2019年10月18日金曜日

未浄化霊の存在についての考察

   SAM催眠学序説 その126

SAM前世療法のプロセス最終段階で、潜在意識に「魂状態の自覚」に至るまで導かせるという「魂遡行催眠」は、SAM前世療法独自・固有の催眠深化技法です。
この「魂遡行催眠」中には、クライアントに憑依していた未浄化霊が顕現化するというきわめて興味深い意識現象があらわれることがあります。
わたしには、事前に未浄化霊の憑依を感知する能力はなく、未浄化霊が自ら顕現化することをもって、そうした存在が憑依していることを認めざるをえないということです。  

未浄化霊は、救いを求めて顕現化するらしく、説得によって憑依を解かなければ魂状態に至ることができないので、セッションの遂行上、説得による浄霊という儀式をやむなくするということです。そして、事前に未浄化霊の憑依の有無を知る方法はありません。
したがって、SAM前世療法は、浄霊を目的とするセッションをすることはありません。
また、顕現化した未浄化霊と口頭で対話できる現象は多くはありません。
その稀な未浄化霊との対話現象の起きた事例を紹介します。

事例その1 マヤの幼女の顕現化事例


クライアントは40代前半の主婦。主訴は、夫および姑との人間関係の改善でした。現世の夫と、ともに生きた前世があるのなら、それを知ることによって家族内の人間関係改善への気づきを得たいということでした。
そのための、「魂遡行催眠」をおこなっている最中に、憑依していた未浄化霊の顕現化が起こりました。
クライアントが、突然すすり泣きを始め、やがて身体をよじりながらの号泣に変わりました。
魂状態の自覚に至る前に起こるこうした反応は、まず間違いなく未浄化霊が顕現化していると判断できます。
号泣が治まると、「セノーテ、セノーテ」と苦しい声で訴えはじめました。

次は顕現化した未浄化霊である3歳の少女との対話です。
 

稲垣:セノーテってなんですか? 
 

霊:泉、泉。
 

稲垣:セノーテとはどこの言葉ですか。
 

霊:マヤ、マヤ。
 

稲垣:あなたはマヤの時代の人なんですね。それで、あなたはさまよっている霊ですね。
 

霊:うん。そう、そう。
 

稲垣:マヤは日本から遠く離れています。あなたは、苦しくて、それを分かってほしいから、この者に憑依したのですか? そのために、マヤから日本までやってきたのですか?
 

霊:ちがう。この人が来た。
 

稲垣:この者が、あなたのいたマヤのセノーテにやってきた。それであなたが憑依して、そのまま日本に来てしまった、そういうことですか。
 

霊:うん。そう、そう。
 

稲垣:あなたは何歳で命を落としたの? 命を落とした場所がセノーテなの?
 

霊:3歳の女の子。セノーテへお母さんが投げ込んだので死んでしまったの。
 

稲垣:お母さんがあなたを殺したわけですね。なぜそんな惨いことをお母さんがしたの?
 

霊:神様への生け贄だって。
ここでまたクライアントは激しくイヤイヤをしながら、激しく泣き出しました。それがすすり泣きに変わるまで待って、対話を続けました。 
 

稲垣:そうやって生け贄にされて殺されたから迷っているのですね。でもね、この者にくっついていても、あなたはいくべき所にいつまでたってもいけませんよ。あなたのいくべき所は光の世界です。そこへいけば、お母さんと会えますよ。あなたを守っておいでになる神様とも会えますよ。
 

霊:いやだ。光の世界はいやだ。お母さんは大嫌い、わたしをセノーテに投げ込んだ。会いたくなんかない。神様はもっと嫌い。わたしを生け贄にした。
 

稲垣:お母さんがね、喜んであなたを生け贄にするはずがないでしょう。ほんとうは悲しくてたまらなかったのに、マヤの掟で泣く泣くあなたを生け贄にしたのですよ。そうして、幼子のあなたを生け贄に求めたというマヤの神様はまやかしです。そんなことを求める神様なんているはずがありません。悲しいことですが、あなたの生きたマヤの時代の迷信です。
 

霊:でも、お母さんは、神様の求めで私をセノーテに投げこんだ。お母さんには絶対会いたくない。いやだ、いやだ。お母さんのいるところへなんか行きたくない。この人のところがいい。
 

稲垣:じゃあね。私の言っていることがほんとうかどうか、ためしてみませんか。きっと、あなたが来るのを待っているお母さんが心配をして、お迎えに来てくれるはずですよ。お母さんがやさしく迎えに来ないことが分かったら、光の世界に行かなくていいのです。ためしてみましょうか。いいですね。浄霊っていう儀式をしましょう。きっとお母さんがお迎えにきてくれますよ。
 

霊:でも、いやだ。お母さんは嫌い。わたしを殺した。光の世界には行きたくない。

 このような対話を繰り返し、マヤの女の子が、浄霊に応じることを納得してくれるまで待ちました。
30分近く説得し、浄霊してよいという了解を得たので、浄霊をはじめました。
浄霊の儀式が終わったところで、お母さんが迎えに来ていますか、と尋ねると、うん、とうれしそうに返事が返ってきました。

こうして、浄霊は成功しました。
このあとで、魂状態の自覚に至ることができました。これまでのセッションの累積から未浄化霊は、自分が先に救われたいために、魂状態に至ることを妨げるらしいということが判っています。

覚醒後、クライアントにセノーテについて尋ねたところ、ユカタン半島の石灰岩の窪みに雨水がたまってできた泉をマヤではセノーテを呼んでいること、そのセノーテの底には生け贄として溺死した人骨が発見されている事実あること、自分はマヤ遺跡の旅行でそのようなセノーテに行っていることを話してくれました。
ちなみに、このクライアントが、いったいどこで、この子どもの未浄化霊に憑依されたのか覚醒後に確認したところ、3ヶ月ほど前の旅行でマヤ遺跡のチツェンイツァのセノーテを訪問していたことが確認できました。

さて、このマヤの女の子の顕現化現象を、このクライアントの役割演技と考えるか、未浄化霊の憑依現象ととらえるか、精神疾患による妄想の現れととらえるか。
未浄化霊が顕現化中のクライアントの髪は乱れ、化粧ははがれ、顔面は涙でぐちゃぐちゃでした。ここまでして、憑依霊の役割演技をする利得はどう考えてもなさそうです。
また、このクライアントの申告を信じるとすれば、憑依妄想、解離性人格障害、統合失調症などの精神疾患はないということですし、事前のカウンセリングでもそのような異常を示す兆候はありませんでした。

 なお、セッション中に顕現化した未浄化霊の身元の検証事例が3事例あり、3事例とも生前の実在可能性まで肉薄できましたが、あと一歩のところで完全な実在証明には至っていません。特に2つ目、3つ目の事例においては、遺族のもとを尋ねて、未浄化霊の語った情報の真偽を検証することは、遺族の心情を憚って自粛するべきだと思いました。そうして亡くなった人が確かにいるという噂のレベルの確認で留めています。

一つは、太平洋戦争の学徒動員による小牧市の軍需工場で、名古屋大空襲に遭い焼死したという名古屋市熱田区在住の19歳女性、あと一つは、くも膜下出血で笠松病院に搬送中、夫と小6の息子のを残して急死した岐阜市岐南町の30代女性の未浄化霊です。
もう一つは、可児市内の団地に在住し、許嫁に裏切られた絶望から32歳で電車に飛び込み自殺した女性の未浄化霊です。

 

事例その2 先祖の未浄化霊の顕現化事例


飛行機恐怖症(逃れることのできない狭い密閉空間に対する恐怖症)改善のためにおこなったSAM前世療法体験者からの感想コメントを事例として紹介しておきます。

このクライアントは40代の会社員で、3週間後に仕事でアメリカまで行くことになったが、飛行機恐怖症(閉所恐怖症)のため機内でトイレに立つこともできない、なんとか改善をしたいという依頼でした。

このクライアントの場合、飛行機恐怖症が生じた現世のトラウマの心当たりがなく、前世人格にもそうした恐怖症にかかわる存在が顕現化しないので、ご先祖の未浄化霊の憑依による何らかの影響を疑って憑依霊の顕現化を試みたという事例です。
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先日はありがとうございました。
私も、先祖の未浄化霊というものがあるとも、それが影響しているとも全く信じておりませんでした。
しかし、先般のセッションでは四代前の先祖を名乗り、棺桶で墓に運ばれる途中蘇生し、生き埋めにされたために、子孫のわたしを守るために飛行機のような閉鎖空間で怖くなるようにしている、との告白は実に驚きました。
先生に浄霊してもらうと、飛行機が全く怖くなくなったのは厳然たる事実で驚きました。

1時間ほどのフライトでも怖くてシートベルト外せなかったのが、10時間のフライト(注:アメリカまでのフライト)が可能になりシートベルトを外せたのは、まったくもって驚きでしかありません。

科学的な証明はともかく、この事実は曲げようがありません。
驚愕でありました。
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このご先祖の未浄化霊は、子孫であるクライアントを守るために、閉所空間が危険であることの警告をしていたと同時に、救いを求めて顕現化したようです。したがって、この事例において、ご先祖の祟りによる飛行機恐怖症という解釈は的外れです。

わたしのセッション経験では、未浄化霊の憑依は、祟りや呪いのようなことではなく、救いを求めて憑依している、と結論してよいと思われます。ただし、この事例のご先祖の実在の検証は不可能でした。

この男性が、自分の閉所恐怖症の原因として、棺桶のまま生き埋めになったというご先祖の未浄化霊の話を創作し、その結果による治癒という「ナラティブセラピー(物語療法)」的解釈ができるかもしれませんが、マヤの生け贄になった少女の未浄化霊の顕現化では、そうした解釈では無理があるでしょう。クライアントの女性には、そのような創作をしたところで利得が生じることは考えられないからです。


事例1の女性クライアント、事例2の男性クライアントに共通しているのは、ともに霊媒資質があるということです。でなければ、憑依している未浄化霊が、わたしと対話できないからです。クライアントに霊媒資質がない場合には、潜在意識を宿らせた指での回答を指示して、性別・年齢、死亡の原因、憑依した場所などを尋ねることによって憑依霊の身元を探るということになります。

SAM催眠学では「未浄化霊」の存在を認める立場をとっています。
わたしあて第12霊信(2007年1月23日22:58受信)で、通信霊は次のように告げています。
「この世に残る『未成仏霊のような存在は、残留思念の集合体である。だが、それらは意志を持つようにとらえられる。よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」

強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいますが、それは「霊魂」ではなく「強烈な思念の集合体」です。

わたしあて第8霊信(2007年1月20日1:01受信)は次のように告げています。

「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。ことばとしての『意識』をあなたは理解している。だが、その本質はまだ理解には及んではいない。あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」

こうした霊信から10年間のSAM前世療法のセッションにおける未浄化霊、生き霊などとの対話体験を経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっています。
「未浄化霊(未成仏霊)」然り、「生き霊」然り、「インナーチャイルド」然り、ということです。この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と呼びます。

それでは、残留思念の集合体である「未浄化霊(未成仏霊)」は、本来どこを居場所とするべき存在でしょうか。

わたしあて第14霊信(2007年1月25日22:47受信)で次のように告げています。

「死後、霊体は魂から離れる。だが、それらの意識は魂に取り込まれる。そして魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においてあなた方があなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない」

要するに、現世の個人的意識は霊体に宿っており、死後、その霊体に宿っている個人的意識は魂に取り込まれる。取り込まれる先は、生前は魂表層を構成していた「現世の人格」でしょう。こうして、生前の「現世の人格」は、死後、魂表層を構成する「前世の人格」となって位置づくと推測できます。

したがって、「残留思念の集合体(未浄化霊)」とは、本来、魂表層の前世の人格として統合され位置づくべき存在です。つまり、未浄化霊(残留思念)をこの世に残したままでは、魂表層の前世の人格の一部、あるいは全部が欠落しており、魂表層全体が十全な状態ではないということになるわけです。
どうやら、こうした十全ではない不完全な魂は、次の生まれ変わりを禁じられ、霊界に足止めされるといいます。残留思念が霊界へと上がって、そこで待機している魂の表層の、生前は現世人格であった者に統合されるまで待機させられるというわけです。


こうして、「浄霊」の本質は、未浄化霊に対して、本来行くべき次元に上がり、それを待っている魂本体へと統合し十全な魂となるように説得することです。

なお、顕現化した未浄化霊に確認してきた累積の結果として言えそうな結論は、

①未浄化霊が被憑依者を選ぶときには、オーラ(霊体)を読み取って判断するらしい。オーラにはその人の意識が宿っているので、未浄化霊を受け入れるような意識を持つ人であるかどうかが判断できるらしい。あるいは、心身が衰弱してマイナス思考に陥っている人も未浄化霊を引き寄せるので憑依されやすい。霊媒資質を持つ人も憑依されやすい。

②憑依霊が存在する場所は、死者の出る病院、自殺者や事故死者の多く出る場所などらしい。こうした場所に存在する未浄化霊は、その場所から離れることがないので「地縛霊」と呼ばれているらしい。特定の場所ではなく彷徨っている未浄化霊は「浮遊霊」と呼ばれているらしい。

 このわたしの経験的見解にしたがえば、「事例その1」のマヤのセノーテの少女霊は地縛霊であろうし、「事例その2」のご先祖の未浄化霊は浮遊霊かもしれません。

とは言え、未浄化霊の存在する物証を示せと要求されてもそれは不可能です。
未浄化霊の存在を認めないでは整合的な説明のできない未浄化霊の顕現化という「意識現象の事実」が、相当数確かに存在しますよ、という状況証拠を提示するしかありません。

哲学者ベーコンは読書について次のように述べています。
「反駁や論駁を目的としたり、逆に、頭から信じて無批判に受け入れる態度、あるいは話のタネになるものを探そうといった態度で読むのではなく、思考の糧とするために読むべきである」

ここに取りあげた『未浄化霊の存在についての考察』記事も、紹介した未浄化霊の顕現化という「意識現象の事実」をどう考えたらいいのか、そのための読者の思考の糧となるように読んでほしいと思っています。


2 件のコメント:

稲垣 勝巳 さんのコメント...

顕現化した未浄化霊との対話による、精神疾患(統合失調症)の30年にわたる医学博士の治療記録として、『迷える霊との対話』近藤千雄訳、C.Aウィックランド、ハート出版があります。741ページの著書です。
ウィックランド(1861-1945)は、妻を霊媒として用い、顕現化した未浄化霊との対話という形で、医学で治療できない異常行動の患者の精神治療をおこなっています。
ウィックランドは、患者の異常行動を起こす「スピリット」を迷える「悪霊」として扱い、「残留思念の集合体」というとらえ方をしてはいません。
ウィックランドの治療の本質も、霊媒である妻に顕現化したスピリットへの説得による浄霊です。
ただし、顕現化したスピリットの語り内容の真偽の検証をしてはいないようです。

匿名 さんのコメント...

大変面白く読ませて頂いています。
10年ほど前にセッションを受けさせて頂いた時は、私の場合も号泣しました。
ただ、私は霊媒体質ではなかったようで、指でのやり取りになったことを覚えています。
勝手にないてしまう、指が勝手に動くというだけでも、自分には十分不思議な体験でした。