認められない。
②ラタラジューの応答的対話程度なら、ネパール語を学習していなくても誰でも対話が可能である。
という反論です。
つまり、お二人の反論はともに、ラタラジュー(里沙さん)が、そもそもネパール語を習得していないという主張です。要するに、応答型真性異言とは認められないというわけです。
そこで、ラタラジューがネパール語を習得していること、しかも現代ネパール語ではなく、かなり古い時代のネパール語単語を用いていると推測できる事実を紹介します。
真性異言研究チームの中部大学大門正幸教授が、『スピリチュアリティの研究』を風媒社より出版されました。
この本の後半は、共同研究者として実験セッションに立ち会った大門教授の視点から、「ラタラジューの事例」のネパール語分析が述べられています。そして、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット社、で私がすでに触れている同じ会話部分(同書P107)の分析の補足として次のような記述があります。
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ラタラジュー人格が話すネパール語がタマン語話者の話すネパール語、それも大変古いネパール語であることを示唆する痕跡が見つかりました。それは数字の数え方です。
死亡した年齢を聞かれたとき、ラタラジュー人格は、aaTh sattariri(アト サトリ=8と70)のように答えています。現代のネパール語では1の位を先に述べるような数え方をしないので、カルパナ氏(ラタラジューと会話した話者)はとまどいながら「70ですか?」と答えています。
カルパナ氏の反応を裏付けるように、この部分を聞いたネパール人は、口をそろえて「ネパール語としては不自然だ」と判断しました。
しかし、現地でこの点について確認したところ、78歳のプリティヴイ・ガラン氏が「確かにナル村では、昔は『8と70』という数え方をしたが、教育が普及してからそのような言い方はしなくなり、今の人に聞いてもそのような数え方を知っている人はほとんどいない」と語ってくれました。
大門正幸『スピリチュアリティの研究』風媒社、P81
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ラタラジュー人格が、死亡年齢を「8と70」、つまり、78歳だと答えたことの重要性は、4年前の1回目のセッションで、日本語で「78歳で死んだ」と明確に答えており、4年後の時点でもネパール語で、「8と70」=78歳で死亡したと死亡年齢にぶれがなかったことにあるととらえたことでした。
つまり、4年前のセッションで顕現化したラタラジュー人格と4年後に顕現化したラタラジュー人格が、同一人格であることの証明として重要性を認めたということでした。
これは、ラタラジュー人格が里沙さんの恣意的に作り出した架空の人格ではない状況証拠だと思われたからです。
大門教授のおこなったナル村現地調査で、「8と70」という年齢表示法が、かなり古いネパール語の年齢表示法として実際に使われていたという確認は、「ラタラジュー」という昔に使われた名前であることに加えて、100年程度以上の昔にラタラジューが実在した状況証拠と言えそうです。
なぜなら、ラタラジューが実在したのは、彼の語りによれば、1784年~1933年のうちの78年間であろうと推測できるからです。
「8と70」という奇妙な年齢表示をラタラジューがしたのは、古い時代のネパール語話者としてはむしろ当然の表示法であり、ラタラジューが実在した状況証拠の一つであると認定できそうです。
また、「8と70」という、現代ネパール語では用いない年齢表示法は、仮に被験者里沙さんが密かにネパール語を学習していたにしても、まず学べるはずのない年齢表示法であり、里沙さんがネパール語を学んではいないという証拠(真性異言の証拠)でもあると言えそうです。
大門教授の現地調査とは別に、筆者がナル村の現地調査を依頼したネパール在住ネパール人文化人類学者ソバナ・バジュラチャリヤ博士の調査で、ラタラジューの実在は戸籍やその他文書、34名のナル村古老への記憶聴き取り調査でも確認はできませんでした。
しかし、「8と70」という年齢表示を用いていることをはじめ、今ではほとんど口にしないコドという雑穀の食物、多くのヒルの実在、山での火葬、フラッシュバックしたナル村風景などの語りの事実の諸検証結果は、ことごとく事実と一致し、このことは、ラタラジューの実在していたことを示す状況証拠だと判断できるものです。
被験者里沙さんが当てずっぽうで語った内容が、すべてまぐれ当たりしたとはとても考えられません。
ラタラジュー人格が、ナル村の自然・生活環境を語っているからこそ、検証事実と一致したとみるべきでしょう。
しかしながら、ラタラジューの語り内容がことごとく事実であることが検証できても、里沙さんが催眠中に超ESPを駆使して入手した情報を語ったのだという「超ESP仮説」が適用され、前世人格などを想定しなくとも、生きている人間(里沙さん)の心の力(超能力)によって説明されてしまいます。
超ESP仮説は、途方もないトンデモ仮説ですが、超能力の限界が分かっていない以上、理論的には万能の超能力が発揮される可能性を排除できません。
SPR(サイキカル・リサーチ=心霊現象研究)と超心理学の100年以上にわたる死後存続証明の前に、最後に立ちはだかってきたのが、このやっかいな超ESP仮説でした。
死後存続研究者たちは、超ESP仮説がなければ、とっくに死後存続は証明されていると考えています。
したがって、ラタラジューの語り内容が事実であることが検証できても、それだけではラタラジュー実在の完全な証明にはならず、状況証拠であるに過ぎないというわけです。
したがって、なによりも強力な証拠は、ラタラジューの会話が「応答型真性異言」であることです。しかも、現代ネパール語では用いない年齢表示をしているという事実です。
会話能力は情報ではなく技能ですから、練習なしには獲得できず、超ESPによっても技能は獲得できません。
応答型真性異言の証明によって、すでにそれを話した前世人格の存在も証明されたといっていいのでしょう。
応答型真性異言の証明に加えて、さらに語り内容の検証で事実と一致すれば、ラタラジューの直接の実在証明ができなくても、「生まれ変わり仮説」以外に説明のしようがない、というのが筆者の主張です。
こうしたことから、現時点の科学的諸検証結果を検討するかぎり、私は、里沙さんという被験者においては、「ラタラジューの生まれ変わりは事実である」と宣言できると思います。
そして、里沙さんにおいて、生まれ変わりを認めたことによって、魂(生前の個性や記憶を保持し、死後存続する意識体)が実在する、と宣言できると思います。
そして、一人の被験者に起きている生まれ変わりが、他の人々にも起きている蓋然性は高い、と推測することは自然のなりゆきだろうと思います。

2 件のコメント:

ヤングティーン さんのコメント...

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これ程のラタラジュー存在の状況証拠や応答型真性異言の証拠があって学んでないと言うのは不自然ですね。
しかも、これらの証拠が20分余りのビデオで収まっており、一つ一つ検証してるというのは、生まれ変わりへの強い関心と健全な懐疑心が無ければ出来ないです。
率直にすごいと思います。
この事例の検証は、生まれ変わりや魂の研究にとどまらずに、物理学、生物学、哲学、社会学の様々な学問の貴重なものだと思います。

稲垣勝巳 さんのコメント...

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>ヤングティーンさん
私が執拗にラタラジューの語り内容を検証する理由は、自分の生きているうちに、自分の手で生まれ変わりの真偽をすっきりさせたいということに尽きます。
それは、私が死を迎えるまでに、これまでの時間より間違いなく短い時間しか残されていないことを強く自覚するようになったからです。
死によってすべてが無に帰するのか、なんらかの形で死後が存在するのか、答えはいずれかです。
その答えを知って死を迎えたいと切実に思います。