2014年9月16日火曜日

「ラタラジューの事例」再考 


   SAM催眠学序説 その18


SAM催眠学では、私あて霊信にもとづいて、「心・脳二元論仮説」、「魂の二層構造仮説」、「霊体仮説」、「憑依仮説」などを打ち立て、生まれ変わりの科学的事実に肉薄することを探究してきました。

そして、少なくとも里沙さんという被験者については、「生まれ変わりは科学的事実である」と公言してきました。

その根拠が、これまで世界で4例(催眠下では2例)発見されている応答型真性異言(responsive xenoglossy) が、被験者里沙さんのネパール語によって起きたという科学的事実です。

 ネパール語の真性異言であると言いうるためには、被験者里沙さんが現世でネパール語を一切学んでいないという実証が徹底されなくてはなりません。

「ラタラジューの事例」は、2010年8月フジTV「奇跡体験アンビリバボー」で60分間にわたって放映されましたが、被験者里沙さんが現世でネパール語を一切学んでいないという具体的検証については、ほとんど触れられていません。
そのことが、TV放映しか見ていない唯物論者からは、意識的にせよ、無意識的にせよ里沙さんはどこかでネパール語を学んでいたのではないか(虚偽記憶ではないか)、という疑惑が持たれているようです。

そこで、「ラタラジューの事例」再考の最初に、真性異言である証明の根幹である具体的検証をどのように遂行したかを述べようと思います。 (この件については拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』で詳述しています)

これは、里沙さんの名誉を守るためであり、私の名誉を守るための作業です。


里沙さんがネパール語を学んでいないことの裏付け調査


この裏付け調査は、2009年6月から2010年8月にかけて実施したものです。

まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。

そこで、まず里沙さんに綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を可能な限りおこないました。
最初に、家族・親戚でネパール人、およびネパール語の話せる人間はいないことを確認しました。

それ以外の聞き取り調査とその裏付け調査の結果は次のようでした。


①結婚するまでの生育歴

里沙さんは、昭和33年(1958年)、岐阜県A市近郊の田園の広がる田舎町B町の自営業両親の二人姉弟の長女として生まれました。
幼稚園・小中学校・高校ともに地元の学校へ通学しています。

幼稚園は1学級30名、小学校は1学年2学級約60名、全校360名程度の小規模校でした。
中学校も、1学年2学級60名の小学校時代の卒業生がそのままスライドして、もう一つの小学校卒業生と一緒になり1学年2学級80名弱、全校240名程の小規模校でした。

高校は地元の普通科高校に通い、1学年400名、全校1200名ほどの規模でした。

幼・小・中・高時代の各友人の中で、里沙さんとネパール人、あるいはネパール語との接触を知っているという人物は皆無でした。

昭和40年代当時の在日ネパール人状況からしても、地方都市近郊の田舎町B町に在住していた形跡はないと推測でき、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付くほどに親しく長く交際していれば、その事実を友人たちに隠し通すことは不可能だと思われます。

ちなみに、ラタラジューのネパール語会話を解析したネパール人で、中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、ラタラジュー程度にネパール語を理解し話すためには、ネパールに2~3年滞在する必要があるのではないか、ということでした。

大学はA市の全学400名程度の四年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得しました。
彼女の大学時代に、ネパール人、あるいはネパール語との接触を知る友人は皆無でした。

大学卒業後、初めて実家を離れ、全校150名ほどの僻地中学校の学校給食栄養士として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を経験します。
この就職中にも、ネパール人、ネパール語との接触を知る同僚職員はいませんでした。
就職二年後、24歳で結婚のため退職、A市内商店街の食品小売り業の長男(地方公務員)の家に嫁ぎ、舅・姑と同居生活を送りました。

ここまでの生育歴で、里沙さんは、ネパール人との接触の事実は一切ないと証言してますし、ネパール語を学ぶ機会のもっともありそうな高校・大学時代においても、里沙さん在学中にネパール国籍の生徒・学生の在籍した事実はありませんでした。

前述のように幼・小・中・高・大学の各友人を通して、ネパール人、あるいはネパール語との接触を証言した人物は皆無でした。


②結婚後の生活歴調査

婚家は、A市中心の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的時間のほとんどない生活をしたということです。

息子が成人した頃には姑が体調不良なり、その介抱と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みとその治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりはほとんど持てない生活が続きました。

2時間以上の外出は姑との約束で制限が設けられ、それ以下の時間内で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。

やがて、家業を続けることが困難になり、2000年、42歳のときに店を閉めた後、2年間は県民共済組合のチラシ配りのパートタイマー、2002年からはNPO法人の紹介で食事介護のパートタイマーとして働き、現在に至っているとのことでした。

この結婚後の生活歴の中で、一日約3時間のパートの仕事中、あるいは家庭内生活中でネパール人、ネパール語との接触の可能性を確認するため、地方公務員であるご主人に問い合わせましたが、ネパール語会話の練習やネパール人の友人・知人等は結婚以来一切なかったとの回答でした。

里沙さんの夫が外国嫌いという事情もあり、夫婦ともに海外渡航歴は、新婚旅行でフランス・スイスに行った以外に一切ありませんでした。

また、里沙さんの住む商店街近辺にはアパートはなく、それ以外にも近所に在住するネパール人がいないことを確認しました。

ちなみに、里沙さんの住むA市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、初回セッションの2005年から第二回セッションの2009年までの五年間の年毎のネパール人の在住人数を調査しました。

その結果、最多の年で33名、最少の年は25名であり、総人口に占める平均割合は0、007%でした。

結婚後から現在に至る期間中に、里沙さんがA市内でたまたまネパール人と知り合い、夫の目を盗んで密かにネパール語を学ぶ機会はまずあり得ないと判断してよいと思われます。


③ネパール人と接触した唯一の記憶

里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りにその店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人物と接触した記憶でした。
私はその料理店の場所を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって密かに裏付け調査に出向きました。

店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。

ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。
ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。 

ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。

また、日本人にネパール語を教えたことはない、とのことでした。
もちろん、里沙さんが客として来た記憶は全くありませんでした。
また、ライさんはカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、まったく知らない答えました。
カトマンズ周辺に詳しいというネパール人ですら、ナル村の存在を知らなかったということです。
また、「ラタラジューの事例」は、2010年8月のフジTV「奇跡体験アンビリバボー」で放映されていますが、その中のカトマンズ市民へのインタビューでも、ナル村の存在を知る人はいませんでした。
ちなみに、ラタラジューが村長をしていたと語っているナル村は、カトマンズ中心から直線34㎞南方にある420世帯、住民2277名(2010年現在の調査)の寒村です。
カトマンズからナル村までは、山間部の未舗装道路を車で2時間~2.5時間はかかる距離にあり、日本人観光客が寄りつくような村ではないそうです。


里沙さん夫妻の証言書

里沙さんへの聞き取り調査をし、証言内容の裏付け調査をおこなった結果、彼女が意図的にせよ無意識的にせよ、ネパール語を学んだことを疑わせる痕跡は、何一つ浮上しませんでした。

ネパール語会話能力を身に付けるためには、中部大学客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士の見解からも相当の学習時間を要することは明らかで、彼女の結婚前の生育歴にも結婚生活の中にも、そのような学習時間が費やされた痕跡は一切発見できませんでした。

そもそも、ネパールに全く興味がないと断言する里沙さんには、ネパール語を学ぶ動機もなく、車または公共交通機関を用いて、外出時間制限の往復2時間圏内には、ネパール語の学習施設もありません。

そうした検証結果が出たところで、「ラタラジューの事例」を学会発表と出版することに承諾をいただき、そのための証拠資料として、次のような証言書に夫婦で署名・押印してもらいました。


                      証 言 書

ネパール人ラタラジュー人格が初めて出現した2005年6月の前世療法セッションのおこなわれた以前にも以後にも、私はネパール語を意識の上では全く知りませんでした。
 

また、ネパール語の勉強をしたこともありませんし、理解したり会話したりすることも全くできなかったことをここに証言します。
 

2005年6月の初回セッションから、2009年5月の真性異言実験セッションの間に、学校であれそれ以外のどこであれ、ネパール語を勉強したり、誰かにネパール語で話しかけられたりすることも、目の前でネパール語で会話されているのを見たり聞いたりしたことも全くありません。
 

私はインターネットが使えませんし、誰かに頼んでインターネットでネパールについて情報を調べたこともありません。
また、ネパールへ旅行したこともありません。
それは、ラタラジュー人格が初めて出現した初回セッション以前も以後も同様です。
 

現在も結婚前も、私の住んでいる地区・職場・親戚、学校時代の友人、現在の友人など、私の生活してきた環境にネパールの人は一人もおりません。
 

私が唯一ネパール語かも知れない言葉を耳にしたのは、息子たちと食事に行ったインドカレー料理店で、店員の異国の方が何か一言二言厨房に向かって短く異国語で話しているのを一度聞いたことがあることだけです。
ただし、この方がどこの国の人で、言葉が何語であるかは全く分かりませんでした。
 

以上の内容に間違いがないことをここに夫婦として証言します。

                                                                             夫   ○○○○  印
                                   妻  ○○○○  印


こうして、私の手でできる範囲で考えられる限りの里沙さん証言の裏付け検証はすべて終了しました。

残るは、権威の高い検査技師によるポリグラフ検査によって、里沙さんの証言の真偽の鑑定を得ることです。


(その19へつづく)

2014年9月5日金曜日

SAM前世療法が抱えている謎


   SAM催眠学序説 その17


前世人格と対話する「SAM前世療法」には、前世記憶を想起する「ワイス式前世療法」と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。

ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは数十名にのぼります。

この両方を経験したクライアントが報告される大きな共通項は次のように2つあります。


①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてうんと深い意識状態に入ったという自覚がある。

②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合には魂状態に至ると口頭で答えることができなくなる。


さて、①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を標準催眠尺度によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。

かつて、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)がもしあれば、そこへに戻ります」という暗示をしていました。

しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠体験である印象を受けます。

催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。

また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという意識をもつことはありません。
つまり自発的なイメージは架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の記憶がイメージ化して見えてきたという錯覚をもつ可能性を排除できません。

こうした催眠中に現れる自発的イメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示と、その期待に応えようとするクライアントの無意識的努力によって引き起こされた「フィクション」である、と口をそろえて主張します。
催眠中のクライアントが、セラピストの期待を察知し、その期待に無意識的に応えようとする心理的傾向を催眠学では「要求特性」と呼んでいます。


私の敬愛してやまない成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。

SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。
知覚催眠レベルに至ることがない深度で、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。
  
したがって、SAM前世療法では記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。
標準催眠尺度では測れない(これまでの尺度にはない)「魂遡行催眠」と私が名付けているレベルにまで深めます。
身体の自発的運動は完全停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。

SAM前世療法ではこうした最深度の催眠状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。

②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法の魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は、およそ5人に1人、約20%しか口頭で話せません。5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。

この口頭で話せないという現象は、SAM前世療法の催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発音できないのではないか、という推測は的外れのようです。
どうも、SAMの作業仮説に理由が求めることができるのではないかと考えています。

ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアントが「前世記憶を想起し報告するのです。

SAM前世療法では、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて対話する」という作業仮説でおこないます。
前世人格は、当時のままの感情を持ち続けて、意識体として魂の表層に今も生きている存在なのです。
こうして、多くのクライアントは、まず顕現化した前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
ビジョンが現れず、感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての改善効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。

私の対話相手はクライアントではなく、身体をもたない前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「発声器官の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。

ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。

私は、クライアントの意識の中に顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする(憑依している)前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法の構図になっているということです。

そして、このような信じがたいセッションの構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。

そしてまた、私あて霊信の恩恵による、SAM前世療法は、私以外に誰も発想できない療法でしょう。
正しくは、私独自の発想によるものではなく、霊信からの教示によるものです。

里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。

里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)

カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体(声帯)を借りて、自己表現している存在です。

里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
それは、このラタラジューのセッション直後に書かれている次のセッション体験記録からも垣間見ることができるでしょう。

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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
 
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。

なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。

悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。

ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。(後略)
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「でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした」、「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」霊媒的役割をまさに果たしたことを如実に語っていると思います。

イアン・スティーブンソンは、退行催眠中に現れた信頼できる応答型真性異言を2例あげています。ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語)」です。

ちなみに、スティーヴンソンも、私と同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」(催眠下のトランス状態で現れた前世の人格)と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別の人格が現れていると考えています。
つまり、クライアントが前世の記憶として真性異言を語ったとは考えていません。

「ラタラジューの事例」を含めても、催眠中下で偶発した応答型真性異言事例は、これまでたった3例の発見しかありません。
ほかに覚醒中に起きた偶発事例が2例あります。

生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話せないのか、これは、ほんとうに大きな謎です。

スティーヴンソンが存命中なら、「ラタラジューの事例」を自ら再調査にくるだろうと、スティーヴンソンの著作の訳者であり、彼と親交のあった超心理学者笠原敏雄氏は述べています。

私も、かなわぬ夢ですがスティーヴンソンに、この謎解きの見解を尋ねてみたいものだと思います。


(その18につづく)

2014年8月10日日曜日

SAM催眠学が明らかにしてきた「生まれ変わり」の仕組み

   SAM催眠学序説 その16


「永遠なる自由ー霊的哲学を求めて」というブログで、「生まれ変わり変わり」の仕組みについて、下記のようなモデル図で示した興味深い議論が掲載されています。
これを引用させてもらって、SAM催眠学が示す魂と生まれ変わりの仕組みについて、考察してみます。

ブ ログ管理者高森氏は、スピリチュアリズム霊学に基づいて5つの生まれ変わりの類型を提示しています。
SAM前世療法のセッションションであらわれる「意識現象の事実」から検証してきた、SAM催眠学の提唱す る「生まれ変わり」の概念は、高森氏の提示するⅤ型(多面体説)ということになるわけですが、以下にまずその高森氏の記事の問題となる部分(点線内)を示し、次いで記事の問題点を指摘したいと思います。

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Ⅴ.多面体説

これに対して、一応は「私という個性的存在」を認めつつ、魂なり霊なり宇宙精神なりを強調する考え方もあります。
これは、魂なり霊なり(X)は、Aという個人的存在を現世に生み出すが、Aは死後、魂や霊に付属して存在を続ける、そして魂や霊は、別のBという個人的存在を新たに世に生み出す、というものです。

次の図は、時間軸に沿った変化として見てください。なんか雪玉ゴロゴロみたいな変な形になりましたが(笑い)。

魂であるXは、A、B、Cという現世存在を次々に生み出していきます。
A、Bは死後も一応の個別性を持ちながら、魂Xとともにあります。
シルバー・バーチの「魂はダイヤモンドのような多面体であり、あなたはその一面なのだ」というような説や、稲垣勝巳さんの「人格は魂の表層のもの」という説は、おそらくこういうふうになるのではないかと思います。(ひょっとすると違うかもしれません。)
 
さて、この構図で問題になることは、まず、「個別の人格は生まれ変わりをしない」ということになるということです。
視点を個別人格に取ると、AはBに生ま れ変わっておらず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に「カルマ」などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変 わったということにはなりません。
大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)

むしろ、「魂=X」は、次々に現世人格を生み出す」という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概念が必要とされるのではないでしょうか。

 もうひとつ問題になるのは、死後の「人格」の状態です。
一番右の時点で、AとBは、どういう状態で何をしているのでしょう。
一般的に、死後存続説というも のは、単に「残る」ということではなく、「活動を続ける」ということを含意しています(古代ユダヤ教の「冥府での眠り」――復活を認めないサドカイ派の死後観――はですから死後存続説としては異常説です)。
AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です。

つまり、このような捉え方(あくまでこの図のような捉え方ということ)は、「生まれ変わりの否定」であり、場合によっては(死後人格の活動状態いかんによっては)、死後存続の否定にもなりかねないということになります。
(中略)
特にⅤ多面体説の場合は、AとBとCが同じXに属するものであるということを立証しなければならず、またABC間の関係も説明しなければならず、相当ハードルは高くなってしまうでしょう。
(中略)
死後存続研究者(たぶんデュカスだったと思います)が言った「死後存続については、どういう条件が満たされると証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」という言葉と同様、「生まれ変わりについては、どういう条件が満たされると生まれ変わりが証明されたことになるのか、まったく合意ができていない」ということになっていると思われます。

霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、「何が生まれ変わるか」「生まれ変わりの定義とは何か」についてすら、合意ができていないようです。(引用終わり)

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 上記の高森氏の記事について、SAM催眠学の立場から4点のコメントをしてみます。

① さて、上の図で誤解されやすいのは、大円X(魂)の外周に、○A・○B(それぞれの前世人格)が位置づけられていますが、SAM催眠学の概念では、○A・○B(それ ぞれの前世人格)は、「魂の表層」を構成している前世のものたちであって、それらのものたちは、魂の構成要素であるので、大円X(魂)・○A・○B(それぞれの前世人格)全体を含めて「魂」と呼んでいます。

さらに言えば、○C(現世人格)も、魂の表層に存在しており、この現世人格と前世人格たちを 含めて、「魂の表層」なのだということです。
ちなみに、SAM催眠学でいう「魂」は、宗教的な意味は一切ありません。
「肉体に入っており、死後は肉体から離れて存続する意識体」というほどの意味です。
イアン・スティーヴンソンの提唱している「心搬体(生前の人格・個性・記憶等を保って死後存続する意識体)」と同様の概念です。

② 高森氏は、この多面体説では、「個別の人格は生まれ変わりをしない、ということになるということです。視点を個別人格に取ると、AはBに生まれ変わってお らず、AとBはCに生まれ変わっていません。AとB、A・BとCの間に『カルマ』などの受け渡しがあったとしても、それはAやBが生まれ変わったというこ とにはなりません。むしろ、『魂=Xは、次々に現世人格を生み出す』という方が適当であり、これを表現するには、生まれ変わりという言葉ではない新たな概 念が必要とされるのではないでしょうか」という主張をしています。

一方で氏は、「霊魂仮説を受け入れた人たちの間でも、『何が生まれ変わるか』、『生まれ変わりの定義とは何か』についてすら、合意ができていないようです」とも述べています。

生 まれ変わりの定義に合意がないのであるなら、この多面体説をもって「生まれ変わり」、つまり、表層の前世のものたちを含めた魂全体が、次の肉体に宿ること をもって、「個別の人格はそのまま生まれ変わりをしないが、それらを包含した魂全体が生まれ変わる」という概念であっても、なんら支障はないとSAM催眠学では考えます。

端的に言えば、SAM催眠学の生まれ変わりの概念は、「魂全体が次々に別の肉体に宿ることを繰り返すこと」を「生まれ変わり」だとしています。
そして、SAM前世療法のセッションで現れる「意識現象の事実」は、この概念を支持していますから、これまでのスピチュアル霊学一般の見解に反するでしょうが、現時点ではそうと認めるしかありません。

つまり、アンビリで登場した里沙さんの場合、図の○Aがタエ、○Bがラタラジュー、○Cが現世の里沙、ということであり、このことをもって「生まれ変わり」をしているということです。

多面体説が、「生まれ変わりの否定」になるという高森氏の主張は、氏の概念規定上の見解に過ぎないと思います。
氏が、生まれ変わりの概念に合意がないことを認めているにもかかわらず、生まれ変わりの否定になる、という主張は自己矛盾ではないでしょうか。

③ 高森氏の「AとBがそれなりの主体性をもって活動していれば通常の死後存続説に属しますが、単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る (あるいはメッセージを送る)といったことしかしていないのなら、それは死後存続説としてはかなり異常です」という主張は、セッションで現れる「意識現象の事実」に対する認識不足です。

前世人格AとBは、友愛を結びながらそれぞれの人生の知恵を分かち合い、それぞれ死後も意識体として成長を続けている、というのがセッションで現れる意識現象の事実です。

けっ して、「単に眠っているように魂にくっついていたり、ただCを見守る(あるいはメッセージを送る)といったことしかしていない」わけではありません。
そも そも、「魂にくっついている」という認識が誤りです。
くっついているのではなく、魂の表層を構成しているもの、したがって、魂そのものの構成要素です。
だからこそ、セッションにおいて、魂状態の自覚に至れば、タエやラタラジューが顕現化するわけで、彼らが「単に眠っているように魂にくっついていたり」して いるわけではないことを、セッション証拠映像をご覧になれば誰もが納得されるでしょう。

前世人格は、「単に眠っているように魂にくっついていたり」しているわけではないので、顕現化した場合には、現世の肉体を用いて(自己内憑依して) 、指や口頭で自己表現するのです。
苦悶の表情や、落涙といった人間的感情を現世の肉体を借りて表現するのです。


④「特にⅤ多面体説の場合は、AとBとCが同じXに属するものであるということを立証しなければならず、またABC間の関係も説明しなければならず、相当ハードルは高くなってしまうでしょう」という高森氏の指摘については、今後の課題です。

氏の「立証」が、科学的立証を意味するなら、氏の提示した生まれ変わりの5つの類型すべては観念論であり、すべて立証不能です。

SAM催眠学は、「魂の多面体仮説」の立証を、催眠を道具に用いて、SAM前世療法のセッションで確認できた「意識現象の事実の累積から共通項を抽出する」、という方法論で、これまでもやってきましたし、これからもやっていこうとしています。
それ以外に「意識現象」の研究は、方法がないと思うからです。

そして、現時点で「意識現象の事実」として、SAM前世療法のセッションで確認できていることは、前世人格AとBとCが、魂の核Xの表層に属するものであるという事実です。

魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)に基づくSAM前世療法は、こうしたことを探究するきわめて有用な道具だろうと思っています。

そして、これまでの探究において、魂の多面体仮説(魂の二層構造仮説)を否定する「意識現象の事実」は、確認されていないということです。


(その17につづく)

2014年7月23日水曜日

「魂の内層仮説」

   SAM催眠学序説 その15


SAM前世療法は、魂の実在とその二層構成を作業仮説にしています。

「魂の表層」は前世の諸人格たちで構成されていることは、これまでの実践から確かめられてきました。 

表層の前世の者たちは、互いの人生で獲得した知恵を分 かち合い、「魂の表層」全体の集合的意識が進化・成長へと向かうという仕組みになっていると、私あて霊信は告げています。

その「魂の表層」から呼び出した前世人格ラタラジューが、応答型真性異言を話したことで、「表層は前世諸人格から構成されている」という作業仮説は実証できたと思っています。

前世諸人格は、今も、「自分の生きた当時の感情を抱いて、意識体として今も生きている、そして、互いの人生の知恵を分かち合い、苦脳・苦痛を現世のものに訴えている」ということが、クライアントに顕現化する前世諸人格の語りから分かってきました。


問題は、「魂の内層(核)」とはいったいどんな構造になっているかです。
この数年間、顕現化した前世人格に、内層のことを尋ねる作業をおこなって探ってきましたが、前世人格は、内層のあることが分かる、とまでは回答しますが、それ以上のことは答えていません。

今のところ、「魂の内層」について考察することは、私あて霊信に頼るしかありません。

そもそも、SAM前世療法の骨格である諸作業仮説は、霊信にもとづいているからです。

私にとって、霊信の恩恵は計り知れません。

そして、何度も霊信を読み返すうちに、徐々に、やっと「魂の内層」の輪郭が浮かんできました。

私あて霊信は、次のように告げています。


①魂のはじまりは、ある「意識」から生じるものである。

②その「意識」をあらわす言葉は、「意識体」とあらわすことでしか表現できない。

③魂は転生するもの、「意識体」は転生をしないものである。

④転生する必要がある「意識体」と、しない必要がある「意識体」はつながりをもち、お互いが学びを得あう関係である。

⑤あなた方の魂の核となる「意識体」が・・・

⑥魂の表層部分により包まれるのは「意識体」である。

⑦内層にある「意識体」はあるがままに完全性を保つものである。

以上は第12・13・14霊信で使われている「意識体」の用語法です。
第12・13霊信は「稲垣の祖父の守護霊とつながりをもつ霊」、第14霊信は「ケイシー霊」を名乗っています。

さて、二つの霊の「意識体」の用語法にはズレがあります。

①②③④で言う「意識体」は、転生の旅をする魂とは別に、霊界に存在する「意識体」を指していると思われます。

⑤⑥⑦の「意識体」は、転生する魂の核・内層を指していると思われます。

守護霊団からの霊信が、でたらめを告げていないとすれば、前者の「意識体」と後者の「意識体」は、同じものを指しているということになります。

つまり、霊界に存在する転生をしない「意識体」と同じもの、あるいは相同のものが、ペアとして、あるいは分身として、転生する魂の内層にも存在するということです。

霊信受信者M子さんは、「類魂」という言葉を知りません。
したがって、通信霊は「類魂」という言葉をM子さんの語彙から用いることができず、「あ る意識」、「意識体」と表現するしかなかったと推測することは可能です。
大胆にそう解釈すると、「意識体」とは「類魂」のことである、ということです。

結論を言うと、魂の内層は、「類魂」ないし「類魂」と相同のものから構成されているということになります。
そして、霊界の類魂と、魂内層の類魂は、互いにつながりを持ち、学びを得あう関係にあるということになります。
そのように仮定すれば、ハイヤーセルフ(高次自我)とは、魂内層を構成している「類魂」を意味していると推測することができそうです。

類魂はそこに属する諸魂の地上での経験を学び合っている成長・進化のための一つの共同体(共同的集合意識)と考えられますから、叡智に富む集合意識体であることは容易に想像できます。

ハイヤーセルフとコンタクトするとは、自分の魂内層の類魂全体の意識(集合意識)とコンタクトすることかもしれません。それは、自分の魂の故郷であるところのもの(霊界の類魂)でもあります。

こうして、私は、当面のSAM前世療法の作業仮説として、「魂の内層は、類魂ないし類魂と相同のものから構成されている」と考えてきました。

このように探究を続けてきたわけは、霊信の常套句が、「これ以上のことを今明かすことは許されない。それはあなたの成長を妨げるからだ。地上のあなたが探 究するべきことだ」と教えてくれないからです。
つまり、重要なヒントは与えた、あとは自力で探究し理解せよ、というのが守護霊団の方針のようです。
した がって、自力で得たものを所有したうえで、その正否を尋ねるということでなければ、答えてもらえないということです。

さて、2012年5月29日におこなった里沙さんへのセッションで、タエ・ラタラジューに続いて、彼女の守護霊の憑依をお願いし、対話のなかで尋ねたことは、次の3点でした。

①魂の内層には、類魂の分身が入っていると考えてよいか。

②魂の自覚状態になると、憑依現象が起こるのはなぜか。

③浄霊作業に般若心経が効力を持つのはなぜか。

そのそれぞれの回答は、私のこれまで探究で推測し得た結論と一致していました。
里沙さんの守護霊の回答の概要は次のようなものでした。


魂の内層は、類魂の分身から成っていると考えてよい。それをハイヤーセルフと呼ぼうと、守護霊と呼ぼうと、それぞれ間違いではない。それぞれ呼び名は自由。魂内層の類魂(分家)は、眠っている間に、その故郷である霊界の類魂(本家)と連絡を取り合い、互いに学び合う関係にある。

催眠深化であらわれる魂の自覚状態とは、霊の次元に並んだということであり、したがって未浄化霊、高級霊を問わず、それら霊的諸存在と接触できるし、憑依も起こるのである。

般若心経は、三次元世界に適用して理解できるものではない。色即是空、空即是色とは、霊界の最初の次元である「幻想界」の消息を説いていると理解しなさい。すなわち、想念がそのまま実体化するというのが幻想界であり、極楽とも呼べる次元である。

未浄化霊は、本来そうした幻想界に行くべきであり、そのことを説得するように般若心経を唱えてあげなさい。それによって浄化され、浄化された未浄化霊が幻想界へと上がれるのだ。
     

おおよそ、以上のような回答を得ることができました。
里沙さんの守護霊は、私に「霊界の消息を伝えることを使命にしている霊界では異例の存在だ」と告げています。
したがって、霊界の情報を必要とする私の求めに応じて、いつでも降りてきます、とも。
そこで、里沙さんに憑依するようにお願いしたということです。

当然ですが、魂の内層構造についての、私の守護霊団の情報、および里沙さん守護霊の情報については実証不能です。

信じるか否か、です。



(その16につづく)








2014年7月15日火曜日

SAM前世療法セッションの特異な意識状態

   SAM催眠学序説 その14


SAM催眠学における、セッション中の典型的な意識状態(三者的構図)を知っていただくために、男女二名の体験記録を紹介することにします。

女性の方は、30代半ばのワイス式前世療法士で、ワイス式前世療法の意識状態との比較に触れているものです。
男性の方は、40代の大手商社マンで催眠中の意識状態を詳しく自己分析しています。

SAM前世療法におけるセッション中の特異な意識状態、つまりセラピスト対前世人格の対話、それを傾聴している現世の顕在意識(モニター意識)という三者的構図がご理解いただけるはずです。

以下に示される体験記は、モニター意識の憶えているセッション中の意識状態です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その1 ワイス式前世療法士(30代女性)の体験記

今まで、ワイス式の前世療法を学んできた私としましては、催眠誘導のアプローチの違いに多少の戸惑いはありましたが、もともと被暗示性の高い私は、スムーズにSAM前世療法の誘導に導かれていくことができました。
先生に、魂の表層の過去世のものを呼び出され、「どこの国の人ですか?」と問われ、私の中に「イ」という国のイメージが浮かび、先生から「インド?・・イギ リス?・・・・「インカ?」とさらに尋ねられ、まさに「インカ」といわれた瞬間に、私自身が、手で顔を覆い、泣き呻き始めたことに驚きました。
そして、左胸を掻き毟るような動作をして「苦しい・・・」と。

そう彼女は、インカの時代に心臓をえぐられて、生贄になって死んだイルという名の20歳の女性だったのです。

10歳の頃に、太陽の力を受けてそれを人々に伝えるような能力を持ち、生贄になったことも「人々のために自分が死ななくてはならない」と受け止めていたイル。
でも、その死は、やはり辛く、悲しい出来事だったに違いありません。
そんなイルの気持ちが、私の中に次から次へと込み上げてきました。

この前世の女性を先生にヒーリングで癒していただき、気持ちが次第に落ち着いていくことも感じることができました。
なぜか、ワイス式の前世療法と異なり、視覚的なイメージが浮かばないのに、感覚ですべてが分かるのでした。

そして、イルの前世の後、先生に現世のものへ誘導されたにもかかわらず、また違う前世へといってしまいました。
それがイルとは違い、笑えました。

まず、男のような太い声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。
彼は、ドイツの木こりでした。
結局のところ、彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。
そして、先生から「また今度、ゆっくりあなたのお話を聞きましょう」と諭された後、私は現世のものに戻って来ました。

今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。
今まで学んできたワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という感覚がありました。
しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その前世人物が現れたり、明らかにその人物の男の声としゃべり方になっていることを実感できたからです。


その2 商社マン(40代男性)の体験記

最初に僕の緊張をほぐす意味もあったのでしょう。ご自身の催眠や前世に対する考え方、スタンスを丁寧に話をしていただきました。
少し、休憩をはさんで、さあ、いよいよ催眠初体験です。
施術前に、まず簡単な被暗示性テストを受けることになります。
これは、僕が催眠にかかりやすい方なのかどうか、を判断するために実施するものだそうで。
結果は「良好」。

かなり素直な性格の方だから、すっと催眠に入れると思う、とのコメントでした。
そうです、まさに実際にその通りの結果となりました。

まず、呼吸と術者の言葉による暗示により体の力が抜けて行きます。
その後、知覚催眠という、体の感覚が離れていく状態(たとえば、手を抓(つね)られても痛みを感じない状態)へと徐々に導かれます。

そして、魂状態に至って、自分の潜在意識に表に出てきてもらうよう誘導されます。
実際には、本当に不思議なんですが、頭ははっきりしています。
顕在意識は健在なんですね。(寒いダジャレです。すみません。)

負けず嫌いの僕ですから、何とかして顕在意識は手足を動かしてやろう、と企んでいます。
でも、潜在意識が表に出ている催眠状態では、自分の手足が動かないんです。
ただ、まったく怖くはありません。

さて、潜在意識が表に出ている状態(魂状態)ですが、術者とのコンタクトは指の動きで行います。
術者の質問には、顕在意識とは全く無関係に、指が反応するんです。
ここまで来ると、戸惑っていた顕在意識の僕も、流れに身を任せてみる気になりました。

Th: いま、あなたの潜在意識は現世のものですか?

指: 無反応

Th: では、前世のものですか?

指: ピクンと反応

Th: あなたは、どちらに生きておられたのですか? アジア?アメリカ?ヨーロッパ?

指: ヨーロッパに反応

Th: いまから、ヨーロッパの国名を私が言います。あなたの国のとき、指で教えてください。.

指: ギリシャで反応

という感じで、セッションが進められます。

施術前のカウンセリングで、僕は、「今の自分に一番影響を与えている前世を知りたい」と希望を出していました。
たぶん、そのことがすでに暗示になっていて、すっと前世のものが出てきたんだろう、と思われます。

結果、僕の前世のものはエナンという名の、ギリシャ・アテネに住んでいた哲学者だそうです。
彼は、戦争に自分の意に反して参加させられ、人を殺してしまった、という心の傷を持っているらしく、それが癒されないため苦しみ、それが現世にまで影響を及ぼしているらしいのです。

主に指を介したやり取りですが、そばでみていた友人によればコミュニケーションが進むにつれて、指の動きが激しくなっていたそうです。

 「これから、心を介してあなたの傷を癒します」
施術者のそんな声が聞こえたかと思うと、胸の前に何やら温かいものが・・・。

後で友人に聞いたのですが、その時、術者は、僕の体には一切触れておらず、ただ、両手を胸の前にかざしてくれていただけだそうです。

その温かさを感じながら、僕は泣いていました。
ポロポロ涙を流しながら。

しばらく経つと、あれだけ温かかったものが、すうっと消えていきました。

「癒しが終わりました。さあ、これから現世のものと交代してください」
相変わらず、頭ははっきりしていますが、いつ自分が前世のものから現世のものに変わったのかは知覚できません。

でも「いま現世のものですか?」と問われたら指が反応します。
そして、五つ数えたら催眠から覚めます、と言われその通りに。
体は思い通りに動きます。
まず涙をぬぐう。

今回は催眠自体が初の体験でしたから、多少の緊張があり、自分の体の重さを感じなくなるところまで顕在意識と体の切り離しは進みませんでした。
でも、少なくとも手足を動かすハンドルを持つ顕在意識の「手」はやさしく外され、そのハンドルを慣れない「潜在意識」が持った、そんな感覚がありました。

僕の前世が哲学者だった。
違和感はあまりありません。

今回は、何らかの問題を抱えて催眠療法を受けたわけではありません。
ですから、悪かった症状が良化した、なんていう、「目に見える変化」が起こるわけではないと思います。

でも、術中に感じたやさしい温かさと、流した涙の意味は、これから徐々に自分に良い影響を与えてくれるんじゃないかな。
そう思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紹介した二名の体験者が語っているように、SAM前世療法においては、魂状態の自覚に至ると、前世の人格が顕現化して口頭で語る、あるいは指で回答して語るということが、意識現象として確かに起こることがお分かりになったと思います。

私あて霊信に基づいた作業仮説は、少なくとも確認された意識現象の事実としては成り立つ、と判断してよいと思われます。

こうして、私の探究は、呼び出した外国人前世人格によってその外国語で会話ができる、という応答型真性異言の発見へと向かっていくことになったのです。

もし、それが発見できたとしたら、間接的に、魂の存在とその表層には前世の人格が存在するという仮説が証明されることになり、ひいては、その魂の二層構造などを告げている私あて霊信と通信霊の存在が真実である間接的証明につながると考えたからです。  

そして、SAM前世療法による探究を始めて三年後に、魂の表層から呼び出した前世人格であるネパール人のラタラジューが、ついに、応答型真性異言で語った事実を検証できたのです。

「応答型真性異言は超ESP仮説を打破し、生まれ変わりの最有力の科学的証拠と認められる」、このスティーヴンソンの主張へのきちんとした反証は、今もって提出されてはいません。

したがって、「ラタラジューの事例」によって、日本においても生まれ変わりの科学的事実はついに証明されたと宣言できると思います。


(その15へつづく) 

2014年7月3日木曜日

「潜在意識の深奥」への考察

   SAM催眠学序説 その13


多くのクライアントの報告する「魂状態の自覚」は以下の3点に集約できると述べました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①体重の感覚がまったくなくなる。つまり、身体を持っている感覚が消失する。
②「私という意識のみ」がある状態になる。つまり、純粋な意識だけが存在している自覚になる。
③肉体から意識が遊離している状態になる。つまり、体外離脱状態様の自覚になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、「魂状態の自覚」は、良好な深い催眠レベルに至れば、誰の潜在意識にもあらわれる普遍的な自覚であろうと結論づけました。
 

さらに、魂状態の自覚に至ると、前世人格の顕現化はもちろん、低級霊から高級霊まで憑依現象が起きたり、自分の守護的存在(守護霊と呼ばれる存在)との遭遇が可能になること、などをSAM前世療法のセッションで起こる意識現象の事実として発見してきました。
 

ところで、「魂状態の自覚」に至る条件は、催眠状態の深化によって「知覚の遮断状態」を体験することではなかろうかと考えています。
なぜなら、「知覚催眠」レベルでは知覚(五感)の歪曲はもちろん、痛覚麻痺、つまり知覚の遮断が可能になることが確認されているからです。


 
なぜ、催眠(言語暗示)によって知覚の歪曲や遮断が可能になるのか、そのメカニズムはいまだに不明です。
いくつかの仮説は提示されていますが、科学的実証はありません。
 

SAM催眠学では、「心・脳二元論」と、私あて霊信の告げた内容に基づいて、催眠状態とは、ふだん「脳」の管理下にある「心」が、脳の管理下を離れた状態になることだと考えています。
したがって、「心」は自由に「脳 」に指示を出し、「脳」は指示にしたがって反応するのだ、という仮説を持っています。
要するに、「脳が心の家来になった状態」を催眠状態だと考えています。

SAM前世療法の「魂遡行催眠」は、「知覚催眠」を突破してさらに深奥の催眠深度をめざすことですから、そこであらわれた「魂の自覚」状態においては、知覚の遮断状態をいつでも起こせる事態に至っていると考えられます。
つまり、「心」は「脳」の管理下を完全に離れた状態にある、と考えられます。
 

こうしたことを考えると、「知覚の遮断状態」に至るためには、催眠を用いずとも他の方法を用いてもよいわけで、他の方法で知覚の遮断状態に至れば、やがて魂の自覚状態と同様の意識状態に至ると言えそうです。
 


そして、どうやら上記の仮説は、米国の精神医学者・生物学者のジョン・C・リリーの開発した「隔離タンク」(アイソレーションタンク)によって検証できそうです。
 

隔離タンクを開発したリリーの最大の関心事は、脳が意識を保つために、外部の感覚刺激が必要か否かということでした。
 

「隔 離タンク」とは、ばかでかい浴槽のようなものに蓋が下りるようになったもので、タンクの水は34度の硫酸マグネシウムの溶液になっており、ここに入ると身 体は自然に浮かぶのです。
タンクの蓋を閉めると、光も音も温度変化も浮かんでいる溶液以外の触覚も一切遮断されるというものです。
 

この隔離タンクの実験報告が次のように述べられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夢を見ているような状態、トランスに似た状態、神秘的な状態を私は体験した。
これらすべての状態において、私は完全無欠で、中心を持ち、そこにいた。・・・・
この暗闇の静かな環境の中で、他人が私とともに居るように思われる体験をした。
実際に彼らを見、感じ、彼らの発する音を聞くことができたのだ。
あるときには、起こっていることを自分が眺めている、覚醒夢と呼ばれている一連の情景を見た。・・・・
自分の想像力によって生み出されたのか、未知の源によって脳にプログラムされていたのか分からないが、霊的な存在を実感した。
また、遠くの離れたところにいるはずの人物が目の前にいるのを体験したり、まったく面識のない見知らぬ人物の存在を感じたりもした。・・・
当時、ジョンは、脳が心を収容するという信念を信じて疑わなかった。
脳とは別個の源がタンク内の彼と対話するなどといったことはありえないと思っていた。
脳の活動が心を生み出すのだろうか。
それとも、僕の個人的無意識を生み出す、脳活動より大きな何かが存在しているのだろうか。
無意識の心は脳の活動に生来組み込まれているのだろうか。
われわれの意識を制御する、脳より大きな何かが存在しているのだろうか。
われわれ自身より大きな存在に、いまだ知られざる方法で結び付けられているのだろうか。
脳は漏れやすい心の容器なのだろうか。それとも普遍的意識に通じる弁(バルブ)装置なのだろうか。
 

ジョン・C・リリー『意識の中心』『サイエンティスト』平河出版社
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
リリーは、こうして感覚遮断実験を繰り返すうちに、体外離脱や臨死体験と同様の体験、それ以上の体験を積み重ねていき、やがて次第に、脳内現象ですべてを説明できることができないと考えるようになりました。
 

自分は、脳以外に存在する宇宙的存在者とのコミュニケーション・ネットワークに、脳を介して接続しているのではないかと考えるようになっていくのです。
 

リリーの隔離タンクはかなり有名になり、実験的利用者には、文化人類学者のG・ベイトソン、ノーベル賞学者で物理学者のB・ファインマンなどがいます。
 

ちなみに、B・ファインマンは、肉体とその内部にある自分(自我)とのズレを体験し、自我が身体の外にいて自分の身体を外から眺めているという体外離脱体験を報告しています。
(『ご冗談でしょう、ファインマンさん』岩波書店)
 

というわけで、感覚遮断を可能にする「隔離タンク」によって引き起こされる意識現象の事実は、
SAM前世療法によって到達する「魂の自覚」状態に近似、ないし同様ではないかと思われます。
 

誤解を恐れず言えば、B・ファインマンもリリーも、隔離タンク内で「魂状態の自覚」に至ったと思われます。
 

ま た、顕在意識というものは、どうやら三次元世界の五感(知覚)に拘束された意識であり、この五を遮断したところにあらわれる意識、三次元世界の 五感に拘束されることのない、ある意味三次元を超越した意識(別次元に通じる意識)こそが、いわゆる深奥の潜在意識だと言ってよいかもしれ ません。
 

魂の自覚状態は、そうした三次元の時空を超越した意識(別次元に通じる意識)であるからこそ、前世人格が顕現化し、霊的存在との遭遇や憑依が可能になるのかもしれません。

(その14につづく)

2014年7月1日火曜日

SAM催眠学の考える潜在意識の深奥レベル

   SAM催眠学序説 その12


SAM前世療法のクライアントとしておいでになった、ワイス式前世療法のセラピスト、あるいはワイス式前世療法の被験者と話し合う機会がこれまでに何度もありました。
 

成瀬学派のアカデミックな催眠法を学んできた私には、なぜワイス式前世療法のセッション中に催眠深度を測定する過程がないのか理解に苦しむところです。
 

なぜなら、催眠状態独自の脳波が発見されておらず、瞑想状態・まどろみ状態と類似のα波優勢の脳波であることしかわかっていないので、クライアントが確実に 催眠状態にあるのかどうかを知るためには、一定の尺度に基づいて催眠深度を測定しておかないと、催眠に入っている、いない、の明確な判断ができないからです。
 

ところで、催眠状態に深度の違いがあることは催眠学上の合意であると言ってよいと思います。
 

浅 い→深いの順に、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」→「夢遊催眠」という4段階の深度が名付けられています。

そして、それぞれの深度で起こる催眠現象の典型をいくつかを抽出して「標準催眠尺度」が設けられています。

たとえば、手の接着現象(運動催眠)、幻聴現象(知覚催眠)、年齢忘却現象(記憶催 眠)、後催眠暗示遂行現象(夢遊催眠)のように。
成瀬悟策標準催眠深度表によれば、「夢遊催眠」がもっとも深い催眠状態だとされています。
 

私は、「無意識」の実在を実感するために、催眠研究に踏み込んだ事情から、「後催眠暗示遂行現象」を何度も実験し、確認してきました。
 

たとえば、「これから催眠から覚めます。しばらくして私がポンと手を叩くと、あなたはきっと窓を開けたくなって開けるでしょう。でも、わたしがこうしてあなたに指示したことはけっして思い出すことはありません」と暗示(後催眠暗示)して覚醒させます。
そうすると、被験者はもじもじ、あるいはトランス状態になって、窓を開けます。

窓を開けた理由を尋ねても、「なんとなく」とか「息苦しいから」とか答えるのみで、催眠者から催眠中に指示されたことを思い出すことはありません。
 

この後催眠遂行現象によって、人間にはどうしても自覚できないもう一つの隠れた意識つまり、無意識・下意識・潜在意識などと名付けられる意識があるという一つの証明になるわけです。
 

ところで、SAM前世療法の作業仮説では、「潜在意識は魂の表層に存在する前世の者たちによって作り出されている」という「魂の二層構造仮説」に立ってセッションを展開します。
そして、「魂状態の自覚」へ誘導するために「魂遡行催眠」と名付けた最終誘導過程を踏みます。
 

作業仮説に基づいて潜在意識を作り出している源まで遡行するわけですから、まさに潜在意識の深奥なるものへと催眠深度を深めることになると思っています。
おそらく夢遊催眠以上の最深度へと誘導することになっているはずです。
 

「魂状態の自覚」とは、多くのクライアントの報告する意識現象の事実によれば
 

①体重の感覚がまったくなくなる。つまり、身体を持っている感覚が消失する。
 

②「私という意識のみ」がある状態になる。つまり、純粋な意識だけが存在している自覚になる。
 

③肉体から意識(魂?)が遊離している状態になる。つまり、体外離脱状態の自覚になる。
 

という報告を受けています。
 

「ラタラジュー」は、里沙さんをこのような魂状態まで遡行させ、魂の表層から呼び出した前世人格です。
 

また、これまでに医師4名、大学の臨床心理専門家4名を魂遡行催眠によって「魂状態の自覚」に到達することに成功し前世人格の顕現化が起こっていますから、 潜在意識の深奥に魂状態の自覚が潜んでいることは普遍的事実だろうと思われます。
でなければ、「魂=soul」という語が作られる理由がないと思われま す。
 

以下は、私あて第12霊信で通信霊が告げている文言です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
潜在意識より深奥なるものを、すべて「集合意識」とまとめることは適切ではない。
だが、それらを「人からの見解のみで理解する」ことはできないのだ。
集合意識に含まれるものを、私たちが説明を与え分けていくことは許されない。
それはあなた方の世界に存在する者がおこなうべきものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私がSAM催眠学で探究してきた「魂状態への遡行」という催眠深度は、上記の「集合意識」を探究していることになるのではないかと思っています。
 

つまり、魂の表層全体こそ、個々の前世の者たちが作り出している潜在意識がネットワークを結んでいる「集合意識」に他ならないと考えられるからです。
 

そして、このような情報は、「人からの見解のみで理解することができない」、通信霊からの情報を検証することによって明らかになってきたことだからです。


(その13へつづく)