2012年2月11日土曜日

「ラタラジューの事例」への反論と再反論その3

前世人格ラタラジューがネパール語で対話していること、しかも公式のネパール語ではなく、地方色の濃いネパール語単語を知っている痕跡について紹介しておきます。
もちろん、二人の反論者の言うような、空耳の羅列として聴き取れるものではありませんし、ネパール語を知らない話者が、話せるはずのない単語です。
拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』P55に、下記のような里沙さん(ラタラジュー)と対話者カルパナさんのネパール語対話逐語録があります。
KAはネパール語話者カルパナさん、CLは里沙さんです。
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KA  Tapaiko srimatiko nam ke re? 
   (奥さんの名前は何ですか?)
CL  Oh jirali
   (おー、ジラリ)※意味不明
KA  Srimati, swasniko nam?  
   (奥さん、奥さんの名前?)
CL  Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
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うっかり聴き逃す会話個所ですが、注目すべきは、カルパナさんが、で妻という単語を srimati と用いたときには、ラタラジューは意味不明な Oh jirali  と答えていることです。
そこで、カルパナさんは、で srimati とともに妻を意味するもう一つの swasni という別の単語を並べ加えて再度尋ねています。
すると、ラタラジューは、mero swasni Ramel...Rameli.(私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)と答えています。
つまり、①で用いられた妻を意味する srimati ではその意味が理解できないとも受け取れる反応を示したのに対し、②で用いられたもう一つの妻を意味する swasni にはきちんと意味を理解して反応し、mero swasni Ramel..のように答えています。
どうも、ラタラジューには妻を意味する単語 srimati の意味が理解できず、 同義語 swasni なら理解できると言えそうです。
このことは、なにを意味しているのでしょうか。
中部大学のネパール人客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、
srimati は公式の一般的ネパール語であり、swasni は非公式、地方色の濃い語であるということです。
そして、swasni なら理解できるが srimati が理解できないという事態は、昔のネパール人やネパール語を母語としないタマン族のようなネパール人ならありうる、ということだそうです。(大門正幸『スピリチュアリティの研究』P68)
以上のような解釈に立てば、前世人格ラタラジューは、タマン族が97%(2010年現在)を占めるナル村の住人であり、100年程度昔の人間であるからこそ、公式のネパール語で妻を意味する srimati が理解できず、非公式の用語 swasni しか理解できないことは当然だと言えそうです。
つまり、 srimati の意味が理解できず、 swasni なら理解できるということは、ラタラジューがかなり昔のタマン族のネパール人として実在していた有力な状況証拠だと判断できると思われます。
同時に、仮に里沙さんが密かにネパール語を学んでいたとしても、非公式で地方色の濃い swasni というネパール単語を学ぶ可能性は、ほとんどありえないでしょうから、里沙さんが密かに、どこかで、誰かにネパール語を学んでいるはずだ、という疑いも晴れるということになります。
ちなみに、日本法医学鑑定センター(元大阪府警科学研究所長)荒砂正名氏によるポリグラフ検査でも、里沙さんがネパール語を学んだ記憶の痕跡は全くない、という鑑定結果が出ています。
詳細に分析すれば、わずか24分間のネパール語会話のなかであっても、ラタラジューが自分の実在を示す状況証拠をいくつも残してくれたことに驚くばかりです。
また、こうした発見を一つずつしていくことによって、前世人格実在の証拠固めをしていくことは、生まれ変わり研究の醍醐味でもあります。
ラタラジューは、確かに里沙さんのネパール人前世として実在していたのです。
生まれ変わりは、確かにあるのです。
そして、この生まれ変わりの事実は、生前の個性と記憶を保持している脳以外の意識体、しかも死後も存続するような意識体(魂)が存在する、と考えないと説明がつきません。
生まれ変わりが事実であれば、魂と呼ばれる意識体の存在を想定することは論理的必然です。
生まれ変わり研究の先駆者イアン・スティーヴンソンは、こうした死後存続する意識体を「サイコフォー(心搬体)」と呼ぶことを提唱しています。つまり、「心を運搬する意識体」という意味です。
生まれ変わりは科学的に証明されたのです。
百歩ゆずって、ラタラジューが前世人格ではなく、憑依人格であるとしても、「霊」の実在が証明されたと言えるでしょう。
前世人格か憑霊人格かを見分ける指標については、次のブログで私のまとめた見解を披露します。

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