2019年9月13日金曜日

守護霊の存在についての考察

       SAM催眠学序説 その125  

「SAM催眠学序説 その124」で「守護霊」については、意図的に触れませんでした。別のページであらためて熟考したいと思ったからです。
そこで、ここでは「その125」として、守護霊について現時点で探究してきた考察と見解を述べてみます。
宗教者や霊能者の説く、守護霊に対する一般論、観念論ではなく、「タエの事例」の被験者里沙さんに霊媒となっていただき、憑依実験をさせてもらった結果(意識現象の事実) の考察という里沙さん個人の守護霊に限定した具体論考です。

【1】里沙さんの守護霊の憑衣実験

 2006年12月22日の夜、里沙さんにお願いして彼女の守護霊との直接対話実験をさせてもらいました。
これより先に短時間おこなった憑依実験で、彼女の守護霊は、「わたくしは霊界では異例の存在です。それはわたくしが稲垣に霊界の消息を伝えるという使命を担っているからです」と告げています。

極めて深い催眠中に中間世へと導き、そこで偉大な存在者(守護霊)を呼び出して憑依してもらい、わたしが約25分間直接対話するという初めての試みは、拙著『前世療法の探究』春秋社、PP.167-176、の「タエの事例」で紹介してあるとおりです(この憑依実験の映像はアンビリでは削除されているが、わたしのyou-tubeには公開している)。


ちなみに、「タエの事例」で、里沙さんは自分に憑依している守護霊の語った内容の記憶が、催眠覚醒後には一切思い出すことができませんでした。しかし、前世人格タエの語り内容の記憶は、はっきり記憶にあるのです。
こうした憑依現象は、守護霊が里沙さんに完全に乗り移った状態(フルトランス状態)であったからだと解釈できるでしょう。

また、下記守護霊の語った情報内容がセッション前に入手されていないことは、ポリグラフ検査の鑑定(元大阪府警科捜研所長、現日本法医学鑑定センター荒砂正名氏による)によって明らかになっています。
守護霊は、被憑依者の里沙さんの知らない歴史的事実を語っているのです。
こうしたことも、わたしが守護霊の存在可能性を認める理由の一つになっています。

もう一つの理由は、2009年5月9日「ラタラジューの事例」の応答型真性異言の実験セッションにおいて、生まれ変わりの証拠を探る実験が、許されるかどうかを守護霊に尋ねたところ、「許されます」と答えたことにあります(拙著『生まれかわりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、PP.43-45)。
この問いかけは、ネパール語の真性異言対話実験に入る直前ですから、彼女の守護霊は、世界にそれまで2事例の発見しかない催眠下の応答型真性異言実験の成功を、事前に「予言した」と解されます。やはり、里沙さんには、この守護霊の予言の記憶も一切ありませんでした。
守護霊が「実験は許されません」と答えたなら、わたしは、そこで直ちにこの応答型真性異言実験を中止するつもりでした。

以上二つのことから、わたしは里沙さんの守護霊の存在に信を置いてよいと判断しています。

以下は、2005年6月4日「タエの事例」での里沙さんの守護霊とわたしの対話の一部です。
(拙著『前世療法の探究』春秋社、PP.170-171)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
稲垣:また、聞きますよ。お答え願えますか? 浅間山の噴火のときに雷が起きましたか?

注:噴火による火山灰の摩擦によって火山雷と呼ぶ雷が生じる。天明三年浅間山大噴火の火山雷のすさまじさは、当時の絵図に描かれている。

守護霊:はい。

稲垣:そのことを、雷神様と人々は言うのでしょうか? 雷のことを。

守護霊:そうです。まだ、噴火、自然現象は分からない人たちですから、魔物のせいだと思ったのです。

稲垣:龍神様はなんのことでしょう?

守護霊:浅間山は信仰の山です。龍神が祀られています。

注:浅間山に龍神信仰があったことは、浅間山麓嬬恋村の住人によって確認した。「偉大な存在者」はいい加減なことを告げているわけではない。

稲垣:その龍神が、お山が火を噴いたために住めなくなって、川を下るというように人々は思ったわけですね。

守護霊:そうです。

稲垣:それから、そのときの噴火によって空が真っ暗になって、日が射さなくなって、 火山灰が降り注いで、農作物は不作になりますよね。その結果、下界ではどんなこと が起きたのでしょう?あなたはご存じのはずですが、教えてもらえますか?

守護霊:噴火による土石流で川が堰(せ)き止められ、そのため洪水が起き、たくさんの人が亡くなりました。

注:この事実が「浅間焼泥押(あさまやけどろおし)」と呼ばれる大泥流洪水の被害である。吾妻川、利根川流域で流死者1500人あまりが出た。この時点で、 わたしはこうした史実をまったく知らなかった。もちろん里沙さんも知らない。それは2009年のポリグラフ検査で確認できた。

稲垣:その川の名前がアガツマ川でしょうか?

守護霊:そうです。利根川の上流になります。

注:わたしは吾妻川の実在はもちろん、それが利根川の上流で合流していることもまったく知らなかった。もちろん、里沙さんも知らない。里沙さんの知らない「浅間 焼泥押」の被害や吾妻川が利根川の上流になっていることを「守護霊」は語っている。里沙さんが、超ESP(万能の透視能力やテレパシー)を用いて、 「浅間焼泥押」被害や吾妻川の情報を入手して、「守護霊」として役割演技をして語っているという、超ESP仮説および、催眠学による説明、つまり、 里沙さんの心の力ですべて説明するには無理があるとわたしは思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先述したように、上記の守護霊の語りは、覚醒後の里沙さんのまったく記憶にないことであり、語られた史実を里沙さんが事前に入手していないことも、ポリグラフ検査の鑑定で明らかになっています。

さて、里沙さんの守護霊が、わたしに霊的情報を伝える使命を担っているなら、わたしに関わりの深い存在であるということであり、そうであるならその真偽の探究を再度試みようとしたわけです。こうした真面目な真偽の探究であるなら、里沙さんに霊媒となってもらい、彼女自身の守護霊を呼び出すことは不遜な態度にはならないと考え、もし守護霊が存在しているとすれば、守護霊の許しを得ることができるだろうと思いました。

そのために次のような四つの質問を問いかけ、その反応結果から憑依霊の実在の真偽の検証を試みようとしました。

 タエの事例は、偶然語られたものか、何かわけがあって語られたものか?

 わたしに突如あらわれたヒーリングのエネルギーは、どこから送られてくるものか? その治療エネルギーがわたしにあらわれた理由が何かあるのか?

 スピリットヒーリング能力のある者は、たいていは霊視、霊感などの霊能力を持っているが、わたしのエネルギーがそうであるなら、なぜわたしに霊能力がないのか?

 わたしの守護霊の素性が分かるならその名を教えてもらえないか?

この憑霊実験は、里沙さんの知人からの依頼で前世療法セッションを実施した際、彼女が付き添いとして同行してきた機会を利用して実現したものです。
その知人のセッション後、彼女に再度の憑霊実験のお願いをしました。
実験前に彼女に伝えておいた質問内容は、上記【1】2(わたしのヒーリングエネルギーの出所)のみでした。1・3・4の質問について彼女には知らせることを意図的に伏せて実施しています。
伏せた意図は、彼女に前もって回答を準備できる時間を与えないためです。
魂状態の自覚まで催眠誘導したのち、里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語とする存在者との60分間にわたる対話の録音を起こし、できるだけ生のままの語りの言葉を用いて、上記四つの質問に対する回答を要約してみると以下のようになります。

ただし、質問はこれ以外にもいくつかしていますから、それらの回答を含めて下記5項に整理し要約してあります。
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タエの事例は偶然ではありません。計画されあなたに贈られたものです。計画を立てた方はわたくしではありません。
計画を立てた方はわたくしよりさらに上におられる神です。
タエの事例が出版されることも、新聞に掲載されることも、テレビに取り上げられることもはじめから計画に入っていました。
あなたは人を救うという計画のために神に選ばれた人です。

2  あなたのヒーリングエネルギーは、霊界におられる治療霊から送られてくるものです。治療霊はお一人ではありません。
治療霊はたくさんおられます。
その治療霊が、自分の分野の治療をするために、あなたを通して地上の人に治療エネルギーを送ってくるのです。

  あなたの今までの時間は、あなたの魂と神とが、あなたが生まれてくる前に交わした約束を果たすときのためにありました。
今、あなたの魂は大きく成長し、神との約束を果たす時期が来ました。 
神との約束とは、人を救う道を進むという約束です。
その時期が来たので、ヒーリング能力も前世療法も、あなたが約束を果たすための手段として神が与えた力です。
しかし、このヒーリングの力は万能ではありません。
善人にのみ効果があらわれます。
悪とはあなたの進む道を邪魔する者です。
今あなたを助ける人がそろいました。どうぞたくさんの人をお救いください。

  神はあなたには霊能力を与えませんでした。
あなたには必要がないからです。
霊能力を与えなかった神に感謝をすることです。

 守護霊に名前はありません。わたくしにも名はありません。あなたの守護霊はわたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。
これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。
魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません。
わたくしたちは魂の望みを叶えるために、魂の成長を育てる者です。
霊能力がなくても、あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです。
それがあなたが迷ったときの判断の元になります。
あなたに神の力が注がれています。
与えられた力を人を救う手段に使って人を救う道に進み、どうぞ神との約束を果たしてください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
里沙さんに憑依したと思われる、彼女の守護霊を主語として語る存在者は、以上のようなメッセージを回答として告げてきました。 
そのときの語りの様子は、タエの事例で憑依実験したときと同じく、彼女の表情は能面様の全くの無表情に変化し、声は低音で、囁くような、抑揚のない、ゆったりと厳かな調子の、別人同様の声音に変化していました。
観察される限りでは、ふだんの里沙さんとは別人格の第三者が語ったように思われます。
そして、この守護霊の語り内容は、催眠覚醒後まったく記憶にないということでした。

憑依を解き、60分間の催眠から覚醒直後の里沙さんは、数分間話そうにも声が出ない状態になり、膝から下が冷え切って麻痺し、立ち上がれないという疲労の極みに陥っていました。
立てるようになるまで20分ほど休んでから帰宅してもらいましたが、翌日になっても疲労は回復せず、起き上がれない状態が続き、3日目にやっと回復したという報告を受けています。
こうした不測の事態が生じたことから、その後の彼女への守護霊憑依実験は一切しないことにしました。

さて、これまで2005年6月4日の「タエの事例」のセッション以後、里沙さんとわたしにはいくつかの超常能力・現象があらわれてきました。
このうち、ヒーリングという超常能力出現については検討するまでのない事実として認めざるをえません。

では、この憑依実験で顕現化した里沙さんの守護霊を主語とする存在者の語りという超常現象はどう解釈できるでしょうか。
語られた内容について、できるだけ公正な立場に立って検討・考察をしてみたいと思います。
ただし、この検討・考察は、自分にはスピリチュアリズムに関する知識・情報がない、という里沙さんの証言を前提としていることをお断りしておきます。
また、超ESP仮説(里沙さんが私の心も含め、地上のどのような情報にも自由にアクセスできる法外なESP能力を持っているとする仮説)も、ここでは考慮外としています。
ちなみに、彼女に憑依妄想、統合失調症、解離性同一性障害などの精神疾患が一切ないことも確認しています。

【2】守護霊を主語とする存在者の語りの考察


ここで検討してみることは、語りの内容は里沙さんの既有の知識を元に彼女自身が語ったのだ、と解釈できるかどうかということです。
そうであるならば、守護霊を主語とする存在者は、里沙さんの無意識的な役割演技で説明されうることになり、語りの事実が超常現象である可能性は排除されるからです。
以下にまず全体の考察を、次いで【1】の1~5の語りの内容について、それぞれに検討と考察を加えてみます。

まず、全体としての考察をしてみますと

憑依した「守護霊」は、里沙さんとは異なる位相の視点・情報から発話している。

催眠を解く前に「催眠中に語ったことはすべてはっきり思い出せる」という暗示を強調したにもかかわらず、「守護霊」が憑依したとおぼしき間の里沙さんの記憶は完全に欠落している。

録音された自分の語りを試聴した里沙さんの実感として、声からも語りの内容からも自分と「守護霊」とは全く同一性の感じられない他者であると認識されている。

60分間の憑依を体験し、催眠から覚醒後の里沙さんの疲労状態は、通常の催眠後とは明らかに異質な極度の疲労状態に陥っている。ふつう覚醒後は疲労が抜け、爽快感を感じるものである。

⑤ 守護霊の語り内容と語り口調の格調の高さから、低級霊がわたしをからかって守護霊を装って憑依したとは思われない。憑依した霊的存在に低級霊の疑いがあれば、憑依霊の
身元確認(サニワ)をする用意をしていた。また、霊学知識のある人の助言で、セッションルームの四隅には不動明王の加護を祈念した祈祷盛り塩によって結界を張っておいた。

以上の5点によって、守護霊という「存在者」の憑依が起こったと支持できる状況証拠だと判断することができるでしょう。

ただし、については里沙さんに内在している「心の力」つまり、「高位自我=ハイヤーセルフ」説で説明可能かも知れません。
深い催眠中には、通常の里沙さんの持つ能力をはるかに超えた超常的叡智が現れるというわけです。

しかし、 については「高位自我」説では説明がおさまり切れません。
もともと里沙さんの心に内在している「高位自我」の語りであれば、解催眠前に強調した記憶再生暗示で、催眠後にその語りの内容が記憶として出てくるはずだと考えられるからです。
また、彼女に解離性同一性障害(多重人格)、憑依妄想などの精神疾患がないことは明白ですから、録音された「存在者」の語りに対して、全く同一性を感じられないということも説明が困難です。単に催眠性健忘として片付けられる問題ではないと考えられます。

の極度の疲労感について確かなことは言えませんが、憑依した「守護霊」が、里沙さんの肉体を借りて長時間(約60分間)の対話をさせたために、彼女の脳が酷使された結果ではないかという解釈ができるかも知れません。

次に【1】1~5の守護霊の語りについて一つずつ検討してみましょう。

まず、【1】の1の語りの内容について検討してみます。
里沙さんのスピリチュアリズムについての知識は、治療霊が存在すること以外にはありません。
したがって、スピリチュアリズムでいう「神の計画」つまり、地上の人間に霊的真理(生まれ変わりの存在、霊の存在、霊との交信可能など)を啓発し、霊的覚醒を促す計画があることは知識として持っているはずのないものです。
彼女の無意識の役割演技などでは淀みなく発話される内容ではないと思われます。この計画についての語りは、スピリチュアリズムの高級霊からの霊信内容に一致していると考えることができるでしょう。
ただし、「タエの事例」が出版されたこと、共同通信が取材し全国の新聞に配信されたこと、テレビで放映されたこと、などはこの実験時点で過去になっているので、当然里沙さんの知っている内容です。したがって、里沙さんが無意識的に守護霊の役割演技をして語っている可能性を完全には払拭することはできません。


【1】の2の治療霊の存在については、里沙さんの知識としてある程度あるはずです。
彼女の脊柱側湾症による痛み改善と、湾曲した背骨の矯正のためにヒーリングをした機会に、ヒーリングエネルギーと治療霊について、わたしが話題にしているからです。
また、彼女は霊感によって、わたしの背後に憑いている複数の治療霊らしき霊の存在を感知できると語っているからです。
しかも、わたしのヒーリング能力についての質問をすることについては、催眠に入る前に彼女に知らせてありました。
したがって、治療霊とその治療エネルギーについての回答は、彼女の既有の知識を語った可能性を排除できません。

【1】の3の、わたしが生を受ける前の「魂」と「神との約束」についての語りは、里沙さんの想像力が駆使され、わたしへの願望が投影された彼女の役割演技だと解釈できるかもしれません。
しかし、わたしにヒーリング能力があらわれた理由がそれなりに矛盾なく説明され、瞬時に淀みなく語られた事実を考えると、「守護霊」の憑依可能性を否定できるものではないと思われます。
ちなみに、「わたしの魂が大きく成長した」という語りは、タエの事例に遭遇以後、わたしの世界観・価値観が生まれ変わりや霊魂の存在を視野に入れたものへと転換し、現世的欲望へのとらわれから自由度を増した精神状態を指している気がしないわけでもありません。
ただし、「善人にのみ効果が現れます」という語りは誤解されやすいかもしれません。
しかし、「悪とはあなたの進む道を邪魔する者です」という語りと照らし合わせると、その疾病が当人の霊的成長に必要な場合には、ヒーリングが効かないという意味に解するべきであろうと思われます。
なぜなら、治療によって霊的覚醒が邪魔されることになり、わたしの人を救う道に反することになるでしょうから。したがって、この語り部分も高級霊からの霊信と矛盾するものではないと考えてよいと思われます。

【1】の4の語りについては、理解に苦しむところです。
ところで、前世療法のセッション中に中間世へクラエントを導く過程で、未浄化霊が寄ってきて憑依しようとしていると訴えるクライエントがこれまでに2例ありました。
わたしに霊視などの霊能力がなく、そうした霊を感知できないために、こうした事態に遭遇しても惑わされることなく冷静に対処できたことを考えると、前世療法セラピストとしては、霊能力は持たないほうがよいという含意の語りのようにも思われます。
あるいは、わたしに霊能力がなく、それらに懐疑的な人間の側にいるからこそ、懐疑的な人たちへの霊的真理の啓発には却って説得力を持ち得るので、神の道具としての啓発者には適っている、という意味かも知れません。
こう考えてみると「霊能力を与えなかった神に感謝をすることです」という意味深い語りは、里沙さん自身の通常の意識からは到底出てくるはずのないもののように思われます。まして、その場の咄嗟の思いつきで回答できる類の語りだとは考えられないと思われます。

【1】の5の語りは、まさにスピリチュアリズムの霊信そのものだと言っていいでしょう。そして、「守護霊に名前はありません」「魂の試練はほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。わたくしたちはただ見守るだけです。導くことはありません」「あなたに閃くインスピレーションが守護霊からのメッセージです」などの具体的な語りは、スピリチュアリズムの高級霊たちの霊信と一致し、正当な守護霊の語りとしてその信憑性が保障されているように思われます。
低級霊が憑依しているとすれば、このような高尚な語りをするとは思われません。

ここで浮上してくるのが、里沙さんがシルバーバーチなどスピリチュアリズムの関連する霊信記録の書籍を読んでおり、それを元に無意識的に演技をして語ったのではないかという疑いです。
しかし、これについて彼女はきっぱり否定しています。また、それを信ずるに足る録音試聴後の感想があります。彼女は感想として次のように語っています。

「私の守護霊は阿弥陀如来だ、と高名な信頼できる霊能者から霊視してもらって、そう信じていました。だから、私自身が守護霊の役割演技をして語るとしたら、守護霊に名前はありませんとは絶対言わないと思います。阿弥陀如来です、と言ったはずです。私の守護霊に名前がないと言われてちょっとショックです。阿弥陀如来以上の守護霊はいないと思っていたから、稲垣先生の守護霊より霊格が上だと思って、密かに優越感があったのに、稲垣先生の守護霊のほうが霊格が高いと言われたのもショックです」

つまり、彼女にスピリチュアリズムの知識があったとすれば、自分の守護霊を阿弥陀如来だなどと信じることはまず考えられません。
高級霊は原則素性を明かさない、というのがスピリチュアリズムの常識ですから、彼女の守護霊についての知識は、仏教の説く「守護仏」と混同している程度の知識でしかなかったと判断できるわけです。
このように検討してみると、【1】の5の語りの主体は、里沙さん自身ではなく、憑依した「守護霊」である可能性が高いと判断できるように思われます。

こうして検討を重ねてきますと、憑依した守護霊の回答は、里沙さんの意識が投影された催眠中の無意識的役割演技だと解釈するよりも、彼女が霊媒の役割を果たし、守護霊からの霊信を伝えたものと素直に受け取るほうが妥当性が高いのではないかと思われます。
ただし、そのように受け取るにしても、ここで述べられている守護霊の語り内容が、絶対的な真実であると主張しているわけではありません。
ヒーリングや前世療法をおこなうわたし自身の活動を、こうした言葉によって権威づけようとする意図も全くありません。
あくまで何らかの霊的存在者の一意見として、冷静に受け止め、参考にすることに留めておくべきだろうと考えています。
こうした守護霊の言葉によって、自分を権威づけたり、選民思想やメサイアコンプレックスに陥ることはあってはならないことで、徹底して厳しく自戒すべきだと思っています。
ここで里沙さんの守護霊の憑依実験と考察を紹介したのは、そうした存在の実在可能性が高いという一つの事例として、読者諸賢の検討材料に資するためです。        


その結果、自分も守護霊によって常に見守られているという被護感が持てたとすれば、けっして人生にとってマイナスになることではないと思います。
わたしあて霊信が届く前には唯物論者であったわたしが今、わたしの守護霊(ガイド)の被護感を感じながらこの記事を書いていますから。
ちなみに、守護する存在は、人間を体験した者を「守護霊」、人間を体験していない者を「ガイド」と呼ぶようにと、わたしあて霊信は告げています。わたしの守護的存在は自らガイドを名乗っています。


ところで、特に「神の計画」「神との約束」といった事柄を、軽々に云々することは、極めて大きな問題を孕むものです。
こうした表現の取り扱いについては、十分過ぎるほど慎重であるべきだと考えています。
そうした自戒がなければ、わたしが掲げている「実証的探究」から逸脱し、実証の裏付けのともなわない無責任な観念論者に堕すると思っています。
また、自分自身の頭の中に守護霊が降りてきてお告げがあった、感応があったなどと、臆面なき広言・断言する人(霊能者・宗教者など)たちは、自分の脳の作り出した妄想であるかもしれない可能性をなぜ検討しないのか、そうした反省的思考(critical thinking)がなぜはたらかないのか、その理由がわたしには理解できません。

たとえば、その筋では名前が売ており、自著もある、霊能者を名乗る人物の妄想であったことが暴かれた次のような実例があります。

霊能者を自称している人物のブログで、ラタラジューは未浄化霊の憑依であり、里沙さんはその憑依霊の霊障によって転写された腰痛などに襲われるであろう、という根も葉もない、とんでもない霊視?感応?の内容が、2010年の「ラタラジューの事例」のアンビリ放映直後に、次のように、自信たっぷりにとうとうと述べられていました。
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 私の感応によりますと、数十年前に亡くなったネパール人男性が、日本へ行く旅行者に憑依して、日本霊域に来ています。
昭和までの幽界が強い時代は、日本の結界が強力に存在していて、外国人のさ迷う霊が日本に入ることは非常に難しかったのです。しかし近年は、この結界が崩壊している様です。私は番組を見て、この事を再認識させられました。
日本霊域でさ迷っていたネパール人男性は、ある時、退行催眠で無防備に成っていた女性の所へと引き寄せられたと言います。そして簡単に入り込む事(憑依)が出来たので、自分の言いたい事を話したのです。
女性(注:被験者里沙さん)は、長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました
ところが術者先生(注:稲垣)による「問い掛け」とは、物を言いたい霊に対して、場所を提供することに成るのです。この結果、彼女は異国の男性の憑依を受けたのです。
問題は、そのネパール人の霊は、この女性に執着していました。
今後、彼女には腰痛に加えて、憑依する霊がいまだに持つ腹痛も、現実的な病気として彼女に転写するでしょう。それ以外にも、彼女の人生に影響を与えて変えてしまいます。
現に番組では、ネパール人男性が戦争に行き、人間を刃物で刺した記憶が、彼女が料理で肉を切る時にフラッシュバックして苦しいと、彼女は話していました。
人の意識に干渉する治療は、予想外の二次被害を生み出しますの注意してください。
お金を払ってまでして、違う危険性を新たにはらみます。
これもやはり、先生も相談者も「無知ゆえの事」です。
彼女は過去生において、東北の弁財天信仰をする滝のそばで、口寄せ(くちよせ:霊を憑依させてお告げをすること)をさせる行者の元にいました。
そこで、寄り代(よりしろ)に彼女自身がされていたのです。その時の因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています。
このような過去生の行為が、再度また男性の元に引かれて、口寄せをする行為につながっています。 注:上記本文中のゴチック体部分は稲垣の装飾 
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9年以上前(2010年)のSNS上の記事ですが、この霊能者のもっともらしい自信に満ちた上記予言は、その後の経過によって、唖然とするような妄想であったことが完璧に検証、暴露されています。
そもそも 、「(里沙さんは)長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました」という霊能者の事実認識がでたらめで、勝手な想像の産物です。「因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています」などは、100%の妄想以外のなにものでもありません。

彼女の実験セッションは、腰痛治療などまったく関係のない、生まれ変わりの科学的研究のためにおこなわれたものです。
だからこそ、セッションの証拠映像を複数の研究者同席のもとで撮影したのです。
そして、セッション後の里沙さんに霊障(ラタラジューの腹痛の転写)らしき身体の痛み現象などが、これまで9年間の経過で一切起こっていないことが実証されています。
この、著作もあるという自称霊能者は、「感応」できたと称する意識現象が、客観的事実であるのか、主観的な妄想であるのかを、自己点検する謙虚さをまったく欠いたまま、「私の感応は真実である」と臆面もなく断定できてしまう、実証のまるでない思いこみとそうした短絡的思考そのままに生きていける能天気な霊能者のようです。

SAM前世療法の名のもとに、SAM前世療法士有資格者が、検証の余地のない、感応やらチャネリングやリーディングをおこなうことを厳しく禁じているのは、不可視であるがゆえに何とでも言える、感応やら霊視やらについて、わたしはそうした言説を鵜呑みにするような信を置いてはならないと考えているからです。

不可視の霊的意識現象を探究するに当たって、わたしの脳裏に常に去来するのは、35歳であったときの上越教育大学大学院生時代の恩師、杵淵俊夫教育学博士のことばです。
「稲垣君、あなたの言っていることは本当にそうですか? なぜそう言えるのですか?」と2年間、先生の研究室で毎日のように議論しているときに、いつも柔らかな口調で厳しく問われたことばです。
今も、わたしがブログ記事を書いているときに、このことばが蘇ります。
わたしの粗雑で短絡した思考態度は、こうして論理的緻密さを鍛えられてきました。

わたしの書いていることは、本当にそうか、それはなぜそう言えるのか。
杵淵先生に、この問いの回答がきちんと出せるような記事を心がけて書いているつもりです。まさに、杵淵先生から贈られた「学恩」です。


本ブログのコンセプトは、生まれ変わりや霊魂の存在についての探究について                    
いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なしに容認せず

理屈(理論)より実証、観念より事実

という理念を堅持することです。
「生まれ変わり」や「霊魂」の存在は、本当にそうなのか、それはなぜそう言えるのか。この回答を出すための探究が本ブログのテーマです。


3 件のコメント:

坊 さんのコメント...

・「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

・神との対話


を読んでみてください。

魂の非存在を証明しています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

坊さん
あなたの反論コメントは毎度のことですが、わたしが記事枠外に掲げている以下2点の「コメント投稿の留意点」を無視していますから議論にはなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※1 各記事ごとのテーマから大きく逸脱しているコメント、根拠が提示されない観念論や一般論を提示するだけのものや、根拠不明で反証可能性に閉ざされた観念論のみのコメント、こちらの反論に論点をずらす再反論は、話題の焦点が拡散し、散漫になることを避けるため、投稿されても掲載できません。

※2 ご自身の意見は一切述べず、他者の見解を貼り付けるだけの安直・怠惰な投稿は「コメント」とは認められず掲載できません。生まれ変わりを否定するコメントは、「ラタラジューの事例」「タエの事例」の具体事例に基づいて反証を挙げてコメントされることを原則とします。実証のない観念論、一般論のみの否定論は歓迎できません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反論するときは、まず、わたしの記事の具体的論点(一次証拠)について反証し、次いで、これこれの反論もありますよ、と述べていくのが作法です。反論者には、具体的な反証責任がともなうというのが、このサイトの「実証的探究」の理念です。

今回のわたしの記事で言えば、「あなたの記事のこれこれの証拠は、これこれの理由で反証を挙げることができます。したがって守護霊など存在しません」と具体的に反論してください。

そもそも、「魂の不存在の証明」、すなわち「魂が『ない』ことの証明」は「悪魔の証明」とされ、「ない」ことの証明は、きわめて困難でありできないとされています。

イェール大学の人気講義教授は、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わり研究を熟読し、それに対してきちんと具体的反論したうえで「魂の不存在の証明」しているとは思われません。
大学教授ともあろう研究者が、「悪魔の証明」を知らないはずがありませんから。
したがって、「魂の不存在の証明」などしていないのではありませんか?

「魂の不存在が証明された」というのは、坊さんのひとり合点の思い込みでしょう。

たとえば、わたしの主張している生まれ変わりや霊魂の存在を、「ない」と証明するためには、わたしがこのサイトで述べている「タエの事例」、「ラタラジューの事例」をはじめとして、わたしの挙げている「実証的事実」すべてについて、一つひとつ反証を挙げ、すべて潰していくしかないのです。そうしなければ、「ない」ことの証明にはなりません。
そんな「悪魔の証明」など、できるはずがないのではありませんか?

すべからく、議論は「前提」と「限界」を設けてするべきでしょう。そうでないと、稔りある
議論にはならない、というのがわたしの教員であったときの経験です。
したがって、本記事も「里沙さんの守護霊について」という「前提」と、「里沙さん以外のすべての人については言及できない」という「限界」を自覚して記述しています。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

毎度のことですが、わたしの批判に対して、3日経っても坊さんはだんまりを決め込んでいるようです。

ところで、わたしがこのブログで掲げている理念の「いかなる意識現象も先験的に否定せず」の、「先験的」の意味が分かりにくいという読者の声がありました。

この意味は文字どおり「経験に先立って」と解釈してくださればいいと思います。
要するに「経験による認識することに先立って、当たり前で自明の認識として」という意味です。もともとはカント哲学のアプリオリの訳語ですが、哲学的にむつかしく考える必要はありません。

坊さんの思考態度は、「先験的な霊魂否定論者」と言えるでしょう。

つまり、ハナから、霊魂などが存在するはずがあってたまるか、と断定し問答無用の硬直的思考態度というわけです。ですから、わたしの記事に対して、具体的検討をすることをはじめから放棄して、議論の余地などまったくなしと考えておいでのようです。

わたしの思考態度は、霊魂の存在を先験的に否定しないが、だからといって実証のカケラもないことであれば、鵜呑みに容認することはできません、という態度です。

ここで取り上げた守護霊についての考察記事を読んでいただければ、わたしの思考態度がご理解いただけると思っています。

こうしたわたした思考態度のブログを読んだ、元刑事であった知り合いから、稲垣さんは刑事に向いている、と言われたことがあります。犯人の疑いのある可能性の容疑者を一人ずつ潰していき、ポリグラフ検査をして最後に残った容疑者を犯人として推定するという捜査手法と相似だと評したようです。

そして、わたしの生まれ変わり探究のロールモデルは故イアン・スティーヴンソンです。
彼の研究手法から、わたしは多くを学んできました。
彼の著作『前世を記憶する子どもたち』は、繰り返し読み続けている座右の書となっています。