2019年8月15日木曜日

「SAM前世療法」の重要仮説用語集

    SAM催眠学序説 その124

ここで紹介する記事の目的は、「SAM催眠学」とその諸作業仮説に基づいて実践してきた「SAM前世療法」の骨格を形作っている、重要用語を理解していただくための手引きとすることです。
この用語集を一読すれば、生まれ変わりと霊魂の実証的探究を目指してきた「SAM催眠学」、および「SAM前世療法」の作業仮説と方法論の概観ができるように記述してあります。
また、ここに掲載されている諸作業仮説は、すくなくとも2例以上の複数の事例検証による裏付けがあり、霊能者や宗教家の唱える実証のない観念論、抽象論ではありません。「観念より事実、理屈より実証」を理念に掲げ、SAM前世療法で実践してきた、これまでの実証的探究による現時点におけるSAM催眠学の成果です。

なお紺字のタイトルと用語は、SAM催眠学独自の用語、あるいはこれまでにあった用語にSAM催眠学による創出的定義を担っている用語です。
今後、探究が進んで、内容の修正や新たな用語の項目が付加されることがあるかもしれません。


【アイウエオ順】
赤ランプ消灯法


SAM前世療法の誘導過程において、「知覚催眠」の深度を確認するため、痛覚麻痺を生じさせるための技法。催眠学上の統計では「知覚催眠」に至る被験者は、平均25%である。痛覚麻痺は、催眠による知覚の変性状態のうちでももっとも起きにくい。
SAM前世療法では知覚催眠深度の確認のため、標準催眠感受性尺度にはない「痛覚麻痺」を独自の知覚催眠の尺度として用いる。知覚催眠のうち体温の知覚である温感、冷感、痛覚麻痺へと確認するが、痛覚麻痺のあらわれない場合に、赤ランプ消灯法を用いると7割程度に痛覚麻痺があらわれる。


この技法は「脳と心の二元論仮説」に基づいて、稲垣が考案した。
本来「脳」とは別物の「心(潜在意識)」が、「脳」に働きかけることによって、痛覚を麻痺させることができるはずだという仮説を導き出し、技法を考案した。
痛覚が働いている状態を、赤ランプが点灯しているというイメージとして想起させ、それが徐々に暗くなり、ついにランプが消え、同時に痛覚が眠る、という催眠暗示をする技法。
現行の催眠学や医学では、なぜ言語暗示によって痛覚麻痺が生じるのか、いくつかの仮説は提案されているが、その裏付けとなる確かな科学的解明はいまだなされていない。
なお、催眠暗示によって痛覚麻痺が起こることは「催眠麻酔」として古くから知られている事実である。ロシアなど東欧諸国では無痛分娩に催眠麻酔が用いられている。また、歯科治療に催眠麻酔を用いる「催眠歯科学」の研究もおこなわれている。薬物麻酔にアレルギーのある場合、催眠麻酔に成功すれば開腹手術など外科手術にも用いられる。
SAM前世療法では、痛覚麻痺以上に知覚催眠状態を確認できる尺度はないと考えている。


暗黙知


マイケル・ポランニー(科学哲学者)によれば、技能は、本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できないものである、という。
なぜなら、技能は訓練を通じてはじめて身につくものであって、いくら言葉で教えられても技能のすべてを伝え切ることはできない。
こうした言葉に置き換え切れない、身体で体得した知識を「暗黙知」という
自転車に乗る技能を例にとってみればよい。
いかに乗り方を言葉で教えられても、それだけでは乗ることはできず、乗るための技能の訓練は、相変わらず必要不可欠である。

生まれ変わりの科学的証明に立ち塞がった最後の壁が「超ESP仮説」である。超ESP仮説さえなければ生まれ変わりの科学的証明はとっくになされたと考えている研究者は多い。
この仮説は、ホーネル・ハートが「思考節減の原理」に基づいて唱えたとされている。
つまり、万能の超能力(透視能力やテレパシー)を駆使すれば、あらゆる情報は超ESPによって入手可能であり、前世の記憶らしき情報による生まれ変わりや霊魂存在の説明は不要であり、生きている人間の心の力(超ESP)によって入手した情報として説明できるとする。
しかし、暗黙知である「技能」だけは超ESPによっても取得できない
実際、100年余の死後存続の研究史においても、技能をESPによって取得した超能力者は発見されていない。
イアン・スティーヴンソンはこのことに着目し、現世で学んだことのない応答的会話『技能』の発揮は、生まれ変わりの最有力な科学的証拠だと主張した
これを「応答型真性異言」と呼ぶ。スティーヴンソンのこの主張を、論破した研究者はいまだ現れていない。
彼は、「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」、「シャラーダの事例」の3つの応答型真性異言の発見を公表している。

2009年に実験セッションをおこなったネパール語の応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、公表された21世紀最初の応答型真性異言であり、催眠下で発揮された応答型真性異言事例として、世界で3例目になる。この功績は評価されてもよいと思われる。

また、ネパール人人格ラタラジューの応答型真性異言発話中の証拠映像は、世界初の撮影に成功した事例である。生まれ変わりの証拠である「ラタラジューの事例」は、反証可能性にひらかれている。you-tube公開の証拠映像、拙著の逐語録、本ブログ公開の逐語録などに基づく具体的反証を挙げた否定論者は、いまだに現れていない。


「意図的憑依」仮説



クライアントが「魂状態の自覚」に至ると、必要に応じて霊的存在を意図的に憑依させることが可能になる。
とりわけ霊媒体質がある場合にはそれが容易に起こる。
「魂状態の自覚」とは、肉体に宿っている「魂」が肉体との結びつきを解かれた状態となり、肉体と魂が分離した状態であると推測できる。
つまり、肉体を持たない「霊」の次元と同等になると考えられる
したがって、高級霊や未浄化霊などとの接触が起こり易くなると考えられる。
なお、SAM催眠学では、肉体を持たない意識体を「霊」肉体に宿る霊を「魂」と呼ぶ。
したがって、「霊」も「魂」も、肉体の有無の違いだけで本質は同じだと考えている。

you-tubeで公開している「タエの事例」で、タエの守護的存在(偉大な存在者)を被験者里沙さんに意図的憑依をお願いしたことが最初の実験事例である。
その後のセッションで閉所恐怖症に関わっているご先祖の未浄化霊、原因不明の偏頭痛に関わっているご先祖の未浄化霊、幻聴など統合失調症の発症に関わっているご先祖の未浄化霊、未浄化霊の憑依を防ぐための方法を教示してもらうための守護霊の憑依など、意図的憑依が可能であることを実証してきた。

これらの意図的憑依は、原因不明の症状の改善に目的を限定しておこなうべきであり、亡母の霊に会いたいから意図的憑依をしてもらうなど、現世の人間の都合で霊界の住人である亡き父母や配偶者など霊的存在に憑依を求めることは、厳に戒めて一切おこなわないことにしている。
地上の人間世界からいったん縁を切り、別次元の霊界での生活を送っている霊的存在を呼び出すことは、その足を引っ張ることになり、霊界での生活を乱すことになるであろうと推測するからである。また、そうした霊が降りてくるとは思えない。
そうした霊的存在が、残してきた現世の者にメッセージの必要があれば、夢や直感によって自ら接触してくるはずだと考える。
逆に、守護霊など高級霊が、伝えるべきメッセージを携えて、自ら憑依してくる事例がたびたび起こる。
ただし、未浄化霊など低級霊が、許可なく自ら憑依してきた事例はない。
また、興味本意の動機によって、高級霊のメッセージを求めて意図的憑依を試みることは、厳しく自制している。
悪意を持つ低級霊を呼び寄せてしまい、不測の忌まわしい事態が起こる可能性があるからである。(注:鎮魂帰神の法)
また、そうでなくても、被憑依者の体力の消耗が激しいことが明らかになっている。
「SAM前世療法」を、興味本位で用いることはけっしてしてはならないと自戒している。


稲垣あて霊信


稲垣の守護霊団を名乗る11の諸霊からの、パソコンの自動書記による稲垣あての通信現象である。
全22通による霊信の全文は、「SAM催眠学序説 その48~72」で公開してある。
霊信の受信者は、当時26歳の東京在住の派遣社員M子さんである。
M子さんとわたしとの事前の面識は一切なく、拙著『前世療法の探究』の一読者という関係でしかなかった。
M子さんによれば、受信前の予兆として後頭部に鈍痛が始まるのでパソコンを前にしていると、指が勝手にキイを打ち始める(自動書記)という。
送信されて来る文言を打っている間の意識は朦朧としており、どのような文面が打ち出されているのか分からず、打ち終わって一読後、即わたしに転送しているという。

こうした霊信現象が、2007年1月11日夜から始まり2月14日夜まで毎夜続いた。
わたしがこうした霊信の信憑性が高いと判断している理由は、次の3つの予言がすべて的中していることを検証できているからである。

出版することになる2冊目の拙著とその内容の方向性についての予言。
3年後の2010年に、1冊目とは方向性の異なる2冊目の拙著の出版が実現した。

霊信の告げた「脳と心の二元論]、「魂の二層構成」などにもとづく、新たな前世療法を創始することについての予言。
予言の1年半後に「SAM前世療法」が創始できた。

わたしが前世をともにし、愛した女性と間もなく出会うという予言。
予言の半年後に予言内容にぴったり符合する女性クライアントに遭遇した。

上記三つの予言以外に予言めいたことを霊信は告げていない。
また、アトランティス大陸やその他についても告げているが、その真偽の検証は不可能であるので判断留保としている。SAM前世療法はこの霊信の恩恵なしには創始できなかった。
わたしあて霊信を認めることは、地上の人間と霊との交信ができることを認めたことになり、そうした送信霊の実在性を認めたことになる、と自覚せざるをえない。
霊信の信憑性は、送信霊の名乗り(エドガー・ケイシー、モーゼなど)より、霊信内容の矛盾のない一貫した整合性とその検証結果、および語り口の格調の高さによって判断している。
わたしあて霊信こそ、SAM前世療法とSAM催眠学の母体に他ならない。


「生き霊」仮説


2007年1月23日22:58着信の第12霊信で通信霊は、
「この世に残る未成仏霊(未浄化霊)のような存在は、残留思念の集合体である。
だが、それらは意志を持つようにとらえられる。よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」と告げている。

以上のような2007年の霊信を受け取ってから、12年間にわたるSAM前世療法の仮説と検証の実践の繰り返しを経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっている。したがって、残留思念は、二層構成を持つ魂(注:魂の二層構成仮説参照)ではない。この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と名付けている。

「残留思念仮説」によって定義すれば、「生き霊」とは、霊ではなく、「魂表層の『現世の者から分離した強力な嫉妬、恨みなどの思念の集合体であり、意志を持つ人格としての属性を備えたもの」である。

その実証として、SAM前世療法による生き霊との対話の実際を「SAM催眠学序説その115」で述べている。
ただし、生き霊は、「現世に生きている者の強力な嫉妬や恨みの思念の集合体」であるから、「死者となった者の残留思念(未浄化霊)」ではない。
それだけに、いったん説得に応じて生き霊を発している魂表層の「現世の者」のもとに帰っても、なにかのきっかけによって再び憑依してくることが起こる。
その115のクライアントについては、1年後現在、離婚した夫の生き霊の再憑依はない。
未浄化霊の場合は、説得によって霊界で待っている魂本体に統合されれば、再び憑依してくることはない。
こうしたことから、生き霊を説得によって浄化し、その再憑依を完全に防ぐことは困難であることが多い。現在、生き霊の再憑依を防ぐ方法を実験中である。実験事例数は少ないが、すべてのクライアントから実験効果があったという報告を確認している。


「意識現象の事実」と科学性


明治大学科学コミュニケーション研究所の「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」
によれば、科学性は次のように説明されている。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性:説明が矛盾なく一貫しているか。合理的な前提に基づいているか。類推などの飛躍した論法を使ってはいないか。
理論の体系性: 他の科学的知見と接続し、それらと整合した説明になっているか。その理論によって、他の科学的知見と矛盾する結果が導かれないか。
理論の普遍性: 広く一般的に成立する理論となっているか。ごく特殊な状況に限って適用可能な説明にとどまってはいないか。

実証的効果を示すデータの観点

その言説はどのようなデータによって裏づけられているのかといった点を、次の下位分類にて評定している。
データの再現性:複数の研究でくり返し確認されているか。第三者による評価が行なわれているか。否定的データがお蔵入りになっていないか。
データの客観性:
無作為化対照試験などで主観的効果を排除した量的データの分析になっているか。直観的な感想や権威による断定になってはいないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
SAM催眠学は、「魂状態の自覚」に至ったクライアントの意識現象の累積から、共通する特徴・特性を一定の観点から選択的に抽出し、一般化し、理論化しようとする試みである。
現行科学の方法では、意識現象の中身そのものは、計測も数量化も視覚化も不可能なので、意識現象を体験した当事者の報告(内観)に頼る以外に意識現象の探究はできない。
この意識現象を体験した当事者の報告(内観)を「意識現象の事実」と呼んでいる。
少なくとも、当事者は、その真偽は別にして、確かに報告されたような意識現象を体験したことをまずは認めようというわけである。
その「意識現象の事実」が「妄想や作為による虚偽」であるのか、「客観的な事実」であるのかの科学的な判断は、現行科学の方法による検証結果を待つしかない。
「意識現象の事実」にもとづくSAM催眠学の理論が、机上の空論・仮説ではなく、科学性を主張するためには、前掲「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」に提示されている条件以外に「反証可能性」という条件が重要だと考えている。

反証可能性とは、その仮説が何らかの観測データによって反証されうることを意味する。
たとえば、「太陽が東から昇る」という仮説は、「明日、太陽が東から昇らない」という観測によって反証される可能性を残している。
これに対して、いかなる実験や観測によっても反証される可能性を持たない構造を持つ仮説を反証可能性に閉じられた仮説と呼ぶ。
わたしは、とりわけ意識現象の探究において、反証可能性に閉じられた仮説は、科学的仮説とは呼ばず、単に「説」だと見做している。

さてそれでは、反証可能性にひらかれている応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、どのような科学評定をされるのであろうか? おそらく、「霊魂仮説」を認めようとしない唯物論科学の枠組みを逸脱している理由で無視されるであろう。これまでの科学の枠組みでは説明できない事象の探究こそ、「科学」本来の使命だとわたしは思っているのだが。


「意識と脳の二元論」仮説と「魂の二層構成」仮説



脳は意識を生み出してはいない、脳と意識は密接な相互関係、対応関係にあるが、本来別物である、とする立場を「意識と脳の二元論仮説」という。脳が意識を生み出すという因果関係を否定する仮説である。                           大脳生理学者でノーベル賞学者の、ペンフィールド、スペリー、エックルズ、催眠学者の成瀬悟策などが実験研究の末に晩年になって唱えている。しかし、彼らは、それでは意識どこで生まれるのか、という根本問題については一切述べていない。分からないのである。
SAM催眠学では、わたしあて霊信の告げている「魂の二層構成仮説」を採用し、意識を生み出しているのは、魂表層を構成している前世の者たちである、と考えている。
魂の二層構成」を理解しやすいように、円を用いて二次元モデルの模式図にしたものが下図である。

 

  「魂の二層構成とその転生の模式図]


左から右への矢印は時間軸を意味している。
大円、魂の核Xの下に引いてある接線は、魂表層の「前世の人格」と、肉体を持つ「現世の人格」の区別のための補助線である。
つまり、補助線より下の小円が肉体に宿る現世の人格になる。
補助線より上の小円が、死者であり肉体のない前世の諸人格である。
したがって、右端の3つ目の模式図を例にとると、魂表層の現世人格小円Cは、小円Aと小円B二つの前世人格とともに、3回目の現世の人生を送っている魂をあらわしている。

意識は魂表層の小円A、小円B、小円Cなどの前世人格たちと現世人格が生み出しているというわけである。

魂の転生の仕組みを模式図の時間軸にしたがって説明してみる。

魂の核大円(X)は、最初の肉体に宿ると、その表層に小円という現世人格(の意識体)を生み出す。(左端の図)

現世人格(の意識体)はその肉体の死後、魂の核大円(X)の表層を構成する前世人格(の意識体)小円Aとして位置づき、死後も魂表層に存在し続ける。(真ん中の図)

そして魂は、次の来世の肉体に宿ると、新たに小円という現世人格(の意識体)を魂表層に生み出す。(真ん中の図)

さらに小円Bという現世人格(の意識体)は、肉体の死後魂表層の前世人格(の意識体)小円Bとして位置づき、先に位置付いている前世人格小円A(の意識体)とともに魂表層を構成し死後存続する。(右端の図)

次の来世では小円Cという現世人格(の意識体)を魂表層に生み出し、先に表層に位置づいている前世人格小円A(の意識体)・B(の意識体)とともに魂表層を構成する。(右端の図)

このように、魂の核であるは、新しい肉体を得るたびに諸前世人格(の意識体)を魂表層に次々に位置づけ魂表層の構成単位として包含し、転生していく。
現世人格であった(の意識体)・B(の意識体)・・・は死後も、それぞれの生前の人格、個性、記憶を保ちながら、魂の核とともに魂の表層を構成するそれぞれの諸前世人格(の意識体)として死後も存続している。
これを「魂の二層構成仮説」と呼ぶ。
つまり、「核となる意識体」と、その「表層を構成している諸前世人格(の意識体)」の二層を合わせた全体を「魂」と呼ぶ。

こうして、生まれ変わりの回数分だけの前世の諸人格(の意識体)が、現世人格(の意識体)とともに魂の表層を構成しながら意識体として死後存続している、というのがSAM前世療法で確認できた意識現象の累積によってが明らかなってきた魂の構成とその転生の仕組みである。
なお、肉体を持たない魂を「霊」と呼び、肉体という器に宿る霊を「魂」と呼ぶ。

そして、魂は、表層を構成する前世の諸人格のすべてのものがつながり持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいると霊信は告げているので、当然現世の人格は、多かれ少なかれ、また良かれ悪しかれ、前世の諸人格の智恵(意識体)の影響を受けていることになる。

また、転生するたびに、魂表層の前世人格(の意識体)が 新たに位置付き、その前世人格(の意識体)の智恵が分かち合われるので、魂表層を構成している諸前世人格全体の集合的意識は、転生することによって変化していくことになる。
ある方向性、志向性に支えられたこの変化を、「魂の成長・進化」と呼んでいいのではないかと思っている。

なみに、魂の核である意識体Xについて、わたしあて霊信では「ある意識体」とだけ告げており、その実体については謎のままである。

SAM前世療法は、「魂遡行催眠」の誘導技法によって、「魂状態の自覚」まで誘導し、魂表層を構成している肉体のない前世人格「小円A(の意識体)」や「小円B(の意識体)」を、現世の「小円C(の意識体)」の肉体を用いて顕現化させ(憑依させ)、この「自己内憑依」によって顕現化した前世人格の意識体と対話する、という仮説と方法論によってセッションを展開していく。

you-tubeに公開している動画「タエの事例」「ラタラジューの事例」がその実証である。
なお、ワイス式前世療法(前世の記憶をさぐる前世療法)には、生まれ変わりについての理論的背景は何もないようである。
SAM前世療法を体験した大学教授のうち2名が、SAM前世療法の仮説どおりの前世人格の顕現化を実感し、SAM前世療法によって意識現象の研究に役立てたいということで、わたしの催眠塾に入塾し修了されている。


「インナーチャイルド」仮説


インターネットで インナーチャイルドを検索しても、明確な定義をしているサイトはない。
「自分の中にいる傷ついた小さな頃の自分」、「子どもの頃の記憶や感情」というおおざっぱで曖昧な言い方でまとめるしかないであろう。
ちなみに、『心理臨床大事典』培風館,1999、『精神分析事典』新曜社,1995を検索しても、「インナーチャイルド」の項は出てこない。明確な定義がないということらしい。
したがって、「インナーチャイルド」は、臨床心理のアカデミズムで認められている心理学用語ではないといえる。

「インナーチャイルド療法」の方法論と技法の選択で肝心なことは、小さな頃に傷ついた「記憶感情などの総体」であるのか、傷ついて苦しんでいる小さな頃の「人格そのもの」であるのか、療法上の対象とするものが、明確に定義されていることである。

SAM催眠学では、これまでのSAM前世療法で確認されてきた「意識現象の事実」の累積にもとづき、療法の対象とする「インナーチャイルド」を次のように独自の明確な定義をしている。                         

インナーチャイルドとは、「耐えがたい悲哀の体験をしたために傷つき、その苦痛から逃れるため、大人の人格へと成長していく本来の人格から分離(解離)され、 取り残された子どものままの残留思念の集合体であり、意志を持つ別人格としての属性を備えたもの」である。

こうした悲哀を抱えているインナーチャイルドの存在は、成長していく人格が、悲哀体験を直視して生きることの苦痛から逃れるために、無意識的に大人へと成長していく人格から分離された存在であり、成長している大人の人格に内在していると考えられる。
したがって、インナーチャイルドの存在は潜在意識下に抑圧されているため、はっきり自覚されることはなく、深い催眠状態(魂状態の自覚)に至って、つまり潜在意識の蓋を開けないと顕現化しないということになる。
なお、「インナーチャイルド仮説」は、複数の交代人格が顕現化する「解離性同一性障害(多重人格)」の症状解釈と、その改善にも援用できる可能性があると考えている。

こうして、SAM前世療法においては、療法の対象とするインナーチャイルドを、成長し「大人となった人格」と分離され内在しているが、別人格として振る舞っている、傷ついた「子どもの人格」だと見做して対処しようと試みる。

したがって、インナーチャイルド人格は、どこまでもセッションをおこなうための仮説としての「見做し人格」であり、「作業仮説」上の仮定の存在である。

そして、「傷ついたまま取り残されているインナーチャイルド人格」を呼び出し、癒やし、本来一つであるべき「成長している大人の人格」に統合することをセッションの目的とする。
その結果、インナーチャイルドによって引き起こされている不都合な心理的諸症状が改善される、というのがSAM催眠学による「インナーチャイルド療法」の治癒仮説である。


なお、以上のような仮説にもとづいた「インナーチャイルド療法」の実際は、「SAM催眠学序説その119」の記事、およびそのコメント記事に公開している。



「生まれ変わりのない魂」「前世が人間ではなかった魂」

 

SAM前世療法のセッションでは「前世のない魂」の持ち主、つまり生まれ変わりをしたことがない魂の持ち主が「意識現象の事実」として2%以下の確率であらわれる。

魂表層から前世の人格を呼びだそうとしても一切顕現化しないので、必ず表層に位置付いている「現世の者」を呼び出し、「あなた以外に前世のものがいるはずだが、分かりますか」と尋ねると「いない」または「分からない」という返答から、生まれ変わりを体験していない、現世が初めての人生である魂であると推測している。

魂は、表層を構成する前世の諸人格のすべてのものがつながり持ち、友愛を築き、与え合うことを望んでいる、と霊信は告げていますから、表層に位置付く「現世の者」が、表層を構成している「前世の者」が存在していれば分からないはずがないわけで、分からないということは、いないということだと判断している。
そして、生まれ変わり体験のない魂の持ち主共通の性格特性が、「無知、無垢」であるらしいことも分かってきた。
したがって、好奇心がきわめて強く、悪気がなく、傷つきやすい性格のようである。

「前世の記憶を想起する」という建前でおこなわれているワイス式前世療法では、前世がないという事例を、わたしは聞いたことがない。
前世がなければ前世の記憶のイメージが想起できるはずがないので、そういう場合は、前世イメージ想起の失敗事例として扱われているのだろうと思われる。
とすれば、今後もワイス式前世療法では、生まれ変わりをしていない事例が出て来ないと思われる。

「前世が人間ではなかった魂」の持ち主も、1%以下の確率であらわれる。
ただし、犬・猫・馬・蛇などの動物の前世が顕現化したことは一度もない。
海外の前世療法の事例でも、動物の前世が確認されたことはないと思われる。
人間知性以上の知的存在として、宇宙人の前世の顕現化が起こることが確認できる。
わたしのセッション体験では、「生まれ変わりのない魂」以下の確率である。
また、さらに低い確率で「前世が守護的存在であった魂」の持ち主が確認できる。

「宇宙人であった前世の者」の語りによれば、住んでいた星は戦争や醜い争いがなく平和であり、住み心地がよいことが共通している。ただし、魂の成長・進化のためには負荷がどうしても必要なため、戦争の絶えたことがなく、憎悪や嫉妬にまみれた負荷の重い星として、地球人を敢えて志願して生まれ変わったということが共通している。
性格特性としては、価値観や行動基準が、一般的な人と比較してずれがあるため、「変わっている人」と周囲から評されている。また、争いの絶えない地球環境に幻滅を感じ、生きづらさからうつ状態に陥っている場合もある。

「守護的存在であった前世の者」の語りによれば、本来人間に生まれ変わる必要がないが、自分よりさらに高位の高級霊の指示によって、地上の人間に「霊的真理」を広めるために、敢えて人間に生まれ変わった、という共通の事情が確認できる。
利他的で思いやりが深い人柄なので「いい人だ」と周囲から評されている。
そして、人間に生まれ変わった職業は多彩であるが、その道の有名人や社会的地位の高い指導的立場ではなく、一般の巷の人ばかりであった。こうした事例も、ワイス式前世療法で報告されたことを聞いたことがない。

これら「生まれ変わりのない魂」や「前世が人間ではなかった魂」の真偽は検証できない。
かろうじて、そうした魂の持ち主の語り内容の共通項があること、共通の性格特性があることをもって、わずかに状況証拠ではないかと推測される。
もちろん、クライアントの願望が投影された前世である可能性も疑わなければならない。
なお、ここで表示した確率を示すパーセンテージは、セッション数の母数が小さいのでどこまでも参考数値である。


「生まれ変わり」仮説「魂の転生」仮説


SAM催眠学では、「魂の二層構成仮説」を唱えている。
魂は、「中心(核)となる意識体」と「その表層を構成している諸前世の人格」とによる二層の構成から成り立っている、という仮説である。
ミラーボールをイメージしてもらうとよい。ミラーボールの内側の中心となっている球体が、「中心(核)となる意識体」であり、球体の表面に貼り付いている1枚1枚の鏡の断片が、 「表層を構成している一人一人の諸前世の人格」ということになる。

この「魂の二層構成仮説」によれば、一つの魂の宿る肉体の消滅後も、死後存続する同じ魂が、次々に新しい肉体へと宿り替えすることを「魂の転生」と呼ぶことになる。
魂は、生まれ変わるのではなく、新しい肉体へと転じて生き続ける、つまり「転生」し、「宿り替え」しながら死後存続するのである。
このことは、SAM前世療法のセッションの累積によって検証してきた結論である。

そして、魂の表層を構成している現世の直前を生きた前世人格の立場からいえば、彼は、現世の新しい肉体と人格へと一新することになり、これを「生まれ変わり」と呼ぶことになるのである。

肉体の死後、「二層構成の魂全体」は、新たな肉体へと「転生」(宿り替え)し、それにともなって、魂表層の「前世の人格」は、新たな肉体を持つ「現世の人格」へと一新し「生まれ変わる」のである。

「生まれ変わり」の意味を、「かつてAであったものが、新たなBへと一新すること」とするなら、生まれ変わりをするのは、直前の前世を生きた肉体と人格であり、二層構成のAという魂全体そのものが、全く異なる新たな二層構成のBという魂へと一新することではないのである。
転生するたびに、魂Aの表層を構成している前世人格の数は一つずつ増加するが、Aという魂全体がすっかり一新され、新たな二層構成の魂Bになるわけではなく、新しい肉体に宿り替え(転生)するだけである。

したがって、魂が転生するたび、肉体と人格が生まれ変わる、ということになる。

このような「魂の転生」と「生まれ変わり」の概念を明確に打ち出しているのは、世界広しといえども、SAM催眠学以外にない。
なぜなら、この概念のもとになっている「魂の二層構成仮説」は、地上の人間であるわたしの考え出したものではなく、わたしあて霊信が告げたことだからである。
地上の人間には、魂の構成などを知ることも、想像することもできないであろう。

なお、「生まれ変わり」と「魂の転生」の関係の詳細は「SAM催眠学序説その123」で
魂の模式図を示して説明してある。
ワイス式前世療法(前世記憶の想起する前世療法)では、魂や生まれ変わりについて、どのような仮説を唱えているのか、わたしは寡聞にして知らない。おそらく、仮説らしい仮説が無いのではなかろうか。


SAM催眠学


「SAM催眠学」とは、Soul Approach Method、つまり、催眠よって魂状態へ導くための方法によって得た「意識現象の諸事実」を累積し、これまでの催眠学の取り上げてこなかった、「魂状態」という特殊な深い意識下で発現する霊的諸意識現象を理論化しようとする試みである。

理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということである。
非科学的な現象として、これまでの催眠研究アカデミズムの取り上げなかった、誰もやろうとしなかった、霊的意識諸現象に正対し、その探究に科学の方法をもって取り組もうとしている。
そのための有効な道具として、SAM前世療法を用いている。「SAM前世療法」によって得られた「意識現象の事実」の検証結果の諸知見が、「SAM催眠学」の理論化作業の糧となっている。
仮説の設定、仮説の検証、検証結果による仮説の修正・変更、あるいは仮説の破棄、の繰り返しによって理論化作業をおこなっている。


「三者的構図」仮説


三者的構図」とはSAM前世療法セッションにおける、「セラピスト」、「クライアント」、「顕現化した前世人格」の三者関係を意味するSAM催眠学の用語である。

「前世の記憶を想起する」という仮説によっておこなわれる一般の前世療法のセッションにおいては、「セラピスト」対「クライアント」の二者関係(二者的構図)によって終始展開される。
SAM前世療法セッションでは、この「二者的構図」が、前世人格が顕現化した後半から、SAM前世療法の「前世人格を呼び出し直接対話する」という独自の仮説によって起こる、特異な「三者的構図」に移行されるのである。                  セッションの前半では、セラピストのわたしはクライアントの催眠深度を深めるためにクライアントに対して、つまり、二者関係で、「魂状態の自覚」に至るまで徹底して催眠誘導をおこなう。                                  「魂状態の自覚」が確認でき、魂表層に存在する前世人格の顕現化に成功した時点で、わたしの意識は、それまでのクライアントを相手にすることから、顕現化した前世人格を相手に対話をすることへと変換する。この変換によって、「わたし」対「前世人格」の対話、それを傾聴している「クライアントの意識」という三者的構図に移行してセッションが展開する。この間、「クライアントの意識」はひたすら傾聴するのみで、わたしと前世人格との対話に干渉することはできない。
 前世人格は、クライアント肉体を借りて自己表現しているのであって(自己内憑依しているので)、対話している主体は前世人格であって、クライアントではないのである。

こうした消息をありのままに報告し実証してくれた、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんの体験報告の抜粋を以下に掲載する
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なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさん(ネパール人対話者)がネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
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前世記憶の想起を前提にしたワイス式前世療法では、このような三者的構図は起こりようがない。ワイス式では、セラピスト対クライアントの二者構図で終始するからである。
 こうして、前世人格との対話が終結したところで、前世人格には魂表層のもとの位置へと戻ることを指示し、代わりに魂表層の「現世の者(人格)」と交代してもらい、解催眠の手続きに入る。


「残留思念」仮説


わたしあて第12霊信(2007年1月23日22:58受信)で、通信霊は次のように告げている。

「この世に残る『未成仏霊のような存在は、残留思念の集合体である。だが、それらは意志を持つようにとらえられる。よって、魂と判断されがちだが、それらは魂とは異なるものである」

強烈な思念(意識)が凝縮し集合体を形成すると、一個の人格を持つ意識体としての属性を帯びる。思念(意識)にはそうした本質があり、そのため「未浄化霊」、「生き霊」などと呼ばれてはいるが、それは「霊」ではなく強烈な思念の集合体である。「霊」とは肉体を失った、二層構成から成る「魂」の言い換えである。

わたしあて第8霊信(2007年1月20日1:01受信)は次のように告げている。

「あなたは、すべては『意識』であると理解していた。ことばとしての『意識』をあなたは理解している。だが、その本質はまだ理解には及んではいない。あなたが覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる」

こうした霊信から10年間のSAM前世療法のセッションにおける未浄化霊、生き霊などとの対話体験を経て、わたしは「意識の本質」の一つとして、「強力な思念(意識)の集合体は、一個の人格としての属性を帯びた意識体になる」と考えるようになっている。
「未浄化霊(未成仏霊)」然り、「生き霊」然り、「インナーチャイルド」然り、ということである。この仮説をSAM催眠学では、「残留思念仮説」と呼ぶ。

それでは、残留思念の集合体である「未浄化霊(未成仏霊)」は、本来どこを居場所とするべき存在であろうか。

わたしあて第14霊信(2007年1月25日22:47受信)で次のように告げている。
「死後、霊体は魂から離れる。だが、それらの意識は魂に取り込まれる。そして魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においてあなた方があなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない」
要するに、現世の個人的意識は霊体に宿っており、死後、その霊体に宿っている個人的意識は魂に取り込まれる。取り込まれる先は、生前は魂表層を構成していた「現世の人格」であろう。こうして、生前の「現世の人格」は、死後、魂表層を構成する「前世の人格」となって位置づくと推測できる。

したがって、「残留思念の集合体」とは、本来、魂表層の前世の人格として統合され位置づくべき存在である。つまり、未浄化霊(残留思念)をこの世に残したままでは、魂表層の前世の人格の一部、あるいは全部が欠落しており、魂表層全体が十全な状態ではないということになる。
どうやら、こうした十全ではない不完全な魂は、次の生まれ変わりを禁じられ、霊界に足止めされるらしい。残留思念が霊界へと上がって、魂表層の、生前は現世人格であった者に統合されるまで待機させられるという。

なお、セッション中に顕現化した未浄化霊の身元の検証事例が2事例あり、2事例とも生前の実在まで肉薄できたが、あと一歩のところで完全な実在証明には至っていない。一つは、太平洋戦争の学徒動員による小牧市の軍需工場で、名古屋大空襲に遭い焼死した名古屋市熱田区在住の19歳女性、あと一つは、くも膜下出血で笠松病院に搬送中、夫・小6の息子のを残して急死した岐阜市岐南町の30代女性の二人の未浄化霊である。


「自己内憑依」現象と「前世人格の顕現化」仮説


自己内憑依とはクライアントの魂表層を構成している前世人格が、現世の肉体を持つクライアントに憑依をし、自己表現する憑依現象を意味する。

したがって、クライアントが口頭で対話する場合、指で返答をして対話する場合、落涙する場合などの「主体」はクライアント自身の意志ではなく、前世人格の意志なのである

こうして肉体を持たない前世人格は、自己の存在をクライアントの肉体を借りて「顕現化」することが可能になる。

その状況証拠として、前世人格が顕現化中のクライアントの催眠状態を「モニターしている顕在意識」は、勝手に口が開いて喋っている勝手に指が動いて返答している勝手に涙が溢れて泣いている、と認識していたと報告する。
こうした、前世人格の顕現化中の変性意識状態で現れる現象を自動発話自動動作と呼び、前世人格が顕現化している指標の一つとしている。

要するに、「自己内憑依」現象とは、「前世人格の顕現化」現象の言い換えである。
さらに考察すると、前世人格の顕現化が起こるのは、クライアントの魂が霊的存在と同様な次元に至ることによって、霊的存在である前世人格とのコミュニケーションが可能になっている状態であると考えることができる。
 
「前世記憶の想起」が前提のワイス式前世療法では、「自動発話」、「自動動作」という現象は起きない。
なぜなら、セラピストの対話相手は終始クライアント自身であり、クライアントは前世記憶のイメージを自分自身の記憶として、想起し、語る。
したがって、語る主体は、クライアントであり、前世の人格そのものではないのである。

一般に憑依とは、「当事者以外の第三者の霊が憑依すること」を意味している。
したがって、現世人格の内部(魂表層)に、意識体として存在している前世人格が、生まれ変わりである現世の肉体に憑依する、という意識現象はこれまで知られていない。

SAM催眠学では、これまでの第三者の霊の憑依と明確に区別するために、独自・固有の概念を持つ用語としてあらたに「自己内憑依」と呼ぶことにした。


「タエの事例」の持つ弱点



イアン・スティーヴンソンは、『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P.500で次のように述べている。

「これまでに最高かつ、もっとも 信頼性の高い研究の対象となった霊媒のひとりであるグラディス・オズボーン・レナードは、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか)や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていた。E・M・シジウィックは、レナード夫人の書籍実験に関する厳密な分析をおこなった論文を発表している」

上記、レナード夫人のような、万能に近い驚異的ESP(透視やテレパシー)を用いる人物が実在しているのである。
したがって、もし「タエの事例」の被験者里沙さんが、こうした超ESP(万能のESP)を催眠中に発揮できたとすれば、「タエ」の人柱になった物語は、彼女が超ESPによって入手した、天明3年7月7日の浅間山の大噴火、それによる吾妻川の大泥流などの諸情報を、編集・加工して創作した可能性が否定できない、とする仮説が成り立つのである。
つまり、生まれ変わりなどを持ち出す必要はなく、生きている人間の「心の力」で説明できるということである。これが「超ESP仮説」である。もちろん、里沙さんが覚醒中にESPのような能力を発揮したことがないことは、家族や友人など周囲の人たちに確認している。しかし、催眠中に限って超ESPを発揮できたのだ、と主張されればこれを完全否定することはできないのである。「レナード夫人の書籍実験」は、生まれ変わりの厳密な科学的証明を主張するためには無視できない事実である。
 残念ながら「タエの事例」の持つ、生まれ変わりの証拠としてのこうした弱点を認めざるをえないが、前世療法で語られた事実関係の真偽を徹底的に検証し、80%以上が事実に間違いがなかったという結果を得た。残り20%は検証不能であった。(注:詳しくは『前世療法の探究』春秋社を参照)
前世療法で語られた内容の真偽の事実関係を徹底的に検証し、生まれ変わりの証拠に肉薄した事例検証は、日本では初めてのことである。この功績は誇ってもよいと思っている。
「超ESP仮説」を無視すれば、生まれ変わりの科学的証拠として認められるはずである。
そして、2005年の「タエの事例」の4年後の2009年には、ついに超ESP仮説を打破する会話技能の発揮である応答型真性異言「ラタラジューの事例」の発見に結びついていくのである。
わたしが、生まれ変わりの実証的探究のために、「前世記憶を想起する」前世療法から、「前世人格の顕現化をめざす」SAM前世療法へと考え方の方向転換をしていったのは超ESP仮説の壁を回避するがためである。

それにしても、わたしがワイス式前世療法と呼んでいる「前世の記憶を想起する」セッションにおいて、語られた前世の記憶の真偽を科学的検証にかけた事例報告が、いまだに皆無であるのはなぜであろうか? おそらく科学的検に証耐えるだけの事例が、いまだに出ていないのだろうと推測される。あるいは、検証作業を放棄しているのだろうか。

語られた前世記憶が「真」であるという科学的検証事例が1例もないとすれば、前世の有無は不明であり、正しくは「前世イメージ療法」とするのが妥当だと思われる。
なぜなら、催眠中には「要求特性」がはたらき、クリエイティブなイメージが自発的に次々にあらわれることを催眠学が明らかにしており、前世のイメージが自発的に次々にクリアにあらわれたからといって、その検証抜きにして前世記憶の証拠とは到底断定できるはずがないからである。
このことはSAM前世療法で顕現化する前世人格にも当てはまる。クライアントの願望が投影された架空の人格である可能性がやはり否定できない。
しかし、きわめて信憑性の高い、前世のタエの人格、ラタラジューの両人格の検証事例がSAM前世療法にはある。

いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」が
SAM催眠学の理念である。


「魂の志向性」仮説 転生を繰り返す魂にめざす目的はあるのか


魂の志向性」とは、魂として向かう方向がある、ということである。
惰性や偶然で無目的のまま、魂は転生するわけではないのである。
このことは、「SAM前世療法で語られた『意識現象の事実』の累積」という「前提」と、「1000事例程度のセッションで得られた内容」に過ぎないという「限界」の枠内で、わたしが確認できてきたことである。

その一つは、魂の転生と生まれ変わりの志向性には、守護霊の意図が大きく関与しているらしいということがある。魂の成長・進化のために、できるだけ多彩な人生を体験するように守護霊が図っている。性別の入れ替わり、人種の入れ替わり、国の入れ替わり、社会的地位や貧富の入れ替わり、加害者と被害者であることの入れ変わりなど、一つの魂が様々な多彩な体験をすることによって、成長・進化ができるように計らう。そのために、次の人生で果たすべき課題(負荷)の青写真を守護霊と相談したことまでを記憶として報告した事例が複数ある。相談した記憶までであって、青写真の具体的内容の記憶はない。

二つ目は、現世に生まれ変わる前の青写真の内容は、魂が新しい肉体に宿ると同時にリセットされ、現世に生まれた人間には青写真の具体的内容も、人生で果たすべき課題(負荷)も一切が忘却されてしまうことである。現世をどう生きようが、悪とされている道に迷い込もうが、すべては魂の主体性に任され自由であり、守護霊の指導が入ることはない。守護霊は、ただひたすら見守るだけのようである。
魂状態の自覚に至ると、守護霊とのなんらかの出会い、接触が可能になるので、それを試みても、守護霊は、現世に生まれてきた具体的目的を教えてはくれない。「胸に手を当てじっくり考えてみれば自ずと分かってくるはずです」のような曖昧なことしか言ってくれない。試行錯誤を繰り返しながら自分で悟りなさい、その過程が成長に結びつくのだ、ということらしい。
「タエの事例」里沙さんの守護霊だけは、「彼女の魂は急速な魂の成長を望んで、負荷の重い人生を自ら望んだ。16歳で人柱になったタエ、最後は村民の恨みを買って毒殺されたナル村村長のラタラジュー、脊柱側湾症の激痛に苦しむ現世の里沙さん、それらは人の苦しみや痛みを体験し、そうした苦痛に苛まれる人々の心を理解するという目的のために、自ら選んだ負荷なのだ」と告げている。
また、里沙さんの守護霊は、わたしの魂の負荷について次のように告げている。

あなたの守護霊は、わたくしよりさらに霊格が高く、わたくしより上におられます。
そういう高い霊格の方に守られている分、あなたには、成長のためにそれなりの試練と困難が与えられています。これまでの、あなたに生じた困難な出来事のすべてがはじめからの計画ではありませんが、あなたの魂の成長のためのその時々の試練として与えられたものです。魂の試練は、ほとんどが魂の力で乗り越えねばなりません。
わたくしたちは、ただ見守るだけです。導くことはありません

ここまで具体的に告げた里沙さんの守護霊は、霊界では異例の存在のようである。

わたしは49歳の教頭時代に、夫のDVなど夫婦関係で悩んでいた同僚の同年女性教師にカウンセリングを依頼され、夫婦関係改善のため内観療法によるカウンセリングを20数回実施したことがクライアントの夫の知るところとなり、「催眠を使って妻に夫への悪意を吹き込み、不倫の末に夫婦関係を破壊した」という理由で、1320万円の慰謝料請求訴訟の被告として訴えられた。原告側の証人として、マスコミにも顔を出し、著書があり、カウンセリングの大家と評されている、某大学教授が雇われ、当初の訴えが、わたしのカウンセリングによって境界性人格障害を引き起こした、というこれまた根拠不明の不当な訴えに変更された。原告側教授の専門家(臨床心理士)としての意見書、それに対するわたしの反論陳述書の応酬が2年間続いた。この民事裁判は4年余の争いの末、わたしの潔白が認められ結審した。この争いは、「臨床心理士」対「学校心理士」の力量を問われる争いでもあった。ちなみに、この大学教授(現在は退職)はその後、複数の女性クライアントとのカウンセラーの立場を利用した不適切な関係が、著名週刊誌によって暴露されるという専門家としての名声を台無しにする不祥事を起こしている。
里沙さんの守護霊の告げた試練とは、この民事裁判で争ったことを指摘しているらしい。
裁判に負ければ、不当な慰謝料支払いと、教員としての信用失墜行為による辞職に追い込まれることは必至であった。職と名誉を守るこの裁判で、わたしは潰されることに耐え抜いた。負荷は乗り越えられるからこそ負荷であり、試練という。わたしはこの孤立無援の裁判で、原告側教授の不当な主張を論破できた。この争いによって、公的肩書きやら専門家の権威に、いたずらに惑わされる愚から一切解放された。一皮むけたのである。

したがって、現在の不幸や困難を嘆くだけでなく、「魂の成長」のための計画的試練であるかもしれない、と前向きにとらえる視点が必要であることを身をもって体験した。

人間は、誰もが、人生のどこかで、生まれてきた意味について真剣に考えるときが必ずやってくる。愛する者たちとの死別、自分の死が間近なとき、生きていることがたまらなく苦痛なときなど。それは、生まれてくる前に青写真を描いた記憶の痕跡があるからだと推測している。

「魂の成長・進化」とは、視野が狭く利己的な考え方と行為が、より視野が広く利他的な考え方と行為へとその重みづけが変化していくことだとらえられる。また、生まれ変わりや守護的存在など、霊的真理に目覚めていくことでもある。


「魂遡行催眠」仮説


魂遡行催眠」とは、SAM前世療法の最終誘導過程において、クライアントの潜在意識が、「魂そのものの状態に戻った」という自覚に到達するまで、催眠を深めていく(遡行していく)誘導法である。
この誘導法の確立までには、試行錯誤の苦心のうえ1年余を要している。
 潜在意識の根底であろうレベルに「魂状態の自覚」が存在することは、これまでの催眠学で唱えられたことはない。
したがって、「魂遡行催眠」という用語は、SAM催眠学独自の用語であり、稲垣独創の誘導技法である。世界中の前世療法誘導技法にも絶対にないと断言できる。
そのため「SAM前世療法」の商法登録が認可されている。

「魂遡行催眠」という誘導技法は、SAM催眠学の二つの仮説である「魂の二層構成仮説」「霊体仮説」によって創出されたものである。
 つまり、潜在意識は、魂表層の前世の者たちの生み出しているものであるなら、潜在意識はそれを生み出した源である「魂という状態」を知っていなければならない。そうであるならば、潜在意識はそれを生み出している「魂という状態」まで導くことができるはずである。こうして、「魂という自覚状態」に至れば、魂表層を構成している「前世の者」を呼び出し、顕現化させることが可能になるはずである。
潜在意識は、霊体に宿っている(注:「霊体仮説」の項参照)。そして、霊体と肉体は、相互影響関係、相互干渉関係があると考えられる。相互影響関係、相互干渉関係があるということは、霊体と肉体双方に、何らかの共通する要素なり性質が存在していることを推測させる。そこで、霊体に宿っている潜在意識を、霊体と共通する要素・性質をもっているはずの肉体の任意の部分に転移させ宿らせる。潜在意識が宿った肉体の任意部分に、観察可能な何らかの運動・動作の繰り返しによって魂状態へと導くように指示する。魂状態に到達したら、運動・動作は停止すると指示する。この一連の誘導技法が「魂遡行催眠」である。
以上が「魂遡行催眠」の理論的背景である。

魂状態を体験したクライアントの報告する多くの感覚は、「体重の感覚の消失」であり、中には魂とおぼしき意識体が肉体の外へとずれたり、肉体から離れた状態になったという報告がある。

「魂状態」の体験であろうと思われる「タエの事例」被験者里沙さんの手記の抜粋を以下に掲載してみる。このセッション映像はyou-tubeに公開してある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
眩(まぶ)しい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊(かたまり)ではありましたが、まちがいなく私でしたそして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。
私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
(中略) 
次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。
前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。
稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。
それは本当に不思議なことでした。

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魂状態の体験者のすべてが上記里沙さんのような生々しい感覚を報告するわけではない。
中には魂状態の感覚そのものが感じられず、にもかかわらず前世人格が顕現化し、勝手に発話(自動発話)をしていたという感覚の報告もある。
なお、「魂遡行催眠」と呼ばなくとも、この魂遡行の技法を魂状態へ導くために用いる者がいるとすれば、それは独創ではなく、「魂遡行催眠」の明らかな模倣だと断定できる。


「幽霊」仮説

 

「幽霊」のことを超心理学用語では「霊姿」と呼んでいる。霊姿というのであるから、姿を見ることができる霊を意味している。わたしは、話としては幽霊を見たという目撃談を聞くことがこれまでに複数回あった。幽霊の姿を写真に撮れたという心霊写真はその真偽は別にして数多くある。国内だけでなく海外でも信頼性のある幽霊(霊姿)の目撃談は数多くある。しかし、わたし自身は幽霊を目撃したことはないし、SAM前世療法セッションで顕現化したことも、対話をしたこともない。だからといって、幽霊の存在を全否定できるとは思わない。SAM催眠学理論ではありうる存在だからである。判断留保が現時点のわたしの態度である。

推測としては、「幽霊」は、残留思念の集合体である「未浄化霊」とは別の霊的存在だと思われる。おそらく、二層構成を持っている「魂」が、死後、肉体を離れて「霊」となりながら、強い未練や怨恨などの思念によって引き留められ、本来行くべき次元へ行けず、そのまま物理空間次元に留まっている霊ではなかろうか。あるいは、肉親や親友などにどうしてもメッセージを届ける必要があって、霊界次元から物理空間次元へ降りてきた死者の霊であるかもしれない。これ以上の言及をすることは、今後の探究課題としたい。

 

 

  「ラタラジューの事例」の希少性




応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、2009年5月9日に実験セッションとして、名古屋市「さかえクリニック」でおこなわれた。被験者は「タエの事例」と同じく当時49歳の里沙さんである。セッション立ち会いには、中部大学大門正幸教授、同大学岡本聡准教授、さかえクリニック院長末武信宏医学博士、クリニックスタッフ山口一輝氏、ネパール語対話者ネパール人朝日大学法学部博士課程学生パウデル・カルパナさん、わたし、の6名であった。
応答型真性異言とは、その言語を学んではいないことが証明されている被験者が、その言語で応答的な会話技能を示す超常現象で、生まれ変わりのもっとも有力な科学的証拠とされている現象である応答型真性異言こそ、生まれ変わりの科学的研究の前に立ちはだかった壁である超ESP仮説を、打破するものだとされている。

1984年のイアン・スティーヴンソンによる著書が、欧米の現在における応答型真性異言事例の公表としては最後である。
それ以前の事例を入れても、世界で4例でしかない。そのうち2例が催眠中に起きている。
ちなみに、スティーヴンソンは、応答型真性異言を発話した主体を「トランス人格」と呼び、被験者自身が発話の主体ではないことをはっきり述べている。

わたしは、「ラタラジューの事例」の検証を、2010年に『生まれかわりが科学的に証明された』としてナチュラルスピリットから出版している。
したがって、「ラタラジューの事例」は、世界で5例目の応答型真性異言であり、催眠中の事例としては世界で3例目であり、21世紀最初の事例であり、日本最初の事例である。また、応答型真性異言発話中の世界初の撮影に成功した事例である。
この事例以後、10年後の2019年現在でも、科学的検証をおこなった新たな事例発見の公表はされていない。科学的検証に耐える応答型真性異言が、いかに発見されにくいかよく分かる。
こうした観点から、生まれ変わりの証拠としての「ラタラジューの事例」が、生まれ変わりの研究史上世界的な希少事例であることは十分強調できるであろう。

わたしが、「ラタラジューの事例」の希少性でさらに強調したいことは、他の応答型真性異言はいずれも偶発的に起きているが、この事例は「SAM催眠学」の仮説の検証のため計画的、意図的におこなった実験であったことである。2005年に最初の顕現化をしたラタラジュー人格を「魂の二層構成仮説」によって、4年後の2009年にも、魂表層から必ず再現化できること、つまり科学性の条件である「再現性」を、SAM前世療法を用いた実験によって証明することにあった。

さて、再現化した「前世人格ラタラジュー」は、今も魂表層に生きていることを示す次のような、現在進行形のきわめて象徴的な貴重な対話を残している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
:KAはネパー人対話者カルパナさん

里沙:  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA:  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

里沙:  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この短いやりとりの希少性は、ついうっかり見落とすところだが、再現性の実証として現れた前世人格ラタラジューが、死後も、魂表層に意識体として生きて存在している、というSAM催眠学の仮説の実証としても、きわめて興味深く示唆に富むものだと言える。

つまり、顕現化した前世人格ラタラジューのありようは、ネパール語話者カルパナさんに対して、現在進行形で「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないこと実証している。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのである。
被験者里沙さんとは別人格として、ただ今、ここに、顕現化している、としか考えられない。

その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないだろうか。
つまり、ネパール語で応答型真性異言を話している主体は、里沙さんではなく、魂表層に存在している前世人格であるラタラジューそのものとしか解釈できないということである。

前世人格ラタラジューが、里沙さんに憑依(自己内憑依)し、顕現化しているのである。
こうして「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの証拠としての応答型真性異言の希少性と同時に、SAM催眠学の「魂の二層構成仮説」を実証する、決定的な役割を担っている希少、かつ貴重な事例となっている。

ちなみに、スティーヴンソンは「これまで私は、両方とも事実と確認できるほど二つの前世を詳細に記憶していた子どもを一人しか見つけ出していない」と述べている。
彼が20数年かけ、前世記憶を語る子どもを世界中から2000事例以上収集し、検証した結果である。

「タエ」と「ラタラジュー」の二人の前世人格は、事実と確認できるほど自分の人生を詳細に語っている。しかも、「ラタラジューの事例」は、催眠中に起こった世界で3例目の21世紀最初の応答型真性異言事例である。
被験者里沙さんは、生まれ変わりの研究史上、いかに希少かつ貴重な、得がたい被験者であることか。わたしが彼女と出会えたことは、正に僥倖であったとしか思えない。

ときどきテレビで紹介される生まれ変わり番組を視聴しても、科学的検証に耐えるだけの事例は見当たらない。「タエの事例」と応答型真性異言「ラタラジューの事例」の両事例を前にすれば、わたしにはすべて色褪せて見える。 


「霊体」仮説


わたしあて第14霊信は次のように告げている。

「霊体とは魂ではない。それは、あるときはオーラと呼ばれもする。魂そのものと体を包むものである」
 要するに、身体に宿っている魂と、その身体全体を包み込んでいるものが霊体であり、それはオーラとも呼ばれる、という。

わたしあて第14霊信(2007年1月25日22:47受信)で次のように告げている。
「霊体は、ある意味においてあなた方があなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことはできない」

霊体(オーラ)には個人的意識が宿っているのである。
「意識」が量子レベルのものであるとすれば、それが脳内に限定して宿るものではないとすれば、「意識が霊体に宿る」という仮説は、非科学的妄想だと一蹴できないであろう。
なにしろ現代科学では、意識がどこで生み出されるメカニズムも、意識の本体が何であるのかも、今だに一切不明なのである。「脳が意識を生み出す」という言説は、脳科学研究上の作業仮説にすぎない。そうした前提がないと研究に取り掛かれないのである。
わたしは、脳と意識の密接な「相関関係」を認めているが、それが即「因果関係」だとは思われない。臨床催眠の体験からも、意識が脳の生み出す付随現象だとは考えられない。

そして、未浄化霊や生き霊の憑依する場は、霊体であることが、SAM前世療法セッションの累積から分かってきた。未浄化霊、生き霊は残留思念の集合体であり、それらマイナスの残留思念が、被憑依者自身の霊体に入り込めば(混入すれば) 、霊体に宿っている被憑依者の思念(意識)に、当然なんらかのマイナスの影響を与えることになる。気分の晴れない鬱状態などが引き起こされることが多いが、嫉妬や恨みの強力な思念を抱いている生き霊の憑依は、場合によっては自殺念慮や一時的な人格変換様の心理現象を起こすことがセッションの累積から分かってきた。
また、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えられるので、霊体に宿る思念(意識)が、憑依によってマイナスの影響を受けると、当然肉体にもそれが及び、体調不良などが引き起こされることも出てくる。

「未浄化霊はいつも理解を求めている」とわたしあて第9霊信は告げている。したがって、未浄化霊は、理解を求めて理解を得られそうな者に憑依してくる。
セッション中に顕現化する未浄化霊が言うには、オーラを見て憑依をするかどうかを判断できるらしい。オーラ(霊体)にはその者の意識が宿っているので、その意識内容を読み取ると言う。オーラ(霊体)に宿る意識を読み取り、その者が未浄化霊を理解し、受容的な考え方の持ち主であるかどうかを判断し、憑依すると言う。逆に言えば、そうした霊的存在に対して断固とした拒否の意志を固めていれば、拒否の意志が宿る霊体の意識内容を読み取って、憑依をあきらめることになる。
また、常に自殺念慮などを抱いている者には、それを読み取った自殺者などの未浄化霊が、共感と理解が得られると判断し、当然引き寄せられてくることになる。
顕現化した憑依霊に憑依した場所の確認すると、病死者が多い病院、自殺者が多い場所、交通事故死者の多い場所などが挙げられる 。口頭で話せる憑依霊に、生前の身元や死に方を尋ね、真偽の検証をしてみたが、事実関係の完全な一致に至った検証事例はいまだない。ただし、あと一歩まで迫った検証事例が2事例ある。

わたしは、強いオーラであれば、その色が見えるという能力者10人以上の人から同一のオーラの色を指摘されている。 ただし、オーラを色としては感知できないが、肉体を包み込む輪郭のある透明体として感知する人もいる。
こうした体験から、わたしは、オーラ(霊体)の実在を認めている。

オーラの色の映像ではないか、と言われているキルリアン写真がある。

キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。 撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 対象物から発散する水蒸気電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かなを帯びたコインでも像を得られる)
【ウィキペディア記事より】

この記事によれば、コインや腕時計のような非生体でも、キルリアン写真が可能であるので、映っている発光体は、物質としての水蒸気である。
したがって、おそらく、物質に還元できないであろう霊的なオーラの写真ではない、と思われる。

わたしにとって重要なことは、肉体の故障個所周辺のオーラの色が黒ずんで見える、という複数の報告である。また、オーラの色が澄んできれいな場合には、肉体の健康状態が良好であると分かる、という報告である。したがって、オーラの色を澄んできれいな状態にすれば、肉体も良好な状態にできるという報告である。これら報告は検証の結果、事実だと認めてよいと思われた。
こうした事実から、霊体と肉体の間には、相互影響関係、相互干渉関係があると考えるに至った。
相互影響関係、相互干渉関係があるということは、霊体と肉体双方に、何らかの共通する要素なり性質が存在していることを推測させる。
こうした推測のもとに、試行錯誤の結果、SAM前世療法固有の、世界唯一の、「魂遡行催眠」の技法が考案されていったのである。


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さて、ここに紺字で示した「SAM催眠学」の諸対象(霊的意識現象の事実)は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、SAM前世療法の諸仮説の検証途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。

つまり、理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。

理論化作業は、他方において、諸々の「意識現象の事実」ないし「データ」を、可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。

こうした催眠(SAM前世療法)を道具に用いた諸作業によって、生まれ変わりを示す諸現象や霊的諸現象の解釈のために理論化の構築を企てる「SAM催眠学」は、先行研究のまったくない壮大なフィクションでもあります。

したがって、「SAM催眠学」、および「SAM前世療法」は、霊信頼みの作業仮説だらけの「アソビ」じゃないか、と言われればそのとおりです。竹内薫『99,9%は仮説』光文社新書、という真面目な科学本も出ているくらいですから。

わたしは、催眠研究アカデミズムの取り上げなかった、誰もやろうとしなかった、「作業仮説アソビ」の探究を楽しんでいるのです。

その「作業仮説アソビ」の実証的探究結果によって、死後はあり得ない、生まれ変わりもあり得ない、霊魂も存在しないと否定するより、科学的証明はいまだ完全ではないが、わたしの提示している諸証拠が無視(反論)できない限り、あり得る可能性が高い、と肯定することのほうがより合理的で自然な考え方だろう、という結論に至っています。

とりわけ、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を語った里沙さんについては、現時点で、前世のタエとラタラジュー両者の生まれ変わり以外に、納得のできる確かな科学的説明はできないのではないでしょうか。
事実、2010年以来、you-tubeで両事例のセッション証拠映像、拙著2冊、本ブログでセッション逐語録などを公開し、反証可能性に十分ひらかれているにもかかわらず、これまできちんと具体的反証を示して、両事例が生まれ変わりの証拠ではない、と実証に基づいて反論した識者は誰一人としていないのです。

彼女が、彼女の前世であるタエとラタラジューの生まれ変わりである可能性については、「生まれ変わりを信じる」というレベルを超えて、「科学的事実として認める」というレベルまで肉薄している、と判断できるのではないかと自負しています。

 わたしの、生まれ変わり探究のロールモデルであった、イアン・スティーヴンソン(ヴアーニジア大教授)は2007年、催眠学探究のロールモデルであった成瀬悟策先生(九州大名誉教授)は、今年2019年8月に他界されました。
1948年生まれのわたしも、いよいよ「終活期」に入った自覚のもとに、「SAM催眠学」と「SAM前世療法」の、現時点の総括のつもりでこの記事を書いています。


1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

初めてお便りいたします。

ワイス氏の前世療法を20年ほど前に読みました。
ずっと見る事も無く先日ヤフー知恵袋で「幽霊っているの?」って質問のアンサーの方がタエさんのユーチューブのアドレスを貼っていらしたのでその後色々と見たのがこちらへ来るきっかけです。
先日前世療法を再度読み気になる所はこちらでお伺い出来るのかを気にしています。

「SAM催眠学序説 その48~72」

こちらを48から順番に読むと下へ下ってまた上がるを25回繰り返すので自分が読みやすい様にワードに順番に並べた所です。
中身が難しいので理解はこれからです。
他もこれからです。

今回は最新のページの「生まれ変わりのない魂」と「前世が人間ではなかった魂」
>ただし、犬・猫・馬・蛇などの動物の前世が顕現化したことは一切ない。

読売新聞の発言小町で面白いトピックがあった記憶があり調べました。
「2歳の子供が昔飼っていたペットだったと話しだした」 2016年8月26日
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2016/0826/775173.htm?o=0&p=0
前世がフェレットとの事でした。
匿名ですので事実かどうかは不明ですが、あまりに微笑ましく読んだ限りでは事実と思いたいです。

情報程度に思って下されば幸いです。